【感想】新装版 俄 浪華遊侠伝(上)

司馬遼太郎 / 講談社文庫
(12件のレビュー)

総合評価:

平均 4.3
5
4
2
0
0
  • アホな男の物語

    大阪弁でよくいうアホな男の一代記である。国民的作家として名声が高い司馬遼太郎であるが、比較的初期にはこの作品のようにいわゆるエンタメっぽい気楽なものも書いたのだなと再認識させられた。とは言うものの司馬史観はすでにしっかりとしている。主人公の正反対の、幕末の一般武士の情けなさを辛辣にユーモアを持って描き出している。続きを読む

    投稿日:2023.01.26

  • つんどくフォルダの一冊

    2023.10.07 読み始め
    さて、世に棲む日日を途中棄権して、こちらを読むことにしたのだが、目次をちらっと見ると、なにやら長州の文字がある。うーむ、今度も幕末ものを引いてしまったのかな?
    2023.10.13 上巻読了
    ひたすら、おもしろい。極道の原点みたいな生き方や。賭場の銭の山に覆いかぶさって、この銭はわしのもんやと理不尽なことをすらっというとこなんか、極道そのものや。現代でも、こういう人間とかかわりあいになると、普通の人間は対処にこまるもんね。あっちとおなじ土俵のうえでたたかうのもかなんし、ほんま、こまるね。

    2023.10.14 下巻読了
    大阪の漫才を聞いてるみたいに、クスクス笑いながら楽しい時間を過ごさせてもらいました。
    ほんまに、おもしろうごさいました。
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    投稿日:2023.10.15

ブクログレビュー

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  • teshigawara

    teshigawara

    このレビューはネタバレを含みます

    「そんなこと」
     小春は当惑した。めっさと惚れるな、といわれたところで、どうにもならぬことだ。
    「深いのはいかん」
     情愛の深いのは、である。
    「サラサラと行け。万事、水が浅瀬を流れるがごとくさらさらと人の世を過ぎてゆく。そいつで行ってもらいたい。淀みの水のようなおなごは、わいはきらいや」
    「さあ」
     小春は、、くびをひねっている。どうもこの花婿のいうことは片言でよくわからない。
    「要するにやな」
     万吉は、いった。
    「わいは極道屋という稼業がら、いつ死ぬかわからん。あすにも、すぱっと」
     頸を煙管でたたいた。
    「飛ぶかもしれん。その時、わしを偲んで泣きくさる奴が、この世で一人でも居たらかなわん。ぞっとする」
     小春は、ぼう然とした。
    「そやがな。そういうときは、万吉も死にくさったかとさらさらと笑い、あくる日からけろっと忘れてくれるような嫁がええ」
    (やっぱり怪態なお人や」
     小春は万吉をじっと見ている。どう理解しようにも理解しようのない人物であるようだった。

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    投稿日:2021.07.23

  • 臥煙

    臥煙

    国民的作家司馬遼太郎は大阪の出身。本書の主役明石家万吉には筆者の祖父の生涯が反映されているという。町人の街大阪から見た明治維新。

    「手掘り日本史」に紹介されていたのを機に本書を手に取る。江戸とは異なり大阪は一部の町奉行のほかはほとんどの町人の街。司馬遼太郎が大阪の出身ということもあり、心地よい関西弁のリズムが楽しめる。大上段に構えた代表的作品に比べれば、どこか肩の力を抜いて筆者自身が楽しんで書いたように思われる。それだけテンポが良い。

    ”どつかれ屋”として名を上げた極道屋の明石家万吉の生涯。上下巻の上巻は西大阪の港一帯の警備を請け負った万吉が長州藩士たちの上京に出くわし維新の動乱に巻き込まれるところまで。

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    投稿日:2020.03.23

  • 熊本  ててんご

    熊本 ててんご

    破天荒で、いつ死んでもおかしくない。でも、愛嬌があり、憎めない。こんなキャラが、歴史に名を残す幕末期。面白い。

    投稿日:2017.09.09

  • touxia

    touxia

    いや。テンポがいい。スラスラ読める。
    司馬遼太郎の筆がさえている。
    幕末の 転換期に 極道として 生きる。
    素手にして闘うことは,殴られることだ。
    それに耐え抜いて 評価を得る。
    こんな男は 命がいくつあっても 足りないぐらいだ。

    知恵よりも覚悟。
    身体よりも命。

    江戸幕府の侍たちの 情けなさが うきたつ。
    300年も 維持した 武士が あまりにも 無様。
    明石屋万吉の活躍が こっけいで 機知に富んでいる。
    この柔軟性は どこから来ているのだろうか。
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    投稿日:2013.12.12

  • たくぼん

    たくぼん

    このレビューはネタバレを含みます

    江戸末期の任侠モノです。明石屋万吉、晩年の小林左兵衛という実在の人物を描いています。左兵衛は晩年、自分の一生を振り返って、”わが一生は、一場の俄のようなものだ”と言った言葉から題名が付けられている。”俄”とは、路上でやる即興喜劇のことだ。当時、大阪で大いにもてはやされていたようだ。

    万吉は一生、智恵より大事なものは覚悟だと思って生きた。この覚悟が万吉を日本一の侠客にしたと言っても過言ではない。万吉のたった一つの特技は、殴られることだ。半殺しの目に合わされても、音一つあげないのである。最初は憎み、次いで驚嘆し、遂には憎悪や驚嘆が尊敬にかわっていくのだ。あいつは度胸の化け物だとも言われた。ただ、万吉は貧乏人が救われることなら、命を張って悪と戦った。入牢も拷問も”行”のように心得ているのだ。幕府に、当時一番ひどい拷問とされた蝦責めの刑にも耐え、知らず知らず、大阪庶民からあがめられる存在になっていった。

    明石屋万吉は”無官のお奉行”と呼ばれたり”北町奉行”と呼ばれたりした。むろん、大阪には東西奉行はいるが、北町奉行はいない。明石屋のためなら命を捨てるという男達が大阪には3千人いると言われた。万吉は、江戸や他国の博徒のように直属の子分を持たない。ただ、困っている連中に米をくれてやったり、飯を食わせてやったりしているだけだ。彼らはいざという時、万吉の私兵になり、発揮しようとすれば町奉行所以上の武力が十分に出せるほどの身代となっていたのだった。

    そんな万吉の力を、蛤御門の変や戊辰戦争では幕府方が利用する。万吉は幕府方の一柳家の雇われ藩士となったものの、蛤御門の変で都落ちしている長州兵を匿い、逃がした。万吉は自分の役目として、”往来安全”を第一に考え、幕府、長州わけ隔てなく、負傷者を助けた。長州藩の遠藤謹介や桂小五郎なども万吉に助けられたのである。これが維新後、万吉におとずれる様々な災厄から万吉を救うことになるとは本人も考えても見なかったし、そんなことを考えて人助けをしたわけでもなかろう。

    結局、万吉が生涯を通して貫いたのは、与え続けることであった。自分の命・金を困っている人を見たら何も考えず投げ出してしまう。一度会った縁を大切にし、そこに自分の命をかけ、そうすることで、日本一の任侠者と名声を得るようになったのだろう。今まさに生きているときにしか使いようがない自分の命を与えることによって、実はそれより大きな、後世にわたる永遠の名誉を得たのである。

    全2巻

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    投稿日:2013.11.12

  • koba-book2011

    koba-book2011

    久しぶりの司馬遼太郎さん。
    動機は単純で、折角だから大阪に住んでいる間に再読しようかな、と。
    地名に馴染みがあって雰囲気がわかるだけでも、結構違うものです。

    司馬遼太郎さんの長編は中学生くらいまでに、もうホントにほぼ全部読んでいて、これもそうです。
    ただ、改めて読み直すと、「いやあ、この面白さは絶対子供の頃にはわかってなかったなあ」ということがあるので。

    江戸末期から大正時代まで生きた、実在の大阪の侠客、「明石屋万吉」という人のお話。
    司馬遼太郎さんにしては、人物が小さい(笑)。坂本龍馬とか豊臣秀吉とかに比べれば、ですが。
    なんだけど、再読すると矢張り司馬さんらしい。基本、「この男子の生き様、カッコイイ!」という情熱があります。
    でも描写は天の目線から。司馬史観。
    そのギャップが良いんですね。

    無茶苦茶な人の話です。
    最貧の町人の生まれで、丁稚奉公中に父親が失踪。
    母と妹を飢えから救うために、アウトローの生き方をすることを決意。わずか9歳。
    なんだけど、母と妹はほぼ出てきません(笑)。そのへんが、司馬遼太郎、すごい。
    見せたいのは万吉の無茶苦茶な痛快さだけなんですよね。で、ウェットなコト、司馬さん嫌いなんで(笑)。人情物にはしないんですね。
    このあたりが、いいか悪いか別として、山本周五郎でも藤沢周平でもない。正直、稀有ですね。驚嘆です。

    で、明石屋万吉とは何か、という、この小説なりの本質を、剥き身にブレなく貫きます。
    それは、「命とか安定とかを捨ててかかる。肉体の痛みを捨ててかかる」という信念。ココに司馬さんは、万吉の魅力を定めて、一切ブレません。
    言ってみれば、馬鹿なんですよね。その馬鹿さ加減、馬鹿を貫く痛快さ。
    で、実際の万吉さんがドウだったかは知りませんが、司馬さんが好意的に描くからには、司馬万吉は、根っこはやっぱり大阪町人らしいあっけらかんとした合理主義がある。
    なんだけど、「阿呆に死ぬのが自分の商売」と割り切る。
    決して、大義名分や思想のためじゃないんですね。「たまたま」「ご縁」「頼まれたから」「かわいそうだから」という理由なら、死ぬ。なぜならそれが商売だから。
    それが商売、というところが大阪らしい町人らしい合理主義。ただ、基本が大アホな、我が身を投げ打ってるので、何かがねじ曲がって来る。それが痛快。
    見方によっては、後年は民権運動潰しをしたり、要は要人に良いように利用される右翼ヤクザみたいなもの、という一面もあると思いますが。

    子供の頃の万吉の面倒を見る色っぽい江戸芸者のお姐さんが出てきて。あー、司馬小説的には後半出てこないんだろうなあ、と思ってたらやっぱり出てこない(笑)。

    一応備忘録で以下ネタバレ。粗筋。

    9歳で、捨て身の賭場荒しから始まって、10代で頼まれて米相場を喧嘩で崩壊させる。
    これは幕府の相場操作から大阪商人を守った行為。拷問に耐えて何も言わずに放免。一躍、街のヒーロー、親分に。
    なんと小藩に頼まれて、武士になってしまい、「大阪の新選組的な警護組織」の親玉に。
    その間、何度も無茶苦茶な死線を渡っては、生き延びる。

    といったあたりが上巻ですね。
    続きを読む

    投稿日:2013.11.05

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