この作品のレビュー
平均 3.7 (165件のレビュー)
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『不幸はそんなに劇的なものじゃない。実のある不幸は一見なんてことのない日常の中にこそひそんでいる。なのに世間はそんなの退屈がって目もくれない。見栄えのいい派手な不幸にばっかり群がる』
あなたにお聞き…します。
あなたは自分の人生を幸せだと感じているでしょうか?それとも不幸だと感じているのでしょうか?
人によって何を幸せと感じるか、何を不幸と感じるかの基準は異なります。同じ境遇にあってさえ、人によってその境遇の捉え方次第でそこから流れ出る感情は変わってくるでしょう。しかし、例えば『不幸に慣れた人間は、赤く腫らした目や削げた頰を他人に見せるような粗相はしない』というようなある意味極端に冷めきった感情から抜け出せないでいる人がいたとしたら、そんな後ろ向きな感情に包まれた人には何かしらの手が差し伸べられるべき状況にあると思います。では、そんな手が、今は遠い、はるか彼方の世界にいる、かつて一番身近にいた人たちから差し伸べられたとしたら、『不幸に慣れた人間』は何を感じ、何をしようと考えるでしょうか。また、そこにはどのような感情が生まれるのでしょうか。
『十三歳で父を亡くしたとき、あの世はまだ遠かった。やや時間差で母が逝き、弟の修がそのあとを追った』という辛い過去。さらに『二十歳に奈々美おばさんを』、『そして、二十二の年にこよみが死んだ』と身近に相次ぐ死の連鎖を経験してきた主人公・夏目環。『こよみはきれいなブルーグレイの毛をした猫だった』という『近所の自転車屋の猫』を飼っていたのは『ぶかっとしたオーバーオールの似合うおじさん』でした。そんなおじさんが『一人できりもりしていたサイクル紺野』で自転車を買った環。でも『約三ヶ月目。走行中にブレーキをかけるたび、ギギギギギ、と断末魔の叫びさながらの噪音が耳をつんざくようになった』という状況に『たった三ヶ月でこれだから、もともと欠陥があったんだろう。』 と謝る紺野。交換を申し出るも『あの自転車は私の唯一の相棒』と『三日おきに研磨剤』を使わせてもらうことを条件に乗り続ける環。そして『紺野さんともぽつぽつ言葉を交わすようになった』環は『初対面の日から話し友達になるまでに、半年。そしてその後、私たちが特殊な同胞意識を共有するまでには、またさらなる一年』と仲良くなっていきます。そんな時『ねえ、あなたよく紺野さんのところにいるの見かけるけど、気をつけたほうがいいわよ』とクリーニング屋のおばさんに警告される環。『あんまり近づくと、あなたまで祟られるわよ。不幸って、感染るんだから』と身内の不幸が連鎖している紺野を悪く言うおばさんに『私も九年前に家族全員をなくしています。これって、私も祟られてるってことですか』と返す環。『他人の不幸に寄生しないで』と捨て台詞を残して店を後にします。それからしばらくして『年始以外は休んだことのなかったサイクル紺野がシャッターを閉ざしていた』という光景を目にした環。『こよみが死んだ』という悲しみの連鎖。そして、こよみの四十九日を終え『山形に帰ろうと思うんだ』という紺野は『ぴかぴかの自転車』をプレゼントしてくれました。『こいつは丈夫にできてるよ。どこまでも行ける』と言う紺野。『積極的に私をどこかへ連れていってくれそうな自転車だった』という『モナミ一号』に乗るようになった環の前に『ついにあの日が訪れた』という運命の道が開かれる日が訪れます。
あらすじにある通り『死んだはずの家族が暮らす異世界に自転車で行き来する』というファンタジー世界が描かれるこの作品では、この自転車『モナミ一号』が大活躍します。『ただお伴をするだけじゃなく、積極的に私をどこかへ連れていってくれそう』という自転車は『まだ行ける。まだまだ行ける。挑むように前を行くその振動からは強固な意志のようなものが伝わってきた』という何かしらの力が宿っていることを暗示します。『限界の見えない未知数の力』を持つその自転車は『こげばこぐほどにペダルは生き生きと回転し、タイヤは弾むように地を転がっていく』という、普段の後ろ向きな環とは真逆の方向を向いています。この強い意志の力によって死んだはずの家族が暮らす異世界へと足げく通う環。そのダイナミックに異世界へとレーンを越えていく表現には、森さんならではのファンタジーの世界の魅力が存分に詰まっていました。読書で読むファンタジーは、読者の頭の中でどれだけその世界をイメージできるかが全てだと思います。その作品世界がどこまで魅力的なものになるか、読者の想像がどこまで飛翔していけるかは、ある意味読者の想像力が試される瞬間です。森さんの描くファンタジーは決して突飛な世界観などではなく、すぐ隣にありそうな、身近に存在するような、そんな親しみを感じられる絶妙な雰囲気感をとても大切にしていると思います。この作品でも、リアルとファンタジーが切れ目なく絶妙に繋がる不思議な感覚を感じさせてくれました。そして、この絶妙さが後で述べる巧みな読後感へと読者を導いていきます。
そして、この作品では『不幸に慣れた人間』である環が如何に前を向いていくか、この心のありようの変化の描かれ方がポイントとなっていきます。森さんはそんな環の感情を、このように描きます。まず最初に『神様は悪質だ』という強烈な断定。そして『私たちのまわりにあるやわらかくてあたたかいものたちをあの手この手で奪い去る』と家族や身近な存在を次々奪われてきた環のストレートな思いをこのように表現した上で、『あとに残るのはガラスや鉄、プラスティックなんかの硬くて冷たいものばかり』と無情にも物質だけが残っていく目の前の現実を対比させます。そして、さらに『いや、硬くて冷たいものさえも、永遠にそこにありつづけるとはかぎらない』と駄目押しをします。こんなマイナスな感情に取り憑かれている環。『生きていくにはじゃまくさい孤独も、死を思った瞬間に頼もしい友となる』というような強烈なまでの表現を用いてそのマイナスな感情を描いていきます。それが『死んだはずの家族』に接することで、環の心の中に『私には、あきらめちゃいけないことがある』という前向きな力強い感情が生まれてきます。『以前はいたのに、今はいない人たち。 以前はあったのに、今はないものたち』という『失われた時間を空想の中で復活させる』環。それを『走っているときにはなぜだかそれができる』と感じる環。その環から読者が受ける印象は、冒頭の後ろ向きな環とは全く別人かのような力強さを持ち、生きることに前向きな姿勢を強く感じさせます。そんな中、感動の結末へと向かう中で、ある瞬間が訪れます。それは、それまで全体を覆っていたファンタジー世界の印象がすっと消え失せ、現実世界を生きる夏目環という一人の女性が力強く前を向く、そして爽やかなまでに世界を駆け抜けて力強く走っていく、そんな情景が目の前に浮かびあがる瞬間です。マイナスな感情からプラスの感情への転換点、そこにファンタジー世界を描きつつも、あくまでも現実世界を見据える森さんが描くもの、描きたかったもの。現実世界には、今この瞬間ももがき苦しみながら生きる人たちがいます。そして、それでも再び前を向いて生きようとする人たちがいます。そんな人たちのひたむきに生きる姿が、すっと引いたファンタジー世界の前にふっと浮かび上がる瞬間。『朝日が、あらゆる感情を放つあらゆる人たちを照らしていた。』というその瞬間に感じる前を向いた人たちの圧倒的な”生きるんだ”という力強い意志の力に圧倒される瞬間。
“生きろ”という強いメッセージがここにある。力強く、それでいて、背中をそっと優しく押してくれる物語がここにある。そして、辛くて、悔しくて、悲しくて、そんな私たちに生きていくことをもう一度後押ししてくれるそんな作品がここにある。
「カラフル」と全く同じ感情に包まれる読後。 あたたかく優しい感情に包まれる読後。そして、明日もまたがんばろう!という前向きな気持ちに包まれる読後。
心のど真ん中を射抜かれるという感覚、そこから流れ出るあたたかい感動と満足感に包まれる心からの幸せをじんわりと感じた森絵都さんの傑作でした。
森絵都さん、こんなにも深い感動をありがとうございました。続きを読む投稿日:2020.08.03
10年ぶりくらいに読んだ。内容はあんまり覚えてなかったけど、当時とは全く違う読み方をしてるんだろうな...と思う。
読後感がほんとうに良い。前向きになれるし、ダイエットしようと思うし、久米島行きたくな…る!
ファンタジー要素は結構ぶっ飛んでるけど、心の動きの描写にリアリティがあって、すごく共感する。
『出会いなおし』とかもめちゃくちゃ良かったけど、やっぱり森絵都は長編の方が好き。続きを読む投稿日:2024.03.14
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