
総合評価
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powered by ブクログ略奪婚の先に幸せはあるのか。 あるんじゃないか、と読み終わって感じた。不安なことは沢山あるけど案外何とかなってくのでは。 隣の一家が幸福のように描かれていたが結局外から見るとどこもそこそこ幸せに見えるんじゃないか。 解説に書かれていた「ある女を情熱的に欲するのはそれが第三者に求められている時であり、獲得した途端情熱はさめ、何となく相手を憎らしく思う」というのは少々共感するとこもある。 まあ、情熱的な愛の行く末なんでこんなもんですよね。俺は物語で楽しむだけでいいや。平和に生きたい。
0投稿日: 2025.12.29
powered by ブクログ夏目漱石、前期3部作は『三四郎』『それから』『門』。3作品は、恋愛→結婚→結婚後 という、つながりが感じられます。眼前に現れる景色が違い、訴えてくるものも違うため、3作品の優劣はつけ難いです。 しかし、『門』は派手な部分はないけれど、しっとりした余韻を感じるところがいいです。ひとつの事実や心理を表現する描写が巧みで、心に奥深くまで刺さります。恐ろしいぐらい、うまい。3作品共通して言えるのは、日本語のゆかしさが感じられ、文章に落ち着きと骨力があるということ。現代の小説よりも漢語が多く使われているため、漢語から伝わるイメージが作品世界を作っていました。漢籍の教養が下地にあるということは、すごいことです。 若くても大人度の高い方はいますが、私は中年になってようやく、大人の世界に入れたように思います。直接、間接的に経験した苦しみや悲しみがなければ、そこから学ぶことをしなければ、どんなに年月を重ねても子供のままでした。 大人の世界に入れた中年の今、読んだからこそ、本書が心に刺さりました。 本書には、宗助とお米夫婦の日常が淡々とつづられています。2人には共通する重苦しい過去がある。宗助、安井、お米は三角関係だった。そのことが起因しています。その秘密が明かされる場面は、ドキドキ感がハンパなく、ぐいぐい引き込まれました。ミステリー度も高いです。一方、小説中にはおもしろいエピソード(泥棒が入った話)もあり、飽きることがありません。 『三四郎』に登場する女性、美禰子、『それから』の三千代には度胸というか、男性よりも精神面で上に立っている感じを受けました。『門』のお米とは明らかに違う。お米は、夫の宗助とは違った形で自分が背負った悲しみを受け止めていました。夫と同一歩調といかないまでも、夫婦のひとつの愛の形を見た気がします。 小説中の“因果”“敲いても駄目だ。独りで開けて入れ”という言葉が印象に残ります。“人間、何かしら苦しみや悲しみを抱えながら生きている。心の平安は、誰かがもたらしてくれるものではなく、自らがどうにかしなければならない。グレーな部分がありつつも前を向いて。”そんなことを考えながら、大人になってから読む小説だと思いました。
29投稿日: 2025.12.14
powered by ブクログ全体的にほの暗く、ちょいちょい宗助と御米の目線が切り替わるが、微妙にお互いがかみ合っておらず、かといって二人とも無理に自分の気持ちをわかってもらおうとも思わず、同じ罪を抱える者同士離れる気まではならないという感じが出ている。一応最後は、季節も春が近づき、御米の体調もよくなり、小六の食い扶持も繋げそうといういい兆しの中、宗助だけが下を向く。 解説と、「異性愛者の悲劇」を読んで、成程男性は男性同士でのみ認め合えるんだっけなと確かめたところである。
0投稿日: 2025.08.07
powered by ブクログ漱石先生の作品を読んでいると、自然、時代を感じずには居られないのでありますが、今回も文体共々透き通る様な感じを受けました⁉️ 初期3部作という事で、身構えて読み進めましたが、一万円札ではなくて、千円札に落ち付く由来を何となく感じるに至りました‼️ そういう事から、些か腑に落ちない点も在りますが、しかしながら、疑い無く名作であると判を押したいです⁉️ 漱石先生の作品はこれからも楽しみです
0投稿日: 2025.04.08
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
ぼやかして書いてある部分が多いものの、結構内容は深刻な感じ。漱石はやはり一度読んでわかるようなものではないかもしれない…。
0投稿日: 2025.03.09
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
親を亡くし、弟を引き取ってひっそりと妻御米と暮らす宗助。御米はかつて宗助の友人安井と同棲していたが、宗助が略奪してしまったことが割と後半に明らかになる。それまでは子どもがいないことを気に病む御米の描写や、御米をやや疎んじる宗助の弟小六の様子があるけれど、その伏線が全編の真ん中くらいにあるこの略奪婚の話で急に回収され、そこからは、後ろ暗い罪故に子どもができないと悩む御米と、隣人坂井から坂井の弟の友人である安井を引き合わされそうになって戦く宗助が描かれる。宗助はそれを気に病んで鎌倉の禅寺に行き、十日間籠るが、悟りの門は閉ざされたまま、家に帰ってくる。そこで安井はまた東京を出て行ったと聞いて一時の安寧を得たところで物語は終わる。 漱石は門人に適当にタイトルをつけさせて、そのタイトル『門』に合わせてこの話を書いたというが、ちゃんと最後に門に回収されていてさすがなのと、門外漢とか、門に関する語が(意識してみるからかもしれないけど)ちょいちょい使われている気がした。 『三四郎』や『それから』よりも淡々として静かな展開という印象。
2投稿日: 2025.02.14
powered by ブクログ前期三部作のひとつ。 今回初めて読んで、タイトルの「門」の意味を知ることに。たぶんだけれど、自分の中で納得してるのでこれでいいかなって思ってます。 漱石を読むのにはパワーが必要です。読み終わった後はくたくたになるけれど、なんか大きな山を登り切った爽快感が感じられます。他の作家ではなかなか感じられない気分。やっぱりいいね、漱石!
1投稿日: 2025.01.12
powered by ブクログ読了。はー読んだ!ようやくすらすら漱石が読めるようになったと思ったらラスト30ページの怒涛の辞書引きラッシュにへとへと、、 ひたすら薄曇りの天気を耐えるような読書感だった。多分これは早く次の後期三部作を読めということ…
1投稿日: 2024.12.28
powered by ブクログ夏目漱石 (1867-1916)1867(慶応3)年、江戸牛込馬場下(現在の新宿区喜久井町)に生れる。帝国大学英文科卒。松山中学、五高等で英語を教え、英国に留学した。留学中は極度の神経症に悩まされたという。帰国後、一高、東大で教鞭をとる。1905(明治38)年、『吾輩は猫である』を発表し大評判となる。翌年には『坊っちゃん』『草枕』など次々と話題作を発表。1907年、東大を辞し、新聞社に入社して創作に専念。『三四郎』『それから』『行人』『こころ』等、日本文学史に輝く数々の傑作を著した。最後の大作『明暗』執筆中に胃潰瘍が悪化し永眠。享年50。
0投稿日: 2024.12.19
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
突然の坐禅のくだりはタイトルに合わせたかった感が否めませんが、個人的にそこで悟りを開かなかったのはよかったです(それからのような宗助の過去と比較すると軽く短すぎるため)。 しかし、何事もない日常の中で、ひっそり暮らす宗助と御米の互いへの静かながらも確かな愛情と信頼とが描かれていてとても好きです。
0投稿日: 2024.12.18
powered by ブクログ2024.10.18読了。 だめだ… 御米の「可憐な自白」のあたりから泣いてしまった…つらい… 特に何も起きない現在は、薄暗く淋しく生きるだけ。それは過去の行い(業)によって結果づけられた現在。 それを一生噛み締めていくのはつらい…
1投稿日: 2024.10.19
powered by ブクログ過去の出来事に対する後悔に苛まれながらも、日々何事もなく過ぎていく日常に深く幸せを感じる矛盾。 「こころ」ととても似ているところが多くて、あ〜漱石だなと感じた一冊でした。
2投稿日: 2024.09.30
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
漱石前期三部作最終章。『三四郎』『それから』に続く物語。 特別な事件が起きるわけでもなく、親友を裏切った罪悪感を抱えながら最愛の人と慎ましく暮らす日々が延々と語られる。 うぅー、モヤモヤするー。 始終モヤモヤしたまま終わってしまった。 モヤモヤポイント① 親友を裏切った罪悪感を抱えながらも、最愛の人と仲良く暮らしているという状況にモヤモヤ。 モヤモヤポイント② 父の遺産相続も、弟の世話も、叔父夫婦に任せて、叔父の死により弟の学費が打ち切られた際にも、どこか他人事のような主人公にモヤモヤ。 モヤモヤポイント③ 裏切った親友の消息に心を乱し救いを求めて寺へ駆け込む主人公。すべてを覚悟した上での裏切り行為だったのではなかったのかとモヤモヤ。 苦しいよね。自分の罪の行いを背負って生きていくことは。 多かれ少なかれ、その罪の大小の違いはあっても、誰も傷つけずに生きていける人などいないわけで。 読んでいてモヤモヤしたが、だれだって多少のモヤモヤは抱えながら生きているのかもしれない。 人間って、日常って、社会のなかで生きていくことって、そういうことなのかもしれないな。 心の内面が丁寧に繊細に描かれることで物語として成り立たせているところに感服。 やっぱり夏目漱石ってすごい。
43投稿日: 2024.09.27
powered by ブクログ一言感想 親友を裏切って手に入れた愛で悩み続ける話。仏門にも世間にも帰属できないと悟ったシーンが深い闇を印象づけた。
0投稿日: 2024.09.19
powered by ブクログ親友の安井の妻である御米(およね)と結ばれた宗助は、以前は若々しい活気ある男だったのに、その罪の意識より父の遺産も叔父に任せて、ひっそりと暮らしている。御米と宗助はお互いに気遣いしているのはわかり、子供ができなくなった妻を優しく見守る宗助。安井が隣の主人の弟と知り合いで帰ってくると聞いて、宗助は心を乱し、鎌倉の禅寺の門をくぐる。勢いで結ばれた二人の前途が幸福であるとは言えない。お互いに自分のせいでという罪の意識が見えてくる。夫婦ってなんだろうと考えてしまう。 2024年4月12日読了。
0投稿日: 2024.04.12
powered by ブクログ"こころ"で夏目漱石に惹かれて、内容もわからずとりあえず読んだ一冊。 起承転結がはっきりしているSFが好きな私でも、日常に潜む些細な感情を独特なセンスで表現している本書に読む手が止まらなかった。宗助と御米との幸せな夫婦生活の裏にある確かな影が人生の儚さと奥ゆかさを感じさせられた。タイトルにもある"門"と宗助との繋がりも読んでいただきたい。
1投稿日: 2024.04.07
powered by ブクログ題名『門』の意味を考えながら読んでみましたが、どうも題名は他者に依頼して命名された ようです。ストーリーにちょっと唐突感があり、戸惑う感じです。 『三四郎』『それから』と共に三部作をなし、そのしめくくった作品のようですが、遡って前二作を読んで、本作品を眺めてみたいです。
0投稿日: 2024.03.27
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
年齢のせいか、『三四郎』よりも、『それから』よりも、『門』が1番今の自分の感覚にしっくりと来た。 宗助と御米のような罪を犯したことはなくとも、生きれば生きるほど、過去の自分の行動に対しての後ろめたさや後悔は年ごとに積もっていく。 三四郎や代助が、若さの中で自分の気持ちに素直に生きていたのとは対照に、宗助はその若い時分に犯した過ちを永遠に背負って生きていくことになる。 幸せなことに対する罪悪感を抱きながら、影に隠れて御米と二人でひっそりと暮らしていく様に、ある程度歳を重ねた人であれば、共感もあるだろう。 宗助と御米夫妻は不仲とは縁遠い場所におり、二人でいることに静かな幸せを感じているだろう。だが、その幸せも過去の罪の上に成り立っている。 二人が一緒にいる限り、過去への後ろめたさへの葛藤は永遠に拭いきれないことに、読者としてもやるせなさを感じてしまう。
8投稿日: 2024.02.12
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
それからを読んだ後に読んだせいか、「あれ?もう終わり?」が一番の感想だった。社家族からも、友人からも、社会からも見捨てられた宗助と御米の暮らしはずっと暗くて楽しいのだろうかと思った。 2人の世界には2人しかいなくて、小六が入ることさえ好まなかった。お互いに依存してるんだなと思った。安井と鉢合わせするかハラハラしていたが、結局しなくて少し残念だった。それからのインパクトが強すぎたため物足りなかったが、御米が熱を出した時の宗助の慌てようが面白かった。
1投稿日: 2023.11.30
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
なんというか始終暗く怯えながらもほそぼそと普通に暮らしていく過程があり。 何か問題が起こるかと思わせてそれがなにか解決していくと見せかけて結局問題も起きず解決も見せずまた薄暗い生活が続いていく感じだなぁ。 何度か読むと味が出てくるかもしれんが今はこのくらいに感じた。 略奪婚のような後ろ暗い事をするとずっとこうやってひっそり暮らすことになるぞってことかな?
9投稿日: 2023.10.19
powered by ブクログ略奪しちゃったとは言っても、恋に落ちちゃったんだったらしょうがないじゃんね。いっそ、正々堂々としてたらこんなにぐだぐだ思い悩まないんだろうけど、そうはいかないもんだね。宗助の心の門が開く日が来るといいね。 解説読んだら、そうばっかじゃないんだな。てっきり宗助は安井や世間に対しての負い目を感じてるから暗いのかと思ってたけど、もはや安井から御米を奪った時から既に情熱は冷めてしまったんだな。
3投稿日: 2023.10.14
powered by ブクログはじめて読んだときは それから のインパクトが強すぎて、物足りなかったような感触だったが 読み返すとこちらの方が好みだと感じた。情景描写と、そのなかでひっそりと暮らす様子が描かれていて、非常に落ち着いて読める作品。
3投稿日: 2023.08.11
powered by ブクログ「こころ」に次いで好きになりました。場合によってはこころより好きかもしれない。解説に、「物語の後半寺に入ったのは作品の欠点という説もある」とあったけど、僕はそうは思わなくて、宗助の足掻きという名の逃げを表すのに効果的だったし、まぁこれがなければきっと宗介とお米のストーリーは彼らが死ぬまできっと今のまま平行線。結構な出来事も自分たちの中で理由をつけて卑下して逃げてるように見えるけど、その生活をさも美しく描いてる漱石ってやっぱ…嫌なやつ 笑(褒めてます) 安井からお米を奪った時の描写の少なさ、なぜ彼らが今の暮らしを選んだかの背景、会話の返事を待たずして(あまりにも明らかだからか、意図したものかはわからない)次の展開に移る作風が気に入りました。
0投稿日: 2023.05.06
powered by ブクログかつて犯した罪を背負い世間に背を向けて暮らす宗助と御米、その背徳の行為を作品は具体的に語らない。その静かさに友の女を取った罪の深さを知る。作品としては「それから」の続きという位置づけだ。だが、新しいテーマとして宗教(禅)が提示される。 漱石は書く「彼(宗助)は門を通る人ではなかった。又、門を通らないで済む人でもなかった。要するに、彼は門の下に立ち竦んで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった。」無論「門」は宗教的あるいは禅的なものへの比喩であろうが、宗教をもってしても助けられない宗助は、何を糧に生きたらよいのか? この作品、ほとんど50年振りの再読だが、その当時感じた御米の可愛らしいは今も変わらない。救いの無い宗助の捨てて得た珠玉の宝はこの可愛らしさなのだろう。
0投稿日: 2023.05.01
powered by ブクログめずらしく仲の良い幸せそうな夫婦…と見せかけて「それからのそれから」。 幸せそうな日常はいつ崩れるかもわからないような軟弱な地盤の上に建っている。 出店で買ったささやかなお土産、本筋からは逸れた他愛の無い会話、読み返してみればそれら全てが空虚であり慄然とした感さえある。 無邪気で愛想のよい御米が前夫を捨てたのだと思うと、その邪気の無さが空恐ろしい。
0投稿日: 2023.03.23
powered by ブクログ過去により満足な地位につけず、淡々と日々を送る。夫婦仲は良好。過去の重荷は、時間がゆっくりと解決する、そう思うしかなくやり過ごしていく。あり得た未来の姿としての坂井、過去の自分の映しとしての弟。そのコントラスト。 しかし不意の再来によりその手法は解決でないと知る。悟るために禅寺に赴くが、修行に専心することもできず、かといって問題を放擲することもできない。立ちすくむしかない。 門がメタファーなのは間違いないが、それが禅寺でのエピソードのメタファーだけなのか。作品全体のそれなのか。いや。後者なのだろうがどのような意味で? また、屏風の一件もとてもメタフォリックなのだが、解釈が難しい。
0投稿日: 2023.02.04
powered by ブクログそれからの続編にあたる。最初から最後まで何も起こらないが宗助の内奥に妙に共感する。まぁ生きるってこういうことかも。日常の疲れた時読むと良い。こんな人生もアリかな。
0投稿日: 2023.01.28
powered by ブクログ親友であった安井を裏切り御米と結ばれた宗助という三角関係の物語。子供がいないことを気にしている御米、安井とのことを恐れている宗助はそれぞれ罪悪感を持っているのだが殆どのシーンは何気ない日常だ。何を言いたいのかよくわからなかった。何故鎌倉への参禅したのか、”それから” の代助がどう関係あったのか見えない部分も多かった。
0投稿日: 2022.09.03
powered by ブクログ読書会の課題本。友人の元妻を略奪結婚した主人公が、ある種の負い目を感じながらひっそりと夫婦生活を営んでいる様子を淡々と描いている話。基本設定や人物名などに違いはあるものの、激しい不倫の末に人妻と結ばれる「それから」の続編として読むこともできる作品。あまりノレなかった楽しめなかったというのが、素直な感想。時代背景を考えると、このテーマの重要性はわかるのだが…。
0投稿日: 2022.05.30
powered by ブクログ夏目漱石の「三四郎」、「それから」に続く初期三部作最後の作品。 「それから」は、友人の妻を奪い返し、高等遊民を脱した主人公・長井代助が職を探しに出たところで終わります。「門」は代助の「それから」を描きますが、完全な続編ではなく登場人物の名前も状況も違います。 「それから」の物語をひとことで言うなら社会から逃れるように暮らす宗助と御米夫婦の苦悩や悲哀です。小説は何故この夫婦がひっそりと暮らしているのか、終盤まで説明しません。この小説は「朝日新聞」の連載小説ですが、愛読者はこの夫婦の事情を不思議に思いながら毎日読んでいたと思います。新潮文庫では裏表紙でプロットを全て説明していますが、これは余計なお節介です。「門」は「それから」よりも物語の動きがほんの少しだけ早いので、物語の進行を楽しむべき小説と思います。 「門」が描く夫婦の心情から、物語の色調は「それから」に比べて暗いです。それでも、希望もないけど、絶望もない夫婦の穏やかな日常が悲劇的に崩れることはない予感を小説の中で感じました。したがい、個人的に非常に居心地の良い小説世界であり、読んでいるあいだ幸福感を感じました。特に宗助が冒頭お茶の水あたりを散策する場面、大家一家との交流、何気ない夫婦の日常の会話は何とも言えない心地よさがあります。 終盤に主人公は救いを求め鎌倉の寺に参禅します。これは唐突な感じもし、不要と思いましたが、それでは「門」という題名は成立ちませんね。 結論を言えば、三部作の中ではいちばん好きな小説となりました。もし、自分が小説家になったら、こんな小説を書きたいです(なんちゃって)。
3投稿日: 2022.05.25
powered by ブクログ「略奪婚の先に幸せはあるのか?」と本の裏表紙に書かれているけど、そこがテーマなのか?と個人的には思った。 むしろ幸せの有無というよりは、そこからくる罪悪感との向き合い方を描いた作品じゃないかなぁ。 巻末の解説がとても的を射ている。同じ出来事に対する罪悪感の違い。御米は自責の念から子供ができないことを天罰だと思い苦しみ、宗助は略奪した相手に対する罪悪感を感じている。 その対応の仕方もそれぞれ違う。御米は宗助に打ち明けることでどこか少し軽くなったような気がする。かたや宗助は誰にも打ち明けられず、一人でなんとかしようと寺にまで赴くが、結局は何かを得るわけでもなく、ただ時が経ちその場をやり過ごすことができただけであった。 最後の夫婦の会話の季節の訪れに対する感じ方の違いが、その対応の仕方で得た安らぎの違いを物語っていると思う。やはり罪悪感や不安は、ひとりで抱え込んでいてはどうすることもできないということじゃないかな。宗教に邁進し一人で考えに耽っても意味はなく、本当に思いを共有してくれる人に話し、自分の罪悪感や不安の所在を明確にしていくことが大事だということなんだとおもう。 おそらく、宗助はまた安井が日本にくると知れば同じ罪悪感に襲われるだろうな。不安や罪悪感に向き合うためには、御米が宗助に打ち明けたように、宗助も御米に打ち明けて、二人で乗り越えていくことが大事なんだと思う。 自分も罪悪感や不安をどうしても感じてしまう。ひとりで抱え込まずに、妻や医師に打ち明けて相談しながら、なんとか人生に幸せを感じられるように生きていければと思う。 あ、そういう意味では裏表紙の文句も、間違いではないのか。
2投稿日: 2022.05.12
powered by ブクログほの暗く平穏な日々を過ごす夫婦の話。 この話は愛憎の嵐が去った後の話だから 基本的に淡々と穏やかだ。 しかし、作中で語られない大事件が 2人の生活に、生き方に、性格にまでも 常に影を落としている。 “さりげない幸福な日々”の描写が あったかくて素敵すぎるから、 突然さし挟まれる影を匂わせる記述に、 氷に触ったような気持ちにさせられる。 だけど、考えてみれば、 語られぬ大事件は影の原因であると同時に 2人の固い絆の根源にもなっているっていうのが 難しいところだ。 2人は共犯者で、同じ涙を流したから、 普通の夫婦より不可分なんじゃないかな。 全ての根源である事件自体は語られないってのも 個人的には趣深くて好きだなぁ。 ちなみに、この作品、 妹が好きな作品ってことで借りて読んだんだけど、 読んだよって報告したら 「しょーもないよね」と宗助を一蹴。 もだもだ不安がって、 寺修行にまでちょこっと手を出して、 でも結局何もなせない小物っぽさとか、 怠惰で、些細なことに心乱される俗物っぽさとか、 確かにどうしようもないしょうもない男である。 お米さんのほうがよっぽど泰然自若としている。 そんな2人が 社会を捨てるまでに至った大恋愛だと思うと、 やっぱり気になりますね。 作品関係ないけど、 人の好きな本を読むってやっぱいいなあ。 この本が好きな人なんだなって思って、 その人のことももっと好きになれたりするよな。
3投稿日: 2022.05.11
powered by ブクログ「それから」のそれからである。とは言え、友人の妻を奪い取った後、というわけでもなさそうだ(これは私の完全な読み間違い)。宗助の妻、御米は友人の妹ということになっている。この友人は夏休みが終わると妹と一緒に暮らすようになる。その後何があったのか、二人は家族や親せきと縁を切っている(これも完全な勘違い)。そして、それから、また何があったのか。宗助はこの妹と結婚している。暮らし向きは楽なものではない。父が亡くなって、叔父に父の残したものの後片づけを依頼するが、大きな屏風をのぞいて他に何も残っていない。幼い弟の面倒を見てもらっていたというだけ。私も、両親が亡くなった後の実家の始末では、もう少しなんとかできなかったかと後悔がある。古道具屋にタンスの中まで洗いざらい持って行かれた。軽トラックに積んだ焼き物や母の着物などを平気で踏んでいた。亡くなった者への敬意のかけらも感じられない。悔しい思いであった。話があまり進展しない本書の中で、御米が三度だったか子どもを授かった上で亡くすエピソードがある。お腹の中でとか、生まれてしばらくとか、生まれてすぐとか。そのなかの最後で、へその緒が首に二重に巻き付いていたというものがあった。それを、御米が妊娠中尻もちをついたのが原因としている。それは本気か?我が家の子どもたちは二人とも首にへその緒を巻き付けて生まれてきた。20歳を過ぎたが、いまも元気に生きている。それを妻の責任に帰すのはどうかと思う。終盤、いなくなっていた友人の名前が登場する。ここからおもしろくなる、真実が明かされる、と期待するが、寺に入っても、家にもどっても、何も明らかにならないまま物語は終わってしまう。未完の「明暗」とは違うわけで、なんとも不完全燃焼である。「行人」を読めばいいのか、「道草」を読めばいいのか、このもやもやはどう解消すればよいのか。 納得行かないので該当箇所を読み直すと、妹というのはどうやら安井のついたウソだったようだ。そして、その友人の妻?をとったということ、そのことにより家族と縁を切り、退学したのは宗助であった。なんとも大切なところをちゃんと読めていなかった。
0投稿日: 2022.03.24
powered by ブクログ1910年 漱石前期三部作 主人公宗助は、かつて友人であった男の妻を奪い、その妻と二人、世間を転々としながら、二人ひっそりと暮らしていた。 二人は、多くを希望せず、穏やかに、仲睦まじくしている様子が、描かれていく。 貧しい、子供ができない(亡くなってしまったり)、社会との繋がりが乏しいなど、二人の生活が、寂しさを伴うものであることが影をおとす。 宗助達は、妻の元夫と再会しそうになり、心乱れる。その乱れを、鎌倉で参禅することで、取り直そうとするが、悟りを得ぬまま帰宅する。 結局、友人とは、すれ違いに終わるが、その怯えは、生涯続くのであろう。 こちらは、日常生活が多少、動きがあるので、読みやすい。 誰かを傷つけた過去からは、逃げられないということなのかな。 「こころ」の、先生が、「それから」と「門」の両面を持っているように思う。
23投稿日: 2022.02.19
powered by ブクログ『三四郎』『それから』から続く、所謂三部作と呼ばれる一作。 優柔不断な性格ながら、思い切った決断をした主人公とその妻の、倹しい生活を中心とした描写だが、後半の思いがけない出来事から一気に展開が変わる。 禅寺の門を叩き救いを求めるが、やはりそこにはそこには何も無い。 お互いに同じ罪の意識を抱える夫婦。 夫婦の関係は情熱的ではないものの、ある意味夫婦としては幸せなのかもしれない。
0投稿日: 2021.12.04
powered by ブクログ門の先に何が見えたのか。 遺恨を残した友人との過去か、 睦まじい夫婦の未来か... 宗助は優柔不断故に、門を通る人ではなく、その前で立ち竦む人である。それでも労苦を受け入れ、日々対峙している姿勢は現代の我々にも通底する。 春の兆しが夫婦の日常を優しく慰めた。
0投稿日: 2021.10.28
powered by ブクログ『三四郎』『それから』に次ぐ3部作の最後。 『それから』の「高等遊民」から一転、勤め人となり安月給で慎ましやかな生活を妻としている主人公。お互いを労り合いながら仲睦まじい夫婦の様子が見られる前半。 後半になり意外なところから物語の核心に触れ始める展開となり、主人公は過去に犯した罪の意識から救いを求めて禅寺へと赴くが、何の悟りも救いも得らないまま帰宅。 妻もまた同じように罪悪感を抱いている事がわかる場面も前半に見られ、夫婦は今までもこれからも、ずっと罪悪感に苛まれながら生き続ける事からは逃れられないと言う悲哀の結末。 暗いし『三四郎』の様なユーモアのある楽しさを味わう事は出来ないけど、心理描写、情景表現の巧みさは相変わらず。夏目漱石の世界をしっかり堪能出来ました。
1投稿日: 2021.10.27
powered by ブクログ「三四郎」「それから」から続く三部作の最終巻。登場人物や物語はそれぞれ異なるものの、共通店はいずれも三角関係を描いているということ。本作でもそれがテーマになっているが、恋愛、結婚というのはいつの時代も答えがなく、難しいものだと感じさせる。
6投稿日: 2021.09.18
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
主人公、宗助は、大学生の時、親友の安井を裏切り、その妻であった御米と結ばれた。そのような罪を犯した負い目から、大学も卒業出来ず、親元に帰ることも出来ず、親の遺産相続も叔父の意に任せ、妻と二人、隠れるように、地味に、倹しく暮していた。 叔父の死により、弟小六の学費を打ち切られても、積極的解決に乗り出すこともなく、諦めの中に暮している。 そんな中、ひょんなことから裏に住んでいる家主の坂井から、安井の消息を聞かされ、心を乱し、救いを求めて、禅門を潜るが、何日かの修行の結果分かったことは、 「彼は門を通る人ではなかった。又、門を通らないで済む人でもなかった。要するに、彼は門の下に立ち竦んで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった。」 ということ。 要するに、宗助は優柔不断なのだ。安井を裏切ったとき以来の、御米との隠れるような暮らしの中でも、父親の遺産相続についての叔父との話し合いでも、小六の学費についての叔母との話し合いでも、問題解決を先延ばしにするというよりも、正面から問題に向かうことが出来ず、禅門を潜っても悟りを拓くまで修行する覚悟もないのだ。 そして、自分たちは幸せになる資格など無いと言いながら、御米と二人傷を舐め合うように、実は幸せに暮している。 と、痛烈に主人公を批判したが、実は自分のことを書かれているようで、本当に心が痛かった。 あとがきで知ったのだが、この小説は新聞連載であって、「門」というタイトルは漱石の弟子たちによって決められた物で、漱石先生自身は書き始めてからでも「一向に門らしくなくて困っている」とこぼされていたらしい。最後に「門」というタイトルに落ちを付けるために、宗助に禅門を潜らせたらしい。漱石先生、お忙しかったのですね。 最後のほうは難しかったですが、明治の言葉、漢字使い、明治の東京の街の様子など、読んでいて素敵な点も沢山ありました。
23投稿日: 2021.02.23
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
布団の中の可憐な自白のシーンでもう読みたくないと思うほど息が詰まった。 辛い、苦しい、うまく行かない、子をだめにした、御米の胸の内は、私の頭では処理しきれない膨大な悲しみだった。 小説でこんなに自失したのは初めてかもしれない。
2投稿日: 2021.02.15
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
再読。個人的には、夏目漱石の作品の中で最も好き。私見だが、多くの平均的人間は過去と対峙してそれを解決ないし克服することなどできず、主人公のように逃避してやり過ごしていくのではないかと思う。そういった意味で、友人の恋人を奪った過去と対峙し、自分の罪に耐え切れず、自殺という形で解決を図った「こころ」と奇妙に対照をなしているように映る。 平均的人間の自分も、おそらくそれゆえに、主人公の無為なやり過ごし方に共感できるのだろう。劇的ではなくともわずかに暖かな、ただし、どこかにすぐ崩壊する危うさを孕んだような主人公の人生は、共感できると同時に、胸につまされるところもある。
8投稿日: 2021.02.11
powered by ブクログ過去を背負った中年夫婦の日常というのが正確なプロットか。いろんなことを抱えて生きている。思い出したくないことはたくさんあるし、会いたくない人だっている。なにも解決しないまま時間は過ぎていき、はた目にはそれが日常となる。 沁みました。私のことが書かれているよう。
4投稿日: 2020.11.28
powered by ブクログ【始】宗助は先刻から縁側へ坐蒲団を持ち出して、日当りの好さそうな所へ気楽に胡座をかいてみたが、やがて手に持っている雑誌を放り出すと共に、ごろりと横になった。 【終】「うん、然し又じき冬になるよ」と答えて、下を向いたまま鋏を動かしていた。
0投稿日: 2020.10.14
powered by ブクログ「門」は独特の雰囲気があって、印象的な展開の作品なのだが、読み終わってみると、どう捉えたらいいのかよくわからない。宙をつかむような読後感。 では失敗作かというと、そうとはいえない気がする。 20年前に読んだときは、もっと分かったような気がしたのだが。 そのときどう感じたか、詳しいことは覚えていないが。 進歩がないのか、いや、退歩したのかな。
1投稿日: 2020.07.31
powered by ブクログ三部作の最終作とは知らずに読んだ。 門が開かないから開けてくれと頼むけど、自分で開けろと言われるだけ。 門を通る人ではないが、門を通らないで済む人でもない。 ただただ門の下で立ち竦んで日の暮れるのを待つべき不幸な人であった。 自分の仕事がうまくいかないのと似ている。 仕事がわからず教えてと言っても自分で調べろと言われるだけ。 仕事ができる人でもないが、仕事を避けて済む人でもない。 ただただ仕事が終わらず途方に暮れるだけ。 でも春は訪れ日常は小康。 ちょっと目線を引いたらそんな悪くない人生かもね
1投稿日: 2020.07.23
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
「個人的」漱石再読月間の10。あと5。 「それから」の代助のそれからというのが一般的な説なのだが、代助ファンのわたし的には、宗助とは別人だと思いたい。あんなに魅力的だった代助がこんなに小市民になってしまうものなのか?背負った闇のせいと言うより貧困のせいでしょう。 禅宗の寺に修行に行く部分がこんなに短く、また何の解決にもならなかったことに驚く。 初読の時はもっと宗教的悟りを書いたものだと記憶していた。ほとんどお金に困っているという話じゃないか、やれやれ… 昔の私の読解力のなさに泣く。
0投稿日: 2020.05.11
powered by ブクログ三部作の三部作目。「それから」の主人公とは別だが、かつての親友の妻を娶り、それ故に近縁者との関わりを断って暮らしている境遇に、地続き感がある。何とか暮らしは成り立たせているものの、主人公の心には暗雲がかかったままである。ラストの描写が印象的。 === 御米は障子しょうじの硝子ガラスに映る麗うららかな日影をすかして見て、 「本当にありがたいわね。ようやくの事春になって」と云って、晴れ晴れしい眉まゆを張った。宗助は縁に出て長く延びた爪を剪きりながら、 「うん、しかしまたじき冬になるよ」と答えて、下を向いたまま鋏はさみを動かしていた。 ===
1投稿日: 2020.01.05
powered by ブクログ『三四郎』『それから』に続く三部作完結編。 宗助と御米との隠居のような静謐な暮らしの描写が美しい。二人の人生の影は過去の千悔を拭い切れぬことにある。坂井とのふとした交流が過去の思わぬ想起と引き合わせが生じるわけだが、そこに至るまでの嫋やかな文章はさすが文豪夏目漱石。『こころ』のような緩やかながら激情を有す展開かと思わせながら、宗助は仏門に入る(出家体験?)トンデモ展開。あとがきを読むとタイトルの『門』然り衰弱気味であった著者がやややっつけ気味でそうなった模様だが、終盤の仲の良い二人の間にある溝と互いの秘密を独り抱えて淡い昏みのなか物語が閉じていく様子は、仏門のくだりはよいスパイスであったと思わされるから不思議だ。 夏目漱石は『こころ』が好きだが(『坊ちゃん』や『吾輩は猫である』はあまり好きではない)、この『門』は個人的に好みであった。
2投稿日: 2019.09.30
powered by ブクログ三部作の最後の作品。「それから」の二人はどうなったのだろう・・・と思いながら読みました。大きな波のある話ではありませんでしたが、宗助と御米の、何気ない会話がなんとなく良いなぁと思いました。二人の中で、二人の仲で、二人をつなぐものがあるのだなぁと感じました。それは、御米の「そのうちにはまたきっと好い事があってよ。そうそう悪い事ばかり続くものじゃないから」という言葉から思いました。また、宗助の弟の存在が、色んなことを抱えながら二人でやってきた宗助と御米と対比になり、彼のこれからの人生がどうなるのかも気になりました。
13投稿日: 2019.09.01
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
三部作最後の門。略奪愛のその後の物語で終始暗く読むのがしんどかったのが正直な感想。自分の中では振り回されて悩む三四郎が面白かった。
2投稿日: 2019.06.21
powered by ブクログ親友の安井を裏切り、その妻であった御米と結ばれた宗助は、その負い目から、父の遺産相続を叔父の意にまかせ、今また、叔父の死により、弟・小六の学費を打ち切られても積極的解決に乗り出すこともなく、社会の罪人として諦めのなかに暮らしている。そんな彼が、思いがけず耳にした安井の消息に心を乱し、救いを求めて禅寺の門をくぐるのだが。『三四郎』『それから』に続く三部作。
0投稿日: 2019.06.18
powered by ブクログ言わずと知れた漱石の傑作。何も起こらないし、主人公が参禅してクヨクヨするだけのように読まれてきた一面がある。しかし、「青空」とそこからふりそそぐ庭先の明るい日差しが、人が生きていることを支えるという、なんでもない奇跡に心打たれるのは僕だけだろうか。 https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/201904260000/
4投稿日: 2019.05.01
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
序盤は金銭が絡む親戚同士のいやな展開、しかし後半はこの作品本来のテーマに激変。人付き合いでのお互いの立場から思考する繊細な気持ちがよく表現されています。また、作者執筆時の時代背景やその当時の庶民の暮らしなどが描かれ、とても興味深いです。 宗助と御米夫婦の暗い過去が語られる一四章あたりから作品が変わるように文体ががらりと変わり、大胆かつ難解な表現がみられるようになります。勿論意図していると思われますが、その必要性には個人的には疑問です。読みやすい一三章までのほうが振り返ると楽しく読めていたと感じました。 新潮文庫版の難点として、背表紙にあらすじがほぼストーリの9割方記述されており、これを読んでから読み始めると先が見えてしまい、先が気になり読み進める気持ちが失せるので注意が必要と思います。
1投稿日: 2018.04.19
powered by ブクログ「それから」のそれからを描いたとのこと。タイトルである「門」とは漱石の弟子たちが決めたようで、読んでいて「なにが門なんだ…?」と疑問を抱いたのですが、漱石自身、書きはじめてからも「一向に門らしくなくて困っている」とこぼした模様。 「三四郎」や「それから」と違い、なんだか平坦な物語です。主人公の宗助は妻である御米と二人暮らし。そんなに年老いてはいないのだけど、このふたり、穏やかというより、枯れている。とりわけ情熱的なところがなく、倦怠ただよう宗助にちょっとイライラしてくる反面、物語の節々で仄めかされる彼が起こした過去の過ちに興味を覚えます。やがて、その過ちも次第に明るみになりますが、すべてが明白に示されるわけではありません。解るのは宗助が親友である安井を裏切り、御米と結ばれたという事実だけ(これが解れば十分なのでしょうが)。また、終盤には宗助がその安井と対面しそうな展開になりますが、結局、対面することはなく、物語は大きな波乱もなく終わりを向かえます。 御米は障子の硝子に映る麗かな日影をすかして見て、 「本当に有難いわね。漸くの事春になって」と云って、晴れ晴れしい眉を張った。宗助は縁に出て長く延びた爪を剪りながら、 「うん、然し又じき冬になるよ」と答えて、下を向いたまま鋏を動かしていた。 とは、本書のラストシーンですが、どうも微妙に後味の悪さを感じる終わり方。安井と対面しなかったことは、ある意味では、いずれ訪れるその機会にこれからずっと怯え続けなければいけないことを意味しているのではないでしょうか。 とかく、すべてが曖昧なままに幕を閉じる本書。解説で柄谷氏は「この日常には、希望もないが絶望もない。激しいものは何もない。(中略)結局なしくずしのまま老いていくような予感がこの作品にはある」と評し、「『門』はある独特の時間をとらえている。それは激しくもなく、ただ生活において微妙に累積されていくような時間であり、漱石ははじめてそれを書いたのである」と論じます。誤解を恐れず、荒っぽい言い方をするならば、精神的引きこもりといった感じでしょうか。そんな宗助と御米の関係について、作中で特に印象深かった記載を引用します。 彼等が毎日同じ判を同じ胸に押して、長の月日を倦まず渡って来たのは、彼等が始から一般の社会に興味を失っていたためではなかった。社会の方で彼等を二人ぎりに切り詰めて、その二人に冷かな背を向けた結果に外ならなかった。外に向かって生長する余地を見出し得なかった二人は、内に向かって深く延び始めたのである。 やっぱり物語全体のトーンは、こういうところから出ているのかな。そう考えると、こんな微妙で独特の感傷をもたらす著者の手腕に敬服のひとこと。
1投稿日: 2018.03.31
powered by ブクログ特に何かが起こる話ではない。 にも関わらず1ページ1ページがずしんと重い。 ひと山超えた夫婦の、老いや諦め、神経衰弱、惰性、そして哀しみの小説である。 「三四郎」が青春小説だったことを後から認識することになった。
1投稿日: 2017.12.24
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
この本は痛いところを突いてくる。 半分まで読んでもどこにも幸せが見えてこなくて、宗助が御米を大事にしているのが分かるけど、2人の生活はとても寂しく感じ、外界から切り離されたみたいな、世捨て人みたいな、不思議な孤独を感じるのは何故かと思っていたが、2人で罪を背負ったのだと後半で納得した。直接の言葉を使わずに2人の生活の空気感がどうしてこうも表現できるのだろう。 門のところの記述は誰もが通る道なのかもしれない。不幸な人というが、幸福なだけの人も少ないはずだ。 自分で切り開けない人もいる、でも流れに身を任せるという方法もあると教えてくれているような終わり方だと受け取った。答えを出せないことも多いが、すべてを窮屈にして思いつめることもないと思えた。 寒い冬から春になるその時期の暖かくゆるんでゆく様を、家庭の状況に重ねてあると感じた。そこで宗助がじきまた冬になると答え、2人の罪はなくならないことを思い出させる。 けれども良い時もあれば悪い時もあり、四季が巡るのと同じように物事も巡るということ、著者は言いたいのではないだろうかとふと思った。
1投稿日: 2017.08.29
powered by ブクログ三部作の最後、『それから』のそれから生きる夫婦の、互いに過去を悔いる中で進行する物語。後半で宗助が禅寺へ行くが、安井との事を悔悛することも悟りに至ることもできずに帰宅する段を読んだ時、日本人の宗教観の限界を感じた。もしこれが基督教に生きる者ならば、教会で懺悔をすることで気持ちがリセットされてしまうかも。安井は宗助の参禅の間に蒙古に帰り、御米は引き起こされたかも知れない嵐を知らずに夫・宗助を迎えた。結びにこの夫婦に訪れたのは、暖かい陽だまりのような日常だった。
1投稿日: 2017.08.19
powered by ブクログ柄谷行人の解説も含めて 素晴らしい。日常を強く感じた。三角関係後の中高年夫婦のモノクロな日常、妻と溝がある日常、何も起こらないけど何も解決しない日常、それでも生きていける日常、諦めと忍耐と運命に従う日常 この夫婦に 子供がいれば 日常が大きく変わったのに と思った。全体的に モノクロな雰囲気だが、たまに出てくる ランプや灯が 描かれるシーンに 明るさや転回を感じた
1投稿日: 2017.07.28
powered by ブクログ宗助と御米の犯した罪の詳細は語られず、罪の結果である淋しい生活が延々と語られる。文体が印象的。一文が長い。宗助と御米の会話のリズム。
0投稿日: 2017.06.02
powered by ブクログ親友の妻と略奪婚をした主人公は、その罪悪感から逃れられず、世間から一線を置き妻と二人ひっそりと暮らしている。 ある日、その親友の現況を知ることになり、動揺した彼は禅寺の門をたたくが悟りは得られない・・・というお話です。 ひっそりとした起伏のない日常を描いた作品で、そんななか二人きりで生きていくしかない、とおもいあっている慎ましやかな夫婦の姿がほほえましくもありじれったくもあり、現代との感覚の違いに少々驚きながら読みました。 逆に、傍からは分からない主人公の気持ちの揺れが繊細に描かれていて、禅寺に頼ったもののそれも中途半端に終わってしまう、でもそんな悩める様は現代人に通じるものを感じました。自分探しの旅、とかね(笑)。 時代に関係なく人は悩むし、諦めながら生きているのです・・・ 最後に、この主人公をあらわした絶妙な一文をご紹介しておきます。。 「彼は門(=禅寺の門)を通る人ではなかった。また門を通らないですむ人でもなかった。要するに、彼は門の下に立ちすくんで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった。」
1投稿日: 2017.03.31
powered by ブクログ「それから」の続編のような物語で、社会から隔絶されたようにひっそりと暮らしている夫婦が物語の主人公。これぞ青春小説の「三四郎」とは違い、結婚して長い時間を過ごした時期だからこそ共感できることも多い。
1投稿日: 2017.03.21
powered by ブクログ前期三部作の3作目。『それから』のそれからの話。 作品を通じて漂う、前2作とは明らかに異なった、 少しどんよりしている、陰鬱な雰囲気。 三四郎で芽が生え、それからで発露し、門で完成した、 略奪愛。その行く末の悲惨な結末とみることもできるが、 私はそれに加え、草助の姿に中年の悲哀を感じてしまう。 三四郎で「青年」を描いた漱石は、門で現代にも通じる 「中年」の姿、それも穏やかながらも哀れな姿を 描いているのではないか。
0投稿日: 2017.01.31
powered by ブクログ『三四郎』『それから』『門』に登場する三四郎、代助、宗助は、かなり多くの点で、自身と一致する部分があります。 もっと若い時期に薦められて読んでいたら、あるいは人生が変わっていたかも知れません。 代助・宗助のような過ちは冒さないよう、その香りのする道を迂回して通ることもできたでしょう。 しかし、もしそうしてしまっていたら、この三作品を今のような気持ちで味わうことはできなかったのでしょう。 私は宗助と御米の苦しみを理解することができます。また、ふたりの生活のある種の善さを感じることもできます。 人生と読書体験は、どちらが先ということなく、相互に影響しあうようだな、と深く感じ入るに至った一冊でした。
3投稿日: 2017.01.22
powered by ブクログ「三四郎」、「それから」に続く、前期三部作。 世間から隠れてひっそりと生きていく宗助と御米の日常が何とも言えません。 淡々と物語が進んでいきますが、途中に事件もあり、ドキドキする場面もあります。 最後の日常に戻る場面が、なんとも印象的でした。
0投稿日: 2016.12.11
powered by ブクログ「三四郎」「それから」と合わせた3部作と聞き最後に読んだが、先の2冊ほどの感動は無かった。 まぁ、期待しすぎたのかも知れないけど。 「門」なのか・・・「悶」なのか・・・
0投稿日: 2016.10.01
powered by ブクログ「三四郎」「それから」に続く三部作の最終作、と一般的に言われているとおり、この3作は登場人物こそ異なれど、異性との関係が順々に深くなっていく様子が面白い。行為を寄せた相手が結婚していく様子を童貞が指を咥えて眺める=三四郎、友人の妻である女性に思いを告げ、その女性も暗にその気持ちを受け取る=それから、そして友人の妻を奪い、共に新しい生活を始める=門。この作品の面白いところは、序盤から伏線が張られまくっている所だと思う。 さらに、登場人物の心理描写が現代の作品ほど親切に捕捉されている訳ではないので、その場に自分がいるかのように投影しながら読む必要があり、RPG的な楽しみ方ができる。 それだけに、終盤の「友人を裏切ってしまった罪悪感がワイを責める・・・。どうすればええんや・・・」→「せや!!10日間だけ鎌倉の寺に籠って悟り開いたろ!!」の超展開にはガッカリさせられた。
0投稿日: 2016.08.15
powered by ブクログ柄谷行人さんが解説の中で使っていた「互いに通じ合うことの出来ない微妙な溝」って表現になるほどと思わされた。それが宗助から漂う孤独感だったり世の中や自分を一歩引いたように見つめてる第三者的な姿勢につながるのかなと。 『三四郎』『それから』を読んだら、より深く味わえるんだろう。読まねば。
1投稿日: 2016.02.21
powered by ブクログこの小説好きだ・・・!仏教に救いを求める部分は解説に書いてあるように唐突な印象を受けるけど、日常に即した物語は「それから」のややこしい部分が良い意味で無くなったように感じた。不安を抱えつつも生きていく力強さみたいなものを感じた。
0投稿日: 2016.01.09
powered by ブクログ『それから』の項で予想した通り、「朝日新聞」紙上では『門』の再連載が始まつてゐます。 それはいいのですが、我が家で文庫版『門』を探したところ見つかりません。漱石作品は新潮文庫版で全て揃へた筈なのに。仕方なく集英社版『漱石全集』で再読したのであります。 全集版の良い所は、原文になるべく近い形で収録されてゐるところですね。正仮名・正漢字は勿論、漱石の得意な当て字や、時には誤字も注釈付きでそのまま再現されてゐます。文庫版では、現代人に広く読んで貰はうとの意図から、読み易く改変されてゐるので注意であります。 しかし全集版は大きく、重い。鞄に忍ばせて空き時間に読むとか、寝転がつて読むとか、憚りに持ち込んで読むとかには不向きで、机に向かつて読まざるを得ないのが不便ですな。 まあそんなことはどうでもよろしい。わたくしは『門』を再読して静かな感動を呼び起こされたところなのですから。 文学作品といふものは、その作品だけ単独で愉しめば良いと存じますが、『門』の場合はどうしても『それから』との関連が気になるところです。 『それから』の代助は、友人の妻・三千代と共に生きる事を決め、人としての道を外します。当時としては外道扱ひで、世間に顔向け出来ぬ境遇であります。 その設定を引き継ぐかのやうに、『門』の宗助は、友人安井から御米を奪ふ形で妻にしてゐます。安井はその後消息を絶ち、行方は知れません。御米とは相互に信頼し合ひ、夫婦の関係としては悪くありません。しかし常に安井の影が差すからか、心底明るく笑つたことがあるのか疑はしい。おそらく、まだ30歳前後と思はれるのに、すでに枯れた雰囲気を醸し出してゐます。良く言へば落ち着いてゐるが、悪く言へば覇気がない。子供には恵まれず、静かに暮らしてゐます。 宗助には小六といふ、歳の離れた弟がゐます。叔父夫婦に学資など面倒を見て貰つてゐたのですが、叔父が死んで叔母の代になつてから、小六の学資はまかなへないと通達され、宗助はその対応に苦慮します。もつとも傍目には余り苦慮してゐるやうには見えず、行動をずるずると先延ばしするため、当の小六からも鼎の軽重を問はれてゐさうな気配が。要するに兄を軽んずる傾向があるのです。 そんな中、大家の坂井といふ人と懇意になります。その坂井氏の弟(坂井氏曰く「冒険者=アドヴェンチュアラー」)が蒙古で放浪してゐたのだが、最近突然姿を現した、面白いから会つて話を聞いてみなさい、ついては安井といふ友人も一緒に呼んであるといふのです。 何と、御米を奪つた安井の消息が分かり、自分の眼前に現れるかもしれぬといふ恐怖が宗助を襲ふのであります。御米にも告げる事が出来ず、精神の安定を失ふ宗助。救ひを仏門に求めるのですが、さううまくいきますかどうか...... 結局、安井は再び大陸へ渡り、宗助が心配するやうなことは起きず、小六の問題も坂井氏のお陰で解決しました。御米さんは春が来たことを悦びます。しかし宗助は「うん、然し又ぢき冬になるよ」と返すのでした。つまり、安井はいつ又眼前に現れないとも限らぬといふことでせう。 ドラマティックな展開は起きず、根本的な問題は何も解決せぬまま、物語は終つてしまひます。それを不満とする読者も多いと存じますが、この宗助の苦悩は、『こころ』の先生に引き継がれるのでせう。近代人の自我と我執。そんな地味な問題でも、小説として愉しめるやうになつてゐるのが良いのです。 要因は、登場人物の造形でせうか。宗助・御米・小六・坂井・宜道など、誰もが一度は出会つた事があるやうな人物ばかりではありませんか。個人的には御米さんが好みで、漱石作品に登場する女性の中では一番好きですな。特に小六と接する時の描写なんかは、息遣ひまで聞こえてきさうです。何だかどきどきするのでした。 派手な展開は見せませんが、門の前で何も出来ずに右往左往する宗助を一度御覧なさいと申し上げて、ここは去ることにいたします。 ぢや、さらば。 http://genjigawa.blog.fc2.com/blog-entry-586.html
1投稿日: 2015.11.01
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
略奪婚のあとの静かな日常を画いていてよかった。寂しく睦まじくというのも愛の形なのだろう。禅寺にいったのは徒労であったが、人間悟らんほうがいいのかもしれない。父母未生以前の面目の「ぎらっとしたところ」など、少し考えてしまう。
0投稿日: 2015.08.21
powered by ブクログ主人公は異なるが、『それから』で友人の相手を奪って一緒になった2人が、果たして幸せになれるのかを描いた作品と思う。罪を背負いひっそりと、淡々と生活する夫婦と、逃げても逃げてもお追いかけてくる過去に苦しむ姿は、本当に幸せなのかを考えさせられた。
0投稿日: 2015.05.17
powered by ブクログ仕事関連で夏目漱石が好きな方がいたので再読。 やはり学生時代だけでなく折り目の年(個人的な話題で恐縮ですが今年30になる年)に読み返すと当時とは違う印象がありますね。 退廃・小市民的な(でも不幸ではない)日常、いくら夫婦でも分かり合えない境界線があること… 280、281頁目の淡々と厳しい展開…。
0投稿日: 2015.05.04
powered by ブクログ「それから」からつながる夏目漱石前期三部作の最終作。 親友の恋人(?)と結ばれた代償に世間の一切から断絶された夫婦の退廃的な日々を描いた作品。 「三四郎」以来すっかり漱石に魅入られています。 三部作残りの2作品で見られたような主人公の熱情はほとんどなく、ただただ退廃的で出口のない虚無感が全体を包み込んでいる。 特に中盤の回想からの流れにはぐっと引きこまれた。 そして相変わらず漱石の描く女性は本当に魅力的である。 終盤の展開は物議を醸しているらしいけど。 全体的に暗い話ですけど、僕は好きですね この流れで後期三部作も全部読んでいこうかと思います。
0投稿日: 2015.04.25
powered by ブクログ漱石前期三部作の最終作。 「三四郎」「それから」と比べていささか劣ってしまったかなと。 解説にも書かれている通り、半ばこじつけ的に「門」を登場させてしまっている所が残念。 題名を弟子に付けさしたとか… 漱石の作品に見られる緻密さから、漱石自身の適当感に思わず鼻を鳴らしてしまう。笑 私は「それから」の代助の世界のパラレルワールドと捉えて読み進めてみた。前半部分は非常に面白く、代助の世界に当てはめるとこんな感じなのかなと考えると、さらに面白味が増す。 ただやはり後半があれっ…?って感じ。 ただ、作品自体そこまで長くない作品であり、そこまで内容も難しくないので、読みやすい作品ともいえる。
0投稿日: 2015.03.12
powered by ブクログ3部作の中では「門」が一番好きです。 陰鬱としてますが、文章がとにかく美しい。 中盤、夫婦の関係を描いたシーンに震えました。 あの表現力…思わず何回か読み返してしまいました。
1投稿日: 2015.02.02
powered by ブクログ前期3部作を毎月1冊ずつ。この作品が1番面白かった。春の訪れに嬉々とする御米に、また冬になるよ、と言う宗助。廻るのは冬なんだ、と暗い気持ちになる。 順序どおり3冊読んで、 「三四郎」は春 「それから」は夏 「門」は秋、冬 を思わせる作品だった。
0投稿日: 2015.01.01
powered by ブクログ2014年12月24日読了。 読んでなかったの!?ってやつですな。 古書店にて、昭和54年発行の文庫を買ったので、表紙が違います。解説ももしかしたら違うのかな、柄谷行人さんが書いてました。
0投稿日: 2014.12.31
powered by ブクログ京都大学時代の友人、安井の事実婚の妻を略奪した宗助は、親告されなかった姦通罪により、徳義のうえで親族から義絶される。その因果で、御米は三回子作りに失敗する。市役所職員として、御米と逼塞して暮らすが、実家の財産の相続に失敗したために年の離れた弟、小六の学資が不足してしまう。弟を、御米との二人きりの寓居に引き取るが、先のあてはない。大家の坂井が、好意から小六を書生に引き取ることを提案するが、なんと坂井の弟は安井のビジネスパートナーであった。彼は、安井から逃げるように参禅するが俗世にしか生きられないことを知る。
0投稿日: 2014.11.12
powered by ブクログ20141020読了。 「それから」を読んでいないため、なぜ宗助と御米がこんなに執着のない暮らしをしているのか、しばらく分からず、途中で挫折しそうになった。 誰の心にもある門とどう向き合うか、呵責とどう向き合うか、後半は面白かった。
0投稿日: 2014.10.20
powered by ブクログ三部作でこれだけ読んでなかった。 「彼は門を通る人ではなかった。又門を通らないでも済む人でもなかった。要するに、彼は門の下に立ち竦んで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった。」 怖ろしいなぁ。 「それから」もえらく現代的だなあと感心したけど「門」はまさにここ数年の日本という感じ。 格差やみじめさに耐えられなくなって思い悩み、過去の自分の負債が首を擡げ、どうしようもなくなったら仏門をたたく。 最近仏教系の本多いでしょう。 これからの日本は仏教的なイベントがはやるでしょうねというとある人の言葉を思い出した。 明確なノルマやゴールがない。自己実現や生きがいという度量衡が崩れて向う最終地点のようなね。
2投稿日: 2014.03.13
powered by ブクログ20140102読了。2014年初読了。 あっという間に読んでしまった本作。夏目漱石前期三部作の三作目。 これまで読んだ漱石作品のなかでは、もっとも主人公を身近に感じることができた作品。なんせ、高等遊民じゃないからね笑 サラリーマンの描写の仕方や(この頃既に満員電車ってあったんだね!!って思った)、いまでいう非リアな宗助夫妻の正月への切迫した捉え方とか、いちいちかなり共感できるので、現代人の悩みなんてそうそう変わるもんじゃないのね、とだいぶ感心してしまった。 そのなかでも個人的にこの本のハイライト、と思ったのは夫妻の子どもが不運にも産まれる間際で3人続けて亡くなってしまっていることが描かれている部分。お互いを唯信仰の対象として補完し合う2人だが、この件に関してのみは、心を開き合うことができない。まるで実体験であったかのように、子どものできない夫婦の苦悶を描ききっているのはすごいと思います。 最後の寺修行は唐突感はかなりありますが、怖いもの見たさ的な感覚でわたしは嫌いではありません。 以上。
0投稿日: 2014.01.03
powered by ブクログ夏目再読。 「三四郎」「それから」に続く作品ということで、その順番であらためて読んでみた。 主人公のあいかわらずの苦悩っぷりは大変面白いが、「それから」が持っていたテンションを期待すると、なんだか肩すかしをくらうような作品。 もやもやもやっとして、全部が霧散していくような、なんとも奇妙な印象の本です。
0投稿日: 2013.12.28
powered by ブクログちょっとした会話や行動で、夫婦の緊密な結びつきを表現するのがうまいと思った。 ひとたび道をはずれたら、再び同じ場所にもどることができない。社会的にも心情的にも。
0投稿日: 2013.11.01
powered by ブクログ1911年の小説。 夏目漱石と言えば、日本文学を代表する文豪であり、明治と共に生きた知識人として近代的国民国家「日本」が形成されていくことにまつわる苦難をあまりの理知故に捉えそれを主題とした作家であり、兎にも角にも偉人である。という一般常識にわたしは囚われすぎていたのかもしれない。「それから」を読んだとき、ああこれはわたしかもしれない、という圧倒的共感及び恐怖心を覚え、そしてわたしの内面を的確に捉えた端正な日本語、新聞に連載していただけあって目が離せなくなるような話の筋の面白さに感嘆し、ずいぶん遠いところにいる気がしていた漱石が一気に「日本文学史の重要人物」から「わたしの好きな作家」になりました。で、意気込んで「門」に読み進め、やはりようやくわたしは漱石を自分に引き寄せて読むようになったのだと確信。今更だけどこんにちは漱石。 「三四郎」はすこし前のわたし、「それから」は今のわたし、では「門」は未来のわたしなのかなあ。「それから」を彩る狂気はここでは感じられず、狂わぬまま苦しまねば成らない人間の苦しみが描かれていたという意味で、「門」はさらに近いのかもしれない。やっぱりものすごく面白くて、日本語が素晴らしくて、主人公はわたしだった。わたしだって悟りという魅力的な言葉に惹かれてずっと宗教を希求してきたし、それでもどこにも辿り着けず諦観を感じてきたし、門の前で立ち尽くす宗助はほんとうにわたしだとおもった。小説全体を通して流れる静かな諦観と、倦怠と、だからこそ逆説的に成り立つ透明な幸福が、とてもすきです。おはなしのことを言うと、弟は昔の主人公で、坂井はありえたかもしれない主人公のひとつの未来であり、もはや戻らない時間に阻まれどうしようもなく隔たった過去と未来がその眼前にあり続ける宗助、分身のようで結局のところ他人である御米、こういったものすべてがおそらく一生立ち尽くすであろう宗助の悲哀を物語るようで、なんかもう漱石は天才だし、どうしようもなくかなしい。「それから」を読んだ後は追いつめられたような気持ちであったけれども、「門」はただ嘆息。たちつくす。
2投稿日: 2013.09.29
powered by ブクログ友人から妻を横取りしてしまった主人公。崖の下の家の通り、自分が強い覚悟を決めた道だとも、けっして許される日は来ないのだろうか。主人公がなぜ宗教の門を叩いたのか、読んでもわからなかった。
0投稿日: 2013.09.02
powered by ブクログどうしようもなさはあるけれど、前期三部作の中で一番好きです。安易な救いや夢ではない現実感、外見的には淡々と過ぎて行く様子がかえって葛藤と危うさを感じさせて、読み手がいろんな感情や想像を拡げてしまう気がして。
0投稿日: 2013.07.26
powered by ブクログ姜尚中さんの「悩む力」からの「三四郎」からの「それから」からの「門」でした。 満員電車に乗って、日曜日は仕事の疲れを癒すためだけに精一杯。翌週になればまた満員電車に乗って仕事をするの繰り返し。現代のサラリーマンとその生活がよく似ており驚きます。 前作で、代助が無意味と言い放った一般社会生活を自ずから行うことを余儀なくされた。その無意味な社会活動を淡々とする風が、なんとも息苦しく思う。ただそうしても生きていけるのは、細君がいてくれるから。細君との生活の中での素朴なやり取りが切なくも生きている意味を実感させます。 そんなかけがえのない細君がいてくれることさえ揺るがす過去の過ち。もう何もかも宗助から奪われてしまうようで可哀想。ただでさえ精神を病んで憔悴しているような中で、すがるべくはやはり宗教なのだろうか。 門をくぐっても、数週間のプチ坐禅で悟れるなんざ甘く考えていたと山を降り、結局延々と悩みを抱えながら生き続けるというわけです。救いようがありません。 それも人間なんだと思ってやっぱり悩みながら生きていきます。
0投稿日: 2013.07.20
powered by ブクログいわゆる三部作というものを一気に読んでみました。 少し暗く淡々と流れていく時間。 最初の方の夫婦のやり取りは落ち着いた愛のある夫婦のような印象ですが、最後の方のやりとりも同じような感じなのですが、一歩深く捉えられて印象が変わるような。もう一回読むとまた違うのかなぁという気がしました。
0投稿日: 2013.06.23
powered by ブクログ姜尚中さんの影響で「三四郎」、「それから」に続けて 三部作だという本書を青空文庫にて。 冒頭が映像がみえるかのように描写がわかりやすい。 そしてゆったりと質素な夫婦の暮らしぶりを読み進める こととなる。経済的なこと以外はじつにのどかに。 と思ったら、また男女の三角関係が。 漱石さんってよほど三角関係がすきなのだろうか。 人の好みって千差万別で実際はそうそう友人の彼女や妻を すきになったりしないものと思うけど。 姜尚中さんはとってもお好きらしい漱石、私は好みじゃないのかも。
0投稿日: 2013.06.17
powered by ブクログご存じの通り、夏目漱石の前期三部作の三部目の作品です。 二部目の『それから』に引き続きこの作品は、主人公とその妻を題材にしております。 決して裕福でない夫婦が、身をよせあって生きていく物語で一見幸せと思える二人に微妙に溝があるのです。 この日常は、希望もないが絶望もない。しかし、彼らには過去がある。時間が、それを癒すこともありません。 結局、なしくずしのまま生きて何気なく老いていきます・・・そんな予感を感じ取れる。 前作と同じように、決してハッピーエンドでは終わりません。 「それから」なのですね!そんな夫婦っていますよね・・・
0投稿日: 2013.05.04
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
久しぶりに漱石を読み返しました。 たぶん10年ぶりくらい。 漱石の小説は好きで全部読んでいるのですが、 『門』は学生のころ読んで、よく理解できなかった記憶があったので ふたたび手を取ってみました。 再読したところ・・・、 やはりよく分かりませんでした(笑) といっても いまにも土砂が崩れてきそうな崖下の家に象徴されるように 主人公とその妻におそいかかる不幸(金銭問題や病気、妊娠、罰)の予感はまさに現代人の生活そのものといっていいでしょう。それはまさに最後の一句『然し又じきに冬になるよ』に表現されています。 しかし、わからなかったのはこの物語の主題ともいえる『宗教』の問題です。 生活のあらゆる苦(代表的なのは他人の妻を奪った罪ですが)から解脱したいと主人公は禅寺の門を叩きます。 禅寺で主人公は何も悟りえなかったのか? また悟りえなかったとしたらそれはなぜなのか? 解説を読むと、あまりこの小説の宗教にとらわれないほうがいいということが書いてありましたが、漱石が何を考えていたか、やはり興味をそそるテーマです。 また10年後に読み返してみます・・・。
0投稿日: 2013.04.25
powered by ブクログ序盤から終盤まで、気だるい雰囲気が漂っている。俗世離れした宗助と御米の生活。崖を目の前にした住居が象徴的で、一見平穏そうに見える二人の生活に様々な方面から暗い影が忍び寄ってくる。小六の身の置き所や、学費の支援で一悶着あった。さらには二人の子供をめぐる暗い過去や、親友を裏切った上で得た二人のおぼつかない生活。良心の呵責を抱え込んだまま、世間から隔離されたかのような生活を送る二人の様子を想像すると、思わず暗い気持ちになってしまう。 終盤では宗助が救いを求めて禅寺の門をくぐるが、そこでも自らの不甲斐なさを再認識してしまう。門を開けてもらおうとしたが、そんなもの自分で開けろと諭された。開け方を考えてはみたが、自分は門を通ることができない、されど門を通らずに済むわけではない。そこに親友を裏切った罪を背負う者の、全てを凝縮した思念が表現されているように感じた。 人間が生きていく中で、誰しもが抱えるであろう苦悩。それに対して、どのように向き合っていくべきか、考えさせられる一冊だった。
0投稿日: 2013.01.06
powered by ブクログ漱石小説のなかで好きな一冊をあげれば「門」。 吉本隆明さん以下漱石ファンの多くが薦める一冊。 不安をかかえながらもささやかな幸せな夫婦生活の描写がだんぜんいい。 明治以来何百万人という漱石中毒患者が生まれ、その一人ひとりが自分の漱石論を語り始める、という不思議な魔力。 はては胃潰瘍にもなってみる。 書けそうで決して書けない小説、漱石。
0投稿日: 2012.10.17
powered by ブクログ明治43年に朝日新聞に連載された作品で、「三四郎」「それから」と続く三部作の終編。 宗助と妻の御米は、世間から隔てを置いて、お互いにお互いだけを相手にしてひっそりと暮らしている。叔父一家や、そこに預けている実の弟の小六とも、親しく付き合うことはない。それには二人が過去に犯したある罪が原因しているらしかった。 のらりくらりとした夫婦の会話から始まる「門」は、最後ものらりくらりとした夫婦の会話で終わる。その中に回想が挟まれ、二人の過去が知れるわけだが、始めは何があったのが全く分からない。(三部作と知っていれば分かっちゃうんだけど。) 思わせぶりな表現がチラチラ出てくるだけである。これといって何か事件が起きるわけでもなく、少々退屈なお話ではあるが、三部作だと思うと有り難がって読んでしまう。
0投稿日: 2012.09.25
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
本文で明らかにして欲しかったのは次の2点。 まず一点目は、宗介、御米、安井の間に具体的に何があったのか。下衆い話かもしれないが、その「何か」の前後で3人の性格がガラリと変わってしまったことから見ても、この「何か」がとても重要であることは明らか。わざとブラックボックスにしたということは、そこを読者に想像して欲しいということか?あまり性急に欲してはいけないのかもしれない。 もう一点は安井の話を聞いた後に宗介が宗教に傾倒した、その思考の道筋。この時代の常識的な思考経路なのか、あるいはこれも作者の恣意的なブラックボックスが置かれているのか判断できない。禅寺のエピソードは本書の題「門」にも直結することであるから、この思考経路も見逃せない要点ではあると思うが、少なくとも今の自分にその思考経路は共感を持てない。 等々、掴みどころのない点も多々あったが、全体的には気に入っている。何より日本語が綺麗。表現が明快で多彩。宗介と御米の二人組がとても愛おしく思える作品。
0投稿日: 2012.08.31
powered by ブクログ世間と隔絶し、何をするでもなく生きる夫婦2人。彼らの罪は友人を不幸にしたことではなく、ただ2人でいるだけで幸福であることなのかもしれません。
0投稿日: 2012.07.31
powered by ブクログ中盤で安井が登場してくるまで物語がうまく掴めなかった。 態度の良くない弟や好感を持てない叔父叔母など、登場人物に正直魅力を感じられず話の展開もあまりなく、読むのが少し疲れた…しかし、宗助と御米の過去、禅寺に救いを求めた宗助、そして『門』という題の意味など後半で文学というものに浸れました。
0投稿日: 2012.06.11
powered by ブクログ後になるまで、はっきりと主人公の2人が、前巻までと同じか悩む。 シリーズ1巻、2巻目と比較して、唯一現実味を留める内容となっている。なんだかんだ、甘やかされてきた二人が、直面する現実を前に、成長していっていると思う。 2巻で終わりにするよりも、はるかに優秀なシリーズといえる。
2投稿日: 2012.06.05
powered by ブクログ崖の下という今にも崩れて壊されかねない不安な家に住み、不安を抱え怯えながらも頼りあってしか生きられない夫婦の心情を捉えた作品です。 嫌なことを避ける、なにかに怯え、そして、逃げる男。不平不満を思い、斜に構えた物言いをする男。我がことのように思えゾッとしました。 再読してみて、思わぬことに気が付きました。この作品はまるで歌舞伎ではないのか、いや、脱歌舞伎なのではないのかということです。明治の文芸運動の推進者である坪内逍遥や二葉亭四迷への挑戦ではないのかと感じました。 『三四郎』『それから』への続編として、これらの先行作品の幾ばくかの関連をもって作られた『門』は歌舞伎の「曽我兄弟」がでてくる作品連や『東海道四谷怪談』『五代力恋緘』『盟三五大切』『仮名手本忠臣蔵』のように先行作品という下敷きをもとにあらすじを大きく変えて創作している点が似ている点だと感じました。 相違点として、歌舞伎なら”勧善懲悪”によって決着がつきますが、『門』における主人公宗助は退治されることはありません。この作品は、ある意味での被害者である安井側から見るのではなく、加害者としての宗助側から見ています。 江戸期には”自我””個人”という思想はなかったと考えられます。 正義が悪を倒すのではなく、宗助は自分自身というものを見つめ直します。そして寺へ向います。この点は江戸期の文学との大きな違いではないでしょうか。 (小六の存在について) 何故、小六という主人公の弟を登場させなければいけないのか気になってしょうがありませんでした。色々な場面で生活の苦しさの状況説明はしていますが、より具体的な説明をするために養うべき子供の存在が必要であったのではないでしょうか。妻お米は、子供ができない運命にしたかったので小六を登場させたのではと思いました。 読んでいて気になる点がでてきました。歌舞伎『盟三五大切』で、三五郎夫婦と小万がでてきますが三四郎と小六の名前にひっかかりがあります。 また、小六の「小」と「六」を重ね合わせると「米」になるのでは穿ったことをおもいました。 (p191)「千両函を摩り替えて磔になったのが一番大きいのだという一口話」とありま。漱石は落語好きであるが歌舞伎には興味がないとうわれていますが、この作品でも宗助夫婦は、浄瑠璃をききに行っていますので、歌舞伎との関連は少し考慮してみる必要があるのではと思います。 (少し強引な作品) 宗助は友人安井からお米をとったことになっていますが、二人のの出会いの場面は書かれていますが、どういうきっかけで二人が結ばれたかは書かれていません。そこが、わからなければ本作品でいう「道義」の問題は考えにくいのではないかと思いました。また、友人の恋人をうばいとったことでで大学を放棄せざるおえなくなり、重い社会的制裁を受けなければならないというのは理解しがたいです。 唐突に禅寺へ行きますが、このことについても理由がわからず、その上なにも決着をつけずに帰ってきます。 小六が大家である坂井の家の書生になることも、それまで親戚の佐伯との確執を色々と描いているわりにあっさりとしていますね。 宗助夫婦は仲が良いと地の文ででてきますが、結婚前も結婚後もその様子は描かれているとは言い難いと思います。 作品最後の部分で、お米が「本当に難有いわね。漸くの事春になって」というのに対して「うん、然し又じき冬になるよ」と宗助がこたえています。なにも変わらないまま話はおわり、この夫婦はその状態で過ごしていくことを暗示させています。いわゆる片付かない問題なんでしょう。でも敢えていうのならば片付かないのではなく、片付けないのではないでしょうか。
0投稿日: 2012.05.26
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
全体に漂う閉塞感、解決策は見出せず、不安は常にある一方、日常はそれなりに幸せに過ぎていく。その辺りに今の社会状況と類似を感じながら読みました。 現代で言うところの公務員である宗助が夫婦で質素に暮らす様子、高校生の弟小六が、自分は大学で学び兄夫婦よりも輝かしい暮らしをすると漠然と考えているところ(特定の職業や方向性等の具体的イメージはない)、土地持ちの大家の裕福な暮らしぶり…。そういう点に注目していると、現代の小説と錯覚してしまいそうでした。 大きく話が動くこともなく、淡々とした日々が描写され続けるのみ。それでも物語に惹き込まれて一気に読んでしまったのは、やはり読み継がれて来た名作の持つ力ですね。
0投稿日: 2012.04.16
