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暇と退屈の倫理学(新潮文庫)
暇と退屈の倫理学(新潮文庫)
國分功一郎/新潮社
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総合評価

656件)
4.2
270
217
85
16
5
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    人間にとっての「暇」 「退屈」とは何か、退屈にどう立ち向かっていくべきかを哲学的に問いながら消費社会の現代を如何に生きるべきかを考える書籍。 暇(=何もする必要のない時間)、退屈(="何か"をしたいのにできない時間)と定義し、いかにして退屈を回避(本来の"何か"ではない娯楽・消費では更なる退屈を呼ぶ)することなく、退屈と向き合うという、生き方を説く。 あさま山荘事件で「マルクス主義が~」に疲れた脳に、本書でまた「マルクス主義が~」と出てきたのは苦しかったですが、マルクスやハイデッガーの哲学書、そしてその批判にもNoを突き付けながら思考・議論を深めていく内容はとても楽しく読むことができた。 自動化・効率化・最適化を推進するという仕事の結果生み出された暇で、この暇をどう再定義するかなど示唆になる部分もある。「忙しいのに満たされない(暇はないが退屈)」 「忙しくないし満たされない(暇はあるが退屈)」などを感じてる方には特にお勧めです。

    0
    投稿日: 2026.03.08
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    一見すると、暇と退屈は同じ意味として捉えられるが、哲学的には全く異なるものである。ラッセルの「幸福論」と「退屈論」が本書の中の一節で引用され語られているが、人々がパチンコにハマる理由が何となく分かって面白く感じた。また、ユクスキュルの「環世界」論は、自分が本書を手に取る前から漠然と考えていた事だったので、この理論はとても興味深い。

    0
    投稿日: 2026.03.07
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    とても面白かった! 〝〈人間であること〉を楽しむことで、〈動物になること〉を待ち構える“ 消費社会の奴隷にならず、開かれた世界を楽しみたい。

    0
    投稿日: 2026.03.05
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    國分先生の文章構成がとても読みやすく、哲学への興味をさらに広げてもらえました。 〜印象な話〜 貧困や戦争にははっきりとした外的原因がある。 あるいはそれか分かっている。しかし、日常的な不幸にはそれがない。なんとなく不幸であるのに、なぜだかが分からない。だからこそ逃れようにも逃れられない。そのことがこの不幸をますます耐え難くする… 平和ボケのような感じですね。日本の現代人にとっての社会問題だと思い、非常に興味深かったです。

    13
    投稿日: 2026.03.04
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    簡単なことを、難しく言っているのかと思い、読んでいるタイミングでは、ああなるほどと思ったりしたが、振り返るとよくわからなくなる。やっぱり難しいことを言っていたのだと思う。何度か読んでいて途中で、辞めては、また最初から読み直す。ある意味、一生読める本かもしれない

    0
    投稿日: 2026.03.01
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    まず思ったのは、「めっちゃおもしろいな」という率直な感想だった。暇とか退屈って、あまりにも身近で、なんとなく語り尽くされているようなテーマに見える。でも読み始めれば、人間の定住化という想像以上に大きなスケールの話から始まり、そこから現代の消費社会や生き方の倫理にまでつながっていく。その展開がすごくダイナミックで、個人的にはフィギュアスケートの演技を見ているような感覚があった。静かなテーマのはずなのに、思いがけない高さまでジャンプしていく面白さがあった。 特に印象に残ったのは、ハイデガーの退屈論だった。対象がつまらない第一の退屈に対して、第二の退屈は、何をしても満たされないような感覚が続き、世界全体が少し色あせて見える状態だという。この説明を読んだとき、自分のある時期の感覚と重なっているなと思った。 一昨年、大失恋をしたときのこと (当時は大失恋だと思っていた)。別れた後に自分に残ったのは、ぽっかりとした心の空白だった。もちろんそうなることは想定できていたが、その状態から抜け出すのは想定の幾億倍難しかった。毎日手帳を書いて気持ちが溢れださないように制御しながら、少し遠くまで出かけてみたり、何か新しいことをしてみたりして、新しい何かが始まって自分の心をどこかへ連れて行ってくれるのを待っていた。というか待つしかなかった。でもその全ては一時的な気晴らしにしかならなくて、何をしても結局同じ場所に戻ってきてしまう感覚があった。時間は進んでいるはずなのに、何も変わっていないような日々が続いていく。毎日がこの繰り返しならば、人生はなんて長い暇つぶしなんだろう、そう思ったことを覚えている。 さらに思い返すと、その時間にあった「待つしかない」という感覚は、悲しみというよりも、どこか静かな諦めに近かった。何をしても、この問いからは逃げきれないのだと分かってしまうような感覚だった。 そしてこの「諦め」の感覚は、失恋の時期だけでなく、自分の中に昔からある「自分をちゃんとしたいのに出来ない」というところから来る不安とも似通っていた。この先まだ生きていくなら自分のこういう部分を直さなければならない、これに立ち向かう勇気を持たなければいけない、そういうことを分かっていながらも、私はいつでも消費や小さな暇つぶしで先延ばしにする (何ならそうしている自分にも気づいている)。そしてまた結局我に返り、同じ問いに戻ってくる。その繰り返しは、まさに第二の退屈の感覚だったのだと思う。 この本を読んで、退屈をどう乗り越えるべきかという答えが得られたわけではない。ただ、退屈に戻ってきてしまうこと自体が、自分の生き方を問い直している証なのかもしれない、という視点は残った。何をしてもまた同じ問いに行き着くという感覚は、時に諦めのようでもあるけれど、同時に、自分がまだその問いを手放していないということでもあるのだと思う。 退屈を完全に埋めることはできないし、これからも我に返っては同じ場所に立ち戻るのだろうと思う。それでも、そのたびに少しずつ違う見方をしたり、違う気持ちを持ったりするのかもしれない。そうやって退屈と行き来しながら生きていくこと自体が、人間らしく生きるということなのではないかと感じた。 退屈は避けるべきものというよりも、自分の問いに立ち戻るための感覚であり、もしかすると、自分が何を大事にしたいのかを思い出させてくれるものでもあるのかもしれない。そう考えると、退屈の中にも、ほんの小さな希望のようなものが含まれているのではないかと思った。

    2
    投稿日: 2026.02.24
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    退屈は個人的な弱さではなく、人類が長く向き合ってきたテーマなのだと気づかされる一冊でした。 本書を読んでまず感じたのは、退屈は自分だけの問題ではないという安心感です。 過去の人々も同じように退屈と向き合い、そこから哲学が生まれてきたのだと思うと、日常の感情が少し俯瞰できるようになりました。 特に印象に残ったのは、非定住社会から定住社会への移行という歴史的な視点です。 生きるために狩猟や農耕へ向けていたエネルギーが、やがて文明の発達へと向かったという論じ方は、とても刺激的でした。 退屈を単なる気分の問題ではなく、社会構造の変化と結びつけて捉える視点に、新鮮さを感じました。 また、かつては下流階級には暇や退屈がほとんどなく、上流階級だけがそれと向き合う術を持っていたという指摘も興味深かったです。 退屈が「贅沢な問題」であった時代があったことを知り、現代の自分の立ち位置も考えさせられました。 そして本書が提示する退屈の解決策としての「浪費」という考え方。 それは金銭的な贅沢ではなく、一つひとつの物事からより多くを受け取ろうとする態度のことでした。 この姿勢は、これからの生活の中で大切にしたいと思います。

    0
    投稿日: 2026.02.24
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    あんまり考えたことはなかったけど、自分はどんな時間の使い方をしてるかな、と改めて考えさせられました。

    0
    投稿日: 2026.02.22
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    読みながら思ったのはデンジ(『チェンソーマン』)のこと。苛酷な環境から抜け出したデンジが手にしたのが“暇と退屈”で解決策として求めたのが“モテる”こと。 ポチタはそれらを超越した存在なのだなぁ。 チェンソーマン、凄い(←え?) 林檎に手をのばすイヴだったり、(満たされた)現状に満足できなくなるのは人類の定めなのだろう。 指標の持って行き先が肝要なのだな。

    1
    投稿日: 2026.02.21
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    おもしろい 最初の数行でこれは時間かかってもいいからしっかり読みたいって直感して読み進めてったけど、数年経つと内容全然覚えてない… また読み返せるからこれは買っておいて良かった本

    0
    投稿日: 2026.02.19
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    とりあえず読み終えたことに満足。 面白いと思うところもないわけじゃなかったけど、私には勉強として読む感じでした。 でも、自分がこうしようと思っていたことが作者がこの倫理学の解決法とあげていたことに少しリンクしていたことが嬉しかった。その点から言うと、これからの人生を歩む勇気がもらえたなと思います。 また読み返すだろうな

    0
    投稿日: 2026.02.18
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    むずくて全然わからんなーと思ってたけど、おもんない飲み会の帰りに読んだらめちゃくちゃ何言ってるかわかった 全体的におもろいとことむずくてわからんとこが順番こにくる感じ

    1
    投稿日: 2026.02.18
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    退屈は人間にとって必要なものだった。 なぜなら移動→定住→文明の発展のように人間に退屈という感情、思考かな?が湧いたからこそ人間はその才をさまざまに生かしながら発達してきたから。他にも退屈を感じられるからこそ人間はより良く生きようと試みたり、新しいものを常に生み出そうとするから。 私自身は退屈がとても怖いと感じる。何もしていないと自分だけが置いていかれているような気持ちになる。これは一種の「とらわれ」?笑かもしれないけど。本書を読んで退屈は不快なものかもしれないけれど、悪いものではない気がする。退屈があれば、反対に自分が感じたいと思ったものに触れられるし、自分が吸収することができる。だから退屈と気晴らしが絡み合うこの人間の生を楽しみたいと思った。

    1
    投稿日: 2026.02.17
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    このレビューはネタバレを含みます。

    うーん、期待値が高かった分なんだかなぁという感じかな。 浪費と消費を区別して教養を身につけることによって贅沢に物を楽しもうという結論に対して納得感はないなぁ。 結局のところ『訓練して贅沢を楽しむ』なんてのは、自分たちが一般大衆とは違う『教養という高い記号』を持っていることを誇示したいだけの、特権階級のゲーム(文化的再生産)じゃないかと。 そういう教養を持ったと思っている人間こそが物を権威化したり率先して物を消費してるんじゃないかと思うんだが。 環世界移動能力の話もイマイチそうかなぁって感じ。 地質学者だって100人いたら100通りの環世界を持っているのに近似の世界を見ただけでそれは移動したと言えるのか? どうしてそれが盲導犬よりも移動能力が高いと言えるんだ?

    0
    投稿日: 2026.02.17
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    暇とは何か。退屈とは何か。それは本当に主観的な感情なのか。それとも、近代社会が構造的に生み出した状態なのか。 著者である國分功一郎は、古代から近代に至る思想史を横断しながら、退屈を倫理の問題として再定義する。 刺激過多の社会において、私たちは退屈を回避することに最適化されている。しかしその回避行動そのものが、実は退屈の深化である。この逆説が中々目から鱗。 退屈とは、世界との関係が断絶した状態であると同時に、新しい関係を開きうる契機でもある。刺激を消費し続けるのではなく、世界を再び見るための余白。それが退屈。 正直に言えば、私はこれまで「暇」や「退屈」について真剣に考えたことがほとんどなかった。むしろ忙しさを誇り、退屈を感じないことを美徳のように扱っていた。しかし本書を読んで気づく。 退屈を感じないのではない。退屈を感じないように訓練されていただけなのだと。 暇とは空白ではない。 退屈とは欠如ではない。 それらは、世界の見え方が変わる瞬間の入口なのかもしれない。 読後、自分の時間感覚がわずかにずれる。その“ずれ”こそが、この本の最大の効能である。 でも読んだ所でなにか倫理観が変わるのかといった全くそうでもない気がする。

    0
    投稿日: 2026.02.16
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    前半は歴史的・政治的な話が多くてスっと入ってこないところがあったけど、後半は日常生活に当てはまって面白くて一気に読んじゃいました⚑⚐゛︎︎︎ 特にハイデッガーの退屈の形式→環世界の話がすごく刺さった! 【 個人的なまとめ 】 ~ 退屈の種類 ~ ①第一形式…何かによって退屈させられること ⇒ 自分の今の生活にはほとんどない。例えば電車の時間(約15分)は仕事のお客様とのやりとりLINEと1日の振り返りを書くのに使うけどそれは自分にとって大事な時間で、そうじゃない時は本を読むようにしている。昔は退屈の気晴らしに携帯でSNSを見る毎日だったけどそれを辞めてからすごく有意義。大好きな仕事なので研修や会議も楽しくて、「引き止め」「空虚放置」はあまり感じない。暇の使い方◎ ②第二の形式… 何かに察して退屈すること ⇒ これはよくある。例えば、会社の飲み会や久しぶりに遊ぶ友達。好きな人達としか遊ばないけどそれでもどこか気を遣う自分がいて、気晴らしのはずなのになぜか疲れた気分になる時ある( ; ; )逆に心から気を許してる旦那とは、2人で1日中家にいる暇な時間も1日外に出てた日でも退屈だと感じることはあまりない ⇒これに対して結論で、物を楽しむことを訓練すると良いと書いてあった。 確かに。食事・音楽などの物を心から楽しめるようにしていきたいと思った。 ③第三の形式… 何となく退屈 ⇒ すごく納得したし、1番深い。今の仕事がすごく好きで、子供かできたとしても一生仕事を続けたい!! と思っているけど、それは何となく退屈になることを避けるための気晴らしなのかもしれないと。 でも結論に退屈の解決策として楽しむことが大事だとあったから、好きで没頭できることが仕事なのは有難いことだなと感じた。 「労働の奴隷」とマイナスよりな言い方もできるけど、私は今の自分の労働に関してはポジティブに捉えたい。 好きな仕事をしてプライベートは消費ではなく浪費を楽しむ。 定住生活になり自由ができて退屈が生まれ、真の答えになかなかたどり着けない暇と退屈の永遠ループを私なりに楽しむ人生にしたい!と思いました。 色んな哲学者たちの思想が知れて勉強になったし、逆に作者に対して「?」って批判したくなるところもあったけど、それも含めて哲学って面白いなと思えた本。

    0
    投稿日: 2026.02.16
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    面白かった わかりやすい例を出してくれるので、難しい理論も理解(表面上では)することができた 表面上だけでしか読めていない所も沢山あったと思うけど、読み切ることができたのが大きい 自分の知識が増えていく気がして読んでいて楽しかった 読み返す度深まって、賢くなれそう

    0
    投稿日: 2026.02.07
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    ・とても読みやすい。一文の区切りが短いのと、情報の出る順番が丁寧だからだと思う。Aという主張をするために、前提となる情報を出す。この基本に忠実な文体。新しい情報を出す前に入念に復習や補足まで行なってくれる。優しい塾の先生みたいなやり方だと思った。 ・消費と浪費は違う。モノそのものの価値ではなく、それが新しいだとか、みんなが使っているだとか、そこに付与した記号を買わされることを消費と定義されていた。三宅香帆さんの著書「考察する若者たち」で言及されていた、「報われ消費」と近い考え方だなと思った。 ・消費というと、現代ならスマホが一番近いような気がする。スマホには天井がない。延々と続く情報の海に流されてるうちに、時間はどんどん消費されていく。消費された時間は、広告料として企業が潤っていく。これは本書でいう「気晴らし」にあたるわけだが、どれだけ続けても満足は得られないだろう。本書では、消費ではなく浪費をしようと一つの結論を出していた。浪費とはつまり没頭のことだと思う。ふとしたきっかけで、思考に耽る、その環世界に浸る瞬間。これは端的に言えば没頭と言えるだろう。没頭できるなにかがあれば、やっぱり幸せだ。その瞬間を「待ち構える」という表現があった。素敵な表現だと思う。

    0
    投稿日: 2026.02.07
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    色々な角度から、多くの読者を置いて行かないレベルの言葉で書かれた本。内容は深いのに私レベルでも興味深く読める本でした(正しく理解できているかは置いておいて) 以下自分の勝手な解釈のメモ 楽しみを求めている状態こそ、退屈していない状態 つまり退屈の反対語は快楽ではなくその過程である興奮。 楽しむには負荷が必要 退屈を潰すための手段を目的としてすり替えている そもそも人は動遊生活者であったというのは、面白い見方で納得してしまった 暇は特権 将来への気遣いの欠如は贅沢のしるし 消費社会は消費するのを妨げる社会、浪費を我慢させる社会 消費とは記号や観念の消費と捉えている 余暇は自分は好きに時間を使っているという観念を消費している 退屈を埋める手段としての消費をビジネスにしている。退屈な人は消費するものを選ばされているだけ。でも人はそれこそが目的だとすり替えて認識する。が、結局満たされる(浪費している)状態にはならない。なぜならそれは消費しているだけだから。 人が言う、本来性とは、本当に存在するのか。 人間はその他生物と異なり、環世界移動能力が高い。一方で特定の環世界が弱い。だから人間は退屈する 分かりやすいものに逃げる、例えば勉強に逃げるのは、狂気。=なんとなく退屈という自分の声から逃げるように世間の言う行為の奴隷になる。 これはとても実感する 楽しむことには訓練が必要で、その訓練には思考が欠かせない。思考の強制をさせる物にとりさらわれ動物になる。つまり人間を楽しむことで動物になる。 どんなことでも本当に楽しむためには、ある種の困難を乗り越えていくことが必要。分かると楽しい、できると楽しいというのは人間という動物に与えられた本能なのかな。 これまでのサリエンシーに対応した記憶が、サリエンシーが無い状態に置かれた時に反作用のように呼び起こされる=暇は嫌だ退屈だとなる

    7
    投稿日: 2026.02.04
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    これは本当に読んでほしい。 マイベスト本。 堅苦しくなく読みやすいのに内容は深い。 本当に頭のいい人が書いた文章は頭が良くなくても理解しやすいらしい。

    1
    投稿日: 2026.02.02
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    このレビューはネタバレを含みます。

    〜〜〜要約〜〜〜 豊かで、革命が喫緊の課題ではないような社会を生きる現代人は、その余った時間をどう使っているのだろうか? 資本社会において、満足をもたらす「浪費」(食べ物を永遠に食べることはできないから満足する)が減り、意味や物語といった「観念」を「消費」するようになったことで満足しにくくなった。このように、供給側の意図によって、満足することのない「消費」が促されている… 退屈には3つのかたちがある。 ① 目的を果たすまで待つ時間の退屈。(バス待ってる時間) ② 楽しみを求めて何かをしているにも関わらず感じる退屈。(パーティきたけどなんか退屈) ③ 理由がない、「なんとなく退屈」という退屈。 ①と③は性質が近い。人はこのような退屈に対して、気晴らしとして刺激を求める。しかし、結局何をしていても退屈に感じる②の状態が生じる可能性がある。 刺激について考えると、生物としては刺激が少ない方が安全であるように思われる。しかし人間は、刺激を積極的に求める存在でもある。人間は環境に順応してしまうため、刺激はやがて効力を失う。そこで常に現在とは異なる環境に身を置くことで、新たな刺激を得ようとする。それは仕事である場合もあり得る。そこでも②の退屈が生じうる。 ②の退屈はなぜ生じるか?パーティを楽しめるほどの教育や訓練を受けていないからだ。アートとか野球とか、美味しいものも、知っていて、楽しむ訓練をしていれば楽しく感じるだろう。結局、楽しむための教育や訓練を通じて対象を深く味わう力を身につけない限り、この退屈の循環から抜け出すことはできない。 最後に、人間は退屈による空白が耐えられない。空白が生じると、嫌な記憶とかが思い起こされたりするから… で、あってるかな〜???全く読み返さずに書いたから、私の偏った理解が入ってるかも? 〜〜〜感想〜〜〜 非常に論理的でクリティカルな内容だった。なんで仕事や遊びで忙しいのに、大好きな友達がいっぱいいるのに、退屈と感じてしまうのか気になっていたので、読んだ。 読んだけど、私の退屈は解消される気がしない。楽しむ訓練はかなり難しいと考える。私は長く真剣にやっている趣味が多いが、たまにしか楽しいとは感じていないと思う。旅行なんて、友達とのおしゃべりが楽しいわけで、その土地に出向くことの楽しさがまだわからない。 そしてみんな、趣味としているものをやっていても、ふと飽きたって思ってしまうことはないだろうか? また、最後の方に関して疑問を感じたのでそこまで重要ではないかもしれないが要約で触れてみた。「退屈が嫌な記憶を呼び起こす」のは、本当に精神状態によるんじゃない? 退屈には教育や訓練で対処するか?動物的な、ある意味「無意識」な瞬間を積み重ねるべきか?と議論を並べると、これらは「退屈」に対する概念とはまた違う次元の話をしている気がする。 「退屈が時間の無駄である」としたら、対処すべきだが、そうでなければ退屈もいいんだろうな、とよく友達と話しているが…私の、意味づけのない時間、「退屈」への不満は解消されない。 物事に対する感情の起伏をコントロールするようにしていたら、刺激を刺激と感じにくくなってしまった…退屈だなぁ ただ、時代背景や哲学と退屈を結びつけて論じられていることがとても面白くて、かつ、哲学への批判的な考察に納得させられて、読んでる間は退屈しなかったので⭐︎5!

    2
    投稿日: 2026.01.29
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    このレビューはネタバレを含みます。

    今の自分にこれ以上の評価をつける哲学に対する知識を持ち合わせていない。もっと哲学に対する造詣が深くなれば、あと⭐️2つはつけれるだろう。 とはいえ、⭐️3つ分の内容を以下に記したい。 習慣化することは、ある環世界に浸ることだと考える。ただ、習慣化しただけでは退屈してしまうので、人は新しいものを取り入れる。 この流れ自体が、1つの環世界となると、常に新しい物事を取り込みながらも、退屈のしない幸せな生活が待っているんじゃないかと感じた。 特に、自分自身が「習慣化」をテーマに生活をしているので、これからもこの本に書かれたことを指針の1つにしていきたい。

    0
    投稿日: 2026.01.25
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    人はなぜ暇の中で退屈するのか、そもそも退屈とは何か、退屈とどうむきあうべきか、を命題とした哲学書。暇を客観的条件、退屈を主観的状態と定義したうえで、過去の哲学者たちの主張を丁寧に追って展開されていく営みは、哲学という学問の面白さを感じさせる一方で、全てを理解しきれないもどかしさも感じる一冊だった。漠然と身近にあった暇という現象に対してこうした解釈がなされるのは非常に面白かった。 人間は環世界を相当な自由度をもって移動できるから退屈するのであり、定住革命と同時に暇と向き合うようになり、供給側が需要を操作しているといる現代の高度消費社会においては、終わることのない観念消費のゲームとして資本主義が暇を搾取している。

    0
    投稿日: 2026.01.24
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    岩波文庫の哲学書をすこしかじり始めたタイミングだったので、色々な哲学者の話を批判的に視点で拾っていく様子が、面白かった。 贅沢を取り戻す。消費ではなく浪費をすること。 浪費は物そのもの、体験そのものを受け取ること。そして受け取ったら満足すること。 読み進めながら結論がどうハードルが上がっていったけど心配いらなかった。 ①自分を悩ませるものについて新しい認識を得ること、それが第一歩(この本を読み終えたこと自体もその一つっていうのがグッとくる)、②贅沢を取りもどす(衣食住や芸能,芸術,娯楽を楽しむ。浪費。)、③いつか出会う環世界に浸っていられるように待ち構えること(余白を持って感受性をみがくこと) いい読書だった〜。

    1
    投稿日: 2026.01.21
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    「暇」とは何か。を論じた1冊。 様々な哲学家が論じた「暇」「退屈」に関する論説を分かりやすく説明し、多角的に「暇」とは何かを論じている本。 改めてこういう抽象的なことを考え抜くことが好きだなと気付いた。 学び、考え、ながら生きることが、人間が出来る退屈から逃れる方法。 美術も文学も食も、ただ見るだけ、読むだけ、口に入れるだけ、だと退屈してしまう。その背景を学び、考えることで、面白さや楽しさが見えてくる。 何をするにしてもこれって通ずるなと思った。 仕事も与えられたことをこなすだけ、だといつか退屈になるし、人間関係も自分から歩み寄ったり能動的に動かないとどんどん薄れていってしまうことの方が多いはず。 これからも日々学び、疑問を持ち、考えながら生きたいとおもった!

    0
    投稿日: 2026.01.18
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    何とか読了できたが、大学の1ターム分の講義を丸ごと本に落とし込んだような内容で私には難しく、一度読んだだけでは50%ぐらいしか理解できなかったと思う。 ただ漠然と感じてた“暇”“退屈”に関して、この作者のアプローチが私には新鮮で、とても興味深く読むことができた。 元々哲学が好きな方、現代の“暇”に辟易してる方などはおもしろく読むことができる一冊だと思う。 おすすめだが、片手間に読める内容ではないのでしっかり時間があるときにゆっくり読み進めたい一冊。

    0
    投稿日: 2026.01.18
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    広告とか、フォーブスとか資本主義のなんたるかに全てこの人間の本性すなわち暇に耐えられない人間性が絡んでいることがわかった。とくに適度な余暇を与える事で労働にコミットしやすくなるというのはなるほどなと思った。環世界という言葉もの本で知った。動物と人間で生きている時間が違う、その発想はなかった。セミの人生は外に出てから1週間とはなんて短いんだろうとか思ってたけど蝉にとっては長い時間なのかもしれない。 人間について、自分が家でじっとできないのはなぜか、海外に行きたくなってしまうのはなぜか、自分だけの悩みかと思ってたけど歴史的にも人間はそうだったんだなと、刺激を求めてしまう意味がわかった。

    0
    投稿日: 2026.01.17
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    2026.01.16 中動態の本で挫折した国分功一郎さんの本を読むことができた。するするとなめらかに論が展開していく心地よさ。一方で、油断していると騙されているかのように別の話題に移っていくような感覚。退屈の正体に迫り、退屈から逃げない生き方を説く。退屈の状態をメタ認知して、それを楽しむ。そして、自分の環世界を揺さぶる、自分をとりさわる何かを待ち構える。逃げてはだめなんだということと、その先にある希望を教えてもらった。 定住することで、人間の能力が余る。 そこに退屈が現れる。近代にはより多くの階級が退屈を経験する。 余暇は、労働と同じく資本の内側である。そして、余暇の過ごし方に資本主義がつけ込む。生産が欲望を作り出す。製品のモデルチェンジは気晴らしのためである。 浪費はものを受け取ることであり、どこかで限度(満足)にあたる。消費の対象は、モノではなくその記号や意味であり、永遠に満足に至らない。 労働すら消費の対象となった(やりがい)。そして、余暇も消費の対象となり、顕示する必要すらある。消費は気晴らしであるが、同時に退屈を作り出す。無限ループ。 ハイデッガーの退屈の第一形式は、仕事の奴隷として生きる人間が何かにより退屈させられる(時間に引き止められ、モノが何も提供してくれない(空虚放置))。第二形式は、そもそも気晴らしであるもののなかで退屈を感じる(根源的な時間の引き止めと、自分が空虚になる)。第三形式は、「なんとなく退屈だ」(何一つ言うことを聞いてくれない何もない広域にひとりぼっち。だが逆に自分の可能性に目を向けることになる。自分は自由であり決断をすることで退屈を脱っすることができる) 動物はシグナルにとりさらわれている。人間は相対的に高度な環世界移動能力が高い。特定の対象にとりさらわれつづけることができるなら人は退屈しない。高い環世界移動能力のために人は退屈するのだ。 第三形式の決断の先には、第一形式が待ち構えている。決断とは狂気である。「なんとなく退屈だ」と言う声から逃れて何かの奴隷になることをつい夢見てしまう。 人は習慣を創造する。ものを考えないで済む生活を目指して生きる。必要に迫られて人間は考える。何かに不法侵入されて、人間は考える。 人間の生とは、第二形式を生きることだ。それが正気だ。退屈さもそれなりにあるが楽しさもある。第二形式では、考えることの契機となる何かを受け取る余裕がある。外の世界に関心を向け、考えることが人間の自由。 結論①こうしなければ、ああしなければと思い煩う必要はない。 結論②贅沢を取り戻す。浪費すること。ものを受け取ること。そのためにはものを楽しむことが必要。アンテナを張り、深い教養を持ち、ものを受け取る、楽しむ(食事を楽しむ、感じる訓練をする)。 結論③人間らしい生活を外れた時が退屈を逃れることである。それは、動物になることだ。動物のようになにかにとりさらわれて思考すること。何にじぶんはとりさらわれるのか?楽しみながら学ぶのだ。

    0
    投稿日: 2026.01.16
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    今まで読んだなかで一番難しかった本。 暇や退屈は避けられない。 でも、教養があるとそれを「消費」ではなく「味わう時間」に変えられる。

    1
    投稿日: 2026.01.12
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    観念の消費ではなくモノの浪費 モノを楽しむための教養と知性 元々暇も退屈もあまりしない人間だからか?読む時期が悪かったか?ガツンと響くことはなかった。

    0
    投稿日: 2026.01.10
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    パスカルやルソー、ハイデガーやコジェーヴといった哲学者にたいして萎縮したりあるいは姑息に彼らの威を借りたりするのではなく、彼らの功績を認めた上で(つまり「リスペクト」した上で)彼らの問題点を鋭く指摘しそこから「暇と退屈」という問題系につなげて独自の議論を練り上げていく。その手つきは手堅く、読みながら自分自身の中でなにかが上書きされていく感覚さえ感じられる。したがってこの本をつまみ読みしたりチャート化したりして「整理」「粗略」することはぼくにはできなかった。この本を読むことは哲学することの真髄を教えてくれる

    0
    投稿日: 2026.01.09
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    このレビューはネタバレを含みます。

    人間であることを楽しむことで、動物になることを待ち構えることができるようになる ハイデッガーの退屈 退屈の第一形式 何かによって退屈させられること 仕事の奴隷になることで第三形式の退屈から逃げ去ろうとする、自己喪失が大きい 退屈の第二形式 退屈と気晴らしとが独特の仕方で絡み合っている 自分に時間を与えることで奴隷にはならず、自分自身に向き合う姿勢がある 退屈の第三形式 なんとなく退屈だ 自由があるのだから、決断によってその自由を発揮せよ

    0
    投稿日: 2026.01.06
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    暇とは何かこう考えていくんだよー、で終わるのかと思っていたら結論もちゃんとあって、しかも納得できた。 読んでいく中で特に環世界の話は印象的だった。 時間や空間も人や動物で違う。太陽は太陽として捉えていない。人間でなかったらと思うと、それこそ当時生物?になってみないと分からない、真面目に行けるところまで行こうとしたら強力なサリエンシーになりそうだ。 勉強ってなんだろう?と時々考えることがあった。習ったことが全て自分の生活に役立つのか?違うよなという思いがあった。 本書は暇にどう対応して行ったら良いか、という筆者の問題定義に共感して読み始めた。 結論で第二形態の「人間を楽しむために」「勉強する」。ハイデッガーのパーティーの話も分かりやすくて、理解するってこういうことか、と感じられた。筆者の想定している読者としてポーズしてるわけではなく本当にそう感じられた。 哲学については、先に『寝ながら学べる構造主義』だけ読んでいて、これも特にまえがきが素晴らしいなと思って最後まで読んだが、今回のような理解まではできなかった。哲学ってこういう世界なのかと、味わう?と言ってもいいのか分からないけど覗き見できた、という感覚で終わったけど、 本書は哲学っておもしろいって思えた。 寝ながら学べる構造主義が読みにくいというわけではなく自分はまだそのレベルを楽しめる勉強が不足していたのだと思う。 本書は単に内容だけでなく、文章の構造もガイドしてくれてる書き方になってるから、分かりやすいんだと思う。章冒頭で何について論じるかから入り、まとめはこれ、結論はこれという風に明確に書かれている。 暇と退屈って言われてみたときはもやもやしてた。読み終わった今はこんな感じだ。 さあ、どの環世界で楽しもうか?

    0
    投稿日: 2026.01.04
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    このレビューはネタバレを含みます。

    いわゆる哲学書で気にはなっていた(積読状態)→「スマホ時代の哲学」から続けて読んでみた。 関連する話題でもあり、相関もあって興味深い。(記憶が混同するデメリットもあるけど) 分かりやすく面白いが、簡単ではないし読むのに時間はかかる。 整然と論理構成をまとめて教えてくれる形式ではなく、ひとつずつ問いかけ、考察を加えるという形で物語的、あるいはドキュメンタリー的に進めていき、長旅に付き合う感覚。咀嚼して頭にすっとはいってくる訳ではなく、自分で頭を整理する必要がある。 スマホ時代の哲学同様、ことばの定義に注意が必要。 スマホに比べればトリッキーな語用は少ないのでまだ理解しやすいが。 結論では、要は目の前のことに真剣に楽しんでいるか、というところに行きついたが、 それはスマホ時代の哲学にも(孤独と趣味という言い方)つながるし、 たとえばLISTENで人は人の話を聞いているようで聞いていない、という話にもつながってきた。 過去未来ではなく、今その場の感覚に意識を集中しよう、という禅やマインドフルネスにもつながっていないか。 まずは目の前の料理を味わうとか、今その瞬間を楽しむことを意識してみることを何度も説かれた感覚。

    0
    投稿日: 2026.01.03
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    自分にとって難解だったが、暇ではいが退屈になりそうなときこそ、気晴らしという楽しみを創造する知恵を働かせることの必要性を訴えていることがわかった。

    0
    投稿日: 2026.01.03
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    新年の挑戦!小説以外の読書!撃沈! 多くの文献や哲学者の言葉を噛み砕いて解説してくれている。にもかかわらず、私には難しすぎた。 頭が混乱して、ついていけず。東大生達は「わかりやすい」と感じるんだろうな。 スピノザの言葉 「芳香、緑なす植物の快い美、装飾、音楽、運動競技、演劇、その他他人を害することなしに各人の利用しうるこの種の事柄によって、自らを爽快に元気づけることは賢者にふさわさいのである」 ーーーその通りよ、スピちゃん!当たり前の事を、 なんでこねくり回したような言い方するん? それが哲学なんか? それが学問なんか? 言葉で表すっていう事なんか? 学問って難しい。 新年の挑戦は、読み終えることができず、とばし読み。 単純に自分が理解できなかっただけなので 自己が成長して、難しい本も理解できるようになるべきなんだろう。そんな気づきもあった。

    5
    投稿日: 2026.01.03
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    暇と退屈について深く言語化されていた。 日々の習慣を通して環世界を移動したい。 「楽しむことは思考すること」

    0
    投稿日: 2026.01.01
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    ◼️まとめ ・退屈は刺激不足ではなく関係の貧困状態 ・暇を安易に消費すると世界から孤立していく ・退屈に耐えることで世界との関係を結び直す ※世界とは自分が直接関係する世間 ◼️メモ ⚫︎退屈について 退屈は刺激が足りない状態ではなく、世界(世間)との繋がりが貧しくなった状態と考える。つまり、情報や刺激が少ないから退屈なのではない。むしろ自分と関係がない刺激過多の現代ほど退屈は深刻化する。 ⚫︎暇と退屈の区別 暇(leisure) ・何かをしなくていい時間 ・自由や余白を意味する 退屈(boredom) ・時間はあるが世界と結びつけない状態 ・自由が「空虚」に転化したもの ⇒暇は本来自由な時間や目的から解放された時間のはずであるが、現代では暇は埋めるべき空白や効率化の失敗など改善すべき時間とみなされる。もしくは商業主義の側からは刈り取るべき時間として狙われる。 ◼️感想 本書は禅の思想が根底にあるから多少理論がずれたり飛躍していたとしても一定の支持はあるんだろうなと感じた。こんな小難しく回りくどい言い方しなくても禅を学んだ方が直接的ではないかと思った。

    0
    投稿日: 2025.12.31
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    暇と退屈を歴史、哲学などの視点から考察した本。恐らく、本書は暇と退屈を以下のように定義している。 •暇: 義務に時間を拘束されていない状態 •退屈: 刺激がなく不快な状態 本書の興味深かったところは、(1)暇で退屈、(2)退屈と気晴らしの混合(気晴らしにも退屈を含む)、(3)何か退屈、という3つの状態が円環をなすという点だった。確かにこれは多くの人に当てはまる気がする。また、暇や退屈をネガティヴに捉えすぎないことと、暇=退屈だと誤認しないことが大切だと感じた。 単純に今の気分と合っていなかったせいであるが、正直なところ、タイトルから想像したほど面白い本ではなかった。「面白いかも」と思い次の頁をめくると、「どうでもええこと考えてるな」という気持ちになる、刺激と退屈が交互にくる読み物だった。

    1
    投稿日: 2025.12.28
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    要所要所で難しいところはあったが、全体的に読みやすい本であった。 暇と退屈、という切り口でここまで世界観を広げさせるのか!と感じた。

    7
    投稿日: 2025.12.24
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    生きるとは、習慣の連続である。 生きていれば、お腹が空くからご飯を食べる。 清潔に保つために毎日お風呂に入る、歯を磨く。 健康を保つために運動をする。 そんなことが死ぬまでずっと続く。 あぁ、めんどくさい。退屈だ。なんか楽しいことないかな。 そうして好きなことを見つけ、気晴らしする。 だけど消費させられてるばかりでは、退屈からは脱することはできない。 衣食住や、娯楽を心から楽しむ。 心から楽しむためには、知識や教養が必要。 そのために勉強する。 そうすると見え方が変わってくる。人生がカラフルになる。 退屈するのは間違いないが、少しでも彩りのある人生にしていきたい。

    3
    投稿日: 2025.12.23
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    このレビューはネタバレを含みます。

    筆者の考えを全て理解できたかと言われると、追いつかなかった部分もあるが、おもしろかった。 消費社会に取り込まれてしまっているいま、“生きること”を取り戻す必要があるように感じた。 自身の時間の過ごし方と、3歳の子どもの時間の過ごし方を見ていると、子どもは「人間であること」を楽しみ、「動物になる」ことができているように感じるのだが、第二形式を楽しむことには訓練が必要であるにも関わらず、訓練していなそうな子どもが楽しむことができているというのは、どういうことなのだろうか。楽しむことを大人になる過程で忘れる/失ってしまい、訓練により取り戻す必要があるということなのだろうか。 自分は第三=第一形式に入ってしまうことが時折あると感じた。マインドフルネス的なものとはまた何か違うのだろうか。そのあたりがまだしっかり理解できていない。

    1
    投稿日: 2025.12.20
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    このレビューはネタバレを含みます。

    定住生活の開始により探索能力有り余り、退屈発生。退屈により非日常、切り離された今日を求める。他方、生物は安定を好む。一方、ヒトは環世界移動できる、しようとする、でも、習慣化によって安定する。が故に退屈が生まれる。そのため、新たな環世界でどうぶつになりたがる。この堂々巡りが、第一=第三形式に陥らない第二形式か?それでは、そもそも何故退屈は生じるのか。安定は過去の記憶に潜む痛みを呼び起こしてしまい苦しめるから。これが退屈の正体では。以上が本書の私の理解。簡単に纏めることなんてできないけど、備忘録として。この類いの本、あまり読まないので、最後まで通読できて良かったです。

    0
    投稿日: 2025.12.19
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    このレビューはネタバレを含みます。

    Audible!! よくある「明日から使える!」系のビジネス書じゃなくて、ひとつのテーマを徹底的に深掘りして、論理を積み上げていくタイプの本! なのでかなり難解だけど読み応え抜群でした。 【学んだこと】 ◆「暇」と「退屈」は別物 ヒマ:客観的(あの人は暇に見える) 退屈:主観的(この仕事は退屈だ) 目指すべき状態は「暇だけど、退屈していない人」 成り易いのは「退屈しているのに、暇がない人」 ◆退屈は3つに分解できる ① 電車を待つ退屈(奴隷モード) 「電車まだ?早く来い」ってイライラしてる時。これは時間や外部の状況に支配されてる「仕事の奴隷」と同じ状態らしい ② パーティの退屈(気晴らしモード) 楽しいはずのパーティや飲み会なのに、ふと虚しさがよぎる、、 ③ なんとなくの退屈(究極モード) 理由は特にないけど、深い虚無感が襲ってくる これが一番深くて怖い「究極の退屈」 ➡︎③から逃げるために社畜になったり、スマホを見続けたりして、「①奴隷モード」へ自ら逃げ込んでしまう。 ◆退屈を回避するには そもそも人はエネルギー節約のため「考えない仕組み=習慣=環世界」を作る。けど、この習慣が惰性や他者依存だと、「環世界」が狭いままになり、すぐに飽きて①の奴隷的な退屈に陥る。 そこで、「自分で考えるエネルギーを使い」、「自分で選んだ習慣(環世界)」を能動的に作る。 料理でも、音楽でも、アートでも、知識がないと「つまんない」で終わるけど、自分で学び、向き合うことで「面白い!」に変わる感じ。 それによって自分で作った環世界は深く、広いため、退屈と能動的に向き合って「楽しむ訓練」が可能になり、「暇だけど退屈ではない」状態が生まれる。 頑張るじゃなく楽しめですね(・_・;

    21
    投稿日: 2025.12.13
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    兎狩りは獲物が欲しいのではなく、退屈を逃れたいから気晴らしをしたいから狩りに行く 定住者がいつもみる変わらぬ風景は感覚を刺激する力を失っていく 退屈とは人間の可能性の表れ 決断の奴隷になる 楽しむ能力を身につける 物を楽しむことができないと退屈になってしまう 退屈することは自由であることで、そこから決断によって退屈を人間的自由へと反転させる 楽しむことは思考することにつながる 贅沢とは受け取った物を楽しむこと

    0
    投稿日: 2025.12.13
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    「哲学書で涙するとは思いませんでした」 そんな帯のコメントが、"倫理学って何?おもしろそうだけど難しそう…"と購入を迷っていた気持ちを後押ししてくれた。 涙はしなかったけど、豊かな生き方のヒントをくれたような本だった。 二足歩行が始まって400万年。 人の生活に革命がおこって1万年。 法律も経済も信仰もすべてはここから。 暇ができ、退屈がうまれた。 常に新しい刺激を求める性。 気晴らしをたのしむ教養。 400分の1。なんかちっぽけにみえた。 消費と浪費の違いを初めて認識できた。 消費行動の中に虚無を感じていた理由がよくわかった。そして、浪費を求めていたんだと。 著者自らの「読み飛ばしてもいい」の言葉に甘えながら、気楽に読み進めることができた。 読み飛ばしながらも、著者のロジックや事例にワクワクしながら読み終えた。 「そうだ本を読んでる時って、こんなたのしかったんだな。」 あらためて、そう思った。

    3
    投稿日: 2025.12.07
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    友達のおすすめで読んでみた。でもそもそも自分は日常で退屈を感じないタイプである。普段感じたりしない事項であるため興味のない分野であることがわかった。

    1
    投稿日: 2025.12.01
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    再読してまた考えてみたいと思わせてくれる本 難しそうな本だけど序章で引き込まれた。「好きなこと」とは何か?私が好きなものは暇を紛らわすためのお気に入りの気晴らしではないか? 選んできた学問も、選ぼうとしている職業も、人生の気晴らしのために選んでいるのか?それはそれでいい気もしてる。 コスメやアニメグッズ、ファッションの情報を得にSNSを見てしまうが、あれは「欲しいものがあるから探してる」のではなく、「欲しいものを探してる」行為だなと思った。実際、SNSを見て購入に至ったケースが山ほどある。 あの購買ケースは私の欲望を満たしてはくれないことが多い。それはあの購買が「浪費」ではなく「消費」だからなのかと腑に落ちた。 退屈の第一形式、第二形式、第三形式については理解しきれていない気がする。第一形式(=第三形式)への逃げ込みは私自身よくやっている(例:意味のない資格取得など)。第二形式もよくある(行きたかったはずの旅行先で退屈してしまっている)。でもなんとなくの実体験があるだけで國分さんの言っていることが私の中に上手く落とし込めなかった。 そういう個所は多々あるので、時間をおいて再読し、新たな発見とともに「暇と退屈」について私も解き明かしたいなと思った。 楽しむための訓練しよ!

    6
    投稿日: 2025.11.30
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    暇で退屈な時に読むべき本。退屈でもないのに「売れてる本だから読んでみよ〜♪」などというミーハーな気持ちで読んではいけない。「退屈」はそれ自体が恵まれたことであり「自由」であることなのだから。 とはいえ著者の主張は納得感もあり面白かったです。退屈は人類が定住生活を始めたためにエネルギーが余っているから感じる避けがたい感情であること。ハイデッガーは「退屈」は「自由」であることの査証であり、その時には「決断」するべきであるという(…なにを「決断」するんだろうね)。それに対し著者は、それでは何かの奴隷になる事に等しく、人間は「パーティーのような気晴らしを(時に退屈さを感じながら)楽しんでいく方が良いのでは?」と問う。ざっくり言うと、たぶんこんな感じ。(ちなみに私は今、不自由な仕事・家事育児・読書の奴隷です(笑)) 私も「熱中するものがあるべき」というイデオロギーに若干辟易することがあったので著者の主張には大いに賛成… …なのだけど、既存の思想への反論が心許ない…気がする。「ぼくはそうは思わない」「言ってることがコロコロ変わるので信頼できない」「日本に旅行したくらいで日本人のなにがわかる」(日本人は人間として「本来的」であると主張したコジェーブへの批判)と、まぁ、日常生活なら違和感ないけど、「学問としてその反論はアリなのか?」という疑問が…。 …もしかして哲学ってそういうものなの!? というなんだか、モヤモヤした読後感の本でした(^_^;)。

    12
    投稿日: 2025.11.30
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    大学生の頃に買って、5、6年の時を経てやっっと了読。 ここ半年くらいずっと輪郭の掴めなかった不快感。一昨日くらいにふと「もしや退屈なのでは?」と思い至り、久々に引っ張り出して読んだら凄い良かった。 なんか、安心した。 人生って退屈とどう向き合うかでもあるんだなってわかったことが収穫でした。 人は反復によって習慣を身につける。習慣がないと人は生きていけないけど、習慣によって退屈が生じる。とか最近の自分に心当たりがありすぎて「それ〜〜〜!」と思いながら読んでて楽しかった。 色々な物を受け取れるように自分を育てていきたいし、とりさらわれる瞬間を待ち構えれる場所を増やしたいな。 読書ってタイミングもあるんだなぁ。

    0
    投稿日: 2025.11.23
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    なるほど、と思うこともあったけれども、同じ事が何度も書かれていて結局何が言いたいのかよくわからなくなった。前半より後に行くにつれて読み進める手が遅くなった。

    0
    投稿日: 2025.11.21
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    先日全4回を終えた読書会で取り上げたので、再読。増補版は初めて読んだので付録が新鮮。(読書会について後日あらためて投稿したい)暇と退屈を切り口に現代に漂う疎外を射抜いた名著だなと改めて感じた。結論冒頭の、「本書を読むこと、ここまで読んできたことこそ、〈暇と退屈の倫理学〉の実践の一つにほかならない。だから正確には、あなたは既に何事かをなしている。」というくだりは何度読んでも痛快!これを読むと人生深まりますよ。

    0
    投稿日: 2025.11.20
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    ひたすらに、普段なら見過ごしてしまうような行動に対する疑問を追求し、より深い理解へと掘り進めていく印象であった。そうした問答の積み重ねが自然と私を惹き込み、読み手を思索へと誘う力があった。 また、挙げられるエピソードの多くに共感できたため、読み進めるほどに面白さを感じられた。時折、話題が急に転換する場面もあったが、そのタイミングは絶妙であり、しかも「暇と退屈」という主題から逸れることなく一貫しているため、飽きを感じることは一度もなかった。 筆者の哲学者に対する理解は底知れないものがある。しかし、こうした哲学的テーマに不慣れな読者からすると、数多くの哲学者の局所的な見解が次々と引用され、しかも基本的に批判的な視点で語られるため、やや圧倒される印象を受けるかもしれない。だが、この種のテーマが好きな私にとっては、むしろ筆者の信念や思想の筋が通っており、独自の視点をもって自説を展開していく構成に圧巻さえ覚えた。 また時間をおいて、ぜひ読み返したいと思う。

    0
    投稿日: 2025.11.17
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    序盤は人類史、経済史ベースで親しみやすい。中盤にかけて引用とその批判、議論が繰り返され読み応えがあったがなんとか読了。要所に「読み飛ばしOK」の文字あり、哲学初心者でも通読できるような配慮がありがたかった。 中盤までは退屈の各種が自分で言うところのどんな状況か置き換えながら読み進めるのが面白い。気晴らしに新しい趣味を始めたり、動物のように仕事にとりさらわれてみたり。自分のすべての行動が各退屈の結果であるだけような気がしてきた。。いまここに感想を書き込むことも気晴らし?あと終盤あたり、芸術音楽衣食住、楽しむために訓練が必要という考え方、いいなと思いました。

    0
    投稿日: 2025.11.13
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    なかなかに読み応えのある内容とボリュームの本ではありますが、普段身近にある"暇と退屈"というものを、様々な著書を引用しながらロジカルに講じられていくので、どんどんと内容に引き込まれながら読み進めていけます。シンプルに倫理学とは奥深いものだと思うばかり。 感想を簡単な言葉で言い表せる内容でもないけれど、自身の考え方に一石を投じる本でした。故に、ふとした時にまた読み返したくなる本でもあります。 個人的には浪費と消費の考え方がとてもツボでした。

    8
    投稿日: 2025.11.09
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    このレビューはネタバレを含みます。

    退屈から逃れるためには、「人間であること」を楽しむことで「動物になること」を待ち構える。いろんな物事に対して、疑問を持ったり、どうすればより良い物を作れるかなど、思考をできるのは人間だけ。その思考によってある種フロー状態になり動物のように物事に入り込んで楽しめる。仕事で重要な姿勢のようにも感じた。 本書の内容は普通に面白かったがそれ以外に、著者は高校生の頃から自分の哲学を意識しており、それを実際に本書で実現させたという部分のストーリーが興味深かった。

    1
    投稿日: 2025.11.07
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    このレビューはネタバレを含みます。

    めちゃくちゃ簡潔に言うと、 「退屈を恐れすぎず、気晴らしに身を任せ、楽しみ方を訓練して心得よ。」 というふうに解釈したが、それに至る過程を理解していなければ、真に実行出来ない、という意味で、読んで非常に良かったと感じる。 人間は1万年ほど前から、気候変動による植生の変化により、定住を余儀なくされた。それ以前、遊動生活をしていた際に、遺憾なく発揮された洞察力や探索する力は、定住と農業によって必要性を失った。そして発揮する場所を失った人間の能力は、文明や文化の発展へと向かうことになる。 暇を得た人間は気晴らしをせざるを得ない。現代社会、消費社会では産業からあらゆる形の気晴らしが供給される。そこでは、産業が消費者に訴えかけて消費者の内に欲を生み出している。この構造により、産業は消費者に、物でなく観念を、消費させ続けることになった。観念の消費は、物の浪費に対して、満足しない。すると、消費によって我々は、「したかったこと」のはずのものに、「これじゃない感」を感じてしまうのである。 豊かな社会、人々が総じて暇を得る前、有閑階級は暇を飾る方法を知っていた。ありふれた生活を如何に楽しむことが出来るかを知っていた。楽しみ方は訓練によって獲得することが出来た。 ところで、ハイデッガーによると、人間の体験する退屈には、①時間がぐずつき、周りが言うことを聞いてくれない退屈、②退屈と気晴らしが絡み合ったもの、③なんとなく退屈、の3つの段階があった。ハイデッガーは、いずれも③を根底に持つと考え、人間は③の状態にあるとき、あらゆる可能性の先端に位置しており、決断によって可能性を発揮するべきであると主張した。 ハイデッガーは、環世界を人間以外の動物が持ち、人間は環世界を持たないからこそ、「とりさわれる」ことがなく、自由であり、自由故に退屈すると考えた。しかし、人間もそれぞれ環世界は持っている。人間とそれ以外を区別するのは、環世界間を移動する能力が相対的に、しかし非常に、高いことだ。つまり、人間は一定の環世界に留まっていられない。それ故に「とりさらわれ」続けることが出来ず、故に退屈する。 すると、様々な環世界を行き来し、気晴らしをしながら生きている人間の姿は、退屈の②の段階にあてはまる。多くの人間の多くの過ごし方は②に当てはまっていると考えることが出来る。②には、①と③には無い、余裕と安定と均整が存在する。そこでは、楽しみ方を訓練することによって、退屈を飾ることが出来る。 人間の生は、主に②であり、ときどき「何となく退屈だ」という感覚が大きくなると①=③に逃げ込みたくなる。その後②に戻るのだが、①③にい続けては仕事の奴隷になってしまう。 ②を過ごすうち、楽しみ方を心得たり、環世界を獲得するうちに、どういった状況が自分に「とりさらわれ」を引き起こすのか理解できるようになる。すると、意図したような「とりさらわれ」も不可能では無い。このようにすると、人間が何かに没頭する、つまり退屈から解放される方法を獲得することも可能なのかもしれない。

    1
    投稿日: 2025.11.06
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    読む前には難しそうな話だと思っていたけど分かりやすく書かれており自分事として考えながら読み進めることが出来ました。 ワクワクする人生を送れるよう沢山勉強したいと思いました。

    8
    投稿日: 2025.11.05
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    (堅苦しくて難しそうだな)とこの本を敬遠している人は今すぐにでも読んだ方がいいと思う。確かに堅苦しい内容のところもあるが、作者が噛み砕いて1から説明してくれているのでスラスラ読める。本当に頭が良い人というのは小難しい内容を芯から理解し、相手の分かりやすいように伝えられる人なんだなと実感した。

    1
    投稿日: 2025.11.04
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    相当前から、「人は、ただ生きる以外に、なぜ仕事なり人との交際なり遊びなり、何かをするのか」が疑問だった。自分なりにいろいろ考えていた。読み進めるうちに、この本がまさにその疑問に答えるものだと分かった。

    0
    投稿日: 2025.11.03
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    消費と浪費、労働と仕事の違い。導入はとても面白い。お金を稼ぐことを目的として生きてきて、それが達成されると、人間はヒマを持て余す。お金があるからそれを埋めようと物を買う。贅沢をしようとする。のだけど、それは、社会が用意してくれた贅沢であり、浪費してるつもりが、消費させられているにすぎない。だから満足せずに、退屈するという。移住民族は、やることがいっぱいあるから退屈ではないというのも、お腹を切られた蜜蜂が、吸い切れないほどの蜜を、お腹から流しながら吸い続けるというのも、なんか面白かった。オーディブルで、しかも2.6倍で聞き流しているので、なかなか頭に入ってこなかったのだけど、この2.6倍で聞くというのは、時間がもったいないからやっていることで、しかしなんの身にもなっていない。この本は、紙の本を買って、じっくり読んだ方がぜったいいい。それがまあ、思考するというヒマつぶしにも、なるのだし。

    1
    投稿日: 2025.11.03
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    暇と退屈を気晴らししながら生きるのが人間らしいってこと? 気晴らしのはずの催しの中で退屈を感じるのは、その気晴らしを受け取るための教養がないから…って分かるような分からんような。難解な映画見てる時の気分とか? トカゲはトカゲの、ミツバチはミツバチの、ダニはダニの世界を生きているってところが好きだった!

    1
    投稿日: 2025.11.02
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    20251102052 暇と退屈との狭間のなかでより良く生きるためのストレッチをしている自分に気づいた。

    0
    投稿日: 2025.11.02
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    読了したという事にこれほど意味がある本は初めて。 読む前と読んだ後で決定的に自分の中の何かが変わるという意味で間違いなく人生の一冊。 そしてこの本を要約する事や切り取って感想を述べる事にあまりにも意味がないために、ただ「読んでほしい」と勧めるほかない。

    1
    投稿日: 2025.11.01
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    非常に面白かった。 自分の中に世界の見方が新たに一つ追加された感じ。 とっつきにくい哲学の考え方を知ることができたのもよかった。 著者は読者の理解に非常に寄り添ってくれたおかげで、抽象的な内容にもかかわらずサクサクと読み進めることができた。 結論の部分は爽快感すらあった。

    0
    投稿日: 2025.10.29
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     長い探究を続けた先の結論は、びっくりするくらい単純。でもその結論に至るプロセスを紐解いていくことで、自分の無意識下の行動や思考が理解できる範囲に入り込んできて、どこか安心する。  私は未だに自分が何で満たされるかを知らないから、いつまでたっても満足できない。でも満たされないことを楽しんでいる気もする。まだ自分のこの感覚を言語化することはできないけれど、全てを言語化できるなら芸術はここまで発展していないと思うし、わからないままなのも案外楽しいかもしれない。どんなことも考え方次第だね

    0
    投稿日: 2025.10.26
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    「暇だなぁ。どうにかこの時間を有意義に使えないものか」と読み始めた一冊。中身は思ってたものとだいぶ違い、先人たちの論を学びつつ、暇と退屈に付いて理解を深め、著書と一緒に熟考していく重厚なものだった。内容はとても深く、様々な意見に自身の考えを揉まれ、非常に頭を使わされたが、とてもよく整理されており、意外にも読みやすかった。手頃な自己啓発本とは違い、暇についての解決法は何度もじっくり読み返しつつ考えなければ答えを見つけられなそうだが、とても良いものを吸収できた気がする。 まぁ、難しかったけど倫理って首を突っ込むと簡単には抜け出せないくらい面白いものだぞってことがわかった!!

    4
    投稿日: 2025.10.24
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    人は暇になりたいという欲望がありながら、暇に耐えられない矛盾した生き物である。 それは過去の記憶によって生み出される痛みである。 タイトルにある通り暇と退屈の違いについて教えてくれた。興味深かった。 「私たちは退屈する。自由であるが故に退屈する。退屈するということは、自由であるということだ。」 この文章が記憶に残っている。 しばしば暇はいけないことだと語られるけど、僕は暇こそ一番大切にしなきゃいけない時間だと思った。 しかし、暇なときその退屈からはどうしても逃れられないのだとこの本から教えてもらったので、どうしても退屈だなぁと感じる時はその言葉を思い出すようにします。 最初は簡単な話から始まったけど後半になるにつれて置いて行かれた感があったので、時間をおいてもう一度読みたいです笑

    0
    投稿日: 2025.10.23
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    過去の偉大な哲学者たちが「退屈」をどう捉えて、どう対処すべきか、難解な哲学書の概要も理解できるように記載されていた。途中、立てられた仮説が突飛に感じたり、結論の落とし所に考えさせられたが、退屈が生ずるメカニズムを自覚できた点で、読む前と後で感覚が変わった。

    5
    投稿日: 2025.10.22
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    何事もより良くしようとしたり、より楽しもうと工夫したり、時間がきても気にせずやり続けようとしたり、そういう人間でありたい。たまたま好きなことかもしれない。でもこの世は九割九分たまたまな気もする。でも満足するためにはただ何も考えずにやるよりも頭と身体を使ったほうが達成感と満足感は確実にあがる。AIが進化すればこの先もっと退屈になるのだろうか。AIも退屈するのだろうか。わたしは人間らしく一喜一憂し、待ち構え、退屈と向き合って生きていこう。

    0
    投稿日: 2025.10.19
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    いつも「何かをしておかないと」という謎の焦りで自分の首を絞めてきました。その焦りがどこから来ていたのか、これを読み、なんとなく分かった気持ちです。 読了後、その焦りの正体はいつのまにか度外視できるまでには薄くなってました。 明日から退屈な時間を思いっきり楽しみ、贅沢に使おうと思っています!

    2
    投稿日: 2025.10.19
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    上司に推奨されて読む。教養を付けるための入りとして読む。 物質や時間的余裕欲しさに豊かさを目指した結果、その豊かさに喜べない。また、暇や退屈の潰し方は広告などにより教えられている始末。暇と退屈にどう向き合うのが正しいかを考えるのが主題。 暇や退屈は定住生活により生まれ、過去脈々と苦しいものとして認識され続けているというのを過去の哲学者や経済史が示している。それらを振り返りながら、人間の世界の捉え方を認識し、暇と退屈への向き合い方を考えていく。 結論は、色々な環世界を創造しそれらを一つ一つ楽しむという「気晴らし」を継続してすることが人間らしい、暇と退屈との向き合い方であるとのこと。教えられたエンタメやSNSなどの退屈から逃げるような消極的な消費は人間的でない。対比として捉えると、あるべき気晴らしを理解しやすいと感じた。 ちょうどこんまりさんの片付けの本を読んだあとだったので、環世界の一つ一つを楽しむという本書の結論と、ものと向き合うというこんまりさんの教えが近いものであり理解しやすかった

    3
    投稿日: 2025.10.18
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    咀嚼して書いたと本の中で著者の方は言っているが完全に理解するには何度か読み直さなければいけないくらい、分かっているようで分かりきれてない、そんな感じ。 しかし自分が普段感じていた人生とはなんだろうみたいな違和感をこの本が説明してくれた。 人は定住するようになってから退屈と感じるようになったという点は非常に納得した。

    0
    投稿日: 2025.10.17
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    退屈から逃げるため人はミッションや仕事の奴隷になる、浪費や退屈と向き合うことを通して、物事を楽しむ訓練がなされる。 消費ゲームから抜け、浪費を楽しむ 自分が動物になることを待ち構える

    0
    投稿日: 2025.10.13
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    難しかった。 理解できるようで、理解しきれない。 でも何か少し分かった気がする。 でも言葉にできないからやっぱり理解できていないのだと思う。 ただ、最後の「痛む記憶」が内側からのサリエンシーとなり、耐えざる刺激には耐えられないのに、刺激がないことにも耐えられない、に繋がっているのではという考察がなるほどと思った。 まだ完全に腑に落ちたわけではない。

    9
    投稿日: 2025.10.12
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    いやー、最高ですね。 星4.5以上ですよ。もう5でもいいです。 こんなに綺麗に文章かけるのがすごい。 読んでて「?」が出てくる度に、次の一文で解明されていく。 天才。日本語の本を全部この人に書いて欲しい。 なんとなく退屈だ ここの書き方ヤバいよ。

    0
    投稿日: 2025.10.09
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    難しいことを平易に書いてあるが、やはりそれでも理解をするのが難しいところもチラホラ。それでも、頑張って読んで考えていったらある瞬間にストンと腹に落ちた気がした。読んで良かったです。

    0
    投稿日: 2025.10.07
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    退屈の第1・2・3形式の話は、とても勉強になった。 というのも、私自身がこれらの退屈にのっとった行動を繰り返してきたからだ。 空白の時間が生まれると、何もしていないことが不安になり、躍起になれる目標を探して、しばらくするとそれに飽きて(もしくはうまくいかず)、また空白の時間が生まれる…… 本書でいうところの第1と第3の退屈を繰り返してきたのである。 まさか反復してきた出来事が「暇と退屈」で説明できるなんて、この本を読み始めるまで一切思ったことがなかった。 著者は哲学を専門とされており、本書での話の進め方も「これでもかっ」というくらい、丁寧に慎重にじっくりと進められる。本書のなかで、先人の哲学に投げかけられる“著者からの批判”も、理屈っぽくはあるのだけど、ある種直感に響くものでもあり、「そのとおり!」と拍手したくなるものばかり。そのようにして議論が進められるから、読んだあとの納得感がとてもある。 初めての哲学関連の本だったが、とてもおもしろかった!

    6
    投稿日: 2025.10.06
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    このレビューはネタバレを含みます。

    ありがたいことに、私は学生ながら忙しい日々を過ごすことができている。しかしそれは煩雑な時間と言える場合もある。気づいたら過ぎていっている時間、そして少し引きの視点に移ったときに、それが退屈な時間であったと感じたこともある。それを乗り越えるためのキーワードとして、「楽しむ」があるように感じる。 そして教育は楽しむ訓練であるというラッセルの言葉には大変頷ける。世の中のことを知り、あらゆることに考えを巡らすことで、ものの受け取り方は成熟していく。そして感性は磨かれていくのだろう。退屈な時間を決して悲観することなく、1人の人間として有限の時間とどう向き合うか、この一冊を通してぜひ考えてみて欲しい。

    0
    投稿日: 2025.10.03
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    スピノザ、ルソー、ニーチェ、ハイデッガーなど歴代の哲学者や思想家の意見を山ほど引用し、現代消費社会における退屈の問題を考える。 消費社会では人は市場にある物やサービスの中から選ぶことに慣れてしまい、本当に欲しいものを自ら欲することができなくなってしまった。つまり資本主義社会が作ったものをひたすら消費するだけの社会になってしまった。労働者は時間を束縛され業務と休暇を与えられる。休暇と言いながら強迫観念で旅行やイベントの予定を押し込む。どうも我々は制約のある社会の中で、当たり前のように縛られて生きていることを自覚しないといけないようだ。 人間は太古の昔に定住化するようになるとともに様々なルールに縛られた奴隷的状態に身を置き始めたそうだ。そして自由を手に入れると不安になり決断という名のもとに制約を入手して安心する。暇(自由)になると、退屈してきて刺激(制約)が欲しくなる。もはやアラブの春の失敗と同じであり、フロムの「自由からの逃走」と同じである。 そのうえで退屈に対処していかなくてはいけないようだ。もう既に、仕事しないと退屈だと贅沢な悩みを訴える友人もいる。若い頃は退屈していたけれど、もう何十年も退屈していない気がする。贅沢な自由を味わえている。それだけでも儲けものですね。

    1
    投稿日: 2025.10.03
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    自分は全然ハマれなかった。哲学とかって究極の暇つぶしに感じるし、人間って…みたいなことをぐるぐる考える時もあるけどそれをずっと考えて本にしたり仕事にしてる人々すごいなぁ

    0
    投稿日: 2025.10.02
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    このレビューはネタバレを含みます。

    現代社会において、生きることは習慣化されて漠然とした退屈に覆われている。 生物によって環世界が違うため、退屈の感じ方が違う。(蝸牛4分の1、人間18分の1、ベタ30分の1秒が最小) 退屈から逃げるためには決断の奴隷になり、人間であること(退屈とその気晴らし)を楽しむ。

    0
    投稿日: 2025.09.30
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    ある書店でパッと直感で目について読んでみたいと思った本を、ようやく読むこととなった。 暇と退屈、現代における人間の普遍のテーマであると感じていたことが、本書により少し噛み砕かれた気がする。 様々な哲学者の考え方を通して結論に至るのだが、まあまあな長さ。途中飛ばしたい気持ちもあり、速読してキーワードを拾った。少々回りくどいかなとも思ったが、全部読まないと見えてこないものもあるように思う。 暇にも種類があり、自分が生きている世界の常識の範疇だけで生活していると安定はあるが、暇を感じやすい。消費を促される現代社会の有り様だなと思う。 楽しむこと、浪費すること、考えることが大事だと思った。しかし自分の環世界から“とりさらわれる“ということについては、読み切った今も体感を伴っていないように感じる。 考えるに値する内容であるが、こうしたらこうなる、というような結論の仕方ではないのと、内容が深くて、自分なりの結論を出すのにまた人生を考えさせられる、といったような本に感じる。 読者である自分も、自分なりのフィロソフィーと呼べるものを作りあげていきたいなと思った。

    8
    投稿日: 2025.09.29
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    長くて抽象的なためちょっとしんどい部分もあった。 ただ色々な発見を与えてくれた本。 すっっごい暇な時にぱらぱら読んでみようかしら

    0
    投稿日: 2025.09.28
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    「人生は暇つぶし」という言葉があるけど言い得て妙だなと思った。退屈しないためには消費ではなくて浪費をすること。教科書に出てくる有名な哲学者もたくさん出てくる。具体例を使ったわかりやすい解説が多く哲学に馴染みがなくても楽しく読めた。でもやや難しく筆者の主張が完全にわかったとは言い難い。勉強不足であると感じた。

    0
    投稿日: 2025.09.27
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    本を読んで内容を自分に取り込むというのは、環世界を獲得し直したり、再創造していることに他ならないと思うんですよね。 そういう意味で私は本を読むのが好きです。視点つまり行き来できる環世界を多く持てるほど、生きやすさが増すんじゃないかと。 ここで言う「生きやすさ」には二つあります。ひとつは、何かネガティブな出来事があったときに解釈を少しずらしてダメージを減らせるというディフェンシブな側面。もうひとつは、日常の中の楽しみを増やせるというオフェンシブな側面です。 結局のところ、土台にあるのは「自分が生きやすくなること」なんですが、この本を読んで同時にそれは、ポスト・フォーディズム的な産業体制への、ささやかな抵抗にもなるのかなと思ったりしました。 まぁ、環世界を再創造したり獲得するための刺激を待ち受けるにも余白は要ります。浪費に踊らされないことは大事だなと。願わくば、消費と浪費を見分ける目を、少しずつ鍛えていきたいところですね。

    8
    投稿日: 2025.09.27
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    メモ ラッセル 打ち込めるものがあれば幸福 持たぬ人は不幸 好きなことをしている人が幸福? 好きなことだと思わせるための広告やセールスに教えてもらっていないか 暇の中でいかに生きるべきか、退屈とどう向き合うべきか モリスは飾ればいいと言った ---1章 原理論 パスカル 人間の不幸は、部屋にじっとしていられないから 苦しみを求める人間のこと (徒歩旅もそうかも) うさぎを狩りに行くのは、ウサギが欲しいからではない 欲望の原因:気晴らしが欲しい 欲望の対象:うさぎ ラッセル 熱意を持って取り組める活動が得られれば幸福 あらゆるものに興味を 人は楽しいことを得ることが大切なのではなく、 楽しいことを得たいと求められるようになるか が幸福にとって大切 スヴェンセン ロマン主義が不幸を生んでいる 他人と同じは嫌 ---2章 系譜学 人は定住生活をできるようになったのではなく、しなければならなくなった 定住革命 定住によって、大脳に適度な負荷をもたらす別の場面をもたらす必要が出てきた →退屈と文明の発生 ---3章 経済史 暇は客観的、退屈は主観的 有閑階級と製作者本能(無駄を嫌う) 有閑階級は暇を生きる術を知っていたが、新しい有閑階級は知らない フォーディズム 労働のための余暇 資本の内部にある余暇を求めるとして、“私たちはその中でなにをするのだろうか?” ガルブレイスは、労働を不愉快な労働と見做さない新しい階級について言及 (あるいは自分もそれを目指してきたのかも知れない) 現代においては、消費者が(需要が)生産を決定するのではなく、供給側がそれをリードしている フォーディズムが通用しなくなったのは、絶え間ないモデルチェンジが必要となったから なぜモデルチェンジを繰り返すのか? 人々が「気晴らし」のために、「チェンジした」という情報を求めているから 暇と退屈に対する生き方を学べば、不毛な気晴らしを辞め、モデルチェンジが必要なくなり、非正規雇用も減っていく ---4章 疎外 浪費は物、消費は観念 だから消費には果てがない、浪費できる生活は贅沢で豊か 消費生活はものがなさすぎる

    0
    投稿日: 2025.09.27
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    仙台の地底ミュージアムのくだりでゾクゾクした。 『縄文の生活誌』岡村道雄 地底の森ミュージアム(仙台市富沢遺跡保存館)

    0
    投稿日: 2025.09.25
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    このレビューはネタバレを含みます。

    なかなかに興味深い本だった。今まで語られてきた哲学論が如何にそれぞれの主観で語られていたのか、各々の「こうであってほしい」が投影されてきたものであるか、人間の環境によって左右されるような安易なものであるかを、作者の方は様々な方面から暇と退屈を分析し、作者自身の出来うる限りの客観的な視点をもって、論じていく。 あとがきにはそれぞれの感想を教えて欲しいとあった。私はそう考えてみると、動物らしい人間であるのかもしれない。私の人生は不法侵入だらけだ。朝起きてから夜寝るまで、頭の中で何かを考えていない時間が存在しない。人と今日の天気やお昼ご飯について喋りながら、頭の中では歯周病が大腸がんの原因となり得る理由について考えているような有様だ。だけど、第二形式の退屈というのは最近経験したことがある。気乗りしない相手と水族館に行ったとき、目の前で彩り豊かな色彩をもって泳ぎ回る魚たちを前に、私は絶望に似た退屈しか感じられなかった。これこそが第二形式の退屈なんだろう。退屈させられているのではなく、退屈していたんだ。 浪費家になれ、贅沢をしろ。 この本は確かに結末だけ読んだとしても得られるものはない。通読した者にだけ得られるプレゼントを用意してくれた著者に感謝だなぁ ─────────────── 退屈と気晴らしが入り交じった生、退屈さもそれなりにはあるが、楽しさもそれなりにある生、それが人間らしい生であった。だが、世界にはそうした人間らしい生を生きることを許されていない人たちがたくさんいる。戦争、飢饉、貧困、災害──私たちの生きる世界は、人間らしい生を許さない出来事に満ち溢れている。にも関わらず、私たちはそれを思考しないようにして生きている。 退屈とどう向き合って生きていくかという問いはあくまでも自分に関わる問いである。しかし、退屈と向き合う生を生きていけるようになった人間は、おそらく、自分ではなく、他人に関わる事柄を思考することができるようになる。

    3
    投稿日: 2025.09.18
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    「暇」とは単にすることがない時間ではなく、自分がどの環世界にいるかという問題らしい。現代社会は、企業が作った「消費を強要する環世界」のなかで独自性が失われ、私たちは「何となく暇だ」という感情から抜け出しにくくなっている。 ただ人間には、暇を感じない動物ととは異なり、自ら環世界を移動し、拡大する能力がある。それが集中する事を妨げてる側面もあるが、新しい環世界を想像する事に繋がってるんだと思う。本書にあるように「消費」を「浪費」へと転換すること。他人の価値基準ではなく、自分自身が感じる贅沢突き進めることで暇を解決したいと思う。

    3
    投稿日: 2025.09.18
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    倫理学と聞いて、小難しい話かなと構えたけれど、知識のない私でも分かりやすかった。 歴史や哲学、経済学等、多方面から考察された暇と退屈についての問題と概念は、なるほど・・うんうん。そうなんだーと、まるで大学の面白い講義を受けている感覚で読み進められた。 常日頃、何してんだ私は・・と仕事をしていても家のことをしていても何もしていなくても思うことはあって、それはまだ10代の青臭い頃から今も尚続いていて、なのでその答えの輪郭が少し見えた気がして嬉しかった。 これまでの人生、きっと消費していたことが多かったから満たされなかったのかも。思う存分浪費を楽しむ為に、勉強は大切だなと思う。勉強することで得た知識が人間であることを楽しみながらの気晴らしを可能にする。 そうやって、常に世の中の出来事にアンテナを張り視野を広げ、自分の興味を引くもの、没入出来、あわよくば自分を動物にしてくれるものに出会う機会を待ち構えることが気晴らしに繋がれば、暇を退屈と思わなくて済むのかもしれない。 いつも忙しく動き回っている家族にも勧めたい一冊。

    5
    投稿日: 2025.09.16
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    名前をよく聞くが読んだことがなかったので読んだ。 「暇」や「退屈」という一見すると取るに足りない日常的な概念が、実は戦争やテロを引き起こす一因になっているかもしれない。哲学書としての本書を読んで、そんな新たな視点を得られた。 個人的な疑問として、「なぜ人類は全世界人口を十分に養えるだけの食料生産技術を手に入れたのに働き過ぎるのだろう」ということをずっと知りたいと思っていた。本書では、人類が遊動生活から定住生活に移行したことや、人間が他の動物よりも環世界間を移動する能力が極端に高いことが、人間の「退屈」につながっていることが示される。この「退屈」が、人間が働き過ぎる大きな原因の一つであると感じた。とはいえこの本の結論は、そんな愚かな人間をポジティブに捉えるためのヒントにもなるものだった。 本書ではハイデガーを代表とする過去の哲学者の難しい主張が紹介されるが、全体的に平易かつ具体例をそえて書かれていて、とても読みやすかった。

    2
    投稿日: 2025.09.15
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    哲学の話なのに読みやすかった。”暇と退屈”について、すでに論じられていた(議論されていた)のですね。少しだけスッキリ。

    1
    投稿日: 2025.09.15
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    このレビューはネタバレを含みます。

    さまざまな学問の観点や研究者の論説を引き合いに出すことで、暇と退屈の輪郭を少しずつ明らかにしていくスタイルによって、哲学書、かつ難しい概念的な観念を扱っているにも関わらず比較的読みやすいという感想が出てきた。 結論として、贅沢を取り戻すこと(消費ではなく浪費、享受をするための訓練を行うこと)と、 人間的な(第二の退屈)状態であることを理解しつつ、動物になる(第一の退屈のような状態に囚われる)、しかもそれは良い方法で(良いというと少し概念としては浅いけども、例えば与えられたものを享受し、思考を享受する、といった形で)動物的な状態になることを勧めてくる所は、概念的だが、自分で少し考えれば日常にも落とし込めるようなところまで論を導いており、今後自分が退屈状態に陥った際に俯瞰的に思考ロジックを組むための助けになると感じた。

    1
    投稿日: 2025.09.14
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    今やっていることが本当に好きなのかわからなくなってしまう時がよくある。自分はこの仕事が好きなのだと言い聞かせる時もある。時々、すごく楽しくできる日もあるから。 これしかできないといって没頭し続ける天才たちが羨ましい。夢に向かって努力する姿が眩しい。時々立ち止まってしまう自分は、そんな天才たちより劣っている。こんなタイトルの本を手にしている時点で、暇な気持ちがあるわたしは劣っている。 そんなふうに思っていたわたしに、決してそうでは無いと、強いメッセージを投げかけてくれる本でした。モヤモヤしたなかでもがき続けることこそが、人間の運命なのだと。 哲学にはあまり詳しく無いですが、誰もが一度は考えたことのある、自分とは何なのか、生きるとはどういうことなのか、といった壮大すぎる疑問を、目を背けることなく、生涯にわたって考え続ける哲学者という生き物に、感動しました。 何も知らないまま、何も考えないまま、死にたく無い、そう思いました。

    2
    投稿日: 2025.09.13
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    時間かかって読了!暇、退屈といった抽象的な言葉を色々な切り口から論理的に説明していて、難しい内容だったけど割とスッと頭に入ってきた。 人類史、環世界の観点から解説する章が個人的には興味深いと感じた。 また、浪費・消費という概念が、自分が思っていた印象と違っていて面白いなと感じた。(どちらかというと浪費はしてはいけない、消費は生きていくために仕方ないというイメージだったが、この本では浪費を豊かさの条件として肯定していて、消費社会を否定している) 退屈の概念はハイデッガーの退屈論がベースとなっている。私は待ち時間にそわそわしてしまうことがあるが、これが労働や生活の奴隷になっている証拠であるらしいので、改めないといけないかもしれない笑 著者も言う通り、万人が納得する結論があるわけではないが、この本を読んで自分の生き方について考えることに意味があると感じた。

    1
    投稿日: 2025.09.07
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    20年ほどもやもや言語化できずに感じていた退屈に対しての猛烈な苦痛について、 研究されていたことに驚き、嬉しく、人生のバイブルとなりました。

    1
    投稿日: 2025.09.07
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    凄く救われた。非常に論理的で合理的で助かった。 また難解な言葉もなく、ただの高校生の私でも暇な時に読み進めて2日で読み終わるような内容だった。

    1
    投稿日: 2025.09.06
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    読み進めるとどんどん面白さがわかってくる。 今まで勉強で嫌々目にしていた哲学者たちが、國分さんの手によって、すごくわかりやすく、特徴的に理解することが出来て、勉強意欲が向上したように感じた。 章ごとに様々な分野から、暇と退屈についての考察が行われている所も良い。 あとは、人生を前向きに捉えたり、勉強すること、本を読むことを後押ししてくれる1冊だという印象を持った。

    1
    投稿日: 2025.09.05
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    しばしば人間は暇を退屈に感じ、気晴らしを行う。それは如何なることなのかを過去の哲学者の考えや、人類史、環世界等から論を展開していくのが凄く読んでいて面白く、理解しやすく、共に考えていける素晴らしい体験が出来た。 暇であるとき、自由である。ただ、人は暇であると退屈になり、自分を何かの奴隷にさせようとしてしまう。私も振り返るとそのような経験がある。ただ、本書を読み、暇を肯定的に捉えられるような思考を手に入れたと思う。 私は多趣味で、暇を感じるとすぐに読書や音楽、映画鑑賞など気晴らしを行うため、退屈を感じたことが少ない。また、好奇心が旺盛という自覚があるほど、様々な学問や物事に興味を持てる。この生き方は、ハイデッガーの退屈の第二形式を生きていることであると感じる。この退屈の第二形式を上手く生きていけている自分に自信を持ち、今後も暇と退屈と向き合って生きていきたいと思えた。

    1
    投稿日: 2025.09.03