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兄・頼朝の勘気にふれ、やむなく義経主従は吉野に難をさけるが、鎌倉からの追捕の手はあくまで厳しく、安宅の関で虎囗を脱し、ようやく奥州平泉にたどりつく。しかし、ここ平泉も、藤原秀衡の死とともに安住の地ではなく、義経ははかなく悲劇の終幕を迎える……。悲運の英雄・源義経の生涯を描く、長篇力作・全5巻・完結篇。
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義経は、一の谷から、屋島、壇ノ浦へと平家を滅ぼし、数々の武勲をたてる。生捕りの平宗盛らを引き具して鎌倉へ下向した義経は、腰越で兄・頼朝から鎌倉入りを冷たく拒絶され、むなしく京へ帰る。さらに頼朝の勘気を蒙り、その討手のため、京都堀河で夜討ちにあう。やむなく義経一行は、京を去っていく。輝かしい時代は去り、義経の悲劇が展開していく……。
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駿河黄瀬川の陣で義経は兄・頼朝と晴れの対面をし、源氏方は富士川の合戦で、平家の大軍を撃ち破る。そして寿永2年、木曾義仲が京に侵入し、平家一門は都落ちしていくが、後白河法皇は義仲と対立する。義経は宇治川の合戦で義仲を破り、動乱の都に入り、まもなく静を知る。兄・範頼とともに平家追討の院宣を受けた義経は、一の谷の合戦で平家の大軍を潰走させる。
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奥州へ下った義経は、平泉に藤原秀衡を訪ねる。義経に好意をよせる鎮守府将軍・秀衡は、このとき53歳。当時、藤原氏は蝦夷と争っており、義経はこの争いにまきこまれ、蝦夷を討伐し、長の赤路具を心服させる。やがて治承4年夏、兄・頼朝の平家追討の旗上げが知らされる。ついに義経の立つ日が来た。関東へ向けて、平泉を出で立つは、義経主従32人……。
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平家全盛の承安3年秋、洛北鞍馬寺で文武の技を磨く、源義朝の子・遮那王は15歳になった。明けて4年の春、遮那王は京五条の橋の上で弁慶と出会い、主従を誓うが、この非凡な少年に平家の目が光る。危険をさけ、奥州平泉に藤原秀衡を訪ねていく途中、近江の国・鏡の宿で元服し、自ら九郎義経と名乗る……。悲劇の英雄・源義経の生涯を描く一代記(全5巻)。
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