世継ぎの家重を護れ!宮地家二代目「加門」に将軍吉宗から直命下る。側室が懐妊したばかりの、家重の病は果たして偶然か。加門の幼馴染み、十八歳の田沼意次は、家重の小姓。加門と意次は合力して闘う。享保元年(一七一六)、吉宗は跡継ぎのいなかった家継の養子となり、将軍を継いだ。紀州藩主であった吉宗は、紀州から多くの家臣を伴って江戸城に入った。そのなかに、宮地家も含まれていた。紀州から連れて来た薬込役(くすりごめやく)十七家を御広敷伊賀者(おひろしきいがもの)として置いたのである。江戸城に入ったとき、宮地友右・・・
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人気シリーズ、衝撃の最終巻!
父は老中の田沼意次、嫡男意知は新任若年寄。
驚天動地の殿中の凶刃。
城での暗殺強行の真意は?
なぜ誰も阻止しなかった?
背後に命じた者がいた?
田沼派排斥の動きも加速!
御庭番宮地加門らは……。
天明四年(一七八四)三月二十五日、江戸城で前代未聞の凶事が出来した。老中田沼意次の嫡子意知が、将軍を護る新番士の佐野善左衛門政言に斬りつけられたのである。意知は若年寄に就いたばかりだった。七十歳の大目付・松平忠郷が佐野を羽交い締めにする足下には、意知が血まみれで倒れて虫の息。他に誰も佐野を止めようとはしなかった。はたして佐野一人の暴挙なのか? -
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将軍家治の後継は?
城の内外に渦巻く噂。
御養君御用掛が始動!
嫡子・家基落命から二年。
田安家の松平定信、一橋家の治済らが噂に上るが……。
折しも平賀源内が殺人罪で牢に。救出法はあるか……?
家将軍家治が十八歳の嫡子・家基を城内で殺されてから二年ほどの天明元年(一七八一)四月十五日、家治の 命で臨時の役が設けられた。御養君御用掛というその役は、老中田沼意次、若年寄酒井忠休、留守居依田政次 の三人に課せられた。最高位の老中が中心となり、お世継ぎび選定作業がはじまったのだ。田安家から養子に出た松平定信、一橋家の治済が噂にのぼっているが……。 -
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十八歳の聰明で壮健な次期将軍の身に何が?
御庭番宮地加門は……。
将軍家治の後継・徳川家基、鷹狩りの帰途、東海寺で…。
いったい誰が何を策して?
街で噂をま 撒く男を追うと、もう一人の幻の将軍の影!
十代将軍家治と正室のあいだで生まれたのは姫ばかり。跡継ぎの不在を案じた老中の田沼意次は家治に側室をすすめ、意次の選んだ於知保が男子を産み、家基と名付けられた。家基は年が明けて十八歳、聰明で壮健な跡継ぎとして成長。その家基が鷹狩りの帰途、品川の東海寺での中食後、急に腹の不快を訴えられ、回復の兆しがないゆえ、城に戻ることになって……。 -
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徳川家統領の座を巡り、一橋家の治済が策す、田安家定信への深謀!
病弱の田安治察が万一……。
八代吉宗が遺言で決めた、御三卿存続の条件とは?
九代家重の世から続く、田安家一橋家への思惑……。
御庭番の宮地加門は幼い頃からの友で今は老中の田沼意次から城へ呼ばれた。御三卿一橋家家の治済が来るので隣室で聞いていてくれというのだ。陸奥白河藩から御三卿 田安定信への養子縁組みを渋っている定信へ意次の力で推進してほしいとの頼みだった。田安家の治察は病弱、万一のときは……。一橋治済の深謀、田安定信の 固辞 、そして老中田沼の胸中に渦巻くものは……? -
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札差の雇う対談方に、蔵宿師の侍が斬られた。
なぜ侍は札差に屈す?
侍の生計の根幹を揺るがす札差の金儲けの秘密の手口。
御庭番宮地加門は命を受け、伝説の札差・大口屋治兵衛の許を訪ね探索を始めた。
暴かれた札差の秘密とは……。
御庭番宮地加門の息子草太郎が通う医学所に刀傷の浪人が運び込まれた。武家の代理で札差と借金交渉をする蔵 宿師だが、札差の雇う対談方に斬られたという。幼馴染で老中格の田沼意次に報告すると、札差が桁違いの儲けを続ける実態と仕組みを調査せよとの下命。加門はまず、伝説の札差大口屋治兵として名をなした暁翁許へ…。次々と浮上する秘密の裏仕掛けとは? -
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朝廷重視の軍学私塾に信長直系大名の家老が藩士らを引き連れ……。
信長直系の藩に不穏の影。
小幡藩は二万石の小藩だが織田の血をひく故、国主格。
藩あげて、山県大弐の説に与するならば見過ごせぬ!
将軍の命で加門は探索へ…。
江戸は八丁堀近くの長沢町で山県大弐が開く私塾の動向に公儀は注視しつづけていた。大弐は朝廷を重視し、公儀に批判的な姿勢をとっている。多くの浪人、武士にまじって二万石の小幡藩江戸家老の姿があった。織田信長の血を引く藩主故、藩は国主格。藩をあげて山県大弐の軍学などの説に与するならば見過ごせぬ。将軍の命を受け、御庭番の宮地加門は探索の旅に……。 -
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家康公百五十回忌社参。過酷な徴税に十万人が鋤鍬を掲げ江戸城へ!
島原の乱以来の大騒動か!
中山道六十九の宿場のうち、最大の本庄宿を探索せよと命じられた宮地加門は……。
天狗触れとは一揆の画策?
将軍は九代家重から十代家治へと受け継がれた。来年は家康公百五十回忌の日光社参。その莫大な費用を補うべく、幕府は中山道沿いの各村に過酷な税「増助郷」を迫った。朝鮮通信使来日に続く「酷税」に百姓は決起。御上意といえども抗するしかない。やらなきゃ飢え死にしかない。中山道の各村から鋤鍬を手に十万人を超える百姓が江戸城へと進んでいく。御庭番の宮地加門は……。 -
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郡上一揆の評定により意次は一万石の大名に。領国の侍の叛意とは?
今日と同じ明日とは限らぬ。藩主を失くした侍もいれば、突然、浪人となった侍も…。
意次の領国相良への旅で、加門が見た武士の一念とは。
奥美濃の郡上藩での百姓一揆は、公儀の評定所へと送られた。将軍家重は御用取次の田沼意次に評定の指揮をとらせるべく五千石を加増、一万石の大名とした。結果、郡上藩主金森兵部は改易、金森と縁を結んでいた若年寄の本多長門守忠央は罷免のうえ領地遠江の相良召し上げとなり、相良は意次に与えられた。相良への意次の旅に同行した御庭番宮地加門の見た『武士の一念』。 -
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酒井老中の飛駕籠に、郡上の百姓衆が直訴!
訴えの核心と狙いは?
徳川の直領美濃の郡代が、郡上藩の徴税法に口出し! 背後に公儀重臣らと組んだ藩主金森兵部の悪しき企み。
将軍家重の怒りが弾けて…。郡上へ遠国御用の旅、第10弾!
老中の駕籠行列は、登城の際、走るのが慣例だ。事件が起きたときだけ走れば、人々に異変を知られる。いつも走っていれば、気づかれようがない。そのために走ることが定着し、飛駕籠と呼ばれる。その飛駕籠に六人の百姓衆が駆け込んで直訴した。郡上藩からの者であった。御庭番の加門がそれを目撃していた。加門は本丸中奥の将軍家重の御用取次・田沼意次の部屋を訪ねた。 -
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大洪水に悩む美濃から治水堤普請の嘆願書。
将軍家重は遂に決断!
手伝普請の命に薩摩藩では、無理難題ゆえ公儀との戦もやむなしの声もあったが…。
過酷な治水堤建設の現場へ
御庭番の加門と栄次郎は…。
大御所吉宗の容体が急変……寛延が宝暦と改元された。大洪水に苦しむ美濃から公儀に治水堤普請の嘆願書が届いた。木曽川、長良川、揖斐川の三川が河口近くでたびたび洪水を起こしているのだ。嘆願書を読んだ将軍家重は、五人の老中に対処せよと命じた。公儀は薩摩藩に三川治水のための御手伝普請を下命。御庭番の宮地加門と吉川栄次郎は普請現場への隠密探索の旅に……。 -
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登城禁止を命じられた田安宗武と一橋宗尹が将軍家重へ反撃開始!
百姓の一揆・逃散が多発!
前老中松平乗邑、勘定奉行神尾春央の徴税強化策の故。
新将軍の命で加門ら御庭番は各地へ隠密行に出立!
新将軍が罷免隠居を命じた前老中首座の松平乗邑が急逝した。乗邑の片腕だった勘定奉行の神尾春央は、先々代将軍の生母月光院を介して、登城禁止中の田安宗武と一橋宗尹の復権を策した。成就すれば、将軍家重への反撃が可能となる。一方、全国で一揆や逃散が多発、将軍家重は御庭番らに隠密行を命じ、宮地加門は薬売りの行商人となって探索の旅へ。そこで思いがけぬ……。 -
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本丸の吉宗と西の丸の家重が入れ替わる──。
騒然たる城中で何が?
「暗愚」の噂絶えぬ新将軍の人知れぬ想いと驚愕の決断。
本丸大広間の武者隠しから御庭番宮地加門が目撃した公方様御下命の衝撃とは?
本丸の上様(吉宗)が御隠居、大御所として西の丸に移られ、西の丸の大納言家重様が本丸に入り第九代将軍となられる──こうした噂が城中を落ち着きなくさせていた。いよいよ将軍となった家重から御庭番二代目の宮地加門に命が下った。本丸大広間、上段の将軍座所近くにある「武者隠し」に入り目撃した「公方様御下命」の衝撃とは? 新将軍の人知れぬ想いと驚愕の決断──。 -
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