この作品のレビュー
平均 4.0 (7件のレビュー)
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『もちろんわたしたちは、理解できないものに名前をつけるだけではなく、視覚的に表現することだってできる。しかしこうしたイメージは、不可解なものを「表象する」わけではない。ただたんに、わたしたちに不可解な…なにかを想像するよう促し、そのあとでわたしたちの期待を裏切るだけだ』―『絶対と相対』
ウンベルト・エーコの講義録を読んでいたら、もう三十年以上前の飲み会での話を思い出した。それは学校を卒業していきなり英語を使って仕事をすることに苦労していた頃の話。正確には仕事以外の場面でする会話って苦労するよね、という話の流れだったのだが、ある(業界他社だが同窓の)先輩が、自分も英語が得意ではないけれどある時オーストラリアの技術者と呑んだ際に、一つひとつの言葉が何を意味するのかをじっくり話してから会話したらお互いに話が通じて一晩中話がはずんで楽しかったことがある、というのだ。その時はそんなものかと思っただけだったけれど、今更ながら、それってまさに記号論の話だったのだな、と再認識する。
仕事の話なら、差し出された一つの英文が言葉として何を意味しているのかを掴み損ねたとしても、言葉の中に散らばる記号(用語)のシニフィエ(用語に要約された概念)を取り違えなければ、それらを組み合わせて意味は立ち上がるのだが、普通の会話ではそのような共通のシニフィエを含有する共通の記号の在庫を(育った文化的な背景の違いもあり)持ち合わせていない、ということなのだ。だからいくら英単語のシニフィアンをイメージできたとしても話が噛み合わないことになる。――例えば、Can we retrieve the probe? と検層エンジニアに聞かれて、ある計測器の仕組みを理解している者には、probe という記号さえ正しく解釈できれば、現在の状況(という文脈)の中で何を問われているのかを正しく理解出来るが、そうでない者には英語の意味は判ったとしても retrieve も probe もシニフィアンとして受容されるのみで、エンジニアが何をしたいのか不明なままだろう。
常に皆が同じ記号から同じシニフィアンを想起する、あるいは同じシニフィエに辿り着くとは限らない。ウンベルト・エーコの小説を読んでいると常にそういう気持ちにさせられるものだが、その仕組みを一つひとつ解きほぐすようにエーコが解説するというのが本書の内容。だからと言って自著に対する解説という訳ではない。開かれたテクストという文脈でそういう本も書いてはいるけれど、これは「何故エーコの小説を読むとある種の不安に駆られるのか」ということを説くような本なのだ。
この厚手の上質紙に印刷された一冊は頁数の割には大部だ。それはふんだんに挿まれる絵画などのイメージの為の選択と思われるが、そのイメージから喚起されるシニフィアンと文章から読み取るシニフィアンを組み合わせて、立ち上がるもの(シニフィエ)を読者(実際には講義の聴衆)が取り違えないようにとエーコが意図した為でもあるのだろう。実際、この博覧強記の知の巨人が参照する先人の示した概念、文章、芸術とその解釈などは余りに広範囲に及ぶ為、「何々のように」とエーコが言う時に何を正確に意味しているのかを予備知識なしに理解するのは不可能なようにも思えるのだが、提示されるシニフィアンが理解の助けになることは読んでいくとよく解る。もちろん、それが正しい理解なのかどうか、冒頭の引用が示唆するように本当のことを言えば判らないのではあるけれど。ただ、エーコがそういう疑念を読者が抱くだろうことをも計算していたのだとも思えてくるから不思議だ。
それを短く要約してしまうとエーコが意図したものに対する理解がこぼれ落ちてしまうとは思うけれども、至極単純に言えば「見ているものが必ずしも見えているものとは限らず、更に見えているものが正しく見えているとも限らない」ということだ(「見えないもの」というテーマだけが二度本書で語られる)。もしそんな風に全てを一つひとつ疑って、事実と思われるものを確認しなければならないのだとすると、この世を生きることはとてつもなく大変なことになる。そしてそれは事実上不可能だ。しかし、人がどのようにしてシニフィアンを誤って解釈しがちなのか、それをエーコは「百科事典的」知識の中から例を取り上げて示してくれる。すると少しずつ「意味」「事実」「理解」というようなものの本質が見えてくるような気になる。例えば、こんな警告をエーコは発している。
『想像したことが語られているのであって、現実世界でそれらのことが確認されることはないために小説の言説とはつねに虚偽だといえる。にもかかわらずわたしたちは小説の言説を嘘だとは思わないし、ホメロスのこともセルバンテスのことも嘘つきだと咎めたりはしない。わたしたちのよく心得ているように、物語テクストを読むときわたしたちは作者と暗黙の協定を結ぶ。作者は真実を語っているふりをし、わたしたちもそれを真面目に受け取るふりをしなければいけないという協定だ。(中略)したがって、アンナ・カレーニナが自殺したのは真実だと主張するとき、あるいはホームズはベーカー街に住んでいたと主張するとき、わたしたちはあるひとつの楽譜(あるひとりの作家が書いたもの)にもとづいて断言しているのではなく、ひとりの揺れ動く者について断言している。その人物の存在論的規定はいささか奇妙だ。というのもその人物は存在するはずがないのに、それにもかかわらずなにがしかの方法でわたしたちのあいだを動き回るうえに、わたしたちの思考を占領してしまうことすらできるのだ』―『見えないもの』
人は、その「ふり」がある文脈の中でのみ成立しているという前提条件を往々にして忘れてしまい、ふりのつもりがいつの間にかその言説を本当に信じてしまう。その恐ろしさはエーコの没後の世界に生きる我々は身に染みて感じてはいないだろうか。どうしてそんな風になってしまうのか。そこには「善」と「悪」という子供でも理解可能と思われる概念が、実はそう単純な二項対立ではないという実情と、「悪」にさえ惹かれてしまう人間の性[さが]があるのだともエーコは教える。そしてこんなことをつぶやく。
『というわけで、芸術は悪魔の醜さをじつに巧みに表現してきた。しかし、醜さを巧みに表現しようという競争は、わたしたちにある疑いを抱かせる。つまり、表面下でとはいえ、そこには恐怖(Torrendo)に対する真の悦びがあったのではないか、という疑いである。ある種の地獄が、キリスト教信者を脅かすためだけに考えられたものだ、などとは言わないでいただきたい。いくつかの地獄は、かれらを狂喜させることをも目的にして、考えられてきた』―『醜さ』
露悪的な悪人というのが物語ではしばしば登場し、それを読んでそんな人は現実には存在しないというような批判を人はよく口にするが、実際にはごく普通の人の心の中にもそういう一面が潜んでいる。そしてある状況下においてその一面が急に露わになるだけなのだ、とエーコは教えるのだ。そしてそれは時に「正義の仮面」を被ってさえいるのだ、と。
『ロルドンはスピノザの『神学・政治論』(一七世紀のものである)の一節を引用している。「庶民が真理も判断も知らなくても無理はない。国家の政務はかれらの預かり知らぬところで執り行われているのだから」。しかし、国家機密と隠蔽と陰謀とでは、それぞれ、それなりの違いがある。リチャード・ホフスタッターは、「アメリカの政治における偏執狂的スタイル」(一九六四)で、陰謀論への嗜好は、社会思想に精神分析の分類を適用することで理解されるべきだと説いている。その分類とは、二種類の偏執狂現象のことである。精神医学的な偏執狂は、世界全体がかれに対して陰謀を企んでいると考えるが、社会的な偏執狂は、隠れた権力者たちが、かれのグループや、祖国や、宗教を迫害していると思い込む。社会的な偏執狂は、みずからの妄想がほかの何百万という人びとからも共有されていると考え、みずからが私心なしに陰謀に立ちむかっていると信じている点で、精神医学的な偏執狂より危険だといえるだろう。このことが、これまでに起こった多くの出来事に加え、今日起こっているたくさんの事柄を説明してくれるはずである』―『陰謀』
この文章の元となった講義がなされた時(2015年。そしてあの大統領選挙は2016年)エーコが危惧していたことは、今まさに現在進行形で起こっている。なべて世に新しきことはなし、ということか。続きを読む投稿日:2023.06.06
[巨人の肩に乗って]
文化史のパターンとして、父親世代モデルの否定(父殺し),これに対する子の否定(子殺し)があるということはまあ普通。父を殺すために、偉大な祖父に力を借りる(ルネサンスは、古典古代を…範とする)の指摘は、成程。現代は、その時代のモデルが存在しなくなり、ある主義主張が世代の断絶ではなく、各世代内での断絶を生む(例えば、反グローバリズムの参加者は、親世代子世代を問わず存在)という指摘も、考えさせられる。モデルが世代単位で無くなった原因が、過去及び地域などのモデルがメディアにより並置されるようになったから、というのは、そんなに単純では無いように思う。
[美しさ]\[醜さ]
続きを読む投稿日:2023.04.15
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