西洋菓子店プティ・フール
千早茜(著)
/文春文庫
作品情報
下町の西洋菓子店を舞台にしたキュートな連作短編集
下町の西洋菓子店の頑固職人のじいちゃんと、その孫であり弟子であるパティシエールの亜樹。甘やかで、ときにほろ苦い連作短編集。
フランス菓子作りを修業したパティシエールの亜樹は、
菓子職人の祖父のもと、下町の西洋菓子店「プティ・フール」で働く。
女ともだち、恋人、仕事仲間、そして店の常連たち――
店を訪れる人々が抱えるさまざまな事情と、それぞれの変化を描く連作短編集。
巻末にパティシエール・岩柳麻子との対談を収録。
解説・平松洋子
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商品情報
- シリーズ
- 西洋菓子店プティ・フール
- 著者
- 千早茜
- 出版社
- 文藝春秋
- 掲載誌・レーベル
- 文春文庫
- 書籍発売日
- 2019.02.08
- Reader Store発売日
- 2019.02.08
- ファイルサイズ
- 0.9MB
- ページ数
- 288ページ
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この作品のレビュー
平均 3.8 (185件のレビュー)
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ちいさな街の昔ながらの洋菓子屋
昔ながらの洋菓子屋のようで,味はピカイチ。常に同じクオリティの菓子を作り続ける職人気質の祖父のもとで働くパティシエ修業中の孫娘。彼女の周りに関わる人たちそれぞれの視点で描かれた物語。お菓子に対する愛情…,こだわりに比して,不器用な私生活。成長して行く姿が細やかな心情の動きとともに描かれています。
まぁ好きな作家さんではあるのですが,その中でも良い作品だと思いました。続きを読む投稿日:2019.02.26
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あなたは、『甘い物』が好きでしょうか?
この世にはさまざまな食べ物があり、私たちは日々それぞれの好みに合わせてそんな食べ物を食べながら日々を送っています。また、食べ物には、”五味”と呼ばれる五つの…分類があるようです。辛い、苦い、しょっぱい、酸っぱい、そして甘い、という”五味”のどれに魅力を感じるかはもちろん人それぞれだと思います。
しかし、そんな中でも『甘い』という感覚は別物だと思います。
『甘い物はこんなにも簡単に人を幸福にする』。
そんな言葉に、うんうん、とわけもわからず納得してしまうくらいに『甘い物』という言葉には蠱惑的な響きを感じます。そもそもこんなところでレビューを書いている場合ではありません。思いのままに『甘い物』に食らいつきたい、考えるだけでそんな思いも湧き上がってきます。そう、食べてもいないのに人を幸福にしてしまう。『甘い物』にはそんな力も秘められているとさえ思います。
さてここに、
『菓子の魅力ってのは背徳感だからな。こんな綺麗なものを食べていいのかって思わせなきゃあ』。
という言葉に、思わずなるほど、と納得する物語があります。『東京下町の』『西洋菓子店』を舞台に展開するこの作品。次から次へと登場する『甘い物』の数々に背徳感に駆られるこの作品。そしてそれは、そんな『甘い物』を日々作り続ける『菓子職人』の思いを感じる物語です。
『じいちゃん、生クリームあがりました』と『絞り袋を手渡す』と、『丸眼鏡の奥の、皺に覆われた目が不機嫌そうに細められた』のを見て、『慌てて「シェフ」と言いなお』したのは主人公の亜樹。『ここはじいちゃんの店で、孫とはいえ私は弟子だ』と思う亜樹。『東京下町の商店街の中ほどにある創業四十年を超える洋菓子屋「プティ・フール」』で働く亜樹。開店準備を進める中に『そういえば、昨日の夕方に祐介来たわ。またシュークリーム何個も買っていったぞ、あいつ』と言うじいちゃん。それに、『祐介どっちのシュー買った?』と訊く亜樹。『注文を受けてからクリームを詰める』ことで『「さくさくシュー」と呼ばれている』亜樹のものと、『じいちゃんのしっとりしたシュークリームも根強い人気』と、『二種類のシュークリームが並』ぶというお店。『やわいほうだな』と答えるじいちゃんの言葉を聞いて『嫌なことや辛いことがあると、じいちゃんの菓子をたくさん食べたがる』、『まだ新米だけれど弁護士だ』という祐介のことを気にかける亜樹は黙りこみます。そんな亜樹に『結婚の準備は進んでいるのか』と訊くじいちゃんに『まあまあ』と濁す亜樹は、『去年の夏、働いていたパティスリーを辞め』ました。『フランス人のシェフが作る正統派フランス菓子の店』であり、『非常に厳しく、休みもほとんどなかったが勉強になる店だった』ものの『そろそろ独立して自分の菓子作りをしたくなってきたのと、祐介にプロポーズされた』ことを理由に店を後にした亜樹。そんな亜樹は『小さい頃から菓子職人に憧れて』育ちました。『ホテルの製菓部に就職し』たことに『怒り狂う父親に頭を下げ』、『留学の時はお金も援助してくれた』というじいちゃんのことを『父親みたいなもの』と思う亜樹。
場面は変わり、『ケーキを卸している』『紅茶専門店』へと出掛けた亜樹は、『先に祐介のアパート』へと向かいます。『チャイムを押しても反応がなかったので合鍵で入ると、案の定、部屋は薄暗かった』という中にキッチンを片付る亜樹。そして、寝室へと移動し、『布団をひきはがす』と『スウェット姿の祐介』の姿がそこにありました。台所に戻り、起きてきた祐介に『プロフィットロールね』、『バレンタインあげそこねたから。サプライズ』と『苺と交互に積みあげたプチシュー』に、『温かいチョコレートソースを見せつけるようにゆっくりとかける』亜樹。それに、『亜樹ちゃんがデリバリーしてくれるなんて思わなかったから嬉しいなあ』と喜び、『明日の晩って空いてる?そろそろ結…』と『こちらを向いた祐介の目が私の手元で止ま』ります。『あれ?SNSなんかしていたの?』、『お菓子画像なんて載せてるんだ』と祐介に言われて、スマホの画面が『見えていたようだ。別に隠す必要はないのに心臓がとっとっと鼓動を刻みだす』亜樹は、『結婚式のこととかあるし。地元の友達とかもう連絡先がわからない子とかいるからはじめてみたの』と返します。それに『昔の彼氏とか?』と訊く祐介に『そんなのいないよ』、『付き合うなんて怖いこと、私はできなかったな』と返す亜樹。『怖いこと?』と聞き返す祐介の『唇の端についていたチョコレートを舌先で舐めとる』亜樹は、『あと三十分くらいならあるから』と祐介の『首に腕をまわし』ます。そして、『珠香とはじめて話したのは、中学二年になった日だった』という過去を振り返る亜樹は、やがて『毎日のようにやり取りをするようになったという珠香のことを思います…そんな過去の先の今を『菓子職人』として生きる亜樹の姿が描かれていきます…という最初の短編〈グロゼイユ〉。作品の舞台となる『プティ・フール』の次世代を担っていくことになるであろう亜樹の人となりを上手く浮かび上がらせる好編でした。
“フランス菓子作りを修業したパティシエールの亜樹は、菓子職人の祖父のもと、下町の西洋菓子店「プティ・フール」で働く。女ともだち、恋人、仕事仲間、そして店の常連たち ー 店を訪れる人々が抱えるさまざまな事情と、それぞれの変化を描く連作短編集”と内容紹介にうたわれるこの作品。『東京下町の』『洋菓子屋「プティ・フール」』を舞台に描かれていきます。”食”を取り上げた小説は数多あり、それぞれの作家さんがしのぎを削る場でもあります。ただ、さまざまな領域が開拓し尽くされてきている感もあり、読者としてはどうしても新鮮味を求めてしまいます。この作品は、『西洋菓子店』という私にとっては初めての”食”の世界が取り上げられており以前から気になっていた作品でした。しかもそれが千早茜さんという意外感が読む気をそそります。
では、まずは舞台となるお店を見てみましょう。
● 「西洋菓子店プティ・フール」について
・『東京下町の商店街の中ほどにある創業四十年を超える洋菓子屋』
・『昔ながらの全面ガラス張り』
・『看板には大正時代のポスターみたいな飾り文字で「西洋菓子プティ・フール」と書いてある』
・『いかにも昭和といった風情のケーキが並ぶ店』
・『古めかしいといってもお洒落な感じではまったくなく、時代から取り残されたようにしか見えない』
いかがでしょうか?昨今、どこもかしこもシャッター街という中、そもそもそこに『西洋菓子店』があることさえ珍しいという状況になってきているこの国ですが、イメージとしてはどことなくわかる気がします。しかし、これではせっかく『西洋菓子店』を舞台にした”食”を取り上げた作品を読もうとする読者の意欲をくじきそうにもなります。とは言え、お店の見た目に反して、そこに展開する”食”の描写は、特定のものにこだわった描写が魅力の千早さんらしく、とても魅せられるものがあります。数々の『西洋菓子』が登場しますが、その中から『パリブレスト』が登場するシーンを見てみましょう。『リングシューと呼ばれたりも』する『パリブレスト』のまずは見た目です。
・『金色の正方形の敷き紙、ぱりっと焦げ茶色に焼きあがった生地、その間に挟まれたモカ色のクリームはなめらかな波模様を描いている』。
・『上のシュー生地には光沢を帯びた飴色のとろりとした液体が塗られていた。そこにナッツや金箔がちりばめられている』。
それを見て『小さいけれど、重厚で、丁寧に作られている感じがした』と感じる主人公は、いよいよ『フォークを突き刺し』ます。
『生地はさくりという感触と共に簡単に裂け、クリームはしっかりとかたちを保っていた。ひとくち食べて顔がゆがんだ。苦い。なんて苦いクリーム。わたしの苦手なカラメルソースの味だ。しかも砂糖を焦がし過ぎている』。
見た目の期待感と裏腹に、『カラメルソース』が苦手な主人公にマイナス感情が押し寄せます。
『けれど、その後にいろいろな味がおしよせた。上に塗られたバターたっぷりの生キャラメル、ナッツのかすかな塩気、こくのあるクリームが舌で溶け、豊かなバニラビーンズの香りが鼻を抜ける。ぱきぱきと弾けるプラリネの食感。口の中で崩れるシュー生地。それらが混然となって流れていく』。
単純に『苦い』という以外に主人公を驚かせる複雑な味の世界が主人公の感情を包み混んでいく、見事なまでの食レポです。
『濃い。まるで容赦のないお菓子。苦い、苦い、と思うのに、また口に運んでしまう』。
主人公は、そんな『パリブレスト』を味わう中に『ああ、この味は知っている』という感覚に襲われます。『気づくと、涙がこぼれていた』という主人公の物語。”食”を取り上げた作品では、提供された”食”を”起点・きっかけ”として物語が動き出す作品があります。この作品でも、”食”が物語に添えられているというよりは、”食”が物語と渾然一体になって展開していくという作りになっています。とは言え、長い横文字の『西洋菓子』は誰もが知るというものでもないように思います。千早さんの細かい描写があるとは言え、その『西洋菓子』のことを知っているか知らないかで読後感に差は生まれるように思いました。私の場合、知らないものばかりだったこともあって、スマホ片手に、これがこの『西洋菓子』なんだと写真を見ながら読んで想像力の足しにしていきましたが、美味しそうなものばかり見ながら、かつ、登場人物の語る絶妙な食レポを読んでいると無性に食べたくなってしまいました。ダイエット中の方には危険な作品かもしれませんね(笑)。
そんなこの作品は「オール讀物」に掲載された6つの短編が連作短編を構成しながら展開していきます。全ての短編に「西洋菓子店プティ・フール」は登場しますが、それぞれの短編ごとに主人公は異なり、そこにはそれぞれの主人公の人生が描かれています。では、その中から3つをご紹介しましょう。
・〈ヴァニーユ〉: 『いつまで寝てんの!せっかくドーナツ買ってきてやったのに』と姉に起こされたのは澄孝。そんな澄孝は、『プティ・フール』という『傾いた字』を見ます。『亜樹さんの実家の洋菓子屋だ』と思う澄孝は、彼女が『店を辞めてから一年が経ったこと』を思います。『厨房は毎日台風のようだ』という『パティスリー』の『厨房で唯一の女性だった』亜樹のことを思い出す澄孝。そんな澄孝は、『明日からお休みだよね…スイーツめぐり行くならつきあうよー』という、バイト先で知り合った美波からメールをもらいます。そして、『くすんだ電飾のついた昭和な感じの商店街』を進み、『古びたひさしの洋菓子屋』へと向かう澄孝は…。
・〈カラメル〉: 『夫が出ていった途端に、家の中の空気は弛緩する』と思うのは『わたし』。そんな『わたし』は、パソコンを開くと『あの女の名前を入力してSNSサイトにアクセス』します。『パステルカラーがちりばめられたページ』を見て、『自己顕示欲と無知と傲慢さと危機意識の低さがあふれている』と思う『わたし』。『一年半前、女はうちにやってきた』と過去を振り返る『わたし』は、『なんでもない。ちょっとあの子は変なんだよ、思い込みが激しくてさ』と夫に言われた時のことを思い出します。『あんな女は無知のまま劣化していけばいい』と思う『わたし』は、『老夫婦がやっている小さな洋菓子屋』へと向かいます。
・〈ショコラ〉: 『ちょっと先生、お客さん来てるのよ、お願い』と、『事務の山内さん』に『早口でまくしたて』られたのは祐介は、やむなく応接室へと入ります。『あの、大先生は?』と『椅子に座った』祐介を『拒否するように、尖った口調で言う』女性は、『大先生でお願いします、と言ったはずですけど』と、『明らかに不信感を抱いて』います。やむなく一旦、部屋を後にした祐介ですが、ファイルを持って戻ると『今日はどういったご相談でしょうか』と確認します。それに、『旦那と別れたいんだけど、話になんないからさ』という女性の話を訊く祐介は『警察に連絡しましょう』と勧めます。それに『なに言ってんの、あんた』と怒り出した女性は…。
それぞれの短編タイトルは、上記の通り、何かしら『西洋菓子』と結びついています。そして、そこに登場し主人公となる人物は『プティ・フール』を営む老夫婦の孫娘である亜樹に何かしら関係のある人物に順番に光を当てていくものとなっています。そこには『西洋菓子』を食す光景が描かれていくわけですが、驚いたのは、こういった”食”を取り上げた作品には珍しくドス黒い感情漂う言葉がそこかしこに見られるところです。上記した〈カラメル〉にもこんな表現が登場します。
『恥知らずなあの女にぴったりだと思った』、『あんな女は無知のまま劣化していけばいい』。
何かウラがあるとは言え、マイナス感情に溢れる表現です。また、〈ロゼ〉の主人公はこんな感情を顕にもします。
『軽い口調で言うと、チーフは見下すような目をして鼻で笑った。別にいい。バカだって思われていたほうが楽だ。チーフの後ろ姿を眺める。タイトスカートが苦しそうだ。どうせまたダイエットに失敗したのだろう』。
なんとも嫌な感情が読者にも伝わってきます。他にもマイナス感情の中に展開する描写が多々であり、私がこの作品を読むにあたって抱いていた”食”を取り上げた作品の前向きなイメージからは相当外れた物語世界が展開することにとても驚きました。少なくともこの作品は、”悪い人は出てこない”系のほんわかした”食”の物語でないことは間違いありません。表紙や書名のイメージからそのような物語と思って手にされる方には、是非ともお伝えしておきたいと思いました。ただ、だからといって、そのことによって物語の魅力が減じられるものでもありません。それぞれの主人公の悩み苦しみが赤裸々に描かれていく物語は、ある意味で千早さんらしいとも言えます。
そして、そんな6つの短編を貫くように描かれていくのが「西洋菓子店プティ・フール」です。『一口サイズの小さな菓子』からとったという店名を冠するお店は、老夫婦と孫娘の亜樹によって営まれています。『小さい頃から菓子職人に憧れていた』という亜樹は、『父親みたいなもの』というじいちゃんをシェフと呼びながら、共に働いています。留学も経験し、フランス人シェフのいるパティスリーで修行を積んできた亜樹ですが、じいちゃんのお店で働く中に特別な思いを抱いています。
・『じいちゃんの菓子は凝ってはいないけれど、ほっと肩の力が抜けるひとときをくれる』。
・『無くなって欲しくない、と思うし、常連のお客さんたちがそう思っていることもよくわかる』。
孫娘ならではの思いをそこに垣間見ることができる表現です。『いかにも昭和』というような言い方もされる店ではありますが、そこで提供されている『西洋菓子』が確かなものであることが描写されてもいきます。それこそがこんな亜樹の思いに結実していきます。
『美しいのは一瞬。瞬きをする間に消えてしまうくらいの、ほんの短い、まるで白昼夢を見ていたような時間。だからこそ、その輝きは価値を増す。菓子作りはひとときの夢を見せる仕事だと思う』。
『菓子作り』職人の深い思いを見事に言い表した表現だと思います。物語では、『菓子作り』に真摯に向き合っていく亜樹の極めて前向きな姿勢が際立ってもいます。そして、物語は、最後の短編〈クレーム〉で再び亜樹に視点を戻します。じいちゃんへの深い敬慕の念を抱きつつも次の時代を見据えてもいく主人公の亜樹。そんな亜樹の未来を多々予感させる結末には、『菓子職人』の世界の奥深さを感じる物語が描かれていました。
『私の夢は観客ではなく、じいちゃんのように優秀な裏方になることだった。パティシエではなく菓子職人』。
そんな思いの先に『菓子作り』の日々を送る主人公の亜樹。この作品にはそんな亜樹と関わる人たちのそれぞれの苦悩が描かれていました。”食”の細やかな表現に千早さんのこだわりを感じるこの作品。”食”を取り上げた作品なのに、その重さに驚くこの作品。
『西洋菓子』に隠されたそれぞれの個性の中に、人が抱える欲望と秘密を上手く重ね合わせた、そんな作品でした。続きを読む投稿日:2024.04.29
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