この作品のレビュー
平均 3.7 (33件のレビュー)
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『不妊治療なんてどっか自分の心を押し殺さなきゃできないもんだよ』
2022年から『不妊治療』の保険適用が始まり、同年の治療者数が37万人を超えたという報道がありました。『妊活』という言葉があるように…、子どもは欲しいと思ってすぐに持てるものではありません。『不妊治療専門のクリニック』に通い、夫と妻、それぞれの身体が調べ上げられてもいきます。そんな先に、
『どこにも問題はないって!』
と、一方が満面の笑みを浮かべたとしたら、もう一方の側には厳しい現実を目にする可能性が高まります。『子どもを持つ』ということは決して容易なものではない、『不妊治療』をされる方の数がその厳しい現実を指し示してもいます。
さてここに、”子どもがいてもいなくても、毎日を懸命に生きるすべての人”に向けて書かれた一冊の物語があります。「いるいないみらい」という書名の奥深さに感じ入るこの作品。そんな作品に収録された五つの物語にさまざまな思いが去来するこの作品。そしてそれは、『子どもを持つ』ということの意味に思いを馳せる物語です。
『ほら、堀さんもグラス持って』と『右隣に座っていた同僚に促され』『上司の合図で』『グラスを合わせ』たのは主人公の堀知佳(ほり ちか)。『もうすぐ産休に入る田辺さん』のおなかが『ずいぶんと大きく』なったのを見る知佳は『今年に入って産休に入るのは』三人目という『出産ラッシュ』に沸く会社のことを思います。『今夜の女性メンバーは、私と田辺さん以外は皆、未婚者だ』と所属している業務部のことを思う知佳。『お先でーす』と飲み直す面々から離れた知佳は『あー私、ほんとうに結婚できてよかったな、と心のなかで思』います。
場面は変わり、翌朝『歯磨きをしている』ところに、『ううっ、寒い寒い』と言いながら夫の智宏が帰ってきました。『子羊堂』と書かれた『茶色いパン屋の袋』を手渡され『え、え、買えたの!メロンパン?』と興奮する知佳に『一時間も並んじゃった』と答える智宏。『土日は毎週行列ができるほどの人気』というお店の人気商品である『メロンパン』にありついた知佳は、『友人の結婚式の二次会で』、知佳が食事を美味しそうに食べることに智宏が興味を持ってくれたことがきっかけで繋がった過去を思い出します。そして、『三十二歳で出会って三カ月で結婚したいと言われ、これを逃したらあとがない、と思っ』た先の今を思う知佳。
再度場面は変わり、『妹の佳奈が里帰り出産をしに帰ってきたのだから会いに来なさい』と実家に呼ばれた知佳は、なんでも急かす母親のペースに早々に辟易します。『母の次の目標は私の妊娠』と思う知佳。そんな知佳は佳奈と二人になった場面で『実はなかなかできなくてさ、不妊治療大変だったんだよ』、『子ども産むならさあ、早くしたほうがいいよ』と言われます。『すぐに四十だよ。あと五年しかないんだよ。私だって三十一で不妊治療始めて、子どもできたの二年後だよ』と続ける佳奈は『智宏さんは欲しがってるかもしれないじゃん』と続けます。そんな佳奈の言葉に『がんがん来るなあ』と思う知佳は、『年齢が上に行けば行くほど不妊治療のお金もかかるんだよ』という佳奈の言葉に『智宏の年収』のことを思います。『正直に言ったら母は腰を抜かすだろう。智宏の年収は私の半分ほどなのだ』と思う知佳は、『子どもを持たない人生だって私は選ぶことができるのだ。どちらかと言うと、今はそっちの気持ちのほうが強』いとも思います。
三度場面は変わり、母子同室の佳奈を病院に訪ねた知佳と智宏。『真剣な表情で赤んぼうを見つめている』智宏を見て知佳は複雑な思いを抱きます。そして、家に帰りテーブルで夕食を食べ始めた中に『子ども、欲しいな。僕』と呟く智宏。『ああ。そう言うんじゃないかと思っていた。今日生まれたての赤んぼうを見て、子どもが欲しいなんてそれじゃおもちゃを欲しがる子どもといっしょだ』と思う知佳に、『知佳ちゃんの子ども欲しい』と『箸を置いてまっすぐな目で言う』智宏は、『僕、赤ちゃん生まれたら、どんなことでもやるし、できると思うし』と続けます。そんな智宏に知佳は…と続く冒頭の短編〈1DKとメロンパン〉。年齢的なリミットを感じながらも目の前の現実との間で思い悩む主人公の姿を見る好編でした。
“既婚、未婚、離婚、妊活、子供嫌い…すべての家族の在り様に注ぐ温かな眼差しに満ちた5つの物語”と内容紹介にうたわれるこの作品。こちらに背を向けた小さな子どもが暖かな光に包まれているかのような表紙がとても印象的です。そして、そんな作品には「いるいないみらい」とひらがな八文字のわかるようでわからない書名が付けられています。一方で、本の帯にはこんな言葉が大きく記されています。”赤ちゃん、欲しくない?”、”…欲しくない”。なんとも意味深な会話の切り取りではありますが、この作品は家族のかたちというものを考える中で、避けることのできない話題でもある、『子どもを持つ』ことについて、さまざまなシチュエーションからその意味を描いていきます。
このレビューを読んでくださっている方の属性はマチマチだと思います。性別、年齢がまず異なりますし、ご自身が育ってきた環境にだっておおきな違いがあると思います。年齢が上がれば上がるほどに結婚すれば子どもというものは当然に持つものという価値観の中に染まっていく一方で、年齢が下がれば下がるほどにそれはひとつの選択肢だという価値観に変わってもいきます。この作品では、そういった価値観のぶつかり合いは元より、子どもが欲しいと願っても必ずしも叶うものではないという現実を見る物語まで、実に多種多様な家族の苦悩を見せてくれます。この作品は基本的には関連性を持たない五つの短編から構成された短編集となっています。まずはそのうちの三つをご紹介しましょう。
・〈無花果のレジデンス〉: 『二年前、僕は二歳下の波恵と結婚した』というのは主人公の宮地睦生。『好きだから、ずっといっしょにいたいから』という理由で一緒になった二人ですが、『波恵が「子どもが欲しい」と言ったあの日から』『子ども、という存在が』『重苦しいものになっ』た睦生。『僕は三十三、波恵は三十一』という中に『まだ、少し、早くないか?』と言うも『女の人は年齢と共に卵子も老化していく』と返す波恵の言葉の先に『タイミング法』をスタートさせた二人。しかし、状況が芳しくない中『不妊治療専門のクリニック』へ出かけた波恵は『どこにも問題はないってー』と『満面の笑みを浮かべ』ます。『だとするなら、もしかしてこの僕に原因が?』と疑念に苛まれていく睦生…。
・〈私は子どもが大嫌い〉: 『恋人はいない。結婚はしていない。もちろん子どももいない』と思うのは『今月、三十六になった』『独り身のアラフォー』茂斗子。一階に住み『二階から上をワンルームにして人に貸して』いるという『四階建ての建物』の『四階、角部屋に住んで』いる茂斗子は『一日一回は顔を見せてよ』と言われていることもあり、仕事帰りに『両親の住居で夕食を食べるようにして』います。『二人とも、もう八十を超えている』と年の離れた両親に『おやすみなさい』と言い部屋へ帰った茂斗子は、『手作りアクセサリー』の趣味に没頭し『十二時近い』という時間に気づきます。そんな時『玄関ドアの向こうで子どもの泣くような声が』します。『単身者しか入居していない』のにと不審に思う茂斗子…。
・〈金木犀のベランダ〉: この町で『パン屋を始めて八年になる』というのは夫の栄太郎とともに四十三歳になった主人公の繭子。『私は両親の顔を知らない』という繭子は『生まれてすぐ乳児院の前に捨てられ』『十八まで施設のなかで』育ちました。『製菓専門学校』を卒業し、勤めたパン屋で同い年の栄太郎と知り合った繭子は三十三歳で結婚しました。三十五歳で独立して出した店は、幸いにもブログで人気になります。『作っているパンは、自分の子どものようなもの』と思う繭子。そんなある日の閉店後、『そろそろ…』と栄太郎が話しかけてきました。『子どもがいてもよくないだろうか』、『自然に子どもができることを待ってみない?』と言う栄太郎。そして別の日、一人の男の子が店にやってきて…。
三つの物語をご紹介しました。〈無花果…〉と〈金木犀…〉の主人公たちはいずれも結婚して子どもがいない夫婦が主人公となります。共通点は、日々それなりに平穏な暮らしの中に夫が『子ども』の話を切り出すところから物語が動き出します。しかし、辿る物語は全く異なる様相を見せていきます。それに対して〈私は子どもが…〉の主人公は独身女性です。両親が所有する『ワンルーム』タイプの建物に一人暮らしています。短編タイトルの通り、子どもが嫌いという主人公は子どものことを『地雷』とまで思っています。そんな彼女があることがきっかけで子どもと接する瞬間が訪れるというのがこの短編です。三つの短編とも共通なのが『子ども』の存在が物語を大きく動かしていくというところです。
そんな物語は、最初から最後まで子どもという存在をさまざまな境遇にある人たちがどのように捉えていくかを描き出していきます。物語では奇数章が女性、偶数章が男性が主人公を務めます。そんな物語で注目されるのが年齢です。主人公たちの年齢はいずれも三十代から五十代という設定をとります。このことが『子どもを持つ』ということについて、”タイムリミット”を突きつける中に、こんな絶妙な言葉で表現されてもいきます。
『ぴんと張ったロープの上。その上でバランスをとっているみたいに。右に転べば、子どもを持つ人生。左に転べば子どものいない人生。今ならどっちにも転べるけれど、女性が子どもを持つ人生を選ぶにははっきりと期限がある』。
『子どもを持つ』ということは、少なくとも現代社会においては、持つ、持たないの二者の選択を強いられるものだと思います。二人の生活が平穏にある中にあってこの二者択一は、選ぶことができるという今の世の中だからこその悩みとなって夫婦に突きつけられてくるものとも言えます。そこには、夫婦それぞれの価値観の違いが顔を出します。お互いを好き同士で結婚に至ったとしても、夫婦の価値観の相違はさまざまなところで顔を出すものです。それを話し合って乗り越えていく、これも夫婦だと思いますが、『子どもを持つ』ということはそう簡単にはそのすり合わせができるものでもないでしょうし、また、この作品でも取り上げられていく『不妊』という問題もあります。
『不妊治療なんてどっか自分の心を押し殺さなきゃできないもんだよ』
なかなかに厳しい現実に苦しめられている方がたくさんいらっしゃるのが実際のところだと思います。
『自分の体の見えないところが、見えないものが、人よりも少しだけ劣っているということに、どうして自分はひどく傷ついているのだろう』。
そんな辛い思いの先には『子どもを持つ』ということが誰にでも容易くできるようなことでもない現実も突きつけられます。この作品で描かれていく『いる』、『いない』というそれぞれの選択の先にそれぞれの『みらい』を思う主人公たち。その一方で『いる』『みらい』を思っても必ずしもそれが叶うわけでもないという現実。そして、望まぬ妊娠により『いる』『みらい』が訪れた先の苦悩。『子どもを持つ』ということに光を当てていくこの作品。そこには、『子どもを持つ』ことを選択できる余地がある現代社会だからこその人々の深い苦悩を見る物語が描かれていました。
『母や佳奈は当然、私が子どもを持つだろうという前提で話をしているけれど、子どもを持たない人生だって私は選ぶことができるのだ』。
『いる』『みらい』と『いない』『みらい』の間で葛藤を繰り返し、『いる』『みらい』をなんとか手繰り寄せ、それを現実のものとすべくも苦悩する夫婦の姿など、『子どもを持つ』ことに光を当てるこの作品。そこには、五つの短編それぞれの視点から『子どもを持つ』先の未来に思いを馳せる主人公たちの姿が描かれていました。男性、女性それぞれに主人公の内面の葛藤に思いを馳せるこの作品。『子作りを始めてから、僕と波恵との間でセックスの意味が変わったように、生理の意味も変わってしまった』と『子どもを持つ』ことの大変さを思いもするこの作品。
『子どもを持つ』という言葉に何かしら感じるところのあるすべての方に是非手に取っていただきたい、そんな作品でした。続きを読む投稿日:2024.06.19
窪先生の読者になって結構長いですが、私の中で凄いと感じたのは今までずっと繰り返しテーマにしてきた生殖に対していくら考えても答えは出ないと言うことが答えなのだと教えてくれた作品だと思います。アカガミは私…にとって最も衝撃的な作品でした。こんな世界がやがて来るのではないかと一瞬でも感じたのですから...その後はドンドン色々読みましたが答えの出ないテーマを一貫して描いている窪先生自身も答えを探しているんだろうと言う事。でもこの作品を読んで悩んでいる人に安心や励ましを与える事にはなるだろうと感じたのは読んだ人だけなのだから未来は変わるかも...続きを読む
投稿日:2024.04.27
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