江戸時代、五代将軍徳川綱吉の治世。伊予国新居郡の南にある別子山で、銅が発掘された。その情報を得た側用人の柳沢保明は、逼迫する幕府の財政を改善するために、銅山の開発を勘定頭差添役の荻原重秀に命じた。彼は諸国の鉱山を歩き廻った後藤覚右衛門を、代官に任じる。後藤は、大坂の豪商・住友の分家で、銅業を営んでいた「泉屋」に協力を仰いだ。それが、二百八十三年にわたり、日本の近代化を支えることになる別子銅山の歴史の始まりだった。愛媛新居浜で、別子銅山とともに生きた人々を描く歴史巨篇。天正の陣泉屋の灯赤銅の峰待ち・・・
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黒船の来航以降、幕府は次々と起こる災難に対応が出来ないほど、厳しい状況におかれていた。
それは伊予国新居にある別子銅山にも影響を及ぼした。
百七十年にわたり、銅山稼業を営む御用達商人「泉屋」は、
採掘の行き詰まりと幕府が銅の海外輸出を禁止したために販路が減り、多額の負債を抱えていた。
おまけに給金が滞った鉱夫たちの不満が高まり、泉屋の奉公人広瀬義右衛門は窮地に陥る。
黒船来航で大きく変わる世の中。
それは銅山を運営する住友「泉屋」にも……。
一六九〇年に発見され、二百八十三年にわたり
日本の貿易や近代化に大きく貢献した銅山の歴史
開国の宴
激流の波
異国の空に
鉱山鉄道
けんか太鼓 -
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江戸時代、五代将軍徳川綱吉の治世。
伊予国新居郡の南にある別子山で、銅が発掘された。
その情報を得た側用人の柳沢保明は、逼迫する幕府の財政を改善するために、
銅山の開発を勘定頭差添役の荻原重秀に命じた。
彼は諸国の鉱山を歩き廻った後藤覚右衛門を、代官に任じる。
後藤は、大坂の豪商・住友の分家で、銅業を営んでいた「泉屋」に協力を仰いだ。
それが、二百八十三年にわたり、日本の近代化を支えることになる別子銅山の歴史の始まりだった。
愛媛新居浜で、別子銅山とともに生きた人々を描く歴史巨篇。
天正の陣
泉屋の灯
赤銅の峰
待ちぼうけ峠
新居浜浦 -
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