【感想】大衆の反逆

ホセ・オルテガ・イ・ガセット, 桑名一博 / 白水Uブックス
(7件のレビュー)

総合評価:

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  • 近代科学と大衆化の力

    オルテガは、社会で大衆が完全に社会的権力の座についている事実を指摘し、大衆は自分自身を指導することもできず、まして社会を支配することなど到底無理なのだから、この事実は社会が危機に見舞われていると警告しています。

    オルテガは、大衆という言葉を「平均人」という意味で使っていますが、今の社会に生きるほとんど全ての人はこの部類に含まれてしまうと思います。オルテガは社会を構成する人々を優れた少数者と大衆とに分けて考えています。優れた少数者は自らに多くのことを課して困難や義務を負う人々であるのに対して、大衆は自らに特別なことは課さず、与えられた生をただ保持するだけで自己完成の努力をしない人々です。これは、貴族と平民という分け方とも異なっています。

    世が大衆化するまでは、政治は優れた少数者によって舵取りがなされてきたのです。しかし、大衆化した世界では大衆が政治の座に就いています。大衆は自ら社会を支配することは無理だというのに、社会の中心に就いているのです。

    大衆とは何者でしょうか。オルテガは、大衆の典型を近代の知識人の代表である科学者に見るのです。科学者は大衆人の典型とされていますが、それは偶然のせいでもなければ、科学者の個人的欠陥によるものでもなく、科学(それは近代文明の基盤であるが)そのものが、科学者を自動的に大衆に変えていくのだとオルテガは主張しています。

    科学者は近代の原始人、近代の野蛮人になってしまっています。ガリレオなどの数世紀前の科学者は別として、近代の科学者は、良識ある人間になるために知っておくべきことのうち、ただ一つの特定科学を知っているだけで、しかもその科学についても、自分が実際に研究している分野にしか通じていないのです。近代は科学によって物質的な豊かさを実現したのですが、同じ科学によって人が大衆化されてしまったのだというのです。深い洞察によって導き出された鋭い意見だと思います。
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    投稿日:2014.05.10

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  • k-masahiro9

    k-masahiro9

    このレビューはネタバレを含みます

     言葉は乱用されてきたために権威を失墜した。他の多くの物の場合と同じように言葉の場合も、乱用とは道具としての限界をわきまえず、勝手気ままに使用してきたことである。約2世紀前から、話すとは「都市に向けて世界に向けて」urbi et orbi 話すことだと信じられてきた。これはとりもなおさず、すべての者に向かって話し、誰に対しても話さないということである。私はこのような話し方が嫌いであり、誰に向かって話しているのか判然としないときには心の痛みを感じるのである。(p.10)

     歴史とは人間の現実である。それ以外ではない。現在あるがごとき歴史は、人間の現実の中で形成されたのである。過去を否定することはばかげたことであり、虚妄である。なぜならば、過去とは「人が全速力で駆け戻るところの自然なるもの」であるからだ。過去はそこにあるのではない。そして過去から現在への時の推移という営みは、われわれが過去を否定せんがために行われたのではなく、逆にわれわれが過去を完全なものにするようにとなされたのである。(p.24)

     俗ラテン語のもうひとつの恐るべき特徴は、ほかでもなくその均質性である。おそらく飛行家に次いで物に動じない人種である言語学者たちは、カルタゴ、ガリア、ディンヒタニア、ダルマチア、イスパニア、ルーマニアといったまったく様相を異にする国々が同じ言葉を話している事実に驚いた形跡がない。しかし私はかなり小心なので、風が葦原の葦を一様になびかせるように猛威をふるうその言語を見ると、その事実に戦慄せざるを得ない。私にはただただ獰猛なことに思われるのだ。実を言えば私は、外面的には静的な均質性と思われるものが、その内部においてはどのようなものであったかを想像しようと努めているのである。つまり、右に述べた静的な事実の下にひそむ動的な現実を発見しようと努めているのだ。(p.32)

     物事に驚くこと、不審に思うことは、理解しはじめることである。それは、知的な人間に特有のスポーツであり、ぜいたくである。したがって知的な人間に特有な態度は、驚きの気持に見開かれた瞳で世界を見ることにある。しっかりと見開かれた瞳にとっては、この世にあるすべてのことが驚異であり、不思議である。この、不思議さに目をみはるということはフットボール選手には認められていない楽しみであるが、知的な人間のほうはそれとは反対に、この楽しみに導かれて世界を歩きまわり、たえず幻視者の陶酔を味わうのだ。驚きに見開かれた目こそ知的な人間の属性なのである。それだからこそ古代の人びとはミネルヴァに、つねに目を光らせた鳥である梟を与えたのである。(p.51)

     群衆は突如として姿を現わし、社会の中で最も好ましい場所にいついてしまった。以前はたとえ存在していても、人に気づかれず、社会という舞台の背景にひそんでいたのだが、今では部隊の前面にでてきてライトを浴び、主要人物になっているのだ。もはや主役はいない。舞台にいるのはただ合唱隊のみである。(p.52)

     われわれはたった1人の人間を前にしても、その人間が大衆であるか否かを知ることができる。大衆とは善きにつけ悪しきにつけ、特別な理由から自分に価値を見いだすことなく、自分を「すべての人」と同じだと感じ、しかもそのことに苦痛を感じないで、自分が他人と同じであることに喜びを感じるすべての人々のことである。(p.54)

     もしも大衆を構成している個人個人が、自分には特別な才能があるのだと信じているとしても、それは個人的な錯覚の一例にすぎず、社会的な秩序紊乱とはならないだろう。現代の特徴は、凡俗な人間が、自分が凡俗であるのを知りながら、敢然と凡俗であることの権利を主張し、それをあらゆる所で押し通そうとするところにある。北アメリカで言われているように、他人と違っているのは下品だという考え方だ。(p.58)

     18世紀までの人間と19世紀の産んだ新しい人間とを並べてみると、彼らすべては結局のところ親類同士で、あい似通い、本質的な点ではまったく同一でさえあるのがわかる。あらゆる時代の「民衆」にとって、「生」とは何よりもまず制約、義務、隷属を、一言で言えば、圧力を意味してきた。(p.100)

     われわれが今までに知り合った自発的な努力、必要にせまられない努力をするごく少数の人たちは、われわれの経験のなかではほかのひとたちから離れたところに位置し、いわば記念碑的な存在になる。彼らは選ばれた人、高貴な人、真に活動的な人、反応だけでは行動しない人である。そうした人たちにとって、生きるということはたえざる緊張であり、普段の鍛錬なのである。鍛錬=askesis。彼らは苦行者なのだ。(p.110)

     今日の大衆人は以前のいかなる時代の大衆人よりも利口であり、より多くの知的能力をそなえている。だがその能力も、彼らのためになんの役にも立っていない。厳密にいうと、能力をそなえているという漠然とした意識は、彼が自分のなかに閉じこもり、能力を使わないことに役立っているだけである。大衆人は偶然が彼の内部に堆積したきまり文句、偏見、思想のきれはし、あるいは無意味な言葉の在庫品を断固として神聖化し、それを大胆にもあらゆるところで他人に押し付けているが、その大胆さたるや、彼らが単純だからというほかには説明のしようがない。(p.115)

     政治家が計画したり実行したりすることの善悪を判断し、賛成したり反対したりはしたが、彼らの行為は、他人の創造的行為を肯定的あるいは否定的に反響するだけに限られていた。彼らにとっては、政治家の「思想」に対してそれとは違った自分の思想を対置したり、自分が持っていると思い込んでいる別の「思想」の法廷から政治家の思想を裁くことなど、思いも及ばないことだった。この態度は芸術についても、また社会生活の他の面についても同様であった。自分には理論的に物を考える資質がないという、彼らが生まれながらに持っている限界の意識がそうすることを妨げたのである。(p.116)

     敵と共存する!反対者と共に政治を行う!このような愛は、もはや理解しがたいものになり始めているのではなかろうか?反対派の存在する国がかくも少なくなりつつあるという事実ほど、現代の様相を明白に示しているものはない。ほとんどすべての国において、均質的な大衆が社会的権力の上にのしかかり、あらゆる反対派の集団を圧迫し絶滅している。大衆は(中略)大衆でない者との共存を望んでいないのだ。大衆でない者を徹底的に憎んでいるのである。(p.122)

     専門家は知者ではない。というのは、自分の専門以外のことをまったく何も知らないからである。と言って、無知な人間でもない。なぜなら、彼は「科学者」であり、彼が専門にしている宇宙の小部分についてはたいへんよく知っているからだ。われわれは彼を知者・無知者とでも呼ばねばらないだろう。これはきわめて重要なことである。というのは、そうした人間は自分が知らないあらゆる問題についても、無知者として振舞わずに、自分の専門分野で知者である人がもつ、あの傲慢さで臨むことを意味しているからである。(p.161)

     この補償のない一方的な専門化がもたらした最も直接的な結果は、今日、かつてないほど多数の「科学者」がいるにもかかわらず、「教養人」は、例えば1700年ごろに比べてもはるかに少ないという事実となっている。(p.162)

     彼は、国家が人間の創造物であり、何人かの人びとによって考えだされ、昨日までは人間のなかにあったある種の美徳や前提条件によって維持されており、明日には雲散霧消してしまうかもしれないという自覚は持っていない。その一方で、大衆人は国家のなかに匿名の権力を見るが、彼らは自分自身を匿名(俗衆)だと感じているので、国家を自分たちのものだと信じている。(p.169)

     今日、文明を脅かしている最大の危険は次のことである。つまり生の国有化、国家による介入、国家による社会的自発性の吸収。すなわち、究極において人間の運命をささえ、養い、推し進めている歴史的自発性の抹殺である。(p.170)

     私はこのことを、ヨーロッパはすでに支配するのをやめたなどと、子供が持つあの無意識さで告げている人たちに言いたいのである。支配するとは人びとに仕事を与えること、人びとをその運命の中に、その軌道のなかに入れることである。つまり、逸脱を防ぐことである。逸脱は放浪、空虚な生、悲嘆となるのが普通である。(p.188)

     創造的な生は、厳格な節制と、高い品位と、尊厳の意識をかきたてる絶えざる刺激を前提としている。創造的な生とは活力に満ちた生であり、それはただ、次の二つの状況下において飲み存在可能である。すなわち自ら支配するか、われわれが支配権を完全に認めている者が支配する世界に住むか。つまり、支配するか服従するかである。しかし服従するということは忍従することではなくーー忍従は堕落であるーーその反対に、支配する者を尊敬してその命令に従い、支配者と一体化し、情熱をもってその旗の下に集まることである。(p.197)

     国家の創造は、いくつかの民族の知性が、共存の一形式である伝統的な共同携帯を捨てさるだけでなく、いまだかつて存在しなかった新しい共存形態を想像することができなければ達成しえない。(p.208)

     明晰な頭脳の持ち主とは、そうした幻影的な「思想」をふり捨て、生を直視し、生にあってはいっさいが問題を含むことを認め、事故を迷える者と自覚する者である。これは紛れもない真実であるからーーつまり、生きるということは自分を迷える者と自覚することだからーーこの真理を受け入れた者はすでに自分を見いだし始め、事故の真正なる現実を発見し始めているのである。彼はすでに確固たるものの上に立っているのだ。(p.211)

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    投稿日:2021.04.19

  • wordandheart

    wordandheart

    このレビューはネタバレを含みます

    大衆社会論の草分け的な書だが、その内容がよく知られているとは言えないだろう。
    オルテガは大衆の典型がすなわち科学者であるとしているところがユニークで、一般的にイメージする大衆社会論とは若干趣を異にする。科学はその発展のために科学者を専門分化させてきたが、科学者は自分の専門分野には詳しいがそれ以外のことは何も知らない、いわば「知者・無知者」としか呼べないものとなってしまった。「科学の他の分野や宇宙の総合的解釈との接触をしだいに失って」きたが、「宇宙の総合的解釈こそ、ヨーロッパ的科学、文化、文明の名に値する唯一のもの」である。ところが、この世界全体の解釈を試みる科学者が不在なのだ。応用科学技術はその基礎とするものを失えば、やがて活力を失う。

    オルテガが大衆について以下のように要約する。
    「第一に、大衆人は生まれたときから、生は容易であり、あり余るほど豊かで、なんら悲劇的な限界を持っていないという根本的な印象を抱いている。」「第二に、この支配と勝利の実感が彼にあるがままの自分を肯定させ、彼の道徳的、知的財産はりっぱで完璧なものだと考えせる。この自己満足の結果として、彼は外部からのいっさいの働きかけに対して自己を閉ざし、他人の言葉に耳を傾けず、自分の意見を疑ってみることもなく、他人の存在を考慮しなくなる。心の底にある支配感情がたえず彼を刺激し、彼に支配力を行使するように仕向ける。」
    また、このようにも言う。「彼らは安楽しか気にかけていないにもかかわらず、その安楽の根拠には連帯責任を負っていないのだ。大衆は、文明の利点のなかに、非常な努力と細心な注意によって初めて維持されうる驚嘆すべき発明や構築物を見ようとしないのである。だから彼らは、まるでそれらが生まれながらの権利ででもあるかのように、自分たちの役割は、文明の恩恵だけを断固として要求することとだと考えているのである。」
    オルテガの慣らした警鐘は、ITにより情報が溢れかえり、物資的には何不自由のない現代の社会でも当てはまるだろう。連帯責任を負うもののいない文明はどこへ向かうのだろうか?

    第二部では国家論に話題が移り、ヨーロッパの超・国民国家、今で言えばヨーロッパ連合へと言及していく。1930年に書かれているのにEUを予言しているところが先見の明があり、とても興味深い。
    オルテガは複雑性(または多様性)と少数者への寛容を備え、民族や宗教、地域利害を超えたヨーロッパの連合が可能であると主張している。経済連合からスタートしたEUは今、移民の受け入れと経済格差に揺れている。
    市場経済での勝者とは、どれだけ多くの商品を売ったか、あるいはどれだけ多くの利益を得たかであり、いうなれば経済的人気投票の勝者である。そこには多数派の支持が必要である。経済的多数派が席巻する今日にあって、そこから漏れる経済的少数派は富を失い不幸になって良いのか?グローバル経済のもと地球規模で発生している富の偏在や、宗教的または政治的な理由で難民となった人々はこれを放置しておいて良いのか?「文明とは、何よりもまず共存への意志である」と唱えたオルテガならどのような答えを出すのだろうか?

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    投稿日:2019.04.29

  • パンダの眼は何かたくらんでる

    パンダの眼は何かたくらんでる

    トロいものですから、中公クラシックとは別約を期待して
    追加購入しますた。やぱり難しいものは難しいです・・・

    投稿日:2018.03.28

  • yaharifunnuka

    yaharifunnuka

    今月の10冊目。今年の83冊目。これでやっと学術書と小説が半々・・・。

    スペインの哲学者の代表的著作。やっぱりね、学術書読んで大体思うことは、意味がわからない!特に古典的著作とかになるとそういうのが顕著。まぁこういう風に何回も違った社で出版されてるから(中公クラシックスとかにもある)やっぱすごいんだろうけどさ。

    自分なりのまとめ方をすると、要するに「大衆人」というのがいて、それをなんとかしなきゃっていう話。大衆っていうのが何回も繰り返し違う風に説明されてるから訳がわからなくなる。まぁかいつまんで言うと、過去を顧みないで、自堕落的な人のこと。あとは、科学技術を利用するんだけど、その技術について特に何も知ろうとしない人とかも。そういった人たちが今ヨーロッパに溢れているので、ピンチっていうことかな。ただ、具体的な解決策はよくわからなかった。解説を読んでもそれについてはよくふれてなかったしね。

    それなりに難しかったけど、まぁ自分なりに消化できたかな、とは思います。
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    投稿日:2012.06.19

  • yai0303

    yai0303

    本書は「高貴な生」と「凡俗な生」を区別し、「大衆人は慢心しきったお坊ちゃんである。ばかは死んでも治らない」などオルテガ独特の言い方で大衆人を強烈に非難しているが、ここでは大衆人(非エリート)とエリートの区別を社会階層ではなく、自らに対する内面的・精神的態度において区別している

    ほかの人のレビューより。上手な表現です。

    精神的貴族、精神的エリートの情勢が民主主義には欠かせないとの指摘。彼の予言した「大衆が権力を得ることによって引き起こされる種々の問題」は、21世紀の日本にも通じるものがある。彼の洞察力の高さにも学ぶものがある。
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    投稿日:2010.11.09

  • bax

    bax

    [ 内容 ]
    オルテガは、早くから現代が歴史上の一大転換期であることを見抜き、その危機の克服をめざして警鐘を鳴らし続けてきた。
    現代を大衆の時代と断定し、二十世紀の本質を衝いた名著。

    [ 目次 ]
    第1部 大衆の反逆(密集の事実;歴史的水準の上昇;時代の高さ;生の増大;統計的な一つのデータ;大衆人解剖の第一段階;高貴な生と凡俗な生、あるいは、努力と無気力;大衆はなぜあらゆることに介入するのか?しかも暴力的にのみ介入するのか?;原始性と技術;原始性と歴史;「満足しきったお坊ちゃん」の時代;「専門主義」の野蛮性;最大の危険物、国家)
    第2部 世界を支配しているのは誰か?(世界を支配しているのは誰か?;真の問題は何か)

    [ POP ]


    [ おすすめ度 ]

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    投稿日:2010.07.07

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