傷つきやすいアメリカの大学生たち:大学と若者をダメにする「善意」と「誤った信念」の正体
ジョナサン・ハイト(著)
,グレッグ・ルキアノフ(著)
,西川由紀子(翻訳)
/草思社
作品情報
暴力を伴う講演妨害、教授を糾弾し罵倒・・・・・・
キャンセルカルチャーやポリコレ問題の背景を知るための必読書。
全米ベストセラー、待望の邦訳!
〈内容より〉
「不快」を理由とする講演妨害が横行
言葉尻を捉えて教員を糾弾、辞職へ追い込む
大学教員の政治的多様性が低下。左に偏向
未熟で脆弱、不安・うつが多い「Z世代」
親はすべてを危険と捉え過保護に育ててきた
大学が極端な市場重視に。学生はお客様扱い
立場の異なる論者の講演に対し、破壊と暴力をともなう激しい妨害を行う学生たち。
教員の発言の言葉尻を捉えて糾弾し、辞任を求める激しいデモを展開。
さらには教授や学部長、学長までを軟禁し、暴言を浴びせる――。
アメリカの大学で吹き荒れるこれら異常事態の嵐は、Z世代の入学とともに始まった。
彼らはなぜ、そのような暴挙を振るうのか?
言論の自由・学問の自由を揺るがす現象の実態と背景、
さらには対策までを示して高く評価された全米ベストセラーがついに邦訳。
キャンセルカルチャー、ポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)問題を知るための必読書。
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【感想】
BLM等の人権運動に連動して、コールアウトカルチャー(キャンセルカルチャー)をよく目にするようになった。コールアウトカルチャーとは、ソーシャルメディア上で、著名人の過去の言動に含まれる差別的…要素を取り上げ、その人を非難したり、地位から引きずり落としたりする排斥運動のことだ。コールアウトカルチャーは、2013年以降、アメリカの大学で「講演キャンセル」「学長辞任要求」というかたちで盛んになっている。
わたしははじめ、言論の自由を重んじる「大学」では権利運動はありがち、と捉えていたのだが、事態はどうもポジティブな方向には進んではいないらしい。むしろ言論の自由とは程遠い「言論統制」が起こっており、時には死者が出るほどの暴動に発展している。政治家や人権活動家ではない、どこにでもいる普通の大学生が、アメリカ中のキャンパスに混乱を巻き起こしているのだ。
本書には3つのテーマがある。それが、近年アメリカの大学にまん延している「エセ真理」である。それぞれ、
①脆弱性のエセ真理:困難な経験は人を弱くする。
②感情的決めつけのエセ真理:常に自分の感情を信じこむ。
③味方か敵かのエセ真理:人生は善人と悪人の闘いである。
である。
①の「脆弱性」について。今の子どもたちは幼いころから、危険や不安を受けないように過保護に育てられたため、ストレス耐性が低い。そのため、意見の食い違いによる衝突を「身の危険」と感じ、安全を確保するために講演キャンセルを要求する。こうした、身の危険と感情面での苦痛を同等に扱う文化が「安全イズム」である。
②の「感情的決めつけ」については、文字通り、「自分が感じたことが絶対正しい」という意見である。
本文中では、感情的決めつけについての代表例として「マイクロアグレッション」が挙げられている。「マイクロアグレッション」とは、「意図的か否かにかかわらず、日々のありふれた言葉、行動、または環境面での屈辱的な扱いで、有色人種に向けて、軽視、敵対、軽蔑的、否定的なメッセージを伝えること」という概念だ。現在では有色人種だけではなく様々な相手にまで定義が拡大している。典型的なのは「黒人は危険だ」という否定的な固定観念である。
厄介なのは、「受け手のインパクト」のみが注目され、「与え手の意図」は考慮しない、と解釈されている点だ。例えば、白人がアジア系に向かって「どこの出身?」と聞く行為は、発言者に悪意が無くても「人種的偏見を向けられた行為」になりうる。受け手が不快感を感じればすなわちマイクロアグレッションと言えてしまうのだ。
③の「味方か敵か」については、人間の本能的部分がやや関係している。人間は部族的生活に合わせて進化してきたため、集団を「味方」と「敵」に分けて考えようとするクセがある。それが恣意的な基準(男性―女性、白人―有色人種、異性愛―LGBT)において悪用されるとき、憎しみと分断が生まれてしまう。
これらのエセ真理への反論をかいつまんで述べれば、「リスクや困難を避けつづけては、弱い人間になってしまう」「自分が不快だからという理由で異なる意見を排除しては、多様性が失われる」「全ての人間は敵と味方の2択ではなく、歩み寄りが可能である」ということだ。至極当たり前に思えるが、2013年ごろから、その当たり前が各地の大学で壊されていっているという。
例えば、2017年に起こったUCバークレイでの事例。
トランプが大統領に就任してから10日後、UCバークレーのキャンパスで、英国人の若者でゲイのトランプ支持者、マイロ・ヤノプルスの講演が予定されていた。その建物を、アンティファを名乗る過激派集団1,500人が取り囲んだ。講演に出席しようとした学生に執拗な暴行を働き、破壊や放火を繰り返した。大学側の被害額は50万ドルにもおよんだという。ヤノプルスの講演は、アンティファと一部の学生の目論見通り中止された。
暴動の数日後の学生新聞には次のような文が寄稿されている。
――ヤノプルスによる正真正銘のヘイトスピーチを中止させようとする行動を非難するなら、彼の存在、行動、思想を容認しているも同然だ。私たちの身体が壊れることよりも、窓が壊されることが心配なのだろう。(略)私にできることは、この町で存在する権利のために、必死に闘うことくらいだ。決めかねている者たちよ、どちら側につくか選ぶのだ。
破壊活動を起こしておいて何をぬかしているんだ、と思うかもしれないが、これに共感する思想が、UCバークレーでの暴動発生以降アメリカ中に広がっていったという。この暴動以降、自分たちが「不愉快」と感じる講演に対してなら暴力行使の正当性が認められる、との考えを受け容れる左派の学生が増えていった。同時に、右派の学生の多くは、いかにも左派からの反発を招きそうな講演者をキャンパスに招請するようになった。2017年にブルッキングス研究所が行った調査によれば、調査対象の学生のおよそ5人に1人が、講演中止を目的とした暴力行使は「ときどき許容できる」と回答している。
今や、一部の学生、教授、運動家たちは、敵対者の言葉に暴力のレッテルを貼りつつ、自分たちには政治思想的な動機づけをして、身体的暴力の関与を許している。憎むべき講演を中止させるためなら、身体的暴力は「暴力行為ではなく」、「正当防衛の行為」と解釈されるのだ。
筆者はこうした暴動行為は「今の若者を取り巻く環境」に原因があると論じる。もちろん大学側の責任もあるが、多くはZ世代の価値観を形作ったもの――SNSの普及、家庭での子育ての変化、自由遊びの減少――に原因を見出している。この分析を妥当と思えるかが本書の評価の分かれどころだ。現に、Z世代の価値観の変容、BLM等の権利運動は世界的現象だったが、アメリカの大学ほど過激な事例はよその国では発生していない。主要因はアメリカ独自の価値観にある、と読み解くほうが自然かもしれない。
ただ、行き過ぎたコールアウトカルチャーによって、こんなことまで起こってしまっているのか......というサンプルを知るには格好の教材だと思う。特に、エバーグリーン大学で起きた、多人種の学生からなる一連の抗議運動は、その内容、結末を含めて唖然とするばかりだった。人権運動の「最前線」で起こっている事例とその弊害を学ぶために役立つ一冊だ。
――安全な空間には、とてもよいものと恐ろしいものと、2つの考え方がある。キャンパスで身の安全を確保したいという考え――セクシャル・ハラスメント、身体的虐待、または「おまえは黒人だろ」といった、はっきりと個人に向けられたヘイトスピーチなどにさらされないようにする――は、私もまったくもって構わないと考える。しかし最近勢いづいている別の考え方には、ただただ恐ろしさを感じている。「思想的に安全でなければならない。感情的に安全でなければならない。いつでもよい気分でいなければならない。自分にとっておもしろくないことを語る人がいるなら、それは職員を含め、他のすべての人にとっても問題である」との発想だ。
―――――――――――――――――――――――――――――
【まとめ】
0 まえがき
次の3つのエセ真理が、アメリカのキャンパスに広がっている。
1.脆弱性のエセ真理:困難な経験は人を弱くする。
2.感情的決めつけのエセ真理:常に自分の感情を信じこむ。
3.味方か敵かのエセ真理:人生は善人と悪人の闘いである。
1 脆弱性のエセ真理:ストレスを受けない子どもは脆弱になる
子供をありとあらゆる危険から守り抜こうとすると、全く危険性のない状況にも大げさに恐怖心を示すようになる。免疫系のメカニズムと一緒で、成長にはストレス要因や試練が必要である。
2015年、ブラウン大学の学生たちが、ウェンディ・マッケロイの「アメリカはレイプ文化の国ではない」という講演に対して、キャンセルの申立をした。学生の中には「アメリカはレイプ文化の国」と考える者がいて、中には性的暴行に遭った実体験からその考えに至った者たちもいる。なのに、討論会でマッケロイがアメリカはレイプ文化の国ではないと語れば、自分たちの考えの根拠となっている個人的体験を「正しくない」と言われているようなものと解釈されかねない――という理由だった。
確かに彼女たちにとっては、マッケロイの意見は聞くに堪えないかもしれない。だが、感情的な苦痛を感じたからといって、それを自らの身が危険がさらされているしるしだと解釈してよいのだろうか?
これが「安全イズム」――「安全」という概念が、身の危険と感情面での苦痛を同等に扱うところまで拡大するようになった文化である。
もちろん安全は素晴らしいもので、他者を危険から守ろうとするのは道徳にかなっている。だが、善も度がすぎると悪になりうる。「安全イズム」とは、安全であることが強烈な価値を持つ文化や信念体系を指し、そうなると、人々は他の現実的かつ道徳的な問題による必要があっても、安全について妥協することをしなくなる。危険をもたらす可能性がどれだけ低く、些細なものであっても、「安全」が他の何ものをも凌駕する。安全イズムの文化で育つ子どもは、「感情的に安全」でいるよう教えられ、考えられるすべての危険から守られるため、脆弱性を強め、頑健性を失う。すると反脆弱性の精神に必要な経験を奪い去られるため、より脆弱で、不安感に苛まれ、被害者意識の強い若者が生まれる。
2 感情的決めつけのエセ真理:自分が「そう感じたから」だけで悪になる
「マイクロアグレッション」とは、「意図的か否かにかかわらず、日々のありふれた言葉、行動、または環境面での屈辱的な扱いで、有色人種に向けて、軽視、敵対、軽蔑的、否定的なメッセージを伝えること」という概念だ。現在では有色人種だけではなく様々な相手にまで定義が拡大している。典型的なのは「黒人は危険だ」という否定的な固定観念である。
厄介なのは、「受け手のインパクト」のみが注目され、「与え手の意図」は考慮しない、と解釈されている点だ。例えば、白人がアジア系に向かって「どこの出身?」と聞く行為は、発言者に悪意が無くても「人種的偏見を向けられた行為」になりうる。受け手が不快感を感じればすなわちマイクロアグレッションと言えてしまうのだ。
「感情的決めつけ」がキャンパスで顕在化する事例の一つが、「講演キャンセル」だ。
講演キャンセル計画の大半は、政治的左派または右派のどちらかから起こされたと明確に分類できる。2000~2009年に起きた講演キャンセル計画は、右派からと左派からと同じくらいの割合だったが、2009年からは左派によるキャンセルが増え始め、2013年からは両者の差がさらに拡大している。
渦中の講演者が学生たちを傷つけかねないから、との主張でキャンセルが正当化されることが多い。しかし、不快感と危険は別物だ。学生教授、そして大学職員は反脆弱性の概念を理解し、ハンナ・ホルボーン・グレイの理念「教育は人々を心地良くさせるものではない。人々に考えさせるものだ」を肝に銘じるべきだ。
3 味方か敵かのエセ真理:一方が必ず加害者で、一方が必ず被害者
人間の心は、頻繁に(そしてときに暴力的に)争いを繰り広げる部族的生活に合わせて進化してきた。現代を生きる私たちの心は、とるに足らない恣意的な基準においてすら、すぐに「味方」と「敵」に分断して考えようとする。
2015年10月、クレアモント・マッケナ大学で、エセ真理の事例が起きた。
オリビアという学生が、「この大学のキャンパス環境ならびに組織文化は、西側、白人、シスヘテロノーマティブで、上流から上位中流階級の価値観に根ざしている」というメールを全職員に送った。
これを受け、学生部長のスペルマンは次のように返信した。
――あなたの指摘は、私にとっても学生部のスタッフにとっても重要です。私たちは、学生の皆さん、とりわけクレアモント・マッケナ大学の型(mold)にはまらない人たちのお役に立てるよう取り組んでいます。ぜひ、お話しできればと思います。
一見親切な文面だ。しかし、オリビアは、スペルマンが用いた「型」という言葉に気分を害した。オリビア(とその他の有色人種の学生)はその型にはまっていない、それゆえ大学に属していないと言わんばかりだと、最も寛容でない方法で解釈したようだ。
オリビアはこの返信を自分のFacebookページに投稿し、それを見た学生によりキャンパス内で抗議運動が起こった。全国放送の報道番組でも取り上げられ、スペルマンは自ら辞職した。
人間は簡単に敵と味方に分かれてしまう。共通の人間性を訴えるアイデンティティ政治は今なお多くのキャンパスで見られるものの、近年急増しているのは、複数の集団を結集して共通の敵と闘う、これとはまったく異なるかたちのアイデンティティ政治だ。自分たちの部族を大きくし、士気を高める効果的な方法として、共通の敵をつくるのだ。
社会を集団間の権力関係のレンズで分析する手法が、インターセクショナリティ(交差性)である。
インターセクショナリティの解釈では、社会的な相互作用が発生するあらゆるところに、特権と抑圧の二極が存在する。白人―有色人種、男性―女性、異性愛―LGBTなどだ。インターセクショナリティの概念図を作成したモーガンは、「人は誰しもが、これらの軸の(少なくとも)どこかに位置し、その地点が、活動、権力、権利の剥奪、抑圧、抵抗を、同時に示す。各軸の両端は、最大の特権ないしは最大の抑圧を示す」と論じた。さらにモーガンは、白人男性の思想や視点に特権が与えられるよう構築されてきた大学空間を、人種とジェンダーの2本の軸の関わり合いで分析し、「女性は事実上の植民地化された人々」だと主張する。
すべての物事をこれらの特権と抑圧を示す交差軸の観点で見るよう教えられたなら、学生の思考には何が起きるだろうか?「特権」は「支配する力」で「抑圧」をもたらすと定義されているということは、各軸が示すものは、本質的には道徳的側面といえる。つまり、軸の上に位置する人は「悪」で、下に位置する人は「善」となる。このような教えは、学生の認知スキーマに、もろに「味方か敵かのエセ真理:人生は善人と悪人の闘いである」を埋め込むだろう。
共通の敵を持つアイデンティティ政治とマイクロアグレッション理論が組み合わさると、コールアウト・カルチャーが広まりやすい。ほぼすべての言動に、公然と恥をかかせられるおそれがあるため、学生は用心深い行動を取り、自己検閲の習慣も教え込まれている。
4 安全イズムはなぜ広がった?
2013~2017年にかけて、大いなるエセ真理と関連した発想――私たちが安全イズムの文化と呼んできたもの――が多くの大学に広がったのはなぜなのか?その理由は次のとおりだ。
①政治的二極化と党派間の敵意の高まり
→党派間の憎しみが強まる中で、学生や教員が左寄りにシフトしていったため、一部の保守派や右寄りの組織が大学に寄せる信頼度が下がり、敵意が高まっていった。2016年以降、大学教授がインタビューやSNS上での発言が原因で右派から執拗に追いかけられる、または嫌がらせをされる、という事例が増えている。
②10代の若者の不安症とうつ病の増加
→Z世代は不安症やうつ病の発症率がはるかに高い。特に女性の罹患率が大きく上昇している。その理由はスマートフォンの使用頻度の高まりである。女子が男子よりも気分障害に悩まされている理由は、他人との比較(特にデジタル加工された美によるもの)や、自分が取り残されているという感覚、関係性攻撃から悪影響をより受けるためと考えられる。10代の若者がスマートフォンやSNSを手にしてから影響が顕著で、そこから逃れるのが困難になっている。
③子育てのやり方の変化
→子どもを過保護にすることが、子どもに危害を与えてしまっている。もともとは反脆弱性を備えている子どもが、過保護にされることで、軟弱でたくましさに欠けた大人になっていく。有能で自立した大人になるのを助けるはずの、挑戦、マイナスの経験、小さなリスクといったものをたくさん経験しそこなっている。
④自由遊びの減少
→他の哺乳動物と同じで、脳内の神経発達における複雑なプログラミングを完了するため、子どもには自由遊びが必要である。自由遊びの減少には、いくつかの要因が関わっている。見ず知らずの人や誘拐をありえないほど恐れる気持ち(1980年代以降)、一流大学を目指した大学受験競争の激化(過去数十年)、テスト、テスト準備、宿題を重要視する動きが高まり、その結果、身体的および社会的能力を養うことがなおざりにされていること(特に2000年代初め以降)などである。
⑤キャンパスの官僚体質の増長
→大学の官僚主義が進んでいる。また、学生を守ろうとする安全意識の拡大が、よからぬ結果をもたらしている。大学職員は、大学をさまざまな法的責任から守る必要があるため、「用心するに越したことはない」の発想を持ち、次々と新たな規定を定める傾向がある。規定が急増していくにつれ、現実的な脅威がほぼない、またはまったくなくても、危険が迫っているとの感覚を抱かせる。大学職員がいくつもの認知の歪みの手本を示すことが、「脆弱性のエセ真理」を推奨し、安全イズムの文化が根づく一因となっている。
大学職員が定めた規定の中には、言論の自由を制限するものがあり、それらは往々にして、非常に主観的な解釈によるものとなっている。こうした規定が、講演を恐れるキャンパスの雰囲気をつくり出し、一部の学生が感情的に苦痛を覚えるからとの理由で、言論の自由を制限すべきというコモンセンスを作り上げている。
⑥主な国家的出来事に反応した正義感の高揚、そして正義そのものに対する考え方の変化続きを読む投稿日:2023.02.13
タイトルに引かれて。勝手にアメリカは成熟しているイメージが強かったので、不思議に思った。
でも読んでなるほどと納得する事が多く。
世代として傷つきやすい若者が増えているのは勿論アメリカだけではない。過…保護で過干渉、守られている事が実は閉じ込められている…。
人間がこの変化に順応出来るのはいつだろうか。続きを読む投稿日:2024.04.19
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