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リアル・シンデレラ
リアル・シンデレラ
姫野カオルコ/光文社
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総合評価

46件)
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    2010年上半期(第143回)直木賞候補作品。(受賞作は中島京子の「小さいおうち」) TikTokでよく聴く安住紳一郎の「日曜天国」で、アシスタントの中澤有美子アナへ作者の姫野カオルコさんが書いた手紙が紹介され、その中で本作が登場し、どんな話か気になった読んだ。 タイトルから想像する、いわゆる「シンデレラ・ストーリー」では全くなく、あとがきのことばを借りると、「リアル」は「まるで実際の事件をルポしたような」、「シンデレラ」は「『幸福』の寓意」。幸せってなんだっけ、と考えさせられる作品。 主人公 倉島泉「くらしま・せん」の生き方がとにかく素敵。 泉が小6のときにした3つのお願い。熟慮の末のもの。3つ目は最終ページで明かされる。 ・妹が丈夫になりますように ・大きくなったらお母さんとお父さんと離れて暮らせますように ・自分の周りにいる自分じゃない人にいいことがあったら、自分もうれしくなれるようにしてください いろんな人が出てきて、最初の方は泉の扱いの酷さに腹が立ったりするのだけれど、泉の意に介さない「平和」な佇まいにペースが乱される。 最後、泉がどうなったのか心がざわざわする終わり方なのだけど、文庫本あと書きに暑中お見舞いがあってほっとした。 《宮部みゆきさんによる評》 (引用者注:「天地明察」とともに)丸をつけて、選考会に臨みました。」「私はキリスト教の「聖人伝」として読みました。倉島泉という黒い子羊が聖人になるまでの物語です。」「読後、自分のなかに溜まっていた自分ではどうすることもできない澱が、いくばくかでもこの作品によって浄化された気がして、静かに涙しました。姫野さん、支持しきれなくてごめんなさい。でも、この小説を書いてくれてありがとう。本を閉じたとき、多くの読者がそう呟くに違いない秀作です。

    29
    投稿日: 2025.07.27
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    昭和日本の一地方の土着的人間模様を描きながら、この著者独特の着眼によって「これはいったい何を読まされているのだろう」という感覚に襲われる、稀有なタイプの小説である。昭和の地方都市に生まれた女性がたどる人生というのは著者の数々の著作に共通するテーマであるが、本書はそこに「リアル・シンデレラ」という偶像を置き、ルポ形式で周辺人物へのインタビューを重ねることで、主人公=倉島泉(くらしま・せん≒暮らしません)の人間像を浮き彫りにしつつ、さらに一回転して昭和女性(男性)マジョリティの集合無意識としての憧れ=シンデレラを陰画のように描き出す。 そして、シンデレラはとこしえに幸せに暮らしま…

    2
    投稿日: 2025.07.08
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    インパクトのある本の表紙の絵でびっくりしました? 「おっ」って思う、禁断のドキドキの絵 子供の頃に見たら「きゃっ」って大喜びした絵 背表紙には、みんなよく知っている「シンデレラ」の文字 油断して手に取るとこれですもん、小学生じゃなくってもびっくりしますって(^o^) ちょっとしたもんです 義理の母、姉たちに虐げられてきたシンデレラが、王子様と幸せになる それが「シンデレラ」のお話 対して、そこに「リアル」とついたお話しです お伽話ではなくリアルなお話だってことです 主人公のシンデレラが王子様と幸せになり いじわるをした母や姉たちを見返す。。。 そんなふうに思って読んでいくと、あれ?どうも違うぞ。。。 主人公の長女倉島泉(セン)が、不思議な形でまわりの人間と関わりあって みんなほんわか幸せな感じになる そうこうするうちに、馬車、ガラスの靴みたいなのも出てくる いくつかポイント押さえていて「シンデレラ?」かなって感じですかね 様々な関係者へのインタビューでお話しは進みます 倉島泉を中心に子供時代から成長していって 最後、まあほっこりですかね ん~、リアル?シンデレラ? そんな感想でした でも、表紙、シンデレラなど気になるならどうぞ? すっと、読めちゃいますから

    0
    投稿日: 2025.03.26
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    2024年10月5日読了。数奇な人生をたどった「倉島泉」という女性に関する、彼女の周囲の人間に取材した記録。彼女は幸せだったのか、人間・女性の幸せとは…?「何を考えているかわからない」と周囲に思われ、特に実母に遠ざけられていた彼女が何を考えていたのか、想像させる構成はなかなか興味深くはあるが…「シンデレラ」の単語にこだわりすぎというか、タイトルはこれでない方がよかった気がする。また終盤で明かされる真相?は面白いが、ラストは釈然としない…まあ、「読者のご想像にお任せする」効果を狙ったのだと思うし、この構成で最後に本人登場させるわけにもいかないとも思うが…もっと何とかならなかったのかな?

    0
    投稿日: 2024.10.05
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    このレビューはネタバレを含みます。

    ノンフィクション。一般人、倉島泉さんの物語。 親に愛されない子供として育つのが切ないけど、作者はそんな状況でも、アイデアと本人の前向きさで、幸せに過ごしたことを書いてる物語。 最後の最後に行方不明になるのが、気になって、終わる。 作者の親が毒親だったと、だから、こういうことへのシンパシーが強いのだなと思う。

    0
    投稿日: 2023.02.20
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    うーん、辛い。主人公は幸せになれなかったのではないだろうか? 同時並行で読んでいた「世界は贈与でできている」には、「贈与は受けたことのない人からは始まらない」ということが書いてあった。 聖人君子や神様ではないのだから、こんな人生を歩むのは私は辛いと感じた。 与えられていない者は、与えられない、と思う。

    0
    投稿日: 2023.02.18
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    あとからじわじわくる。切なくていとおしくて泣ける。でも逆立ちしてもどうしたって自分はそんな願いを言える人間になれそうにない。 倉島泉さんが同級生だったら、友達になれたかどうか、独特の受け答えや笑いかたをちゃんと理解し、共感しあえる仲にしてもらえるのか、自分自身になげかけたくなる。 奥底にある清らかすぎる善とか美とか判断できるのかを試されても、きっと私もミニ世界のスタンダードなガールやぽちゃぽちゃした女と同様、見抜けないだろうし、無力すぎて救いだすなんてこともできそうにない。 あの表紙の神々しい姿は、小口さんが見た温泉から上がってきた泉ちゃんなんだろうと思って読んでました。 もしかして倉島泉は〈暮らしません〉なのか? がっかりして人知れず涙を流してたり、ハシバミの粉で存在を消してる泉ちゃんという宝石を見つけられるように貂に願いたくなります。 そんなことも考えてしまう素敵すぎる本でした。

    0
    投稿日: 2023.01.19
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    約10年ぶりに再読。 やはり名作。 2021年34冊目。 以下は過去のレビューのコピペ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ たまらなく、よかったです。 倉本泉という、田舎に生まれ育った女性について取材することになった筆者。 彼女の周囲にいた人間の視点で語られる彼女と、彼らから聞いた話を元に、筆者が書いた文章。 泉本人の主観は、一度も描かれません。 広く一般的に知られている「シンデレラ」は主人公が受動的過ぎて、その他の登場人物の個性が際立っている。 シンデレラは、自分がされたことを、その他の登場人物にし返しているだけ。 果たしてシンデレラは、本当に幸せになれるのか。 泉は、真に幸せな、本当のシンデレラだと思います。 決して着飾ることもなく、人から美しいと言われることもなく、自分を見て欲しいと訴えることもなく、弁解をせず、人を責めず、ただ、人の長所を素晴らしいと感じる。ただ、人の幸せを喜ぶ。 そんな彼女の美しさに気付いた、ある人から、泉はシンデレラにしてもらい、舞踏会に連れていってもらえます。 真の純粋さ、真の美しさに触れる事ができます。 なので、色々な種類の涙が出る一冊です。

    0
    投稿日: 2022.09.01
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    このレビューはネタバレを含みます。

    一読後、胸の中に美しく青い星空が広がるような気がしました。そして、その星々を映すこれまた美しい湖。湖に浮かぶ一艘の小舟。小舟の中には……… 倉島泉(せん)というリアル・シンデレラのお話です。泉ちゃんは、ちゃんと両親揃っていて、可愛い妹もいて、傍目には何不自由なく暮らしています。けど、母親は今でいう毒親で、その暮らしは童話のシンデレラ同様、辛いものでした。傍目にわかりにくいだけ、シンデレラより悲惨だったのかも、です。 毒親の心ない言葉に、もう死んでしまいたい、自分なんていない方がいいんだ、と思いつめていた泉ちゃん。十二の冬、そんな泉ちゃんに魔法使いがやってきます。    「死はすぐそこにあるゆえ、あわて死にするべからず」    「生きてるあいだは生きてるあいだをたのしく過ごすざんす」    「あなた、あなたの靴で生きてるあいだ歩きなさい」     さらば、あさにけにかたときさらず。 魔法使いは3つのお願いを叶えてくれると言いました。泉ちゃんの願ったねがいは     1、妹が丈夫になりますように     2、大きくなったら、お父さんとお母さんと離れて暮らせますように 3つめのお願いは、物語の最後まで明かされません。 傍目には、毒親に虐げられ、可愛い妹の引き立て役で、実家の旅館を再建した功労者なのに掃除婦、雑役婦のように見られ、何もいいことのない、不幸な女にしか見えない泉ちゃん。でも、彼女は実に賢く美しい、本物の姫で、自らの王国をきっちり繁栄させました。自分の靴で自分の人生を歩いた。誰も必要とせずに。    泉ちゃんの願った3つ目のお願いは     3、自分の周りにいる自分じゃない人にいいことがあったら、      自分もうれしくなれるようにしてください うん、羨んだり妬んだりをパワーにするのもアリだけど。他人の幸せも自分の幸せ、幸せが2倍。すごく豊かだよね。 泉ちゃんは途方もなく幸せなのでした。そして、馬車に乗って消えてしまう。 けれど永遠に、人々の記憶に存在し続けるのです。

    1
    投稿日: 2022.06.09
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    ずっと静かに圧倒されてしまった…。 泉のことを可哀想と言ってしまいそうになるけれど、可哀想と思うのは他人である私であって泉本人ではなく、自分のその感性の乏しさこそ可哀想なのかもしれないと思った。 『彼女は頭が悪いから』もそうだったけど、こういう、人間の醜くて単純で純粋な本質的部分を文字で描写するのがすごく上手い、すごい。 うまく言えないけど、現状の自分から生まれる選択肢の範疇で、理解できるものごとと理解できないものごとを選別しようとするのってとてもナンセンスだなと思いました。

    0
    投稿日: 2022.04.12
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    このレビューはネタバレを含みます。

    不遇に生まれて幸せに生きるとは。幸せは環境、他者によってもたらされるものなのか、はたまた自分が自分のまま、人を蹴落とさず自分の靴を履いて今あるものを教授するのか。泉のように生きられたらと思わなくないけど、スタンダードな幸せから価値観ズレた泉が悪意ある噂でエンタメとしてコンテンツ化されるくだりはとても怖かったです。

    0
    投稿日: 2022.04.06
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    作者がTBSラジオ『安住紳一郎の日曜天国』をよく聴いていて、番組アシスタントの中澤有美子さんをモデルにして書いた小説とのこと。私も中澤さんが大好きなので読んでみました。 『リアル・シンデレラ』というタイトルから受ける印象とはかなり違っていましたが、文庫版あとがきで作者もそのことについて書いていました。「リアル」や「シンデレラ」に持たせた意味の認識の違いが大きかったみたいだと。明治大正昭和をまたぐ女性の一代記などでは全くないと。気になる方は、まずはあとがきから読んでみてください。 その上で、幸せな人生とはどんなものか、自分はどんなふうに生きて、どんなふうに幸せになりたいかを考えさせられる小説でした。 幸せとは何かと問われたら、自分が心地よくいられることだと答える人は多いと思います。私もそうです。 そうではない幸せの形が、この小説の中にあります。 こんな人生を歩んだ人のモデルになった中澤有美子さん、ラジオで声を聞いたことしかありませんが、とても素敵な女性です。ラジオもぜひ聴いてみてほしいです。

    1
    投稿日: 2022.02.16
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    初めての姫野作品。泉の3つ目の願いを知って予想してたことなのになぜか号泣した。清洌な泉の生き方に憧れるが、もし現実に私にそばにいたら、煩悩多い私は、ちょっと鬱陶しく思ってしまうだろうな。 図書館で借りて読んだが、自分のそばに置いておきたくて、アマゾンで購入した。

    1
    投稿日: 2018.01.20
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    読み終わってから2日が経ちました。 この本はなんだか、読んでからの方が心に来る本だなぁ。と思いました。 ドキュメンタリータッチで描かれている事もあって、盛り上がりや先が気になる!という風には読めないのですが、生き方について考えさせられる…ふと、夜眠る前にこんな生き方が出来たらいいなぁ。でも、やっぱり自分には無理かなぁ。などと、心地よく考えさせられる本だなぁと思いました。 小口のお酒についての考え方と言い回しも素敵でした。

    1
    投稿日: 2017.10.18
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    個人が何を持って幸せと感じるか。他人には計り知れない。読者は騙される。泉は自分以外が幸せならそれでいい健気な子だと。けれど終盤、そう貂のような人と会う直前の泉、段ボール部屋でこっそり泣いてた泉、やっぱり悔しくて切なくてという「当たり前」の感情をひとりむき出しにしていた泣いている泉を目の当たりしてやっと分かるのだ。普通の子が虐げられてきた故感情を偽っていたのだと。この話は寓話だという。けれど私は泉みたいな子がいて、一生懸命生きていることを感じている。泉のように幸せを見つけられるといい。自分で決めた幸せを。

    1
    投稿日: 2017.05.24
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    姫野カオルコさんの本はどの本も大好きですが、この本は、ちょっといつもの姫野カオルコさんの作品とはちょっと違う感じがしました。 主人公・泉さんの個性的なところは姫野さんって感じなのですが、お話自体が、おお、、、こういう終わり方のお話もアリなのか、姫野さん!!っていう感じでした。 編集者が取材していくというスタイルで、いろんな切り口から泉さんのことが語られていて、、、そして切なかったです。 確かに、シンデレラの話って、自分のことをコケにしてきた意地悪な継母とその娘達への復讐に満ちていて、本当にそんな嫌な奴がシンデレラ?という考え方もあるのかもしれません。私はそこまで考えたこともなかったので、それも新鮮に思いました。 逆に、なんだかそういう性格の悪いシンデレラに対してスッキリする、という気分だったように思います。 この小説が書かれたきっかけっぽく始まっているところもまたよかったです。 とてもオススメです!

    2
    投稿日: 2017.05.23
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    初めての姫野さん。 読み応えがありました。 著者のあとがきによれば、  リアル=ドキュメンタリータッチ  シンデレラ=幸福や善や美や豊かさの寓意 だそうですが、タイトルを見ただけでは、あるいは話題になった表紙を見ただけではとても想像がつきません。 シンデレラと言えば、どうしてもシンデレラストーリー(有名ではない一般人女性が、短期間で(あるいは長い年月にわたる苦労の末)見違えるほどの成長と幸福を手にし、芸能界や社交界、その他の一流の場などにデビューしたり、あるいは資産家と結婚する成功物語をいう。By Wikipedia)を思い起こします。さらに穿った見方をすれば、グリム童話のシンデレラの結末の残虐性を思い起こします。 この物語はそうしたシンデレラ像とは違い、俗世の聖人というか聖性を抱えた変わり者、ひたすら利他的な倉島泉(せん)の物語です。著者はそれを特に讃えるでもなく、淡々と描き出していきます。 ちょっとクリスチャン臭がするなと思いました(悪い意味ではありません)。姫野さんによると「私はそんなにちゃんとしたクリスチャンではありません。」とのことですが。。。

    1
    投稿日: 2015.11.04
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    ネグレクトと解離性障害の話でもある、と思った。 主人公の泉のことを理解はできないけど、 尊敬する。 痛々しいけど正しく生きた人だと思う。 ただ、与えられた環境から逃げようとしなかったのはどうしてだろうと考えてしまう。

    1
    投稿日: 2015.08.02
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    このレビューはネタバレを含みます。

    直木賞候補、各メディア・カスタマー絶賛! てことで借りましたが、私にはこの作品の良さが全くわかりませんでした・・・だいたい、こんな聖人君子、いや聖母のごとき女、いる??主人公なのに泉の輪郭がはっきりせず、「泉さんっていう人がわたしには不気味なの・・わからなくて怖いの・・・」に激しく同意。インタビュー形式なのも読み辛かった。尻すぼみなラストも謎。

    0
    投稿日: 2015.07.01
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    童話「シンデレラ」について調べていた編集プロダクションのライターが、「シンデレラは幸せになったのか」と疑問を持つことに端を発する物語です。 この疑問に意気投合したプロダクションの社長から、知り合いの女性「倉島泉」を紹介され、取材を始めます。 「幸せになったシンデレラ」とは、本当はこのような人の事を言うのではないか。 物語は、倉島泉の半生を描いています。 諏訪湖のほとりの料理屋兼温泉宿(現代風に言えばオーベルジュ)の<たから>に昭和二十五年に生まれた女の子が倉島泉(くらしません)=本書の主人公です。 さて、倉島泉は、シンデレラになれたのでしょうか。 読み終えた直後にぼくは、考えました。 「倉島泉は幸せだったのか。」「幸せになったシンデレラと言って良いのか。」と考えました。 先ずは、このように、しみじみと考えるところが、本書の味わいだと思います。 以下は、徐々に内容に踏み込みます。 何故、読後にしみじみと考えたか、と言うと、僕が今まで漠然と考えていた幸せ=生活に困らない収入があり、結婚をして、子どもを設け、とりたてて裕福でなくても良いから、子どもが健康に育っている状態など=を基準にすると、倉島泉が幸せを得たとは考えられなかったからです。 倉島泉が幸せだったとすれば、彼女の幸せは、僕が今まで考えていたタイプの幸せとは、異なるタイプの幸せであるはずです。 それは、どのような幸せなのか。 これに結論を出す前に、僕は「彼女は幸せだったはずだ。」と前提を置いています。 それは、著者の作品を読破しているヘビーな姫野ファンだから、と言うのもあるのですが、著者の作品を好む理由=よく知らない人を、思いこみで哀れんだり、非難したりするのは迷惑だ。と言う僕の性質に馴染む理由からです。 例えば職場の昼休み、節電のために照明が落とされた事務所で、食後のおじさん二人が世間話をしていたと思ってください。 「今の若者は、車に興味が無いんだってさ。」 「俺たちの時には、学生時代にアルバイトをして、食費を削っても車を手に入れたもんだよな。」 「俺は、割りのいいバイトにありつけなかったから、就職してから、せっせと頭金を貯めて、ローンで4WDのクーペを買ったよ。」 「今は不景気だから、若者は車を買う夢が見られないのかね。」 「そうだな。俺たちは、なんだかんだ言っても、バブル景気を経験しているからな。」 「今の若者はそう言う意味ではかわいそうだよな。」 昼休みに聞こえてきそうな例を考えました。 車に興味のない若者は、かわいそうか。 景気さえ良ければ、今の若者でも車に興味を持つのか。 あえて、「それは違うよ。」と言うほどの事でも無いと思いますが、僕はこのように、自分と価値観が違う人たちに対して、思いこみで哀れみを持つ人に違和感を覚えます。 ですから、本書を読み終わった瞬間に、僕が漠然と考えていたタイプの幸せをつかんでいないと言う理由で、倉島泉を不幸だった。かわいそうだった。と結論づけるワケにはいかなかったのです。 また、著者のエッセイで印象深い、良寛(1758~1831:曹洞宗の僧侶)と貞心尼の交流の考察に、類希な説得力を感じたからです。出所:「ほんとに「いい」と思ってる?」(2002/9/25角川文庫 第一章 ブランドの烙印/ハーブティーが好きな人が「いいな」と思うような関係) 恋愛を含めて、幸福感と言うものは、僕が知り得ているものだけでは無い。 それでは、倉島泉の幸福とは、どのようなものだったのだろうか。 それを考えました。 以下は、本書の核心部分について、僕の答えを述べます。 本書を読み終えたころに、タイミングよくTV番組の解説で、カント(イマヌエル・カント Immanuel Kant 普1724~1804)の言う道徳的価値を持つ自由な行動を知りました。 「これだ。」と思いました。 倉島泉の幸福は、イマヌエル・カントの言う、自由意志による行動がもたらす幸福感なのではないでしょうか。 お金で買える幸福感は、欲望を満たすものであり、満たされた欲望は、自分の自由意志で得たものでは無く、逆に欲望の奴隷として行動した結果です。 自分の家族を得て、子どもが順調に育つのを見守ることからも幸福感が得られますが、その幸福感は、どんな生物にも共通の本能的な欲望に従っているものだと思います。 一方、倉島泉が得た幸せは、自分で願った行動規範に従った結果(物語では貂に願った三つの願いから)得られる幸福感であり、これは、つまり、カントの言う、自由意志による行動がもたらす幸福感だと思います。 それは、人間だけが持つ理性による幸福感であり、 好景気の折りに、金で買ったものから得られる幸福や、 不景気でも家族と一緒にいられる幸福とは別の次元のものです。 現在の日本は、残念ながら不景気です。 そして、周囲の国では、戦争が起こりそうな不安があります。 でも、それらとは全く無関係に、僕たちは、幸せになる事が出来る。 リアル・シンデレラ=倉島泉の一生から、僕はその真実を学んだように思いました。 ところで、僕は、努力しても倉島泉のように生きることは出来そうもありません。 それほど、彼女は善人を通り越して聖人のように見えるほどですが、 彼女が得た幸福のように、景気が良くても、悪くても、健康でいても、病んでいても、 幸せになる事は出来るのだ。 この小説から学んだ事は、僕にも幸福感をもたらしたように思います。 幸せは、自分の中にありました。

    2
    投稿日: 2015.05.16
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    第143回直木賞候補作。 (同じ回に天地明察や小さいおうちがあり、直木賞は小さいおうちが受賞) タイトルと内容が乖離していると物議を醸した。 (まぁ北方謙三が勝手に言ってただけだが) 文庫本だと後書きに姫野カオルコの説明(反論)が載っていて非常に面白い。 また好き嫌いがハッキリするのもこの作品の特徴。(ちなみに選考委員の宮部みゆきは本作がイチオシだった) この作品のどこが“シンデレラ”なのか、捉えられれば感ずるものは大きい。 女性と男性で感じ方も違うんだろうな。

    1
    投稿日: 2014.12.26
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    感想を書くのが難しい…。ある平凡な女性を、彼女にかかわる周囲の視点から描いた本。小説だがルポ形式になっている。 本人は幸せだったのか?がテーマ。幸せの価値観は人によって違い、人から見て幸せでも本人はそうでなかったり、逆も然り。 倉島泉という女性はマザーテレサのよう。長野弁も素朴でいい。美人で何でもできる妹の陰になりながら、他人の幸せをひたすら祈る。

    1
    投稿日: 2014.11.21
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    この小説の主人公、泉はタイトルの『シンデレラ』のように華やかではなく、笑っても人に気づかれない、自分の幸せよりも他人の幸せを願うような女性である。物語の流れは、泉を中心に、というわけではなく、泉の身の回りにいた人物たちに筆者がレポートして、そのレポート内容を小説にしている。 ただ、ところどころに散りばめられている泉の描写を繋ぎ合わせると、実は何ともいえぬ色気があったのではと思われる。

    2
    投稿日: 2014.11.15
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    脇役からの証言で、主人公の人物象を描いていくやりかたの 短編連作って大好きなので(有吉佐和子の「悪女について」とか、三浦しおんの「私が語りはじめた彼は」とか)これもそういうのかなー。と思ったんです。 途中までは面白いと思ってたんだけど、以降、白けた。 「倉島泉。複数の関係者から話を聞いた私は、彼女に興味を持つ。多くの証言から浮かび上がってきた彼女の人生とは? 本当の幸福を知りたい人に贈る、姫野カオルコ待望の長編小説。」 とあるので、かなり期待していたんですが。 特にラストはねェ。 あと、題名は変えたほうがいいと思います。「リアル・シンデレラ」じゃないですよね。あとがきも言い訳っぽくて好きじゃないです。 ☆2つ・・・とも思ったけれど、確かに途中までは面白かったので、☆3つに。

    1
    投稿日: 2014.09.25
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    ひとりの女性について他人の記憶を頼りに記録されていくお話し。 女性の容姿、人格について語る他人の印象はさまざま。 さまざま視点を読みながら、こちらは想像が膨らみ彼女に親しみを感じていく。 不思議なお話しだけど、終わらないでほしい程面白い一冊。

    1
    投稿日: 2014.09.03
  • 泉という女性の魅力、魅力というより興味、最後まで指が止まりませんでした

    普通と違う女性。常に自分は裏方。言葉では表現できない泉という女性が描かれていました。 こんな伝え方もありか、そんな一冊です。 常識とかけ離れている、普通の人とは違う、奇妙、どのように泉という女性を表現したらいいか分かりません。 本当に、周りのためを思うその心は尊敬できます。 いや、最後まで応援したくなる。コメントでは上手く書けませんが、良い本です。とにかく、是非、読んでいただきたい。

    0
    投稿日: 2014.07.13
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    本読みの友より「姫野カオルコの『リアル・シンデレラ』読んでー!」と便りが届く。姫野本はけっこう読んでるつもりだったが、これは読んでなかった。図書館には単行本しかなかったし、読んだあとは誰かにまわそうという算段で、本屋で文庫本を買ってきて読む。 姫野カオルコには、いろんな芸風の作品があるが、これは『昭和の犬』系だと思った。周りの人を描くことで、主人公の泉(せん)ちゃんという人が浮かび上がってくるかんじ。 友は「シンデレラ」というタイトルから、主人公の泉(せん)ちゃんを、どういうふうにシアワセにしていくのだろう?と思っていたそうだ。「シンデレラ」というタイトルの意味も考えてしまったという。読んでいるうちに、自分の想像をあちこちひっくりかえされて、「うぉー!こうきたか!の連続だった」と便りには書いてあった。 私は、すでに読んでて、けっこう好もしいと思う作家の場合、その名前だけで本を選んだりもするので、タイトルがどうのとはあまり考えないなーと思った。(『昭和の犬』は、表紙に犬がうつっていたので「この犬の話か?」とは思ったが) 「シンデレラ」というタイトルに読者が縛られてしまうことによる誤解のようなものについて、姫野自身が文庫のうしろのあとがきで書いている。 ▼『リアル・シンデレラ』はアレゴリーです。…(略)…「シンデレラ」は「幸福」の寓意として扱いました。ところが〈童話シンデレラ〉のストーリーに頑ななまでにこだわる(固執する)直木賞選評があり、かかる固執を予想だにしなかった私は、正直言ってびっくりしました。無粋ながらくりかえします。『リアル・シンデレラ』の「シンデレラ」は、幸福や善や美や豊かさの寓意です。(p.429) 私が「シンデレラ」のことを考えていたのは、小説の冒頭で、矢作さんが「筆者」に、幸せっていうのは泉(せん)ちゃんみたいな人生だと思う…云々というあたりだけで、あとは「シンデレラ」がどうのとは全く考えずに読んでいた。でも、友の便りを読んで、「シンデレラ」とは、姫野自身もそこまでと思っていなかったほど、聞いた人の考えに「こうだ」と枠をはめる強い言葉なんやなーと思った。 矢作さんは、「シンデレラ」というのが女性の幸せとか成功という意味になっている("現代のシンデレラ"みたいなコピーも、そういえばある)ことに、違うんじゃね?だってこの人幸せになりそうにないよと思っていた。そこがたぶんタイトルに関係あるのだろう。 ほんとうに幸せなもの、善きもの、それは、継母や姉妹と張り合うような価値観ではなくて、ぜんぜん違うんじゃないの? 泉(せん)ちゃんみたいなのが幸せで豊かなんじゃないの? こっちこそがホンマのシンデレラだろう、というのが、姫野のいう寓意なのだろう。 小説は、"豊かさと幸福"をテーマに、泉(せん)ちゃんの取材をして、「筆者」が長編ノンフィクションを書いた、という体裁になっている。 前半は、泉(せん)ちゃんと一つ違いの妹・深芳(みよし)の話に、みょうに近しさを感じ、子どものころの妹との関係をいろいろ思い出したりした。「ふつうは、こう考えるでしょ、こうするでしょ」という人物像とは、まったく違う反応をする泉(せん)ちゃんに、私はそこはかとなく親近感をおぼえ、それは私が子どもの頃からしょっちゅう「変」「おかしい」「変わってる」と言われてきたからかなと思った。そして、泉(せん)ちゃんの周りの人の言動を読みながら、人のことを「変わってる」と言う人のきもちが、ちょっと分かった気がした。 「人生なんて、後になればみんな、なるほどねえってものだけれど、そのさなかには先のことなんかわかりゃしないでしょう」(p.45)と、泉(せん)ちゃんのことを思い出して語る人が言う。 泉(せん)ちゃんは、《自分の周りにいる自分じゃない人にいいことがあったら、自分もうれしくなれるようにしてください》(p.422)と願った。人の幸せを、わがことのように感じられるよう、喜べるようにと願った。その祈りが、私のことも照らしてくれたらと思う。 (3/12了)

    1
    投稿日: 2014.03.22
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    お気に入りの作家ですし、作品の6割方読んでると思うんですが、未読でしたので読了。 久々の姫野ワールドを堪能、読後感もしっとりと落ち着いていて、大満足の逸品でした。 この凝った構成はなんなんだろう?と思いながら読み進めるうちに納得。ヒト/コトの多面性を表現するにはとても有効ですね。タイトルの「・」も気になってたんですが、これからして意味がありました。リアルシンデレラじゃあ、このような小説にはなりませんよね。 主人公はある意味作者の分身でしょうね。独特の価値観や容姿も妙にかぶります。ジャージ姿で直木賞授賞式に現れた作者と農婦のような泉、

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    投稿日: 2014.03.03
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    直木賞で話題になったので手にとってみた。 最初に出てくる、シンデレラの解釈が面白くて読んでみよう!となり購入。 人の幸せや生き甲斐について、 価値観が違う人同士の共存について、 考えさせられた。 「シンデレラ」は一般的にはわかりやすいサクセスストーリーで、誰もが羨むものを手にしたってされているけれど、 その彼女自身の価値観はどこでできたのか。 なんのために生きるのか、本当に人それぞれで 他の人の価値観に左右されないそれを見つけられた人こそ 本当に幸せといえるのだろう。

    1
    投稿日: 2014.02.22
  • 是非読んで下さい。

    これは、良い本です。 読了後、また読み直してしまいました。ファンタジーなのですが、ファンタジーとは思いたくない。泉さんみたいになれるよう心がけよう。最後の絵葉書が良かったです。泉さんはどこかで幸せに暮らしていて欲しい。是非読んでみて下さい。表紙の絵も読了後は納得します。

    5
    投稿日: 2014.02.14
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    読んでみて、いや、読み始めてすぐに 「これは好きな感じ」と夢中になりました 泉(セン)ちゃんの小さな頃の不遇には いたたまれない思いをしたりしながらも その考え方、受け止め方に、心が震えました そして、ずっと心を震わせ、静かに読み終えました がっかりすることは、正直に生きている者には 必ずあるから、そのときは、気配を消せばいい 泉(セン)ちゃんの周りにいた人たちの 告白を元に作られた小説ですが 周りの人たちの、傲慢さも優しさもみんなみんな 一生懸命に生きているからだと思える ただ、どうしても泉(セン)ちゃんがいじらしくて 仕方がない気持ちを捨てきれないわたしは傲慢だ だって、泉(セン)ちゃんは、とても幸せなんだから いまは、何をしているのだろう どこかで静かに笑っている筈だと信じている すごく思い入れてしまう小説に出会ってしまいました

    1
    投稿日: 2014.02.11
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    泉という、女性の人生を回りのひとのインタビューで浮き彫りにしていく。誰からも否定されることはなくても、誰からも心底もとめられることがなかった。泉が感じる幸せのかたちは? 母との確執は女なら何かしら持っているものの気がする。が、泉の人格の核となる、その人生を縛ってしまう理不尽な存在。祈りの言葉をみると悲しく切ない幕切れ。後書きの葉書に救われた。

    1
    投稿日: 2014.02.07
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    うーん、不思議な物語でした。 俗に言うシンデレラストーリーではありません。 取材と物語がランダムに繋がる構成や、時代背景(主に70年代)のわりに、戦後すぐのあたりを思わせる雰囲気。主人公泉のとる行動。色んなことに違和感ありありだったのですが… 女性の、人間の幸福って、一般的に考えられるものばかりではなく、その人の心の中にあるんだよね…と改めて感じました。 最後の頁で、お昼休みに泣きそうになりました。

    4
    投稿日: 2014.02.06
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    大好きな本。 泉ちゃんは、周りから見ればかわいそうかもしれない。でも、あんなにキラキラして幸せそうで。自分の周りの人にいいことがあったら、自分も嬉しくなるようにしてください、と願った泉ちゃん。 本当の幸せは何か?幸せは、自分で決めるのだということ、泉ちゃんのような生き方をしたいと思った。 大好きな本。本当に、大好き! 何回も読みたくなる一冊。

    1
    投稿日: 2014.01.11
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     久しぶりに一気読みした。  え、なんでシンデレラなんだろう……と思いつつ読み進むと、泉はまさにシンデレラである。どこが?と問われれば、彼女は天からギフトを受け取った人間だから。  泉は幸せであるだろう。そしてまぶしいほど美しい。  私には彼女の周りに居る卑近な人間たちの気持の方が共感できる。それが切ない。

    1
    投稿日: 2013.10.16
  • まさにリアルなんです

    長野を舞台に、昭和の地方都市の景色や空気の匂いまで行間から漂ってきます。ああ、当時の日本ってこんな雰囲気だったんだ、という勉強にもなります。 シンデレラの話をわざわざ……、なんて気分で読み始めたのですが、これがなかなか面白い。 途中から、いったいどういうラストを結ぶのだろうと考え始め、ハマってしまいました。――おそらく計算どおりの心理戦に持ち込まれ、作者の勝ちです。 それにしてもリアルな話だ。リアルは空気が重たいんです。空気の重さまで表現できる筆力って貴重ですよ。絶対そう。

    3
    投稿日: 2013.09.29
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    母に猛プッシュされて読んだけどぴんとこず……。色んなところに話とびすぎてて、結局シンデレラとはなんだったのか、そしてなぜシンデレラ扱いなのかわからずじまい。奈美とかに近い気分かな、謎すぎて不気味なまま終わったって感じ。

    1
    投稿日: 2013.09.28
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    「あとがき」で作者自身語っているところだが、やはり本書タイトルは少し工夫した方が良かったのでは、という気がする。タイトルで損しているような気が。

    1
    投稿日: 2013.06.02
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    う~~ん、なんとも微妙な読後感でした。 とあるライターが「倉島泉」について、関係者に取材をしながら「泉」という女性のことを調べていきます。 美人で病弱な妹が生まれてから、理不尽な扱いを受け続ける泉ですが、本人は心から妹のためを思って生きています。 その後も真っ直ぐに自分に正直に生き続ける泉を周りはどう見ていたのか。 泉の無垢さと、関係者達の俗っぽさの対比が際立っていて、おそらく普通の感覚である関係者達の証言・回想に「なんてイヤなやつ!」と思ってしまう。それは特に女性に当てはまるんです。 畑を耕し、日に焼けて真っ黒な泉を見て「信じられない」と言う女性達。 そこには「あんな格好でむさくるしく畑仕事なんて私はしない」と上から目線がある訳で、それを読まされるとそういう事を言う女性に対して「ヤな奴だ!」って思ったりするのです。でも自分が泉みたいになれるのか、なれないまでも本心から理解できるのか、というとそれも無理で・・・ どっちにも感情移入できない故にこの読後感なのかなぁ・・・ そういう訳でもないような気がするんですが。 泉が受ける理不尽な扱いに憤慨しつつ、でも泉は不幸ではないんだなと思いながらたどり着いたラストで、突然置いてけぼりにされたような・・・そんな感じです。

    1
    投稿日: 2013.04.23
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    本当の幸せとはなにか。。 題材はすごくよかった。 泉が、もともとの「聖女」やなくて、3つの願いを経て今(当時)の心境に至れた、という流れも、好感がもてた。 だからこそ、読み進めて行く中で、取材され独白する関係者の身勝手さ・エゴ・自己正当が嫌になるくらい浮き彫りになる。 途中で読むんやめよかと思うくらいでした。 反面教師にするべきなんですね。

    0
    投稿日: 2013.02.02
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    姫野さんの話を読むのは「ツ、イ、ラ、ク」以来2作目だけれど、こっちは性描写がほとんどなくて、あと泉視点で描かれていないから、ずいぶん読みやすかった。面白かったわよ。 泉という女性のノンフィクションを書くことになった、私。彼女の生地へ赴き、さまざまな人に話を聞くうちに、興味がわいてきた。身体の弱く美人の妹中心の過程で育った彼女はそれでも妹を可愛がり、文句ひとつ言わず家族に尽くした。周りからも常に比較され、貶められても真っ直ぐで。彼女は幸せだったのだろうか――。 「あの○○」みたいに「あの」という形容に含まれる偏見や蔑み。子供時代に感じた兄弟姉妹間での差別。もうね、そう言ったものが胸につまされるのよ。うちは兄がひいきされまくっていたから、泉の過程とは逆だったけれど…。わたしはどうしたら兄みたいに輝けるんだろう、人望を集められるんだろう、とうやって羨んだりしたけれど、町中の人々からといっても過言ではないほど疎まれていた泉は、そんな視線にも耐えて美人で頭がいい妹をいつくしんでいた。 劇的なのは、彼女の生家周辺と東京での彼女の評価だ。え、どういうこと、とつい思ってしまったが、なんとなくわかる気がする。 ちょっとそれはないだろうというほど、真っ直ぐな泉に触れると、特に男性関係の箇所なんて、行き過ぎだろうと思ったけれど。 でもね、彼女の心情を知った時には、ああ、とつい持っていかれてしまった。 一つだけ違和感を感じるのが。いやもうこれは、作品自体には関係ないんだけど。 作者のあとがき、いらないでしょう。確かに「シンデレラ」は「幸せ」の象徴として使った、というのは「ふんふん」と思ったけれど、その中で直木賞の選評に触れる段になると、あざとくて。さらに泉のことを言及している個所には、嫌気がさしたね。 あけすけに言うと、いちいち「こう読んでください」と作者に提示される読書って、どうなの、と。言い訳がましいというか、読者を自分の思った方向に制御したいという傲慢さがうかがえるというか。いいじゃない、どんなふうに読んだって。はがきなんて載せなくて。曖昧なままで。それでも素敵な本に変わりないんだよ。態々物語を壊すような真似をしないで、と思った。

    1
    投稿日: 2012.11.06
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    テーマはある意味でこれ以上ないくらい平凡(幸せって何だろう)なのに、その平凡を平温で描ききってなおかつ読ませる小説という離れ業。 姫野カオルコすごい。しみじみと噛みしめるすごさですよ。 主人公は、美人で病弱で歌のうまい妹の引き立て役として生まれたのでは、というくらい取り柄のない女性。本人以外のいろいろな人にインタビューして、その聞き書きが一冊の本になったという体裁。 その日常さ加減が徹底していて、本当にリアル。あまりのあるある感に「これって小説だよね?」と不思議になる。 高級料亭ではなくて、フツーの街角の定食屋で食べた日替りが驚愕のうまさで、でも、どうみても一般的な具と調味料しか使っていなくて、パンチで驚かすわけではないので最後まで旨味が後を引いて、何だろう、という読書感。 (以外、ネタばれ) 神様?がかなえてくれた三つのお願いの三つ目にほっこりする。ジワジワと染み込んできて、私のこれからの人生を豊かにしてくれそう。 「他人の幸せを自分の幸せのように感じられるようにしてください」 ズキュン、と胸を撃たれました。

    1
    投稿日: 2012.08.03
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    表題に惹かれて読んでみて、「あれ?」って感じで読み終わりました。「全然シンデレラじゃないじゃん」って。でもあとがきを読んで、「そうかぁ」と考えちゃいました。 テンの話で「自分の靴で自分の人生を歩くんだ、人の靴を履いてはいけないよ」みたいな所があるんですが、ジンとしました。 「私の靴かぁ」と思わず自分の足元を見てしまいました。

    1
    投稿日: 2012.07.04
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    このお話を形容するには、「面白い」でも「感動する」でもしっくりしない、不思議な読後感だった。もしかすると「多幸福感」が一番ぴったりかも。 ファンタジーと言ってしまうには、現実感があるし、登場人物も、背景も舞台設定もリアル。ただ、主人公の泉だけが、ふわっと浮いていて浮世離れしている。それでも実際にこんな女性がいてほしい、そうつい願いたくなるほど魅力がある主人公の泉。 姫野カヲルコが描く女性は、時には過剰なほど生生しいけれど、この主人公はちょっと違う。他作品のような毒気が抜けた分さらにレベルアップして、一回り回って突き抜けてしまった感じかな。 泉を非常に魅力的ととる男たちと、かわいそうな女性としか思えない女たちの対比に、温かみのある意地悪さを感じた。姫野カヲルコの人間を見る目の鋭さには、いつもはっとさせられてばかりだ。

    1
    投稿日: 2012.06.29
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    このレビューはネタバレを含みます。

    なんとなく、装丁からしても、おどろおどろしい内容を想像していて最初読むのをためらったんだけど、まーーーーったくそんなことはなく、すがすがしいほどで、ものすごくおもしろく、感動した。 大好きだ!! わたしのオールタイムベスト10に入る!! いつまでもいつまでも読んでいたい感じ。 「ハルカ・エイティ」にも似ている感じがした。 ひらたく大きく言っちゃうと、女性の生き方、みたいな感じなんだけど。 ああ、主人公泉(せん)ちゃんみたいになれるわけはないけどなりたい、こういうふうに生きられたらいいのに、と思った。いや、でも、その信じられないほどの無垢さのせいで人に恐れられるっていうのはちょっと困るかもしれないけど。 人生、すごく小さな楽しさの積み重ねがあればそれでいい。 なんだか、人生でさまざまな経験をしなきゃだめ、貪欲に生きなきゃだめ、もったいない、みたいなふうに考えてしまうけど、そうじゃなくてもいいんだ、と思えて。あと、人に必要されることや愛されることを求めなくてもいいんだ、とも思えて、励まされるような。 んー、でも、泉は結局は、人々に愛されたと思うけれど……。 最後、なぜ泉は姿を消してしたんだろう。あのままあの場所で一生を送ることはできなかったの? っていう疑問が、読後すぐの今はあるのだけれど。 でも、なにか悲しい結末になるのをすごくすごく恐れながら読んでいたので、あとがきの泉からのハガキは本当に本当に飾っておきたいくらいうれしかった。 ああ、諏訪湖に行ってみたくなった。あと、アート・ガーファンクル「ひとりぼっちのメリー」もききたい。 あとがきに、タイトルや帯で既成概念のようなものを持ってほしくない、みたいなことが書いてあったけど、だからあの装丁なのかなー?  姫野カオルコの作品、ほかにも読むべきなんだろーか。濃い恋愛モノは苦手なんだけど……。

    7
    投稿日: 2012.06.21
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    この表紙はどうよと思うけど、皆さんのレビューも良かったし、何より久し振りの姫野カオルコなんで購入。 背表紙にある短い紹介文を見て、普通に読めば、主人公・倉島泉の不遇の中にも満ち足りて生きる様に目が行って、『さびしさに対する鈍感さは、斬っても殴っても倒れない強靭さに映る』という表現に唸り、終章、彼女がある人にしたお願いの3つ目を知ると、それはもう何と言ったら良いのか、その清らかさの極みに深く感じ入る。 それだけでも十分なのだけど、このお話が単なる聖女の物語に終わらないのは、泉について語る人々の生き様の対照的な生臭さがお話に膨らみを持たせるから。 そこに描かれる様々な男と女の所業、深芳と潤一の結ばれ方、登代と戸谷の関係の持ち方、奈美と亨の堕ちていき方、滝沢や小口の泉に対する仄かなたじろぎ方など、昭和後期の日本の地方都市における田舎社会と人間関係の中にあった人の生き様を描いて生々しく、「ツ、イ、ラ、ク」をも思い起こさせる痛さやホロ苦さがしみじみ沁みる。

    2
    投稿日: 2012.06.17