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李陵・山月記
李陵・山月記
中島敦/新潮社
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総合評価

288件)
4.3
115
89
38
2
3
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    「山月記」を高校生の頃に初めて読んだとき、格調高い文体や比喩の妙に心を奪われた。しかし再読した今、最も胸を打ったのは李徴の内面である。彼が味わった孤絶、人としての道を踏み外した悔恨、理想と現実の乖離から生じる自己否定、そのすべてが痛切に迫ってきた。特に「己の毛皮の濡れたのは、夜露のためばかりではない。」という一文に宿る、言葉にならない悲しみが深く響いた。夜露では覆いきれない涙や苦悩、誰にも理解されないまま時だけが過ぎていく空虚さが、その短い表現に凝縮されているように感じた。当時は気づけなかった“距離”―人間関係の中にある微細な断絶、孤独の輪郭、そして胸を灼く後悔。それらを今では読み取れるようになった。李徴の絶望は悲劇ではなく、人間が陥りうる普遍的な罠なのだと気づき、胸が締めつけられた。

    1
    投稿日: 2025.11.22
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    新潮文庫2024プレミアムカバー。レモンイエローに金の箔押し。30年前以上前の版より字が大きくて読みやすい。 漢文調の文章が格調高くて心地よい。 学生時代に読んだ時とはまた違う感じがする。

    0
    投稿日: 2025.11.02
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    何につけても李陵と山月記でしょう! 漢文書き下し体のリズムの良さたるや。 物語とかじゃなくて、ただ文章読んでいるのが楽しいという経験なんてなかなかできない。

    0
    投稿日: 2025.10.31
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    改めて秀作と思います。 学問、芸術、スポーツ、芸能、政治、ビジネス。人が何かを志すときに時として精神の強さが肉体の強度を超越してしまうほどのことが起こりうる、そういった人間の精神性がが語られているのではないかと感じました。

    1
    投稿日: 2025.08.23
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    『山月記』は虎になった男の話として知ってはいたが読んだことはなかった。『李陵』は前漢頃の話でこちらも運命と自己の忠義や正義との葛藤が良かった。

    0
    投稿日: 2025.08.08
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    『山月記』、『名人伝』、『弟子』、『李陵』の4作品が収められた短編集。 中国伝記や古伝説に取材した著者のどの作品も、常に「自己のあり方」を見つめ続けている。 詩作、弓、儒家の道、軍師。それぞれが抱える苦悩や葛藤や孤独感は、現代人が抱えるアイデンティティクライシスに異としない。 自分の弱さや克服できないこと、曲げられずに意地を張ってしまうことは誰しもある。 作中の登場人物達は、それを自らが明確に自覚し、どう向き合うかを自分が考えることが大切であることを教えてくれているような気がした。 複雑な人間関係や自己実現性への挑戦を諦めず、悩みながら曲がりなりにでも、なるべくまっすぐに、「自分を生きる」ことを目指してゆく主人公達の姿は、本当にかっこいい。 高貴で美麗な人物描写の中に、運命の儚さや虚しさを絶妙にしまい込み、読者の胸に言葉の深みを染み込ませてくれる感覚を覚える。 元史料に基づき中島敦氏の言葉によって、繊細で明瞭で丁寧に描き出された懐疑的自我は、どの読者もが自己のあり方を見つめるきっかけとなるに違いないだろう。

    7
    投稿日: 2025.03.24
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    漢文っぽくて読みにくいなぁと思いながら読み進めると、たまに視界が開けたように現代文っぽく書かれてるから戸惑う... 「山月記」と「名人伝」はサクッと読めてわかりやすかったな。 虎になってしまったら...例えば末期癌になってしまったときのような状況にも当てはまるかもしれない。健康だったときに思いを馳せつつ、現状全てを受け入れて残りの人生を生きるのだろうか...なんてことを考えました。

    10
    投稿日: 2025.02.08
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    表題作の一つ、山月記は教科書にも載っていたような…自らを恃むことの強い天才の孤独と後悔は、大人になった今こそ心に響く。 もう一方の李陵も孤独を扱った作品。祖国に裏切られた主人公・李陵と、それと対比されるように描かれる蘇武。李陵が祖国・漢を捨てて匈奴の土地で暮らすことを決意したのに対し、蘇武は純粋な祖国への愛を貫き通す。蘇武の姿を見た李陵の心の葛藤は程度の差はあれど、誰にでも感じたらことのあるものと思われる。

    0
    投稿日: 2025.01.05
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    夏の新潮文庫の特別版表紙がとても綺麗だったので久々に山月記を読もうと思って買っておいたものを読了。「山月記」以外は全て初読だったけど、とりわけ素晴らしいのが「弟子」。こんな素晴らしい師弟小説があることを知らなかったことを恥じるばかりです。 表題作のもう一本「李陵」も、「名人伝」も全て良い作品でした。 確かに全ページに注釈があるほど、ワードの知識がなければ読みづらい文章ではありますが、無駄な部分は一切なく、それぞれの人生や心情などが80年以上前に書かれた文章とは思えないほど心に響く作品たちでした。

    0
    投稿日: 2024.12.29
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    大人になって読む、山月記。 多分、高校の教科書に載っていた山月記。 当時は虎になった人間の話。くらいの印象しかなかったけど、これ、自意識を拗らせたが故の。。。がわかると、一気に、なんというか親近感が湧く。。

    0
    投稿日: 2024.12.21
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    「山月記」は中学でも高校でも授業で読んだけど、中島敦の他の話はよく知らないなと思って読んでみた。表題作を含む4編を収録。 「読み進めるのが難しい本だな」と、まず感じた。話は全て中国の古典を題材に取っているので、人名、地名、役職名にとにかく馴染みが無く、ほぼ全てに注釈が入っているので本文と巻末の行ったり来たりを繰り返すことになった。 ただ、「山月記」が「芸術(というか人がそれぞれ持つ夢と言えるもの)への苦悩と後悔」を描いていることが分かりやすいように、それぞれの話のテーマや登場人物たちの心情はとても分かりやすく、ときにはとてもドラマチックに描写されている。 とにかく今回は内容を追うだけで精一杯だったので、他にも色々なレーベルで読んで、いつかもうちょっと楽しめるようになりたいなと思った。

    0
    投稿日: 2024.11.04
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    学生時代には苦手意識の強かった「漢文」であるが、中島敦氏の本作は漢詩の風体を持ち、深い教訓とともに純文学的な味わい深さも兼ね備えている。一文字一文字推敲に推敲を重ねたであろう文章には一切の無駄がなく、研ぎ澄まされていながらも懐の深い柔らかさがある。200ページほどの本だが、うち50ページが注解という中島氏の凄まじい意気込みと迫力を感じさせられる。4つの収録作品はいずれも示唆に富み、甲乙つけがたし。

    0
    投稿日: 2024.10.21
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    やっぱりすごいすね 山月記が、「臆病な自尊心」を持った自分に刺さりまくるのはわかってたことなんだけど、 それ以外の作品も、難解な言葉遣いでありながら生々しさを失わず、内面の葛藤や懊悩がグッと心を揺さぶってくる読み直してよかった

    1
    投稿日: 2024.10.13
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    臆病な自尊心と尊大な羞恥心、という記述があるけれど、膨らんだ自我が虎となって自身を蝕んでしまう李徴。やっぱり哀しい。

    4
    投稿日: 2024.10.02
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    人の生き方や自己の選択が強調されている。良いこと、悪いことの教えも与えてくれる。この本を通じて、自分の成長や生き方について深く考えさせられました。

    0
    投稿日: 2024.09.29
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    臆病な自尊心尊大や羞恥心 初めはなぜ虎になってしまったのかわからなかったが、後半にかけていくにつれ自身の冷酷さと孤独さを認めて虎となった自分を認めていく。山の李徴と月の袁さん、山の下から吠える李徴 李徴と袁さんの対比とともに、李徴の強い人間性を感じる作品のようです

    0
    投稿日: 2024.08.31
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    早逝の著述家、中島敦の短編集。 昭和の時代には珍しく中国古典を紐解いて、我々にも読みやすく再編している。 内容は詩人が虎になる山月記、 弓の達人が武の極限に達する名人伝、 孔子の弟子で破天荒な子路の人生を描く弟子伝、 苛烈な漢の時代を生きた武将の数奇な人生を描く李陵 どの短編も現代にも生かせる教訓に満ちている。 中国古典も良いなと思わせる本だった。

    3
    投稿日: 2024.08.17
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    山月記が好きだったから読んでみたけど、他の作品は微妙だった 山月記は、やっぱり良い 短い割に、感慨深い。2回読んだ エリートながら何も達成出来なかった李徴の哀愁が心にくる 李陵は司馬遷が出てきてへーっとはなったけど、名人伝なんかはトンデモ譚すぎて意味不明だった 全体的に暗すぎて、読んでいてどこか気分は悪くなる。山月記以外は微妙かなあ、、、

    0
    投稿日: 2024.07.29
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    昔教科書で読んだ山月記を久しぶりに読みたいなと思ってた時にタイミングよくプレミアムカバーで購入。山月記はもちろんのこと李陵が素晴らしく良かった。三人の人物の生き様が描かれるが三人それぞれに「自分が思い描いていた人生からは意図せず外れた状況」の中での葛藤や生き方の違いが描かれる。三者三様に身につまされる。太平洋戦争中に書かれた作品であることや、夭折してしまった著者の遺作であることも含めて色々と考えさせる力を持った作品。夭折の作家にはもれなく思うことだけど長生きして戦後の社会を生きていたらどんな作品を描いていたんだろうなと残念でなりません。

    0
    投稿日: 2024.07.27
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    山月記 「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」 「しかし、袁傪は感嘆しながらも漠然と次のように感じていた。なるほど、作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、何処か(非常に微妙な点に於いて)欠けるところがあるのではないか、と。」 「己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢えて刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった。」 「人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだったのだ。」 「本当は、先ず、この事の方を先にお願いすべきだったのだ、己が人間だったなら。飢え凍えようとする妻子のことよりも、己の乏しい詩業の方を気にかけているような男だから、こんな獣に身を堕とすのだ。」 李陵 「それは殆ど、如何にいとわしくとも最後までその関係を絶つことの許されない人間同志のような宿命的な因縁に近かいものと、彼自身には感じられた。とにかくこの仕事のために自分は自らを殺すことができぬのだ(それも義務感からではなく、もっと肉体的な、この仕事との繋がりによってである)ということだけはハッキリしてきた。」「五月の後、司馬遷は再び筆を執った。歓びも昂奮も無い・ただ仕事の完成への意思だけにむちうたれて、傷ついた脚を引摺りながら目的地へ向かう旅人のように、とぼとぼと稿を継いで行く。」 「彼は粛然として懼れた。今でも己の過去を決して非なりとは思わないけれども、尚ここに蘇武という男があって、無理ではなかった筈の己の過去をも恥ずかしく思わせる事を堂々とやってのけ、しかも、その跡が今や天下に顕彰されることになったという事実は、何としても李陵にはこたえた。胸をかきむしられるさような女々しい己の気持ちが羨望ではないかと、李陵は極度に惧た。」

    0
    投稿日: 2024.06.08
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    物語としてめちゃくちゃ面白いだけでなく、非常に勉強になる。中国古典を掘り返して、このように小説として昇華するとは、とんでもない人だな。特に、李陵が泣ける!

    1
    投稿日: 2024.05.19
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    このレビューはネタバレを含みます。

    虎になってしまった詩人李徴がかつての親友と出会い、自分がなぜ虎になったのか気づく 「共に、わが臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である」「虎は、既に白く光を失った月を仰いで、二声三声咆哮したかと思うと、又、元の叢に踊り入って、再びその姿を見なかった」

    0
    投稿日: 2024.04.28
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    このレビューはネタバレを含みます。

    司馬遷の仕事に取り憑かれて、終わるとすぐ亡くなったことは、悲しすぎる 李陵ほどの人物がそのあと匈奴で名を挙げなあったのは因果であろう、また悲しい スコセッシ監督の伝記構成の作品のような終わり方だった

    0
    投稿日: 2024.04.07
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    このレビューはネタバレを含みます。

    「山月記」 虎だね。 「名人伝」 主人公の紀昌が天下一の弓の名人を目指す話。往年の少年漫画のような展開が多く、思わずニヤリとしてしまう。特に、紀昌が山奥の老名人のもとへ赴く件が面白い。 長年の研鑽により師匠と同等の腕になった紀昌は、師匠から山奥に住む老名人の話を聞く。「老師の技に比べれば、我々の射の如きは殆ど児戯に類する。」自分の技量に自信を持つ紀昌は、これを聞いてすぐに老師の住む山へ赴く。やはり、真の名人は山奥に住む老人でなければならない。老師に出会った紀昌は、自分の弓の技量を見せつけるため、挨拶も早々に、空高く飛んでいる鳥を打ち落とす。これを見た老師の発言が秀逸。「一通りできるようじゃな、・・・だが、それは所詮射之射というもの。好漢未だ不射之射を知らぬと見える。」老名人には、こういうことを言ってほしいと思っていることそのままのセリフ。素晴らしい。 紀昌はこの老名人のもとで修業を行う。長年の修業により遂に天下の名人となった紀昌は、表情のないでくの坊のような容貌になって、街に帰ってくる。「枯淡虚静の域」に入った彼は一向に弓を手に取ろうとしない。彼は言う。「至為は為す無く、至言は言を去り、至射は射ることなし。」遂には弓という道具の存在すらも忘れてしまう。「ああ、夫子が、-古今無双の射の名人たる夫子が、弓を忘れ果てたとや?ああ、弓という名も、その使い途も!」こういう展開がたまらない。 「弟子」 孔子の弟子のひとり、子路の視点から、孔子との関係を描いた話。 師と弟子という関係は、人間関係の中でも、特異なもののように感じる。血でもなく、友情でもなく、親愛でもなく、ビジネスでもなく、信仰でもなく、ただ、人格によって繋がっている関係。この作品内では、そんな不思議な関係の雰囲気を感じ取ることができる挿話が多数語られている。なかでも、特に印象に残っている話がある。 世間からなかなか認められず放浪の旅をしている途中、孔子達一行から遅れて歩いていた子路が、ひとりの隠者に出会う。子路は隠者に招かれ、彼の家で隠者の生活を体験する。「明らかに貧しい生活なのにも拘わらず、眞に融々たる裕かさが家中に溢れている。」また、隠者は子路を孔子の弟子と知ったうえでこのように言う。「楽しみ全くして始めて志を得たといえる。志を得るとは軒冕の謂ではない。」子路は初めて経験する隠者の生活に幾分かの羨望を感じた。翌朝、隠者の家を出た子路は、昨夜のことを振り返る。欲を捨て道のため放浪の旅を続ける孔子のことを思うと、隠者に対して憎悪の感情が湧いてくる。昼下がり、ようやく孔子の集団の影が見え始めた。「その中で特に際立って丈の高い孔子の姿を認め得た時、子路は突然、何か胸を締め付けられるような苦しさを感じた。」 師弟関係とは一体なんぞや。 「李陵」 李陵、司馬遷、蘇武の人生の話。 運命、というと少々陳腐な表現になってしまうが、この作品を読むと、人生には運命としか称しようのないことが部分があるということを強く感じる。 李陵は漢の武将。匈奴を討つため辺境に派遣されるが、敗北し捕虜となってしまう。単于に従いつつ、すきを見て討ち取る機会を窺うも、匈奴の生活に触れ、溶け込んでいく。ある時、漢の武帝から匈奴に寝返ったと疑われ、家族を皆殺しにされる。李陵は漢に対して憤怒を抱き、漢へ帰る意思を完全に失くしてしまう。 李陵の苦悩は、蘇武の存在によってさらに深まる。李陵が匈奴に下るより先に、匈奴の国に引き留められていた蘇武は降伏することを肯ぜず、へき地で孤独と困窮の中生きていた。 忠節を守り続けたところで、誰にも知られなければ意味はないではないかと李陵は思っていたが、偶然にも蘇武の存在が漢に知られ、遂に蘇武は帰国することになる。 そんな蘇武と匈奴に降伏した自分を比較し、李陵は煩悶する。 一方、司馬遷は李陵を非難する宮廷の中で彼を擁護したことによって、宮刑に処される。絶望し自殺しようとするが、父から引き継いだ史記を完成させるという使命を果たすため、死人のように生き続ける。 憤怒と煩悶と諦観が混じった、李陵の複雑な心中。運命を笑殺しつづけた蘇武。絶望するも使命という一点にのみ生き続けた司馬遷。 3者3様の苦悩と運命を前に茫然としてしまう。この感覚を捉えて言語化できるようになるまで、何度も読みたい。

    4
    投稿日: 2024.04.06
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    教科書に載る理由がしっかりとある。 難しいけれど、とても読み入ってしまいました。 「おれの毛皮のぬれたのは、夜露のためばかりでない。」の言葉が1番刺さりました。 虎になってしまい、詩人としても人としても もう分かってくれる人がいない。孤独さが痛い程伝わりますよね。 人は誰しも心の中に獣を飼っている。

    0
    投稿日: 2024.03.25
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    2024.03.24〜04.07 いつの時代にも、忖度する奴がいる。 自分に真っ直ぐな人が損をする。 「李陵」の人間臭さとは異なる「山月記」の人間臭さ、どちらも良かった。

    2
    投稿日: 2024.03.24
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    このレビューはネタバレを含みます。

    『山月記』についての記述。 高校の授業で初めて接した作品です。 冒頭で主人公の李徴に親近感を抱いたので、発狂して虎になる展開はショックでした。 何となく自分の事が書かれている様な気持ちになるのです。 以来、何十年も経ちますが、何故か『山月記』は私の心にずっと存在しています。 現在では、YouTubeで多くの方が朗読されているので、時おり聴いて李徴に憐れみを覚えるのです。 決して読んで楽しくなる作品ではないのに、つい紐解いてしまう不思議な魅力が『山月記』には有りますね。 強いて言えば、李徴の不幸を芸術の域にまで昇華させてしまう、中島敦の才能に触れたくなるのでしょう。 本文から抜粋。 「己は堪らなくなる。そういう時、己は、向うの山の頂の巖に上り、空谷に向って吼える。この胸を灼く悲しみを誰かに訴えたいのだ。己は昨夕も、彼処で月に向って吼えた。誰かにこの苦しみが分かって貰えないかと。」 (『李陵・山月記』新潮文庫 P.17) 「しかし、···(中略)···天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人己の気持ちを分ってくれる者はない。ちょうど、人間だった頃、己の傷つき易い内心を誰も理解してくれなかったように。」 (同 P.17)

    1
    投稿日: 2024.03.15
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    国語教材として長年使われているらしい 悲しいかな初めて出会った文章のように読みいってしまった。 情景が美しくも悲しい物語でした

    0
    投稿日: 2024.02.29
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    明治後期から昭和初期の作品に突如ハマっているのは、現代のダイバーシティを即座に受け入れるという強制的な空気にやや疲れたからかもしれない。もちろん時代は前に進むものなのでいつまでも男が女がって言ってられないのだけど、アップデートには時間をかけたい派だからちょっと静かに待っててくれ、国語の授業で取り上げられるも訳分からず別れた作品だったので、今更読み返してみた〜まじ人は誰でも虎になりうるし、なんなら、なりてえゃ「なぜ徴は虎になったのでしょう」という設問が十中八九あったはずだけど、なぜってどういう意味のなぜなのか分からなくて上手く答えられなかった気がする。そんなの読む人の数だけ答えがあるであろう話なので問題にしちゃダメでしょとさえ思ってたかも。虎になる、が物理的なことなのか象徴的なことなのかすら理解が追いつかず、結局物理的なことだったみたいだけど、読み返したらまたもやどっちの可能性もあると思ったね。ほんと、人の数だけ解釈があっていいんだよ!

    1
    投稿日: 2024.02.24
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    自分はその辺の人よりはすごい人間だっていう自信があって、でも上には上があるから本気になったら自分のダメなところを晒してしまうんじゃないかって不安もあって、2つの感情に挟まれた結果人との関わりを避ける。 切磋琢磨すること、時には失敗することがどれほど大切だったか後悔している虎を見て、これから始まる新生活では純粋に成長するために分からないことも分からないと言える人になりたいなあと思った。 新しい目標ができた時に見返したい本。

    3
    投稿日: 2024.01.19
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    国語の授業で出会った作品。 自分の力を過信して足りないものを補おうとせず、一方で自分の力を無さの露呈を恐れて仲間と切磋琢磨することもしなかった。自尊心がすぎるあまり、うまくいかなかった時の羞恥心を飼い太らせ、やがては虎になる。 誰しも心に虎を飼っていて、その虎に目を背けずに受け入れる必要があるのだなと思った。身につまされる。 最後まで残してきた家族より自分の詩歌の道のことしか考えてないから虎になったんだよ、と呆れてたら李長自身も「こんな姿になってまで家族のことより詩歌のことしか考えてない自分が情けない」と自覚していたので、少しかわいそうに思えた。笑

    0
    投稿日: 2023.12.21
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    さすが漢学者一族の中で生まれただけ作者の文体。 まるで情景が目の当たりにできそうな、なんて美しい文章

    0
    投稿日: 2023.11.20
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    1度ネットなどにある考察を読んで再度読んでみると虎になった心境や何故虎なのかなどが分かり、とても面白く綺麗な作品でした

    0
    投稿日: 2023.06.25
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    いずれも、中国の古典に着想を得た、中島敦の名作短編4編。中島の父方に漢学者の祖父、伯父がおり幼児期より多くの作品に触れていたらしい。中学一年で、四書五経を読破していたという天才肌。 【山月記】 口頭伝授の人虎伝・李景亮バージョンオマージュ 中国・唐の時代  李徴は、科挙に合格し、前途有望な秀才であった。しかし、官吏として生きるのではなく、詩人としてその名声を得たいとし、創作の道を選ぶ。 なかなか作品は認められず、遂に食べるために、下級官吏となるが、周囲からの嘲笑、自尊心と羞恥心から発狂してしまう。そして、彼は虎となっていく。その後、たった一人の友人に偶然に出会い、最後の自作の詩を託す。即興詩(この詩が古典と同じらしい)を読んだところで、虎となった理由を理解していく。 中島の創作部分が、この変身理由となります。原典では、未亡人との恋に反対され、相手の家に放火殺人の罪となっているようです。中島敦は、本人の精神性、作中から取れば、臆病な自尊心と尊大な羞恥心が彼を追い込んでいったというところでしょう。 変身が何故虎なのか。官吏任用試験合格者掲示板みたいな物が、虎榜として登場しています。虎は、威厳や権力の象徴だった様です。結局、李徴が望んでいた物が因果として別の形となったのかもしれません。 【名人伝】 「列子」を素材 列子自体がわからないのですが、研究者さん達がそう言っているので。 この物語は、分かりやすい。弓の一番になりたい男が、達人に弟子入りして修行を重ねる。ここで、射之射を得とくする。それ以上を目指して、仙人のごとき老師に教えてを乞うて、不射之射 の域にまで達する。無為無我の境地に辿り着き、遂に弓という固有名詞さえ忘れる。 白いスーツのショートカットの女性が、二番じゃ駄目なんですか?と、仕分けしそうな程。 しかし、彼の修行の様子が、ユーモラスなんですよね。目を閉じない修行で、最後には、まつげに蜘蛛が巣を張るとか、しらみを髪の毛で結んで、大きく見えるまで2年見続けるとか。最後には、名称さえ必要なくなるところまでくる。 そのまま、名人譚として読むのか、寓話と読むのか、3回読んで私は後者とすることにした。 【弟子】ていし、と読みます。 「論語」より出典 孔子の弟子・子路(孔門十哲の一人)を主人公として、孔子の生き方・教えを、入門から、衛の政変で最期を迎えるまでを、偉大な思想家達というより、感情を持った人々として書かれていると思う。 子路は、愚直で、ひたすら孔子の尊大さを愛している。だから、教えを全て理解しているわけではないのです。孔子は、弟子の実直さを愛しながらも、なかなか学ばない子路に手を焼いている様子。本来ならば、相性が悪そうな二人が、信頼厚く長く共にする。小説中に、論語からの言葉が巧みに入り(注解なくしては読めないけれど)思想家孔子一門を、人として描いた、短編の着ぐるみを着た「論語」入門書。 【李陵】 「漢書」「史記」「文選」より出典 時代は、漢・武帝の時代。 北東の国家、匈奴の捕虜となってしまった武将・李陵。彼は、苦しみながらも、手厚い庇護のもと、その地に馴染んでいく。武帝の理不尽な裁判の噂を聞き、その忠誠心は揺らいでいる。 同じく、捕虜となっていた、友人の蘇武は、過酷な捕虜生活にも屈せず、あくまで武帝への忠誠心を貫く。 二人は、19年後、武帝の死後、帰郷のチャンスが巡ります。李陵は、匈奴に残り、蘇武は、漢に戻っていきます。李陵の別れの歌に哀愁があります。 この二人に加えて、司馬遷の生涯が描かれていきます。李陵を庇う発言の罪で宮刑となり、絶望の中、史記の編纂の為だけに、生き続ける事を選択し、史記130巻を書き上げます。 2千年以上前の時代が生き生きと描かれています。

    66
    投稿日: 2023.02.16
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    このレビューはネタバレを含みます。

    といっても表題作しか読んだことはない。高校の現代文の授業で「尊大な羞恥心」と「臆病な自尊心」をやたら説明された思い出。たまに音読したくなる……程度の作品だった。でも最近になって自分の中に虎はいるし、なんなら虎かもなと思うときがある。いや虎ならかっこいいから李徴はまだいいよね。

    1
    投稿日: 2023.02.12
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    自己顕示欲という野獣の話。 山月記はさすが名作。 久しぶりに読んでも心に刺さる。 『弟子』と『李陵』は孔子や論語に詳しくないので、『李陵』の方が読み易かった。

    0
    投稿日: 2023.02.01
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    国語の教科書にも載っている名作。高校生の時に習った記憶がありますが、ほとんど内容を覚えていませんでした。色々解釈、考察ができる、まさに読めば読むほど味わい深くなる作品だと思います。

    0
    投稿日: 2022.12.10
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    知識人や指導者の苦悩と孤独…。中島敦のこの短編集を通じて描かれているのはこうしたテーマである。みずから実力と才能を持ち合わせたがゆえに決して他者と和合できない孤独を、中島敦は古典へ見事に融合させつつ、ひとつの思弁にまで到達した。個人的に好みだった「李陵」は漢代の中国を生きた3人の傑人を描き、その複雑な心理と運命を、限られた枚数の中で見事に描きこんでいる。まさに、小説の手本のような作品だ。彼らは漢の武帝に仕え、ときにひどい仕打ちを受けてもなお、それぞれが生きる道を見出していく。主人公の李陵は匈奴に寝返り売国奴となったものの、同じく匈奴に降るが、武帝への忠信が絶えない蘇武と自身を対比させては苦悶する。そして李陵を庇ったがゆえに罰せられた司馬遷は、父の仕事を引き継ぐことだけを糧にし、ひたすら筆を取り続ける。人間のあらゆる熱情を体現したような蘇武と司馬遷を差し置いて、主人公の李陵はこういった意味で非常に繊細で複雑な人物だ。しかしここには、人間の強みを濾し取ったあとに残る、真に脆弱な本心のようなものを見てとることができる。演算を繰り返して出力されたようなこうした人物描写は、まさに中島の本領とも言えるかもしれない。寓話はとき思考実験のていを成す。古典を題材にする点では、芥川龍之介と中島敦は同様な作家と呼べるだろう。しかし、作品から透けるインテリジェンスな骨組みは、高度に技巧的な思弁小説とも受け取れるのだ。その巧緻な構造と佇まいには、ただ驚かされるしかない。

    0
    投稿日: 2022.08.11
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    【始】隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。 【終】虎は、既に白く光を失った月を仰いで二声三声咆哮したかと思うと、又ら元の叢に躍り入って、再びその姿を見なかった。 場所とか名前が多すぎて、歴史に疎いと何が何だかわからん。 それでも、山月記と名人伝はわかりやすくて面白い。

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    投稿日: 2022.08.02
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     いつ読んでも、何回読んでも、そこにある文章は色褪せることなく私を惹きつけてやまない。ストーリーももちろん面白いのだが、それ以上にここに連なる文に私は恍惚としてしまうのである。  とくに冒頭部分。    隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年    、若くして名を虎榜に連ね、ついで    江南尉に補せられたが、性、狷介、    自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘    んずるを潔しとしなかった。  刮目せよ。このリズミカルな文章を。このような格調高い文章に惹かれないものがいるであろうか。  まるで歌でも歌っているかのような錯覚に陥り、私はつい誦じてしまうのである。  ああ、気持ちが良い。中島敦の文章にどっぷりと浸かりたい。彼のエキスを己が身体に摂りこみたい。彼の文章に触れるとうっとりしてしまう。気づいたら読み終わっている。禁断症状が出る。もっと読みたい、快楽に浸りたい。読み返す。うっとりする。読み終える。禁断症状。読み返す…。以下略。  私はすっかり中毒になってしまったようだ。

    1
    投稿日: 2022.07.18
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    注)軽くネタバレしてます 「山月記」 唐の時代 主人公の李徴(りちょう)は若くして官吏に合格するほど優秀 しかしあまりにも自尊心が高く、サラリーマンなんかやってられるか! 俺は詩人なんだ! と官職をやめ、執筆活動に勤しむが、うまく事は運ばず経済的な苦しむ やむ得ず地方で復職するも、誇り高き性格は変わることなく、他人とも交わらず、とうとう屈辱感から発狂して蒸発してしまう 翌年、数少ない李徴の友人が旅の途中で人喰い虎に襲われかける これがなんと李徴であった 今までの懺悔と共に事情を話す李徴 同情する友人 最後に自分の頼みを聞いてほしいと訴える李徴 それは自分が作成した詩を世に送り出すことであった もはや人間の理性の大方が消えつつあり、虎の人格にほぼ乗っ取られ、人間であることの時間の残り少なさを切々と感じているこの期に及んで… 家族の心配より詩の出版かいな…と思うも、著者の人生にかぶる部分があるようでそこを知るとこの執着心にも納得がいく しかし人間と虎の人格をさまよう様相が非常にリアルで身から出た錆とはいえ、何とも物悲しい… 「名人伝」 弓の名人になろうと志を持つ紀昌(きしょう) 百発百中の名手・飛衛を師に選ぶ 年単位に及ぶ地味な基礎訓練に真面目に取り組む紀昌 ある時妻と諍いをし、激昂する妻のまつ毛3本を矢で射るが、妻は気づかず紀昌を罵り続けた! それほど矢は速く、狙いは精妙(ヒュー♪) 腕を上げた紀昌はある時、師の飛衛がいなくなったら自分が天下第一の名人ではないか!と良からぬことを思いつく 紀昌はその思いに取り憑かれ二人は矢を持って向かい合うハメに… どうなるこの闘い⁉︎ さすが師に軍配が上がるのだが、ここで紀昌は同義的慚愧の念が… 一方師の飛衛も安堵と満足感が… お互いは一瞬で憎しみを無くして、師弟愛が芽生え抱き合って涙にかくきれる(面白過ぎ!) とは言うもののまた弟子が悪巧みしないように、更なる目標を与える(師匠もなかなかである) 険しい山にある仙人のような老師の元へ行けと… よぼよぼの爺さんの師は言う 「矢をつがえずに射て…」 9年間の修行を終え、山を降りた紀昌 さてどんな凄技を身につけたのでしょう… というお話 面白い! テンポ良くコミカルだ 最後のオチは教訓じみているものの、ユーモアがあり悪くない 「弟子」 孔子の弟子である子路(しろ)を主人公にした師弟愛を描いた話 偉大な思想家孔子の元に町の荒くれ野郎である子路がイチャモンをつけにやってくるが、尊大な孔子に圧倒され即弟子になる (これだけでも子路のキャラがわかる) 荒っぽいが真っ直ぐで潔く感受性豊かな子路 遠慮なく孔子に問いただす そして孔子によく叱られる(笑) 子路ら弟子と孔子は各地で領地を奪い合う荒れた時代の中国を旅する お互いに良いところも悪いところも認め合う師弟 他にも孔子の個性あふれる弟子が登場し、それぞれのキャラクターが興味深い そして孔子の素晴らしさ! 孔子の素晴らしさがわかりやすく表現されたものが以下 〜孔子の能力と弟子達の能力の差異は量的なものであって質的なそれではない 孔子のもっているものは万人のもっているものだ ただその一つ一つを孔子は絶えざる刻苦によって今の大きさに仕上げただけのこと〜 特別じゃない人間の不断の努力の賜物を集めたような人物が偉大な孔子なのだ そして荒くれ野郎だった子路がひとかどの人物となっていく…その姿がなんとも愛おしい 孔子の予感通り悲しい最後に… 「李陵」 漢の武将、李陵を中心に、歴史家の司馬遷、漢の蘇武(そぶ)の3人が主な登場人物 前半は敵国匈奴との闘い(省略) 後半は李陵が匈奴に捕らえられてからの物語 反逆者の扱いを受けた李陵は、漢に残る家族は全員死罪となる しかし匈奴では悪くない待遇を受けることに… 複雑な思いを胸に、チャンスがあれば脱出しようと決意する そんな李陵をかばった、たった一人が司馬遷 王に刃向かったとされ、屈辱的な宮刑(男性器を切り落とされる刑)を受けることに 司馬遷の悲痛な心の叫びが聞こえる 自殺を考えるも、絶望の中、何かが司馬遷を突き動かす そう父と約束した史記を仕上げることの使命感だ 精力を傾け史記を仕上げたのち、魂が抜けたように暮らし、そして没する 昔の友人でもある漢の武将、蘇武(そぶ)と李陵は再会する 蘇武は李陵と同じく匈奴に捕らえら、自殺を図るも助かる しかし匈奴に屈することなく、北方の地で極貧の生活をしていた 彼の生きる姿と自分を比較し複雑な気持ちになる李陵 蘇武は19年ぶりに漢へ帰る機会を得る 結果的に李陵は国に戻れず、蘇武は国へ帰ることができたのだ この3人の比較が興味深いのだが、とにかく各人が壮絶すぎる 司馬遷の曲げられないまっすぐな性格と強い使命感 蘇武の愛国心からくる強い意志と決意 どちらも人の心を震えさせる強い力を持っている そして李陵 勝手に裏切り者にされ、家族を皆殺しにされ、自害するのは簡単だが、よく考慮した上で、機をみて脱出を試みることにする 待遇の良さに複雑な気持ちを持ちながらも匈奴の首長である単于(ぜんう)の息子に尊敬され、いつしか友情のようなものが芽生える しかし漢を攻める作戦だけにはやはり参加できない気持ちが捨てきれない やがて漢の武帝が亡くなり、帰国のチャンスがあったものの… 戻って何になる、裏切り者とされ、どの面下げて戻れるのか… 匈奴の単于の娘を娶り子供も生まれている 元々裏切ったわけでもないのに、もはや裏切ったも同然の環境になってしまったのだ… 本心は帰りたいのであろう 蘇武は帰れるが自分は帰れない 漢にはもう家族もいなければ、ざんざん匈奴に馴染んでしまった… もはや漢は自分の本当の故郷なのか? 李陵の揺れる心が切なく、何か手に取るように身近に感じてしまった 重厚で心揺さぶられる物語であった 4つの短編からなり、書籍としては薄いのだが、中身は濃ゆい濃ゆい! 個人的には「李陵」が沁みて、味わい深く後を引いた…(しんみり) 著者中島敦の複雑で短い人生を知るとさらに心に迫るものが増える しかしこの時代の中国のえげつない刑罰の数々がおぞましい! 塩漬け(遺体を塩漬け)、宮刑(男性器を切り落とす)、他にも入れ墨、鼻を切る、足を切る うーん、よくぞここまで悲惨な求刑を思いつくなぁ…

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    投稿日: 2022.06.21
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    このレビューはネタバレを含みます。

    「人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。」子供のときには感じなかった自分の中の猛獣が、最近は強くなり扱いづらくなってきた感じがする 李徴のような猛獣になりかけている人に対し、弱さを理解しようと近づくと攻撃を受けかねない 自分の中の猛獣はなにか、人の猛獣化を止めるのはなにかを考えたくなる本

    0
    投稿日: 2022.06.11
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    全四作品。李徴は大きな理想を抱き、周囲の者達と己は異なると自惚れるも、刻苦して才能を磨こうとはせず、やがて夢は破れかつての同輩は自身を遥かに追い越してしまった。臆病な自尊心と尊大な羞恥心が彼を蝕んでいたのだ。現代社会においても李徴の様な存在は度々見受けられ、彼らと接する度にこの物語が頭を掠め自身を振り返させてくれる。

    0
    投稿日: 2022.04.16
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    このレビューはネタバレを含みます。

    「山月記」  …「如何にも自分は隴西の李徴である」虎が身の上を語る  〇「山月記」は絵の無い文章だけのものがいい。   慟哭。 「名人伝」  …趙の邯鄲の都に住む紀昌という男が、天下第一の弓の名人になろうと志を立てた。  〇道を究めると、仙境にいたるのだろうか。究めるという言葉もふさわしくない気がする。 「弟子」  …魯の卞の游俠の徒、仲由、名は子路という者が、近頃賢者の噂も高い学匠・陬人孔丘を辱めてくれようものと思い立った。  〇おちょくってやろうと勇んで孔子のところにやってきたものの、やわらかに教え諭されてしまう子路。  「とにかく、この人は何処へ持っていっても大丈夫な人だ。」との、師への評がよい。  孔子も形をなかなか身に付けない弟子を叱りながらも、その愚直さを愛した。  師と弟子、古代中国戦国の時代を渡り歩く。  孔子門下ながら、敬して染まらない人だった。  〇短編だけど、長編大河小説の読後感。 「李陵」  …漢の武帝の天漢二年秋九月、騎都尉・李陵は歩卒五千を率い、辺塞遮虜鄣を発して北へ向かった。  ・漢軍:李陵 VS  胡軍:単于 軍記物  ・一時追い返せそうだったが、部下の裏切りにより戦局が反転する。  ・疑心暗鬼にかられる武帝と佞臣たちの前でただ1人李陵を庇った男が司馬遷。   司馬遷の文筆家としての思索と宮刑を賜ったことからの懊悩。  ・単于にとらえられたが賓客として過ごす李陵。  ・漢の礼儀とは?  ・李陵と蘇武  〇どうしようもない非運に翻弄された三人の孤独、流されたもの、静かに抗ったもの、ただ専心したもの。

    3
    投稿日: 2022.04.07
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    山月記のみ。 Twittterで再読した人の投稿を読んで読み直したくなった。学生の時、授業で午後の陽にまどろみながら受けた国語の授業で取り上げられていたと思う。懐かしかった。

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    投稿日: 2022.04.06
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    国語の教科書で読んだことのある山月記を改めて読みたくて手に取りました。 李陵・弟子などの触れたことのない作品を合わせて読ませてもらいましたが、とても面白い作品でした。 李陵は忠義を持って進軍していたところに先輩からの嫌がらせを受けて、始皇帝から反感を買い、家族・友人も迫害されるなど不幸な人生を歩んでいましたが、新たな人生を匈奴で送っていく姿に自分の人生を重ねて読んでいました。 自分に取っての忠義は果たして命を賭ける価値があるのか、唯一それしかないのか、失敗したら終わってしまうのか、そんなことを考えながら読んでいるうちに価値観が少し前向きになったような気がします。 弟子は出だしから衝撃的な作品でした。 両手に豚と鶏を抱えた男が騒音を立てながら孔子のもとへ訪ねてくる様子を想像するだけで笑いが込み上げてきました。 しかしそんな子路が孔子の考え方を吸収して自分なりに成長していく姿は見ていて楽しいものでした。 他の弟子たちと一緒に国を治めていく様はまさに弟子入りした甲斐もあって、ここまで登り詰めたのだと感じました。 最期は胸が痛くなるような仕打ちを受ける子路ですが、孔子がその様子にひどく嘆いている様子が見て取れました。 時代が今と全く違うところではありますが、人間の根幹は全く変わらないなと考えさせられる作品でした。

    1
    投稿日: 2022.03.24
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    國學院大學「大学生にこそ読んで欲しい」おすすめ本アンケートより。 ※國學院大學図書館  別の出版社より刊行された作品集などを所蔵  例)https://opac.kokugakuin.ac.jp/webopac/BB00592120

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    投稿日: 2022.01.14
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    このレビューはネタバレを含みます。

    audiobook.jp 23分聞く 山月記という題はしっていて土曜日の朝散歩で聞いた。 科挙=受験、田舎で詩人としてなおそうとするが生活できず地方公務員へ、そして自我のままに虎になって狂暴になる。今もあるはなしだなぁとおもった 短いお話しなので一度聞いてみてください <以下備忘のためあらすじ> 李徴(りちょう)は若くして科挙に合格し才能にあふれた人物でした。しかし、自分の力を過信する、我の強い性格という欠点もあった。俗物世界はいやで詩人としてなおなすために引きこもるが妻子との生活に困り再び下級官吏としてはたらくが「才能ある自分がどうしてつまらない仕事をしなくちゃならないんだ…」と自分のプライドの高さに苦しめられます。その後は、突然夜中に走り出したと思ったら、虎になってしまった。 その虎と旧友袁傪(えんさん)が森の中で話す。 「山月記」の中でも重要なキーワードが登場します。それは「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」という二つの心。李徴はこれによって虎になってしまったのではと考えています。 これって今も引きこもり、出社拒否のサラリーマンに当てはまるのではないでしょうか。「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」引きこもりは昔からあったんだなぁと思った。

    1
    投稿日: 2021.12.04
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    このレビューはネタバレを含みます。

    李徴は私かも…??とか思って読んでて恥ずかしくなってしまった。(笑) 『我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心』か…なるほど気を付けよう。 獣になっても虎ならかっこよくていーじゃんともちょっと思う。

    0
    投稿日: 2021.11.27
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    使用されている言葉は拡張高く、難しいものがありますが、文章はとてもリズミカルで心地よいです。こういうの好きです。

    0
    投稿日: 2021.11.14
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    世田谷文学館に「山月記」を題材としたムットーニのからくり作品がある。20世紀中頃にアメリカで流行ったモーションディスプレイに似ているけれど、あれはループ作品で、ムットーニ作品は起承転結のストーリー展開がある。    何度も見ているけれど、そういえば原作を読んだことないや、ってことで手に取ってみた。  短編の「山月記」も面白かったけど、感想を書きたいのは「李陵」 以下あらすじ。  匈奴との戦いを繰り広げていた前漢の武将・李陵が主人公。漢の武王に匈奴討伐を宣誓をして出陣し、善戦したものの俘虜の身となってしまう。李陵の実力を高く買っていた匈奴の王は、彼を厚遇する。漢を裏切る気はさらさらない李陵だったが、漢との戦い以外では助言を求められれば、戦略を語ったし、兵士の鍛錬法など、場合によっては匈奴を利する助言を与えていた。  それを伝え聞いた武王は激昂し、李陵の家族親族を悉く殺してしまう。  今は意に反して俘虜の身となってはいるが、隙あらば匈奴への反撃を期していた李陵は、その仕打ちに愕然とする。武王への忠誠心は脆くも崩れ、復讐心すら芽生える。しかし故国を裏切ることはできない。葛藤を抱えたまま匈奴の地で月日を重ねる。  ある日、漢の蘇武という者が李陵と同じく囚われの身となっていること知る。蘇武は匈奴の懐柔には一切応じず、漢へ帰ることだけを切望していた。  その姿を見て、李陵の心に迷いが生じた。  私は命を賭けて匈奴と戦ったのに、武王に家族を皆殺しにされた。あまりにも非道い仕打ちを祖国から受けた。そんな祖国に忠誠を誓う意味などあるのか、と思う。しかし蘇武の態度をどうだ。彼の家族も非道い扱いを受けたと聞く。なのに武王への忠誠は揺らがず、祖国を棄てる気などさらさら無い。いまだ帰国を熱望している・・・  この李陵の迷いに接して、遠藤周作の「沈黙」を思い出した。現世での安穏は願いもせず、ひたすらにパライソへの昇天だけを願い、棄教せずに殉教する農民たち。そんな弾圧にも沈黙を貫く神に疑いを抱く宣教師。  信じるものが国か神かで違うが、葛藤は同じだ。  「疑いを抱く自分は、間違っているのか」  その価値観は現代社会からは計りがたい。  とても深いテーマだ。  李陵と蘇武の他にも、司馬遷がチョイ役みたいなかたちで登場する。もっと壮大な物語になる構想があったのだろうか。    夭逝してしまったからわからない。今のままでもすごいけど、もっと読みたかった。

    0
    投稿日: 2021.08.13
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    【概略】  博学で才能豊かな李徴は若くして官職から離れ、詩家を志した。しかし文才の花が思うほど咲かず失敗、官職に復職するも友人の出世を手放しで喜ぶことができない。そんな苦しみから妻子をも差し置いて山中に逃げ込み、虎となった李徴と偶然、友人で出世した袁傪が出会う。「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」を原因と語る虎・李徴の独白。 2021年07月27日 読了 【書評】  青空文庫で済むものを「なんかちゃんと購入したい」と李陵といった短編も入った文庫を購入。訳あってこの山月記を読む必要があって。高校生(?)の頃かに授業で読んでるハズなのだけど・・・記憶が、ない。あぁ、いかに劣等生だったか。「虎になった人」は覚えてた。  「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」・・・もうホント、このネットの時代にピッタリ。今やネットを逃げ場とは言わない・言えないけれど、色んなコトから逃げ出してネット上で「虎」になってる人、いるんじゃないかな?自分も含めて(苦笑)自身の才能・無限の可能性を信じつつ、でも外部からの批判に晒されることが辛くて辛くて・・・切らなくてよい見栄を切ってしまう、そんなこと、あるんじゃないかな?もちろん、自分を含めて(苦笑)  なったのが「虎」ってのも、また自尊心と羞恥心が反映されてるじゃないの。猫でも犬でも蛇でもない、虎。中国の故事が元になっているから「虎」が持っている意味とかあると思う(調べてないからわからない)けれど、やっぱり虎って、哺乳類の中では上位種、食物連鎖の中では上位種だと思うのだよね。カフカは主人公を虫にさせたけど、虎だよ。雄々しい、気高いイメージの虎。でもジャングルに身を隠し、ひっそり・・・という意味では、李徴の心境を表しているのかな?  このストーリー、学校の授業で採用されたのには、どういった意図があるのかな?変な冒険などせずに官職についていればよいものを・・・人生、カタくいこうよって意味(友人の袁傪の聞き役上手が際立ってるもの)なのか、はたまた表現者たるもの批判を気にせず、その批判を自身の成長の糧とすべき(詩を詠んだ袁傪は「なにか足りない」的な評価してたものね)、研鑽の後に名作は生まれるのだ、ということなのか、自身の心持ち(臆病な自尊心と尊大な羞恥心)を見返すよい機会と捉えたか。国語の先生に聞いてみたいものだ。  最後の虎としての咆哮は、人間との決別なのか、はたまた「友よ、危険だから二度とここを通らないように」という優しさからの警告なのか。  山月記の他「名人伝」「弟子」「李陵」という短編も収録されてた。この文体は、いかに昭和49年生まれの自分でも、大変だ(=学の低さ露呈)と感じた。逆に言えば、他短編と比較して、圧倒的に「山月記」がグッときた。文体は同じなハズなのに。

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    投稿日: 2021.07.27
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    本屋で平積みされているのを見て興味をひかれたので。高校の国語の授業以来なのでうろ覚えでしたが案外覚えていました。古語が多くて読みにくかったですが、話が面白くて最後まで読めました。 お気に入りは「名人伝」です。

    0
    投稿日: 2021.05.30
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    私には「自他のあらゆる感情・利他的行動をえさにして、理性で言語化し歪める」という性分がありまして、このことを表現する際に本作品の虎をよく引用します。

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    投稿日: 2021.05.27
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    ー 己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった。 ー 人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。 ー 人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだったのだ。己よりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者が幾らでもいるのだ。虎と成り果てた今、己は漸くそれに気が付いた。

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    投稿日: 2021.05.05
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    急にどうしても読み返したくなった本。端正な文章に浸りたくなったのだと思います。 山月記、虎になる人生。虎になってしまうこと。今、読み返してみると、虎になってしまう、虎にならざるを得なかった主人公の性癖・運命を思うのだけれども、どこかで虎になることができた主人公を認めたたえる自分がいることに気付きました。主人公は欠けていることも大きければ大きな欠損が生じるほどの力もある。私の身にみに同様の異変が生じたとしても、子猫ほどにしかなれないだろうと思った次第です。 そして、交錯しそうでしていない二人の人生が、しかし、綾なす布のように描かれた李陵。描写の緻密と整った表現に圧倒されながら読みました。表現だけでもこの上ない楽しみを感じるのに、「話」の確かさがある。 端正と言えば芥川龍之介と中島敦かな、と思います。前者は「話らしい話のない小説」にすすみ、若くして亡くなってしまい、後者は「話のある小説」を突き詰めて亡くなってしまった。もっともっと読みたかった二人です。

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    投稿日: 2021.03.23
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    北方健三さんの「史記」を読んで、最も印象に残ったのが、李陵と蘓武の物語でした。 同じく匈奴の捕虜となるのですが、故郷の家族を処刑され、漢に帰国することができなくなった李陵は、匈奴の地で生きることを選びます。一方の蘓武は、同じような境遇に置かれ、極北の地に幽閉されながらも、捕虜として生きることを選ばず、ついに19年後に漢へ帰国します。もともと親友だった二人が、極北の地で再開するシーンや、最後に李陵が漢へ帰る蘓武と別れるシーンは、避けられない運命とそれに対する生き方の違いなど、深く考えさせられるものがありました。 中島敦による「李陵」は、李陵の視点で、己の信念を曲げない蘓武に対する畏敬の念、そして自戒の念を描き出しています。途中、挟まれる、重い刑罰を受けてもやはり己の信念を曲げない司馬遷のストーリーも物語に見事なメリハリをつけています。 「李陵」のほかに、孔子と弟子の子路を描いた「弟子」など、どれも本格的な日本文学でありながら、ハードボイルドな印象も与えてくれる小粒ながら珠玉の作品ぞろい。名作の名に相応しい1冊だと思います。

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    投稿日: 2021.03.19
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    高校の授業で、山月記を知り、虎になった李陵は自分だと思った。その後、外見は虎にはならなかったが、本当に発狂、李陵と同じ顚末になってしまったと思っていたら、うつ病だった。良くなったと思ったら、今度は双極性障害になってしまい、今度は衝動性、欲望の権化という虎が心に住みついてしまっている。今は衝動性との闘い。人形からの暴走したアンドロイドになった気分。李陵にならないよう、理性でコントロール頑張り中。

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    投稿日: 2021.01.28
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    客との距離感が近い店主がやってる人気の定食屋みたいな一冊 全編通じて登場人物の心情表現が激アツ。思わず「おっおぉ…」ってちょっと顔を離して読まないといけないように感じる距離感の近さ。とはいえ込めた想いの強さとそれをくどくさせない表現の豊かさには思わず舌を巻く。弟子も李陵もとても良かった。 山月記は読むの何回目か分からないけども、国語の教科書にそりゃ載るわと改めてしみじみ思う。思春期ど真ん中の子達に刺さる刺さる。「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」をキャプテンとしてリザーブにいるメンバーも全員代表クラス。朗読にも向いてそう。

    2
    投稿日: 2021.01.08
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    はじめての中島敦 「山月記」「名人伝」「弟子」「李陵」短編4集 「山月記」は高校教科書掲載回数NO.1らしいがカフカの変身のような驚きもなくちょっと期待外れ。こんな訳の分からない小説を試験対策させられる高校生は大変そう。

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    投稿日: 2020.11.29
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    「南洋通信」の流れで読んでみた。「名人伝」などなんだか漫画チックな面白さがあり、中島敦がネットの世界で親しまれていることなども想い起す。

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    投稿日: 2020.09.20
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    学校の授業以来気まぐれで。 人間はみんな李徴と同じで、内面に獰猛な何かを飼ってるのかもなあと。 虎にはならないけど、理性と感情のバランスが崩れた時に病気になったり罪を犯したり。 教科書で読んだ時は何も思ってなかったのですが、そんなことを考えながら読んでみました。

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    投稿日: 2020.09.13
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    これは教科書にも載っているにも関わらず、その最も深く大事な部分を学生時に理解するには難しいのかもしれない。というよりもったいなさすぎる… 7つの習慣や道をひらくを読んで、「こんなの学校じゃ教えてくれない!」なんて声を上げる人がいたとして、実は山月記でやっているのだ… そう、国語がきっかけはくれているのだ。 それをどう自分の人生に活かすかは、 個人の能力となってしまうのだろうか… 余りにももったいない。

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    投稿日: 2020.08.21
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    一度信じた道を突き進む。これは難しい生き方だ。 李陵も子路も己の生き方を貫こうとするが、途中で悩み苦しみ、疑いに心が乱れ、今一歩突き抜けられず人生を終える。紀昌や孔子のように突き抜ける人生は私にはおくれなさそうだ。

    0
    投稿日: 2020.08.07
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    中島敦を初めて読む。 まず言葉が難しい。というのが第一印象。 山月記と李陵から感じたのは、世間に認められたいという想いで生きることは、かたや人の姿を捨て人虎として生きることになり、かたや祖国に認められたいと思うばかりに祖国を捨て生きることになるといったように、自分自身の生き様をかくも乱してしまうことになるのかと感じた。 自分は何を大切にしたいのか、何をなすべきなのか、世間の目との距離を置き、自分自身に問いかけること。愚直に貫くことが大切だと感じた。 自分を貫きやり遂げた後、そこに何が残るか。誰が評価するか。そんなことは関係ない。ただそこにあり、その瞬間に真摯に向き合うこと。司馬遷のごとく、ただ編纂に邁進し、蘇武のごとく信念に従いただ生きること。 そのようなメッセージを感じることができた。自分の人生に生かしたい。

    6
    投稿日: 2020.07.25
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    誰もが一度は読んだことあるであろう教科書御用達の作品を高校の授業ぶりに再読。 臆病な自尊心と尊大な羞恥心、どちらも自分が感じたことのある気持ちだからこそ、虎になった李徴の嘆きが心に響くし読んでいて苦しくなる。 たたみかけるように、最後李徴が月に向かって数回吠えて、叢に消えていくシーンで情景が想像されてしまって苦しい。

    1
    投稿日: 2020.07.23
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    そんなに文学読まないんですが、この作者の文章は格別。読んでて心地よい。 歴史に興味ある方は特にいいと思います。

    3
    投稿日: 2020.07.20
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    このレビューはネタバレを含みます。

    寝れなくて高校の現国で習った山月記を読んだ。自尊心・羞恥心をテーマにした内容だったのは覚えていたけど、なかなかにエグい

    0
    投稿日: 2020.05.20
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    34歳で歿した中島敦の短編四作を収録。 山月記・・・優秀だが狷介な男のその後を描く変身譚。 名人伝・・・弓矢の名人を目指した男がその域に達したとき・・・。 弟子・・・孔子と子路。出逢いから死別まで、師弟の心の交錯。 李陵・・・李陵、司馬遷、蘇武。同時期、三者三様の生き様。 注解、年譜有り。 中国古典の作品を昇華し、高雅な日本語で書かれた短編集です。 顧みれば、高校時代に短編小説の魅力を教えてくれた、作品集。 人間であること故の、感情や行動等、人としての有り様、 人間らしさを、簡潔ながら奥の深い文章で描いています。 「山月記」は挫折し虎に変身してしまっても、人の心と詩作への 想いを捨てきれない、最後の段階で妻子を案ずる痛ましいこと。 「名人伝」は極致に達した人間の姿が人ならざる者に見えてしまう。 「弟子」は子路の孔子を慕う理由と彼らしさを捨てきれない故の 運命に、孔子の弟子たちの人間関係が良い味を醸し出し、 所々に「論語」が散りばめられているのが良かった。 「李陵」は短編ながらも大河小説の如くで、中国大陸の広大さ、 漢の武帝時代と匈奴との戦乱、その双方の人々が翻弄される 歴史の流れを感じさせられました。 やはり名作。十代の頃も良かったけれど、歳を経た今の再読で、 味わいは更に増したように思われました。

    8
    投稿日: 2020.05.12
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    私この本好きなんです♪『山月記』は高校の教科書を買った日に一気読みしてからもう何度読んだか。李徴がね、人と相容れない妥協できない自分をどうしようもなくなって虎になっちゃうってのが(,,゚Д゚)でも、”人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを成すには余りにも短い”とか妻子より詩に心囚われるほどの詩に対する想いとか、奥深いんすよね。『弟子』の最後までかわらない子路から人間の本質を見るし。『李陵』は誰も報われない感。島国日本には、理解及ばぬ壮絶でえげつない主従の関係と他国と陸続きだから起きる不運と。

    0
    投稿日: 2020.05.05
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    最初は作者と歩調を合わせられなくてえらく難渋した。弓の名人の話は「はじめ人間ギャートルズ」に同じような話が出ていたような気がする・・・

    0
    投稿日: 2020.03.15
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    教科書に載っていた純文学作品で一番印象に残っている。 友人もちゃんとたくさんいて部活もやって恋愛もして、 だけど、自分も虎になるのかもしれないと密かに思った尖った青春時代であった…

    0
    投稿日: 2020.03.08
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    初めて読んだ、宿題が済んだ気がする。「山月記」は亡くなった年に書かれて「文学界」に掲載され「名人伝」は「文庫」に掲載。「李陵」「弟子」は遺稿としてそれぞれ「文学界」「中央公論」に掲載された。 中島敦は昭和17年、33歳で死去。 解説では、生涯に20編足らず、内2編が中篇で後は短編小説、中に未完のものがある。 数こそ少ないが、珠玉のように光輝を放っていて永遠に忘れられぬ作家に列するとすれば、作品の芸術性は高く、古典の域に達しているといえよう。しかも、その代表作「弟子」や「李陵」を含めて、死の年に発表された大部分の作品について、みずからその成価を確かめる余裕を持つことが出来ずに終わった(解説より) 「山月記」 李徴は博学英才だったが、協調性がなく自信家で勤めをすぐにやめてしまって、詩作にふけっていた。一度は行き詰って詩作を諦めて職についたが、その時になっては、見下していた人たちの下で働くことになってしまった。自尊心が許さず、出張途中で発狂して行方不明になった。 たった一人の友達が山でトラになった李徴に出会う。彼は本性もほとんど虎になっていたが、姿を隠して友人とは話した。そして。 一途に求めて得られず悲惨な結末を迎えた男。 「名人伝」 邯鄲に紀昌という男がいた。弓の名人になろうと師匠を探して弟子入りした、言われるとおり厳しい修業を経て奥義を授けられた。100本の矢を射たが、一矢に次の矢が刺さり、順番に刺さっていってやがて一直線に続いていた。また妻といさかいをし、眼を狙って射たが、マツゲ三本を射切ってそれに妻は気がつかなかった。さらに極めるに山の老師についた。帰ってきたときはすっかり面代わりをして呆けたように見えた。みんなはこれは本当の名人だといい様々な噂が飛んだ。 「弟子」 孔子の弟子、子路の話。 孔子の噂を聞いて冷やかしにふざけた格好できた子路が、話を聞いて弟子になった。彼は難しい理屈はわからないが、純朴で心から師を敬愛し、片時もはなれず付き従った。孔子も顔回と子路を特別可愛がった。孔子は頭を低くして仕官することはできなかったが、時々招かれて、職句の館に逗留することがあった。 時は国が乱れ、争いが耐えなかった。次第に孔子の名が挙がってきたが、時には陥穽に落ちることもあった。だが子路だけは常の師を信じ、悪口を聞きつけると暴力で鎮めることがあった。孔子に諭され年を経て彼も一国を治める役目についた。孔子が訪ねてみると、子路は人に慕われ田畑は青々と茂り村は豊かだった。 孔子は言った「善い哉、由や、恭敬にして信なり」また進んでいった「善い哉、由や、忠信にして寛なり」子路の屋敷に入り「善い哉、由や、明察にして断なり」と。 子路(由)に会う前に孔子はその政を知った。 一時孔子のいる魯の国に戻っていたとき、政変が起きた。子路は禄を与えて貰った魯の現衛候を擁護し叫んだ。 「李陵」 漢の武帝の時、李陵は兵を率いて、匈奴をうつために出兵した。匈奴までは遠く、季節は冬だった。 幸先良い勝ち戦が続いたが、ついに5千の兵は400足らずになって辺塞にたどり着いた。敗戦の報を知らせに走った使者は自害しなければならなかった。武帝は李陵が捕らえられたと知って激怒した。すでに臣下は誰も李陵を援護しなかった。 ただ一人司馬遷だけが異を唱えた。彼は李家の家族より先に刑罰が決まった。宮刑であった。 彼は男をなくした。長い療養生活の末家に帰った。魂が抜けたように暮らしたが、やがてするべきことに思い当たった。そして「史記」の編纂を続けた。稿を起こして14年、腐刑の禍から8年、一通り出来上がり、また数年後史記110巻ができ、列伝第70太史公自序の最後の筆をおいた。 李陵は北方で蘇武と出会っていた。蘇武は匈奴に馴染まず独り山暮らしをしていた。 李陵は次第に北の国に馴染んでいたが、蘇武とは時々あって話をしていた。武帝が崩じて、蘇武は漢に帰った。 その後の李陵の記録はない。 短編が4つ、強く感銘を受けた。 芥川のような厭世的な暗さはないが、運命の暗さが底にある。作者の心が中国の古典を踏まえた形で、物語になっていた。 迫力があり、純な心があり、一途に進んでいこうとする主人公の気概に、中島敦の孤独感や不安がにじんでいるのは、死を見ながら生きていたことの証のようであった。 漢学者の一族に生まれたためか、なれない漢字や語句が多かったが、別についている注解に照らして読みながら、少し知識も増えた気がする。

    0
    投稿日: 2020.01.13
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    全編、自己顕示欲を満たしたいのに満たせない人が主人公。文体は難しいが読んでいて”美しい”と感じさせる文章。無情さを感じさせるところもよい。山月記と名人伝が特に面白かった。山月記からは、誇大な自意識は程々にね!というメッセージを受け取る。中高生の教科書によく載っているらしい。なるほど。終盤の虎の立姿を想像すると、漂う哀愁に笑う。名人伝は各芸当を極め頂点に達するシーンとオチが面白い。弟子は辛かった。真っ直ぐな人間の正義が報われない的な辛さ。実直さの表れるエピソードは面白い。李陵は足早に読んでしまい難しかった…

    1
    投稿日: 2019.09.28
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    有名な「山月記」、弓の名人の話「名人」、孔子とその弟子たちの話「弟子」、古代中国の武将李陵と司馬遷、蘇武を中心にした話「李陵」の4話収録。 見慣れない熟語や注釈が多いので、最初は読みにくいかと思ったけど、実際に読んでみたら意外と没頭して読めた。どれも短編だけど、山月記は10ページしかないのに驚いた。教科書で読んだ記憶はあるんだけど、こんなに短かったっけ。短いけど濃い。「弟子」「李陵」も良かった。

    1
    投稿日: 2019.07.31
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    文庫の文字数にしてわずか12頁。山月記である。しかしこの密度の濃さはなんだ。李徴の挫折と失意、だが袁傪の変わらぬ人柄に李徴は心を開く。もしかすると李徴も人間に戻ることを少しは考えたのかも知れない。だが、李徴は再び虎に戻らねばならぬ。この事を「酔わねばならぬとき」と著す。尋常な表現ではない。正直戦慄が走った。李徴は再び自らの心を閉ざす。そして袁傪にたったひとつの願いを託す。最早李徴が人間に戻ろうと思うことはないだろう。堪え得ざるが如き悲泣の声と咆哮とともに。

    0
    投稿日: 2019.03.23
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    高校生の頃に教科書で読んだのかな、山月記 衝撃的でした 著者を天才だと思った 人生で最多の再読作品となりました

    0
    投稿日: 2019.03.21
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    山月記 名人伝 弟子 李陵 著者:中島敦(1909-1942、新宿区、小説家) 解説:瀬沼茂樹(1904-1988、東京、文芸評論家) 注解:吉田精一(1908-1984、墨田区、日本文学)

    0
    投稿日: 2019.03.15
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    森見登美彦著『新釈 走れメロス 他四篇』に収録されていた「山月記」の原典を読みたかった。本書の全編を通じて中国の古典を基にしており、難解な漢語の表記に、注解が厚さで言えば1/4を占めるには驚いた。一番印象に残った文節は、「弟子」の『邪が栄えて正が虐げられるという・ありきたりの事実』という部分。それは現代でも変わらないのだ。読み応えがあったのは「李陵」だが、これは『項羽と劉邦』を読んだからかも知れない。

    0
    投稿日: 2018.11.09
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    虎榜に名を連ねた秀才は芸術家になれず、虎となる。朗読したくなる、言葉の数々。後代に作品を残そうとする営みへの興味の原点だと思っている。

    0
    投稿日: 2018.06.24
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     明晰にして、流麗。中島敦の文章は漢詩のように格調高く、かつ律動的だ。漢学者の一族に生まれ、若くして漢籍に親しんだ中島敦は、その素養を活かした独自の作風で注目を浴び、寡作ではあるが完成度の高い作品を残した。本書には表題作を含め、計4篇の短篇と中篇が収録されている。 『山月記』は、教科書にも載っている中島敦の代表作。詩人として名を挙げようとしてエリートコースから外れ、挫折してしまった青年の苦悩を、変身譚として寓話的に描いた短編だ。プライドの高さと社会的評価の低さとのギャップに苦しむ主人公の姿は、自意識ばかりが肥大しがちな現代人の姿に重なる。晩秋の月光を思わせる冴えざえとした筆致が、美しさの中に限りない寂寥を感じさせる名作である。 『名人伝』は、硬質な文体にも関わらず、かなりユーモラスな短編だ。ある男が弓術を極めるべく修行して名人の境地に達する話だが、その展開の奇想天外さは少年ジャンプのバトル漫画に近い。ラスボスの老師がエア弓で鳥を射落とすシーンで、冨樫義博『HUNTER×HUNTER』の〈念〉を連想したのは、私だけではないはずだ。老荘思想とか難しい話を抜きにして、素直に物語を楽しんでいい作品だと思う。 『李陵』は、漢の時代に生きた悲運の武将、李陵の半生を描いた中篇。歴史に翻弄される男達の内面の苦悩がメインテーマだが、漢軍と匈奴軍の戦闘シーンだけでも、戦記物として通用するだけの読みごたえを誇っている。ストーリーテラーとしての力量が存分に発揮された作品だ。  その他、孔子の弟子、子路の半生を描いた「弟子」という中篇が収録されているが、長くなるので詳細は省く。ともあれ、その主題が本来含む憂いの深さとは裏腹に、旋律さえ感じさせる流麗な筆致によって、極上の美酒のような味わいが醸し出されているのが、中島敦の作品の特徴と言えるだろう。グローバル化の波とは対極にいるような作家だけれども、読み継がれてほしいと願わずにはいられない。

    30
    投稿日: 2018.03.18
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    読んだことがあったが、久しぶりに中島敦の世界に触れてみたくなって再読。 数年前に父親に読んでみろよと言われて文庫本を受け取ってからずっと積本になっていたものでもあった。 山月記は言わずもがな、物語の全てのシーンが映像として浮かぶほど美しい文章がシンプルな漢文調で構成されている。月夜の丘の上で咆哮する虎のシーンは、完全に芸術の域に昇華されている。 李陵も良かった。この物語の最大の見所は、司馬遷が李陵をかばう、そしてその後に宮刑に処せられる場面である。男気に溢れる司馬遷に周りは同調しないばかりか、死よりも屈辱な宮刑を受けることとなった司馬遷、その気持ちはどのようなものであったのか推し量ることはできない。とても深い悲しみ、後悔、ネガティブな感情が渦巻く。 1つ前に読んでいた方丈記で「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」の世界観からのギャップが凄すぎて放心した。

    0
    投稿日: 2018.02.02
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    このレビューはネタバレを含みます。

     中国の古典や歴史を題材とした作品四つが収録。  山月記は古文の授業を思い出せば理解はできるが、他のものはなかなか理解が追いつきにくいのが残念だった。中国の歴史の登場人物が頻出し、それらが例えとして出されるため、その人物が何をしたかの巻末の解説を見ないと意味が分からず、物語にのりにくかった。  山月記以外は結構、読みづらい部類では。  話には運命の理不尽を感じるものが多く、その中で自分の命の使い道や満足(幸せ)を考えさせられる。基本的に分かりやすい物語やハピエンという概念はないが、登場人物の運命や生き様が淡々と書かれるので、読後感は悪くない。  「李陵」よりは、孔子の弟子の子路が主人公の「弟子」の方が好みだった。  李陵は、登場人物達のそれぞれの困難な人生や歴史の残酷に頭を抱える。  最初、李陵が軍需物質の運搬役はいやがって出撃したいという出だしが出だしのため、李陵が敵方に捕まるまで「こいつは何考えてんだろうな……?」と無関心に見ていたが、敵方に捕まってからの苦悩と、李陵と対比される司馬遷や蘇武のそれぞれの運命は胸をうつ。ラスト付近になるとがーっと読めてしまうので、惹きつけられるものはあった。

    0
    投稿日: 2018.01.28
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    このレビューはネタバレを含みます。

    読んだのは中学生の時。 私が通っていた中学校には、必読図書というのがあって、毎月決められた作品を本屋で購入し、感想文を書くというもの宿題みたいなものです。 様々な作品を読みましたが、今思うと中学生に理解できるような作品は少なかったように思います。 しかし、「山月記」は印象に残っている作品の一つ。 もう一度大人になってから読み返したい。 また、違った感想文が書けるような気がする。 iPadに入れてある作品です。

    0
    投稿日: 2018.01.23
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    「山月記」を読む。国語の授業で題材にしたら調度良さそうな感じ。とはいえ、漢文混じりなので現代文の時間なのか古典の時間なのか微妙なところだけど。古典の時間にやって漢文に親しみを持つのにいいかもしれない。才ある詩人が肝心なことを見失っていた結果大成することなく虎になる話。短い話だけどよくできていると思う。

    0
    投稿日: 2017.12.18
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    高校の教科書に載っていたので、購入してみたけど山月記以外はとっつきにくかった。 でも、時間があれば何度でも読み返してみたい文章ではある。

    0
    投稿日: 2017.10.28
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    二人の登場人物は、対照的でありながら、どちらにも共感できる。ということは、僕のなかにどちらの側面も存在するということだ。作中ではもっぱら、李徴の葛藤が描かれているが、実際の世界では、袁傪の葛藤もあるのではないか。すなわち、すべてを捨ててまでも自らの詩業に没頭する李徴に向き合ったときに、袁傪はいやでも自分のしょぼさを感じるのではないか。そこそこうまくやってはいるが、袁傪には李徴から放たれる圧倒的な重みのようなものはないだろう。僕には、虎になった李徴は虎に「堕ちた」のではなく、人智を超えた域にまで「達して」しまった、と読める。

    0
    投稿日: 2017.07.31
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    人はいかなる時に、人を捨てて畜生に成り下がるのか。中国の古典に想を得て、人間の心の深奥を描き出した「山月記」。母国に忠誠を誓う李陵、孤独な文人・司馬遷、不屈の行動人・蘇武、三者三様の苦難と運命を描く「李陵」など

    0
    投稿日: 2017.07.16
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    このレビューはネタバレを含みます。

    まだ李陵と弓矢がどうのあたりまでしか読めていない。けれど読むとなぜか元気が出てくる。なんでだ。李陵にシンパシーを感じるからからなのか。プライドだけはやたら高いが愚直に努力する奴には勝てないというのが現実であって、虎になってやっとそういう自分の性質というか傾向に気がつく。今の自分に似ている気がする。嘆いてるあたりまで自分に似ている。けれど彼と違ってまだ間に合う。まだギリギリ人間になれる、あるいは戻れるチャンスがある、はずだ。だからか。だからなぜか元気というかやる気が出てくるのか。

    0
    投稿日: 2017.04.16
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    高校時代ぶりに山月記を再読して読みづらさに積読になってたんだけど、「弟子」「李陵」を読み始めたら面白さにハマった。人間の苦悩や業、宿命がドラマティックに描かれていて、もっと読みたい…!ってなる。注釈確認するのがいつの間にか苦じゃなくなってた。

    0
    投稿日: 2017.04.02
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    中国の歴史からの題材をとっているから、当然のことながら漢字が多かった。また同じ理由からか、日本の生活において全く使用しないと思われる熟語、単語がかなり多く使われているために後ろの注釈をしょっちゅう参照しなくてはならない。参照に当たらないと、頭にその場の情景が浮かんでこないので、メンドくさいと思いながらも避けられない。自分の漢字力を棚に上げていうのだけれどもっと漢字のフリガナをもっと振ってほしい。 作者の中島敦は30前半で亡くなったとの事。幼い頃から漢文の世界に親しむ環境に居たにせよ、驚かされる…

    0
    投稿日: 2016.10.12
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    恥ずかしながらちゃんと読むのはこれが初めて。若いときに読めば、なにがしか得られたか。どの作品も良かったですが、なにげに李陵が良かったです。

    0
    投稿日: 2016.07.02
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    恐らく高校のころに授業で読んだ『山月記』がとても印象に残っていて、手に取った。 『山月記』は、人間・李徴が虎になってしまう、一言で言うと変身譚だ。 変身譚と言えば、カフカの『変身』が真っ先に浮かぶ。主人公・グレーゴルが朝目覚めると虫になっていた、という、あの有名な話である。どちらも、方向性は違うが残酷な結末であるという点では似ている。 しかし、大きな違いの一つは、グレーゴルは自分が虫になったことを不思議にも思わずに受け入れており、逆に周囲の人が彼を拒絶するのに対し、李徴は自分が虎になったことに悶え苦しんでいる点だ。 李徴の場合は、人間時代の自分の心の中に「猛獣」がいて、それは最終的に人を人たらしめる何かを壊してしまうのだと気付いている。そして、「人間は誰でも猛獣使で」あるとも述べられている。この点で、『山月記』は人間存在の根本を問う物語であって、読みながら、誰もが自分の心の中の猛獣を自覚せずにはいられない。 思春期に読んだこともあって色眼鏡もあるだろうが、やはり『山月記』が一番鋭く輝くものをもっているように思う。逆に言えば、それ以上の輝きをもつ作品に出逢うことを期待して本書を手に取ったので、残念でもあった。 レビュー全文 http://preciousdays20xx.blog19.fc2.com/blog-entry-481.html

    0
    投稿日: 2016.05.05
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    文スレを見て、実在の中島敦ってどんな人だろう?と思ったら読んでほしい本。タイトルにもある「山月記」で能力が「月下獣」な理由がわかります。 文章は漢文っぽいけど、そんなに読みづらくもなく、短い話が4つ。おすすめは「名人伝」名人ってそういうもの!?って、びっくりします。 (三石分館)

    0
    投稿日: 2016.04.14
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    教科書で読んだ山月記を思い出して読みたくなるという、ありふれたきっかけで読んだ。 文体等を細かく評価できるような審美眼は持ち合わせていないが、静謐で無駄がない文章であったように思う。そして、その内容は決して軽くない。 過剰な表現で感動を押しつけてくるような作品群と正反対に、頭に入った文字や文が自分の中から心を動かしてくるような感覚を覚えた。紛れもない名作中の名作。

    1
    投稿日: 2016.02.01
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    臆病な自尊心と、尊大な羞恥心 己の珠にあらざることを惧れるがゆえに、あえて刻苦して磨こうともせず、また、己の珠なるべきを半ば信ずるがゆえに、碌々として瓦に伍することもできなかった。 というフレーズが印象的

    0
    投稿日: 2015.12.17
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    このレビューはネタバレを含みます。

    美しく流れるような文体に酔う。 そこに流れる、人の傲慢さ、悔恨の想い、 情愛、友情。 咆哮が胸にいつまでも響く。

    0
    投稿日: 2015.10.03
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    高校の国語で学習して以来の再読。自分が教える側として読むと、読み落としていたことがうわっと寄ってくる。人が人ならざるものに身を落としてしまうという話だが、現代にも李徴のように獣に身を落とす人は多いのではないだろうか。見た目が人のっままであるために、間違いに気づくことができない獣たちが。

    0
    投稿日: 2015.07.14
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    山月記も名人伝も弟子も皆おもしろい!ただ李陵だけは北方謙三版・史記とは少し違った展開に少々驚いた。李陵の運命の苛酷さは涙なしには読めない。

    1
    投稿日: 2015.06.06
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    表題2作を読了。 【李陵】 武帝の命令や味方軍の寝返りに翻弄され一族を失うことになった李陵、武帝への反感によって取り返しのつかない屈辱を受けつつ自分の生を『史記』編纂に注ぎ込むこととなる司馬遷、自分の信念を貫き孤高に生きようとした蘇武。 自分の力ではどうすることも出来ない局面に陥った時、人はどう振る舞うべきか。大きな選択を迫られた男たちの生き様、儚さ、散り際を描いた硬派な1編。 旧仮名文で冒頭数行は読みにくさを感じましたが、途中からはこの堅さが合う作品だなと気付きます。 【山月記】 言わずもがな、教科書にも登場する名作。 「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」が原因で「獣に身を堕す」―虎となった李徴。 教訓めいた要素はありますが、何より日本語が綺麗。月夜の下、叢(くさむら)の影でぽつりぽつりと自分の身に起こった悲劇を語る李徴と、虎となった友人に寄り添い耳を傾ける袁さんの姿が鮮やかに浮かびます。 たった10頁ほど、内容は十分知っていても繰り返し読みたくなる味わいがあります。

    1
    投稿日: 2015.06.02