【感想】クビライの挑戦 モンゴルによる世界史の大転回

杉山正明 / 講談社学術文庫
(10件のレビュー)

総合評価:

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  • 幻の大元・ウルスの大航海時代は訪れず、明は鄭和の大艦隊ではなく万里の長城を選ぶことになった。

    1説によると4000万人を殺したというチンギス・カンや元寇からモンゴル帝国・元は「文明の破壊者」という野蛮なイメージがある。イランやイスラームの凋落、ロシアの「タタールのくびき」そして最も悪者イメージを持つのは中国史においてだ。しかし、どうやらこのイメージは多くが清の時代に作られた様なのである。満州族の清は漢人から夷狄と呼ばれるのを嫌がり少しの批判でも処刑した。その鬱憤が元の悪口に向かったと言うのだ。

    1260年チンギスの孫の時代、第四代モンゴル帝国皇帝モンケの弟フレグがシリアに侵攻中にモンケの崩御の報せが届いた。モンゴル軍はマムルーク朝エジプトに破れモンゴルの西方への拡大はここでほぼ止まる。兄クビライの即位を聞いたフレグはイランにフレグ・ウルス(国)を立ち上げた。アフガンあたりにはチャガタイ・ウルス、中央アジアからロシアにかけてのジョチ・ウルスそしてモンゴルから華北に広がり南宋を滅ぼすクビライの大元・ウルスと書くとモンゴル帝国が分裂した様に見えるが元々遊牧民族は緩やかな連合国家のようなものでカンあるいはハンは王の称号でその王達の上に大カアン(皇帝)がいる。クビライは大元・ウルスのカンでありモンゴル帝国のカアンとなったのだ。

    クビライについては37才で表に出るまで目立った記録が残っていない。しかし帝国を代表する姻戚集団と譜代集団の長が義兄にあたりこの集団を代表する形で力を持ったらしい。クビライの兄モンケは数カ国語を自在に操りユークリッド幾何学や古今東西の諸学に通じた才人であった。そしてクビライは科挙を廃止する代わりに実力主義でアラブ商人や江南の水軍、中華の官僚制度と何でもとりあげ世界貿易システムを作り上げた異才である。モンゴル騎馬軍団の武力、直轄する当時最も豊かな中華特に江南の経済力、そしてその富を循環させるムスリムの商業力がその力の源泉である。

    大都(北京)を首都にしたのも明らかな理由がある。遊牧民らしく夏は北に上がり冬は南に降りるという2首都体制の大元なのだがクビライの最初の根拠地は西安でモンゴル全体からするとよほどこちらの方が中心に近い。中央アジアと中華の接点だけであれば北京と言う場所はあまりにも辺境によりすぎている。しかし西安になく北京にあるものが水運だ。北京と郊外の通州を結んだ運河は大都の中央の湖につながっている。また当時世界最大の都市だった杭州と通州を結ぶ京杭大運河を復活させたのもクビライだ。北京の直轄港としてこれも水運でつながった直沽(天津)を整備した。大元という国号も首都の大都、年号の至元とセットでテングリ(天)を表すものだ。クビライの構想では海上の通商網が重視されているだから北京が首都になったのだ。同時に陸上交通網も整備され中央アジアの全ての道と駅伝網は夏の都、上都につながっている。

    戦争の手段もなかなか独創的である。一機に攻めると言うのではなく南宋攻略には非常に時間をかけており一度はこのため皇帝モンケから実権を奪われかけた。華北の地は北宋の時代に金と南宋の時代にすっかり荒れ果てており現地調達が兵站の基本になるので牧草地でないと騎馬軍団は役に立たない。黄河、長江等が障壁となる以上に華北地域の荒廃が万里の長城以上の大きな壁になっていた。クビライは黄河沿いの開封を根拠地として漢水上流の襄陽を包囲、しかしまともに城攻めはせずやっているのは土塁を築いて少数を残し、籠城側が攻めて来たら飛び道具で追い払うという黒田勘兵衛の様な戦だ。この間に漢水から長江に入り南京を攻めるために水軍を作り軍事演習を行っている。兵站については商人が集まってきている。南宋の水軍を討ち果たし、降伏した南宋軍や人民を優遇して自軍に取り込みなかでも襄陽の主将、呂文煥を見方にしたのが大きく長江中流の鄂州(現在の武昌)を落とすとその後もほぼ戦闘らしいものはなく南宋は滅びた。

    元寇自体が南宋攻略の一環であり、実際に主力となったのは江南の水軍である。当時人類史上最大の外洋大艦隊であったが純粋な戦闘部隊は高麗から来た東路軍でむしろ残りは移民船団だったようだ。3回目の元寇は内戦とその数年後にクビライがなくなり見送られることになった。しかし、もし元寇が成功していたらと想像してみるとおそらく日本の自治は守られていただろう。役立たずと見られた制度は廃止されたかも知れないが博多が世界との貿易港として栄えイスラム商人もやってきていたことだろう。大元ウルスの国家経営は塩の専売が80%で関税は撤廃され、最終売り上げ地で1/30の売上税(商税)がかかる。農業生産物の収入は地方政府のもので農本主義ではない重商主義の国は歴史上この後当分現れない。国税が3.3%だけでそれは銀の恩賜として配られその銀を元にした商人への貸付がまた商税として還流する。

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    投稿日:2015.01.05

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  • 司書KODOMOブックリスト(注:「司書になるため勉強中」のアカウントです)

    司書KODOMOブックリスト(注:「司書になるため勉強中」のアカウントです)

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    [通商帝国・大モンゴルが世界史の流れを変えた。本当に「野蛮な破壊者」だったのか? 西欧中心・中華中心の歴史観を覆す。13世紀初頭に忽然と現れた遊牧国家モンゴルは、ユーラシアの東西をたちまち統合し、世界史に画期をもたらした。チンギス・カンの孫、クビライが構想した世界国家と経済のシステムとは。「元寇」や「タタルのくびき」など「野蛮な破壊者」というイメージを覆し、西欧中心・中華中心の歴史観を超える新たな世界史像を描く。サントリー学芸賞受賞作。(講談社学術文庫)]

    「著者は、京都大学でモンゴル研究に取り組み、従来の定説を次々とくつがえす刺激的な議論を展開する気鋭の学者です。世界史の教科書に必ず載っている事項について、オゴタイ・ハンは存在しなかった、マルコ・ポーロは実在したか疑わしい、等新説を発表している。ー思い込みと伝説に彩られたモンゴル帝国の歴史を、新しい視点でズバズバと斬っていく杉山説は、読んでいるだけで楽しく、次から次へと新しい発見があります。みなさんもぜひそんな快感を味わってみてください。杉山さんの他の本もおすすめの力作。」(『世界史読書案内』津野田興一著 の紹介より)

    第一部 あらたな世界史像をもとめて
     1 モンゴルとその時代
      モンゴルの出現/目に見えるユーラシア世界/モンゴル時代のイメージ
     2 モンゴルは中国文明の破壊者か
      奇妙な読みかえ/杭州入城の実態/政治ぬきの繁栄
     3 中央アジア・イランは破壊されたか
      チンギス・カンの西征と「破壊」/中央アジアでの「大虐殺」/中央アジアは駄目になっていない
     4 ロシアの不幸は本当か
      「タタルのくびき」/アレクサンドル・ネフスキーの評価/ロシア帝国への道
     5 元代中国は悲惨だったか
      抑圧・搾取・人種差別はあったか/科挙と能力主義のはざま/元曲が語るもの
     6 非難と称賛
      文明という名の偏見/極端な美化という反動
     7 世界史とモンゴル時代
      ふたしかなシステム論/世界史への視角
    第二部 世界史の大転回
     1 世界史を変えた年
      アイン・ジャールートの戦い/戦いのあと/ふたつのモンゴル・ウルスの対立/モンケの急死
     2 クビライ幕府
      クビライの課題/混沌たる東方/なぜ金蓮川なのか/あるイメージ
     3 クビライとブレインたち
      モンゴル左翼集団/謎のクビライ像/政策集団と実務スタッフ/対中国戦略
     4 奪権のプロセス
      鄂州の役/クビライの乱/世界史の大転回
    第三部 クビライの軍事・通商帝国
     1 大建設の時代
      なにを国家理念の範とするか/第二の創業/「首都圏」の出現/大いなる都/海とつながれた都/運河と海運、そして陸運
     2 システムとしての戦争
      おどろくべき襄陽包囲作戦/南宋作戦のむつかしさ/戦争を管理する思想/モンゴル水軍の出現/新兵器マンジャニーク/驚異のドミノくずし現象/中国統合
     3 海上帝国への飛躍
      南宋の遺産/世界史上最初の航洋大艦隊/海洋と内陸の接合
     4 重商主義と自由経済
      クビライ政権の経営戦略/国家収入は商業利潤から/銀はめぐる/ユーラシアをつらぬく重量単位/紙幣は万能だったか/「高額紙幣」は塩引/ユーラシア世界通商圏
     5 なぜ未完におわったか
      モンゴル・システム/早すぎた時代/記憶としてのシステム/ふりかえるべき時
    あとがき
    学術文庫版あとがき
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    投稿日:2023.08.16

  • Moe

    Moe

    いつも書いている事だが、やっぱり歴史の面白さがわからない…
    書いてある事実の理解はある程度できるが、それのどの部分に面白さを見出すのかがわからない。

    今とても流行っているcoten radioも聞いていたが、やはり歴史の面白さをあまり感じられない私は何かおかしいのだろうか…
    おかしいと言うよりも頭が悪いのだと思う。

    ====
    ジャンル:グローバル リベラルアーツ
    出版社:講談社
    定価:1,122円(税込)
    出版日:2010年08月10日

    ====
    杉山正明(すぎやま まさあき)
    1952年、静岡県生まれ
    京都大学大学院文学研究科教授を経て、京都大学名誉教授、2020年没

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    flier要約
    https://www.flierinc.com/summary/2994
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    投稿日:2022.05.15

  • 敬仲子

    敬仲子

    このレビューはネタバレを含みます

    著者らしく、既存概念へのアンチテーゼを強調しているのか、モンゴルへの称揚と伝統中華やヨーロッパへの批難が激しい。特に明朝に対しては手厳しい。残虐なモンゴルへのイメージ脱却のため、世界帝国形成の間の戦況を説明し、モンゴル征服後も人口の大幅な減少が起こっていないこと、都市の繁栄は続いていることを強調する。モンゴルの快進撃は、イスラーム帝国が急激な膨張をしたように、改宗を迫らなかったこと、降伏させて経済的に取り込むことを優先したことが挙げられる。
    クビライが大元大蒙古帝国として志向したのは、経済統合による世界システムだった。ムスリム商人を取り込んでの自由経済の奨励と、そこからの商税、そして大半を占めるのが塩の専売から上がる富が中央政府の財源であり、その富を各地の王室へ銀として賜与して政治的に繋ぎ止め、各王室は賜与銀をムスリム商人へ投資し、商税として回収する。そうした経済的な点と点の支配がクビライ構想の支配体制だった。
    モンゴル帝国が崩壊した理由を、世界的な寒冷化天災を一因ともしつつ、クビライのシステム構想が早すぎ技術的条件が整っていなかったためとしている。私見では、時代的な早さもだが、勢力拡大時に極力現地文化制度をそのままにしたため、強固なシステムを構築・根付かせることができなかった速さが大きな要因だと思う。

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    投稿日:2022.01.10

  • 山口 公大 / Kota Yamaguchi

    山口 公大 / Kota Yamaguchi

    歴史の教科書では学べなかった、歴史上世界最大のモンゴル帝国でなされていたことがわかる本。どこまでが事実かわからないものの、かなり現代化されたシステムが1300年代にあったかもしれないことがわかる。

    投稿日:2022.01.02

  • まりも

    まりも

    クビライは、各王族が自立的な動きを見せながらも大カァンを中心とするシステムをユーラシア大陸に築きあげた。元を中国史の王朝交代の文脈でみるとスケールを誤るのは分かった。

    投稿日:2020.04.07

  • コジコジ

    コジコジ

    元々史書の習慣がない遊牧民のため「元朝秘史」など限られた文献しか残されていないモンゴル帝国。ゆえに破壊者の歪んだイメージが先行しがちだが、彼らの功績にスポットを当てる。

    いまの世界史の起源は東西を結び付けたモンゴルだと思うし、通商により世界を活性化させたのはチンギスでありクビライであろう。殺戮者という一方の見方の裏側を、被支配国からの視点で分析したのは面白い。続きを読む

    投稿日:2014.09.04

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