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春琴抄
春琴抄
谷崎潤一郎/新潮社
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総合評価

501件)
4.1
173
149
102
18
1
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    盲目の美少女・春琴と、彼女に仕える奉公人・佐助の なんというかお耽美・・・マゾヒズムあふれる愛というか日常をえがいた作品。 春琴は盲目で美少女なのですがいかんせん気がものすごく強くて・・・。 春琴の三味線弟子として、また、世話人として甲斐甲斐しく使える佐助とは 子を成し、親も認めてともに住まわせる状況にも関わらず 奉公人「ごとき」と夫婦になどなれないと入籍を拒否したりとすごいです。 また、三味線の指導では度を越した体罰、折檻を加えることもしばしば。 苛烈な女主人と、それに心酔しきる男といった構図。 強い女性は好きですが、ここまで強すぎはちょっと恐かったです。折檻とか。 けれど後年春琴の絶対的であった美貌が損なわれるあたりは面白かったです。 春琴が何者かの恨みを受けて顔面に熱湯を浴びせかけられるのです。 (性格が災いして誰がやったかも容疑者が多すぎて不明というのが恐ろしい・・・) とにかく、それにはさすがの春琴も心が弱くなって、 今まで粗末に扱っていた佐助に対して縋るような雰囲気も出したりするんです。 それに対する佐助の反応が、いいです。 『春琴の方は大分気が折れてきたのであったが佐助はそう云う春琴を見るのが悲しかった、哀れな女気の毒な女としての春琴を考えることが出来なかったと云う畢竟めしいの佐助は現実に眼を閉じ永劫不変の観念境へ飛躍したのである彼の視野には過去の記憶の世界だけがあるもし春琴が災禍のため性格を変えてしまったのだとしたらそう云う人間はもう春琴ではない彼は何処までも過去の驕慢な春琴を考えるそうでなければ今も彼が見ているところの美貌の春琴が破壊されるされば結婚を欲しなかった理由は春琴よりも佐助の方にあったと思われる。』 ”そう云う春琴を見るのが悲しかった” ここが好き。 この文章を読むまでは佐助はただ無感情に主人に仕えている奉公人で、 偶然主人が美貌の女だったというだけという印象があったのですが、 これを読んで「佐助は春琴を美しい存在として見ていた」と納得。 そしてこのあとに来る観念を愛する佐助ならではの寂しい現実が沁みます。 三味線や愛玩鳥など独特の贅沢文化の描写で注釈が膨大でしたが、 さいごが綺麗できちんと感情が伝わっていて、しかもそれが丁寧で。面白かったです。

    0
    投稿日: 2009.12.28
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    インモラルです、谷崎なので。主従逆転後の展開が、じん、ときます。70p弱なのであっという間に読みおわり。

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    投稿日: 2009.11.23
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    「心の奥底に春水の涌き出ずるものがあった」一番綺麗だと思った一文。巻末解説によると何も教訓が得られないものだと戦後批判された作品らしいです盲目の鵙屋の娘春琴とその家に仕える手曳き佐助の話で恋愛ものとは言い難いけれどそういうものでこれほどまでに愛に忠実になれるのかと頑として主従の関係を保ちながらも春琴に尽くす佐助の一途さが痛々しくもあり微笑ましくもあり信じられなくもあり…という具合にこの小説はこの5倍くらいの量に対しても話句読点がほとんど付いていないので少々読みづらかった。でも言葉が綺麗。

    0
    投稿日: 2009.11.07
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    同じ気持ちを 同じ痛みを同じ苦しみを 味わいたいという気持ちはすごくよくわかる。 それで初めてひとつになれると思うのだろうな。 日本語の美しさを感じられる作品。

    0
    投稿日: 2009.11.01
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    どこの神様かと思った。 好きな短編を3つ挙げるとしたら間違いなく。 2002年5月23日読了

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    投稿日: 2009.10.27
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    盲目の三味線師匠、春琴。幼い頃から彼女に付き添い、彼女にとってなくてはならぬ人間になっていた奉公人の佐助は、後年、春琴がその美貌を弟子に傷つけられるや、彼女の願いを察し自ら盲目の世界へ入る。思考と官能が融合し、愛と献身の美の頂点を極める谷崎文学の頂点をなす作品。 我が儘で傲慢な春琴と、どんなに意地悪をされても尽くし続ける佐助。 読んでいて、佐助が不憫に思われてきたけれど、決してそう感じてはいけないと思う。 そこには二人だけにしかわからぬ、二人だけの世界が繰り広げられているのだ。 単なる被虐趣味ではない、官能的で美しく表現された物語。

    0
    投稿日: 2009.10.19
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    大好き、こういう感じの小説。春琴と佐助の師弟関係がたまらない。ただ、すごく表現がリアルで途中怖かった。

    0
    投稿日: 2009.09.13
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    何べん読んでも読み飽きませぬ! 佐助の春琴に対する崇拝ぶりとか、完全に目がくらんでるじゃないですか。 押入れの中で春琴の住む世界に思いを馳せたり、お師匠・弟子ごっこしたり、もうぐっらぐら。 ぐっらぐらです。最高です。 09.09.05 再読 これぞ谷崎文学のエロティシズム。 距離感ばかり強調されるのにあっさり「子供が出来た」なんて書くしね。 でも‘1人称で読みたかったな’と思うし、‘3人称でないと「微妙な距離感保ったまま切なく」なんて無理やろうな’とも思う。 佐助が視力を失ったあたりは、涙なしには!

    0
    投稿日: 2009.09.05
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    初谷崎潤一郎。個人的に好き。佐助の献身的な奉公。彼の生き様に自分をてらしてみた。私はある信念をもって生きているだろうか。今とこの時代でも人の心は代わりはないけど、義や信はないがしろにされているような気がします。心に残る一冊でした。

    0
    投稿日: 2009.08.27
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    この完成度の高さは溜息もの。。。 中身は70頁ちょっとと薄い文庫ですが、文体が古いのと改行が無いのとで見た目より文章量のある一冊。 読後の満足感もちょうど良い文章量。 日本人の美的琴線に時代を超えて触れてくるです。こなくなったら困ります。 こんな良作が100円で買えるなんて。。。いつか函入りで買いたい一冊。

    0
    投稿日: 2009.08.27
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    これを読んで美白に目覚めた!鶯糠をつくるのだ! 故意に失明することによって、自らの中の観念的な春琴を完成させた佐助。彼にとって感覚的な春琴は記憶の中の春琴を呼び覚ますものに他ならないのだ。 すごい、そして怖いぞ、佐助!

    0
    投稿日: 2009.08.15
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    読書感想文これ書いたけどどんな感想を書いたのかおぼえてない。春琴のはりつめてるところを佐助がどうにかできてたかっつったら、そういうベクトルじゃないんだろうな〜〜〜。これはまた読みたいと思うお話です。今度映画借りる!

    0
    投稿日: 2009.08.07
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    はじめてのたにざきじゅんいちろう。マゾヒズム嗜好や関西への憧れを小説にしてみたんですかね。この春琴というのは、巷で言うツンデレというやつですか。佐助の行動についてはただただ異常だなあと思ってしまう。美しい日本語というけれど、あるべきところに読点がなくて読みにくいという印象くらいしか受けなかった。盲人は性格がひん曲がるとか、そういうのも読んでられない。ただ、エッセイ集の『陰翳礼讃』を少し読んでも思ったけど、文章に説得力はある。解説:西村孝次注釈・年譜:三好行雄それにしても、テスト期間中に読書量が増えるのはなぜだろう。

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    投稿日: 2009.07.26
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    「痴人の愛」の次に読んだ谷崎作品がこれでした。 さすが谷崎、女が強ぇや!そしてとことん、エロい。 昔、この作品を宝塚歌劇団が舞台化しておりましたが、 色々と大丈夫だったんだろうか…。

    0
    投稿日: 2009.07.21
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    春琴のこころの密かなやわらかさと孤独と、 頑なさをわかった。 究極の愛というよりも、ある愛の形だった。 佐助が心を弱くした春琴を心中で拒み、 美しく傲慢であったころを思い続けていたとのくだりでは 春琴を哀れに想い、また人生を春琴にささげた佐助を軽蔑しながらも引き込まれないではいられない言葉の美しさと「文学」の要素が十分に詰まっている。

    0
    投稿日: 2009.07.03
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    なんか想像と違った。よい意味でも悪い意味でもなく単に違った。 有名で粗筋知ってるやつでもちゃんと読むべきだなあとしみじみ。

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    投稿日: 2009.07.01
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    「春琴抄」というタイトル、これは佐助の為の読み物のようなものだろう。そして実際は佐助を主人公とする物語だった。長い間お師匠様と手曳きという遊戯関係で遊びつかず離れずだった二人は佐助が盲目になった瞬間、ようやっと春琴は心からの気持ちを佐助に表すことが出来、対等となった。しかしその後現実の春琴は目には見えない微妙な距離を、佐助に無意識のうちに取られてしまった。佐助は春琴と想いが通じ合った一瞬が長く続くことを求めなかった。盲目の佐助のまなうらには弱さを持つ春琴はおらず、ぼんやりと発光する幻の春琴が姿を現し、佐助が仕えたのは現実の春琴を大事にしながらも、そこを通して表れる幻の春琴だったのではないか。驕慢な春琴の加虐を前半は楽しみながらも、後半の春琴の心境を考えると少し哀れだった。伝聞や語りで人物を立ち上がらせ、余分の心情をぐずぐず書かないスタイルがとても心地よかった。

    0
    投稿日: 2009.06.19
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    盲目の三味線技師春琴と、彼女に幼い頃から仕える奉公人の佐助の献身的な愛を、伝記を読み解く形で第三者の視点から描く。春琴は才色兼備であると同時に自尊心が強く、度々佐助を怒鳴りつけ虐げる。それでも佐助は只、春琴に尽くすことを己の喜びとしていた。ある晩、春琴は何者かによってその美貌を傷つけられる。誰にも見られたくはない、という春琴の言葉に、佐助は己の目を針で突き、彼もまた盲目となる。 「お師匠様お師匠様私にはお師匠様のお変わりになられた姿は見えませぬ今も見えますのは眼の底に沁みついたあのなつかしいお顔ばかりでござります」 句読点が極端に少なく、改行がない文章。それでも読ませる文章。特に佐助が盲目になるシーンの臨場感には息を呑んだ。 果たして佐助の愛は「究極の愛」なのだろうか。自らの目を傷つけ盲目になるという行為は、一見春琴を想うが故に見えるが、同時に醜くなった春琴を認めることを拒絶し、自分が崇拝する美しい春琴を永遠にするためのもの、歪んだ自己愛にも感じられた。 美貌を傷つけられ醜い姿になったとしても、それを受け入れ、認めることもまた愛だと思う。

    0
    投稿日: 2009.06.12
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    この話は、70ページ弱しかないのだが、非常に密度が濃い。話に強烈なインパクトを感じ続け、読み終えた後は「春琴」に盲従しているとともに愛人でもある「佐助」の人生が、果たして幸福であったのかどうか、非常に気になるところであった。 この本は短いにもかかわらず、ある1ページで突然に展開が変わったりせず(短い小説などではこれは往々にしてあることで、読んでいると「この1ページだけを抜き出しすれば随分ページ数を削れるんじゃないの?」と思うことが多い)、春琴と佐助の話が起承転結を持ってしっかりと繋げられているように感じられた。 とにかく、最後の展開が感動を誘わずにはいられない。盲目で我がままな春琴であるが、彼女に本当に一生をささげている佐助の一途さは、非常に美しいと言えるだろう。とにかく「何をここまで彼を彼女に惹かせるのか」と言う疑問を感じるよりも、彼のその彼女への尊敬と愛情の美しさを感じずにはいられない。 この作品での真の見所は、春琴の性向もさることながら、やはり佐助の「自らの生涯をすべて彼女に捧げる一途さ」にあると言えるだろう。 佐助は死んでも春琴の墓に自らの墓を寄り添わせる。輪廻転生、そんなものがあるのかどうか知らないが、死んでからもとにかく永遠に彼女に尽くしたい、と言う彼の思いが伝わってくるようで、そんな彼の思いにはひたすら「美しさ」を感じるのだ。きっと、彼は幸せだったのだろう。時には春琴にきつくなじられながらも、彼女をひたすら愛し、尊敬し続けた。そしてそれは幸福感がなければやり通すことができなかったことであろうと思う。 一生涯の間ずっと尊敬させられる相手を見つけることは困難であるが、彼は見事にそれを果たしたのだ。それだけでも、彼は十分我々の羨むに足る人物であると言えそうだ。

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    投稿日: 2009.06.01
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    2009年美術史学会(京都)に持っていった。 I like being on the road. It\'s nice to have something to miss.

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    投稿日: 2009.05.31
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    二人の気持ちが書かれていないため こちらから遠くむこうがわを観ている感じで読んでいました。 もう一度読み返したいです。。

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    投稿日: 2009.05.17
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    どっかの雑誌で 「春琴抄って要するにツンデレの話でしょ?」 みたいな記述を見つけて なんとなく読んでみた。 まぁ、ツンデレってことなのか?笑 春琴がツンデレなら佐助はヤンデレじゃないか? って気もしなくはない。 …さすがに違うか。 文体が古くて一見読みにくいんだけど 読み始めてみるとすーっと文章が入ってくる。 やはりこの人文章が上手いんだろうなぁ。 なんとなく好きだった。この小説。

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    投稿日: 2009.04.30
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    -在りし日の春琴とは全く違った春琴を作り上げ、愈々鮮やかにその姿を見ていたであろう佐助が自ら目を突いた話を天龍寺の峩山和尚が聞いて、転瞬の間に内外を断じ醜を美に回した禅機を賞し達人の所為に庶幾しと云ったと云うが読者諸賢は首肯せらるや否や- 山口百恵主演で映画化された「春琴抄」しか知らない貴方。ぜひ小説をご一読ください。難しい漢字が多くて、言い回しも文語調で敷居が高い!と思うでしょうが、なぜかすらすら読める。講談を聴いているようですらある。もちろん美文ゆえ。でも、さらにいうと、私達が日本人の心を共有しているから、と思う。テーマそのものも、ご一考あれ。

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    投稿日: 2009.04.09
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    究極の恋愛小説です。 サド・マゾという西洋からの性癖概念の範疇には収まりきらない崇高な愛の世界がここにある。 江戸という時代、市井に生きた男女が、歪ながらも彼ら自身の愛を謳歌していたことがわかる。 北野武も、この小説に影響を受け゛dollss゛を撮ったが、成功したとは言いがたい。

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    投稿日: 2009.02.18
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    読みやすそうかなと思って購入。 読み進めていくうちに、最期まで一気に読み切りたくなった。 春琴が、非常に切ない。

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    投稿日: 2009.02.15
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    究極の愛の形を描いた小説。 ただし、究極のSM小説でもあると思う。 『失楽園』(ミルトン著ではない方)のような描写があるわけでもないのに、 どうしてこうも淫靡なフェチズムが描ききられているのだろうか。 ちなみに、高2のときになぜかこの本の読書感想文を書いてみたら、 結果として校内読書感想文コンクールで学年3位を頂いたことがあります。 母校も私も何を考えていたんでしょうね…(笑)。

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    投稿日: 2009.02.12
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    谷崎は中学の時読んだ陰翳礼讃から入ったくちなんだけど、これも良かった。ただのSMじゃあないんだよー。ゼミの研究にも使わせていただきました。かっちこちの教授に対抗するべく耽美主義を存分に語れて満足

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    投稿日: 2009.02.11
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    佐助の、春琴に対する献身さ(ドマゾっぷり)は凄い… 句読点がほとんど無い文章なので、読みにくいかと思えばそうでもなかった。

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    投稿日: 2009.01.30
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    盲目の美女・春琴に仕える佐助は春琴の美貌が熱湯により傷つけられるやいなや、その美を永遠に心に留めたいがために自らの眼を針で貫く。「白眼のところはかたくて針が入らない」「黒眼は柔らかい二度三度突くと巧い具合にずぶと二分ほど這入った・・・」この部分の描写の驚くほどのリアリティと美しさは筆舌に尽くしがたい。おそらく世界に恥じない日本文学の代表的なもの。またこの作品には読点が全くないが、読みにくいことはなく、むしろ小説全体を通しての際だった美しさを引き立てている。日本語の可能性を大きく広げる(再認識させる)などあらゆる意味でこの小説はまさに奇跡的とも言える。 2009.1

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    投稿日: 2009.01.15
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    最近はやっているみたいですね。 3月に舞台を見に行くので、読みました。 王様のブランチで太田光も推薦してたし、デーモン閣下も同じ日に横浜で朗読するみたいだし、今年はメモリアルイヤーですか? いやいや。 まずもって文章ですよね。話の筋ってことだけで文学になれるってわけじゃないということを体感。

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    投稿日: 2009.01.12
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    山口百恵が春琴を演じたりしたので綺麗なイメージがあるかもしれませんが、春琴にかしづく佐助に同化しまくりな谷崎のドMっぷりが惜しげもなく発揮された傑作。大好き!

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    投稿日: 2009.01.12
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    美しくわがままな三味線の先生 盲目の春琴と 世話係兼弟子である まぞ佐助の 恋と呼べるのかどうか…まぁそんな感じのはなし。 佐助が自分の目をつくシーンは表現が生々しくて直視できない。 文章だから文字を読まないと先に進めない でも痛々しい。 薄目にして読んだ私。

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    投稿日: 2009.01.11
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    『盲目の三味線師匠春琴に仕える佐助の愛と献身を描いて谷崎文学の頂点をなす作品。幼い頃から春琴に付添い、彼女にとってなくてはならぬ人間になっていた奉公人の佐助は、後年春琴がその美貌を弟子の利太郎に傷つけられるや、彼女の面影を脳裡に永遠に保有するたむ自ら盲目の世界に入る。単なる被虐趣味をつきぬけて、思考と官能が融合した美の陶酔の世界をくりひろげる。』(裏表紙より) 読点が少ない事に始めは驚きましたが、それでも文章がすんなり入ってくるので不思議です。個人的に視覚は最も失いたくない五感なのですが、二人にとっては欠けた世界の方が満ち足りたものだったのでしょう。現実に目を背け、ある意味独り善がりの盲目の中で春琴の理想像を保持しようとした佐助の行為は、果たして美しいのでしょうか。どうしようもなく歪んでいるけど中途半端ではなく、歪みの純度が高い、そんな感じです。

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    投稿日: 2009.01.09
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    春に春琴抄を題材とした舞台を見に行く予定なので 読んでみました。 ぶっちゃけSM。文章が綺麗でした。読めば読むほど味がでるかな。 舞台にするとどんな演出になるのだろうか・・。楽しみ^^

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    投稿日: 2008.12.26
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    読みにくいよ、どこがゼリフなのかト書きなのか、回想なのかわからない この文体が妙な存在感をまし、フィクションではなく実際に弟子の檢校(佐助)が書いた福音書のようなものなのだろう しかしなんだな、この思想 書かれた時期が昭和8年 日本人の偏向した忠誠心を加速させたのではないかも。 佐助という男の悲哀、いや従者としての生き様なのであるが 目を自ら奪う様子は余りにもリアルすぎる、解剖学的に CSI的な描写が書かれている。 うげーという感じです。 いずれにしても凄まじい師弟関係である。

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    投稿日: 2008.12.22
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    いま、この本を読んでよかった。少しでも時期が違えばこの小説をここまで良いとは思えなかった。うまく言えないけれど、二人の関係や根底にひそむ思いに惹かれてやみません。美しい文章。

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    投稿日: 2008.12.12
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    美しい 究極の愛 谷崎の描く女性はいつだって芸術 憫殺、すてきな言葉--- 08/12/10

    0
    投稿日: 2008.12.11
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    触覚的なイメージが豊か。。 痛みを直に感じるから読んでて苦しくなる。 佐助が目を刺してから後の生活の、 病的な美しさは、崇高である。 佐助は彼の妄想の中の完璧な春琴を愛していた。 「本当の私を愛してほしい」と現代の女はよく言うが、 それとこの二人は逆である。 しかし佐助が愛した春琴は、現実の春琴ではなかったが、 本質的な春琴だったのではないか。 現実は一瞬一瞬に表情を変えるものだが、本質はその現実の奥で 緩やかに豊かに流れている。目が見えないことで、それの流れを 佐助は見ていたのではないか。。 もしくは佐助も春琴も不幸な性質で、お互いにお互いではなく 鏡を見て恍惚としていたのか。。。 どっちにしろ、この二人は不幸せそうに見えない。 私は彼らは鏡を見ていただけではないと、思いたい。 お互いの表象ではなく本質を、盲目であるために感じ合うことができた、 愚かで、しかし崇高な恋人だと思いたい。

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    投稿日: 2008.11.29
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    たまに昔の作品を読み返したくなるが、 これは何度も読んでも目新しい発見がある。 明らかな性の描写はないものの、 春琴と佐助の間を流れる空気が艶かしい。 これは究極の純愛か、究極のSMか?

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    投稿日: 2008.09.24
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    盲目の三味線師匠春琴と、それに献身的に尽くす佐助。実は割と短い作品ですが、これは谷崎の最高傑作でしょう。 文学的なのにこの官能、さすがは谷崎潤一郎。「痛い、痛い!」と思いながらも陶酔してしまう。 谷崎の描く女性の美しさは異様です。あそこまで高圧的な性格になると、逆にそれすら美しく思えるのか。

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    投稿日: 2008.09.15
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    本屋にふらりと立ち寄った折、姉に勧められて購入したもの。文学史に明るくないのでよく分からないが耽美派、らしい。危うくて、硬質で、匂いたつような文章、句読点がほとんどなく冗長に見えるのにさらりと読めてしまうのは流石。しかし社会に対する痛烈な批判でもなく、自らをほとんど没入させるしかないような徹底的内省でもなく、とある世界がさらさらと叙述されているだけ(三人称ということもあろうが)、それでも、背筋が凍る。こんな作品(こういうタイプの、と言うべきなのか?他の耽美派の作品を知らないのでよく分からん)には初めて出会ったので衝撃的だった。こんな文学もあるのかと。いや時代背景を探ったりしていけば様々な説明が可能なんだろうけど、とにかく。

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    投稿日: 2008.09.15
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    8月、図書館。 静かな狂気、だけど正しくて艶やかで切ない。 きっと同じことが千回起こっても、佐助は千回とも同じことをするだろう。 等しく何かを失わなければ、魂から融けあえないのならば。

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    投稿日: 2008.08.29
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    ドS春琴がかーわいーー!! 三味線の手ほどきで、さのすけに春琴がブチ切れるシーンは爆笑!! テーマ的に暗いのかと思いきや意外、漫画的描写・キャラ立ちで、結構愉快な作品です。 めっちゃ薄いし、文豪系初心者という方も気軽にチャレンジできます。 ゆるゆるした文章も魅力。

    0
    投稿日: 2008.08.28
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    これはすごいね。強烈で衝撃的な小説。盲目の美女春琴、そして彼女を慕う佐助。この関係はまさにSとM。トイレまで付き添うんですからね。 とある事件をきっかけに美貌を傷つけられた春琴。「佐助々々わては浅ましい姿にされたぞわての顔を見んといて」。春琴の気持ちを汲んだ佐助は自分の目を・・・ 実話を元に書かれたらしいけど、春琴って美人だったんだろうな〜。俺もMっ気があるので、佐助の気持ちはちょっと理解出来るが、とても真似できん。

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    投稿日: 2008.08.24
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    最近、娘の授業の関係で、谷崎文学に触れ、読み直しました。 昔読んだものを20数年たってから、読み返すとやはり新たな発見があります。 春琴の気高さを、昔は嫌ったと思いますが、今はそんな凛々しさをはかなく、美しく思いました。

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    投稿日: 2008.08.22
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    谷崎作品にはまりにはまって高校の時に読んだ作品。 春琴と佐助の関係を愛というのか、ただのS女とM男というのかは、個人の自由だけど… 私はこんなに美しい文体で書かれた二人の関係を愛と呼びたい。 “あなたは自分の好きな人のためにどこまでできますか?” “自分の愛する人のために、どこまで許せますか?”

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    投稿日: 2008.08.17
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    読むと、 「目が、目がアァッ!!」 ってなる作品。 佐助すげえよ。 なんかもう……思い出すだけでイーッてなるわ……! 谷崎潤一郎って、筋金入りのドMなんですよね確か。 奥さんに「奴隷として扱って下さい」などと頼んだ……とかなんとか、以前本で読みました。 その辺踏まえて読むと、色々と感慨深い! かも!

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    投稿日: 2008.08.09
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    春琴と佐助の愛が歪んだ愛と形容される最大の理由はなんなんだろう・・・私が一番歪んでいると感じたところは、春琴だけならまだしも佐助までも二人の間の子供に何の執着も見せなかったこと。物語の展開としては、この後何かが起こることを暗示して話を進めるところや、物語の語り手が春琴伝を鵜呑みにせずに自らの主観を交えているところが上手いと思います。

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    投稿日: 2008.08.03
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     初めて読んだ谷崎潤一郎の小説です。美しい言葉遣いにうっとりしながら読みました。息つく暇もないほどひたすらに語るような文体に(解説では饒舌体というそうですが)、そこここにある大阪弁があわさってなんとも言えない艶かしさを醸し出しています。  そして春琴と佐助の愛のあり方、他者を全く介さない二人だけの世界がくりひろげられています。春琴の佐助への執着や佐助の春琴への献身もあげられますが、やはり佐助が自ら目を潰した後の話がその最たるものと思います。光を絶つことでさらなる思考の恍惚を得て、触覚や聴覚でも春琴を感じ、生涯をささげつくす佐助は私の理解を超えていながらも、どこか憧れのようなものを感じます。

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    投稿日: 2008.07.27
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    私の持ってるのは、新潮文庫版です。 紅ベースで、ゴールドの梅の絵の描かれた表紙が、趣きが感じられて好き。 エロスの巨匠、谷崎。ディープというかアングラというか、そういう世界のお話が多いので、読んだこと無い人は気をつけて。 でもまぁ、その根底にあるのは狂おしいほど一途な純愛だと信じてますが。 行動は社会的に認知されない、っていうか犯罪?ってものも。これも一応、SMっていわれてますな。折檻多いし。 エロテイックで、でも一途な純愛で。 絶対的主従関係で、でもどちらが欠けてもダメで。 異常な程の一種の「執着」。 「歪んだ愛」っていう人もいるだろうけど、私は敢えて純愛って言い続けたい。 現代では絶対有り得ないけれど、だからこそこういう関わり方に心引かれるんだと思う。 痛いけれど綺麗な作品。

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    投稿日: 2008.07.26
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    このレビューはネタバレを含みます。

    この文体、時代、場所、人物すべてが好み。なんとも言えない和の良さが表れていて、自分の趣味に一致していた。筆者の立場がちょっとややこしいけども。句読点が極端に少ないのも古典ぽいような斬新なような、物語とよく合っていると思う。春琴の見た目も性格も好き。実際にいたら嫌なやつかもしれないけれどなぜか好き。人に厳しくて自分に甘いところがあるけれどなんとなく寂しそうな、しっかり(ちゃっかり)していて弱みを見せないところが良いのかもしれない。春琴には琴などの弦楽器が一番似合うと思う。春琴とは正反対の佐助も好き。一生春琴のことだけを考え続けるという、いきすぎなぐらいの想いが常に伝わってくる。あえて言うと見返りを求めないペットのような。最後の方、春琴のために佐助も盲目になる場面は一番良かった。目を潰すところは一番最初にこの話を聞いた時は衝撃だったけど。どちらの立場にも立って考えられる。二人とも痛いぐらいかわいそうだけど幸せそうだと思った。関西弁がめっちゃ似合ってる。(20080724)

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    投稿日: 2008.07.25
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    初谷崎&今年の新潮の百冊ってことで。目潰しのとこはうぎゃあああああああああとリアルに痛かった。なんという孔明の罠。それはおいておくとして、独特な文章の流れは読みにくかったけど面白かったし、佐助の一途な想いに胸がときめいちゃってお姉さんどうしよう状態でした。春琴との関係は想像すると甘くて切なくてイイ。完全に閉ざされたうちの世界で完成された美を手に入れるって言うのは否定はしないけどあんまりポジティブじゃないのが微妙だな。想像の月よりも実際の月の方がいい。

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    投稿日: 2008.07.19
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    主従、師弟、男女といくつもの関係性を持ち乍ら、同化する事はできなかった。目の光を絶って漸く手に入れたひと。

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    投稿日: 2008.07.09
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    いつものドM路線かよ、と思いきや、なんか違う。 ドMはドMなんだけど、底には理解可能な愛があった。 愛するものが私の顔を見るなという。 そのとき吾が目を潰せるか? 通常なら、顔が変わっても愛すると言うだろう。 しかし、顔が変わってまで愛するに値する女性がいるか? 愛することのできる男がいるか? 愛は、行動ではない。

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    投稿日: 2008.06.06
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    美貌と三味線の才能を鼻に掛けわがまま暴力放題のドS春琴さんと泣き虫弱虫へたれ虫のドM奉公人佐助どんのお話です。 あからさまで無い遠回しな性表現が逆に官能的。 読み終わった後は「ん、もしや佐助が・・・」とじわじわ怖くなる。

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    投稿日: 2008.05.19
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    これすごく好き 佐助が痛々しくって仕様がない。ここまで思い詰めることが出来るのは、ちょっと薄ら寒い気もする。春琴に虐げられても変わらなかった愛情。この二人は、互いに関しては本当に「盲目」だったと思う。春琴は態度には出さないにしろ、佐助無くしては生きていけなかったんじゃないだろうか。その感情がねじ曲がって酷い仕打ちに及んだんだろうけど。 危なっかしくて、美しくて。自分は、好きなひとの為ならどこまでできるのかな。

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    投稿日: 2008.04.27
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    こういうベクトルがずれた恋愛って、 本人はいたって真面目なんだけど、 周りからみるとちょっとおかしいってやつだよね。 でも純愛ではある!!

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    投稿日: 2008.04.27
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    実は、実際の本を見た事のある人だったら、分かると思いますが、これ、そうとう薄い、つまりページ数の少ない本なんですよね。 これは、たしか、高校だったか、大学だったかの宿題で、何でも良いからテーマを決めて本を読まなければならない環境で読んだ本です。 つまり、一番ページ数の少ない物をネ。(なんと不純な動機でしょうかね?) でもその不純な動機以上に内容は良かったですよ。 確かこれ、主演男優に「三浦友和」さんがなって映画化されたんですよね。 当時、話題だったような・・・・・。 丁稚奉公人の純愛を描いていると思ったんですが。

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    投稿日: 2008.04.23
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    谷崎潤一郎の短編小説 おばあちゃん家にあったのを拝借。 春琴が何者かに熱湯をかけられた為、佐助は自ら両眼を針で突いて失明した下りは 高校のときの自分にとってはかなり衝撃だった。

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    投稿日: 2008.04.19
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    美しい事の御師匠・春琴。彼女の唯一の欠点は目が見えないと云う事。そんな彼女の目となり手となり足となり、献身的に尽くす弟子・佐助。一見奴隷の様に酷い扱いを受けている様に見える。でも、此の作品ではこれまで妖婦的な女性ばかりを描いてきた谷崎には珍しく弱く脆い美しさを持った女性が描かれている。(気がする) 純愛小説だと思います。

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    投稿日: 2008.03.08
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    大阪道修町薬種商の愛娘、鵙屋琴こと春琴。 琴の名手と言われ育つも幼少の頃、全盲となる。彼女の手引き目として奉公人佐助が昼夜問わず世話を担う・・・二人の師弟関係の神髄とは何か。 文を紡ぐ言葉の細部まで瑞々しく情景的。官能的で美しい。 佐助と春琴の心に突かれて、 後半部は泣きそうになる。 雲雀と春琴のくだりがじわり。 春琴があれ程の女であるにも関わらず目が離せなくなるのは 彼女の生命力溢れる姿があるからだ。 琴、 雲雀・鳥たちの声、 絢爛な食事、 絹ような肌、 師匠として人としての誇り、 これらのことへのこだわりが彼女の魅力を引き立てるんだと思う。 極上の、誇りある生活とは?

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    投稿日: 2008.03.07
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    古い作品なので読みにくいと思いがちですが、読み始めると吸い込まれていくように読んでしまいます。この作品の見所は、やはり佐助の思い「自らの生涯をすべて彼女に捧げる」という、 一途なものにあると思います。 また、主従関係でありながら、強い愛で結ばれる二人。 高校生のときは、佐助は、自分の目をつぶしてまで、なぜ、春琴を愛せるのか理解不可能でした。 逆に言えば、理解したくなかったのかもしれません。今になって読んでみましたが、ここまで愛せるって、ある意味ですばらしいと思ってしまいます。 到底マネはできないことです。愛する人のためなら、何でもできる!!っという言葉を発するはこの佐助しか許されないとも思ってしまいました。主従関係であっても、恋をした仲の二人。 尊敬する思いと、愛すること。全く違うような感じがするのに、2つの気持ちを、佐助は死ぬまで貫いた。これこそが「美」なのでは?と思いました。

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    投稿日: 2008.03.03
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     美しきSM小説。たまらん。奇妙な愛のカタチを、美しく描く文章が素晴らしいです。それから、春琴の関西弁がヨイです……(笑)

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    投稿日: 2008.03.01
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    最愛の人のために、自らの目を針で突く―そんなことが果たして本当にできようか。真実の愛の形が、今ここに。

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    投稿日: 2008.03.01
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    どS(でツンデレかもしれない)女王様とその下僕の話。って言ったら怒られそうだけど。笑 谷崎さんのお話ですし、女王様っぷりは相変わらずなのですが。下僕っぷりは、作品ごとにランキングしたらかなり上位に食い込むのでは・・・? 第三者目線だからか、いつもほどの艶かしさは感じませんでした。けどやっぱりすごい、よ。

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    投稿日: 2008.01.10
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    いっやぁぁぁぁぁぁ…。これ、スゴイですよ。凄まじいです。ものすっごくクレイジーに見えるんですけど、きっとこの人たちにはそうじゃないんだろうな。なんか、恐いちゅーか。すごいちゅーか。純愛なのかときかれたらかなりハテナと言うしかないけど、純愛じゃないのかときかれたら、いやこれは純愛ですと主張したくなります。

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    投稿日: 2007.11.29
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    p47「鶯に次いで愛したものは雲雀であった此の鳥は天に向かって飛揚せんとする習性があり籠の裡にあっても常に高く舞い上がるので籠の形も縦に細長く造り三尺四尺五尺と云うような丈に達する。」

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    投稿日: 2007.11.01
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    一人の女を「盲目的に」愛した男の話。 ともすれば異常なように思える主人公の愛情が第三者の目線で語られることにより純粋が故に危険を孕んだ愛として輝いている。 耽美的な作品で文体も古風だが読み応えがある。 自分はこれほどまでに誰かを愛せるのだろうか。

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    投稿日: 2007.10.10
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    マゾヒスティックな快楽とエロス、そしてその根源としての不変の純愛。あまりに甘美で、春琴は魅力的過ぎる。

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    投稿日: 2007.06.11
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    谷崎の文章は美しい。官能的という言葉が本当に似合うと思う。エロスというよりも艶やかさからくる官能的という感じ。春琴さんが強い女性で驚いた。佐助との関係性が新しい。こういう恋愛も有りだと思う。

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    投稿日: 2007.05.30
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    dainさんのblog「わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」で、ベスト オブ ツンデレ小説の一冊に数えられていた本。改行の少なさ、区読点の非適切さと相まって非常に読み難かったが、良い本でした。

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    投稿日: 2007.05.29
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    愛って色んなかたちがあるんだなぁ。本人たちが幸せだったんならそれがSMだろうとなんだろうと純愛なんだ!と思いました。谷崎先生、流石だよなぁ。私みたいな小娘に言われても、ガックリするだけだろうけど。

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    投稿日: 2007.05.28
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    [耽美]なーんて言われているけど…そうではないですよねぇ(苦笑)映画は見てないのですが…どうなんでしょう…。【盲目】である事、そう育ったこと・・・。愛は盲目なの〜?ち…違うよねぇ(汗)実は谷崎作品ってあまり読んでないのですが…。

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    投稿日: 2007.05.15
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    フェティシズムを抜きにした品のよいSM。究極の愛ともとれる。 激情の過ぎる女に惚れる男の中には、このように見事に服従できる者があるのか。 にしても言葉に表れない女の本心を汲み取り、思うなりに振舞うことができるのは素晴らしい女心の理解者ではないか。 多少読みにくい文体。

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    投稿日: 2007.04.28
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    幸せなSM。 というより、SMという関係性こそ他人と幸福を共有する唯一の手段なのではないか・・・という思想に至りそうで困ります。

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    投稿日: 2007.04.04
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    なるほど、これが耽美主義ね、という感じ。もっと変態っぽいのかと思ってたので期待外れです(何を期待してるんだ)。

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    投稿日: 2007.02.18
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    小学校の頃に学級文庫にあったのを読んで軽くトラウマに陥りました。…な、何でこんなのを読んでしまったのだろう。子供ながらに「なんかエロい」と思った記憶があります。

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    投稿日: 2007.02.17
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    文字通り痛々しいほどの佐助の愛。Mっ気がある奴じゃないと出来ない行為です。そして、谷崎作品すべてにいえることですが、たまらなくエロティック。一歩間違えれば被虐的な官能小説と間違えられるかも…。けど、そうはならず、芸術的で耽美的な世界感に仕上がっているのは、谷崎の織り成す絶妙なストーリーと声色を変えて音読したくなるような美しすぎる日本語の力がゆえ。谷崎文学の一つの到達点とも言える作品だと個人的には思います。

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    投稿日: 2007.01.17
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    絵画を見るような耽美だけど美しい世界。 失明のシーンが生々しくて痛そう。 でも究極の愛の形ですな。

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    投稿日: 2007.01.14
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    純愛ってのは程度の差こそあれども、傍から見ればどれも気違いじみて見えるのかなぁなんてことを思った作品。

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    投稿日: 2006.10.17
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    愛する女性のためにおのれの両目をささげる・・・ まるでシェイクスピアの「リア王」のようではありませんか。

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    投稿日: 2006.08.01
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    ほんまに心同士がお互いを求め合った男と女の愛の形。むっちゃ綺麗。これがほんまに純愛て言うんやろうな。内側から熱いもんがあふれ出てくる感覚を本で初めて感じた。イマドキの恋愛小説なんか読めんくなるでぇ。

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    投稿日: 2006.07.23
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    粗筋は知っていたが、きちんと読んだのは初めて。春琴と佐助の関係を、第三者の視点から描いた点に価値があると思う。作者自身の情緒を感じさせる動きのある文章で、志賀直哉などの淡々とした文体より好み。

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    投稿日: 2006.06.27
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    あなたは、愛する人のために自分を犠牲にできますか? 自ら失明を選んだ男、その愛の深さ、忠実な姿を文語体で楽しんでください。 (薄いけど、時間は結構かかったよ。。。)

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    投稿日: 2006.06.19
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    佐助の、文字通り盲目的な献身と愛が取り沙汰されるけれど、きれいなままの春琴だけを覚えておきたいという彼のエゴイスティックな面も感じられるように思う。

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    投稿日: 2006.06.10
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    谷崎の作品で好きな物を挙げろと言われれば、やはりこれを選んでしまう。粗筋は昔から知っていたが、実際に読んだのは大学生になってからだった。他からは理解し難い、春琴と佐助の愛。直截的な表現があるわけではないのに、作品全体に言葉にしがたい艶かしさが漂っている。 春琴と佐助の関係は、果たして二人の振る舞いそのままに「春琴が佐助より上」なのだろうか。いや、佐助は支配されることで、春琴を支配していたのだろう。 最初は佐助と夫婦になるなど堪え切れない様子だった春琴も、年を経て多少は心が弱くなっていたように見受けられる。しかし二人の間の関係を変えることに肯んじなかったのは佐助だ。彼は最後まで徹底的に春琴を崇め、彼女を自分と同列に置くことを認めなかった。春琴は佐助にとっての太陽であり、太陽がちっぽけな人間である佐助と並ぶことは到底彼にとって許されることではなかったのだろう。 特殊でいびつな形ではあるが、これも所謂愛なのだろう。

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    投稿日: 2006.05.19
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    粗筋を先生に聞いて図書館に走りました。これぞ究極の愛の形ではないかと思います。プラトニックな中にそこはかとなく感じるエロスは谷崎ならでは。

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    投稿日: 2006.05.15
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    絢爛豪華な錦絵のような世界を描き出した作家。官能的でエロティック、したたるように魅惑的な文章を駆使して『刺青』、『痴人の愛』、『卍』、『春琴抄』、『細雪』など大衆文学の傑作を書き上げました。『陰影礼賛』など自らの美意識を分析してみせたエッセイも秀逸

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    投稿日: 2006.05.10
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    谷崎の日本語の美しいこと。句読点が少ないのに何で読み易いんだろう…。この方の描く狂気のようなものに凄く惹かれる。

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    投稿日: 2006.04.29
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    一途すぎる愛。この一言に尽きるんじゃないだろうか。 愛する人の美しい姿を永遠のものにするため、自らの目を潰す。 そこまでしてくれとは言わないが、そのぐらいの激しい愛情を与えられてみたいものだと思ったし、 今は恋愛なんかしたくもないけど、いつかはこのくらい人を愛してみたい。

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    投稿日: 2006.04.29
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    「ベルばら」といえばコレ、と言われて久しい(ホントか?)のにようやく読了!  激しくツボ突かれて大興奮!!  句読点がなくて電車の中では読みにくかったのだけれど、途中から気にならなくなって一気に読み進めてしまった。    春琴と佐助――主家の令嬢とその召使、止むことのない愛情。倒錯的だけれども佐助を哀れに思わないのは私にも春琴が美しく、そして愛らしく見えてしまったからだ。熱湯を顔に浴び、「ほかの誰に見られてもおまえだけには見られたくない」なんて台詞、今までの非道な仕打ちを考えてもまだおつりが来るくらい、佐助が幸せモノに見えてしまった。これこそ恋愛小説の白眉だ。  果たして、男はマノン・レスコーと春琴のどちらを好むだろう。勿論マノンに違いない。でもやっぱり女なら、春琴になりたいと思うもの。(2002/02/27) ■今でもいちばん大好きな古典文学。美しく我儘な盲目の春琴と、何をされても仕えるだけの佐助の、異常で純粋な恋愛小説。ええ、いうなればSとMの世界。硬質で美しい文体からは、ひとつも性愛の表現は隠されていないのに、その実ものすごく濃密にピュアなエロス。今でも私は春琴になりたくてたまりません。

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    投稿日: 2006.04.29
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    身も心も捧げています、特に男の方が。でも彼女もそれに答えているわけですね、周りにはそんなそぶりは全然見せないけど。そしてそんな気位の高い彼女が彼は超好きなんですねー。お墓の建て方まで彼女を支え尽すような形に作るって、そこまでする人もされる人もお互いそんな人に巡り会ってて幸せ者。

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    投稿日: 2006.02.27
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    盲目の三味線の師匠とその奉公人の物語。初めて読んだ谷崎作品だったので、衝撃を受けました。究極の純愛、と思う(笑)

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    投稿日: 2006.02.11
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    誰にも侵されることのない愛。そんな領域に足を踏み入れた時、一体なにを思うんだろう。本当の愛情と本当の美って、実は瞼の裏に潜んでいて、きっと私のような凡人じゃあ永遠に見ることが出来ないと思う。

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    投稿日: 2006.01.30
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    サディスティックな春琴に文字通り、盲目的な愛を注ぐ佐助。アブノーマルにも捉えることのできる世界は、あまりにも美しい。愛の形とは、十人十色である。その中には常人と定義される人間の想像など軽く超えているものもある。佐助の型にはまらない愛は、愛に形などないと私たちに語りかけている。また、流麗な文章は五感がすべて繋がっている事を強く感じさせる。瞼を閉じると不思議と美しい光景が浮かび、甘い香りがするようだ。いわれ尽くしてきた言葉ではあるがまさに、官能、耽美の世界がここにある。

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    投稿日: 2006.01.27
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    一番好き。高校の休み時間に読んでて、目をつぶすシーンで文字だけどうわーーって顔をそむけちゃいました。 でも、やっぱいいよ。こんな愛の形も。

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    投稿日: 2005.06.04
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    小説。これぞ人間しかなせない愛の形…でしょうか。サド・マゾとは少し違いますが、私は佐助の様な男性に魅力を感じてしまいます。でも、内容は成人向け。

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    投稿日: 2005.05.06
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     もう、佐助がとにかく気持ち悪い。卑屈すぎて気持ち悪い。  私には合わなかったようです……。

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    投稿日: 2005.04.19
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     春琴は薬商の末っ子として生まれ、見かけも華やかで、わがままに育つ。9歳の時に何故か失明。その時、11歳の佐助がやってくる。佐助はいわば、召使いのようなものだ。けれど、春琴のわがままに唯一無口に答えられる者として、世話役に等しくなる。  盲目になってから、春琴は三味線の才能を発揮する。それを見ていた佐助は春琴や家の者に隠れて、三味線を練習し始めた。家の者にばれるが、佐助が思いの外うまかったので、春琴に教えてもらってはどうか?という流れになる。春琴の三味線の師匠も盲目で厳しいレッスンで有名だったが、それをまねてのことか、佐助に対する春琴のレッスンも体罰も加わりすごいものだった。しかし、ある時、春琴が妊娠しているのに母親が気づく。両親は盲目で手がかかる娘を好いてくれる佐助ならばと、結婚をすすめるが、春琴は佐助との関係も結婚も認めなかった。盲目に同情されて、との世間の目をはばかるように。「お師匠様」、「佐助」と呼び合う仲にとどめたかったのだ。両親は2人で暮らさせるために、春琴の三味線教室として家を建てる。そこから二人で暮らし出すのだが生涯、その関係に変化はなかった。  後に春琴の厳しいレッスンに恨みをもった者により、春琴の顔がひどく傷つけられたが、佐助はその顔が二度と見れないように自分の目をつぶした。  。。。。う〜〜ん。理解できないなぁ、こんな愛もあるんだね。

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    投稿日: 2005.02.16
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    こんなに痺れた作品は他に御座いません。あまりに痺れて下車出来ず、そのまま山手線一周してしまった学生時代(本当)。それまで只のエロ小説家だと思ってました。ごめんなさい。

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    投稿日: 2004.12.09