仏教というものは、「生死の意味を明らめようとする」さまざまの試みから生まれた一つの大きな思想の流れといってよいかもしれない。現代文明は死を忘れた文明であるという。近代ヨーロッパ哲学のように、人間を不死なる自我、あるいは、不死なる理性としてとらえる見方は、けっして正しい人間のとらえ方ではないと思う。死の問題から人間をとらえなおすことが必要である。われわれが、釈迦ばかりか、仏教思想に、今後の人類を導く思想創造の可能性を見いだすのは、死に対する洞察の深さゆえである。(本文より)
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仏教思想は、インドから中国へ来て日本へ渡ったが、しかしその伝達には、何百年、あるいは何千年という時間と、そこでそれに携わった多くの人の苦悩が必要だったのである。一人の人間の生の最も深いところから、その思想家のもつ思想にたいする情熱を見ていこう。こういう方法が、本書で一貫してとられている方法である。思想家がもつ、生の内面の最もひそやかなもの、そういうものを見いだしたとき、私の筆は生き生きするけれど、そういうものを見いだしえないとき、私の筆は生気を失っているのである。(序より)
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仏教というものは、「生死の意味を明らめようとする」さまざまの試みから生まれた一つの大きな思想の流れといってよいかもしれない。現代文明は死を忘れた文明であるという。近代ヨーロッパ哲学のように、人間を不死なる自我、あるいは、不死なる理性としてとらえる見方は、けっして正しい人間のとらえ方ではないと思う。死の問題から人間をとらえなおすことが必要である。われわれが、釈迦ばかりか、仏教思想に、今後の人類を導く思想創造の可能性を見いだすのは、死に対する洞察の深さゆえである。(本文より)
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