Reader Store
暇と退屈の倫理学(新潮文庫)
暇と退屈の倫理学(新潮文庫)
國分功一郎/新潮社
作品詳細ページへ戻る

総合評価

627件)
4.2
260
206
83
16
5
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    暇とは何かこう考えていくんだよー、で終わるのかと思っていたら結論もちゃんとあって、しかも納得できた。 読んでいく中で特に環世界の話は印象的だった。 時間や空間も人や動物で違う。太陽は太陽として捉えていない。人間でなかったらと思うと、それこそ当時生物?になってみないと分からない、真面目に行けるところまで行こうとしたら強力なサリエンシーになりそうだ。 勉強ってなんだろう?と時々考えることがあった。習ったことが全て自分の生活に役立つのか?違うよなという思いがあった。 本書は暇にどう対応して行ったら良いか、という筆者の問題定義に共感して読み始めた。 結論で第二形態の「人間を楽しむために」「勉強する」。ハイデッガーのパーティーの話も分かりやすくて、理解するってこういうことか、と感じられた。筆者の想定している読者としてポーズしてるわけではなく本当にそう感じられた。 哲学については、先に『寝ながら学べる構造主義』だけ読んでいて、これも特にまえがきが素晴らしいなと思って最後まで読んだが、今回のような理解まではできなかった。哲学ってこういう世界なのかと、味わう?と言ってもいいのか分からないけど覗き見できた、という感覚で終わったけど、 本書は哲学っておもしろいって思えた。 寝ながら学べる構造主義が読みにくいというわけではなく自分はまだそのレベルを楽しめる勉強が不足していたのだと思う。 本書は単に内容だけでなく、文章の構造もガイドしてくれてる書き方になってるから、分かりやすいんだと思う。章冒頭で何について論じるかから入り、まとめはこれ、結論はこれという風に明確に書かれている。 暇と退屈って言われてみたときはもやもやしてた。読み終わった今はこんな感じだ。 さあ、どの環世界で楽しもうか?

    0
    投稿日: 2026.01.04
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    いわゆる哲学書で気にはなっていた(積読状態)→「スマホ時代の哲学」から続けて読んでみた。 関連する話題でもあり、相関もあって興味深い。(記憶が混同するデメリットもあるけど) 分かりやすく面白いが、簡単ではないし読むのに時間はかかる。 整然と論理構成をまとめて教えてくれる形式ではなく、ひとつずつ問いかけ、考察を加えるという形で物語的、あるいはドキュメンタリー的に進めていき、長旅に付き合う感覚。咀嚼して頭にすっとはいってくる訳ではなく、自分で頭を整理する必要がある。 スマホ時代の哲学同様、ことばの定義に注意が必要。 スマホに比べればトリッキーな語用は少ないのでまだ理解しやすいが。 結論では、要は目の前のことに真剣に楽しんでいるか、というところに行きついたが、 それはスマホ時代の哲学にも(孤独と趣味という言い方)つながるし、 たとえばLISTENで人は人の話を聞いているようで聞いていない、という話にもつながってきた。 過去未来ではなく、今その場の感覚に意識を集中しよう、という禅やマインドフルネスにもつながっていないか。 まずは目の前の料理を味わうとか、今その瞬間を楽しむことを意識してみることを何度も説かれた感覚。

    0
    投稿日: 2026.01.03
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    自分にとって難解だったが、暇ではいが退屈になりそうなときこそ、気晴らしという楽しみを創造する知恵を働かせることの必要性を訴えていることがわかった。

    0
    投稿日: 2026.01.03
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    新年の挑戦!小説以外の読書!撃沈! 多くの文献や哲学者の言葉を噛み砕いて解説してくれている。にもかかわらず、私には難しすぎた。 頭が混乱して、ついていけず。東大生達は「わかりやすい」と感じるんだろうな。 スピノザの言葉 「芳香、緑なす植物の快い美、装飾、音楽、運動競技、演劇、その他他人を害することなしに各人の利用しうるこの種の事柄によって、自らを爽快に元気づけることは賢者にふさわさいのである」 ーーーその通りよ、スピちゃん!当たり前の事を、 なんでこねくり回したような言い方するん? それが哲学なんか? それが学問なんか? 言葉で表すっていう事なんか? 学問って難しい。 新年の挑戦は、読み終えることができず、とばし読み。 単純に自分が理解できなかっただけなので 自己が成長して、難しい本も理解できるようになるべきなんだろう。そんな気づきもあった。

    5
    投稿日: 2026.01.03
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    暇と退屈について深く言語化されていた。 日々の習慣を通して環世界を移動したい。 「楽しむことは思考すること」

    0
    投稿日: 2026.01.01
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    ◼️まとめ ・退屈は刺激不足ではなく関係の貧困状態 ・暇を安易に消費すると世界から孤立していく ・退屈に耐えることで世界との関係を結び直す ※世界とは自分が直接関係する世間 ◼️メモ ⚫︎退屈について 退屈は刺激が足りない状態ではなく、世界(世間)との繋がりが貧しくなった状態と考える。つまり、情報や刺激が少ないから退屈なのではない。むしろ自分と関係がない刺激過多の現代ほど退屈は深刻化する。 ⚫︎暇と退屈の区別 暇(leisure) ・何かをしなくていい時間 ・自由や余白を意味する 退屈(boredom) ・時間はあるが世界と結びつけない状態 ・自由が「空虚」に転化したもの ⇒暇は本来自由な時間や目的から解放された時間のはずであるが、現代では暇は埋めるべき空白や効率化の失敗など改善すべき時間とみなされる。もしくは商業主義の側からは刈り取るべき時間として狙われる。 ◼️感想 本書は禅の思想が根底にあるから多少理論がずれたり飛躍していたとしても一定の支持はあるんだろうなと感じた。こんな小難しく回りくどい言い方しなくても禅を学んだ方が直接的ではないかと思った。

    0
    投稿日: 2025.12.31
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    暇と退屈を歴史、哲学などの視点から考察した本。恐らく、本書は暇と退屈を以下のように定義している。 •暇: 義務に時間を拘束されていない状態 •退屈: 刺激がなく不快な状態 本書の興味深かったところは、(1)暇で退屈、(2)退屈と気晴らしの混合(気晴らしにも退屈を含む)、(3)何か退屈、という3つの状態が円環をなすという点だった。確かにこれは多くの人に当てはまる気がする。また、暇や退屈をネガティヴに捉えすぎないことと、暇=退屈だと誤認しないことが大切だと感じた。 単純に今の気分と合っていなかったせいであるが、正直なところ、タイトルから想像したほど面白い本ではなかった。「面白いかも」と思い次の頁をめくると、「どうでもええこと考えてるな」という気持ちになる、刺激と退屈が交互にくる読み物だった。

    1
    投稿日: 2025.12.28
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    要所要所で難しいところはあったが、全体的に読みやすい本であった。 暇と退屈、という切り口でここまで世界観を広げさせるのか!と感じた。

    7
    投稿日: 2025.12.24
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    生きるとは、習慣の連続である。 生きていれば、お腹が空くからご飯を食べる。 清潔に保つために毎日お風呂に入る、歯を磨く。 健康を保つために運動をする。 そんなことが死ぬまでずっと続く。 あぁ、めんどくさい。退屈だ。なんか楽しいことないかな。 そうして好きなことを見つけ、気晴らしする。 だけど消費させられてるばかりでは、退屈からは脱することはできない。 衣食住や、娯楽を心から楽しむ。 心から楽しむためには、知識や教養が必要。 そのために勉強する。 そうすると見え方が変わってくる。人生がカラフルになる。 退屈するのは間違いないが、少しでも彩りのある人生にしていきたい。

    2
    投稿日: 2025.12.23
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    筆者の考えを全て理解できたかと言われると、追いつかなかった部分もあるが、おもしろかった。 消費社会に取り込まれてしまっているいま、“生きること”を取り戻す必要があるように感じた。 自身の時間の過ごし方と、3歳の子どもの時間の過ごし方を見ていると、子どもは「人間であること」を楽しみ、「動物になる」ことができているように感じるのだが、第二形式を楽しむことには訓練が必要であるにも関わらず、訓練していなそうな子どもが楽しむことができているというのは、どういうことなのだろうか。楽しむことを大人になる過程で忘れる/失ってしまい、訓練により取り戻す必要があるということなのだろうか。 自分は第三=第一形式に入ってしまうことが時折あると感じた。マインドフルネス的なものとはまた何か違うのだろうか。そのあたりがまだしっかり理解できていない。

    1
    投稿日: 2025.12.20
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    定住生活の開始により探索能力有り余り、退屈発生。退屈により非日常、切り離された今日を求める。他方、生物は安定を好む。一方、ヒトは環世界移動できる、しようとする、でも、習慣化によって安定する。が故に退屈が生まれる。そのため、新たな環世界でどうぶつになりたがる。この堂々巡りが、第一=第三形式に陥らない第二形式か?それでは、そもそも何故退屈は生じるのか。安定は過去の記憶に潜む痛みを呼び起こしてしまい苦しめるから。これが退屈の正体では。以上が本書の私の理解。簡単に纏めることなんてできないけど、備忘録として。この類いの本、あまり読まないので、最後まで通読できて良かったです。

    0
    投稿日: 2025.12.19
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    Audible!! よくある「明日から使える!」系のビジネス書じゃなくて、ひとつのテーマを徹底的に深掘りして、論理を積み上げていくタイプの本! なのでかなり難解だけど読み応え抜群でした。 【学んだこと】 ◆「暇」と「退屈」は別物 ヒマ:客観的(あの人は暇に見える) 退屈:主観的(この仕事は退屈だ) 目指すべき状態は「暇だけど、退屈していない人」 成り易いのは「退屈しているのに、暇がない人」 ◆退屈は3つに分解できる ① 電車を待つ退屈(奴隷モード) 「電車まだ?早く来い」ってイライラしてる時。これは時間や外部の状況に支配されてる「仕事の奴隷」と同じ状態らしい ② パーティの退屈(気晴らしモード) 楽しいはずのパーティや飲み会なのに、ふと虚しさがよぎる、、 ③ なんとなくの退屈(究極モード) 理由は特にないけど、深い虚無感が襲ってくる これが一番深くて怖い「究極の退屈」 ➡︎③から逃げるために社畜になったり、スマホを見続けたりして、「①奴隷モード」へ自ら逃げ込んでしまう。 ◆退屈を回避するには そもそも人はエネルギー節約のため「考えない仕組み=習慣=環世界」を作る。けど、この習慣が惰性や他者依存だと、「環世界」が狭いままになり、すぐに飽きて①の奴隷的な退屈に陥る。 そこで、「自分で考えるエネルギーを使い」、「自分で選んだ習慣(環世界)」を能動的に作る。 料理でも、音楽でも、アートでも、知識がないと「つまんない」で終わるけど、自分で学び、向き合うことで「面白い!」に変わる感じ。 それによって自分で作った環世界は深く、広いため、退屈と能動的に向き合って「楽しむ訓練」が可能になり、「暇だけど退屈ではない」状態が生まれる。 頑張るじゃなく楽しめですね(・_・;

    20
    投稿日: 2025.12.13
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    兎狩りは獲物が欲しいのではなく、退屈を逃れたいから気晴らしをしたいから狩りに行く 定住者がいつもみる変わらぬ風景は感覚を刺激する力を失っていく 退屈とは人間の可能性の表れ 決断の奴隷になる 楽しむ能力を身につける 物を楽しむことができないと退屈になってしまう 退屈することは自由であることで、そこから決断によって退屈を人間的自由へと反転させる 楽しむことは思考することにつながる 贅沢とは受け取った物を楽しむこと

    0
    投稿日: 2025.12.13
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    「哲学書で涙するとは思いませんでした」 そんな帯のコメントが、"倫理学って何?おもしろそうだけど難しそう…"と購入を迷っていた気持ちを後押ししてくれた。 涙はしなかったけど、豊かな生き方のヒントをくれたような本だった。 二足歩行が始まって400万年。 人の生活に革命がおこって1万年。 法律も経済も信仰もすべてはここから。 暇ができ、退屈がうまれた。 常に新しい刺激を求める性。 気晴らしをたのしむ教養。 400分の1。なんかちっぽけにみえた。 消費と浪費の違いを初めて認識できた。 消費行動の中に虚無を感じていた理由がよくわかった。そして、浪費を求めていたんだと。 著者自らの「読み飛ばしてもいい」の言葉に甘えながら、気楽に読み進めることができた。 読み飛ばしながらも、著者のロジックや事例にワクワクしながら読み終えた。 「そうだ本を読んでる時って、こんなたのしかったんだな。」 あらためて、そう思った。

    3
    投稿日: 2025.12.07
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    友達のおすすめで読んでみた。でもそもそも自分は日常で退屈を感じないタイプである。普段感じたりしない事項であるため興味のない分野であることがわかった。

    1
    投稿日: 2025.12.01
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    再読してまた考えてみたいと思わせてくれる本 難しそうな本だけど序章で引き込まれた。「好きなこと」とは何か?私が好きなものは暇を紛らわすためのお気に入りの気晴らしではないか? 選んできた学問も、選ぼうとしている職業も、人生の気晴らしのために選んでいるのか?それはそれでいい気もしてる。 コスメやアニメグッズ、ファッションの情報を得にSNSを見てしまうが、あれは「欲しいものがあるから探してる」のではなく、「欲しいものを探してる」行為だなと思った。実際、SNSを見て購入に至ったケースが山ほどある。 あの購買ケースは私の欲望を満たしてはくれないことが多い。それはあの購買が「浪費」ではなく「消費」だからなのかと腑に落ちた。 退屈の第一形式、第二形式、第三形式については理解しきれていない気がする。第一形式(=第三形式)への逃げ込みは私自身よくやっている(例:意味のない資格取得など)。第二形式もよくある(行きたかったはずの旅行先で退屈してしまっている)。でもなんとなくの実体験があるだけで國分さんの言っていることが私の中に上手く落とし込めなかった。 そういう個所は多々あるので、時間をおいて再読し、新たな発見とともに「暇と退屈」について私も解き明かしたいなと思った。 楽しむための訓練しよ!

    6
    投稿日: 2025.11.30
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    暇で退屈な時に読むべき本。退屈でもないのに「売れてる本だから読んでみよ〜♪」などというミーハーな気持ちで読んではいけない。「退屈」はそれ自体が恵まれたことであり「自由」であることなのだから。 とはいえ著者の主張は納得感もあり面白かったです。退屈は人類が定住生活を始めたためにエネルギーが余っているから感じる避けがたい感情であること。ハイデッガーは「退屈」は「自由」であることの査証であり、その時には「決断」するべきであるという(…なにを「決断」するんだろうね)。それに対し著者は、それでは何かの奴隷になる事に等しく、人間は「パーティーのような気晴らしを(時に退屈さを感じながら)楽しんでいく方が良いのでは?」と問う。ざっくり言うと、たぶんこんな感じ。(ちなみに私は今、不自由な仕事・家事育児・読書の奴隷です(笑)) 私も「熱中するものがあるべき」というイデオロギーに若干辟易することがあったので著者の主張には大いに賛成… …なのだけど、既存の思想への反論が心許ない…気がする。「ぼくはそうは思わない」「言ってることがコロコロ変わるので信頼できない」「日本に旅行したくらいで日本人のなにがわかる」(日本人は人間として「本来的」であると主張したコジェーブへの批判)と、まぁ、日常生活なら違和感ないけど、「学問としてその反論はアリなのか?」という疑問が…。 …もしかして哲学ってそういうものなの!? というなんだか、モヤモヤした読後感の本でした(^_^;)。

    11
    投稿日: 2025.11.30
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    大学生の頃に買って、5、6年の時を経てやっっと了読。 ここ半年くらいずっと輪郭の掴めなかった不快感。一昨日くらいにふと「もしや退屈なのでは?」と思い至り、久々に引っ張り出して読んだら凄い良かった。 なんか、安心した。 人生って退屈とどう向き合うかでもあるんだなってわかったことが収穫でした。 人は反復によって習慣を身につける。習慣がないと人は生きていけないけど、習慣によって退屈が生じる。とか最近の自分に心当たりがありすぎて「それ〜〜〜!」と思いながら読んでて楽しかった。 色々な物を受け取れるように自分を育てていきたいし、とりさらわれる瞬間を待ち構えれる場所を増やしたいな。 読書ってタイミングもあるんだなぁ。

    0
    投稿日: 2025.11.23
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    なるほど、と思うこともあったけれども、同じ事が何度も書かれていて結局何が言いたいのかよくわからなくなった。前半より後に行くにつれて読み進める手が遅くなった。

    0
    投稿日: 2025.11.21
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    先日全4回を終えた読書会で取り上げたので、再読。増補版は初めて読んだので付録が新鮮。(読書会について後日あらためて投稿したい)暇と退屈を切り口に現代に漂う疎外を射抜いた名著だなと改めて感じた。結論冒頭の、「本書を読むこと、ここまで読んできたことこそ、〈暇と退屈の倫理学〉の実践の一つにほかならない。だから正確には、あなたは既に何事かをなしている。」というくだりは何度読んでも痛快!これを読むと人生深まりますよ。

    0
    投稿日: 2025.11.20
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    ひたすらに、普段なら見過ごしてしまうような行動に対する疑問を追求し、より深い理解へと掘り進めていく印象であった。そうした問答の積み重ねが自然と私を惹き込み、読み手を思索へと誘う力があった。 また、挙げられるエピソードの多くに共感できたため、読み進めるほどに面白さを感じられた。時折、話題が急に転換する場面もあったが、そのタイミングは絶妙であり、しかも「暇と退屈」という主題から逸れることなく一貫しているため、飽きを感じることは一度もなかった。 筆者の哲学者に対する理解は底知れないものがある。しかし、こうした哲学的テーマに不慣れな読者からすると、数多くの哲学者の局所的な見解が次々と引用され、しかも基本的に批判的な視点で語られるため、やや圧倒される印象を受けるかもしれない。だが、この種のテーマが好きな私にとっては、むしろ筆者の信念や思想の筋が通っており、独自の視点をもって自説を展開していく構成に圧巻さえ覚えた。 また時間をおいて、ぜひ読み返したいと思う。

    0
    投稿日: 2025.11.17
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    序盤は人類史、経済史ベースで親しみやすい。中盤にかけて引用とその批判、議論が繰り返され読み応えがあったがなんとか読了。要所に「読み飛ばしOK」の文字あり、哲学初心者でも通読できるような配慮がありがたかった。 中盤までは退屈の各種が自分で言うところのどんな状況か置き換えながら読み進めるのが面白い。気晴らしに新しい趣味を始めたり、動物のように仕事にとりさらわれてみたり。自分のすべての行動が各退屈の結果であるだけような気がしてきた。。いまここに感想を書き込むことも気晴らし?あと終盤あたり、芸術音楽衣食住、楽しむために訓練が必要という考え方、いいなと思いました。

    0
    投稿日: 2025.11.13
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    なかなかに読み応えのある内容とボリュームの本ではありますが、普段身近にある"暇と退屈"というものを、様々な著書を引用しながらロジカルに講じられていくので、どんどんと内容に引き込まれながら読み進めていけます。シンプルに倫理学とは奥深いものだと思うばかり。 感想を簡単な言葉で言い表せる内容でもないけれど、自身の考え方に一石を投じる本でした。故に、ふとした時にまた読み返したくなる本でもあります。 個人的には浪費と消費の考え方がとてもツボでした。

    6
    投稿日: 2025.11.09
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    退屈から逃れるためには、「人間であること」を楽しむことで「動物になること」を待ち構える。いろんな物事に対して、疑問を持ったり、どうすればより良い物を作れるかなど、思考をできるのは人間だけ。その思考によってある種フロー状態になり動物のように物事に入り込んで楽しめる。仕事で重要な姿勢のようにも感じた。 本書の内容は普通に面白かったがそれ以外に、著者は高校生の頃から自分の哲学を意識しており、それを実際に本書で実現させたという部分のストーリーが興味深かった。

    1
    投稿日: 2025.11.07
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    めちゃくちゃ簡潔に言うと、 「退屈を恐れすぎず、気晴らしに身を任せ、楽しみ方を訓練して心得よ。」 というふうに解釈したが、それに至る過程を理解していなければ、真に実行出来ない、という意味で、読んで非常に良かったと感じる。 人間は1万年ほど前から、気候変動による植生の変化により、定住を余儀なくされた。それ以前、遊動生活をしていた際に、遺憾なく発揮された洞察力や探索する力は、定住と農業によって必要性を失った。そして発揮する場所を失った人間の能力は、文明や文化の発展へと向かうことになる。 暇を得た人間は気晴らしをせざるを得ない。現代社会、消費社会では産業からあらゆる形の気晴らしが供給される。そこでは、産業が消費者に訴えかけて消費者の内に欲を生み出している。この構造により、産業は消費者に、物でなく観念を、消費させ続けることになった。観念の消費は、物の浪費に対して、満足しない。すると、消費によって我々は、「したかったこと」のはずのものに、「これじゃない感」を感じてしまうのである。 豊かな社会、人々が総じて暇を得る前、有閑階級は暇を飾る方法を知っていた。ありふれた生活を如何に楽しむことが出来るかを知っていた。楽しみ方は訓練によって獲得することが出来た。 ところで、ハイデッガーによると、人間の体験する退屈には、①時間がぐずつき、周りが言うことを聞いてくれない退屈、②退屈と気晴らしが絡み合ったもの、③なんとなく退屈、の3つの段階があった。ハイデッガーは、いずれも③を根底に持つと考え、人間は③の状態にあるとき、あらゆる可能性の先端に位置しており、決断によって可能性を発揮するべきであると主張した。 ハイデッガーは、環世界を人間以外の動物が持ち、人間は環世界を持たないからこそ、「とりさわれる」ことがなく、自由であり、自由故に退屈すると考えた。しかし、人間もそれぞれ環世界は持っている。人間とそれ以外を区別するのは、環世界間を移動する能力が相対的に、しかし非常に、高いことだ。つまり、人間は一定の環世界に留まっていられない。それ故に「とりさらわれ」続けることが出来ず、故に退屈する。 すると、様々な環世界を行き来し、気晴らしをしながら生きている人間の姿は、退屈の②の段階にあてはまる。多くの人間の多くの過ごし方は②に当てはまっていると考えることが出来る。②には、①と③には無い、余裕と安定と均整が存在する。そこでは、楽しみ方を訓練することによって、退屈を飾ることが出来る。 人間の生は、主に②であり、ときどき「何となく退屈だ」という感覚が大きくなると①=③に逃げ込みたくなる。その後②に戻るのだが、①③にい続けては仕事の奴隷になってしまう。 ②を過ごすうち、楽しみ方を心得たり、環世界を獲得するうちに、どういった状況が自分に「とりさらわれ」を引き起こすのか理解できるようになる。すると、意図したような「とりさらわれ」も不可能では無い。このようにすると、人間が何かに没頭する、つまり退屈から解放される方法を獲得することも可能なのかもしれない。

    1
    投稿日: 2025.11.06
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    読む前には難しそうな話だと思っていたけど分かりやすく書かれており自分事として考えながら読み進めることが出来ました。 ワクワクする人生を送れるよう沢山勉強したいと思いました。

    8
    投稿日: 2025.11.05
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    (堅苦しくて難しそうだな)とこの本を敬遠している人は今すぐにでも読んだ方がいいと思う。確かに堅苦しい内容のところもあるが、作者が噛み砕いて1から説明してくれているのでスラスラ読める。本当に頭が良い人というのは小難しい内容を芯から理解し、相手の分かりやすいように伝えられる人なんだなと実感した。

    1
    投稿日: 2025.11.04
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    相当前から、「人は、ただ生きる以外に、なぜ仕事なり人との交際なり遊びなり、何かをするのか」が疑問だった。自分なりにいろいろ考えていた。読み進めるうちに、この本がまさにその疑問に答えるものだと分かった。

    0
    投稿日: 2025.11.03
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    消費と浪費、労働と仕事の違い。導入はとても面白い。お金を稼ぐことを目的として生きてきて、それが達成されると、人間はヒマを持て余す。お金があるからそれを埋めようと物を買う。贅沢をしようとする。のだけど、それは、社会が用意してくれた贅沢であり、浪費してるつもりが、消費させられているにすぎない。だから満足せずに、退屈するという。移住民族は、やることがいっぱいあるから退屈ではないというのも、お腹を切られた蜜蜂が、吸い切れないほどの蜜を、お腹から流しながら吸い続けるというのも、なんか面白かった。オーディブルで、しかも2.6倍で聞き流しているので、なかなか頭に入ってこなかったのだけど、この2.6倍で聞くというのは、時間がもったいないからやっていることで、しかしなんの身にもなっていない。この本は、紙の本を買って、じっくり読んだ方がぜったいいい。それがまあ、思考するというヒマつぶしにも、なるのだし。

    1
    投稿日: 2025.11.03
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    暇と退屈を気晴らししながら生きるのが人間らしいってこと? 気晴らしのはずの催しの中で退屈を感じるのは、その気晴らしを受け取るための教養がないから…って分かるような分からんような。難解な映画見てる時の気分とか? トカゲはトカゲの、ミツバチはミツバチの、ダニはダニの世界を生きているってところが好きだった!

    1
    投稿日: 2025.11.02
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    20251102052 暇と退屈との狭間のなかでより良く生きるためのストレッチをしている自分に気づいた。

    0
    投稿日: 2025.11.02
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    読了したという事にこれほど意味がある本は初めて。 読む前と読んだ後で決定的に自分の中の何かが変わるという意味で間違いなく人生の一冊。 そしてこの本を要約する事や切り取って感想を述べる事にあまりにも意味がないために、ただ「読んでほしい」と勧めるほかない。

    1
    投稿日: 2025.11.01
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    非常に面白かった。 自分の中に世界の見方が新たに一つ追加された感じ。 とっつきにくい哲学の考え方を知ることができたのもよかった。 著者は読者の理解に非常に寄り添ってくれたおかげで、抽象的な内容にもかかわらずサクサクと読み進めることができた。 結論の部分は爽快感すらあった。

    0
    投稿日: 2025.10.29
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

     長い探究を続けた先の結論は、びっくりするくらい単純。でもその結論に至るプロセスを紐解いていくことで、自分の無意識下の行動や思考が理解できる範囲に入り込んできて、どこか安心する。  私は未だに自分が何で満たされるかを知らないから、いつまでたっても満足できない。でも満たされないことを楽しんでいる気もする。まだ自分のこの感覚を言語化することはできないけれど、全てを言語化できるなら芸術はここまで発展していないと思うし、わからないままなのも案外楽しいかもしれない。どんなことも考え方次第だね

    0
    投稿日: 2025.10.26
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    「暇だなぁ。どうにかこの時間を有意義に使えないものか」と読み始めた一冊。中身は思ってたものとだいぶ違い、先人たちの論を学びつつ、暇と退屈に付いて理解を深め、著書と一緒に熟考していく重厚なものだった。内容はとても深く、様々な意見に自身の考えを揉まれ、非常に頭を使わされたが、とてもよく整理されており、意外にも読みやすかった。手頃な自己啓発本とは違い、暇についての解決法は何度もじっくり読み返しつつ考えなければ答えを見つけられなそうだが、とても良いものを吸収できた気がする。 まぁ、難しかったけど倫理って首を突っ込むと簡単には抜け出せないくらい面白いものだぞってことがわかった!!

    4
    投稿日: 2025.10.24
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    人は暇になりたいという欲望がありながら、暇に耐えられない矛盾した生き物である。 それは過去の記憶によって生み出される痛みである。 タイトルにある通り暇と退屈の違いについて教えてくれた。興味深かった。 「私たちは退屈する。自由であるが故に退屈する。退屈するということは、自由であるということだ。」 この文章が記憶に残っている。 しばしば暇はいけないことだと語られるけど、僕は暇こそ一番大切にしなきゃいけない時間だと思った。 しかし、暇なときその退屈からはどうしても逃れられないのだとこの本から教えてもらったので、どうしても退屈だなぁと感じる時はその言葉を思い出すようにします。 最初は簡単な話から始まったけど後半になるにつれて置いて行かれた感があったので、時間をおいてもう一度読みたいです笑

    0
    投稿日: 2025.10.23
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    過去の偉大な哲学者たちが「退屈」をどう捉えて、どう対処すべきか、難解な哲学書の概要も理解できるように記載されていた。途中、立てられた仮説が突飛に感じたり、結論の落とし所に考えさせられたが、退屈が生ずるメカニズムを自覚できた点で、読む前と後で感覚が変わった。

    5
    投稿日: 2025.10.22
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    何事もより良くしようとしたり、より楽しもうと工夫したり、時間がきても気にせずやり続けようとしたり、そういう人間でありたい。たまたま好きなことかもしれない。でもこの世は九割九分たまたまな気もする。でも満足するためにはただ何も考えずにやるよりも頭と身体を使ったほうが達成感と満足感は確実にあがる。AIが進化すればこの先もっと退屈になるのだろうか。AIも退屈するのだろうか。わたしは人間らしく一喜一憂し、待ち構え、退屈と向き合って生きていこう。

    0
    投稿日: 2025.10.19
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    いつも「何かをしておかないと」という謎の焦りで自分の首を絞めてきました。その焦りがどこから来ていたのか、これを読み、なんとなく分かった気持ちです。 読了後、その焦りの正体はいつのまにか度外視できるまでには薄くなってました。 明日から退屈な時間を思いっきり楽しみ、贅沢に使おうと思っています!

    2
    投稿日: 2025.10.19
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    上司に推奨されて読む。教養を付けるための入りとして読む。 物質や時間的余裕欲しさに豊かさを目指した結果、その豊かさに喜べない。また、暇や退屈の潰し方は広告などにより教えられている始末。暇と退屈にどう向き合うのが正しいかを考えるのが主題。 暇や退屈は定住生活により生まれ、過去脈々と苦しいものとして認識され続けているというのを過去の哲学者や経済史が示している。それらを振り返りながら、人間の世界の捉え方を認識し、暇と退屈への向き合い方を考えていく。 結論は、色々な環世界を創造しそれらを一つ一つ楽しむという「気晴らし」を継続してすることが人間らしい、暇と退屈との向き合い方であるとのこと。教えられたエンタメやSNSなどの退屈から逃げるような消極的な消費は人間的でない。対比として捉えると、あるべき気晴らしを理解しやすいと感じた。 ちょうどこんまりさんの片付けの本を読んだあとだったので、環世界の一つ一つを楽しむという本書の結論と、ものと向き合うというこんまりさんの教えが近いものであり理解しやすかった

    3
    投稿日: 2025.10.18
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    咀嚼して書いたと本の中で著者の方は言っているが完全に理解するには何度か読み直さなければいけないくらい、分かっているようで分かりきれてない、そんな感じ。 しかし自分が普段感じていた人生とはなんだろうみたいな違和感をこの本が説明してくれた。 人は定住するようになってから退屈と感じるようになったという点は非常に納得した。

    0
    投稿日: 2025.10.17
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    退屈から逃げるため人はミッションや仕事の奴隷になる、浪費や退屈と向き合うことを通して、物事を楽しむ訓練がなされる。 消費ゲームから抜け、浪費を楽しむ 自分が動物になることを待ち構える

    0
    投稿日: 2025.10.13
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    難しかった。 理解できるようで、理解しきれない。 でも何か少し分かった気がする。 でも言葉にできないからやっぱり理解できていないのだと思う。 ただ、最後の「痛む記憶」が内側からのサリエンシーとなり、耐えざる刺激には耐えられないのに、刺激がないことにも耐えられない、に繋がっているのではという考察がなるほどと思った。 まだ完全に腑に落ちたわけではない。

    9
    投稿日: 2025.10.12
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    いやー、最高ですね。 星4.5以上ですよ。もう5でもいいです。 こんなに綺麗に文章かけるのがすごい。 読んでて「?」が出てくる度に、次の一文で解明されていく。 天才。日本語の本を全部この人に書いて欲しい。 なんとなく退屈だ ここの書き方ヤバいよ。

    0
    投稿日: 2025.10.09
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    難しいことを平易に書いてあるが、やはりそれでも理解をするのが難しいところもチラホラ。それでも、頑張って読んで考えていったらある瞬間にストンと腹に落ちた気がした。読んで良かったです。

    0
    投稿日: 2025.10.07
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    退屈の第1・2・3形式の話は、とても勉強になった。 というのも、私自身がこれらの退屈にのっとった行動を繰り返してきたからだ。 空白の時間が生まれると、何もしていないことが不安になり、躍起になれる目標を探して、しばらくするとそれに飽きて(もしくはうまくいかず)、また空白の時間が生まれる…… 本書でいうところの第1と第3の退屈を繰り返してきたのである。 まさか反復してきた出来事が「暇と退屈」で説明できるなんて、この本を読み始めるまで一切思ったことがなかった。 著者は哲学を専門とされており、本書での話の進め方も「これでもかっ」というくらい、丁寧に慎重にじっくりと進められる。本書のなかで、先人の哲学に投げかけられる“著者からの批判”も、理屈っぽくはあるのだけど、ある種直感に響くものでもあり、「そのとおり!」と拍手したくなるものばかり。そのようにして議論が進められるから、読んだあとの納得感がとてもある。 初めての哲学関連の本だったが、とてもおもしろかった!

    6
    投稿日: 2025.10.06
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    ありがたいことに、私は学生ながら忙しい日々を過ごすことができている。しかしそれは煩雑な時間と言える場合もある。気づいたら過ぎていっている時間、そして少し引きの視点に移ったときに、それが退屈な時間であったと感じたこともある。それを乗り越えるためのキーワードとして、「楽しむ」があるように感じる。 そして教育は楽しむ訓練であるというラッセルの言葉には大変頷ける。世の中のことを知り、あらゆることに考えを巡らすことで、ものの受け取り方は成熟していく。そして感性は磨かれていくのだろう。退屈な時間を決して悲観することなく、1人の人間として有限の時間とどう向き合うか、この一冊を通してぜひ考えてみて欲しい。

    0
    投稿日: 2025.10.03
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    スピノザ、ルソー、ニーチェ、ハイデッガーなど歴代の哲学者や思想家の意見を山ほど引用し、現代消費社会における退屈の問題を考える。 消費社会では人は市場にある物やサービスの中から選ぶことに慣れてしまい、本当に欲しいものを自ら欲することができなくなってしまった。つまり資本主義社会が作ったものをひたすら消費するだけの社会になってしまった。労働者は時間を束縛され業務と休暇を与えられる。休暇と言いながら強迫観念で旅行やイベントの予定を押し込む。どうも我々は制約のある社会の中で、当たり前のように縛られて生きていることを自覚しないといけないようだ。 人間は太古の昔に定住化するようになるとともに様々なルールに縛られた奴隷的状態に身を置き始めたそうだ。そして自由を手に入れると不安になり決断という名のもとに制約を入手して安心する。暇(自由)になると、退屈してきて刺激(制約)が欲しくなる。もはやアラブの春の失敗と同じであり、フロムの「自由からの逃走」と同じである。 そのうえで退屈に対処していかなくてはいけないようだ。もう既に、仕事しないと退屈だと贅沢な悩みを訴える友人もいる。若い頃は退屈していたけれど、もう何十年も退屈していない気がする。贅沢な自由を味わえている。それだけでも儲けものですね。

    1
    投稿日: 2025.10.03
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    自分は全然ハマれなかった。哲学とかって究極の暇つぶしに感じるし、人間って…みたいなことをぐるぐる考える時もあるけどそれをずっと考えて本にしたり仕事にしてる人々すごいなぁ

    0
    投稿日: 2025.10.02
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    現代社会において、生きることは習慣化されて漠然とした退屈に覆われている。 生物によって環世界が違うため、退屈の感じ方が違う。(蝸牛4分の1、人間18分の1、ベタ30分の1秒が最小) 退屈から逃げるためには決断の奴隷になり、人間であること(退屈とその気晴らし)を楽しむ。

    0
    投稿日: 2025.09.30
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    ある書店でパッと直感で目について読んでみたいと思った本を、ようやく読むこととなった。 暇と退屈、現代における人間の普遍のテーマであると感じていたことが、本書により少し噛み砕かれた気がする。 様々な哲学者の考え方を通して結論に至るのだが、まあまあな長さ。途中飛ばしたい気持ちもあり、速読してキーワードを拾った。少々回りくどいかなとも思ったが、全部読まないと見えてこないものもあるように思う。 暇にも種類があり、自分が生きている世界の常識の範疇だけで生活していると安定はあるが、暇を感じやすい。消費を促される現代社会の有り様だなと思う。 楽しむこと、浪費すること、考えることが大事だと思った。しかし自分の環世界から“とりさらわれる“ということについては、読み切った今も体感を伴っていないように感じる。 考えるに値する内容であるが、こうしたらこうなる、というような結論の仕方ではないのと、内容が深くて、自分なりの結論を出すのにまた人生を考えさせられる、といったような本に感じる。 読者である自分も、自分なりのフィロソフィーと呼べるものを作りあげていきたいなと思った。

    8
    投稿日: 2025.09.29
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    長くて抽象的なためちょっとしんどい部分もあった。 ただ色々な発見を与えてくれた本。 すっっごい暇な時にぱらぱら読んでみようかしら

    0
    投稿日: 2025.09.28
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    「人生は暇つぶし」という言葉があるけど言い得て妙だなと思った。退屈しないためには消費ではなくて浪費をすること。教科書に出てくる有名な哲学者もたくさん出てくる。具体例を使ったわかりやすい解説が多く哲学に馴染みがなくても楽しく読めた。でもやや難しく筆者の主張が完全にわかったとは言い難い。勉強不足であると感じた。

    0
    投稿日: 2025.09.27
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    本を読んで内容を自分に取り込むというのは、環世界を獲得し直したり、再創造していることに他ならないと思うんですよね。 そういう意味で私は本を読むのが好きです。視点つまり行き来できる環世界を多く持てるほど、生きやすさが増すんじゃないかと。 ここで言う「生きやすさ」には二つあります。ひとつは、何かネガティブな出来事があったときに解釈を少しずらしてダメージを減らせるというディフェンシブな側面。もうひとつは、日常の中の楽しみを増やせるというオフェンシブな側面です。 結局のところ、土台にあるのは「自分が生きやすくなること」なんですが、この本を読んで同時にそれは、ポスト・フォーディズム的な産業体制への、ささやかな抵抗にもなるのかなと思ったりしました。 まぁ、環世界を再創造したり獲得するための刺激を待ち受けるにも余白は要ります。浪費に踊らされないことは大事だなと。願わくば、消費と浪費を見分ける目を、少しずつ鍛えていきたいところですね。

    8
    投稿日: 2025.09.27
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    メモ ラッセル 打ち込めるものがあれば幸福 持たぬ人は不幸 好きなことをしている人が幸福? 好きなことだと思わせるための広告やセールスに教えてもらっていないか 暇の中でいかに生きるべきか、退屈とどう向き合うべきか モリスは飾ればいいと言った ---1章 原理論 パスカル 人間の不幸は、部屋にじっとしていられないから 苦しみを求める人間のこと (徒歩旅もそうかも) うさぎを狩りに行くのは、ウサギが欲しいからではない 欲望の原因:気晴らしが欲しい 欲望の対象:うさぎ ラッセル 熱意を持って取り組める活動が得られれば幸福 あらゆるものに興味を 人は楽しいことを得ることが大切なのではなく、 楽しいことを得たいと求められるようになるか が幸福にとって大切 スヴェンセン ロマン主義が不幸を生んでいる 他人と同じは嫌 ---2章 系譜学 人は定住生活をできるようになったのではなく、しなければならなくなった 定住革命 定住によって、大脳に適度な負荷をもたらす別の場面をもたらす必要が出てきた →退屈と文明の発生 ---3章 経済史 暇は客観的、退屈は主観的 有閑階級と製作者本能(無駄を嫌う) 有閑階級は暇を生きる術を知っていたが、新しい有閑階級は知らない フォーディズム 労働のための余暇 資本の内部にある余暇を求めるとして、“私たちはその中でなにをするのだろうか?” ガルブレイスは、労働を不愉快な労働と見做さない新しい階級について言及 (あるいは自分もそれを目指してきたのかも知れない) 現代においては、消費者が(需要が)生産を決定するのではなく、供給側がそれをリードしている フォーディズムが通用しなくなったのは、絶え間ないモデルチェンジが必要となったから なぜモデルチェンジを繰り返すのか? 人々が「気晴らし」のために、「チェンジした」という情報を求めているから 暇と退屈に対する生き方を学べば、不毛な気晴らしを辞め、モデルチェンジが必要なくなり、非正規雇用も減っていく ---4章 疎外 浪費は物、消費は観念 だから消費には果てがない、浪費できる生活は贅沢で豊か 消費生活はものがなさすぎる

    0
    投稿日: 2025.09.27
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    仙台の地底ミュージアムのくだりでゾクゾクした。 『縄文の生活誌』岡村道雄 地底の森ミュージアム(仙台市富沢遺跡保存館)

    0
    投稿日: 2025.09.25
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    なかなかに興味深い本だった。今まで語られてきた哲学論が如何にそれぞれの主観で語られていたのか、各々の「こうであってほしい」が投影されてきたものであるか、人間の環境によって左右されるような安易なものであるかを、作者の方は様々な方面から暇と退屈を分析し、作者自身の出来うる限りの客観的な視点をもって、論じていく。 あとがきにはそれぞれの感想を教えて欲しいとあった。私はそう考えてみると、動物らしい人間であるのかもしれない。私の人生は不法侵入だらけだ。朝起きてから夜寝るまで、頭の中で何かを考えていない時間が存在しない。人と今日の天気やお昼ご飯について喋りながら、頭の中では歯周病が大腸がんの原因となり得る理由について考えているような有様だ。だけど、第二形式の退屈というのは最近経験したことがある。気乗りしない相手と水族館に行ったとき、目の前で彩り豊かな色彩をもって泳ぎ回る魚たちを前に、私は絶望に似た退屈しか感じられなかった。これこそが第二形式の退屈なんだろう。退屈させられているのではなく、退屈していたんだ。 浪費家になれ、贅沢をしろ。 この本は確かに結末だけ読んだとしても得られるものはない。通読した者にだけ得られるプレゼントを用意してくれた著者に感謝だなぁ ─────────────── 退屈と気晴らしが入り交じった生、退屈さもそれなりにはあるが、楽しさもそれなりにある生、それが人間らしい生であった。だが、世界にはそうした人間らしい生を生きることを許されていない人たちがたくさんいる。戦争、飢饉、貧困、災害──私たちの生きる世界は、人間らしい生を許さない出来事に満ち溢れている。にも関わらず、私たちはそれを思考しないようにして生きている。 退屈とどう向き合って生きていくかという問いはあくまでも自分に関わる問いである。しかし、退屈と向き合う生を生きていけるようになった人間は、おそらく、自分ではなく、他人に関わる事柄を思考することができるようになる。

    3
    投稿日: 2025.09.18
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    「暇」とは単にすることがない時間ではなく、自分がどの環世界にいるかという問題らしい。現代社会は、企業が作った「消費を強要する環世界」のなかで独自性が失われ、私たちは「何となく暇だ」という感情から抜け出しにくくなっている。 ただ人間には、暇を感じない動物ととは異なり、自ら環世界を移動し、拡大する能力がある。それが集中する事を妨げてる側面もあるが、新しい環世界を想像する事に繋がってるんだと思う。本書にあるように「消費」を「浪費」へと転換すること。他人の価値基準ではなく、自分自身が感じる贅沢突き進めることで暇を解決したいと思う。

    3
    投稿日: 2025.09.18
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    倫理学と聞いて、小難しい話かなと構えたけれど、知識のない私でも分かりやすかった。 歴史や哲学、経済学等、多方面から考察された暇と退屈についての問題と概念は、なるほど・・うんうん。そうなんだーと、まるで大学の面白い講義を受けている感覚で読み進められた。 常日頃、何してんだ私は・・と仕事をしていても家のことをしていても何もしていなくても思うことはあって、それはまだ10代の青臭い頃から今も尚続いていて、なのでその答えの輪郭が少し見えた気がして嬉しかった。 これまでの人生、きっと消費していたことが多かったから満たされなかったのかも。思う存分浪費を楽しむ為に、勉強は大切だなと思う。勉強することで得た知識が人間であることを楽しみながらの気晴らしを可能にする。 そうやって、常に世の中の出来事にアンテナを張り視野を広げ、自分の興味を引くもの、没入出来、あわよくば自分を動物にしてくれるものに出会う機会を待ち構えることが気晴らしに繋がれば、暇を退屈と思わなくて済むのかもしれない。 いつも忙しく動き回っている家族にも勧めたい一冊。

    5
    投稿日: 2025.09.16
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    名前をよく聞くが読んだことがなかったので読んだ。 「暇」や「退屈」という一見すると取るに足りない日常的な概念が、実は戦争やテロを引き起こす一因になっているかもしれない。哲学書としての本書を読んで、そんな新たな視点を得られた。 個人的な疑問として、「なぜ人類は全世界人口を十分に養えるだけの食料生産技術を手に入れたのに働き過ぎるのだろう」ということをずっと知りたいと思っていた。本書では、人類が遊動生活から定住生活に移行したことや、人間が他の動物よりも環世界間を移動する能力が極端に高いことが、人間の「退屈」につながっていることが示される。この「退屈」が、人間が働き過ぎる大きな原因の一つであると感じた。とはいえこの本の結論は、そんな愚かな人間をポジティブに捉えるためのヒントにもなるものだった。 本書ではハイデガーを代表とする過去の哲学者の難しい主張が紹介されるが、全体的に平易かつ具体例をそえて書かれていて、とても読みやすかった。

    2
    投稿日: 2025.09.15
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    哲学の話なのに読みやすかった。”暇と退屈”について、すでに論じられていた(議論されていた)のですね。少しだけスッキリ。

    1
    投稿日: 2025.09.15
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    さまざまな学問の観点や研究者の論説を引き合いに出すことで、暇と退屈の輪郭を少しずつ明らかにしていくスタイルによって、哲学書、かつ難しい概念的な観念を扱っているにも関わらず比較的読みやすいという感想が出てきた。 結論として、贅沢を取り戻すこと(消費ではなく浪費、享受をするための訓練を行うこと)と、 人間的な(第二の退屈)状態であることを理解しつつ、動物になる(第一の退屈のような状態に囚われる)、しかもそれは良い方法で(良いというと少し概念としては浅いけども、例えば与えられたものを享受し、思考を享受する、といった形で)動物的な状態になることを勧めてくる所は、概念的だが、自分で少し考えれば日常にも落とし込めるようなところまで論を導いており、今後自分が退屈状態に陥った際に俯瞰的に思考ロジックを組むための助けになると感じた。

    1
    投稿日: 2025.09.14
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    今やっていることが本当に好きなのかわからなくなってしまう時がよくある。自分はこの仕事が好きなのだと言い聞かせる時もある。時々、すごく楽しくできる日もあるから。 これしかできないといって没頭し続ける天才たちが羨ましい。夢に向かって努力する姿が眩しい。時々立ち止まってしまう自分は、そんな天才たちより劣っている。こんなタイトルの本を手にしている時点で、暇な気持ちがあるわたしは劣っている。 そんなふうに思っていたわたしに、決してそうでは無いと、強いメッセージを投げかけてくれる本でした。モヤモヤしたなかでもがき続けることこそが、人間の運命なのだと。 哲学にはあまり詳しく無いですが、誰もが一度は考えたことのある、自分とは何なのか、生きるとはどういうことなのか、といった壮大すぎる疑問を、目を背けることなく、生涯にわたって考え続ける哲学者という生き物に、感動しました。 何も知らないまま、何も考えないまま、死にたく無い、そう思いました。

    2
    投稿日: 2025.09.13
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    時間かかって読了!暇、退屈といった抽象的な言葉を色々な切り口から論理的に説明していて、難しい内容だったけど割とスッと頭に入ってきた。 人類史、環世界の観点から解説する章が個人的には興味深いと感じた。 また、浪費・消費という概念が、自分が思っていた印象と違っていて面白いなと感じた。(どちらかというと浪費はしてはいけない、消費は生きていくために仕方ないというイメージだったが、この本では浪費を豊かさの条件として肯定していて、消費社会を否定している) 退屈の概念はハイデッガーの退屈論がベースとなっている。私は待ち時間にそわそわしてしまうことがあるが、これが労働や生活の奴隷になっている証拠であるらしいので、改めないといけないかもしれない笑 著者も言う通り、万人が納得する結論があるわけではないが、この本を読んで自分の生き方について考えることに意味があると感じた。

    1
    投稿日: 2025.09.07
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    20年ほどもやもや言語化できずに感じていた退屈に対しての猛烈な苦痛について、 研究されていたことに驚き、嬉しく、人生のバイブルとなりました。

    1
    投稿日: 2025.09.07
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    凄く救われた。非常に論理的で合理的で助かった。 また難解な言葉もなく、ただの高校生の私でも暇な時に読み進めて2日で読み終わるような内容だった。

    1
    投稿日: 2025.09.06
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    読み進めるとどんどん面白さがわかってくる。 今まで勉強で嫌々目にしていた哲学者たちが、國分さんの手によって、すごくわかりやすく、特徴的に理解することが出来て、勉強意欲が向上したように感じた。 章ごとに様々な分野から、暇と退屈についての考察が行われている所も良い。 あとは、人生を前向きに捉えたり、勉強すること、本を読むことを後押ししてくれる1冊だという印象を持った。

    1
    投稿日: 2025.09.05
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    しばしば人間は暇を退屈に感じ、気晴らしを行う。それは如何なることなのかを過去の哲学者の考えや、人類史、環世界等から論を展開していくのが凄く読んでいて面白く、理解しやすく、共に考えていける素晴らしい体験が出来た。 暇であるとき、自由である。ただ、人は暇であると退屈になり、自分を何かの奴隷にさせようとしてしまう。私も振り返るとそのような経験がある。ただ、本書を読み、暇を肯定的に捉えられるような思考を手に入れたと思う。 私は多趣味で、暇を感じるとすぐに読書や音楽、映画鑑賞など気晴らしを行うため、退屈を感じたことが少ない。また、好奇心が旺盛という自覚があるほど、様々な学問や物事に興味を持てる。この生き方は、ハイデッガーの退屈の第二形式を生きていることであると感じる。この退屈の第二形式を上手く生きていけている自分に自信を持ち、今後も暇と退屈と向き合って生きていきたいと思えた。

    1
    投稿日: 2025.09.03
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    Audibleにて聴書。 ダニの話以降後半はやや長い。結論を早め提出して論を深めた構成でもよかったかも。

    1
    投稿日: 2025.08.29
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    ガツンと来た。題名の通り暇と退屈にまつわる原理や系譜等が、理解しやすい日常的な感覚からこれまでの学者の難解な考え方までを潜ったり浮き上がってきたりと読みやすく書かれている。頭に残しておきたいことが多いため、印象的な一部を挙げるとすると本著二つ目の結論である「消費」と「浪費」の話。消費者にされている現代人は浪費による贅沢を取り戻すべきだという。そして消費から浪費に変換するにはもの受け取る・物を楽しむ必要があり、そのためには訓練が必要だと。その訓練は本著書内の言葉で言えば環世界を広げることに他ならず、これまで僕は読書によってそれを広げる感覚・世界の捉え方が増える感覚に快感を覚えていた。ただ、この箇所を読むと訓練の仕方は読書だけではないことがわかる。仕事もそう捉えることができるし、日々の日常でもちょっと手を伸ばして環世界を広げられる。これからの日々を楽しめそうな予感を感じられたいい話だったと思う。

    3
    投稿日: 2025.08.29
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    人間の本性について多くの示唆があり、目からウロコの気づきを与えてくれた。考え方を変えることで自分の心をコントロールしやすくなりそう。暇で退屈することを不安がる必要はない。

    1
    投稿日: 2025.08.24
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    疎外論が難しくて、進まなくなったので、四章は飛ばした。でも、興味深いところも沢山あって、とにかく人間は退屈が大嫌いなことが分かったし、生き物によって進む時間の早さが違うことも分かった。そして、何より自分が仕事の奴隷であり、余暇でさえも何かの奴隷になろうとしているのだ、ということを気づかされたのは大きい。 しばらくしてから再読して、読み飛ばしたところも理解できるようになりたいなぁ

    1
    投稿日: 2025.08.22
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    まえがきから面白いぞこれは、 線を引きつつ、少しずつ読んでいく。 せっかく手にした余暇をうまく使えていないにグサッ 没頭できるものを探している、おっふ その好きなことは、本当に自分が切望していたことなのか、、?むむむ

    1
    投稿日: 2025.08.22
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    めちゃくちゃ面白かった こういう哲学書が読みたかった ずっと楽しみにしてた結論が「(結論だけを取り上げても無意味であり、)読者が切り開いていく道の方向性を示す類のもの」として提示されたのも、まさに哲学って感じで好印象だったし 僕は間違いなく感動して心揺さぶられた 結論はアドラーの「“今、ここ”を真剣に生きる」考え方にも通じるものがあると思った 退屈と向き合う生を生きていけるようになった人間は他人に関わる事柄を思考することができるようになる、というのも メサイア・コンプレックスの裏付けみたいで腑に落ちた フレーズメモ含め何度も読み返したいな... もっと言えば注釈まで目を通して理解を深めたい 今はちょっとお腹いっぱいだけど

    2
    投稿日: 2025.08.21
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    予想以上に面白かった。 時間に着目するあたりが「なるほど」と腑に落ちるシーンがいくつもあった。これは再読したい。

    14
    投稿日: 2025.08.20
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    退屈と言っても第一形式から第三形式まであるのが興味深い。個人的には第三形式が1番わかる〜と共感。実体験とかを踏まえながら反論、共感しながら読むと面白い。

    1
    投稿日: 2025.08.20
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    1-6章まで呼んだ。 咀嚼が必要。時間をあけて呼んでみようかな。 本書のおかげで「ファイトクラブ」を知った。 めちゃくちゃ面白かった。

    1
    投稿日: 2025.08.17
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    おもしろかったけどやや難しめ 、という意味ではみ応えを感じるちょうど良い難易度で良かったのかも 。 文庫化に伴う付録の話が割と科学的な話もふまえた見解で好みだった 集中して一気に読める時の方がよさそう 人は退屈を感じて当たり前でありがたいことに私は退屈できる予裕がある 、だからこそ与えられたものを何となく消費していく暇つぶしはやめて 、主体として何かに気付き思考し行動し満足を感じれるようになれるとよいのかな 直前に読んでた本のプナン人の話に通ずる所有の話が出てきて、所有が存在しない自然状態に近いものを意図的に作ることで、プナン人は秩序を生み出しているのかなという個人的解釈もできておもしろかった

    1
    投稿日: 2025.08.16
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    面白いと思った。 現代に通じることはあるし、むしろ今だからこそ読むべき内容だと思う。 転売ヤーの心理にたどり着けるかもしれない。 雉打ちに出かけるのは、雉が欲しいからでない。 学びのある文章でした。

    1
    投稿日: 2025.08.12
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    最近趣味が増えて余暇を充実させられてるからこの本読めばもっと人生が豊かになるかな〜という気持ちで読み出したけど、内容が難しくて途中でリタイア。 哲学者の思想を歴史的に紐解くような内容が多く、こうすれば暇な時間も充実する!みたいな生ぬるい内容ではなかった。

    0
    投稿日: 2025.08.10
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    バリおもろ大名著 環世界の話を知らなくてはじめて知って衝撃だった、特に人間は同じ種類の生き物だからわかってくれるよな〜と思ってしまうことを全くわかってくれなくてええ!?!ってなったとき傷つくけど私は私の環世界を生きていて相手は相手の環世界を生きているから当たり前だと思っていたことが通じなくて当然だなと めっちゃ良い環世界生きてるじゃん!!!っていう人に惹かれるんだなと 思った しかも「環世界」ってとても良い日本語だ 自分はめちゃくちゃ繊細で傷つきやすくてそれが自分ですごい弱点にしか思えなくて直したい〜と思ってたけどこの世はサリエンシーだらけ、なんでもトラウマになる可能性があると言われるとなんだまだ慣れてないだけか〜〜〜!!!!!よかった!!!てなった これからも退屈したり退屈抜け出したいと思いながら面白い楽しいと思える感受性を育てていくぞ〜私も自分のフィロソフィーをつくるぞ〜あと環世界に不法侵入されることを(程度はあれど)許していきたいぞ〜

    0
    投稿日: 2025.08.07
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    めっちゃ時間かかった。 序盤ほぼ忘れてるけど、結論で見事に回収されているので筆者が言うように通読すべし。 「人間は考えないですむ方向に向かって生きていく」 めっちゃ納得。習慣化に関するビジネス本みたいなのが出回るのも納得やし、理にかなってるんやと思う。 人間らしく生きるために、気晴らしを楽しむための教養を身につけることが大切だということが印象的だった。勉強は面白く生きるためにすることだ、と最近考えていたのでその答え合わせができた気分。でもこの答えもどんどん変わるはず。 しかしこれまでの偉人の論点を丁寧に整理し、その矛盾点を突く文章の構成はかしこの成せる技って感じでした。 もう一回読み直したい。

    1
    投稿日: 2025.08.06
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    子供の頃、24時間テレビが嫌いだった。障がいのある子供がそれを克服するのを番組が応援するコーナーが特に。羨ましかった。ハンディのある子は、それを克服することだけを考えれば良いから。私は何をしたらいいのかわからないのに。24時間テレビが嫌いで、それ以上にそんな風に思ってしまう自分が嫌いだった。 そして今の自分は、なんとなく退屈をし、退屈から逃れる為決断をし、そして…

    0
    投稿日: 2025.08.06
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    読了するのに1ヶ月ぐらいかかった気がする。 日常を楽しむこと、楽しむためには学び続ける姿勢が大切なことを本書から学んだ気がする。 なんとなく退屈だという状況は現代の日本人に多い問題だと感じる。その退屈をしのぐために与えられた娯楽、動画の視聴だったりで退屈をしのいでいるのが現代人。正直長すぎてよくわからない部分も多かったが、日常を楽しみ、勉強することを今後も続けていこうと思った。 いつかまた再読したいと思う。私の頭ではまだ難しいな〜と感じました。

    0
    投稿日: 2025.08.04
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    初めてこの本を開いてから読了まで、1年半くらいかかってしまったけど、読んで良かったと心から思う。 世の中には情報が溢れていて、少し検索すればこの本の概要や要点はすぐに出てくるんだろうけど、読んでいた時間は決して無駄じゃなかった。

    0
    投稿日: 2025.08.04
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    大義のために死ぬのを羨ましいと思えるのは、暇と退屈に悩まされている人間だということである 暇と退屈 消費と浪費 自己愛と利己愛 本来性なき疎外 必然の王国を基礎として花開く自由の王国 退屈は自由の可能性の示唆、決断をしてこそ自由を発揮できる 環世界間移動能力 贅沢を取り戻す 動物になる

    0
    投稿日: 2025.08.04
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    知識があるだけで、退屈や現実をこなす喪失感へ向き合いやすくなることが分かってよかった ••••••••••••••••••••••••• 星5:周りに全部読んで欲しい、4:一部or要約版を読んで欲しい、3:家には置いておきたい、2:読むのは一回でよい、1:時間が無駄だった •••••••••••••••••••••••••

    0
    投稿日: 2025.07.31
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    ー暇が搾取されている今、私たちは暇の中でいかに生きるべきか、退屈とどう向き合うべきかー この本を読み進める中で退屈について知ること、考えること。それは退屈と付き合う大切な一歩

    9
    投稿日: 2025.07.30
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    環世界のところが自分にはすとんと頭に入ってきた。まだ全てを理解できたとは言えないので、何度も読み直したい。

    3
    投稿日: 2025.07.18
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    ハイデガーとか環世界とか、引用したいがために引用しているようにしか思えなかった。なくても問題なく議論ができると思う。冗長。

    0
    投稿日: 2025.07.15
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    冒頭は面白いなっと思って読み進めていましたが、途中から自分にはしっくりきませんでした。 この本ではSNSに夢中になることと芸術に夢中になることの区別ができず、良い余暇の過ごし方に関する考察が不十分だと感じました。

    0
    投稿日: 2025.07.15
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    今の自分には少し難しくてしっかりと理解できてない部分も多かったと感じますが、また5年後は違った感想を抱けそうな感じがあり、また読むのが楽しみです。

    0
    投稿日: 2025.07.13
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    哲学者の見解などへの作者のつっこみや解説、強調するべき部分がとても面白い。 パスカルの人間の惨めさや愚かさへの追求や、 ハイデッカーの暇と退屈に対する気晴らしの第一〜第三形態の主張に対する考察も詳しく理解し易い内容と感じた。 暇と退屈の言葉の定義すら説明できなかった自分には、勉強になる文章が多くあった。 環世界の概念や、(生物による感じる時間の長さの違い=生きている世界の違い)はなんとなく感じていたが説明できないことを説明してもらった感覚だった。 現代SNS等で時間を消費する日本人にとって、消費と浪費の違いはイメージしやすく切実な問題だと感じた。 なんとなく退屈だ 何かに懸命になりたい 命をかけて行う使命があること(狂気)への羨望 そのような奴隷状態からの逸脱の為、退屈と気晴らしの入り混じった第二形態の退屈を満喫すること。 気晴らしを享受し楽しむ為の努力が必要なことを学べた。 教育は人生を楽しむ為にあり、消費者ではなく浪費者でありたいと思う一冊でした。

    8
    投稿日: 2025.07.10
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    【書名と著者】 暇と退屈の倫理学 國分巧一朗 ? 【目的】 ポッドキャストで署名を知り、人生における暇や退屈が何で、どう向き合っていくべきか?の考える一助とすべく、手に取った。 また、個人的な問題意識として仕事が忙しいけれど、まったく没頭感がなくいやで退屈だという感情がある。 暇ではないけど、退屈という不思議な現象を解明したいという気持ちが働いた。 【読後感】 結論が抽象的でアクションリストのようなはっきりしたものではないが、この抽象度で自分なりに実践する。 消費することは避けられないが、浪費できる場面を探し、意図的に浪費することで満足しようと決意するに至る。 加えて、別に熱意をもって没頭できなくてもいいか、と割り切る考え方も習得には至らずとも、認識はできた。 【印象に残ったポイント】 ・ウサギ狩りに行く人が欲しいものはウサギではなく、気晴らし。 ・昨日と今日の区別をつけるものが、「事件」。だから、昨日何してたっけ?となるような一日は言い換えると事件がなかった一日と表現可能なことに、納得。 ・浪費には限界と満足があり、消費には限界がなくきりがない。 ・環世界、という概念。時間も世界も生き物ごとの主観で形成されているという事実。 人間でも仕事や生活環境で世界観や時間間隔が異なる。(職業、県民性、などなど) このことから、誰一人として同じ世界認識なんて持ってないのだと認識しておいたほうが、生きやすいのかなと感じた。 違う世界に生きてるのだから、以心伝心なんてことはないし、話せばわかるわけがない、くらいに割り切ったほうが気楽。 【ふりかえり・気づき】 ・豊かな社会で暇でなく退屈なわたしは、幸せなのか、不幸なのか。熱中してないことは、確か。 ・「好きなこと」のカタログ化、自己研鑽と趣味を兼ねて読書している自分の行動も、キュレーションによりカタログ化された読書行動になってないか?とささやかな疑問が浮かぶ。 ・アメリカ的生活様式の浸透で歴史が終わったとの記述があったが、人口減少と趣味嗜好の多様化が進行している日本では、歴史の終わりの先があるのではないか? 過去に政治と経済が切り捨ててきたものに対する価値発見は進みつつある中で、社会的リソースの配分も変わってくるような気がする。 昭和平成と違って、みんなが同じ遊びとメディアに触れるわけではなく、各々が自分と親和性の高い人付き合いやメディアや趣味嗜好、を追い求めるようになり、アメリカ的生活様式の先へ、向かおうとしてるんじゃないかという気がする。 そうなると、異なる趣味嗜好や利害や主張をもった複数の集団に分化されていくことで、世の中は住みやすくなるのか住みにくくなるのかどっちだろう。 ・自分の仕事が暇ではなく、退屈という現状に対しての向き合い方 ロマン主義的に熱中すべき、寿命を使う価値があることをすべき、という強迫観念から少し距離をとって、それなりに日銭が稼げてて、仕事以外の時間で時に動物的になれることがあればいいんじゃないの?と暫定的な結論が出た。 【要点】 ①まず、好きなこととは? バートランド・ラッセルの幸福論によると才能を発揮する機会が得られないと不幸。 打ち込めることがあると幸福、ないと不幸? だとすると、豊かな社会は不幸で貧しい社会がいい、というのも何かヘン。 「好きなこと」がカタログ化している。 カタログ化した趣味で余暇を消費している。文化が産業化した。 労働→文化の産業→暇の搾取、労働→退屈→暇の搾取と、労働が暇の搾取に行き着く構造がある。 退屈とは?ゆたかな社会における暇を飾るニーズ。大義がうらやましいのは、暇と退屈の明石。 没頭を渇望していること。 ②暇と退屈の原理とは? パスカルによると、部屋でじっとしていられないから不幸、即ち退屈になる。 欲望の対象≠欲望の原因≒気晴らしのニーズ。ただ、対象と原因を取り違えた行為も、それを指摘するのも、いずれも愚か。 なので、結論は信仰せよ、なのだそう。苦しむよりも、動機がない苦しさがある。 ラッセルによると、退屈とは事件(昨日と今日の区別)を望む気持ちが挫かれたものである。 退屈から興奮へシフトするためには、熱意を持てる活動が必要。 では、熱意「さえ」あればいいのか? スヴェンセンによると、退屈はロマン主義に由来する人生の充実や意味の志向である。 退屈からの脱出のために、ラッセルは熱意、一方スヴェンセンはロマン主義への諦めと決別を説く。 ③暇と退屈の系譜 定住が暇の始まり? 遊動→食糧生産→定住、ではなく誘導→定住→食糧生産。定住が先。 氷河期の後、森林が拡大した。すると食べ物になる大型獣が不足、そして植物と魚を食べるとなると、貯蔵が必要。となると、定住が必要。 ゴミの分別が難しいのは誘導時代の投げ捨ててればよかった時代の名残なのか。トイレもしつけが必要なのは出したら出しっぱなしでよかったからではないか。 死者の発見も、定住から死への思い、霊的観念の発生。 定住→貯蔵→量の格差→権力の発生→犯罪を防ぐ需要→法律の発生。 で、遊動生活から定住生活にした結果、人間の能力のリソース余剰が発生し、暇になり、退屈を感じ、退屈を回避したい欲求が発生した。 退屈している×暇あり→気晴らし、消費 退屈してない×暇あり→有閑 退屈してない×暇ない→労働する階級 ④暇と退屈の経済史 暇は客観、退屈は主観。時間的リソースがありかどうか。これは経済条件で定まる。 有閑⇔貧乏暇なし 定住の結果、所有のはじまり→私的財産の蓄積→貧富の差の発生→階級の差の発生、にいたる。 暇はステータスシンボル。顕示的閑暇。暇な主人に変わって忙しく働く使用人を見せつける消費があった。byヴェブレン 有閑階級は暇を生きるノウハウがあるが、労働者にはない。 だから、労働者の休暇も労働の一部、生産性のためにフォードのように余暇を取り込む労務管理が行われた。 欲求に対する生産ではなく、供給過剰に。これがフォーディズムを生み出した。 雇って、金を払って、商品を買わせるという一連のプロセス。 消費が生産を規定するのではなく、消費が余暇も包含した労働スタイルを規定している。 ⑤暇と退屈の疎外論 まず、豊かに生きるには贅沢が必要。では?贅沢とは? 浪費、必要を超えたモノを受け取ること。満足をもたらす、限界がある。 消費、モノの意味や観念の吸収。限界がなく、満足しない。 現代の消費社会においては個性の煽りが強迫観念を引き起こし、消費へ向かわせる。 消費社会は浪費を妨げる社会。労働の消費がカネの消費と余暇の消費へ。 消費と退屈のループに対する拒絶反応が映画ファイトクラブだった。 疎外とは、マルクスの資本論においては労働に起因する。消費社会においては、自分の消費に起因する。 では、そもそも阻害される前の本来の状態があるのか? ルソーの自然状態→社会状態→国家状態への遷移、ホッブズの自然状態→国家状態。いずれもモデルの話。 つまり、この疎外には本来性がない。では、本来もなにもないのに、どう疎外状態から解放するか。。 ⑥暇と退屈の哲学 ハイデッガーによると、まず哲学とは郷愁である。感動しないと誤解する、のだそう。 存在のなかに、退屈が去来する。では、退屈とはどんなものがあるのか? まず、2つの退屈の類型がある。 第一形式、何かに退屈させられる。第二形式、何かに際して退屈だ。 第一形式は原因が明確、スポットで発生する。 引き止め、ぐずつく時間に対して感じる退屈である。 退屈発生(手持ちのタスクがない、むなしい状態)→気晴らし⇔時計を見る。 モノが言うことをきいてくれない状態に空虚放置され、引き止められている状態。ここに時間のGAPが発生している。 第二形式は原因は不明、恒常的に発生する。 楽しいパーティーでも、退屈。そもそもの状況が暇つぶし≒気晴らしである。 モノのせいではなく、自分自身が空虚になる。この結果、空虚放置が発生する。これは根源的な無言圧の引き止めである。 ここから、上位の第三形式、なんとなく退屈だ を見る。 なんとなく退屈だ、その中で何かに退屈させられたり、何かに際しての退屈を行き来する。 この、あらゆる可能性の拒絶感に対して、自分の持つ可能性を見出し、決断して脱出するべし。 ⑦暇と退屈の人間学 自由→退屈→決断、なのか?トカゲの主観で、退屈ってあるのか? 石は無世界的、動物は世界貧乏的、人間は世界形成的。 エクスキュルによる環世界(Umwelt)、全ての生物が主観的に別々の時空を生きているという観念。 ダニは嗅覚で哺乳類の酪酸を検知し、温度感覚37℃なら飛びかかり、体毛の少ない場所で吸うのである。 つまり、酪酸orそれ以外、体温37℃orそれ以外、体毛少ないorそれ以外、これが客観的に観測できたダニの世界のすべて。 時間とは?瞬間のつらなり。瞬間とは生物が認識できる最小単位の時間。人間は1/18秒が瞬間、魚(ベタ)は1/30。が瞬間。 主体がないと、時間もない。時間は生物によって異なる軽量単位。 環世界はヒトに適用できるのか?ハイデッガーは人は特別、モノそのものを認識できるからNoとのこと。ただ、モノに対しヒトそれぞれ認識や理解は異なる。 一方、動物は衝動の停止(とりさらわれ)と解除(とらわれ)で動作する。これに対して人間は自由であるというが。 環世界の差異とは、環世界間の移動の困難さである。移動とは適応。(犬→人に寄り添う盲導犬、) 自由であるとは、環世界間を移動できるということ。人間は相対的に高い。この環世界間の移動能力が自由のもとであり、退屈の根拠である。 環世界間の移動ができるから衝動にとりさらわれ続けることができない。 ⑧暇と退屈の倫理学 退屈なら決断byハイデッガー。目を閉じ、耳をふさぎ、関わりを閉じ、周囲と故意に隔絶するのだ。 狂気とは決断の奴隷状態。 人間は退屈の第一形式において仕事の奴隷、退屈の第二形式において決断の奴隷になり、これらを取り巻く第三形式「なんとなく退屈だ」。 第二形式の気晴らしに際する退屈、これが人間の生か?という問いが生まれる。 すでに人類は歴史の終わりを達成してしまった。歴史の終わりとは、アメリカ的生活様式の浸透。 人間の終わりは進歩、満足の持続≒幸福の追求。 みんな最後はアメリカ人、すなわち動物になる。動物はスノッブではない。ところが、日本人はスノッブであり、人間的である。byコジェーザ。 とはいえ、動物的なアメリカ人とスノッブな日本人、どっちにしても第二形式の気晴らしの次元である。 環世界の獲得→不法侵入→ショック→考える→習慣、慣れ。 反復→習慣→快。byフロイト。奴隷にならず、考えて環世界を作る。 暇と退屈の倫理学の結論、ここまでを踏まえて実践すること、贅沢を取り戻す(モノを消費ではなく、浪費する)、楽しく取りさらわれる。(時に動物的になるべし)

    14
    投稿日: 2025.07.08
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    哲学の入門書である。 偉大な先人達の言葉を批判的に時に肯定的に論評しながら暇とは何か退屈とは何かについて考察を進める。哲学的に考えるということに慣れていない我々にとって良い道先案内人となる本である。

    1
    投稿日: 2025.07.01
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    最近の社会の傾向として、人に、何者かであれ、と、説いている気がしていたが、この本でその背景をわかった気がした。最後の決断をせまる第二から第三形態の退屈について書かれている部分は何度も行きつ戻りつして読み直さなければ実感とつながらなかったので、わかった気がした、という感想。 暇と退屈、私の仕事するアフリカを思えばこれもまた違う暇や退屈の考え方があるのかもしれないと、発展している国とそうでもない国や地域のギャップにも考えを深めたい思った。

    6
    投稿日: 2025.07.01
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    共感できる部分はすごく面白いし、分かった気になれるけど、良く分からないところは、読んでも良く分かりませんでした。 ガルブレイスの依存効果、生産活動が消費者の欲望を作り出し、その欲望がさらに生産を促進する。から、観念消費をやめようといった話は共感できました。 一方、ハイデッガーがパーティーを楽しめなかったのは自分のせいだ、楽しむに勉強が必要なんだという結論?は、サッカーのルール知らないやつがワールドカップ見ても面白くないよねみたいな。そりゃそうだろうとしか思えず。今までの話必要だった?と思ってしまいました。 自分の理解が浅いのでしょうが、ついつい哲学系の本は、共感できるところだけ摂取してしまいがちでいけないなと思いました。

    1
    投稿日: 2025.06.30
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    本来的人間とは何か。 それを著者と共に考えていくような仕立てで、著者自身のフィロソフィーを作り上げる挑戦というような趣旨でもあるらしいが、本書によりそれを一部成し遂げたのでは、と感じた。満足度の高い読書である。 もの凄く噛み砕いていうと、人間は労働により搾取され、人間本来の生き方を失っている。だが、そこで労働から解放され自由になっても、暇を持て余すし、生きがいとは何かという問いに躓く。こうした「本来の在り方」が定まらない中で、「本来の生き方」を哲学や社会学は議論してきたが、そこに共通の答えはない。ここからは私見だが、考える事により人生は停止する。気晴らしをしながら、時に思考停止して生きる事をただ生きるべきなのだ。 そのためには定住生活は、人間本来の生き方に不整合である。人間は常に外部環境や他者を意味づけする環世界を創りながら、退屈せずに生きてきたはずだ。 ー パスカルの考えるおろかな気晴らしにおいて重要なのは、熱中できることという要素だった。熱中できなければ、自分をだますことができないから気晴らしにならない。では、さらにこう間うてみよう。熱中できるためには、気晴らしはどのようなものでなければならないか?お金をかけずにルーレットをやっても、ウサギを楽々と捕らえることのできる場所で狩りをしても、気晴らしの目的は達せられない。つまり、気晴らしが熱中できるものであるためには、お金を失う危険があるとか、なかなかウサギに出会えないなどといった負の要素がなければならない。この負の要素とは広い意味での苦しみである。苦しみという言葉が強すぎれば、負荷と言ってもいい。気晴らしには苦しみや負荷が必要である。 労働による疎外を克服することで自分自身へ戻るというヘーゲル。戻らないとするマルクス。戻っていくべき本来の姿などないことを認めたうえで、「疎外」という言葉で名指すべき現象から目を背けないこと。本書が目指すのもこの方向であると著者は述べる。 人間の環世界のなかで大きなウエイトを占めているのが、「習慣」と呼ばれるルール。結局、環世界を創造する気晴らしにより退屈を凌ぐことも、ただの思考停止に過ぎない。考える事を否定してはいけないが、考えた挙句、「思い込む」事でしか生きる道は見出せない。〝つまり信仰である“と本書を読みながら、一周して帰ってきた。

    101
    投稿日: 2025.06.30
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    東大、京大で1番読まれた本 との事でインテリぶって買ってみたけど、哲学書はやはり刺さらなかった。損切

    0
    投稿日: 2025.06.29
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    良かったが、難しい。 前半は特に面白かった。定住革命が人々に隙を与え、退屈を与えているの部分。私は最近人を生物的視点で眺めてこの人がなぜこういう思考になったのか、自分はなぜこう感じるのか?などの分析を行うことが増えた。そこで人類史のスタート近くまで遡ってこのことについて触れたことが嬉しくもあり面白かった。しかし、3種類の退屈について辺りから読み解きが難しく、理解が浅くなってしまった。暇と退屈についての新たな視点を得たことは非常に収穫であるが、最終的なところを自分の中で納得して理解できなかった部分があるのでまた読み直したい。

    0
    投稿日: 2025.06.29