
総合評価
(263件)| 63 | ||
| 93 | ||
| 53 | ||
| 12 | ||
| 3 |
powered by ブクログ主人公の心理描写の細かさが素晴らしい。どんな状態なのか、様々な例えを用いながら、独特の表現で描いており、複雑な言い回しでありながら的を得ているように感じる。 主人公の労働に対する考え方は、労働に対する究極の理想論であると思った。
0投稿日: 2015.03.25
powered by ブクログ朝日新聞では、昨日(3月23日)まで再連載してゐた『三四郎』の後を受けて、4月からは『それから』の再連載を開始するさうです。再連載シリーズも『こころ』から数えて三作目といふことになります。いつまでも漱石の名声に頼るのはいかがなものか、とも思ひますが、まあ良いでせう。しかし、折角再連載するならば、当時のやうに完全復刻していただきたいなあ。せめて新仮名に直さずに紙面に載せてほしいものであります。 で、『三四郎』『それから』ときたら、次は『門』だなと想像がつきます。いはゆる三部作ですな。これらは「前期三部作」とも呼ばれ、対応する「後期三部作」は『彼岸過迄』『行人』『こころ』といふことになつてゐます。 高校時代の国語の試験で、漱石の三部作を答へよ、といふ問題がありました。文学史の問題は国語と関係ないと存じますが、国語教師は文学カブレしてゐるので、しばしばかういふ出題もあつたのです。 その問にわたくしは、ご親切にも前期と後期の三部作をそれぞれ記入したのでありますが、採点ではペケになりました。どうやら出題した先生は前期三部作しか認めない姿勢で、余計なものを書き込んだとして不正解にしたのでせう。以上は、どうでもいい思ひ出であります。 この作品は、初読の前から、主人公が何やら親の脛を齧りながら仕事もせず、しかも口八丁で親族を馬鹿にしてゐるやうな人物らしい......といふ情報が入つてゐたので、「そんな奴が主人公なのか。長井代助だと? ケッ。何が高等遊民だよ。好い気なものだ。漱石ともあらう人がこれは設定ミスだな。どうも感情移入も出来さうもないぜ」と先入観を持つて読み始めた記憶があります。 さはさりながら、つらつら考へるに、漱石作品の主人公は大概、読みながら苛々させられる奴ばかりではなかつたでせうか。 『坊つちゃん』には「もつと世間を知れよ」と思ふし(まあ、だからこそ「坊つちゃん」なのだが)、『三四郎』に対しては「美禰子さんが好きなら態度をはつきりさせろよ、うぢうぢするな!」と云ひたくなるし、『こころ』の先生には「せつかくお嬢さんを妻に迎へながら、不幸にさせるとは怪しからんぞ」と、尻に敷かれつ放しのわたくしは慨嘆するのであります。 はたせるかな、『それから』を一読して、やはり唸つてしまひました。うまい。何と言つても構成の妙ですね。まだ文学形式として未成熟だつた頃の「現代小説」としては、完成度が高過ぎると申せませう。ま、中には「こんなの名作でも何でもない。単なる手前勝手なニートの話ぢやないか」と斬り捨てる人もゐますがね。それはそれで分かる。 しかしねえ、後半、代助が世俗的倫理を捨て、恋愛に走るあたりから終末にかけては、ほとんど神憑り的な展開ではないでせうか。 周囲がすべて赤く染まつた中で、電車に乗り続ける代助。ああ、代助の「それから」が気になつて仕方がないのであります。 万人受けはしないかも知れませんが、わたくしは『こころ』よりも好みの作品です。皆様も読みやあよ。 http://genjigawa.blog.fc2.com/blog-entry-531.html
1投稿日: 2015.03.24
powered by ブクログ主人公は30歳にもなって定職に就かずに親のすねをかじって、友人に職に就いたらどうかと言われれば「世間が悪い」だのよくわからない理屈をこねくり回すし、しまいには友人の奥さんに手を出す始末。こっちのほうがよっぽど「人間失格」だ
1投稿日: 2014.12.05
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
夏目漱石第二弾。前期3部作の2つめです。 簡単に言うと明治時代のニートが不倫する話。 しかし労働論として読んでも現代で十分通用するほど深みがある。 「あらゆる神聖な労力は、みんなパンを離れている」 という代助の言葉は、当時の明治の文化人の心にどう響いたのだろうか。 (あとがきではひどい書かれようでしたが) しかし衣食住に困らぬ生活をしていた代助も、結局は1つのきっかけから、働かねば生きていけぬという現実に直面する。パンのために生きる決意をする。 代助の言葉がずっと僕の頭のなかでぐるぐるしています。人は生きるために働く。でも生きるためでない働きをした人たちが世界を大きく動かし、それを神聖な労力と呼ばれる。 僕はなんのために働くのか?神聖な労働とは? 話は変わりますが夏目作品は女性の魅力がとても高い。 残りの3部作も、後期3部作も全部読みたい。
0投稿日: 2014.10.23
powered by ブクログ自らの意思を持って生きることは、実際的には真っ赤だということ。 代助は、三千代と向き合う前までは、基本的にはその場凌ぎで適当にやりすごし、それを得意としていた。また、生活のためではない自らの時間の消費の仕方は、崇高で神聖なものとしていた。一方で、生活のための時間の消費は、愚として多くを見下していた。 思索家としての肩書きは、実際にはただの現実と向き合わないただの口だけの職であった。 しかし、三千代を介してはじめて自分の意思を公言すようになってから、もはや思索家としては生きていけずに、それは泳ぐことができない人間がむりやりプールに蹴り飛ばされ、必死で犬かきして泳ぐように、現実社会で蹴り飛ばされた代助は必死になって生きなければならなくなった。 その瞬間のおいて、世界は目まぐるしく急なもので、今までの実際の行動には移すことのない思索家は、実は何の役に立たないものであることを最終ページで晒す。 オチが代助とだれかではなく、結局代助1人のみに集中するところが、最初からブレることのない物語として仕上がった。
1投稿日: 2014.08.02
powered by ブクログで? と思ったw 30歳まで父と兄の援助で呑気に暮らす代助は、友人である平岡の妻三千代と不倫。自分から暴露して平岡とは絶交、父からは勘当、しかも美千代は病気で会えない。環境が激変しこれからどうして生きようかというところでぶった切りエンド。
0投稿日: 2014.06.25
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
後半ところどころに登場する百合の花と、ラストの文章の対比がとても印象的でした。 「夢十夜」好きとしては、「あの百合にはどんな意味があるのだろう?」と考えてみたくなる作品でもありました。
1投稿日: 2014.03.25
powered by ブクログ30歳になって、定職に就かず結婚もせず親からの援助で暮らす明治時代の高等遊民・代助。 代助は学生時代の友人である平岡と三千代の結婚を斡旋。しかし、実は代助は三千代に恋をしており、その事実に今さらながら気づく。また三千代も代助を愛していたのだった。 この小説は明治時代を背景にしているという事を考えて読むべき。個人同士の恋愛というものが結婚の条件として現れ始めた頃だろうか。だから代助は親が薦める結婚の話はすべて断っていたのだ。 時代の変遷を学ぶという意味でも面白い小説だった。
1投稿日: 2014.03.18
powered by ブクログ身につまされる箇所が現代も百年前も殆ど同じだったりするのに驚いた。本望を貫いて生きることを選ぶと社会ではどうしても強烈なエゴイストになってしまう。「めっきを金に通用させようとする切ない工面より、真鍮を真鍮で通して、真鍮相当の侮蔑を我慢する方が楽である。と今は考えている」なんて表現にも共感。
0投稿日: 2014.03.14
powered by ブクログいつ読んでもあまり印象が変わらない「こころ」とは逆で、「それから」は読むタイミングによってだいぶひっかかりを感じる箇所が変わってきている。 「明暗」の津田と清子を思い浮かべつつも三四郎を振って結婚した美禰子のそれからなんだよなぁとあの「三四郎」のさわやかな青春小説のような文章からは程遠い。最初はのらりくらりとした理屈っぽい今でいう金持ちの家のニートみたいな暮らしをしている代助の思索の歴史を読んでいれば済んでいたのに、ふと三千代を好きだったと天啓のように思い出してからは息が詰まるやりとりが続く。夏目漱石は好いた惚れたの話を書いても結局社会について書いている。冒頭の椿の描写とラストの「ああ動く、世の中が動く」から始まる赤い世界がお見事。 いつ読んでも今読むべきと思わせる小説だと思いました。
1投稿日: 2014.03.01
powered by ブクログ千年読書会、今月の課題本でした。学生の時に読んだ記憶があったので、手元にあるかと思ったのですがなかったため新潮文庫版を購入。他の漱石の蔵書と比べて大分新しい見た目となってしまいました。。 さて、本編の主人公は「代助」、とある資産家の次男坊で、大学は出たものの、30歳をこえても定職に就かず、フラフラと気ままな日々を送っています。当然結婚もしておらず、学生時代の友人「平岡」の妻「三千代」にほのかな憧れを抱いているものの、二人の幸せを祈ってる状況だったのですが、、その夫妻が仕事で失敗して東京に戻ってくるところから物語が動き始めます。 代助はいわゆる“穀潰し”なわけですが、家族には愛されているし、期待もされている。今でいう、ニートや引きこもり、、ってほどにネガティブでは無く、当時の高等遊民との言葉がまさしく言い得て妙です。ただ、危機感のなさからくる“社会”との乖離は共通しているのかな、、 背景となる時代は、日糖事件のころですから、1910年前後でしょうか。一等国ぶっていても、借金で首が回っていないとか、日露戦争後の日本社会状況を冷静に見通している、知識階層の感覚もなんとなく垣間見えて面白いです。 そんな中での“金は心配しなくてよいから、国や社会のためになにかしなよ”との、父や兄の言葉はなかなかに象徴的だな、とも。次男・三男に、金銭よりも公共性の高い事業へのケアを求める。そういった観点からの社会への還元は、ある種の分業とも取れて意外とありだなぁと、そして、今でも結構あるよなぁ、と。 さて、仕事にしくじって戻ってきた平岡夫妻、なかなか思ったような再就職もできず手元不如意に。そんな夫妻の危機に対し、金銭的には力になれない代助は、自身の無力さを感じるものの、社会に対してはまだどこか他人事のように接しています。 そのまま十年一日のように過ぎていくのかと思いきや、夫婦間の根底の問題に触れ始めたころから、他人事ではなく“我が事”としてのめりこんでいくことに。。 単純な愛情だけではなく、二人の不遇が故の同情もない交ぜになったその様子が、どこかアンニュイに世界と関わっていた代助が変わるきっかけに。その三千代への狂おしいほどの想いとしては、どこから来ているのか、そんな心の機微が濃やかに描かれています。 並行して進められている、いわゆる“いいところの御嬢さん”との縁談の話との対比も象徴的で、価値観の合わない女性との結婚に、イマイチ前向きになれない代助ののらりくらりとかわそうとする煮え切らなさも面白く、、どこか微笑ましく見ていました。 そして興味深かったのは代助と平岡の仕事に対する意識の違いでしょうか。代助は「食う為めの職業は、誠実にゃ出来悪い」、平岡は「食う為めだから、猛烈に働らく気になる」と、これは今でも同じかなと。どちらも“あり”だと思いますが、個人的には代助に共感を覚えます。 終盤、代助は勘当された状態となり「職業を探してくる」なんて風になるわけですが、代助が「自分のこころに対して愚直なまでに誠実」であることは、物語の最初から一貫していると思います。表面的には、坊ちゃん然とした甘ったれにも見えますが、当時の家族とのしがらみや金銭的な問題をも飛び越えての、代助の在り様と、それを受け入れようとする三千代は、なるほどなぁ、と。 「仕事は“何のため”にするのですか?」 こんな問いかけをされているように、思いました。「家族を養うためにきつくても嫌でも我慢して、働いてやっている」なんて風潮に疑問を投げかけながらも、かといって、霞を喰って生きていくわけにもいかないとの現実的な問題も対比させて。劇中の代助の選択肢はいくつもあり、自分だったらこうするのにとの投影も可能だと思います。 ラスト、代助と三千代、ふたりの“それから”がなんとも気になる終わり方となるわけですが、、物語としては生殺しですが、問いかけとしてはこのオープンエンドはありだなと。このような物語を当時の時代を踏まえながら描き出せるのはさすが漱石といったところ、今まで読み継がれているのもあらためて、納得でした。 ついでに言えば、代助を男性として見た場合の魅力はどうなんだろうと、女性にもきいてみたい、そんな風にも感じた一冊です。
6投稿日: 2014.02.28
powered by ブクログhttp://tacbook.hatenablog.com/entry/2014/02/15/135615 主人公の代助は父親にパラサイトし、30になっても尚働かず、嫁を貰わずのうのうと過ごす男。 現代となってはなんら違和感はありませんが、70年前という時代においては完全に異端児らしく、代助の父親始め周囲の人々も、そんな代助を恥ずかしく思っているであろう描写がポツポツ出てきます。 けれど代助はあろうことか、友人の平岡の妻である三千代に恋をしてしまう。 平岡の仕事がうまくいかなかったことから、彼ら夫婦は貧乏生活を強いられていたため、おすねカジリ虫の代助は親の金を握りしめて三千代に近づきます。 で、この代助という男が曲者で、働かずパラサイトしている身分のクセに「フィロソフィ」だけはいっちょまえに尖っている。 確かにその「フィロソフィ」は非の打ち所のない理屈で固められていて、実際私も読みながら共感した点を多々ドッグイヤーしました。 けれど中盤以降で、他人から貰った金を握りしめて「気にするな」と三千代に渡したり、寝る前に部屋の隅に香水を振り撒いたりする姿を見て、もうサブイボ立ちまくりです。笑 そんな痛々しい代助に見兼ねて、兄の妻である梅子が代助を否定するシーンがあるのですが、ここが『何者』で主人公が友人の理香に罵倒されるシーンに瓜二つなのです。 社会に身を投じずTwitterで俺は素晴らしい、他人とは違うとぼやく『何者』の拓人。 同じく社会に身を投じず心のうちで俺は素晴らしい、他人とは違うとぼやく『それから』の代助。 そして周囲の人間を代表して、そんな彼らを真っ向から罵倒してくれる理香と梅子。 例えが飛躍しすぎかもしれませんが、読んでいてそんな風に思いました。 (もし代助の生きた時代にネットが存在していたら、彼は間違いなくTwitter中毒者だったろう。「友人は働いているのか?働かされているのか?俺には必要ないことのように思う」とかナウしながら) 私には当時のことなんて勿論分かりませんが、こんなにもネットリとした、女々しさ満載の男が題材となった本作は、果たして出た当初から名著と謳われてたのでしょうか。 現代がやっと『それから』の価値観に追い付いたような、この先鋭性こそがのちに人気を博した理由なのかなとも思います。 ただこうやって様々に考えさせる本書でありながらも、夏目漱石は哲学者でも評論家でもなく「小説家」、後半になってエンタテイメント性が溢れて出てきます。 『こころ』は終盤、胸をえぐるような先生の手記によって茫然とさせられるままに終了しますが、『それから』では親・親戚を裏切り、親友を裏切り三千代と生きていくことを決意した代助の姿が描かれています。 ここでの代助は意思を以てしても、職の無い身分で三千代を支える不透明な将来や、裏切った親友から受けた当然の仕打ちにひどく混乱していて、その描写に読んでいるこちらも混乱させられました。 例えば三千代への気持ちに気づいたときの代助 彼は病気に冒された三千代をただの昔の三千代よりは気の毒に思った。彼は子供を亡くした三千代をただの昔の三千代よりは気の毒に思った。彼は夫の愛を失いつつある三千代をただの昔の三千代よりは気の毒に思った。彼は生活難に苦しみつつある三千代をただの昔の三千代よりは気の毒に思った。 また、ラストのラスト 「焦る焦る」と歩きながら口の内で言った。「ああ動く。世の中が動く」と傍の人に聞こえるように言った。 決してハッピーでない代助のそれからを示唆する終わり方で、夏目漱石どんだけ暗いんだとどんよりした気持ちにもなりますが笑、 それ以上に代助が精神的に成長し、人間の弱みみたいなものを炙り出したこの小説はどこを取っても素晴らしかった。 読んでよかった!!!
0投稿日: 2014.02.18
powered by ブクログ主人公である「高等遊民」代助は、その経済的礎である家族関係の維持と(自らの意に逆らえない)友人の妻である三千代を奪い取ることの選択を思い悩む。 漱石の小説の中ではとてもドラマチックなストーリー展開。 漱石の小説に度々現れる「迷う男と迷わぬ女」。 迷う男は知識人でもあり、情感に流されることを潔いとしない。思案して行動する。 三千代は美しくそして病的で弱々しい。数少ない言葉には、ストレートな表現は避けつつも、強い意志が込められている。人間の魅力は相反するもの。三千代でいえば強さと弱さ。 そこに読者の想像力をかきたてる仕掛けがあるのだろうか。 明治は過去からの価値観と西欧文化に影響を受けた新しい価値観のぶつかり合った時代。 この小説でも父や兄=「家」という価値観と、知識人の自負からでる個人主義的価値観との葛藤の心情が流れるような美しい文章で表現されている。 また、価値観という意味では、父や兄は保守的な家族観、道徳観の象徴でありながら経済人という利害、打算で生きていきる新人類(士族的でない)の象徴としても描かれており、この逆説的な面白さも感じることができる。 漱石は、普遍的な人間性の本質を表現力豊かに著す能力が高い。 これが今でも多くの読者を魅了するところなのだろう。 いつの時代も過去や新しい価値観との葛藤に悩まされ、どのような行動を取るのかテーマになるが、漱石の小説には所々にそのエッセンスが散りばめられ、且つそれが現代社会にも示唆を与えている。 以下引用~ ・代助はすべての道徳の出立点は社会的事実より外にないと信じていた。始めから頭の中に硬張った道徳を据え付けて、その道徳から逆に社会的事実を発展させようとする程、本来を誤った話はないと信じていた。 従って、日本の学校でやる、講釈の倫理教育は、無意義なものだと考えた。 代助に至っては、学校のみならず、現に自分の父から、尤も厳格で、尤も通用しない徳義上の教育を受けた。 ・今の日本は、神にも人にも信仰のない国柄であるという事を発見した。そうして、彼はこれを一に日本の経済事情に帰着せしめた。 ・写真は奇体なもので、先ずは人間を知っていて、その方から、写真の誰彼を極めるのは容易であるが、その逆の、写真から人間の定める方は中々むずかしい。 これを哲学にすると、死から生を生み出すのは不可能だが、生から死に写るのは自然の順序であると云う真理に帰着する。
0投稿日: 2014.01.11
powered by ブクログ三十にもなって、パンのためになど働きたくはない と定職にも就かず父からの援助で暮らしている代助。父や兄の稼いだ金のおかげで生活しているのに、と思って読んでいると、代助の嫂がその通りのことを言っていた。 しかし代助の、昔愛していたのに友人に譲った女性、三千代への思いだけは純粋で一途で、同情せずにはいられなかった。父や兄に縁を切られ、社会に背いてもという覚悟、彼女を不幸にしたくない一心で今まで就こうともしなかった仕事を探すという決心、友人を裏切る行為であっても、彼を応援せずにはいられなかった。 二人が「それから」どうなったのか、気になる。
0投稿日: 2014.01.02
powered by ブクログ面白くて夢中になって読んだ。 読み終わっての感想は、「それから?それからそれから?」だ。 夏目漱石、もっと別の作品も読みたくなった。
0投稿日: 2014.01.01
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
「門」「三四郎」「それから」で三部作であるらしい。 確かにつながってる気もする、が、このまま「門」に流れ込めるのかね。 完全に見放されて、得たものも少ない状況で、彼に立て直しの精神力があるとは思えない。 とはいえ、誰しもがこういう部分を抱えているし、彼のような行動を、明治ではなく今においてはよく選択され、世間や社会でも以前より受容の余地は多いと思う。 が、屁理屈こねて、自然と制度においての恋愛が違ううんぬん、言ってしまうのは正当化も甚だしい。 せめて、まぁ、道徳的に、社会的によくはない、ということは全面に認めて、もうちょっと堂々とケリをつけてほしいところ。 卑屈になってしまうってのはずるいようなね、 まぁでも、読む分には、第三者としては、面白い
0投稿日: 2013.12.31
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
漱石先生、前期三部作の第三作。 学校を卒業して以来、親のお金で暮らし続け、その上、“パン”のために働く周りの同世代たちを小馬鹿にしている高等遊民の代助。屈折した自意識を抱えるために、世の中に入り込もうとせず、常に上から世の中を見つめ、自分だけが真理を解しているような態度や言説を繰り返す。 こんな人が自分の周りにいたら絶対嫌われていると思う、典型的なタイプ。 だのに、なぜか代助に心を惹かれてしまうのは、それでも彼が自分には嘘をついていないという点であると推察する。代助自身も告白しているように、そんなひん曲がった性格を持ちながらも三千代への愛においては、実に裏表なくストレートに突き進む。三千代への愛だけはほんものだと胸をはって言えたのだと思う。 しかし、世間ではその行為は徳義に反しており、最後は悲劇的な結末を予感させるなんともおそろしい表現で終わる。 世の中に対して諦感の念しか持たなかった代助が、愛にだけは固執しそして身を滅ぼさんとする様はまさに人間の本性だし、エゴだし、だからこそ感情移入出来るし、代助に同情さえするのだと思う。 どうしようもない人間でありながら、現代の人間が抱えざるを得ない影を漂わせ、共感を呼ぶように書いてしまうのは、さすが漱石先生、ということになるのです。
2投稿日: 2013.12.31
powered by ブクログ時代は違えど、現代人で共感できる人多いのではないかな。 代助の神経症な部分、精神的潔癖、平岡との議論の言葉をはじめ、登場人物の心情の流れがすごくよく描けているなあと感心。終盤部の議論の数々は見事って思った。二人の関係を目の前にした時の、三千代の反応、代助の反応がとてもリアル。梅子も。 あらためて漱石はおもしろい。 代助の身体感覚、ナルシシズム等に着目して読むとより味わえるのかな。「それから」という題名が、物事を先延ばしする代助の性格をよく表していると感じる。作中にも不自然に「それから」ってでてきたな。 門を先に読んでいたので、楽しくよめた。 あとがきの代助は三四郎を放っておいた美禰子の報いを受けているみたいな解釈が今一つわからなかった。確か小宮さん。
1投稿日: 2013.10.24
powered by ブクログこのタイトルセンスすごいなあと思う。 「三四郎」は全く入り込めず飛ばし読みだったのが、 「それから」は太宰の「斜陽」と同じく感情移入してしまった。
0投稿日: 2013.10.17
powered by ブクログ1910年の小説。 今まで読んできた漱石作品中、最も共感してしまった。あらゆる欺瞞への嫌悪、無目的の道義を求めるところ、実生活と頭の中の乖離、恋愛への距離感、といった特徴とそのような特徴に決定づけられ得られる思考の結果に、代助と自分の共通点を多々見出してしまった。どちらの理もわかる、だから何もできない、みたいなのもすごいわかる。思考プロセスも現実でのあり方もすべてではないけれどかなりわたしと被っているとおもう。いやわたしはニートじゃないけど。でもどうしよう。わたしはいま21歳で大学3年生で代助は30歳でもしかしたら代助はある意味でわたしの未来の姿かもしれないし、わたしはいま代助はなんて身勝手で甘ったれだろうと思う部分もあってそれなりに自己批判、自分を客観視するよう努めているつもりだけれども、たぶん限界があるし、ほんとうにおそろしい。作中に表れる五感の異様な敏感さについての描写をみればわかる通り、おそらく代助は神経症の気があって最後は明らかに狂気に向かっていて、なんかわたしどうすればいいんだろう。「三四郎」を読んだとき、これは大学入学当初のわたしみたいだなあとおもったんだけれども、「それから」は大学3年生の今のわたしみたいだ。「ああ動く。世の中が動く」自己批判、内省の道標として中島敦「山月記」と共に大切にします。こわすぎる。
1投稿日: 2013.09.25
powered by ブクログ「三四郎」は読んでいないが、先に本作を読んでしまった。友人の妻、かつて互いに思いやった女性に惹かれてしまうのは罪なのだろうか。自我の目覚めであり、人間のエゴを描いた作品だろう。現代にまた映画化してほしい。
0投稿日: 2013.09.02
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
『それから』は『三四郎』のそれからであり『それから』のそれからは『門』である。ということで漱石前期三部作の真ん中、『それから』です。 主人公は長井代助。父親は実業家、兄も実業家で裕福な家庭に育ち父親からの仕送りで家を借りて手伝いを雇い書生の門野を住まわせている30歳です。ブクログを見るとだいたいの人が代助をニートと書いていますが、ニートはそもそも人種、宗教上の理由から就職が難しいというヨーロッパの事情に則してできた言葉で今では使われていません。日本ではニートというとネガティブなイメージがありますがこの括りは障害、病気などで将来的に手助けしなければ職業に就くことが難しい者、中卒、高卒で高等教育を受けることができなかったために職業に就くことが困難なために職業訓練を受けさせる必要がある者、果ては産後職業に就きたくても就けない者の数を統計的に割り出すためにつくられた言葉であるので、よって代助にニートといっても本来の主旨から外れますので僕は使いません。代助は高い教育を受けていながら日々の麺麭を食べるために働くことは劣等だというポリシーにもとづき職に就きません。父親から薦められた縁談も断り独身を通します。高等遊民という言葉があっているのかもしれませんが古代ギリシャの貴族みたいな生活ですね。母親はいないようです。そのことも代助の人格形成に関係している気がしますが母親代わりのような存在の嫂梅子がいます。梅子はいい人ですね。彼女には代助は始終助けられています。 そんな悠々自適な生活を送っているところに大学時代の親友平岡が勤めていた職を辞して東京に戻ってきます。平岡は結婚していて妻三千代がおりますが、彼女は一度子どもを授かったのですが失くしてしまいそれ以来心臓の病を持つこととなりました。平岡は東京で職を探すために始めに代助の兄が経営している貿易会社を当てにして代助と再会します。代助と平岡と三千代は学生時代からの間柄で平岡と三千代の仲を取り持ったのも代助です。 果たしてこの3人が繰り広げる愛憎劇を軸に高等遊民代助とその父、兄、平岡、寺尾などの日々の麺麭を求める人々との対立が描かれます。代助は平岡と再会しなんとか彼の職を探してやりたいと思うのですがなかなか見つけられず、とりあえず金を貸すところから平岡と三千代の家を訪ねるようになるのです。平岡の家に通う度に三千代への「アンコンシアス・ヒポクリシー」が代助の忘却の彼方から顕現してきます。 代助は高等遊民ですから麺麭のためではない仕事に就きたいと思っていますが、それはなかなか見つからず、現代でも見つけるのは難しいですよね、ただ日々を暮していますがしっかりと麺麭の為に働く父親や兄、平岡、そして梅子までも馬鹿にしています。それがいいかどうかは僕にはわかりませんがひとつ感じることは代助は馬鹿にはしていますがだからといって自分が選ばれたものだという特権意識はないようです。金に困らない生活を生まれてからずっとしてきたわけですからそれもやむを得ないということでしょうか。まだ高等教育を受けていて、嫂梅子がいうようにその権利が代助にはあるというのですから彼もしかるべきときにはしかるべく収まるというのがまわりの見解です。 そして平岡はある小さな新聞社で働くようになります。必死に働きますが稼ぎが少ないのと借金、多分悪徳の高利貸しから借りたと思われる、があるために代助から援助してもらいます。その都度三千代と代助の距離は近づき忘却の彼方だった無意識の偽善に代助は耐えられなくなります。 というのが主な物語の筋です。 柄谷行人が解説を書いています。その中で『それから』は姦通小説であるとあります。 「また、”姦通”がブルジョア社会において小説の特権的主題となる必然をも(漱石は)理解していたと思われる。代助のいう「自然」と「制度」の対立が最も鮮明にあらわれるのは、姦通においてである。つまり、制度性が結婚に、自然性が恋愛に象徴されるとしたら、それらが軋み合うのは、姦通においてだからである。」 ここまで読んでくれた方には物語がこれからどのような展開を示すかは想像するに難くないと思います。代助は「自然」のあるがままに生き、麺麭の為に生きる旧態依然とした「制度」と闘います。彼は高等遊民を気取ってはいましたが「自然」の欲望の為に生き、選択し、最後は「制度」に屈することに…なるのでしょうか?物語の終盤、代助対平岡はあまりに神経症的であり、その後の平岡の仕打ちはまさに代助にとっては平岡からの復讐でしかないでしょう。そして父親、兄、梅子のとった行動は…。終りはまさにくらくらするような展開です。 『それから』の文体は非常にストイックで『猫』、『坊っちゃん』、『三四郎』とは明らかに一線を画します。ユーモアのかけらもなく読んでいて息苦しくなります。しかし僕はそこが『それから』の魅力だと思います。代助の生き方は「自然」に適っている。むしろ平岡の「制度」に縛られている生き方などは人間の高等な生き方ではない。柄谷も書いていますがブルジョア階層に、彼らの倫理、法律に背反する代助の行動を共感させ肯定させる必要があったのだと。 最後にこの『それから』で最も印象的だった一節を。 「仕舞には世の中が真赤にになった。そうして、代助の頭を中心としてくるりくるりと燄の息を吐いて回転した。代助は自分の頭が焼け尽きるまで電車に乗って行こうと決心した。」
0投稿日: 2013.09.01
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
百合はこの季節、むせ返るほど強烈に香る。しかも媚薬のような香り。それを大人買いして部屋に活けて三千代を呼ぶ代助とは一体?漱石四十二歳の作品。
0投稿日: 2013.07.31
powered by ブクログ悲しい話だなぁと思いました。 ここまで、情熱をかけて人を好きになったけど、状況がそれを許さない。でも主人公は走る。そして環境が破綻していく。 その続きが気になるところで終わっています。 最後の後悔なく仕事を探しにいくところなんかは好きですが、その描写がすごく意味ありげで印象深いです。
0投稿日: 2013.06.23
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
父、兄、兄嫁に生活費を依存している30歳、無職の男性、代助が主人公。 友人の平岡が銀行員を辞め、妻の三千代と共に上京してくる。夫婦の住まいをみつけたり、お金を貸したりしているうちにだんだん三千代との距離が近づいてくる。平岡はしばらくして新聞社で働きはじめる。その間、実家の家族は代助に縁談をもちこみ、結婚させようとする。代助は三千代を好きだということに思い至り、彼女に告白し、一緒になる約束を取り付け、父親に縁談を断る。そのせいで父はもう代助の面倒はみないと言い放つ。三千代が病に倒れた後、今度は平岡に三千代とのことを告白し、彼女を貰いたい旨申し出る。ここで平岡は三千代の病気が回復したら引き渡すと請け合うのだけれど、後日代助の父親に宛てて、代助のしでかしたことについて手紙を書き送る。そのせいで父からも兄からも絶縁される。平岡宅で病に伏している三千代とは会えず、職を探そうと電車にのるところで話が終わる。ラストはかなりノイローゼぎみの描写。 * 『三四郎』に続く、三部作の二作品目ということで楽しみにしていたのだけど、『三四郎』とは何の関係もない話だった。 1章の、写真を見ているシーンで代助が三千代をもともと好きなことはわかるのだけど、14章でそのいきさつがハッキリしてなるほどと思った。私にとっては、代助、三千代、三千代の兄の3人の輪についてのくだりが説得力があったみたいだ。ユリの使い方も印象的だった。 代助が無職だということに、読んでいる方はヤキモキさせられる。無職じゃ、三千代をもらっても生活費も医療費も出せないよー!と、そればっかり心配してまう。お金の工面に駆けずり回って、仕事もみつけてと、立派に「大人」をしている平岡との対照が際立つ。 解説に「悲劇」と書いてあったのだけど、本当にひどい話だなと思ってしまった。みんな不幸になって・・・・・・でも本当の意味で打撃を受けているのは代助だけなので、まあ、いいのかな?と思ってしまったり。(三千代は今のところ平岡宅で看病されていて、路傍に放り出されたわけではない。) 色々考えた結果、結局代助は、働きたくない、結婚もしたくない、というのが本心なのではないだろうか、なんて勘ぐってしまった。(その両方の狭間で三千代が逃げ道、理由になってしまった。)でもそこまで考えるのは意地悪かな、とも思う。保留。 恋愛に関する部分は大体読めたと思うのだけど、代助が思索を巡らしているあたりは、難しくて理解できない部分があった。
0投稿日: 2013.06.19
powered by ブクログ姜尚中さんの「悩む力」からの「三四郎」からの「それから」でした。 私自身、当時、精神の崩壊をきたし、いよいよ会社で働けなくなった。どうしても会社に行けず、頭がおかしくなる。体もおかしくなる。 休職しながら、親のお膝元で自分の心の反省会をしている中で読んだ、痛快無比に狂った作品です。 これを読んで私はものすごい共感と衝撃を受けました。そしてまったくもって働く気が失せました。そして働かなくてもよい理由をでっち上げるための聖書のようにもなりました。 代助は働く必要がない理由を高尚な理論で説き、正々堂々と親のスネをかじって生きます。 その彼の高尚な働かなくても良いという理由が自分が働きたくないという気持ちを支える大きな理屈(屁理屈)となり、働けない自分の辛さをひっくり返すことが出来、時に清清しい気持ちにもなれました。 まあ結果、代助のある愛の選択により「働かないでよい高尚な理論」は木っ端微塵となるわけですが、それでも「働けない」という事実を正当化しようとする自分がまだいるわけです。「働くことの苦しさ」その本質に迫るべく、次に繋がる「門」を読まずにいられませんでした。 「働かざる若者」「働けない若者」「働きたくない若者」=ニートよりの人にとっては、明治の文豪が同じような事を考えてたと思うと少し強気になれます。
0投稿日: 2013.06.16
powered by ブクログ姜尚中さんの「悩む力」で何度も本書のことがでてくるので 参考に読んでみた。 姜さんは代助を現代の悩める若者像に照らし合わせて述べられ ていたようだが、女性である私は恋愛ものとして捉えて読んで いった。で、わからないのが三千代の魅力。 フワフワなよなよとハッキリしない風情が男心を誘うのか、 にしてもお坊っちゃま代助と一緒になっても不幸そう。 恋愛心ってどうしても視野も思考も偏狭のなってしまうのか。 二人の恋愛に共感できず、すごく醒めた意見を持ってしまった。
0投稿日: 2013.06.13
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
『三四郎』『門』とともに漱石前期三部作と呼ばれる作品です。 この話は、いつも以上に心のなかでうだうだ考える系で暗かったです。 主役は、実家からお金をもらって悠々自適な感じに暮らしているお坊ちゃん。 部屋にスズランとかバラとかユリとかを飾って香りを楽しむアロマ男子でした。 友人の奥さんを愛したことから実家からの援助を立たれて社会に出ようとするところまでなんだけど、本当に「それから」どうしたんだろうねぇ? 漱石さんの本に出てくる人はインテリでお金に苦労してなくて、なんだか共感できないからつまんないなぁ…。 生活に苦労しないから、頭でっかちな感じがしなくもないんだもん。
0投稿日: 2013.05.21
powered by ブクログこの小説は、本当に夏目が描いた作品なのかと疑ってしまう小説でした。 一作目『三四郎』との繋がりはありませんが、恋愛小説の進化系の様な気がします。 テレビドラマ「ビブリア古書堂・・・」では、長いラブレターという表現をしていました。その表現を引用するなら・・・長すぎる(笑) 明治時代では、姦通小説なのでしょうが・・・現代版に於いては普通の小説として取扱われると思いますが、かといって肉欲的な表現は有りません。 夏目漱石の作品を、『吾輩は猫である』的なイメージで読むと面を食らってしまいます。(かなり大人の小説と言う意味で・・・) あの時代に、新聞小説として発表した夏目はかなりセンセーショナルを巻き起こしたのではないかと思います。(よく発禁にならなかったですね・・・) 前期三部作の二作目『それから』は、或る意味に於いても「それから」なのです。 つまり、終りがないという意味で・・・ この作品に於いても、お腹が一杯になったので三作目は日にちを開けて読みます。
0投稿日: 2013.05.04
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
アンニュイな世界に生き、逃避し続ける主人公の“それから” 無意識の偽善。 いや逃避だろうと思ふ。 共感も理解もなく、従い物語の世界観への没入も現実からの逃避もない。本当に救いの無い。
0投稿日: 2013.04.16
powered by ブクログ金持ちニート代助。 連れの嫁さん好きになってる場合ちゃうで。 しかも代助と三千代が惹かれ合う理由がよくわからんかった。
0投稿日: 2013.04.13
powered by ブクログ「食うために働くのは不誠実だ。食うのが目的で働くとなると、 どんな職業だって構わない、ただ飯が得られれば良いという事になる。 それは堕落の労力だ」 親のすねかじりニート・代助の言い分。 「衣食住に不自由してない人が、いわば物好きでやるようでなくちゃ 真面目な仕事は出来ないね(ドヤ)」 これを、就職探しに苦労している友人はサラリと言い返す。 「となると、君のような身分じゃなきゃ神聖な仕事は出来ないわけだ。 じゃあますます働いた方がいいよ」 読んでて一番痛快だった部分。代助働け。
0投稿日: 2013.03.26
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
本好きを自認するのであれば漱石や太宰のような古典も少しは読まねば、と思い読んだ。 しかし、主人公の性格がひねくれすぎてて感情移入できず。 また、友人の奥さんとの不倫の話なんだけど、彼女の心理描写がほとんどなく、主人公を本当に好きなのかどうか良く分からない。 明治女性は感情を表に出さないもの、ということなんでしょうか。 古典を楽しむためには、行間を読むとか、文章表現の美しさを味わうとか、そういう読書レベルの高さが必要なんでしょうね。 自分はまだその境地まで到達していないようです。 もっと多くの本を読み、人生経験も積んだ上で、古典に再挑戦したいと思います。
0投稿日: 2013.03.16
powered by ブクログあんなに昔の人が書いた作品なのに、登場人物の状況に違和感を感じない不思議。昔の言葉遣いが面白い。 しかし、普通でない状況の主人公であるのに、非常に共感できてしまう自分に焦った。 (ビブリア古書堂&続・悩む力にも出ている本)
0投稿日: 2013.02.24
powered by ブクログつ、辛かった…。 ビブリアで取り上げられていたので借りてみたけど、自己の内部でぐるぐるしてるばっかりの文章に耐えられず。 時間の流れがゆっくりなのかな?展開も少ないし面白さがよくわからなかった。 他の方のレビューにもあるとおり、三千代への告白のあたりは面白いけど、そこに行くまでが耐えられず。何度電車の中で落ちたことか!
0投稿日: 2013.02.24
powered by ブクログ30年ぶりに読んだが、内容はよく覚えていなかったので新鮮に感じた。現代の小説に比べると、時の流れの感覚がかなり違うと思った。初めて、キンドルで本格的に読んだ小説となった。
0投稿日: 2013.02.10
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
夏目漱石の他の作品も通して、彼の言いたいことは「近代化した日本で噴出してきた問題の提起」これに尽きるように思った。 もちろん主人公達の悲劇も少しは描きたいのだろうけど、登場人物はただただ道具に過ぎないのかなと。 個人の人間疎外感と、嘘を上手くつけるからこそ自分自身も他人も騙してきた主人公が、自分を取り戻すと同時に社会からはじき出されるという、後味は悪い作品。
0投稿日: 2013.02.04
powered by ブクログ三四郎~それから~門、という三部作のまん中。(三部作を当初から書こうとしていたかは別として) 3作品の中では一番の秀作だと思う。 なぜだか、代助に共感できるが、それは個人的なこととして・・・。 何よりも、「現代」という言葉とともに、その「現代」の感覚が活き活きと(物語は暗いが・・)語られている。 そして、まさにそれから100年ぐらい経った我々の現代感覚と、なにも分断されていないことに気づかされる。 明治のメンタリティーと、今このメンタリティーに大きな断絶がないと考えたとき、そこに断絶があると錯覚させていたものは一体なんだったのか?
0投稿日: 2012.12.30
powered by ブクログ長岡代助、平岡常次郎、三千代 親友の奥さんと不倫(?)してしまうニートのような主人公の話。難しかったけど、奥が深い印象。
0投稿日: 2012.11.27
powered by ブクログこういうものに★を付けるのは怖い・・・。 だらだら進むのに、 最後に急速に展開が速くなるんですが、 心臓がどきどきしてしまってさあもう。 大学のとき、文学部の院生に勧められて。 モラトリアム感を思い知らされる感じが苦しいと言っていた。 たしかに、経験すらないのに世の中に反抗したくてなあ。 しかも行動で、とかでなく頭の中だけで。 アホだったねとか思い出した。 そんなこともあって、 代助が、兄嫁梅子が(甘やかしすぎでしょう)、 ものすごくいらいらすること なんかを考えて、 登場人物に対してという評価であれば、★ひとつの勢い!! でも畏れ多すぎるのでこんな感じに・・・。 以下箇条書きで。 ・これ最後ホラーじゃん・・・ ・代助は、テレビならぜひ玉木宏に演ってほしい ・終わり方の「それから」の感じも良いけれど、わたしは美千代の発した「それから」が良かった ・それにしても代助よ、お前はギリシア人か
0投稿日: 2012.11.13
powered by ブクログ親友の妻、三千代に対する代助の想いが語られていくが、三千代の気持ちは?平岡が人生に失敗しなければ三千代は代助に惹かれたのだろうか。
0投稿日: 2012.11.08
powered by ブクログ非常に清々しい読後感であった。 「不敬罪」という言葉もあるくらい、明治時代の家父長制のもとでの家に関する秩序は今とは比べ物にならないほど厳格なものであったはずだ。 その様な世界において、結婚相手は親が決めるものであり、「家」を繁栄させるような結婚にするのが望ましいとされていた。 作中に登場する「永井代助」は今で言うニートのようなものである。 経済的には不自由していないものの、 親の脛はおろか、太ももくらいまでかじっているような毎日を送る30歳である。 彼は自分に対する縁談を断りに断り続け、自分の信念を頑固にも貫き通した。 その様な「不敬者」を題材として作品を描こうとした夏目漱石の意図は何だったのか。 自分がこのような目に合わないことを祈りながら…。
0投稿日: 2012.11.05
powered by ブクログ30歳になっても仕事をせず、父親の支援だけで生活をしている代助という男の話。 その代助が父親や兄から進められた縁談を断り、人妻(三千代)を愛し、その思いを大学からの友人の平岡(人妻の夫)に打ち明ける。友人平岡との絶交、父親や兄からの絶縁及び支援の打ち切りという状況にもかかわらず、三千代と生きようと決めた代助の思いの部分が、非常に細かく、そして綺麗に描かれているところが印象的であった。 当作品のメインテーマは、「禁断の恋」というところだろうか。夏目漱石の作品は、これまで「坊っちゃん」と「それから」しか読んでいないが、テーマとして非常に人びとに馴染みやすいものを設定しているというイメージがある。 また、そこには決して社会風刺的な内容は無く、純粋に楽しむための読み物という感覚を覚える。 したがって、良い意味で読みやすく、親しみやすい一方で、悪い意味では内容が浅く、何も考える要素がないという印象を持つ。もう少し夏目漱石の作品を読み進める必要があるだろうが、内容が深く、考えさせられる作品に出会えることを願う。
0投稿日: 2012.10.22
powered by ブクログ明治42年、朝日新聞に連載された作品で、言わずと知れた「三四郎」に続く三部作の第二作。 主人公の長井代助は30才。すでに友人の妻となった三千代への思いを断ち切れず、結婚もせず職も持たず、実家からの援助を頼りに過ごす日々…。 全編を通して、理屈っぽく特異な持論を展開する代助に、思わず「おいおいっ」と突っ込みを入れたくなる。その代助が不倫(明治時代だから姦通といった方が適当?)を犯すわけなんだけれども、どうやらいわゆる男女の問題を描いたものとは様相が違う。解説によると、反ブルジョア的な動機をはらんでいるらしい。分かるような分からないような。
0投稿日: 2012.09.25
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
主人公の代助は書生の身分でなくなってからも働くことをせず、結婚もせず、父親のお金(or兄のお金)を貰い、書物を読み生活している。そこに代助の書生時代からの友人である平岡が事件に巻き込まれ、会社を辞め、地方から東京に戻ってくる。3,4年前に平岡とその妻三千代の結婚の仲立ちをした代助は、二人のために平岡の職を探し、お金を貸す。三千代が流産をして以来、三千代と平岡の関係が上手くいっておらず、借金の原因も平岡の女遊びであることを知った代助は徐々に三千代への思いを募らせていく。代助は父親が進めていたお見合いを断り、三千代に自分の思いを打ち明け、平岡に三千代を譲って欲しい旨を伝える。平岡はことの顛末を代助の父親に伝えたがために、代助は仕送り、親子の縁を切られる。 平岡と代助が酒を飲み交わし、平岡は以下のように代助を貶す。 いいか、君は笑っている。笑っているが、その君は何も為ないじゃないか。君は世の中を、有りのままで受け取る男だ。言葉を換えて云うと、意志を発展させる事の出来ない男だろう。意志がないと云うのは嘘だ。人間だもの。その証拠には、始終物足りないに違ない。僕は僕の意志を現実社会に働き掛けて、その現実社会が、僕の意志の為に、幾分でも、僕の思い通りになったと云う確証を握らなくっちゃ、生きていられないね。そこに僕と云うものの存在の価値を認めるんだ。君はただ考えている。考えてるだけだから、頭の中の世界と、頭の外の世界を別々に建立して生きている。この大不調和を忍んでいる所が、既に無形の大失敗じゃないか。・・・100項 これ程、抉られたことはないものの、これに近いことは何度も周囲の人間から言われてきた。宇多田ヒカルではないが「私の願いが叶うころ、あの子は泣いている」かもしれない。君たちがエゴを丸出しにし、やれ自己実現だ、やれ名誉だと人を踏み台にし階段を登ろうとするから、意志を実現しようとするから、こんな住みにくい世の中になってしまったではないか。意志を表出しないのは人を傷つけないギリギリのスタンスだ。慎みだ。相手への優しだ。だが、平岡の言うとおり自分も間違いなくエゴ、意志を持ちあわせている。それを否定しては欺瞞的だ。そして何よりそんなことを言っていては代助のようにいずれ食べていけなくなるのだ。代助が世界と接する際の態度は(つまり私の態度は)正しいが、同時に間違っている。僕は学生を終え、「それから」どうしたものか。私はどのように世界に働きかけるべきなのだろうか。やれやれ。 夏目漱石の作品における恋愛は、福永武彦著『草の花』のように愛情が内から溢れ出るというよりも、関係性、それも三角関係によって駆動される。一番分かりやすい例は『こころ』だ。Kがお嬢さんを好きになったがために、先生はお嬢さんに対する思いを募らせる。社会学者のジラールはモデル=ライバル論を提示している。この論とは、(先生の)欲望は、他者の欲望(Kの欲望)を模倣することによって発生する。よって、欲望主体(先生)はモデル(K)と同一物(お嬢さん)を欲望することになる。よって、モデル(K)は主体(先生)の欲望を妨げるライバルに変わるというものだ。まさにそうだと思う。漱石の人間理解には敬服する。
0投稿日: 2012.09.01
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
「三四郎」と「門」とあわせた漱石三部作の中編にあたる作品。登場人物は違えど、「それから」の代助と三千代が「門」の宗助と御米に繋がるのだと考えられる。ただ常識的に考えるならば、「それから」のクライマックスからはとても「門」の二人の生活に繋げることはできないと思う。経済的に。 アンニュイの定義がなかなかおもしろかった。 ところで主題から離れるが、引用にも示した「鍍金を~」の件は何となく共感できる。 しかし、それは「楽」なのであって、その生き方が正しいわけではない。 鍍金が金に変化することは化学的にあり得ないが、人間の性質が「鍍金」から「金」に変わることはできるはずだ。 「切ない工面」が完璧に遂行され、変化の活性化エネルギーを超えることができれば「金」にもなれる。 ただし代助の言うとおり、その「切ない工面」は「苦」である。 これはこじつけだが、この「苦」に耐えうるエネルギー源となるのが「若さ」ではないか。 逆に、真鍮の侮蔑を受けて「楽」を享受しようという心が「老い」なのではないか。 そんな風に僕は考え、真鍮の楽に共感できるようになってきた自分を情けなく思う。
0投稿日: 2012.08.31
powered by ブクログ夏目漱石3部作(「三四郎」「それから」「門」)の2作目。 理屈っぽく、自分勝手、その場しのぎ、能天気・無気力など、基本的に代助の人間性には嫌悪感を感じる程、共感できなかった。 作中に何度、代助にばかやろー!と言いたくなったことか。 でも最後の新しい代助には切なく、願わくばそれからは救いがあってほしい。自業自得で済ましてしまえばそれまでなので、そう思いたくない。明治時代の急激な社会の変化ならではなのかなぁ。 解説にあった「無意識の偽善者」ということをもっと考えてみようと思う。 この作品は文体のリズムが好き。
0投稿日: 2012.08.30
powered by ブクログ青空文庫で読みました。なぜか三四郎は数回読んでいるのに、これは初めて。本当に切ない美しい本でした。感動です。
1投稿日: 2012.08.23
powered by ブクログ読もうと思ったきっかけは実はビブリオ古書堂シリーズの中で登場していたことから。 少し難しいところもあったけれども、(解説のおかげもあり)興味深く読めました。 自然の流れに正直に生きることがこんなにも難しいのか、と考えさせられた本。最初は明治の時代でまだ姦通が犯罪だったころだからから、とか、代助が頭でっかちで理屈っぽいからか、とか考えたけれども、いまだって気持ちに素直に行動するのと、世間体や外聞、制度や地位を思って、それに行動を影響されることはあると思う。ただ日頃みんなは代助ほど鋭敏な感覚を持ってないので騙し騙し日々を生きていけるだけ。 自分を騙せない代助があのあと生きていけたのかが心配。あのまま気を狂わせるしかないのかな。
0投稿日: 2012.08.02
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
働く者からしたらただの屁理屈にしか聞こえない「高尚な精神」を言い訳として悠々自適に暮らす、現代でいうニートの代助。授業のグループワークで友人が代助に「ひねくれクソニート」というあだ名を付けていた… それまで淡々と、飄々と生きていた代助だったが、三千代への愛を自覚してからは激しい苦悩に襲われる。その苦しい心理を非常に細かく丁寧に、言葉を尽くして書いている。色彩の描写が印象的で、特に最後の赤、赤、赤の所は読んでいるこちらも頭がぐるぐるしてくるようだった。また、所々に漱石自身を思わせる描写があった。 物語というより、代助の思想や感情が大半を占める本。 彼は「それから」どうなったのだろう。
2投稿日: 2012.07.07
powered by ブクログ友人の妹・三千代に惹かれていく代助と平岡。 友人の死を機に、三千代さんに結婚を申し込みたい、と打ち明ける平岡。 己の想いを告げず、平岡と三千代を結びつけた代助だったが。 話の筋は知ってたけど改めて読んでみた。 あ~もう、だから言わんこっちゃない!て感じ。 終わり方が印象的。
0投稿日: 2012.06.28
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
代助が朝起きて、一輪の椿を眺め自己の心臓に手を当て脈打つのを感じるところから物語が始まるが、その描写が映像を想起させ、映画的であった。兄の誠太郎や兄の妻の梅子、父親、平岡等とは相対的な高等遊民の代助の意見が面白い。最終的に代助は、三千代との暮らしを選ぶことで高等遊民をやめ、働く決心をする。親族からの勘当、働くこと、恋愛の成就、は、大助が非遊民化したことになる。つまり家を出て自立して、結婚し、働くということになる。自然だとしていたが、遊民は、やはり反自然的な生活だということなのだろうか。つまり遊民においては働かない、恋愛しない、自立しないことになるが、自然に従えば脱皮できるというのである。頭でなしに情動により、人間は突き進みならざる得ないということである。時期くれば、自然に社会と接するときがあるということなのかもしれない。
0投稿日: 2012.06.26
powered by ブクログ夏目漱石3部作の2作目。 不倫を題材にしたこのシリーズで、一番主人公が苦悩する話ではないかと思う。 現代の私たちが読むと、ただのありふれた不倫小説だが、当時では斬新だtたのだろうと推測する。好き嫌いは別として、やっぱり夏目漱石の文章力はすごいと思った。 122p 大地は自然に続いているけれども、その上に家を建てたら、たちまち切れ切れになってしまった。家の中にいる人間もまた切れ切れになってしまった、。文明は我らをして、孤立せしめるもの。 には、現代に生きる私たちにも、覚えのある痛い一言である。
2投稿日: 2012.06.05
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
大学のゼミで使うので古本で購入。 代助と他の人物の関係を掘り下げていったら、代助が関わったことで長井家も平岡家も解体してしまう。結局三千代は芯が通った女性なのかどうか分からなかった。 物語終盤の代助の告白から終わりまでのスピード感があって、序盤長々と書いていて退屈していた分楽しめた。 三千代の病気はどうなったのか、その後二人は結ばれたのか、気になるところは沢山あるけれど、「三四郎」「それから」「門」の三部作の「門」にこの「それから」が繋がっているんだなと考えると、流石夏目漱石だなと思った。
0投稿日: 2012.05.16
powered by ブクログ『それから』は『三四郎』のそれからといわれますが、どうも今回再読してみるまでその意見がしっくりとしませんでした。主人公代助の性格や境遇などから考えると三四郎との関連性を見いだせません。今回、読んでいて気が付いたことがあります。美千代を視点に考えればすんなりと『三四郎』の続編とも読めるではないかということです。特に気が進む訳ではないが結婚してしまった『それから』の美千代が、同じ立場の『三四郎』の美禰子の変形としてみるのなら、『三四郎』のその後として成り立つでしょう。 また、この作品は代助自身のそれからどうするのかという問いかけでもあるのではないでしょうか。 代助は、狂ったように、すべてのものを赤いと感じ、現実の世界すなわちい一庶民として生きていく決意をする。それも重いハンデを背負って。
0投稿日: 2012.05.13
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
三四郎、それから、門と続く三部作。 うっかり「門」を先に読んでしまったため、この「それから」を最後に読みました。個人的には三部作の中で一番読み応えがあるように感じたので、この順番で良かったのかも。 浮気がテーマなので当然重苦しい(作中の言葉で言えばアンニュイな)雰囲気が漂っています。離婚などもっての他であった当時の結婚観を考えると、我々が思う以上に苦しい状況であったことでしょう。 その一方で、「男が30過ぎても職に就かず、結婚しない」といった状況は、昨今の高学歴ニート・晩婚化の現象がすでに芽生えているようで、妙に近しいこととして感じられました。 政治・経済・社会への不満、問題点をWEB上でブログや掲示板に書きつつ、諦観の境地で引きこもっている青年と、主人公代助の語りに共通点を感じました。 そう考えると、昔から同じような悩みが存在していたのなら、今悩むのも自然なことのようであり、また一方でいまだに悩んでいるのが馬鹿らしいことのようにも思えてきます。 近年書かれた小説よりも、はるかに現代にありがちな悩みを明確に表現しているように感じられるのは不思議な物です。それが名作と言われる所以なのでしょう。
0投稿日: 2012.05.10
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
家が金持ちなので特に何の不自由も無くニート生活を謳歌する代助。生活苦に陥りそうな友達平岡の奥さんを家族から借りた金で助けたりしているうちに、実は先から彼女が好きだったのだと気付くに至り告白すると、なんと両想いであったことが判明。丁度夫婦愛も冷めてる感じだし、そんなら別れておれに奥さんくれよと平岡に談判すると、絶縁を言い渡された上に条件付きではあるものの、了解を得る。じゃあさすがに働かないとと思うものの、なんだかんだと理屈をつけて動かない代助。そうこうしていると家から兄が来て、平岡からだという手紙を見せる。それは平岡が代助の父に対して、息子の不義を告発したものであった。かくて代助は家からも絶縁され援助を打ち切られる。いよいよ働かねばならないというのに、目先の絶望の為代助の頭は混乱していくばかりなのであった(ここ解釈違うかも)。 時代背景など、現代と全く違うので意味はないと知りつつも言いたい。 『いいから働け、話はそれからだ』 あと代助と三千代って絶対うまく行かないと思う。 理由は人それぞれだろうが、世の中のニートは取り敢えず全員これ読んでのた打ち回るがいいよと思うのだ。
0投稿日: 2012.04.06
powered by ブクログ面白かった! 大学生くらいで読みたかった(働く前にという意味で) 前半の理詰めがラストの加速に活きてる。 出だしの描写がすき 三千代が百合の花を生けてた水飲むシーンも印象的 代助散歩しすぎ 夏目漱石おもしろい どんどん読んでこう
0投稿日: 2012.04.03
powered by ブクログ明治の孤独な知識人というわたしの大好きで大好きなもの。今でいうニートが主人公だが、限りなく頭がよくてこの世の中の意味を追い求めるニート。夏目漱石の本は本当に何年経っても色あせずに存在するのではないかと思うほどいつ読んでも常に新しく面白くそして懐かしい。恋愛をテーマに扱っているが恋愛といってもイメージされるものはもっと深く重いしかし明治時代の家父長的封建主義にもとづいたエゴイズムの押し付けのような恋愛で、わたしは夏目漱石が生きた時代のこの急激な西洋的近代化に何もかもが根こそぎ持っていかれそうになっている日本における知識人のこの絶望の醸し出す知的な香りが好きで好きでたまらない。
0投稿日: 2012.03.18
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
友人の妻に恋をしてしまう主人公。 でも恋なんてものは理屈じゃないしそうなっても仕方がないものですよね。 代助が思索に耽る箇所から、当時の知識人が社会や労働に対してどのような考えを持っているのか読み取ることができた。ただ、親の金で生活させてもらっている身分なのに、幾分偉そうなのは鼻についた。 三千代との「それから」は前途多難であることは間違いないし、もしかしたら三千代と結ばれずに終わるかもしれないと予感させる最後だった。
0投稿日: 2012.03.08
powered by ブクログ筋書きよりも何よりも、 最後のサイケデリックな描写にひどく思い入れがある。 パープルヘイズの歌詞を連想して、思わず くらぁっと来てしまう。 前期三部作の中では、一番好き。
0投稿日: 2012.02.20
powered by ブクログ30歳になっても働かず親の財力にパラサイトしていた主人公は親や兄に対しても決して感情的になることはなかった。加えて、自身にもそれを課していた。しかし、親友の妻に対して恋慕の情を抱いてからは感情に歯止めはきかなくなってきた。 この作品は人や世間に対する主人公の内面の慟哭を中心に読むことをお薦めする。
0投稿日: 2012.02.07
powered by ブクログ面白かったです。 過去のことを現在になって悔やむ代助にとても共感するところがありました。 代助の精神面や当時の日本社会に対する批評やちょっとした日常の有様が細かく描かれていて、これぞ表現力が豊かと言うのだろうなと思いました。
1投稿日: 2012.01.22
powered by ブクログ前半の代介にはそれほど共感を得られないものの、立場や言動、この小説の行く先を考えると、なかなか耳の痛い話であった。
0投稿日: 2011.11.26
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
本心に従おうとしなかった昔の自分が、今の自分を苦しめていることにとても共感した。 だれもが自分の中にそういう後悔があると思う。あの時勇気を出していればよかったとか、あの時こうしたかったとか。この本は恋愛の視点から書かれているが、人間の人生で普遍的な題材が書かれている。
1投稿日: 2011.11.12
powered by ブクログ漱石初期の三部作の真ん中。 書生、現代の言葉に置き換えるならニートに近い。 裕福な親にしがみついているが、本人には全く自覚がない。 そんな主人公に訪れる縁。 友人とその妻。 それから、 どうなる。
0投稿日: 2011.10.22
powered by ブクログおよそ世間離れしていて、頭はいいけど理屈っぽくて批判的で、社会的にはどうしようもないと言われそうな主人公・代助が恋愛、それも不倫をするという話。 緩やかな流れから急展開してくる終盤への流れは素晴らしい。 嗅覚、視覚に訴えるような情景描写もすごい。 やはりこういう人はこうなっちゃうのかなぁとニヤニヤにちゃう感じで、嫌いじゃないです!
0投稿日: 2011.09.19
powered by ブクログなるほど、こりゃ文豪。 異様なほどに論理的な心象描写は、この人物(特に主人公)ならこう考えるにちがいないという説得力に満ちている。 しかし論理的でありながら、文章からは論理では説明できない心の奥底にある「抜き差しなら無い何か」が常に見え隠れし、最終的にその「何か」が主人公を突き動かすこととなるという展開は圧巻である。 理屈の中に垣間見る主人公の自尊心、生への執着、恋慕・・・そういった要素がことごとく私の共感を誘い、急転直下のラストシーンでは、共感しすぎて私まで気が狂いそうになった。 終盤の展開が唐突すぎると見る向きもあるが、私にとってはその唐突さがむしろかえってリアルに感じられた。理屈にこだわり続けた人間がある瞬間を境に見せるある種の“狂気”。そこにいい知れぬ現実味を感じた。 客観的文章に、私の主観が介在し、共感するという小説の面白さを思い切り体験できた。 あと、私がこの作品に手を出した理由となった重要な要素がひとつ。 主人公はニートである。
0投稿日: 2011.09.14
powered by ブクログかなり面白かった。前評判として昔のニートが主人公の恋愛小説だというようなことは聞いていたが、まさに万事がその通りであった。前半部には「働いたら負けだと思っている」を地で行くようなことが書いてあって、その理屈や何かを楽しむことができた。後半部では親友の妻との浮気関係が書かれていたが、そこはもう夢中になって読めた。全体のストーリーの筋も何もかも昔のニートということが軸(?)になっていて僕の聞いた前評判は間違いではなかったみたいだ。 内田百ケンを読みその夏目漱石からの影響を妄想して以来、まさか夏目漱石は天才なのではあるまいかと考えるようになっていたが、やはり間違いでなかった。とっても面白かったです。
0投稿日: 2011.09.01
powered by ブクログ序盤はなかなか物語の中に入っていくことができず。現代人の自分の感覚で読んでいたので、実家からの経済的援助の下、働きもせず「高等遊民」ーー知識人として頭でっかちに理屈をこねる代助に好感が持てなかったのだと思います。 しかしだんだんと「明治」という時代背景を知り得てきたあたりからガッツリつかまれました。 見事の一言。 やはり漱石はすごい。文章の引力に心ぜんぶ持ってかれました漱石の紡ぐ文章は、最上級の美しさと危うさと、ある種の戦慄を孕んでいるように感じます。 代助の手にした「自然の愛」。漱石のえぐりだそうとしたものが少しだけ見えた気がしました(・ω・)/ やはり素晴らしい作品です。
0投稿日: 2011.08.22
powered by ブクログ浦野所有 →11/08/21 鈴木(陽)さんレンタル →12/04/07 返却 浦野レビュー◆ネタバレあり - - - - - - - - - - - - - - 主人公の代助が、大学同期の平岡から、妻・三千代をうばうというお話。リアルでいうと鳩○由紀夫みたいなヤツです。 代助は30歳でありながら無職で独身。実家が裕福なので、書生つきの優雅な暮らしを送っていられるのですが、父や兄夫婦からしきりにお見合いを勧められてもすべて拒否。しだいに三千代への思いを募らせていき、最終的に親から勘当されてしまいます。 で、『それから』がおもしろいとおもったのは、好きな女性を奪うというストーリーはもとより、ニート代助の生きざまですね。仕事がうまくいかないとなげく平岡に対し、「労働とはこうでなくてはいけない」と説教を垂れるシーンとか、ほんと、開いた口がふさがりませんでした。 また、ラスト近くで、実家との関係がぎくしゃくし出して、「職業」について考え始めるくだりも滑稽です。本筋とは別のところで、つっこみどころ満載の作品でした。
0投稿日: 2011.08.21
powered by ブクログ社会に不満たっぷりの茫洋としたニートが不倫をきっかけに何事か成し遂げる話かと期待しながら読んでたら、後半からいやに冗長で段々雰囲気も悪くなり、そしてあの惨い最後・・・ 何も残らんかった。 ただ主人公が自分に正直に生きて残った結果をしっかり受け止めるところだけが唯一評価できる点だと思った。 似た傾向の話だけど「罪と罰」の読後感とは大違いです。 三千代さんはどうなったんだろう・・・
0投稿日: 2011.08.01
powered by ブクログ20世紀初頭の恋愛小説であり、悲劇。近代社会という人間を飲み込む化物に抗う代助はあらゆるものを犠牲にして、社会の波に逆らいながら、善と悪の彼岸へと向かう。彼は愛の為にただ一人で戦っている。漱石の個人主義に触れることが出来る。 だが実際に読んだ後にこんなに言葉を並べて論じるべきではない。漱石の字の温かみに触れて、白百合の香りに陶酔出来れば充分なのだろう。 ところで現代の社会では『それから』のように愛を貫くことができるのだろうか。
0投稿日: 2011.07.09
powered by ブクログ「三四郎」といい「それから」といい、淡々としているようで不意にぐわっと心を動かされるのがツボ。文章から伝わってくる薫りや日差しがとても美しい。最後すごかった・・私は代助好きだなあ(笑)平岡と誠吾さんも好き
0投稿日: 2011.07.06
powered by ブクログ定職も持たず思索の毎日を送る代助と友人の妻との不倫の愛。激変する運命の中で自己を凝視し、愛の真実を貫く知識人の苦悩を描く。
0投稿日: 2011.07.06
powered by ブクログ品格があるとはいいませんが、漱石の文学は、一定の水準以上のところにありますね。この『それから』の内容はほぼ忘れてしまいましたが、この頃の文学には恋の話などがあっても性表現がなかったりします。それが逆に恥ずかしく感じたりもしますね。
0投稿日: 2011.07.05
powered by ブクログ有名な著書なので、感想は省きます。全体的に淡々とした文章ですが、ハッ、とリズムが崩れ人情が描かれている箇所に思わず惹き込まれます。それでいて綺麗、なんとなくそういう感じで読めました。
0投稿日: 2011.07.02
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
ラストの迫力と崩壊が凄い。 はじめはじわじわと進んでいた物語が、一気に加速して、弾ける。 それと同時に変化していく代助の心理描写にぐいぐい引き込まれる。 三部作の中で一番好きかもしれない。
0投稿日: 2011.05.17
powered by ブクログ前作と同様きれいな自分好みの文体で、非常に楽しめた。 ただ前作との繋がりが分からなかった。 連続性があるとすれば大学卒業後であることくらいだし、 共通点も親からの金で暮らしてることと、恋愛沙汰であり金がその障害になることくらいしかない。
0投稿日: 2011.05.09
powered by ブクログ面白かったが、パンのために働くことを馬鹿にし親の臑をかじってぶらぶらしている序盤の代助には全く共感ができなかった。とはいえ少々耳が痛い部分もあった。これから先、彼は三千代を抱えてどう生きていくのだろう。
1投稿日: 2011.05.09
powered by ブクログ間5ヶ月ほど空いてしまったので、細かいストーリーは忘れてしまいました。 何かダラダラと、とても長く感じる本です。 けれども主人公の心の動きの表現力はさすが。
0投稿日: 2011.05.07
powered by ブクログ文体がカタくて情緒に欠ける 実際的なのはわざとなのか、楽しまずに義務感だけで書いている印象を受けた 淡々とした日常を切るように、切に人を思う情熱が切りこんでくる 切り込みから溢れ出した水は渦を巻く 渦の目は愛する人 ダイヤモンドを捨てポテトを拾う生活を選んだのは他でもないその人のため だのに悲しい 愛が向かう先は幸せじゃないのか
0投稿日: 2011.03.19
powered by ブクログ長井代助は三十にもなって定職も持たず、父からの援助で毎日をぶらぶらと暮らしている。実生活に根を持たない思索家の代助は、かつて愛しながらも義侠心から友人平岡に譲った平岡の妻三千代のと再会により、妙な運命に巻き込まれていく……。破局を予想しなければならない愛を通して明治知識人の悲劇を描く、『三四郎』に続く三部作の第二作。 一気に読んだ。結末はこうなるしかなかったんだろうな。ハッピーエンドはあり得ない。
0投稿日: 2011.02.15
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
三部作の中で「三四郎」に続く作品として知られる「それから」だが、三四郎が成長してそのまま「それから」の主人公代助になったとは思われない。「麵麭(パン)の為に働くのは劣等だ」として仕事もせず、どんなに親に進められても結婚もせずにいる代助だが、友人平岡が仕事に失敗し東京に戻ってきたことをきっかけに赦されない恋に落ちてしまう・・・。 私が夏目漱石の小説を個人的に好きなのは、彼の小説の中では驚くような大事件は決して起こらず、日常の人間生活において起こりうることを題材にしているから。通常の生活における主人公の気持ちの変化や社会に対する考え方に対して全てではないにしても共感を持てる部分が多く読んでいて面白く感じます。この作品のそんな一つでした。「三四郎」とは作品のトーンなどは全然違うが代助の社会に対する不信も共感できる。
0投稿日: 2011.01.27
powered by ブクログこれ、むかしある人から「『それから』ってハッピーエンドだよね」って云われたことがある。 正直、その感覚は自分にとってはまったく考えたこともないものだった。 「面白い」と思った。 やっぱ、自分にない読み方を提示されたのが、面白かったのかも知れない。 なるほど、確かに「ハッピーエンド」かも。 うん、代助、最後にやっと正直になるし。
0投稿日: 2011.01.19
powered by ブクログ生活をとるか、恋愛をとるか‥ 文字に起こすとなんとなく昼ドラみたいな展開だけど、実はとても高尚な問題提起だと思う。 苦悩のすえ、物語の最後に代助がとった行動がとても心に残った。 「三四郎」「門」と一緒に読んでほしい。
1投稿日: 2011.01.04
powered by ブクログ前半はイマイチ面白くないんですが,後半からのスピードある展開はさすが夏目漱石だと思わされました! 人物の心情描写がとてつもなくウマいのが夏目漱石の1つの特徴ではなかろうかなと思います! 自己矛盾と世の中の矛盾と・・・
0投稿日: 2010.12.31
powered by ブクログ三四郎とはまた違った面白さがあってよかった。 特に代助の考え方の独特さが、現代人にあのようなものの見方をする人はほとんどいないと思うので面白い。 ただ、終わり方はこの先どうなるのかが気にはなる…「門」を読めばやはり理解が深まるのか。
0投稿日: 2010.12.25
powered by ブクログ狂気に至る「悲劇」の物語 明治版ニート物語 社会の欺瞞を見抜いてしまう代助。 見抜くがゆえにその欺瞞か許せない。 勿論、自己に対しても一貫性を貫かずにはいられない。 聡明なのか、不器用なのか。 自己の一貫性を保つために遊民として生きている。 友人の平岡の妻、三千代に対する恋心に気がついてからは、矛盾を飲み込み生きていくことを決意して.... 205 これから三十分のうちに行く先を極めようと考えた。何でも都合のよさそうな時間に出る汽車に乗って、その汽車の持って行く所へ降りて、其所で明日まで暮らして、暮らしているうちに、又新しい運命が、自分を攫いに来るのを待つ積りであった。 226 もし馬鈴薯(ポテトー)が金剛石(ダイヤモンド)より大切になったら、人間はもう駄目であると、代助は平生から考えていた。 264 「姉さん、私は好いた女があるんです」 272 「今日始めて自然の昔に帰るんだ」 344 「焦る焦る」と歩きながら口の内で云った。 飯田橋へ来て電車に乗った。電車は真直に走り出した。代助は車の中で、 「ああ動く。世の中が動く」と傍の人に聞える様に云った。彼の頭は電車の速力を以って回転し出した。回転するに従って火の様に焙って来た。これで半日乗り続けたら焼き尽くすことが出来るだろうと思った。 忽ち、、、、
0投稿日: 2010.12.18
powered by ブクログ文句なしに面白かった。主人公の代助の視点から家族、友情、現代の人間関係、就職、金など数多くのテーマが冷静かつ知的に語られる序。世の中を冷淡に見つめつつも、ただ一つの問題に悩まされ、そしてある決心に至る破。それからの怒涛の展開を見せる急。どの部分も読み応えがある。最後まで自分を冷静に見つめる力がありながら、「終わり」に突き進んでしまう代助に不思議と感情移入してしまった。代助は始めと終わりで同じ人間とは思えない行動を取ってるんだけど、その間に起こる微妙な心理変化の描写が素晴らしい。何度も読み返す価値のある名作。
0投稿日: 2010.11.29
powered by ブクログ『三四郎』の次、『門』へと続く前期三部作の第二篇目。 主人公である代助は30歳になっても自らの思想の為仕事をせず、新興ブルジョア社会で汚れながら財をなしたに違いない父を欺瞞だと批判しつつも、その父や兄、嫂からの援助で高等遊民として生活している。友人の平岡は銀行勤めを失職し、その妻の三千代には重きを置いていない。代助はかつて彼女を愛していたが、自身の義侠心のため彼に譲った。 しかし、三千代と平岡を結婚させたのは「無意識なる偽善」である。家業のための再三の縁談も拒否する代助は、愛を意識するのではなく、無意識、つまり自然本能の発動として三千代への愛を見出していく。そこからは悲劇的に小説は転落していく。最後には真っ赤に世の中は回転していき狂気に至った代助であるが、小説はそこまでで、そこからの「それから」はここには描かれていない。 若い書生の門野に対する代助の見方はそのまま自身が他者・または肉親からどう見られているかという意味ではないか。かつての友人平岡や寺尾、肉親や嫂までを徹底して批判分析的に見抜いている代助のその他者とは違った意味での欺瞞は近代知識人が持ちえたものであろう。現代の高等遊民にはその種の欺瞞が果たしてあるのだろうか。そして、それを認識した結果、社外の疎外者として生きる道しかないのだろうか。それがは私達に与えられた「それから」である。
0投稿日: 2010.11.01
powered by ブクログ相変わらずこんな風に漱石を読むバカも私だけだろうが、実は今回読んでいて私が一番気になったのは代助と三千代は肉体関係があったのかどうかということ(爆)。世間ではエロチックなシーンのない純愛モノと認識されているが、ただコクっただけでダンナにあそこまで恨まれ、親にも勘当されるなんてどう考えても行き過ぎだ。 (続きはブログで) http://syousanokioku.at.webry.info/200912/article_23.html
0投稿日: 2010.10.31
powered by ブクログ高校時代に読んだ時は「高等遊民」に憧れて代助に感情移入していたような気がするんだけど、今読むと全然違う印象になるなあ。もうなんというか代助がだめすぎて笑うしかない(笑)。そして書き手が彼のことを意外と突き放して書いているのも面白い。嫂の梅子がなかなか魅力的に感じた。書生の門野もいいキャラクター。 考えたら「代助がもっと早く行動していたら」というifの物語が「こころ」だと気づいた。まずは「それから」の続きで「門」を読もう。
0投稿日: 2010.10.24
powered by ブクログ高等遊民の若者が友人の妻に横恋慕して奪った結果、 今までの優雅な生活を喪うってだけの話なのに、 この人が書くとなんだか面白い。 「それだけの話」を「極上のエンターテインメント」に仕立てあげて 読者にお届け。 その読者だって、明治から現在までと実に幅広い。 老若男女問わず、ではとどまらず、 時代を超えた読者を面白がらせてしまう、 なんて凄い筆力なんだ、夏目漱石。 それにしても、主人公の代助と彼が愛する三千代。 二人の名前に同じ「代」の字が使われているのはなぜだろう。 漱石は何か意図があってそうしたのか。 それとも何も考えずにつけただけなのか。 少々気になる部分である。 それともう一つ気になること。 この小説を読み終えて考えた。 多くの人を裏切り、自らもダメージを受け、 思いを実らせた二人の先に待ち構えている 「それから」は何なのか。 幸福に彩られた明日なのか、不幸で染められた数年後なのか。 希望が見つかるのか、それとももはや絶望しかないのか。 その答えを探そうとして、読み終えた本をもう一度ぱらぱらめくり、 思いを巡らせたが、結局私は見つける事が出来なかった。
0投稿日: 2010.10.18
powered by ブクログ前期三部作のうち、この代助にはなぜか共感できなかった。最後に兄が言った、お前は馬鹿だ、口だけだ、何のために教育を受けてきたんだ、という罵りがもっともだと思った。 三四郎・門に比べて、自己を通す時に迷惑を受ける周囲の人がよく描かれているからだろうか。 とりあえず、代助は哲学者だと思う。それで考えすぎて三年前に臆病になってしまったのではないだろうか。平岡のためというのは本当の言い訳じゃなくて、運命の賽を振るのが怖かっただけだと思う。 前期三部作は三四郎→門→それからという順番で読んでしまったので、また門を読みたい。 漱石が考えていたことを、三部作から読み取るなんてことは馬鹿な私にはできないが、とりあえず分かったことは、他人に迷惑を与えることをしなければいけない時は、それに伴う自分への反動をいかに辛くても受け止めねばならない。それができないのならば我儘をいう権利はない、ということである。 やはりその後が気になる・・・!
0投稿日: 2010.10.15
powered by ブクログ1909 『三四郎』のそれから、つまり『それから』では代助と三千代の姦通が描かれる。だが、当然のこととして、これは『三四郎』の続編として読むべきではない。 ここで「アンコンシャス・ヒポクリット(無意識の偽善)」を持つのは代助のほうである。彼が親友・平岡と三千代の仲を取り次いで結婚させたにもかかわらず、その3年後には三千代を愛している、と言って平岡から略奪し、家族からも勘当同然で社会に放り出される、という単純な物語なのだが、奇妙なのは、代助が三千代を愛していることを全く認識しておらず、終盤になって突如思い出すところである。そんなことは現実にはあり得ない。あり得ないことが起こるのが小説だ、と言いたいわけではない。姦通とはすなわち「制度(結婚)」と「自然(恋愛)」のせめぎ合いだ。その割には、代助の心理的葛藤はほとんど描写されないし、三千代を愛していたことすら忘れていた!のだから、全く救いようのない男としか言いようがない。三千代を愛していたことを忘れていたけれど、たったいま思い出したから愛している。だから友人から略奪する。という寸法だ。漱石の考える「自然」とは、無意識のことと言ってよい。フロイト的に言えば「忘却」も無意識の抑圧なのだから。 終盤は、現在ニートの代助(彼は資産家の息子で優雅な仕送り暮らしをしている)の働きたくないけれど結婚するからには働かねばならぬ、でも嫌だ、という問答が繰り返され、社会に放り出される直前の彼の狂気で締めくくられる。
0投稿日: 2010.10.03
powered by ブクログ*ブログ感想あり* http://blog.livedoor.jp/marine0312/archives/2008-07.html
1投稿日: 2010.10.01
powered by ブクログ思っていたより読みやすかったです。 視覚的にぐっとくるような(最後とか)場面が多かった気もします。 話の内容を理解したかというとそれはなかなか難しい。 もう少しあとになってからまた読みたい作品
0投稿日: 2010.09.23
powered by ブクログ高等遊民が恋愛で挫折する。 自分によって立つものがないと、本当に欲しいものを奪って孤立無援になったとき、世界が真っ赤に見えるのだろうか。 松田優作と藤谷美和子で映画もあったね。
0投稿日: 2010.09.06
powered by ブクログ・10/17 昨日の晩から読み始める.なんだか一気に読んでしまいそうな予感 ・10/21 半分は過ぎたけど、なかなか核心にいかないな.焦らされているようだ ・10/22 いよいよ核心に迫ってきた.今日中には読み終わるな.気になってしょうがない ・10/22 終わった.まったく「んで、それから?」だった.まったく漱石には肩透かしをくらった感じだ.次回は続きの「門」を読もう
0投稿日: 2010.09.04
