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絶対音感
絶対音感
最相葉月/新潮社
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総合評価

46件)
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  • レ♯とミ♭は異なるとわかるのが絶対音感?私にはありませんです

    まず私の音楽遍歴を書きます。幼い頃ヤマハ音楽教室に2年通いました。教室では、その頃一般への発売が始まったエレクトーンばかりを弾いていました。勿論、幼稚園児には補助具を使っても脚は届きませんので、上下の鍵盤のみです。ただ、オルガンと違って様々な音が出ますからね。それがよほど気に入ったのでしょう。その後、親に頼んでエレクトーン教室に3年間通いました。でも、小学校4年になると友達間で珠算塾に通うことが流行り、エレクトーン教室は止めさせられました。4歳違いの妹は中学2年までエレクトーンを習っており、楽器は家にありましたので、遊びで触ることはありました。子供の頃は、オヤジの「おなら」の音を「今のはファ♯かな。」なんて妹と言い当てていたものです。小学校でリコーダーを吹くようになると、チャルメラや豆腐屋のラッパの音を友達同士で奏でていました。中学生になってからはフォークソングに傾倒し、ご多分に漏れずギターをかき鳴らしていました。ただ私は、カポを使って音程を変えるのはどうしても苦手でありました。例えば、Cの指使いでFの音が出るのは、何故かとても気持ち悪かったのです。  大学時代は、中南米音楽、フォルクローレ同好会に所属しました。楽譜なんてものは存在しませんでしたから、全てレコードコピーで、旋律、コードは勿論、パーカッションも部員みんなでコピーしていました。そして就職して4年目、初めて自分の給料でエレクトーンを購入し、これまで何度も買い換えてはいますが、以来30年以上毎日のように弾いております。今でも初めて聞く楽曲でも旋律ぐらいならばなぞることができます。この程度の事は音楽をそれなりにやって来た人は、普通にできる事だと思っていました。  ところが、この本を読んで目からウロコでありました。「絶対音感」たるものは、そんなものじゃないんですね。  なんでもA音とは国際規約において、気温摂氏二十度440ヘルツと制定されているとか。でも年々オーケストラの基準音は上昇し続けているそうな。そして本物の絶対音感を持っている人は、この440周辺の音以外は受け入れることができなくなるそうな。この本は、絶対音感とは何か。脳との関係、そして相対音感なるものについて解説し、それに加え、そもそも絶対音感は音楽家にとって必要なのか?なんていう話にも言及しています。日本の音楽教育につしても概説していました。  弦楽器と鍵盤楽器の違いも興味深いものでありました。五嶋みどりはオーディションを受ける前、オーケストラの基準音が442ヘルツで、自分が練習してきたのは440ヘルツで、オーケストラの音に合わせると気持ち悪いと感じたなんていうのは、興味深い話でした。その一方、少々可哀想な気もします。弦楽器はチューニングで基準音を簡単?に変えることはできるですが、鍵盤楽器はそんなわけにもいかないでしょう。ま、今のエレクトーンでは変えることができるようですが、私はしたことはありません。  ただ考えてみるに、クラシックの曲は、オーケストラや指揮者によって聞いた感じが違うのは、ひょっとすると基準音が異なるのかもしれませんね。  そして、絶対音感を持ち、優れた技術を持てば、それで良いのか?それで人を感動させられるのか?本の中ではそこにも言及しています。もし譜面通りの演奏が良いならば、コンピュータに演奏させればいいわけですよね。演奏にはたぶん、その人のこれまでの人生そのものが表れなければならないのでしょう。  エレクトーンも音色やリズムのチェンジを、シーケンスプログラムを組んで自動でできる機種が発売された時、譜面通りに弾くことが出来たら、誰が弾いてもみんな同じになってしまうなぁと思いました。しかし、次に発表された機種から、鍵盤を指先のタッチで、音が変わるようになってます。イニシャルタッチ、アフタータッチ、ホリゾンタッチと呼ばれていますが、今では弾き手の感性で音を変化させて弾くことができるようになっています。  というわけで、音楽好きな人には、なかなか興味深い分野の一冊だと思いますよ。  それにしても、気持ちの良い和音と気持ち悪い和音がありますが、これは何が違うのか?あるいは短調の曲はなぜ悲しげに聞こえるのか?なんてことも不思議ですよねぇ。

    0
    投稿日: 2025.09.15
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    25年以上も前に出された本だけど、今にも通じそうだし、それから進んだ今のことも知りたくなった。絶対音感って聞いたものを即興で弾けることだと思ってたけど、本当の意味ではもうちょっと深そう。絶対音感を持っている人は生きづらいのかも…。

    16
    投稿日: 2025.03.17
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    最相葉月さんが書かれていた、『風が強く吹いている』の解説になんとなく心ひかれて、この人の本も読んでみたいと思い、手にとった本。 絶対音感についての解説(日本での絶対音感教育の歴史とか、そもそも絶対音感とはなんぞやという話とか)も面白かったけど、音楽にまつわる豆知識(国によってピアノの基準音が440ヘルツだったり442ヘルツだったりバラバラなこととか、ヴァイオリニストはオーケストラの中で弾くときとソリストとして協奏曲を弾くときでは音程のとり方が変わってくることとか)にも、たくさん驚きとか感心させられることがあった。 音楽家と科学者、両方の綿密な取材から、音楽の奥深さと人間の能力の曖昧さのすごさがよく伝わってくる。 単行本が出されたのが1998年だけど、それから26年も経った今では、またさらに研究や技術の開発が進んで、分かるようになったこと、人間でなく機械ができるようになったことがあるんだろうな。

    1
    投稿日: 2024.09.08
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    時間かかったけど読了。色々なミュージシャンや音楽関係者への取材をベースに構成されたノンフィクション。特に、最後の五嶋みどり/五嶋龍ファミリーの物語が壮絶・圧巻。五嶋ファミリーのマンハッタンでの生活と、姉弟を中心とする家族の姿を克明に描写しているこの本は(このチャプターは)平成初期の日本文化の重要な記録だと思う。

    8
    投稿日: 2024.02.15
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    自分も昔ピアノを習っていて、先生から絶対音感があると言われたが、けどそれが何だか良くわからないまま、結局音楽からはそのうち離れてしまった。 本書を通して、絶対音感があった方がいいのかは、様々なインタビューを通しても、必ずしも必須な能力だとは言われていない。 そして本作が、絶対音感から最終的に、音楽とは?という根源的な話になっていくのが興味深い。

    2
    投稿日: 2023.03.22
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    最相葉月(1963年~)氏は、関西学院大学法学部卒、広告会社、出版社、PR誌編集事務所勤務を経て、フリーのノンフィクションライター。本作品で小学館ノンフィクション大賞(1998年)、『星新一 一〇〇一話をつくった人』で講談社ノンフィクション賞(2007年)、大佛次郎賞、日本SF大賞等を受賞。 本書は、1998年に出版、2002年に小学館文庫で文庫化され(現在絶版)、2006年に新潮文庫で再版された。 内容は、ライターになってから「絶対音感」という言葉に初めて出会った著者が、その言葉に強く惹かれて、その「絶対音感」に関して、音楽家や科学者等200人にインタビューを行い、それについてまとめたものである。取材の対象となったのは、バイオリニストの五嶋みどり、五嶋龍(及び、みどりと龍の母の五嶋節)、千住真理子、指揮者の佐渡裕、大友直人、作曲家の三善晃、ミュージシャンの矢野顕子、ギタリストの渡辺香津美、等、錚々たる人々である。 前半では、絶対音感とは何か?、絶対音感の有無は先天的なものか後天的なものか?、日本の絶対音感に関わる音楽教育の歴史、絶対音感に関する脳科学的研究・分析等が記されており、それによれば、絶対音感とは、ある音を聞いた時に、その音が音名・階名で表現できる能力のこと(一方、相対音感とは、基準となる音を与えられた上で、ある音の高さを認識できる能力)であり、その能力は、幼少期に言語を習得するのと同じようなプロセスで、(後天的に)身に付けることが可能と考えられている。(もちろん例外もあろうが) そして、その絶対音感を持つことが、一流の音楽家になるために不可欠(又は、圧倒的に有利)なのかについては、興味深いことに、少なからぬ音楽家が、「絶対音感は持っていたほうがいいのかどうか、よくわからない」、「絶対音感はあってもいいし、なくてもかまわない」と語っている。その理由は様々だ(と思われる)が、私が本書で初めて認識したのは、音階を作るための音程を数学的に規定した「音律」には、ピタゴラス音律、純正律、平均律等があり、それぞれにより微妙な音程(周波数)差があることと、更に驚いたのは、基準音が、国やオーケストラによって異なるということ(A音の周波数について、日本の主要オーケストラは442ヘルツ、ベルリン・フィルやウィーン・フィルは445~446ヘルツ、イギリスは440ヘルツ、アメリカは440~442ヘルツ)で、そのいずれについても、精緻な絶対音感を持っているほど(それを、即座に微修正する能力まであれば別だが)、違和感を覚えることになりかねないのだ。 更に、後半では、絶対音感というテーマから徐々に、そもそも音楽とは何なのか?、素晴らしい音楽がなぜ人々を感動させるのか?という問いに移行していくのだが、様々な材料は提示されるものの、解答が示されているわけではない。著者は、文化人類学者のレヴィ=ストロースが『神話論』に記した「音楽は人類究極の謎であり、音楽の謎が解き明かされれば人類進化の謎の多くも解かれる」という文章を引用して、その答えが示されるのは遠い将来のことだろうとしている。 絶対音感とは何かを解き明かしつつ、音楽とは何かという究極の問いを我々に投げかける、力作ノンフィクションである。 (2022年10月了)

    1
    投稿日: 2022.10.18
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    原著は1998年刊行。 それからほぼ四半世紀経つ。 たしかに、脳科学も、知覚系の心理学、AIも(まだ「人工知能」という呼び方しかしなかったころだ)、執筆時とは状況が大きく変わっているに違いない。 また、終盤に出てくる五嶋龍少年は、今や世界で活躍するバイオリンのソリストとなったことを思うと、時の経過を感じさせられる。 でも、この本は、今読んでも十分面白い。 多面的に、丁寧に、この問題を調査してあるからだ。 私はたぶん20年近く前に一度読んでいるはずなのに、前読んだ時よりもっと面白く読めた。 本書は、「絶対音感」と呼ばれている能力が、実際にはいろいろな側面やレベルに分かれるものであることをまず確認する。 音を聞いて音名を答えられるラベリングの力だけでなく、音程を捉える力、和声を聞き取る力、音高の違いを聞き取る力…。 絶対音感を持つとされる人の中にもいろいろなありようがあり、さらに能力間ではトレードオフの関係にありそうなものもある。 こんなふうに、本書では冒頭で絶対音感が多面的な力を指すことが整理される。 そして、それが社会で様々な理解と思惑を生んでいくことに論が転じていく。 こうした状況を俯瞰した上で、本書はなぜ日本の音楽教育の中で絶対音感教育がかくも「絶対」視されたのかを解き明かす。 このくだりが、今回読んで一番新鮮だったところ。 そして、それは裏返せば前読んだ時まったく印象に残らなかったところでもあるのだ。 それから、何に驚いたかというと、固定ド唱法と移動ド唱法をめぐる教育界の対立。 さっき、小学校の学習指導要領というものをネットで見てみたが、現状は小学校低学年で階名唱(移動ド唱法)が教えられているようだったが、実際どうなのだろう? 国内の事情以外では、現代音楽が調性を破壊した結果、絶対音感を必要とする音楽の作り方になっているという指摘も面白かった。 そして、そういった曲を指揮するためにも、音楽家の中で最も絶対音感を求められるのは指揮者なのだともあった。 この本では指揮者たちへのインタビューも多く、指揮をしながら何を調整しているのかが少し窺い知れるところも貴重なところだと思う。

    2
    投稿日: 2022.01.12
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    一時期このことに非常に興味を持って考えたことがあった。 相対に対する絶対 絶対という強力なイメージを持った魔の言葉 音楽を言葉で語ることは本当に出来ないのだろうか。

    1
    投稿日: 2020.10.06
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    本書は、若き日のパステルナークと、彼の音楽の師であったスクリャービンとの対話を記すことからはじまります。パステルナークに音楽の道を断念させたものは「絶対音感」でした。その神秘的な能力を与えられなかった者は、そのことに苦しみ、与えられた者は人びとの好奇の視線を向けられて苦しむことになります。こうした事実が、絶対音感について語る者の口を重くしてきました。著者は本書を執筆するにあたって百人の音楽家たちに質問状を送ったものの、回収率は5割で、なかには白紙無記名で送り返してきたものや、あなたはなにもわかっていないという手紙が添えられたものもあったといいます。絶対音感を取り巻くこうした厚い雲を晴らすことが、本書の目標の一つだといってよいでしょう。 絶対音感を追求していくなかで著者は、戦前からの日本の音楽教育にひそむ問題にぶつかり、音楽と人間の関係をめぐる大きな謎を前にしてたじろぐ脳科学者たちの姿を知ることになります。最終章は、五嶋みどりと彼女を取り巻く家族とのかかわりをえがき、あらためて人間にとって音楽とはなにかと読者に問いかける内容になっています。 「文庫版あとがき」で著者は、「本書は絶対音感を礼賛したり否定したりする本ではありません」と書いていますが、こうした断り書きがなくても絶対音感について人びとが語りあい、音楽と向き合うことのできる状況を、著者は願っていたのかもしれません。

    1
    投稿日: 2019.11.24
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    ノンフィクションの地道さ、堅実さ、らせん状に深まっていく真相。 こういう仕事をちゃんと待って、評価していくことが本当に大事だと思う。 当時、きっとすごく読まれたであろうけど、 最後まで読み切れなかった人もいるんじゃないだろうか。 ひとつの疑問やイメージから、丁寧に文献に当たり、当事者の声を聞いていく。 たどっていく道筋の中に、ぼんやりと「当たり前」と思っていたことに出くわしたり、 そのたびに、最初と同じようで違う場所から同じものを見る視点が加わったり。 絶対と相対、能力と修練、技術と表現力、環境や人間の成長の時期、 物理的な楽器というものを通じて生まれる誤差、 音を文字として読める力と、文字では読み切れない情感の範囲。 コンピューター(今ならAIか)の限界と、 人間の能力の、取捨選択における膨大さと何を選ぶかという早さの凄さ。 いろいろな要素が、調べる中で目の前に出てきて、 改めて、ここまで気付かなかった不思議に直面する。 ものを調べるってそういうことで、 行きつく先も、自分の予想なんてどんどん超えて止まらなくて。 この本1冊がここで終わっても、 まだまだ追及していくテーマ、新しい方法、視点は日々生まれていく。 でもこの地道に歩いていくしかない道にしびれを切らす人は多いだろう。 分からない人は「絶対音感」というお墨付きだけもらえれば あとはすべて上手くいくと勝手に合点してもう次へ行く。 だますのなんて簡単だ。 学ぶ醍醐味、自分の頭のスペースが一気に開けていく快感、 自分で掴まなければ得られない充実感と実感、 その人にしかたどり着けない答え。 それを知ることで、自分がかかわらないいろいろなものに対しても、 すぐに答えが出ないことが分かるし、 一面からだけでは見えないことが分かるし。 判断を保留にしたまま余裕をもって考え、 出た結果を大切に大事にできると思うんだけどね。

    4
    投稿日: 2019.11.04
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    正直に言って、焦点がぼやけてるというか、結局何が言いたいのかが良く分からない本だった。 特に最終章がこの本に入っている理由が謎。 私がノンフィクションという分野を読み慣れていないのが原因なのかなー。

    0
    投稿日: 2019.01.20
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     この本が出るまでまったく聞いたことがなかった「絶対音感」って言葉だけど、そのスジでは超がつくほど有名だったんだね(゚д゚)!  なんと 戦前から(゚д゚)!  霊能力やESPっぽくて「自分にもあったら面白いかも」なんて思ってたけど、本書を読み進めていくうち そんな大したもんでもないことに気がついた( ´ ▽ ` )ノ  色で言えば、赤を赤 白を白と見分けるくらいなもんで、大枠さえズレてなきゃ 素人にはぜんぜん必要ない能力じゃん( ´ ▽ ` )ノ  味で言えば、ワインのテイスティングとか( ´ ▽ ` )ノ    絶対音感ブームの火付け役でありながら 内容はむしろその熱を冷ますもの、という皮肉な結果になってる面白い本( ´ ▽ ` )ノ  終わりのほう、テーマに直接関係のない五嶋みどり&龍姉弟のミニ伝記が差し挟まれているけど、これはこれで面白かった( ´ ▽ ` )ノ  こんな映画みたいなエキセントリックな家族、本当にいるんだね( ´ ▽ ` )ノ  芸術が人を狂わせるのか、狂った人が芸術に囚われるのか?……人類永遠のテーマだ( ´ ▽ ` )ノ  独立した評伝として長編化すればいいのに( ´ ▽ ` )ノ  しかしまあ、読みづらい文章だったな(´ェ`)ン-…  持って回った表現が多いし、時として冗長……まるで翻訳作品みたい(´ェ`)ン-…  あとがきを見たらごくごく普通の文章だったから、「あれが作者ほんらいのスタイルではなく、わざとああいう書き方をしたんだ」と気づき 改めてびっくり(゚д゚)!  ひょっとして、あらかじめ外国語翻訳を前提として変則的な書き方をしたんだろうか?……(´ェ`)ン-…  取材協力者・参考文献の長大なリストには、ただもう頭がクラクラ……( ゚д゚ ) 2019/01/13

    1
    投稿日: 2019.01.13
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    絶対音感という言葉の意味について、また、音律や和音について、ずいぶん自分が誤解していたことがよくわかった。 非常に多くの人に話を聞き、よく調べて書いているのがわかる。 「絶対音感さえあれば音楽家になれるのか」という問いが発展して、最後は「音楽って何だ」という話になっている。 それは本来のテーマからすれば「脱線」かもしれないが、絶対音感を考えていくと、どうしてもそこに行ってしまうのかも。

    1
    投稿日: 2019.01.01
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    絶対音感、を追いながら 音楽教育の歴史、軍事利用まであったとは わが子の絶対音感習得に奔走する親 絶対音感神話、指導者のジレンマ、 いつの間にか、ヒトの耳、脳、を経て、音楽とは、 そして科学者の挑戦へ、まで。 音にラベリングできる技術だけではなく そのつながり、強弱、リズム、総合的に 創り上げ、奏で、聴き、音を楽しむと書いて音楽。 いい耳を持ちたいです。

    0
    投稿日: 2018.09.28
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    広さも深みも網羅した体系的な本。絶対音感とは、に終始しないからこそ、音楽とは、という本質に迫る部分があると思う。(物理量の追求に終始してたら音楽としては非常にナンセンスだよな、という説得力があるし、そこに好感が持てた) 絶対音感とは、という点に関しては本のなかにも引用がある「あると便利でどっちつかず、時には厄介」という旨が語弊ないかなと思うし、それ以上踏み込みたい人は読もうねって薦められる本。 あと七章にあるバーンスタインの引用が音楽とは、という語りとして非常に優れていると思う

    0
    投稿日: 2018.06.24
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    何故か小説と勘違いしてたが、絶対音感をテーマにした音楽家たちのエピソード交えた専門書のような印象。 必ずしも絶対音感を持つ人が優れた音楽家、と言うわけではないということだ。 そうだろうな。私も趣味でバイオリンを弾くが、譜面は早く読めるようになりたいが、絶対音感は特に羨ましいと思わない。まぁホントに趣味だからね。 五嶋龍くんって家族中で有名音楽家だったのね。いつか演奏を聴きに行きたいな。

    0
    投稿日: 2017.04.17
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    医事新報の中野先生のコラムで「至高のエッセイスト」として紹介された最相葉月の著書。具体的な著書名には触れられていなかったがこの作品が代表作っぽい

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    投稿日: 2017.04.07
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    絶対音感に関する、渾身のノンフィクション。歴史的な経緯に触れつつ、その日本での熱狂ぶり、問題点、絶対性のゆらぎ。五嶋家の話だけはなじまない感じがするが、組み込まれたスピンオフとしてはあり、だろう。 ・丸山圭三郎:ロゴスとしての言葉は、すでに分節され秩序化されている事物にラベルを貼りつけるだけのものではなく、その正反対に名づけることによって異なるものを一つのカテゴリーにとりあつめ、世界を有意味化する根源的な存在喚起力としてとらえられていた ・五嶋節:私、子どもに対して理解はないけど、反省はある。

    0
    投稿日: 2017.03.28
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    何について論じているのかが分かりにくくて、読みにくい。 ノンフィクションとはこういうものなのかもしれないが、もう少し要点を端的に書いて欲しい。 興味深いエピソードはいくつかあった。 絶対音感は絶対ではない。 最終章の五嶋家族の物語は蛇足。

    0
    投稿日: 2016.10.05
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    音楽教育に絶対音感は必要か,様々なトレーニングの効果の程はどうか.絶対音感に基いたピアノ教室の生徒の親は絶対音感をつけさせるとさっさとやめてしまう状況が続いた.軍事目的でのトレーニングであっただとか,感性工学の分野から絶対音感を容易にに持たせることが出来るコンピュータが作る曲は必ずしも印象的なものとならない,将来はどうなるのか,などの調査も面白い.

    0
    投稿日: 2016.01.18
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    ベストセラーが文庫になった。絶対音感ということばは本書が売れ出したときに初めて知った。それまではそんなこと考えたこともなかった。そして特に興味があるわけでもなかった。でも、たくさんの音楽家に取材して書かれているようなので、少し気になってはいた。それで文庫が出てすぐに読んでみた。なぜこれがベストセラーになったのかが分からない。おもしろくないというのではない。内容が少し高度に感じられるからだ。特に脳についての記述は、まったく初めての人には少ししんどいのではないかと思う。それがどうして売れたのか。絶対音感を我が子にも持たせたいと思っている親が多く存在するのだろうか。そういった音楽教室が成り立っているということは、そんなニーズもあるのかも知れない。私の本書を通しての1つの驚きは、基準になる440ヘルツのラの音が、時と場所によって異なるということだ。それこそどこでも絶対的なものだと思いこんでいた。そのずれがあるため、絶対音感を持った演奏家はときに苦労するのだそうだ。しかしまあよく考えてみると、そんな微妙な調整は温度や湿度によってもくるってくるだろうし、200年前に正確に計れたとも思えないし、もっともっといい加減なものなのかも知れない。専門外のものほど、何でも絶対視する傾向があるような気がする。文系の人間ほど、細かい数字を気にしすぎるなど。本書の中で一番おもしろかったのは、最終章の五嶋みどりさんの家族についての記述だ。みんな一般読者は脳の話なんかはすっと読み飛ばして、こんな音楽家のいろいろなエピソードを読んで楽しんだのかも知れない。しかしよくもまあ、これだけたくさんの人に、しかもかなりの著名な芸術家や研究者にインタビューができたものだ。その点が最も感心できる。

    0
    投稿日: 2015.08.31
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    再読。ヘルツの微妙な違いで音の聞こえ方が違う云々を言葉で説明するのは難しいな、と思った。良く調べてあるが、専門的すぎて途中で飽きた。

    0
    投稿日: 2015.02.06
  • ワタクシ自身は相対音感すら怪しいのですが

    前から評判は知っていたのですが、テーマへの興味がイマイチで読んでいませんでいた。このたび著者の新刊を読むにあたって予習的な気持ちで手にとったものです。 読みはじめは「このテーマでなにを書くのかな?」と思ってしまいましたが、日本の音楽教育史、認知科学、現代のクラシック音楽の一断面まで、絶対音感をキーワードに話は広がっていきます。 著者がわりとオモテに出ててくる文章ですが、要所要所は抑制が効いて読みやすいです。「素人の視点からがんばって取材をして書いた」感じがプラスに出ている気がします。

    0
    投稿日: 2014.03.16
  • 改めて電子書籍で購入したので、読み返す前にレビューを書いてみた

    強烈な印象があったことを覚えている。確か10年以上かなと思ったので、確認してみると初版は1998年。自分の読んだ場所(読んだときに住んでいた場所)から実際に読んだ時期を推定すると確かにそれくらいである。まさに15年前。タイトルから想像されるイメージとは異なり、内容は、絶対音感にまつわるルポタージュという趣。太平洋戦争で特殊能力として利用されたといった話から、絶対音感により学校での音楽の授業と巷間の音楽教育の内容の矛盾に苦しんだという話、音楽家にとってどのように位置づけられる能力なのか等、興味をそそられる内容であふれていた筈。自分に記憶や理解の深さの確認も含め、改めて、じっくりと読んでみたい。(読了後のレビューを更新する予定)

    4
    投稿日: 2013.10.30
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    中学生のときに読んでからの再読。 当時は難しくてわからなかったことがわかるようになった。理解できることが増えた。 私は絶対音感を持っています。 ですが、相対音感もありますし移動ドで気持ち悪さを感じたことはありません。 色々な音楽家が絶対音感についてどう考えているか理解できて面白かった。

    0
    投稿日: 2013.04.19
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    実によく歩き回った作品である。 なにげなく使っている言葉が、実はかなり深い歴史を持っていた。 「絶対音感」;その響きは、何かを想像させる。 五島みどりのおっかけストーリーを織り交ぜながら、 日本の「絶対音感」をもつ人の多いことについての考察 ヤマハそしてそのさきがけたる人物像。 「絶対音感」が、なくても、ある程度の演奏家になれる。 しかし、日本で絶対音感をもつことによって、 国によって、絶対音感が違ってくる。 ラ音 440ヘルツ 音というのは、ヘルツなんだよね。 ○ピアノの平均率で出来ている純正律の音程 ○440ヘルツ、442ヘルツ 音とは人と人の間の空間をどれだけ揺り動かすことが出来るか 無意識、あたらしいもの、自分の考えていること 「音響という物理現象が情動という心理現象へ移る接点」 「プロになるということは、 川の向こう岸に立つということです。 好きでないと出来ないけれど、 好きだけでは絶対出来ない。 誰にも頼ることは出来ない。 ソロの演奏家なら、一人で多くの人の前に 裸で立つ勇気を持っていない限りやっていけない。  音を紡ぎ、自分を表現できる音楽家って 幸せですかねといわれますが、 紡ぐ音なんて見えない、どこにもない。 その音を探すこと頃から始めるわけだから 途方に暮れるのです。 少しも幸せではないです。 だけど、最終的にはなにかの幸せが祈られていて、 そのために生きていくのでしょうね。」 涙は心臓より出ずるものにして脳よりにあらず。 科学論 レオナルド・ダ・ヴィンチ  

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    投稿日: 2013.01.13
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    10年以上前に話題になった、氏のデビューレポを今ようやく読んだ。五島家をメインとした幼児教育論に話が始まり、各界音楽家へのインタビューねたをもとに、絶対音感について徹底調査した内容。結論としては予想通り(今の流れを知っているからかもしれないが)であるが、裏取りもしっかりとしてあり、読み応えあるものだった。自分には相対音感はあるということも、本書を読んで理解できた。

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    投稿日: 2012.10.04
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    【読了】再相葉月「絶対音感」 8月24冊目 「絶対音感」に関して書かれたノンフィクションもの。筆者の方が音楽家ではないだけあって、音楽的知識がほぼなくても読める作品になっていると思う。もちろん多少の音楽的知識はあった方がよさそうな気もするけれど。 読んでいて自分でも意外だったのが、絶対音感なる技能は、人にもよるけれども、周波数判定能力ではなくて、単純に言語変換&認識能力である・・・ということ。 例えば、日本人が日本人に向かって「あいうえお」といえば、それを「あいうえお」と言葉として聴こえるように、ピアノで「ドレミファ」と演奏すると、それが言葉として「ドレミファ」と聴こえてしまうらしい。歌ものなどは歌詞にメロディのドレミが上書きされてしまうんだとか。 その他、絶対音感と相対音感などや、平均律の問題点など、基準音Aの周波数の歴史など、なかなかに興味深い話が続くし、コンピュータと音楽的な話も出てくるので、意外とミクさんとかで音楽を創ってる、創りたいという人なんかが読んでみると、ちょっとしたヒントが得られるんじゃないかなと思ったり、思わなかったり。 前から音楽を言葉で語るということが、個人的になかなか面白い現象だなと思っているところがあって。でも音楽雑誌でも音楽を直接的に言葉に変換したりはしないで、その周辺をなぞるように描写しているにすぎないのだけれども、この本では本当に直接的に言葉として聴こえている人が存在すると書いてあって、世界認識の仕方というのは本当に人それぞれなのだなと思ったのでありました。

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    投稿日: 2012.08.31
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    あそうか、絶対音感て言っても、西洋音階が元になってるんだからその教育とセットだよな~と今更ながら気づいた。すごく面白いルポです。

    0
    投稿日: 2012.08.07
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    絶対音感について、ものすごく詳しい取材と分析が書かれているけど、読み終わってもやっぱりわからない。よく、すべての音が音階に当てはめて聞こえるっていうけど、でも本当に音感のいい人は440Hzと442Hzの違いがわかるのだろうから、厳密にいえば、周波数が大きくずれている音は、音階にはハマらない音に聞こえるのが正解じゃないのだろうか。

    0
    投稿日: 2012.03.01
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    このレビューはネタバレを含みます。

    意外と面白かった! 余談ですが著者は関西学院大学出身、 「東京大学応援部物語」も書いている彼女の 母校の応援団の思い出はというと 試験前に当時の団長にノートを貸せと言われ 顔は知ってるもののろくに話したこともないので 断ると、俺を誰だと思ってる的な発言をされた らしい…(もちろん最相さんは吹奏楽部でもない)

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    投稿日: 2012.02.24
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    絶対音感を身につけると、音楽を左脳(言語脳)で聴く傾向が出来る (P.81) 日本は絶対音感教育天国 Missing Fundamental (P.108) 1000Hz, 1200Hz, 1400Hz, 1600Hz の音 → 200Hz のピッチに感じる 900Hz, 1100Hz, 1300Hz, 1500Hz の音 → 200Hz のピッチに感じない 言語の習得と絶対音感とは似ていて、ある年齢までに覚えないと「母国語」として身に付かない。それ以降だと習得しても繰り返さなければ失ってしまう (P.98) 絶対音感は、物を比較する能力を子供が獲得してしまうと身に付きにくくなる (P.134) 日本の義務教育では、ドレミを階名とする 移調ド唱法が行われている (P.148) 戦時中敵機の種類を見分けるのに絶対音感が使われた時期があり、絶対音感教育が奨励された暗い過去もある。(P.65)

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    投稿日: 2011.08.10
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    このレビューはネタバレを含みます。

    絶対音感は、ものの振動数が絶対的な値であることを考えれば不思議ではない。 音叉という音合わせに使う道具は、コンピュータでも実現できる。 人間の感覚が弁別閾という相対的な処理が得意なことを考えると、 絶対処理と相対処理がどちらが得意かという問題になる。 それでは、絶対音感がある人が音楽で有利かという幻想を持つ人がいるので、 具体的な情報を提供しようとしていると理解している。 体内に音叉を持っていることが、どれだけ人間に取って幸福なことであろうか。 体内に音叉を持っていることが便利というだけであれば、 では物理的に音叉を持ち歩くのは嫌なことかどうかを考えてはいかがでしょうか。 事例から直接、自分や子供の教育について方針を決めるのではなく、 その子にとって、何を得意であることを自覚すると幸せかで考えて欲しい。

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    投稿日: 2011.06.18
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    音を聴いて、その音名を言えるという「絶対音感」。 音楽に関わるものには非常に便利な能力。 だけど、絶対音感を持つ者には周り中の音が全て音名で聞こえてきてやっかいなものだとも言われる。 私には絶対音感はない。 だが、相対音感はあるし、絶対音感に近いものは持っていると思う。 その中途半端な音感が身についた理由がこの本である程度明らかになった。 私は4歳からバイオリンを習い始めた。 そして和音の音名を言う練習もさせられ、15前後の和音を区別し3つの音名を言えるようにはなっていた。 ただしドイツ語で。 「ドミソ」なら「ツェーエーゲ」と言うように。 もちろん子供の私にはその意味は理解出来ない。つまりそこでドミソの和音を聞いても「ツェーエーゲ」とは答えられるが、ドとミとソの音の合成音だとは認識しなかったのである。そのため、脳内で音と音階のラベリングができなかったのだと思われる。 そして、もうひとつの理由。 それは鈴木メソッドでバイオリンを習ったこと。 これは音を音名ではなく指番号で覚える。脳内で音と指の位置がラベリングされてしまったのだ。 つまり音を聴いたら音名はわからないが、どの指でどこを押さえれば同じ音が鳴るかがわかるようになった。 ソルフェージュなんてしてないものだから楽譜は読めない。だけど、曲を聴けば弾けてしまうということができるようになったのは、この訓練のせいだと考えられる。 あと、バイオリンの音で開放弦の音(E,A,D,G)であれば絶対音感は身についていると思う。(ピアノもある程度はわかる) ただしAの音を聴いてAの開放弦の音だとは認識できても「ラ」だとは認識できない。 こういう音楽教育を小さい時に受けてきたので、このような音感の持ち主になったのだということがこの本のおかげで分かった。 この中途半端な音感で役に立ったことと言えば、カラオケでキーを外さずに歌えるってことかな(そのキーが出せればだけど)。 逆に不便に思ったのが演奏とボーカルのキーがほんの少しでもズレてると気になってしょうがないということ(はっきり言えば下手に聞こえてしまう)。特にライブの演奏などは気になってしょうがないってことかな。 子供の頃からの音楽教育によって絶対音感を身につけることは可能だろう。だがそれが本当の意味での絶対音感ではないことをこの本で教えられた。 ■この本を知ったきっかけ  BS11『ベストセラーBOOK TV』で紹介されてた ■読もうと思ったわけ  絶対音感に興味があったため。

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    投稿日: 2010.09.21
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    第4回小学館ノンフィクション大賞。 「絶対音感」は音楽に必要か、そもそも本当に「絶対」なのか、などを追求しようとしたノンフィクション作品。 これにあたって、作者は音楽家・音楽教育関係者100人に質問状を送って取材をしている。千住真理子、諏訪内晶子、五嶋みどりなども絶対音感について答えてくれている。 また、戦後の音楽教育~ヤマハ音楽教室の功罪、外国との絶対音感の価値観などにも触れていて興味深い。

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    投稿日: 2010.08.25
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    父が持っていた。これを読んで、自分は絶対音感あったんだ!と気づいた・・(ずっと当たり前だと思っていました)。専門家じゃない人が書いていて、あえて一般の人にも分かる内容になってる。脳の話にも及んでとても面白かったです。

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    投稿日: 2010.06.15
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    絶対音感とは音楽性と違い、手段。相対音感(調性感)が重要。音とは結局、人と人との間の空間をどれだけ大きく揺るがすことができるかという超能力の様なもの。発せられた音だけを表現だと思うのは、鑑賞者である。創り手にあっては、物理的な音現象が始まる前に、その音が欲しいという欲求がすでに自分の中で立ち上がり、発せられた第1音が自分に変化をもたらす。その変化が次の音を生む欲動へと螺旋状につながっていくことが、演奏という行為である。創り手が意識せずとも持っているイリュージョンが、鑑賞者の心といかに接近し、触れ合い、交差するかによって、そのメッセージが意味を持つ。

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    投稿日: 2010.05.11
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    絶対音感とは何なのか?を多面的に捉えようとしたノンフィクション。 あるからと言って、それだけで素晴らしい音楽家になれるわけではない。なのにそれがあればもう大丈夫と思ってしまうから問題となることも。絶対音感という言葉の意味、それを持つ人、持たない人、聞こえるとはどういうことか、音楽を聴いて感動するのはなぜか、と、一方的な教育論でも、否定論でもなく、色々な方向から向き合あおうとしている本。面白かった

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    投稿日: 2010.01.06
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    Book Off の100円書棚で見つけました。 新本同様です。定価は657円、 小学館ノンフィクション大賞受賞作です。 文庫本にしては中くらいより少し厚めです。 読み切れるか、心配ですが、このような事に 興味があります。読み切れなくても100円 だと言う気持ち。私の購入したのは小学館文庫。 半分以上読めれば コメント書き直します。 まず第1章は 10人くらいの、絶対音感を持っている人について紹介 されています。

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    投稿日: 2009.07.15
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    面白かった! 最後の五嶋みどりのエピソードはそうでもなかったけど、それ以外がとても面白かった! 「絶対音感」てのを探っていくと、日本の音楽教育にぶち当たるわけですね。ヤマハも出て来たし、 自由学園の音楽教育も出て来たぞ! でも、突き詰めていくと「絶対音感」て何だかわからなくなるものなんだね。「固定…」と「移動…」のことも知らなかったなあ。 わたしみたいに、自分の弾ける楽器だと音がわかるという人は結構いるんだなぁ。

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    投稿日: 2009.05.30
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    絶対音感についてのルポです。 音感の付け方の本、というよりは、音感がある人はどんな世界で生きているの?とかそのような謎に向かった本です。 実際に音感がある人への取材や脳の働き、はては戦前の音楽教育の話まで様々な角度からの考察が面白いです。 音がわかるって、どんな音でも音符に直せてしまうのだろうか。これは音感が無いとある人の意見。 音がわかる、というのは普通のことだと思っていたし、もてはやされるほどのことではない。これは音感のあるとある人の意見。 私は実際楽器の音くらいしか聴いて音名を当てられないのですが、でもやはり後者の意見と同じく音名で聴こえてくるのは普通だと思っていました。 そういう違うサイドの人の意見を知ることも出来るし、他にも色々な「種類」の絶対音感についてでてきたり、音感に固執する日本人のことなど、へー、と思えることが載っています。 読み物として純粋に楽しめました。

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    投稿日: 2008.12.19
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    「絶対音感」という能力を切り口にして、様々な音楽家へのインタビューをとりまぜながら、音楽を多角的に分析した構成したノンフィクション。 絶対音感というのは、音楽家にとって、あればかなり便利な能力であるけれども、それが絶対必須であるというわけでもないらしい。絶対音感を学ぶことによって、店で流れるBGMを単純に音楽として楽しめなかったり、瞬時に転調をすることがやりにくかったりという弊害もあるのだという。 絶対音感というのは、不思議な世界だ。高校の時の同級生で絶対音感を持っている友達がいて、その人が、一度聴いた曲をいとも簡単にピアノで演奏するのを見て、ほとんど魔法のようにしか思えなかった。 音楽の専門家でない人々からみれば謎の領域である「絶対音感」というところを入口にして、音楽について書いたというのは、とても興味深い。ただ、内容は盛りだくさんなのだけれども、寄せ集め的なバラバラな構成で、一本通った筋道や作者自身の意見というものがなく、それが残念なところだった。 絶対音感というのは、音楽家にとって魔法の杖であるだけに、そこには様々な思惑がうずまく。その能力を持っていない人にとってはコンプレックスの原因となるし、たとえ持っていたとしても、その中で、それぞれの能力には微妙な差異がある。そこから起こるドラマまでを含めて描いているというのは、この本の見事なところだと思った。 絶対技術というのものがあるとすれば、音楽は上達していくときにどうしてもそういうプロセスを通るんです。技術偏重に陥る危険性が大いにあるのです。でも、十三歳の子どもがショパンについて何をいうべきか。自分がやっていることが何なのか、わかると思いますか。音楽は自分と音楽がコミュニケーションをとれるようになるまでがものすごく大変なんです。フィジカルなものは自分の思想を伝達する手段なのです。(p.59) 絶対音感は持っていたほうがいいけれど、それだけではなく、音程の感覚はきっちり勉強しないとだめです。それに比べると、ピアノはチューニングから人任せ。これは音楽家としてかなり致命的な無精だということがわかりました。自分の表現の相当大きな部分を棄てているわけですから。(p.238) 絶対音感は物心がつく前に親や環境から与えられた、他者の意思の刻印である。音楽を職業とするには、それだけではまったく不十分なのである。(p.255)

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    投稿日: 2008.05.09
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    絶対音感という、よく聞くけど中身はあんま知らない不思議な能力についての本。 音の勉強したい人は読むべきかな、と。 読みこなすの大変だったけど、面白かった。

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    投稿日: 2007.12.16
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    サイレンを音階で歌う人は私です、更に五嶋母のニ長調も勿論私です(爆)。 いや、音って全部楽譜になっちゃうよ。それがしばし不便なのでありますが、ってとこまでは書いてないか、この本には。

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    投稿日: 2007.07.31
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    絶対音感というものを持つ人を目の当たりにしたとき、結構驚いた記憶がある。 相対音感はあるけれど、絶対音感があったらどんな感じなんだろうという興味はいまだ尽きない。 あったらあったで、やっかいな部分もあるみたいだけど、やっぱりうらやましい。 そんなことをぐるぐる考えて読んだ本。

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    投稿日: 2007.02.10
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    「自分は科学者でも音楽家でもない」と言う書き手だから書きえたのかも。音楽の神秘への科学者のあくなきアプローチにも解き明かせないヒトの心のありようにも感動する。

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    投稿日: 2006.06.08