この作品のレビュー
平均 4.3 (5件のレビュー)
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「日本語練習帳」や「広辞苑」の基本語項目の執筆、「岩波古語辞典」の編集など、日本人が日本語について、ひとつまじめに訓練せむと思うときの入り口にいる国語学者、という趣きのある大野晋(1919-2008)…の、没後すぐに書かれた伝記である。
同年代の、つまり戦中期に高等教育を受けた国語学者というと、つい金田一春彦や山田忠雄のような学者一家を想像してしまうが、大野晋の育った環境はまるで違う。生家は下町の砂糖問屋であり、趣味人だった父親の商才のなさが祟って、大野の自立を待つことなく店を手放すことになる。大野は単身住み込みの家庭教師として稼いでなんとか中学を修了する……といった境遇である。
勉強ができたからこそ、そういう境遇から抜け出る目もあるわけだが、進学によって富裕な知識階級の生活を垣間見るにつれ、大野は劣等感に苛まれるようになる。一高に(末席で)合格してからは、自信の源だった勉学でも、自分よりずっと秀でた者たちに囲まれることになる(学習機会の格差!)。いよいよ青年期の絶望が深まった頃、あるきっかけで万葉集(とくに柿本人麻呂)にのめり込み、文字通り命拾いした大野は、同輩たちと学問芸術についての議論を重ねる中で、日本とは何か、ヨーロッパとどうしてこうも違うのか、という問題にぶつかることになる。その答えには万葉集からアプローチするしかなさそうだ……。というところに、学者大野晋の出発点が置かれている。
これは明らかに、大野が晩年に取り組んだ日本語の起源説、「日本語クレオールタミル語説」をクライマックスに持ってくる工夫である。実際終盤ではドラマチックなまでに熱のこもったフィールドワークの様子が描かれていて、この本の読み応えを一段高くしている。一方で、この説に集まった多くの批判は、ほとんどが週刊誌の記事を取り上げるばかりで、そのいずれもを嫉妬に基づく粗雑な批判として描いている。ちょっとあんまりな気もするが、まあこの本の趣旨から言って自然なことではある。
比較言語学を知らない私は大野説の可否については判断材料をもたないのであるが、全く否定されているか、少なくとも通説にはなりえないというのが大勢のようである(池澤夏樹の「日本語のために」でも同情的に言及されていた)。一方、分子人類学の知見(Y染色体ハプロタイプ解析)からは、インド東部から東南アジアにかけて住むオーストロアジア語族を話す人々と日本人とがごく近いことは確かで、タミル語(オーストロアジア語族ムンダ語派)と日本語との共通祖語があったと考えるのは自然なことのように思える。分子遺伝学的な共通祖先は中国南部にいて、そこから南西に行った集団(オーストロアジア語族と重なる)と北東に行った集団(日本、朝鮮、満州に多い)に分かれたと考えられるそうだが、これは時間的にも空間的にも稲の栽培化・稲作の伝播と比較してみたいところだ……といった話は、この本に書かれていることではまったくない。分子人類学が質量ともに大きく進んだのは大野の没年以降のことである。今後大野説(やその他の日本語起源説)を検討するにあたっては避けて通れない規模にまで発展しているのは間違いないと思う。
というようなわけで、この本を読んで日本語クレオールタミル語説の詳細、ないし論争について改めてさらってみたいと思った。「サンガム」と呼ばれる57577の韻律を持つというタミル語の古典文学にも興味が湧くが、作中で触れられている情報が断片的なので探しあぐねている。続きを読む投稿日:2020.11.03
孤高 と言うタイトルで買った本ですが紹介されている大野晋さんは忘れられない人になりました。これから何冊か読んでみようと思っています。
投稿日:2011.04.01
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