〈ひと〉の現象学
鷲田清一(著)
/ちくま学芸文庫
作品情報
わたしたちは何によって“ひと”として生まれ、どういう理由で「あのひとらしい」と言われ、どのようにしてときにその権利が擁護され、ときに糾弾され、やがて“ひと”として消えていくのだろうか――。他者=「顔」との遭遇、愛憎という確執、個としての自由から、市民性・多様性、死など。“ひと”をめぐる出来事には常に、知覚、自己意識、理性、権利と契約、道徳と倫理といった哲学の主題が伴走する。本書はそうした問いの数々をゆるやかに開かれたまま差しだし、共鳴し連鎖する思考を展開していく。
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商品情報
- シリーズ
- 〈ひと〉の現象学
- 著者
- 鷲田清一
- 出版社
- 筑摩書房
- 掲載誌・レーベル
- ちくま学芸文庫
- 書籍発売日
- 2020.01.10
- Reader Store発売日
- 2020.04.10
- ファイルサイズ
- 2.4MB
- ページ数
- 304ページ
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この作品のレビュー
平均 5.0 (5件のレビュー)
-
やっと読み終わった!!!!めちゃくちゃ付箋貼りながら読んでた
>一つのまなざしで見つめられると、それに従うか拒絶するかの二者択一しかなくなる。オール・オア・ナッシングの対応しかできなくなる。
エス…キモーの赤ん坊はめったに泣かない
>肌の接触から子供の要求を察知し、先回りしてすべての欲求をみたしてやるのである。
>赤ちゃんは、この極楽のような羊水と、お母さんの子宮の壁にとてもべったりになります。その居心地のよい母胎の液体からいよいよ産み出されると、体温よりずっと低い温度の気体に包まれます。そうなると、赤ちゃんは皮膚感覚が刺激され、敏感になっていきます。ここから、赤ちゃんの子宮回帰が始まります。つまり、子宮のような空間や温かい人肌を求めていきます。
共通の皮膜
>個体は分離から生まれる。分離は皮膚の引き剥がしとして感受される。個体は二度号泣しないと生まれない。ひとが人生の行路でなにか行きづまるたびに、生まれてこなかったほうがよかった、ないほうがあるよりいい、と思わざるをえないのは、どこか存在を分離としてしか描けないところがあるからだろう。
>物がわたしとは無関係なものとしてただそこにあるということ、その事実が、わたしが取り残された存在なのだという疼きを強いてくるとも言えよう。
>〈わたし〉は一つの損傷として、あるいは存在のダメージとして生まれた。
>濃密であるはずの存在は、じつは必死で密封し、繕われねばならない塊として「幻想」されるしかないものだ。だから、おのれを掻きむしることでひとはその塊としてのおのれのなかに立てこもろうとする。そういう意味では、自身の皮膚への攻撃も、「〈自我〉の境界線を維持し、無傷のまとまった存在であるとの感情を再建するための劇的な試み」として解釈できる。
>ただわたしがそこにいるだけで、それだけの理由で「存在の世話」を享けたというのは、わたしがのちに紡ぎだした後づけの物語である。そうである以外にわたしがその後生き存えることになった理由は考えられないというだけのことである。その物語がいまの〈わたし〉の存在の皮膚を縫っている。
>この幻想にひとは生涯、翻弄される。おそらくは齢を重ねるにつれてより深く。それほど感謝が厚いのは、あるいは傷が深いのは、いうまでもなくそこに自己の存在の根拠が賭けられているからだ。
>相対主義者の議論を憂うときに反相対主義者が依拠しているのは「人間(ホモ)」という「コンテクストに拠らない概念」である。「最小限の装備、本体価格だけのhomoと、正味のみ、添加物一切なしのsapiens」へと約められた、いわば文化抜きの人間概念である。ここに持ち込まれるのは、自然主義的な説明をとるばあいなら「人間の本性」であり、合理主義的な説明をとる場合なら「人間の心性」(お好みならば「知性」や「深層心理」と言ってもよいし、遺伝子や大脳の構造を想起してもよい)である。複数の文化をつらぬいて、そういう不変項もしくは「定数」が見いだされるはずだというのである。
> わたしたちがもし自分が見ている世界の外についに出られないのだとしたら、多様性の称揚はそのまま、人びとは独我論的な世界をしかもてないという主張に反転してしまう。多様性の議論が、人びとを彼らの世界のなかに隔離し、幽閉しようという《認知論的アパルトヘイト》の主張になってしまう。
>他なるものとの遭遇においては《原文のない翻訳》があるばかりなのである。このことは個人としての自己理解・他者理解についても言えることであろう。ここで問題なのは、他者がつけているレンズの屈折率をみずからのレンズの屈折率のなかに翻訳することではなくて、翻訳不可能なものの存在との接触がみずからのレンズの屈折率そのものをずらし、変えてしまうという、その変換の出来事である。
>けれども、「わたし」として統合された人格は、あくまでそのつど"統合されてある"のであって、もともとそのような人格がそれとしてあるわけではない。生きるというのは他なるものとのたえざる遭遇のなかにあるということであり、そのつど「わたし」の存在は綻び、繕いなおされる者である。そのつど多方向に逸脱し、さらにそれを微修正してゆくというかたちでたえず編みなおされるものである。繕いも編みなおしもかなわず、ときに弾けてしまうこと、瓦解してしまうこともある。いずれにせよ、「人格の統一」という正常態とその異常態としての「多重人格」がらあるのではなく、したがってまた正常/異常を測る不動の規準というものがあるのではなくて、人格はつねにその偏差を生み、またそれを組み換える不断のプロセスのなかにある。続きを読む投稿日:2021.03.25
日本の哲学者の権威ということで手に取ってみた。これがなかなか深い!読んでいて頭の中を駆け巡る自分の思考と対峙する時間は、とても意義深い。哲学書を読み味わう時間は、とても「ならでは感」を味わえる。
顔は…一瞬しか存在しないという言葉が一番印象的だ。続きを読む投稿日:2022.04.09
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