タイム・オブ・デス、デート・オブ・バース
窪美澄(著者)
/筑摩書房
作品情報
とある団地で5歳上の姉・七海と暮らすみかげ。父とは死別し、母は数年前に出て行ったきり。家計を支える姉に心苦しさを覚えながらも、ぜんそく持ちで、かつ高校でいじめに遭い定時制高校に通っていることもあり、自分の無力さにうちひしがれて、未来に希望が持てず「死」に惹かれはじめる。そんな彼女の前に団地警備員を名のる奇妙な老人・ぜんじろうが現れ、みかげの日常が変わっていく――刊行前から全国の書店員さんたちの熱い感想が続々。新たな夜明けをもたらす、温かさあふれる長編小説。
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この作品のレビュー
平均 3.9 (88件のレビュー)
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あなたには、『いつか私は死体が見たいと思ったことがあった』でしょうか?
この国には1億2千万人もの人が暮らしています。そんな人数を考えれば当然のことではありますが、一日あたりおよそ四千人の人が亡くな…ってもいます。毎時間160人もの人がどこかで亡くなっているという現実。その一方で、亡くなった人を実際に目にする機会はそうは多くはないものです。かつてと異なり、家族葬が一般化しつつある現代社会、かつ平均寿命が大きく上がっている現代社会においては、幼き頃に死んだ人を目にする機会なく大人になる方も決して珍しくはないのだと思います。
そんな中では、『死体を見てみたい』という感情が湧き起こることも人の自然な感情の中にあり得ます。そんな感情は、当然に経験したことのない『死』というものに抱く感情と背中合わせとも言えます。そこには、そんな感情を抱く人自体、『生』よりも『死』に気持ちが向いている、そんな心の内もあるのだと思います。
さて、ここに、『死体を見てみたい』という感情を募らせていく十五歳の少女を描いた作品があります。『昭和のオリンピックのときに建てられた』という『たいそう古い』団地が舞台となるこの作品。そんな団地で『団地警備員』として活躍する少女の姿を見るこの作品。そしてそれは、そんな少女の中に『将来のことを考えて、それが楽しみ、なんて思うのは、生まれて初めてのことだった』という感情が湧き起こる瞬間を見る物語です。
『私は十五年前にこの団地に生まれ、この団地で育った』と『昭和のオリンピックのときに建てられた』『たいそう古い』団地に暮らすのは主人公の棚橋みかげ。『次に大きな地震が来たら危ない』とみんなそう思ってはいるものの『引っ越す人はいない』というその団地には、『この団地以外、どこにも行けない人たちが』暮らしています。父親はみかげが『三歳のときに死に』、母親は『十歳のときに』『家を出てしまっ』たことで、『五歳上のお姉ちゃんの七海ちゃん』が『バイトをしながら』みかげを育ててくれました。そして、『団地の近所にあるパン工場』でアルバイトをしながら夜間高校に通う みかげと、『夜のお仕事をしている』姉の七海は、『二間しかない』団地の一室で暮らしています。『子どもの頃から』の持病である『喘息』に苦しみながら『午前中に二時間、午後に二時間しか働けない』という日々を送るも『お金がもったいなくて』『ネブライザー』は、『発作が起こりそうになったときだけ』使うという みかげは、元々は『昼間の学校に通ってい』ましたが日々繰り返される『いじめ』の中に『お姉ちゃんと先生が相談して、夜の学校に通う』ようになりました。そんな学校で里牟田(さとむた)さん(むーちゃん)と、倉梯(くらはし)君という『ほとんど初めてといっていい友だちができたこと』を喜ぶ みかげ。そんなある日、自宅のベランダから公園を見下ろすと『一人のおじいさんと目が合』います。『みかげ!みかげ!』と手招きするおじいさんは『ここに来なさい!』と執拗に呼びかけます。仕方なく降りていくと一緒に体操をさせられる羽目になった みかげ。そしてまた別の日、『みかげ!みかげ!』という声にベランダに出ると『この前のおじいさんが手招きをしてい』ます。やむなくまた降りていき『私の名前を呼ばないでください』と抗議するも『体力をつけるのだ。そうすれば仕事もできるようになる』と言うおじいさんとまた一緒に体操をする羽目になる みかげは、『これが終わったらこの前みたいにすぐに部屋に戻ろう』と思います。そんな時、おじいさんは語り始めます。『警備に行くぞ』、『私は団地警備員だ。みかげも今日からその一員になる』。そして、『足元にあった赤い小さなリュックを』渡された みかげは『来い!』と言われて団地の建物の中へと連れられていきます。そして、ある部屋の前で『絹代さーん』とおじいさんが声を上げると、『腰の曲がったおばあさん』が出てきました。『死なないように!これをちびちび飲みなさい!薬だ!』とリュックから『ポカリスエットのボトルを』取り出して差し出すとドアを閉めたおじいさん。『あのう…団地警備員ってなんですか?』と訊く みかげに『生き残っているものの生存確認!…今日からみかげはその一員になる!』と言うと、リュックの中から『みかげ』と書かれた『黄色い星形のバッジを取りだし』みかげに渡します。そして『団地警備員』としての活動を始めたことで みかげの人生が少しずつ変わり始めていく日々が描かれていきます。
“直木賞作家の新境地。東京の古びた団地が舞台の、生と死をめぐる成長譚”と内容紹介にうたわれるこの作品。細い線と淡い色調で描かれた表紙がどこか一見ほのぼのとした内容を思わせるこの作品ですが、そんな表紙をよく見ると、背景に描かれた建物にはひび割れもあり、まさしく”古びた団地”を思わせるのみならず、主人公と思われる少女は裸足であり、着ているもの含めどこか危うさを漂わせています。そう、この作品は”父とは死別し、母は数年前に出て行ったきり”という中に、『昭和のオリンピックのときに建てられた』『たいそう古い』団地に暮らす姉妹の日常が描かれていく物語なのです。高度経済成長期に数多く建てられた団地。そんな団地は各地で老朽化と高齢化が問題視もされています。この作品で窪美澄さんが描かれるのはそんな団地の日常にストレートに光を当てていく物語です。
では、まず作品の背景に描写されていく老朽化した団地の表現を見てみたいと思います。
・『昭和のオリンピックのときに建てられた』
・『縦に三つ(手前から1~3)、横に四つ(左からA~D)並んでい』て、『まるでドミノ倒しの駒のよう』
・『次に大きな地震が来たら危ない』
・『正方形の狭いお風呂』
・『ひびが入って変な模様になっている玄関のコンクリートの床』
・『錆び付いて、塗装の剝げた鉄製のドア』
六つの表現を取り上げましたが、これだけでもおおよそのイメージが思い浮かぶのではないでしょうか?それは、それほどに全国各地にこのようなイメージの建物があちこちに残っていることの証だとも思います。私の家から徒歩圏にもやはり同様なイメージの建物群が存在します。そして、古くなった場は治安にも影響を与えます。次は治安面での表現を抜き出します。
・『この団地の屋上から飛び降りる人も多い。ここはいわゆる自殺の名所なのだ』
・『この団地にはあやしい人も多い。特に男の人に。団地の角を曲がったら、ズボンとパンツを下ろした男の人がいるなんて、日常茶飯事だった』
・『いくつかの棟の入口で、塾帰りの小学生の女の子が襲われる事件が起きていた』
・『何かあって、大声を出したとしても、この団地の人たちは無視を決め込む』
世の中古くなり管理が行き届がなくなった場所というものは、どこであっても必然的に治安の悪化を招きます。そういった環境を嫌う人は引っ越していきますが、この作品の主人公である みかげ姉妹がそうであるように、『私の家と同じようにこの団地以外、どこにも行けない人たちがここにいる』、それがこの団地の現状であることがわかります。そんな中に妹の みかげを実質一人で守ってきた姉の七海。そんな七海は、こんな未来を強く思う中に生きてきました。
『いつか絶対この団地を出るからね』
それは、団地という場所だけでなく、貧困に喘ぐ暮らし、決して本望ではない『夜の仕事』からの脱却と『本当は美容師さんになりたい』という夢を叶えることでもありました。そして、『みかげには好きなこと勉強させて、好きなことさせてあげて、大学だって行きたいなら行かせてあげる。普通の家の子どもみたいに』と、みかげのことを思う七海は『汚れたことをするのは私だけで十分』という強い決意の元に生きてもいます。一方でそんな姉のことを慕い、自分にできることを考える みかげは『子どもの頃から』の持病である『喘息』に苦しみながらも『パン工場』で働きつつ夜間高校に通う日々を送っています。なんとも健気な姉妹の生き方、そして貧困に喘ぐその生活が窪さんのリアルな描写の中に読者の頭にハッキリと浮かび上がってもきます。他サイトを含めたレビューで、この表紙のイメージが本編に合わないと指摘をされている方もいらっしゃいますが、私にはこの描写の先に浮かぶ映像がこの表紙のイメージに見事に合致するように思いました。いずれにしてもこの作品は前提となる世界観を思い浮かべることで、物語世界にどんどん引き込まれていく作品だと思いました。
そんな舞台背景の上に展開するのが、ある日突然『みかげ!みかげ!』と声をかけてきたおじいちゃん=ぜんじろうとの出会いと、『あのう…団地警備員ってなんですか?』という先に始まった活動でした。
『生き残っているものの生存確認!子どもたちの安否確認!ここから飛び降りる者がいないかどうかのチェック!』
そんな主要目的三つを果たすために団地を巡回していく みかげと ぜんじろう。『ベランダの下から呼ばれるから』という理由で嫌々ながらスタートした活動当初、みかげは日々の生活の中に未来を見出せずにいました。それどころか、そこに浮かぶ感情は『死』へと惹かれていきます。
『ぜんじろうさんと団地の警備をしていれば、いつか本物の死体が見られるかも』
十五歳の少女が『死体』に惹かれるというこの感覚。人は前を向いて、顔を上げて生きる日々の中に『死体』を見たいなどという感情は普通には起こらないと思います。『死体』を見たいという感情は、自身をそこに重ね合わせていく思いがどこかしらにあってこそのものなのだと思います。この作品では、作品の表紙に手書き文字でハッキリと記されるこんな感情へと みかげの思いが変化していく様が描かれていきます。
『いつか私は死体が見たいと思ったことがあった』。
『死体を見たい』という感情から、その感情が過去形へと置き換わった瞬間を見る物語。この作品では窪さんが丁寧に描く みかげの感情の細やかな変化の描写の中にとても納得感のある結末を見る物語、まさしく みかげの成長を見る物語が描かれていたと思いました。
“古ぼけた団地に住む少女みかげ。彼女の生と死をめぐる成長譚です。どうぞお楽しみください”
そんな風に語る窪さんの言葉が、この作品の書名を改めて思い浮かべさせます。
『タイム・オブ・デス』 = 死亡時刻
『デート・オブ・バース』 = 生年月日
死を見る中に、生を感じる物語。物語の冒頭と結末にハッキリと みかげの成長を感じることのできる物語。そこには、なんとも言えないあたたかい感情に包まれる読後がありました。
『私は十五年前にこの団地に生まれ、この団地で育った』
そんな今を生きる主人公の みかげが ぜんじろうと共に『団地警備員』として活動する日々の中に確かな成長を見るこの作品。そこには、”東京の古びた団地”を舞台にした物語が描かれていました。舞台となる団地のリアルな描写に物語背景が鮮やかに浮かび上がってくるのを感じるこの作品。窪さんらしい細やかな感情表現の中に、みかげが感じ取っていくさまざまな想いを具に感じるこの作品。
『死』というものに惹かれていくが故に、そこから見えてくる『生』への思いの強さが逆に浮かび上がってもくる、絶妙な読後感を感じさせてくれる素晴らしい作品でした。続きを読む投稿日:2023.05.15
大都会の片隅で日常の中に身近にある死。それに気付かぬまま今を必死に生きるみかげ。いつか死体がみたいと思っていたのは死というものがわからなかったからなのかな。みかげ、素直でほんとうにいい子。
投稿日:2024.05.01
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