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powered by ブクログもともとの意味での反知性主義とは、「かなり特定の系譜をもったアメリカ的な現象」なのだという。 カトリック世界を脱出して新世界を作り出そうとした人々がたどった歴史的経緯によって生み出され、展開してきたのだという。 それを解説した一冊。知らないことだらけだったが、いろいろ腑に落ちる。 ほぼ丸々、アメリカのローカルな事情と論理から成り立っているので、そんなことに世界を巻き込まないで欲しいと思うが、仕方ないのだろう。 われわれは明確に意識はしないが、中国のローカルな事情と論理に基づく世界観を受け入れ続けてきた日本からすれば、それがアメリカに代わっただけともいえるわけだし。
1投稿日: 2025.10.24
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
アメリカとは何かを理解するのに不可欠な本。 アメリカにおいて、政治や教育を左右するのがキリスト教という認識があったが、なぜそうなったのか、をキリスト教がアメリカに根付いていく過程をアメリカ史を背景に詳述する。 アメリカに移民した人々がまず作ったのが大学。それは牧師の養成に必要だったから。もし大学がなければ本国イギリスから定期的に牧師を招かねばならず、アメリカの独立はそこでつまづく、と考えられた。 大卒のインテリ牧師が行う説教は長く難解だった。それに対抗する動きが反知性主義。わかりやすく、時に笑いや涙を交えてキリスト教を説く。その流れは現代アメリカにも脈々と引き継がれ、宗教専門チャンネルや伝道集会用の巨大な教会の建設につながっている。 バブティスト、メソジストなど基本用語もきちんと説明される。
1投稿日: 2025.09.13
powered by ブクログアメリカのキリスト教は、平等や自由を尊ぶ精神と相俟って変異し、アメリカの反権威主義=反知性主義をもたらす、というストーリーをアメリカ宗教史に鑑みながら紹介した著作。
1投稿日: 2025.09.11
powered by ブクログアメリカでの、「信仰復興運動」「リバイバリズム」の歴史について、反知性主義とからめて、書かれています。 アメリカの歴史や成り立ちは、おもに政治制度などを追う形でざくっと勉強したように思いますが、宗教に特に焦点を当てて辿ってみると、またこんなに違って見えてくるんだなーと。 「信仰復興運動」というのも波があるようです。その波の中で特に主導的役割を果たした人物を取り上げて紹介されています。 初めて知ること、初めて得る視点が満載で、とても興味深く読みました。
0投稿日: 2025.07.22
powered by ブクログアメリカがいかに宗教国家であるかというアメリカで定期的に生じる宗教的な熱病を歴史的にみていくことで説明していく本。説得力は高い。 そして、アメリカ的なキリスト教はやはり独特のもので、それがある種のポピュリズム的な動きと連動しやすいものであることがよくわかる。
1投稿日: 2025.05.28
powered by ブクログ米国はキリスト教主義の国と言われるが、同じキリスト教のヨーロッパ各国と違いは何なのか?それが政治に影響を与えていることはここ近年の共和党の岩盤支持層がキリスト教福音派と報道されることが多い、その深い意味は何なのか?米国建国前のメイフラワー号での移民の歴史から説き起こし、数回起こったリバイバル(信仰復興)運動との関係から説明する。独立前の第1回の運動ではジョナサン・エドワーズ、ジョージ・ホイットフィールド、19世紀の第2回にはチャールズ・フィニー、ドワイト・ムーディー、19世紀終わりから20世紀初頭の第3回はビリー・サンデーと大衆説教者が続き、にはまたピューリタンが英国教会に出自はあるが、改革派の神学に影響を受けたこと、エリート層の宗教としてメソジスト、更にバプテストを見下していたことが語られ、これは現在の米国の宗教界に及んでいることも感じ、非常に納得することが多かった。これは米国の共和党・民主党大会の雰囲気にもその流れを感じる。「反知性主義」とは何か、著者は分かり易くの要約する。以下の文はこの書の結論であるとも言える。なお、現在トランプ大統領が敵視さえしているハーバード・イェール・プリンストンの3大学の成立が神学を教える公立学校だったとは全く初聞の興味深いことだった。 「反知性主義は単なる知性への軽蔑と同義ではない。それは、知性が権威と結びつくことに対する反発であり、何事も自分自身で判断し直すことを求める態度である。 そのためには、自分の知性を磨き、論理や構造を導く力を高め、そして何よりも、精神の胆力を鍛えあげなければならない。この世で一般的に「権威」とされるものに、たとえ一人でも相対して立つ、という覚悟が必要だからである。だからこそ反知性主義は、宗教的な確信を背景にして育つのである。」(p177) 「初等教育は誰もが受けられるが、高等教育にはほとんどの人で注目しているのは、単に高等教育を受けた知的エリートが存在しない、ということではない。 それを代々世襲で受け継いでゆく「知的特権階級」が存在しない、ということである。「反知性主義の原点にあるのは、この徹底した平等主義である。本書の冒頭で説明したように、 反知性主義は、知性そのものに対する反感ではない。知性が世襲的な特権階級だけの独占的な所有物になることへの反感である。つまり、誰もが平等なスタート地点に立つことができればよい。 世代を越えて特権が固定されることなく、新しい世代ごとに平等にチャンスが与えられればよいのである。」(p235)
0投稿日: 2025.04.29
powered by ブクログ感染症におけるマスクの有効性や進化論を否定したり、地動説を唱えたりする人たちは、どうしてそういう考えに至ったのかを納得したくて読み始めたんだけど、完全には納得できなかった。 ざっとこの本の結論をまとめると、アメリカは、ヨーロッパの権威から逃れてきた人たちから成立した国なので、反権威主義としての反知性が根本的な気質として備わっている。 また、封建主義を歴史的に経験していないため、知識人が社会の権威者としての存在に近かったことも大きく影響している、となる。 そういう意味では、日本という国の成り立ちが、周辺諸国(古代においては中国、近代においては欧米)から知識を取り入れることで成長してきたことから、反知性はあまり馴染まないのかもしれない。 でも、科学を信じることは「権威主義」なのか? 有名大学の著名な教授が言っているから何も考えずに信じているとでも?違うだろ! ニュートンは、自分が大きな科学的前進を成し遂げられたのは「巨人の肩にのっていたから」と書いた。 例え科学者であっても、全ての科学的知識を自分で確認している人はいない。 誰かが行った実験結果、誰かが行った観測結果、誰かが証明した説を前提に次の仮説を立てる。 誰もが自分の頭で考えるというのは、素晴らしいことのように思えるけど、それは原始人では。 この本の中では、反知性主義が異なる文脈では異なる側面を表示している。 トクヴィルがアメリカで普通の市民が「ヘンリー五世」を読み、国際政治を論じるのを目にして、驚愕する。 「トクヴィルがここで注目しているのは、単に高等教育を受けた知的エリートが存在しない、ということではない。それを代々世襲で受け継いでゆく「知的特権階級」が存在しない、ということである。」 「反知性主義の原点にあるのは、この徹底した平等主義である。本書の冒頭で説明したように、反知性主義は、知性そのものに対する反感ではない。知性が世襲的な特権階級だけの独占的な所有物になることへの反感である。つまり、誰もが平等なスタート地点に立つことができればよい。世代を越えて特権が固定されることなく、新しい世代ごとに平等にチャンスが与えられれば良いのである。」(p235) 知りたかった進化論については、「彼らの反対は、進化論という科学そのものに向けられているのではなく、そのような科学を政府という権力が一般家庭に押し付けてくることに向けられているからである。」らしい。 でも、「進化論と政治が結びついている」という主張は根拠がないように思える。 例えば、「政治と温暖化(気象学)が結びついていて、太陽光発電の利権を分け合っている」なら理屈(だけ)は通るけど、進化論を信じることによって政府に都合がいいことがあるかというと思いつかない。 逆に、膨大な地質学的証拠(北米には状態の良い恐竜の化石も多い)の前に、教会(これも権威だ)が主張しているだけの進化論を信じているのは権威主義以外の何ものでもない。 で、この本を読む前は、この本にはアメリカでなぜ反知性主義が生まれたか、それを避けていくにはどうすればいいのかが書いてある本なのかと思ったけどそうではなかったです。後書きに「日本にも、そういう真の反知性主義の担い手が続々と現れて、既存の秩序とは違う新しい価値の世界を切り拓いてくれるようになることを願っている。」とあるので。 ここでいう「真の反知性主義の担い手」は、知性がありつつ権威に縛られない人、という意味らしいけど、それって普通に知性主義では。 というか、こーいう感じで反知性主義を礼賛することが、「権威を壊すこと」を主張して、単に人目を集めるだけのヤクザを増やしている気もする。 (と、最近のイーロンマスクとか見てると思います) おもしろかったけど、なんかいろいろ納得がいかない。
0投稿日: 2025.03.01
powered by ブクログ冒頭で日本における『反知性主義』と本来のアメリカにおけるそれとは微妙に意味が異なると書かれているが、微妙どころではない。この本を読むと完全に意味をはき違えている事が理解される。日本では知性に欠ける指導者が人気を博す事を揶揄する場合に使われることが多いが、本来の意味での反知性主義とは『上から目線への抵抗』である。 日本で何故このような勘違いが横行するのかと考えるに、そもそも権力者に知性がないことが原因と思われる。大物政治家の子や孫が世襲で権力を維持することに対する反感は日本にもそれなりにあるが、その人たちに知性が感じられないのでそれを『反知性主義』と呼称するのがしっくりこない。何とも残念な状況。 それはそれとしてアメリカという国の作られ方や、ヨーロッパ知識人との考え方の違いなど、今まで知らなかった史実をたくさん知ることができた。その意味でオススメ。
1投稿日: 2024.11.07
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
反知性主義という切口でアメリカのキリスト教、歴史、政治、社会を分析する。反知性主義は知性に反対するのではなく知性が権力と結びつくことに反発するものだとして、その負の面も描きつつ肯定的な評価も与えている。 アメリカの歴史の流れや、自分の中で曖昧だった「ピューリタン」や「福音主義者(エヴァンジェリカル)」の定義が少し理解できた。 また、トランプに対しても本書を読むことで少し見方が変わった。アンドリュー・ジャクソンとの共通点など、トランプはアメリカにとって決して新しい存在ではないのだと思った。 アメリカのラディカルな平等理念が反知性主義を生むというのも面白かった。今の格差社会アメリカを見ると平等とは結びつけづらいが、元来アメリカは貴族が支配するヨーロッパに反抗して生まれた国であり、底流には平等主義があるということだろう。トマ・ピケティもそのようなことを言っていた。確かに、目上の人ともファースト・ネームで呼び合うなど、フラットな文化には違いない。結果としての格差はあるが、機会の平等を重視しているということだろう。 フィニー、ムーディ、サンデーらリバイバル運動のヒーローが、時代のニーズを捉えて伝道していくところは、クリスチャンとして見習わねばと思わされた。ムーディが少年時代に想像上の大観衆を前に演説の真似をしていたというエピソードは微笑ましく思った。自分の子どもたちの性質も将来、主のために用いられることを祈る。 【以下、面白かった箇所の要約】 P34-47 ハーバード、イエール、プリンストン大学はピューリタン牧師養成を目的として設立された。だが、中世ヨーロッパの神学校とは違い、教理教育や博士号は重視しなかった。重視したのは一般教養。牧師(=説教者)には一般教養こそが必要というのがピューリタンの考え。プロテスタントの中でもルターはカトリックの影響が強く神学博士号を持っていた。カルヴァンはピューリタンに近く、広範な著述にも関わらず、修士号も博士号も持っていなかった。 P52-53 初期のピューリタンはオルガン、尖頭、結婚式のドレスや指輪、クリスマス等もカトリック的として拒否した。違反には罰金もあった。性愛の悦びは率直に認めた。ピューリタンは生真面目で率直。笑えるエピソードも多く、それを大真面目に記録していることも面白い。 P56-70 リバイバルはアメリカの平等の理念を呼び覚まし、以下のような多くの社会運動に影響を与え、その精神的支えとなった。 (18世紀)独立革命 (19世紀)奴隷廃止、女性の権利 (20世紀)公民権運動、消費者運動 リバイバル発生の内的要因として、人々の間の回心体験への渇望が挙げられる。明確な信仰を持つ植民第一世代と比べ第二世代以降は信仰が明確でない人が増えてきたが、信仰告白をし教会員籍を得ないと公民権も得られなかったことから、回心体験を求めた。 孤独で不安な新規入植者たちもリバイバルの担い手になった。定住者による安定した社会の維持を願っていた既存教会は、そのような不安な新規入植者たちを受け入れる準備ができていなかった。 P121-122 反知性主義はラディカルな平等論に育まれる。それは、ごく普通の人びとが、道徳的な判断能力をもっていることを前提とする。それはまた、民主主義の前提でもある。 P133-141 エドワーズやエマソンは自然の中に神の栄光を見る。エマソンの神は、キリスト教的な世界観と接してはいるが、聖書的な人格神ではなく、宇宙万物に内在する精神。その精神と個人の精神が呼応する。主客の区別への反逆。宇宙の原理ブラフマンと個人の魂アートマンとの不二一元論という古代ヴェーダ哲学に通じる。エマソンは直感を重視し、ヨーロッパの知的権威を批判する。 P141-142 ソローはエマソンの著書「自然」に感激し、エマソンの庇護のもと「森の生活」を書いた。 P145-153 十九世紀にアメリカの国土は拡大。独立に際しイギリスからミシシッピ川以東を割譲→ナポレオンから大陸中部を購入→西武開拓。この時期に成長したのがメソジストとバプテスト。 P155-173 反知性主義の大統領ジャクソン。名家の知識人であるアダムスに選挙で敗れたのを不正と言い続ける。あからさまな先住民追放政策。 P172 反知性主義の目的は権力者の鼻をあかすこと。手段はスマートでなければならない。反知性主義には、相当の知性が必要。 P175 第二次リバイバルのリーダーであるフィニーは、古色蒼然としたプリンストンの奨学金付入学を断る。反知性主義者は、どんなに世間の評判がよくても、自分自身の判断でそれを退ける。 P176 自然科学を高く評価するのはピューリタンからの伝統。 P177-183 フィニーは、リバイバルは神の奇跡ではなく、人間が自然法則にしたがって合理的に努力することにより起こせると言った。「神は自ら助くる者を助く」と精神。宗教的興奮はすぐ醒めるのが人間の生理的特性だが、それで構わないと言った。ある程度の間隔を空けないと次のリバイバルは来ないので、休んで待つことを説いた。 P185-186 リバイバルを十万人規模の集会による巨大なビジネスにしたドワイト・ムーディ。 ムーディの時代、アメリカは農業から工業へ移行し、移民も増え、大都市には孤独で不安な労働者が溢れていた。ムーディのリバイバル伝道は、そのような労働者の心を捉えた。 P221-245 反知性主義の完成者ビリー・サンデー。 サンデーのようなショービジネス化したキリスト教は、政教分離の帰結。政教分離により税金で教会を運営できないため、大衆を楽しませることにより献金を集めるしかない。逆に言えば、アメリカのキリスト教が先進国の中で例外的に活発なのもそのため。 サンデーは右傾化。進化論は全否定。 P272 日本の反知性主義者は、空海、親鸞、日蓮、田中角栄など。日本は知性も反知性も中途半端な「半」知性主義。ハーバードが「上」という序列意識はアメリカにはない。
1投稿日: 2024.06.28
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
アメリカの反知性主義の「ヒーロー」たちの歴史を追った本。学歴や派閥や権威にとらわれず、自分の力で聖書を読んで人々にわかりやすく伝える、というあり方はある種理想的にも聞こえるし、イエス自身が律法学者を批判しているように反知性主義的なところがあるので説得力もある。けれども、それが行き過ぎると結局悪い意味で世俗的であったり、現世利益的であったり、排外主義につながったりする。というか、それまで積み重ねてきた学問研究とか教養というものへのリスペクトがないよね。宗教が権威的になったり、権力と癒着するのはたしかにもっての外ではあるけれども。ジャクソン大統領とか若干のトランプみを感じた。ポリティカルコレクトネスは、民衆の本音とは乖離していることが(少なくともアメリカ社会では、いや日本も?)多々あるのだろう。功利主義との親和性は確かに高そう。ゆえにこそアメリカ的。 キリスト教ウイルスは宿主によって変異していく、という比喩で語られていて、たしかにそれは分かりやすい。キリスト教の亜種か…だとしたら原種はむしろどこにあるのだろう。 いずれにしても、反省を忘れた権威的キリスト教への反骨、は分かるとしても、神学や語学やその他聖書研究を知ろうとせず、むしろ開き直ってそれを批判するような態度は、反知性主義というか単純に知性がないように思えて危険だと思う。反知性主義の人たちが皆説教がうまくて、パフォーマンス力に秀でているというのもまた危ない。日本も、変なところ学歴社会なくせに、あるいはその反動かもしれないけど、ネトウヨとかそういうところで同様な危うさあると思う。学問や教養に、そして己を振り返る知性に価値を置き、謙虚であろうとする姿勢が政治にも人々にも大事。
0投稿日: 2024.06.14
powered by ブクログ政教分離後エンタメ化した伝道集会が熱狂を呼び、ナショナリズムや平等意識と相性が良く、権力と知性の世襲が嫌われた。誰でも回心してまじめに生きれば救われる、帰依すれば聖書にないことは否定しなければいけない。それが今のアメリカの一部だと理解しました。
0投稿日: 2024.02.10
powered by ブクログアメリカにおいてのキリスト教について、詳しく知ることができた。私はこの一冊だけではいまいち「反知性主義」についてうまく飲み込めず理解できなかったので、著者の別の本も読んでさらに理解を深めたいと思いました。
0投稿日: 2023.11.30
powered by ブクログみんな高評価で長文の感想書いてる意味がわからない。 高学歴な宗教的指導者のアンチテーゼとしてポピュリズム的な低学歴宗教的指導者の人気になるというストーリーと反知性主義のつながりが理解できない。米国の短いプロテスタント史とは関係なく世の中の半分の人は偏差値50以下なんだから古今東西問わずバカにマッチする文化や風習は存在するはず。 南部バプテストをベースとしたキリスト教系の高校と大学を出て、卒業後もキリスト教や聖書について普通の人よりも興味を持って能動的に知識を得てきたつもりだが、本書の内容が全く理解できない。
1投稿日: 2023.11.28
powered by ブクログアメリカを理解する視点として、このキーワードが実に重要なことがわかりやすく書かれていた。実に自分がものを知らないかがわかったというのもおかしな話ではあるが、このことを教えてくれることはいわゆる学校ではないように思う。
0投稿日: 2023.11.25
powered by ブクログいまを知るためには歴史を知る必要があるし、歴史を知るためにはその中で大きな役割を果たしてきた宗教について知ることが欠かせない。アメリカがなぜ「アメリカ」なのか、本書を読んでようやく理解することができた。 サンデー以降、現代につながる流れや、他国での思想についても学びたい。
0投稿日: 2023.06.09
powered by ブクログ反知性とは、その訳のとおりアンチ知性なのだということが分かった。最近使われているような知性がないということではなく、それはノン知性になってしまうわけで。権力への反抗であったり、知性と権力が結び付くことへの嫌悪感というものなのだということがわかった。 アメリカ社会に通底する平等主義、独立主義、それは一見夜郎自大にも思えてしまうような自己主張の強さ、正しいと信じてやまない姿勢のうらにこの反知性主義があるのだなということが分かった。 キリスト教がなんというかアメリカでアメリカ教のようになっているのがおもしろく、アメリカでいうところの「政教分離」は、政治が宗教の影響を受けないようにという発想ではなく、どの宗教を信じても政治に邪魔されないようにという発想のもとに制定されたというのが興味深い。日本の感覚とは異なるところ。
0投稿日: 2023.02.05
powered by ブクログアメリカの反知性主義について書かれた本。 社会的病理・ポピュリズム・ナショナリズム等で象徴的なキーワードとして聞いたことがあったが、その根底にあるアメリカ独自のキリスト教思想や歴史について記載されていて、非常に面白く興味深い内容だった。 ■アメリカはもともと中世の無い社会、王様のいなかった社会だった歴史から、知識層が大きな力をもってきた。それに対抗するものが反知性主義。 ■アメリカではキリスト教が独自の解釈で広まった。神との契約とは、神からの無償の慈悲を指すモノから、自らもしっかり信仰しないといけないという考えに変わる。これが信仰復興運動につながる。 ■アメリカキリスト教の副産物として、極端に平等を求める思考がある。信仰復興運動と相まって強烈な反インテリにつながる。インテリなだけでは大統領になれない。
1投稿日: 2022.11.05
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
"知性にせよ信仰にせよ、旧来の権威と結びついた形態は、すべて批判され打破されねばならない。なぜなら、そうすることでのみ、新しい時代にふさわしい知性や信仰が生まれるからである。その相手は、ヨーロッパであったり、既成教会であったり、大学や神学部や政府であったりする。反知性主義の本質は、このような宗教的使命に裏打ちされた「反権威主義」である。 (p.140)" 現代日本において反知性主義と言えば、"最近の若者は本を読まなくなったとか、テレビの低俗な娯楽番組で国民の頭脳が毒されているとか、大学はレジャーランド化して単なる就職予備校に成り下がったとか(p.3)"といったネガティブな事例、あるいは社会に蔓延するナショナリズムやポピュリズムを指す言葉となっている。しかし、この用語が生まれたアメリカでは、元々もっとポジティブな意味を与えられていた言葉だった。それは、「反-知性」主義というよりも寧ろ反-「知性主義」と括るべきもので、"知性と権力の固定的な結びつきに対する反感(p.262)"を原動力とする。 "大家のもつ旧来の知や権威への反逆であって、その反逆により新たな知の可能性を拓く力ともなる。反知性主義は、知性の発展にも重要な役割を果たすのである。(p.237)" そして、アメリカの反知性主義は決して最近になって突然現れたわけではなく、キリスト教を背景としてその社会に深く根差している。本書では、建国以来の「アメリカのキリスト教」史を振り返り、反知性主義という大きな流れがどのように発展していったかを非常に分かりやすく解説している。 結論を先に言えば、アメリカの反知性主義の根底にあるのは、既成教会に対する反発から生まれた宗教的な平等主義と、真面目な努力には神が必ず祝福を与えてくれるという道徳観念である。 前者は、入植当時のニューイングランドにおけるピューリタン社会が高度に知性的な社会だったという事実が前提としてある。歴史的に見て、当時のニューイングランドは人口当たりの大学卒業者の割合が異常に高かったという。また、プロテスタント教会は一般信徒にも聖書を読むことを奨励するので、日曜日の礼拝は聖書の内容を牧師が解説する難解なものだった。元々、ピューリタニズムは、教会の純化を求める革新運動として始まった。だが、"旧世界では既存の体制を批判する人びとであったが、新世界ではみずからが体制を建設しこれを担ってゆく側にある。(p.63)" 極端な知性主義は、反動として「信仰復興運動(リバイバル)=宗教心の急速かつヒステリックな高揚が広がっていく現象」を引き起こすことになった。その担い手は巡回説教師であったが、彼らは大学で神学を勉強したわけでもなく、"みずからの信仰的確信だけを頼りに、ある日どこからともなく町にやってきては、人びとを集めて怪しげな説教をして回る(p.83)"のである。当然町の牧師たちは彼らを批判するが、人気は衰えない。彼らの説教が抜群に「面白い」からだ。 "それまで人びとが聞いてきた説教といえば、大学出のインテリ先生が、二時間にわたって滔々と語り続ける難解な教理の陳述である。それに比べて、リバイバリストの説教は、言葉も平明でわかりやすく、大胆な身振り手振りを使って、身近な話題から巧みに語り出す。既成教会の牧師たちがいくら警告を発しても、信徒がどうしてもそちらになびいてしまうのも無理はない(p.83)" この信仰復興運動は、徹底した平等理念に繋がっていく。つまり、一人ひとりがそれぞれ心に抱いた信仰の確信こそが正しく、インテリ牧師の、学術的に裏付けされているとしても何だか小難しい話より尊重されるべきものだという考えである。 "アメリカ人の心に通奏低音のように流れる反権威志向は、このようなところから養分を得て根を張っている。彼らは自分で聖書を読み、自分でそれを解釈して信仰の確信を得る。その確信は直接神から与えられたのだから、教会の本部や本職の牧師がそれと異なることを教えても、そんな権威を怖れることはない。よく言えば、これが個々人の自尊心を高め、アメリカの民主主義的な精神の基盤を形成することになるのだが、悪くすると、それはまことに独善的で自己中心的な世界観に立て籠もる人びとを作ってしまう。(p.151)" 後者は、神学的に言えば、神と人間との間に結ばれた契約において、双方がお互いに履行すべき義務を負っている("対等なギブアンドテイクの互恵関係(p.23)")という側面を強調していることになる(このような契約理解は、建国期に活躍したピューリタン指導者ジョン・ウィンステップが語った説教の中に既にその片鱗を垣間見ることができるという)。現状がどんなにどん底であっても、回心して真面目に生きれば神からの祝福を得るという福音のメッセージは、確かに救いである。だが、「努力すれば報われる」という道徳が、「報われたのは自分が努力したからだ、正しかったからだ」(ヴェーバーはこれを「幸福の神義論」と呼んだ)という自己正当化に転換するのは容易だ。特に、時代が進んでリバイバルが産業化・娯楽化していくにつれてこの傾向が顕著になっていく。つまり、宗教と現世的な利益・実利志向のビジネス精神が結びついたのである。リバイバル集会は自己啓発に近いものとなり、"宗教的訓練はビジネスの手段(p.267)"と化す。二十世紀初頭の大衆伝道家ビリー・サンデーに対する筆者の心理分析を、少し長いが引用する。 "つまり彼は、世間的に成功することで、自分が大きく道を踏み外してはいない、ということを実感したいのである。(略)世俗的成功は、それ自体が目標なのではなく、自分の生き方の正しさを計るバロメーターとなった。彼にとって、信仰とはすなわち道徳的な正しさであり、世俗的な成功をもたらすものである。だから、もし自分が世俗的に成功しているならば、それは神の祝福を得ていることの徴なのである。 彼が長老派教会の牧師として正規に任職されることを求めたのも、ことさらに奢侈でおしゃれな服装を好んだのも、そして臆面もなく集会の人数や献金の多さを誇ったのも、みなこの同じ論理に基づいている。何ともわかりやすい感覚であるが、あまりに直接的で、何かしらもの悲しいところがある。(略) 癒しがたい空洞を内心に抱えているからこそ、外面ではどこまでも自分を膨らませてゆく。それがこの時代のアメリカの特徴であり、ビリー・サンデーという個性の特徴でもあった。サンデーは、まさに時代の子である。(p.244)" サンデー以降の反知性主義は、その大衆的な成功のために「権威化」していくという矛盾に陥り、元来の反権威的性質を次第に失っていくことになる。 最後に、現代日本の反知性主義について考えたことを書いて終わる。筆者はあとがきで、 "強力な知性主義がなければ、それに対抗する反知性主義も生まれず、逆に強力な反知性主義がなければ、知性主義も錬磨されることがない。(p.272)" と書いているが、まさにその通りだと思う。日本では思想の伝統化が終ぞ行われることがなかった、と述べたのは丸山眞男である(『日本の思想』)。これを彼は神道の「無限抱擁性」に起因するものだと分析したが、この無限抱擁性のためにキリスト教やマルクス主義のようなその下に概念を整序することを内面的に強制する思想に対しては不寛容であり続けた(相対主義が、それ自体を相対化する視点を決して許さないように)。ともかく、現代日本に蔓延る反知性主義が、アメリカにあったような創造的な「反権威主義」ではなく、単なる大衆迎合と拝金主義であるとしても怪しむに足りない。例えば、所謂「成功者」の言動を批判する人に対して「お前も成功してからモノを言え」といった物言いがなされるのを時折目にするが、これはまさに上述の「世俗的な成功」=「正しさ」という図式に当てはまるだろう。ただ、そこには宗教的意味合いはまったくなく、金の多寡があるだけだが。「成功者」の言うことに聞くべきものが皆無だとはもちろん思わないけれど、彼らの発言を何でもかんでも有り難がるのは危ういと感じる。きっと、「成功」が全面化した価値観にとっては、実際には「成功」するための手段にはどこまで行っても正解が存在しないという事実の為により一層、「成功者」の示す「正解」が生活のあらゆる場面で正しいのだという、ある種の道徳に至るのではないかと想像する。 はじめに プロローグ 第一章 ハーバード大学 反知性主義の前提 極端な知性主義 ピューリタンの生活ぶり 第二章 信仰復興運動 反知性主義の原点 宗教的熱狂の伝統 「神の行商人」 反知性主義の原点 第三章 反知性主義を育む平等の理念 アメリカの不平等 宗教改革左派とセクト主義 宗教勢力と政治勢力の結合 第四章 アメリカ的な自然と知性の融合 釣りと宗教 「理性の詩人」と「森の賢者」 第五章 反知性主義と大衆リバイバリズム 第二次信仰復興運動 反知性主義のヒーロー リバイバルのテクニック 第六章 反知性主義のもう一つのエンジン 巨大産業化するリバイバル 信仰とビジネスの融合 宗教の娯楽化 第七章 「ハーバード主義」をぶっとばせ 反知性主義の完成 知性の平等な国アメリカ アメリカ史を貫く成功の倫理 エピローグ あとがき
19投稿日: 2022.10.31
powered by ブクログアメリカの反知性主義について分かりやすく書かれた1冊。キリスト教の流入から端を欲し、平等な社会であるアメリカだからこそ、知性と権力に反したリバイバルが反知性主義につながる過程が分かりやすく書かれている。
0投稿日: 2022.04.10
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
アメリカはプロテスタントが作った国。 ほんとこれに尽きるんだなぁと思った。 プロテスタントとは、富と権力を欲しいままにして肥大化したカトリック教会に反抗した人々。 同時の最高の学問は神学で、中世以前のヨーロッパでは支配者階級たちが独占していた。神の教えは聖職者によって民衆へ与えられるものだったが、その教えが本当に正しいのか疑問を持ち、自ら聖書を読んで旧い土地を去ったのが彼らだ。 反知性主義は決して知性そのものに反対しているのではない。知性が権力を持ち、自分たちを支配してくることに反対をし、平等な社会を希求している。ヨーロッパ的キリスト教世界を脱した彼らの社会は、社会の建設を志す一団とその支配者を常に警戒する一団とが両輪となって独自の進化を遂げてゆく。 アメリカの社会に対する様々な違和感の正体がこの本によって明らかになって面白かった。
1投稿日: 2022.02.25
powered by ブクログ進化論否定、トランプを信用など、アメリカで起きていることが理解し難いが、この本を読むとそこに至る経緯がわかる。かと言って、進化論否定を肯定する物ではない。 アメリカには、ヨーロッパ階級社会から逃れてきたスタートがある。特定の知識階級が正しさを決めることへの反発。 それに対して、その正しさの拠り所が聖書であるなら、聖書を読むことは自分でもできるわ、となっていく。この過程の説明はとても面白い。なるほどな、と納得する。 一方で、この場合、聖書の存在が大きすぎる。聖書にさえしたがっていれば道徳的に社会的に問題がない。というのは無理な話で、多くの書物にあたって多角的に物を見ることか望ましいと思うけれど、それはなされない。その結果、進化論が否定されてしまう。 著者は,アメリカ国民が否定してるの進化論ではなく、家族の教育分野まで政府が口出しすることだと,言っているがそれは違うと思う。 勉強はしない、出世もしていない。でも私は全くもって問題がないという自尊心の拠り所が無くなっているのではないか。そこに聖書が入り込んでいる。 毎週教会に行けば牧師が教えてくれる聖書は、唯一我慢できる勉強なのだとしたら、それだけは理解できるから、それで教養は充分であり、自分には自分なりの考えや,意見があると言えるとなっているのでは?その結果、進化論が否定されている気がする。 平等を求める心理はわかる。でも、平等でなくなっているから、その社会で生き抜くのに、命綱がいる。それが聖書という人が多い国なんだろうか。 書かれていることは理解できるし、面白い。反知性主義とはなんだったかも理解できた。 でも、それで今の状況が説明し切れるとは思えない。反知性主義が生まれた経緯とその本来の意味から、現実は乖離してるのではないか。 また、宗教=学問に絡んだ権威が強いアメリカで、反知性主義が生まれるのはわかるが、そもそも親が食べなくても子供に学問という価値観の日本では、反知性主義なんて出てこないと思う。また日本の方が序列好きな印象もある。平等が大事なアメリカとは違うと感じた。
0投稿日: 2021.10.16
powered by ブクログまたこれもトランプ支持を理解したくて読んだ本。反科学 や陰謀論など理解し難い主張を反知性主義で説明できるのか、あんな人物を大統領にしてしまう人々のことをこの言葉で理解できるのか、と思い手に取った。 まず序章で反知性主義の定義からなんとなくの理解を覆される。大衆化しおよそ知性と考えられるものに何にでも反対する姿勢のことを日本では反知性主義と呼ぶが、アメリカでは異なる意味合いを持つ、として、アメリカという独特な環境でどのように反知性主義が育ってきたのかの説明がはじまる。 最終章を先取りしてまうと、『反知性主義とは知性と権力の固定的な結びつきに対する反感である』というのがエピローグでのまとめだ。既存の知識体系を古いものとし、常に批判を加えながら新しい考えを呼び込む。平等を尊び反ヨーロッパを旗印にして国を興したアメリカならではの思想である。 このように書くと止揚的で理想の社会発展のように聞こえるが、筆者は必ずしもこの思想を手放しで礼賛するわけではない。曰く、こうした考えはキリスト教のリバイバリズム(復興運動)によって強化されて来、リバイバリズムはその支持を拡大するために平易に既存権威(カトリック)を批判し、そうした大衆的な語り口が熱狂を起こし、反知性主義を強化してきたとする。 このアメリカ特有のキリスト教の広がりは、そもそもアメリカ建国という偉業に立ち向かう人々が求めた結果、世俗の成功を善とする単純な二元論に変質して起きたものであり(宗教の「土着化」)、その語りは過剰に大衆化されてきた。 反知性主義がアメリカ特有の歴史に根ざしてきた容易には変え難いものであり、これこそがアメリカの強さであり危うさの源泉なのだなと思った。権力への批判的な視線やオープンな議論といったプラスの影響は大いにあり、アメリカで働いていると一度立ち止まって本当に必要なのか議論するのを推奨しようと言われるが、文化的土壌にはまさにこうした新国家建国に向け旧体制に追従しない議論の姿勢があるのだなと感じる。一方で、それが行き過ぎると反科学であったりトランプのように既存権威をただばかにしているような言い方に支持が集まるのだと思う。(トランプ支持には新自由主義とリベラル政治により尊厳を奪われた国民の支持があったわけだがそれは別の話として)最近のキャンセルカルチャーやゼロトラランスもこうした過剰な既存体制への批判、実践を重んじる思想が表れているのかなと思う。日本人的にはなんでそんな極端にやっちゃうのかと呆れてしまう面もあるが、その背景としての思想を知れたように思った。ヨーロッパ等他のキリスト教国とも違う社会なのだろう。 他の点で行くと自然崇拝が平等意識と反権力意識を育んだという点も触れており、人文的な観点からは自然信仰がこの国にもあり社会の基盤に影響しているというのはとても興味深かった。また、やはり宗教を理解できないと社会の成り立ちがわからないなと改めて痛感。 語り口が予想外に軽妙、、というか軽薄?笑なところがあり、読み物としても楽しかった。リバイバリズムの興隆でで反知性主義が生まれるところでは、『反知性主義の原点とは、...このぴちぴちとしたコーラスダンサーが振りまく魅力であり、その若い娘たちに見とれている亭主の心持ちなのである』(p83)と言い切っており、タイトルの最重要ワードを死後で説明するそのカジュアルさに笑ってしまった。 次はアメリカの強さの源泉を探って本を探したい。
0投稿日: 2021.07.12
powered by ブクログキリスト教を軸にしたアメリカ史。カトリックの学校で得たキリスト教と、果たして同じ宗教だろうか、と思うくらい、本書で説明されているアメリカの新教は違っていた。プロテスタントを同じ宗教だと思ってはいけないなあ。
0投稿日: 2021.06.21
powered by ブクログ民主主義というシステムは、ごく普通の人々が道徳的な能力をもっている、ということを前提としてはじめて機能する。
0投稿日: 2020.12.20
powered by ブクログ反知性主義とは知性に反対する主義ではなく、知性が権威を不当に行使している構造をチェックしようとすること。また、チェックしようとする過程で新たな知的創造が生み出される可能性もある、というのが本書のポイント。なので、都市文明を大学の外から鋭く批判したエマソンやソローも反知性主義。また、フィニーという反知性主義者が創立したオベリン大学も、米国初の男女共学大学であった。 一方で、反知性主義の抵抗精神は、独善的で自己中心的な世界観に籠る人びとを生み出す可能性も有している。今のところこちらに大きく傾いているようにも見える現代の反知性主義は、どのような知的創造を生み出すことができるだろうか。
7投稿日: 2020.11.05
powered by ブクログ森本あんり(1956年~)氏は、国際基督教大学卒、東京神学大学大学院修士、プリンストン神学大学院博士課程修了の神学者、牧師。国際基督教大学教授。 本書のタイトルである「反知性主義」という言葉は、米国人のリチャード・ホフスタッターが、マッカーシズム(1950年代にアメリカで発生した反共産主義に基づく社会・政治的運動)の嵐が吹き荒れたアメリカの知的伝統を表と裏の両面から辿り、ピュリツァ―賞も受賞した『アメリカの反知性主義』(1963年)に由来するもので、「反・知性」主義(およそ知性的なことに何でも反対すること)ではなく「反・知性主義」(知性主義に反対すること)を表した言葉である。 本書では、アメリカのキリスト教史を辿りつつ、「反知性主義」がどのように生まれ、変遷してきたのかを詳しく解説しているが、その性質は概ね以下のようなものである。 ◆反知性主義の発生は、17世紀のアメリカ入植者のピューリタニズムの極端な知性主義が土壌にある。反知性主義の本質は、知性そのものに対する反感ではなく、知性と権力の固定的な結びつきに対する反感、知的な特権階級が存在することに対する反感である。アメリカは中世を経験せずに近代になってできた国であり、伝統的な権威構造が欠落した社会である。そうした社会では、知識人の果たす役割が突出していたと考えられ、それがアメリカで反知性主義が生まれた大きな背景である。 ◆反知性主義は、知的で文化的だが、頽廃した罪の世界であるヨーロッパから脱して、新しい自分たちの世界を作ったと考えるアメリカ人をひとつにまとめる役割を果たした。 ◆反知性主義がアメリカで力を持つ理由は、アメリカがあくまでも民主的で平等な社会を求めるからである。アメリカでは、神の前には、学のある者もない者も、大卒のインテリも小学校すら出ていない者も、それぞれが同じように尊い一人の人格と考えられている。また、民主主義はごく普通の人びとが道徳的な能力を持っていることを前提としているが、アメリカでは、理性の能力には個人差はあるにしても、適切な政治家を選ぶというような道徳的感覚は、生まれながらに人に備わっていると考えられている。 ◆アメリカ的な福音のメッセージは、誰でも回心して真面目に生きれば救われるというものである。アメリカ人にとって、宗教とは困難に打ち勝ってこの世における成功をもたらす手段であり、有用な自己啓発の道具である。かくして、宗教的訓練はビジネスの手段のひとつとなる。 読了して、アメリカ人の政治、宗教、社会などに対する考え方や、とても知性があるとはいえないブッシュ(子)やトランプが大統領になったという事実には、アメリカ特有の宗教的・歴史的背景があるということがよくわかったし、知性主義(=権威主義)への反発や、平等な社会を求めるという、その本質については共感できるものでもあった。 しかし、翻って現在のアメリカを見ると、反知性主義がめざした理想からかけ離れ、むしろ「知性」そのものを拒否しているとしか思えない、嘆かわしい状況である。 アメリカの良き伝統は復活するのか。。。数日後に迎える大統領選挙の結果が、それを示してくれるだろう。 (2020年10月了)
5投稿日: 2020.10.31
powered by ブクログ反知性主義とは知性の欠如を礼賛するものではなく、むしろエスタブリッシュメント化した知性に異を唱え本質への議論を巻き起こす、極めて知的な営みが出発地点だったということがわかる。 アメリカにおけるキリスト教の在り方、変遷を学ぶという観点でも実に興味深い内容。 インテリの2時間かかる難解な説教より、身振り手振りとユーモアを駆使した俗な説教のほうが耳目をあつめるというのはさもありなん。 反知性主義も、批判的視点に立脚している限りはその大義を果たすことができるのだろう。しかし耳目を集めることが目的化してしまったり、単に知性から目を背けた無知性主義にどうしても陥ってしまう。 そういった最適解のなさこそ、歴史から学び取るべきなのだろう。
1投稿日: 2020.09.09
powered by ブクログアメリカ的キリスト教観…神と人間が対等な契約関係にあること。宗教としてはやや実利思想。正しいことをすれば神が幸福にしてくれ、間違ったことをすれば神が罰を下すという思想。アメリカ精神とは、こうした例に見られる二分法を前提としている。 アメリカの半知性主義の始まり…高度に知性を重んじ、それに対しての反動で信仰復興運動が起こり、それに付随して半知性主義が勃興した。 ピューリタンという厳格で知性ある宗派への反動。 ピューリタン社会の知的土壌として、繰り返しアメリカ社会には「信仰復興(リバイバル)」が現れている。リバイバルとは、信仰的熱心さと教会成長を伴う信仰運動が勃発・拡散した歴史的事象のことを言う。独立革命、奴隷廃止運動、女性の権利拡張、公民権運動、消費者運動などがそう。これらラディカルな平等主義こそが、半知性主義の主成分。 原点は、独立革命の30年ほど前、第2世代による、洗礼による回心体験の希望とメディアの発達。今までインテリ牧師たちが難解な教理を述べていたが、それに代わり、素朴で謙遜的な信仰心の高さに訴えるリバイバリストたちが人気を博した。 信仰復興は、出身や教派の違いを乗り越えて伝播し、「アメリカ」という一体性を人々にもたらした。学のあるもの無いもの、それぞれが同じように尊い一個人であるという、ラディカルな平等感が、反知性主義を育むことになる。 「神は人間を平等に創造した」というのは、実はキリスト教史においてもかなり新しい考え。キリスト教は、人間は宗教的には平等でも、社会的には不平等で上下の秩序があり、この中でお互いに助け合いなさい、と言ってきた。 「迫害コンプレックス」...迫害されればされるほど燃え上って強くなる人、日本の社会なら、迫害コンプレックスは当人の思い込みで終わるが、アメリカ社会では、生命の危険すら顧みず信念を曲げないヒーロー像と化す。 信仰に基づいて権力や法律に逆らい続けたクエーカーなどが挙げられる。 日本の政教分離:政治から宗教を追い出して非宗教的な社会を作る アメリカの政教分離:国家そのものを非宗教化することで、個人の信仰を最大限発揮できるようにする=宗教的な社会を作る アメリカでは、一方で国家た政府を地上における神の道具とみなし、楽観的で積極的な社会建設を目指す(チャーチ型)だが、他方では、地上権力を必要悪として考え、政府を見張る(セクト型)の精神がある。 信仰復興運動は、アメリカのキリスト教に福音主義という感覚をもたらした。それは素朴な聖書主義、楽観的な共同体思考、保守的な道徳観である。 19世紀においては、時代が「下級階級の人々の好奇心を刺激し、享楽の欲望を満たし、支持を取り付けるために低俗で野卑なものを提供すること」を要請していた。 反知性主義は、単なる知性への軽蔑ではなく、知性が権威と結びつくことに対する反発である。 19世紀末になると、第三次信仰復興運動が始まる。この背景には、農業社会から工業社会へと変わりつつあるアメリカの中で、経済格差、知的格差が拡大し、都会の中で孤独を感じていた人々が大衆となって現れ始めた時代だ。 ここから、リバイバリズムが「産業」と化す。信仰とビジネスを結びつけ、広告によって多額の金を集め、、何千人規模の人々に巨大な施設で伝導を行った。 ビリー・サンデー:反知性主義の完成期の人物。 アメリカの特徴は、高等教育を受けた家柄が、代々世襲で受け継いでいく「知的特権階級」が存在しないことだ。アメリカは知識においても平等であり、そのような知的階級への独占的な所有を許さない態度こそが反知性主義なのだ。ヨーロッパの支配から逃れたアメリカは、過去の文化から学ぶものはないし、そんなものを学ぼうとする知的な精神は有害なだけなのだ。 しかし、次第に反知性主義が、既得権益と結びつき、本体の反エリート主義的な性格を失っていく。 【まとめ】 「知性」とは、単に何かを理解したり分析したりする能力ではなく、それを自分に適用する「ふりかえり」の作業を含む。自分自身の考え方や主義主張に対して、自覚的にならざるを得ない人だ。 よって、「反知性」とは、知性が欠如しているのではなく、知性の「ふりかえり」が欠如し、知性と権力の固定的な結びつきや知性の越権行為を、敏感にチェックするのが反知性主義である。 アメリカでは、宗教と道徳を同一視し、宗教的に基礎づけられたラディカルな平等意識があった。 アメリカ特有の反進化論も、「宗教」vs「科学」という単純な構図ではなく、そのような科学を政府と言う権力が一般家庭に押し付けることへの反発なのだ。 【感想】 この本を読む前は、「反知性主義」という言葉が、「知識を否定し、学ばないことを良しとする信条」のことだと漠然と認識していたが、 この本を通じ、「反知性主義」はむしろ、知性というものに折り合いをつけ、それを俯瞰的に眺めることで、 硬直化し権力と固定的に結びついた知性を批判する主義だということを知った。 反知性主義がアメリカにおいて隆興した理由は、この国独自のキリスト教感による。 ヨーロッパの支配から逃れる形で建国された若き国アメリカは、既存のキリスト教による支配体制や、 エリート層による知的階級のイスの独占が存在しなかった。 無一文の開拓者によるアメリカンドリーム、自分の力で未来を切り開くヒーロー像など、 アメリカでは下層階級からの叩き上げが好まれる文化が存在する。 アメリカは自由と平等をラディカルに重んじる国であり、そうしたエリート層に知性が独占されること、 またエリート層から固定化された知識を押し付けられることを「良し」としないのだ。 この「己の力」による進化が、アメリカという国の強さそのものである。
0投稿日: 2020.06.23
powered by ブクログ2016年、まだトランプが就任する前にたまたま興味を持って読んだ。 今思えば、トランプ当選という現象の源流にあるものについて知れていたのかもしれない。 アメリカがニューイングランドと呼ばれていた時期に、イギリス人宣教師がキリスト教を「大衆化」したことが反知性主義の源流だ、という内容だった気がする。 要はエリートの特権だった「高尚」なキリスト教を、大衆にも分かりやすく翻訳して広めた宣教師がいたと。 キリスト教を広める、という大義を持ってよかれと思ってやったのだろうが、そのおかげでキリスト教が持っていた規律性も失われた部分があるのだろう。元々はコミュニティを形作る機能も持っていたわけで、一定の排他性と、情報の非対称性による統治のしやすさとかがあっただろうに。 宮台真司も言っていたが、どのプラットフォームも大衆化する段階で「クズ化」するものなのだなあ。
0投稿日: 2020.04.01
powered by ブクログトランプ大統領就任のころからよく目にするようになった反知性主義だが、その意味合いがよくわからない。 まえがきにある、佐藤優の「実証性や客観性を軽んじ、自分が理解したいように世界を理解しようとする態度」と定義が一番実感に近いように思う。 本書は、反知性主義という社会問題を説明・分析するようなものではないため、そのようなものを期待すると肩すかしを食らうことになる。本書は反知性主義がアメリカにおけるキリスト教から発生した歴史、その際の反知性主義のヒーローを紹介する。難しくなく、読み物としてもすごく面白い。 ヨーロッパにおいてカトリックへの対抗としてプロテスタントが興ったが、プロテスタント(ピューリタン)が建国したアメリカにおいては、ピューリタンへの対抗として反知性主義が興ったという。 反知性主義においては、説教者は、ピューリタンのような難解な説教をするよりも、民衆の心情にわかりやすく訴え、回心させること(さらには回心させた人数)を重視する。 その背景には、神のもとでは知識人も非知識人も平等であるという確信があるようだ。 本書においては反知性主義は、知性が権力と結びつくことをチェックする機能を果たすというポジティブな意味合いで使われている。 なんか便利そうな言葉だけど、思ってたのと全然違う感じだった。
0投稿日: 2020.01.13
powered by ブクログ最近話題(?)の反知性主義の本。読む前は反知性主義を単なるインテリに対する妬み嫉みの類だと思っていたけれど、信仰の問題だと考えると反知性主義という言葉がまた違った様相に見えてくる。信仰はインテリだけのものではなくて、みんなのもの。インテリだってそうじゃなくたって、信仰を持ったっていいじゃない。信仰心は知性とは必ずしも結びつかないから、もっと信仰をみんなのものにしよう!という前向きな意味として反知性主義を捉えれば、それは決してダメなことではないと思う。 最近日本で言われる反知性主義は、「感情でイケイケどんどん、理屈やエビデンスなんて糞食らえ」みたいな意味で使われていることが多いと思うので、ちょっと違うんだな、と知られて満足。 反知性主義は深掘りすると、意外にも結構深度のあるテーマなのだ。
0投稿日: 2019.12.27
powered by ブクログ2015.5.1 SS22 柳瀬博一紹介「アメリカを知るには必読」2015.10.17 週刊ダイヤモンド 佐藤優 「読まない方が良い。現在日本で問題になっている文脈とは異なる。ある時台の米国における反知性主義を扱っている。現在の分析には当てはめられない」
0投稿日: 2019.08.21
powered by ブクログ副題は『アメリカが生んだ「熱病」の正体』となっています。 反知性主義とは、 かいつまんでいうと、 知性と権力とが結びついたものに対する嫌悪や、 それらに反対する心理や行動のようです。 学のあるエリートと大衆的でおおらかな人物とが、 たとえば大統領選挙でまみえると、 前者は知性主義的であり後者は反知性主義的であるので、 後者が勝ちやすいみたいなところがアメリカにはあるようです。 そんな反知性主義はどうして生まれ、 アメリカ人の根底に流れるようなものになったか。 そこには、アメリカという国そのものの歴史、 それも宗教史を考えていくとわかるものがある。 イギリスで起こったピューリタン(清教徒)の系列のキリスト教が、 アメリカに移民とともにはいってきますが、 それはとても知性的な宗教だったのです。 勉強に勉強を重ねたエリート中のエリートが牧師になれて、 それぞれの土地の重鎮みたいにその土地の顔のようになり、 人々を導く役割を持つ。 そんなところに、あまり神学について学の無い伝道者が、 各地を巡回して説教をする時代になる。 それによって、回心という現象が多発するようになります。 これをリバイバル、という。 もともとキリスト教の洗礼をうけてはいたものの、 ぼんやりとした宗教心しかもっていなかった多くの人々が、 伝道者のわかりやすく巧みな話術(説教)に触れたことで、 キリスト教に、あらためて、 いや初めてといってもいいような覚醒をするんですね。 失神したり痙攣したりといった、 狂信的な意識レベルに入ることで起きるような身体現象を伴いもしたようです。 といったように、 そういった反知性の伝道者が受け入れられ、その後、 伝道者によってお金儲けと信心とが結び付けられていき、 まさにアメリカ的なキリスト教になったことで、 反知性主義はアメリカ人たるものの根底にあるものになる。 反知性主義の源泉には、平等(フェアネス)をよしとし、 求め、実現しようという理念があります。 また、たとえば誰かを助けるときにおいて、 知性主義の人は、 立場や法律など社会システムに照らしてから助けるか否かを決め、 反知性主義の人はその誰かの命や生活を優先して 社会システム度外視で助ける、みたいなところがあるようです。 そういうのを知ると、反知性主義のほうでいいじゃないか、と思ったりもしませんか。 しかし、どんな主義思想にも欠点はつきもので、 反知性主義には、よくない意味での熱狂を生むし、 原理主義と親和性があり陥りやすいというのがあります。 反知性主義って、 神の子羊である存在を肯定するようなところがあるように見受けられる。 勉強して子羊以上の存在になった者よりも、 子羊のままでいいのだ、と。 そんな無知な子羊が子羊として無垢な存在であるためには、 社会から競争と資本主義を取り去る必要があると思います。 そこはもっと個人的にも考えていかないと、ですね。 「知能」と「知性」は違うという話もおもしろかった。 知能犯はいても、知性犯はいない。 知性とは、自分を振り返る技術や性向をいうのだ、とされていました。 だからといって、反知性主義にも知性は必要で、 権力と知性の結びつきをきびしく監視し分析するのに使われます。 反知性主義ときくと、ちゃらんぽらんな状態がいいのだ、と誤解しそうですが、 本書を読むと、反知性主義であろうと知性主義であろうと、 知性なしでは進んでいかないものであることがわかります。 やっぱり、無知って悪と結びつくとも言われるので、 「主義」はぬかして、知性は大事だなと感じるのでした。
0投稿日: 2019.07.28
powered by ブクログ反知性主義という言葉自体はここ最近、トランプ政権の誕生や各国家での保守派の台頭を指したものとして聞かれるものだった。そうした風潮に「反知性主義」という批判を浴びせるという文脈で使われていた言葉。 しかし、この本を読むと「反知性主義」という言葉はむしろ褒め言葉のようにも思えて来る。 反知性主義は、知性の越権行為を監視するもの。知性が学問以外の領域に進出し、影響力を持つことに対する反感。また、単純な反感だけではなく、知性が特定の人々のものになり、世襲化し固定化することに対する反感であること。 アメリカの場合、その根底には社会の階層に囚われない平等という概念があること・・(また、さらに平等の根底にはアメリカで土着化したキリスト教が深く関わっていること)・・・などを学べた。 個人的には、本書の説明から何故歴史の流れの中で、本流と異端が入れ替わり続けるのかという疑問の解消の一助となった気がする。(ユダヤ教とキリスト教の入れ替わり、カトリックとプロテスタントの入れ替わりなど)。 異端が発展して、本流となっていく中で知性と結び付く。知性と結び付いたことで、活動が難解なものになる。それに反感を持つ人たちが、本流を積極的に否定する活動を形成する。 この本は近代アメリカのキリスト教という観点から、反知性主義を話していたが、現在の政治でも同じようなことが起きているのかも。反知性主義という言葉がマスメディアや知識人を通じて出てくるということは、自分たちは知性を持つ層であることを自認している。その時点で、本流とそれに反感を持つ層の対立が起きる土壌が出来ている。リベラリズムという価値観が強い影響力を持って、現実の社会に対して大きな影響力を持っている。そこにある程度の強制力が生じるが、そこに反感を持つ人がリベラリズムという本流に対しての異端を作る。こうしたことが繰り返されていくために、本流は安定しない・・・みたいなことかなー。
0投稿日: 2019.05.26
powered by ブクログアメリカにおける反知性主義 anti-intellectualism の歴史を紹介した本。 もともとピューリタンの牧師は、高学歴な人に限定され、説教の内容も、高度に学問的なものが多かったことから、これに反発する形で、学歴や専門の訓練を受けてなくても、人々を回心させることのできる説教師が登場し、発達したという歴史を語る。基本的にキリスト教の用語。 近頃の日本で「反知性主義」という文字面から使っているような文脈とは異なる。 例えばこの本の用法は、なんかよくわからん。「日本の反知性主義」
0投稿日: 2019.05.21
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
☆アメリカの現世での利益を求めるキリスト教。反インテリの風潮らしい。 キリスト教原理主義もこれなのかな? p.259 知性(intellect)は人間だけ、知能(intelligence)は動物もある。知性とは単に何かを理解したり分析したりする能力だけでなくて、それを自分に適用する「ふりかえり」の作業を含む、ということだろう。 p.260 知性の「ふりかえり」が欠如していないか、知性が知らぬ間に謁見行為を働いていないか、自分の権威を不当に拡大使用していないか。そのことを敏感にチェックしようとするのが反知性主義である。 p.262 反知性主義は、知性と権力の固定的な結びつきに対する反感。知的な特権階級が存在することへの反感。「ハーバード主義」への反感。ハーバード大学の出身者が固定的に国家などの権力構造を左右する立場にあり続けることに対する反感。 アメリカは民主的で平等な社会を求めるから、キリスト教が反知性主義として力をもつ。 (参考)ホーフスタッター アメリカの反知性主義 県立 大学302.53H81
0投稿日: 2019.05.06
powered by ブクログ【知の引っぺがし】トランプ大統領の誕生等の流れを受け,日本でも幅広く使われるようになった「反知性主義」という言葉。その発祥の地とも言えるアメリカにおける反知性主義の流れをたどりながら,その考え方の本来意味するところを探求した作品です。著者は,国際基督教大学で教授を務める森本あんり。 決して難解な表現に頼ることなく,それでいて明晰に反知性主義とは何たるかを示した名著だと思います。現在の反知性主義という言葉がなんとなく内包するマイナスのイメージとはかけ離れた実像が浮かび上がってきたところも非常に興味深かったです。 〜反知性主義は単なる知性への軽蔑と同義ではない。それは,知性が権威と結びつくことに対する反発であり,何事も自分自身で判断し直すことを求める態度である。〜 話題の本でしたが☆5つ
0投稿日: 2019.04.17
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
ホフスタッターのAnti-Intellectualismを説き起こした本。キリスト教と反知性主義の関係、そしてアメリカ人のものの考え方、感じ方について、説得力ある議論を展開する。 反知性主義とは知性を否定するのではなく、知性に結びつく何かを否定する。たとえば知性と権力が結びつくこと。知性と権威が結びつくこと。大卒じゃなければ牧師になれないとか。科学と権力が結びつくこととか。
0投稿日: 2018.11.23
powered by ブクログ【由来】 ・MediaMarkerで。札幌市の図書館では1冊に対して16人。 【期待したもの】 ・ ※「それは何か」を意識する、つまり、とりあえずの速読用か、テーマに関連していて、何を掴みたいのか、などを明確にする習慣を身につける訓練。 【要約】 ・ 【ノート】 ・ 【目次】
0投稿日: 2018.10.28
powered by ブクログ前半のハーバード、イェール、プリンストン設立の由来は理解できたが、リバイバリズムは、あれで本当に良いのだろうかと、最後まで理解できなかった。
0投稿日: 2018.10.11
powered by ブクログ反知性主義とは、知性と権力が結びつくということを批判することで、知性そのものを非難することではなく、アメリカという国故に生まれたということが分かりました。 本書では、アメリカのキリスト教布教の歴史に於ける、「信仰復興」(リバイバル)を通じてどのように反知性主義と言う考え方が敷衍されてきたかが分かるようになっています。 個人的に、特に勉強になったトピックとしては、「政教分離」で、日本では創価学会などがやり玉に挙げられますが、アメリカのそれは、政治から宗教を追い出すことではなく、各人が自由に思うままの宗教を実践することができるようにすることであるということです。 言葉も平易で読みやすく、納得の一冊でした。
0投稿日: 2018.02.09
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
イギリスのEU離脱、アメリカのトランプ大統領当選、日本の民主党政権擁立…、マスコミ報道や雰囲気に呑まれて、あまり深く考えもせずなんとなく「感触がいい」からという判断で政治や経済を委ねてしまう、あるいはそういう市民層を意識してあえて分かりやすい行動をとる支配者層… 俺は、この本のタイトルとなっている言葉の意味を、なんとなく漠然とそういう風にとらえていたのだが、その解釈は間違っていた。 少なくともこの言葉が生まれたアメリカでは「反知性主義」とは「知性」と対立するものではなく、「知性主義」と対立するものだということ。そして、そこにはアメリカ合衆国誕生から深く根ざすキリスト教が大きく影響していたのだということ。なるほどなぁと目から鱗。 反知性主義とは知性と権力の固定的な結びつきに対する反感。これが結論なんだが、その反知性主義が成立していく過程をアメリカ宗教(キリスト教)史を通じて分かりやすく書かれていて良い。勿論、宗教史以外から反知性主義を読み解く方法もあるんだろうが、今のところ、俺の中ではこの本の影響大である。 ただ、日本の「反知性」は困ったもので、「分かりにくい真実より理解しやすい風評」みたいなもっと安易なとこがあるよなぁ。「あの人とは血液型が合わないから付き合わんとき」とか「水素水呑んだら肌ツヤが良くなるで」とか、自分で信じるのは勝手やけど、そういう安易な風評を人に圧しつける風潮、なんとかならんかなぁ。
4投稿日: 2017.09.03
powered by ブクログ反知性主義とは何か。知性主義に対する反発である。反"知性"主義ではなく、反"知性主義"である。 この誤解が解けるだけでも、目からウロコ。 それでは知性主義とはなにか。反知性主義の背景は? とても読みやすいが、知らなかったことばかり。 話題となりながら、明らかに誤解されているワードを正しく理解し、さて、日本ではどうか、自分はどうか考えるきっかけとなる。読む価値あり、と思う。
1投稿日: 2017.06.03
powered by ブクログ別の座標軸に立って新しい視点を示す。異次元の立脚点。知性と知能の違い。知能的な動物はいるが知性的な動物はいない。知能犯はいるが知性犯はいない。
0投稿日: 2017.03.26
powered by ブクログ反知性主義を理解するとき、アメリカのキリスト教史の大前提を理解することが必須。この本は最高。時代を騒がせた教会の主役たち、心に語りかけるような筆者の言葉。深くて楽しい講義を聞いてるような素晴らしい本。
1投稿日: 2017.03.03
powered by ブクログ本書の内容紹介にはこうある。「アメリカでは、なぜ反インテリの風潮が強いのか。なぜキリスト教が異様に盛んなのか。なぜビジネスマンが自己啓発に熱心なのか。なぜ政治が極端な道徳主義に走るのか。そのすべての謎を解く鍵は、米国のキリスト教が育んだ「反知性主義」にある。」 だいぶ風呂敷を広げたなと思われるだろうが、本書を読み進めるうちに、うんうんと頷き、へーと納得し、どれも説明する見事な語りに、最後にはまじかよーと末恐ろしさすらも感じてしまった。 アメリカを語るのに、「反知性主義」のこの万能感はなんなのだろう。かつて丸山真男が日本を語るのに「原型・古層・執拗低音」を説いていたけれど、「反知性主義」の補助線の切れ味は比べようもないほどに鋭い。
0投稿日: 2017.01.13
powered by ブクログ1600年代ハーバード・イェール・プリンストン大学は牧師養成学校としてスタートしているとのこと。教会の牧師は大学出。それに対し、辻説法をする神の行商人が登場し、演説のうまさから人々を魅了する。反知性主義とは、大学や研究所の知の権威が、その組織の外に出て、越権行為を働くことに対し、牽制する姿勢のことと理解しました。圏外編集者の都築さんの姿勢(権威ある誰かお墨付きのない絵・音楽・ポエム・住まいの中から素晴らしいものを選びとれるか)、町田康リフォームの爆発における餅は餅屋に任せ切れないリフォーム中の家主の苦悶も、反知性主義のスタイルと言って良いかと思いました。
0投稿日: 2016.06.04
powered by ブクログ佐藤優氏の使っている「反知性主義」とは異なり、著者が使っている「反知性主義」とは、知性を軽蔑する事ではなく、知性が権威と結びつく事への反発であり、何事も自分自身で判断する事を 求める態度である。 これは、実はアメリカのキリスト教を背景として生まれた、一人ひとりが神に向かい合う事を大切にする主義主張を源にするもの。 知性と理性がアメリカのキリスト教においてどの様な影響を与えてきているのかについて分かりやすく述べられています。
2投稿日: 2016.06.01
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
日本で言われている反知性主義とは異なり,ここで取り扱われている反知性主義とは「つまり反知性主義は,知性と権力の固定的な結びつきに対する反感である。知的な特権階級が存在することに対する反感である。微妙な違いではあるが,ハーバード・イェール・プリンストンへの反感では無く,『ハーバード主義・イェール主義・プリンストン主義』への反感である」(p.262)である.その起源を紐解いて行くのが本書の内容であり,反知性主義の形成にはアメリカという国家の起源,そしてキリスト教が大きく寄与していることが詳らかに解説されていく. しかし,だとすると,アメリカの行なっている戦争や軍事介入は全てある種の宗教戦争(聖戦と言っても良いかもしれない)だし,トランプ旋風が起こるのは必然であるし,何ということだ. 政教分離が教会の収入源を絶ち,宗教を経済的自立,すなわち金儲けに走らせるというのは,確かにその通りだなあ. あとがきに突如「小田嶋隆」の名前が呼び捨てで出てきたので,一体何のことかと思いきや,何と本書の著者とは小中高と同級生とのこと.
0投稿日: 2016.03.27
powered by ブクログ日経ビジネスオンラインのコラムニストが紹介してて、読んでみました、が…。 こう、なんか、「反知性主義」という字面から想像する内容と、かなり違った、というか…。 一言で内容を説明するなら、「アメリカのキリスト教の歴史」だね! や、それはそれで面白かったよ? これ読んで、大統領選挙、なんでヒラリーさんあんな苦戦してるんだろ?ッていう理由が分かった気がしました。
0投稿日: 2016.03.02
powered by ブクログ「なぜビジネスマンが自己啓発に熱心なのか」。高校生の時に持っていた疑問がまるまるわかった。同時にアメリカの精神史、宗教史もかじることができた。僕を次のステップに上げてくれる最後の書に成った。
0投稿日: 2016.02.10
powered by ブクログ表題からは内容がわかりにくいが、米国のプロテスタントの歴史を説明した良書。 一般的な世界史では、米国大陸に移住した後、プロテスタントの教説がどう変容した かに触れられることは少ない。本書を読むことにより、米国のキリスト教の主な宗派を 理解することができる。 また、著者は言及していないが、米国人のプレゼンがうまい理由の一端は、牧師の説教 にあると本書から推測できる。牧師は聖書の抽象的な主張を具体的でわかりやすく、面白 い話や時として肉体的なパフォーマンスも利用しつつ、聞き手に納得してもらう。本書には そうした具体例への言及がある。米国人は子供の頃から、プレゼンの良い手本に多く 触れることができるため、自ずと能力が向上するのだろうと思われる。 宗教の話はなかなか取っ付きにくいが、この本はスムーズに読み進むことができた。 本書は米国社会の理解の一助となる好著である。
0投稿日: 2016.01.29これが本場の反知性主義? 日本のは確かに違う
私には本当にわからないキリスト教からの道徳規範形成。でもこの本によりマックス・ヴェーバーの比較宗教社会学から見た宗教倫理からの資本主義の産出と同じくらい納得感ありました。かの国と我が国はどのように「親密な同盟国」なのか?この目線から正直わかりません。わが国の反知性主義はどうやらこれとは違うようなので別考察が必要かも。とはいえ、この本は目を通しておいて損はないと思います。
5投稿日: 2016.01.02
powered by ブクログアメリカの本来の反知性主義というものが、日本で最近いわれるところのものとはその成り立ちと本質がかなり違うものであるということがよく理解できる。だが、とのように呼ぶのかは別としても、日本のネット上でも極めて表面的な右寄りのポピュリズムのようなものの本質も、アメリカで反知性主義の流れで踊った多くの大衆と似ているのではないかと感じる。
1投稿日: 2015.11.30
powered by ブクログ国内でややもすると感情的・脊髄反射的な大衆的反応や知的怠惰な態度を批判・揶揄するように名指される「反知性主義」という言葉の源を、アメリカの建国以来のピューリタニズムや自然主義、チャーチとセクトの二項対立などをたどることで探っていく。一言で言えばそれは権威と結びつく知性への反感と反動であり、悪しき知性への警鐘を鳴らすためのチェック機構であって、決して知性そのものへの反発ではない。では今の日本に警鐘を鳴らされるほどのオーソリティとしての知性はあるのか。本書は最後に痛烈な問いを投げ返す。
0投稿日: 2015.11.23
powered by ブクログ予想してたよりサクサク読める。 現在の日本の文脈とは全く違う意味合いでの『反知性主義』の本ですが、『反知性主義』とこのタイミングで付けた著者の勝ちですな。
0投稿日: 2015.11.16
powered by ブクログここ数年バズワードと化した感のある「反知性主義」について、そもそもの出処であるアメリカの歴史を辿りつつ、「反知性主義」の解説をしている。もともとの提唱者であるホフスタッターの「アメリカの反知性主義」を踏まえながら論を進めていた。 アメリカでの「反知性主義」とは、いわゆる国内の議論における「反知性主義」の意味とは異なり、知性主義に対抗した「より素朴で謙遜な無知」を尊ぶ運動のことであり、併せてプロテスタントの平等主義、アメリカ国内特有の自然主義と結びついた、国内で使われている意味よりももっと肯定的な意味である。 著者はあとがきで、確固たる知性があったことが、反知性主義を産むことに繋がったとした上で、日本では確固たる知性がないことを嘆いている。ただ、キリスト教という宗教的バックボーンが国全体に根付いていると思われるアメリカと、日本を比較し、無いからどうとかはちょっと違うのではと感じた。あればいいとも思えないし。
1投稿日: 2015.11.08
powered by ブクログ米国における反知性主義の、建国時からの流れを、キリスト教の布教との関連で解説。知らなかった、反知性主義の背景を知ることができ、有意義な本と感じた。
0投稿日: 2015.10.19
powered by ブクログキリスト教主義の学校に勤める私にとっては、面白かった。もちろん、その文脈を離れて存在する偉さなどあるべきではないと思うが、その組織運営において、誰もかれも平等だと主張し、組織の長の決定や権威性に反発することは、結局、誰もかれもを責任という咎から自由にし、無責任な言動を取ることにつながると思った。 また、権威という組織によって生み出される仕組みと、Reflective selfというような誰でも持つ特性が結びつき固定化することが、知性vs平等という反するものとは考えにくい対立を作り出す可能性があることが興味深かった。 最後に、日本に多くあるキリスト教系の大学は、知性を育むのか、平等を実践するのか、簡単に自由がどうのこうの無邪気に言う前に、自己矛盾を解消した方がいいとさえ思うようになった。私が言ったアメリカのリベラルアーツカレッジは、、多様性を尊重して、もはや礼拝は行わないそうだ。
1投稿日: 2015.10.10
powered by ブクログ最近いろいろな意味で使われている「反知性主義」という言葉ですが,本書によれば,「本来『反知性主義』は,知性そのものではなくそれに付随する『何か』への反対で,社会の不健全さよりもむしろ健全さを示す指標だった」ということです。 アメリカの思想の変遷の一面を知ることができる刺激的な本多と思いました。 読んだ後に,自分って,結構反知性主義的なところがあるんだなと思ってしまいました。
0投稿日: 2015.09.26
powered by ブクログ「反知性主義」が何なのか、読み終わっても実感できない。 学究的なピューリタニズムに飽き足らない信者が、より大道芸人的な布教を歓迎したということか。 個人や契約に重きを置く米国のキリスト教が、本義から外れて現世利益的になっているという指摘にはうなずける。 米国とキリスト教に興味がある人にはお勧めだろう。
0投稿日: 2015.09.24
powered by ブクログアメリカは不思議な国だ。人工中絶反対、くらいなら分かるが、ダーウィンの進化論を学校で教えるべきでない、と多くの大人が大真面目に言うわけだ。確かに、進化論にはミッシングリンクがあって必ずしも事実だと言い切れないわけだが、仮説として言う分には許容しろよ、とよそ者は思うのだが、、、本人たちは大真面目だ。 その裏に、ピューリタンから発する権威主義への反発があるという。旧世界から脱出してきたアメリカの人たちは、カトリック協会の司祭たちに頼らずとも一人ひとりが直接神に祈り、回心に至る。学があるエリートが考えた結果よりも、庶民の素朴な心情のほうが真理を掴んでいる、という考え方なのだろう。変化の時代にあって、この思考法は非常に強靭だ。職業軍人でなくミニッツマンの文化を持つのも根っこは同じように思う。 面白いのは、世界に先駆けて政教分離を行ったアメリカが最もキリスト教が盛んなこと。かつ、金儲け=成功=神に祝福されていること、をストレートに信じられる純朴さだ。この国は強い。
0投稿日: 2015.09.21切ないほどの変節の歴史
反知性主義という言葉は、元来は新天地・アメリカにおける教会の権威に対し本来の福音を説く相当の覚悟の要る立場であった。それが次第に布教パフォーマンスになり、やがて巡回セールスのモデルにさえなっていく経緯が克明に語られる。ここから現状の日本型政治利用へは、一直線ではないが地続きだと感じた。
3投稿日: 2015.09.16
powered by ブクログ20世紀以降の現代アメリカを分析するために使われてきた「反知性主義」という言葉について、アメリカの歴史を追いながら分析、解説した一冊。 この意味においての「反知性主義」とは近年の日本の時評や論壇にも登場するニュアンスとは微妙な違いがある(きっと内田樹センセのはそうなんだろう)。 反知性主義≠反・知性、知性に反対、ではない。 そもそもはリチャード=ホフスタッター「アメリカの反知性主義(1963年)」による。 アメリカの反知性主義の歴史=アメリカのキリスト教史をたどることであり、ピューリタンの歴史、国教会との対立、さらには宗教的熱狂、いわゆる伝道集会的なものの歴史、大衆リバイバリズムの話へとつながっていく。 「アメリカ」という国の成り立ち、特質を深く知るうえでは欠かせないポイント。ようやく「神は死んだのか?」が映画になる理由もわかった気がした。 自分で決める、考えること、現代社会の萌芽
1投稿日: 2015.08.07
powered by ブクログロバート・B・パーカーのスペンサー本に見える,USAと宗教およびボストンの背景をより理解するために,読んでいる。
0投稿日: 2015.08.02
powered by ブクログ反知性主義ってのは、もともとアメリカにおけるキリスト教に源流を持つということです。アメリカンドリームも、野球も、関係するそうです。そしてpaper moon, stingも出てきます。面白い。a prayer for owen meanyを読む前に知識として読んどけば良かった。
0投稿日: 2015.08.02
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
出来事の報告者たちがその出来事の登場人物である、ということは、実はすべての真正な歴史証言に必須の事態である。なぜなら、証人であるということの中には、当事者であるということが含まれるからである。誰も、第三者を介して知ったことを「証言」することはできない。歴史の証言者は、常に自分が証言しようとする出来事の一部である。目撃した出来事を、自分がそこに居合わせ、気がついた時にはすでに自分も否応なくそれに巻き込まれていたところの出来事として語るのが「証言者となる」ことの本質である。(中略)歴史はすべて、誰かによって語られた歴史なのである。(p.79) 「あたかも、舞台のコーラスダンサーの最前列の若い娘に心を奪われた亭主を見ている古女房」。これがアメリカの底流をなす反知性主義を適切に表現していると言ってよい。われわれがゆっくりとその歴史を追いかけている反知性主義の原点とは、要するにひとことで言うと、このぴちぴちとしたコーラスダンサーが振りまく魅力であり、その若い娘に看取れている亭主の心持ちなのである(p.83) 田園と自然は、人びとを正直にする。そこは幽玄で馥郁とした理性が息づく場所である。なぜなら、都市では自分の策略と知恵が処世の行方を左右するため、自分を尊大に思いなすようになるが、自然の崇高な美を見る者は、それを作り出した偉大な力の存在を認め、これに感服する心をもつようになるからである。だから深い山の中で釣りをする者は、おのずと宗教的な畏敬をもつのである。 精神の謙遜と平和は、自然の美しさのうちに聖性を感じ取り、心の眼を創造者へと開くことによって得られ利。そのため彼は、「書物」に頼りすぎることを警戒する。書物は、読み方によってはもちろん価値のあるものだが、何といってもそれは過去の心であり、昔の時代の人びとにとっての真理にすぎない。真の学者たるものは、他人の権威や、社会の礼法や、世間の評判などに寄り頼んではいけないのである。ここに、エマソン一流の反知性主義が表明されている。(pp.137-8) 反知性主義は単なる知性への蔑視と同義ではない。それは、知性が権威と結びつくことに対する反発であり、何事も自分自身で判断し直すことを求める態度である。そのためには、自分の知性を磨き、論理や構造を導く力を高め、そして何よりも、精神の胆力を鍛え上げなければならない。この世で一般的に「権威」とされるものに、たとえ一人でも相対して立つ、という覚悟が必要だからである。だからこそ反知性主義は、宗教的な確信を拝啓にして育つのである。(p.177) 「知性」とは、単に何かを理解したり分析したりする能力ではなくて、それを自分に適用する「ふりかえり」の作業を含む、ということだろう。知性とは、その能力を行使する行為者、つまり人間という人格や自我の存在を示唆する。知能が高くても知性が低い人はいる。それは、知的能力は高いが、その能力が自分という存在のあり方へと振り向けられない人のことである。だから、犯罪者には「知能犯」はいるが「知性犯」はいないのである。(p.260) 知性が欠如しているのではなく、知性の「ふりかえり」が欠如しているのである。知性が知らぬ間に越権行為を働いていないか。自分の権威を不当に拡大使用していないか。そのことを敏感にチェックしようとするのが反知性主義である。もっとも、知性にはそもそもこのような自己反省力が伴っているはずであるから、そうでない知性は知性ではなく、したがってやはり知性が欠如しているのだ、という議論もできる。どちらにせよ、反知性主義とは、知性のあるなしというより、その働き方を問うものである。(中略)反知性主義とは、知性と権力の固定的な結びつきに対する反感である。知的な特権階級が存在することに対する反感である。(pp.261-2) 知性と権力の固定的な結びつきは、どんな社会にも閉塞感をもたらす。現代日本でこの結びつきに楔を打ち込むには、まずは相手に負けないだけの優れた知性が必要だろう。と同時に、知性とはどこか別の世界から、自分に対する根本的な確信の根拠を得ていなければならない。日本にも、そういう真の反知性主義の担い手が続々現れて、既存の秩序とは違う新しい価値の世界を切り拓いてくれるようになることを願っている。(p.275)
1投稿日: 2015.07.25
powered by ブクログ昨今の日本における「反知性主義」は、佐藤優が「実証性や客観性を軽んじ、自分が理解したいように世界を理解する態度」と定義しているように、ネガティヴな意味で使われるケースが多い。著者はそういう側面があるということを認めつつも、しかし、反知性主義発祥の地であるアメリカにおいては、反知性主義はそれにとどまらないもっと積極的な意味を持っているとも言う。それを一言で言うと、「知性と権力の固定的な結びつきに対する反感である」(p.262)。本書は、アメリカにおけるキリスト教の受容史をたどっていきながら、反知性主義の持つポジティヴな側面を浮き彫りにしていく。 ヨーロッパのキリスト教はアメリカに渡った途端に土着化して変質した。その特徴を端的にあらわすと、神の前では万人が平等だとする「ラディカルな平等主義」と、人間が信仰という義務を果たせば神は祝福を与えるという「宗教と道徳と成功の直結」、この二点に集約される。紆余曲折を経ながら、両者が一体となって誕生したのが反知性主義である。 建国当初から平等で民主的な国であったアメリカには、ヨーロッパのような伝統的な権威構造が存在しなかったため、知識人が国家の指導者となったり、権威や権力と結びついたりすることが多かった。しかし、「ラディカルな平等主義」はこれを許さない。すなわち、反知性主義は、知性そのものに対する反感ではなく、知性と権威とが結びつくことに対する反発なのであり、いかなる権威に対しても自分自身の判断で立ち向かっていくという精神態度のことである。その意味で、反知性主義とは「反権威主義」というニュアンスに近い。それがプラスに作用すれば、個々人の自尊心を高め、知性の越権行為に対するチェック機能が発揮され、アメリカの民主主義的な精神基盤を形成することになる。しかし、それがマイナスに働けば、独善的で自己中心的な世界観に立てこもることになる。よく悪くも「アメリカ的」である。 こうした思想は信仰の確信によって裏打ちされており、それは正しい行いをした者だけが成功するという「宗教と道徳と成功の直結」によって大衆に浸透していく。それはあまりにも単純な同一化であるが、そうであるがゆえに大衆への強い訴求力を持っていた。これら一連の動きを期せずして主導していたのが信仰復興運動(リバイバリズム)である。しかし、リバイバリズムは本質的に矛盾を内包している。富や権力に対する民衆の反感を基盤として巨大化していくその運動は、その大衆的成功のゆえに自らが権威や権力の一部分となって、本来の反エリート主義的な性格を失って自壊していくのである。 このように、反知性主義にはどこかアナーキーな要素が含まれており、アメリカにおいてリバタリアニズムが説得力を持っていることや、反進化論を唱える創造主義の影響力が強いことなども、こうした文脈で読み解いていかなければならないとする。 アメリカというよくわからない国を理解するうえで非常に収穫の多い読書体験だった。 さて、本書の最後に「日本に反知性主義は存在するか」と問題提起されている。そこでは明確な解は提示されていないのだが、自分なりに考えたところでは、「官僚主義」や「岩波文化人」、「大手マスコミ」に対する批判がそれに当たるのではないかと思い至った。本書末尾の著者の指摘はきわめて重要なので、そのまま引用してレビューを終える。 「知性と権力との固定的な結びつきは、どんな社会にも閉塞感をもたらす。現代日本でこの結びつきに楔を打ち込むには、まずは相手に負けないだけの優れた知性が必要だろう。と同時に、知性とはどこか別の世界から、自分に対する根本的な確信の根拠を得ていなければならない。日本にも、そういう真の反知性主義の担い手が続々と現れて、既存の秩序とは違う新しい価値の世界を切り拓いてくれるようになることを願っている」(p.275)
2投稿日: 2015.07.22
powered by ブクログ建国から今日まで、一貫してアメリカの土台に横たわる精神的土台についての本だととらえた。アメリカにおけるプロスタンティズムのあり方について、リバイバリズムを話題の中心に据え論じている。 「知性にせよ信仰にせよ、旧来の権威と結びついた形態はすべて批判され打破されねばならない。なぜなら、そうすることでのみ、新しい時代にふさわしい知性や信仰が生まれるからである」とある通り、反知性主義は既存の権威に対する反抗である。懐疑が哲学的態度土台であることからもわかる通り、このような姿勢は(反知性主義という名称とは反対に)非常に知的なものであった。このような精神性の系譜は、こんにちアメリカを特徴づけるプラグマティズムへと接続していった。 本書を読んだあと、アメリカという国に興味がわいた。個人的にはアメリカ史に対する入門書として非常に有用だと感じた。
1投稿日: 2015.07.12
powered by ブクログ反知性主義、それの根底にある、アメリカのキリスト教史についてとても興味深く書かれていました。理解が及ばない部分はありましたが、キリスト教史から見える今のアメリカの姿というものが少しわかった気がします。 しかし、根本的にキリスト教への理解が浅いのということがよくわかりました。
0投稿日: 2015.07.06
powered by ブクログアメリカ史研究者による「反知性主義」という用語は、知性そのものに対する反感ではなく、知性が世襲的な特権階級の独占物になることへの反感。原点には、誰もが平等にスタートできると言う徹底した平等主義がある。 アメリカではなぜ反インテリの風潮が強いのか、キリスト教が異様に盛んでビジネスマンが自己啓発に熱心なのか、という問いへの歴史を辿りながらの答え。
0投稿日: 2015.06.21
powered by ブクログ今年のベスト候補② 「反知性主義」というのは分かりやすいようで、分かりにくい。 単に、漠然と知性が無い、知性レベルが低下している状況を指す言葉かと思っていたら、結構、奥が深いらしい。 高度に知性主義が進んだアメリカ社会において、知識ではなく、もっと生身の直観、体験、心情から、信仰、哲学、生き方といった人生の根本的なものを捉え直そうというムーブメントとでも表現するものという。 確かに、アメリカは分かりやすそうで分かりにくい不思議な社会。高度に学歴社会でありながら、偉大なるアマチュアリズムが共存している。会社でも、日本に比べてはるかに学歴主義が浸透しているにも関わらず、やっていることは「試してみよう」のアマチュアリズム。 そんなアメリカ社会、またアメリカ人を理解する上での必読書。 特に、魂の救いと、この世の成功とを重ね合わせる信仰観は、なかなか腑に落ちないものだったが、この本を読んで、あぁなるほどと思わされた。 面白かったのは、自由競争を通して教会が鍛えられたから、今に至るまで教会が元気なのではないかという見方。 早くから政教分離原則を打ち立てたアメリカ。そのため、政府の支援がなくなった各教会は自分で食っていかなければならない状況になった。つまり、教会は、信徒を集め、献金を集めなければならなくなった訳ですが、この競争相手は、別の教会だけではなく、休日に盛んな「娯楽・リクリエーション」にもなる。 「娯楽・リクリエーション」との競争に打ち勝つために、教会は工夫に工夫を重ね、ふんだんにエンターテイメント的要素も取り入れつつ、信徒獲得に努力していった。その結果、今に至るまで、先進諸国に稀にみる教会の盛況がある。市場至上主義の教科書のような説明だが、説得力がある。
0投稿日: 2015.06.16
powered by ブクログすばらしくおもしろかった。絶賛。アメリカという国や音楽その文化、そのライバルとしてのヨーロッパ、19世紀以降のキリスト教とかってのに興味ある人はぜったいに読むべき。 ちなみになんかいまネットでなんやかんやいわれているネトウヨだのそういうのとはほとんど関係がない。
0投稿日: 2015.06.05
powered by ブクログ本書を読んで「反知性主義」という言葉の定義が分からなくなった。 知性にたいする反発だとか、愚民政策だとかを連想していたが、本書を読むと少しニュアンスが違う。 単なる知性への軽蔑と同義ではなく、知性が権威と結びつくことに対する反発「反権威主義」だという。 アメリカ人が如何にして、キリスト教を信仰し、反知性主義になっていったのか、歴史を紐解き非常に分かりやすく書かれている。 それにしても、キリスト教派がたくさんあることに驚いた。
1投稿日: 2015.05.29
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
タイトルから、作者の名前の印象からは、一体なんの本なのか分かりにくいだろう。アメリカにおけるピューリタン、キリスト教におけるリバイバル(信仰復興)の歴史。学歴がなくとも話術があれば牧師や説教師となることができ、その人望によって宗教を利用したビジネスも成功させやエピソード満載。教会という必要とされたコミュニティの場の存在。アメリカにおける大学の序列。 著者はICUの学長ではあるが、決してキリスト教を礼賛する目的ではなく、史実をユーモアを交えた語り口にインテレクチュアルを感じる。ヨーロッパとは異なるアメリカでのキリスト教への対峙の仕方を知ることがこれほど興味深いとは。 映画『ペーパームーン』の例が紹介されていて、未亡人の家を訪問して亡きご主人からの依頼だと夫人の名前を金文字でいれた聖書を売る詐欺の話である。これも当時のアメリカにおけるキリスト教の浸透ならではか。
1投稿日: 2015.05.28
powered by ブクログキリスト教から見たアメリカ史、あるいは「キリスト教のアメリカ化」の歴史。 ピューリタンの国として逆に極端な知性主義から始まったアメリカの、民主的平等への熱情の帰結としての「反知性主義」の誕生と、それを担った伝道者の列伝。 アメリカの「反知性主義」は、知性など無用だと切り捨てるような、偉そうにしている「知性」へのルサンチマン的な反発のことではない。知性が権力と固定的に結びつくことへの反感、「知的特権階級」への反感、知性の越権行為への反感であるという。それは民主的で平等な社会を求める気持ちの帰結である。 だから、アメリカでは極端な知性主義と反知性主義が共存できる。アメリカとはそういう社会なのだと考えると、その行動が腑に落ちることがたくさんある。 映画のシーンを参照したりしながら、ひとりひとり実にユニークな伝道者のアクションが活写されていて、実におもしろく読める。誰も、信者の不安につけ込んで騙してやろうとしているのではない。アメリカ的キリスト教においては、信心深いからこそ信仰とビジネスが手を携えて、熱狂していってしまうのだ。
1投稿日: 2015.05.27
powered by ブクログ「チャーチ」「セクト」などアメリカ(人)の根底にある考え方を知るのに格好の一冊。あんまりオツムが良さそうに見えなかったブッシュJr.が大統領になれたわけもよく分かる。ハーバード大学の建学の経緯や位置付けは、ある種の人たちとの飲み会ネタには使えそう。
0投稿日: 2015.05.18
powered by ブクログICU学長の森本あんり先生が、米国の礎になっているキリスト教感を解説しています。米国がキリスト教とどう関わり、国際社会の中で、なぜ今のように振舞っているかが分かります。反知性は、知性に対するアンチテーゼ、それが米国です。
0投稿日: 2015.05.15
powered by ブクログなぜ大統領選挙があのようにもりあがるのか、分かったような気がした。「特命全権大使米欧回覧実記 1 普及版 アメリカ編」を読んだ後だったので、タイミングとしても良かった。
0投稿日: 2015.05.01
powered by ブクログ帯を見る限り,社会的に危険な思想がどう形成されるのかという物騒な話をセンセーショナルに描いた本のように見えるが,実のところ,アメリカ的なキリスト教の受容について,伝道者の歴史を中心に描いた著である。 私は,キリスト教から検討したアメリカ入門として読み進めた。例えば「反知性主義」が知識を学ぶことからの逃亡ではなくて,むしろ積極的な平等主義,あるいは反権威主義的な態度の発露であるという点や,「多くのアメリカ人にとって,教会とは当時も今も,社会的な交流の場なのである」(p. 209)という点は,日本であればどこが該当するのかなどを思い浮かべながら考えるところが多かった。 学術書ではないため,引用・参照は最小限であるが,それでも参考文献が数多く,巻末にあげられているので,これからアメリカに関した何かを学ぼうとするならば,一読しておいて「損はない」と思う。
1投稿日: 2015.04.18
