文学
谷川俊太郎~これまでの詩・これからの詩~
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「三好達治先生に大変な御好意をいただいた。ありがたいと思う気持をどう表せばいいかわからない。1949年冬から1951年春頃までの作品から選んだ。排列はほぼつくった順である。」処女詩集
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「手元に二冊のうすっぺらなノートブックが残っています。一冊は「傲慢ナル略歴」と題され、もう一冊は「電車での素朴な演説」と題されています。この二冊が私の詩の出発点でした。・・・・・・その二冊のノートの中から、『二十億光年の孤独』に収めたものを除いた大部分を、この詩集に収録しました。」
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「忘れかけていた古いノートをひっぱり出してみた。最初のページに1952年4月/1953年8月という日付がある。その間に書いたソネットを鉛筆で清書したもので、全部で98篇ある。それぞれの詩の肩に薄く丸や半丸や三角の印がついているが、これは私の父がつけたのだ。他に「詩学」とか「歴程」とか「文学界」とか「小説公園」など雑誌の名前も書いてあるが、果たして掲載されたのかどうか記憶がさだかではない。1953年に、『六十二のソネット』という詩集を、その98篇から父の助言を参考に取捨選択して編んだ。その後2009年に、残りの36篇を追加した。」
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「「空」「地」「ひと」「人々」という章を立てて、愛の対象を自然からだんだんと複雑な人間生活の営みに向けて四つに分類してみました。日常のむずかしい人間関係を腑に落ちさせようと、そうした筋道を立てて考えようとしていたようです。」
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「これはぼくを詩に誘ってくれた北川幸比古が興した的場書房っていう出版社から自費出版でつくった本です。「手」をテーマにしていろんな写真を撮って――――残念ながらこの電子書籍には写真は入っていないのですが――――それを手仕事で一枚一枚本に貼りつけてつくりました。本を売るのは結構大変で、ダイレクトメールのはがきを出したりしたのを覚えています。」
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「男の子に続いて女の子も生まれて、家族と過ごす日常のうちに生きる、個としての自分を、知らず知らずのうちに意識するようになっています。詩集のカバーに母の若い頃の写真と、自分で撮った妻子の写真を使わせてもらいました。」
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「大阪のほうの放送局から、声にした詩とジャズのコラボレーションの番組をつくりたいからって注文された作なんかも入っていて、詩の方法がおもしろくなってきたというか、現代詩的なものに目覚めたというか、なんかこのあたりから前衛として見られるようになりました。」
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「1962年のはじめから、週刊朝日〈焦点〉欄に、私は毎号ひとつのスペースを与えられました。編集部の注文は、時事的な主題をもった詩を書けということでしたので、私は与えられたスペースを塀に見立て、私なりの落首を書きつづけた。・・・・・・これらは諷刺詩ととってもらってもいいし、エピグラム集ととってもらってもかまいません。」
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「同世代の作曲家の友人たちと始めた歌作りが、だんだん広がっていって、家計の助けにもなっていきました。詩を書くことと、歌詞を書くことの違いを意識しながら、詩にできないことが歌にはできるのが励みになっています。原本は詩集というより楽譜集で、長新太さんの魅力的なイラスト付きです。」
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「画家の香月泰男さんと1966年秋ニューヨークでお会いし、一緒にハドソン河上流へドライヴした。〈旅〉の連作はその年から翌年にかけての旅行の経験にもとづいています。」
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「これは新聞、雑誌のもとめに応じて書いた作品からえらんで編んだものですが、いわゆる現代詩が現代音楽とすれば、この本に収めた作品はポップスにたとえてもいいようなものも多く、どんなふうに読んでもらえるのか、刊行当時はあまり自信がありませんでした。」
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「『ことばあそびうた』に収めた「ののはな」なんて、あまり短いんでね、二番もつくりたかったんですよ。で、一生懸命考えたんだけど、どうしても二番がつくれなかった。・・・・・・ふつうの詩っていうのは、なんとなくこうインスピレーション的なもので、ポコッとことばが出てくるんだけど、「ことばあそび」に限っては全然それがなくて、もう完全に手仕事なんですね。だから、「かっぱらっぱかっぱらった」みたいな、そういう一行がフッと思い浮かぶと、あとは「かっぱ」「らっぱ」「はっぱ」「なっぱ」みたいに「ぱ」で終わる破裂音みたいなものを探していくわけです。」
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