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黒い雨(新潮文庫)
黒い雨(新潮文庫)
井伏鱒二/新潮社
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総合評価

226件)
3.9
58
82
57
6
1
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    原爆症患者であるという流言により姪の縁談話が何度も破断になってしまう事に腹を立てた主人公が、姪の身の潔白の証明のため当時の日記をまとめる所から物語は始まる。広島に投下された原爆に被災した家族三人の当時の情景は、酷薄なくらい淡々としており、死屍累々の焼け野原の中を歩き続ける様も「日常」の一部以外の何ものでもなかった事を痛感させられる。そして、そんな「日常」を作り上げてしまった人類に対する恨み言もないまま、彼らはひたすら生きる。以前読んだ恨みと哀しみの結晶体であるベトナムの「戦争の悲しみ」とは全く対を成す戦争小説に感じられた。それにしてもやるせない。そして恐ろしい。

    0
    投稿日: 2016.12.18
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    怖かった。 蛆虫や蠅の描写、爆弾投下前、投下後。数千度の焔に焼けた人、物。 本の中に広島城の屋根の部分が爆風で飛ぶ描写があった。何トンもある屋根なのに、一瞬で吹き飛んだ。 爆弾の火傷、衝撃。さらに黒い雨。 全てを焼き尽くした。これが自然災害でないのが恐ろしいことだと思う。 本文中に、戦争の不安がありありと描写されている。 例えば、日本人全員死ぬのではないか?とか、男性は去勢させられるのではないか?とか。 それくらい戦争は、国を無くしかねないものだったし、負けるのが本当に恐ろしかったのだと、この本を読んで感じた。 この本の話がまだ約70年前の話だとは。。今はスマートフォンで、書き連ねているけれど、本当に恐ろしいことだ。 映画も見てみたいと思う。原爆を作ったオッペンハイマーの本も読もうと思う。

    0
    投稿日: 2016.11.07
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    感情も感傷も批判もなく淡々と描かれた原爆投下前後の光景は、それゆえ余計に重く、冷静に見つめることができる。数年ごとに読み直す秀作。

    0
    投稿日: 2016.10.27
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    重松の被曝日記として綴られた原爆投下後の広島の様子は、感情的な部分は見せずむしろ淡々としているのに、人々の混乱や、凄惨な市内の情景が胸に迫ってきました。私は戦争を知らない世代ですが、戦後70年の節目を迎え、改めて平和ということについて考えさせられ、オバマ大統領の広島でのスピーチを思い起こしました。昨年の安保関連法案成立があり、そして改憲と胸がざわつくようなニュースも多く、政治には興味ないけど、しっかりと見ていかなければいけないことだと心に刻みました。

    0
    投稿日: 2016.08.18
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    数ある被爆体験本の中でも、著者の主義主張が全く盛り込まれてない点で傑作。原爆関連では最も取っつきやすい部類の本だと思う。アメリカの批判も原爆の批判もない代わりに、淡々と被爆地の悲惨な状況を綴って、戦争はいやなものだと考えさせる一冊。井伏鱒二の著作のほぼ全てにタネ本があると主張したのは、たしか猪瀬直樹だったような。この作も実在の被爆者の日記を元に書かれたと言われているが、それだけに被爆直後の広島の様子や、被爆者差別の様子は、ほぼノンフィクションと言っていい内容。http://booklog.jp/item/1/4167431130

    0
    投稿日: 2016.08.08
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    広島に原子爆弾の落とされた8月6日からのことを日記に清書する形で振り返りながら進む。 主人公の重松とシゲ子夫妻と養女で姪の矢須子はそれぞれの場所であの日を迎えた。 何が起こったかわからぬまま町には死人が溢れ、それでも人は日々の生活を取り戻そうとしている。 辛く哀しく、現実離れした体験に戦争の恐ろしさを感じずにはいられない。 2016.7.31

    0
    投稿日: 2016.07.31
  • いつまでも

    こういった作品が残るのは良い。 小学生の子供も、この本から学びがあった様子。 何度も読み楽しむ本ではないが、終戦記念日にあわせて読み直したい。

    0
    投稿日: 2016.07.18
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    原爆の被害が生々しく描かれている。原爆が爆発した瞬間に亡くなられた方が、もちろん一番の被害者であり、多くの方が瞬時に亡くなったことは凄惨極まりない。しかし、原爆症により長期に渡り苦しむことは 亡くなることにも等しい悲惨さである。兵器として原爆が使ったのは広島、長崎の二回だけであるが、これを人類が核兵器を使った最後として欲しい。核の傘、核抑止論といった考えもあるが、最悪の場合残るものは何もない。死が待っているだけである。二度とこの小説のような世界にならないことを願う。

    0
    投稿日: 2016.04.05
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    このレビューはネタバレを含みます。

    この本は、戦時中の広島の記録が記載されており、原子爆弾が投下された様子や、その時代に生きている様子等が書かれている。 淡々とした文章だったけど、すごく重かった。 死体が転がっていたり、家裁で無くなったり、蒸発して身体すら無くなってしまう。 看護の状況、助けに行った女学生達が犠牲にあったり等、痛ましい記録ばかり。 アメリカが行った、一般市民への爆撃及び原子爆弾の投下により、無差別に多数の方が殺戮された。 戦争を体験された方々が無くなって行く中、このような残酷な事実を語り継いでいく必要があるなと思います。

    0
    投稿日: 2016.03.07
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    井伏鱒二が、被爆者・重松静馬の『重松日記』と被爆軍医・岩竹博の『岩竹手記』を基に、原爆の悲惨さを描いた作品。1965年に雑誌「新潮」に連載され、1966年に単行本として刊行された。 主人公は、原爆投下時に広島に住んでいた、閑間重松・シゲ子夫妻と姪で養女の矢須子の一家三人で、重松は、その瞬間に広島市内の鉄道駅に居て被爆し、かなりの傷を受けたが、シゲ子は自宅にいて無事、また、矢須子は社用で爆心地から遠く出張していたため直接の被災はなかった。 作品は、終戦から数年後、三人が広島県東部の山間の村で比較的落ち着いた生活を送っている時期を舞台に描かれるが、縁談が持ち上がった矢須子が原爆投下時は市内で勤労奉仕をしており被爆したと噂を流されたため、その誤解を解消するために、重松が被爆日記を書くこととなり、その詳細な被爆日記が間断なく挿入されることによって、被爆当時のことが克明に綴られていく。 重松は、矢須子は直接の被災がなかったことを明らかにするために被爆日記を書き綴るのだが、当の矢須子は、原爆投下後、夫婦の安否を確かめるために広島市に向かう途中で黒い雨を浴び、また、再会した重松らと広島市内を逃げ回る際にも残留放射能を浴びたことにより、小説の後半で原爆症を発病し、縁談は結局破談となってしまう。そして、作品は、終戦日である8月15日までの日記を清書し終えた重松が、空にかかる虹に矢須子の回復を祈る場面で終わる。 原爆を扱った代表的な作品のひとつとして、長く読み継がれるべきものと思う。

    2
    投稿日: 2016.01.16
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    重松の語りにどこか飄々とした印象も受けたが、原爆から逃れてもなお続く差別や、一番美しい時期を迎えているであろう姪が原爆症に侵される様など、伝えていることは大変深刻である。

    0
    投稿日: 2015.08.27
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    その当時の様子がよくわかり、ためになった。 戦争というものは、どうしたって身近に感じられるものではない。 戦争を実体験した人達もどんどん高齢化していく中、その悲惨さを伝えていくのにこの小説は一役買っていると感じた。 読み継がれて行くべき本だと思う。

    0
    投稿日: 2015.08.09
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    終戦から70年の節目、グロテスクな描写が苦手なため戦争を扱ったものは避けていたが読んでみようと思った。 目をつむり、手を止めてしまいたくもなったが、出来なかった。平和を願う一日本人として目をそらしてはいけない作品。 出来るなら世界中にわたってほしい。

    0
    投稿日: 2015.05.08
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    このレビューはネタバレを含みます。

     広島人には、生涯に二度と得られないような、強烈かつ独特な読書体験ができるはず。  地方の人が、東京とその近辺を舞台にした作品を読んで「大宮だの鬼怒川だのって、位置知ってて当たり前みたいに言われてもなあ……」と感じる悔しさというか、疎外感というか。  そのストレスを、広島の地理を知る人だけが、この作品で一気に解消できる。  原爆投下の当日に、主人公が千田町→鷹野橋→紙屋町→相生橋→寺町→福島町→三滝……と移動しつつ、その惨状を語るシーンはマジで必読。  ちなみに今村昌平監督の映画版では、この移動ルートはわかりません。

    0
    投稿日: 2015.03.21
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    原爆が落とされた広島の悲惨な光景、人々の苦しみ、諦めが、日記という体裁で淡々と書かれています。だからこそ、戦争経験者の話を聞いているように、確かな現実として胸に迫ってきました。

    0
    投稿日: 2015.02.15
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    原子爆弾が投下された広島の姿を描いた作品。 作品名の「黒い雨」の意味も読めば分かる。 目を伏せてしまいたい部分が多いが、日本人として知っておくべきことなのだと思う。 戦争は2度と起こしてはいけないし、それに加担してもいけない。ただ、他の国では今まさにこの瞬間に戦いが起こっている。 そのためにできることは、日本が戦争をしないことであり、加担しないことでもある気がする。

    0
    投稿日: 2015.01.05
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    初めて読んだ井伏鱒二。 いま話題(?)の放射能をテーマにした小説。有名すぎるので内容や鱒二の主張などは今さら書かなくていいと思う。私自身、高校生のうちに教養として読んでおくか、という安直な考えで読みました。

    0
    投稿日: 2014.11.28
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    原爆ものはノンフィクションや資料系をたくさん読んでいたので、フィクションを読んでも……と、今まで読まずにおりました。が、ノンフィクションで読んだことのある人の姿もちら見えして、おや、と引き込まれてしまいました。 ノンフィクションほど描写はきつくなく、程よく逃げ場のあるのが救いかも。悲惨な事実には変わりないのですが。もっと早く読んでおけば良かった、ちょっと悔しく思った一冊です。

    0
    投稿日: 2014.10.08
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    娘の夏休みの宿題に付き合って再読した。お盆休みには原爆ドームにも訪れた。中学校の修学旅行以来なので、35年ぶりだ。資料館でたくさんの映像資料に触れていたということが大きいと思うが、前回読んだときよりも衝撃は大きかった。その中でも特に印象に残ったくだりを引用する。たぶん、広島に原爆が落ちた当日のことだと思う。日記の体裁をとって書き綴られているが、とにかく1日が長い。実際にこれを手書きで日記として書いているとしたら、いったい何時間かかっていることだろう。それはともかく、満員電車の中での話。「・・・三十前後の端麗な顔つきの婦人が担いでいる白い布包みだが、どうも荷物らしくは思われない。そっと手で触ってみると、人間の耳を撫でる手応えを受けた。布包みのなかは子供らしいが、こんな負んぶの仕方はない。この人混みのなかでは窒息するにきまっている。言語道断である。『失礼ですが、奥さん』と僕は婦人に、ひそひそ声で云った。『お子供さんですか』『そうです』と婦人も、あるか無しかの声で云った。『死んでいるのです』僕はぎくりとした。『そうでしたか。押したりして、申し訳ないことをしました』『いいえ、混みますから、お互いさまです』婦人は布包みを肩で揺すりあげ、俯いたかと思うと発作を起こしたように泣きだした。・・・」爆発の衝撃で子供は壁に叩きつけられて亡くなった。実家の墓地に埋めてやろうと思って電車に乗ったところだったようだ。日本ではもちろん、世界中で読み継がれるべき本と思った。

    0
    投稿日: 2014.09.24
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    広島原爆のお話。 思っていたよりも読みやすかった。 被爆して蛆虫が湧き臭気を放つ死体がそこらじゅうに 転がっている風景を想像するだけで怖ろしかった。 声高らかに反戦を叫ぶのではなくて、淡々とした記録形式で描かれるので、 よりやるせない気持ちになった。 もともと原爆症だった重松を追い越すように元気だった矢須子が衰弱し、 戦争の被害者なのに差別を受けなければならない逆転に胸が痛む。 しかし、もし自分が結婚相手にするとしたらやはり健康な人を選びたいだろう。 そしてこれも差別になってしまうのかと考えてしまった。

    0
    投稿日: 2014.09.15
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    これは被曝日記である。日記とは継続するものだ。これで終わりではない。そして日記の続きは現代まで地続きなようだ。終わらないこと、にこそこの物語の本質性の一端があるのではないかと思います。 この被爆後の日常を綴った作品は、とても切な祈りで終わる。最後がどうにもこうにも、どうにもこうにもだ。 69年前に、この日本に本物の地獄があった。人間の想像力の及ばないレベルの本物を容易く作り出す。地獄はやはり現実世界にあるようです。 被曝した世界も、随分とまあ秩序だっている。その前ですら雑草で食いつないで数年、暴動も起きない。本当に日本という社会の特殊性にも改めて気づかされる。これは間違いなく美しい側面をもち、同時に危うい。 何度も聞いて見てきた原爆関連の話ですが、やっぱり想像を絶するんですね。そんなことがあったのか、と。改めて本当にあったの?って衝撃を受けないと、何度も聞いていくうちに逆に当たり前の光景になってしまうのも恐ろしい。 そういえば、ゾンビ映画は、きっと化学兵器にやられた人をモチーフにビジュアルが作られているのだろう。なぜ今まで気づかなかったのか。もう見れなそうだ。

    0
    投稿日: 2014.08.28
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    広島の原爆の記憶を後世に伝えていこうという思いで書いた作品である。 著者の思いは、このことを文章に残していき、原爆のことを風化させたくないということだろう。 文章から、原爆のすさまじさ、原爆症で苦しむ市民が描かれており、読んでいくうちに辛い気分になってしまった。改めて、原爆というのは、恐ろしいものであり、多くの人を苦しめる、その当時は発症しなくても、原爆の後遺症で苦しんでいる人が少なくないということを認識させられた。 今年で原爆投下、太平洋戦争の終戦から早いもので69年となり、来年は70年という節目の年でもある。 小説を通じて原爆のことを再認識させる本でもあるので、戦争を知らない世代の人たちにも読んでほしいと思われる。

    0
    投稿日: 2014.08.06
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    文筆家として、被災を後世に伝えていくことに挑戦した意欲のある作品だと思う。 ただし、その目的を上手く成し遂げられたかには、疑問が残る。 展開が冗長であり、途中からは惰性で読む羽目になった。 放射能の脅威には震えたが、同様な表現が多いと、どうしてもマンネリ化してしまう。 腐すようなことを言ってしまったが、自分も3.11を体験した人間であるので、自分にできうることを改めて考えさせられるきっかけをもらったことは間違いない。 井伏氏の気概に敬意を表する。

    0
    投稿日: 2014.07.06
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    昔から題名は知っているものの読んだことがなかった.てっきり黒い雨そのものが語られる話の中心と思い込んでいたが,そうではない.閑間重松と妻のシゲ子,姪の矢須子の3人の家族の,原爆に巻き込まれた日々とその傷を背負わされた後日とが描かれる.原爆の惨禍は,重松の被爆日記を清書する形で,想像を絶する凄惨な広島の状況が語られる.少し気になるのは,なぜ矢須子が叔父である重松の家人となったかだ.勤労奉仕を避けるために重松の会社で働くよう取り計らったのであるが,矢須子本人も心から由としたものなのだろうか.その経緯については語られていない.

    0
    投稿日: 2014.06.13
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    「どうせ何もかも飯事(ままごと)だ。だからこそ、却って熱意を籠めなくちゃならんのだ。いいか、よく心得て置くことだ。決して投げ出してはいかんぞ」 重松はそう自分に言い聞かせ、一切を放り出さなかった。その根底には悲惨な状況下においても、日常を淡々と、しかし力強く送って行く覚悟と、周りを取り巻く状況に振り回されることなく出来ることをコツコツとこなす決意とを感じた。 原爆投下後の広島にあって、働き、少ないながらも食事をし、家族を大事にし、人と関わりながら、苦しくても生き抜く、前を向く。そして小さな喜びを大切に味わう。たとえ全ての望みが叶えられることなどないと分かっていても。当たり前のことがこんなに力強いのか。自分に真似が出来るだろうか。 もちろん戦争、そして原爆の悲惨さ、放射能の恐ろしさや汚さは十分過ぎる程伝わったが、原爆投下直後の混乱した状況下ということもあり、反戦、反原爆という直接のメッセージはない。この小説はそれよりも、人間の強さ、その大切さを伝えているように思う。今年の夏は広島行って手を合わせなきゃな。

    0
    投稿日: 2014.05.21
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    このレビューはネタバレを含みます。

     この小説は、第二次世界大戦の広島長崎への原爆投下の内、広島の原爆投下後の広島県民の生活の話です。  主人公の一人「矢須子」の結婚破談による発端に始まり、その祖父母?(親戚筋)のよる日記調による書物から、そして、祖父母による「回顧録」の記述で過程も含めて著者の目線で書かれています。

    0
    投稿日: 2014.03.27
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    極めて仔細で徹底された事実描写が、原爆被害の惨さを浮き彫りにする。主義、主張を旨としない、姪に関する流言蜚語を否定するものとして書かれた重松の日記は、著者の執筆に対する強い意地を感じさせる。しかし、ストーリーとしての推進力は皆無に等しく、ひたすら様々な原爆被害が滔々と書かれているので、登場人物に対する思い入れや親しみ、同情が湧いてこない。ヘミングウェイの老人と海を読んだ時のような退屈感(不謹慎ながら)を抱いてしまった。

    0
    投稿日: 2014.03.21
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    これまで「名作」と呼ばれる作品をあまり読んでいないことに気付き、意識して読むようにしています。 最近読んだ数冊は海外作家の作品だったので、日本人作家の作品に取り組んでみることにしました。 そこでこの、『黒い雨』。 広島の原爆を扱った作品であること、そして被爆直後の「黒い雨」を浴びてしまった女性が中心となって話が展開していくということは、事前に知っていました。 なので「気楽に読める作品では無いな」と覚悟して読み始めたのですが、やはり、ずしりとくる作品でした。 主人公は軍需工場で働いていた叔父と、その姪。 原爆投下直後に、広島の街をさまよい歩いた二人。 原爆症の症状を発症している叔父が、まだ徴候は見られないながらも、発症が心配される姪の健康を気遣いながら生活しています。 その叔父が、原爆投下直後に見書きした日記を清書しながら、当時の状況を回想する形で、物語が展開していきます。 大きな話の流れとともに、この小説の中心となっているのが、原爆投下直後の広島の街の描写です。 一瞬で亡くなった亡骸や、ひどい怪我をして苦しむ人々。 描写力のある文章で書かれているので、経験していない僕も、光景を想像しながら、読み進めました。 情熱を抑えて書かれているのでより一層、戦争・原爆への怖さ、拒否感というものを、感じました。 あわせて、少しの違いで生死が分かれてしまう儚さや、ひどい怪我を克服した人たちの生命力・力強さなど、さまざまなことを考えさせてもらえた作品でした。 やはり、名作と呼ばれる作品は、しっかり読んでおくべきですね。 継続して、取り組んでいきたいと思います。

    0
    投稿日: 2014.01.14
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    淡々と、しかし克明に原爆投下当時の様子が描かれている。ひとつの思想や政治理念を押し付けるような啓発的なものではなく、ただただ起きたその目の前の事実を書き連ねる事で、戦争・原爆に対する恐怖を引き出してくれる。小説自体は短いが、じっとりねっとりと時間が進むように読んでいる気分だった。

    2
    投稿日: 2014.01.06
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    広島の原爆投下時の様子を、市民(主人公)が手記という形で描かれた作品。原爆投下時の様子、その悲惨さは資料館を見て知っているつもりだったが、改めて市民の視点から街の様子を読んでいくと、資料を見ただけでは感じ取れなかった匂いやグロテスクな様子が浮き彫りになってきて、衝撃的だった。資料を見て知っている「つもり」になっていたが、まだまだ知らないことがあると思い知らされた。小説ではあるが、原爆投下時から終戦までの様子がかなりリアルに描かれていると思う。

    1
    投稿日: 2014.01.05
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    このレビューはネタバレを含みます。

    教科書でお馴染みの井伏先生。 図書館にて借りました。 8/6.9このふたつの日付は決して、日本人は忘れてはいけないと思うし、忘れられない傷跡が沢山ある。 主人公の姪の結婚が「原爆雨=黒い雨」だと噂され、縁談がまとまらない。 その噂を払拭しようと、主人公がつけていた日記を通して当時の出来事を語るストーリー。 でも、ラストに近づくにつれ姪が被爆していた事が明らかになり姪を必死で励まし、生きろ!と無言で労わる夫婦。 特にまだ、社会問題として連日の被爆者の方々の戦いが続いているので余計に真剣に読みました。 「戦争は人を変える」 自分のせいではないのに、自分から縁を断ち切らなくてはいけなかった姪の気持ちは、半世紀以上たった今でもとても切ない。 だからこそ、貴女も生きて、幸せをひとつでも掴んで欲しい。 そう願いたくなる作品。

    0
    投稿日: 2013.10.15
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    淡々とした文章から犇々と伝わる映画の中の出来事のような事実。今までこの凄惨な事実から目を背けてきた自分が恥ずかしい。こんな歴史は二度と繰り返してはならない。原爆の怖さは一瞬だけでなく何十年も人々の身体を蝕む。果てしなく重たいが文学史に燦然と輝く紛うことなき名作。意を決して読んで良かった。ただ酷く体力と精神力を使いボロボロになるのでなるべく元気な時に読むべし。2011/327

    0
    投稿日: 2013.09.28
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    実在する日記をもとに書いたものらしく この時代を生きていない者としては 掴みずらい作品だった。 その頃の人間の考え方などは 掴みずらいが、原爆が落ちた時の 街の様子や被爆した方の病状などが よく分かる。と思う。

    0
    投稿日: 2013.09.23
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    恥ずかしながら、37にして読みました。 でも、読んで良かったです。 目を覆うような惨状 倹しく生きる人々 大きく失ったもののうえに 今の私の命がある そんな事を考えます。 井伏鱒二の描写って 痛いものは痛々しく 可愛いものは、可愛らしく 臭いものは、鼻が曲がりそうなくらい リアルなんですよね。 あーー。読んだーー。

    0
    投稿日: 2013.09.22
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    原爆投下後の広島での一市民一家の姿を描く。 淡々と悲劇を記すところは、演出過多の反戦小説や映画より却って効果的。 主人公の記す日記部分が小説風なのはそういうものとして読むのだろう。

    0
    投稿日: 2013.09.11
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    ただひたすらに、広島の惨状が描かれている作品だった。ただ、変な日本文化?っていうかアメリカ批判みたいなのがなくてよかった。太平洋戦争を描く作品の大抵はどちらかに偏って描かれてしまう傾向にあるから、それがないのはよかった。

    0
    投稿日: 2013.09.03
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    重松を中心に、色々な人の手記   市中の悲惨な様子や自らの病状を淡々と綴っているから、その分真実みがある、気がする

    0
    投稿日: 2013.08.22
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    2013/8/6-8/15読了。井伏鱒二のどこまでもドライな筆致で、惨劇が描かれる。市民の見た戦争。

    0
    投稿日: 2013.08.15
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    爆弾は光った。黒い雨が降った。一部の地域でのことのようだ。被爆日記の清書という形で、体験(事実)が経時的に語られてゆく。延々と続く被災の記述は、ひどくなるばかり。 人類の歴史において、原爆が投下されたのは、日本だけである。その後の数多くの戦争が起こっているが、この爆弾が使われることはないだろう。それ程に、非人道的な行為である事を知るべきである。一時の破壊力よりも膨大であるのだが、命あるものずべてに、後世への影響が大きい。 爆発時の描写は、想像を絶する。そのすぐあとのキノコ雲の不気味な描写、言葉で伝えること、文章表現が追いつかない感じを受ける。黒い雨とは何であったのか?日々経過するごとに、人も街も、死んで行く。一日がとても長く感じる。被爆者は、爆弾がどういうものであるのか、噂により、日々重大なものであったことが、刻々と記されている。 被爆者を治療する場面も出てくるが、なんと言うお粗末さであろうか?物が不足していては、人命を救うことは出来ない。しかし、その反面、民間治療が、応急手当てが、誰でも出来るようなので、感心した。戦争終結前の国民の貧しい生活状況が良く分かる。(物が)何もなくなってっしまうと、欲がなくなる?生きることに希望をなくさなければ、助け合えるだろう。共助が、上手に出来ている。 米国は、このような被害を予測していたのだろうか?人道を逸脱する行為は、許されるはずはない。好戦的な国民&民族は反省すべきである。 もはや、戦後70年、体験した世代は少なくなり、記憶に残る人も多くはない。

    3
    投稿日: 2013.08.14
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    このレビューはネタバレを含みます。

     いわゆる黒い雨の話だと思っていたら違った。終戦後数年経った時点で、8月6日から15日までの出来事を振り返るという体裁の小説で、いくつかの手記を元に書かれているとのこと。あのとき実際に何があったのか、微に入り細を穿つくわしさでビビッドに書き付けられている。そういう小説だった。  黒い雨に関わるのは、主人公の姪の矢須子の縁談話で、小説の中ではほんのちょっとしか出てこない。原爆が落ちた時には広島市街にいなかったけれどその後黒い雨に打たれた矢須子は、原爆症だという噂を立てられて縁談がまとまらない。そうこうしているうちに、本当に原爆症を発症して……、というストーリーなんだけれど、原爆症の症状として出てくるのは脱毛、尻のできもの、発熱など。放射線被曝の急性障害としての脱毛は被爆直後に出る症状であって、数年経っての脱毛は他の原因を考えなければならないのだと思う。その他の症状についても、たぶん放射線被曝が原因ではない。矢須子の症状について医学的に検証したものを見たことがないのだけれど、専門家はどう言うのだろうか。  この小説のタイトルが、原爆症に対する世間の印象を形成するのにとても影響を与えているように思うのだけれど、その内容がこんなものだったとは驚き。それだけに、被爆者に対する差別とかいわゆる核アレルギーなどを考える際に、重要な視点を提供すると思う。  矢須子は1日のうちに医者を3軒もハシゴして、最後には伯父夫婦にだまって入院してしまったりして、精神的にとても追いつめられている。当時の被爆者に対する視線や、それを受けとめる当事者の気持ちなどもちらちらと書かれている。「それ被爆のせいじゃないよ」と思いながら読むと、まるで、矢須子は人々のうわさ話に呪い殺されるような展開にしか見えない。そういうところも、実際によくあった話なんだろうか。 (以下、2018年8月13日に追記)いわゆる入市被曝における放射線被曝線量について、放影研が出した見解というのを読んだ。それによれば、残留放射線の大部分は、原爆の爆発によって放射された中性子線によって放射化した物質からの放射線(誘導放射線)で、爆発によって生じた二次的な放射性物質からの放射線の線量は小さいとのこと(「黒い雨」に含まれる放射性物質は二次的に生じた放射性物質)。したがって、入市被曝の線量も、爆心地からの距離が近いほど大きくなる。実際に入市した人たちの中で最も被曝線量が高いレベルと考えられる、8月7日から13日までの間に爆心地付近で瓦礫の片付けなどの救援活動に従事した予備役兵部隊の推定被曝線量は最大で100mSv、平均で13mSv(爆発後に発生した火災のために、6日の爆心地には立入れなかった、とのこと)。矢須子の被曝線量が仮にこのレベルだとしても、あの症状は放射線被曝によるものではないのだろう。 「残留放射線」に関する放影研の見解 https://www.rerf.or.jp/uploads/2017/08/residualrad_ps.pdf

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    投稿日: 2013.07.27
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    「黒い雨」の題名に代表されるように、原爆の話です。 その悲惨さの描写には読んでいて涙がでるような感じです。 反戦論を声高々に叫ぶのでもなく、原爆を体験した人物を通して、その現実を語る方がはるかに胸にくる気がします。衝撃的でした。昔の人のことを、その戦時下の当時の人たちのことを、どっか違う目で見ていた自分がいました。 時代が違う、統制されていた思想が違う。と。 しかし、なんら変わらない。 被災者のために被災地に向かっていく人たちがいる。 正義でなくても、平和がいいと言う人たちがいる。 現代と変わらない人間がいる。 戦争というものの、具体的な悲惨さ、理不尽さを目の当たりにするような感じです。しかも、それを誠実なありふれた庶民の目線で思想を交えず、筆者の主張を交えず、小説として書くところに、その視点のすごさを感じます。 いろんな面で「戦争を知らない世代」からさらにのちの世代のわれわれは読んでおかなければいけない本な気がします。

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    投稿日: 2013.06.24
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    年末に原爆ドームを見たから、久しぶりに読んでみました。 随分前に1度読んだ事があったけど、 今の方が土地の名前もすんなり入ってきて。 読んでて恐ろしいけど、実際にあったことだからちゃんと理解しなくちゃいけないと思った。 でも、なんで戦争なんてしたんだろうって考える。 同じ人間同士が戦いあって何がいいっていうんだろう。 沢山の人に読んでもらいたい本です。

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    投稿日: 2013.05.13
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    このレビューはネタバレを含みます。

    時代設定は、戦後数年後。 被爆した姪の縁談に不安を感じた主人公が、当時の状況を理解してもらうために「被爆日記」をつける。 日記を書き進めるうちに、姪の原爆病が進行していることが発覚して―。 被爆日記にかなりのページが割かれていて、当時の状況が、苦しいぐらいにありありと伝わってくる。 でもそれが、「日記」という媒体を通すからか、押しつけがましくなく、まるで雨のようにしっとりとそこにある感じがする。 日記と現時点の二つを行き来する設定はとてもいいと思った。

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    投稿日: 2013.05.11
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    (1970.08.03読了)(1970.07.02購入) 内容紹介 一瞬の閃光に街は焼けくずれ、放射能の雨のなかを人々はさまよい歩く。原爆の広島――罪なき市民が負わねばならなかった未曾有の惨事を直視し、“黒い雨"にうたれただけで原爆病に蝕まれてゆく姪との忍苦と不安の日常を、無言のいたわりで包みながら、悲劇の実相を人間性の問題として鮮やかに描く。被爆という世紀の体験を、日常の暮らしの中に文学として定着させた記念碑的名作。

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    投稿日: 2013.03.20
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    本よりも今村昌平の映画の印象が残っていたのだが、改めて読んでみるとこれまた強烈な本、通勤時間に読んでいたのだが結構こたえる。 戦争も被爆もただただ受け身でしかいられなかった庶民の悲哀を淡々と描いている。 こういった材料を選択しているだけで既に作家の意思表明はなされている訳だから、このような構成・文体はその悲劇性をより効果的に高めている。 それにしても確かNHKのドキュメンタリーで爆撃後直ぐに爆心地近くで人々の動きが見られると当時の米軍による空撮をある意味感動的に見せていた記憶があるが、実際はこの本に書かれているような「生かされた」人々の絶望的彷徨だったんだろうなと改めて感じる。

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    投稿日: 2013.03.06
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    中学校の国語の教科書に抜粋が掲載されていて、その指導案を作るという課題が出されたため、何かの参考になればと思って一冊借りてきてみたもの。 課題は読み終わる前に作成して提出し終わっていたのですが、途中で読むのを止めるのもな…。と思って最後まで読了。 凝縮されていて、読むのにかなり時間がかかってしまいました。 指導案を作るということで、高校時代に使っていた国語便覧を見てちょっとだけ調べたのですが、もともとは『姪の結婚』というタイトルで連載を始めたらしく、そのうち『黒い雨』とタイトルを改めたそうで。 『姪の結婚』というタイトルにも表れているのですが、主人公の姪は被爆しているという噂から縁談がなかなかまとまらず、やっと上手くいきかけた縁談も同様の噂から破談になりそうになり、それを受けて主人公が相手方に自身や妻のシゲ子、姪の矢須子の体験から「被爆日記」を綴って渡そう、ということから始まります。 その手記がこの作品のメインで、間に終戦後の日常や他者の手記のまとめなどが挟まれています。 戦時中の様子や体験を詳細に客観的に綴っており、思っていたよりも文章は読みやすかったです。 戦争小説はなかなか読んだことがないので、本当に勉強になりました。 想像を絶する、というのが正直な感想。 あまりにも淡々と当時の状況を語っていくので、途中で「ひとつの時代のほんの一部を切り取っただけのこの小説の中だけで、一体何人が死んで、いくつの死体が描かれているのだろう?」と思ったりもしました。 たまに民衆の悲痛な本音がはっきり言葉として表れていて、やりきれない思いが起こりました。 こんなこと、二度と起こってはいけない。そもそも起こってはいけないことだったのだ、という気持ちでいっぱいです。 これを読んだ後だと、原発の問題とか、いろいろ考えることがありますね…。利用の仕方・目的が違うだけで、本質は同じなんだよなぁ、とか。 戦時中の様子といえば、ジブリの『火垂るの墓』でくらいしか知らないし、それも気持ちの良い作品ではないので敬遠してここ何年かは見ていないので1940年代の情景というのはおぼろげにしか頭にありません。 戦争を見たことがない私にとってはなかなか想像のしにくい描写も多く、それだけ平和に慣れているんだなぁということを強く思いました。 日本人って、この間のアルジェリアの事件のような報道で、世の中には戦闘が絶えない場所がまだあるんだとはっと気づかされる、というようなことが多い気がします。今の日本自体だって、外を見ればいつでも危機にさらされているように思うのに。 私もそうだったし、「井伏鱒二」や「黒い雨」というキーワードだけで難しそうだと敬遠しがちだと思うんです。確かに楽しい、面白い読み物ではない。 だけどこの作品は若い人こそ読んでおくべき作品だと思った。 台風や地震のような天災は不可抗力で、備えておくことしかできない、未然に防ぐ術というのはないと思うのだけど、戦争はいわゆる人災、いくらでも未然に防ぐことができると思うのです。 こういう作品は読み継がれていく意味があり必要がある。 決して忘れてはいけない記憶の断片。大きな災難は忘れた頃にやってくる。 どんな国も武力に頼らない外交ができる世界になればいいなと思う。

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    投稿日: 2013.01.30
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    皮がむけ紫色にはれ上がる頬。蛆虫に食われてなくなってしまった耳たぶ。つぶれた家々の瓦の下から漂う腐臭。 人類は、地上に天国は築くことは叶わないわりに、地獄をは爆弾一発で見事に現出させてしまえるほどの知恵を持っている。

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    投稿日: 2013.01.18
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    戦争終結からしばらく後を、様々な悩みを抱え生きる被爆者達。 8月6日前後の出来事が、彼らの日記として描かれています。 日記の為、淡々とした語り口であるものの、その描写は凄まじく、原爆の恐ろしさを再認識させられました。 及ばずながらも、当時の人々に思いを馳せる時間を作ってくれた、この作品に感謝します。

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    投稿日: 2012.10.18
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    あー読んだ。とにかく読んだ。 こんな退屈な小説を読んだのはひさしぶりだ。 ドレスデン無差別爆撃をあつかったカート・ヴォネガットの『スロウターハウス5』と比べると、『黒い雨』を書かせた日本人の国民性をもはや呪いたくなる。 ひたすら被爆者の手記、合間に「退屈でしょうから」と言わんばかりに鯉の養殖を挟み込む。鯉の養殖って何なんだ? ハナからどうでもいいじゃないかと思っていたが、読み通して最後までどうでもよかった時は憤怒した。 ノンフィクション読めばいいじゃない。あるいは被爆者当人の手記か。 ちょいと目線を変えると。 これだけ広島市の惨状や人々の惨澹たる描写が連なると、かえって一つの物事から本来受け取るべき「意味」や「感情」といったものが変質してくるんじゃないかな? 同じ字をいくつも並べて見続けるとゲシュタルト崩壊を起すように。 だからこの物語ってもはやスプラッタ映画(そんなもん見たことない)のナンセンスの領域まで達しちゃってるんじゃないの? と思った。

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    投稿日: 2012.10.10
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    文学という道具で、一市民が戦争という国家権力と闘争に抵抗した作品。 「語る」そして、それを人に「読ませる」。そんな構図が作品中に何度も現れる。日常をただ淡々と語ることもできたはずだが、あえてこういう構図をとったところに、作者の闘う姿勢が見てとれる。 さりげなく、でも確実に読者の心を揺さぶる暗喩の描写が秀逸。 近年抱いていた、文学への不信感がこの作品で払拭された気がした。

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    投稿日: 2012.09.12
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    この有名な小説、恥ずかしながら未読だった。 わけのわからない新型爆弾が落とされ、誰も確かな情報を持ち得ず間違いだらけの情報の中で負傷し、家を失った人々は、地獄絵そのものの広島で生きながらえるため必死に歩き回る。 閑間重松と妻のシゲ子、姪の矢須子は家族で助け合って、いたわりあう。非常時に支えあえるのは家族だ。家族の大切さ。改めてそれを実感する。 舞台の設定は戦後5年後くらいなのだけど、主人公の閑間重松が当時の日記(被爆日記)をしたためるため、リアルに原爆投下直後の様子が描かれる。それでも千分の一も描ききれないと重松は言う。そうなのだろうと思う。 そのときの様子でどうにも涙をこらえきれなかったのが、次のような場面。やるせなくて、たまらない。 「堤防の上の道のまんなかに、一人の女が横に伸びて死んでいるのが遠くから見えた。先に立って歩いていた矢須子が『おじさん、おじさん』と後戻りして泣きだした。近づいて見ると、三歳くらいの女の児が、死体のワンピースの胸を開いて乳房をいじっている。僕らが近寄るので、両の乳をしっかり握り、僕らの方を見て不安そうな顔つきをした。」(p.112-113) 「塀越しに柘榴の木の枝がこちら側に伸びており、今年は五つも六つも柘榴の実が枝についた。たまたま疎開先から戻って来ていた男の子が、今朝がた疎開地へ帰りがけに親父の形見の脚立を柘榴の枝の下に据えつけた。何をするんだろうと見ていると、男の子は脚立に登って行き、柘榴の実の一つ一つに口を近づけて、ひそひそ声で「今度、わしが戻って来るまで落ちるな」と言い聞かせていた。そのとき、光の玉が煌いて大きな音が轟いた。同時に爆風が起った。塀が倒れ、脚立がひっくり返り、子供は塀の瓦か土かに打たれて即死した。 去年、柘榴は塀のこちら側にのぞいている枝に三つか四つか実をつけた。それが青いうちにみんな落ちたので、子供は今年こそ無事に育つように声援を送ったのだ。子供としては柘榴に入れ智恵をつけたつもりだろう。思ってさえも、なおさらそれで不憫が増して来る。」(p.130) ----- その他印象に残った箇所。 「蒙古高句麗(ムクリコクリ)の雲とはよく云い得たものだ。さながら地獄から来た死者ではないか。今までのこの宇宙のなかに、こんな怪しげなものを湧き出させる権利を誰が持っているのだろうか。」(p.55) 「電線の上を鳶が舞い、油蝉の声が聞え、国道のわきの蓮池にカイツブリが忙しそうに泳いでいた。ごく普通であるこの風景が珍しいものに見えた」。(p.120) 「矢須子は次第に視力が弱って来て、絶えず耳鳴りがするようになったと云っている。はじめ僕は茶の間でそれを打ちあけられたとき、瞬間、茶の間そのものが消えて青空に大きなクラゲ雲が出たのを見た。はっきりそれを見た。」(p.233) 被爆当初は重松が左頬を負傷し矢須子は何でもなかったが、矢須子は戦後5年(?)たって原爆症を発症する。 そのことは後半まで伏せられているので読者は驚いてしまう。 おじの重松は、何が何でも生きるという強い意志で奇跡的に助かった岩竹さんの手記を読み、矢須子にも奇跡が起こることを祈って小説は幕を閉じる。 これまで色々見聞きしていても、やはりこの地獄図には言葉を失う。思考がおかしくなりそう。 井伏さんの詳細な記述はすごい。よくぞ鮮明に記憶し克明に描いてくださった。 いったい、核の発見とは人類にとってなんだったのか。 「今までのこの宇宙のなかに、こんな怪しげなものを湧き出させる権利を誰が持っているのだろうか。」 まったくその通りだと思う。

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    投稿日: 2012.08.27
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    原爆症の疑いをかけられた姪の為、日記を書き写すことで被爆から終戦までを振り返る。そこには涙腺を緩ますような悲劇も平和を訴えるような主張も一切ない。 あるのは淡々と語られる事実と絶望だけ。

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    投稿日: 2012.08.25
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    だいぶ広島の地理を忘れていたけれど、 知っている場所ばかり出てきて、 どきっとするところが多かった。 私の住んでいた場所が、通っていた場所が、あの日と追った場所が。 読んでいて苦しかった。

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    投稿日: 2012.07.02
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    「山椒魚」が好きで、この本にも期待。高校の課題図書。 原爆はみんな悪いものと思ってるけど、なんでか読んで実感、リアルに被曝して日常の生活や命が二度と戻らなく破壊されてく様子が書かれている、それが当時本当に起きたことで、こうやって体験談が後世に語り継がれていくことは本当貴重で大事。私たちは想像でしかわからないけど、全然知らないときとは原爆への思いや感情がまったくちがう、ありあないものだと思う。でもそんな状況から復活した広島、長崎すごい。いろんなことを犠牲にして、いまの平和がある。

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    投稿日: 2012.06.13
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    不条理。どうして私が。一体誰を恨めばいいのか。 広島に住む主人公と妻、そして姪。 原爆症で苦しみながらも生き続ける主人公。 しかし、姪も原爆症が発症。

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    投稿日: 2012.05.06
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    このレビューはネタバレを含みます。

    原爆をテーマにした小説、というものが何だか新鮮な気がした。 原爆や戦争をテーマにしたものは、大抵「原爆や戦争によってどれだけの被害を受けたか」という裏のテーマが存在していることが多い。しかし、この『黒い雨』は、そういった被害者としての意識があまり感じられなかった。むしろ、原爆の被害を一つの事実として客観視し、それによって変化する家族の様子を写実的に描写して作品、という印象であった。 静かな筆致と絵画を鑑賞しているような感覚を与える細かな描写が光る小説だと感じた。

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    投稿日: 2012.02.03
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    広島の原爆投下についての小説。戦後のタイムラインの中で原爆投下当時が回想として描かれている。ページ量が多い分、詳細な説明がなされている。戦争を知らない私にとって、戦争と平和を考えさせてくれる貴重な一冊です。

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    投稿日: 2012.01.25
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    井伏鱒二の、原爆投下後のヒロシマを描いた作品。非常に精緻に書かれており、そして原爆の内部被曝の恐ろしさが十二分に伝わってきます。私はヒロシマの地理がよくわかっていないので、広島市地図を購入しました。再度大事なところを切り抜いて、読む予定です。ピカに直接は会っていない人にどんな恐ろしい症状が出るかを、一般人の視線で本当にきちんと書き下ろしています。フクシマ後の今こそ、全員が読まなければならない本だと私は考えます。 p242から この通りでも石垣や置き石の間を見ると、カタバミや烏野豌豆などの新芽がむやみに伸びて、自分を支えきれなくなってだらりと垂れていた。植物も空襲の衝撃で細胞組織が変化するのだろうか。 (中略) 光線とか音響とか熱の衝撃などで植物が徒長することは知らなかった。今度の爆弾は植物や蠅などの成長を助長させ、人間の生命力には抑止の力を加えている。蠅や植物は猖獗を極めている。昨日、ここの通りにある饂飩屋の焼け跡では、裏庭の芭蕉が新芽を一尺五寸(45cm)くらいものばしていた。もとの茎は爆風で根元からぽっきりと折れ、跡形もなくなって、新芽といって良いか筍といって良いか巻き込んだ茎が伸びかけていた。ところが、今日は二尺(60cm)も上も伸びている。一日に五寸(15cm)以上も延びているその実情には、農家に生まれて樹木を見慣れてきた僕も驚いた

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    投稿日: 2011.12.16
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    被爆者である重松静馬の『重松日記』、被爆軍医である岩竹博の『岩竹手記』を基にした作品。 元の作品が相当しっかりしたものであるのだろう。広島に原爆が投下される前・直後・後の様子が如実に描かれている。原爆をテーマとしたドキュメンタリ番組で実際の映像を幾度となく見てきたが、その時よりも当時の光景がくっきりと目に浮かぶ。文章にこれほどの力があるとは思わず、初めて文章のすごさというものを知った。 原爆は恐ろしい。戦争は二度としてはならない。 これは誰しもが思っていることで、当然私も思っていた。だが、この作品を読んで自分の認識がとてつもなく薄かったことに気付いた。読み終わった後、心の底から原爆に恐怖した。それほどまでにこの作品は原爆・戦争の凄みを読者に伝えてくれる。 正義の戦争よりも、不正義の平和のほうがいい。

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    投稿日: 2011.11.27
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    小学生の時に一度読みましたが、311の影響で再読することにいたしまさた。 10年近く年を重ねると、やはり読んだときに感じる"重み"がまったく違います。 淡々と、しかし心に刺さるような文調で書かれた内容は、やはり様々なことを考えさせてくれます。

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    投稿日: 2011.10.17
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    一人の人間の日記をもとに原爆投下から終戦、その後の原爆病患者の生活などが絵描かれた戦争の記録。 いろんな戦争の記録の小説のように、痛ましい肉体的な描写より、その時何を感じたかという日記が多いので戦争がどれほど人の心を傷つけるかということを感じるのに一度読むことを人にすすめようと思う。 それでもやはり内容は痛ましいので無理強いはしないけれど、戦争を知らない私なんかは、こうして記録を読むことしかできないけれど、戦争の痛ましさの一片を感じるしかない。 文章は古い漢字を使ったりしていて少し読みにくい部分もあり、読むのに時間はかかった。

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    投稿日: 2011.10.14
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    執筆に際して、どういう態度で臨むかという点が重要であると知った。穏やかに、とても優しく書かれた作品。

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    投稿日: 2011.09.25
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    原爆の後遺症に悩む主人公たちは声を荒げ、怒りを爆発させることはない。静かに自分の運命を受け入れている。 戦争ではなく、黒い雨に命を奪われつつある彼らはあきらめることしかできないのだろうか。なんとも理不尽な話だ。

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    投稿日: 2011.09.17
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    原爆をテーマにした小説です もはや日記とか歴史書なのでは? と思わせるほど淡々と、静かに描かれています。 あるがままに書かれているだけなのに、原爆の恐ろしさ悲惨さが伝わってきて、この種の小説の中では戦争への悲しみ恐怖が一番掻き立てられました。

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    投稿日: 2011.09.06
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    結構時間がかかりました。 すごく重い内容かつ難しい内容でしたので。 しかしながら一度は読んでおくべき本だと思います。 僕たちの世代は 戦争や、原爆のリアルを知りません。 先日も介護体験のおりに年配の方々からお話を聞く機会がありましたが、 こういった内容に目を背けたりせずに、 自分のアンテナを張り、 しっかり理解はできなくとも、 知識として、 教養として、 身につけておくべきだと思いました。

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    投稿日: 2011.09.03
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     私の母方の曾祖父母、および彼ら夫婦から生まれた祖母は広島の人間である。家は、横川駅から太田川に沿って北へ少し上がった所にあったらしく、母と山陽本線に乗って山口~広島間を行き来する時には、横川駅を通過するたび、「お母さんが小さい頃は、夏休みなんかに、ここから太田川を上(かみ)に行って、お爺ちゃんお婆ちゃん(私にとっての曾祖父母)の家に遊びに行きよったんよ。山に近かったけー、涼しくてね」などと教わっていた。  横川駅と原爆ドームは直線距離にして二キロメートルあるかどうか、といったところだろうか。原爆投下時、曾祖父母が横川の自宅にいたのか、それとも広島県のどこか別の場所にいたのか定かではないが、やはり、というべきか、彼らはピカによって被爆した。その後の人生は二人とも被爆者手帳とともにあり、それでも、曽祖父については、戦後三十年の一九七五年(昭和五十年)、私が母のお腹の中にいる頃まで頑張って生きてくれていた。胎児だった私も、もう少し気を利かせて、早めに「おぎゃあ!」と生まれて来ていれば、曽祖父もひ孫の顔を見てから、あの世へと旅立てたかもしれないのだが、なかなかそうはいかない。残念なことであった。  曾祖父母の娘、私にとっての祖母だが、この人は娘時代には原爆ドームで働いていた。といっても、一九四〇年代当時は『広島県産業奨励館』といって、舶来品や地域の物産を紹介したり、美術展などの催し物を開催したりと、最先端の情報を発信する、それはそれはハイカラでハイソサエティで非の打ち所のない美しい建造物であったのだ。チェコ人、ヤン・レッツェル設計。このハイカラでハイソでモダンな『広島県産業奨励館』は、祖母を含む広島のモボやモガたちが、誇りと共に日々仰ぎ見たくなるような美麗なドーム屋根を有していた。あの日、エノラ・ゲイが、何の前触れもなくピカを落としてくるまでは。  広島市上空にピカが投下された時、祖母は産業奨励館にはいなかった。この「いなかった」事情がどういうものなのか、詳しくは分からないのだけれども、戦争激化にともなって、ピカが投下される前年の一九四四年(昭和十九年)には産業奨励館としての業務は廃止され、内務省中国四国土木事務所や広島県地方木材株式会社といった機関の事務所として使用されていたらしいから、祖母はその頃には退職していたものと思われる。祖母がいつ頃、山口県の祖父のもとへと嫁いできたのか、これも詳しい年月日を知らないのだが、ひょっとすると退職を機に結婚して広島を離れ、爆死を免れることができたのかもしれない。頭上で炸裂した原子爆弾が、ピカッと閃光を放って、ドンと凄まじい爆裂音が轟かせたその一瞬間に、館内にいた職員たちは全員即死していた。ここにもし祖母が残っていたら、祖母から生まれてきた母も、そして私も、決してこの世に存在することはなかっただろう。  『原爆ドーム』なんて云うと、爆撃直後から現在までの歴史しか示していないようで、私たち家族にとっては少々寂しいような気がしてしまう。祖母が青春時代を過ごした職場であったという、爆撃前の歴史も大事にしたくて、我が家ではいまだに『産業奨励館』と呼ぶことも多い。それくらい、私にとっても母にとっても、今の原爆ドーム(旧広島県産業奨励館)や横川駅は、思い入れの強い場所なのである。そして、井伏鱒二が遺した小説『黒い雨』の主人公・閑間重松(しずましげまつ)が被爆したのも、この爆心地から程近い横川駅のプラットフォームであった。  『黒い雨』は、閑間重松とその妻・シゲ子、そして姪であり養女でもある高丸矢須子、この三名の戦中日記によってその大部分が占められている。本作品は、戦後数年を経てから、重松が自分の日記と矢須子の日記を清書し直していくというスタイルで進められており、我々読者は、彼らの日記を読むことで、原爆投下直後からの広島市内の様子を知ることができるようになっている。なぜ、作中で重松が家族の戦中日記を清書しているのかといえば、それは矢須子の縁談を無事に取りまとめる目的のためなのであった。矢須子は年頃の娘で、良家との縁談が持ち上がったばかりなのだが、彼女が原爆症に罹っているのではないかという噂が断続的にちらほらと流されるために、これまでどうしても縁遠く、養父の重松としては、矢須子の原爆症の疑いを晴らすために、原爆投下時の閑間家の行動を再度検証する必要があったわけだ。  文章の主な構成は以下のとおり。 ◎高丸矢須子の日記。(昭和二十年八月五日から八月九日までの分) ◎閑間重松の被爆日記。矢須子の日記の付録篇として。学校の図書室に納めるつもりだが、その前に矢須子の縁談の世話人にも見せようと考えている。(昭和二十年八月六日から終戦の八月十五日までの分) ◎閑間シゲ子の手記。矢須子の日記の付録篇として。タイトルは『広島にて戦時下に於ける食生活』。 ◎閑間シゲ子による『高丸矢須子病状日記』。(矢須子の縁談が持ち上がったのが、終戦後の四年十ヶ月目とあり、その後、原爆症を発症するので、おそらく昭和二十五年の七月二十五日から七月三十日までの分) ◎湯田村・細川医院院長の義弟による手記。タイトルは『広島被爆軍医予備員・岩竹博の手記』。(昭和二十年七月一日・赤紙召集~八月六日・被爆~戸坂の国民学校仮収容所~八月八日・自力での庄原国民学校行き~八月九、十日にかけての熱傷治療~八月二十三日・府中町の細川医院分院への移送~翌二十四日から原爆症発症により闘病生活という流れで記されている) ◎岩竹軍医予備員の奥さんの速記記録。夫である岩竹博の安否を確かめるため、噂を辿りながら、広島陸軍病 院焼け跡~戸坂国民学校~庄原国民学校と歩き回り、その庄原で夫を見つけ出したことや、彼の闘病生活について書かれている。  すべての日記や手記は、広島に住む一般市民の視点から、体験者でないと決して語れない詳細さと共に、実に淡々とした筆致で記されている。戦争や原爆投下に対する声高で激しい疑問提示や反対論というものはほとんど見当たらないと云っても良いだろう。ただただ、自分たちが見聞きし、体験した、八月六日から数年後までのことが、克明な観察記録として我々読者の前に披露されるのである。国家戦略だの政治的意図だのを背負っての、わざとらしく飾った言辞とは違う、一般市民の生の声が本作品には表現されているように思う。  それだけに、戦争さえなければ、家庭内の出来事や学校や職場で経験したことなど、ささやかな幸せと悩みが書き綴られるばかりであったろう普通人の日記に、赤ん坊を抱いたまま焼け焦げた母親や水を求めて防火水槽に顔を突っ込んだまま腐乱した遺体、不気味な色を放ちながら濛々と上空へ昇っていくキノコ雲の恐ろしい様子、肉親が見ても、それが自分の身内とは判らないほどの熱傷を負った市民の無惨な姿などの描写があるということの異常さが際立つ。戦争をおっ始め、それを継続するのに、どんなに正当な理由があるように思えたとしても、何の罪もない国民にこんな酷い日記や手記を書かせるようなことを、国家は絶対にしてはいかんのだという、静かな反論がそこにはある。  矢須子と自分の日記を清書するうちに、重松は、矢須子が黒い雨を浴びていた事実に突き当たってしまう。重松とシゲ子、そして矢須子の三人は、原爆投下時、それぞれ別々の場所(重松は横川駅、シゲ子は千田町の自宅、矢須子は古江町)にいて爆死からは免れたものの、一緒に避難するために広島市内を長時間にわたって歩き回ってしまったのである。矢須子にいたっては広島市から十キロメートルほど離れた古江町にいたにもかかわらず、重松夫妻と合流しようとして入市し、彼らと再会できた時には既に、その肌や衣服にコールタール状の黒い雨だれの痕を付着させていた。洗っても洗っても、なかなか拭い取れない油脂のような黒い染みが、数年を経て矢須子の体に重篤な健康被害をもたらすようになるとは、その時の重松らには予想することすら出来なかったのであった。  皮肉なことに、縁談の取りまとめに先立って、矢須子の健康を証明しようと、重松が日記の整理を始めた頃に、彼女は原爆症を発症してしまう。発熱から始まって、臀部(でんぶ)の腫れ物、頭髪の脱毛と続き、激しい耳鳴り、歯茎の発赤腫脹、全身の疼痛、白血球異常などで、彼女の体は急速に衰えていった。自宅で看病するには限界があり、矢須子は九一色(くいしき)病院に入院。重松は、原爆症の噂によって姪が縁遠くなってしまったことに加え、実際にその原爆症を患ってしまった事実について、ずいぶんと責任と負い目を感じている。  そもそも、矢須子を養女として広島市に呼び寄せたのは、ほかならぬ重松だったのである。姪の矢須子を、戦時中の厳しい徴用から逃れさせ、比較的安楽な仕事をさせるために、実家の高丸家から広島市内に住まわせ、コネを使って、日本繊維株式会社・古市工場に受付係として勤務させたのが重松だったのだ。しかし、広島への原爆投下によって、かえってそれが裏目に出る形となってしまった。矢須子本人に対しても、実家の高丸家に対しても、申し訳が立たないと落ち込んでいるのが閑間重松なのであった。  重松とシゲ子は、何とかして矢須子を助けてやりたいと、藁をも掴む気持ちでいる。そんな時に、湯田村の細川医院の院長先生から手に入れたのが、先に挙げた『広島被爆軍医予備員・岩竹博の手記』と、その岩竹さんの奥さんの手記である。この岩竹さんという人物は、細川医師の妹婿すなわち義弟である。軍医予備員として徴兵された矢先、広島で被爆するのだが、全身にわたる重度の熱傷という重い症状を抱えながらも、命からがら湯田村まで帰還した人である。火傷で組織が崩れた耳や頬に大量の蛆虫が湧き、その蛆虫に右耳を食いちぎられ、手の指も溶けてくっ付いてしまい、板切れのようになった状態で闘病生活を送り、奇跡的に回復したという経歴を持っている。手記には、輸血、リンゲル注射、桃や生卵などによる食事療法といった岩竹さんの闘病の様子が事細かに書かれており、それが矢須子の治療にも参考となる部分があるのではないかと、重松たちは九一色病院に提出したのであった。  このくだりで、ひとつの「ゆらぎ」のようなものを読者は体験することになる。この『黒い雨』という作品は、原爆投下や広島市内における死屍累々の惨状といった、決して尋常ではない、想像するだにも恐ろしい様子をあくまで淡々と語り、透徹した観察眼でもって進行されてきた。あえて云えば、小説の材料としては山場だらけの原爆投下日から終戦日あるいは数年後までを、平板な調子で、ほとんど起伏なく語っているのである。したがって一見すると、小説全体としての盛り上がりはどこにも無いようにも思えてしまう。ところが、シゲ子から『広島被爆軍医予備員・岩竹博の手記』を手渡された九一色病院の院長先生が、それを読みながら、ふと奇妙な表情を浮かべるのである。戦後の穏やかな夏の日、九一色病院内での「ゆらぎ」は、岩竹さんの手記のこのような記述に端を発している。  次に、各自一人ずつ中佐の前に出て行って、姓名と前歴を申告し、なぜ今まで軍医予備員に志願しなかったかという詰問を受けた。自分は第一師団と広島連隊区に昨年一月送附済の一件書類を奉公袋から取出して、この通り志願完了していて未志願でないことを具申した。それで訊問は尻きれとんぼに終った。しかし自分より先に訊問を受けた人たちも、あとに続く人たちもすべて志願書を出している。去年も一昨年も召集を受け、体質的欠陥のため即日帰郷となっている連中が多かった。  なるほど体格検査が始まると、集っている連中のうち、羨ましいと思われるような体格の者は殆どいなかった。脊椎カリエスのためコルセット持参の者、頸腺炎(けいせんえん)で繃帯(ほうたい)した者、肋骨カリエスの瘻孔(ろうこう)のあとのある者、学生時代に運動会で足を折って膝が半分しか曲らなくなっている者もいた。 (中略)  レントゲン透視と喀痰(かくたん)検査の結果、即日帰郷となった者も何人かいた。病院の医師欠乏という理由から帰郷させられる者もいた。奉公袋をさげて殊勝げな顔つきで、嬉しさを噛み殺して帰って行く人が羨ましかった。  上記の文章をシゲ子の目の前で読んだ時の、九一色院長の様子は以下のようなものであった。 「この岩竹さんの手記、あたしの見ている前で院長さん読んだんよ。読みながら、院長さんの表情に微妙なものがあったんよ」 「それで、治療法について、院長さん何か云ったか。それが大事なことだ」 「読みながら、二度ほど参考になりますと云ったんよ。それから読んだ後で、実は自分も広島二部隊に軍医懲罰召集で入隊したと云ったんよ。岩竹さんの入隊したのと同じ日に、同じ部隊へ入隊したんですって」 「でも、あの院長さん生きておるじゃないか」 「入隊した日、体格検査で即日帰郷になったんですって。そのときにはカリエスで、石膏の繃帯を下腹に巻いておったんですって。運不運の二筋道は妙なものね。院長さんは顔をしかめて読みながら、一度ぐっと息を嚥(の)みこんだんよ」  岩竹さんの手記にある「脊椎カリエスのためコルセット持参の者」というのが、この九一色院長であったかどうかは判らない。しかしながら、「殊勝げな顔つきで、嬉しさを噛み殺して帰って行く人」の中に、この院長先生が含まれていたことは疑いないわけで、カリエスによって徴兵されず被爆をからくも回避できた自分と、徴兵されたがために原爆によって瀕死の重傷を負い、原爆症と苦闘し続けた岩竹さんとの運命の対比があまりにも鮮やかなこの手記をゆくりなくも眼にして、九一色院長の胸には一体どんな感情が去来したろうか。  自分が被爆せずに済んだ裏側で、この岩竹軍医予備員のように死の苦しみを味わった人がいる。過酷な原爆症を乗り越えて生き返った彼と違い、病気で兵隊にも取られることなく、御国の為に戦うことも避けられた自分。誰がなんと言おうとも、生きて息災ならばそれが一番の親孝行だ。だが当時は、兵隊にも行けない九一色院長のような繊弱な人は、陰で後ろ指を差されることもあったろう。想像を絶する苦痛を味わった岩竹さんと、安全な場所で医療に従事できた自分。岩竹さんの手記は、自分自身のための覚え書程度のものであったろうけれど、九一色院長にとっては「殊勝げな顔つきで、嬉しさを噛み殺して」即日帰郷した自分への無言の告発のようにも思えたかもしれない。  ごく小さな「ゆらぎ」なのである。淡々と展開していく本作品にあって、ほんの一瞬、さざなみが立ったようなものなのだ。原爆投下直後のことを書いた重松の日記でさえ、冷静な目で現実を見つめた末の文章だったのが、戦後数年経ってからのシーンにおいて、一人の医師の胸に微小な棘(とげ)が刺さるように「ゆらぎ」が起こる。しかし、小さいながらも井伏鱒二のその演出があまりにも巧みで、はっきり云って参ってしまった。平和を取り戻した戦後の夏のある日、ひっそり閑とした印象の九一色病院の一室。蝉の声だけが喧(かまびす)しい診療室で、院長が岩竹さんの手記に目を通した時…―――、シゲ子が云うところの「運不運の二筋道」を眼前に突きつけられて、ハッと彼が息を呑むのと同時に、あれだけけたたましく鳴いていた蝉が、一斉に鳴くのをやめてしまったような、そのとき真の静寂が訪れたような、そんな情景まで想像させる「ゆらぎ」なのであった。  矢須子の病状が好転するか否かについては、作品の結末においても何も書かれてはいない。おそらく回復は無理だろうという雰囲気の中で、重松が、それでも矢須子は治るかもしれないという、儚い望みを抱いているところで物語は終わる。こんな不幸が起こるから原爆は絶対に駄目なんだ、というような論調よりも、原爆が落とされたことで、こんな不幸が起きてしまったよ、君はこれをどう思う?と語りかけるような作品である。重松の静かな語りかけを感じたら、『黒い雨』を読む人々には、広島と長崎に投下された二発の原爆について、ほんの少しで良いから思いを馳せて頂きたいと、私は願っている。 E=mc² の関係式が人間の頭上に、何も知らされずに降ってきた時、生身の人間がどうなってしまったのか、もう一度考えてもらえたら嬉しい。  私は読後の感想を書く際、可能な限り正確さを期して調べなければいけない事柄のほかは、その作品の周辺情報をなるべく目に入れないようにしている。というのは、たとえそれが誤った、あるいは人とは違う印象、受け取り方、感想であったとしても、その時、自分が感じたことをそっくりそのまま引き写すようにして書き残しておきたいと考えているからである。色んな情報に影響されないで、自分の素の感想を真空パックしておきたいのである。大分あとになってから読み返してみた時、(ずいぶんバカなこと書いてるなぁ)と赤面してしまう文章も多々あるのだが、そのときの自分は確かにそう思っていた、という読書感想アルバムにしたいわけだ。  だが、今回は書いている途中で、『黒い雨』についてちょこちょこと調べ物をすることになった。その調べ物を通じて、この小説『黒い雨』に登場する閑間重松が実在の人物であることを知る。本名は、このシズマ・シゲマツをひっくり返した重松静馬という人なのだが、彼が自身の被爆について書いた『重松日記』を、知人である井伏鱒二が手にし、それを基に『黒い雨』は書かれたのだそうだ。ちなみに被爆軍医である岩竹さんも実在の人物であり、『岩竹手記』を遺している。『重松日記』は現在、筑摩書房から文庫が出ているそうで、その中に『岩竹手記』も併録されているとのことなので、是非手に入れて、こちらも読んでみるつもりでいる。  思えば、戦時中の様子を、当たり前といえば当たり前なのだが祖父母たちは語りたがらなかった。産業奨励館に勤めていた祖母が亡くなる前に、山口県の周防大島町にある『陸奥(むつ)記念館』に見学に行ったことがある。私が大学一回生の頃だったから、もう十七年も前のこと。『陸奥』は旧日本海軍の戦艦で、『長門(ながと)』の姉妹艦だったのだが、一九四三年(昭和十八年)に謎の爆発を起こし、広島県柱島付近で約千五百人の乗組員を乗せたまま沈没した艦として夙(つと)に知られている。その『陸奥記念館』を、私は祖母をいざなって何の気なしに観て回ったのだけれど、館内から出ると、祖母は腰を下ろして溜息をつくなり「…あねぇなのは(ああいうものは)よぅ見んねぇ…」と小声で呟いたのだった。肩が落ちてしまって、小柄な体を余計に小さくして、しょんぼりと萎れた祖母の姿を見て、私は心底悪いことをしたと後悔したものである。それ以来、私が戦争関連のことを祖母に尋ねることは一切無かった。タブーなのだと思った。  それでもしかし、我々は戦争や原爆について、知りうる限りのことを次代に伝えていかなくてはならないだろう。戦争や原爆の恐怖を、実体験として心の奥に閉じ込めている世代が、もうかなりの高齢になっている。亡くなっていく方々も非常に多い。戦争体験を根掘り葉掘り聞くのが、聞き手にとっても話し手にとってもつらいならば、せめてこうして、当時のことが書かれた本を読まねばなるまい。今を生きる現代人は皆、すべからく、戦乱を生き延びてきた人々の子孫なのであり、どんな人間も、その血脈をさかのぼっていけば、必ず戦争を体験した先祖に行き当たる。なにも、太平洋戦争に限らなくてもいい。第一次世界大戦、日清・日露戦争、ひょっとすると応仁の乱で、生き延びてくれた先祖だってあるかもしれない。その人が戦禍に屈することなく、生きて、命のバトンを渡してくれたからこそ、今の自分があるということを再認識せねばならないのだと、私は思っている。歴史を学ぶとは、そういうことで、自分とは無関係に存在する遠い過去ではないのだ。どんなに幾多の時代が過ぎ去ったとしても、必ず自分の命とつながっている現実だということを、私自身も肝に銘じておきたい。  私も戦争を知らない世代であり、不勉強さが目立つ人間ですので、こんなことをいえる資格は無いのですが、今年も若い学生の皆さん、広島や長崎の地から遠い地域にお住まいの方々、外国からいらした方々など、数多くの様々な方達がピカについて関心を持ってくださいましたことを心から感謝いたします。有難うございました。         平成二十三年四月二十二日 読了

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    投稿日: 2011.08.30
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    このレビューはネタバレを含みます。

    戦争について考えさせられる本だったが、閑間さんは会社の上の人のようなので、もっとつらい思いをしている人もいるだろうと思った。

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    投稿日: 2011.08.29
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    映像や写真で見る以上に被爆直後の町、人の様子が伝わってくる。 年々体験者の方々が亡くなっていく中、惨状を伝える貴重な資料としての価値も大きい。 伝えられてきたことを受け継ぐことにとどまらず、そこから広げていくことがぼくらの使命であり、亡くなられた方の命の価値でもある。 風化させない。 そして教訓を今、そして未来に生かす。 数十年後、福島にもこんな小説が生まれるんだろうか。 そうなっては欲しくない。

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    投稿日: 2011.08.26
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    広島に原爆が落とされた日から数年後、当時の日記を挿入しながら物語は進んでいきます。思った以上に読みやすかったのは作者の筆力に由来するものと、悲観的になり過ぎず当時の状況や戸惑いを描いていることだと思います。悲惨な出来事の後でも人は生きて生活していたことを教えられました。今問題となっている原子力発電は放射能を後世に残さず処理する方法が見つかるまで手を出すべきではなかったと思います。長いこと放置していましたが、読んでよかったと心から思います。

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    投稿日: 2011.08.20
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    一瞬の閃光に街は焼けくずれ、放射能の雨の中を人々はさまよい歩く。原爆の広島――罪なき市民が負わねばならなかった未曾有の惨事を直視し、一被爆者と”黒い雨”にうたれただけで原爆病に蝕まれていく姪との忍苦と不安の日常を、無言のいたわりで包みながら、悲劇の実相を人間性の問題として鮮やかに描く。被爆という世紀の体験を日常性の中に文学として定着させた記念碑的名作。 8月に読むのがいい。しかもちょうどこの時期。

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    投稿日: 2011.08.12
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    読むのが辛くなって、読了が原爆の日に間に合わなかったのが残念・・。 写真や絵を見るのが駄目だったので、文章なら大丈夫だろう、という気持ちで読んだが、それでもきつい描写だった。

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    投稿日: 2011.08.11
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    このレビューはネタバレを含みます。

    自分結構日本の古典を読んでないな~とこの頃実感し図書館で借りてみました。 広島の原爆投下から終戦までが詳細に描かれて、そして広島から離れても後遺症で苦しめられ、さらに周囲の環境の無理解と風評に苦しめられる様が悲観的ではなく、語られています。小学生時代はだしのゲンと言う漫画を読んでものすごいショックを受けたのですがあの漫画を思い出しました。 戦争は悲惨だな。奥さんの日記の広島の当時の食生活の覚書が胸を打ちます。今は飽食の日本、とか言ってますが物を大切にしないと~とか食べ物を大事に食べないといけないとしみじみ思いました。

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    投稿日: 2011.07.21
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    この状況だしね、読みました。 時の政府は教科書の宮沢賢治の詩を改変したって!?あの雨ニモ負ケズを!?信じられない、とは言え今でもしかねないかもなぁなんて思ってしまう。 具体的な事例が沢山。最近の原爆作品はその辺避けるきらいがあるからこれだよって感じです。これだよ。怖いんだよ原爆物は。変に綺麗にしちゃいけないと。 これ読んでいて、ふと今回の被曝手帳とかいつだしてくれるんだろうと思った。ていうかすんなり出すんでしょうか。

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    投稿日: 2011.07.10
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    井伏先生の作品。 タイトルからも分かるように原爆が投下された広島について書かれている。しかし,真っ向から原爆を批判するのではなく,広島で被爆したある一家の日記を淡々と挿入することによってそれを黙々と行っている。哀愁に満ちた作品でした。

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    投稿日: 2011.06.24
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    こんなときだからこそ読んでみた。淡々と原爆投下後の広島が描かれる。 世界唯一の原子力爆弾を落とされた国として、こんなにひどい経験を忘れて、原発乱立の道を進んでしまったのだろう。 つらい過去だけれど、目をそむけないで一読するべき本だと思う。

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    投稿日: 2011.06.07
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    いきなり大惨事に巻き込まれる恐さ、原爆の恐ろしさ、命の尊さを改めて心に刻ませる一冊。こんな時だから。

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    投稿日: 2011.04.23
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    原爆投下当時の広島の凄惨な風景を書いた作品です。 近代文学ですので、所々の生活描写など、詳細まで書いてありますし、その当時の悲惨な情況がありありと伝わってくる、読後感が陰鬱な作品です。 歴史としても当然読めますし、物語としても読みやすく、ここまで真っ向と原爆について語られている小説は、あまりないかと思います。

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    投稿日: 2011.03.30
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    教科書等で幾度も紹介され、誰もが知っている小説ですが、内容は思っていたものとは少し違いました。 原爆批判や原爆症と闘う小説、というよりは、八月六日から敗戦までの庶民の生活を丁寧に書いた小説です。 凄惨なこと、常軌を逸したことをあまりにも淡々と描くので、思わず目を疑い読みなおすことが幾度かありました。広島が故郷の著者が、感情を抑え、激することなくあったままを書くことに、どれほどの忍耐を要したのかを想います。 当時の体制を穿ったり批判したり、専門的なこと啓発的なことは書いていないので、読まないでも生きていく上で問題はないし歴史観や人生に影響することもないかもしれません。ただ私は読んで本当に良かったと思います。 「読者の義憤は被災者の憤りや訴えによって惹き起こされるのではない。彼等の受動的な忍苦が、この感情を唆るのである。」 巻末の河上徹太郎のエッセイが補完的役割も担っていてすごく良いです。他者による解説を載せることの重要性を再認識しました。

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    投稿日: 2011.03.30
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    被災者・被爆者として向けられる他者の目について考えてみる。 真実はどうであれ、同情も蔑視も受けてしまえば、一方的過ぎて覆すのが難しい。

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    投稿日: 2011.03.21
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    戦争のもたらした悲劇。 原爆投下後の現状。 淡々とした文体の中に当時の現実が詰まっている作品です。 井伏の意図を知るために元素材となった『重松日記』と是非比較して読んでもらいたい。 元が実際に原爆投下を体験した方の日記なので、苦手な人には苦手なグロい表現も多々あるのでその辺りは注意。

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    投稿日: 2011.02.18
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    校庭にチューリップ畑があると思ったら死体が山積みになってたっていうのが衝撃だった。 「正義の戦争より不正義の平和がいい」 間違いないと思った。記念碑的名作!

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    投稿日: 2011.01.25
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    父が長崎原爆の被爆者なので、気になってたし。 http://surikomi.blogspot.com/2010/09/blog-post_16.html

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    投稿日: 2010.12.13
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    人によっては読みきるのは大変かもしれないが、読むべきであると思う。特に戦争を全く想像できない世代に読まれるべき。

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    投稿日: 2010.11.20
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    原爆が落とされた頃に広島を生きた人達の話。歴史としてではなくある日の出来事として描かれる原爆が印象的だった。

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    投稿日: 2010.09.29
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    地獄絵図さながらの原爆投下直後の様子と、そこから続く苦しみと不安と。声高々と戦争と原爆の悲惨さを訴えるのではなく、手記を通じて淡々と語られる記憶。決して知らない遠いどこかの出来事では無い。終戦から65年。何年何十年経とうと読み継がれていくべきだ。

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    投稿日: 2010.09.11
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    ピカドンによる肉体・精神の苦悶と悲しみ。重松の被爆日記、閑間夫人の戦時中の食糧雑記、岩竹医師の被爆日記、岩竹夫人の看護日記他をもとに、悲劇の実相を日常生活の場で淡々と描く、世界文学史上不朽の名作。 何が書いてあるかは分かった。 でも理解し切れなかった。 平和学習したらまた読みたい。

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    投稿日: 2010.09.09
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    生々しくて恐ろしくてなかなか読めない。 被爆者に対して差別があったことは知らなかった。 平和学習よりこの本の方が原爆のことがわかる。 色々考えた。

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    投稿日: 2010.08.06
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    図書館にあり 中央 内容(「BOOK」データベースより) 一瞬の閃光とともに焦土と化したヒロシマ。不安な日々をおくる閑間重松とその家族…彼らの被爆日記をもとに描かれた悲劇の実相。原爆をとらえ得た世界最初の文学的名作。

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    投稿日: 2010.08.05
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    65年目の原爆の日を迎え読んでいます。 やっと三分の一を読み終えました 読むのがつらくなる場面も多いです。 しかし、私達が後世に伝えていかないとね。 唯一の被爆国であり、被爆都市ヒロシマに生きている私としては

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    投稿日: 2010.08.04
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    重松氏が「重松日記」を書き残そうと思い立った直接のきっかけは原爆体験の風化への危機感であった。「重松日記」は本編2冊と続編2冊の計4冊から構成されている。詳細の紹介は今回の趣旨から少し外れるので割愛するが、本編を書き起こし始めたのが昭和20年9月。断続的に書き進めて、昭和24年春から本格的に執筆に着手、約2年間を費やしたという。記録された期間としては昭和20年8月6日から13日までである... 【開催案内や作品のあらすじ等はこちら↓】 http://www.prosecute.jp/keikan/041.htm 【読後の感想や読書会当日の様子などはこちら↓】 http://prosecute.way-nifty.com/blog/2008/08/41_f4dd.html

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    投稿日: 2010.07.06
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    被爆後を舞台に、家族それぞれの被爆手記を引用しながらストーリーが進む。 被爆地を歩き回る緊張感、被爆した姪が結婚出来るかという焦り…生々しい感覚に驚く。 ちなみに、殆どのページを占める、手記が引用という説もあるらしい。 しかしそれが本当だとしても、幾つかの手記を取り纏める手腕は見事。

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    投稿日: 2010.05.26
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    中断。描写が真にせまりすぎで読み進めるのが辛い。 英訳を買ったので、まずこちらを読み終えないと、と再開。「戦争はひどい」といったメッセージを前面に押し出さず、日記の形で悲惨な風景を淡々と語る。悲劇を嘆き悲しむ、というのではなく、とんでもない災害に出くわし、それでも何とか日常の暮らしを保とうと、あくまで会社の任務を果たしたり、他人の世話を焼いたりする人たちが描かれ、かえって不気味。昔読んで印象に残った「ガラスのうさぎ」などとはかなり趣が異なる。 根底には、姪の原爆症、という伏線があり、これが最後、メインになって、助かったはずなのに悲劇が終わらない、助けられたはずなのに助けてやれない、という閑間のやるせなさが読み手に伝わる。ただ、なんか読み終えてアンチクライマックスな印象も残ったかなあ。

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    投稿日: 2010.02.15
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    うら若き乙女が、原爆直後の黒い雨を経験してしまったがゆえの悲劇を描いています。泣いてしまいました。原爆に対する偏見、それゆえに縁談が破談になる様子。そしてついに始まる、ヒロインの後遺症・・・・。心はおかしくなり、夜な夜な体を走る激痛に悩まされる毎日・・・。女性として大事な髪も抜け落ちて・・・。 生々しい原爆描写とその後の生活は、目を覆いたくなるけど、日本人として知るべき内容かと思いました。

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    投稿日: 2010.02.14
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    いわゆる「純文学」と呼ばれるものをあまり読んだことがないので、まずどういったスタンスで読めばいいのかがわからず苦労。 ハラハラドキドキを期待するものでもないし。 なにか推理しながら読むものでもない。 そもそも娯楽小説じゃないから楽しむってことが違うような気もする。 うーん、経験不足。 でも映像とか含め、作り手が何かを伝えようとしている作品って好きじゃない。 「これには現代社会に対するアンチテーゼが込められていて…」とか、 うるさい。しゃべるな。 意味なんかない。 面白けりゃそんなんどうだっていい。 そこから何を受け取るかは人それぞれ。 あとは受け手のみなさんにおまかせします。 それでいい。

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    投稿日: 2010.01.06
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    「一瞬の閃光に街は焼けくずれ、放射能の雨のなかを人々はさまよい歩く。原爆の広島―罪なき市民が負わねばならなかった未曽有の惨事を直視し、一被爆者と“黒い雨”にうたれただけで原爆病に蝕まれてゆく姪との忍苦と不安の日常を、無言のいたわりで包みながら、悲劇の実相を人間性の問題として鮮やかに描く。被曝という世紀の体験を日常性の中に文学として定着させた記念碑的名作。」(裏表紙より) 原爆被爆者とその後の原爆病患者達の話なので、恐ろしい場面や目を背けたくなるような場面がたくさん出てきます。 でも、被爆者の見たこと、体験したこと、感じたことを静かに淡々と描いていて、必要以上にグロさを強調することもないし、感情に傾くこともありません。 不条理な苦しみを突然背負わされて、精神的にも肉体的にも耐え難い状況にあるはずの被爆者たち・原爆病患者たちが、愚痴を言ったり怒りをぶつけたりすることなく、お互いを労わりながら静かに耐えている姿に心を打たれました。

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    投稿日: 2009.10.02
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    『黒い雨』というタイトルで、原爆の話の本だということはわかった。広島や長崎に知っている人がいるわけでもなく、日本の戦争をまったく知らずに、豊かに育ってきたが、近づく「原爆の日」や「終戦記念日」を前に、普段は手に取ることもないこの手の本を読んでみようと思った。吐き気さえ感じるような原爆の悲惨なありさまが語られ、沈んだ気持ちになる。途中で読むことを止めなかったのは、作者の力量と、この国で起こった“体験談”であったからかもしれない。戦争というよりも、その時代の庶民のありさまが語られ、今の時代に生きる自分たちを幸福にも感じた。日本人として価値のある心にとめておきたい本だと思った。

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    投稿日: 2009.07.28
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    一瞬の閃光とともに焦土と化したヒロシマ。 不安な日々をおくる閑間重松とその家族… 彼らの被爆日記をもとに描かれた悲劇の実相。 原爆をとらえ得た世界最初の文学的名作。

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    投稿日: 2009.07.18
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    広島に落とされた原爆の惨事が書かれている。原爆による被害者は、原爆が落とされたその瞬間だけではない。 後々になって原爆の症状が出て苦しむ者、そして並大抵ではない精神的苦痛が描かれている。 原爆〜終戦までに起きたことを思い出しては記録につけている(回想)という形。 日本人・・・だけでなく、世界中の人に読んでほしい小説! 原爆のむごさというと、ついつい爆弾投下時が浮かぶけど、1年たって原爆の被害に遭う人もいる。 被爆者ということで縁談を断られるなど、悲しいこともたくさん怒っていた。 屍体の様子が鮮明に描かれていて、思わず目をそむけたくなるくらい。(臓器がはみ出ている様子など。) それでもこういう事実があったんだー、と知っておきたい。 バスの中のお婆さんに席を譲った少年のエピソードが印象的だったな。 それと被爆者のやけどの傷を、キュウリの汁を塗った治療しかしていないとか(!) あ、あと登場人物が皆けなげで一生懸命。だからなおさら「なぜ一般市民がこんな悲惨な目にあわなきゃいけないの?」と思えてしまうんだろうなー。

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    投稿日: 2009.07.16
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    この本は昭和20年8月6日、広島に原爆が投下され、その時郊外の疎開先にいた高丸矢須子は叔父・閑間重松の元へ行くため瀬戸内海を渡っていたが、途中で黒い雨を浴びてしまったこの時、矢須子は20歳の夏の出来事だった。その5年後矢須子は重松とシゲ子夫妻の家に引き取られ、重松の母・キンと4人で福山市小畠村で暮らした。そこで同じ被爆者で幼なじみの庄吉、好太郎と原爆病に効くという鯉の養殖を始め、毎日釣りしながら過ごしていた。その後さまざまな原爆による後遺症が矢須子を襲う。という話であらためて原爆の恐ろしさを知ることができた。

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    投稿日: 2009.07.15
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    忘備録。 3年前くらいに読了。 広島の原爆の小説。 祖母が実際に被爆者っていうこともあって それについては関心が高かったので。 いやーやっぱり戦争はいけないです。 でも国を守るにはもはや核兵器を 持つしかないのではと思う。 持たざるものはやはり弱いのでは。

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    投稿日: 2009.04.19