【感想】霖雨

葉室麟 / PHP文芸文庫
(18件のレビュー)

総合評価:

平均 3.5
1
6
10
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0
  • 凜として生きるには?

     この小説は実在する人物が題材となっています。私は全く存じ上げませんでしたが、豊後日田で、私塾・咸宜園の広瀬淡窓と言えば、かなり有名な方のようです。
     物語の中でも、淡窓の名声は他藩にまで広く知れ渡っていたとあります。しかし、なぜこの私塾が、それ程人気があり、その教育方針がどれほど優れていたかは、当初は今一つわかりません。具体的な説明がないのです。しかも、淡窓は、理不尽な代官の嫌がらせに、立ち向かうと言うよりも、堪え忍ぶ、あるいは小手先で誤魔化す?というスタイルに徹しますので、読んでいても、もどかしくて仕方がない。とは言え、時代は大塩平八郎の乱が勃発する寸前の頃。当然、淡窓自身が、忸怩たる思いだったことは想像に難くありません。そして物語の終盤、ついに淡窓が塾生達を前に、己の考えを披露する場面が訪れます。このスピーチこそが、この小説のキモ、著者の書き表したかったことなのでしょう。
     物語は、淡窓と弟、久兵衛の人生を骨格に、千世と佳一郎というワケありの若い二人が絡むわけですが、この佳一郎のような生き方だけは、したくないなぁと、思
    う次第であります。この部分は作者の創作によって付け加えられたものと思いますが、幕末近く、各地にあったという私塾の一つに広瀬淡窓という、権力におもねることなく、かといって力で対抗するわけでもなく、されど、心持ちだけは、凜として生きた人物がいたことを知るだけでも価値ある一冊だと思います。
     「蜩ノ記」の主人公の様な生き方は、とても無理ですが、淡窓の様な生き方ならあるいは。。。でも、やっぱり無理かな。
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    投稿日:2015.09.30

ブクログレビュー

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  • よむお

    よむお

    時代小説は自分では手に取らないジャンル、人から貸してもらったので読んでみた

    豊後日田(現在の大分県?)で、
    私塾咸宜園(かんぎえん)を主宰する広瀬淡窓と、家業を継いだ弟の久兵衛が
    様々な困難を乗り越えていく様を淡々と描く
    タイトルや各章に「雨」が含まれていて、その雨の表現が秀逸

    響いた本文中の文言
    *********
    「生きるのに値打ちがあるのだ、と教えてくれるのが学問ではありますまいか。
    おのれが生きることが無駄ではないと知れば、おのずから楽しめるというものです」

    鋭きも鈍きもともに捨てがたし、錐と槌とに使いわけなば
    頭の鋭い秀才も、一見鈍く見える努力型も、ひとは皆、使い道しだいであり、
    それぞれの持ち味を尊重すべき

    ひとは生まれながらにして徳を備えているわけではない、と淡窓は考えた
    様々に欠けたところがあるのを埋めるように、目指すものに向かって
    努力を怠りなく続けることができて、初めて人は進化を発揮できる
    その努力を粘り強く見守ることが、ひとを教えるというだ

    「止んだ雨はまた降り出しもしようし、そうでなければ作物は育たぬであろう。
    この世に生まれて霖雨が降り続くような苦難にあうのは、
    ひととして育まれるための雨に恵まれたと思わねばなるまい」
    *********

    やまない雨はない
    代官の横暴、飢饉の時代、大塩平八郎の乱
    ただじっと耐えるだけでなく、学び、教え、行動を続けた広瀬兄弟は
    自らの足で雨が降らない土地へと進むことが出来る人だと思った

    広瀬兄弟が陽の立ち位置なら、臼井桂一郎と元兄嫁・千世は陰の立ち位置だろう
    物事の責任転嫁----桂一郎
    依存--千世
    読んでいる最中は少し嫌悪感も感じてしまいましたが
    読後、考えてみると生きずらい時代においては大方の人がこの二人のような
    かたちで生活していたような気もしてきました
     他人様の短所は、自分の短所
    短所はあるものだと認識しつつ、長所をのばして
    雨が止むのをボケ~と待つのではなく、晴れてる場所に一歩でも進める
    知識と行動力を日々研鑽していきたいと思う
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    投稿日:2023.02.26

  • yashakurno

    yashakurno

    雨になぞらえて困難を書いておりましたが、なんか無理矢理困難さをアピールしていた感じでそんなに困難に見舞われてないように思いました。
    何故に塾が流行ったのかを中心にしてくれれば本望だったなぁと勝手に感じました。続きを読む

    投稿日:2022.10.12

  • yoichiokayama

    yoichiokayama

    豊後日田で、咸宜園(かんぎえん)を主宰する広瀬淡窓と、家業を継いだ弟の久兵衛。
    淡窓と久兵衛へ、お上の執拗な嫌がらせが続きます。
    大塩平八郎の乱など、時代の大きな流れの中で、権力の横暴に耐え、それでも自らの生き方を貫こうとする広瀬兄弟。
    理不尽なことが身に降りかかろうとも、けっして諦めることなく、凛として生きることの大切さを訴えた歴史長編です。

    鋭きも鈍きもともに捨てがたし 錐と槌とに使いわけなば
    頭の鋭い秀才も、一見鈍く見える努力型の者も、ひとは皆、使い道しだいであり、それぞれの持ち味を尊重すべきだというのが淡窓の考えだった。 ー 69ページ

    「ひとが生きていくとは、長く降り続く雨の中を歩き続けるのに似ている。しかしな、案じることはないぞ。止まぬ雨はない。いつの日か雨は止んで、晴れた空が見えるものだ」 ー 109ページ
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    投稿日:2022.10.01

  • kurumicookies

    kurumicookies

    歴史小説作家の中で特に好きな作家。そして知人の紹介もあり、手に取ってみた。

    この作品は、肥後日田で私塾・咸宜園を立ち上げた広瀬淡窓(たんそう)と、家業を継いだ弟・久兵衛が、江戸幕府西国塩谷郡代からの難題かつ理不尽な要求・要望を自分たちの進むべき道として受け入れ、邁進していく彼らの人生に広島から来た二人の塾生が絡み話は進んでいく。

    時の西国塩谷郡代は、淡窓を家臣にすることで、咸宜園の興隆を自分の手柄とするため、何かにつけて、干渉した。また、久兵衛には呉崎での開拓工事を強引進めさせる。

    この干拓工事の際、辞退を進める淡窓に対し、久兵衛が放った言葉が頭に残る。
    「私が断ったからといって、郡代様は干拓をお諦めになるような方ではございません。他の者が押しつけられるだけでございます。難儀する人が出るくらいなら、わたしが引き受けた方がよいかと存じます。」
    皆が辞退する命令を、皆のために行動する強さに人間らしさが感じられず、自分の人生を客観視しているように思え、返って寂しく、久兵衛の孤独感が感じられてならなかった。

    本作での二人は、久兵衛の言動が陰で、淡窓の言動は陽のように感じる。ただ、陽と言っても、明らかな陽ではなく、静かな陽である。

    例えば、淡窓の陽と感じたのは、国本と六弊を呈したことである。
    また、咸宜園の淡窓元に、入塾した臼井桂一郎と元兄嫁・千世だったが、臼井は、のちに咸宜園を去り、大塩中斉の塾・洗心洞に入る。そこで、自分の意思を示せない臼井は大塩の乱に加わることになり、幕府から追われる身となるが、淡窓の元に逃げてくる。そんな臼井を淡窓は「炎では飢えに苦しむひとびとを救うことはできぬ。却って劫火に苛まれるだけだ。求められるべきは炎を鎮め、田畑を潤し、実りをもたらす慈雨ではないか」という信念で助けようとする。
    自分が慈雨になることで、府内藩の仕法を行うこれらの言動においても、久兵衛とは異なる穏やかながら陽の姿勢が感じられる。

    そして、陰と陽に感じる彼らの言動は、まさに父の言葉「止んだ雨はまた降り出しもしようし、そうでなければ作物は育たぬであろう。 この世に生まれて霖雨が降り続くような苦難にあうのは、ひととして育まれるための雨に恵まれたと思わねばなるまい」 に通じている。

    幕末の乱れた時代に生き、自分たちに降り続く雨を将来の恵みの雨として生きる彼らの姿にこの時代の厳しさが伝わってくる。

    私塾として私が知っているのは、吉田松蔭の松下村塾、緒方洪庵の適塾、大塩平八路の洗心洞塾くらい。私の記憶している私塾には恥ずかしながら咸宜園はなかったが、この時代の人々の意欲的かつ成長したいと願う若者たちの生き様を伺え、歴史も勉強できるお勧めの作品である。
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    投稿日:2020.06.05

  • kuwa

    kuwa

    私塾 咸宜園を開いた広瀬兄弟の歴史小説。葉室麟は「乾山晩秋」に次いで2冊目。

    「ひととして大切に思うものを大事にするという当たり前のことこそが、国の根本」の一文が残った。
    何かを成し遂げたいとき、焦らずに真心をもって、当たり前のことをしっかりやっていくことが大切なんだと諭された。

    葉室麟は、綴る言葉が美しく洗練されているから好き。
    「久闊を叙する」なんて知らなかったし、天候の描写が日本的で素晴らしかった。
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    投稿日:2020.03.09

  • kaze229

    kaze229

    道うことを休めよ他郷 苦辛多しと
    同袍友有り 自ずから相親しむ
    柴扉暁に出ずれば 霜雪の如し
    君は川流を汲め 我は薪を拾わん

    ぼんやり覚えていた漢詩と
    歴史上の一人物として
    なんとなく知っていた広瀬淡窓さんが
    ようやく姿かたちを
    私の中でとらえることができたような
    そんな一冊になりました

    歴史の教科書に
    ゴシック体で書かれた事柄や人が
    動き始める
    時代小説を読む
    楽しみの一つですね
    続きを読む

    投稿日:2020.02.02

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