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蛇を踏む
蛇を踏む
川上弘美/文藝春秋
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総合評価

250件)
3.4
35
60
84
25
13
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    蛇を踏む 全然わからなかった。蛇は結局なんなのだ?欲なのか?と思って読んでいたらいつのまにか終わってた。蛇がいる生活がわりと当たり前に進んでいく展開もよくわからない。 消える 蛇よりは面白いと思った。表現は違えど、それぞれの家族にはそれぞれの慣わしがあるよなあと思った。人消えないけどね。艶かしい描写がさっぱり描いてあっていいと思った。 惜夜記 変わっていく感じが気持ち悪いし意味わからんなと思って読んでた。解説読んだらその感想で正解なのかと安心した。面白いかと言われたら面白くはないと思ってしまった。

    0
    投稿日: 2025.10.27
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    繧「繝翫Ο繧ク繝シ縺後o縺九i縺ェ縺九▲縺溘?ゅ◎繧ゅ◎繧ゆス輔°縺ョ繧「繝翫Ο繧ク繝シ縺ィ縺励※譖ク縺?※縺ェ縺??縺?繧阪≧縺九??

    0
    投稿日: 2025.09.30
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    20年ほど前に読んでおり、内容を忘れてしまったので再読。何とも不思議な話が3篇収められている。 川上弘美の作品はよく分からない。何が起こったのか、どんな結末になるのか、何が伝えたいのか…。その分からなさに面白さがある。細かな意図や意味をわかろうとしなくて良いのだ。現実と夢の世界の境界がどろりと溶けて混ざり合う。わかるようで分からない。ただ淡々と話は進んでいくのだ。 そんな川上ワールドに身を任せて浸ってみて欲しい。

    4
    投稿日: 2025.09.13
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    ■参加者の感想をピックアップ■ ・(以前の課題だった)『鼻』を連想させるような、不思議な世界観と全く読み取れないメッセージ性のある話だと思った。 ・登場人物に感情移入できず、おとぎ話を読んでいるようだった。 ・芥川賞受賞作と知って驚いた。文学作品に与えられる賞とは知っていたが、どこが評価されたのか。ピカソの絵が理解できないように、フィーリングが合う合わないの次元の作品だと思う。 ・「蛇」は宗教に似ていると思った。蛇の世界に行った人はすごく満足しているが、蛇の世界にはどうしても入りたくないという嫌悪感が、信仰を持つ人と持たない人の差に見える。 ・出てくる人物はみんな世間で言う「少し外れた」「スポットライトの当たらない」人たちだった。自信がない時、満たされない時に蛇のような「諦める」「レールから外れても良い」という誘惑に駆られるのではないか。 ・最近知った「短期ストレス」「長期ストレス」の話と共通点があると思った。気づかないけれどずっとストレスに感じていることを解決するには、まずその長期ストレスを認めて受け入れることが必要、との話だったが、例えば登場人物たちが皆「スポットライトのあたらない人生」をストレスと感じているのであれば、それを認め受け入れる人から幸せになっていく、とも読めるのではないか。 ■参加人数■ ・2人 ■今月の課題本■ ・川上弘美著『蛇を踏む』 ■開催日時■ 2022年7月

    0
    投稿日: 2025.09.05
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    「うそ」の国。子どもの時は自分にもあったなぁと思い出しました、もっと単純でしたが。 「蛇を踏む」が最も現実に近いかもと思える不思議な1冊。

    0
    投稿日: 2025.07.27
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    「蛇を踏む」は「穴」小山田浩子のように、でたらめ具合が僕にちょうどよかった。もしかしたらこのくらいはギリギリわかるくらいで、だからかえって際立つのかもしれない。こういった小説はとにかく、参与の小説だと思う。マークシート方式に慣れた社会に、記述式のような小説はなにか落ち着ける。

    0
    投稿日: 2025.05.27
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    川上弘美作品を初めて読んだ。 語りは、南米文学に通じるマジックリアリズム的手法を思わせつつも、感情の余白や語りの間に日本的な静けさが漂っていて独特の読後感があった。 日常のすぐそばに異界が忍び寄る感覚。怖くもなく、かといって完全に受け入れられるわけでもない違和感が、じわじわと染みてくる不思議な読書体験だった。 構造や、理屈では無いところで五感に訴えかけるような文章がとても魅力的。

    0
    投稿日: 2025.05.25
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    巳年なのでタイトルに「蛇」がついた一冊をなんて思って手に取ったが、いまいちよくわからない世界観だった。嫌いではないけど、この世界観はなんだ?と消化不良を起こしている。あとがきで自分のかく小説を「うそばなし」と呼んでいると書かれていた。なるほど。うそばなし。その言葉が腑に落ちる物語だ。どこかクラフト・エヴィング商會っぽさがあって、若い頃に読んでいたらどっぷりはまっていたかもしれない。歳と共に面白がる能力に衰えがきている自覚はあって、ああこれはあと10年若い時に出会っておきたかったなと。

    0
    投稿日: 2025.05.04
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    不思議ホラー系おとぎ話。 『蛇を踏む』 通りで元気のなさそうな秋の蛇を踏んでしまったら、「踏まれてしまっては仕方ありません」と言い女の姿になって家に居着いてしまうお話。 『消える』 家系が不思議体質。きっかけはわからないが突然行方不明になる体質で、今回は嫁を迎える長兄が直前に消えてしまうお話。姿が見えないようになるらしく、語り手の妹には気配はわかるらしい。見えないし体はないが、居る。 『惜夜記』 かなり短い短編集。けっこう話数がある。怪現象のサビ部分だけ取り上げたイメージ。 【感想として】 どれも物静かな文章で、強い言葉は使わないけれど物語に圧がある感じ。全体的に和風な、獣臭がする世界観でした。 似た作品で言えば(拝読した中から) 森見登美彦氏の『きつねの話』がぱっと思いつく範囲で近い雰囲気です。 あとは恒川光太郎氏の『夜市』かなぁ。 静かさでいえば、梨木香歩さんの『家守奇譚』もそうかも。 わからない・理解できない話ではあったものの、あとがきに目を通して読み方がわかったような、腑に落ちての読了になりました。 私にはけっこう、あとがき、大事でした。

    16
    投稿日: 2025.03.11
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    きっかけは、小川洋子先生の“とにかく散歩いたしましょう”エッセイか、心と響き合う読書案内、どちらかで紹介されてて選ぶことに。 蛇を踏んでしまってから蛇に気がついた。 蛇は柔らかく、踏んでも踏んでもきりがない感じだった。 表現力に驚かれたようで、私も読みたい!となった。 2025年、巳年ということもあり〜 115回芥川賞受賞作品と知って尻込みしつつも読み始め、かなり独特な世界観だった。 これは神話?寓話?終始不思議な世界 やわらかくフワフワした文体の感覚、触感が、ふと日本昔話のような感覚だなぁ〜と感じたら、浸れて不思議に心地よくなりました。 この文庫には、『蛇を踏む』『惜夜記』『消える」の3編が収録されているのですが『惜夜記』が好みです。 抜群な個性の作家でした。

    8
    投稿日: 2025.02.07
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    わからない…わからなすぎて面白い。表題作「蛇を踏む」で打ちのめされたと思いきや、残り二作がもっとわけわからなくて楽しかった。

    1
    投稿日: 2025.01.02
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    川上弘美さんの良さを充分に感じつつ、ふわふわしすぎないものになっていた。 夢のような甘い時間に導いてくれるのが川上さんの良さだと思っているが、話の道筋?がなさすぎると醒めてしまう... 結末を求めるべきではないと思うが。 その点でこの小説の塩梅はベスト。

    2
    投稿日: 2024.10.20
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    三篇の「うそばなし」は、言葉の力で人や物や空気の境目を曖昧にして、破壊と再構築を読者に強いる。 自分とその他を隔てるのは肌であるから、肌感覚を研ぎ澄まして、様々な言葉で世界を切り貼りするのを面白がっているのかも。

    7
    投稿日: 2024.09.16
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    偉そうだけど、“なんとなく”って大事にしたいとおもう。なんとなく、だけど確実に感じたなにか。 川上弘美さんの本を読むとじわじわと迫り来るものがあるけれどそれがなにかよくわからない。 心地よい気持ち悪さ。この作品大好きです。

    1
    投稿日: 2024.09.10
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    再読 数年前に図書館で借りて読んだ この前本屋さんで立ち読み、出だしの強烈さに惹かれ買った 私が川上弘美のことがすきになった最初の1冊 やっぱりこの世界観がすごくすき 「へビと言えば人と肌を合わせる時のさいしょのとき 及べるようになるとき一瞬その人たちはヘビに変わる」 「蛇の世界はほんとうにあたたかいのよ」 「ヒワ子ちゃんは何かに裏切られたことある?」 「ヒワ子ちゃんはいつもそうやって知らないふりをするのね」 ぬるぬるとしたねずみ色な世界観って感じがする

    1
    投稿日: 2024.07.24
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    なんだか夢の世界の物語のような感じ。 いつかみた夢みたいだと思った。 個人的には表題作の「蛇を踏む」の世界観が好き。 蛇のお母さんがなんだか憎めなかった。

    0
    投稿日: 2024.05.20
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    3つの短編集。 なんだろう、、 蛇、一寸法師、モモ(時間泥棒)? 小さいころ読んだ童話や怖い話に近いからか、妙に頭の中でイメージしやすい。 暗くてどろっとした感じ。 『世にも奇妙な物語』を思い出した。

    10
    投稿日: 2024.05.18
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    これ芥川賞受賞作なんですね?…不思議な話でした。『蛇を踏む』も次の『消える』も話の形がつかめなず、『惜夜記』に至ってはかたちなどないのでは?と思うほどのドロドロ感でした。川上先生の作品は初読ですが既に何冊か積んでいるので、またチャレンジしよ。

    2
    投稿日: 2024.02.25
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    全く異世界のお話しのようでもあり、現実世界のお話しでもあるような、これが川上弘美ワールドなのか? 最初に「竜宮」を読んだので、同じ世界観として読んだ。 文章はとても読みやすい。想像するのが楽しい。 この感じだと「センセイの鞄」はどんな雰囲気になるのか。

    1
    投稿日: 2024.01.19
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    なんだこの本、この物語たち、この作者は。 これまで読んだどのあとがきより、解説より、それらへの共感が強い。何か知らないけれど隣にいたそれらを一気に知覚したような感覚。

    0
    投稿日: 2023.12.18
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    このレビューはネタバレを含みます。

    ⚫︎受け取ったメッセージ 「影」としての心との出会い ⚫︎あらすじ(本概要より転載) ミドリ公園に行く途中の藪で、蛇を踏んでしまった。 蛇は柔らかく、踏んでも踏んでもきりがない感じだった。「踏まれたので仕方ありません」人間のかたちが現れ、人間の声がして、蛇は女になった。 部屋に戻ると、50歳くらいの見知らぬ女が座っている。「おかえり」と当たり前の声でいい、料理を作って待っていた。「あなた何ですか」という問いには、「あなたのお母さんよ」と言う……。 母性の眠りに魅かれつつも抵抗する、若い女性の自立と孤独を描いた、第115回芥川賞受賞作「蛇を踏む」。 ⚫︎感想 ユングの「影」を想起した。積極的に生きてこなかった自分=影が蛇として表現されていると考えてみた。影としての心との出会い。蛇を踏んでしまった。その蛇が家に居着いて人間になったり蛇に戻ったりする。巻きつかれたり、職場までやってきたり、蛇の世界に誘われるが、拒んだり、心地よかったり、ザワザワしたり。影としての心が動き出して、蛇となっている…と捉えると、ヒワ子が違和感なく蛇を受け入れることも理解できる。無意識の自分なのだから。受け入れたり、争ったりするのは、自我と影だからであると考えられるのではないか。また、蛇が「あなたのお母さんよ」とヒワ子に言っていることも、ユングのグレートマザーを想起させる。 河合隼雄氏は昔話や神話の中に無意識の世界の広がりを研究された方だが、川上弘美さんの「蛇を踏む」は、「影」としての心との出会いを昔話風に物語ってくれているのではないかと思った。

    10
    投稿日: 2023.12.16
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    捉えどころが分からない世界観なのですが、読んでて自分でどう解釈するのか、考えさせられた作品でした。著者のあとがきに描いてあった「うそばなし」。自分の書く小説のことひそかにそう呼んでいることも少しユニークで、とても、著者の 明るさが伝わってきました。「蛇を踏む」は、主人公が公園で蛇を踏んでしまい、家に謎の女が現れてしまい、その謎の女は、主人公の死んだ母だとう言うのだが、主人公の母は生きている。 蛇が化けて現れてしまったのか、そう考えるなか 二人の奇妙な生活が始まった。 芥川賞を受賞した著者の代表作です。 どこか民俗文学を思わせる、不思議なお話がとても、心地よかったです。

    34
    投稿日: 2023.09.25
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    『蛇を踏む』 この三つの短編すべてに共通することだが、民俗学的な、フォークロアの空気を感じる。 村上春樹に似ていると思ったけど、村上春樹よりずっと舞台が田舎だと思う。 ある日蛇を踏んでしまったら、それが人間となり、家に住み着いてしまった。 蛇は自分のことを「あなたのお母さんよ」と言う。そして、「蛇の世界にいらっしゃい」と言う。 多分、蛇が何かのメタファーなのだと思う。住職が蛇の奥さんをもらったという話はなんとなく分かる。 なんていうか、爬虫類の執念深さみたいなものは女性に多いのではないだろうか。 では、母とは? 母は生きているという描写があるが、しかしそれだけである。 明らかに異常な状況が自分に起きているのに、主人公はそのことを母に相談しようともしない。 主人公の過去が出てこないために、想像するしかないのだが、なんとなく、この親子はうまくいってないかとも思う。 現代的な価値観では普通だけれども、この年代の女性が教師を辞めた後に実家に帰らずに一人暮らしをしているのはどこか違和感を覚える。 実家に戻れない理由があるのか。 存在しない木に登った過去、蛇の世界への誘い、どちらも現在の状況になんとなくしっくりこないが故の現象な気もする。 ニシ子さんに取り付いた蛇とはなんだろうか。こちらも捨ててきたもの家柄、出自。しがらみのようなものなのか。 ニシ子さんは後悔しているのかもしれない。というか、後悔しない人間などいないだろう。 オチが一番意味不明だったけど、これはこれで話を畳む気が最初からなかったのだと思うと納得はできる。 『消える』 さらに意味不明だったし、より民話的要素が強いけれど、テーマとしてはなんとなく分かる。 というより、川上弘美の文体のせいで、変だなと思いながらもすらすら読めてしまうのだ。 考察するというよりは、雰囲気を味わうのが大事だからなのかもしれない。 これが小説の神髄だろう(と、自分は思う)。 ある日婚約者のいる長兄が消える、という現象の異様さゆえに、この家族や、この団地に住む人々の異様さが薄れてしまうが、実際のところ、まともな場面がほとんどない。まるで生活の匂いがしてこない。吊り床で眠るとは何なんだろう。なんか、繭のようなものを想像してしまう。 クナニラクナニラ。 結局ヒロ子さんは出ていき、次兄も消えてしまい、家族は三人だけになる。 家族の形、みたなものを考えると、常にいびつなのではないかとも思う。 祖父母のどちらかと、父は母と、兄弟二人くらいであれば、なんとなく五角形でバランスがよさそうだけど、誰かが死んだり、家を出て行ってしまうと、そのバランスは簡単に崩れる。 危うい。 よそから人を取り込もうとしても、宗教観、死生観が違えば、いびつである事実は変わらない。 その果てが日本という国ならば、崩壊に向かうのは無理もないのかもしれない。 『惜夜記』 夏目漱石の夢十夜のような話なのかな、と読みながら思ったけど、夢と言うよりは、夜の世界へ迷い込んでしまった人々の話と言う感じもする(それを夢と呼ぶのかもしれないが)。 奇数章は怪奇譚。偶数章は少女との交流が描かれる。少女との交流と言えば、アンナ・カヴァンの『氷』を思い出すけど、カヴァンはスリップストリーム作家であり、川上弘美にも少しそんな要素を感じる。というか、川上弘美と村上春樹にもどこか共通点を感じる。 少女の話は、幻想かつ理系的、哲学的話が多い。ブラックホールとか、シュレーディンガーとか、フラクタルとか、クローンとか、アポトーシスとか。 少女が新樹になる話が、一番好きかもしれない。

    0
    投稿日: 2023.07.10
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    大学の授業で指示されて購入し、読みました。川上弘美さんの小説を読むのは初めてでしたが、始まりの一文から惹きつけられた特別な1冊。「蛇を踏む」の小説内に出てくるごはんのシーンがたまらなく好き。等身大に生活感があって、出てくる料理は派手でもおしゃれでもないんだけど、実家のような安心感があってたまらない。タイトルにも入っているように「蛇」が大切なので、作中の蛇状のものを探してみるとおもしろいです。

    0
    投稿日: 2023.07.05
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    三作の短編。 「蛇を踏んでしまった。」 「最近よく消える。」 「夜が少しばかり食い込んでいるのだった。」 冒頭から『⁉️』と鷲掴みにされる。 そして淡々と不可思議なことを語られ、粛々と物語が進んでいく。 ファンタジーというには謎展開すぎて、お伽話のような感覚。 話の中に教示や諫言を見つけられなかったが、著者の独特の物語は想像の斜め上どころではなく、四方八方どこに連れて行かれるかわからない楽しみを得ることができた。 物語を読むというより、摩訶不思議な世界をただ浸る体験ができた。 物語を読むというよりも、摩訶不思議な世界を楽しむという感じ。

    0
    投稿日: 2023.06.14
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    「蛇を踏む」「消える」「惜夜記」の3編を収録。どれも昔話、御伽噺のような不思議な作品。脈絡なく話が進み場面が変わる。気を抜くと置いていかれる感じだった。どこを目指して終わるんだろうって着地点を探しながら読んだ。「消える」が面白かったかな。

    1
    投稿日: 2023.05.15
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    ぞわぞわする。それはわたしにもいつか心当たりが来ることがわかっているからなのか。 ぞわぞわしながら、上の天丼が食べたくなった。

    0
    投稿日: 2023.05.11
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    愛してやまない川上弘美の世界。 このかたが生み出す世界は現実や意味(理性)の世界と自由に結びついたり解けたり、誰も知らない結び付き方を表したり、あらゆる境界をぼかしながら私たちを驚かせる。それは日本古来の妖怪譚のような、幻想文学のような、不条理文学のような趣きを持ちつつ現代に現れた作者独自の世界である。

    0
    投稿日: 2023.03.12
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    次回の読書会課題図書。 川上弘美さんの作品は、センセイの鞄に次ぐ2作目。 センセイの鞄も少し不思議な要素があったけど、たぶんこの作品の方がより川上節が強いのだろう。 表題、「蛇を踏む」を読んだ後はなんとも妙ちくりんな気分になったし、 「消える」の途中からは、こういう小説はあまり好きではないと思った。 最後の「惜夜記」19篇はわりと最初から読むのが苦痛だと感じてしまっていたけど、作者のあとがきを読んだら少し感想が変わった。 そうか、うそばなしか。 他人の妄想が文字になった作品、 誰かが見た脈絡もない夢の話が活字になっている感じなのか。 そこに作者の意図する正しい意味や比喩を感じ取ろうとして、だけど物語は一向に収斂せず拡散して終わるので、読んでいてしんどく感じたんだな。 つづく解説を読んだら、さらに理解は深まった。 どちらかと言えば合理的で、分類がしっかりしていて、収まるところに収まるような物語が好きだ。 でもたまにはこんなふうに、物語がふわふわと心許く拡散していってどこにも収束しない、その不安定な読後感というのもおもしろいのかもしれない。 と、いうかそういうのを楽しめる感覚も養いたい。 いずれにせよ、どれも抽象度が高い作品なので、作者の意図する正しい意味や比喩をキャッチすることが大事なのではなくて、今の自分に引っかかるフレーズやエピソードを自分の中で反映して味わえばいいんだなと思った。 なるほど、これは癖になる。 再読しよう。

    0
    投稿日: 2023.02.11
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    人が蛇に姿を変えたり、生き物がドロリと溶けたり、小さくなって消えてしまったり。文体はさらりとしてるのに、不気味さを感じるお話の連続。こういう小説を読み慣れていないので、感想の書き方がわからない…。読んでる間、川上ワールドに入り込み、現実世界を忘れさせてくれる感じ。

    0
    投稿日: 2022.10.06
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    なんとも感想の述べづらい奇妙な小説である。 女に変異する蛇が登場する変形譚なのだが、主人公の女は奇妙な事象を日常として流し見ている。 この不可思議なメタファーをどう捉えるかによって読者はこの作品のを意味を変化させていることができるだろう。 つまり軟性の高い作品であるなという感想を持った。 どのようにでも受け取れるのだ。ただの摩訶不思議な話であると言う視点やいや、蛇は女の無意識かの感覚を描いているのだ、などなんとでも考察のしようがある。考察せずになんだこれと思いながら読むことも一興だろう。 なんにせよ風変わりな小説であった。  

    1
    投稿日: 2022.09.16
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    【2022年56冊目】 作者いわく「うそばなし」が詰まった三篇。タイトルの「蛇を踏む」は終始さっぱり意味がわからなくて、最後まで狐につままれたような心情で読み切りました。 「消える」も不思議な話ではありましたが、雰囲気的にはこちらの方が好みでした。 「惜夜記」はさらに短いうそばなしが細切れに詰まっており、独特の世界観で広げられる話を楽しんで拝読しました。表現の幅があるだけではここまで書ききれない、「うそばなし」の引き出しが豊富な作者だからこその、話の数々でした。 時間を置いてまた読みます。

    0
    投稿日: 2022.09.14
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    このレビューはネタバレを含みます。

    蛇を踏む 著者:川上弘美 初出:1996年文学界三月号 1996年度上半期(第115回)芥川賞受賞作 本棚からあるものを探していると古い文藝春秋が出て来た。最近、あちこちで目にする、というよりすっかり大御所、重鎮になった川上弘美の芥川賞受賞作発表号だった。タイトルを見ても記憶にない。他にめぼしい記事もないので、きっと受賞作が読みたくて買ったに違いないのだろうが・・・読んでみても、全く記憶が甦らなかった。買ったはいいが、読み忘れて四半世紀以上たっていたのかも。 あの川上弘美先生は〝新人時代〟にこういう小説を書いていたのだ。といって、最近の小説もほとんど読んだことないけど。 主人公の若い女性は、女学校で理科の教師を4年し、辞めてしばらくして数珠店に入って働いていた。60歳過ぎの女性ニシ子が数珠を作り、8歳若い夫のコスガが配達などをし、主人公は店番をする。関東では一番と言われるニシ子の数珠づくり。彼女は元々京都の老舗数珠屋の奥さんで、そこで働いていたコスガと駆け落ちして今に至っている。 主人公がある朝、出勤途中の公園で蛇を踏んだ。「踏まれたらおしまいですね」と言った蛇は溶けて形を失い、やがて50歳ぐらいの女性になって歩き去った。その日、主人公が帰宅すると一人暮らしの部屋にその女性がいた。食事とビールが用意されている。誰だと聞くと、あなたの母親だと言う。母親は実家で健在。しかし、母親だとしか言わないし、主人公の幼少期のことも知っている。食事が済み、話が済むと天井に上がっていって蛇になって寝る。 そんな繰り返しの中、その蛇女性から「あなたも蛇の世界に来ない」と誘われる。意味不明だし、断り続けるが、彼女との生活は思ったほど苦痛ではないことも実感する。ある日、ニシ子も蛇と暮らしていることが分かる。その蛇はまもなく死ぬらしく、ニシ子は落胆。そして、調子が悪くなって店に姿を見せなくなる。コスガにきくと病気だという。 コスガとたまに納品に行くお寺で、住職から実は蛇と結婚をしていると聞かされる。いつも蕎麦を持って来てくれる女性だった。そして、その日、彼女は蛇っぽくなり、近づいてくる。主人公も、そして今は伏せっているニシ子も蛇と暮らしていることを知っている。 主人公は男とセックスをする時、目がつぶれないという。そして、事が進んで及びそうになると、相手の男が蛇になるという。 死ぬかもしれないと覚悟していたニシ子が戻ってきた。主人公は、同居する蛇女性から蛇の世界へと激しく勧誘される。耳の穴から体の中に入り込まれたり、液状になって体を侵されたり。思わずこのまま蛇の世界へ行こうかとも。少し心が揺らぐ。 選評を読むと、宮本輝と石原慎太郎の二人がこの作品の受賞に最後まで反対し、他の選考委員は評価している。石原慎太郎は、蛇が一体なんのメタファなのかさっぱり分からないと酷評し、こんな作品が選ばれる今日の文学界を嘆いている。しかし、この作品を読む限り、蛇がなんのメタファかなんて全く重要でない。それがテーマではなく、蛇を何に置き換えても人の生き様、そこでの薄弱さ、あるいは強さの表現に、感じ入ることができるそんな作品に思える。選考委員の一人、黒井千次は逆に「この種の小説にあっては、描かれる世界の意味や隠喩の形を探ることよりも、まず作品の中にするりとはいりこめるか否かが勝負」としている。まったく同感。

    0
    投稿日: 2022.08.17
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    「うそばなし」 巧妙に出来たアニメの ワンシーンのような 夢と現実の狭間でみる うつつの世界のような 知ってるような 共感するような でも分からない無意識 そんな感じ 個人的には ちょっと苦手かな 妙興寺ブックオフにて購入

    0
    投稿日: 2022.06.20
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    「蛇を踏む」「消える」「惜夜記」の三作品。 どれも非常に独特な作品でした。 どのように読むのがいいのかしばらく分からないままだったのですが、「あ、これ変な時間に寝た時に見る夢みたいだな」と思ってからはその感覚にスイッチすることで、なんとなくこの世界に溶け込めたような気がしました。 不気味さも奇妙さもありながらどこかしら生命の神秘的な面も感じられて、無秩序のようでいてどこか傾倒していってしまいそうな世界観。 作者の方は相当不思議な方なのかなと思っていたら、あとがきでは平易な言葉で「うそばなし」のことを書いてあり拍子抜けしてしまいました。 どこまでも掴みどころない作品でした。 しばらく心にモヤモヤ残りそう。

    0
    投稿日: 2022.05.15
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    蛇になっていきそうになる様がまさにそうなんだろうなあと思った。あり得ないことをあり得るように書くのがやはり川上弘美は上手。ため息と百合の枯れる匂いがするような「うそばなし」にどっぷり引き込まれていきました。川上弘美は他の作品もものすごくいいので、これが読みづらかった方には「古道具中野商店」なんかが読みやすいし、これが良かった方には「神様」なんかもお勧めです。

    0
    投稿日: 2022.04.15
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    好きな感じの話。カフカのような?なんだけどなかなか読み進めなかった。 途中、何を読まされているのだろうかという気にもなって 短い話なのになかなか読み終わらなかった。 「蛇を踏む」「消える」「惜夜記(あたらよき)」の短編集。芥川賞受賞作。

    1
    投稿日: 2022.02.11
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    読者開始日:2021年12月25日 読書終了日:2021年12月28日 所感 【蛇を踏む】 不思議な作品だった。 ニシ子、願信寺坊主、サナダ、家に蛇が住み着いた3名の日々は、それ以前まで不満、もしくは退屈を抱えていたのだろうか。 そうすると見えてくる蛇の正体。 「カリギュラ効果」だと思う。 ダメだと言われる、怖いと思うほど、やってみたい、見てみたいと思う裏腹な心。 どんな人にでも経験があると思う。 坊主はよくわからないが、サナダは退屈な毎日、ニシ子は満たされない心を抱えていて、蛇を自ら作り出したと言ってもいい。 存在を無くしたい、極端になりたい、蕩けたい、堕落したい。 でも心の底では堕ちたくない。 そのループに陥ることで、暇を潰そうとしたのではないか。 ニシ子の衰弱は、暇潰しに喰われたため。蛇に喰われかけたため。 蛇=暇? 【消える】 本当に訳がわからないが引き込まれる。 コミュニティごとに風習の違いがあり、さらにそのコミュニティに属する家族ごとにも風習の違いがある。 風習が強ければ強いほど馴染むことは難しい。 相手の風習に馴染み、親しんだ風習を無くしていくことはアイデンティティの喪失につながる。 結果として病む。 主人公の家族も、そのコミュニティもかなり独特。 ヒロ子さんの縮小もとんでも無くリアル。 消える兄弟もとんでも無くリアル。 リアルじゃないのに逆にリアルに感じる。 面白い。 【惜夜記】 夢の羅列。 本当に訳の分からない夢から、意味のありそうなものまで様々。 夢日記は人を現実に戻らなくさせる力を持つというが、作品の傾向を見ると頷ける気もする。 【蛇を踏む】 求められているような気がしてきて、求められないことを与えてしまうことが多かった おまえのよつや甲斐性のない男ではわたしに卵を産ませられない 好きが裏返って嫌いになってまた裏返って 鵜呑み 固かった皮膚の表面がゆるりと流れ出した時に蛇と化す 人間の女のように感情づくで依怙地になるのではない。からだが元々意固地にできている 【消える】 月下氷人 兄の睦言には婚約時代のような力がなく 【惜夜記】 声が聞こえるのでは無く、声の中にいるよう 紳士たちはにこやかにきびしく眺めている 果報者 愛しむ 面妖である いるようでいない、いないようでいるなどという馬鹿馬鹿しい状態をどうやって持ちこたえることができようか?量子力学を深く恨みながら 違うわよ だって月はまた新月になるもの

    0
    投稿日: 2021.12.28
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    これはさすがに無理、、、あまりにも現実離れしすぎていて、作中で次から次へと起こる諸々の現象に今のわたしのキャパシティではひとつもついていけなかった。芥川賞受賞作だからついていきたかったなあ、、、悔しいけど他にも読みたい本がたくさんあるし、半分で頓挫。

    2
    投稿日: 2021.12.22
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    どうもこのような暗喩の物語は苦手だ。 何かを言いたいがための暗喩なのだろうが、私には想像ができない。

    0
    投稿日: 2021.10.24
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    惜夜記で挫折。難解というか、情景が頭に浮かばない。あとがきで作者さんが述べているように、これらはすべて「うそばなし」。何かの暗喩なんだろうなあと思いながら読むと、多分わけわからないと思うので、推奨通り「うその世界に遊びに来た」という気持ちで読むのが良いのかも。「蛇を踏む」は、シュールレアリズムな雰囲気で、ありえないんだけどありえそうな感じがして面白かった。登場人物に蛇が絡まなければ、普通の人たちだからかな?蛇を介することで、道に迷ってもう一つの現実っぽいけど現実じゃない世界に来たみたい。千と千尋みたいな?

    3
    投稿日: 2021.08.19
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    10年ぶりくらいに再読。昔よりは手応えのある読み方ができた気がする。蛇は孤独な人間に取り入ろうとする宗教や共同体を表してるのかなあとぼんやり思いながら読みました。ニシ子さんが自分の蛇について打ち明けるシーンが怖くて夢に出てきそう。「惜夜記」は川上ワールド版の夢十夜なんだけど馴染みきれなくて途中からちょっと辛かった。

    0
    投稿日: 2021.07.28
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    書き出しのするりにやられて、 異世界をするりと受け入れてしまう。 いやだ、ダメだと知りながら、蛇を受け入れていくのは理解し難いのに、仕方ないかも。自分もそうかも。 そんなふうにこの人の妄想たる世界に 引き込まれる。 そんな話でできあがっていた。 とくに好きだったのは 「消える」 松井啓子さんの 「うしろでなにか」 という詩を思い出す。 うしろでなにか、おちるでしょ。 って、そんな具合に蛇を踏んだり、消えたりする、 川上弘美さんの世界。

    1
    投稿日: 2021.01.31
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    これだけ突拍子もない寓話的な物語を説得力を持って、読者に違和感を抱かせず描き切っていることに驚愕した おそらく、違和感がない、という違和感こそがこの作品のキモだ。 世界との不和に悩む女性の姿が、蛇に乗せられてありありと描かれる 蛇は、現代人の孤独のメタファーとして僕は読んだ 結局、他者はどこまでも他者でそこに壁がある。その壁があるからこそ会話が成立するのだ。 一方、壁のない自分自身との対話はぬるま湯のように心地よく、泥沼化する。その先に何もないとわかりながら、自分自身に依存していってしまう。 踏むというのは、自己の発見に他ならない。それは偶然でありかつ、どこまでも主体的行為なのだ。 “踏まれてしまった以上仕方”ないのである つまり、自分と向き合うこと自体は不可避だ 他者とのかかわりを断つ蛇の世界、その感じな誘い それへの拒絶は、同時に違和感だらけの世界の受容である

    1
    投稿日: 2020.11.09
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    通常のあやかしものには主人公と異類をつなぐ何かがある たとえば大祖父は天狗だった みたいな。 だけど川上さんのにはそれはない。蛇を踏んだのが始まりとはいえ、扉を開けるほどのきっかけでない きりがない感じ、がたとえ物語が終わろうともゆるく続いていく

    0
    投稿日: 2020.10.10
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    怪奇な話なのに、妙にするりと頭に入ってきた。 ぞくぞくする状況で、変に落ち着きが感じられる文章。面白かった。

    0
    投稿日: 2020.09.05
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    終始一貫奇形の存在が出現し、ファンタジーのような小説だった。あとかぎに「うそばなし」であると表明しているように、けれど小説というものはフィクションであるから、それでも登場人物やストーリー、言葉の選び方がフィクションを超えた"何か"になっている。川上弘美は唯一無二の作家であると感じた。ストーリーの主人公も、不思議な世界に淡々と紛れ込んで、これが本物の世界だと錯覚される。

    0
    投稿日: 2020.04.27
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    ふと買ってきて読んだ「ゆっくりさよならをとなえる」が面白かったので、図書館でこの本を借りた。 芥川賞受賞作だったが、すぐに読めそうな薄い本だった。 「蛇を踏む」 「消える」 「惜夜記」 の三作が入っている。 「蛇を踏む」 サナダさんは公園で蛇を踏んだ。蛇は「踏まれたらおしまいですね」「踏まれたので仕方ありません」と言って人の形になって彼女が住んでいる部屋のほうに歩いていった。 サナダさんは数珠屋で店番をしているが、帰ると部屋に女がいて、食事の用意をしてくれて「カアさんよ」という。お母さんは元気で郷里にいるのに。 それは蛇の形になって天井で眠る。薄気味が悪かったが、用意してくれた夕食はおいしかった。一緒にお酒を飲んだりもするようになる。ずるずるそれに慣れていく。 出奔した祖父が鳥と暮らして三年目に帰ってきたことを思い出す。 数珠屋にも蛇がいて、奥さんのニシ子さんの叔母だと言っていると、夫のコスガさんが言う。その蛇は死にぎわになって人の形を作れなくなり、蛇のままになっているが、ニシ子さんが世話をしている。 そのうち部屋に来た蛇が「蛇にならない?」と誘うようになった。 数珠を収めに言った寺の女房も蛇だという。 導師さま。蛇にもいろいろいるんですよ。大黒さんはコスガさんの方も私の方も微塵も窺わずに、ただ住職だけに向かって言う。お二人のところに来た蛇がどんなものだか、その蛇にあってみなくてはわかありっこありませんわ。 そう言うと、あちこちの箪笥から蛇がぞろぞろ出てきた。 大黒さんはコスガさんとサナダさんのところに来て額をなめたが、住職はにこにこしてみていた。 住職は、蛇の女房はいい。子供は生めないが卵は産む。産んだ卵は蛇にしかならないが蛇がそれでかまわんならわしに文句はない。 などと言っている。 コスガさんは、奥さんのニシ子さんのことが少し気味が悪いと言っているが、コスガさんも次第に形が薄く見えるようになる。 寝込んでいたニシ子さんが元気になって店にでてくるようになって、数珠の作り方を教えてくれる。しかし、夜は蛇に責められ睡眠不足になっていく。もうたまらない。 ついに「蛇の世界なんてないのよ」と言ってしまう。 「いい加減に眼を覚ましなさい」「覚ますのはあなたよ」「そんなこと言って」 女はぐいぐい首を絞める。気持ちいいんだか苦しいんだか、女は相変わらず変な顔だ。それならばと思って女の首を絞め返す。 そして部屋は流されてゆく。 「消える」 家族が次々に消える。でも私にだけ気配が感じられる。上の兄が消えたので、婚約者は古くからの月下氷人のテンさんの勧めで次の兄と結婚する。結婚すると次の兄は嫁さんに冷たくなる。消えた上の兄が、次の兄の嫁さんのところに来ている気配がする、嫁さんはその時胸を押さえて苦しがっている。そのうち嫁さんが「鶴が鳴いています」と不意に言い出し、それを言うたびにひゅんと縮んで、とうとう芥子粒ほどになってしまう。テンさんが「返すかね」といい嫁さんは実家に帰っていった。 次の兄も消えて、私の身体が膨れはじめた。縁談の話をテンさんが持ってきて、嫁ぎ先は決まったが、甘い婚約者の声を聞きながら、嫁ぐと私の体も変わっていくのだろうかと思う。 「惜夜記」 短い不思議な雰囲気の話が19編入っている。 その中では 「馬」が面白い。背中が痒いと思ったら、夜が少しばかり食い込んでいるのだった。 それが痒くてたまらなくなり走り出す。走りすぎて鼻息が荒くなり身体から湯気を立て叫ぶといななきになった。人々は「夜が始まるよ。夜の馬が来たよ」という。得意になっていななくと夜が濃くなった。 「ツカツクリ」 5メートルほどの塚の上に、ビロードの敷物を敷いて、そのものが座っている。何かを持ち上げるように手のひらを上に向けて片膝を立てて微動だにしない。 塚の周りで大きな鳥が鋭いくちばしでそのものをかじり始める。夥しい血が流れ、そのものはかじりつくされる。布は鳥の羽ばたきで舞い上がり、その下には何十もの卵があり、鳥たちは喜びの声を上げる。 目に見えぬものとなったその者の気配があらゆる方向に広がり地と天の間を満たす。 気配に包まれて夜はいよいよ更け闇は真のものとなっていく。 ほかに、夢とうつつの境のような、不思議な世界が展開する。それは言葉で築いた虚実の境目のようだったり、おぼろな心の裡にある形にならない気配だったりする。それが何かわからないけれど、読んでいると共鳴して振るえるような気持ちになる。 ありえないようなものに巻かれて、どこか解らない、妖しい世界に連れて行かれる。時間だけは規則通りに流れているが、得体の知れない、ふと迷い込みそうな刻や物事が見えるような気がする。そんな奇妙な話が詰まっている。 「うそばなし」だそうだ。ファンタジックな虚構の世界が文字になって漂っている。知らないものに触れるかすかな恐怖も感じる。 面白かった。

    0
    投稿日: 2019.12.29
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     川上さんの才能がほとばしってます。微妙な感触の読後感と一緒に、僕のなかに「川上弘美」が君臨することになった作品です。20年たちましたが、初読の感触がいまだによみがえります。スゴイね。

    1
    投稿日: 2019.11.05
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    気持ちが悪いけど、気持ちがいい。 うそだけど、ほんとうでもある。 みて見ぬふりをする、ぬるさに居心地の悪さも良さも感じてしまう、どこか他人事ではいられない。意志なんてものは脆弱である。もっともっとと甘い蜜が欲しくなるのと同じで。 物語に引き込まれてしまいそうで怖いのに、文章と溶け合って漂う感覚が心地良くていつまでもこうしていたくなる。危ない危ない、戻れなくなるところだった。

    1
    投稿日: 2019.10.20
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    なるほどです。夢の中にいるかのような。最後が『惜夜記』で、夜の話というか、夢の中にいるような感じが漂っていたのでよりそのイメージが強いのかもしれません。 ちっちゃいときに思ってた小説ってこんなんだったな、と思い出します。なんか脈絡がなくて、ストーリーがなくて、とつぜん意味不明なふわふわした世界が始まっていつの間にやら終わっている。あとたまに読めない漢字とか知らない単語とか、名詞が出でくる。本を読んでいて調べるという経験そのものが、なんか懐かしかった。 意味のわからない話って子どもの頃は好きじゃなくて、今でもエンタメとか、輪郭がはっきりした小説の方が読みやすいなあと思うけど、たまにこの世界に戻ってくるのもいいなあと思う。 特に、川上弘美はユーモアというか、なんかわからないけどこうなっちゃうのよね、なんかわからないけど。みたいなのが、とらえどころのないところが面白くて、読んでてつい笑っちゃう。 こういう、小説の世界に閉じこめられて出てこれない人もいるんだろうなあと思う。うその世界、と川上さんは言ってるけど、うそじゃない世界を書く必要はないものね、真実味があるかどうかは置いておいて、みんな心地よいうそをもとめて本を開くから。 『蛇を踏む』は、世界観が蛇のようにひんやりとして、気持ちよかったなあ。あやかしの方が、主人公のなかで存在感が強く感じられるのがいい。川上さんの物語ってそういうところがあるのかもしれない。うその方が、リアリティーがある。本人も書いてるように、うその方にリアルを感じてしまう人なんだと思う。 『消える』家族の話。なんとも日本人らしいテーマで、陰湿で、闇をきれいにとられているなあと思う。でも嫌味がない。素直に書いているのが読みやすい。教訓もない。ただ物語がある。簡単なようでいて、ただ物語であることの、その、難しさよ、と思う。 『惜夜記』書いたように、夜の話。眠いんだけど、夢にとらわれるのも惜しい、というような。夢に惑わされて、思うように足が進まない、またあの世界に来てしまったと思いながらその理不尽さ不条理さ不自由さに、蹂躙されるような快さ。 いちばん好きだったのは『もぐら』。たまらない。たまらないなあ。笑った。

    3
    投稿日: 2019.08.20
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    芥川賞受賞の表題作、ほか二編を収録。 数珠屋で働く女性が踏んでしまった蛇が、中年の女に姿を変え部屋に住み着く…というとホラーのようだが、あらすじを記しても作品の良さは伝わらない。 現実と幻想とが入り交じり、湿り気を帯びながらもおかしさがにじみ出てくるような、つかみどころのない世界が淡々と描かれている。細部にこだわって深読みするのではなく、作家が編み出す「うそばなし」をそのまま受け止めて、ゆらゆらと漂いながら感覚で楽しむ作品だろう。

    1
    投稿日: 2019.06.05
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    芥川賞受賞作です。 奇妙な世界が展開されます。 どろどろしてそうではない、作者のさらっと書く筆力が生きた作品です。

    1
    投稿日: 2019.03.05
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    このレビューはネタバレを含みます。

    表題作の最初の淡々とした雰囲気が好みだ。ただ、蛇が身の回りの人々にも深く関わっていることを知ってからは話の筋が掴めなくなってきて居心地の良さを壊された。何が目的なのかも分からず不穏さが漂っている。 あとがきを読んで、なるほど著者も「うそばなし」と言っているのかと納得できたけど、他2作も徐々に悪夢みたいな展開になっていって読んでいて混乱しそうだった。

    0
    投稿日: 2018.12.24
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    これは、ポルノか、哲学書か?はたまたLGBT擁護書か? 残念ながら私には読み解けない。 数珠屋、導師、その他の登場人物は何なのか・・・・

    1
    投稿日: 2018.08.19
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    個人的には「蛇を踏む」がぎりぎり心地よいわからなさで後の2作には翻弄されてしまった。 「蛇を踏む」の相手と何度も関係を持つ時に人間が人間でなくなるように思える感覚はすごくわかる。

    1
    投稿日: 2018.07.20
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    「ミトリ公園に行く途中の藪で、蛇を踏んでしまった。…このごろずいぶんよく消える。…背中が痒いと思ったら、夜が少しばかり食い込んでいるのだった。」 3つの短編からなる本作は、どれも魅力的な一文から始まる。著者曰く、うそばなし、のためファンタジー作品の1つなのだろうが、一般に想像するそれとは異なるように思う。詳しい分類の仕方はわからないが、とにかく著者の世界環に追いついていくのに必死で、掴んだと思ったら唐突に終わる。 踏まれた蛇が女となって一緒にビール飲んだり、消える家族がいれば縮む家族もいて、そのあるがままに息している。理解しようとするのではなく、空を掴むように翻弄されるのが、この作品の醍醐味なのかもしれない、

    2
    投稿日: 2018.02.25
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    3つの短編の内、「蛇を踏む」と「消える」はぐいぐい引き込まれたが、「惜夜記」はそうではなかった。なんとか読み終えた感じ。 ケリー・リンクと似ているなぁと、特に「惜夜記」を読んでいて感じた。

    1
    投稿日: 2018.02.11
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    川上弘美さんから生まれた文字。 文字とは一般的に相手に理解させるためにある道具のような気がします。 しかし、川上弘美さんから生まれた文字は蛇のように生きて動いています。 時には泥鰌のように。 抽象絵画ではなく抽象物語。 私のリアルな今が写る鏡の前で立ち尽くしているようでした。

    2
    投稿日: 2018.01.29
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    実は結構前に読了してはいたのですが、これはちょっと難しかったかも。情けないことに本編読了時点では良さをほとんど理解できておらず、文庫巻末の解説を読んで本作の持つ魅力が分かった(つもりになっている)次第です。確かに本作が種の境界の崩壊によって生まれたアミューズメントパークというのは言い得て妙だと思いました。さほど性的な描写が無いにもかかわらずどこか官能的な雰囲気を感じられるのもそういう所からきているのでしょうか。あと表題作の書き出しで異世界にすーっと入っていけるあたりなど、筆の運びが文句なしに上手いのも印象に残りました。 というわけでこれぞ純文学、といった趣を備えたいい作品だと思いますが、とにもかくにもヘンテコな世界ではあるので、物語に納得感が欲しい人、ある程度筋が明確な話を読みたい人にとっては退屈かもしれません。

    1
    投稿日: 2018.01.21
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    2009年4月18日~20日。  これは面白い。  語り口といい、世界観といい、どんぴしゃり。  ウソしか書かれていないが、そのウソが心地よい。  また一人お気に入りの作家が増えた。

    1
    投稿日: 2018.01.06
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    著者の後書きに”自分の書く小説を、わたしはひそかに「うそばなし」と読んでいます。”とあります。最初は途惑っていたのですが、これを読んでからは読みやすくなりました。 踏みつけた蛇が女性となって部屋に押しかけて母親を名乗り、嫁入りしてきた兄嫁が最後には豆粒大の大きさになり、非常に訳のわかんない世界です。シュールと呼ぶのがふさわしいでしょう。最初はなにかの寓話かとも思いましたが、単なる「うそばなし」なんですね。訳のわかんない夢を見るように、川上さんの「うそばなし」の中で、素直に遊べばいいんです。そう思って読めば中々楽しい話です。 しかし、人の夢の中で遊び続けられるものか?もう1-2冊読ませてもらいましょう。

    1
    投稿日: 2017.10.30
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    うーん、茶色い、ぬるぬるしてる、そんなイメージの本。 最初は意味のあるものとして読んでいたけど途中からないものと気づいた。

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    投稿日: 2017.10.23
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    川上弘美さんの不思議な言葉遣いが好きです。再読でも、「蛇を踏む」と「消える」よりも、「惜夜記」が好みです。生物の隔たりも飛び越える、川上さんも独自のワールドをお持ちだと思います。ちょっと寂しくて、綺麗。「うそばなし」、感覚でしか読めていませんが、面白かったです。

    1
    投稿日: 2017.09.28
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    この著者は、主人公がなんだかぼんやりしすぎていて、言葉の枠に収まりすぎてしまっている感じで苦手意識を持っていたんだけど、この本は良かった。 「蛇」に対して日本人が抱いている感覚や太古からの記憶、つまり不気味さと狡猾さと、なぜか違和感なく身体になじんでしまう感じとが表されていた。本文中にあるように「教訓のない寓話」なのかもしれない。 「惜夜記」泉鏡花や夢十夜のような、我の意識がない、不思議な話で面白かった。ニホンザル、少女、モグラ、イメージが広くて幻想的。

    1
    投稿日: 2017.09.03
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    不思議な話、三篇。 人間の他に蛇とか獅子とか動植物もたくさん登場するし、消えたり変化したりもある。 日本昔話を思わせる。大人版といった感じか? 2017.8.19

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    投稿日: 2017.08.20
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    踏んだ蛇が人になり、家に居着いてしまう女性。 「消える家族」を持つ不思議な慣習と暮らす家族。 夜にまつわる不思議な寓話。 そんな3つの短編集。 やっぱり芥川賞系の本は、合わないことが多い。 合わないというか、文章を読もう読もうとするんだけど、ポロポロ取りこぼしてしまう。 巻末によると表題作「蛇を踏む」は若い女性の自立と独立を描いているそうなのだが、そうとは感じ取れなかった。 むしろ、安寧に暮らしていた女性が転機を受け入れるか優柔不断に悩むお話と思ってしまったなあ。それが自立と孤独、なのかしら。

    1
    投稿日: 2017.08.14
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    蛇が嫌いなくせに、タイトルが気になってつい図書館で借りてきた一冊。 でもやっぱり蛇がリアルに脳裏によぎるのと 変に生々しい描写についてゆけず途中で止めた。

    0
    投稿日: 2017.06.27
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    不思議な話で設定もあり得ないのに、なんだか受け入れてしまった。途中わけがわからなくなって何度も読み返すことあり。 好き嫌いが分かれる作品かも。

    3
    投稿日: 2017.05.25
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    もう訳がわからないけど、それでいいのかなって納得してしまう「うそばなし」。 文体のせいかな。 なんとなく、そんなもんか、って思ってしまった。 なんか、エロい感じ笑 別にそういうことが書いてある訳じゃないけど、なんとなく性的な感じがしました…_(:3 」∠)_

    2
    投稿日: 2017.02.19
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    「蛇を踏む」と「消える」は何とかついていけたが、最後の「惜夜記」はもうなんのことやら分からない。 漱石の「夢十夜」に近いかと思うのだが、登場人物の言動や出来事が突拍子もなさすぎて共感をすることすらできない。 こういうことを思いつけるのも才能だとは思う。 「椰子椰子」はけっこう面白かったのにな。

    0
    投稿日: 2017.01.12
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    本人曰く「うそばなし」。実質はファンタジーであり童話的なもの。最後に納められている「惜夜記」については、夢の描写か。 芥川賞受賞の表題作は、比喩の話かと思いきや、文字通り蛇を踏んで取り憑かれてしまう。「消える」は、突然消えがちな家族の話。何を書いているかわからないだろうが、本当にそういう話だ。 読んだことがない人に、何に近いかを説明する場合、宮沢賢治なのではないかと思う。正直なところ、個人的にはあまり好きではないのだが。 全体に良い意味で、純文学を描く女性作家らしい、独自の世界を構築しながら突拍子もない事、例えば蛇が夕飯を作ってくれたり、嫁いできた兄の嫁がどんどん小さくなって芥子粒のようになってしまったり、影しかない獅子に頭を食われたりということが起きる。 そういう表現の時に、往々にして、独りよがりの表現に終止する作家が多いのだが、小川洋子や川上弘美の場合は、何故か受け入れられるのだ。 1960~70年代位なら、こういった抽象的な表現で高評価を得ると、その裏にある社会だとかをほころびから力づくで引きずり出してくるような読み方をするものが多かったのだろうが、本作の場合は、すべすべの大理石の彫刻を撫でるように楽しむのが正しいのであろう。 ただ、個人的には、「センセイの鞄」のように、1本に"不思議"は1つ2つだけにして、収束点まで引っ張ってほしかった。

    2
    投稿日: 2016.12.09
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    バウンダリーが非常に緩やかで、 人間と生物と、非生物と観念などが、 荒唐無稽なほどに融合したり、 移り変わったり、 わけがわからなくなったりする。 こういう世界を書かせると巧みなのはわかるが、 『蛇を踏む』以外は、 コンテンポラリーアートを観るようなわけのわからなさに、 途方なつまらなさも感じた。

    1
    投稿日: 2016.08.14
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    藪で、蛇を踏んだ。 「踏まれたので仕方ありません」と声がして、 蛇は女になった。 「あなたのお母さんよ」と、部屋で料理を作って待っていた、、、。 若い女性の自立と孤独を描いた芥川賞受賞作「蛇を踏む」 ‘‘消える家族’’と‘‘縮む家族”の縁組を通して、現代の家庭を寓意的に描く「消える」ほか「惜夜記」を収録 「背中が痒いと思ったら、夜が少しばかり食い込んでくるのだった。」 つまんない

    0
    投稿日: 2016.06.22
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     蛇を踏んでしまってから蛇に気がついた。秋の蛇なので動きが遅かったのか。普通の蛇ならば踏まれまい。  蛇は柔らかく、踏んでも踏んでもきりがない感じだった。 「踏まれたらおしまいですね」と、そのうちに蛇が言い、それからどろりと溶けて形を失った。煙のような靄のような曖昧なものが少しの間たちこめ、もう一度蛇の声で「おしまいですね」と言ってから人間のかたちが現れた。  ほんとうに、どこをピックアップしたらいいかわからない。主人公が教師をやめたこと、失業保険で食いつないで今は数珠屋で働いてること(あのいくら数えてもきりがないお坊さんが持ってる玉がリング上に束ねられたものだ)、夫が鳥に嫁いだエピソード、生餌、客のいないお店、天丼の上、天井に登る蛇、  でもあぁこんな時代に絡めて話をしてみたいな。  こんな時代とは。  内田樹の「下流志向」が売れた時代。  この蛇は「どうして注意して歩かなかったんだ」と言いがかりをつけることもなければ未練もないようでただ「踏まれたらおしまいですね」と言って消えてしまう。そればかりか「ヒワ子の母親だ」と言い張って一人暮らしのヒワ子の部屋に居候を始めてしまう。このような諦観が作品を貫く雰囲気となっている。仏教が出てきて鳥にとついだ話が出てきて  もうどうだっていいよな。  蛇が人間に化けて、ヒワ子に教師をやめた理由を聞くシーンがある。  こんなのだ。  テーブルに戻ると食べ物はあらかたなくなっていて、女は三本目のビールを開けながら頬杖をついた。 「ヒワ子ちゃんはどうして教師をやめたの」  女はもう何もつまずにビールだけを飲みながら訊いた。母の声を聞いたばかりで隙ができていた。訊かれて、気味が悪いとあいかわらず思いながら、どうせ気味の悪いものになら答えてもいいという気分になった。 「嫌いだったの」 「何が」 「教えること」 「ほんとう」 「・・・・」 「違うんじゃないの」 「違うかもしれない」 「ほんとうはどうだったの」  女はさらにビールを飲んで、さらにつぎ足した。女の腕に鳥肌がたっていた。鳥肌のたった腕の皮膚も薄く白かった。 「消耗したからかもしれない」 蛇も蛇ならヒワ子もヒワ子だ。もう追い出す気力も残ってないよ!

    1
    投稿日: 2016.06.19
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    ありえない世界なのにいくらでも想像が膨らむし、妄想好きな人間にとってはたまらない世界だった。型はない、形も色も匂いも質感も全部自由、ものすごく広い世界に飛び込んだ気分。惜夜記は、寝ている時の、夢を見ている時間の、すごく長いのに実は短時間、と破茶滅茶さを書いてあるようで、説明したいのにできない話を文章にしているようだった。うそのはなしにしっかりはまって、よかった。とても。

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    投稿日: 2016.05.24
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    人が動物になったり無機物になったり。川上弘美さんの作品の中では境界が常に曖昧で、確固たるものが全然なくて、その中でどんどん溺れていく感じ。怖いのに気持ちよくて、決断を保留にしたままずっと流されていく。 この本は表題「蛇を踏む」と、他に「消える」「惜夜記」が収められているのだけれど、「惜夜記」の文頭「背中が痒いと思ったら、夜が少しばかり食い込んでいるのだった。」は世に残すべき傑作だと勝手に思っています。

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    投稿日: 2016.05.17
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    蛇をふんだら蛇の女に住み着かれる表題 蛇を踏むを含む、虚構と現実が入り混じった著者いうところのうその世界を根に立ち上がる「うその話」。大人にメルヘンを楽しめる方は極上のお話だとおもう。

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    投稿日: 2016.04.19
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    「どうしたの」と少女だったものが聞いた。 「変わってしまったから」と答えると、少女だったものは、笑った。 「だって、そういうふうにできているんだからしょうがないわよ」そう言って、笑った。笑い声を聞いているうちに、ますます悲しくなった。 「まだ泣いてるの」 「そう」 「でも生まれたら最後はこうなると決まっているんだから」 「知らなかったもの」 「あなただって同じよ」 (惜夜記/アポトーシス)

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    投稿日: 2016.04.12
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    そもそもの本質的な問題なのだが、作者はあとがきで、嘘の物語を好んで書いたとあり、自分の趣味と乖離しているため、やはりこのスタンスで書かれた物語が鼻に付き、好かないのかもしれない。 表題作「蛇を踏む」の中で、「若い人の間でそういうのがはやってるの?」という一文がある。主人公は、その世代間の流行を知らないために、「さあ」と答える。自分はそういう場所に近い所に位置している。読書を趣味としている人間とは、現代ではそういう人種を示す物差しなのかもしれない。などと脱線したことを考えながら読んだ。 「消える」と「惜夜記」も含めて、全体的に、夢の様に脈絡が無く、かと思えば繋がりや関わりがあったりする。悪くはないのだと思うけれど、面白くも無ければ何も引っかからなかった。 「蛇を踏む」だけは蛇を踏み始めたところから、最後にかけての流れが既に出来ていた様な気がして、別格な印象。

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    投稿日: 2015.12.19
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    やーー、難しかった!笑 ずっと読みたかった川上弘美!しかし、これはとてもハードル高い作品だった。表題作と、「消える」はグイグイ読めたけれど、「惜夜記」こいつが手強かった。それでも投げ出したくはならず。現実的な話でクサい台詞を吐くような本より断然いい。筆者は幼少期に本をたくさん読んだらしく…そう、大人の世界なんだけれど、子供が頭の中で繰り広げるようなとても壮大な架空の世界。想像力が素晴らしい人だ。つげ義春のような、杉浦日向子のような。好きな作家にランクインです☺︎

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    投稿日: 2015.08.25
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    このレビューはネタバレを含みます。

    *女は藪で蛇を踏んだ。蛇は女になり食事を作って待つ。母性の眠りに魅かれつつも抵抗する、女性の自立と孤独。芥川賞受賞作* さすがは芥川賞。凡人の私にはその不思議すぎる世界観に全く入り込めず・・・文章自体は好きなんだけどな。

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    投稿日: 2015.03.04
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    短編集なので、表題作の「蛇を踏む」について。 文字通りに主人公は蛇を踏みます。 するとその蛇が女の姿になり、主人公の部屋に居ついてしまい・・ 現実と非現実の境が薄いため、とても不思議な雰囲気の文章でした。 私は頭が固いので、まず文章の意味をいちいち読解しようとしながら読んでいました。 しかし、それに疲れて理解しようとする努力をやめた時に、この本の世界に入り込めたような気がします。 美しい文章の大人の童話という印象を受けました。

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    投稿日: 2015.02.18
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    芥川賞受賞である表題作を含め、短編が三本収録されてたけれど、全部気持ち悪かった。これは誉め言葉。 とくに二本目の「消える」は、地方の少し怖い民話を読んでいるような感覚だった。独特すぎる“和”の世界観。 見方によってはファンタジーなのかな。 人間とそれ以外の有機的な生き物と無機物の境目がなくて、それらの間を行ったり来たり、どろどろに溶け合っているような。 唐突な一行目があって、その後ろに世界が広がっている。 なんか、こういう曖昧な説明しかできない。笑 でもひとつ前に読んだ「センセイの鞄」とはまったく印象が違った。 個人的には安部公房を少し思い出した。

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    投稿日: 2015.02.16
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    うっっっすい本なのに読了に漕ぎ着けるまでに3か月はかかった。 美しい言葉と巧みな文章、それから生々しく後味の残る気持ち悪さと、とにかく魅力が沢山ありすぎて読むのが勿体無かった。どの作品も最初の一文が衝撃的すぎて言葉を失う。 お気に入りは「惜夜記」だ。夜を的確に、美しく、それも様々な書き方で表現することが出来るなんて、技量が無いと出来ないだろう。素晴らしい。 背中が痒いと思ったら、夜が少しばかり食い込んでいるのだった。(「惜夜記」より) 『蛇を踏む』の中で1箇所だけ引用しろと言われたら間違いなくこれを選ぶ。

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    投稿日: 2015.01.17
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    2作目の川上弘美作品。 既読の「センセイの鞄」とは異なるけれど、ある意味ファンタジーという点では似ている。 「蛇」を読んだあと、夢に出なくてよかった。 どの短編も、書き出しのインパクトが強いだけに、後半は息切れ、ダラけた。

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    投稿日: 2015.01.11
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    川上さん自身が「うその国に入り込んでしまって書いたうそばなしなので、うその好きな方、私の作ったうその中で遊んで行ってくださいな」と言っています(笑) このメッセージ、最初に読んでいたら、割り切ってもっと楽しめたかな~とも思いました。 大好きになった『センセイの鞄』の著者の別の作品にも触れてみたいと思い、今作が芥川賞受賞ということで、期待大でしたから、読めば読むほどにこの不思議な世界観は???でした。一言で言うなら、境のない世界。人間と蛇の境がないし、生物と無生物の境もあいまい、形あるものは個体から液状になり、さらに気体へと…そして気持ちだって何が何だか、だあれも分かっていない。うその世界はうそだってわかっていたらそれなりに楽しい。でも境目を区切りをつけたがる人間はある意味、つらいかな、こんな世界に居続けるには。蛇母さんがしきりに「ひわ子ちゃん、ひわ子ちゃん…」と呼ぶ声だけが生々しく現実的に思えました。著者もこの作品に関しては意図などきっとなかったのではないでしょうか?そこが魅力なのかもしれません。自分で書いててレビュー自体もちょっと?になってしまい、すみません(苦笑)

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    投稿日: 2014.10.28
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    きっと好きな人にはとても好きなお話。 でも私には怖くて続きを読みたくもないと思う話だった。 あり得ない話なのに、リアル。 世の中の事柄や物語に必ずしも「何か伝えたいもの」があるわけではないのかもしれない。

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    投稿日: 2014.10.01
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    異世界譚というか、著者あとがきにあるように「うその世界側のはなし」というのが正しいか。 現の向こうの短編集。 純文学は読んでて疲れます。悪くなくても眠くなる。

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    投稿日: 2014.06.30
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    川上氏いわく「自分の書く小説を、わたしはひそかに『うそばなし』と呼んでいます」。確かにわかるけど「うそ」のベクトルがあらぬ方向にぶっとんでいるからヤバい。 近年の短編しか読んだことなかったから手に取ってみた、彼女の芥川賞受賞作。シュールだなぁ。

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    投稿日: 2014.05.02
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    電車のなかで、ゆらゆらと読書。 まったく「ほんとう」ではない物語なのだけれど、淡々と軽やかに「これがほんとう」と言われれば頷いてしまいそう。 すこし暗くておそろしく、ふと顔をあげて映るじぶんの顔にはっとするような。

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    投稿日: 2014.04.21
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    「カナカナ堂」という数珠屋で働く主人公:ニシ子は公園で散歩をしている際に蛇を踏んでしまう。蛇を踏んでしまってから、ニシ子が帰宅すると蛇が女性となって家事をして、自分を「ニシ子の母親」と名乗るり始めた。夢にまで蛇が出てくるなど、奇妙なことが起こる。ニシ子の周辺にいる人たちも、何かしら蛇と関わりを持っていることを知り、不思議にも蛇との暮らしを楽しむかという感じに共に暮らしている。蛇は、毎回ニシ子を蛇の世界に来ないか?と勧誘しているが、ニシ子は拒むため、蛇は蛇の世界を拒み続けるニシ子に対し怒りを表すようになる。最後、人間の姿になった蛇がニシ子の首を締めて、こちらに来ない手段としてとった行動をして物語が終わる。

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    投稿日: 2014.01.24
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    第115回芥川賞受賞作。 他に「消える」「惜夜記(あたらよき)」収録。 感想を一言で言えば、驚いた、だ。 初めての読書体験だった。 踏んでも踏んでもきりがない感じの蛇。「踏まれたらおしまいですね」といって消えてしまってから、様子のいい中年女性に化けて語り手の部屋に居座り、語り手を蛇の世界へしきりと勧誘する。 わけがわからない。 でも、面白い。 筋が、あるようなないような。 おとぎ話にありがちな説教臭いお話かと途中まで思ったがとんでもない、作者のいう「うそばなし」そのもので、シュールで不条理、教訓なんてこれっぽっちも含まれてなどいないように思える。 3作品とも、どこにもない、似たような話すら一度も読んだことのない話だった。 それでいて、どこか生々しくリアル。 「蛇を踏む」も面白かったが、自分の好みは、「惜夜記(あたらよき)」だ。 さまざまな小さなエピソードを積み重ねて大きなイメージが構築されている。 単純で分かり易い文章は、意味の不明瞭な単語など一語もないにも関わらず、 全体としてみたら予測不可能で不条理な不思議な世界を形作っている。 その世界は独自なルールや法則に従って成り立っていて、妙に違和感がなく説得力がある。和田淳のアニメの世界のように摩訶不思議な視覚的イメージが鮮やかに次々と浮かんでくる。 それは、これまで触れた物語の中でも群を抜いて美しく、艶かしくて、楽しかった。 2013.10.18読了

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    投稿日: 2013.10.22
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    短編集。自分には難しかったです。『蛇を踏む』と『消える』は文庫本の裏表紙を読んだので少しは理解出来たけど『惜夜記』は読み終えて「何と無くこうかなぁ?」って思う程度の理解しか出来なかった。 解らなかった言葉メモ:大黒=僧の妻。月下氷人=仲人。惜夜=そのままむなしく過ごすには惜しい、価値のある夜。

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    投稿日: 2013.10.15
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    再読。3つの短篇を収録。篇中の表題作『蛇を踏む』は1996年上半期芥川賞受賞作。当時は、これまでにはないまったく新しいタイプの小説だっただろう。もちろん、今でも川上弘美の作品は強い個性を放ち、独特の位置を占めているのだが。ご本人によれば「うそばなし」ということになるのだが、その「うそ」の奇妙なリアリティにこそが、まさにこの人の作品世界の固有性なのだろう。そして、文体のしなやかさが、それを支えている。しかも、しなやかでありながら存外に強靭でもあるのだ。不連続線を一気に飛び越えて世界を構築してしまうのだから。

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    投稿日: 2013.09.26
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    文章によってしか起こされない脳内の解放があって、それを体験する。 意識が空間に溶け出して、失くなってしまうみたいだ。

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    投稿日: 2013.08.26
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    粗筋にしてしまえば奇妙で不気味で説明のつかない「うそばなし」なんだけれど、それを「あり得ない」「意味がわからない」と思わせない説得力を感じた。 「そういうものなんだ」と、この現実から少しずれた世界の決まりごとに、すんなり納得させられてしまう。 それは言葉に無駄がなくて、文章がするりと頭に入ってくるからなんだろう。 受け入れ難いはずの異物が体の中に、まるで蛇が体を這わせて忍び込むみたいに入ってくる感触は気持ち悪くて、でも妖しくて艶かしくて気持ち良い。癖になるくらいの、気持ちの良い気持ち悪さ。

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    投稿日: 2013.08.03
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    生物のきりがないのと同じに、 言葉とことばにもきりがない。 するすると読んでいたのに、気づけば助詞と名詞の、動詞のきりがない。

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    投稿日: 2013.07.25
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    この世界にうまく馴染めない人間の、世界に対する違和感。自分と他人が違う人間で、違う考え方を持っていて、そうであることが当たり前だ、ということとは違った次元での、もっと本質的な、違和感。極端なことを言えば、あれ、私はみんなと同じ種類の「人間」だっただろうか、という疑いにもたどり着くような。そんな圧倒的な差異に押しつぶされそうにもなる。そこで、『蛇を踏む』、なのだ。ああ、ここに私と同じ感覚を持った人がいる。そう思うと泣けてくる。何だろうこの違和感、の「違和感」を確かな言葉にするということ。言葉にするということは一つの救いになり得るのだ。

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    投稿日: 2013.07.21
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    悪い夢を見ているような、おとぎ話を読んでいるような。そんな気分にさせてもらった。読み進めていくにつれて、こんな世界も本当はあるんじゃないか?と思えてしまった。作者の独特な言葉運びがよい。初めて著者作品を読む方はセンセイの鞄の方がお勧めです。

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    投稿日: 2013.07.14