競歩王
額賀澪(著)
/光文社文庫
この作品のレビュー
平均 4.3 (11件のレビュー)
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あなたは、『競歩』のルールを知っているでしょうか?
キョ、キョ、競歩?と思わず呟きもするのが『競歩』というスポーツの立ち位置だと思います。『よくわかんないよねえ、早歩きの競争なんてさ』。競技に携わら…れている方には恐縮ですが、多くの方にとってそれは事実だと思います。『快晴の青空の下を歩く選手のフォームは、人間っぽくない』という通り、その歩みはどこか芝居がかっているようにさえ感じます。『普通の人間の《歩く》とは根本的に何かが違う。作りものめいている』。それも『競歩』というスポーツの見え方だと思います。そもそも私たちが急ぐ時、それは『走る』という行動となって現れます。全力で目標に向かって走るという行為は、それだけでドラマ性を帯び、人が為す行為として貴くも見えてきます。一方で、急ぐのに『歩く』という行為はどこまでいっても奇妙です。”なんで走らへんねん!”と思わず関西弁でツッコミを入れたくもなります。
『この人達は、長い距離を誰が一番速く走れるか競うマラソンならまだしも、どうして《歩く》ことを競おうと思ったのだろう』。
そんな疑問が見る人の中に浮かび上がるのは当然だと思います。
さてここに、そんな『競歩』に光を当てる物語があります。『スポーツ小説』として『競歩』に光が当たるのに、何故か主人公は小説家だというこの作品。そんな小説家が陥ったスランプの中でもがき苦しむ様を見るこの作品。そしてそれは、そんな小説家が『競歩』を新しい”スポーツ青春物語”として描き上げていく物語です。
『そんなに他人の本を読むのがしんどいなら、読まなきゃいいのに』と亜希子に言われ、『本が売れないこのご時世に作家まで本を読まなくなったらおしまいだ』と返すのは主人公の榛名忍(はるな しのぶ)。『今からおよそ三年前。高校三年生』だった『二〇一三年九月八日。二〇二〇年夏季オリンピックの開催都市が、東京に決まった日』に『榛名忍の本が全国の書店に並』びました。『「文壇にスーパー高校生現る」とニュースにも取り上げられ』『テレビにも出た』という華々しいデビューを飾った忍。そんな忍はキャンパスのラウンジに映し出された『リオ五輪』の映像を目にします。『太陽の照りつける屋外のコースを、日本代表のユニフォームを着た選手が走る』、『いや、早足で歩いている』という光景を目にし、『この人達は…どうして《歩く》ことを競おうと思ったのだろう』と思う中に『…競歩ね』と口に出します。そんな瞬間『背後で声がし』、振り返ると『テレビ画面を凝視し』、『静かに激しく、泣いている』一人の男を目にします。『早歩きでラウンジ』を後にした男を見て『…なんだよ』と『男が公衆の面前で泣くなんて』と思う忍。そんな忍は、『二十万部売れた』『デビュー作「ノンセクト・ラジカル」』を頂点に『一冊出すたびに売上げ』が『振るわなくなっ』ている自身を思います。『すっかりスランプに陥っている友人を可哀想に思って』『付き合ってくれているのかもしれない』と亜希子のことを思う忍。そして、キャンパスを後にし、新宿で亜希子と別れた忍は『指定されたレストラン』へとやってきました。『百地さん、ご無沙汰してます』と挨拶する相手は、『忍がデビューした玉松書房という出版社の編集者』です。食事を始める中に『次の作品の構想は、いかがですか』、『僕の方から提案があるんですけど』と言う百地は、『東京オリンピックに向けて小説をじっくり書いてみる』というアイデアを語ります。『やってみましょうか、スポーツ小説』と続ける百地に、『…競歩』と昼に見たテレビの競技の名前を出す忍に『競歩なんて、いいかもしれないですね』と返す百地は『せっかくだから、競歩の選手を取材して書いてみませんか?』と提案します。それに、『「競歩も一つのアイデアとして考えてみます」という、傲慢で曖昧な返答をした』忍。そして、季節は流れ『十月も下旬に入』った頃、百地から『編集会議でOKが出ました』と連絡を受けた『忍は競歩小説を書くことになってしま』います。『気は進まないけれど、断ることもできない』と思う忍は『自分の大学の陸上部をちょっと眺めてくる』と百地に連絡すると大学のグラウンドへやってきました。そんな時、『何してるんですか?』と女の子に呼びかけられた忍が『ちょっと、見学してただけです』と答えると、その女の子は『天才高校生作家、榛名忍!』と忍を指差します。『私、慶安大学新聞部で学生記者をやってます、福本愛理と申します』と話す女の子は『まさか、新作は陸上部を題材にするんですか?』と一方的に話すと『陸上部の練習を取材したいらしいんですけどー!』とグラウンドへ呼びかけます。バタバタと進む展開の中、『競歩の取材』をしたいと伝えると、話を聞きにきてくれたマネージャーは『おーい、八千代ぉー!』、『お前のこと取材したいって小説家さんが来てるけどー!』と一人の男性に声をかけます。そんな男を見て『オリンピック号泣男…』を思い出した忍。『陸上部二年の八千代篤彦先輩です』、『こちらは、元天才高校生作家の榛名忍さんです』と紹介された二人。そんな二人の運命の出会いの先に、作家と競歩選手というそれぞれの道の悩み苦しみが描かれる物語が始まりました。
“かつて「天才高校生作家」の触れ込みで華々しくデビューした榛名忍は今、燻っていた。そんな折、東京五輪の開催が決まり、担当編集者からスポーツ小説を勧められる。なりゆきで競歩の小説を書くことになり、大学の陸上部の練習を見に行くと、ただ一人の競歩選手・八千代篤彦が黙々と歩き続けていた ー。競歩の面白さを余すところなく描いた、青春小説の傑作!”と内容紹介にうたわれるこの作品。周囲を野山に囲まれたアスファルトの道路をどこかクセのある形に身体を歪めた一人の男性が『歩く』姿を描いたある意味とても地味な表紙が印象に残ります。そうです。この作品は「競歩王」という書名通り、国内では今ひとつパッとしない印象の『競歩』に光を当てる”青春スポーツ小説”が描かれていきます。あなたは、『競歩』というスポーツの何を知っているでしょうか?独特なフォームを使って、『走る』のではなくひたすらに『歩く』ことを競うというそのスポーツ。ではまずは、そんな『競歩』について見てみましょう。
まず『競歩』のルールです。あなたは、『競歩』のルールを説明することができるでしょうか?残念ながら私はまったくもってお手上げです。そもそもルールなんてあるのだろうか、歩くだけじゃないのと思ってもしまいます。しかし、当然ながら『競歩はただ長い距離を歩く種目じゃ』ありません。『ルールに沿った歩型、つまりフォームを維持して歩く競技』ということでこんな二つの大きなルールがあるようです。
・『競歩は、常にどちらかの足が地面に接してないといけない』
→ 違反: 『ロス・オブ・コンタクト』
・『前に出した方の足は接地の瞬間から地面と垂直になるまでの間、膝を曲げてはいけない』
→ 違反: 『ベント・ニー』
この二つのルールを見るために『コースには審判員がいて、前を通る選手の歩型をチェックする』のだそうです。こんな感じです。
・『違反の恐れがあると判断したら黄色い札で注意』する
↓
・『立て直せず、審判員に明らかな違反だと判断されると今度は赤い札を出され』る
↓
・『これが三枚溜まると失格にな』る
なかなかに厳しいルールの下で行われる競技はその勝ち負けが複雑になってしまいます。
『タイムや順位を競うのはもちろんですけど、審判員の判定次第では、一位でゴールした選手が失格になることもあ』る
いかがでしょうか?『競歩』というスポーツがこんな内容だと知っていたでしょうか?そんなあなた同様にルールを知らなかった忍はその気持ちをこんな風に素直に呟きます。
『このルールが足枷になっているから、競歩はマイナー競技なんじゃないだろうか』、『見た目のわかりやすさがないスポーツは、なかなか大衆に受け入れられない』
まさしくそうだと思います。『一番にゴールした人が勝ち』ではないという『競歩』の世界。マイナーではあるもののある種の奥深さを逆に感じもします。そうです。
『ルールにガチガチに縛られて、失格にならないように注意を払って、その中で競争相手と駆け引きをしながら、長い距離を《歩く》。なんて不可思議な競技なんだ。なんて、人間らしい競技なんだ』
ここにこの『競歩』というスポーツの面白さがあり、そんな競歩に光を当てる額賀さんの絶妙な視点があるのだと思います。そして、額賀さんはこの作品を『王道の青春スポーツ小説』とはしないで描かれていきます。この世に『スポーツ小説』は数多あります。この作品では、主人公・忍が通う大学の陸上部に所属する八千代篤彦に『競歩』選手として光が当てられていきます。この設定からすれば、この作品が取り上げる『競歩』の選手である八千代が、目指してきた『箱根駅伝』を諦め光の当たらない『競歩』という世界で頂点を目指す努力の日々を描く…とする手だってあったでしょう。しかし、額賀さんはこの作品の主人公を小説家である榛名忍にしてしまいます。そして、そんな彼がスランプの中から立ち上がっていく姿を描いてもいくのです。次は、この点、主人公が小説家であるという点を見てみたいと思います。
主人公が小説家という構成の作品は数多あります。そして、主人公が小説家であればその仕事が描かれることになり、そこにはいわゆる”小説内小説”が誕生する余地が生まれます。この作品では、『「天才高校生作家誕生」という派手な帯が巻かれたデビュー作』を引っ提げた小説家の榛名忍が主人公となります。そんな忍は慶安大学文学部に所属する大学生でもあります。しかし、そんな『天才高校生』の栄華も長くは続かなかったことが説明されていきます。
・一作目『ノンセクト・ラジカル』: 『二十万部売れた。大学四年間分の学費を印税で払ってもお釣りがきた』。玉松書房
・二作目『エーデルワイスが歌えない』: デビュー作ほどではないが、売れた』。玉松書房
・三作目 (タイトル不明):『売上げがイマイチ振るわなくて、ネットでもいい感想を見かけなかった』。他社出版
・四作目 (タイトル不明): 『何がいいのかわからなくなって、無理矢理完成』。他社出版
・五作目 (タイトル不明): 四作目と『同じような感じ』。他社出版
・六作目『アリア』: 『息苦しさを抜け出せたような気がしたんだけど、結局未だにスランプのまま』。ミナモ館
コンスタントに作品を発表するものの思ったものを書けない苦しみの中にいる忍は、その感覚をこんな風に説明します。
『いつからだろ、思ったように書けなかったって気持ちとか、期待に応えられなかったって気持ちを、次の作品に投影するようになったの。失敗から逃げ回るみたいに、自分の中にできちゃった穴を次の作品で必死に埋めるようになったの』。
『天才高校生作家』と持ち上げられたところからスタートしたからこその忍の苦しみは痛々しいほどに伝わってきます。
『次こそは、次こそは…何度《次》を積み重ねたって辿り着けないのかもしれない』。
そんな中、忍は、『スポーツ小説』を書くよう編集者から勧められ、『競歩』の取材を重ねる中に新しい小説を創作していきます。額賀さんには、「拝啓 本が売れません」という作品があります。”面白い本を作っても、売れるとは限らない。それでも《面白い本》ではないと絶対に《売れる本》にはなれない”という現実に悩み苦しみながら執筆を続けられる額賀さんの思いが吐露された作品ですが、この作品には図らずもそんな額賀さんの思いが主人公・忍と一体化したようなリアルさを感じました。小説で小説家をわざわざ主人公とする、そこにはその作家さんの思いが必然的に滲み出てくるものがある、それこそがこういった構成の作品の面白さなのだと思います。
ということで、この作品は上記で見てきた二つの要素、つまり、
・主人公の榛名忍が、かつての『天才高校生小説家』という輝きを失いスランプに陥る中に、編集者からの提案にしたがって『競歩』をテーマにした小説を書き上げていく物語
・箱根駅伝を目指して大学に進学するも目が出ず、『競歩』の世界に転向し、一番の高みである東京オリンピック出場へ向けて練習の日々を黙々と送る八千代篤彦の物語
この二つの物語が並行して描かれていく中に両者が化学反応を起こし、1 × 1 の答えが3にも4にもなっていく絶妙な相乗効果の展開が読者を魅了していきます。『俺、東京オリンピックを目指してます』と静かに語る八千代、そんな八千代の姿を見て『もっと、競歩について知りたくなって』と『競歩』を題材とした小説執筆に取り組んでいく忍は、『売れなくたって、貧乏だって、大勢の人から愛されてなくたっていい。本が好きで、小説を書くのも好きな、小説家の榛名忍でありたい』と自らがなすべきことを思い描いていきます。
『負けるな。負けたくないものに負けるな。負けちゃいけないものに、負けるな』
そんな八千代の思いに忍の思いが重なる瞬間の到来。
『八千代が50キロのレースに自分の未来を見出したように、忍はこの小説の先に作家としての自分が待っていると信じた。信じてしまったのだから、地獄だろうと行くしかない』。
そんな先に続いていく物語の結末。決して安直なまとめ方でもなく、ましてや強引なまとめ方でもない”青春物語”の名手としての額賀さんが選ぶその結末。そこには、今までになかった新しい”スポーツ青春物語”の姿がありました。
『この人達は、長い距離を誰が一番速く走れるか競うマラソンならまだしも、どうして《歩く》ことを競おうと思ったのだろう』。
『競歩』というスポーツに青春をかける大学生・八千代の姿を追う中に、『競歩』の魅力にハマってもいく大学生小説家・榛名忍が小説を生み出す苦しみを描いていくこの作品。そこには、それぞれの道に青春をかける登場人物たちの姿が描かれていました。未知のスポーツ『競歩』に対する知識が大きく培われるこの作品。額賀さんらしく”青春物語”になくてはならない恋愛要素もきっちり盛り込まれていくこの作品。
まったく興味のカケラもなかった『競歩』というスポーツ。そんなスポーツをじっくり見てみたいという思いに満たされた素晴らしい作品でした。続きを読む投稿日:2023.12.27
2024/03/17
競歩という競技を題材にした小説なんですが、ただの競歩小説じゃなかったのがこの小説の面白いところだと思います。
高校生天才作家と持て囃されて、ライバル作家の存在によって創作活動に行…き詰まっていた大学生作家の榛名忍、また、彼と同じ大学に所属している八千代篤彦は箱根駅伝を諦めて孤独に競歩という競技に挑む選手。彼らを引き合わせる新聞部の福本愛梨と彼らの周りの人達がだんだん競歩という競技にそれぞれの形で絡んでいく話(?)
競歩に対して知識のない人でもとても読みやすくなってるし、読者目線の競歩初心者にも自然と解説が組み込まれていて競歩について知りながらその競技の醍醐味を味わうことができる構成になっていると思います。
最初は榛名も八千代も仲が悪いのですが、競歩という競技が段々と彼らを引き合わせていく過程で、それぞれのライバル事情だったり、諦めようとする挫ける気持ちだったりと言った葛藤が二重、三重にもなって描写されているので読んでて先が気になると同時に、あー自分もこれに似たような経験あるなと心のどこかで感じることができるような追体験をできる小説じゃないかなと思います。続きを読む投稿日:2024.03.17
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