美しい距離
山崎ナオコーラ(著)
/文春文庫
作品情報
芥川賞候補作
島清恋愛文学賞受賞作
死ぬなら、がんがいいな。
がん大国日本で、医者との付き合い方を考える病院小説!
ある日、サンドウィッチ屋を営む妻が末期がんと診断された。
夫は仕事をしながら、看護のため病院へ通い詰めている。
病室を訪れるのは、妻の両親、仕事仲間、医療従事者たち。
医者が用意した人生ではなく、妻自身の人生をまっとうしてほしい――
がん患者が最期まで社会人でいられるのかを問う、新しい病院小説。
解説・豊崎由美
※この電子書籍は2016年7月に文藝春秋より刊行された単行本の文庫版を底本としています。
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商品情報
- シリーズ
- 美しい距離
- 著者
- 山崎ナオコーラ
- 出版社
- 文藝春秋
- 掲載誌・レーベル
- 文春文庫
- 書籍発売日
- 2020.01.04
- Reader Store発売日
- 2020.01.04
- ファイルサイズ
- 0.9MB
- ページ数
- 208ページ
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この作品のレビュー
平均 4.0 (61件のレビュー)
-
あなたは、『がん』で死にたいと思いますか?
2021年の厚生労働省”人口動態統計”によると、この国で亡くなった方の死因は
第一位: 悪性新生物 26.5%
第二位: 心疾患 14.9…%
第三位: 老衰 10.6%
という順位になるようです。悪性新生物、つまり『がん』が死因の四分の1を占めるという現実。60歳代に限るとその割合は45.2%にも上ると言いますから、『がん』という病が私たちにとって極めて身近にあることがよく分かります。この大きな割合を考えるとあなたの周りにも『がん』で亡くなられた方がいらっしゃるのではないでしょうか?
そんな『がん』は昔から小説の題材にもなってきました。不治の病という言葉と一番に結びつく『がん』は、その診断がなされてから亡くなるまでに一定の期間ができることから、物語として描きやすい側面はあるのだと思います。そんな運命に抗い、やがて諦めの感情の中に結末を見る『がん』。そんなある意味わかり切った結末に、それでも人が惹かれるのは、この世に生きるあなたにも、そしてわたしにも、決して他人事と言い切れない『未来』だからなのかもしれません。
さて、ここに、『四十代初め』という若さで『がん』になった妻を看取る一人の『夫』の物語があります。そんな『夫』が『来年まで生きられると思っていないのだろう』と妻の心情をさまざまに思いやるのを見る物語。そしてそれは、『がんは、それほど悪い死に方ではない』という思いの中に『夫』の人生観の変化を見る物語です。
『ターミナルにある三番乗り場から「新田病院行き」のバス』に乗ったのは主人公の『夫』。『終点に着く直前に、菜の花畑が左手に見え』たことに、『初めて会ったときの妻は菜の花模様のワンピースを着ていた』と振り返ります。『会社の上司の子どもだった』という妻との接点は、『夫』が就職した『生命保険会社』に起点がありました。配属された営業職の『体育会系のノリ』が、『大学ではフランス文学を専攻した身にはつら』いという中に『五年目にして辞めたくなって』いた『夫』に、新しく『赴任してきた』支社長が転機をもたらします。『部下を苗字に「さん」付けして呼』び、『叱咤激励ではなくて冷静な問いを投げ』てくれる支社長の下で『だんだんと仕事を続けられるような気がしてきた』という『夫』。そんな中、『ある日曜日』に、街で『支社長とその家族にばったり』遭遇します。『こんにちは。父がいつもお世話になっています』、『こ、こちらこそ、いや、こちらの方が、大変お世話になっております』という挨拶だけでその場は終わるも『一ヶ月ほど経った日の終業後に、支社長から自宅に招かれ、夕食をごちそう』になった『夫』。『連絡先を交換し、それからは自然とデートを重ねた』二人は『翌年には結婚し』ました。そして、『子どもには恵まれなかったが、楽しく十五年間を送ってきた』という二人。『結婚当初』『大手食品会社の事務職に就いていた』妻は『二年後に退職し、ひとりで店を始め』、今に至ります。『来たよ』、『来たか』と病室に入った『夫』を迎える妻に『今日はあったかいよ。菜の花が満開だった』と道すがらの景色を話す『夫』は、『手の動かし方や、匂いなどが、おばあさんじみてきている』と『この病気に四十代初めでかかるのは稀らしい』目の前の妻のことを思います。『新しい物語を見つけなくては。年齢のことは忘れよう』と思う『夫』は、『じゃあ、梳かすね』と『ロッカーから鼈甲色の櫛を取り出し』、妻の髪を『そおっと梳か』します。『二週間前からやってあげるようになった』という髪を梳かす行為は『抗がん剤治療で髪が抜けるかもしれないということを聞き』『肩に付かないくらいの長さに切っ』て以降行っています。しかし、『意識が混濁してせん妄と呼ばれる状態に陥』ったことで『抗がん剤治療は二回で中止にな』りました。そんな後にトイレへの付き添いに車椅子で病室を出た二人は『大きな窓』のある『デイルーム』へと向かいます。『あ、菜の花畑だ。見える?』と『はしゃいで指』を指す『夫』は、『駅前には、桜も咲いていたんだよ。大通りの桜並木の。来年は、一緒にお花見をしよう』と誘います。それに、『…うん、そうだね』と答える妻は『曖昧に頷いて笑顔を作』りました。そんな妻を見て『良い科白ではなかった』と後悔する『夫』は、『未来を見ずに明るく生きる方法が、今はわからない』と思います。そんな『夫』が、妻の最期の日まで、さまざまに思いを巡らす様が静かに描かれていきます。
“死ぬなら、がんがいいな。がん大国日本で、医者との付き合い方を考える病院小説!”と内容紹介にまずうたわれるこの作品。そんな内容紹介には、かなり詳細に、この作品の概要が語られています。この作品はそんな前提としての”あらすじ”をネタバレと考える作品ではないと思いますので、ここでも敢えて引用しておきたいと思います。
“ある日、サンドウィッチ屋を営む妻が末期がんと診断された。夫は仕事をしながら、看護のため病院へ通い詰めている。病室を訪れるのは、妻の両親、仕事仲間、医療従事者たち。医者が用意した人生ではなく、妻自身の人生をまっとうしてほしい ー がん患者が最期まで社会人でいられるのかを問う、新しい病院小説”
どうでしょうか。これだけの前提でこの作品が非常なもしくは非情な重みを持った作品であることがわかるかと思います。また、ネタバレ以前の問題として、結末に何が起こるのか、これも改めて説明するまでもありません。しかし、この作品の読みどころは、そんなある意味予定されたストーリー展開ではなくて、そこに私たちにさまざまな問いかけがなされていく点にこそ意味があると思います。
そんな作品で、まず注目したいのはこの作品の”視点”です。物語は終始”末期がん”の妻に付き添う『夫』視点で書かれています。しかし、そこには『私』、『わたし』といった表記が登場することなく、また、登場人物の氏名が全く登場せず、主要登場人物の四人は『妻』、『元上司』、『妻の母』、そして主人公の『夫』という記述のみで展開していきます。700冊近い小説ばかりを読んできた私にとってこれは初めての体験です。どうしてそんなことが断定できるかと言うと、私のレビューには定番で、レビューの最初に物語の冒頭部分を引用で繋げて、この作品の概要をお伝えするというパートを用意しているからです。そこに今回私は、”主人公の『夫』”と記しました。普通は氏名を書くか、物語中に記された『わたし』等の表記を使います。この作品ではそれが使えないということにまず驚きました。
・『子どもには恵まれなかったが、楽しく十五年間を送ってきたと思う』。
・『夫婦も十五年もやると、どこまで相手の体に触っていいのかわからなくなる』。
・『余命など聞きたくない。聞く必要がない。病名は聞きたかったし、妻に聞かせたかった』。
これらの表現はまさしく『夫』の内面以外の何ものでもありません。しかし、『わたし』といった言葉なしに紡がれていく物語は、読者が『夫』の内面に入り込んだような印象を受けます。『夫』と共に、”末期がん”の妻をリアルに見る、そんな感覚で進んでいく物語は読書中に他のことに気を取られる時間を与えてくれません。元々文庫本205ページという分量の作品であることもあって、短い時間に密度感濃い物語の中にどっぷりつかった後になんとも言えない余韻が残り続ける、なかなかに印象深い読書を体験させていだきました。
そして、この作品では”末期がん”の妻のそばに付き添う『夫』の姿が描かれることから『介護』というテーマにも向き合っていきます。それは、
『この国には育児・介護休業法が定められていて、介護をしながら働く人向けに介護休業制度という仕事と介護の両立を支援する仕組みがある』。
そんな大前提の提示がなされることに始まります。
『「介護が必要な状態」の家族のいる人は、九十三日を上限に休むことができる』。
いわゆる”介護休職”についても語られます。『制度を利用する権利があるのなら、行使したい』と思う一方で、『仕事への意欲が低下した』とか、『人事評価が下がるのではないか、と不安になる』『夫』の姿が必然的にそこには描かれていきます。”介護は突然やってくる”と言われるように、昨日まで他人事だと思っていた『介護』の当事者に一夜にしてなるという急展開。育児のように”予習”ができない分、当事者になった時の戸惑いが大きいのが『介護』だと思います。しかもこの作品では、『四十代初め』という若さで”末期がん”となった妻を看取る『夫』の姿が描かれていきます。
・『仕事には支障が出てきた』。
・『上手くいかなくなってしまう人間関係や、溜まってしまう仕事』。
そんな現実は会社員である読者に厳しい現実を突きつけます。その中で作者の山崎ナオコーラさんは幾つかの箇所に『感受性の問題』という言葉を使われています。『こちらの感受性の問題なのだろう』、『こちらの感受性の問題なのかもしれない』、そして『こちらの感受性の問題だ』と使われていくこの言葉は、あまり他の小説の中で見たことがないものです。今回、山崎さんの作品を初めて読んでこの言葉同様に独特な言葉選びがなされていることにもとても興味が湧きました。『介護』というものをどう捉えていくかは最終的には個々人の問題とも言えます。山崎さんのこの作品は、そんな問いかけに一つの答えを提供してくれるものでもあると思いました。
そんなこの作品では、”末期がん”となった妻を看取る中に、すぐそこにある死とさまざまに対峙していく『夫』の姿が描かれていきます。印象的な場面が多々登場しますが、例えば『花』というものに対する感じ方によって、変化していく『夫』の心持ちが描かれた箇所は、うるっとくると思います。『世の多くの花が、人の気持ちを高揚させる』と思う『夫』は、『初めの頃は、院内へも季節の風を吹かせることが妻の喜びに繋がるのではないか』と考えていましたが、やがて『季節の花』を妻に見せなくなっていきます。それこそが、『季節の話をする』こと自体が『こちらだけが季節を味わっていると自慢している』もしくは、『妻がいなくても季節は巡るということを肯定している』、『そんな科白になってしまいそうで怖くて、口を噤むようになっ』ていったという
『夫』の心持ちです。来年の今はもとより、次の季節さえ見ることの叶わない”末期がん”の渦中にある妻のそばにいるからこその感覚だと思いますが、『花』一つとってもそこに意味を考えていかねばならぬ状況に、『夫』の胸の内がよく伝わってきました。
そして、『次の季節』とは『未来』ということにもなります。この作品では、『未来』という言葉に絡めてこんな問いかけが幾度にもわたって投げかけられていきます。
『これまではずっと、未来を生きることで明るく生きてきたのだから、未来を見ずに明るく生きる方法が、今はわからない』。
人は、今が辛くても『未来』にはきっといいことがある、今よりもきっと良くなるということを信じて誰もが生きていると思います。今が幸せという人だって、もっともっと幸せになる、と上を見て生きていると思います。それが私たちが生きていく意味でもあるように思います。しかし、”末期がん”によって、そんな未来が否定されてれた場合に、いったい何を喜びに生きたらよいのか、この言葉は、そんな心の戸惑いを正直に表していると思います。
『未来がもうすぐ消えることは知っている。だが、未来が消える瞬間を見届けたくて今を過ごしているわけではない。希望を持って、ただ毎日を暮らしたい』。
『希望』というものは人にとって最後の砦だと思います。『希望』を失った瞬間、そこには生きる意味さえ失われてしまうようにさえ思います。妻の死が刻一刻と迫る日々、いつ何どき訪れるかわからない厳しい現実を前に、それでも『希望』にすがりたくなる『夫』の心持ち。この作品では、上記した通り、読者は『夫』の内面に視点が固定されたままに物語が最初から最後まで展開していく分、そんな『夫』の慟哭が切々と伝わってきました。そして、〈解説〉の豊﨑由美さんは、この作品の結末を踏まえ、またこの作品の書名にも絡めてこんな風に鮮やかにこの作品のことを説明されています。最後にご紹介しておきたいと思います。
“人との距離は、生きている間だけでなく、たとえ相手が死んだ後でも動き続ける。それが、人と人とをつなぐ’美しい距離’なのだ。動き続ける関係こそが愛なのだということを伝えて胸を打つ”
“末期がん”の妻を看取る主人公の『夫』が、妻と知り合った時からその最後までを『夫』の内面視点で描き切ったこの作品。そこには、確実に迫り来る妻の『死』に向き合う『夫』のさまざまな感情の推移が極めて淡々と描かれていました。結末が分かり切った物語の中に、それでも『夫』と共に『希望』を見出したくなるこの作品。『介護』、『余命』、そして『延命治療』といった言葉の重みを改めて噛み締めるこの作品。
予定されていた展開を見る結末にも関わらず、読後、『がんは、それほど悪い死に方ではない』という言葉に妙に納得をしてしまう素晴らしい作品でした。続きを読む投稿日:2023.07.01
ガンに侵された妻を支える夫の話
ガンと聞くと、闘病 病と戦うイメージがあったけど、闘うばかりじゃないと気づいた
タイムリミットを目の当たりにして、一つ一つのしぐさ、時間が愛おしくて愛されてた。投稿日:2024.06.04
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