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内田樹 / 光文社新書 (60件のレビュー)
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1
「キマイラ」がよく分からなかった
何ができるようになるのか分からないまま、師の命じる通りのことを、意味が分からないままやる、というのは、「下流志向」その他でお馴染みの内田教育論。至極ガテンがいくのだが、その先の「キマイラ」が正直よく分…からなかった。格闘する両者がキマイラと化し、自分が主導権を握る、というのなら、相手は弟子以外あり得ないじゃないか、と思ってしまう。自分に格闘技の素養が無いからだろうか? 合気道やれば分かるのだろうか?続きを読む
投稿日:2014.04.10
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佐助
この作家さん、武道家さんを知る最初の一冊‼️ 今後の期待を込めての星4つ‼️ 分かりやすい文章に好感が持てた‼️
投稿日:2024.02.02
ピッピ
哲学を論じたりしていると同時に合気道の稽古を40年も続けているとは尊敬に値します。継続とは力なりで私も長く稽古を続けられるものを身につけたかったと思います。 さて、内田先生が合気道を始めたきっかけは自…身の弱さを自覚していたから。身体的に虚弱であるために普通は強くなりたいと考えるのですが、先生の場合、自身の弱さの構造と機能について研究することだというのですから、いかにも哲学者らしい。 修業とは「いいから黙って言われた通りのことをしなさい」という理屈抜きのもの。努力すれば報われる、とか結果がこうなるとかではない予測不能、始める前は意味不明であくまで事後的、回顧的なもの。「努力とは一種の商取引である」という風潮からすると理解できないだろうと言います。 そして、稽古で身につけるべきもっとも大切な能力は、「トラブルの可能性を事前に察知して危険を回避する力」すなわち「生き延びるため重要な力」だと言います、稽古での力を発揮する場は現代では、生業の現場となります。ここでは集団をひとつにまとめる力が必要になります。非常時には「自我」がリスクになる。とは象徴的な言葉です。 昨今の雑踏での死傷事故や安易なsns利用で巻き込まれる事件などが思いあたります。 遥か昔に人類が身につけていた危険回避や集団で動く習性は生き延びるために必然でした。他者と共生する技術、同化する技術が、一見便利で安全と思われる現代では、より養わなければならない力なのでしょう。 この他にも、弱さと無知は同一の構造で変化することへのつよい抑制だと述べています。「無知」とは学び変化することを妨げる力である。学校教育がなすべきことは、学生の頭にぎっしり詰まって、どろどろに絡みついて、ダイナミックな「学び」の運動を妨げているジャンクな情報を「抜く」ことだというのは流石です。今の世の中、情報はネットの海に溢れそれに溺れている者を救うのは容易なことではありません。続きを読む
投稿日:2022.11.10
explorer1048
このレビューはネタバレを含みます
問い 修行とは何か。 自分はどのように修業すべきか。 答え 修業は、「私の心身のパフォーマンスを低下させる要素」を最小化(できれば無化)することを目的として行う。それは、実はめざしていたものとは異なるものが得られる過程でもある。 「道場は楽屋であり、道場の外が舞台である」。舞台とは「真剣勝負の場」である。生業と稽古は表裏一体のものでなければならない 要するに、生業でのパフォーマンスを上げるために修業する場を自覚的にもつということ。 キーワード 修業、天下無敵、石火の機、卒啄の機、木偶坊・操り人形・案山子、弱さ・無知、居着き、科学的と科学主義的、鍛える発想、稽古、瞑想、額縁、狐疑・駝鳥、キマイラ的身体・複素的身体、自我着脱の訓練、安定打座、「我なし、敵なし」、ブリコロール、無刀の刀 抜粋 因果論的な思考が「敵」作り出す (武術は、)実践的な意味での生き延びる力である。 戦場では、先頭能力として示される力が、平時では例えば統治能力として顕現する。生き延びるためにもっとも重要な能力は、「集団をひとつにまとめる力」 「敵」とは「適切な方法を採れば、事前に除去しうるパフォーマンス向上の阻害要因」 「無敵」とは「私の心身のパフォーマンスを低下させる要素」を最小化(できれば無化)することが意味する。 「額縁」というのは、「絵を囲っているもの」である。「この中に描かれているのは現実ではありません。絵です」ということを私たちに指示するのが額縁の役割である。=「現実と非現実の境界線」 目の前に出現した「もの」に、最適の「意味の度量衡」をあてがうこと 「額縁を見落としたものは世界のすべてを見落とす可能性がある」 「私たちが適切に生きようと望むなら、そのつど世界認識に最適な額縁を選定することができなければならない」 瞑想のもたらす最も重要な達成は「他者との同期」である 「今・ここ・私」という不動の定点と思われたものから離脱して、「今」ではない時間、「ここ」ではない場所、「私」ではない主体の座に移動することである。 人間は汚れた場所では祈ることができない。祈りとは幽かなシグナルを聴き取ろうとする構えのことである。祈るためには五感の感度を最大化しなければならない。 (天才は)修業が不要な人のことではない。天才とは、自分のしているルーティンの意味を修業の早い段階で悟り、それゆえ、傍からから見ると「同じことの繰り返し」のように見える稽古のうちに、日々発見と驚きと感動を経験できる人のことである。
投稿日:2021.09.16
black89696
手軽に読めるエッセイだけど噛めば噛むほど味がでる書物(あとがき)なのが、内田先生らしい良書です。 この方、物凄く頭の良い方だと思うので、権威ばって難しく書こうとすればいくらでもできるのでしょうけど、ど…うやら無知蒙昧なバカな子供(私も含め)を啓蒙することをご自身の天職とお考えのようです。本書のテーマの一つに、「修行や学びは成し遂げた後になって初めて回顧的に理解できるように構造化されている」ということで、本来は、「分かってる人たち」と「分かりようもない人たちたち」に分断されているばずなのですよね。低いレベルに居着いている我らには、文字通り想像もつかない世界があり、そこは本来隔絶されてるのだけど、そこをできるだけ分かりやすく架橋しようとして不思議なサービス精神を発揮しておられ、なかなかこういう人はいない(だから人気)と思うのです。 内田先生には多くの著作があるのですが、「学び」を語らせると真骨頂で、根っからの教育者なのだろうと思いました。 あと、瞑想の章で、「自我は額縁であり、必要なときには着脱できなければ危機を生き延びることは難しい。その訓練が瞑想なのだ。」とありました。 レベルが異なる話かもしれませんが、コロナ禍で大量発生している歪んだ自我の洪水を見るにつけて、「生き残れない集団なんだな我々は…」と感じています。続きを読む
投稿日:2021.08.08
ikuwow
時代遅れに聞こえる修行というものの意義がよく分かる。いつの間にかこんなところにきていた、というのが修業の成果。最後の坂本龍馬の話は読み飛ばし。
投稿日:2021.07.31
naosunaya
合気道を素人なりに齧っていると繰り返し聞かされる言葉に、「合気道の最強の技はなんですか?」との問いに塩田剛三先生が答えたという「自分を殺しにきた相手と友達になることさ」というのがあります。 合気道に…も流派がありますが、著者の「武道家が目指す『天下無敵』とは、誰にでも勝つということではなく、、だれとも敵対しないこと」との趣旨の言葉も究極的には同じことを指しているのでしょう。 著者は、ここからそもそも敵とは何か、と考察を深めて、「私の心身のパフォーマンスを低下させるもの全て」と捉え直します。つまり敵が目の前にいないということは今の自分が可能な限り平静である、ということになるのですが、これをさらに進めると平静で無くなる「私」とは何か、という話になってきます。こうして、相対するものと相和す、気を合わせる、すなわち合気道とは決して神秘論ではなく、不測の事態に反応して押し勝つのではなく、外的な全てと同期する技術だということ、それは多かれ少なかれ武道に共通する思考回路だということが解き明かされていきます。 著者の議論はつねに著者本人の経験から語られるので、例えば西洋やアジアの他の国ではどうなのか、といった、普遍性のある議論にはつながっていきません。しかし、個人の体験として確かに腑に落ちるものを含んでいます。 戦前から、政治家や軍の将軍などが道場で稽古に励んだと言いますが、それは外敵を路上で倒すためではもちろんなくて、こうした瞬時の平静、言い換えれば危機での判断を研ぎ澄ますためのトレーニングだったとの捉え方は、まさに現代に生きる我々にとっての「修業」の的確な要約なのでしょう。 続きを読む
投稿日:2021.04.04
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