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城の崎にて・小僧の神様
城の崎にて・小僧の神様
志賀直哉/KADOKAWA
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総合評価

31件)
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    高級温泉に来てテンションが上がって読んだが、タイトルから想像される、温泉さ〜いこ〜う的なノリではなく死生観が描かれていて面食らった。だが、生の偶然性と貴重さに気づかされ、人生を楽しもうと考え直された。その後、温泉に4回入った。

    1
    投稿日: 2025.06.30
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    昔読んだことがある、小僧の神様が読みたくて。 お寿司の食べ方の説明が印象的だったのだけれど、改めて読んでみるとちょっと違った。 旦那さんが浮気して、奥さんに愛想尽かされるって言う場面が多い。 城の崎の冒頭、「山の手線の電車に跳ね飛ばされて怪我をした」だったのですね。すごすぎる!

    4
    投稿日: 2024.07.04
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    城の崎にて いたずらに命をうばわれていくねずみ。なにげなく投げた石でイモリの命を奪ってしまった、とりかえしのつかない気持ち。作者が小さな命をみつめながら、自分の命をも見つめ直す繊細な描写がよかった。

    2
    投稿日: 2023.12.03
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    小僧の神様は、小僧に黙って密かに奢ってやる人物の人間としての心理がよく描かれていて、興味深いかった。  しかしながら、この短編集、浮気の話がよく出てきた。

    0
    投稿日: 2022.09.08
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    9.25~9.29 高校の現代文で城の崎にて を勉強してから 少しだけ近代文学に興味があった。最近の若者は読書をしない。読書をしなさい。と父母、先生更には国語の評論文にも。流石に耳にタコができるわ!と思い何でもいいから1冊、と思って手に取ったのが志賀直哉。 ある日から読書に抵抗を持つようになっていたが、冒頭の小僧の神様を読んで一変した。主人公が少年、面白い内容。年齢に親近感も湧き、一瞬でした。 次の清兵衛と瓢箪。お金持ち、ということは聞いていた為書くことも上流階級なのかな…と思い… 少年の持っていた瓢箪、買った瓢箪って一体幾らなんぞや?と思い、簡易的に換算して衝撃を覚えたり… ある意味、近代文学を読むにあたって簡単に時代ごとのお金や価値の勉強をしたら面白いなぁ…と。 和解も頑張って読みました。最初の1.2はほんとに読むのが辛かった…でも3あたりからだんだん面白い展開に。もちろん目を瞑りたくなるような場面もあった。でも最終的に和解を読み終えた時、どこか温かい気持ちになった。 主要にこの3つを紹介したかった。とにかく、何も読書をしなかった私に1歩踏み入れさせてくれた本だ。 他の近代文学も読んでみたくなった。

    0
    投稿日: 2021.09.30
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    このレビューはネタバレを含みます。

    母の死と新しい母、清兵衛と瓢箪、正義派、小僧の神様、城の崎にて、好人物の夫婦、雨蛙、焚火、真鶴、山科の記憶、痴情、瑣事、濠端の住まい、転生、プラトニック・ラヴ。 山科、痴情、瑣事が浮気のことですね…

    0
    投稿日: 2021.06.30
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    このレビューはネタバレを含みます。

    『城の崎にて』 電車に跳ねられた「自分」は怪我で東京病院に入院後、兵庫の城崎温泉に赴く。 そこで生きている蜂の中で虚しく死んでしまった蜂を見ては、誰も気にはしないんだなと虚しくなる。 次に「自分」は首に串の刺さった鼠が石を投げられ逃げ惑う所を目撃する。その後水に落ちるもどうにか助かろうと一生懸命に泳ぐ。その必死に逃げる様に「自分」は寂しい嫌な気持ちになる。 脊椎カリエスになることを怯えながら生きる「自分」が、あの蜂や鼠に重なり「生」と「死」は必ずしも両極端なものではなく、隣り合わせなものだと「自分」は気づく。 生き物一つ取るにしろ作者の情景描写が秀逸であり、鼠が死に対し逃げ惑う所は生々しく目を背けたくなった。でも、正直何故この作品が有名なのかが凡人の私にはわからない。

    0
    投稿日: 2021.03.01
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    角川とてぬぐい店"かまわぬ"のコラボの和柄ブックカバーシリーズ。 私はてぬぐいコレクターでして家に100枚くらいあるのですが、これと同じ柄も持ってます。 さて。 志賀直哉は授業として習ったものと、「暗夜行路」しか読んだことはありませんでした。 改めて読んでみると実に素晴らしい文章。ただ何ということもない情景が、実直で淀みない言葉で語られる。小説の神様なんて言われるだけある。 『母の死と新しい母』 著者の実体験エッセイ。 妊娠中の実の母が悪阻が酷く寝込みそのまま他界した。 やがて父に後添いの話が来る。実母が亡くなったときに泣き暮らした著者だが、実母の死と新しい母が来るということは、徐々に事実として受け入れていった。 『清兵衛と瓢箪』 瓢箪が好きで小遣いを瓢箪に注ぎ込み暇さえあれば磨いている12歳の清兵衛。 そんな清兵衛と瓢箪との縁が断れて、その熱中を新たに絵を描くことに注ぐまで。 『正義派』 電車に轢き殺された幼い少女。 目撃した工夫は証言を申し出る。だが雇われ人である彼らも強いことはできない。 帰りに事故現場を通った。やりきれない、ああただやりきれない。 『小僧の神様』 秤屋で奉公する仙吉は、番頭たちの寿司話を聞いて自分も食べてみたくてたまらない。 使いの帰りに屋台の寿司屋に入るが、彼のなけなしの銭では一貫分にも足りなかった。 過ごすごと屋台を出るその様子をAという客が見ていた。Aは、この小僧にあまり目立たずに寿司を食べさせてやりたいなあと思うのだった。 『城の崎にて』 怪我の療養で城の崎を訪れた著者。 蜂、鼠、蜥蜴のような小動物の死を目の当たりにする。 普段は小動物を殺すことのあるし気にも止めないのだが、今はなんだか淋しい嫌な気持ちになってしまう。彼ら橋に自分が生きていることを感謝しなければすまないような気持ちだ。「自分が希っている静かさの前に、ああいう苦しみのあることは恐ろしいことだ、死後の静寂に親しみを待つにしろ、死に到達するまでにああいう動騒は恐ろしいと思った(P53)」 だから滞在を早めて東京に帰ってきたのだ。 『好人物の夫婦』 秋の夜、夫婦の会話。 夫が気ままに旅行に出るということで浮気を心配する妻。 翌日妻は親族の病床に呼び出されて二ヶ月の留守をする。 家にいた夫は、若い女中の妊娠に気がつく。 妻も気がついたのだろうか、その場合自分が疑われるのだろうか…。 『雨蛙』 文学趣味の賛次郎は、妻のせきと行く予定だった知人の講演会に行けなくなり妻だけを送り出す。 せきは美しく健康的だが、溌剌とした光を持たない自己を持たない女だった。 翌朝宿にせきを迎えに行った賛次郎は、妻は別の宿に他の男女と泊まっていると聞き驚く。 せきに聞くべきか、聞いたら多分正直に答えるだろう。 そして賛次郎は、正直に答えたそのせきを愛おしく思うのだった。 ===「暗夜行路」に別の結果を与えてみた、というかんじ。 『焚火』 山小屋での会話。 雪道を歩きながら眠りそうになっていた自分を母が「呼んでいる」と迎えを寄越したという話。 『真鶴』 少年は幼い弟と下駄を買いに来た。だが海兵に憧れる少年は小遣いを海兵帽に使ってしまい、さらに旅芸人の女に惹かれて跡を着いて行く。どうしようもなく兄に手を引かれて歩く弟。 遅くなり家に帰った母を見たときに、弟は本来の幼さを取り戻した。 『山科の記憶』 「Aという女がある。良妻賢母である。しかしこの女の一生でただ一度、はっきりとは意識せぬ恋を感じ、心をときめかしたことがある。それを良人だけがカンジダ、それと相手の男だけが感じた。しかし何事もなく、そういう機会もなく、そのままにそれは葬られた。Aという女も今はそのことを忘れている、Bという女がある、この女にも同じことがあった。しかしBという女はそのことを自ら意識さえしなかった」この場合、Bが妻だった。(P122) 『痴情』 女と分かれるように妻に言われた。 女がいても妻への気持ちは減らないと言っても納得しなかった。 女と別れて、最終の電車で家に帰った。 『些事』 京都まで仕事だといったが、本当は会いたい女がいたんだ。 ===夫婦のちょっとした浮気心テーマが続くんだが、志賀直哉夫妻なにかあったのかな。 『堀端の住まい』 著者が山陰松山に住んだ時のことを書いたエッセイのようなもの。 隣の家の雌鳥が猫に殺され、罠にハマったその猫を殺すという出来事について少し考える著者。 『転生』 あるところに気の利かない妻を持つ男があった。男は常に妻への不満を持っていたが、だがそれなりに彼ら夫婦は仲良く二世を誓いあった。次の世では、夫婦仲の良い狐になるか、それとも鴛鴦(おしどり)になるか。やはり鴛鴦になって仲睦まじく暮らそうと誓う。 先に死んだ夫は鴛鴦になり妻を待った。しかし妻は、自分は狐になるべきか、鴛鴦になるべきかを忘れてしまっていたのだった。 ===笑っていいの?いいよね(笑) 『プラトニック・ラブ』 私は昔通っていた芸者がいた。旧友にかけたはずの電話に出たのは彼女だったのだ。 今更名乗るわけにもゆかず切ったが、なぜ彼女に電話をかけてしまったのか?この十五年ぶりのプラトニックラブに笑ってしまう。次に彼女と触れ合うのはまた十五年後だろうか。

    14
    投稿日: 2019.12.25
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    「城の崎にて」。淡々とした筆使いなのに、情景が鮮やかに起ち上がってくる。余計な言葉と感情は削ぎ落とされて、残ったものは表裏一体の生と死の存在。 自分はまだ死に対して親しみが湧いたことはないが、そんな機会が訪れた時に思い出すかもしれない。生きるも死ぬも必然ではなく偶然であることを。 普段読書はKindleなのだが、江戸切子のような表紙が美しいとの書評を読んで、角川文庫版を購入。正解だった。

    1
    投稿日: 2019.02.11
  • 以外に面白い

    志賀直哉というと、「暗夜行路」とか「城の崎にて」 などの作品が有名ですが、実際に読むのはこれが 初めてでした。 それまでのイメージでは、固い文学作品かと思っていたのですが、 男女の不倫や、夫婦喧嘩など、随分男女の話が多く 今読んでもすごく面白い作品です。

    4
    投稿日: 2017.02.10
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    「清兵衛と瓢箪」を読みたくて志賀直哉の短編集を読み直しました。暗夜行路を執筆した志賀直哉旧居は尾道にあります。志賀直哉は尾道に2年住んだそうです。尾道は大好きな町です。千光寺公園の山頂から続く文学の小道を文学碑を見ながらの散歩、そして、眼下に広がる尾道の市街地、尾道水道の絶景は瞼に焼き付いています。林芙美子の「風琴と魚の町」は尾道の様子をよく描いていますね。志賀直哉の「清兵衛と瓢箪」は、なんとなくですが尾道だなという感じが漂ってます。(^-^)

    0
    投稿日: 2016.04.19
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    「近代小説の神様」と呼ばれているらしい。そして、私の大好きな谷崎純一郎が「文章読本」にて、彼の「城の崎にて」を絶賛しているので、読んでみた。 でも、私には合わなかった。「母の死と新しい母」では、近しい人の死も人間は簡単に忘れてしまうこと、「正義派」では、義憤に囚われた人たちが、職を失うとなると、急に弱気になる話など、谷崎さんと同じで、人の認めたくない部分を扱っているのは類似しているが、より性質が悪い本質をさぐっている気がする。 それらをウンザリとし始めながら読み始めていて、「城の崎にて」に遭遇。これは、やはり有名になるだけあって、なかなか含蓄があった。 だけど、「好人物の夫婦」→「山科の記憶」→「痴情」→「瑣事」と続く自身の不倫話をもとにした話にはうんざりした。この人の作品は、女性を馬鹿にしていると思った。若干、不愉快である。

    0
    投稿日: 2015.09.30
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    短編集なので読みづらいものがあってもなんとか進む。 割と夫婦の話か多かったような気がするけどいまいち記憶に残りづらい。何気ない昔の日常という感じでのっぺりしている印象。城の崎にてがやはり一番面白いし心に残りますね。

    0
    投稿日: 2015.09.22
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    「城の崎にて」を初めて読んだのが小四の時で、偶然九死に一生を得て精神的に弱っている時だった 小四ながら、弱った人間の感傷的な様子に何となく共感できて、印象に残った

    0
    投稿日: 2015.03.22
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    文豪作品強化中もしくは夏フェア本消化中。思いのほか読みやすかった。という言葉を文豪作品を読むたびに使っているのはさておき。昔の人が書いた。というだけで、敬遠していた作品が多くて、本当にもったいないことをしているなと思った。のもさておき。小僧の神様、真鶴は読みやすくて可愛らしい物語だった。一方で痴情や転生のような男女の機微をえがいた物語は、ものすごく大人の物語のように感じる一方で、特殊なフィルターがかかっているような不思議な雰囲気に思えた。

    1
    投稿日: 2014.07.13
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    中学?の国語の教科書に載っていた?あやふやな記憶を頼りに読んでみました。 掲題作「城の崎にて」は圧巻でした。わずか8ページの短編ながら、身近な出来事から死への恐怖を連想させられます。 本書は短編集ですが、他の作品も、日常のある部分を切り取り、鮮明なイメージを植え付ける「山椒は小粒でも…」的な作品が多いです。 解説を読むと、この短編を描いた時期は、志賀直哉の私小説的部分と空想小説的部分が曖昧になっているとのこと。その事実を聞いた上で、妻の情事を聞き、がっかりしながらも心の底では興奮を禁じ得ない主人公を描いた「雨蛙」は、ぴりりを飛び越え、若干ぞっとします。 「小僧の神様」は痛快なヒーロー小説?になっており、作者の幅の広さを再確認できます。 空いた時間に読めるので、おススメです。

    1
    投稿日: 2014.01.16
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    【あいつむぎ2013年11月陳列】2013.11.19 推薦者:くらら(http://ayatsumugi.blog52.fc2.com/blog-entry-353.html)

    0
    投稿日: 2014.01.05
  • 100年読まれる作品

    志賀直哉が山手線の電車に轢かれ、その療養のため城崎を訪れて今年(2013年)で100年になる。 自身をモデルに、電車に轢かれた怪我の療養のために訪れた城崎で、志賀はねずみ、蜂、いもりというちいさな生きものたちが命を落とす様を見つけ、自らの怪我とたまたま救われた命を思う。 作家自身、普段なら気にもとめなかったであろう自然と人間の間にある命の差異。自分の存在の際を見つめ、世界の輪郭を意識した小説家の目は、じつに繊細な視力とことばを得ている。 “小説の神様”とまで言われた志賀の中でも、文庫にしてわずか十数ページの「城の崎にて」は、傑作として読み継まれてきた。「城の崎にて」を含め、志賀直哉の作品がここから100年、改めて読み継がれていくといいなと思う。

    5
    投稿日: 2013.11.12
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    今年5月に初めて城崎温泉に行った。 翌日帰る間際に、1軒ある小さな書店でこれを見つけて購入。 ひさしぶりに角川文庫手にしたかも。 この表紙はとても風情があってかわいい。 こんなに有名な作家さんなのに、 実はこれまで読んだことがなく、 なのであの名作の「暗夜行路」なんかも残念ながら読んだことがなく、 全くもっていい齢してお恥ずかしい限りですが、 きっかけはともあれ、この時代の文学に触れ直すきっかけをもらった1冊。 印象的だったのは「城崎にて」もさることながら、 「母の死と新しい母」 「小僧の神様」 そして「雨蛙」 追記 志賀直哉が城崎を訪れてから、今年がちょうど100周年とのこと。わたしにとってもタイムリー。

    2
    投稿日: 2013.10.26
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    確か、城崎に旅行するときに予習というか気分を盛り上げるために買って、城の崎にてだけ読んで放置してました。やっと読了!

    0
    投稿日: 2013.09.05
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    あまりにもいまさらwww感があるけど、まぁこれはこれで。どの短編も生き死にを自分の身近に置くことを由とするような淡々とした感情が込められている、気がした。てゆーか諸行無常?(ケロロ軍曹のモアちゃん(CV能登)の口調で)

    0
    投稿日: 2013.05.26
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    人の心を拾うのがとてもうまいひとだなあと。描写や表現がこのうえないくらい的確なのに、とくべつ凝った書き方をしているようにも見えない。素直に読ませてくれる。それがすごい。

    1
    投稿日: 2013.05.20
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    このレビューはネタバレを含みます。

    作者の内面が~とか表現方法が~とかはよくわかんないけど、 今まで読んだ他の明治文学よりは読みやすかったし、面白いと思えた。

    0
    投稿日: 2013.02.27
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    教科書で城の崎にて、を読んで、文章のあまりの透明さに驚いた。今更私が言うべきことでも無いが、志賀直哉御大は、途方もない天才なんだと思う。 ストーリーそのものはただただ自分の療養生活でのスケッチや思考の覚え書きのようなのに、どうしてここまで引き込まれる文章が書けるのかさっぱりわからない。

    0
    投稿日: 2012.12.20
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    「城の崎にて」の子どもの残酷な行為とか、淡々と描写しているのにすごく気持ちがザワザワした。 人の気持ちと、情景描写がすごく的確で、 「あー、こういう気持ちになることある」 というのを、すごく分かりやすく書く人だなと思いました。 「痴情」の奥さんのお手紙はなんだか痛々しくて泣きそうになるし、志賀直哉もっと早く読めば良かったと思った。

    0
    投稿日: 2012.10.12
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    わたしはふだん、装丁なんかどーでもいい、本は中身、装丁はいいから安くしてくれ、とか、とんでもないことを思っているが、この本は異様にカバーに惹かれ、なんの脈略もなく志賀直哉。たぶん三十年ぶりくらいの志賀直哉。 いや、でも、おもしろかった。ものすっごく短い短編ばかりだけれど、文章が濃く、なんというか水気のあるというかしっとりしているというか。話もどうとはいうことがないのだけれど印象深い。「小僧の神様」なんてすごく好き。「転生」もおもしろくてキュートで好き。 こういう日本文学もやっぱり読まないと、と思った。 短編より長編が好きなので「暗夜行路」読もうかな。

    1
    投稿日: 2012.09.06
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    「城の崎にて・小僧の神様」志賀直哉 小話、私小説など短編集。特になし。 志賀直哉は初めて読みました。 こ難しいのと軽妙なののあいまっている印象、ですがとても読みやすい小説なんだろうな。 明治四十五年から大正十五年迄の作品だそうです。古めかしく感じない。 『小僧の神様』で作者の視点の継げ足しで終わらしたり、『転生』で途中からお伽噺としたり、何となく意外な読みごこちがありました。 そういった意味であっけなく終わってしまう短編も多かった。 そこが面白かったです。 作中の旦那を見る限り、志賀直哉はモテそうだなあと思いました。実際は分かりませんが…。(3)

    0
    投稿日: 2012.08.28
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    高校の教科書以来の志賀直哉。ギュッと濃縮された無駄のない文章の垣間に、子どもたちや、ちいさなことものに向けられたあたたかいまなざしが感じとれる、角砂糖のような短編たち(決してあまあまな砂糖ではないけれど)。「焚火」「清兵衛と瓢箪」「小僧の神様」がよかったなぁ。

    0
    投稿日: 2012.08.16
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    表題作の二つと「焚火」は好ましい軽みというか。後半の作品について、現代、口先では何とでも言うけど、男の性質は大して変わっていないのでは。

    0
    投稿日: 2012.08.03
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    短編15編入り。恥ずかしながら志賀直哉は高校の教科書以来。 「山科の記憶」など作者の人間性についてちょっと引く話もある。しかし全編通して自己の経験・情動の描写が実に緻密であり、激情的でも抑鬱的でもない、貪欲な感性を感じさせる。

    0
    投稿日: 2012.07.24
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    ★3.5 志賀直哉の短編が詰まった一冊。 まず期間限定のブックカバーがすごくいい! 思わず手にとってしまったわけです。 どの話も読みやすくて、とくに好きなのは「転生」かな。 この話に出てくる細君が可愛らしくて、思わずクスッと笑ってしまうような面白い結末がよかった。 次は「暗夜行路」を読んでみたい!

    0
    投稿日: 2012.07.17