掬えば手には
瀬尾まいこ(著)
/講談社
作品情報
ちょっぴりつらい今日の向こうは、光と音があふれてる。
『幸福な食卓』本屋大賞受賞作『そして、バトンは渡された』に連なる、究極に優しい物語
私は、ぼくは、どうして生まれてきたんだろう?
大学生の梨木匠は平凡なことがずっと悩みだったが、中学3年のときに、エスパーのように人の心を読めるという特殊な能力に気づいた。ところが、バイト先で出会った常盤さんは、匠に心を開いてくれない。常盤さんは辛い秘密を抱えていたのだった。だれもが涙せずにはいられない、切なく暖かい物語。
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この作品のレビュー
平均 4.0 (392件のレビュー)
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あなたは、『ぼくには人の心の中を読み取れる能力があるんだ』と言われたらどう思うでしょうか?
私たちは、憲法第19条によって”内心の自由”が保証されています。心の中でどんなことを考えようがそれはその人…それぞれの自由です。それが故に人と人との繋がりの中で生きていく私たちはなかなかに苦労させられることもあります。
いつも朝は不機嫌な上司が、”おはよう!”と声をかけてきたとしたら、宿敵と思う同僚が満面の笑みで”ありがとう!”と声をかけてきたとしたら、そして、家に帰って妻に”お疲れ様!”と満面の笑みで迎えられたとしたら、それはある意味恐怖でしかありません(笑)。”腹の探り合い”という言葉がある通り、私たちはその内心が見えないために、さまざまな方法で相手が思っていること、その本心を知りたいと苦心します。『人の心の中を読み取れる』ことができたら随分と普段の苦労が軽減される…そんな風にも思います。もちろん、条件があります。自分の心の中が相手に見えては意味がありません。あくまで見えるべきは一方向のみですね(笑)。
さてここに、『ぼくには人の心の中を読み取れる能力があるんだ』という一人の大学生が主人公となる物語があります。今までに幾度となく『人の心の中』を読み取ってきた過去の先の今を生きる主人公が登場するこの作品。そんな主人公が心の中を読み取れない現実に対峙する様を見るこの作品。そしてそれは、そんな主人公の思いの先に、”瀬尾まいこワールド”全開な優しさに満ち溢れた世界を見る物語です。
『梨木君、ちょうどよかった』と『忘れ物を取りに寄った』『大学の第三体育館』で河野(こうの)に声をかけられたのは主人公の梨木匠(なしき たくみ)。『サークルでバスケの試合をして』いたものの『二試合連続で負けた』ことに『香山(かやま)君が落ち込んじゃって…』と説明する河野は『試合って言っても、遊びみたいなものでみんな楽しんでただけなのに』と『ぴりついた空気』の中に補足します。『梨木君、なんとかしてよ』、『香山君の機嫌取ってきて』と促す河野に『まったく知らない相手だ』、『突然ぼくに話しかけられたら戸惑うだろう』と思いながらも『使える力がぼくにあって、その力を必要としている人がいるんだったら、活用すべきだ』と考え香山の元へと向かいます。『なんかわかる。遊びだとしてもさ、一応試合してるんだから、負けたら悔しいよな』、『楽しむのもいいけど、スポーツするなら全力出すのが前提だよな』と話しかける梨木に、『香山は大きくうなずき、「そう、そうなんだよな」と体育館に響く大きな声を出し』ます。そして話を続ける中に『お前、マジでいいやつじゃん』と心を開く香山は『本当申し訳ないんだけど…その、なんていうか、君、誰だっけ?』と訊きます。『ぼくは梨木。梨木匠』と答える梨木に『そっか…うん、そうだったよな』と『ぴんと来ないのをごまかす』香山に『負けたにしても、ナイスゲームお疲れ』と返して場を後にする梨木に『ありがとな。梨木。今度は一緒にやろうぜ』と大きく手を振る香山。『ぼくのやるべきことは果たせたみたいだ』と『ああ、そうだな』と手を振り返した梨木。そんな梨木は『ぼくが最初に自分の能力に気がついたのは、中学三年生の十月だ』と過去を振り返ります。『入学した時からずっと不登校だった三雲さんという女の子が、初めて学校に来るということがあった』ある『金曜日の三時間目』。『三雲さんが保健室の先生と一緒に教室のドアを開けて入って』くるも『声も出さずじっと見守』るクラスの面々。『みんな喜んでいるよ』、『みんな待ってたんだよ』と『担任の先生』が言うも『どれも三雲さんにはヒット』しません。『もう座ってしまったほうが楽になれるのに』と思う梨木が彼女の顔を見ると『何かに怯えているようではあるけれど、その向こうにしっかりとした意志がある瞳が見え』ました。そしてはっとします。『二日前に衣替えをした』のに『三雲さんは夏服を着ている』、『もしかしたら…引っかかっているのは…一人だけ違うその服装かもしれない』。『いてもたってもいられなくなっ』た梨木は、すっと立ち上がると『全然、夏服でもいいじゃん。ぼくなんかさ、ほら見て』と言うと『学ランの前ボタンを外』すと『学校のワイシャツ着てないんだ。パジャマにしてるTシャツのまま…ドラえもんの柄だよ。超ダサいだろう?』と話します。それに『梨木、小学生かよ!』と突っ込みが入るなど『みんなも懸命に』場を『盛り上げてくれ』ます。そんな中、席に着いた三雲さんに『おおー』と『歓声が上がった』教室。そして、授業が終わった後、『どうして、梨木はわかったの』、『三雲さんが夏服を気にしてること』、『エスパーだな。エスパー』と取り囲まれた梨木。『梨木には力があるんじゃない』と言われ『ぼくにも何か特別なものがあるのかもしれないと、かすかに希望を与えられた気がした』梨木。その後、『学校に来るのは週に一、二日、数時間程度のこと』という三雲を気にかけ続けた梨木。そして、『卒業式の前日』『連絡先を教えてほしい』と三雲に言われ、『「もちろん」と携帯のアドレスを教えた』梨木ですが、『通信制の高校に進学』した三雲から『連絡があったのはほんの数回』でした。そして大学生になった今の梨木は『オムライス店でバイト』しながら大学生としての毎日を送っていますが、ある日、バイト先に一人の女性が新しいバイトとして仕事を始めます。何か秘めているその女性、そんな女性に『特別な力』で接するも『彼女の心はまるで読めな』いという現実に晒されます。そんな彼女が秘めたものとは、そして梨木の『特別な力』とは…”瀬尾まいこワールド”全開な物語が描かれていきます。
“大学生の梨木匠は平凡なことがずっと悩みだったが、中学3年のときに、エスパーのように人の心を読めるという特殊な能力に気づいた。ところが、バイト先で出会った常盤さんは、匠に心を開いてくれない。常盤さんは辛い秘密を抱えていたのだった。だれもが涙せずにはいられない、切なく暖かい物語”と内容紹介にうたわれるこの作品。いきなり”エスパーのように人の心を読める”特殊能力を持った主人公の登場!絶品ファンタジー?と思わせる内容紹介がある意味でミスリードもしていきます。瀬尾まいこさんの作品はエッセイを除いてほぼコンプリートした私ですが、瀬尾さんほどファンタジーと紙一重の世界を絶妙に描かれる方はいないと思います。そして、そんな瀬尾さんの作品ではそれを当たり前のように見せていく独特な世界が広がっていると思います。ふわふわとした一見掴みどころのない世界。この世界に浸りきることが瀬尾まいこさんの作品を読む醍醐味でもあります。
さて、そんなこの作品は魅力的な登場人物にあると思います。”瀬尾まいこワールド”に決定的な悪人は登場しません。というよりどこかほんわかとした雰囲気を持った不思議な人物が物語を引っ張っていきます。ここが読んでいて安心の世界観を紡ぎ上げていくのだと思います。この作品に登場する人物は次の五人です。そして、視点の主は一貫して梨木匠が務めます。
・梨木匠: 大学一年生、オムライス店『NONNA』で『ほぼ毎日』アルバイト、『人の心の中を読み取れる能力がある』
・河野悠: 大学一年生、梨木に『大学内で河野さんに会わない日はな』いと言わせる位に毎日会う存在
・大竹: オムライス店『NONNA』店長、39歳、『ヤンキー上がり』、『バイトが立て続けに辞める』口の悪さ
・常盤: 看護大学二年生。オムライス店『NONNA』でアルバイト、『何をどう思っているのかが、どこからも漏れてこない…不思議な人』
・香山: 大学一年生、『運動部でまっすぐにやってきた純粋なやつ』、梨木を『隣の市のマラソン大会』に誘う
五人の属性を見ていただくとお分かりの通り、物語は大学と梨木のアルバイト先である『オムライス店』を舞台に展開していきます。そんな中で新しく働き始めた常盤が謎を秘めた存在として描かれていきます。必要なこと以外、会話を拒否するかのように接する常盤、梨木の誘いも拒絶し不思議感を深めていく中に展開していきます。
そんな物語で光が当たっていくのが主人公である梨木が持つ『特別な能力』です。梨木は自分のことをこんな風に認識しています。
『ナンバーワンにもオンリーワンにもなれる要素がなくて、個性と言えるようなものは一つも持ち合わせていない。どの集団にいても、ちょうどまんなか平均値に居座っているのがぼくだ。秀でたところなど、どこにも見当たらない』。
『父はカメラマンで、母はバイオリニストで、姉は画家を目指すとかってアメリカに留学中』という『芸術一家』で育った梨木は『その家族の中で、ぼくだけが普通なんだ』という思いに苛まれながら生きてきました。
『平凡はつまらないぞ。好きなことを思いっきりやれ』
そんな風に父親から強くアドバイスされ続けてきた梨木は大学に入ってそんな家族と離れ一人暮らしを始めました。そんな風に『平凡』という言葉に対するマイナス感情を刺激される中に『特別』であることに憧れる思いを抱いてきた梨木は、自分に備わっているかもしれない『特別な能力』を意識します。それこそが、冒頭でもご紹介した、中学校のクラスで経験した、友人たちに『エスパー』と騒がれた『相手の気持ちを読む力』でした。
『必要とされた時、何か言葉をかけたほうがよさそうな時、そういう時には惜しまず使おうと思うけど、自分の持つ力をわざわざ披露する必要はない』。
そんな風に大学生活の中で人には積極的には伝えず友人たちと接していく梨木。物語ではその冒頭に『バスケの試合』で負けたことに端を発して場を『ぴりついた空気』の中に引き込んでしまっていた香山に対してその能力が依然として存在していることが匂わされます。それを自信に繋げていく梨木。
『やっぱり、ぼくには人の心の中を読み取れる能力があるんだ。漏れてくる思いを感じられる力。そして、そこに応じた言葉を送れば、喜んでもらうことも、安心させることもできる。ささやかだけど誰かのためになる力。それがぼくにはある』。
しかし、そんな梨木は自身の力が通用しない現実に向き合うことになります。
『ぼくは人の心が読めるはずだ。なんとなく相手の気持ちがわかるはずだ。それなのに、どれだけ常盤さんを見つめてみても、彼女の心はまるで読めなかった。常盤さんは、重い扉の向こうにいるようで、何一つ凹凸のないガラスに包まれているようで、漏れてくる感情は何一つなかった』。
『普通』、『平凡』という言葉を強く意識する中に自らが持つ『特別な能力』に自身のアイデンティティを見出す主人公の梨木。私たちは多かれ少なかれ誰にだって自分が他者より秀でていると言われることに喜びを感じます。この作品では『人の心が読める』という『特別な能力』に自身の存在意義を感じてもいく主人公の梨木がそんな能力が通じない現実に対峙していく有り様が描かれていきます。『漏れてくる感情は何一つな』いという常盤が抱えていものとは何なのか?物語は、そこに読者に衝撃的な事実を突きつけます。ほんわかとした物語に突如突きつけられる狂おしいまでの現実。そんな現実に勇気をもって、一区切りをつける梨木の姿が描かれていく結末。極めて納得感のある、それでいてこれでもか!と人の優しさを感じさせる絶品の結末に、あたたかいものが込み上げてくるのを感じながら本を置きました。
『ぼくには人の心の中を読み取れる能力があるんだ。漏れてくる思いを感じられる力』。
大学一年生の梨木の日常が淡々と描かれていくこの作品。そこには、人と人との関係性の中で『特別な能力』と向き合う梨木の姿が描かれていました。極めて読みやすい物語が心にスーッと入り込んでくるのを感じるこの作品。登場人物のまさかの繋がりに驚かされるこの作品。
瀬尾さんが描く優しさに満ち溢れた物語世界の魅力にすっかり心を持っていかれた絶品だと思いました。続きを読む投稿日:2023.07.31
瀬尾さんらしい、安定の暖かくなれる話。
大学生の主人公は自分が家族と比べて何も持っていないというのがコンプレックスで、中学の時に心が読めた経験から、それを自負にしてこれまでやってきている。
普通という…コンプレックスや、やはり互いに会話をしないと通じあえないよね、っていうあたりまえのことを改めて気づかせてくれる作品。
また、普通がコンプレックスであることも今らしい。でも、主人公自身もやっぱり普通じゃなくて、だからこそ救われた人もいる。それぞれに個性があるんだ、っていうことも伝えている。
とても読みやすく、箸休めにもいい。続きを読む投稿日:2024.06.03
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