
総合評価
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powered by ブクログ何度か読み返すたびに、こういう巧みな文体を楽しむ余裕がほしいなと思う。日本語を駆使してこんなふうに表現するということが、爽快。
1投稿日: 2015.04.25
powered by ブクログ収録されている名人伝を読みたくて手に取る。 笑ってしまうくらいぶっ飛んだ話だけれど、何か一つのことを極めようと考えている人にとっては、これ以上面白い話はないと思う。
0投稿日: 2015.04.23
powered by ブクログ己おのれの珠たまに非あらざることを惧おそれるが故ゆえに、敢あえて刻苦して磨みがこうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々ろくろくとして瓦かわらに伍することも出来なかった
0投稿日: 2015.01.16
powered by ブクログ歴史小説の個人的な楽しみ方は、歴史的人物の表に出てこない一面を見つけるきっかけをつかむことだったりする。 史実からは除けられてしまった、弱者(あるいは史実に残す側に立てなかった敗者)から見た歴史の真実が、物語の中になら隠されているんじゃないか、そう思うからだ。 私が李陵から得たものは正にそれで、かの猛将に蘇武への劣等感があったかもしれないなんて、思いもよらなかった。 拠る古典があるとはいえ、創作としての性質が多分にある以上、それを事実と見なすのはまずいことは分かっている。 でも、人の心の複雑さを思えば、それもまた真実なのかもしれない。 それにしても、子路の何て愛おしいことか。
4投稿日: 2014.10.29
powered by ブクログ高校生のときに教科書で読んだ「山月記」を含む短編4作。 漢文調の文体で描かれる孤独や自嘲には、初めて読んだ頃より今の方が胸を締めつけられる思いがする。かといって暗いばかりでもなく、ユーモアや微笑ましさのある作品も。修練の末に不射之射に至った弓の名手がついには弓が何であるかを忘れてしまう「名人伝」は、荘子外物篇「筌蹄」の一節やオイゲン・ヘリゲル「日本の弓術」を思い起こさせる。
1投稿日: 2014.09.29
powered by ブクログたまたま図書館で、向かいの席に座っている男性が、論語関係の本を何冊も広げている。タイトルが読めるのは、『論語活学』とか。なんか一生懸命、ノートをとったり、と真剣だ。 しかし、私はこんな薄っぺらい本すら、まともに読む事ができない。本文と巻末の注解を、行ったり来たりしている、私を見て、バカだと思われたんじゃなかろうか。 もう、中国関係の本を、読むのはやめます。 内容を理解できない、自分に腹が立ちます。
0投稿日: 2014.07.11
powered by ブクログ【山月記】 才のある李徴という人間が、官職についていたのを下りかねてからの夢であった詩業に就くが、全く泣かず飛ばず。家庭も持つ身ゆえに、苦渋の末官職に戻るが、同期の愚にもつかぬ輩は己の上司であり、自尊心の傷つく日々に、結局耐え兼ね気が狂い、藪をかける中でいつしか虎になってしまったという話。官職時代に友であった袁惨という者が、ある折明け方の山道に差し掛かった時、一匹の虎が踊りで袁惨に襲い掛かろうとするところを翻り叢に隠れた。「危なかった」というつぶやきが聞こえたその声が旧交のあった李徴であることに気づき、呼びかける。その虎こそ李徴であった。 虎に変わってしまった李徴は自嘲するように、自らの醜さを吐き、半生を振り返りながら、袁惨に願いを託す。自らの詩が日の目を見ぬことの口惜しさ、そして妻子の安否。すべては自身の傲慢から人として必要なことを見過ごし、欠け落ち、このようになってしまった。この期に及んで妻子の安否以上に、自らの詩作のことを思う愚劣さ。嘆きつつ受け入れつつ、自嘲しながら思いを託し袁惨を見送る。丘に上がった袁惨の遠目に、一匹の虎が姿を現す。既に白み光を失った月を見つめ、ひと声二声虎は吠えると、叢の中に姿を消してしまった。 中国の昔話のような体を取りつつ、人としての機微、見過ごしてしまうような弱さ、過ちに目を向ける。ごく短い作品でありながら、訴える強さを持つ。まぎれもない名作。 【李陵】 なんとも深い、胸の底から塊のような溜息が転がる感覚がある。司馬遷の記録をもとに、漢の武将、李陵における人生とロイヤリティーの葛藤を巧みに描く。 漢の武帝より匈奴の撃退を命ぜられた李陵は、数の劣も跳ね返し、激戦を繰り広げる。しかし次第に劣勢になる戦況に、とうとう討死の覚悟で臨むが、結果捕虜となってしまう。捕虜になるも、敵軍の王、単于は義に篤きものであり、強者を尊び、李陵を賓客として迎え入れる。故国へのロイヤリティーを貫く李陵を、脅すことも強いることもせず残す。その間幾度も自陣に降ることを勧められるが、いかなる厚遇も跳ね除けその信条を貫き通す。 しかし一方漢においては、李陵は寝返り余すことか敵に戦術も教えているとのうわさが流れ、漢に残る李陵の一族、母親、妻、弟、息子に至るまですべてが謀反のかどで戮せられてしまう。そしてしばらくし、その事実が匈奴にいる李陵に伝わると、今まで守っていたすべての信条は崩れ、忠誠も失せ、恨み骨髄完全に匈奴に身を寄せるようになってしまった。 誰が聞いても忍びない、李陵の事由は自身の背信も正当化した。しかし一人、同じ漢から捕虜の実となった、蘇武なるものがいた。漢にいたころは友人としても心通わせる所あった二人であり、李陵が匈奴に降るまでは、捕虜同士やはり心近く感じる中であった。この蘇武の稀なるは、いかに自身の事情が悲惨に満ちても決して祖国、君主への忠義を曲げることがなかった。匈奴に降ってからの李陵は、この蘇武との関係に複雑なものを感じ始める。降ったことは自身の決めたことでそれだけの理由がある、しかしそこにいくら正当があったとしても、国に背するということ自体にいくらかのうしろめたさがないでもなかった。それは蘇武との関わりの中で
1投稿日: 2014.07.09
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
様々な男の生き様が心理描写豊かに描かれていて、物語として楽しめると同時に人生観や教訓に溢れた短編集。 特に、『李徴』において司馬遷や李徴・蘇武の生き方の違いが一つの物語のなかではっきり対比される様子が面白かった。 司馬遷の生き方に作家像を見て、蘇武の生き方に修業僧のような生き方を見て、李徴の生き方が凡人の人生を語っている。 この三者の人生はそれぞれに過酷だけれど、仕事を宿命と心得て生きる者、自分の志す運命を全うする者、そして生き方にこだわりは持たず考え行動する者・・・・と困難に対する対処が全く異なるのが面白い。 誰が幸せとは言えないが、個人的に「何かを成し遂げた」と言われる人は、それなりに自分の人生に執着していて、強烈な感情に導かれるように生きていると思った。 そして、「人間にはそれぞれの人生にふさわしい出来事しか起こらない。運命は、その人が出来る対処にふさわしい出来事を与えるのだ」(超意訳です)という司馬遷の言葉が、漠然とだが、この三人の人生をも語っているような気がする。 李徴にしても、弟子(=子路)にしても、題名になる人名は多くの登場人物の中でも最も俗っぽい思考家で、悩める男であり、ある意味読者自身を重ねられる存在なのだろう。 自分は子路の性格に自分が重なるように感じ、初めて客観的に自分の融通の利かなさや率直過ぎる率直さを考えさせられた。 そして『山月記』は高校時代に国語で習い、大きな衝撃を受けた作品だったが、昔ほどの衝撃はなくともやはり名作と思った。 この短編集は、強烈に力強い筆力と言葉の紡ぎによって、普通の道しか歩まなそうな凡人の自分にとっても強く人生や運命を意識させ、暗に諭してくれるような作品であり、定期的に読み返したいと思うような人生の書である。
0投稿日: 2014.04.06
powered by ブクログ懐かしい。 中学校の国語の教科書にあったような。 これも、再読。 久々に、難しい単語が出てくる本を読んだなぁ。 とか。 昔、もっと怖かったりまじめすぎたりするイメージだったけど、なんか、今なら意外と普通に読めてしまう、カフカの変身的位付。 年を取るというのもなかなか恐ろしいことである。 ただ、逆に、普通すぎて、「面白さ」が、精神的面白さと言うより普通のドラマ的面白さに変わったような気もする。
1投稿日: 2014.03.02
powered by ブクログ文体のリズム感が大好きで、難しい単語でもするする入ってくる。原作の人虎伝とは李徴が虎になった理由が違うらしく、そこがすごく日本らしい。何度読んでも飽きない作品。
0投稿日: 2014.02.19
powered by ブクログ漢文でわかりづらい所を雑に読んだのは否めないが、シンプルで格調高い文体に楽しませてもらった。中国史に興味を持つきっかけになりそうな一冊
0投稿日: 2013.12.25
powered by ブクログBOOK DATE: 中島敦は、幼時よりの漢学の教養と広範な読書から得た独自な近代的憂愁を加味して、知識人の宿命、孤独を唱えた作家で、三十三歳で歿した。彼の不幸な作家生活は太平洋戦争のさなかに重なり、疑惑と恐怖に陥った自我は、古伝説や歴史に人間関係の諸相をもって芸術の高貴性を現出させた。本書は中国の古典に取材した表題作ほか『名人伝』『弟子』を収録。 ISBN 978-4-10-107701-7 C0193 ¥362E
0投稿日: 2013.11.26
powered by ブクログ2013.11.17 pm12:33読了。青空文庫。高校の教科書に載っていたのを思い出して。意味の分からない単語は調べつつ読んだ。当時はもっと長く感じたが、今回はそうでもなかった。授業のように意味調べや読解の予習がなくて一気に読んだせいと推測。この作者の他作品も読んでみたい。以下印象に残った言葉。「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」「己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずる」
0投稿日: 2013.11.17
powered by ブクログ臆病な自尊心と尊大な羞恥心を押さえきれずに人喰い虎になってしまった李徴。 このメタファー、とてつもなくビビットだと思う。 この李徴は途中人間としての理性を取り戻して自身について省みるのだが、結局最後は人間に戻れない。この結末には、恐ろしい現実が描き出されているのではないだろうか。 すなわち、「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」を自身で管理しきれない人はいつの間にか「人喰い虎」になってしまい、それに長い間、気がつかなければ「人間」には戻れなくなってしまうという現実。 「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」とは「ネガティブなコンプレックス」だ。 しかし、「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」は上手く向き合うことが出来れば、自身をモチベートさせる源泉にもなりうる。 この負のエネルギーに内在する「人喰い虎」としての性質に気がつかない者には、小説が示すような悲惨な結末が待っている。 しかし、負の要素でもエネルギーはエネルギーだ。 分解して、健全なエネルギーを取り出し、負の部分は適切に排出するように自身を心理を設計することは出来ると思う。 メタ認知を心掛け、自身の「ネガティブなコンプレックス」を的確に把握し、それを健全なエネルギーに変換する作業が「人間」として生きていくのに必要なことなのだと思う。
1投稿日: 2013.11.13
powered by ブクログ高校生の時に一度すでに読んでいますが、 何だか久し振りに読んでみたくなりました。 読了後の感慨が、当時あったような、なかったような曖昧な感じです。 改めて読むことで新しい気付きのようなものがあれば、 と期待して読もうと思います。 http://monokaki3.com/n_atsushi-103
0投稿日: 2013.10.16
powered by ブクログ中島敦の小説の中では、高校の教科書に掲載されることの多い『山月記』がもっともよく知られているだろう。では、彼の最も真骨頂を発揮した作品はといえば、それはやはり『李陵』だ。「漢の武帝の天漢二年九月、騎都尉・李陵は歩卒五千を率い、辺塞虜鄣を発して北へ向った」―この最初の1文から、既に我々読者は紀元前1世紀の広大な中国大陸の辺境へと誘われるのである。そして、中島敦の描く李陵、司馬遷、蘇武、それぞれの運命や行動を追体験するのだ。中篇小説でありながら、あたかも大長編を読んだかのような読後感もまた特筆に値するだろう。
0投稿日: 2013.09.26
powered by ブクログ山月記,李陵は自尊心・自我のままならなさを描いている.理想とのギャップ,他人との比較が人を苦しめる. 名人伝は,無我の境地に達する人を描いている. 弟子は,子路の人格を描いている.
0投稿日: 2013.09.23
powered by ブクログ本棚を眺めてたら目に止まって再読。 狂して虎と化した李徴を嗤うことのできる読み手は、いったいどれくらいいるだろう。 「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」 「己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった」 あぁ、これは俺だ! そう思う人間の方が遥かに多いんじゃなかろうか。 15ページにも満たない短編ながら、「山月記」はすごい。 ゾッとするような格調があって、齋藤何某ではないが音読してみたくなる。 この物語の時代背景もおもしろい。 李徴が科挙を通り進士となったのが天宝の末とあるから、その数年後である物語中の時期は、まさに安史の乱の真っ只中だ。 開元の治と謳われた玄宗の治世が終わり、絢爛たる大唐帝国がはっきりと下降していく。そんな時期の話になる。 また冒頭からわかるとおり、李徴は屈指の名門「隴西李氏」の一員である。 唐を建国した李淵が、北方民族の鮮卑系でありながらこの氏族の流れであると自称することで権威付けをしようとしたほどの名門から出た秀才、それが李徴ということになる。 物語のラスト、李徴が無二の友袁サンと永別する場面では知らず目頭が熱くなってしまった。 教科書で読んだ高校生の頃より、この作品を味わえるようになったのかもしれない。
2投稿日: 2013.09.20
powered by ブクログ朗読CD聴いてから読んで良かったわー、山月記。聴いてなかったら漢文調に苦手意識が先行してたかもしれん、読みながら(みきしんはどんな口調だったかな…)って感じで読めたから。朗読CDには最後のトラックに独自の解釈的なおまけが着いてたが、それもありだな、って思ったし。確かにBL的なものを含む「匂い系」に値すると思うが、普通に、かつての世俗に交じっては生きにくそうな利発な友に対する哀れみと郷愁の物語、もしくは文学者として身を立てられなかった「書きたい」人間のありがちな結末、ってだけでも終わっちゃう話でもあるなぁ、とも思ったし。匂い系としては、朗読CDの方が圧倒的に分かり易かった。みきしんが読んでる、と言う意味合いも大きいと思うが。 友情の物語としての側面も大きいと思うが、個人的には一度でも作家(詩人なり漫画家なり、とにかく書く事を生業にしたい、と思った事のある人間)になりたい、と思って、日々の生活に追われて、いつしか(自分が書く必要はないんだ。自分が書かなくても書く人は幾らでもいるんだ)と、書くことを諦めた人間のなれの果ての「虎」と言う方が読んでいて心に迫ってきた。
0投稿日: 2013.09.17
powered by ブクログむかーし、教科書で学んだのは「山月記」だったか、それとも「李陵」だったか。難しい言葉が多かったものの、朗読した際の“響きの美しさ”が印象に残ってた。 それから30年あまり。それなりの経験を経て再読してみると、登場人物の様々な悩みや葛藤を感じることができた。 「理由も分からずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分からずに生きて行くのが、吾々生きもののさだめだ」(p12,山月記) 「天は人間と獣との間に区別を設けないと同じく、善と悪との間にも差別を立てないのか。正とか邪とかは畢竟人間の間だけの仮の取決に過ぎないのか?」(p56,弟子) 「如何なる場合にも絶望せず、決して現実を軽蔑せず、与えられた範囲で常に最善を尽くすという師の智慧の大きさ」(p78,弟子) 「考えることの嫌いな彼は、イライラしてくると、いつも独りで駿馬を駆って広野に飛び出す」(p136,李陵)
1投稿日: 2013.09.07
powered by ブクログ李陵はもう三度目だろうか。読むたびに違ったことを感じる。他の人の読後感を聞いても, 「そんな風に感じるのか」と新鮮な感じを受ける。 本書に登場する男たちは, 密度の濃い生き方をしている。 こういう時代に生まれてみたかったとも思う。
0投稿日: 2013.08.05
powered by ブクログこれもよく教科書などに載っているものです。 短編集ですが、「弟子」や「李陵」など比較的長いものもあります。中国の歴史をもとに書かれており、昔の話をもとにしてるという意味では芥川の短編集と似たような雰囲気を感じました。 中国がもとなので、一見して非常に漢字が多いし、全部の話の語注だけで50ページあります。すべて読むわけではもちろんないですが。これも慣れるとすぐに読めます。 話は史実に沿って、人物を生き生きと事実的に描いてあり、その描写の仕方は面白いです。
0投稿日: 2013.06.24
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
一見、難しそうな本ですが短編集なので、文体のキレも良いので非常に読みやすいです。 特に冒頭の山月記が深いです。 己の中の獣を律することが出来なければ、人は誰しも獣になってしまうのだという部分は、現代に生きる人の戒めの言葉だと思います。 この本、好きです!!
0投稿日: 2013.06.11
powered by ブクログ改めて読みましたが、いやあ、名文ですな。 教科書で取り上げられていたのも頷ける(今でもそうなのかな?)。 『山月記』は触れるまでもないが、個人的には『名人伝』も推したい。 道を究める自信ある者の切ない行く末の描き方が見事。 そして読者に色んな解釈の余地を与える良い意味での余白がある、まさに才人の仕事だと思う。
0投稿日: 2013.05.05
powered by ブクログ教訓だー。肥大した自尊心、これを持ち続けると最終的にはとらになっちゃうよというお話。自分も頭でジメジメと不満をぐるぐると回して、一人で煩悶とすることも多いけど、だめだぞ、という話。性格的にこの主人公のようなタイプの人間は多いと思う、特に日本人に多いんじゃないかなー。中島敦はいいなー。教訓をこんな素晴らしい物語に仕上げるとは、夭逝の天才。
0投稿日: 2013.04.21
powered by ブクログ高校の現代文で習った「山月記」。漢文訓読調の格調高い文体に託された繊細な憤懣慷慨が心に刻み込まれて忘れられない。短いので音読してみたところ気分が高まった。 「李陵」についてだが、李陵よりもむしろ司馬遷の方に作者の魂がこもっている様に感じられた。『史記』を執筆編纂する司馬遷の気概に、芥川の「地獄変」じみたものを感じたのは私だけではあるまい。 李陵は孝武帝を憎むのも祖国を忌むのも人として当然の心情なのだから、自らの在りようをああまで蘇武と較べてその差異に苦しまずともよかろうと思った。 作風と力量に瞠目したため、そのうち収録作の多い岩波版も入手したい。
0投稿日: 2013.04.15
powered by ブクログ(1981.10.02読了)(1979.11.18購入) (「BOOK」データベースより) 中島敦は、幼時よりの漢学の教養と広範な読書から得た独自な近代的憂愁を加味して、知識人の宿命、孤独を唱えた作家で、三十四歳で歿した。彼の不幸な作家生活は太平洋戦争のさなかに重なり、疑惑と恐怖に陥った自我は、古伝説や歴史に人間関係の諸相を物語化しつつ、異常な緊張感をもって芸術の高貴性を現出させた。本書は中国の古典に取材した表題作ほか『名人伝』『弟子』を収録。
0投稿日: 2013.04.09
powered by ブクログ『山月記』高校の教科書にありました…っけ?。覚えていない。しばし読書から離れていて、身体が文学を欲し飢えていたので読んでみた。臆病な自尊心と尊大な羞恥心。とても身に染みる。骨の髄にまでしみた。今の自分は虎なのかと考えてしまう。もっと早くに読んでおけばと思ったが、学生時代の自分には理解できただろうか。とにかく今日読めてよかった。読み始めは意味のわからない言葉が並んで難しいのかと思ったが、あまり気にしなければスラスラといける。頁も短いのでこれから何度も読み返そうと思う。
0投稿日: 2013.04.08
powered by ブクログ尊大な羞恥心という言葉が忘れられない。 なぜ現国の教科書に載っていたかがわかる気がします。 原作の人虎伝とは虎になった理由が違うらしいということはついさっき知りました・・・
0投稿日: 2013.03.04
powered by ブクログ山月記、名人伝、弟子、李陵の4作品。いずれも読み終わった時の虚無感がある満足感。特に名人伝の最後は面白い。
0投稿日: 2013.02.10
powered by ブクログしかし、なぜこんなことになったのだろう。分からぬ。全く何事も我々には分からぬ。理由も分からずに押し付けられたものをおとなしく受け取って、理由も分からずに生きていくのが、我々生き物のさだめだ。
0投稿日: 2013.01.31
powered by ブクログ高校の時、授業で扱った『山月記』。李徴の言葉の裏にある、自分を分かってほしいというような、今はもうすべてを受け入れているように見えてそうではない自嘲的なものいいに、あの当時衝撃を受けたんだよなぁ。我が身に置き換えたのだっけなぁ。見透かされたような恥ずかしさを覚えたんだっけなぁ。 だから手許に置いてたまに読み返すのです。
0投稿日: 2013.01.22
powered by ブクログ『山月記』は忘れていましたけれど、確か高校生くらいに国語の授業で勉強したことがあります私。 李徴という男が人食い虎に変身する話ですね。ある日、虎の李徴は通り掛かりの男に襲いかかろうとしますが、それが昔の友人であることに気付き、襲うのを止めて彼と話し合います・・・。 中島敦は33才で亡くなりました。ちょうど今の私の年と同じですね。私の幼稚な文章と比べて、見て下さい。中島敦のこの完成された文体を。 『山月記』は短い作品ですけれど、教科書に載るだけあって、作者の統御が隅々までなされている作品ですね。 『名人伝』は、紀昌(きしょう)という男が、天下第一の弓の名人になろうとする話です。 紀昌は飛衛(ひえい)という名手に弟子入りしますが・・・。 『弟子』は、舞台は中国、孔子の生きていた時代で、孔子とその弟子の子路(しろ)を中心に描かれた話です。 子路は賢者のほまれ高い孔子の化けの皮を剥がしてやろうと彼の元に出かけますが、孔子と話をするうち、孔子の人物の偉大さに感じ入り、彼に弟子入りします。 孔子を尊敬しつつも、納得できないことがあれば他の弟子とは違い、孔子に食ってかかることもある子路。そんな直情径行ぎみの子路ですが、衛(えい)の国の政治家に推薦され、彼なりに善政を敷きますが・・・。愛すべき子路の末路が描かれています。 『李陵』・・・舞台は中国。時は漢の武帝の頃です。武帝の命を受け、李陵は国境を侵した匈奴との勝ち目の無い戦いに出陣します。 刀折れ、弓尽きてもなお死闘を続けた李陵ですが、ついに匈奴の王、単于(ぜんう)に捕えられます。しかし李陵は単于から捕虜としての扱いではなく、まるで貴賓を遇するかのような厚遇を受けます。 李陵は単于の命を秘かに狙い続けますが、その好機を得ないまま時が過ぎ、ある時、漢帝国が匈奴に大敗を喫した時、あらぬ誤解から李陵の妻子・親が武帝によって死刑に処せられます。漢のために命をかけている李陵ですが、その漢に一族を皆殺しにされ、もはや帰る場所もありません。 登場人物には、他に司馬遷なども出てきます。司馬遷は、李陵の妻子が殺されそうになった時、ひとり反対意見を述べるのですが、そのために「宮」という体罰を課せられます。宮というのは、性器を切り取る刑罰なのですね。昔の中国には、他にも、鼻を切り落としたり、耳を切り落としたりする刑罰が存在したのですね。 「帰る場所がない」というカフカに似たテーマもいいですね。 中島敦は博学ですよね。まあ、今さら言うほどのことでもないかもしれませんけれど。そして、題材を昔の史実や伝説、昔話などに求め、その中に自分なりのテーマを展開していきます。 難しい漢字がけっこう出てきますけれど、リズム感があるので、それほど読みづらいわけでもありません。勉強にもなりますし、楽しめますので、読んでみてはいかがでしょう?
0投稿日: 2013.01.06
powered by ブクログ"人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだったのだ。 "
0投稿日: 2013.01.05
powered by ブクログ中学の高校の教科書の題材を改めて読み直した。 自分の才能に賭けることなく失敗を恐れて虎の姿となり、更にその気持ちを共有することも出来ずに悩む負のスパイラル。 これを初めて読んだ当時より、自分も保守的になった気もする
0投稿日: 2012.12.23
powered by ブクログ中国出張のお供に持って行きました。山月記と名人伝は読んだ事があったけど、李陵や弟子も面白かったです。中島敦の文章の格調の高さに圧倒されます。
0投稿日: 2012.12.15
powered by ブクログあまりにも有名な山月記。 教科書に載っていたので、深く学びました。 人間の欲望は凄いと実感。 他の作品も、素晴らしい。
3投稿日: 2012.10.03
powered by ブクログ高校の教科書で出会って以来、何度も何度も読み返している。その度に、自分の心を見透かされているような気になって涙が止まらなくなる。 これからもずっと読み返していくだろうと思います。
0投稿日: 2012.09.24
powered by ブクログつぎなに読もうか決まらないときは、中島敦の本に戻る。何回読んでも引き込まれる。名人伝は最高傑作だなあ。中島氏の言い回しがなんとも言えない絶妙なこの…言葉がでない。死ぬまでに何回でも読みたい。
0投稿日: 2012.08.27
powered by ブクログ袁傪が考えた,李徴の詩に欠けているものは一体何か,というのがよく問題にされる.それは,人間らしい心,愛,といったものであるという解説をときどき見かける.確かにそれらは李徴に欠けているものだ.しかし,それらがあるからといって,優れた詩が書けるわけではない.人格破綻者のような人間が素晴らしい芸術を生み出すという事例は枚挙に暇がない.やはり,李徴の詩に欠けていたものは,優れた詩を作りたいという純粋でひたむきな一念だったのではないか.李徴の詩作の動機は,虚栄心としかいいようがないものであった.そこに人生の一つの地獄があるのであり,それ故にこそ,私はこの作品に深く共感するのだ.
2投稿日: 2012.08.03
powered by ブクログ名文と名高い?だけあって、決して簡単な内容じゃ無い筈なのにするする読めます。教科書にも載ってたしね! で、この本は『山月記』目当てで買ったのですが個人的には『名人伝』もおススメ。どういうことなの…って気分になる(笑)
0投稿日: 2012.08.01
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
「山月記」を読んで、多分メタファーとして思いつくお話。 学校の成績が良くて大人びていた李徴は、いい大学を出て一流企業に就職した。 でも一介のリーマンで終わるより、昔から夢見ていた詩人になって、後世に名を残したいと思っていた。 仕事をやめて詩作に打ちこむも、ずっと芽が出ない。 そこで、妻子を養うためにアルバイトする。 ところが、「かつて一流企業に勤めていた俺が……」と劣等感ばかりがつのる。 がまんできずに仕事をバックレ、失踪してしまう。 ある日、公務員の袁傪が治安の悪い土地を視察していると、食い詰めた男にカツ上げされそうになる。 それはかつての学友、李徴だった。 薄暗い居酒屋で久闊を叙す二人。 李徴は自分の書きためた詩のいくつかを袁傪に読ませる。 「うーん、よく出来てるんだけどなんだか……」 李徴の作品は、人生の苦難や挫折、他人と切磋琢磨をすること、人前に出してボロカスに批判されること、などを避けてきたため、人の心を打つ深みというのものが欠けていた。 李徴はもう落ちぶれて、犯罪者すれすれの生活をしている。 善良な人間らしい感覚を失いかけている。 「家族に、俺は死んだと伝えてくれ」 最後に李徴はそう言った。 そして別れ際、袁傪にあるアドレスを伝えた。 それは、李徴が現在の落ちぶれた境遇をありのままにつづった詩を、掲載したサイトのアドレスだった。 人生経験から逃げて、小説家になって一発逆転したいと願う作家志望者が、 挫折や屈辱を避けて生きてきたために人の心を打つ作品が書けず、 人間としての尊厳を失って親に当たり散らすひきこもり二ートになっていくような…… そんなメタファーも浮かぶ。 あと中島敦では「文字禍」もよかった。
0投稿日: 2012.07.10
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
理由も分らずに押し付けられたものを大人しく受け取って、理由も分らずに生きていくのが、我々生きもののさだめだ。
0投稿日: 2012.07.05
powered by ブクログとっつきにくいけど、入り込むと、ぐいぐい引き込まれる文章。 たった70年程前?に書かれた本とは思えない程、日本語の変化を感じる。 昔の日本語はさも綺麗だったのか。そして漢字の豊富さ。昔の日本人はもっと感性が豊だったのかもしれない。 内容は、示唆に富む。また手に取って読めば、違う捉え方が出来そう。 今の私にとって、「弟子」の中で、 汝には、そういう小義の中にある見事さばかりが眼に付いて、それ以上は判らぬと見える。古の士は国に道あらば忠を尽くして以てこれを輔け、国に道無ければ身を退いて以てこれを避けた。こうした出処進退の見事さは未だ分からぬと見える。 物事は大きく見ないといけないよね。。。
0投稿日: 2012.06.25
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
青空文庫。何度か再読している短編。確か文庫も持ってたはず。 毎回ここで、言い訳ばかりのわが身に「ああ…」となる。 「己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった。」 今回はここも印象に残った。 「理由も分らずに押し付けられたものを大人しく受け取って、理由も分らずに生きていくのが、我々生きもののさだめだ。」
0投稿日: 2012.06.19
powered by ブクログ皆大好き山月記 変身譚の代表的作品ですよね 臆病な自尊心と尊大な羞恥心 そんな難しいこと言わなくたってみんな虎になりたいさ
0投稿日: 2012.05.27
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
高校の教科書に載っていたのを読んで以来、ン十年ぶりにきちんと再読いたしました。 きっかけは、数カ月前に『ラジオ文芸館』での朗読を、何気なく耳にした事から…。(2006年の日記より転載) ネット閲覧などしながらの超ナガラ聞き、「ハイハイ、虎になったコト嘆いているのね…」などと、主人公の独白をやや小バカにしたような気持ちで聞いておりましたに、物語が締めくくられようとする頃には、悔恨内容の、あまりの『痛さ』に全神経がラジオ音声に集中しておりました。 しまった、私も『虎』になる…。ズバリ、そう思いました。 おそらく虎にすらなれない身でござりましょうゆえ、もっとタチが悪いかも…とも思いました。 なぜ私めがそう思ったか、気になられるかたはご一読を…。 日頃私めが抱いている後ろ暗い悩みの一端を公開するようで、ご覧いただきたくないような気もするのでござりまするが。 どんな形でも『生きる』という事それ自体に意味があるのなら、虎になって、人間でいた頃の事を忘れられるほうが遥かに幸せかもしれない…。 けっこう本気でそういう感想を抱いている、自分そのものも『痛い』です。
0投稿日: 2012.04.19
powered by ブクログ自我に対する疑問や否定、人間的成長への渇望。 主人公たちは読者を投影する。また作者自身でもあったのだろうか。 漢字の多さも相まって、しんどい、しかしながら深い。
0投稿日: 2012.03.19
powered by ブクログ学校で習って以来久しぶりに読んだ。主人公、李徴の心を思うと悲しくなった。若い頃は「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」という言葉がとても印象的だったが、大人になって読み返すと全てが自分に似ており、恐ろしくもなった。そして何より哀しかった。心に深く突き刺さる、悲哀に満ちた示唆的な物語だ。
0投稿日: 2012.03.07
powered by ブクログ#dks 「山月記」中島敦、読んだ。読書会間に合わず。良かった。硬質で透明な雰囲気の作品だ。発酵酒じゃなく蒸留酒。ハンドルしきれないドロドロの自意識が、虎となった今も自己分析と自嘲を止めさせない。境遇を孤高へすり替え、嘆きながらも垣間見えるナルシシズムが哀れ。(つづく) #dks 自意識と自尊心。自分の見極めって本当に難しい。身につまされる。今回初読みだったけど、これ中学の頃に読んでなくてよかったなあ。耐えられずに窓から身を投じそう。あと、李の作品が一流の部類なのに「何かひと味足りない」理由は、なんか判る気が。結局自意識がブレーキかけちゃう。 「山月記」の「李の作品がひと味足りない」という部分を読んで、中学時代の詩作で、評者に「透明で密度が高いが、言葉を選びすぎて端正になっている」というコメントをもらったことを思い出した(当然褒められてない)けど、どんな詩を書いていたのか全然思い出せない。あの文集どこへやったんだろ…
0投稿日: 2012.03.05
powered by ブクログ2012年2月29日読了。Readerにて読了。匈奴に下った漢の武将・李陵の戦いと屈折(と、彼のために宮刑に遭った司馬遷の煩悶)を描く「李陵」と、現実にそぐわない自意識から虎に変じた男を描く「山月記」の2編。いずれも学生の頃の課題図書で読んだ記憶があるが、若い頃には「なんだか読みづらい文章だな」と思い感銘を受けなかったが、歳をとってから読むと非常に感慨深いものがある・・・。「正しく生きること」「自分の醜さ・世のままならなさを受け入れること」は難しい。「何はともあれもがくこと」は正しいことではあるが、もがく自分の醜さ・イヤさは受け入れがたいものだ。
0投稿日: 2012.03.01
powered by ブクログ学校の課題で読んだ一冊。 歴史の予備知識もなにもない状態で読んだので、正直意味がわからなかった。 ある意味もったいないことをしてしまったかも…
0投稿日: 2012.02.11
powered by ブクログ李陵という一人の将軍の生きざまをありありと描いている。 単なる歴史物ではなく、丁寧な描写を通じて表現される李陵の胸の内は読者である自分自身のことのようで、胸が疼いてくる。 山月記に並んで声に出して読みたい日本語。 シンプルでありながら深い苦悩が人間性を一層際立たせ、物語に深みを加える名著。
0投稿日: 2012.02.11
powered by ブクログ羞恥心と自尊心に目を奪われやすい作品です。 しかし、もう一歩踏み込んで考えてみると 執着と解放のあり方について説いている 物語と解釈もできるのかもしれません。 李徴は詩人に本当になりたかったのか? そもそも虎は本当に低級な生き物なのか? 李徴の言動というのは意外に広い解釈の余地が あるものなのかもしれないと今更ながらに気付かされます。 大人になってから何度か読み返すと そのたびになにか発見が期待できるというのは 名作である所以なのかもしれません。
1投稿日: 2012.02.06
powered by ブクログ山月記やはりいいですね。 素直に生きることの難しさを感じました。 漢文調なので格調高い文体ですがリズム感があり読みやすいです。 ただ脚注が多いので少し苦労したりもします。
0投稿日: 2012.01.25
powered by ブクログこれは高校の国語の教科書で習ったが、ずっと心に残っている。 どこか語りかけるような韻を踏んだような語りのリズムだとか、虎と成り果てた李徴が持っていた臆病な自尊心と尊大な羞恥心だとか。 人間の奥底に潜んでるだろうこの二つのプライドに私はひどく共感してしまった。 どうせならこの物語を暗誦ぐらいしたいなと思いつつ、今は本を買って読んでる。
0投稿日: 2011.12.17
powered by ブクログ中国の古典を下敷きにしながらも、 そこから流れてくるのは、その人物への愛着である。 どの人物にも実直という言葉が当てはまりそうである。 人への愛が伝わる。
0投稿日: 2011.12.09
powered by ブクログ文体が素晴らしく格好良い。 そうか、国語の教科書に載ってるから知ったんだ。みなさんのレビューを読んで気づく。
0投稿日: 2011.12.03
powered by ブクログ高校の授業で、初めて『山月記』を読んだ時の衝撃は忘れられません。 自らの狷介さが招いた結果とはいへ、志半ばで虎の姿に変り果てた李徴。人間の心を取り戻す時間があるといふのが一層残酷ですね。 友人が通りかかつた時、人間の心を持合せてゐたのが、せめてもの幸ひ。さうでなければ、彼を襲ひこれを喰ひ殺し、従つて自作の詩を残す事もできず、自らの存在を知らしめることも叶はなかつたでせう。 李徴の悲哀も胸に迫りますが、何よりこの文章自体がかつこいい。リヅムがある。引締つてゐる。贅肉が無い。まさに声に出して読みたい日本語であります。 最初のページで「隴西の李徴は博学才頴、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね」から「その後李徴がどうなつたかを知る者は、誰もなかつた」まで簡潔に物語る。この1ページの内容だけで、長篇小説が1冊書けさうです。 『名人伝』は弓の名人を目指す紀昌といふ男の物語。 師匠に命ぜられるまま、目の基礎訓練に5年もかけて修行し、遂に虱が馬ほどの大きさに見えるほどになります。師匠から学ぶものがなくなり、次いで甘蝿老師なる大家の門を叩く... 結末には意表をつかれます。寓意を込め過ぎて、物語としては単純化されたやうです。 『弟子』とは、孔子の一番弟子・子路の話。まことに愛すべき人物として描かれてゐて、自己の保身ばかりに汲々とする私としては、ひとつの理想像であります。 『李陵』では、漢の李陵が匈奴と戦ひ善戦するが、兵力の差が大きすぎて結局捕へられ捕虜になる話。時の為政者武帝は情報の真偽を確かめもせずに李陵を裏切者と断じ、激怒の挙句李陵の親族を皆殺しにしてしまふ。とんでもない奴です。以降、李陵は漢へ戻る意思を失ふのであつた... ほかに『史記』の司馬遷、漢の使節・蘇武が登場します。李陵と司馬遷はそれぞれに大いに苦悩しますが、蘇武は李陵を更に悩ませる存在として別の存在感を示します... 本屋へ行き新潮文庫の100冊コーナーでうろうろしてゐますと、いまだに本作品がそのラインナップに名を連ねてゐることが分かります。といふことは現在でも新しい読者を増やしてゐるのでせう。 太宰や清張だけではありませんよ、実はこの中島敦も生誕100年なのでした。 http://genjigawakusin.blog10.fc2.com/blog-entry-41.html
0投稿日: 2011.12.01
powered by ブクログ山月記は教科書で読んだことがあった。 読み返して、懐かしくなった。 李陵は、話の大筋は知っていたが、非常に興味深く読めた。 他の数点の話も、短編であったが読みごたえがあった。
0投稿日: 2011.11.12
powered by ブクログ以前に一度読んだことがあったが、気になってもう一度読んでみた。 こういう作品を黙々と読む時間を大切にしたい。
0投稿日: 2011.11.06
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
高校の教科書に必ず載っている、山月記。 たまに朗読したくなる(そしてする)。 高校生のときに教わったときは意味もわからないだろうに熱中した。 そう。誰もが猛獣を飼っている。
0投稿日: 2011.10.31
powered by ブクログ「山月記」は高校の教科書で初めて読んでからすきな作品。読んだのは何回目になるか。 元になった人虎伝も以前読んでみたことがある。 「山月記」の李徴は「人虎伝」の李徴と比較して、より孤独になってると思う。 あと、最後に李徴から虎の姿を見せることは自らの現実に対する諦め・受容の現れだと勝手に思ってる。 全体の文がすき。リズムというか拍というか。 今回は黙読したあとに音読もした。音読とかしたのかなり久しぶりだ。 「弟子」は子路が良い。あいすべきわんこのイメージ。 「名人伝」は去年だかにDVDで人形劇を見た。 「李陵」は誰に主軸を置いて読むかによって変わってくる。 でもやっぱりこの4作品だと山月記が一番すきだ。
0投稿日: 2011.10.21
powered by ブクログけして読み易い文体ではなく、主題も面倒に感じるかもしれない。 けれど、いたって単純で簡素。 一度は、読んでみてほしい作品。 早世の作者が遺した、人間らしい名作です。 コレが、私個人にとって、生涯唯一の一作。
0投稿日: 2011.10.09
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。 天才だと思った。 高校の教科書に載り続けてる作品。 緻密な日本語と漢文の世界観が見事にマッチしている。
0投稿日: 2011.10.02
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
『山月記』しか読んでいないのですが、とりあえずログ。 高校の教科書で読んで、このたび再読。 *・・・*・・・*・・・*・・・*・・・*・・・*・・・*・・・*・・・*・・・* 人々は己を傲慢だ、尊大だと言った。 実は、それがほとんど羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかった。もちろん、かつての郷党の鬼才といわれた自分に、自尊心が無かったとはいわない。しかし、それは臆病な自尊心とでもいうべきものであった。己は詩によって名を成そうと思っていながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交わって切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。共に、我が臆病な自尊心と尊大な羞恥心との所為である。 己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨こうともせず、また、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった。(中略)人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は、才能の不足を暴露するかもしれないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだったのだ。 *・・・*・・・*・・・*・・・*・・・*・・・*・・・*・・・*・・・*・・・* このまま何事もなく終わるのか、という将来に対する漠然とした不安と、かといって何をするわけでもなく、現状を維持することしかしない実際の自分の行動。なんだかグサッ!と痛いところを突いてくる部分を抜粋。 このままじゃだめだな、って思うなら何事にもチャレンジしていかなければいけないと、自分に言い聞かせて、本を閉じました。
0投稿日: 2011.09.24
powered by ブクログ一番好きなはなしはなんですかと聞かれたら、わたしは「山月記」とこたえます。 短いながらも高校の教科書にのるくらいには有名なはなしですし、わたしがいちばん最初に「山月記」を読んだのも高校の教科書でした。国語の授業は死ぬほどきらいだったのですが、このときばかりは真面目にとりくんだ記憶があります。 起承転結のしっかりとしたはなしではありますが、起伏に富むはこびではありません。しかしそれでもぐっとひきこまれるような魅力があります。個人的にはしっかりとした知識に裏打ちされているがゆえのはなしの深みがもたらすものであると考えていますが…ファンタジーに近いものであるのにそれでもしらじらしくないというのはそれだけで称賛にあたいするのではないでしょうか。
0投稿日: 2011.09.22
powered by ブクログ「李陵」を再読と思ったのだが,どうも全く内容に覚えがない.たぶん初読.中島敦の漢語を多用した非常にリズムのある文章(音読してみると本当に心地よい)で,語られる李陵,司馬遷,蘇武の3人の人生のアラベスク.この3人のうちのどれが最良の生き方かを問うのではなくて,三人三様の人生の深さ,重さ,悲しさを感じさせるところにすごみがある.
0投稿日: 2011.09.18
powered by ブクログ4つの話が入ってます。大きくわけるなら友の話が二つと弟子の話が二つ。 李陵 自分に報いてくれなかった故国への想いと捕虜でありながらも手厚く尽くしてくれた他国への想い。その想いに悩む李陵。 山月記
0投稿日: 2011.09.15
powered by ブクログ一度読んだ本は実用書以外は読み返さないのだけど、これと人間失格だけは、何度も読んだ。これは特に、道に迷った時に読み返す。たぶん、高校の教科書に載ってて、それで読んだのが最初じゃないだろうか。
0投稿日: 2011.08.13
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
李陵は何かが起こるようで、起こらない。歴史の一場面を蕩々と描いているだけだが、読み出すととまらなくなる。中島敦の今はほとんど使われなくなった漢語表現が、場面に立体的空間を与える。個人的には名人伝は武道の達人を描いているようで、とても面白い。天下無敵とは誰よりも強いのではなく、敵が誰もいなくなった境地であると感じる。そういえば、在宅で診ている百寿の方には病気に打ち勝つ、という人はほとんどいない。うまく付き合っている人ばかり。相通じるものがあるのかな。
0投稿日: 2011.07.31
powered by ブクログ高校時代、教科書に載っていた。その割には、あまりにもぐいぐいと読みふけってしまった。 自分も似た部分があるのではないか。 何か、気持ちを読まれたような、自分も欲深すぎるような、そんな罪悪感というか共感というか、そんな気分に襲われた作品。 短いけど、世界観は素晴らしい。
0投稿日: 2011.07.20
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
斉藤孝先生の「論語力」を読み終わったら、久しぶりに「弟子」が読みたくなって再読。中島敦、やっぱり大好き。漢文が好きなので、まさに「声に出して読みたい日本語」なのです。 そして新潮文庫版がフォントサイズもちょうどよくて好き。 表紙とか。
0投稿日: 2011.07.04
powered by ブクログ漢文調なのでとっつきにくいし、中国の故事を題材にしてはいるが、よく読めば中身は全然古臭くなく、「古典」の読みづらさは感じない。逆に戦前の作家と知って驚きを覚えるほどだ。
0投稿日: 2011.06.19
powered by ブクログ高校の教科書で読んで以来、読み返していなかった山月記。唐突に思い出し、無性に読みたくなって慌ててブックオフに駆け込みました。 思わず朗読したくなる名文に、古典に基づいた明快なストーリーを支える深い人間洞察と社会の悪を抉り出す鋭い知性、本当に素晴らしいです。臆病な自尊心と尊大な羞恥心。「山月記」は自分を戒めるために、これから先の人生で何度でも読み返したい。 他の短編だと、「弟子」「李陵」が大好きです。子路の真っすぐさがまぶしい。勧善懲悪を諦めない、自分が正しくないと思った事柄に対して迷いなく憤れる子路が好き。わたしもこうありたい。「李陵」は戦時下の知識人の知性と行動における苦悩も暗示しているのか。人に知られざるを憂えぬ人に冷や汗をかいてしまう、人間的な李陵が良い。苦悩と孤独は暗示しているものがわからなくても痛いくらい伝わった。 すごくすごく面白かったーー教科書で読んだ時はそこまで響かなかったのに、不思議。こういう時、教育を受けて来て良かったなあと思う。
0投稿日: 2011.06.18
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
2011 6/15読了。有隣堂で購入。 高校時代、数編読んで好きだなあと思ったっきりでその後がなかった(そもそも作品が少ないのだが)中島敦を、今さらながらなんとなく読もうと思ったので買ってみた本。 収録4編のうち、初めて読んだのは「名人伝」だけだったが、面白さを再確認した。 というか「名人伝」の結末、聞いたことはあったが(それが中島敦の「名人伝」とは知らなかったが)秀逸すぎる。それ一つとっても戦前の作家の中ではトップクラスで好きだ。
0投稿日: 2011.06.15
powered by ブクログ『弟子』の最後の文章が美しい。 でも、この作者のもので好きなのは『文字禍』。どの本で読んだか覚えてないけど。
0投稿日: 2011.06.10
powered by ブクログ「山月記」のみ。ページ数にしたら、僅か10Pばかり。しかし肥大した臆病な自尊心を飼い太らせて虎になってしまった李徴の語りが、これが結構なかなか心を打つところがある。 わずか33歳で急逝していった中島敦という人。長く生きることは必ずしもいいことじゃないけど、それでもなあ。本人的に無念だったろうと。
0投稿日: 2011.05.22
powered by ブクログ小説『山月記』、映画『アマデウス』について。 昔から、苦しむ秀才の物語が好きだ。非凡な才能を持ち、それなりに努力もする。しかし、何かか足りずに天才には及ばず、自らを凡庸だと嘆き悲しむ。本当の凡人なら、天才との差も分からないまま一生を終えるだろうから、ひょっとするとそちらの方が幸福な人生なのかもしれない。しかし秀才は、悲しむべきことに明晰な頭脳を持っているから、天才と自分自身との間にある絶望的な隔たりをしっかりと認識できてしまう。 サリエリが他の宮廷音楽家達のように、モーツァルトの音楽を単に騒がしいだけの雑音だと思うことができなら、彼はどれだけ平穏のうちに人生を終えることができただろうか。しかし彼はモーツァルトの素晴らしさを理解できるほどの感性を持ってしまい、その感性は自分がどれだけ努力しても届かないものであることを悟ってしまったばかりに、彼はあそこまで深い苦悩に苦しめられてしまった。そのような賞賛の念と嫉妬の心との狭間で揺れ動いた男、サリエリを描いた作品が、映画『アマデウス』だ。 『山月記』もやはり、一流の詩人を目指した李徴が挫折し発狂する中で虎へと姿を変えてしまう、そういう悲劇的な秀才を、日本文学史に残るほどの格調高い日本語で記した作品である。 虎へと姿を変えてしまった李徴と、旧友である袁惨との会話によって物語は進んでいく。李徴は確かに才能ある詩人であったが、己の才能を否定されることが恐ろしくて他の詩人と関わろうとせず、才能を磨くことに怠慢であった。その一方、己の力量を信じるがゆえに、詩の道を諦めることもできなかった。本人の言葉を借りれば、「臆病な自尊心と、尊大なる羞恥心」のせいで、彼は大成することができなかった。 サリエリはモーツァルトの死後、常に罪の意識に苛まれ続けながら余生を過ごし、李徴は虎へと姿を変え詩を詠むことすらできなくなった。どうして神様は彼らに、あそこまで「中途半端」な才能しか与えなかったのだろうか。誰よりも分かる、理解できる、感じることができる。なのに、自分がそこに到達することは絶対にできない。どんなに苦しんで生み出した作品でも、それが天才達のそれの足元にも及ばないと分かった時、彼らはどれだけ絶望したのだろう。 だから、二人とも叫ばずにはいられないのだろう。どちらの作品とも、その最後は、悲痛な叫びで幕を閉じる。サリエリは収容された精神病院で叫ぶ。「モーツァルト、すまなかった。」と。李徴は袁惨が去った後、丘の上で叫ぶ。しかし彼はすでに虎に支配され、叫びは言葉にならない。虎の鳴き声がこだまするだけである。 憧憬、嫉妬、謝罪、多くの意味を含んだ二人の叫びが語りかける先もやはり、天才になることなどできない、秀才が関の山の、凡々たる我々自身である。
1投稿日: 2011.05.20
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
文章が音読したくなるほど、美しくてうっとりする。流麗この言葉に尽きる。うおぉぉ!! 面白いというよりは、ほぅ、好き……という感想が前に来る。論語が読みたくなった。孔子様、相変わらずかっけいです。
0投稿日: 2011.05.12
powered by ブクログ中島敦は、幼時よりの漢学の教養と広範な読書から得た独自な近代的憂愁を加味して、知識人の宿命、孤独を唱えた作家で、三十四歳で歿した。彼の不幸な作家生活は太平洋戦争のさなかに重なり、疑惑と恐怖に陥った自我は、古伝説や歴史に人間関係の諸相を物語化しつつ、異常な緊張感をもって芸術の高貴性を現出させた。本書は中国の古典に取材した表題作ほか『名人伝』『弟子』を収録。
0投稿日: 2011.03.31
powered by ブクログ中学生のころ、やたら難しい表現使う人だなぁとしか印象がなかった。 山月記を読んで、一人ひとりに読書感想文を書かされたに記憶がある。 私が好きなのは、『李陵』。 司馬遷、蘇武、李陵の三人はそれぞれの立場で、自身の夢や正義のために生きようとした。 各人困窮を究めたときでさえ、人間として生きようとした。 人の世とは無情のもの。果たして歴史の中で、高潔な精神が勝った事例はどれほどあるのどろう?
0投稿日: 2011.03.19
powered by ブクログぼくのベスト・ワン書籍はたぶん「聊斎志異」なのだけど、そっち系が好きになったのはこの本を読んでからなんだよねえ。 こういう話をもっともっとたくさん読みたい思ってたら、あった。 文庫サイズの日本文学全集(筑摩書房)と、ちくま文庫の「中島敦全集」全3巻も持ってはいるが最後に残すのはどれになるかしら?
0投稿日: 2011.03.03
powered by ブクログ完全に自我を失った時、如何程楽になるだろうか。 —そう考える時、人は過去を、今迄の所業を悔いる。 とはいえ、本文の言葉にあるように、人が元はどの様な性質であったのか を、当時は勿論意識せず、後悔の中で過去を鮮明に思い浮かべたとて其は既に現在の自責や悔恨で形容を変えている。元がどんなモノであったか、否、自身がどんなモノであるかを誰も正しく理解することはない。 自身の短所が此処では猛獣の容貌に成って現れているが、如何様な形容であれ、いつか万人に避けられる醜態に変貌を遂げ、孤独を以て初めて人は自身の悪癖を憂うのだろう。 とても美しく、論語の様でもあり、それでいて背景から哀愁を漂わせる話だった。 心理面の描写を仄暗い背景に映し出し、巧く表現されている。
1投稿日: 2011.03.02
powered by ブクログ契機は『弟子』。 高校の模試の問題文に一文が出て、その帰りにスーパー2階の本屋で買ったのでした。懐かしい。 本自体は『弟子』を読むために買ったので、『李陵』は辛気臭く感じ、 その後ずいぶん読まなかったけど、 一回読んでみて、ぐいぐい引っ張られて、後の祭りとはこのこと、 すっかり中島敦の信者になってしまったよ。 格調高い漢文調が、古臭い田舎に育った自分には気風があったし、 その調べに乗せられて読み進むうちに、 さまざまな人物像にも魅せられました。 でもやはり一番好きなのは『弟子』だな。 事あるごとに思う、 「君子は、冠を、正しゅうして、死ぬものだぞ!」
0投稿日: 2011.03.01
powered by ブクログ教科書や電子辞書にも載る超有名作ですが、いやーやっぱ載るだけあると高校時代に感じました^^ 結構暗記してた^^ 自分は出来る人間だ!と思ってるのに上手くいってない人には共感できる作品。
0投稿日: 2011.02.28
powered by ブクログT教授は私が恩師と呼ぶことができる唯一の先生である。 入学早々入った歴史学研究会の顧問だった。一般教養では経済史を学んだ。卒業までは2年間「Tゼミ」に所属した。ゼミの専攻は一応西洋経済史だった。だが、学問的なことは一切教わった記憶はない。先生は「自分で学びなさい」が口癖の、徹底して教えない教師であった。 Tゼミ出身の教授、助教授を名乗る研究者は10人を越える。国立私立有名無名を問わず多士済々だ。狭い学問の畑を、たった一人の後継者を指名して遺すのが、大抵の研究者の常だ。1人の大学教員が生み出す大学教員の数を、「特定出生率」になぞらえるならば、1か2が平均値だろう。だから先生は異例に多産な教育者でもあった。 「どうしていますか」 と、ひとこと書かれて、先生から年賀状が返ってきたことが一度だけある。卒業後2、3年目の正月だった。必ずしも意に沿わぬサラリーマン生活に思うところがあって、「『山月記』の虎のごとく、いまに正気を失ってしまうかもしれません」と泣き言まがいの文句を書いて年賀状をだしていた。返事をいただいたのは後にも先にもそれきりだ。 さらに10年ばかり後、ゼミの同期だったMの披露宴で先生と会った。時は90年ごろのちょうどバブルがまさにはじけた瞬間の頃であった。 「仕事のほうは、どうだ」先生は私に問うた。 「うーん。まあ、なんかアクセルとエンジンばかりで、ブレーキの無い車のようなモンですねえ。もうどうなろうと走り続けるしかないって感じですかね」 自嘲的にだが口調は調子よく私は答えた。 先生は、初めて見せる真剣な顔で、 「そうか。だがなあ、お前にゃあコンピューターも制御装置もちゃんと付いてたはずなんだがなあ。少なくとも俺の知っているお前は、ニッポンの社会のブレーキの一部ではあったはずだぞ」 そこまで言ったところで、乾杯の挨拶のため先生は席を立った。 『山月記』は、過剰な自尊心と意に沿わぬ仕事との間で発狂する下級官僚を描いている。三十三歳で夭折した著者中島敦自身の苦悩の投影であることは論を待つまい。中島の短い社会人生活を遥かに超えた長い期間、私は曲がりなりにも「虎」になりきることなく「正気」を保って生きている。 『山月記』と先生の「教え」がなかったならば、今ごろとうに自分以外の何ものかになり変っていたに違いない。
1投稿日: 2011.02.27
powered by ブクログ「山月記」 官吏であるのをよしとせず詩人を志した男が、道半ばにして虎になってしまうというシンプルな筋である。 原典となる「人虎伝」にはない内面描写が中島敦独特のものとされるが、なぜ中島は一人称ではなく、三人称の形をあえてとったのか。内面の独白を李徴が行う場面があるにもかかわらず、それは袁傪の伝聞として語られる。 単純に、李徴の一人語りとしてしまうと彼が虎となった後の出来事を書けない、のは確かだ。他方で、中島が李徴の独白を借りて自意識のあり様を告白していることもおそらく確かだろう。 後者の点で、三人称を採用することにより李徴と中島の距離はうまく保たれ、このためうまく物語として受け取ることが可能になる。つまり、物語が、中島の私小説になることをうまく避ける装置として、三人称が機能する。 その意味で、袁傪は中島がバランスを取るために要したキャラクターであり、袁傪自体に格別な特徴づけはない。彼はほとんど透明な存在として、李徴の声を聞き、姿を見、詩作を書きとめる。中島は、袁傪という目と耳を通じて李徴を描くのだ。 文体は簡潔で、表現も美しい。物語としての展開はあまりにシンプルだが、それでも、李徴が人間でなくなる瞬間を思い嘆き悲しむ場面では、死の本質に思い至る気がする。
0投稿日: 2011.02.10
powered by ブクログ高校時代、現代文の授業で読んだ。 「隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自らたのむところすこぶる厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。」 もう、この冒頭一文で恋に落ちた。 高校に通っててよかったなーと思った。笑
0投稿日: 2011.02.09
powered by ブクログ中島敦は、幼時より漢学の教養と広範な読書から得た独自な、近代的憂愁を加味して、知識人の宿命、孤独を唱えた作家で、三十三歳で没した。彼の不幸な作家生活は太平洋戦争のさなかに重なり、疑惑と恐怖に陥った自我は、古伝説や歴史に人間関係の諸相を物語化しつつ、異常な緊張感を持って芸術の高貴性を現出させた。本書は中国の古典に取材した表題作ほか、『名人伝』『弟子』を収録。 山月記なつかしー。
0投稿日: 2011.02.08
powered by ブクログ”朗読少女”というiPhoneのアプリの紹介を新聞記事で読んで、興味をもったので、インストールしてみた。 デフォルトで、芥川龍之介の羅生門の最初の方が入っている。これを聞いて、「なんか、いいなぁ。これ。」って思った。 アプリからストアに入ると、結構多くの作品リストがある。その中に、セール中の商品というものが数点あり、その中から1品かってみようと思った。 それで選んだのが、この「山月記」である。 当然どういう話なのかは、知っている。 が、ちゃんと読んだ事はない。 だって、文章が難しいのだ。 例えば「己」を「おれ」と読むだけの漢字力があるわけではないし、「叢」だって「くさむら」と読むことなんてできない。ましてや、漢詩は、無理だ。レ点や一二点が振ってあったって読めないだそう。 ところが、朗読少女は、これを朗読してくれる。上手だし。ちょっとアプリのコンセプト(ポリシー?)の関係でたどたどしさがあるけど、聞きやすい。 画面には、文章も表示されるから、 「ふーん、己って、おれって読むのか。」なんて思いながら、すんなりと物語が頭に入ってくる。 気持ちよくて、寝てしまった。 小説の内容の方だが、 なんか道徳的な話で、よーく考えてみないと、よくわかんない。 もう一度、聞いて、よーく、咀嚼しないといけない。 というか、今度は読んでみるか。 どうやら、文庫本を買うと380円位らしい。もちろん、図書館に行ければあるだろう。青空文庫にもあるので、iPadやPCで無料で読むこともできる。 朗読少女では、値段を忘れたが、300円しなかったような気がする。 金の問題じゃないが、安いなぁ。 この小説から得られるものは、すごく価値のあるものであるように思える。どんな本でも、数百円の価値しかないものなんて、そうそうないとは思うけど。
0投稿日: 2011.01.26
powered by ブクログ淡々としているのに何故か引き込まれる文体。 自分達が使う日本語とは離れているので読むのに時間は掛かるけども、不思議と辛くない。 主人公達が妙に人間臭いのも好きなところ。
0投稿日: 2011.01.24
powered by ブクログ理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、 理由も分からずに生きて行くのが我々生きもののさだめなのか?
0投稿日: 2011.01.16
powered by ブクログ「山月記」「文字禍」自分が悩んでいることが何十年も前に小説になっていることに驚いた中学時代。中国故事のように、淡々としながらも物事の本質を表した本だと思います。
0投稿日: 2011.01.15
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
『人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだったのだ。(本文より)』 読了後、この一文が頭から離れていかなかった。 何日も、何日も、頭の隅っこどころかど真ん中に、まさに警句のごとく居座って、コンコンと内側から叩きつづけた。 「あんたはどうなのよ」 誰しもが身に覚えのある、不安・焦燥感・嫌悪、と並べ立てればきりがない、自分否定の言葉が、ぐっと刺さった。 声なき咆哮なぞ誰にも届かず、夜道に溶けるのみだ。
1投稿日: 2010.12.20
powered by ブクログこころ同様、高校の現代文で読んだが、その時は案の定何の感動もなかったけれど、齋藤 孝による中島 敦の悟浄出世の書評を読んだのがきっかけで、中島 敦全集を読みはじめ、その流れで山月記も読み直してみた。 グミ・チョコレート・パインのマンガ版で、主人公が山月記を読んで、李徴を自分と重ねる部分があるけれど、それと同じように自分を重ねてしまうなぁ、と。 高校の頃は気がつかなかったけど、「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」か・・・、あるなぁ・・・、と。 こころ同様読み直して初めて凹みつつも、こころ同様今更ながら深く感動しました。 高校の教科書ってすごいなぁ、としみじみ思います。
0投稿日: 2010.11.17
powered by ブクログ李陵、山月記ともに、主人公に共通しているのは「憧憬」なのではないかと思いました。李陵は他者への、李徴は成りたかった自分への。こうありたかったという理想を胸に秘めながら、なれない、けれども(人間であることをあるいは止めてまで)生きるしか無い二人の心情は、深く心に突き刺さる。
1投稿日: 2010.11.16
powered by ブクログここでは李陵を読んだのでそのレビューを。 素晴らしく面白いです。ぜひ読んで欲しい。 運命に翻弄された、誠実な三人の男の物語・・・としか表現できない、むしろこんな表現でこの作品を汚してしまわないか、と思えるくらいです。 そんなに長くないので気軽に読めると思います。 お勧めです。
0投稿日: 2010.10.15
powered by ブクログプライドも悲劇も友情も別離も、枚挙しきれないくらい美しい要素が詰まってる。 しかし、好きだからって自分も発狂している訳ではないのだが。
0投稿日: 2010.10.14
powered by ブクログ高校の時に読んで衝撃を受けた。読み返してみて、美文にうっとりしつつ、当時の衝撃を思い出した。主人公が発狂し、虎になるくだり、友にそのいきさつを語るくだり、物悲しいラスト。中島敦のほかの作品も読んでみたくなった。
0投稿日: 2010.09.07
