
総合評価
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powered by ブクログ確かに文豪が書いた傑作だ。 8/6新聞コラムでこの作品のことを知った。 書店の推薦棚に並ぶのを見て購入。 読み出すと僅かの前振りもなく広島の原爆投下の阿鼻叫喚地獄に引き込まれる。 筆者の渉猟した悍ましい痕跡の数々が痛切を極め、 想像を超えた現実が読者にひたひたと覆い被さる。 臨場感溢れる表現で当該地生活者の得体の知れない恐怖と不安、不条理な絶望を活写する。 広島市内に住む中年夫婦と適齢期の姪の話だ。 彼女は勤労動員中で被爆は避けたが、中心部で直撃された女学生奉仕隊にいたと噂され、見合いの度に原爆症を疑われ破談する。 夫婦は預かっている責任を強く感じ、姪の健康を証明するため原爆投下日以降8月25日までの彼女の日記と自分の記録を清書して見合いの時に交わす健康診断書に添えることにする。 実際に経験したことに見聞きしたことや伝聞も交えた「原爆体験記」である。 赤裸々な描写で読者も渦中に叩き落とされる。 「道端の大きな防火用水タンクに三人の女が裸体に近い格好で入って死んでいた。‥‥逆さになった女の尻から大腸が長さにして三尺あまりも吹き出して、径三寸余りの太さに膨らんでいた。それが少し縺れを持った輪型になって水に浮かび風船のように風に吹かれながら右に左に揺れていた。」 「男が仰向けに倒れて大手をひろげていた。顔が黒く変色しているにもかかわらず時おり頬を膨らませ大きく息をしているように見える。目も動かしているようだ。僕は自分の目を疑った。怖る怖るその骸に近づいて見ると、口から鼻から蛆虫がぽろぽろ転がり落ちている。眼球にもどっさりたかっている。蛆が動き回るので目蓋が動いているように見えるのだ」 ・・・。 戦争文学とりわけ原爆文学の代表作である。 思想やイデオロギーを超えて、細かい丁寧な描写で被爆の実相を恐ろしいほどリアルに伝える。異常が発症しても病名も対処療法もわからない恐怖、同情から差別に変わる周りの目、地獄の淵を彷徨いながら絶命した人、夥しい直爆死の骸・・・。 しばらくして、黒い雨を浴びた姪は原爆病が発症する。不安に耐え医師を変え苦しみながら治療する。 夫婦は奇跡的に回復した人の話に一縷の望みを託して彼女の闘病を助け、必死にもがく。 原爆や原発について更に考えさせる重い小説だ。
1投稿日: 2025.11.01
powered by ブクログ奥付は昭和45年初版、昭和57年30刷。国語の教科書に採用された作品と言うことで購入した記憶がある。同じ広島出身のこうの史代さんの作品を読んで「読まねば!」と思い立った。戦後、主人公・閑間重松の姪の見合い話が次々破談。それは、原爆症の女性かも知れないという憶測が生んだ悲劇だった。書名にもなった放射能を含んだ「黒い雨」や死の灰が、図らずも姪・矢須子の原爆症の引き金になるのだが、重松が姪の誹謗中傷を晴らすべく書いた被爆日記によって、広島の原爆被害の悲惨さを追体験する作品だった。
1投稿日: 2025.10.02
powered by ブクログ渡辺謙さん朗読のオーディブルが素晴らしい。最初から最後まで淡々と静かに読み進められ、その淡々さが恐怖を増します。広島原爆被曝者が長期間にわたり重症に耐え、生き延びる意志を持ち続けたことに感銘を受けました。あの時代を生き抜いた日本人は本当にたくましく賢明でした。私たちもどんなに辛くても、生きたいという希望を持ち続けなければと感じました。
4投稿日: 2025.09.07
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
8月に入り、通勤の主に帰宅途上の車中でオーディブルで聴きました。毎日少しずつ聞いたのですが、ほぼ1か月ほど聴いていたので、紙の小説でも一定のボリュームがあるのでしょう。 主人公のシゲマツ(閑間重松)は、自らも被爆していたが、そのような自分よりも、自分たち夫婦を慕う姪であるヤスコ(矢須子)の縁談のことが最も心配ごとである。 直接の被爆は免れたものの、原爆雲(黒い雲)から降り注ぐ黒い雨を浴びたということから、原爆病に侵されているのだというウワサで、次々と縁談が破談となり、なんとか縁談を成立させたいシゲマツは、原爆日記を記して、ヤスコの身の潔白を証明しようとする。 小説は、広島原爆投下から玉音放送の日(終戦の日)までの重松夫妻の日常を中心に、その日記への記述を通しながらその凄惨さをリアルに描写していた。 この小説のすべてが、戦争、とりわけ得体のしれない新型爆弾の投下後の凄惨極まりない情景の描写で貫かれていた。一瞬の閃光で、訳が分からないまま、目の前のすべての光景が地獄図と化し、すべての建物が崩壊し、至る所に死人が転がっており、全身ケガや焼けどの人たちがうごめいており、助けを求めている。家族の行方が知れず、また家族や知人を失って泣き崩れている。筆舌に尽くしがたい光景とはこのことだろうと思える。 このリアルを伝え残しているだけでもこの小説の価値は大きいが、おそらく現実の何万分の一も伝えきれていないだろうと思う。しかし、読んで(聴いて)、その凄惨さを少しでも知ることに価値があり、意味があると感じる。 1945年の広島、長崎の原爆投下で、その年末の死者数14万人+7.4万人=21.4万人と推計されており、2024年3月末時点での被爆者手帳の保有者数が10万6千人だそうである。 すなわち、何十万人の人を人と思わず、一瞬で葬り去ってしまうような人の魔性とは対象的に、すべてが地獄のど真ん中に引き落とされても、可愛い姪っ子の幸福を願う気持ちはなくなることはないのだという人の善性というものが、強く感じ取れた。 結局、矢須子は黒い雨の影響で、原爆症を発症し、原爆症に侵されているいることがわかる。 それでも重松は、「今、もし、向うの山に虹が出たら奇蹟が起きる。白い虹でなくて、五彩の虹が出たら矢須子の病気が治るんだ」と姪っ子の治癒、幸福への望みを捨てない。 小説でのこの虹の表現が印象的だった。史記に記された不吉の兆候である「白い虹が太陽にかかる」現象が、この原爆投下の前夜に見えたという。 そういう悲惨の前兆である「白い虹」ではなくして、希望を表す「五色の虹」を願う重松の心が、この小説での著者の結論ではないだろうか。
6投稿日: 2025.09.07
powered by ブクログaudible 。井伏鱒二のこの本、いつか読もうと思っていたが渡辺謙が朗読するとわかって飛びついた。 想像以上の内容だった、これまでに読んだノンフィクション、フィクション、広島平和公園の資料館で見た数々の展示品、被爆者の語りなどなど、自分が受け止めていたことをすべてひっくり返すほどの衝撃だった。 原爆や戦争の真実を知りたい人、この1冊できっとわかります。それほどの作品だ。
12投稿日: 2025.08.25
powered by ブクログ戦争を題材にした小説で有名な作品、井伏鱒二さん著「黒い雨」 前々から、それこそ30年前から知っている作品だったが今回初めて読む事ができた。 調べてみれば1966年初刊との事、1945年8月が原爆•終戦の年なので、戦後20年に書かれた作品ということになる。 現在戦後80年、となれば約60年前の作品でありながら、投下された原爆のもたらした凄惨さ、生々しさ、人々の混乱、都市の壊滅状態等々が恐ろしくリアルに伝わってくる。 現実にあった惨劇だけに恐ろしい作品。 それこそ自分が生まれる前の惨劇なのに、人々の声が今まさに真に迫って聞こえるようだった。 現在のように事ある情報が瞬時に得られ、その情報やそれに関連する映像がたくさん残される時代ではなかった。それだけにこの作品の主人公である閑間重松が「被爆日記」と称して書き綴って残してくれたような当時の方々の被爆体験談等がとても貴重だ。原爆を語る上での貴重で価値のある文献史料になる。 著者はそれらの体験談を集め、この作品を書かれたとの事。今現在では貴重で崇高な著書だと思えるが、著者はこの作品を描く事は執筆当時、相当苦しい作業だったのではないだろうか?人々の苦しみや辛さを生々しく余すことなく描くということは、想像するだけで著者の心労を察せられる。 ただやはり、本作品のおかけで戦後80年経った現在を生きる自分達でさえ知りえる事ができている。 原爆によって被爆した人々の声、それは現在戦争を知らない自分達にとって、時が過ぎ戦争体験者が少なくなっている現在、生の声を聞ける事は多くない。ほぼ無いといってもいいくらい。そうなれば今後はこうした作品の価値が今よりももっと貴重なものになっていくだろう。 そうならば今後50年、100年と後世に残していかなければいけない作品だと疑う余地がない。 現代を生きる自分達において、こういう作品は各々の人生の中で読むタイミングやきっかけが必要な作品であることは間違いない。戦争という題材には誰もが好き好んで手を伸ばすといった大衆性という側面を持ち合わせてはいない。 だけど何かのタイミングやきっかけがあった時は迷わずに手にとるべき作品だろう。 自分が今回そうだったように。 多くの人の手と声で後世に繋いでいき、まだこの世に誕生していない後世の人々が何かのタイミングやきっかけがあった時に迷わず選べる作品であってもほしいと願う。 本書にはその価値が存在している。
125投稿日: 2025.08.25
powered by ブクログ全世界の人に読んでほしい本でした。こんなことを繰り返してはいけない。読み終わった後、なんとも言えない、言葉にならない気持ちになって泣けてきました。全世界が平和になってほしい。
3投稿日: 2025.08.18
powered by ブクログ人々は暮らし、生きている。その影から付き纏い、引き裂き、壊し、奪っていく戦争。井伏鱒二氏の文章の書き方から、「人が生きる日常の中に起こっていたことだ」と痛いほど感じた。
2投稿日: 2025.08.14
powered by ブクログオーディブルにて。 8月に入り、終戦記念日に近づくにつれて増えるコンテンツの1つとして読んでみた。年に一度でも戦争について考えるこのような機会は必要だと感じた。 5月にイギリスに行った際、VEデーという終戦記念日があった。イギリスにとっては戦勝記念の晴れやかな日であること、ドイツ降伏の日である5月8日で定めているため、その後日本は3か月間も孤軍奮闘していたことに今更ながら衝撃を受けた。 本作の主人公が言うように、ピカドンが落とされる前に降伏できたのではないか、というのは本当にその通りだと思う。広島や長崎の人は原爆を落とされる必要があったのだろうか。あまりにも大きすぎる代償である。
8投稿日: 2025.08.14
powered by ブクログ★五つです 『白紅、日を貫く』、、、こんな虹は見たくないてす。 井伏さんの作風なのか淡々と話が進み、悲惨な情景がサクサクと描かれ、話が先に進みます。 とはいえ、映画やドラマなどより、井伏さんの描かれる文字の方が悲惨さが伝わります。 玉音放送を聴いている姿は過去映像で観ますが、聴いた直後などは観たことがないので、当時の情感が伝わります。 戦争はダメ
5投稿日: 2025.08.14
powered by ブクログ他の戦争映画に比べて、心がひどく痛むことがなかったのが不思議。自分の想像力が貧困なせいなのか。 一般市民の日常風景が淡々と描かれていて、やたらと戦争を非難する書き方はされていない。 重松が泣いたり喚いたりすることなく、原爆前と変わらず性格がぶれることなく、生活を続けているからだろうか。その点は、妻シゲ子も矢須子も大袈裟に悲惨な顔はしていない。 壁にかかった「撃ちてし止まん」が虚しさの象徴に思えた。広島長崎の人たちは終戦のラジオ放送を呆然と聞いただろう。安心と不毛な気持ちがごちゃ混ぜになったような。 “もう負けていることは敵にもわかっていたはずだ。ピカドンを落とす必要はなかったろう” そのとおりだと思った。 原爆や戦争のことを今まで何も知らなかったので、原爆がどんなものなのか、戦時下の軍の統制、市民の食事など細かい生活事情が知れて勉強になった。
3投稿日: 2025.08.13
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
戦時中であれ存在していた「日常」を原爆は無残にも奪い去った。日記形式で語られる被爆後の広島の様子はとても惨い。 閃光は一瞬だが、戦後数年経っても日常を侵し続け、黒い雨を浴びていた主人公の姪はついに原爆症を発病してしまう。 主人公が虹に祈りを託す場面で物語は幕を閉じる。姪はその後どうなったのだろう。悲しい運命の想像ばかりが頭を過る。 市井の人の視点且つ、抑えた筆致だからこそ余計に悲惨さが伝わるし、反戦の直接的な表現が無いにも関わらず、作者の抱く怒りや悲しみが全体から浮かび上がる。原爆の恐ろしさを今に訴える不朽の戦争文学だ。
25投稿日: 2025.08.12
powered by ブクログ黒い雨 著者:井伏 鱒二 ナレーター:渡辺謙 原爆被爆者の散々たる情景を描いた作品。 被爆者達の生々しい傷の描写には顔を顰める事もあったが、後世へ伝えてく為にも必要な作品だと思った。 昔の言い方で書かれてるので、個人的に理解するのが難し箇所があった為、現代語訳で聴けたらもっと理解が深まりそうだと思った。 戦争は今後ともない事を心から祈る。 ------------- サマリー(あらすじ)・コンテンツ: 一瞬の閃光に街は焼けくずれ、放射能の雨のなかを人々はさまよい歩く。原爆の広島――罪なき市民が負わねばならなかった未曾有の惨事を直視し、“黒い雨”にうたれただけで原爆病に蝕まれてゆく姪との忍苦と不安の日常を、無言のいたわりで包みながら、悲劇の実相を人間性の問題として鮮やかに描く。被爆という世紀の体験を、日常の暮らしの中に文学として定着させた記念碑的名作。野間文芸賞受賞。 ------------- 読了日:2025/08/08
14投稿日: 2025.08.12
powered by ブクログ夏には必ず昭和の戦争を題材にした本を読むことにしている。 井伏鱒二「黒い雨」。映画にもなりました。 普通の市民の手記という形で被爆の状況やその後の悲惨な生活を綴る。 この歳にして今更のことではあるが、あらためてその恐ろしさ、愚かさを知る。 「原爆投下が戦争を終結させた」とか「核武装が最も安上がり」などと口走る方々に読ませたい。
4投稿日: 2025.08.11
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
読書レヴュー:https://note.com/futen_seisuke/n/n4844eaa27dcc 一寸さきは地獄だぞ。焼け死ぬぞ。 一瞬の閃光に街は焼けくずれ、放射能の雨の中を人々はさまよい歩く……。罪なき広島市民が負った原爆の悲劇。その実相を精緻に描く名作。 一瞬の閃光に街は焼けくずれ、放射能の雨のなかを人々はさまよい歩く。原爆の広島――罪なき市民が負わねばならなかった未曾有の惨事を直視し、“黒い雨"にうたれただけで原爆病に蝕まれてゆく姪との忍苦と不安の日常を、無言のいたわりで包みながら、悲劇の実相を人間性の問題として鮮やかに描く。被爆という世紀の体験を、日常の暮らしの中に文学として定着させた記念碑的名作。
1投稿日: 2025.08.02
powered by ブクログ戦争文学としてあまりにも有名な井伏鱒二の『黒い雨』 戦後80年だしと思ってようやっと手を出したのであった。小学校のころから知っていた作品だけど『黒い雨』というタイトルが禍々しすぎてずっと読まずにいた 『黒い雨』を読み、戦争の終わりが必ずしも平和の始まりではないことを痛感した。原爆投下の惨状は、日記を書き写すという形で再現され、過去の記録と現在の生活が交錯しながら物語が進む。その構成が出来事の記憶とその影響がなおも続いていることを強く印象づける。被爆による病や偏見、婚姻問題など、原爆が奪ったのは命だけでなく、人としての未来そのものである。これからも日本が唯一の被爆国であるべきだと強く思う。同じことを他の国の人たちは経験しないでほしいし、する必要は絶対にない 2024年ノーベル平和賞には日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が受賞した。それほどまでに核兵器は脅威と恐怖の象徴であり、「核兵器のない世界の実現を目指して尽力し、核兵器が二度と使われてはならないことを目撃証言を通じて身をもって示してきた」活動が受賞に値する活動であることを認められた 核兵器は廃止されるべきだし、核兵器禁止条約に署名するべきだと思う。過去の悲劇として片づけず、今も問いかけ続ける一冊である
4投稿日: 2025.07.23
powered by ブクログ描写が壮絶すぎる。 原爆が落とされた時からの状況を日記として淡々と事実だけを述べている。 そうしたことにより、内容は本当にリアルで日常の中にあり、生き延びた人の苦悩も伝わってきた。 火葬場の問題は想像さえしていなかった。非日常的な死が日常になってしまう怖さが強く感じられた。 山崎豊子の二つの祖国でも広島の描写は出ていたが、あちらは政府、こちらは一般市民と補完することでより当時の状況を知ることができる。
16投稿日: 2025.05.03
powered by ブクログ井伏鱒二の短編は大好きなのである。 『黒い雨』は原爆後の黒い雨を浴びた姪の縁談が決まらない叔父が語る小説と聞いていたので、井伏鱒二が黒い雨を浴びてしまった若い娘の不安や恐怖や焦燥をどのように描くのだろうか、まさかエモーショナルに書くのではないだろうな、いやしかし広島出身なんだから故郷の人々の苦しみを伝えるべく、鱒二らしからぬ頑張りを見せたのではないか、などいろいろ考えだのだが、読んでみたらまことに鱒二らしい作品だった。 つまりとても淡々としていて、エモーショナルなところはほとんどない。 結婚が女の人生のゴールだった時代、ほとんどの人が結婚していた時代に、結婚したいのにできない辛さというのは、人生を完全否定されたようなもので、その理由が被爆というのはやりきれない。しかし、いくらでもエモーショナルに書ける題材も、鱒二は淡々と描く。被爆した人々、動物、植物、建物のエピソードの中に、姪の矢須子のエピソードは埋没しそうに弱い。矢須子も被爆した人々のワンオブゼムに過ぎないことが、意図したことかそうでないのかは測りかねるが伝わってはくる。 大きく力強い物語を期待する人には大いに肩透かしの作品ではある。『はだしのゲン』の方がよっぽど衝撃的である。 しかし、これが戦争の、被爆の実情ではあっただろうとも思う。どの生き物も理不尽でとてつもない苦痛を強いられた。どんな属性かは関係ない。それが全てである。 物語の牽引力を期待する人にはガッカリな小説だが、まことに井伏鱒二らしい、ある意味とても公平でリアルな小説である。
5投稿日: 2025.03.17
powered by ブクログ原爆を落とされた広島で自分が、周囲の人々が被爆した、戦争小説。これは辛い。 淡々とした調子なので、被爆直後の表現はちょっと抑えめに感じるけど、それでも残酷で想像に堪えない悲惨さ。 中韓は戦争きっかけで、今だに反日とか言ってるけど、原爆なんて非道な兵器を落とされて反米にならない日本ってちょっと不思議。まあ自分も反米主義ではないけど。 ちなみに原爆を開発した人達に、この兵器は使用すべきかと問うたところ、9割が反対したとか。
4投稿日: 2025.03.11
powered by ブクログ名作と評価の確立している原爆文学を読了。 市井の人の視線で原爆投下後数日の広島での様子がつづられる。感情的でもなく、政治的でもなく、市井のまじめな人々がみた広島の報告である。 読む前は、悲しみとか怒り、理不尽さが訴えられているかと想像していたがそうではなく筆致は淡々としたものだった。 あとは読者がどう感じ何を考えるか、か。
3投稿日: 2025.02.24
powered by ブクログ息子の中学の課題図書として購入したためついでに読んでみました。 読んでいる間にちょうど広島出張も重なり広島の現地でこの作品を読むことが出来 80年近く前の広島に思いをはせました。 本当に市内は川が多くて橋だらけだなぁとそんなことを思いました。 今まで原爆については「はだしのゲン」や修学旅行での被爆者の講演など で聞いたくらいの知識しかありませんでした。 黒い雨は当時の日記形式で語られるため(どこまで真実か分かりませんが) リアルに市井の人々の状況を想像することが出来ました。 特に火事が酷い状況で沢山亡くなった方もいたんですね。 確かに当時は木造住宅も多いですしとんでもない熱で熱せられたら 手が負えなくなるのはよく理解できます。 さらに放射能による影響など当時の人は考えてもいなかったでしょうから 原子爆弾というのは本当に非人道的な兵器だと再認識しました。 そして個人的に印象に残ったのは物語の最終版の戦争末期に軍医として 徴兵された方の日記です。 当時の日本軍の内部の壮絶なしごきの描写が非常に怖かったです。 徴兵されていきなり戦争末期までなぜ志願しなかった お前たちはクズだみたいな訓話から始まり人間として扱われない状況に なんか絶望を感じました。 原爆も怖いですが、全体主義的な世の中というのも怖いですね。
3投稿日: 2024.12.13
powered by ブクログ広島に落とされた原爆のさなかに居た、庶民の悲惨な姿を丁寧に描写された文章が、とても素晴らしい。 かと言って決して希望を見失わない情景もあり、余計に悲しさを誘うものであると、感じられました。 戦争文学の頂点とも言える作品に仕上がっているのではないでしょうか。
3投稿日: 2024.11.20
powered by ブクログメモ→ https://x.com/nobushiromasaki/status/1848360179156562266?s=46&t=z75bb9jRqQkzTbvnO6hSdw
0投稿日: 2024.10.21
powered by ブクログ原爆犠牲者の話。原爆投下からの当時の広島市の凄惨たる状況が克明に描かれており、読んでいていたたまれない気持ちになった。広島に旅行したことがあるが、その当時の状況からよくあそこまで繁栄した都市を作ったなと思う。原爆という兵器だとまだ知らされていない市民たちはピカドンとそれを呼びその威力に恐れをなして、さらに通常の爆弾ではみられないような症状(下痢、激しい火傷、脱毛、歯の脱落)に対してどうすることもできない無力さが伝わってきた。また戦時中の食事や配給についても言及されており、こんな貧しい生活を強いられていたのかと改めて思い知らされた。 矢須子は原爆投下時には市内にはおらず直接の被曝はしなかったものの、投下後身内の安全を確認するために市内へ行きそこで原爆後の雨(黒い雨)に打たれたことでしばらくしてから原爆症が出てきてしまい、決まっていてた縁談もなくなるという悲惨な人生でこちらが悔しくなった。
1投稿日: 2024.10.19
powered by ブクログ8月6日の原爆投下の瞬間から、主人公だけでなく様々な被爆者たちから語られた想像を絶する惨状に言葉が出ない。8月6日以降広島の街がどんな状況だったのか、そこに住んでいた人々は死者から生き残った人々までがどのような苦しみを味わったのか、戦争を知らない私が初めて知る市井の人々の生の声が記されていた。平和記念資料館では隅から隅まで資料を熟読した訳ではないが、そこだけでは知り得ない当時の人々の暮らしも詳細に書かれている。悲惨という言葉では言い表せないほどの死体の山の描写に、感覚が麻痺してうまく想像も働かなかった。 原爆症の症状が出ていなかった矢須子の縁談が反故にされるなど、目に見える症状だけでなく日本人同士での差別も生み出され、原爆は想像よりも遥かに甚大な被害をもたらしていたことを知る。原爆症についてはほぼ知識がないため、関連本も併せて読んでみたい。
5投稿日: 2024.08.30
powered by ブクログドキュメンタリー、写真、映像などで当時の様子を見聞きする機会は多々あるけれど、特定の人物、家族について、原爆投下後の一定期間どのように過ごすことになったのかを、生活レベルまで落とし込んで読めるという点で貴重。
2投稿日: 2024.08.24
powered by ブクログ原爆が投下された広島で、そのとき暮らしていた市井の人々がいかように阿鼻叫喚の地獄を過ごしたかが克明に描かれている。 本作の主人公は、閑間重松・シゲ子夫妻と、その姪である矢須子の一家三人。 矢須子はだいじなお見合いを控えているが、被爆していないということを相手方に証明するため、重松が当時の日記を書き写すことになっている。 日記でふりかえる過去と現在を行き来する形で話は進んでいくが、やがて矢須子に異変があらわれてきて……。 「今、もし、向うの山に虹が出たら奇蹟が起る。白い虹でなくて、五彩の虹が出たら矢須子の病気が治るんだ」 原子爆弾が投下されたあと、長く長くつづく苦しみはどれほどのものなのか。 後半に挿入される広島被爆軍医予備員・岩竹博の手記も、短いながらに衝撃の凄絶さだった。 当時の日本で実際に起きたことであるのに、平和な今では戦争の被害や恐怖を想像することは難しい。けれど、読むことに大きな意義がある作品だと強く感じた。
6投稿日: 2024.08.22
powered by ブクログ庶民から見た原爆とは何かを率直に表現したもので、戦争を知らない世代が丁寧に読むことに意義があると思う。
2投稿日: 2024.08.17
powered by ブクログ日記形式で淡々と綴られる当時の惨状に より一層の痛々しさや恐怖を感じる。 8月6日に読むことに意味があると信じて。
0投稿日: 2024.08.06
powered by ブクログ原子爆弾による被害ということは漠然としたイメーションでしかないものであった。しかし、今回の文学作品でそのイメージは変わった。 たった1発で市民の街が戦場に変わった。直接的な被害だけでなくその後に発生した「黒い雨」による間接的な被害によって日常が崩壊した。 この21世紀において先進国が戦争をし、互いの市民社会を破壊し合う。そして、核爆弾の使用をちらつかせる。我々は歴史から何も学んでいない。
3投稿日: 2024.08.01
powered by ブクログ初井伏。読了まで十日ほど掛かった…サラッと読める内容でもないし、読んではいけないと思う。原爆投下の瞬間、強烈な光と音、そして爆風。淡々と描写されているのに、胸に迫ってくるこの思いは一体何なのか。怒り、悲しみそれとも…。焼け野原となった広島の惨状は目を覆いたくなるほどでした。こんなことが実際にあったなんて信じられない…まさに地獄絵図。唯一の光は重松、シゲ夫妻と姪・矢須子の存在だ。しかし、その光さえも最後は——。戦争とは何なのか・・考え続けていかなければならないなと思いました。
5投稿日: 2024.05.19
powered by ブクログ何人という命を一瞬にして奪った原子爆弾。教科書の1ページや毎年その日のテレビで追悼の様子を見るくらいしかなくて、よっぽど私にとっては9.11のテロのほうが刻まれている。 この本を読んで初めて惨さや切なさを感じた。 今の私になにができるわけではないけど、日本人としてちゃんと受け止めるべきだと思った
3投稿日: 2024.01.23
powered by ブクログ太平洋戦争中の日常生活と、「原爆」という未曾有の体験を並列に描くことで、あらためて核兵器の凄惨さを際立たせている。 当時の人々の生活様式や、被曝直後の広島の街が生々しく描写され、正直かなりきつかった。 限りなく地獄に近い世界。 両祖父母が被爆者であり、広島の街に生まれ育った自分にとっては特別すぎる小説。 命を繋いでくれた祖父母に感謝すると同時に、平和への願いを後世に受け継いでいこうと感じた。
1投稿日: 2024.01.17
powered by ブクログ意外と掴みどころが無い井伏鱒二の作品の中で、本作は克明な描写と確かなリサーチが合わさったかなり骨太な作品。 第二次世界大戦につき記した作品が林立する中、原爆と被爆者に触れた本作は戦争文学の金字塔と称されている。 内容的なヘビーさを排して、言葉選びが平易でとにかく読みやすさが目に付いた。 当時の惨状・敗戦の歴史を後世に伝えなければならない昨今、間口が広いこの作品が文学的に重要である事は間違いない。
16投稿日: 2023.11.28
powered by ブクログ原爆投下後の個人の日記という設定だが、被害の描写が克明で頻繁で、なかなかストーリーがすすんでいかない。肉体への被害は多種多様に描かれているが、決して十分な生活とは言えないだろうが、食事したり出勤したりする人がいたことは意外だった。 こんな兵器があと何発、日本に落とされるのだろう。 確かに歴史として受けていない人たちは、そんな恐怖を感じていただろうと思わせる言葉
1投稿日: 2023.11.12
powered by ブクログ日記形式で、主人公の体験が描かれている。 広島の原爆投下から終戦までが詳細に描かれている。 悲惨な状況が伝わってきて読んでいて痛々しかった。 原爆症についても、被爆直後ではなく時間が経ってから症状が現れるということも改めて身に染みた。 「夕飯は美味しかった。主食は麦飯七割にフスマ三割の混合だが、副食は石炭統制会社へ土産にしそこねた罐詰の牛肉である。こんな甘美な味のものを僕は絶えて久しく食べたことがない。重厚な感じの鼈甲色の肉、とろりとした琥珀色の汁、唾液を誘出させるその匂がたまらない。手拭で頬被りをしなければ頬が飛んで逃げそうだ」(p226) という描写が当時の食糧事情をよく表している。 頬被りをしなければ頬が飛んで逃げそうだという表現に主人公の喜びが手に取るようだ。 多くの人々が同じような苦労をした戦争、そして原爆。 二度と同じ過ちを犯してはならない。 そのためには、当時あった出来事を忘れないことである。 読んでいて決して楽しいものではないけれど、時々戦争に関する本を読もうと思う。
1投稿日: 2023.09.05
powered by ブクログ2度目の広島訪問を前にして、それをより意義あるものとしたくて手に取った。 戦時下の淡々と進んでいく日常生活を破壊した原爆。しかしその中にあっても日常を生きる他ない、生き残ったものたちの現実が描かれていた。 戦争を直接は知らない私は、東日本大震災の惨事やコロナ禍の窮屈な生活と絡めて読んだが、戦争は人為的に引き起こされるもの。なぜそれを止めることができないのか。歴史から学べない人間の愚かさを思った。
5投稿日: 2023.08.29
powered by ブクログ戦時中という非日常の中で日常を営んでいる所に落ちる原爆。 姪のお見合い成就の為、当時の有り様を日記に落とし込む形で再現している。 正直、現実味がわかないくらいの出来事が現実に起こっていた。 そして現代でも起きないとは限らないという潜在的な危険が世界にはあるってことを改めて思い出した。 仮に今この様なことこ起きたとき、生き残るのは難しいなと思えるくらいには平和ボケしてる自分を認識した。
3投稿日: 2023.08.15
powered by ブクログ生まれ育った街が燃えても、家族や友人や恋人が死んでも、淡々と生活を続けねばならない市井の人たちの描写がこの出来事の悲惨さを強調しているようで辛く、休み休み読んだ 夏に繰り返し読むだろう
1投稿日: 2023.08.06
powered by ブクログ梅雨が明けて夏が来ると読みたくなる、いや、どこか「読まなければ」という義務感に駆られて繰り返し読んでいる一冊。 声高に「反戦」や「No moreヒロシマ・ナガサキ」を訴えるのではなく、淡々と、市井からの目線で1945年8月の広島を描いているところに、静かな凄みのようなものを感じる。
1投稿日: 2023.08.02
powered by ブクログ原爆投下直後の広島の様子が克明 正常性バイアス? 淡々と現実を受け入れている 当時の人々の様子 読んでて苦しいけど引き込まれる ブックオフ妙興寺店にて購入
1投稿日: 2023.07.17
powered by ブクログ原爆が広島に落とされた日から月日が経っても苦しめられている人々の事を改めて思い知らされる。 目を背けたくなる描写はあるが、多くの戦争を知らない人々に是非読んでもらいたい。
1投稿日: 2023.07.16
powered by ブクログ日常の底にいつも沈められている、人間の狂気は正義ですらある。 僕らが立っているこの大地のすぐ下には、いつ起き出すかわからない猛獣を飼っているようなものだ。 手懐けていた家畜はいつのまにか手に負えぬ代物になっていて、飼っていた人たちだけさっさと逃げる用意をしていて、なにも知らないひとたちが逃げ遅れる。 エネルギーや核兵器の問題は誰も解決できなくなっている。文明は繁栄と平和で作り笑い。 正義の戦争より不正義の平和の方がましじゃ とはよくゆうたもので。 それもそれでがんじがらめになってます。 以下、ネダバレですが、核兵器をつかえる立場の人には必ず読んでほしい。 そしてこの本を核兵器のボタンの横において置くこと。 ↓↓↓↓ (子供は)柘榴の実の一つ一つに口を近づけて、ひそひそ声で「今度,わしが戻って来るまで落ちるな」と言い聞かせていた。その時、光の玉が煌めいて大きな音が轟いた。同時に爆風が起こった。塀が倒れ、脚立がひっくり返り、子供は塀の瓦か土かに打たれて即死した。
5投稿日: 2023.06.30
powered by ブクログ後世に、絶対に残さないと行けない作品。 戦争は絶対に起こってはいけないことを、特に若い人たちにこの本を読んで、感じてほしい。
15投稿日: 2023.06.22
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
面白い話ではない。しかし、何十年経っていてもこの小説の文章を読めば、重松が見たような光景や生活を思い描けるような話になっているところがすごい。 原爆症と診断されていないのに原爆症だと噂されて結婚が遠のいてしまう姪っ子のために、証拠の日記を相手方に示そうと当時の記録を追っていく話。戦後と昭和20年8月5日〜15日までをいったりきたりする。 重松は姪っ子の縁談がどうにかうまくいかないものかとすごく気を揉んでいる。どうしてあんな噂なんか信じるのか、最近は特に可愛くなってるし良い子なのに・・と、心の中でヤキモキしてイライラして、奥さんすぐ隣の部屋にいるのに「おいシゲ子、わしの日記を出してくれ」と急に大声で呼びかける。 おっさんが突然デカい声を出す現象はこれだったのか。気持ちは分かるけどびっくりするのでやめてほしい。 痛々しい場面になる度に一回小説から離れたくなるので数ページ読んで、置いて、数ページ読んで、置いてを繰り返した。なかなか読み終わらなかった。 しかし、重松をはじめ、なんとか奮闘し続ける人たちの話が盛り込まれているので、少しずつでも読み進めたい話になっているようにも思う。 ただ、普通では考えられない死に方、怪我、内部から生き物が破壊されていく得体の知れない怖さはずっと付きまとってくる。 後半、臭かろうが姿形が変わろうが、身内としては生きてほしい、奇跡が起こってほしい、と願って捜しまわってその後も看病し続けるエピソードが、怖ろしさに怯む以上にどうにかなってくれないかと願うものなんだと逞しかった。爪の先程も悲惨さは及ばないけど、根本的な気持ちは変わらないのだと、自分の経験と重なるように思えて涙が出た。 過去に何度も読もうとして挫折していた本。多分、火傷とか虫とかグロテスクなところばっかに目がいってて何も分からず最初の方までしか読めてなかったんだと思う。やっと読み終える事ができた。確か原爆関係の本で、「いいご身分ですなぁ」と嫌味を言われるシーンがあったなと薄っすら記憶していたものもこの本だった。
23投稿日: 2023.04.04
powered by ブクログサンマの肝みたいな一冊。極上の脂をまとった白くふっくらとした身を陽とするなら、血生臭くどろりと黒い肝が陰。そして両者は隣同士で接する位置にある。ただ思い切って味合えば、肝特有の苦味の中にサンマの本質とも言うべき滋味も感じることができる。 ひたすら戦争と原爆のエグさ、そしてその後遺症についての生々しい描写が続く。原爆の恐ろしさについて触れた文学作品って数多あるんだろうけれど、井伏鱒二がこれを出したことに大きな意味があると感じる。彼ぐらいのネームバリューがあれば「井伏鱒二読んだことないからいっちょいってみっか」という私のような素人に、あらためて戦争について考えさせることができるので。特にこんな時代だからこそ、戦争体験の後世への伝達ツールとしてきちんと機能する読みやすさだし、あらためて教科書とか課題図書とかにしたらいいと思うよ。ほんとマジにマジで。 印象的だったのは、原爆投下直後の広島で必要になったあらゆる物資の中に「お経」があったこと。身近な人間がバタバタ死んでいくような悲惨な状況下で、その尊い死を軽視せず尊厳を与えたこの行為はどれだけの人に安堵を与えたのだろうね。飢えを凌ぐための食糧品以上にもしかしたら価値があったんじゃなかろうか。戦後を生きなければならなくなった残された人たちにとっては何よりの精神安定剤だったんじゃないかなぁ。 下記は印象に残った本文の抜粋です。 広島は焼けこげの街、灰の街、死の街、滅亡の街。累々たる死骸は、無言の非戦論(15頁) 戦争はいやだ。勝敗はどちらでもいい。早く済みさえすればいい。いわゆる正義の戦争よりも不正義の平和の方がいい。(205頁) 矢須子は次第に視力が弱ってきて、絶えず耳鳴りがするようになったと云っている。はじめ僕は茶の間でそれを打ちあけられたとき、瞬間、茶の間そのものが消えて青空に大きなクラゲ雲が出たのを見た。はっきりそれを見た(279頁)
1投稿日: 2023.02.26
powered by ブクログ正義の戦争よりも不正義の平和の方がいい。 辛い描写も多く、読むのがなかなか進まなかったが、日本人として後世へ伝えなければという使命感のみで頑張って読み進めました。
1投稿日: 2023.01.31
powered by ブクログ面白かったし読みやすかったが、何かページが進まなかった。重いテーマのせいか、過去の振り返りの手記が多くそれに閉口したのか?原爆と戦争の恐怖を伝え続ける小説としての価値は高いと思う。
3投稿日: 2023.01.08
powered by ブクログ戦争はやはりやってはいけないと教えてくれる本 耳にうじ虫がわく兵隊さんの話などがすごく印象に残った。 戦争は恐ろしい。 核爆弾の怖さが淡々と書かれていた。
3投稿日: 2022.11.21
powered by ブクログ「八月六日の午前八時十五分、事実において、 天は裂け、地は燃え、人は死んだ」 日本人として、読みたかった。 叔父は姪の幸せを望み、姪は結婚に胸膨らませ、 皆ただ、生きようとした。普通に普通に普通に。 無作為に汚された雨が、街が、それを許さない。 「きみたち日本人は、アメリカにこれほど残虐な目にあわされて、腹が立たないのか」 Ernesto “Che” Guevara —25th july 1959, Hiroshima 2022年8月6日原爆死没者名簿に4,978名が追加。 累計333,907名。 戦後77年。 〝戦後〟ってなんだろう。
3投稿日: 2022.11.10
powered by ブクログ「井伏鱒二」が広島への原爆投下から数年後の被爆者の苦悩を描いた作品『黒い雨』を読みました。 「原民喜」の『夏の花』に続き、原爆関係の作品です。 -----story------------- あの20世紀最大の悲劇を、坦々と、静かな語り口で後世に伝える――小説の力だ。 一瞬の閃光に街は焼けくずれ、放射能の雨のなかを人々はさまよい歩く。 原爆の広島――罪なき市民が負わねばならなかった未曾有の惨事を直視し、“黒い雨”にうたれただけで原爆病に蝕まれてゆく姪との忍苦と不安の日常を、無言のいたわりで包みながら、悲劇の実相を人間性の問題として鮮やかに描く。 被爆という世紀の体験を、日常の暮らしの中に文学として定着させた記念碑的名作。 ----------------------- 雑誌『新潮』で1965年(昭和40年)1月号より同年9月号まで連載され、連載当初は『姪の結婚』という題名であったが、連載途中で『黒い雨』に改題されたそうです… 被爆者「重松静馬」の『重松日記』と、被爆軍医「岩竹博」の『岩竹手記』を基にした作品なので、「井伏鱒二」の創作ではなく、実際の体験に基づく日記・記録によって書かれたルポルタージュに近い作品です、、、 主人公の名前は『重松日記』の著者「重松静馬」の氏名を逆転させた「閑間重松(しずま しげまつ)」という名を使ってあるし、『岩竹手記』の著者「岩竹博」の名は、そのまま使ってありましたね。 広島市への原子爆弾投下より数年後の広島県東部の神石郡小畠村… 「閑間重松」と「シゲ子」の夫妻は戦時中広島市内で被爆し、その後遺症で重労働をこなすことができない、、、 養生のために散歩や魚釣りをすれば、口さがない村人から怠け者扱いされるような状況… そんな中、「重松」は、同居する姪「矢須子」のことで頭を痛めていた。 「矢須子」は、婚期を迎えているが、縁談が持ち上がるたびに被爆者であるという噂が立ち、縁遠いままなのである… 1945年(昭和20年)8月6日朝、「重松」は広島市内横川駅、「シゲ子」は市内千田町の自宅でそれぞれ被爆したものの、「矢須子」は社用で爆心地より遠く離れた場所におり、直接被爆はしていない、、、 しかし、縁談が持ち上がるたびに「市内で勤労奉仕中、被爆した被爆者」とのデマが流れ、破談が繰り返されていたが、そんな折、「矢須子」にまたとない良い縁談が持ち上がる… この話をまとめたい「重松」は、彼女に厳重な健康診断を受けさせたうえで、「矢須子」が原爆投下時、広島市内とは別の場所にいたこと(=被爆者ではないこと)を証明するため1945年(昭和20年)8月当時の「矢須子」や自身の日記を取り出して清書しようとする、、、 しかし実際には、「矢須子」は「重松夫婦」の安否を確かめるため船で広島市に向かう途中、瀬戸内海上で黒い雨を浴びていた… しかも再会した「重松」らと燃え上がる広島市内を逃げ回ったため、結果として残留放射能も浴びていたのだ。 この事実を「重松」が書くべきか悩んでいる折、「矢須子」は原爆症を発病… 医師の必死の治療もむなしく病状は悪化し、縁談も結局破談になってしまう、、、 1945年(昭和20年)8月15日までの日記を清書し終えた「重松」は、空にかかる虹に「矢須子」の回復を祈るのだった。 私は、芸備線沿線の山村で育ったので、芸備線沿いの矢賀や戸坂、矢口、下深川、三次(当時の駅名は備後十日市)、塩町、庄原等の駅名や地名は懐かしかったし、とても身近に感じられましたね、、、 出てくる町や村がリアルに想像できるので、他人事には感じられず… それだけ、身につまされるとともに、辛さや哀しさが生々しく感じられた作品でした。 71年前に故郷で起こった悲惨な出来事… 被爆地出身者のひとりとして、この事実を忘れてはいけないんだと強く感じた作品でしたね。
1投稿日: 2022.09.29
powered by ブクログ今ウクライナで戦争が起きている。この小説の中でも広島に原爆が落とされ未曽有の惨事が戦争という形で描かれているところは共通だ。だから戦争は止めていかないといけないと思う。正義の戦争より不正義の平和、地獄絵図が現実で起きている、新型兵器、悲惨な街、人々の様子は痛いほど分かった。読み進めていくのが辛いシーンもあった。
1投稿日: 2022.08.13
powered by ブクログ新潮文庫の100冊にて選んだ。司馬遼太郎が影響を受けたと言われる作家、井伏鱒二の代表作。昭和20年8月6日午前8時。日本人なら学校で誰もが教わる、広島へ原子爆弾が投下された日。 本編から言葉を借りると「光の玉が煌めいた瞬間」、市井の人々はどのような朝を過ごしていたのか。戦後も数年になる頃、主人公重松は姪の矢須子の縁談のために「被曝日記」と称し、落ちた直後の2キロ地点での状況、10キロ先での状況、当時の食生活などを6日朝の被曝から15日正午のあの放送までを振り返る。 戦後、原爆症を抱えながら生きる重松を通して前半は広島での惨憺たる状況を目の当たりにし、後半は被爆者の、原爆症による体の痛みや苦しみ、確実な治療法もない中看病し続ける人々を描いている。 前半部の、灼熱の焼け野原でその辺に死体が転がっている状況が「地獄とはこんな所だろうか…」と思ったりして最初はかなりしんどかった。が、焼跡を歩いて回りながら市中を観察する重松と一緒に、読んでいるこっちもだんだん麻痺してきて人の死に慣れてきてしまう。読後、冷静に反芻していると実際に起きた人の死に「慣れる」という普段絶対に感じることのない感覚にちょっと異常なことが起きていたな、とゾッとする。 そして後半の原爆症の描写は本当に痛々しくて、何より悲しい。病気によって起こる負の感情に対して、どの国が悪いと政治的に考察したり真正面から「戦争は良くない!!」と憤るのではなくて、ただ淡々と、そこに悲しみがあることが辛い。こんな風に人が死んではいけない、と強く思わされる。 過去を振り返っているのでもちろん現在(戦後5年くらい)の描写も挟まれるのだが、被爆者への差別や原爆症のために働いていないことへの僻みがあったり、現在でもよくネットなんかで見かけそうな理不尽な言動を受けるシーンが多々あって昔の話、と簡単に片づけることができない。東日本大震災の時の東北産野菜への風評被害を思い出す。
1投稿日: 2022.08.07
powered by ブクログ終戦から20年過ぎた1965年、雑誌『新潮』に連載された広島市への原爆投下を題材にした小説。 被爆者である重松静馬の日記と、軍医の岩竹博の手記が元になっています。 「閑間重松」という被爆者が中心となります。 原爆後遺症によって労働をすることができない彼は、被爆者の仲間と共に川釣り等へでかけますが、村人からは心無い言葉を投げかけられ、除け者扱いされます。 また、同居する姪の「矢須子」は、実際は爆心地から離れた場所におり、原爆の影響がある兆候は見られないにも関わらず、被爆者という噂が立っているがために縁談が決まらずにいます。 そんな姪を不憫に思った重松は、矢須子が影響を受けなかったことの証明と、彼が経験した原爆の悲惨さを残すために、当時の日記を持ち出して清書します。 本作は、日記に書かれた原爆投下当時の様子と、落とされてずいぶん立つにも関わらず現在も原爆の影響を受ける重松たち家族の日々が書かれた内容となっています。 激しい光と巨大な轟音、立ち上るきのこ雲は、普段どおりの変わらない日常を過ごしていた大勢の人々の生活を一瞬で破壊しました。 人は溶け、弔いもされないままやがて蠅まみれになって、無惨にも人骨を晒す。 生き残っても、正体の分からない新型の兵器とやらによって苦しみ、内蔵が不調を来し、生きたまま蛆が湧いて呻きながら死んでいく。 "原爆の恐ろしさ"といえばそうなのですが、"原爆"というものがわからない当時の人々に取っては、"原爆"という兵器ではなく"戦争は嫌だ 平和が良い"という祈りを感じる内容だと思いました。 戦争小説というと、軍機の厳しさ、兵隊の勇ましさがクローズアップされますが、本作に登場する人々は、兵隊、勤め人、含めて、そこに住んでいた人です。 原爆によって焦土と化した広島にいた人々がどうなってしまったのかが描かれていて、戦争の悲惨さを訴えかける戦争小説でした。 2021年、「黒い雨」訴訟で、住民側が勝訴したというのが話題になりました。 落下現場から遠く離れた場所にいた人々も、原爆による健康被害を受けたと思われる人がおり、その人々を被爆者と認めるための訴訟でした。 作中でも、健康体に見えた矢須子ですが、実は原爆投下後に降った黒い雨を全身に浴びており、後に原爆症に苦しむことになります。 その後、重松は、原爆症で死地の淵から回復したという『軍医予備員・岩竹博の手記』を手に入れ、本作中で紹介しますが、その内容も壮絶なものでした。 本作は矢須子の回復を祈るシーンで終幕していますが、その文面には、諦念が込められているように感じます。 本作で書かれた矢須子が被爆者であるということが、57年越しにようやく認められたというのは、なにかすごいことのように思いました。 原爆の影響は落とされた場所だけではなく広範囲であることが認められ、改めて原爆の恐ろしさ、戦争の恐ろしさを再認識させられる名著だと思いました。
1投稿日: 2022.08.07
powered by ブクログTVドラマ化・映画化もされた,井伏鱒二の代表作ともいえる戦争文学の傑作。実在の被爆者をモデルに描かれており,戦争の本当の恐ろしさと,平和の尊さが身に沁みます。唯一の戦争被爆国日本。忘れてはいけない真実がここにあります。1966年野間文芸賞受賞。
1投稿日: 2022.07.25
powered by ブクログ8月6日の、原爆投下の正にその当日からの日記を主人公が清書する、という形でその悲惨な状況がリアルに綴られています。 また、場所や立場が違った何人かの手紙なども差し込まれており、別の視点での状況や気持ちも伝えられています。 戦争反対や原爆廃止の必要性、今平和に生活していることが当たり前と思わない為に、様々な文献や情報を得ること、得続ける事が必要と痛感する。
3投稿日: 2022.07.24
powered by ブクログ姪の矢須子が、広島で被爆したために原爆症になったといううわさがひろまり、彼女の結婚話が進まないことに悩む閑間重松を中心に、八月六日前後の広島のようすをつづった作品です。 見合いの相手方から、原爆が落とされたころの矢須子の足どりを知りたいという要望があり、これにこたえるために重松と妻のシゲ子は、彼女の日記を清書し、また重松はみずからの被爆体験をつたえるために自身の行動をしたためていきます。 この世のものとは思えないような凄惨な光景をつくり出した戦争と、その後に原爆のもたらした苦しみに苛まれつつ日々を送ることになった重松たちのすがたが、同時並行的に進行する構成になっています。やがて矢須子の身に、被爆の後遺症が見られるようになり、彼らの日常のなかに入り込む原爆の恐ろしさが露わとなっていきます。
1投稿日: 2022.06.08
powered by ブクログ日常を普通に生きる非凡で平凡な善良市民に原爆という未曾有の事態が降りかかった。こんなに悲惨だよこんなに辛いよ苦しいよと訴えかける戦争小説とは少し違った。登場人物たちは淡々と生きていた。これは本当に私が住む日本で起こったことなんだと震える思いだった。すぐ横で人があらぬ姿で死んでいた。平和を願う心から、
1投稿日: 2022.05.20
powered by ブクログ4年の時を経て再チャレンジしました。教科書やドキュメンタリーでは、原爆投下時に広島にいた人が取り上げられることが多いですが、この本では、投下時に離れたところにいた人の話も扱われています。記録映像ではないので100%正確とは言えないのかもしれませんが、原爆の記録の一つとなると思います。
1投稿日: 2022.04.06
powered by ブクログ広島への原子爆弾投下後の街や人々の凄惨な状況を日記を清書していくという形式で綴られます。 その昔、読み終えた時は、ただ痛ましい印象が残ったが、さて、冷静な状況描写に、驚きと何か意思を感じました。 小説と思っていたものが、実在の被爆者の日記と、作者自身が多くの被爆者からの聞き取りを基にしたものでした。 「千万語を費やした反核・反戦・平和の言葉より事実に勝るものはない。」とし、地名・人名ともそのまま使用して、虚構としない作品にしたかったそうです。 不正義の平和の方が良い 広島の末路 来るところに来てしまった 状況が判明していくにつれ、表現は暗く重くなる。 そして、敗戦を迎え日記は終わります。 歴史と文学の館『志麻利』の館長さん?の「黒い雨」本当に伝えたかった事の動画良かったです。重松さん(日記の方)や井伏鱒二の想いとか、手紙とか。読む前に見つけてたら尚良かったですが、何年かしたらまた読みますね。
28投稿日: 2022.03.31
powered by ブクログ教科書に載っていて一部は読んだことがあったが、全体を読み、改めて戦争の恐ろしさを実感した。あまりに生々しい表現に目を背けたくなったが、同時に読むのをやめてはいけないと思った。「戦争はいやだ。勝敗はどちらでもいい。早く済みさえすればいい。いわゆる正義の戦争よりも不正義の平和の方がいい。」物語の中盤で出てくる重松のこのせりふが、この物語を通して一番感情的なせりふに私には聞こえた。
3投稿日: 2022.03.06
powered by ブクログ#読了 2021.9.18 学生時代の国語便覧などで作者と作品一覧に必ず上がっている、誰もが知る作品。 一生に一度は読まなければ!と10年前にチャレンジしたけど途中断念しており、今回再チャレンジで読了。 (読書というエンタメは好きだけど、純文学のような文章がとことん苦手でして…。センター試験英語の最後の長文問題みたいな。あれ?また同じとこ読んでる?ってなる笑) 重松と妻シゲ子、重松の計らいで重松夫妻と住み、徴用逃れに重松と共に働いていた姪の矢須子。戦後数年経ち、矢須子に縁談が来るが原爆症ではないかと疑われる。そのために8/6から8/15終戦までの過ごし方をメモした重松日記の清書(読者はこれを読みながら進む)をし縁談先に提出しようとしていた矢先、矢須子が発症する。直接の被爆はなかったはずの矢須子は爆撃直後の黒い雨に打たれていた。 被爆者・重松静馬の『重松日記』と被爆軍医・岩竹博の『岩竹手記』を基にした作品。 感想を言葉にするとすべてがチープになるような気がして憚られる。爆撃直後の様子はこの世とは思えないほど。まるでフィクションのようなのに事実の描写なのだから本当に恐ろしい。このような記録がこうして残っていることは重要なことだと思う。 この先75年は広島に草木も生えないと言われていたようだが、今年で戦後76年。 広島は随分前に復興を遂げたと言っていい。素晴らしいことだと思う一方で、戦争が忘れられてしまうのではないかと心配になる。 はだしのゲンなどの作品が昨今トラウマになるなどと言われ、なかなか人の目に触れられなくなっているのもなんだかなぁと思う。もちろんわざわざトラウマになることをしろと言うつもりはないが、学生時代のうちにどんな形であれ、「歴史」上に出てくる戦争だけでなく、二度と戦争がないようにと心から願えるような機会があってほしいなと思う。 性別も年齢も分からないほどの焦げた屍体に幼い子供がしがみついてるなんて、胸が痛い。こんなこと二度とあってはいけない。 ◆説明 一瞬の閃光に街は焼けくずれ、放射能の雨のなかを人々はさまよい歩く。原爆の広島――罪なき市民が負わねばならなかった未曾有の惨事を直視し、“黒い雨"にうたれただけで原爆病に蝕まれてゆく姪との忍苦と不安の日常を、無言のいたわりで包みながら、悲劇の実相を人間性の問題として鮮やかに描く。被爆という世紀の体験を、日常の暮らしの中に文学として定着させた記念碑的名作。
5投稿日: 2021.09.17
powered by ブクログ井伏鱒二が実際に広島で被爆した重松静馬氏と岩竹博氏の日記を元に、広島で二次被爆した姪の縁談を破談にさせたく無い思いから、当時の状況を記した日記を清書して、提示する事で、姪が被爆者ではない事を示そうとする顛末を物語として描いたもの。 重松が日記清書する現在と、清書される日記の語る原爆投下の8月6日から終戦の15日までが、入れ替わり立ち替わり描かれる。 原爆投下直後の、焦土と化した広島の街並みとあちこちに溢れる遺体、そしてそこに黒い覆いのようにたかる大量の蝿、遺体の目や口、鼻から溢れ出てくる蛆、、、日記の中で淡々と語られる悲惨な状況は自分達の想像力を超えてしまう。 一方で、数年が経った今、そのような悲惨な姿は無くなったものの、健康であった姪の体調に異変が出始め、原爆症という恐怖が再び静かに重松とその家族に迫ってくる様子が描かれ、これはまた被爆直後の悲惨さとはまた異なる恐怖として迫ってくる。 「黒い雨」を他人の日記の引き写しだとして否定する評価をする人もいるようだが、この作品は単に日記を書き写しただけではない。 そこに数年経っても原爆症に脅かされる人々の今を織り込む事で、原爆の悲劇が形を変えて続いている事を示している。これは当時の日記からだけでは決して語る事はできない。
5投稿日: 2021.08.21
powered by ブクログタイムリーになってしまった。 大切な姪の結婚の為の覚書として書いたという所が良かった。死ぬも地獄生きるも地獄。ピカドンの一瞬で全てが変わってしまい、何が起きたか分からない死体だらけの中大混乱の日常。不安で、それでも何とか生きていく人々の姿に応援したい気持ちになる。 横の繋がりで幾らか救われ、大事だと思った。 終わり方もよかった。
14投稿日: 2021.08.08
powered by ブクログドキュメントのように淡々と綴られ、原爆の現実が静かに見えてくる。とっつきにくそうだが、読み始めたらぐいぐいひきこまれる。 昔の文学人の力の力がよくわかる。 誰にでもぜひ読んでもらいたい。
1投稿日: 2021.07.13
powered by ブクログ原爆の悲惨さを目に見えて分かりやすく表現していて、井伏鱒二様の、細部に渡る表現で大変、広島や長崎の酷い状況が分かりました。 登場人物の矢須子さんについては、原爆の影響で日常を失われる辛さがあり、どうしても抗うことが出来ない現状に、私自身も悲しくなりました。
3投稿日: 2021.06.03
powered by ブクログ広島原爆の惨状を描いた作品。現代文で一部を扱った為、ちゃんと読んでみたいと思い手に取った。被爆した主人公重松が自分や姪の被爆体験記を綴っていく体で被爆地の状況と被爆者の状態が淡々と描かれていく…実際の手記を基に書いているからこそ、説得力があり、限りなく忠実に当時の状況が書かれているのだろう。特に被爆者の死傷については読むのも辛いほどリアルに描写していて、原爆の悲惨さを身に沁みて感じた。同時に井伏鱒二の表現力には感服。終戦75年の今、この負の記念碑的な文学を読んで平和を望む気持ちがより強くなった。
1投稿日: 2020.11.29
powered by ブクログ広島の町に投下された原爆は一瞬で多くのものを奪いましたが、その苦しみは一時的なものではなく長く暗い影を落とすものでした。なにげない日常にあって、ささやかな幸せを願う。その願いが叶うことのなかった人々の叫ぶことのできなかった声が聞こえるような物語です。
2投稿日: 2020.11.21
powered by ブクログ8月6日の原爆投下直後から15日の敗戦の日まで、酸鼻を極める被爆地広島を歩いた一人の被爆者の日記の形式で生の声を伝える作品。 「戦争はいやだ。勝敗などどちらでもいい。早く終わりさえすればいい。いわゆる正義の戦争より不正義の平和の方がいい。」とは市民の偽らざる声だ。しかし、その当人が被爆直後でさえ大本営発表を正しいものとしてより一層の犠牲を工場に布告する矛盾とそれに対する悔悟も正直に示している。 「いつ一億玉砕かとビクビクしているが、人間の意思ががんがらめに縛られて、不平はおろか、不安な気持ちさえも口にするのを押し殺しているだけだ。組織というものがそうさせている。」 私は終戦当時16歳だった父から同じような気持ちを聞いており、偽らざる本音だろう。しかし、一部父と同じ世代ながら戦争中でも反戦の気持ちだったし、日本の間違いを理解していたと主張する人もいる。私はそのような人の言い振りを俄には信じることができない。
5投稿日: 2020.11.09
powered by ブクログ原爆病って、臭ったんだ…。「私臭いますでしょう」って自分から言う、看護に当たった女の人に、主人公が、「ええ、臭います」と答えるエピソードに、どこかおかしみを感じてしまった。 本に出てくる日本人は、生活に困りながらも思いやって気遣いながら生きてるけれど、このエピソードは直接的な言葉だったからかな。 全編を通して、悲惨さがすごく伝わってくるけど、個性がところどころ出てくるから、惹きつけられて読んでしまった。 原爆病で骸骨みたいになりながらも生還した人の、意志の強さを失わないことの大事さが印象的だった。
1投稿日: 2020.10.08
powered by ブクログ2020年8月、「黒い雨」訴訟のニュースを目にした。原爆関連のニュースであることは分かるものの、自分はそれ以上に詳しいことを知らない。 そこで本作、黒い雨を手に取った。 果たして、内容は事前の予想とはやや異なる。広島を、原爆を描いていることは確かなのだけど、徹底的に市民目線だ。 大きな爆撃が起こった。今回の爆弾は何かが違う。不安感が止まない。 そのような観察や心理描写が続く。 それはとてもクリアな追体験だった。道端に打ち捨てられた死体の、その臭気が音を伴って匂い立つような、とても深い読書体験。 また、これらの描写は「被爆日記」の清書という形で為される。戦後の視点から過去を振り返るという手法は、ある種ユニークだった。 総評。とても重たくディープな一冊。けれど、恣意性を排しているので、誰もがあの時代のあの場所に降り立つことができる。 本書の紹介文はこのようにある。 原爆の広島――罪なき市民が負わねばならなかった未曾有の惨事を直視し、“黒い雨"にうたれただけで原爆病に蝕まれてゆく姪との忍苦と不安の日常を、無言のいたわりで包みながら、悲劇の実相を人間性の問題として鮮やかに描く。 なるほど。「無言のいたわりで包みながら」というのは非常にしっくりくる形容。 (書評ブログもよろしくお願いします) https://www.everyday-book-reviews.com/entry/%E3%81%84%E3%81%BE%E8%A2%AB%E7%88%86%E6%97%A5%E8%A8%98%E3%82%92%E8%AA%AD%E3%82%80_%E9%BB%92%E3%81%84%E9%9B%A8_%E4%BA%95%E4%BC%8F%E9%B1%92%E4%BA%8C
17投稿日: 2020.10.06
powered by ブクログ2020年36作品目。 原爆投下から数年後、当時の凄惨な状況が、主人公の閑間重松、重松の姪の矢須子、そして広島被爆軍医予備員の岩竹博の手記によってつづられている。 そのどれも、感情が排されていて、淡々と事実をあぶり出している。 心を殺さねば生きてはゆけない。
2投稿日: 2020.09.23
powered by ブクログ残酷な、悲惨な描写はあるのに、そこに作者の感情・感傷は入り込まず、1日1日が続いていく。そのことが原爆投下の結果をまざまざと見せつけてきて、なによりも苦しい思いを感じさせる。 何が起きても、とにかく毎日を生き切るしかないのだと、きっと原爆や戦争だけでない世の中の不条理への人の在り方を痛感させられた思い。
5投稿日: 2020.09.14
powered by ブクログ日本に生きている以上避けては通れない原爆、中学の頃読み通せなかったものをようやく最後まで辿り着けました。石炭会社や軍部との関係などが少しわかりづらく、黒い雨にうたれた矢須子さんについてもう少し踏み込んで欲しかった。全滅、という言葉が出るたびに胃がぎゅっとなった
0投稿日: 2020.09.10
powered by ブクログ積読でありながら、今まで避けてきてしまった作品。高校の教科書で習った時から、原爆被害の描写が衝撃的で、読まなきゃいけないけど、どうしても手が出なかった。しかし今年、戦後75年の節目ということもあり、勇気を出して読んだ。 この作品は、ありがちな戦争小説、原爆小説のように、被害の生々しい描写で恐怖を与えて、NoWarを訴えるものとは違った。原爆投下の日から終戦までの数日間を、回想日記の形で示している。日常の中の原爆、あくまで日常の中での大きな被害が描かれていて、尚更胸が締められる思いもするが、「生き残ったから生きなきゃのらない」その生活が一番の主題となる。だから、恐怖ばかりが強調されるわけでなかったから、より深く原爆について考えることができた。
0投稿日: 2020.08.18
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
田中好子主演「黒い雨」が頭にあり、原爆に翻弄された矢須子の話だと思い込んでいた。それが原爆投下後の重松日記を延々と読むことになりがっかり。映画を見てないが映画もそんな内容なのか? 今は「こんなひどいことがありました」だけでは伝わらないと思う。聞き飽きたとは言わないが、たくさんのひどい話の一つにしかならない。なぜ核兵器を無くす必要があるのか? それは一瞬にしてあるべき未来を奪うからで、そこを伝える必要があると思う。だから、この本では矢須子の話が中心にあった方がよかった。
0投稿日: 2020.08.15
powered by ブクログ課題で読まされた本 描写がリアルで読み進めるのがしんどかった 一生のうちで読んでおきたい、知っておきたい話ではあるけど中学生のうちに読むのは少し辛かった……
5投稿日: 2020.08.13
powered by ブクログ言葉では、言い表せないような凄惨な場。 それを言葉にして、見事に描ききる。 体験していない僕たちは、このような文学や体験記でしか知り得ることができない。 想像も絶する、世界だったのだろう。 言葉のひとつひとつから、滲み出る凄味がある。
0投稿日: 2020.07.26
powered by ブクログ高校三年生の時に感想文を書く宿題を結局やらずにやり過ごしてしまった本をようやく読んだ。 黒い雨というタイトルから凄惨な原爆投下後の広島の姿が描かれるかと思いきや、まさしくその通りなんだけど、語りの構造が、原爆投下の頃の日記を終戦後に清書するという形で間接的になっているせいか客観性が強まっているし、終戦後の生活に原爆が与えた不自由さが物語の大きな主題になっていると感じられるので、原爆被害そのものよりも、戦争に翻弄される市井の人々の押し殺された感情が浮かび上がる。とても技巧的な構造だけど文章は平易で明るさと鷹揚さのあるもので、広島の惨状がとてもよく伝わりつつもあまり暗くならないのが不思議に感じるほど。とはいえ決して軽いわけではなく、日常に入り込む悲劇というのは実際はこのようなものなんだろう。広島で起こったことと井伏鱒二の技量の双方に恐れを抱く。
5投稿日: 2020.05.24
powered by ブクログ広島の原爆の日々とその時の人々の暮らしが、とても生々しく再現されている。著者の表現力は凄まじい。ことばが古くて読みづらいときもあったけど、途中からその世界に引き込まれていった。 戦争ものだけど、ただ感傷に訴える物語ではなかったのが救いで、冷静に読むことができた。星4つに限りなく近い3つ。
3投稿日: 2020.02.04
powered by ブクログ僕らの世代は戦争を知らない世代だ。 子供のころに、はだしのゲンの映像を見て、戦争、原爆に対する恐怖を感じた。昔の写真週刊誌には時々知らない国の戦争の様子や死体の写真が載っていることもあったが、今では生々しい死体の写真すら見ることはなくなった気がする。 時にはグロも必要だと思う。でないと人が何人死のうとイメージができないからだ。 娯楽的な戦争映画で戦争を学ぶのも良いと思うが、こういう戦時中の生々しさを描写してくれる作品で、より戦時中の悲惨さと、それでいながらの日常を知ることができました。
0投稿日: 2019.10.20
powered by ブクログ広島の原爆投下前後の状況を一般の夫婦とその姪を通じて描いている。自分が見たこと、人から聞いた話等を交えており、リアリティがあり、その悲惨さがよくわかる。 直接被爆していなくても、救助に向かった人、避難時に通り抜けた人が後々後遺症に苦しんだこともよくわかる。淡々とした記述だが、だからこそ引き込まれるものがある。 若い世代にも読み継がれるべき戦争作品の傑作と思う。
0投稿日: 2019.02.27
powered by ブクログ原子爆弾で破壊され尽くした広島。 終戦間際から終戦、そして数年後。 日記、記録の形で綴られる、その時。その後。 歴史の教科書では見えない市井の人たちの戦争。 今までぼんやりとしていた戦争が、視界に、胸に、迫ってくる。 とは言え、とにかく読みやすい。 夢中で読んだ。
0投稿日: 2019.01.16失うわけにはいかない、人類の経験の記録です。
我々の世代が、親の経験を、子どもたちに伝えることを怠っているうちに、日本が、世界が、危うい感情の世界へと歩みを進めつつあるように思われます。そんな中、この本を(今更ながらに)読んで、少しだけ安堵しました。日本語を読むことができる人がいる限り、または他言語に訳されたこの本が存在する限り、失うわけにはいかない、人類の経験が、後世に引き継がれるのですから。
0投稿日: 2018.12.09
powered by ブクログ言葉はあれだが、「被害者面」をしないところにこの作品の魅力があるように思う。原爆投下を扱った作品にありがちな「書きすぎ」がしばしば読み手を白けさせるのに対して、本作はあくまで中立的な眼を通してこの大事件を写実する。といって無味乾燥な事実の羅列とも違う。爆撃で大やけどを負った岩竹博が白桃を食べて命を長らえさせるエピソードの熱っぽい瑞々しさが今も頭から離れない。
2投稿日: 2018.10.26
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
日常に突然原爆が降ってきたら…こういうものなのかもしれない。とても淡々としていて、悲しい!怖い!とならないところが、ある意味リアル。この正常性バイアスが人の心を麻痺させるのだろうな。良くも悪くも。 人間て簡単に死んじゃうんだな、とか、人間て案外簡単に死ねないんだな、とか、どちらも真実だなとしみじみ思う。
3投稿日: 2018.08.28
powered by ブクログタイトル*黒い雨 著者*井伏鱒二 出版社*新潮社 一瞬の閃光に街は焼けくずれ、放射能の雨のなかを人々はさまよい歩く。原爆の広島--罪なき市民が負わねばならなかった未曾有の惨事を直視し、一被爆者と”黒い雨”にうたれただけで原爆病に蝕まれてゆく姪との忍苦と不安の日常を、無言のいたわりで包みながら、悲劇の実相を人間性の問題として鮮やかに描く。被曝という世紀の体験を日常性の中に文学として定着させた記念碑的名作。 (あらすじより)
0投稿日: 2018.08.11
powered by ブクログ戦時体制ではあるが、市井の人々の日常が、原爆投下という非日常の極致に曝され傷つけられていく様子を小説の形で描いた精緻なルポルタージュ。この作品の優れている所は、原爆投下(8/6)から終戦迄の十日弱の記録の中に、後で解った常識や感覚を織り込まず、何が起きたのかこれからどうなるかの大局を掴めない異常事態における一市民及び家庭人の原爆記録を綴っているところにあると思う。哀しみや怒りの感情、思想や政治的な主張が簡潔なだけに描写は生々しく再現される。悲劇を客観として捉えて、判断は読者に委ねられる。読者は受け止め判断しなければならない。日本人としての義務がある。 作品は重松氏の日誌の他に、岩竹軍医の手記に依っているが、極限状態から夫を救い出し蘇生させた妻の献身に感動させられる。 あと作品への要求としては、被爆状況と重松達の移動状況が分かる地図が欲しい。
2投稿日: 2018.08.06
powered by ブクログ読むのがつらかった。人間の尊厳がこうも蹂躙されていいのか…。途中の、『いわゆる正義の戦争よりも不正義の平和の方がいい。』という言葉が印象に残った。
0投稿日: 2018.06.20
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
戦争の悲惨さを訴えた作品は多い。 その数ある作品の中で、一番印象的だったものが「黒い雨」 中学生の時に初めて読み、その後映画化されて再び物語を 聞くことに。 原爆の恐ろしさと凄惨さは、唯一の被爆国である日本にしかわからないこと。 この作品を通じて、忘れてはいけない日本の歴史を後世に伝えていくことができると思う。
0投稿日: 2018.01.23
powered by ブクログ原爆投下された地に生きる人々は本当に辛かったろうと思う。 同じ女性としてたくさんの苦労があったと思う。 ナイチンゲールと呼ばれていた一般女性を尊敬する。 来年は広島を訪ねたいと思う。
0投稿日: 2017.12.31
powered by ブクログ今更ながら戦争は悲しい終末にしかならない、何人がこの本を読んできたのだろうか、積み重ねてきた人数が平和につながると思う
0投稿日: 2017.11.06
powered by ブクログ主人公の閑間(しげま)が、被爆した時を思い返し、その時の自信の経験と見聞を清書するという形式で語られる被爆体験の物語。原爆投下とその後しばらくの混乱も去ることながら、今の閑間を取り巻く状況、つまり原爆の後遺症に悩まされる自信や姪、それによって差別されるその状況、という意味での怖さや悲しさのようなものがあった。 キノコ雲の色とか動きとか、死体の匂いとか、熱線の凄まじさといったことが、映像だけでは感じられないことが描写されていることが印象的だった。(2017/10/08)
2投稿日: 2017.10.08
powered by ブクログ丁寧で克明な描写で“日常性のうちに原爆の雨を降らせた(p397)”原爆小説です。原爆により死傷した人たちの状況など、残虐で痛くて目をおおいたくなる描写も多く、読むのがつらかったです。 物語中で牛罐を食べる場面があるのですが、牛肉の描写を読んでいると私まで唾液が出てきそうでした。罐詰の牛肉を食べているその一瞬だけは、恐ろしい被爆体験の中でも幸せを感じるようでした。 原爆体験が冷静に淡々と綴られていますが、実際の状況を頭の中で想像すると、恐ろしくなります。戦争の悲惨さを感じ、平和を望む気持ちが強くなりました。
0投稿日: 2017.09.17
powered by ブクログ私には少し難しい本だった。 広島に原爆が落とされてから終戦までをリアルに描いている。これほどのリアリティーのある戦争小説は読んだことがなかった。 原爆がもたらした過酷な現実、原爆直後の広島の様子、当時の食生活等が丁寧に描かれている。 あまりのリアルさに目を背けたくなる場面もいくつかあった。 読書感想文には最適。この時代、色々考えさせられる一冊。
7投稿日: 2017.09.04
powered by ブクログ戦争と核使用の是非を考えるうえで、読むに値する一冊。 広島に原爆が落とされた日前後に、主人公の閑間重松とその妻シズ子、姪で養女の矢須子が見たり、聞いたりしたことが、日記の清書をする行為の中で、淡々と描かれている。私は神戸市民であり、阪神淡路大震災の時にビルが無惨なまでに崩れ落ちている姿を見てショックを受けた経験や、不自由な生活を強いられた経験を持っているので、被爆後のまちの様子を描写した箇所をより生々しく感じ取ることができたように思う。 原爆投下という大惨事に遭遇した広島の人々が、兎にも角にも日々精一杯生き抜いていく姿が描写されており、人間の持つ生命力の強さを感じさせてくれる。原爆投下直後は、落とされたものがどういう性質のものか知らされていなかったため、近親者の安全確認などのために動き回ったことでより被害を深刻化させ、それがこの物語の登場人物にも暗い影を落とす。 当時の広島に住む人の生活や暮らしぶりが描かれている箇所は、興味深い内容だ。特に、当時の食糧事情、食事内容が描かれている箇所は興味を引いた。また、岩竹医師の闘病に関する手記も印象深い。「必ず、生きる」という気持ちが大事なのだ。
0投稿日: 2017.08.12
powered by ブクログ絵画のように、文章が流れていきます。 情景が浮かんできます。 思想的なところにはあまり触れず、とにかく日常を、描いていきます。 非日常の中にある日常、混乱の中にも日常があります。
0投稿日: 2017.07.01
powered by ブクログ再読。『この世界の片隅に』の戦時中のご飯のくだりが好きでなんとなくこちらのお話の奥さんのメモを思い出して読み返してた。この淡々とした語り口いいなあ。元になってる『重松日記』も前に買って積んであるので読みたいね
3投稿日: 2017.04.20
powered by ブクログ娘の縁談のために当時の日記の話がメイン。広島での戦争や原爆の時の話。戦争批判とかではなく悲惨な状況を連ねている。戦争は恐ろしく悲惨なことを物語っている。
0投稿日: 2017.01.26
powered by ブクログ(自分用メモ) 最後の一言は、何でもいいから希望になりそうなものを見出したい主人公の心の叫びではないか。
0投稿日: 2017.01.02
