結局、人生の最後にほしいもの
曽野綾子(著)
/ポプラ社
作品情報
5万部ヒットの新書「人生の値打ち」に特別話を加えて単行本化! 厄介事も多い人生だったが、身のほどの幸せとともにひっそりと消えていきたい。 身のほどを知る人こそ厄介な世の中の「骨頂」を味わえる。 女も男もなく「孤高」を愉しむために必要なことを学ぶ21話。 この複雑で厄介な世の中で、自分を見失わずにその使命をまっとうする生き方とは?
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商品情報
- シリーズ
- 結局、人生の最後にほしいもの
- 著者
- 曽野綾子
- 出版社
- ポプラ社
- 書籍発売日
- 2022.03.16
- Reader Store発売日
- 2022.03.16
- ファイルサイズ
- 3.1MB
- ページ数
- 254ページ
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この作品のレビュー
平均 3.5 (2件のレビュー)
-
このレビューはネタバレを含みます
曽野綾子「結局、人生の最後にほしいもの」、2022.3発行。人生の深い味、幸せをつくる力、生きるために必要なこと、男と女は違いがあるから面白い の4部構成です。タイトルの人生の最後にほしいものは何かなと思いながら読み進めました。曽野綾子さんのほしいもの、あったようななかったような・・・。「人の役に立って死んでいける光栄」なのかもしれません・・・。明確な言葉はなかったです。
レビューの続きを読む投稿日:2022.04.06
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曽野綾子さんの本読むたびにほんと大好きでファンになる。ほんと会いたいからファンイベやらないかな。書籍サイン会とか。
曽野綾子
東京生れ。1954(昭和29)年聖心女子大学英文科卒業。同年…発表の「遠来の客たち」が芥川賞候補となる。『木枯しの庭』『天上の青』『哀歌』『アバノの再会』『二月三十日』などの小説の他、確固たる人間観察に基づく、シリーズ「夜明けの新聞の匂い」などのエッセイも定評を得ている。他に新書『アラブの格言』などがある。1979年ローマ法王よりヴァチカン有功十字勲章を受ける。1993(平成5)年日本藝術院賞・恩賜賞受賞。1995年12月から2005年6月まで日本財団会長。
だから私は昔から、フェミニズムというものにほとんど関心がなかった。もともと違うのだから、補い合えばいいのだ。競い合い同等になる、という発想の方がおかしい。フェミニズムという言葉は女性解放、男女同権主義などと訳されている。しかし、すべての女性が、解放されなければならなかった存在だとは私は思わない。いわゆる形ばかりの解放など全く望んでいなかった人もいるし、封建的家族の中で暮らしていても、男性より偉かった女性の存在は昔からあったのだ。 確かに、農業や漁業に携わる人々の社会では、夫婦に子供が生まれると、男の子は高校にやらないでもないが、女の子にはその必要がないという空気がなくもなかった時代がある。私の父は、東京の下町に生まれたが、次男であった。家業は長男が継ぎ、次男の父が家を出ていく決まりになっていた。それで面白いことに、長男は旧制の中学を出ただけで充分とされたが、次男である父は大学にやってもらえたのである。しかし、兄弟平等などという思想は全くなかったらしく、私から見ると本家の伯父にあたる人はいつもおっとりと床の間の前に座っていたが、次男だった父は、中学生の時から毎日家中のランプのホヤの掃除をするという任務があったという。私は後年、アフリカの田舎の修道院でランプの生活をさせられた時、性懲りもなく、触れてはいけないランプの熱いホヤの部分に手を触れて火傷が絶えなかった。その時、父のこのランプ掃除の話を思い出したものである。
地方の家庭には、そういうわけで高等教育を受けなかった女性がたくさんいた。確かにその人々の一部は、結婚した後も男性と同等の生活をしていたとは思われない。お父ちゃん達は農閑期にバスを連ねて熱海の温泉へ行くが、お母ちゃん達は置いてけぼりだったという時代が長くあったという事を私は知っている。 しかし、そのような不平等を彼女達は賢く楽しんでいた。つまり、煩わしいお父ちゃん達のご飯の支度をしなくていい数日の留守の間は、お母ちゃん達にとってけっこうな休日だったのである。
もっともこの当時聞いた話で私が許せなかったのは、お父ちゃん達は少し体が悪いとすぐに医者に行くくせに、お母ちゃん達が歯が痛いと言っても歯医者にかからせてもらえないというものだった。そんな風にして大切な家族を冷遇して、どういう良い事があるのだろうと私は腹を立てたのである。
一方女性の場合、何が力かというと、育むということだと私は思っている。直接子供を産むという行為もあるが、自分の子供だけでなく、あらゆる生命に対して慈母のような行動を取れることを私は女性の力だと感じている。 何度か書いた事があるのだが、或る時私は、南米のボリビアという国の田舎町で、日本人の神父が手助けしている結核患者の収容施設に行ったことがある。患者達の九割は、本来はアンデスの山地で暮らしていたのだが、働く場所のない山にいてはどうにもならないので、お金欲しさに町へ下りて来た人達である。ところがそこにも、半端な仕事しかなく、それも恒久的に働いて収入があるというものでもない。やがて彼らは安い酒を飲んで、荒れた生活をするようになる。酒を買うので、食べものもまともに買えない。怪し気な街の女と深い関係になり、国元に残してきた家族とは連絡も取れない。もしかしたら字も書けない人たちなのである。無論、ケータイなどというものを持てるはずもない。
五十歳を過ぎてから、私は度々アフリカへ行くようになったが、気楽に知人を誘うこともあった。私は、六十四歳から七十三歳まで会長を務めていた日本財団(当時の日本船舶振興会)の企画で、そうした途上国に行くことも多かったが、外部から自費で参加したいという人を同行させることは拒否しなかった。新聞社やテレビ局だけでなく、私の知人の出版社の編集者を誘うこともあった。 すると主に女性からだが、質問を受けることもあった。「怖くないですか?」「危険はありませんか?」「暑くないですか?」「マラリアはないんですか?」「テロはないんでしょうね?」 答えはほぼ同じようなものであった。「まあ、怖くはないでしょうね」「危険はありますよ」「暑いですよ」「絶対にないとは言えませんね」「テロはねぇ……まあね……」 それらの災害にあまり遭うことはないと思うから、私はこういう旅の企画を立てていたのだ。しかし、全くないとは誰も保証できない。それらの僅かな危険を覚悟し、それに備えるような必要性のある旅だからこそ、私にとっては学ぶことが多かったのである。マスコミ風に言えば、それだからこそ、彼らも他社の記者には書けない記事が書けるはずである。 しかし私の誘った女性たちの多くは、危険を冒すことを嫌がった。
男性でもほとんどのイスラム圏の国ではお酒が飲めない、ということだけで断った人もいた。いや、本音は私と行くのが嫌だったのかもしれないが……。 しかし多くの男性たちは、仕事のためには仕方なく、暑さも食事のまずさも、生活上の不便も耐えしのぶ。それらの代償を払わなければ、何一つ手に入らないことを知っているのである。 私は根っからの男女同権好きである。だから女性にも、この原則を覚悟してほしいのである。
二〇一七年二月、夫が亡くなった。一人暮らしを始めて、まだ一年半ほどしか経っていない。もっとも、私の場合、一人暮らしと言っても、昼は秘書が雑用をしに来てくれ、夕方からはお手伝いの女性とお喋りする時間もある。それから、並べて書くのはいけないのだが、今うちには「直助」と「雪」という牡と牝の猫がいる。私は時々「雪」を抱いて寝ている。「雪」が真夜中近く、私のベッドに勝手に飛び込んで来ると、そのまま眠っているからだ。
私の生涯の道楽は、旅行だった。行った土地について首尾よく作品に書くことになれば「取材旅行」、行ってはみたけれどどうも……ということになれば、遊びだったと思えばいいし、事実私はこの二種類の言い訳を、けっこう上手に、狡く使い分けていた。 私が最も贅沢をしたのはサハラ砂漠の縦断だった。来る日も来る日も何一つ景色に変化がない。そして人家一軒見当たらない。全く水がないから、住んでいる人は一人もいないのだ。そうした文字通りの砂漠を含む三千キロあまりを、四輪駆動の機能を持った車二台で走ったのである。ガソリンスタンドもないから燃料はすべて自分で持っている。燃料が切れれば、最悪の場合、死ぬ他はない。 その話をすると多くの人が、「そんな退屈で危険なドライブをするくらいなら、ヨーロッパ一周をした方がいいじゃない」と言うのである。全くその通りだし、砂漠の縦断は、車輛まで特殊仕様にしなければならなかったから、レンタカーでかなり贅沢にヨーロッパ一周をするより、お金がかかった。 しかし、数百キロの彼方まで、一人として人の住まない空間というものを、我々はなかなか体験できない。人のいない空間の主は、当然人間ではなくなり、昼は風と砂の、夜は星と暗い砂丘の支配する世界になる。これは、それまで私が見たこともないような夢幻的な空間であった。満月の夜、あまりの月の眩しさに、野営をしている私は、航空会社がくれたアイマスクをしなければ眠れなかった。そしてこういう月光を受けて眠る夜を過ごしただけで、私は「生きるに値した人生を生きた」と言えるし、納得して死ねるだろう、と思ったのである。 現世の物質的な贅沢が好きな人は、こんなもののために私が、当時なけなしの貯金をはたいたということが信じられないだろう。 しかし私は、砂漠の夜の途方もない空漠なる地表と、あまりにも壮麗な夜空を見られたことを、この上ない贅沢だと感じたのだ。その手つかずの地球の素顔のために、私は自分の時間と、いささかの危険とお金を捧げても悔いない、と思ったのだ。
私は、大手の種苗屋さんが集めたガーデニング愛好家グループの会員になっているので、年に数回カタログも送られて来るのだが、そこには今年の「新製品」のような頁もある。「今年の新しい種と苗」である。新製品の創出の仕方を私は知らないが、望ましい特性を持った果物や野菜の種をかけ合わせて、新果物や新野菜を創るのだろう。小説を書くのもいいが、新しい野菜を創るのも楽しかっただろうなあ、と私は最近心が揺れている。
つまり大学で英文学などは学ばずに、農学部に行けばよかった、と少し後悔しているのである。学問は、実生活で役に立たないものほどいい、という人もいる。だから小説家になると決めていた私は逆に文学とは関係ないはずの法科に行ってもよかったのだ。小説を書くのにすぐ役に立つと思われる文学部ほど、実は小説の役に立たないものはなかった。皮肉なことに法学部出身者くらいしか読む必要のない特殊な月刊誌には、必ず短篇の種が二つや三つは判例として掲載されているのだ。それで私はその雑誌を取るのをやめた。その雑誌に頼っていると、あまりにも安易に小説を書けそうに思えたからだ。
「犬と飼い主は似ますね。うちの犬は水をひっくり返す。妻もよくバケツをひっくり返すんです。防火用のバケツは一年中同じ所に置いてあるんですけどね」 会ったばかりの人に、こういう他愛のない妻の悪口を言う人ほど、多くの場合、夫婦仲は円満だ。
会話力は、その人が過去どれだけ本を読んだか、いい友人を持っているか、普段の何気ない時でもしっかりと眼を開けて周囲を見ているか、というような姿勢にかかってくる。会話力は、全人生の結果なのだ。だから「付け焼き刃」ではできない。入試と違うのだから、別にそのための努力などしなくていいのだが、普段の生き方は大きく物を言う。 会話力を持つ人は、それだけで自分の他の特徴を消してしまう。その人が善人かどうかも、親戚に実力者がいるかどうかも、問題でなくなる。荒野で堂々と咲くアザミの花がみごとなようなものである。 荒野には風も吹き抜ける。家の中や温室とは違う。足許を野獣や野猫が踏んで通る。冬には雪も積もる土地である。しかしその中でアザミはのびのびと咲くのである。 会話力は、耐える力であり、観察力のたまものでもあろう。その二つの力さえ持っていれば、そしてさらに三つ目のものとして慎ましい気持ちを持って、絶えず周囲から学ぼうとする姿勢を崩さなければ、誰にでも必ず備わる才能のようにも思う。そしてその人の魅力を示す指数は、九割方、会話力にかかっているのである。
私はもう年をとっているし、世間でいう社交のような付き合いをする必要がなくなっているのだが、若い時からかなり人付き合いが悪い人間だった。ほうれん草が嫌いという人がいるように、大した理由もなく、社交というものが好きではなかったのである。
ところで、私の友達は幼稚園時代からの知り合いばかりである。私は幼稚園から大学まで一貫校に通った。受験してみても他所の学校には受からないのは明白だったので、そんな努力もしなかったのである。おかげで青春時代は受験地獄も知らずにのびのびと過ごした。幼稚園時代からの友達というのは、つまり、十七年を共に過ごした人達である。或る時知人の男性に、財界の某有名人の奥さんと私は十七年間同じ学校でしたと言ったら、煩悶したような表情を浮かべて、「とすると、お二人はどこかで留年なさったとか、大学受験に失敗なさったとかそういうことですか?」と言われた。私はその人の計算の素早さに感嘆した。私は単純な足し算でもこんなに早くはできないのである。私が「私達は幼稚園からの同級生なので十七年間です」と言ったら、その人はなるほどと納得してくれた。
私がこの世でかなり嫌いなものの一つが、噂話である。それは九十パーセント以上の確率で、間違った話を伝えているからである。 私は作家になった後、度々インタビューを受けた。初めは有名雑誌の編集者や全国紙の新聞記者が来るのだから、話したことを正しく書いてくれるのだろうと思っていた。ところが、でき上がった記事は実に滅茶苦茶なのである。私は早々にその事実を知ったので「インタビューは、私が喋った部分だけは手を入れる事をご承認くださるならお受けいたします」と言うようになった。予め頼んでおけば、大体の新聞社や雑誌社は今ではこのルールを受け入れてくれる。頭から拒否しているのは日本経済新聞だけだから、私は日経のインタビューは受けない。
私はだいぶ前からアラブ諸国へ出入りしていたので、その時に格言の本を買ってきていて、あまりに面白いので気に入ったところに赤線を引いてあった。改めて読み直さなくても、アラブの人達はつくづく賢いと思う言葉を既に選んであったのである。それを集めて一つ一つの言葉に私が解説を付け加え、感想を述べ、夜になると私がさっさと寝てしまった後で、編集者の女性達が東京の本社とメールでやりとりをして編集をしたのだ。 その格言集の中に、「賢い人は見た事を喋り、愚かな者は聞いた事を喋る」 というのがあって、別にアメリカがサダム・フセインをやっつけるために侵攻した事実とは何の関係もないのだけれど、私はこの格言が面白くてたまらなかった。
学歴もあり賢くて常識のある多くの人達が、この愚か者のやり方で暮らしているのである。「何とかだそうだ」というようなニュースの捉え方は、時間の無駄遣いそのものと言っていい。そしてまた、そのような会話しかしない人達を私達は陰で密かに「放送局」と呼び、用心してその人達には何一つ語らないようにしている。『アラブの格言』に出てくる賢い人達の多くは遊牧民で、大学に行ったわけでもないし、哲学を学んだわけでもないだろう。しかし、彼らは羊を追って、オアシスからオアシスへ荒れ野を移動するうちに、人生の真実というものはいかにして手に入れるべきかという事を知ったに違いない。
私が運転免許を取ったのは、一九五五年(24歳の時)で、当時はもう女性で車を運転するのはごく当たり前になっていた、と私は思っているのだが、夫の美人の従妹などは、ポンティアックなどという大きな外車を運転し、多分嫌がらせだったのだろう、トラックの運転手さんに「おい、ねえちゃん」などと高い窓越しにからかわれて随分不愉快な思いをしたというような話をしていた。その程度に女性ドライバーというものが珍しい時代だったのである。
いつの時代から、女性が結婚しても、子供ができても、世間の中で働く人が増えたということになったか考えてみると、恐らく、戦争が終わって十年ぐらい後のことであろう。
少しキザな言い方になるが、私たちは仕事を通して人生を語り合ったのだ。もちろん大げさな話ではなく、現場に立つことの現実を話し合う時、その方の仕事と私の仕事との接点が、自然な形で結びついたのである。 私の実感ではそういう意味で、男女の差別も職業の貴賤もない。世の中になくていい仕事はないのである。総理大臣は、パン屋さんより通俗的・社会的地位や収入は上かもしれないが、パン屋さんやお米屋さん、さらにお米や小麦を作る人がいなかったら、総理大臣がいないより困る。
私が相手について知りたいのは履歴であって肩書きではなかった。その人自身が、生涯を通して主に関わって来た仕事を通じて身につけた技術や、体験して来た「物語」であった。本職のかたわらお料理もするとか、ピアノを教えているとか、山登りの趣味がある、というような日常的なこともあれば、銀行の業務の実態、土木技術の苦労話、大学の先生の学生に対する見方、などというような人生の断片を、部外者の私にも聞かせてくれるのは、実にありがたいことだった。そういう生活を続けていると、私は自分の人生以外の分野の「物知り」になれた。もちろん本物の体験者ではない。私はたくさんのニュースの背後に関して、少しだけ多く知っていたので、本質を深く味わう事ができるようになっていた。
マリー・アントワネットが権力の最盛期にあった時、小さな幸せを求めて、ヴェルサイユ宮殿の庭に「プチ・トリアノン」と呼ばれる離宮を好んだことは、その表れである。広い王宮は、権力欲に取りつかれた人たちの抗争の場で、温かくこぢんまりとした家族の幸福を支える場ではないのだろう。 スペインのマドリッドの王宮にも、最後に王室一家が立ち去っていく前に、別れを告げたという部屋があった。ガイドが教えてくれたのである。それは決して、大広間ではなかった。この広大な王宮の、どこにこんな小さな部屋が残されていたのかと思うくらいの、小部屋だった。そこで王家の人々は、何を語り合ったのだろう。
世の中には、その人の特性と全く関係ない状態を示すものがいくつかあって、附属的な部分に興味を示す人も多い。相手が、独身か、子持ちか、家族持ちかはまだ興味の対象として許せるとしても、その人の配偶者がどこの学校の出であるか、どういう家庭に育ったかは、その人の資質とは全く関係がない。 それより私にとって興味深いのは、その人が茶の湯が好きか、登山の愛好者か、音楽好きか、というような事である。それらがむしろその人の本質だからである。「お宅は立派なうちにお住みですから」「お宅のお嬢様は秀才だから〇〇大学にいるんですよ」「お宅だからあんな外車に乗れるんですよ。うちは国産車を買うのがやっとのことです」 というような言葉は女性の表現だ。しかし、それほど空虚で嫌らしい言葉はないかもしれない。人を褒めるつもりなら、もっとその人の本質を評価する言葉を使わねばならない。
私には生涯を通して付き合った女性の友達が沢山いる。 学校が小中高大学の一貫校で、しかも一学年一クラスに五十人ぐらいで、満六歳から二十二歳まで同じ友達と学校に通ったのである。 カトリックの信仰をもとに、修道女たちによって作られた学校だったので、当時は「修身」と呼ばれていた道徳の時間とは別に、信仰を教える時間もきっちりと確立されていた。噓をついてはいけません、とか、自分のことは自分でしなさい、とか、いつも神さまの視線の中で生かされています、とかいう程度だったが、幼いうちから人間の自然な本性に対して理想とすべき形があるということを知らされたのはありがたいことだった。そうでなければ、私たちは、無限に「日々と時代に流される生活」をすることになったであろう。
「日本は男女同権です」という日本語が、かなり前から、全く成り立たない社会ではなかったのだ。お父さんが絶対の権限を持っているように見えながら、実はお母さんが家政全体を取り仕切っていたりする例はいくらでもあった。ことに日本の家庭では、主婦が財布の実権を握っている例がほとんどだ。稼いで来るのはお父さんなのに、お父さんはお母さんの顔色を見ながら、小遣いをもらう。不満がないわけでもないだろうが、「致し方ない、まあそんなものか」と納得しているのである。
フェミニズム運動の下に、女性が自分から差別しようとしていることも実に多かった。私は時々、シンポジウムとか講演会に呼び出されることもあったが、その場合にも「女性のための」とか「女性だけの」とかいう制約を自ら作っているグループがちょくちょくあった。そして、「聴衆も女性に限っています」などと思いつきのようなことを言う。その度に、私は頑固に、「そんな差別をするところの講演は引き受けません」と言い張った。今考えると幼稚な抵抗だが、私は当時は本気だった。
最近は、SNSで使われる用語には通じていても、母国語に「達者」ではない人が多いという。手紙一本、日本語で書けない人もいるという。優れた言語の使い手になるには、まずはたくさんの本を読み、日本語でたくさん書くことしかない。
第一は日本には、働くことが義務ではなく、趣味のように楽しいと思っている人が結構いるということである。 たとえば私はごく最近、ハワイにある米軍の中央鑑識所で、一片の骨からこれが誰のものかを科学的に割り出していく特殊な方法を開発された古江忠雄先生のラボラトリーにいたのだが、先生はアメリカ人の職員が帰ってしまったあとでも残って、遺骨を相手に調べものをしていられる。朝鮮戦争、ベトナム戦争だけでなく、また第二次大戦中の戦死者の遺骨もニューギニアなどから蒐集してきて、その骨が誰のものかはっきりと鑑別し、たとえそれがお骨一本でもきちんとお棺に納めて、陸海空三軍の栄誉礼をもって送り返す。死者にたいする愛がなければできない仕事である。 ところが或る日、二世の運転手さんが「残業」を済ませた先生を迎えにきた。「こんなにたくさん働くと、お金ようけもらえるでしょう」 と言う。「いくら働いても同じよ。僕はただ気になっている問題を、なんとかして解決してやろうというのが楽しくて、勝手に残業してるんですよ」 二世さんはどうしてもわからない様子であった。 もちろん、世の中には、決まりだけ働くという人もたくさんいる。教師たちの中にも「人の為に働くということは、つまり資本主義に貢献するだけだ」という考えがあった。 しかし仕事というものは、それがいやいやの任務である場合と、楽しくてやっている場合とでは、その当人の幸福の度合いが全く違う。 仕事は、一部の日本人にとって生きる目的であり、生の実感なのである。
テニスや盆栽作りだけが趣味だなどと決めることはない。とにかく日本人の中には、仕事を楽しみに変え得る才能のある人が至るところにいる。これはよその国にあまり見られない特徴である。
日本人には常に人の立場を思うという習慣が色濃くある。世界中を歩いてみてこの点がないことに、私はいつも新鮮な驚きを覚える。地球上のほとんどの人々は自分を主張するだけだ。自分のことしか考えない人間というのは、つまり幼児性を残している。勿論この手の人は日本にも学歴のあるなしにかかわらずいるが、ほかの国はもっともっとひどい。続きを読む投稿日:2024.04.11
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