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暇と退屈の倫理学(新潮文庫)
暇と退屈の倫理学(新潮文庫)
國分功一郎/新潮社
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総合評価

644件)
4.2
264
212
86
16
5
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    子供の頃、24時間テレビが嫌いだった。障がいのある子供がそれを克服するのを番組が応援するコーナーが特に。羨ましかった。ハンディのある子は、それを克服することだけを考えれば良いから。私は何をしたらいいのかわからないのに。24時間テレビが嫌いで、それ以上にそんな風に思ってしまう自分が嫌いだった。 そして今の自分は、なんとなく退屈をし、退屈から逃れる為決断をし、そして…

    0
    投稿日: 2025.08.06
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    読了するのに1ヶ月ぐらいかかった気がする。 日常を楽しむこと、楽しむためには学び続ける姿勢が大切なことを本書から学んだ気がする。 なんとなく退屈だという状況は現代の日本人に多い問題だと感じる。その退屈をしのぐために与えられた娯楽、動画の視聴だったりで退屈をしのいでいるのが現代人。正直長すぎてよくわからない部分も多かったが、日常を楽しみ、勉強することを今後も続けていこうと思った。 いつかまた再読したいと思う。私の頭ではまだ難しいな〜と感じました。

    0
    投稿日: 2025.08.04
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    初めてこの本を開いてから読了まで、1年半くらいかかってしまったけど、読んで良かったと心から思う。 世の中には情報が溢れていて、少し検索すればこの本の概要や要点はすぐに出てくるんだろうけど、読んでいた時間は決して無駄じゃなかった。

    0
    投稿日: 2025.08.04
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    このレビューはネタバレを含みます。

    大義のために死ぬのを羨ましいと思えるのは、暇と退屈に悩まされている人間だということである 暇と退屈 消費と浪費 自己愛と利己愛 本来性なき疎外 必然の王国を基礎として花開く自由の王国 退屈は自由の可能性の示唆、決断をしてこそ自由を発揮できる 環世界間移動能力 贅沢を取り戻す 動物になる

    0
    投稿日: 2025.08.04
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    知識があるだけで、退屈や現実をこなす喪失感へ向き合いやすくなることが分かってよかった ••••••••••••••••••••••••• 星5:周りに全部読んで欲しい、4:一部or要約版を読んで欲しい、3:家には置いておきたい、2:読むのは一回でよい、1:時間が無駄だった •••••••••••••••••••••••••

    0
    投稿日: 2025.07.31
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    ー暇が搾取されている今、私たちは暇の中でいかに生きるべきか、退屈とどう向き合うべきかー この本を読み進める中で退屈について知ること、考えること。それは退屈と付き合う大切な一歩

    9
    投稿日: 2025.07.30
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    環世界のところが自分にはすとんと頭に入ってきた。まだ全てを理解できたとは言えないので、何度も読み直したい。

    3
    投稿日: 2025.07.18
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    ハイデガーとか環世界とか、引用したいがために引用しているようにしか思えなかった。なくても問題なく議論ができると思う。冗長。

    0
    投稿日: 2025.07.15
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    冒頭は面白いなっと思って読み進めていましたが、途中から自分にはしっくりきませんでした。 この本ではSNSに夢中になることと芸術に夢中になることの区別ができず、良い余暇の過ごし方に関する考察が不十分だと感じました。

    0
    投稿日: 2025.07.15
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    今の自分には少し難しくてしっかりと理解できてない部分も多かったと感じますが、また5年後は違った感想を抱けそうな感じがあり、また読むのが楽しみです。

    0
    投稿日: 2025.07.13
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    哲学者の見解などへの作者のつっこみや解説、強調するべき部分がとても面白い。 パスカルの人間の惨めさや愚かさへの追求や、 ハイデッカーの暇と退屈に対する気晴らしの第一〜第三形態の主張に対する考察も詳しく理解し易い内容と感じた。 暇と退屈の言葉の定義すら説明できなかった自分には、勉強になる文章が多くあった。 環世界の概念や、(生物による感じる時間の長さの違い=生きている世界の違い)はなんとなく感じていたが説明できないことを説明してもらった感覚だった。 現代SNS等で時間を消費する日本人にとって、消費と浪費の違いはイメージしやすく切実な問題だと感じた。 なんとなく退屈だ 何かに懸命になりたい 命をかけて行う使命があること(狂気)への羨望 そのような奴隷状態からの逸脱の為、退屈と気晴らしの入り混じった第二形態の退屈を満喫すること。 気晴らしを享受し楽しむ為の努力が必要なことを学べた。 教育は人生を楽しむ為にあり、消費者ではなく浪費者でありたいと思う一冊でした。

    8
    投稿日: 2025.07.10
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    【書名と著者】 暇と退屈の倫理学 國分巧一朗 ? 【目的】 ポッドキャストで署名を知り、人生における暇や退屈が何で、どう向き合っていくべきか?の考える一助とすべく、手に取った。 また、個人的な問題意識として仕事が忙しいけれど、まったく没頭感がなくいやで退屈だという感情がある。 暇ではないけど、退屈という不思議な現象を解明したいという気持ちが働いた。 【読後感】 結論が抽象的でアクションリストのようなはっきりしたものではないが、この抽象度で自分なりに実践する。 消費することは避けられないが、浪費できる場面を探し、意図的に浪費することで満足しようと決意するに至る。 加えて、別に熱意をもって没頭できなくてもいいか、と割り切る考え方も習得には至らずとも、認識はできた。 【印象に残ったポイント】 ・ウサギ狩りに行く人が欲しいものはウサギではなく、気晴らし。 ・昨日と今日の区別をつけるものが、「事件」。だから、昨日何してたっけ?となるような一日は言い換えると事件がなかった一日と表現可能なことに、納得。 ・浪費には限界と満足があり、消費には限界がなくきりがない。 ・環世界、という概念。時間も世界も生き物ごとの主観で形成されているという事実。 人間でも仕事や生活環境で世界観や時間間隔が異なる。(職業、県民性、などなど) このことから、誰一人として同じ世界認識なんて持ってないのだと認識しておいたほうが、生きやすいのかなと感じた。 違う世界に生きてるのだから、以心伝心なんてことはないし、話せばわかるわけがない、くらいに割り切ったほうが気楽。 【ふりかえり・気づき】 ・豊かな社会で暇でなく退屈なわたしは、幸せなのか、不幸なのか。熱中してないことは、確か。 ・「好きなこと」のカタログ化、自己研鑽と趣味を兼ねて読書している自分の行動も、キュレーションによりカタログ化された読書行動になってないか?とささやかな疑問が浮かぶ。 ・アメリカ的生活様式の浸透で歴史が終わったとの記述があったが、人口減少と趣味嗜好の多様化が進行している日本では、歴史の終わりの先があるのではないか? 過去に政治と経済が切り捨ててきたものに対する価値発見は進みつつある中で、社会的リソースの配分も変わってくるような気がする。 昭和平成と違って、みんなが同じ遊びとメディアに触れるわけではなく、各々が自分と親和性の高い人付き合いやメディアや趣味嗜好、を追い求めるようになり、アメリカ的生活様式の先へ、向かおうとしてるんじゃないかという気がする。 そうなると、異なる趣味嗜好や利害や主張をもった複数の集団に分化されていくことで、世の中は住みやすくなるのか住みにくくなるのかどっちだろう。 ・自分の仕事が暇ではなく、退屈という現状に対しての向き合い方 ロマン主義的に熱中すべき、寿命を使う価値があることをすべき、という強迫観念から少し距離をとって、それなりに日銭が稼げてて、仕事以外の時間で時に動物的になれることがあればいいんじゃないの?と暫定的な結論が出た。 【要点】 ①まず、好きなこととは? バートランド・ラッセルの幸福論によると才能を発揮する機会が得られないと不幸。 打ち込めることがあると幸福、ないと不幸? だとすると、豊かな社会は不幸で貧しい社会がいい、というのも何かヘン。 「好きなこと」がカタログ化している。 カタログ化した趣味で余暇を消費している。文化が産業化した。 労働→文化の産業→暇の搾取、労働→退屈→暇の搾取と、労働が暇の搾取に行き着く構造がある。 退屈とは?ゆたかな社会における暇を飾るニーズ。大義がうらやましいのは、暇と退屈の明石。 没頭を渇望していること。 ②暇と退屈の原理とは? パスカルによると、部屋でじっとしていられないから不幸、即ち退屈になる。 欲望の対象≠欲望の原因≒気晴らしのニーズ。ただ、対象と原因を取り違えた行為も、それを指摘するのも、いずれも愚か。 なので、結論は信仰せよ、なのだそう。苦しむよりも、動機がない苦しさがある。 ラッセルによると、退屈とは事件(昨日と今日の区別)を望む気持ちが挫かれたものである。 退屈から興奮へシフトするためには、熱意を持てる活動が必要。 では、熱意「さえ」あればいいのか? スヴェンセンによると、退屈はロマン主義に由来する人生の充実や意味の志向である。 退屈からの脱出のために、ラッセルは熱意、一方スヴェンセンはロマン主義への諦めと決別を説く。 ③暇と退屈の系譜 定住が暇の始まり? 遊動→食糧生産→定住、ではなく誘導→定住→食糧生産。定住が先。 氷河期の後、森林が拡大した。すると食べ物になる大型獣が不足、そして植物と魚を食べるとなると、貯蔵が必要。となると、定住が必要。 ゴミの分別が難しいのは誘導時代の投げ捨ててればよかった時代の名残なのか。トイレもしつけが必要なのは出したら出しっぱなしでよかったからではないか。 死者の発見も、定住から死への思い、霊的観念の発生。 定住→貯蔵→量の格差→権力の発生→犯罪を防ぐ需要→法律の発生。 で、遊動生活から定住生活にした結果、人間の能力のリソース余剰が発生し、暇になり、退屈を感じ、退屈を回避したい欲求が発生した。 退屈している×暇あり→気晴らし、消費 退屈してない×暇あり→有閑 退屈してない×暇ない→労働する階級 ④暇と退屈の経済史 暇は客観、退屈は主観。時間的リソースがありかどうか。これは経済条件で定まる。 有閑⇔貧乏暇なし 定住の結果、所有のはじまり→私的財産の蓄積→貧富の差の発生→階級の差の発生、にいたる。 暇はステータスシンボル。顕示的閑暇。暇な主人に変わって忙しく働く使用人を見せつける消費があった。byヴェブレン 有閑階級は暇を生きるノウハウがあるが、労働者にはない。 だから、労働者の休暇も労働の一部、生産性のためにフォードのように余暇を取り込む労務管理が行われた。 欲求に対する生産ではなく、供給過剰に。これがフォーディズムを生み出した。 雇って、金を払って、商品を買わせるという一連のプロセス。 消費が生産を規定するのではなく、消費が余暇も包含した労働スタイルを規定している。 ⑤暇と退屈の疎外論 まず、豊かに生きるには贅沢が必要。では?贅沢とは? 浪費、必要を超えたモノを受け取ること。満足をもたらす、限界がある。 消費、モノの意味や観念の吸収。限界がなく、満足しない。 現代の消費社会においては個性の煽りが強迫観念を引き起こし、消費へ向かわせる。 消費社会は浪費を妨げる社会。労働の消費がカネの消費と余暇の消費へ。 消費と退屈のループに対する拒絶反応が映画ファイトクラブだった。 疎外とは、マルクスの資本論においては労働に起因する。消費社会においては、自分の消費に起因する。 では、そもそも阻害される前の本来の状態があるのか? ルソーの自然状態→社会状態→国家状態への遷移、ホッブズの自然状態→国家状態。いずれもモデルの話。 つまり、この疎外には本来性がない。では、本来もなにもないのに、どう疎外状態から解放するか。。 ⑥暇と退屈の哲学 ハイデッガーによると、まず哲学とは郷愁である。感動しないと誤解する、のだそう。 存在のなかに、退屈が去来する。では、退屈とはどんなものがあるのか? まず、2つの退屈の類型がある。 第一形式、何かに退屈させられる。第二形式、何かに際して退屈だ。 第一形式は原因が明確、スポットで発生する。 引き止め、ぐずつく時間に対して感じる退屈である。 退屈発生(手持ちのタスクがない、むなしい状態)→気晴らし⇔時計を見る。 モノが言うことをきいてくれない状態に空虚放置され、引き止められている状態。ここに時間のGAPが発生している。 第二形式は原因は不明、恒常的に発生する。 楽しいパーティーでも、退屈。そもそもの状況が暇つぶし≒気晴らしである。 モノのせいではなく、自分自身が空虚になる。この結果、空虚放置が発生する。これは根源的な無言圧の引き止めである。 ここから、上位の第三形式、なんとなく退屈だ を見る。 なんとなく退屈だ、その中で何かに退屈させられたり、何かに際しての退屈を行き来する。 この、あらゆる可能性の拒絶感に対して、自分の持つ可能性を見出し、決断して脱出するべし。 ⑦暇と退屈の人間学 自由→退屈→決断、なのか?トカゲの主観で、退屈ってあるのか? 石は無世界的、動物は世界貧乏的、人間は世界形成的。 エクスキュルによる環世界(Umwelt)、全ての生物が主観的に別々の時空を生きているという観念。 ダニは嗅覚で哺乳類の酪酸を検知し、温度感覚37℃なら飛びかかり、体毛の少ない場所で吸うのである。 つまり、酪酸orそれ以外、体温37℃orそれ以外、体毛少ないorそれ以外、これが客観的に観測できたダニの世界のすべて。 時間とは?瞬間のつらなり。瞬間とは生物が認識できる最小単位の時間。人間は1/18秒が瞬間、魚(ベタ)は1/30。が瞬間。 主体がないと、時間もない。時間は生物によって異なる軽量単位。 環世界はヒトに適用できるのか?ハイデッガーは人は特別、モノそのものを認識できるからNoとのこと。ただ、モノに対しヒトそれぞれ認識や理解は異なる。 一方、動物は衝動の停止(とりさらわれ)と解除(とらわれ)で動作する。これに対して人間は自由であるというが。 環世界の差異とは、環世界間の移動の困難さである。移動とは適応。(犬→人に寄り添う盲導犬、) 自由であるとは、環世界間を移動できるということ。人間は相対的に高い。この環世界間の移動能力が自由のもとであり、退屈の根拠である。 環世界間の移動ができるから衝動にとりさらわれ続けることができない。 ⑧暇と退屈の倫理学 退屈なら決断byハイデッガー。目を閉じ、耳をふさぎ、関わりを閉じ、周囲と故意に隔絶するのだ。 狂気とは決断の奴隷状態。 人間は退屈の第一形式において仕事の奴隷、退屈の第二形式において決断の奴隷になり、これらを取り巻く第三形式「なんとなく退屈だ」。 第二形式の気晴らしに際する退屈、これが人間の生か?という問いが生まれる。 すでに人類は歴史の終わりを達成してしまった。歴史の終わりとは、アメリカ的生活様式の浸透。 人間の終わりは進歩、満足の持続≒幸福の追求。 みんな最後はアメリカ人、すなわち動物になる。動物はスノッブではない。ところが、日本人はスノッブであり、人間的である。byコジェーザ。 とはいえ、動物的なアメリカ人とスノッブな日本人、どっちにしても第二形式の気晴らしの次元である。 環世界の獲得→不法侵入→ショック→考える→習慣、慣れ。 反復→習慣→快。byフロイト。奴隷にならず、考えて環世界を作る。 暇と退屈の倫理学の結論、ここまでを踏まえて実践すること、贅沢を取り戻す(モノを消費ではなく、浪費する)、楽しく取りさらわれる。(時に動物的になるべし)

    14
    投稿日: 2025.07.08
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    哲学の入門書である。 偉大な先人達の言葉を批判的に時に肯定的に論評しながら暇とは何か退屈とは何かについて考察を進める。哲学的に考えるということに慣れていない我々にとって良い道先案内人となる本である。

    1
    投稿日: 2025.07.01
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    最近の社会の傾向として、人に、何者かであれ、と、説いている気がしていたが、この本でその背景をわかった気がした。最後の決断をせまる第二から第三形態の退屈について書かれている部分は何度も行きつ戻りつして読み直さなければ実感とつながらなかったので、わかった気がした、という感想。 暇と退屈、私の仕事するアフリカを思えばこれもまた違う暇や退屈の考え方があるのかもしれないと、発展している国とそうでもない国や地域のギャップにも考えを深めたい思った。

    6
    投稿日: 2025.07.01
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    共感できる部分はすごく面白いし、分かった気になれるけど、良く分からないところは、読んでも良く分かりませんでした。 ガルブレイスの依存効果、生産活動が消費者の欲望を作り出し、その欲望がさらに生産を促進する。から、観念消費をやめようといった話は共感できました。 一方、ハイデッガーがパーティーを楽しめなかったのは自分のせいだ、楽しむに勉強が必要なんだという結論?は、サッカーのルール知らないやつがワールドカップ見ても面白くないよねみたいな。そりゃそうだろうとしか思えず。今までの話必要だった?と思ってしまいました。 自分の理解が浅いのでしょうが、ついつい哲学系の本は、共感できるところだけ摂取してしまいがちでいけないなと思いました。

    1
    投稿日: 2025.06.30
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    東大、京大で1番読まれた本 との事でインテリぶって買ってみたけど、哲学書はやはり刺さらなかった。損切

    0
    投稿日: 2025.06.29
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    良かったが、難しい。 前半は特に面白かった。定住革命が人々に隙を与え、退屈を与えているの部分。私は最近人を生物的視点で眺めてこの人がなぜこういう思考になったのか、自分はなぜこう感じるのか?などの分析を行うことが増えた。そこで人類史のスタート近くまで遡ってこのことについて触れたことが嬉しくもあり面白かった。しかし、3種類の退屈について辺りから読み解きが難しく、理解が浅くなってしまった。暇と退屈についての新たな視点を得たことは非常に収穫であるが、最終的なところを自分の中で納得して理解できなかった部分があるのでまた読み直したい。

    0
    投稿日: 2025.06.29
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    「暇」と「退屈」に関する、深淵で明察なモニュメントと言える書。退屈を三種類に分け、過去の様々な哲学者等の文献も参考にしつつ、著者が昇華、統合する。

    0
    投稿日: 2025.06.28
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    人間はなぜ退屈するのかを哲学的に考えてみたという本。 人類史から始まって、最後はいろんな哲学者の主張を元に、矛盾点を指摘し、最終的な結論に達する。 正直、後半はよくわからない感じで少し難しい。読んでいる途中でふっと意識が遠くなる感覚(まだまだ読解力が足りないな)。 人間は遊動生活から定住生活に以降してから、時間に余裕が生まれるようになったため、暇で退屈を感じるようになった。という人類史から始まる。 また、暇は裕福さのバロメーターみたいに思われた時代を経て、現在に至るという。 色々、暇と退屈について考察していくけど、そんなに難しく考えて「退屈」してないよなあと思った。 もっと読解力を高めてから読むと、新しい発見があるのかも知れない。 それにしても、「東大、京大で1番読まれた本」という宣伝文句は読みたくなるな。 賢い人たちはどんなインプットしてるのか気になるから。でもやはりちょっと難しい。 ただ、宣伝オビに書かれている「國分先生、まさか哲学書で涙するとは思いませんでした… 若林正恭」の涙する部分がどこなのか皆目わからなかった。 知力はちょっと上がったかな。

    10
    投稿日: 2025.06.26
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    とても難解な本で、オーディブルで聴いて何度寝落ちしたかわからない程‥でも、ノートをとりながらなんとか読み終えた。 パーティで退屈を感じる、第二形式の退屈は、とても共感できてしまうタイプなので、自分だけの感覚でなかったとのはとても安心した。 「ファイト・クラブ」の映画の結末がとても気になる。 暇はないが退屈しているビジネスマン、これはまさに自分のことではないかと思った。 ルソーの利己愛は人間の本能ではなく、所用に支配された文明人の惨めな姿である、というのも、自分の感覚ではすっと落ちてきた。 人間は習慣を作り出す事で退屈してしまうという矛盾も本当にそうだなぁと思った。 そんな中で、自分が退屈に争うにはどうしたら良いか。自分は、日記を書く事だと思う。昨日とは違う今日の気づき、気分、それを日々積み重ねていくこと。食べること、喜び、悲しみ、音楽、読書、ラジオ、心を使う事。(モリスのバラで満たす) 間違っても、心をなくそうと忙しさに逃げない事。 そんなことを感じた。

    1
    投稿日: 2025.06.23
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    本書を記憶に残すための備忘録として。人間は一つの環世界を生きており、別の環世界に移ることができる動物である。言い換えると、同じ環世界にずっと留まっていられない。 また、人間は刺激を避けようとするが、刺激が無くても苦痛を感じる。暇と退屈を感じるから。

    1
    投稿日: 2025.06.23
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    人間の営みを暇と退屈の観点から探った本。 哲学に興味があってその流れで読み始めたけど、途中途中違う本で息抜きしながら読んだので、時間かかったし、よくわからなくなった…しっかり向き合って一気に読んだ方が良かったかも。

    0
    投稿日: 2025.06.22
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    ずいぶん前に読み始めたが、なかなか進まずやっと読み終えた感覚。 なぜ人間はこんなにも「退屈」と感じてしまっているのか、暇と退屈の違い、人間にとって幸せとは、など。 もともと人間は住む場所を固定させず移り住んで食べ物などに困らないようにしながら過ごすことが普通だったけど一つの場所に固定させたから飽きてしまうことが暇や退屈に繋がることが興味深かった。 トカゲが感じている世の中と人間が感じるものは違うということが言語化されていて面白かった。 もともとパンサー向井さんがYouTubeで面白かったと話していた本だったので楽しみにしていたが、思ったより論文タイプで戸惑った。 読み直すべき一冊だけど多分開くことは無いだろうな…

    0
    投稿日: 2025.06.21
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    ハイデガーの退屈の形式 第一形式:対象に退屈させられる。仕事の奴隷になって時間に焦っている例。 第二形式:気晴らしの中でぼんやりと退屈、「安定と均整」 第三形式:深い退屈が決断によって反転して自由への可能性(←懐疑的、決断の奴隷になっているだけでは?) (ハイデガーに対して)「なぜ人間が人間らしく生きること、すなわち退屈の第二形式を生きることの価値を認められないのか?」 消費と浪費 「消費はものでなく観念を対象としているから、いつまでも終わらない。終わらないし満足も得られないから、満足を求めてさらに消費が継続され、次第に過激化する。〜そこに退屈が現れる」 物を受け取れることが大切 「日常的な楽しみに、より深い享受の可能性がある」 人間は一つの環世界に浸っていられない、容易に退屈 何にとりさらわれるかを楽しみながら学んでいく 「人間であることを楽しむこと」で「動物になること」を待ち構えることができるようになる

    0
    投稿日: 2025.06.21
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    暇と退屈についてどう対応すれば良いか、具体的な解決策は分からないままだけど、日常の見方が少しだけ変わる本だった

    0
    投稿日: 2025.06.20
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    2025.06.19 忙しくてじっくりと読むことができなかったため、しっかりと理解しきれていない。とりあえず通読した。別の機会にしっかり読み直してみたい。

    0
    投稿日: 2025.06.19
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    暇と退屈、この二つに定義があったとは。それだけで読んだ価値があった。現代はこの二つを大企業に毟り取られてる気がする。隙間時間までも埋めるゲームやリール動画。油断ならない。 いかに距離を置いて、自分自身と向き合うか。時間は有限。気づけば年寄りになってるなんて嫌だな。本当に好きなことを探そう。そこに気付かせてくれた名著。

    0
    投稿日: 2025.06.18
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    いやー素晴らしい本に出会ったな……。自分のこれまでの常識がいくつも塗り替えられ、読む前とは全く違う自分がここにいる。冗談でも誇張でもなく、素直にそう思える。 環世界という考え方が本当に衝撃的だった。 環世界とは、簡単に言えば、すべての生物は異なる世界を生きている、ということだ。虫も、ウサギも、人間も、そして私とあなたも、みんな異なる世界を生きている。 私は、この本を読む前は、価値観は人それぞれだけど、人はみんな同じ世界を生きている、と信じて疑わなかった。しかし今は、そんなことは幻想だ、とすら思っている。にわかには信じがたいかもしれないが、きっとこの本を読めば納得してもらえると思う。 私なりにこの本の結論を解釈すると、人間は退屈から脱することはできないが、この環世界を創っては壊しを繰り返すことで、退屈の影響を最小限に抑えながら豊かに暮らしていくことができる、ということだ。 しかしこの結論はそれほど重要ではない。大事なのは、この結論に至るまでの過程だ。この過程が読む人をどんどん変えていく。本書の言葉を借りれば、読む人の環世界をどんどん作り変えていく。 そして読めば読むほど自分が変わるという実感に支えられ、本書の結論は底知れない説得力を持って目の前に現れる。 500ページと道のりは長いが、筆者は、1歩ずつ足場を固めながら、丁寧にガイドしてくれる。そのガイドに任せて、ぜひ多くの人にこの本を読んでもらいたいと思った。本当に読んでよかった1冊。

    0
    投稿日: 2025.06.18
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    この本の結論だけ読むと、そりゃそうだと思う内容であるけれど、そこにたどり着くまでの過程がとても面白かった。さっくり読めると言う類の本ではないけれど、それぞれが味わい深く何度も戻って読み直した。 全てを理解はしきれてないと思うけれど、学びがたくさんあった。 その中でも、人間とその他動物の違い。ハイデガーは人間は、環世界に閉じこめられてはいないという主張に対して、著者はそこを受け入れたほうがいいと解いている。後、人間は環世界から抜け出すことのできる存在、と言うよりも、人間の環世界は、常に不安定ですぐに抜け出して別の環世界に行ったり来たりしていると言う。 この感覚は、最初はなかなかわからなかったけれど、読み進めていくうちに実感として磨くことができる気がした。 環世界にいると、安心して過ごすことができるが、次第に退屈になる。これが人間の特性なのだろう。 安定した環世界を脅かす何かが発生した瞬間に人は考えるようになる。難しい人間の本能としては、考えないように生きることを目指しているが、一方で考えない安定した環世界を過ごしていると退屈になる。 これが両立しているのが人間なのだろう。 最近のSNSやYouTube TikTokなど大量に消費されている世界があるけれど、ただ快楽に溺れているだけで実感として楽しめていないと言うのも納得した。 もっともっと、一つ一つを深く味わって楽しめるようになりたい。ただ消費するのだけではなく。

    4
    投稿日: 2025.06.17
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    仕事が辛い、趣味で上手くいかなくて辛い。 そう悩んだ時はこう思おうと思う。 自分がしてることはぜんぶ暇つぶしであり、究極の暇で退屈になることはもっと苦痛なのだと。

    1
    投稿日: 2025.06.14
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    人間は狩猟採集の時代から農耕牧畜の時代に入ったことで人生に余裕が生まれた。余裕は豊かさを生むのに対して同時に暇を与える。そして暇は時に退屈と結びつく。したがって人間は退屈と向き合いながら人生を歩まなければいけない。 退屈には三つの形式がある。 まず一つ目は暇があり、退屈がある状態である。本書で用いられている具体例を用いて簡単に説明しよう。電車が四時間後に来る、それまで暇な時人は並木の数を数えたり、地面に絵を描いたりするだろう。すなわち、気晴らしをしているのだ。つまり、この退屈の第一形式とは暇とともに退屈があり、それに対して気晴らしを行なっている状態と捉えることができる。 二つ目の形式は暇がないのだが、退屈している状態だ。一見どのような状態なのか見当がつかないだろう。私も初めはどういうことかよくわからなかった。だが、読み進めていくうちに理解することができたので、説明しよう。パーティーに行った時にタバコや会話をしながら楽しんでたように思えた。しかし、いざ終わってみるとなんとなく退屈だった。そんな感覚がこの二つ目の形式だ。この退屈も分析することでさっきの第一形式との共通点と相違点を見出すことができる。この第二形式は第一形式とは違い、暇の存在が明確ではない。しかし、実際にはパーティーが行われている時間そのものが暇なのだ。そして第一形式と同じようにその暇の中でタバコや会話などの気晴らしが行われている。まとめると、退屈の第二形式とは一見暇が明確ではないのだが、暇の中で無意識に気晴らしが行われている状態だ。 そして最後に三つ目の形式は「なんとなく退屈だ」と感じる退屈のことだ。道を歩いている時にふと「なんとなく退屈だ」そう感じるのが退屈の第三形式である。 退屈の第一形式から第三形式まで紹介した。これらをまとめていこう。人間は第三形式の退屈を恐れている。「なんとなく退屈だ」と感じるのが怖いのだ。なぜなら、人間は何かをするために生まれてきたからだ。その感覚を感じないために我々は気晴らしをする。すなわち、第一形式と第三形式はおおむね同等と捉えてもらって構わない。すなわち、人間は退屈の第一形式=退屈の第三形式と退屈の第二形式の間で生きているのだ。 ここで退屈は人間だけが感じられるものなのかについても考えていきたい。動物はシグナルに従って生きていると捉えることができる。例えば、何かの臭いがあればそこに飛びつくなどだ。しかし、人間も環境に慣れながら生きている。新しい学校のクラス、友達、先生など半年もすれば慣れて新学年でが始まった時の感覚とはまるで異なるだろう。そう人間もシグナルに従って生きているのだ。ここで環世界について論じていきたい。動物はそれぞれの環世界を持っている。生物によって時間の感じ方一つとっても様々だ。動物はそれぞれ固有の環世界を持っているように見える。しかし人間は様々な環世界を行ったり来たりすることができる。学校での自分、部活での自分、家での自分全く同じではないはずだ。しかし、動物も環世界を移動することはできるのだ。では違いは何か。それは人間の方が比較的容易に環世界の移動を行うことができるのだ。これは何を意味しているのか。人間は同じ環世界にとどまることが難しい。人間の方が退屈を感じやすいのだ。動物も退屈を感じるが人間ほど感じることはないと考えることができそうだ。 ここまで人間の退屈について述べてきたが、結論はなんなのか。退屈を感じないためには人間での時間を楽しむことが大切だ。楽しんでいれば、退屈を感じることはない。 【感想】 退屈について思考をしていくのが面白かった。初めは哲学なので難しそうに見えたが、面白かった(難しくないとは言っていない)。人間は楽しむために生まれてきた。だから私自身もこれからの人生を思いっきり楽しんでいきたいと思いました。國分功一郎 先生ありがとうございました。

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    投稿日: 2025.06.11
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    第128回アワヒニビブリオバトル テーマ「最高!」で紹介された本です。ハイブリッド開催。 久々の大阪茶会さんでの開催でした。 2025.6.10

    0
    投稿日: 2025.06.10
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    非常にら読みやすくて、読んでいる時はなるほどなるほどと思うのだけど、いざ本を閉じるとどういうことだっけ?となりました。 書いてある内容を学ぶのではなく、これをエッセンスとして、自分なりに考えてみたいと思う。

    9
    投稿日: 2025.06.10
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    p138付箋を付けて読みたいと思った。ラファルグの引用パート。 引用された主張になるほどと同意していると、別の視点からその主張が否定される。その別の視点は自分が読んだ材料から組み立てられたもので、本来自分で気づけたはずの視点だからこそ、読み方の浅さを感じずにいられない。新書を読んでいるとよく起きることだが、その度どう読むのが正解なんだろうと思う。多分正解も何も無いし流れに委ねて読むしか無いんだろうけど、自分で気付けるようになりたいなあとは思う。 論理の展開がとてもきれい。 動物が退屈するか?という知りようの無い問いに対し、環世界と退屈を紐付けて考察するところは鮮やかな論理だった。 全編を通じて無駄なく分かりやすく著者の主張に必要な材料を集め、検証していく様は数学の方程式のようだと感じた。 7章 暇と退屈の倫理学 決断を求める人、というのがどんな人なのか、どんな状況なのかイメージが掴めず、著者の恣意的な展開になってないか?と感じた。論理の展開に違和感があるようにも感じるし、具体的なイメージが湧いてないからそう感じる気もするので明確に言葉にはできないけど。

    0
    投稿日: 2025.06.09
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    「暇」とは物理的な話。「退屈」とは気分の話。本著では、暇と退屈を明確に分けてわかりやすく説明している。 私たちは、漠然と「暇」と「退屈」を理解したつもりで生きている。本著を通して、その「暇」や「退屈」という環境と状態を理解することができるであろう。 理解するとどうなるか、人生の自由度が増し、暇のときの行動と考え、退屈のときの気分と感情と向き合うことができ、自分理解と内面から湧き出る好奇心を刺激するものと出会うことだろう。 人生には「自分にとっての刺激」が必要なのだ。私たちは言語を通して、環境やこころの理解を深めることができる。本著はその自助する一冊になるといえよう。

    1
    投稿日: 2025.06.09
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    部分部分はよくわかった、気がするのだけど、じゃぁ自分のものとして人に説明できるように咀嚼できたわけでもない

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    投稿日: 2025.06.08
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    文章が簡潔だし例えがすごく面白かったからスラスラ読むことができた。 小さい頃から「ここではないどこかへ行きたい」と思っていたけど、人間が定住生活を始めてまだそんなに経っていないのだから、本能的に求めてしまっている部分と、大脳が余力を持て余しているのだなとわかって超スッキリした! 生きることは辛くて退屈なのだし、少しでも気を晴らすために教養が大切、それはハイカルチャーだけではなく日々の生活を愛するためにも。

    0
    投稿日: 2025.06.08
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    まずは初めから最後まで読み通すことが出来てよかった。 人は退屈から逃れることは出来ないのだと思った。 退屈はネガティブな要素があるが、退屈があったから文明が発達したように、ポジティブにも捉えられる。 退屈から逃れる方法の答えが書いてあるわけではないが、本書を通して、暇と退屈について、自分に当てはめながら共感できたり出来なかったりしながら、作者と一緒に考えられたと思う。一読しただけでは落とし込めなかったので再読したい。

    0
    投稿日: 2025.06.07
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    そもそも暇と退屈の違いすら意識したことはなかった自分にとっては全てが新鮮だったが、そのどれも過去の自分の中にあったものでもあり、最後のページまであっという間に読み切ってしまうくらい面白いものだった 一つ気になったのは浪費の定義、実物の物に限らずもう少し拡張できると思った

    0
    投稿日: 2025.06.07
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    暇と退屈について、大真面目に論じている。読み終えるのにかなり時間がかかったが、読後は、知的な暇つぶしできた清涼感もある。特に、ハイデッカーの論のくだりは面白かった。暇になったら再読しよう。

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    投稿日: 2025.06.04
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    難しいな。難しいしなんだか掴めないなと思いながら読んでいたら途中から分かる部分が出てきて面白く読めてだんだん難しく感じて分からなくなって…

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    投稿日: 2025.06.02
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    前半でパスカルのウサギ狩りや映画「ファイト・クラブ」の話から暇と退屈をめぐる考察にぐいぐい引き込まれるが、ハイデッガーの退屈論をベースに暇と退屈を考察している後半が本書の白眉である。 ハイデッガーによれば、退屈は、はっきりと退屈なものがある「第一形式」、何かに立ち会っているときによくわからないけど退屈してしまう「第二形式」、そして、日常生活でふと感じる「なんとなく退屈だ」の「第三形式」に分類されるという。著者は、動物と異なり複数の環世界を移行する人間には安定も必要で、気晴らしと退屈とが混じりあった第二形式の構造を何とかやりくりしながら生きているのが本性だと説く。 旅行、テーマパーク、外食・・・、個人的な経験では、気晴らしのつもりでたくさん時間とお金を使っても、その中に実は冷めている自分がいることが気になっていたが、それは自分だけではなかった、ということに気づけてまずは安心。知識・経験・関心の領域を少しずつ拡げていくことで人生のバラを増やしていけば、退屈と気晴らしが混ざり合う現実世界で適度に折り合っていけるのだろうと前向きになれた。

    2
    投稿日: 2025.06.01
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    さすがベストセラー、ブクログの登録者も驚きの数です。 暇と退屈が行動のトリガーになってきた気がします。それへの嫌悪感から回避するため打ち込めるものを探したり。それが結構危ない方向に走りがちという指摘も本書の中にはありました。また、ホントの有用なアイデアは暇と退屈の時間中に思い付いたりするものです。 21世紀になり、暇と退屈を誰もがお手軽に回避する道具を我々は手に入れました。スマホです。今や殆どの人が電車の中でスマホをいじっています。そしてこれはただただコンテンツを消費するだけです。 時間は最も価値のある資源と言えます。世の中これほどサステナビリティが叫ばれ、リソース(資源)は有限という認識が広まる中で、これほどのムダ使いがありますか?ホント残念です。

    0
    投稿日: 2025.05.31
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    暇と退屈の違いと社会や哲学、人間の進化の過程や実際のシステムを照らし当てていき、その後、ハイデガーの情状性に関して書かれてある部分をわかりやすく解説ほどこして、それを中心に複数の哲学絡めてさらに深く組みなおしていくというのが骨格にある感じ。思考の仕組みと暇と退屈との関係が紐解き終わると結論ではその付き合い方について語られています。

    0
    投稿日: 2025.05.29
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    このレビューはネタバレを含みます。

    哲学勉強欲を満たすべく買った本のうちの一冊。難しいのだけど、軽妙な語り口ですいすい読めてしまった。 これは久々に買ってよかった!っていう本。 人間はなぜ退屈しているのかというのがこの本の扱う問(の1つ)だが、最初は学際的なアプローチから始まる。あれ、哲学の本買ったんじゃなかったっけ・・・?と思わせるほど、考古学、経済学、歴史といった風に自由自在に議論が飛び回るのだけど、それを哲学という横糸がキュッと締めている感じ。このあたりはだいぶ読みやすい。 マルクス、ヘーゲル、ハイデッガーあたりが出てくるあたりから哲学の側面がぐっと濃くなってきて、読み応えが重たくなってくる。 (哲学初心者ならではの感想かもしれないけど、こうやって、ある問に対する哲学者の立場をそれぞれ読むっていう哲学の読み方もあるんだなぁと思った。ある哲学者の考え全体について学ぶことが哲学だと思っていたから。) これだけの本の内容を容易にまとめることなんておこがましいけれど、私にとっては特に、「人間にとっては退屈しているのが通常運転」というのは素晴らしい発見だった。 退屈していると罪悪感を感じるというか… 人生もっと充実してなくっちゃと焦るような気持ちになる時もあるんだけど、それは私だけじゃないという発見。退屈は私が悪い状態にあるからというわけではないようだという安心。それが普通なんだという気づき(そして、どうして人間は退屈するのかに関する仮説)を踏まえて、退屈にどう向き合っていくのかを考える方が、同じ退屈しているのでも、不安に駆られながら退屈するよりずっといいかな。 消費と浪費に関する区別も目からウロコだった。贅沢しながら生きていけるようになりたい。

    0
    投稿日: 2025.05.25
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    暇とは、退屈とは何か、それは人間だけが感じている感覚なのか? それぞれの生物が持っている、種特有の知覚で主体的に捉えた世界(環世界)について考えを広げ、考察していく。 この環世界という考え方が実に面白い! わたしたちは、太陽や砂や海、空気を自分たちの認識で見ている。けれど、それがトカゲやナメクジにとって同じであるわけがなく、盲導犬のしつけを例にした他生物の環世界への移行の難しさもわかりやすい。 そして、そこから、人間は環世界を移動しながら生きていて、けれど本能的には一定でいようとする。しかし、一定でいることに退屈を覚える。だから、気晴らしをする。それが人間だ。 動物は一つの環世界にい続ける。だから退屈しない。という考察を進める。 結果、現代社会では退屈を紛らわせるためのモノが商品として巷にあふれ、わたしたちはそれを消費して経済が回り、さらに消費するよう誘導され、満足できないという事態にはまっている。 じゃあ、どうすればよいのか? は本書を読んだあと、自らの知的好奇心が満たされ、理解が深まったと実感したときに、真に体感することができる。

    0
    投稿日: 2025.05.25
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    このレビューはネタバレを含みます。

    とても面白かったです! 特に前書きの存在が大きい気がしました。ひとりの人間が書いている、という肉感があると哲学的な文章も読みやすい気がします。 以下、読んで感じたことのメモです。 ・通勤退勤の電車だと本が読めるのに家に帰ると読めないのはなんでだろう、という問いに、 退屈の第一形式(移動時間をつぶすために気晴らしを探す)の中でなら気晴らしとなるが、 退屈の第二形式(家の中できままに過ごす)の中、気晴らしのただなかにおいては手が伸びない、 という構造的な回答を発見した。 ・遊動生活者の精神性は現代においてはADHD気質に相当すると考えている。ADHD当事者だが、世の中の人が退屈と感じる感覚が私にとっての「ねむたい」に相当するらしい。ADHDは気晴らしを探す事を強いられていて(≒サリエンシーを定期摂取しないと寝ちゃいけない時でも寝る)、手軽な不幸ことギャンブル等に依存する傾向が知られている。注意力散漫を「気晴らしを探してしまっている」と言いかえてもいいのかもしれない。 ルーチンワーク化してマルチタスクに弱いのを補おうというライフハックは、第一形式に順応した精神性を第二形式の文化的社会になんとか合わせようという努力と言える。 ADHD、ちょっと人間より動物に近いかもしれん。動物なのに働いてえらいじゃん。 ・おとぎ話は二度語る。物語の中の登場人物たちに、主人公が人生を語り、どんな物語だったかを言い聞かせ、受容される構造になっている。 サリエントを受け入れるためのおとぎ話という機能の発見。 どんな経験でもないよりはよい、という自分の人生観は、つまり正直ない方がいいに決まっている経験を神話や宗教なしに受容しようという当事者研究的思考。 とっ散らかってて草。 面白かったです!

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    投稿日: 2025.05.21
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    難しいが、読み終えて一つ一つの変化、ものごとに前向きに考えを尽くそうと思った。 結論を明確化せず、読者に任せる発想が面白い。 世界史が好きなので、傑出した哲学者の名著が垣間見えたのが楽しかった。また、生物学や人文学にも触れている点が学際的で見識が広がった。

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    投稿日: 2025.05.16
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    このレビューはネタバレを含みます。

    書店で「暇と退屈」という馴染み深い言葉に惹かれて、無知な倫理学の本を取ってみた。やはり倫理学を通して書かれる暇と退屈の関係は、自分が当初考えていたとっつきやすい内容ではなかったが、それでも本書はそんな私のように倫理学に無知の人間でも分かりやすいように、暇と退屈を一つ一つの観点から丁寧に解説していた。最後のパートはこれまでの内容の総復習が行われ、自分の暇と退屈に対する考え方の枠組みができた。本書最終部分の「通読せず結論を見ただけでは幻滅する」という部分はまさにその通りだと思った。暇と退屈の倫理学にこれといった答えはなく、その上で読者達にこの議題について考える機会を与えることがこの本の目的でもあったのかなと思う。 暇と退屈を区別するのも付き合うのも難しい!!

    1
    投稿日: 2025.05.14
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    読んでてポップで分かりやすいなと思いながら読んでいたけども、途中から「うん?」と躓くようになっていった。 周囲の評価が高い本なので、しっかり言語化して悪口にならないよう、最近推してるハイデガーをベースにグダグダ考える。 ①ハイデガーについて ハイデガーの定義した「退屈」は、「被投」から「企投」へと転換するきっかけとなる「不安」に次ぐ気分として解してよいものである。 退屈から自由を発見し、決断をするということは「企投性」を得ていると解すべきであるにもかかわらず、5章では決断を「企投性」へ繋げて検討すべきところを、「決断するというのはあまりにも単純すぎる」と、「決断」を辞書的な意味で解釈をすることで議論を避けている。 7章では「決断の奴隷となる」危険性を指摘するだけで、ハイデガーの理論を退けたこととしているが、これは膨大なハイデガーの先行研究への無視に他ならない。 本文中でハイデガー用語の「現存在」を使用しているが、「現存在」の意味するところは「その都度、私の存在であるその存在」であり、決断は一度きりとは限らない。決断したから直ちに「決断の奴隷」になるとは限らない。 6章ではハイデガーの動物論を、人間中心的すぎるという観点から批判しているが、これは従来から指摘されてきたハイデガーの存在論の弱点である。 加えて、他者論についてもハイデガーの弱点であり、動物論も広義でこの他者論に含まれる。 ハイデガーの存在論の核心に迫るところで議論をやめ、ハイデガー批判の弱点を突いて論を展開しているようにしか見えない。 ②この本の目的とジャンル ハイデガーについて思うところはあるにせよ、作者に寄り添うとすれば、「暇と退屈の倫理学」はハイデガーの存在論と問いの目的を異にするものであり、その論じ方においてはハイデガーの存在論を基とする退屈論を援用して展開することも自由である。 結果としてハイデガーの用語を再定義し、換骨奪胎とも言えるオリジナルの理論を構築ししている。 また本書は学術書ではなく、タイトルに「倫理学」とついているということと、『銃・病原菌・鉄』、『サピエンス全史』のような人類史的な性質を持つことから、単一の思想家(今回でいうところのハイデガー)に焦点を当てての批判は適当ではなく、論の展開を楽しむべきなのかもしれない。 ※『サピエンス全史』に代表される、いわゆる「ポップ人類史」への批判はここでは触れない。 とはいえ上記を踏まえても、ハイデガー(や他の思想家)が本意とするところではない指摘や、その理論が十分検討されていないにも関わらない批判によって、結論に見合わない冗長さが存在していることは否めない。

    1
    投稿日: 2025.05.13
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    決断の奴隷、ぶっ刺さった ひとまず向こう5年くらいそんな状態だったのかな そして慣れてきてまた退屈の第三形態に入りつつあります 暇であり退屈であることから進んで苦境に入り込んだのかなー この繰り返しをしてたのかもしれない、そうじゃないかもしれない 自分の人生に答え出されてたまるか ただ苦しみながらもがきながら何かにチャレンジしている人間にジェラシーを感じまくってた自分を言語化してくれて嬉しかったよ(皮肉ですが) どんな風に生きてこうかな〜良いの読んだ〜

    1
    投稿日: 2025.05.11
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    哲学とは、一般的な常識や物差しとは違った視点から世界を解釈するものと聞いたことがある。 この本まさにそのような視点が得られるものだと思う。日常で漠然としたもやもやを過去の哲学者からひとつずつ紐解いて、点を繋いで答えを導くような手法て描かれていて、世界を俯瞰したような視点が得られた気がする。

    1
    投稿日: 2025.05.11
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    なかなか面白く拝読した。 結論だけ見ると大したことを言っている訳では無いが、本書の中でも言っているように、この本を最初から読み続けたことで見えてくることがある。 哲学的な事柄が多く書かれているが、ロマン溢れる文の塊として捉えることもできて、そういった角度からも愉しむことができた。

    9
    投稿日: 2025.05.09
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    パスカル曰く、「人間の不幸は、どれも人間が部屋にじっとしてられないがため起こる。そのためわざわざ自分で不幸を招く」 人はその性質上、退屈に耐えられない。 本書を通読することで暇や退屈について新しい見方を獲得できると思います。読破まで少々時間がかかり、難しいけど楽しい本です!

    3
    投稿日: 2025.05.09
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    本書の初版が2011年であることを考えると、議論の射程はとんでもなくエポックメイキングなものと感じる。まさかサーリンズが引用されるとは思っても見なかった。グレーバーの議論を先取りしている感もある。 他方で、良くも悪くも若さを感じる挑戦的な論調で、読み進めるにつれチェリーピックはないのかな?と思うところもあったり。 でも総合的に何で読んでなかったのか後悔するくらいの名著。

    0
    投稿日: 2025.05.07
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    一回では読解が難しい内容でしたが、人間が成長した時に読み直して新たな発見ありそう。 この書籍をきっかけにフロイト・ニーチェ・マルクス・ユクスキュルなど読んでみたくなる良い本でした。

    1
    投稿日: 2025.05.06
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    だいぶ難しかったけど、始めのうさぎの狩の話が一番しっくりきた。確かに仕事はその結果よりも過程を楽しんでるのであって、むしろ天下り的に結果を目的としているのかもしれない。 これの問題点は、外部化によって気付かないうちに負の結果を生み出してるかもしれないことだと思う。 またこれになぞらえば、AIの価値も分かりやすい。過程を楽しむのであれば、ブラックボックス化された結果だけを返すAIは不要であり、本質的に結果だけを求めるならば確かにAIにすべての仕事が奪われてしまうのだろうと思う。

    1
    投稿日: 2025.05.05
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    暇・と退屈の原理論 パスカル:人間の不幸は、人間が部屋でじっとしていられないために起こる。また、自分が追い求めるものの中に本当の幸福があると思い込んでいる。(ウサギ狩りはウサギを求めているわけではない) ニーチェ:退屈な人は、不幸(苦しみ)を求めている シュトラウス:近代文明と共産主義に対する不満を持つ→戦争に直面している社会でこそ生を実感できる→ナチズム まさに、ニーチェがいうような苦しみを求めている状況 ラッセル:退屈とは、事件(今日と明日を区別するもの)が起こることを望む気持ちがくじかれたもの。 退屈の反対は快楽ではなく、興奮である。 処方箋は、熱意を持つこと ・暇と退屈の系譜学 定住化によって法整備、財産、死者との関わりなどが生まれる。また、不和や不満も蓄積されやすくなる。(環境が変化しづらいため) 人間は人生で少なくとも2つ、ゴミとトイレに関する定住革命を起こさなければいけない。

    0
    投稿日: 2025.05.02
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    読んでまず率直に思ったのは暇とか退屈に対してそんな真剣に考えるこもあるのかということ。でも筆者だけでなく過去の多くの哲学者もこのテーマについて論じているらしく暇と退屈は人類にとって意外と重要なテーマだったんだなと思った。 すぐに飽きてしまったり暇になったりするのは環世界移行能力が高いからなのか

    1
    投稿日: 2025.04.30
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    #ヨンデルホン #暇と退屈の倫理学 / #國分功一郎(#新潮文庫) #ドクリョウ #ヨミオワリ 人間は能力が高いが故の「矛盾な退屈動物」であったのだ。妥協を重ね、傷を増やし、そして、訓練しながら、楽しみながら、もっと贅沢に生きるべきなのだ。

    0
    投稿日: 2025.04.30
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    10代の頃、天気のいい休日の昼下がりに、窓際で日向ぼっこしながら昼寝をする愛犬を眺めていて『犬の人生って退屈そうだなぁ』と考えたことがある。 1日の大半を眠って過ごして、ご飯と散歩の時間を楽しみに待ち構えている。その繰り返しの人生にとらわれていることが彼らにとって幸せなんだろうか。 突然うちに招かれて、最初こそケージに隠れていたものの慣れていくうちに自分にとって幸福なルーティンを見つけてそれを毎日繰り返している。 人間は映画を見たり、本を読んだり、散歩に出掛けたり、友達と遊んだり、好きな時に好きなことができるのに彼らは不自由だなぁと、人間の価値観で人間の目線で傲慢ながらに考えていた。 彼らの方が彼らなりに全身でこの世界の楽しみを享受していたかもしれないのに、自分だけが退屈していただけかもしれないのに。 人間の生は『楽しみ』が溢れすぎていて、何に没頭するか、どうしたら没頭できるか、そもそも没頭する事が正しい事なのか。退屈することは悪いことなのか。誰も教えてくれない中で生きていかなくてはならない。 これまで人間は退屈とどう向き合ってきたか、これからどう向き合っていけばいいか参考の余地を与えてくれる。

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    投稿日: 2025.04.29
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    今、一番心にあるモヤモヤだったのでとても興味深く、また文章もわかりやすく、一気に読み終えた。 これを読んで全てが解決するような話ではなかったが、筆者が増補新版のまえがきに書いているように「自分が相手にしている何かは、実は多くの人に共有されている問題であること」を知って、私にとっても大きな慰めになった。 この問題はこれからも考え続けると思うけど、以前のように悲観的に考えることはもうないと思う、自分にとっては前向きな問に変わったから。 読んで本当によかった。

    2
    投稿日: 2025.04.26
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    ただデータや論文を分析したり提示するのではなく、批判的に論じていくため、面白かった。 本当にたくさん働いていた時はある意味幸せを感じていた。けど、ちゃんと幸せかどうかには疑問があった。好きなことを考えることで退屈をしのげる。なんちゃら。

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    投稿日: 2025.04.21
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    読書にはまることになった一冊。ぼんやりと思っていた日常の「退屈」を言語化していて、腑に落ちる部分も多かった。中でも、物事を"味わう"ことや1つの環世界に"入り込む"ことが夢中になれる瞬間だという話は納得。本の魅力を教えてくれてありがとう。

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    投稿日: 2025.04.16
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    これが哲学かァ。なんの本に何が書いてあるのか、ふわっとわかるようになるのが良いと思う。哲学系の本も読んでみたいと思えた。

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    投稿日: 2025.04.15
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    とても納得感のある説明で、すっと言葉が入ってきた。 環世界の話が面白かった。 退屈しない豊かな日々を送るためには、観念的なものを消費するのを辞め、物そのものを浪費する、楽しむことが大切。

    0
    投稿日: 2025.04.14
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    付録で論じられるなぜ人は退屈を苦痛に感じるのかという命題の考察が特にも面白かった。 人は暇になると人生で負ってきた心の傷が疼き出すので、それから目をそらすために興奮を求めるのだという仮説はかなり納得感がある

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    投稿日: 2025.04.08
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    暇と退屈ができた過程を、遥か昔から遡ることにより「人間が“退屈しなければいけなくなった”」原因や退屈への向き合い方を論理的に述べている本。 読んだきっかけとしては、まえがきの「不思議だったのは彼が〜〜そんな風に見えた。」の中に出ている、「作者からみた彼」が私自身と全く同じであったため。 いちコンテンツに触れて楽しんでいる(フリをしている)自分自身を他者に見せるだけで、実は楽しんでいない。というようなことが今までの私自身に多くかった。それを作者が第三者目線で書いているこの本にひきつけられた。 私は普段、本を読むような人間ではないが、そのような人間でも読了できるくらいには、いわゆる中だるみがなく、綺麗に構成されている本だった。 (個人的に)ページ数が多いので、噛み砕いて理解できてる部分があったり、大まかに理解してる部分があったりと、理解度にバラつきがあるので、これから再読して理解を深めていきたい。

    0
    投稿日: 2025.04.07
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     いつか読んでみたかった本。読めて良かった。  消費ではなく、浪費できるようになろう。退屈のなかの気晴らしを存分に享受しよう。人間であることを楽しもう。  時にとりさらわれ、「動物になること」を経験しながらも、環世界を移動して、楽しみ、思考しよう。  そして、「暇の王国」を作るための第一歩を踏み出そう。

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    投稿日: 2025.04.06
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    環世界の話が興味深かった。電車を待っている環世界から、読書するときの環世界。人間は常に環世界を移動して生きていて、それゆえに退屈を凌いでいるのだと。ダニには持ち得ない世界だなと。 人間の感じられる1番細かい時間の話も興味深い。1/16秒が最小であり、生き物によってそれは違うこと、すなわち生き物によって違う時間軸を生きているということ。

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    投稿日: 2025.04.06
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    なんでもない日常の瞬間瞬間、18分の1秒の連なりの中、食事の際にようく味わって食べること、景色を見ながら歩くこと、自然や雑踏の音に耳を澄ませてみること、まずはそういった、日々のささやかな時間を楽しむことを積み重ねていこうと思います。 人間であることを楽しみ、動物になれる瞬間を待ち望んで。

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    投稿日: 2025.04.04
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    私だけかもしれないけど、 途中で大いに混乱させられた。 此処では「浪費」や「退屈」が 「悪い言葉」になってないのだ それで、わかったつもりになっても わからなくなる。 よって、以下に私なりの論旨を まとめてみたけど 筆者のように綺麗にまとめられない 読みにくかったら私の責任です。 その他、ハイデッガーやその弟子アーレントを 又は、「歴史の終わり」コジェーヴを 綺麗に批判していて小気味良かった。 なかなか、こんな切れ味ある哲学批判書は ヘーゲルを批判したマルクス以来で 久しぶりだ(本書でも簡単に紹介)。 途中理解しきれないで退屈した時もあったけど 「退屈」と「発見という気晴らし」 が混ざり刺激が加速してゆき 全体的にとても有意義に暇なく一気に読めた 要は、面白かった。 (以下、私的まとめ) ・人類はいつから退屈を始めたのか。 それは定住生活からである。遊動生活は毎日が緊張を強いるので退屈することはない(けれども時には浪費はするし、人間的能力は鍛えられる)。気候変動が人類に定住(後の食料生産、貯蔵)を強いり、生産の習慣化は退屈を産んだ。その結果、縄文人は土器に非常に複雑な装飾を施した。その他生計に必要ない装飾具、土偶、土版、石棒も作った。 ←この視点は、考古学の専門書に書いてなかったと思う。確かに余暇が生じて文化が生まれたが、その間に退屈という人間らしさを入れたのは、筆者の発明ではないか。松木武彦の「認知考古学」の本にもこのような記述は無かったはずだ。新しい視点! ・ただし、定住生活者の退屈に、「決定的な解決策」は見出されない。よって人類に一万年以来の「課題」が生まれる。筆者は「パンドラの箱」を開けたという。本書は多くの災いの後に残る「希望」の探求の書らしい。 ・「暇」とは何もすることのない時間、客観的な条件のこと。「退屈」とは、感情や気分であり、主観的な状態のこと。暇と退屈の関係は四つに分類される。 (1)暇があり退屈している (2)暇があり退屈していない   ‥‥有閑階級が最も当てはまる (3)暇がなく退屈していない   ‥‥昔の労働者階級が当てはまる (4)暇がなく退屈している そもそも「退屈」とはなんだろう。 ハイデッガーは3つに分類した。 第一形式は(1)に入る。電車を待っている時間。退屈「させられている」。暇を持て余す大衆。気晴らしに勤しむ人間。仕事の奴隷になっている。 第二形式は少し複雑である。(4)になる。何かに際して退屈「する」。気晴らしと区別できない退屈。映画「ファイトクラブ」において、ノートン演じるビジネスマンがこれを感じている。彼は消費はしていても浪費ができない人間である。ブラッドピット演じるタイラーも反消費の立場でいることで消費の枠内にある。よって破壊にしか向かえない(←こういう視点は新鮮。アマプラに入ってる間にもう一回見よう!)。筆者はしかし、「これこそ、私たちが最もよく経験する退屈だ」つまり「正気」だ。(←タイラーが「正気」なのか?後で検証したい) ハイデッガーはこの後、もっと深い「退屈」を提示する。 第三形式「何となく退屈だ」 しかし、これは「イコール第一形式」である。即ち、第三形式から「逃げよう」として人間は仕事の奴隷になり、その結果、第一形式の退屈を感じるのである。 よって第二形式の人間は「自ら決断する」人間であり、自由な人間である。 筆者は「人間は退屈に耐えきれない動物である」と規定しているように思える。あるダニは18年間獲物がやってくるまで耐えられるのに、人間はそれができないからだ。「環世界」とか云々で、それを説明しているけど、そもそもホントなのか。達磨が石の上に3年いたのは、例えでありファンタジーなのか。耐えきれないから、人間は自由を求めるのか。 わかったようで、わからない。 総てを疑いながら、あと数回咀嚼してみようと思う。

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    投稿日: 2025.04.01
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    結論をただ教訓とするよりも、筆者の思考の過程を一緒にたどることで自分の頭に今までなかった回路を作るための本 消費ではなく、浪費を 楽しみを享受するための学びを

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    投稿日: 2025.03.31
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    面白い!と、よくわからねぇ!を行ったり来たりした本だった。 それと同時に哲学の面白さを感じた。 哲学の偉人の考えを論理的に否定するとこや、論理がどんどん深まっていく様を見ていくのは楽しい。 ただ、何度か読まないと自分の思考も深まらないことを痛感。再読したい。

    2
    投稿日: 2025.03.30
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    私達が生きるうえで普段感じる「退屈」とどのように向かい合うべきかを問いかける一冊。 社会が豊かになったとき、金銭的、時間的余裕を手に入れた人々が資本主義社会のなかでどのように消費していったのかを、哲学者達の言葉を参考にしながら述べていく。 大学での講義をもとにしていることもあるおかげか、文章はやや砕け気味の語り口調になっている。 そのため、哲学的な読み物としては読みやすい部類には入ると思う。 この本を読みながら思うのは、「哲学ってなんだろうな」ということだ。 それは筆者が言うように、「私はこう思うのだが、君はどう思う?」と問いかけるための議題を共有することなのかも知れない。 誰の考えが正しいか、誰が間違いかは大きな問題ではなく、その考えを共有するなかで、自分にとって新しい考え方を得ること、それを楽しむことが哲学なのだろう。 この本はハウツー本ではないので、結論に従って行動すればより良い人生を送ることができる、ということはない。 だが、新しい考え方を得る楽しみを味わってみたい人は、試しにこの本を一度通読することをオススメする。

    1
    投稿日: 2025.03.27
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    なんかすごいことが書いてある風にしてるけど…結論浅くない?私の読み方が悪いのか? 「結論だけ読んだらがっかりするかもしれないがそこに至るまでの経緯が大事なのだ」的なことが書かれていたが、その通り経緯(他の哲学者の言い分の考察)は厚く、辿り着いた結論が薄かった。

    1
    投稿日: 2025.03.27
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    このレビューはネタバレを含みます。

    ・数百万年も遊動生活を行ってきた人類にとって、キャンプの移動によって、あらゆる種類の環境汚染をなかったことにできるのでポイ捨てや排泄については考える必要がなかった。 ・定住者がいつも見る変わらぬ風景は、感覚を刺激する力を次第に失っていく。 ・現代の消費社会を特徴づけるのは物の過剰ではなくて希少性である。消費社会はわずかな物を記号に仕立てあげ、消費者が消費し続けるように仕向ける。

    1
    投稿日: 2025.03.25
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    2025/03/22 積まれていた本のうちの一つでいい加減読まなくては!と思って読んでみたらやっぱりとても面白い倫理学の本でした。 というか倫理学が全然なんだか分かっていない自分でもすごく読みやすかったし、この本を最後まで読み通して見ることこそ、タイトルに立ち返ってくることができるようになっています。 「暇」であることと「退屈」であることはどうしてそういう状態になるのか、人間はなぜそうした状態になれるのか、という一見ものすごく単純な問いに思えるのですが、人間が「暇」や「退屈」という状態に至るようになるまでの歴史的な見方、なぜそのように感じるのかという心理学的な見方やとにかくいろいろな学問が深く絡み合っていて、切り口は単純でもその中身はものすごく深い内容を考えなくてはならない内容です。 自分も待ち時間は無駄だなぁとかよく思っていたのですが、そもそもなぜ人間はそう思うのかという根本的な部分に対する問いを立てて、全力で考察しています。 難しい部分もあるのでしっかり理解できているかと言われると怪しいですが、何回か気になるところを読み返して考える糧にしていきたいと思います。

    1
    投稿日: 2025.03.24
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    自分でも前からなんとなく気になっていたことを、体系だてて論理的に説明してくれて、とても面白かった!途中でまとめてくれるのも読みやすくて良い。暇と退屈にまつわるあれこれの疑問というかちらっと考えていたことに、いちいち深掘りして答えを出してくれてありがとうございました。

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    投稿日: 2025.03.23
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    だいぶ前に人に勧められて読んだ。 勧められた時はコロナ禍だったから退屈感じてたけど今は自分は全然退屈してないなっていう

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    投稿日: 2025.03.23
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    人類の歴史はめちゃイケの加藤浩次なんだなと。曰く「当たり前じゃねぇからなこの状況」。だから部屋が片付かないのは自然状態であると自己正当化していこう。 書き方が論文論文していない。フランクに書いてもらっている。それは一般大衆の読者を想定しておられるからだろうし、ありがたい。その書き口で、歴史に名だたる思想家にバックリ切り裂き、切り拓いて噛み砕いて説明してくれることで各人の思想を理解しやすくしてくれた。 そんな人達もそれぞれ持つ主観的な「こだわり」によって、理論に支障をきたしていたり、矛盾していたり、破綻していたりすると著者は指摘する。それはそれぞれの結論に結ぶための欲望の問題であると。思考のバイアスが穿った見方をさせる或いは、気づいていても見なかったことにする。 人類は複数の環世界を持つ。ここで思い出したのがNHKの教育テレビのピタゴラスイッチ「ぼくのおとうさん」という曲。名曲だ。 高校の授業(正確に言うとほぼ寝てた。センターの科目としてガッツリ勉強したのは浪人期)で習った倫理を活用するのは初めてで、試験科目としては使ったかもしれないが、それはあくまで点を取る為であって、思想を用いて学問をする域には達していなかった。今回この本を読んだことで使えた気になれたので、勉強しといてよかったなと思った。過去の「傷」が疼くような状態にさせられて、退屈しのぎにはちょうど良かった。とでも言うべきか。

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    投稿日: 2025.03.20
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    哲学の解釈を平易な文章とエピソードで説明しておりわかりやすいが、それでも全体把握には時間がかかる。今まで感じたことがなかったが、なるほどと思わせる考え方が多くあり、面白かった。

    0
    投稿日: 2025.03.16
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    勉強してる感が拭えず、途中から断念。飛ばし飛ばしすっ飛ばして、あとがきや付録を読んでしまった。 「暇」や「退屈」は、現代人にとって意外と大きなテーマですが、それを深く考えることはあまりありません。この本は、そのテーマに哲学的な視点を取り入れながら、「退屈とは何か」「それをどう受け止めるべきか」を考えさせてくれる良書でした。時間があるときにじっくり読むと、より深く楽しめる本だと思います。

    0
    投稿日: 2025.03.16
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    暇と退屈について、過去の哲学者の考えを引用し深めていく内容。人生において退屈とうまく付き合っていくにはどうしたらいいのか紐解く鍵が本書に書かれています。 哲学者にしては読みやすくとても面白かったです。個人的には賛成できない意見もありましたがすごくいい本だと思います。様々な視点から退屈について掘り下げていて人生の送り方のヒントを得られたような気がします。

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    投稿日: 2025.03.14
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    退屈な時間をどうにかしたいと思って読書をはじめたところもあるので、読書に対して後ろめたさがあった。しかし、この本を読んだ後振り返ると様々な本にとりさらわれてきた自分がいて、今まで十分楽しめていたことを知った。 消費ではなく、人間らしい浪費を、贅沢を楽しんで人生を謳歌したい。 また、何人か気になる思想家について言及があったので、その人たちの本も読みたいと思った。哲学だけでなく、歴史、生物、心理、医学など、多方面への興味が湧くような本でもあった。

    1
    投稿日: 2025.03.12
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    本書の結論は『周りのもの・出来事を日頃から思考すること、考えること、享受すること、解釈すること(総じて贅沢すること)をすることで、(退屈の第二形態である)日常をより楽しむことができ、人間生活を楽しむことができる。常にその余裕を持つことで、日常から離れた新しい出来事に「とりさらわれた」事態を楽しむことができる』と解釈した。納得できる解釈で、面白いと思ったが、多くの人は当たり前にしていることではないかと思った。一方で、普段暇と退屈にそこまで囚われている人間も多いのか?と思った。 筆者の考えには概ね同意、賛成できた。 過去の著名な哲学者の考察を参照しながら、それに時に反論し、考えをまとめていく工程が楽しい。 暇と退屈という観点を切り口に、人生を享受し楽しむ方法に一つの解答をくれたのがよかった。 哲学のような分野は、客観的に観測されたデータをもとに、理論を積み上げていく科学(他者による証明が可能)と異なり、どうしても個人があれこれ考えをめぐらした独りよがりなものという印象があり、あまり好んで触れない分野であったが、本書は名の知れた哲学家の意見を持ち出し、わかりやすくある程度説得力のある理論を展開してくれて、納得感があり、面白いと感じた。

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    投稿日: 2025.03.09
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    「贅沢を取り戻せ」 本筋からは脱線するが、ユクスキュルの環世界の概念が印象的に残った。私たちは世界を同じ目で見ているようで、実際は自分というフィルター越しにでしか見ることができない。たまたま去年の自分の日記に似たような概念のメモが残されていたのを発見し、自分はユクスキュルと友達になれたかもなと思ったり思わないかったり。 とにかくあらゆる学問の角度から暇、退屈について考察がなされる本著。仕事はしんどいけど、休みの日にやることがないなというアレの理由が少し分かった気がする。自分が贅沢をしていないからだ。 消費でなく、浪費。 これから意識して生活してみたい。 余談だが、自分はこの本を読んでいて退屈はしなかった。

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    投稿日: 2025.03.08
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    定住革命によって、ゴミ革命、トイレ革命、死者との関わり方など、人間がどんな能力を習得する必要があったのか、人間がどう変化したのか、という内容が特に面白かった。

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    投稿日: 2025.03.07
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    このレビューはネタバレを含みます。

    人間が環世界間移動能力が高いというのは非常に納得した。またそのため退屈を感じやすいのも納得だった。私にとって今の、不法侵入してくる何かはこの本だったのだなと思った。これからも色々な本を読んで不法侵入してもらって、一つの環世界で考える機会を増やしていきたい。

    0
    投稿日: 2025.03.07
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    星3なのは未熟ゆえ。本書から引用すると“楽しむ”に至るのに訓練が足りない故の不完全燃焼を得た。 評価を書くのが難しい。結局読むのに3週間くらいかかってしまった。脳の筋トレ。 「理解する」とはどうゆうことかを理解するにはその経験をする中で自ずとわかるということだったけど、今回きちんと「理解する」に至れなかったな。 スピノザ、ハイデッカー、ルソーなど小難しい哲学論の話はフワフワと読んでしまった。その分、人類史からの定住の考察、フォーディズムの背景、ファイトクラブと疎外、動物的環世界などの話は具体的でおもしろかった。 成長した後にまた読み直したい。

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    投稿日: 2025.03.06
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    このレビューはネタバレを含みます。

    退屈から逃れるために狂気へ向かう、というのは実体験としても腑に落ちるものだった。 世の中、忙しい生活が充実していてひとつのステータスになっている気がする。 しかしそうだとしても「仕事の奴隷」になっており、結局向かう先は退屈なのだ。 暇に過ごすこと、贅沢をすることに罪悪感を感じないようにしたい。 周りの声を閉ざさず、退屈と充実を繰り返しながら、生きていくのでちょうどよいのかもしれない。

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    投稿日: 2025.03.04
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    このレビューはネタバレを含みます。

    難しかったけど面白かった。 暇と退屈についてこんなに真剣に考えている人達が居たとは知らなかった。 「なんとなく退屈」や気を紛らわせるための「気晴らし」も身に覚えがありすぎて、 なるほど定住生活をするようになったり 金銭や時間てきな余裕ができたりという背景があるのか、、と納得した。 何かに熱中することでそれを忘れたり 退屈と思いながらもそれを紛らわす気分転換をしたり 自分だけが、何をしたいのか分からない・何をしているときが楽しいのか分からないという状況に陥ってると思ってしまうことがあるけど それはもっと、周りの人たちもそうなのかもしれない。 環世界間移動能力もとても興味深かった。 たしかに盲導犬は、人間のルールに則るよう教育され直している…警察犬もしかり。 そして人間は、そんなに日常的に視点を変えて生きているというのは意識したことがなかった。

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    投稿日: 2025.03.03
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    自分にとっては面白かった 表題にある「倫理学」に閉じこもらず、人間の「ホモ・サピエンス」としての歴史や生物学的側面、その他哲学、医学、複数の分野にまたがりつつも、初学者にもわかる形で「暇とはなにか」「退屈とはなにか」を論じている。 専門分野に固執することなく適切に組み合わせ現象に迫り、高名な哲学者に「それは違うのではないか」と反論を述べていたりして(反論相手が存命でないのが残念)、その「飲まれない姿勢」が個人的に好みなのかもしれない。 加えて、普段、無意識ながらに感じていたことが寄り道しつつ言語化されていく様は、妙なスッキリ感があった。ぜひ、通読していただきたい(著者直々ご推奨でもある) 一つ困ったのが、この本の結論だと「人は長生きすればするほど暇になるし退屈を覚える」なのではないか?と認識してしまったこと(残念ながら実感に沿っているのでなおさら) なんとかつけ込まれたり飲み込まれたりしないように工夫していきたいところ。

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    投稿日: 2025.03.01
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    このレビューはネタバレを含みます。

    「自分を悩ませるものについて新しい認識を得た人間においては、何かが変わるのである。」 これからもいろんなことを吸収して、新しい認識を増やしていこうと思った。 そして、情報社会の今、周りの情報にあわせて自分の欲しいものやしたいことを決められがちだけど(自分で決めているようで、本質は情報に踊らされているのでは?という視点)、自分の心と対話しようと思えた。 あぁ、難しかった‥

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    投稿日: 2025.02.24
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    一定の豊かさを得た社会での退屈との付き合いについてハイデガーの退屈考を批判しつつ提示 暇は退屈と別の事象であり、退屈と一体の気晴らしの中を生きられるのが人間らしさという観点に一定の幸福を感じる(激しいミッションに身を焼かれる状況は充実しているようで相当キツい) 「今の日本の若者は〜、それに対して途上国の若者は〜」といった意見への嫌悪感は、熱情を尊ぶあまり人は不幸や狂気に陥れられるべきとの思想を感じるからかもしれない 歯止めなき消費から満足に至る浪費へ、のあたりは昨今の丁寧な暮らしや一部のミニマリズムへの類似性を感じる ペットの鳥の生活は退屈の苦痛を感じているように見えるケースもあるため、ハイデガーの人間特別視は馴染まない

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    投稿日: 2025.02.19
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    退屈しないためには、〈動物になること〉。 熱狂、没頭、没入、何かに夢中になるのは退屈なんて微塵も感じさせないほどにおもしろい。 改めてそう感じさせられた。 著者が述べているような贅沢ができるのはお金持ちじゃないと厳しそうだな〜とは思ったけど、「今日は贅沢しちゃおう!」みたいなノリで美味しいご飯とかコンビニスイーツとか食べるような心持ちって大事かもって思った。 消費と浪費の話もすごく面白くて、印象に残っている。 「観念的な価値を追い求めてるといつまで経っても満足しない。」 とても納得した。 振り返ってみれば幼い頃は何もかもが新鮮で、色んなことに興味津々で、それこそ〈動物らしく〉生きていたなと。あの頃は退屈を感じることなんて殆ど無かった気がする。 色んな発見や気付き、学びを得られた本。 いつかまた読み直すこともあるのかな、と思った。

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    投稿日: 2025.02.18
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    人間は暇な時間を望む一方で、暇な時間に対して苦痛を感じることについて、その矛盾を面白く読むことができました。 今後の人生における様々な経験を通して、暇な時間を作りながら、尚且つ経験も重ねながら、退屈な時間を減らしていく考えに至りました。

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    投稿日: 2025.02.16
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    難しい、、 (正しく理解もできていないのに評価するのは失礼ですが、、) ただもう一度読み直したいと思える本。 消費ではなく浪費を楽しむべきという意見は自分に刺さった。ゴールが見えないものを追い続けて満たされない状態が続くより、刹那的なものを感じることが重要なのは共感ができた

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    投稿日: 2025.02.15
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    ずいぶん時間がかかってしまって、やっと読み終えた本論は様々な展開を見せながらも、「退屈と気晴らしが入り交じった生、退屈さもそれなりにはあるが、楽しさもそれなりにある生、それが人間らしい生であった」との一文に同意はする。しかしでは補足で「何もやることがないので(中略)心の中に沈殿していた痛む記憶がサリエンシーとして内側から人を苦しめる」これが退屈の正体だという文脈は危うい気がする。それは次に「サリエンシーに慣れるだけの時間と余裕をもって生きてくることができた人は、何もすることがない時間を、休暇として比較的長く、快適に過ごすことができるだろう」と述べてしまって、じゃ大切なのは余裕ということとなってしまわないだろうか。確かに元々余裕のある人は時間を持て余すこともなく退屈は感じない気がする。退屈は痛む記憶の切迫感によって受け止めの差が出るというのは折角の展開を台無しにしていると思う。

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    投稿日: 2025.02.13
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    このレビューはネタバレを含みます。

    日常に感じる暇や退屈を当たり前に受け止めていた。この本を通して、暇とはなにか、退屈とはなにか、なぜ暇するのかなど当たり前のことに疑問を持ち、考える過程がいかに大事かを学んだ。 この本を読む目的は、「どのようにすればやりたいことを見つけられるのか」だった。そして、暇、退屈をどう過ごせば解決できるのかを知りたくて読んでいた。結論、人間は暇、退屈から逃れられることはできないため、気晴らしと退屈の混じり合った生を生きなければいけないことを学んだ。 しかし、この退屈と気晴らしが入り交じった人間らしい生活ができない人たちが世界にはたくさんいるから、人間らしい生活ができていることに感謝しつつ、色んな国の歴史や現状を勉強してみたいと思った。

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    投稿日: 2025.02.11