日中の失敗の本質 新時代の中国との付き合い方
宮本雄二(著)
/中公新書ラクレ
作品情報
米中が衝突のコースを歩み始めた中、不確定で不愉快な外交リスクが浮上。トランプの登場は「アメリカの時代」の終わりの始まりなのか? 習近平が謳い上げた「中国の夢」「一帯一路」をどう読むか? 21世紀に入り、日中はともに相手国の把握に「失敗」してきた。私たちは中国が直面する危ういジレンマを認識した上で、そろそろ新時代にふさわしい付き合い方を構想すべきである。「習近平の中国」を知り尽くした元大使によるインテリジェンス・レポート。
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商品情報
- 著者
- 宮本雄二
- ジャンル
- 教養 - ノンフィクション・ドキュメンタリー
- 出版社
- 中央公論新社
- 掲載誌・レーベル
- 中公新書ラクレ
- 書籍発売日
- 2019.03.10
- Reader Store発売日
- 2019.05.17
- ファイルサイズ
- 5.9MB
- ページ数
- 216ページ
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この作品のレビュー
平均 3.0 (3件のレビュー)
-
米中の貿易戦争と世界の覇権はどこに向かうのか? 「習近平の中国」を最もよく知る元大使によるインテリジェンス・レポート。
投稿日:2019.05.27
このレビューはネタバレを含みます
先日読んだ”強硬外交を反省する中国”が面白かったのと、同著者の本が積読状態になっていたので読んだ。
レビューの続きを読む
前回も今回も日中をタイトルに上げているが、内容は現代の外交論に中国の内政やロジック、そこにどう日本…が絡んでいくべきかといった内容となっており、日中というよりは国際政治がどうあるべきかについて熱く語られている。元外交官として実際に(おそらくドロドロとした)外交の現場に立ち会って来た中、理想を失わず、あるべき姿を熱く説けるのは、実際の現場で失望はせず、容易ではないもののあるべき姿を追い求める希望を感じていたからなのだろうか。
中国のリーダー達が国際社会に向けて説く大義名分をその光として捉えることには、個人的には少々解せないが、彼らが言っていることとやっていることに矛盾があること、また説明責任を十分に果たしていないといった厳しいコメントも続く。とはいえ、魯迅が林語堂がフェアネスについて説いた箇所をディスっていたように、互いにフェアであることが前提でのフェアネスには意味があるが、片方が守る気がそもそもない場合、フェア精神を持っている方が損をし、駆逐されるというのは現実でもあろう。となるとやはり、何を謳うかではなく、何をするかで判断し、対応していくしかない気がする。そもそも中国に自分達の願望を押し付ける以外の理想の形があるのだおるか・・・という疑問が残る。
また日米戦争の理由は中国問題のみであり、中国を独立させようとした米国とそうでなかった日本といった対比で書かれているが、”裏切られた台湾”で記載される米国の蒋介石政権への不信感を見るに、どうなんだろうと思わなくもない。
P.3
”最近、次のような文章に出合った。
アメリカ人が経済の不愉快な変化と政治の騒々しい出来事の意味を考え始めると、そこに悩ましい映像が浮かび上がってくる。それは役に立たない政治家、頻繁に起こるスキャンダル、人権問題の後戻り、両極端に分裂した無責任な報道機関、すぐ効くといういかがわしい経済対策を騒ぎ立てるポピュリスト。エリートと専門家に対する深まる猜疑心、驚くほどの暴力の頻発、失業の増大、強調されるテロ攻撃、移民ん反対をあおる動き、社会の移動性の低下、巨大企業による経済支配、不平等の広がり、金融とハイテク産業におけるとてつもない金持ち階級の登場、といった映像である。(W.R.ミード「アメリカ民主主義はどのようにして成功を歩むことに失敗するのか」『フォーリン・アフェアーズ』誌2018年5/6月号 筆者訳)
この文章は、今日のアメリカ社会を描いたものではない。なんと「南北戦争後の三十五年間のアメリカ社会の描写」だというのだ。(中略)この時期、いったいアメリカに何が起こっていたのだろうか。南北戦争後の35年間でアメリカはイギリスを追い越し、世界最大の、最も進んだ経済国となった。18世紀半ばにイギリスに始まった産業革命が19世紀初めにアメリカでも始まり、半世紀を経てアメリカ経済を世界のトップにまで押し上げていた。アメリカの産業革命は大成功を収めていたのだ。
ところが社会の現場では、その産業革命が、ここのアメリカ人に自分たちは成功への道を歩むことに失敗したと思わせていたという。つまり産業革命がもたらした技術、社会、経済の急速な変化が、アメリカの既存の制度や仕組みを圧倒し、適応不能に陥れていた。そのことが、国民の、社会に対する不満を引き起こしていた。
P.21
国の歴史には政治が大きく関わる。歴史が紡ぎ出す「物語」が統治の正当性のために必要だからだ。学問にまで政治が口出しするようになると、この傾向は一層強まる。戦前の一時期、日本がそうであったし、今の中国にもこの傾向はある。これが「歴史」だと言われても、そういう「歴史」を学んで果たして本当の教訓が得られるだろうか。
P.28
後で評論家風に批判するのは容易い。あの当時の日本が置かれていた内外情勢の深刻さを考えれば、他の選択を当時の日本社会ができたかどうかは断言できない。あの時代の歴史を学び、東郷茂徳外相の著作を読めば読むほど、あの状況下で彼らと異なる決断をすることの難しさがよく分かる。そこに「空気」に左右される日本社会の本質的な弱点を見るからである。
P.32
戦前の日本の歴史書を読んでいて感じるのは、民族主義、ナショナリズムに対する日本の鈍感さである。ここに戦前の日本が、広い長期的な視点に立って世界の大きな潮流を眺めることに失敗した大きな原因がある。
20世紀初めの中国は、利権回収運動に代表されるナショナリズムの高揚期だった。ナショナリズムが1911年の辛亥革命を成功に導き、統一中国である中華民国が成立した。14年7月、欧州において第一次世界大戦が勃発すると、日本は中国における権益拡大の好機到来と判断した。火事場泥棒的に15年1月、日本は悪名高い21ヵ条要求を中国に突きつけた。中国のさらなるナショナリズムに火をつけたのだ。日本商品の不買・排斥運動、国産品の生産・愛国運動が全国に拡大した。
菊池秀明は、「この(ナショナリズムの高揚という=宮本注)変化に対する日本人の理解は不足しており、中国には国家や公の概念がなく、中国人は自分の利益しか考えない、だから日本が中国を保全してやることがアジアの平和につながるという、ステレオタイプ化されたアジア主義から抜け出せなかった」と、日本の鈍感さを描写している。
P.38
日本とアメリカの根源的な対立は、中国問題だけであった。アメリカは中国の門戸開放を求めた。中国と自由に経済関係を構築するためである。その前提として中国の独立を求め、領土保全を求めた。それは、ワシントン会議の九国条約の要求でもある。
日本は条約の履行を拒否した。逆に満州の検疫を守ると称して華北に浸出した。日本の権益は拡大し、それを認めさせるためには蒋介石政権に一撃を与えるしかないと称して、全中国に戦線を拡大した。日米戦争が始まると、貴重な補給基地として中国における権益を必死になって守った。
日本が対局的観点に立ち中国問題を処理していれば、日米戦争は回避できたのだ。それを現実のものにするためには、日本が中国のナショナリズムに対する正確な認識と政策をもつことが不可欠だった中国のナショナリズムが国民を変え、国家を変えていく力をもっていたのだ。アメリカは世界の超大国への道を歩み始めており、決して的にしてはならなかったのだ。日本は、この二つを認識することに失敗した。世界の大きな潮流を見逃したということでもある。
P.40
1892年、金子堅太郎は、ジュネーブ国際公法会議の途次、アメリカのボストンを訪れた。そのとき、ハーバード大学時代の恩師ホームズ判事から、次のような話を聞かされている。
そもそも国際関係というものは、法理で維持されるものでもなく人道で左右されるものでものく「全く古来蛮俗の余習として弱肉強食の主義に依るもの」である。したがって、欧米の列強がアジア諸国で占有した特権は、法理と人道を説く講演ぐらいでこれを撤廃せしむることは不可能である。それで、いかなる国といえども列強を恐怖せしむるに足る「腕力」を有するのでなければ、法理や人道のごときは単に宗教上の信念に過ぎない。
P.48
国際安全保障については、イギリスは大国間の勢力均衡(バランス・オブ・パワー)による戦後の平和維持を考えていた。アメリカは国際連盟をさらに発展させた集団的安全保障を考えており、アメリカ案を基礎に戦後の平和と安全のメカニズムが構想されていった。43年11月には米英ソの3国で新しい国際組織に関する基本的な考え方について一応の合意を得た。44年8月には中国も参加して、ひと通りの成案をつくり上げ連合国各国に伝えられた。ドイツ降伏前の45年4月、国際連合の創立総会が開かれた。
P.50(国連について)
憲章違反を是正し、遵守させる面において、まだはなはだ不十分だ。法の執行を担保するメカニズムが弱いということであり、理想からはほど遠い。それにソ連の参加を確保し、アメリカの議会を納得させるために、安全保障理事会については、米英仏中ソの5大国を常任理事国とし、手続き事項以外のすべてについて拒否権を与えた。五大国に関係し、あるいは五大国が強い関心を持つ事項について、安全保障理事会が彼らの意向に反した意思決定をすることが難しくなったのだ。
その弊害は、五大国の間の利益や意見が対立した場合に顕著に出てくる。その結果、東西冷戦時代、多くの重要問題について安全保障理事会は機能不全に陥ってしまった。それでもこの拒否権があったからこそ、ソ連が脱退せず、国連に残ったことで、国際社会として対応可能となった事例も事欠かない。そういう矛盾を内包し、欠陥をもちながらも、国連が設置されることにより、人類はさらに一歩前進したのだ。
P.58
1937年から38年、日中戦争勃発の最中に東亜局長をととめた石射猪太郎は、次のように言っている。
外交に哲学めいた理念などがあるものか。およそ国際生活上、外交ほど実り主義なものがあるであろうか。国際間に処して、少しでも多くのプラスを取り込み、できるだけマイナスを背負い込まないようにする。理念も何もない。外交の意義はそこに尽きる。問題は、どうすればプラスをとり、マイナスから逃れ得るかにある。外務省の正統外交も、これを集大成した幣原外交も、本質的にはこの損得勘定から一歩も離れたものではないのである。
この意味において外交は商取引きと同じである。一銭でも大奥、利益を挙げたいのが、商取引だが、そこには商機というものがある。市場の動き、顧客の購買力、流行のはやりすたり、それ等の客観情勢によって、売価に弾力を持たせなければならない。売価を高くつけ得ないために、時によっては、見込んだ利益を挙げ得ないのも、やむを得ない。或いは流行遅れのストックに見切りを付け、捨て売りにして、マイナスを少なくするのも、商売道であり、薄利多売も商売の行き方である。
外交もこれと同じなのだ。国際問題を処理するに当って、少しでも我が方に有利に解決したくども自国の国力、相手間の情勢、国際政治の大局を無視して、無理押しはできない。彼我五分五分、或いは彼7分我3分の解決に満足し、マイナスをそれ以上背負い込まない工夫も必要であり、そこに妥協が要請される。そしてこうした操作に当たるのが外交期間なのだ。(中略)
ただ石射に、日本が国際秩序の構築に積極的に関わろうという姿勢は見られない。それが戦前の日本外交の限界でもあったのだろう。(中略)石射は次のように言う。
商取引に、商業道徳が重んぜられるように、外交には、国際信義がある。承認が不渡手形を出したり、契約を実行しなかったりすれば、その店は遂には立ちゆかなくなる。国家が、国際条約を無視したり、謀略をほしいままにすれば、その国際信用は地に落ち、自らの破綻を基を開く。この国際信用を維持し、発揚するのが外交の大道であり、特に幣原外交は、力強くこの大道を歩み、一歩だにも横道にそれなかった。
P.68
これまで長い間、中国経済は順調に発展し、人々の収入も着実に増えてきた。国民は、基本的にはそれに満足していた。しかし、食べるだけの生活から解放され豊かになり始めると、新しい問題が次々に待ち受けていた。現在、中国の庶民は、教育にお金がかかりすぎる。”教育難”、簡単に病気を診てもらえない”看病難”、高齢化社会がもたらす”老人難”、食の安全や環境汚染がもたらす”安心安全難”など、多くの心配を抱えるようになった。
経済発展のスピードが遅くなり、経済が成熟してくると、次々に新たな問題が起こり始める。これらに対応するのが社会保障であり、社会福祉なのだ。中国においても、この分野の政府支出を増やさざるを得ない。中国も「大砲かバターか」の古典的なジレンマに陥りはじめている。自由に軍事費を増やし続けることは、中国にとっても負担なのだ。
P.71
1972年にニクソン大統領が訪中し、米中共同声明を発出したが、正式な国交正常化は79年まで待たなければならなかった。台湾問題の処理に手間取った体。その後は、キッシンジャーに見られるように、中国が国際社会に組み込まれていけば、中国の現在の国際秩序の支持者となり、アメリカのように民主化していくという期待が強かった。政策もその期待に添ったものだった。つまり対中関与政策が主流となったのだ。
だが、中国におけるナショナリズムは弱まることはなかった。ナショナリズムは中国の誇りをかき立て、強い中国と自己主張の強い外交を求める。そこに立ち塞がるのは常にアメリカであり、アメリカへの敵愾心が消失することはなく、折にふれて逆に増幅されていった。とりわけソ連が崩壊し、アメリカが世界の唯一の超大国として自信を強め、人権問題を中心に中国への圧力を強めると、その傾向はさらに強まった。対外強硬姿勢への傾斜を、経済を重視する中国の国際協調派が必死になって停めていたのが実情であった。
P.75
アメリカがリーダーの座から降りても中国には取って代わる力がないし、他の国や国のグループも生き残る。世界は、必然的に多極化の方向に向かう。国際社会の真のリーダーがいないという意味で「無極」世界という論者もいる。だが、無極のもたらす混乱と無秩序に耐えられる国はない。それほど経済の相互依存は進み、世界の混乱が自分の国を直撃するのだ。一時の混乱はあっても、いずれ、力を備えた国やグループが「極」をつくり、自分たちの利益のために動き始める。自然に複数の「極」ができる。
名実ともに「多極化」世界が出現するということだ。そこで中国の発言権と影響力は増大し、アメリカもEUも主要なプレーヤーとして残り、インドも大国として登場していることだろう。日本も重要なプレーヤーとして残るだろうが、どれくらい存在感を示せるかは、これからの努力次第だ。
世界を大きく眺めれば、二つの世界大戦を経て到達して現在の国際秩序の基本は残ると結論してもよいだろう。その基本理念は、経済のリベラリズム(自由主義)であり、政治のリベラル・デモクラシー(自由民主)だ。それを実現するやり方は、多国間主義であり、「法の支配」だ。
そう結論する最大の理由は、現行の国際秩序を越えるものが、まだ見つかっていないからだ。われわれが目指すべき新しいものが、まだ水平線の彼方にも見えてきていない。振り返って昔に戻ろうとしても、そこには弱肉強食の「ジャングルの掟」が待っているだけだ。誰もそこに戻りたいとは思わない。
P.105
情報化社会の到来は、国民と共産党との力関係をさらに変えた。(中略)共産党に頼らず自力で生きていけるようになった国民が、自分で情報を得て自分で判断できるようになった。多くの国民が「それはおかしいのではないか」と思えば、それは社会の雰囲気となり「世論」となる。政府も耳を傾けざるを得ないのだ。(中略)(事件や問題がおこり、国民が激怒すると)党と政府は、関係者を処罰し、事態を改善させるしか道はなくなる。つまり国民が本当に怒ると政府は「善処」するしかないのだ。
中国にも当然、人としてやってはいけないこと、人としてやらなければならないことがある。それは中国においては「義」という言葉に集約される気がしてならない。儒学、特に孔子は「仁」を重視したと言われる。だが儒学は科挙の試験を受ける「読書人」の価値観である。一般の中国人にとっては道教の方が大事であり、民間の倫理として「義」の方が勝る。(中略)国民が激怒するのは、党や政府が「義」に反することをやっていると思うからだ。だから街にくり出す人も出てくるし、そういう人たちを一般の人たちが支援する。「義」のために立ち上がった人を支援するのも「義」の道なのだ。
P.109
国内を一つにまとめ、国内の危機を回避するために「外敵」がしばしば利用される。中国における日本問題は、まさにその教科書的ケースと言っていい。統治の求心力として役に立つだけではない。場合によっては不満の「はけ口」、あるいは政敵の揺さぶりのために利用されてしまう。中国において政治的運動は厳しく制限されている。「愛国無罪」を叫んで半日デモに参加する人のかなりの割合が、実は反政府だったりする。反日は政治的に安全だからだ。
中国人が歴史の恨みを最も感じているのが日本であり、日本に強く出ても国内で批判されることはない。しかも、その結果、日本との関係が緊張してもアメリカほどのリスクはない。アメリカの場合は、一線を越えれば力でアメリカと対抗できないことはわかっているので、”右”であれ、”左”であれ自制が働く。誰にとっても日本問題は使いやすいのだ。
つまり日本問題は、純粋な外交問題というよりは、実質的にかなりの程度で中国の内政問題なのだ。
P.116
習近平が打ち出した、2050年ごろまでに世界一になるという野心的な計画や、「中国モデル」に対する自信の表明は、以前として形を変えたナショナリズムの活用に他ならない。(中略)ナショナリズムが悪いと言っているのではない。自分の国を愛し、自国の文化に誇りをもつことは自然なことだ。しかし留意すべきは、ナショナリズムは国粋主義に陥りやすく、多くの場合、自己主張の強い対外強行姿勢を求めがちだという点にある。しかも感情に左右されやすい。それが、中国の内外政においてきわめて重要な要素として残ってしまった。
習近平新外交も、これまでの中国外交と同様の本質的な矛盾と無縁ではないと言える。それは国際協調路線と対外強行路線のせめぎ合いという形をとる。理性的な結論は、当然、国際協調路線を要求する。
だが、対外強硬姿勢をとらないとナショナリズムは高じて、国内世論の反発を買い、国内の安定が損なわれる。(中略)そこで対外強硬姿勢に舵を切ると、今度は平和で協調的な国際関係を壊してしまう。その傾向は、とりわけ「核心的利益」と少佐エル主権や領土、発展の利益に関わる問題において顕著に見られる。
P.122
習近平自身は、伝統的価値観へのこだわりがあるようだ。2013年10月の周辺国外交政策座談会での講話において「親、誠、恵、容」の理念を打ち出した。15年9月国連総会の演説においても「義と利をともに考慮するが、義は利より重いという正確な義利感の実践」を主張している。だが「親、誠、恵、容」のそれぞれが具体的に何を意味するか語っていない。「義」と「利」についても同じことだ。
しかし、ここに中国外交が新たな展開をする可能性は残されている。これらの伝統的価値観を代表する言葉に、現代の言葉を使って内容を与えるやり方だ。これで現代風の理念ないし価値観を表現できる。その次に、そういう価値観を実現するルールをつくるべきだ。一連のルールを守れば、自動的に理念や価値観を実現することになる仕組みだ。(中略)そういう作業をした後、結局は、大きなところで現在、国際社会が奉じる”普遍的価値”に収斂していくと思われる。私は、そう感じている。
孔子、釈迦、キリストは時代も場所も異なるところで、独自の思想ないし宗教を始めた。それでも人としてやるべきこと、やってはいけないことの本質に関しては同じことを言っている。人類の行きつくところは大差ないのだ。(中略)中国がこの”普遍性”に納得せず、”中国の特色”にこだわればこだわるほど、中国の主張は周辺化してしまい、世界の主流となることはないだろう。
P.131
軍事安全保障の論理は、経済の論理とはまったく違う。ウィンウィンの関係はつくれず、勝つか負けるか、白か黒かだ。相手を信用せず、相手を欺くことは正しいことであり、許される。常に最悪のシナリオを想定し、それでも自分が勝てるようにするのが軍事安全保障専門家の仕事だ。大体において相手を過大評価し、その結果軍拡競争に入り、戦争で終わる。これが「安全保障のジレンマ」と呼ばれるものだ。それでも各国の軍の責任者はこの考えが正しいと信じている。
P.153
習近平外交は生成発展の過程にある。つまり外部要因で自己修正する余地がまだあるということだ。むしろ中国に積極的に菅にょし、日本と世界にとり望ましい方向に誘うことが賢明な外交というものだ。(中略)
中国が自分で変わる可能性はない、だからレーガン大統領がソ連に軍拡を仕掛け、ソ連を崩壊させたように中国を全面的に抑え込むべきだ、という意見もあろう。しかし中国はソ連と比べ圧倒的に強固な経済基盤をもち、しかもグローバル経済の重要な構成部分となっている。中国を全面的に孤立させることは不可能であり、中国は生き残る。しかもそのときの中国は、欧米に対する強い怒りと不満を内に秘めた大国となる。本当の”モンスター”を育ててしまうのだ。
P.195
中国が打ち出してきている「人類運命共同体」構想は、対外関係調整の一環であり、世界との共存を図るために打ち出されたものである。
その内容は、まだ模索の段階にある。だが中国が理念を語り世界観を語り始めたのは歓迎すべきことだ。この変化を単なる戦術的変化にさせないためにも、中国との対話を強化し、共有できる大きな理念を見出していくべきだ。
17年1月、ジュネーブの国連欧州本部での演説で習近平は、ウェストファリア条約以来の国際人道主義精神を語り、国連憲章の精神と原則、平和共存五原則などの広く認められた原則を「人類運命共同体」建設の基礎とすべきだと語っている。これらの言葉の具体的な意味について、中国とわれわれの間で共通認識をもてるかどうかの確認作業は、国際社会の将来にとりきわめて大きな意味をもつ。少なくと日中の知的コミュニティは、その作業を早急に始めるべきだ。
P.197
日中が、世界の自由貿易体制の強化に、その経済規模に見合った責任をとるということは、身震いするほどの負担を背負いこむということでもある。日本は農業や労働市場を今のままにしておいてよいということにはならないだろう。中国はさらに国内市場を解放し、自由化しなければならない。リーダーとして世界を引っ張るということは、大きな自己犠牲を必要とすることでもある。その覚悟をもって日中は共創と協働を始めるべきだ。
P.P.204
人は賢いようで愚かであり、理性的に見えて感情的だ。そういう人間が社会をつくり国家をつくる。その集合体である国際社会や国際政治も、この人間の営みから切り離すことは不可能だ。
そういう国際政治を”科学的”に分析し、”科学的”な結論を出すことは実に難しい。正直、外交の現場で国際政治の理論を意識したことはほとんどない。例外があまりに多すぎるからだ。頭を整理するときに参考にさせてもらうことはある。だが外交の対象が、人がつくり出す、日々移ろうものである以上、外交交渉とはそういう事例の積み重ねを踏まえてなされるもので、理論は後からついてこざるを得ない。しかも、それを現場に適用すると、すぐに例外に直面する。その瞬間において手にすることのできる情報は常に限られており、学習と経験に基づく脳内ソフトに活躍してもらい、対応するしかない。限りなく”刑事の勘”に近いものが要求されるのだ。21世紀に入ってから、外交はますます内政の延長となり、内政のぶつかり合いが国際政治の現場風景となった。”人間学”がますます必要になったということだ。続きを読む投稿日:2024.03.17
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