静かに生きて考える Thinking in Calm Life
森博嗣(著)
/ベストセラーズ
作品情報
世の中は騒々しく、人々が浮き足立つ時代になってきた。そんなやかましい時代を、静かに生きるにはどうすればいいのか? 人生を幸せに生きるとはどういうことか?
作家森博嗣が自身の日常を観察し、思考した極上のエッセィ。「書くこと・作ること・生きること」の本質を綴り、不可解な時代を生き抜くための智恵を指南する。
〈無駄だ、贅沢だ、というのなら、生きていること自体が無駄で贅沢な状況といえるだろう。人間は何故生きているのか、と問われれば、僕は「生きるのが趣味です」と答えるのが適切だと考えている。趣味は無駄で贅沢なものなのだから、辻褄が合っている。〉(第5回「五月が一番夏らしい季節」より)。
他者と競わず戦わず、孤独と自由を楽しむ生き方のヒントに満ちた書です。
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この作品のレビュー
平均 3.7 (11件のレビュー)
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気づきの多い一冊だった。
自分を楽にしてくれたのは、
生き甲斐追求に拘らず、まずは自分自身を諦めることからスタートすると気持ちが楽になる。
物事は複雑に考えず、シンプルに素直に思った通りにやっていこ…うと思えた。
そして自分の頭で考える事の大事さ。
頑固にならないよう、変化を恐れず楽しみたい。
過去よりも今が1番楽しいと言えるように、生きていけたら幸せ。続きを読む投稿日:2024.04.18
1683
312P
初任給でローン組んでカシニョールの絵を買うって20代前半でこの感覚があるから森博嗣かっけえし天才だなと思う。
知るとは知らないことを増やすこと
最も期待値が高いのって仕事と…か勉強だよね。これをやらずに宝くじとか買ってるやつ馬鹿でしかない。まあ夢を買う趣味って確かに良いかもしれないけど、私も夢は買うというよりは自分で考えたり作ったりしたいなと思う。
森博嗣
(もり・ひろし)1957年愛知県生まれ。工学博士。某国立大学工学部建築学科で研究をするかたわら、1996年に『すべてがFになる』で第1回「メフィスト賞」を受賞し、衝撃の作家デビュー。怜悧で知的な作風で人気を博する。「S&Mシリーズ」「Vシリーズ」(ともに講談社文庫)などのミステリィのほか、「Wシリーズ」(講談社タイガ)や『スカイ・クロラ』(中公文庫)などのSF作品、また『The cream of the notes』シリーズ(講談社文庫)、『小説家という職業』(集英社新書)、『科学的とはどういう意味か』(新潮新書)、『孤独の価値』(幻冬舎新書)、『道なき未知』(小社刊)などのエッセィを多数刊行している。
なにかもやもやするときに、深呼吸をして、身近にある自然に目を向けてほしい。植物でも動物でも良い。風景でも星空でも良い。あなたは、静かに生きることができるはず。すべての人間は自然に生まれ、自然に死んでいく。生きている間だけ、ちょっとやかましいけれど、無理に騒ぐようなことでもない。怒ったり、嘆いたり、笑ったりするよりも、黙って周囲を眺めている方が、ずっと人間らしい。
「森博嗣は本を読まない」と噂されることがあるが、これは誤解だ。「小説は読まない」と何度か書いたから、「本=小説」と認識している皆さんに、そう受け取られたらしい。僕は、小説以外の本を年間で二百冊以上読む。このほかに雑誌を六十冊以上購読している。毎日数時間は読書に費やしていて、その時間は年々増加傾向にある。歳を取ったので、躰に負担のない時間の過ごし方として読書が最適だからだ。ただ、目が疲れる。無制限に本を読めない理由は目の耐久性にある。睡眠を充分に取る以外にないだろう。僕は薬とかサプリメントというものを一切飲まない人間なので自然治癒に頼っている。
たとえば、「お客様に喜んでいただきたい」という目的を語る商売が数多いけれど、九割以上は金儲けが目的であり、残り一割程度が、客の反応を見たい、というほのぼのとした動機になるだろう。それが素直な観察結果である。悪くはない。非難しているのでもない。商売とは元来そういうものである。ただ、正直な気持ちの九割を表に出せず、氷山の一角が語られているだけだろう。
床に積まれた本は、僕が買ったり読んだりしたものではない。一日一冊は本や雑誌を買うけれど、すべて電子書籍だから物体は増えない。書斎の床に溜まるのは、自分が書いたものの見本だ。発行されると十冊、重版になるごとに二冊が送られてくる。これらが積み上がる。自分の本を誰かに配るような恥ずかしい真似はできないし、自分で書いた文章を読んで悦に入るほど暇人でもないので、封も開けず、すべてそのまま。捨てるには惜しいし、古書店に売るのは(送ってくれた出版社に対して)やや不道徳だろう。というわけで、溜まる一方だ。数年で書斎が不自由になるため、限界に達したら段ボール箱に入れて地下倉庫へ運び込む。既に100箱以上、地下に眠っている。
僕は研究者として二十数年間勤務し、論文を沢山書いた。作家になってから書いた作品の倍以上の数にもなる。「小説家になるなら小説を沢山読むべきだ」とおっしゃる方がいるけれど、僕は子供の頃から研究論文を愛読していたわけではない。あるとき突然研究者になり、研究をして論文を書いた。小説もこれと同じで、自分が書く作品について研究(思考)さえすれば、いきなり書けるはず。他者の作品を参考にする必要はない。
最近、体力が衰えたことと、仕事をほとんどしなくなったことで、僕の生活に占めるインプットの時間が増えた。漫画もそうだし、映画も毎日二本くらい見る。僕は、一度見たものを二度と見ないので、つまり自分にとっての新作ばかりなのだが、世の中には、膨大な数の作品が存在する。全然追いつかない(追いつこうと思っているわけではないが)。
問題を目前にして思考に没頭したため、二日ほど食事を忘れていたことがある。作ってもらった弁当をそのまま持って帰ったことが何度かある。ようするに、生きることなど二の次になる。当時の僕はとても貧乏だったから、弁当を作ってくれた奥様(あえて敬称)には大きな借りを作った。でも、我を忘れるというのは、生活を忘れることなのである。 おそらく、こんな話をすると不謹慎だといわれるだろうけれど、生活に悩んでいる人は、その悩みについて考えることができる。その問題を持っていないよりも、むしろ良い状態だし、人間の能力を発揮するチャンスだとも思えてしまう。
研究というのは、職業になった場合には、とにかく誰もやっていないことをするしかない。また、作家のようなクリエータも、仕事でする場合は、できるだけ人と似ていないものが求められる。だから、たまたま僕のような人間には相性の良い分野だった。
どうでも良いことほど、人生にとって大事なものはない。なにしろ、生活のほとんどは、どうでも良いことで埋め尽くされている。考えてもらいたい。今日、あなたは何をしていたのか? それは、どれほど大事なことだっただろうか。また、なにか大きな決断を伴うものだっただろうか。命を懸けて実行したぎりぎりの行為だったのか? 実際、そんなドラマティックな瞬間は、滅多に目の前に現れない。
そんなわけで、無理に自分の過去を振り返り、旅行の思い出を書こうかな、と考えたのだが、これといって特別な思い出がないことを再認識した。海外へ二十カ国くらいは行ったけれど、特に印象深い経験はない。せいぜい、「なるほど」くらいの感じだった。つまり、予備知識から想像したとおりのものがそこにあった。
固有名詞を記憶できない人 僕のことである。人の名前をまったく覚えられない。親しい人の名前も思い出せないことがある。また、地名も全然駄目だ。その場所が地理的にどこにあって、どのような環境なのか、あるいはその場所の絵なら描ける。でも、地名は記憶していない。
クルマの整備も大好きである。洗車は滅多にしないくせに、ボンネットを開けて中を覗き、部品を拭いたりする時間が楽しい。オイルを確かめ、プラグを磨き、ベルトやラジエータ、ブレーキ液などもチェックする。最近のクルマはほとんど故障しないから、日常的に点検をする人は見かけなくなった。マイナな趣味だ。
SUVなるクルマが、僕は好きになれない。小型で、車高が低く、軽量のクルマを運転したい。今まで乗った中で一番気に入ったのは、ホンダのビート。これで十三年間通勤していた。次は、ポルシェ911で、九州や四国までドライブに出かけた。両方とも、前のボンネットを開けてもエンジンがない。後ろから響くエンジン音が心地良かった。サスペンションは硬く、ごつごつとしているから、一般的には乗り心地が悪いと感じられる部類だけれど、走っていて実に楽しい。僕的には「乗り心地が良い」になる。
人間の仕事は、リラックスして、だらだらと時間を過ごし、あるときふと思いつく、という「発想」が基本的な生産物になる。発想が集中から生じないのは、経験から確からしい。研究者も作家も、この「発想」が主たる原資であり、これを展開して商売をしているのだ。
宝くじの期待値は、くじの値段のおおむね五十パーセントなので、半分は戻ってくる。これは、多くの商品でもいえることで、元値あるいは仕入れ値、原材料費は、価格のおおむね半分くらいだと認識すれば、商売というものが成り立っている道理が理解しやすい。ただ、残りの五十パーセントは、自分が欲しい気持ちを満足させるための消費であり、宝くじであれば「一時の夢」ということになるのだろう。けっして悪くない。良い趣味だと思う。僕は「夢」は自分で作る方が楽しいので、買わないけれど。
仕事の中でも、リスクが高いものは儲けが大きい。リスクが大きくなっていくと、どんどん犯罪に近づいていく。あまりに儲けが大きいものは法律で規制されている。
さらに、最も期待値が高いのは「勉強」だ、ということを若い人にはいつも話している。年寄りになってからでは、さほど期待できないけれど、若いほど期待値は大きい。それに、金銭的な儲けだけではなく、精神的に儲けることができる。ほぼ確実に利益があり、損をするようなことはまずない。なによりも、勉強することで、社会や人間関係の仕組みを観察する術が得られるので、数々の場面で確率を推測するのに役立ち、ほとんどのリスクを最小限に抑えることができるようになるだろう。
多くの人が気づいていないかもしれない、と思うのは、「保険」である。保険も、投資と同じだし、ある種のギャンブルといえる。ただ、当たらない方に賭けるくじである。当たらなければラッキィで、当たった場合には、その不運を軽減する補償が得られる。
クラシックカーでドライブにも行き、犬の散歩は毎日(執筆以上に)時間を取っている。除雪機の整備もした(だが、出動するほど雪は降らない)。忙しかったのかというと、忙しくはない。ネットで映画を毎日一本は見ているし、食事もしているし、風呂も入って、頭も洗っている。犬のシャンプーもした。一言でいえば、コンスタントな生活が持続している。
また、日本の高温多湿な自然環境では、古いものは自然に腐り、朽ちていく。伊勢神宮のように、常に新しく作り替えなければいけない。これを「禊」という。そんな精神が根底にあるためか、新しく若いものは正しく、古く老いたものは汚れている、と感じるのか。 日本以外では、ほとんどこの逆である。若いというのは、未熟であり、美しくない。成熟したもの、老練なものが美しい。良いものは、古くなっても残るし、長く愛される。だから、アンティークは高くなる。アメリカンヒーロなんかも、三十代以上だったりする。むしろ、悪役の方が若いという設定が多い。 もう一つの「働くことは良いことだ」という価値観は、日本人なら「当たり前だ」と考えるだろう。だが、これも日本以外ではあまりない傾向といえる。ヨーロッパなどでは、働くことは「罪悪」に近いものにイメージされている。つまり、なにか悪いことをしたから働かなければならないのだ。働くことが健全だ、という価値観が最近はかなり広がってきているけれど、「良い」というよりも「悪くない」くらいの意味で、日本のように、「働く人は偉い」とまではいかない。 日本人は、老人がなかなか職を退かない。働いていないと偉くなくなってしまうためだろう。もう働く必要がない人まで、「一生現役」などと威張っている。自分が生活するのに必要な分だけを稼がせてもらう、という控えめな意識、働くことへの後ろめたさがない。
時間は、お金ほど融通が利かない。お金のように貯めることができない。今すぐに、しかも少しずつしか使えない。譲ったりもらったりすることもできない。ただ、条件が限られるものの、お金を出して人の時間を買うことはできる。逆に、自分の時間を差し出して、お金に替えることもできる。
このようにテレビが全然新鮮味のない声を聞かせ続けるのは、そんな当たり障りのない、聞き飽きたような言葉を期待している人たちがテレビを見ているからだろう。そういうものに価値を見出している人がいるらしい。期待どおりのコメントを聞いて、「そうだそうだ」と頷きたい人たちが少なくないのだ。
たとえば、気の合いそうな人が近所にいたとしても、おしゃべりをしようとか、お茶でも一緒にどうかとか、そういった時間を持とうとは思わない。何故なら、自分一人の時間を最優先しているからだ。毎日、やりたいことが沢山ありすぎて、人と話をするような暇はない。他者に関わるなら、本を読めば良い。それが最も効率が高いし、優れた才能を理解する機会にも巡り合える。
「大人になれ」と揶揄する。そうやって自分たちのグループに引き入れ、仲間を増やしたいという心理だろう。 なにかに一所懸命打ち込んでいる人に向かって、「そんな無駄なことは放っておいて、こちらへ来て一緒に飲もうぜ」と誘っているわけだが、おそらく、無意識にも、夢を諦めていない人が羨ましくて、脱落者が多ければ安心だ、との気持ちがあるのだろう。自分にはそれくらいしか利がないのに、どういうわけか、執拗に堕落へと誘うのである。
数は少ないものの、庭の一角に薔薇がある。今年は花が多く、しかも立派だった。緑の庭園に赤い薔薇が咲いている光景を見て、ふとなにかに似ているな、と思ったのだが、それは二十四歳のとき就職して給料をもらうようになり、ローンを組んで購入したカシニョールの絵だった。今も、それは我が家の玄関ホールの正面に飾ってある。その絵と同じ風景が、リビングから望む庭園の正面に見える。不思議な一致といえるが、自然であっても、手入れをしているうちに、少しずつ自分のイメージに近づくのかもしれない。大事なことは、自分が望むシチュエーションをいつもイメージすることだろう。
こんなことを書くと、今にも自殺しそうな人間に見られるかもしれない。だいたい若い頃から、「森は自殺しそうだ」とよくいわれた。そう見られてもべつにかまわないけれど、もちろん、そうではない。自殺しようなんて真剣に考えたことは一度もない。続きを読む投稿日:2024.06.12
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