小説
シグマフォース外伝 タッカー&ケイン2 チューリングの遺産
シリーズ内の平均評価:
(17)
〈シグマフォース〉外伝シリーズ最新刊Σの秘密兵器=タッカー&ケインが世界を救う! コンピュータの父が現代の戦争を変える──“人”と“犬”の種を超えた深い絆で結ばれた元米軍大尉と軍用犬が電子の脅威に挑む! 戦友で恋人だった女性から連絡を受け、急ぎ駆けつけたタッカー&ケイン。しかし、彼らを待ち受けていたのは、次世代型戦闘用ドローンの襲撃だった……。〈あらすじ〉元陸軍レンジャー部隊所属のタッカー・ウェインと、軍用犬のケイン――強い絆で結ばれた一人と一頭は、かつての戦友ジェーン・サバテロから依頼を受ける・・・
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〈シグマフォース〉外伝シリーズ最新刊
電子戦争の脅威に挑む一人と一匹──
開かれた“禁断の扉”──
戦場は生身の人間によるものから
銃弾も銃剣も必要ない、デジタルの世界へと移り変わる……
生身の兵士タッカー&ケインは、
最新鋭キラードローン──WAR HAWKに勝てるのか?
原爆実験都市からカリブ海の島へ──
世界を救うため電子の迷宮に戦いを挑め!
〈エニグマ〉の開発者である、アラン・チューリングが遺した
極秘プロジェクト──“ARES〈アレス〉”
戦を司る神が現代に降臨する時、新たな戦争の時代が幕を開ける……
元軍人と一匹の犬が、それに立ち向かう!
〈あらすじ〉タッカーとケインは、ジェーン、フランク、サンディの元同僚ノラ・フレイクスとともに、サンディ殺害の真相とその裏で着々と進められている計画の正体を突き止めようとする。第二次世界大戦中にドイツ軍の暗号を解読したイギリス人数学者アラン・チューリングの提唱したコンピューター技術が、最新の戦闘用ドローンに搭載されているらしい。だが、裏で画策するメディア王のプルーイット・ケラーマンの野望は、キラードローンの開発だけにとどまらない。計画を阻止するため、タッカーたちは最初の原爆実験が行なわれた地や、カリブ海の島国トリニダード・トバゴを経て、敵の本拠地に乗り込んだ。生身の兵士のタッカーとケインは、最先端の人工知能を備えたキラードローン部隊に勝機があるのだろうか?
◆科学的事実に関して
ドローン[Drone]
現代の戦争においていかにドローンが広く使用されているかを理解し、実感したければ、新聞を読むだけで十分である。現在、新しく改良されたロボット戦士を開発するための軍拡競争が進行している。このことから、根本的な疑問が生じる。ドローンの使用は人の命を救うのだろうか、それともその使用の容易さ──遠くからの殺害が可能になること──により、我々が戦争に巻き込まれる可能性は高くなるのだろうか? 我々は相手を確認する前に攻撃するようになり始めているのだろうか? そして、この次に考えなければならないのは、誰がそうしたドローンを制御するのかという問題である。 -
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〈シグマフォース〉外伝シリーズ最新刊
Σの秘密兵器=タッカー&ケインが世界を救う!
コンピュータの父が現代の戦争を変える──
“人”と“犬”の種を超えた深い絆で結ばれた
元米軍大尉と軍用犬が電子の脅威に挑む!
戦友で恋人だった女性から連絡を受け、
急ぎ駆けつけたタッカー&ケイン。
しかし、彼らを待ち受けていたのは、
次世代型戦闘用ドローンの襲撃だった……。
〈あらすじ〉元陸軍レンジャー部隊所属のタッカー・ウェインと、軍用犬のケイン――強い絆で結ばれた一人と一頭は、かつての戦友ジェーン・サバテロから依頼を受ける。彼女の話によると、共通の知人サンディ・コンロンが行方不明になっており、ジェーン自身も命を狙われているという。調査のため、タッカーはサンディがあるプロジェクトに取り組んでいたアラバマ州のレッドストーン兵器廠を訪れる。現地でサンディの自宅を捜索し、同じくかつての戦友フランク・バレンジャーから話を聞いたタッカーとケインだが、次世代の戦闘用ドローンの襲撃を受ける。サンディはこのキラードローンの人工知能の開発に携わっていたが、用済みとなって殺されたらしい。その裏にはアメリカを代表するメディア王が関与していた。
◆歴史的事実に関して
アラン・チューリング[Alan Mathieson Turing, 1912年6月23日~1954年6月7日]
イギリスの数学者・暗号学者で、第二次世界大戦中にドイツ軍の暗号の解読に携わった。彼による暗号「エニグマ」の解読が、第二次世界大戦での連合軍の勝利に大きく貢献し、戦争の終結を早めたと言われている。チューリングはエニグマの解読のために「ボンブ」という電動式の装置を開発するなど、コンピューターの父とも呼ばれる人物だが、暗号解読は軍事機密に関わることだったため、その業績が広く知られることはなかった。そればかりか、後に同性愛者であることが発覚し、当時のイギリスでは同性愛が違法だったことから「著しい猥褻行為」で有罪判決を受けてしまう。投獄は免れたものの化学的な去勢を受け、その二年後に自殺するという悲劇的な最期を遂げている。彼の功績が認められるようになったのは死後のことで、イギリス政府が公式に謝罪したのは自殺から五十年以上が経過した二〇〇九年のことであった。 -
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