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なぜ働いていると本が読めなくなるのか
なぜ働いていると本が読めなくなるのか
三宅香帆/集英社
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総合評価

1445件)
3.8
336
526
371
73
11
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    読書の本でもあり、日本の労働史でもあると思った。わかりやすく興味深い内容。三宅さんの書く本、大好きです。 三宅さんが終盤で言っていた、全身全霊で働くのではなく半身で働いて読書や趣味などに時間を使おうという提案。大賛成です! 私もずっとそう思っていました。これだけ科学技術が進んでいるのに、どうしてずっと我々は長時間労働をしているのだろう(しかも満足できるほどの賃金や報酬もなく)。 この本はとても売れていますが、半身で働こうと思う人がもっともっと増えればいいなと思います。いや、増えてくれと念じます。(もちろんお給料はそのままでね♡)

    1
    投稿日: 2024.09.07
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    明治から現代までの労働史、読書史について解説。 読書=仕事と両立させたい文化、という位置付けで捉えることもできる。 参考文献の多さに驚かされるくらいの著者の大変な読書量。 一方で引用が多く、逆に著者自らの言葉で語られてる最後のメッセージには共感しました。

    1
    投稿日: 2024.09.07
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    キツい労働環境下ではゲームとか啓発本は読めるけどそうじゃない本を読む気力がなくなってしまうという自分の経験と映画『花束みたいな恋をした』でも同じようなことが描かれていて、それはなぜかという問いを立てて明治以降の日本の読書状況を振り返りながら回答していく。句読点が黙読が明治期に当たり前になって読みやすさのために生まれたとか、円本の存在とそのビジネスモデルとか、そういった知識も面白い。 読書が一般に開かれていくのが明治期以降で、修養としての読書が生まれたと。戦後読書が大衆化し、高度経済成長期を終えてバブル崩壊後には自己啓発書が売れるようになった。読書はノイズが含まれるため、ノイズのない情報を求める人はインターネットや啓発本を読むようになったと。 そして本を読める社会のために全身のコミットメントをやめて半身で仕事ができる社会を目指そうという。労働で自己実現するのが当たり前になっているから、自発的に自分を搾取してバーンアウトするのだ。 結構日本社会の自己啓発の歴史的変遷といったものも見えてくる。あとはグローバルな新自由主義の需要とか。もちろん学術書ではないので、論拠が弱いとかはあるかもだけど。

    1
    投稿日: 2024.09.06
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    ・P222:稲田は現代人の映画鑑賞について、以下のような区分が存在すると述べる。  ●芸術 - 鑑賞物 - 鑑賞モード  ●娯楽 - 消費物 - 情報収集モード  このような区分が人々のなかに存在しており、だからこそ「観る」と「知る」は違う体験である、早送りで映画を見る人たちの目的は「観る」ことではなく「知る」ことなのだと稲田は説く。 ・P233:本のなかには、私たちが欲望していることを知らない知が存在している。知は常に未知であり、私たちは「何を知りたいのか」を知らない。何を読みたいのか、私たちはわかっていない。何を欲望しているのかわかっていないのだ。だからこそ本を読むと、他者の文脈に触れることが出来る。自分から遠く離れた文脈に触れること。---それが読書なのである。 ・P258:半身こそ理想だ、とみんなで言っていきませんか。それこそが、「トータル・ワーク」そして「働きながら本が読めない社会」からの脱却の道だからである。

    23
    投稿日: 2024.09.06
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    【半身で生きたい。でないと何を読めば良いのかわからなくなってしまうから】 自分は何が好きかわからない、と感じた方にこそ、手に取って欲しい本です。 本は現代ではノイズであること、 でもノイズを取り込めなくなるほど、全身全霊で働くことを前提にされた社会であること、、、 自身の経験でも、「自分は何が好きかわからない」を感じたことがありました。 「半身で生きる」については、特に後半で書かれているのですが、読んでいて「本当に!!本当にそう思う!!!」となりながら読んでいました。 歴史を筆者と紐解きながら、「ああ、読書ができない、文化を楽しめないって、こんなに前からあったんだ」「先人たちもそこに悩んでいたんだ」と感じられたのが興味深かったです。 参考文献もたくさんあり、そこから新たな「ノイズ」を取り込めそうです。 本当に読めてよかった。 自分が何を好きなのか、何に興味があるのか、次第に分からなくなってしまうことを説いてくれている本はあまり見かけません。 なので書いてくださった著者の方には、有難う御座いますとたくさん伝えたいです。 本はノイズかもしれない、きっとスマホよりもノイズが多く、みずからの欲しい情報にすぐ辿りつけなくてモヤモヤするかもしれない。 それでも。 そのノイズが救ってくれる事象だってあるはずです。 そう思えました。

    2
    投稿日: 2024.09.05
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    「半身で働く」 適応障害で休職することになったが、このことばの重みを感じる。 日常にノイズを受け入れる余裕がどんどんなくなって、生命維持のための睡眠や食事まで削って仕事に費やしていたため、バランスが崩壊した。 本をゆっくり読んで、ノイズを受け入れる余裕を持つ。仕事のことを考えるのはそのあとにする(サポートを受けられる環境にあることが前提にはなるが)。 ハン「疲労社会」 →鬱病になりやすい社会 外部から支配された結果、疲れるのではなく、むしろ自分から「もっとできる」「もっと頑張れる」と思い続けて、自発的に頑張りすぎて、疲れてしまう 誰にも何も求められていないのに、頑張りすぎない。具体的に頑張らない方法を考える。

    1
    投稿日: 2024.09.05
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    参考文献からも筆者自身が大変な読者家であるということが分かりました。本書に書かれていることを言葉だけでなく、正に実践されているんだと思います。個人というより『働いていると本が読めない』社会そのものに焦点が当たっています。題名に共感して本書を手に取った私としては内容が難しかったですが、『ゆっくりで良いから以前のように本を読もう!』という気持ちが高まりました。

    1
    投稿日: 2024.09.05
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    「忙しいから本を読めない」ということだけでなく、その時代のあり方と読書史を比較していて面白かった。自分だけの問題ではなく、社会の在り方、考え方によって本を読めなくなっている、という考えは目から鱗だった。 読書に限らず、仕事と家事とか、育児とか趣味とか色々なことに通じる考え方だと思う。まだまだ「半身で働く」には色々な課題があると思うが、余裕がある社会に変わっていくきっかけになるといいと思う。 あとがきの「働きながら本を読むコツ」もよかった。

    4
    投稿日: 2024.09.04
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    本のタイトルと内容が乖離していた。近代労働史と市民読書みたいなタイトルが相応しい。思ってたのと違う感じ。あとがきに書いてあったことを中心に書いた方がいいと思う。

    4
    投稿日: 2024.09.04
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    花束みたいな恋をしたの映画からこの本へ。 映画を見て考えさせられた今の社会人としての自分の、読書や映画や文化的趣味に対する感度の低さに気付かされ、その流れでこの本を読んだ。 期待していたものと少し違ったが、読書が昔から今に至るまでどういう位置づけであったかを理解できた。この知識こそノイズの一つであり、それをまだ十分に受け止められる余裕が自分にはないなと改めて気付かされる。 しかしこの本が売れてるということは私と同じ思いの人が世の中にたくさんいることの証であり、この本が売れてるという事実こそが、大事なこと。 この本をきっかけに、また少し余裕を持ってノイズを受け入れていきたい。 働き方自体への提言は無理が若干あるような気がして簡単には受け止められないが、働き方を変えなくとも意識を変えるだけでも読書はできるようになるのではないかと考えさせてくれる。時間がないのでなく、ノイズを受け入れる意識の変化が重要。

    1
    投稿日: 2024.09.03
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    暇さえあれば小説ばかり読んでいた学生時代でしたが、私自身も社会人になりほとんど本を読まなくなってしまいその原理を知りたく手に取りました。 私自身は、本を読まなくなったというより読めなくなった、と感じていました。文字の意味を頭でくだいて理解することが難しい、最後まで読み切るほど集中力が続かない(読みにくいと感じる部位があると理解するまで噛み砕くことができず思考が停止してしまう)というのに近いと思います。 この本を読んでその理由がよく分かりました。読書と歴史的背景、読書という高尚な趣味における階級格差については少し難しい部分はありましたが、現代にいたるまで読書とはいかに品位あるものとして扱われてきたかを理解できました。 最終章にかけての「読書≒ノイズ」という記述には本当に納得させられました。私が好んで読む文芸書や人文書というのは社会や感情について語るものであり、自己啓発本とはほとんど対になるものであるということ。言わば、自分ではコントロール不可能なものであり、ノイズを提示するものであるからなかなか進まないのだと。腑に落ちました。 今やSNSやネットではノイズのない=求めていない情報は簡単に排除でき、求めるもののみ手に入る時代。その中で読書というノイズ+知りたいことを知識として得るには、仕事を100%でやっていては時間が無さすぎる、ということなんですね。 この本をよんで仕事を半身で出来るかはまだ分かりませんが、まずはノイズを受け入れる、習慣化する努力はしようと思いました。 (小説ばかり読んでおり、この手の新書を読む際には根気がいり、自分で手で書きながらまとめる作業をしようやく納得に至ったため☆4としました。)

    1
    投稿日: 2024.09.03
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     読書とは、知識+ノイズであるを体現しているかのように、この本にはノイズが溢れている。タイトルの問いである「働くと本が読めなくなるのは何故か」に対し、明治から現在にかけての読書史、労働史という面からアプローチする。付随するノイズ達に、私の知識欲が満たされていく。  自己啓発本が溢れる現代、仕事へののめり込み方は充実しているが、半身のススメは少ない。ワークライフバランスとは何なのか?生活が充実した人も充実してない人も、この本で一度俯瞰してみるのも良いかもしれない。少なくとも私はそう考える。

    2
    投稿日: 2024.09.03
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    歴史的にみても日本人ってめっちゃ働いてるというのがわかりやすくまとめられている。 タイトルだけで購入したので 思っていた内容とは少し違う内容 (スマホ脳みたいなかんじのことを詳しく知れるかと思った)だったが著者からの全身全霊ではなく半身で働く社会には大賛成。 この本自体が働いている人は読了できないのではないか…と思ってしまった…。

    1
    投稿日: 2024.09.03
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    このレビューはネタバレを含みます。

    半身で働いた結果、将来会社では窓際族になり副業できるほどのスキルもない人間になったらどうしようとは思う。

    0
    投稿日: 2024.09.03
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    タイトルに魅かれて購入。 そうなんだよね、働いていると本が読めないんだよねと共感 を覚える。 内容は、明治時代から2010年代までの日本の読書の歴史を紐解き、読書する時間を得るための処方箋を示す。 著者は1994年生まれで、僕より30歳も若い!なのに、1980年代の読書事情とかどうやって調べたんだろうと思うくらい、そうだったよねと懐かしい気持ちにさせられる。 著者は、あとがきで働きながら本を読むコツを教えます、と題して6個のコツを示している。著者はこのコツが、本書で一番書きたかったことだったのではないかなと思う。ここの文章は、それまでの本編と違って、とてもキラキラ輝いているように見える。どれも納得できるコツだが、僭越ながら、僕だったらもう一つ、⑦とくかく面白うそうな本を見つけたら即買する。読むのはいつでもできる。意外にも欲しいと思った本はいつまでも書店に置いていない。いつの間にか店頭から消える。いつまでもあると思うな親と本だ。

    8
    投稿日: 2024.09.02
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    単純に「疲れているから」だけでなく、それではなぜ現代ではスマホやゲームはできてしまうのか、そして読書そのものの近代史まで知れてよかった。 ゆ

    1
    投稿日: 2024.09.02
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    久しぶりにまともに本読んだ。 ・結論、現代でなぜ働いていると本が読めなくてかつインターネットは見れるのか? →労働者は、新自由主義下で「自助努力せよ」「仕事で自己実現をせよ」と言われているために、仕事に関係ない文脈に(≒読書)がノイズだと考えるようになり、自分の仕事に直接役立つノイズのない情報(≒インターネット)しか得る余裕がないから。 ・では、現代で働きながら本を読むためには? →全身全霊で働くことを信仰せず、半身で働き自分以外の文脈に触れる余裕を持つ。 我々にとっての示唆: 我々は全身全霊で働きたいと思っている派である。そのため「半身で働け」はある程度無視でOK。 しかし、「今の部署の今のプロジェクトに全身全霊」を信仰しすぎてはいけない。視野が狭くなって行き詰まる。そのため、別の文脈(他部署の話、他業界の動向、業務遂行における普遍的ナレッジ)に目を向ける余裕と、そのための仕組みが必要である。

    2
    投稿日: 2024.09.01
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    タイトルにうまく騙されました。日本の労働史を読書という視点で語るのは非常にユニークでしたが、コミックが除外されていたのは違和感でした。読書ではないから?通勤電車で学生、サラリーマンが軒並みコミック雑誌を読んでいた時代を知っているものからすれば、コミックの影響を論じないことはアンフェアだと思いました。労働と結びつけたいがために、やや牽強付会かな思うところも多々あり。

    0
    投稿日: 2024.09.01
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    ベストセラーの歴史として読めばまずまず。読書論としてはちょっと不満。なぜ?の回答は分かりきったことなので。

    1
    投稿日: 2024.09.01
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    私自身も社会人になってから読書量がかなり落ちてしまったため、本のタイトルに惹かれて購入した。 昔は暇さえあれば本に手が伸びていた。今は暇さえあればSNSに没頭する日々となってしまっている。本屋さんに行けば面白そうな本を見つけて手を伸ばすのになぜ本が読めなくなってしまったのか。 それを解明すべく本書を読んでみた。 労働や読書の歴史から始まり、時代の変遷とともに読書の位置付けの変化を感じられる。ただただスマホやSNSの普及によって本を手にする時間が短くなったから、という結論ではなく、スマホ普及前から読書離れは起こっていることを学ぶことができた。 さらに読書はノイズを含んだものであるということ。確かに自分に関係ない知識はノイズであるという発想は社会人になったら生まれてしまった。学生の頃はそのノイズが楽しくて読書に勤しんでいたが、現在は小説など情動が激しく揺り動かされるものよりも、仕事と関係ある専門書の方がよっぽど読んでしまっている。「働く」という文脈に即したものしか読まなくなってしまっているのだ。 社会人になってから触れてこなかったノイズには一体なにが含まれていたんだろう。もしかしたらいつか私自身につながる貴重なものだったかもしれない。そう考えると勿体ないという気持ちが湧いてくる。これからの私に必要なものは、これからの私の文脈につながるかもしれないノイズに触れていくことなのかもしれない。

    1
    投稿日: 2024.09.01
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    タイトルに惹かれて読み始めた。明治から現在に至る読書史としても非常に面白い。読書=教養といういつ刷り込まれたのか分からない固定観念が良い意味で崩れた。 作者が提言するような働き方はできていない。だけど、「働きながら本が読めている」自分は恵まれているだけなのか?考えてみたい。

    6
    投稿日: 2024.09.01
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    タイパ思考で片付けず、時代背景や労働に基づく考察が深い。ノイズの除去された情報と、他者や歴史や社会など自分に直接関係しないことを含む知識。自分が予想していない感情や知識との出会いがある読書。読書の魅力を改めて確認できた一冊。

    13
    投稿日: 2024.08.31
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    前半は読書が社会のなかでどのように位置付けられていたか年代ごとに振り返る内容となっていました。正直自分と距離がありすぎて、あんまり入ってきませんでした笑 後半にかけて、近代における読書の捉え方と、 働き方についての部分は自分に当てはめて考えることができました。私自身は読書でノイズを楽しんでいたんだと小さな発見。 花束みたいな恋をしたを読む前に見ておくことを強く勧めます!

    4
    投稿日: 2024.08.31
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    読書術の類いかと思って読み始めると、いつの間にか明治から現代に至る日本の労働史を学んでいた。かといって予想を裏切られた不満はなく、むしろちょっとした論文を読んだような満足感と、最後には労働と読書の関係・あり方についてちゃんと納得感がある、不思議な感覚を味わった。現代人は仕事以外の文脈を取り入れる余裕がなく、直接自分に関係のない情報(=読書)がノイズになっているという指摘は、確かに実感できるものである。著者の言う「半身社会」で、何事も余裕を持って向き合えるようになってほしいし、少しずつでも目指していきたいと思った。巻末の「働きながら本を読むコツ」が地味ながら良いところを突いている。

    17
    投稿日: 2024.08.30
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    本書のタイトルに共感し、思わず購入。 労働と読書の関係を明治時代から紐解いていき、そこから著者なりのこれからの働き方を提言。 時代によって読書に対する人々の意識の変化が興味深かった。 限りある時間の中で何に対してコミットメントをしていきたいのか?という事を意識していきたいなと本書を読んで感じた。

    8
    投稿日: 2024.08.30
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    読書を軸にした日本人の働き方や文化、そして経済の歴史を考察する本で、タイトルから予想する内容とは少し違っていたがむしろ思っていたよりずっと面白かった。私自身毎日終電みたいな時代はほとんど本は読めなかったしその時にかろうじて読んでいたものも本書で指摘される通りだったし、読書のことだけ考えても雇われの身にはやはり戻れんな、とも。教養や自己啓発の歴史、新自由主義やインターネットとの関係など面白く読んだ。「全身全霊をやめよう」は個人的には大賛成だが社会的にそれが浸透していくステップはまだイメージしきれない。

    8
    投稿日: 2024.08.29
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    タイトルのように思ったことがなかったが、手にとって読んでみると引き込まれていった。「読書」 を通して、近代日本の歴史背景•人々の考え方の移り変わりがよく分かった。そして、昔から私たち、世間に流され続けてるなぁと。常識は社会最適のためにあるだけで、もっと自分の心の声を聞いてあげてもいいのかなと考えさせられました。

    6
    投稿日: 2024.08.29
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    流行りの本ということで読んでみました。 めちゃくちゃ面白かったです。 読書の歴史とか背景とかをすごくしっかり掘り下げてあって、なるほどーってなりました。実家に全集が山ほどあったのはそういうことなのね、と。 特に自分が生まれ育ってきた90年~2010年代あたりに入るとさらに面白くなりました。すごいよく分かる。 結局のところ、教養というのは異なる文脈を受け入れる余裕だし、読書というのは他人を受容することに繋がるよね、とか思いました。あと頑張り過ぎないことの大切さ。これ本当に思う。 頑張ってる人かっこいいし、燃え尽きる自分もいいなって思うけど、やっぱり明日も明後日も人生は続くわけで。 思考を止めずに色んなものを取り入れられるわたしでありたいですね。

    3
    投稿日: 2024.08.27
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    大変面白く読みました。 書籍が一部のエリートのためのものだった明治時代、大衆も広く教養を求めるようになった高度経済成長期、読書が娯楽になったバブル期、そして必要な知識や情報のみを求める傾向が広く強まり、読書が「ノイズ」となっている現代…というふうに、読書が社会生活の中でどう位置づけられてきたかをまず最初に俯瞰する構成です。この部分を読むと、家の本棚に文学全集があったり、書店からのあっせんで購入したのだろう文庫本のセット(200冊くらいあったかな。ミニ専用本棚つき✨)があったりした子供時代を懐かしく思い出しました。実家の前には大きな書店があって、本が好きだった私はいつも入り浸っていました。自分が読み進めたところに栞をはさんで帰り、翌日はそこから続きを読んだりして、書店の本棚を自分の本棚のように感じていました(笑) 何時間も座り込んで本を読む子供を追い払いもせず黙認してくれた歴代店長さんたちやスタッフさんたち…古き良き時代でした。 大人になって働くようになり、特に自宅で教室を開いてからは、英語の本や教え方・話し方の本、子供の発達に関する本、新書などを読むことが増えました。情報が欲しかったんだなーと、この本を読んで思いました。 最近は物語を読みたくなり、もっぱら小説ばかり読んでいます。子供返りしたのかなと感じていましたが、今の自分は「ノイズ」を求めているのか!と、これもこの本を読んで思いました。フリーランスで働くようになり、時間的に「半身で」働くことができているからかもしれません。 働き方と読書、という、ありそうでなかった観点から読書について論じる筆者が、働きながら本を読める社会を作りたい理由の一つが「ひとりでも多くの人に、書店へ足を運んでもらいたい」からだと語るあとがきを読んで、子供時代書店で本を読みふけっていた幸せな自分を思い出し、わけの分からない涙がじんわり出てしまいました。

    10
    投稿日: 2024.08.27
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    タイトルのなぜ働いていると本が読めなくなるのか、という問いに対し、読書史から紐解き、最後には半身ではたくことを提案した著書。 明治以降読書が市民に普及することになったが、その時代ごと売れ筋本とその時代背景、市井の人々と本の関係性がダイジェスト的に学べた。 読書史を読んで感じたことは、我々が今読みたい本を気軽に手に取れる豊読の時代に居るということ。豊読の時代では、好きな本を手に取り勝ち。知らず知らずのうちに読まず嫌いが発生しやすい。苦手や嫌いと思っている本もたまには手に取ってみようと思った。 最後の章での結言は、自分軸で決めたものに半分身を置こう(≠他人軸、本を読めないモーレツサラリーマン)というものであった。他人軸で動いているものに全身ではなく、自分軸で決めたものに半分身を置こう。そうすることで、自分の文化(筆者の場合読書体験)を大切にしながら、豊かに生きることができる。 一方で上記主張に賛成しつつ感じたのは、半身でも両方の半身を全力で生きると息が切れる。その場合は、ブレーキや余白も必要ではないか。また、全身全霊で働かないと飢え死にする人もいる。半身が当たり前ではない。半身でも死なずに生きていける環境に感謝しつつ、直接的に関係ないノイズを受容し、自分なりの豊かな人生を享受しよう。 以下最終章の引用。優しくて好きな文章だ。 全身全霊で働けているのは、家族のサポートがあったり、たまたま体力が今はあったり、運よく環境がそろっているからです。全身全霊で働くことを美化していると、いつか全身全霊で働けなくなったとき、なんだか全身全霊で働けないやつなんて、だめだと考えそうじゃないですか。

    8
    投稿日: 2024.08.27
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    答えは決まっている。忙しいし疲れているから読めない。それ以外に何が書かれているのか興味があり読んでみた。 働きながら本が読める社会の提言だった。自分の意思で働いていたと思っていたけど社会の流れにまんまと流されて、社会の求めのまま働いていたことに気付かされた。 自己実現は仕事以外でもいいはず。半身で働くことに大賛成。

    5
    投稿日: 2024.08.25
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    時代を遡って明治時代の労働と読書の関係から紐解いているので説得力が違う。ノイズ込みの「娯楽としての読書」と、ノイズ抜きの「情報を得るための読書」があるという記述で言語化されることによって、今までうまく言い表せなかったその2種類の読書をはっきり認識することができた。そして「全身全霊」をやめて「娯楽としての読書」の時間を積極的に確保していきたい。

    2
    投稿日: 2024.08.25
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    明治初期から現代に至るまで、日本人がどのように本を読んできたかという点に焦点を当てながら文章が展開していく。「読書史」という名前が付きそうな大学の講義を受けているようで、教養として楽しむことができた。 そこから「現代人がなぜ本を読まなくなったのか?」という点が主にSNSとの対比を軸に論理的に展開されていき、先の読書史との関連も交えられているため、頭にスッと入ってくる。 先述した内容に触れながら進んでいく様子はミステリ小説の伏線回収を経験しているようで、思わず唸る場面もあった。 最終章では「ではどうすれば働きながら本が読めるようになるのか?」という問いに言及されているが、単に結論を述べて終わり! という淡白なものではなく、全ての働く人間を励ましてくれるような温かいメッセージで締めくくられている。 今の日本社会、企業、そして働く人への心の処方箋とでも言える名作だと思う。 読書の習慣ある無しに関わらず、全ての日本人にオススメしたい一冊。

    2
    投稿日: 2024.08.25
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    このレビューはネタバレを含みます。

    働き始めてからの自分の感情を言語化してくれてすっきり+共感!!全身全霊で仕事に挑むのではなく半身で仕事をして、半身で別のことをする人生にシフトしていきたいー! この方の本、もっと読みたい!

    1
    投稿日: 2024.08.25
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    著者の人ありがとう!という気持ち。 私も働きながら本が読めるようになりたいよ。あとがきでの具体的なアドバイスは実践してみるよ。 そして私はノイズのたくさん詰まった読書が大好きだよ。気づかせてくれてありがとう。月曜から少しずつ平日にも本を読めるような生活にしていきたいよ。

    4
    投稿日: 2024.08.25
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    図書館で本を借りて読むようになり、時々なぜか本を読み進められない時があり、疑問にずっと思っていた時に出会った一冊。 大正時代から現在までの労働と読書についての、関係性を分かりやすく考察されており、非常に分かりやすく共感できるものだった。 結論、働いていると自分が知りたいと思っていない情報(ノイズ)があることが余計に疲れてしまったり、遠回りで煩わしいと感じてしまうことが多く読書出来ない人が多い。 自分の場合、ビジネス書は読めるが小説は読めない。 ググって出てきたブログなどは読める。 そう。自分が知りたいと思っていることは、ノイズにならないので読める。 しかし、ノイズも含めて読書をすることで新しい発見などに出会えるのが読書。

    2
    投稿日: 2024.08.25
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    本を読もうと思うのにスマホを触ってしまう。 そんな自分を変えられるのでは?と思って読み始めました。正直最初の方は、思ってたのと違う!って内容でした。昔の人の読書に対する意識みたいなことなど、そんな話の本だったのか…。って思いました。 でも頑張って読み進めていくと現代の話になっていき、1990年代、2000年代…。確かに世の中の働き方の変化やインターネットの普及、スマホの普及で自分の中でも変わってきたと納得できることが書かれていて、読みやすくなりました。 筆者の考える働き方、大賛成です!!

    8
    投稿日: 2024.08.24
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    働いていると本が読めなくなるのはなぜかという視点から 働き方・世相・人生などに考察を加えていく内容 全身全霊を傾けるのではなく 半身くらいの感覚で頑張っていく。 それを我々世代は手を抜いていると感じてしまうので その感覚から受け入れていくようにしたい

    3
    投稿日: 2024.08.23
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    働いているけど、本は読めている方なので、タイトルから、自分には当てはまらないものとして手に取らなかったが、ある人のオススメで手に取ってみた。 タイトルから予想される内容とは違い、日本人の読書の歴史について、さまざまな文献からの引用を用いて非常に丁寧に検証されていて興味深かった。引用文献もいちいち気になるタイトルで、読みたくなった。 全身全霊をやめて、半身で生きることの推奨。共感できました。 冒頭にも書いたように、私自身は、働いているけど、毎日本を読んでいる。逆に考えると、なぜ働いているのに本が読めているのか?半身で生きられているのか?そんな自問自答をするきっかけにもなりました。

    4
    投稿日: 2024.08.23
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    どうしたら働きながら本が読めるのかという読書術の内容かと思ったら、読書と労働の関係について明治時代から現代までたどり、そのなかで日本人の働き方について見つめていくことになる本書 自分自身も働き始めてから本が読めなくなった経験があるので、うんうんと何度も頷く箇所や、なるほどと納得させられる部分が多数あった なかでも印象として強く残ったのは、現在の新自由主義の社会では我々は自発的に「戦い」にいってしまう社会構造となっている。そこでは武器となるような即効性のある「ノイズ」のない情報を得ることが順応に必要。読書で得る「知識」はそこでは「ノイズ」となってしまう。という点 書籍だけでなくあらゆるメディアコンテンツが「わかりやすく」「コンパクト」にまとめられてきている昨今、「ノイズ」の多い「知識」をどこかで発揮できるかもと広い心で「半身」で構えていけるような心の余裕がもてる社会となっていけたらいいなと思う

    5
    投稿日: 2024.08.23
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    「なぜ~」の答えは結局、「忙しいから」に帰結する。 なので、「忙しくなくしましょう」が結論。 しかし、そこに辿り着くまでのアプローチがユニーク。 読書の歴史、労働の歴史を時代ごとに振り返りつつ、いつからそうなのか、なぜそうなのかを読み解いていく。 情報化社会からファスト文化まで、現代的な問題にも切り込み、幅広い論旨で展開される。 長文の書籍引用だらけなのは少々気になるところだが、そのリサーチ量は膨大。 答えだけ知る「情報」と、ノイズも合わせて知識として得る「読書」。 そうした比較もされているが、まさに本書自体、それを風刺しているようにも感じた(さっさと答えだけ知りたくなる)

    3
    投稿日: 2024.08.22
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    みんな働きすぎ。休もう!だけど具体的な改善策はありません! という誰も想像できる安易な結論だったけど、これに至るまでの過程で結構いい事言ってた。(読書する意味とか、教養とは何かとか) まじでおれみたいな奴じゃなくて仕事で一杯一杯の人たちに読んでほしい。刺され。

    1
    投稿日: 2024.08.22
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    労働と読書の歴史を研究する視点が面白いなと思った。売れてるんだから、本のタイトルに共感した人が私を含めて大多数いるということなんだなよなぁ。第9章からあとがきまで、めっちゃ共感しました。私も働くのは好きだけど、便利になった世の中なのに、どんどん忙しくなって、心身共に疲れてる人が増え続ける今の状況はやっぱりおかしい。働く人も、学校に行ってる子どもたちも、全身全霊を捧げるのはやめて、みんなせーので半身で生きよう!

    3
    投稿日: 2024.08.21
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    『花束みたいな恋をした』の麦くんのために書いた本!とは著者のお言葉。長時間労働やそれに準ずる理由で本が好きだったのに読めなくなってしまう現象について紐解く書。この著書のおかげで恋愛映画、しかも若い人のなんて興味なーい、とスルーしていた作品を観る機会に恵まれた。ありがたい限り!しかし、令和の時代も相も変わらず余暇も楽しめない生活とはいかなることかと真剣に考えざるを得ない。麦くんばかりを責められないものの本人が気づいてくれなくてはどうにもならない。どうかこの著書が彼のもとに届いてほしいと、しょうもないことを願ってしまった。

    3
    投稿日: 2024.08.21
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    なぜ働いていると本が読めなくなるのか。時間がつくれないから?そんな単純な話ではない、その考察がとても納得いくものだった。『花束みたいな恋をした』の登場人物が本を読めなくてもパズドラはできるように。原因は時間ではない。そんなゴールに向けて、日本の読書の黎明期まで遡り、その当時のベストセラーとともに、日本の“読書”というものの行く末を大河的に俯瞰する。現代でいえば「自己啓発本」が売れている時代。それはすなわち、自己でコントロールできる範囲にだけ目を向け、外部の社会=ノイズであるとみなす社会であるということ。「自分が知る予定がなかったもの」を知ることはノイズである。言われてみれば、ウェブを検索する時、スマホをさわる時、知りたいものだけを知ろうとしている。そこにノイズは介在しない。働く人が読書できないのは、それがノイズであるからだ。 さらに、では働いて本を読めるようにするにはどうすればいいか。「半身で働こう」と作者は言う。「全身全霊を褒め称えるのをやめよう」と。実行にうつせるかは難しいけど、納得のいく、示唆に富んだ結論でした!

    2
    投稿日: 2024.08.20
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    このレビューはネタバレを含みます。

    そういえば、私は手を伸ばさなかったけど実家の本棚には祖父母から譲り受けた〇〇全集とかあった。あれが、円本的なやつかも! そして、父は歴史小説めっちゃ読んでたし、私は自己啓発本とか読んでた〜 社会の流れまんまの読書をしてきた家族かも。 しかも、フルタイム社会人の頃は全く本読めなかったわ…今は半身労働になったので、読める…読めるぞ… ノイズ多めの内容なのでしんどさはあったけど、後半はサクサク進みました

    1
    投稿日: 2024.08.20
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    文化的側面から語られた脱資本主義本。本も映画も「いつか時間ができたら…」と思って早10年。きっとこのままだと一生叶わずに死ぬ気がするので、半身で働くことを意識しようと思います。

    5
    投稿日: 2024.08.20
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    単なる労働史なら読んでいない。 そこに読書史を加えたことにより、驚くほど面白くなっている気がする。 時代ごとの労働の在り方と読書の位置づけとの関連性が興味深い。 本がインテリアになった時代もあるようで、それはちょっと理解できるなあと。 たまに本が読めない(文字を目で追えない)時があっても「ああ疲れてるんだな」ぐらいに考えていた。 これを“ノイズ”というワードで解説された瞬間、ストンと腑に落ちた。 自分の欲しい情報だけが必要で、それ以外の情報は邪魔になるという考えにめちゃくちゃ納得した。 文章自体が読みやすいため、サラッと読めてしまうところも良い。

    14
    投稿日: 2024.08.19
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    大学で社会学をすこーしかじっていたからか、社会学的な視点から「読書の歴史」を読み解いていく感じが心地よかったし、読書史がタイトルの「なぜ働いていると本が読めなくなるのか=文化(自分と遠い文脈の物事)に触れられなくなるのか」ということに繋がっていくのが面白かった! 世の中は複雑だけれど、色んなことが繋がっているんだな、、と思って勉強になった!! 「売れた本」から、その背景にある人々の悩み・要望を考察していて、昔のサラリーマンってこんな感じだったんだ、とか、もっと昔のこの時代から今も変わっていないな、、とか自分も一緒になって考えることが出来て、良い時間になった。

    3
    投稿日: 2024.08.19
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    自分は幸い通勤時間を利用して本は読めている。 ただ、読んでいる本は本書にもある通り、夾雑物のない、インスタントな「情報」を求めていないだろうかと少し身につまされた。(無論それはそれで良いのだけど) 昔「読書量と収入は比例する」なる言説が流布した時期があった。自分が違和感を感じたのは、それを読書家が云っていることだった。「(私たち優れた)読書家は、統計的に収入が多いのだ」と云っているように感じた。 いつの間にか本を読むという行為が、資本主義下で成功するための方便になったということなのだろうか。 この本は、最後の方まではっきりとは書かれていないが、資本主義と読書との関わりの歴史が描かれている。 労働者やサラリーマン(サラリーマンが労働者と区別されていたのは自分には意外だったが)その先には女性を巻き込んで、大衆化と階級的な差別化を繰り返す運動の中で、自ら資本主義の論理に包摂されていく様は我が身を振り返っても説得力があるように感じられた。 かつての全身全霊を込めて仕事に打ち込むという終身雇用的な慣行が行き詰まってくる中で、三宅香帆さんは、働きながらでも本が読める社会=半身社会を推奨する。 子供が居る人に対して「子持ち様」という呼称が侮蔑的に投げつけられる世の中は(気持ちは分かるという面もあるにはあるが)あまりにも余裕がない。 多くのバックグランドがある働き手が関わるワークシェアリング的な半身社会は、調整や異なる価値観への理解が必要になるから、面倒ではあるけれど、バーンアウトからの鬱といったリスクを減らし、より豊かになるという提言は、「他人の靴を履く」という理念とも通底する部分があるのかなと感じた。

    65
    投稿日: 2024.08.19
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    読書と労働の関係が明治期から現代まで時代ごとに書かれており、現代に近づくにつれて共感できる内容が多くなり後半は特に面白かった。 著者からの提案「半身」で働くことについて、私自身賛成である。 本が読めない理由については、単に時間がないからだろうと安易に考えていたが、労働史と深い関係があることが分かった。 印象に残ったのは読書はノイズ込みの知を得る、情報はノイズ抜きの知を得るということ。インターネットでは最短で自分の知りたいことにたどりつける。反面読書では自分に関係ない情報も含めて知ることができる。 著者が書いているように自分に関係ない情報が何かのきっかけになったり、自分の考えを深くしたり、その後の自分に繋がったり、読書が人を成長させ、人生に影響をあたえていくと思う。 労働史をたどってくると、現代の働き方は時代に合っていないことが分かる。全身全霊はやめて「半身」で働く。仕事以外の時間が増えることで、そこでの体験や身についたことが仕事にも生きてくるのではないか。本を読む余裕だけでなく、他社を思いやる余裕が持てる社会であってほしいと思う。

    4
    投稿日: 2024.08.18
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    労働と読書、書籍に関する歴史を詳しく解説した上で現在の全身全霊で働く事を是とする世の中に「半身」で働く事を提唱している。みんながみんなそうなれば素晴らしい事だと思う。 しかし、自分ひとりが全身全霊を降りたところで、キャリア構築が遅れることによる承認欲求の満たされなさや、物価高への対応については特に触れられていない。この本を読む人は元々読書好きの人たちなのであろうから、読書時間を確保するための考え方としては良い。でも読書好き人口がそこまで多くない現代においてはやはり燃え尽きるまで働いたり輝かしい成果を求めて自分を追い込むことを簡単には止められないだろう。承認欲求は最強である。承認されるために情報を求める。そういうドーパミン的な幸福感を求めるだけの味気ない世の中から脱出し私は自分の人生を生きたいと思う。 私は24時間読書していたい人間だから、労働に対して一歩引く考え方を推進するのは大賛成ではある。

    22
    投稿日: 2024.08.18
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    タイトルから勝手にスマホ脳的な話かと思っていたので、想像していた内容と違ってびっくりしたけど、面白かった。 明治期からの日本人の読書史を中心に、現代社会の日本人が本が読めなくなっている理由を探る本。  確かに今は情報過多の時代なので、自分の仕事に関する情報以外は入れたくないと言う人が多いのかなと言うのは納得した。本を読む読まないより、もう少し働き方を考えなきゃとは読んで痛感した。

    10
    投稿日: 2024.08.18
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    読書史を用いて労働史を振り返るという構成が面白かった。個人的にあまり読むタイプの本では無かったので余計に面白く感じた。 知識はノイズと知りたいことの足し算だという点にも妙に納得してしまった。 読書したいのにできていない人だけでなく、頑張って読書している人、仕事に没頭している人にも読んでほしい。

    6
    投稿日: 2024.08.18
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    読書好きには必須のよく整理された内容でした。ベストセラーはその時代の文化をよく現しているのがよくわかりました。司馬先生の著書が急速に発展する日本の力の源泉の一つだと思います。読書が廃れない世の中を望みます

    9
    投稿日: 2024.08.18
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    読書をする人なら、やっぱり気になるこのタイトル。ぶっちゃけ本書読む前にYouTubeで三宅さんの話聞いてすごく面白い話をする方だなっていうのと、同世代ということもあって労働に対しての価値観が似てたというので、気になっていました。 論旨としては、労動史や教育の変遷とその時代に流行った本を皮切りに、人々にとって読書はどういったものであったかを述べていくという内容。特に近代に入ってからは、労働において自己実現を強いられるようになったこと、インターネットというこれまでにないメディア形態が誕生したことなどの論理展開はとても面白かったです。 個人的には好きな結論ではあったのですが、読む人の世代によっては捉えられ方が変わりそうな提言だったかなと思います。それこそ、仕事を生き甲斐にする働き方を強いられてきた管理職クラスの人や、上司層にとっては「甘え」と捉えられてしまうのかなと思いました。だからこそ、私たちが社会で上の立場になった時に、こういう働き方もあることを提示していければ良いのかなと思います。

    50
    投稿日: 2024.08.18
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    サラリーマンの働きかたと読書との関係を歴史的に紐解くとともに、インターネットの発達により出現した情報との違いを分析、情報と読書を切り分けた発想が斬新でした。 仕事に全ての時間を投じるのではない半身生活が働きながら読書するコツと説きます。教養を求めていたはずの読書が、今やノイズになっているとは、なんとも世知辛い世の中になったものです。無駄の効用として読書で心に余裕を持った生活を心掛けたいですねー(*´-`)

    6
    投稿日: 2024.08.18
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    2024.08.16 タイトルからして、仕事しながら読書ができるようになるライフハック的な内容かと思っていましたが、労働から見る人々の読書の歴史的なわりとお堅い内容でした。 話題の本だったものの、なかなか読み進めるのが辛く、やっっっと読み終えられたという感じ。 特に前半半分くらいまでが辛くて、まさに「ノイズ」でした。 タイトルは2/3あたり読んだところで「読書はノイズだから」という文言で回収されました。 知識…何が出てくるかわからないノイズ+知りたいこと 情報…ダイレクトに知りたいことだけ知れる 読書とは遠く離れた他者の文脈に触れること。 半身で働くことでノイズとも言える他者の文脈に触れる余裕ができ、教養も得られる余裕ができる、ということでしょう。 半身の働き方、私も大賛成です。 もっと気持ちと時間に余裕を持って働きたい。 1日8時間労働は長すぎます!

    2
    投稿日: 2024.08.17
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    著者の方を存じ上げておらず、脳神経やメンタル的なアプローチの本だと思っていたけど、歴史に沿って本を読むということの意義について書かれていて面白かった

    3
    投稿日: 2024.08.17
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    全身全霊 → 半身で働く。一つの事にコミットするのも大事たが、過度な生活を改め、半身で過ごしながら知識をアップデートし興味の枠を広げ様々な考えを学ぶことが人生を有意義にし社会をより良くする、という感じかな。 知識と情報の差異 情報=知りたいこと、知識=ノイズ(他者や歴史や社会の文脈)+知りたいこと

    3
    投稿日: 2024.08.17
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    刻一刻と移り変わっていく時代の波にうまく乗ればいい、変えられない社会ではなくコントローラブルな自分の思考や行動を変えてよりよく生き、成功しよう。そのような思想から台頭してきた新自由主義によって私たちは自分自身で自分を搾取する時代となった。 気がつくと、今までの趣味をやっていない、楽しくない、偏った生活(なにかに全身全霊な生活)を送る。 そのような現代になった背景をうまく読み解き、どう生きるか、考えさせられる一冊。

    4
    投稿日: 2024.08.17
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    私は読書が好きだ。 でも通勤電車は乗るので精一杯、 帰宅後は眠くて文字が頭に入ってこない。 スマホのゲームはできるのに。 好きな読書をしているとふいに罪悪感を覚えるときがある。 この時間に周りは資格の勉強をして、 自己研鑽に励んでいるのではないか、 私は仕事に置いて行かれるんじゃないかって。 そこから先を考える一冊でした。 でも読書は好きだから何とかして読みます。苦笑

    13
    投稿日: 2024.08.17
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    このレビューはネタバレを含みます。

     読み始めは読書史がつらつら書いてあるだけで「なんだこれ」と言う感じだったが、後半になると筆者の伝えたいことが伝わってきて、もう一度「知識」を取り入れたくなった。  「半身で働く」ことを目標に、社会に出ていこうと思えた。 (「花束みたいな恋をした」をもう一度観たくなった)

    4
    投稿日: 2024.08.16
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    このレビューはネタバレを含みます。

    明治時代から、読書と読書に関わる社会を歴史的に追いながら、「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」という問いに答える話題作。 修養、教養の価値が低くなり、「情報化」した知識が溢れる現代では、「ノイズ」が多い読書をしなくなってきているという。自分とは関係のない、他者の文脈である「ノイズ」はいらない、らしい。 「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」という問いの回答は、「何が向こうからやってくるのか分からない、知らないものを取り入れる、アンコントローラブルなエンターテイメント」としての「ノイズ性」であるとしている。そのノイズを受け入れるためには、「半身で働くこと」によって生じる余裕が必要であると筆者は結論づけている。 「ノイズ性」だけが「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」という回答ではないとは思うものの、一理あるなと納得した。確かに、ある意味余分な知識を時間をかけて得ることはしたくないと思うかもしれない。 ただ、そもそも本を読むことが難しい人、文章を理解することが苦手な人たちにとって、その回答では不十分ではないだろうか、と思った。しかし、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』という題を振り返り、「元々本を(読みたくて)読んでいた人が」という前提があるのだろうと気づいた。 『花束みたいな恋をした』の登場人物ばかりを頻繁に引用する点には違和感をもつ。また、『窓ぎわのトットちゃん』『ノルウェイの森』『サラダ記念日』が全て一人称視点というだけで「『僕』や『わたし』の物語」と言い切ってしまう点にも疑問をもった。 しかし、人々の読書と社会の関わりの歴史を概観できるため、題の問い以外の「ノイズ」と言えるかもしれない知識を得ることができ、この本を読んでよかったと思う。 『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』という題の新書が売れていることを踏まえると、「なんだ、意外とみんな本を読みたいんじゃないか」という気持ちがしてくる。

    1
    投稿日: 2024.08.16
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    このレビューはネタバレを含みます。

    なるほどと思う部分もあり、理解しきれない部分もあり、挫折しそうになりながらもなんとか読み切りました。 知らず知らずのうちにストレス過多になり休職してしまったとき、本当に、いつぶり?というくらい本当に久しぶりに、積読していた本を読む時間がしっかり取れて、図書館にも久しぶりに行って本を借りて、「本を読むって楽しい」「私は本を読むことが好きだったな、全然読めていなかったな」と思えた、という出来事がありました。 休職してすぐにその状態になれたわけではなくて、数週間〜数ヶ月経った頃にようやく「読書する気力」がわいてきた感がありました。 本著の出版時期が、自分の「読書が好きなのに読めていなかった」と実感したタイミングと同じだったのでタイトルにひかれて購入しました。 明治時代からの労働と読書の変遷を見ていくことで、「疲れていて読む元気がない」と単純にまとめられることではないんだなーと思わされました。 なんとなく読みにくさがあって、気がつくと眠気に襲われて、の繰り返しで、読み切るのに時間がかかったのは自分が読書から離れている時間が長かったからなのか、言い回しが難しく感じたのか、理由はわからないけれど、かなり頑張って読み切ったので★少なめにしています。 たくさんの文献を読まれたうえで書かれた本だということは巻末だけでなく全体を通してすごく伝わってきて、すごい、お疲れ様でした、という気持ちになりました。 好きなときに好きな本を読める社会、好きなドラマや映画を観ることができる社会、趣味に没頭できる社会、そんな社会が本当にきたらいいなと思います。 休みの日も仕事のことばかり考えている、もはや家でも仕事をしている(そうしないと間に合わない量の仕事を抱えている)という人、私の周囲にも大勢いて、その人たちに「休みの日は仕事を忘れて休んでください」と言ったところで、それができるならとっくにしているわけだし、それをできなくさせているのは社会であり企業であり、個人でどうにかできるレベルではない。どこから変えていったらいいのだろう。その人が「半身」になったらその分ほかの誰かが「全身」を捧げないと回らなくなってしまう現状が、そこらじゅうにあるだろうな。

    2
    投稿日: 2024.08.16
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    文学の歴史をオタクが語る本。 働いてしまうと本が読めない障害が生まれるという視点が面白い。 歴代ベストセラー本がわかる。 これまで読んできたベストセラー本とその時の時代背景が解説されているため、当時の状況を思い出しながら読める。

    2
    投稿日: 2024.08.16
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    せっかくのお盆休みなのに、こんな軽い本くらいしか読めていない。なぜ働いていないにもかかわらず本が読めないのか 戯言はさておき。論の展開が繋がりきっていない感はあるものの、着眼は鋭く、文章は軽快で、つるつるっと読ませてもらった。「半身で働く」は今更ながら身につまされる 一般的な話として、ひとつの会社に40年も全身全霊は偏っているなあ なお、ノイズを取り入れることの重要性については三宅秀道『新しい市場のつくりかた』も似たようなことを説いている。広い意味でのビジネス書なのだがご参考まで

    4
    投稿日: 2024.08.15
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    なにかと話題になっている本。就職して以降、本が読めなくなったというか、読む気力がないなと感じたことは確かにありました。あの読めなくなった現象(?)に理由があったとは…特に7章のさくらももこさんの作品の考察が特に興味深かったです。

    2
    投稿日: 2024.08.15
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    歴史に紐づいた読書論 仕事偏重はなぜ起きたのか。 読書が面白くなくなってきた理由がなんとなく、 振り返ることができた。 すぐに答えを求めようとする遊びのない読書ばかりしている事 ビジネス書偏重がその一環。 半身で働こう! 気持ちに余裕が持てるように、確かにそうしたい。

    0
    投稿日: 2024.08.15
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    このレビューはネタバレを含みます。

    社会を生きていく中で必要な情報を手に入れる。 それには読書はノイズな情報が多くなってしまうのが読書をしなくなってしまう理由である。 携帯で調べれば自分の必要な情報だけが出てきて、 本は必ずしも必要な情報が出てくるわけではないのだ。

    4
    投稿日: 2024.08.15
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    読書史や労働史に触れたのは初めてで、新鮮だった。 内容としては納得できるところと、共感できないところが半々くらいの印象。 厚さの割に読むのに時間がかかったので、働いているために本を読めなくなっている人が、この本を読むのは一層ハードルが高い気がして矛盾を抱えているように感じた。

    2
    投稿日: 2024.08.14
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    社会人1年目。 タイトルのとおり、本は好きなんだけど読めなくなった。スマホゲームは続けられるのに。 働き方と読書の歴史、非常に面白かった。 本を読むことの意味が少しずつ時代を経るにつれて変化していく。 やっぱり、最後にある著者の働き方への提案が何より面白い。私はその生活に必要な要素にかける時間や労力のバランスを意識、尊重できる社会に生きたいと感じた。社会人1年目であるのに高い理想を持ちすぎたかもしれないが。 大学時代は文学部で社会に直接は役に立たないと周りには思われがちな学問を選んだ。私は昔から「すぐ役立つ効率的な情報」よりも「人がノイズだと思うようなこと」が好きだったのだと思う。これからもノイズをバランスよく楽しんでいきたい。

    5
    投稿日: 2024.08.14
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    このレビューはネタバレを含みます。

    ノイズを許容できない生活は、ある意味情報化社会の必然かもしれないが、最適化し過ぎる危険性のようなものになるのではないかと、思い至った。

    3
    投稿日: 2024.08.14
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    このレビューはネタバレを含みます。

    端的にいうと、働く時間の長さから心身ともに余裕がなくなり、読書というノイズ(求めている情報だけでなく、周辺知識も含めインプットする行為)に時間を充てられない現状があるため、肩の力抜いて働いていきましょうよという話。 実際にフルタイムで働いてないから分からないけど、多忙を極める先輩たちのなかでも、読書や映画の時間だけは必ず確保している人はいるので、本書の結論には少々懐疑的。 どちらかというと働き方よりも、本以外の選択肢(頭をシャットダウンできる、いわゆる時間を溶かせる娯楽)が増えすぎたことにあるような気がする。

    6
    投稿日: 2024.08.14
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    本のタイトルに惹かれて購入。 また、他の本の宣伝で紹介を受けて決断した。 なんとなく気になる一冊、著者も30歳そこそこの方であるが切り込む角度が非常に面白いと感じた。 世の中の流れと、こうあるべきとスパンと言い切ってしまう強さが気持ち良い。 全身全霊で働いてきて他を顧みる余裕がない。本を読む余裕がない。これからは半身半霊で働き人生の決め事は自分で決断していくと言うのは良いことだと感じる。

    3
    投稿日: 2024.08.14
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    これは、すべての労働者に読んで欲しいと思わせられた一冊です!タイトルから想像する内容よりも、はるかに深いなぁと感じました。本は江戸時代は、『朗読』するもので、『黙読』するようになったのは明治になってから!紙代が高くなり、少ない紙で売れる本を発行するために考えられたアイデアが、既に売れている本の文庫化!『若者の読書離れ』と言われ出したのは実は70年台からといった豆知識はさておき、本・読書を通して、今の働き方を考える内容。『仕事は男女共に半身で働くべきだ』は、本当に深く刺さりました。

    10
    投稿日: 2024.08.14
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    このレビューはネタバレを含みます。

    労働と読書の関係について明治時代から現代にかけて考察し、現代の労働環境で本が読めない、余裕がない原因に迫っていく 歴史の話はとても興味深く、読書観の変遷もとても面白かった 後半は現代の働き方=仕事へのフルコミットが求められる社会へ言及し、「全身」からの脱却を提言する 読書に限らずとも、仕事以外の生き方も見つけるべきだし、その考え方も浸透してきているのではないかと感じる 本書もその流れの一冊として受け取った

    3
    投稿日: 2024.08.13
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    Twitterで話題になっていた本 薄っぺらい新書にありがち風なタイトルに対し、国内労働感の変遷と、それに対する「読書」のポジション変化を解説をしていく本。 国民の義務である労働に対し、その穴を埋めるようにシンボルとしての姿を変える読書。「読書」はアクションではなく生活なのだなと実感した。 結論は、現代に生き何者かになることを目指す労働者にとって必要なのは「情報」であり、ノイズを含む「知識」は必要とされていない。読書はノイズを多分に含むため、そのノイズを受け入れる余裕がない。というもの。 普段から自分が考えている「現代は情報と選択肢が多すぎて、ヒトの標準処理能力を超えてしまっており反動としてバグが起きている」という意見と概ね一致するように感じた。 本書では上述のノイズを「他者の文脈」と記しているのが印象的だった。自分一人の文脈だけでは、世界をリアリティを持って認識することは難しい。 なにか他者の作品に触れる際は、「消費」ではなく「他者の文脈を自己に組み入れる」という意識が重要なのだろう。また、その対象は読書であれ、漫画であれ、映画であれ、仕事の成果物であれ、他者の表現物ならばなんでも良いと思う。 いい本だった。

    3
    投稿日: 2024.08.13
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    最終章だけ読めば、だいたいの内容は把握できるかと。 労働と読書の歴史を長々と丁寧に説明してあるのは興味深かった。 が、結局は、仕事が忙しくてノイズであるところの読書までする余裕がないーっていう結末は、なんだかなぁ。

    0
    投稿日: 2024.08.13
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    日本の読書がその時代を反映して変化してきたこと(読書の歴史)が書かれていて興味をもって読み進めました。 〇明治時代  ・自分の好きな本を読めるようになった  ・立身出世機、労働を煽る自己啓発書   ・・・『西国立志編』  ・階級格差 〇大正時代  ・社会不安と宗教/内省ブーム  ・辛いサラーリマン・・・『痴人の愛』  ・エリート学生の教養主義 〇昭和戦前・戦中  ・日本最初の”積読”・・・『現代日本文学全集』  ・日本最初のセット・・・『円本』 〇1950~60年代  ・サラリーマン小説  ・紙の高騰・・・『文庫』  ・ビジネス無目ハウツー本  ・『新書』 〇1970年代  ・サラリーマンが通勤電車と文庫本を読む  ・・司馬遼太郎・・・『竜馬が行く』            『坂の上の雲』 〇1980年代  ・コミュ力  ・・・『BIG tomorrow」  ・「僕」と「私」・・・『窓際のトットちゃん』             『ノルウェイの森』             『サラダ記念日』  ・カルチャーセンター 〇1990年代  ・経済の時代、自己啓発書   ・・・『脳内革命』  ・読書とはノイズである 〇200年代  ・労働で「自己実現」、仕事がアイデンティティ    ・・・『13歳のハローワーク』  ・インターネット、IT革命 〇2010年代  ・働き方改革、労働小説    ・・・『下町ロケット』『何者』『舟を編む』  ・娯楽が情報になる  ・他者の文脈を知る    本が読めなぬなっていている時代に、全身全霊をやめて、”半身で生きる”ことを著者は推奨する。  

    22
    投稿日: 2024.08.13
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    タイトルを見て「あるある」だと思って読んでみた一人です。読む前からたぶん結論はこうなるよね、と予想したとうりでした。 自分は80年代に際限なく会社で働くサラリーマンを見てきた年代なので、2000年代以降の働き方改革とゆとり教育の関係のあたりは興味ぶかく読みました。 最近仕事をやめて家事労働者になってみると、たしかに本をたくさん読んでいる。でもいきあたりばったりのノイズは雑誌をふくめた読書よりSNS経由でやってくるようになったなあと思う。 本を読むコツの、カフェ読書は試してみたい。 家では音読で睡魔に抵抗する。それでも眠いときはあきらめる。

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    投稿日: 2024.08.13
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    なぜ働いていると本が読めなくなるのか?について、日本の労働の歴史と読書史から考察した内容。 長時間労働が本が読めない理由だとしたら、昔から労働時間は長く、その理由ではないのだろうか。 本書は何のために本が読まれてきたかを検証している。 明治ー大正 エリートが立身出世のための修養 戦前ー戦後 大衆がエリートに追いつくための教養 〜高度経済成長期 娯楽 現代 情報取得→インターネットの方がノイズのない情報が得られる 読書をできるようにするための方法論の著者の結論は「半身で働く(生きる)」こと。 仕事、育児、家庭、などに全身全霊をかけない。全身全霊かけることが良いことだと思わない。 この著者の方法論のように、ゆとりを持って生きていきたいと感じる。

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    投稿日: 2024.08.13
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    ブクログでも注目が高く、著者もYouTubeで話題になっていたのでずーと気になっていました。 結論として、全身全霊で働くのを辞めて、半身で働くという社会構造の問題に一石を投じる内容でした。 読書をノイズと考え、ファウスト教養がもてはやされ、無駄な物が排除される現在ですが、個人的には無駄で不効率なものも人間味があって、とても大事だなぁと思います。

    64
    投稿日: 2024.08.12
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    前半は日本の出版業界から世相を読み解くで興味深かった。また読書文化がもともと自己啓発要素を内在していることも気付かされる。 後半の全身から半身へは毎日ヘトヘトなサラリーマンには響く内容。 数多くの参照し情報にとどまらない工夫、自己ツッコミのある親しみのある文体で作者のファンになりました。

    0
    投稿日: 2024.08.12
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    スマホゲームや配信サービスをする余裕はあるのに、読書がいっこうに進むまない・・・。現代社会で蔓延るこの現象はなぜ起きるのかという疑問を戦後の労働史と読書史を紐解きながら、どうしたら読書離れを止められるのか、どのような生活をしていけば良いのかを説いた本。 小説紹介のけんごさんのYouTubeで紹介されていた本で、全身全霊での働き方から半身での働き方にシフトしていくことが奨励されている。読書はノイズをも楽しむことが出来るという視点はとても面白かったです。ノイズを切り取り自分たちが欲しいところだけを取り出したのが「情報」であるという所で、ノイズをも楽しめるというのはなるほどなと思いました。そのノイズを楽しむのは自分自信に余裕がないと出来ないというところ、それは働き方に対して全身全霊になってしまうと余裕を持つことは出来ない、そんな全身全霊の働き方はいつか自分自身を鬱病に追い込んでしまう。そしてそれを引き起こしてしまうのは他でもない自分自身であると言うところがとてもハッとさせられました。これからの時代は働くことと余暇を持つこと、この2つを忘れないように日々の楽しみを本当の意味で楽しめる様にしていきたいと思いました。

    59
    投稿日: 2024.08.12
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    [筆者の主張] 読書が、教養や業務上の利点でなく、1970年代から娯楽となったこと。 また、現代の、新自由主義の思想から自己に投資し行動すること至上主義となり、自分から遠く離れた文脈に連れていく読書がノイズとなったこと。 この2点により、ノイズの除去された飲み込みやすい情報であるスマホには向かうことが出来るが、読書は出来なくなっている。 全身全霊で自分を消費する生き方・働き方をやめて、半身で必要なことに取り組むことを提唱。 [私の違和感] まぁそうだとも思うが、人々の、他人への要求を下げることから始めなければいけない。 他人が費やした犠牲になどには少しも注意を払わず、ただアウトプットの質しか見ない人はあまりにも多いから、全身全霊を仕事に傾けざるを得ない印象がある。 最後に。 やはり社会科学者と政治家は、非常に相性が良いと感じた。 自分の論拠と合う事象を優先的にピックアップして、こうなんだよ、とストーリー付けして、人々を扇動していく。 その方向性がどんな意図を持っていそうか、常に考えながら、文章を読む必要がある。

    2
    投稿日: 2024.08.12
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    普段あんまり本を読まないけど、サラサラと読めて面白かった。 私も作者と同じく、"半身"の考え方にはとても賛同だが経済成長をしていく上で"全身全霊"で働く必要性があるので、みんながみんな"半身"だとうまく回らなくなるのだと思う。

    1
    投稿日: 2024.08.12
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    働き始めて本読めないな〜って思いながら読んだ 本の中身はどちらかというと読書史、と労働史を紐づける内容だった。 最近YouTubeで本の読む力で「読書筋力」という言葉に出会い、それを踏まえつつ、本書での学びを活かし、充実した読書ライフを送りたい

    6
    投稿日: 2024.08.11
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    現代の話と思いきや労働と読書(情報)の歴史を紐解いてる本だった 後半になると現代の話になるのだが、僕らは仕事に全身全霊をかける全身社会にいるから、仕事以外の文脈を離れた、そしてノイズの入った読書ができなくなり、ノイズのない短絡的な情報をインターネットで手に入れるようになってきていると書かれていた。 連休になるまで気になっていたけど、この本を手に取れず、そして読書をしたいのに、余裕がなくてここ数ヶ月本を読めなかった自分には身につまされた。 仕事に全身浸かりすぎて、本当にしたかったことにあまりに時間がかけられていない、それがすごくストレスになっていたことに気がついたし、連休明けから働き方を見つめ直そうと思えた

    2
    投稿日: 2024.08.11
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    読書術の本と思って手に取りましたが、少し違う内容でした。 著者自らの経験から、なぜ働きながら読書をすることができないのかということに疑問を持ち、明治時代以降の時代性・風潮・世論などと、その当時のベストセラーを取り上げながらその時代を読み解いていこうという、個人的にはとても興味がある内容でした。その時代の捉え方が他の専門家の方々から見ると的はずれなこともあるかもしれませんが、読書が好きなかたから見れば、とても印象に残るものだと思います。最終的な主張は、なかなかすぐにできることではないのかもしれませんが、今読書を楽しむことができるのは、これまでの蓄積があったことは間違いありません。一方で、個人的にも働きながら読書ができる環境が築けていること、このブクログというサービスを通して、多くの方々との交流をし、刺激を受けている現状はとても心地よいものだと改めて感じさせてくれる、良書だと思いました。 ▼そもそも読書の効用や方法について何の疑いも挟まなければ、「読書術」なんて必要ないはずなのだ。しかし読書がほかの娯楽に圧迫されているからこそーとくに「教養」を受け取るための勉強的な読書であればあるほどー「読書術」がこの時期に刊行されていた。  背景にはテレビや映画の普及、そしてなにより、長時間労働の存在が大きかった。 ▼自己啓発書は「ノイズを除去する」姿勢を重視している。  ノイズのなさ。これこそが自己啓発書の真髄なのだとしたら。自己啓発書が売れ続ける社会、牧野の言葉を借りれば「自己啓発書が書店に居並び、その位置価を浮上させるような社会とは、こおような感情的ハビトゥスが位置価を高め、また文化資本として流通するような社会」(同前)は、ノイズを除去しようとする社会のことを指す。  前述したように<行動>を促すことが自己啓発書の特徴だとしたら、自己啓発書が売れる社会とはつまり、ノイズを除去する行動を促す社会なのである。 ▼ノイズの除去を促す自己啓発書に対し、文芸書や人文書といった社会や感情について語る書籍はむしろ、人々にノイズを提示する作用を持っている。  知らなかったことを知ることは、世界のアンコトローラブルなものを知る、人生のノイズそのものだからだ。  本を読むことは、働くことの、ノイズになる。  読書のノイズ性ーそれこそが90年代以降の労働と読書の関係ではなかっただろうか。 ▼従来の人文知や教養の本と比較して、インターネットは、ノイズのない情報を私たちに与えてくれる。 ▼インターネット的情報と自己啓発書の共通点は、読者の社会的階級を無効化するところだ。 ▼読書は欲しい情報以外の文脈やシーンや展開そのものを手に入れるには向いているが、一方で欲しい情報そのものを手に入れる手軽さや速さではインターネットに勝てない。 ▼問題は、読書という、偶然性に満ちたノイズありきの趣味を、私たちはどうやって楽しむことができるのか、というところにある。 ▼今の自分には関係のない、ノイズに、世界は溢れている。  その気になれば、入り口は何であれ、今の自分にはノイズになってしまうようなー他者の文脈に触れることは、生きていればいくらでもあるのだ。  大切なのは、他者の文脈をシャットアウトしないことだ。  仕事のノイズになるような知識を、あえて受け入れる。  仕事以外の文脈を思い出すこと。そのノイズを、受け入れること。  それこそが、私たちが働きながら本を読む一歩なのではないだろうか。 ▼読書とは、「文脈」のなかで紡ぐものだ。 ▼自分から遠く離れた文脈に触れることーそれが読書なのである。  そして、本が読めない状況とは、新しい文脈をつくる余裕がない、ということだ。自分から離れたところにある文脈を、ノイズだと思ってしまう。そのノイズを頭に入れる余裕がない。自分に関係のあるものばかりを求めてしまう。それは、余裕のなさゆえである。だから私たちは、働いていると、本が読めない。  仕事以外の文脈を、取り入れる余裕がなくなるからだ。 ▼長時間労働は高度経済成長を成功させた日本企業の必要悪だったのかもしれないが、現代の私たちにとって、その働き方は会っていない。  私たちはいまだに非効率な長時間労働を抱えて生きている。それが「仕事以外の文脈を取り入れる余裕のない」すなわち働きながら本が読めない社会をつくってしまっているのだ。 ▼21世紀を生きる私たちにとっての問題は、新自由主義社会の能力主義が植えつけた、「もっとできるという名の、自己に内面化した肯定によって、人々が疲労してしまうこと」なのだ。 ▼半身のコミットメントこそが、新しい日本社会つまり「働きながら本を読める社会」をつくる。本書の提言はここにある。 <働きながら本を読むコツ> ①自分と趣味の合う読書アカウントをSNSでフォローする ②iPadを買う ③帰宅途中のカフェ読書を習慣にする ④書店へ行く ⑤今まで読まなかったジャンルに手を出す ⑥無理をしない <目次> まえがき 本が読めなかったから、会社をやめました 序章 労働と読書は両立しない? 第1章 労働を煽る自己啓発書の誕生―明治時代 第2章 「教養」が隔てたサラリーマン階級と労働者階級―大正時代 第3章 戦前サラリーマンはなぜ「円本」を買ったのか?―昭和戦前・戦中 第4章 「ビジネスマン」に読まれたベストセラー―1950~60年代 第5章 司馬遼太郎の文庫本を読むサラリーマン―1970年代 第6章 女たちのカルチャーセンターとミリオンセラー―1980年代 第7章 行動と経済の時代への転換点―1990年代 第8章 仕事がアイデンティティになる社会―2000年代 第9章 読書は人生の「ノイズ」なのか?―2010年代 最終章 「全身全霊」をやめませんか あとがき 働きながら本を読むコツをお伝えします

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    投稿日: 2024.08.11
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    冒頭から「花束みたいな恋をした」の麦と絹のすれ違いが何なのかが示される。この著作の中では、麦は働いているから本が読めなくなる人の代表である。 今本が読めなくなっているのはなぜか。その考察のため、現代に至るまでの働く人たちがどんな本をどのように読んできたのかが、歴史を追って述べられる。 働いていると本が読めない状況を脱するにはどうすれば良いのか。著者は「半身で働く」ことを提唱する。ただ、読めないと思っているのか読まないのか、そこには大きな溝があるのではないか。読むつもりはあるが読めないと感じている人には有効かもしれないが、もともと読むつもりのない人はどちらにしても読まないだろう。そもそもこの本を読まないだろうと思うし。

    3
    投稿日: 2024.08.11
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    ゆる言語学ラジオの、読書回を終盤直前まで聴いた直後に読了。これから、買った本はドッグイヤーしまくろう。水野さんのように。 ……と、読み終わって上を書いて、ポッドキャストを最後まで聴いたら、水野さんこそこの本を読んでいた。

    2
    投稿日: 2024.08.11
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    このレビューはネタバレを含みます。

    「働きながら本を読める社会。それは、半身社会を生きることに、ほかならない。」(p264) 「まずはあなたが全身で働かないことが、他人に全身で働くことを望む生き方を防ぐ。あなたが全身の姿勢を称賛しないことが、社会の風潮を帰るの。本書が提言する社会のあり方は、まだ絵空事だ。しかし少しずつ、あなたが半身で働こうとすれば、現代に半身社会は広がっていく」(p265) たとえば、生身の人間や動物の命と関わる仕事、天候や自然と対峙しながら資源を獲得するような仕事では、「半身で働く」がどう実現されるのだろうか。意外とすでに実現されているのだろうか。 エッセンシャルワーカーが安定した賃金を貰え、半身で働け、本を読める社会にしたい。 あと、この本を読んだおかげでブクログの存在を思い出した。笑 下半期は意識して読書に取り組みたい

    2
    投稿日: 2024.08.11
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    このレビューはネタバレを含みます。

    まさに仕事が忙しかった?この3ヶ月読書ができなかったので思わずこの本を取ってしまった。 読書史と労動史の本。個人的には後半部分が刺さった。 1990年代後半以降、バブル崩壊後の景気後退により、自分のキャリアを自分で考える必要が生じた。同時に、仕事での自己実現が重視され、「仕事を通じて自己実現するべきである」という新自由主義的な考えが広まった。その結果、人々は仕事に自分の存在意義をかけるようになり、仕事の成功が個人の存在にとって非常に重要なものとなった。 しかし、仕事がうまくいかないことも多いため、自分がコントロールできる行動に集中し、それ以外を切り離すという対処法が普及することになった。インターネットは、自己や社会の複雑さに目を向けることのない、安直で大雑把なものであり、この「必要な情報に集中し、ノイズを排除する」姿勢と相性が良い。読書とさは予想していなかった偶然出会う情報や展開がある。その結果、ノイズが多いと感じる本を読むことが難しくなっていったのである。 新自由主義とは決して外部が人間を強制しようとしているものではなく、競争心を煽ることであくまで自分から戦いに参加させようとしているものなのだ。なぜなら新自由主義とは、自己責任と自己決定を重視するからだ。それを続けた結果どうなるのか?疲れるのである。「働きながら本を読めなくなるくらい全身全霊で働きたくなってしまう」ように個人が仕向けられているのが、現代社会なのだ。 この3ヶ月振り返るとまさに「本が読めなくなる」(つまり仕事に傾注しすぎ)だったと思う。 私にとって最近の読書とは娯楽として楽しむことよりも、情報処理のために読んでいることに近い。他者の文脈を余白を大切な時間としたい。

    3
    投稿日: 2024.08.11
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    日本のベストセラー史を、日本人の働き方あるいは仕事哲学の変遷と照らし合わせながら論じる部分がメイン。 このような論じ方は、ともすれば牽強付会になりがちなのだが、この著者は読書家を自認しているだけあって、多数の文献を渉猟し、それなりに納得のできる立論になっている。 巻末に参考文献一覧が掲載されているが、このサイズの新書で、これだけの参考文献が挙がっているのは珍しいのではなかろうか。 このようなテーマで語ると、最後は仕事論になるのだな、と思う。 著者が主唱する「半身で働く社会」への道は遠いけれども、半身で働く労働者が多数派になる世の中は、いつか到来するのかもしれない。 個人的な話をすれば、今は以前と比べて仕事量が落ち着いているのだが、それでも時期によっては多忙であり、「片付けなければいけない仕事」がしばらく心に引っ掛かっている状態だと、読書が進まない傾向がある。 読書の面からみれば、そうした「仕事しなければ」という気持ちがノイズともいえるだろう。 かといって、仕事をしないで生きて行くこともできず、とかく人の世はままならない。

    5
    投稿日: 2024.08.09
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    本を読みまくっているフルタイムワーキングマザー(こども3人)なのでタイトルの意味が分からず、読む必要性も感じなかったが話題なので読んでみた 勿論ワタシは半身しか働いていない 半身はプライベートと読書、志事(書くこととボランティア)をしたいと思っているから

    2
    投稿日: 2024.08.09
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    このレビューはネタバレを含みます。

    同い年の著者…感覚が非常に近いのか、共感とともに読みました。 結論は全身全霊をやめて、半身で働く世界。そして、働いていも本が読める世界を目指したい。 という内容でした。 現代社会は、働くことのできる「全員」に「全身」の仕事へのコミットメントを求めている。 これには、資本主義、新自由主義に原因を求めています。 日本の社会が長時間労働を求めることもそうだが、企業が強制をやめても、長時間労働がなくならない、という話が恐ろしかった。 21世紀を生きる私たちにとっての問題は、新自由主義の能力主義が植え付けた、「もっとできるという名の、自己に内面化した肯定によって、人々が疲労してしまうこと」なのだ。 自由はなにより優先されるべきと言われた20世紀を経て、21世紀の今、実は自由によって私たちは鬱病を罹患することもある。そんなパラダイムシフトが今、起こっている。 あとは、13歳のハローワークがでてくるところ 好きなことを仕事にが正しいという価値観がゆとり教育の時代に出てきて、それがニートを増やすことにもなった。というのもなるほどなぁという気がした。

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    投稿日: 2024.08.08
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    本をもっと読もうという啓発的な内容ではなく、現代の仕事に対する問題点を読書という切り口から説く本です。 日本における労働の歴史を紐解いて、現代の社会人がなぜ本を読まないのかを論じています。 私はなるほどと納得できましたが、歴史の教科書的な内容が長く、それこそこの部分が多くの社会人にとって「ノイズ」となるのでしょう。 この本が一番主張したい提案は素晴らしいものですが、その提案を一番届けたい社会人はそもそもこの本を読まないのだろうなと思うと切なく感じます。 ブクログなどの感想サイトに毎回感想を投稿するような読書家よりも、全身全霊で仕事に明け暮れるような普段本を読まない人に読んでほしいと考えられる本なので、あとがきの内容に対してそんなの当たり前だろうと一蹴するのは少々意地悪な気がします。

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    投稿日: 2024.08.08
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    日本の読書の歴史から現代を紐解いていくのが興味深かった。 スマホは自分の欲しい情報だけ提供してくれる。ただ、読書は欲しい情報を得るためにノイズも受ける必要がある。だから働いていると本が読めなくなる。 私はこの本を読んで、ノイズも楽しめるような余裕のある人間になりたいと思った。半身で働くことが当たり前の社会をみんなで作り上げたい。

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    投稿日: 2024.08.08
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    【感想】 なぜ本は1ページも読めないのに、スマホは何時間もいじってしまうのか?仕事から帰ってきてすることといえば、大した情報も載っていないSNSやYouTubeをブラウジングするばかりだ。ネットよりも数倍楽しくてためになることが本の中に眠っているのに、つい横になって時間を浪費してしまう。 GfKジャパンによる「読書頻度に関するグローバル調査」(2017年)によると、日本の読書頻度は調査対象の17ヵ国中15位。4割の人々はひと月に1回も本を開いていないという。私自身は働きながらも本をガンガン読めているのだが、仕事が忙しい日には脳が疲れてしまい、簡単な情報しか追えなくなってしまうのも事実である。 そうした「本を読めない/読む時間が無い」という現代人の悩みに答えるのが、本書『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』だ。明治時代からの「読書史」および「労働環境」の関係を振り返りながら、「働いていると本が読めなくなる理由」についての考察を深める一冊となっている。 「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」について端的に結論を述べてしまうと、「仕事に追われているから」だ。仕事に全力を捧げていると、読書に含まれる「知識」「教養」等の自身を豊かにする「ノイズ」が邪魔に感じられ、頭を使わない「情報」だけを摂取するようになってしまうのだ。 こうした現状に対して筆者が提案する解決策は非常にシンプルで、「全身全霊で働かないことを目指す」というものである。本が読めない状況=仕事以外の文脈を取り入れる余裕がない状況なのだから、仕事に全力でコミットすることを止めればいい。そうすれば仕事に半身を、読書にもう半身を預けられるようになる。人生を仕事の延長線上に置いてシンプルな生活を目指すのではなく、複雑なノイズの中に置くことを心がける。「仕事の手を抜く」と言ってしまえば少し抵抗があるが、他者の文脈に触れ人生を豊かにするための行動と考えれば、お給料以上に意義のある営みに思えてこないだろうか。 ――――――――――――――――――――――――― 以上が本書の一部まとめである。 本書を読んだ感想だが、「読書」と「情報」の分析がだいぶ雑だ。筆者の主張は「読書はノイズが含まれるアンコントローラブルなエンタメであり、それは自己啓発書に代表される『非ノイズ主義=コントロールできる行動に注力する姿勢』と相反しており、現代社会における『労働第一』の価値観のせいで読書体験が邪魔なものだと思われているから、本が読まれない」ということなのだが、そもそもどのような性質のコンテンツが「ノイズ」で、どれが「取るに足らない『情報』」なのかを定義していない。筆者が下等に見ている自己啓発書にしても、大衆小説と比べてノイズ性が低いとは一概に言えず、決して「コントローラブルな情報」とは断定できないだろう。(教養を主体とする人文書に比べて頭を使わないジャンルなのは確かだが。) 本書は「読書史」を検証するにあたって、本のジャンルを2軸から語っていた。一つはその時代に流行っていた小説、雑誌、エッセイといった「娯楽本」であり、もう一つは修養・教養を重視する「ビジネス本」である。明治時代から1990年代まではこの括りの中から見えてくる国民精神を解説していくのだが、何故か2000年代以降から「ビジネス本」にしかフォーカスを当てず、「読書は情報摂取という目的に追いやられてしまった」と結論づけている。現代のビジネス本が「教養」ではなく「情報」重視になっていることは否定しないが、それはあくまで「ビジネス本」の範疇(=本全体のうちの一部のジャンル)だけで起こった変遷ではないだろうか。 そもそも、本書は本の「娯楽性」に着目しておらず、小説やエッセイ、ノンフィクションを読む層を検討から除外している。労働環境が転換する以前の1960年代・70年代には、サラリーマン大衆小説や時代小説も一定の売上があった。2010年代以降は、書籍全体の売上は落ちたものの自己啓発書の売上は一定を保っているわけだが、果たして小説、エッセイ、ノンフィクションを読む層はどこに消えてしまったのか?労働に根ざしたものでない純粋な読書をする層の検証をしなければ片手落ちに感じてしまう。 加えて、本書全体にわたって「読書以外の娯楽」にフォーカスしていないのもだいぶ致命的である。 筆者は終始『花束みたいな恋をした』のワンシーンを引き合いに出しているが、このシーンから読み取れるのは「仕事が忙しくなり本を読まなくなった」ではなく、「仕事が忙しくなり、読書が簡単な娯楽に置き換わった」だろう。統計調査で、読書量が減った人(35.5%)のうち半数近くが「仕事や家庭が忙しくなったから」だと答えているが、実際には今の20代は1日あたり平均3時間半近くスマホをいじっている。読書に当てる時間が完全に仕事や家事に置き換わっているわけではない。ならば、検証すべきは「なぜ働いていると本を読まずに違う娯楽をしてしまうのか」である。余暇時間がどこに振り分けられているかは「読書離れ」を検証するうえで必須だと思うのだが、それが全くなされていなかった。 読書以外に娯楽の多様性が増えた、そして「ノイズ」となりえる知識は読書以外の方法で摂取するようにシフトした、という可能性を無視してはならないと感じた。 ――――――――――――――――――――――――― 【まとめ】 1 明治時代 日本の労働が現代の様式と近くなったのは、労働という言葉が使われ始めた明治時代――日本が江戸幕府から明治政府へその政権を移し、そして欧米から取り入れた思想や制度によって近代化を成し遂げようとした時代だった。このときから日本人の働き方はすでに長時間労働であり、鉄工業労働者は1日13〜16時間も働いていた。 活版印刷が日本で普及し始め、朗読から黙読の文化に移り変わったのもこのころだった。現代の私たちが想像する「読書」の原型が生まれた時代だったといえる。 1871年(明治4年)に刊行された『西国立志編』は欧米の成功者の伝記を翻訳した本であるが、明治末までに100万部を超えるベストセラーとなった。『西国立志編』が打ち出した「修養」の思想はまさに「男性たちの仕事における立身出世」のノウハウであり、自己啓発書というジャンルの先駆けであった。 2 大正時代 大正時代、国力向上のために全国で図書館が増設されると、日本の読書人口は爆発的に増大した。書店の数も急速に増加し、明治末の3000店から昭和初期には1万店を超えるようになる。 一方で大正時代のベストセラーは、自己の改良よりも自己の苦しみに目を向けたものが多かった。宗教書、社会主義の啓蒙書といった重ためのジャンルの本が売れていた。日露戦争の増税や戦後恐慌による不景気によって、社会不安が増大した時代だったからだ。サラリーマンという雇用形態が生まれ、「安月給による苦しい労働者」というイメージが作られたのもこの時代である。 大正時代には、労働者階級とエリート階級との間に自己啓発の概念の違いが生まれた。行為を重視する「修養」と、知識を重視する「教養」が分離したのだ。「教養」=エリート=サラリーマン等の新中間層が身につけるもの、「修養」=ノン・エリート=田舎の労働者が実践するもの、といった図式が生まれていった。現代の私たちが持っている「教養を身につけることは自分を向上させる手段である」といううっすらとした感覚は、まさに「修養」から派生した「教養」の概念によるものだった。 その担い手となったのが「中央公論」を代表とする「総合雑誌」と呼ばれる教養系雑誌であった。 3 高度経済成長期前後――1950〜70年代 大正時代から戦前、「教養」はエリートのためのものだった。 だが戦後、じわじわと労働者階級にも「教養」は広がっていく。それはまさに、労働者階級がエリート階級に近づこうとする、階級上昇の運動そのものだった。 1950年代、中学生たちはふたつの進路に分かれざるをえなかった。就職組に入るか、進学組に入るか。1955年(昭和30年)には高校進学率が51.5%になっていた。2人に1人が就職する時代だ。結果的に高校進学率が低かった時代と比較して、家計の事情から就職せざるをえなかった人々の鬱屈は増した。 その鬱屈ゆえに、定時制高校に働きながら通う人々は増えた。50年代半ばまでに50万人を超えた「働きながら高校に通う青年たち」が求めたのは、「教養」だったのだ。教養は、家計の事情で学歴を手にできなかった層による、階級上昇を目指す手段だった。学歴が階級差として存在していた当時、そこを埋めるのは、教養を身につけることだったのである。 一方で、高度経済成長期は日本史上最もサラリーマンが労働をしていた時代であった。1960年の労働者1人あたりの平均年間総実労働時間が2426時間。2020年が1685時間なのだから、現代の1.5倍近く働いている。 しかし、過酷な労働のおかげで、サラリーマン向けの大衆小説やビジネスマン向けのハウツー本――英語力や記憶力を向上させる本――がヒットした。日本の読書文化を結果的に大衆に解放したのが高度経済成長期だったのだ。 高度経済成長期が終わった1970年代になると、日本企業の社員評価の基準が変わる。企業が期待するサラリーマンであってくれるための努力を、社員が勤務時間外に自発的におこなうこと――「自己啓発」という概念が生み出されていった。 4 バブル前後――1980~90年代 1980年代はバブル景気であり、出版業界の売上も右肩上がりであった。 80年代の自己啓発書には、今までの「教養」重視から「コミュニケーション能力」「処世術」を重視するような転換が見られた。 また、80年代はカルチャーセンターを通じて、それまで男性たちの間で閉じられてきた「教養」が女性たちに開かれた時代でもある。 1990年代の自己啓発書は、「内面のあり方」ではなく、読んだ後読者が何をすべきなのかという「行動」を明示するようになった。1990年代は終身雇用の神話が崩壊し、バブル経済以前の一億総中流時代が終わりを迎え、新自由主義的な価値観を内面化した社会が生まれつつあった。ここにおいて、「自分のキャリアは自己責任でつくっていくもの」という価値観が広がっていくことになった。 5 読書は「ノイズ」とみなされた 1990年代後半以降、とくに2000年代に至ってからの書籍購入額は明らかに落ちている。しかし一方で、自己啓発書の市場は伸びている。 出版科学研究所の年間ベストセラーランキング(単行本)を見ると、明らかに自己啓発書が平成の間に急増していることが分かる。1989年(平成元年)には1冊もなかったのに対し、90年代前半はベスト30入りした自己啓発書が1~4冊、1995年に5冊がランクイン、1996年には『脳内革命』と『「超」勉強法』がランキングの1、2位を独占した。この後の2000年代もこの勢いは続いた。 90年代はまさに自己啓発書のはじまりの時代だったといえる。 自己啓発書の特徴は「ノイズを除去する」姿勢にある、と社会学者の牧野智和は指摘する。 自己啓発書は、自己のコントローラブルな行動の変革を促そうとする。つまり他人や社会といったアンコントローラブルなものは捨て置き、自分の行動というコントローラブルなものの変革に注力することによって、自分の人生を変革する。それが自己啓発書のロジックである。 そのとき、アンコントローラブルな外部の社会は、ノイズとして除去される。自分にとって、コントローラブルな私的空間や行動こそが、変革の対象となる。 コントロールできないものをノイズとして除去し、コントロールできる行動に注力する。それは労働市場に適合しようと思えば、当然の帰結だろう。 だとすれば、ノイズの除去を促す自己啓発書に対し、文芸書や人文書といった社会や感情について語る書籍はむしろ、人々にノイズを提示する作用を持っている。 本を読むことは、働くことのノイズになる。読書のノイズ性――それこそが90年代以降の労働と読書の関係ではないだろうか。 スマホゲームをはじめとするコントローラブルな娯楽、既知の体験の踏襲は、知らないノイズは入ってこない。対して読書は、何が向こうからやってくるのか分からない、知らないものを取り入れる、アンコントローラブルなエンターテインメントである。 1990年代以前の〈政治の時代〉あるいは〈内面の時代〉においては、読書はむしろ「知らなかったことを知ることができる」ツールであった。そこにあるのは、コントロールの欲望ではなく、社会参加あるいは自己探索の欲望であった。社会のことを知ることで、社会を変えることができる。自分のことを知ることで、自分を変えることができる。 しかし90年代以降の〈経済の時代〉あるいは〈行動の時代〉においては、社会のことを知っても、自分には関係がない。それよりも自分自身でコントロールできるものに注力したほうがいい。そこにあるのは、市場適合あるいは自己管理の欲望なのだ。 6 情報の増加と読書の減少――2000年代 2000年代の労働者の実存は、教養ではなく労働で埋め合わせるようになっていた。好きを活かした仕事、やりたいことに沿った進路決定など、自分の人生全体を労働と直結する動きが見られるようになる。 2000年代、インターネットというテクノロジーによって生まれた「情報」の台頭と入れ替わるようにして、「読書」時間は減少していた。「情報」と「読書」のトレードオフがはじまっていたのだ。 読書で得られる知識と、インターネットで得られる情報に、違いはあるのか? 「読書」の最も大きな差異は、前章で指摘したような、知識のノイズ性である。 つまり読書して得る知識にはノイズ――偶然性が含まれる。教養と呼ばれる古典的な知識や、小説のようなフィクションには、読者が予想していなかった展開や知識が登場する。文脈や説明のなかで、読者が予期しなかった偶然出会う情報を、私たちは知識と呼ぶ。 しかし情報にはノイズがない。なぜなら情報とは、読者が知りたかったことそのものを指すからである。コミュニケーション能力を上げたいからコミュニケーションに役立つライフハックを得る、お金が欲しいから投資のコツを知る。ノイズの除去された知識、それが「情報」なのだ。 7 働いていると、読書が邪魔になる――現在 現在では、速読本や読書術本の流行によって、読書を「娯楽」ではなく処理すべき「情報」として捉えている人の存在感が増している。労働のためには、読書に含まれる「ノイズ」は邪魔であるのだ。 しかし、現実の世界には、今の自分にはノイズになってしまうような「他者の文脈」が溢れている。入口が何であれ、他者の文脈に触れることは生きていればいくらでもある。 大切なのは、他者の文脈をシャットアウトしないことだ。 仕事のノイズになるような知識を、あえて受け入れる。 仕事以外の文脈を思い出すこと。そのノイズを、受け入れること。 それこそが、私たちが働きながら本を読む一歩なのではないだろうか。 自分から遠く離れた文脈に触れること――それが読書なのである。 そして、本が読めない状況とは、新しい文脈をつくる余裕がない、ということだ。自分から離れたところにある文脈を、ノイズだと思ってしまう。そのノイズを頭に入れる余裕がない。自分に関係のあるものばかりを求めてしまう。それは、余裕の無さゆえである。だから私たちは、働いていると、本が読めない。 仕事以外の文脈を、取り入れる余裕がなくなるからだ。 働きながら、働くこと以外の文脈を取り入れる余裕がある社会。半身で働くことが当たり前の社会。それこそが「働いていても本が読める」社会なのである。わたしたちは全身全霊をやめ、様々な文脈の中に身を置いて生きる「半身社会」を目指すべきなのだ。

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    投稿日: 2024.08.07
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