
総合評価
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powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
世間の片隅で夫婦ふたり、寄り添って暮らす宗助と御米。日々は基本的に穏やかに過ぎるが、宗助の弟が居候したり、御米が具合悪くなったりとちょいちょい事件も起こる。そんな中、思いがけなく親交を持つことになった大家の坂井の家で、昔の知り合いと引き合わされそうになる宗助。その男安井とは、かつて御米を巡ってトラブルがあった(らしい)。夫婦して触れないようにしてきた過去の傷に向き合うのに堪えなかった宗助は、ひとり寺の門を敲くのであった。どうしてそうなるの。 宗助は言葉足らずで時々デリカシーを失するが、妻のことを物凄く愛している。御米もまたあまり多くを語るタイプではないが、夫を愛し細やかに気遣っている。Not love,but affection という感じの、静かな情愛に満ちた夫婦だ。だがそんなふたりにも過去にえらいことをしでかした経緯があるようで、それをかばいあって生きるが故の強い結びつきなのだろう。 宗助は寺に行って何事か悟らんとするが、今後安井に会わなければならないなら引っ越そうくらいのことしか思い至らない。まあ十日やそこら座っていただけではそんなところが妥当だろうが、それをやったということに意味があるのかもしれない。いやどうかな。そうでもないか。 結局安井には再会せず、思い悩んでいたカタストロフもなく、何も起こらず日々は続いていく結び。だが決して以前とは同じではないことに、少しひやりとさせられる。
0投稿日: 2012.04.06
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夏目漱石の文学は、現代的である。 彼が生まれたのは、1867年、慶応三年のことである。 大政奉還が行われ、急速な変化を告げる激動の日本。 和服にちょんまげ、腰に刀をさげたお侍さんやら小奇麗なタキシードに蝶ネクタイ、ステッキを持って町を歩く紳士諸君。 そんな時代に生まれ、そんな時代を生きた彼が描く作品が、21世紀を生きる読者の心をがっちりとつかむ。そしてそれは古典としての面白さというよりも、不思議と親近感を覚えてしまうからである。 現代的な問題。 それは、どう生きるかという価値の問題である。 最低限の衣食住が確保された上で、人間の尊厳や意志といったものは、どれだけ保障されうるのか。 高度経済成長が止まり、全員が共有できる意味や価値を喪失し、それぞれが散り散りになっていく社会。 「多様性」という名のブラックホールに飲みこまれ、個々の価値を築くことは各人の裁量の中に限定されていく。 核家族化という現象の終着駅は、核個人化であった。最小単位となった個人は、オンライン上で匿名性の悲痛な叫びをあげ始める。 宗助と米子の生活は極めて厭世的だ。 俗世的な煩わしさから遠ざかり、二人独自の空間を構築している。 宗助の弟がそんな兄の様子を描写している個所がある。 資金難で大学に継続して通うことが困難である自ら(弟)の状況を踏まえ、 「するとどうしても自分一人がこんな境遇に陥るべき理由がないように感じられた。それからこんな生活状態に甘んじて、一生を送る兄夫婦がいかにも不憫に思えた。」 大学進学、成長、就職・・・・名誉や収入、肩書といったことにこだわる弟と兄の対比がここにはある。 しかし、宗助は過去のある瞬間以降、そうした欲求を持つことを止めたのだ。 「彼らは複雑な社会の患いを避け得たとともに、その社会の活動から出る様々の経験に直接触れる機会を、自分とふさいでしまって、都会に住みながら、都会に住む文明人の特権を捨てたような結果に到着した。・・・外に向かって生長する余地を見出し得なかった二人は、内にむかって深く伸び始めたのである。彼らの生活は広さを失うと同時に、深さを増してきた」 ある退役アメリカ軍人が過去の戦争で心に深い傷を負った。そんな彼の言葉とこの宗助の生き方は重なる部分が合った。 そのアメリカ軍人は退役後、美術の先生として活動した。 彼曰く、戦争の後から白いキャンバスに描くのではなく、黒く塗りつぶしたキャンパスに絵を描くようになった。 それは、人生にも通ずるのだという。人生における黒い部分をどれだけ上から明るい絵の具を塗っていくかということ。黒い故に次第に黒が浮き上がってくるが、それを地道に塗り直す作業が、人生なのではないか。と彼は言う。 宗助における過去は、かれにとって闇以外の何物でもなかった。彼は米子とともにささやかながら上からカラ―を足していっている。 現代において生きることとは、価値を内側に掘り進め、無意味であるということに対して継続的に抗っていくことなのかもしれない。
0投稿日: 2012.03.30
powered by ブクログ夏目漱石を読むときには、当時の明治の時代背景を重ね合わせながら、 その時代に生きる人々の思いを知ろうとする。 「門」についていえば、京大出の官僚で、ある意味では社会の成功者であるはずの主人公の宗助が、混沌とした社会の荒波に敢えて波風立てず、妻の御米と寄り添いながら生きていく。その時代とは? ただし、彼の精神は不安定であり、決して満足しない。宗教(座禅)への傾倒も試みるも、その精神を満たすことにはならない。 御米(妻)は親友の安井の前妻であり、その裏切りに悩みながらも、その安井は冒険者として新しい生き方を探し求めており(それもまた新時代の生き方)、宗助は、その生き方も気になる。混沌とした時代に冒険する側とそれを傍観する側のコントラス。 また、大家の坂井は旧幕時代から続く裕福な家庭で、ある意味では旧体制のノスタルジーを醸し出す。 叔父や実弟との関係は血縁関係が希薄になる世相を示し、子供ができない御米との関係もそれを暗示する。 最後は、御米と二人の世界に閉じこむことになるのだが、御米に全ての心を開くわけでなく、どこかで個人主義的な生き方となり、明治の時代に生きることの難しさを伝えようとしているのだろうか。 ストーリーとしては淡々と進むのだが、夏目漱石の表現力が、ストーリーをうまく脚色しており、その技量の素晴らしさに感嘆させられる。
2投稿日: 2012.02.12
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夫婦の幸せな毎日の物語。だけどそれは昔犯した罪があって成り立っているもの。 改行が少なく、1ページ1ページに文字がぎっしり詰まっているので読みづらかった。
0投稿日: 2012.01.10
powered by ブクログすげぇぇぇぇ。夏目漱石ってすげぇぇ! と、思った一冊。 私は漱石のいい読者ではなく、「漱石で一番好きな本は?」と聞かれたなら、「うーん、『夢十夜』かなぁ?」ぐらいしか答えられないような人間であった。 この本を手に取ったのも、『三四郎』『それから』は読んでいるのに、そう言えば『門』は読んでいなかったなぁ、というおかしな貧乏性がきっかけだった。 それがいやはや、どうしたことだろう。読めば読むほど、え、漱石ってこんなに凄い作家だったんだ、やばい、私全然漱石の本を読めていなかったんだ、と過去の自分の読書を疑いたくなったのである。 なんという生きることのナイーブさ、そして日常というものの怠惰さ。脆くて柔くて甘えているのに、図太くてそっけなくて突き放している。 自分自身ですらままならないのに、自分一人では生きていけない。社会では生きていけないと思っているのに、社会がないと生きていけない。 つまりこれ、膨大にして矮小な、圧倒的にして視野狭窄な、矛盾。普段は何気なく過ごしている、あるいは見ないふりをしている「矛盾」というものを、漱石は実に丁寧に、それこそ悲しくなるくらいリアルに描いている。 その手腕のなんというブレのなさ、確実さ。凄すぎる。常人じゃない。何しろ、物語にどんな事件らしい事件も起こらないのである。むしろ、主人公が体験した一番の山場(切迫シーン)は、もう遠い過去へと過ぎ去っているのだ。 それなのに、漱石はその淡々と過ぎ去るだけの、あまりに怠惰で茫漠とした日常を、あくまで堅実に着々と書く。そこには妥協も安定もない。ぐらぐらとして脆弱で、哀しいセンチメンタルな気持ちを、一切の同情を切り捨てて書く。 これじゃ、漱石が神経症に悩まされたのも当然だ。こんなに微に入り細を穿って人間を描写する目と頭と腕があるんだもの。そして、そんなものを書く自分にどんな甘えも許していないんだもの。辛いに決まっている。 少なくとも、この本を読んで私は漱石のことをそう思ったのだった。
8投稿日: 2011.12.17
powered by ブクログ名作って難しい。普段娯楽小説ばかり読んでいるせいか平坦なストーリーに読むスピードが上がらず。こんなに薄い文庫本なのに完読するのに苦労しました。
0投稿日: 2011.11.14
powered by ブクログ世間とは深い関わりを持たずに身を寄せ合って生きてきた、宗助と御米(およね)。つましく節倹した生活を送るなか、学生という身の宗助の弟・小六が二人のもとに越してくる。 物語の前半部分は、この小六の学費をいかにして捻出するかという生活的な問題に、宗助達2人があれこれ思い悩むことに終始しています。 そして物語が進み、宗助と御米の過去が明らかになると、読者はこの作品が『それから』や『こころ』のように三角関係を描いたものであったと分かるのです。 三角関係を克服したうえに成り立つ夫婦であることの罪悪感が、宗助と御米の生活に影を落とし、世間から隠れなければならない独特の暗さと疎外感を生み出しています。 宗助夫妻の後ろ暗い過去に触れたところで、宗助の友人であり御米のかつての男である安井という人物が、2人の身近に現れることになるのですが…。 題名『門』とは、安井の登場に怖じ気づいた宗助が、家を離れ身を寄せた禅寺の『門』を表すのでしょう。 この作品は言ってしまえば、自分が恋人を奪った男に会いたくないが為に、禅寺へ駆け込む…というだけの話なのです。 漱石が描く三角関係は必ずしも、幸せな結末を生むものではありません。 ある日、鶯が鳴いたのを『ようやく春になった』と喜ぶ御米に対して、『しかし、またすぐに冬がくる』と言ってみせた宗助。 『こころ』の中では先生が妻に隠れて自殺したように、本作では物語の最後まで、夫婦である宗助と御米の間には避けられない隔たりがあることを示しているのです。
1投稿日: 2011.10.22
powered by ブクログ漱石初期の三部作の最後となるこの作品。 おそらくこの作品が一番重いだろう。 通低音となっているのが「罪悪感」。 友の妻を奪うという行為。 個人としての倫理だけではなく、周りを含め社会としての背信感を抱えながら生きていかなくてはならない。 そんな主人公が行き着く先にあるもの、それが「門」なのである。
1投稿日: 2011.10.22
powered by ブクログいつ話が始まるかと思っていたら、始まらないまま終わってしまった。 色調が全部の色に灰色を混ぜたような話だった。解説にあったけど、まさに「くすんだ」話だな。 これで前期三部作は抑えたぞ。 門を読む動機が、崖の上のポニョを観たからだなんて。三部作コンプリートも動機ですよ。
0投稿日: 2011.09.26
powered by ブクログ親友を裏切って妻を得た主人公がいかに暮らしていくかという話。 解説などを読むと、「一種の暗さがある小説で、これは漱石の病気が原因である」との論調が多い。 確かに、叔父や弟との関係は間違いなく暗い。 それ以上に最後の方に裏切った親友が近づいてくるあたりはなお暗い。 しかし、その隙間隙間に貧しいながらも恵まれないながらもつましく愛を持って暮らす夫婦が描かれる描写に僕は一種の幸福の形をみた。 愛だけじゃ生きていけないとはよく言われるが、宗助と御米夫婦はそうではない形を見せてくれた。これが一点。 もう一点はなぜ『門』というタイトルなのかということ。 親友が近くにいることを知った宗助は山寺の門をたたく。禅に救いを求めるのだ。それが『門』なのであろう。 しかし彼は門を精神的にはくぐることができなかった。親友が近くにいる現実と向き合いながらいつかまた「冬」が訪れることを予期してこの小説は終わる。 結局、一種の幸福を読者に味わわせながら、その後の暗闇を想像させるのである。 『それから』のような露骨な悲劇的結末ではないのだが、突き放された分、読者には『それから』以上に暗さを印象づけさせる結末である。 この3年後、『こころ』が生まれる。
0投稿日: 2011.09.19
powered by ブクログ文章が美しい。今読むからこそ細かい気持ちの揺れが理解できる。心に影を残しながらもつつましく暮らす生活
0投稿日: 2011.08.29
powered by ブクログ『それから』のそれから。 終始しずかで、穏やかな暗さに満ちているかんじ。 反面、細々と二人寄り添って暮らしていく彼らを応援したくなる。 文章の美しさはやはり漱石、といったところ。 個人的には『それから』のが好き(・ω・)/
0投稿日: 2011.08.22
powered by ブクログ「それから」が「三四郎」の「それから」ならば、 「それから」で描かれた友を裏切って愛する女性を手に入れた男の 「それから」がこの「門」。 (私が持っている版は少々古く、 現在発行されているものの「解説」とは違うかもしれないが、) こちらのあとがきでは、 主人公宗助が、突如鎌倉の寺まで禅の修業に行ってしまうのは、 先にあった「門」という題名に「オチ」をつけるためであり、 この作品の欠点とする考えもあるが、 主人公の謎の行動をとく鍵は、この夫婦が作る不思議な 三角関係にある、と解説者は主張していた。 しかし、 「彼は門を通る人ではなかった。 又門を通らないで済む人でもなかった。 要するに、彼は門の下に立ち竦んで、日の暮れるのを待つべき 不幸な人であった。」 の「一節」に、自分は心を掴まれたので、 (なぜかと聞かれると、巧く説明が出来ないのだが。) この文章が生み出されただけでも、宗助が寺に行って 良かったと、個人的には思っている。 それに、そこで面倒を見てくれる若いお坊さん宜道さんの言葉も しみじみ味わいのあるもので物語に深みを与えていると思う。 宗助が今までの悩みや苦しみを突如放り出し、 鎌倉の山奥までエスケープしてしまった後半のストーリーは、 身体の衰弱した漱石の「筋の破綻」ではなくて、 漱石の考える「救いの本質」なのではないかと思う。 愛する家族や宗教をもってしても、 そうやすやすとは「己の罪悪感に苦しむ人を救う」って 行為は成されないのであり、 しかし、その一方で「完璧に救われる事」はなくても、 「救われない日常」を自分なりに生きる、 時に襲ってくる罪悪感の発作に心を絞めつけられ、 ばたばたもがきながらも、その苦しみに耐え、 嵐が通り過ぎるの待つ事で、 いつかはこの苦しみが少しは軽くなる日が来るかもしれない。 つまり、自分を救うのは自分の犯した罪に苦しみながらも 生き続ける自分しかないのだ。 って事を漱石は描きたかったのではないか、 などと生意気にも思ったりするが違うだろうか。 (あくまでも一読者の推測なので、天国の漱石先生、 漱石ファンの皆様、お許しください。)
0投稿日: 2011.08.15
powered by ブクログ「門」(夏目漱石)読了。年を取るにつれ読み返すと宗助と御米のひっそりとしたライフに愛着のような共感のような憧れのような気持ちが湧いてくる。「三四郎」よりも「それから」よりもこの「門」が好き。悟りどころではない宗助のバタバタしたところにも共感を覚える。いずれにしても名作である。
0投稿日: 2011.08.12
powered by ブクログ漱石の小説の中では一番好きかもしれません。夫婦の距離感がなんか好き。 出だしから終わりまで、何も進まず、何も解決せずに終わる物語。 日常の断片なんですな。 罪悪感をせおう善良な夫婦のなにげない会話の数々が良かったです。 この小説の主人公は宗助といいますが、『崖の上のポニョ』の主人公と 同じ名前です。宮崎駿さんは、映画を作るときにこの「門」を読んでいた といいます。それで、主人公が同じ名前になったんでしょう。 崖の上の坂井という人物も出てきます。タイトルもそこからとったのかもしれません。 この本の解説で柄谷行人さんが、欠陥のある小説だみたいに書かれていましたが、 そういうところがあったとしても、面白かったです。
3投稿日: 2011.07.13
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
頭がどうも緩い時期にちょうど読んでいたので、ずいぶん的のずれたことを考えてしまった気がする。 これはまた読みたい。 御米さんにもきっと何かのを知ってしまって苦しんでいる事もあるだろうし それでも宗介には自分と比べりゃずいぶんお気楽に見えるらしい。 確かに苦しい時泣けりゃいいよな、と 泣けない平成の女は思う事もある。最近悲しかったり苦しかったりして泣いたのいつだっけ。 その程度の毎日ってことか。 あとがきに書いてある事なんて関係ないのだけど、決して御米さんは愛に逃げてなんかいない。 しかし「死んでもいいわ。」と応える女性像を持つ人がそんなに浅はかに彼女を描くだろうか。 そんだけ疲れてたんだろうか。 私が読み直せって話だろか。 人の嫁さん取っちゃって、安井も自分も思ってもなかった毎日が転がりはじめて どうも他人の人生をめちゃくちゃにした自覚があるらしい割に 官僚か博士になるしか無いようなレールからぶっ飛んだ、新しい道はずいぶん楽しかったと思うのだが。 だって、安井は生きてんだよ。 大学まで行っといた割に毎日役所でぬーんと働いて(はっ…) 家に帰って嫁さんがいて、うちも無いって言ってんのにやたらみんな金無いばっか言ってくるし 結構深刻に悩むことも沢山あるし お寺に行ってもヒントすらつかめないしグダグダだぜもう。 みたいな暮らし、ありふれた穏やかな毎日だと思うんだけどなあ。 仕事が偉いぜ、みたいな風潮は今より何百倍も強かっただろうし 今だって自分にそういうところはないか?って言ったら多分にあるし。 はったらかなきゃなー 以下のぐだぐだの最たるものだった「それから」よりは 何より働いてるし人と一緒に暮らしてる「門」の方がどんなに穏やかなことか。 私が勝手にリンクした生活をしているのか。 それとも勝手に物語が浮き上がってくるのか。 不思議なもんだ 本を読む余裕が出来たお陰で、次に何を読むか考える楽しみができた。 宮沢賢治は、もっと深い夏に。
0投稿日: 2011.07.13
powered by ブクログ「誠の愛」ゆえに社会の片隅に押しやられた宗助とお米は、罪の重荷にひしがれながら背をかがめるようにひっそりと生きている。宗助は「心の実質」が太くなるものを欲して参禅するが悟れない。これは求道者としての漱石じしんの反映である。3部作の終篇であると同時に晩年における一連の作の序曲をなしている
0投稿日: 2011.07.06
powered by ブクログ「書物を読むのは、ごく悪うございます。~読書ほど修行の妨になるものはないようです。~自分以上の境界を予期してみたり、悟を待ち受けてみたり、充分突込んでいくべきところに頓挫ができます。大変毒になりますから、御止しになった方がいいでしょう」
1投稿日: 2011.06.02
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二人のやり取りの中に含まれている愛が、愛おしい。 話の中で事件は起き、今までの生活に若干の波風が立つが、やがてそれも治まり、また二人はほっとしたように、いつもの生活へ戻っていく。 必要なものはただ1つで、それ以外の多くを望まずに生きていく姿は、はかないというよりも、むしろ揺らぎのない、強く結ばれた関係に見えた。
0投稿日: 2011.05.17
powered by ブクログ「三四郎」、「それから」を踏まえて読む前期三部作のラスト。三部作を通して男性の各成長過程のエディブス・コンプレックスの葛藤が描かれており、毎回のヒロインは男性目線の女性像だと感じる。本作の男女は大衆目線では決して幸せには見えないが、罪という絆で縛られるように繋がっていて、二人にとってはそのままを望むのだろう。自ら何も変わろうとはしないし、誰も何も言えない。私も誰かとの明るい感情以外での不思議な繋がり感、そして矛盾するようなその繋がりへの慈しみと熱い感情を思い出した。名古屋文学サロン月曜会の10月課題本。
0投稿日: 2011.05.06
powered by ブクログ親友の安井を裏切り、その妻であった御米と結ばれた宗助は、その負い目から、父の遺産相続を叔父の意にまかせ、今また、叔父の死により、弟・小六の学費を打ち切られても積極的解決に乗り出すこともなく、社会の罪人として諦めの中に暮らしている。そんな彼が、思いがけず耳にした安井の消息に心を乱し、救いを求めて禅寺の門をくぐるのだが。『三四郎』『それから』に続く三部作。
0投稿日: 2011.04.02
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夏目漱石三部作『三四郎』、『それから』に続く最終巻、『門』 漸く読了しました。この三部作はそれぞれ異なる主人公の物語ですが、三部作を通して読むと学生~社会人になるまでの、ある青年の一貫的な物語が書かれているように思います。 『三四郎』と『それから』を読んだのがもう3年前なのでちょっと記憶があいまいですが…『三四郎』では野心に燃える青春児・三四郎の学生生活を、『それから』では実家が金持ちの無気力ニート青年・代助のだらだら生活を、描いていたように記憶します。 そして、この『門』。 主人公の宗助は奥さんと(お手伝いさんと)二人(三人)暮らしするしがないサラリーマン。世間から隠れるように奥さんであるおよねさんとひっそりとした生活を営んでいる。こんな宗助だけど若いころは才気煥発な青年だったんです。三四郎のように。しかしある日、親友・安井の女(現妻であるおよねさん)を奪ってしまった。良心が彼の罪を責めるようになり、しだいに社交性を失い…。そしてそれはおよねさん自身にとっても同じことだった。同罪を抱えた二人は小さな生活の中で強く互いに依存するようになり、2人だけの世界を深く深く掘り下げてゆく。そんな2人だけで充足した世界に陥っていけども、現実的に、生活苦や遺産相続問題、宗助の弟の学費問題、不妊に悩む奥さんの苦悩などなど解決すべき問題も山積み。 そんななか、宗助はひょんなことから裏に住む大家さんである坂井と出会う。坂井は宗助と同年代の男で大金持ち。ふだん殆ど交流のなかった2人はしばしば交流するようになる。この坂井経由である日、かつて裏切った親友・安井との再会を果たしそうになる。過去の記憶にふたをしていたのに、宗助は嫌でも昔の古傷をえぐられる思いがする。そして宗助は… まああれです。漱石先生のいわゆる姦通?小説の一種です。 『三四郎』や『それから』でも女性とのやりとりは大きくとりあげられていましたが 『門』にきてそれが現実的に拡大されたように思った。まぁ婚姻関係結ぶってそういうことなんでしょう。
0投稿日: 2011.02.06
powered by ブクログ大きな困難も無ければ、逆に大きな幸せも無い、そんな雰囲気が好きだった。 心理描写が深く、何度も読んで理解を深めたいところ。 「それから」でも感じたが、女性の感情の解りづらさはかなり強かった。 御米の感情は本当に読み取りづらく、あまり人間らしさが感じられないような気がした。 時代が違うから女性像も違うのかもしれないが…
0投稿日: 2011.01.22
powered by ブクログ以前、何かのインタビューで村上春樹が「いつか漱石の『門』のような小説を書いてみたい」と述べていたことを思い出した。作中で大きな出来事や事件はまったく起こらない。それもそのはず、この小説は既に物語が展開しきった後を描いた、いわばエピローグなのだ。進むべき道を進みきった主人公は、最後の残された道=仏道に入る。仏教の知識不足で少しピンとこないところもあったが、個人的に雰囲気がとても好き。耳鳴りがなりそうなくらい静かな場所で読みたい。
0投稿日: 2011.01.04
powered by ブクログ漱石の筆遣いの丁寧なことに驚く。冒頭の平和な夫婦の描写からして秀逸。そして子供に恵まれない御米の苦悩、宗助の役所勤めの日常や安井の名を聞いてからの動揺。読んでいて胸が苦しくなるような感じがする。前期三部作の中では最も深いところに刺さってくる作品。 この作品も高校の時には全くピンと来なかったけど、まあわからんよな。私の高校時代の読書はホント何だったんだろ。
0投稿日: 2010.10.25
powered by ブクログ親友の妻を奪い、夫婦になるという不道徳を行った宗助と御米。 貧しくも幸せに暮らしているように見える夫婦だが、過去の行為に現在の幸せを脅かされている。 しかし、その過去がなければ、現在の幸せもなかったのではないだろうか。 陰鬱な暮らしでも、二人はそうなければならないという諦念がある。でも、一緒にいる幸せというのが感じられた気がする。 過去、現在、そして未来という時間のつながりを考えた作品だった。 こういう夫婦生活は幸せだと思う。
0投稿日: 2010.10.15
powered by ブクログ・12/27 買ってから随分経ってる.ようやく読み始めた.「それから」のそれからだから、経緯を思い出しながら読もう.話の流れ方やスピードは「それから」と同じような感じだ.夏目漱石固有のものなのかもしれない ------------------------------------------------------------------------------------- 平成15年(2003年) ・1/6 今年初めの読書はこれの続きだ.暫くのブランクがあったけど、まぁ内容は覚えている. ・1/7 だんだん悲しい内容になっていくような伏線が張られている気がする. ・1/8 やっぱりつらい現実の話になってきた.二人の過去の経緯なんかの話が始まると、まさにこのパターンだ。やっぱり結末は悲劇的なのだろうか ・1/9 ここへきて突如としてこういうきっかけによる悲劇的な急展開になろうとは思ってもみなかった.今迄があまりに淡々と物語が進んでいただけに、無理やりな感じすらした. ・1/9 今日読み終わる予定.座禅による悟りの修行とは、これまた意外な展開だ.それにしても後一章残すのみとなったけど、どういう結末になるんだろう. ・1/9 読み終えた.なるほどまたこういうフェードアウトのような結末だった.これが漱石らしいのかもしれない.それにしてもやっぱり参禅するところは悪評らしい.だよな、あまりに唐突で不自然過ぎるもんな.
0投稿日: 2010.09.05
powered by ブクログ【あらすじ】 不倫ゆえ全てを失った主人公は貧乏ながら妻と日常を過ごしていた。しかし主人公宗助はやりたいことが出来ない不自由さとかつての友人を裏切ってしまった罪悪感に悩む。 ある日妻の夫であった安井の消息を知った宗助は救いを求めるために鎌倉へ向かい参禅したが、なにも悟れず帰ってくる 【感想】 全体的に暗く、何も起こらず終わる。 最後の宗助の一言から 今後も、何も起こらないことが分かった。 希望もないけど絶望もない切なさ。 しかし宗助には奥さんがいる。
1投稿日: 2010.09.02
powered by ブクログ夫婦二人の貧乏だけれど幸せな生活。 三四郎で恋の自覚もなく終わってしまい、それからでは略奪してみたものの実家から縁を切られたがようやく落ち着くことができた。 子供に恵まれなかったがそれ故に夫婦の愛は深まったのかもしれない。 和やかな気分で読了した。
0投稿日: 2010.07.18
powered by ブクログ自己処罰、自己幽閉という抵抗の形か。てい徊しているのか、超然というべきか。未決定、無為、非情で表現される、やはり抵抗の形だなぁ。 お米の淋しい笑いでしめされるのは、愛であり代え難い連体感。
0投稿日: 2010.06.24
powered by ブクログ初期三部作最後の作品。 暗いですね。 今の自分のテンションと微妙に重なって、ある意味満喫できましたが、ちょっと辛すぎる気もしました。 問題は自分の中にあるというか、この主人公の宗助って考え方を変えたら恵まれてる状況なのに、本人が悪い方に考えちゃうからそれが良くないって話にも思えます。 しかし、それがリアルなんですよね。 夏目漱石を読んでいて何度も感じたけど現代的な悩みを書いていると思いました。
1投稿日: 2010.06.09
powered by ブクログ漱石の前期三部作の最後の作品。僕のなかのベスト5には入る『それから』の後の話。『それから』の代償がここで払われている。救われたくても、救われることができない現代人の苦悩を描いている面に共感できないということは自分の苦悩はあまり深いものじゃないのかなと思う。宗教をやっていない人は、苦しむこともないけど、救われることもないだろう。良くも悪くもない、まったりとした人生のような気がする。 作品としては漱石らしくピークの場面までは基本的に退屈。誰かにお勧めできる本ではないかもしれないけれど、これがわかるようになったときに僕も大人になるということか。それがわかるようになったら「行人」と「道草」もわかるようになるんだろうか。とりあえず「草枕」「虞美人草」「彼岸過迄」が先かな。ある程度解説があって、初めて自分の思考が可能になる作品かなと思う。P186~187の表現は相変わらず素敵すぎる。 が、基本的には流産の沈痛さや二人の空気感の重さの描写がうますぎて、読んでいていたたまれなく気が重くなる。過去の不義や不道徳はこういったかたちで返ってくるんだということを描くことで漱石はいったい何をつたえたかったんだろう。無宗教な日本人に、わかりやすき罪の概念の意識を植え付けるためにこの方法を選んだのだろうか。 「人間は罪を背負っている」ということを自覚するとつらくなる。しかし、悪いことばかりではない。たとえばメリットは不条理を背負った時に納得できるということじゃないかと思う。「何で自分が?」的な戸惑いを抱かなくて比較的穏やかな形で苦しむことができるんじゃなかということだ。どちらにしても苦しいけど。「それから」が就活生必読ならば、「門」はビッチ必読だ。 宗助が禅の修行に至るまでの思考回路や、そこで学んだことなどは正直自分には実感値がわかなくて、「それから」ほど感情移入しづらい作品だった。「宗助の不安は、お米とは共感しえない」これはまさに真理であり、中年の日常を描いた作品でこの境地に辿り着くほどの関係を誰かと築いた経験は僕にはない。僕の個人的な家庭的事情のせいもあるが、この平行線のような夫婦関係にそこに自分が何を見出すかは正直言って想像つかないが、いずれこの問題に直面する(結婚するならね)んだろうなぁと思うと、怖いようでもあり、その境地に達した時にどうこの作品を読むのか、楽しみでもある。
0投稿日: 2010.05.27
powered by ブクログ暗く、あきらめきったやるせなさが好きだ。 半端だといわれることも多い作品だが、かえって「迷い」が 浮き出ている。
0投稿日: 2010.05.10
powered by ブクログのんびりと読んだ。 主題は『それから』のそれからに他ならないと言うのは確かなのだが、現代とあわせると事情は少々異なると言えるだろう。つまり代助が不倫し勘当されたのは30歳の時分であり、一方この物語の宗助が同じことをし、されたのは大学生の時分である。 宗助は役所に勤めているが、他方で果たして『それから』の代助が、仮に今生きていたとして、30台で高学歴だが職歴ナシという悲惨な身分から、仕事を見つけることが出来るだろうか。果たして代助はその後宗助のような人生を送ることが出来たのだろうか。 …このような考えは話の本筋と大きく外れた詰まらないものであるが、今と明治時代の齟齬を見出す一つのヒントになりはしないだろうか。 …ところがかつて代助のような生活をし、今宗助のようにひっそりと生きている人間はここにいる。自分語りになってしまい、前の段落とともにレビューの質を落とすことになり残念には思うが、そんなわけで、僕はこの宗助に非常に感情移入できたのだ。その日暮らしとは少々違うものの、将来を諦め切って今を細々と生きていく人間の様子が、この小説には主に前半で丹念に丁寧に描かれている。そして僕は今まさにそう言う生活をしている。 さて、本質的なレビューに入ろう。 漱石の小説は『それから』や『こころ』などのように、前半は主人公達の生き様が長く描かれ(起)、後半のクライマックスで一気に承転結を迎える、と言うようなものが多いが、この小説もその例に漏れない。僕は、起承転結はそれぞれが同じくらいの分量にまとまっているべきだと考えてしまうのだが、どうもそれは単なる素人の考えに過ぎないらしい。 上で書いたように将来を諦め切って細々と暮らす人が延々と描かれているわけなので、明るくはない。しかしそこには何か居心地の良さが感じられる。この居心地の良さを退屈と感じてしまう人は多いだろう。それは何故か。若いからだ。未来に希望を持っているからだ。僕はそう考える。この本をそこそこ有名な現役の高校生や大学生等が読んでも、あまり共感は得られないだろう。将来のある人間が、将来はないがつつましく生きている人間の描写を延々と読まされたって、ピンとくるものはないはずだ。 しかしそう言った人には(そうはなって欲しくないが)、宗助のように何らかの方法でレールから道を外し、ひっそりと暮らさざるを得ない身分になってしまった時に、ぜひもう一度読んで欲しい。読後感が全く違っているはずだ。しかしそれは境遇の変化によるもので、決して己の成長が引き起こした変化ではない。しかしそう言う小説もあっていいではないか。 巻末解説には『恋とはすなわち常に三角関係の形を取るものだ』と言うようなことが6ページにわたり書かれていた。僕はそれを違うだろうと思いつつ読んだわけだが、僕のように読むか否かはこれも人次第だろう。
1投稿日: 2010.04.30
powered by ブクログ戦後直後にこの作品が書かれたのかと思うと感慨深い。 どうですな、世の中は? ちっと面白くしようじゃないか、この頃は如何にも不景気だよ。
0投稿日: 2010.02.27
powered by ブクログ悟りを求めたが成らず、細君と春の訪れを感じた。 日常に帰依する感性が、ある種の信仰。 回顧やノスタルジーとは別次元の、本性と共存する思考文化。 それを「思想」と捉えた人はありやなしや。 無意識に思考を規定しているが本能ではないものが思想ならば。 冬。焚き火、ストーブ、湯気上がるヤカン。おでん。風呂。そばに人あればなおよし。だしの味しかり。
0投稿日: 2010.02.17
powered by ブクログ漱石の代表作中の代表作といわれる「三四郎」「それから」「門」と読んでみました。 圧倒的にも「門」に共感を覚えるのは、僕が四十代だからなのかもしれない。 僕が、二十代なら「三四郎」に共感を抱き、三十代であれば「それから」に心の安堵感を求めたのかもしれない。 さて、「門」だ。 前二作とは明らかに異なる、雨雲に覆われた沈んだような色調。 その中で対峙する倦怠期の夫婦二人。 そうだ、この色調は前に読んだ谷崎潤一郎の「蓼喰う虫」に通じるのだ、おそらく谷崎は漱石のこの「門」を強く意識したうえで、あの名編を創作したのだろうということは、自ずと明らかだ 少し横道にそれたが、 前作「それから」では、人の妻を盗む不倫というテーマを賑々しく狂乱的に描き、特にラストの赤く血走った主人公の錯乱する刹那で粛然と幕を閉じるのとは対照的に、この「門」では寒々とした白を連想させる主人公の寸言で幕をひくのだ。 映画でいえばモノクロームのような、たたずまいだろう。 この物語は、親友の恋人を奪ったことへの贖罪を求め悩み苦しむ男とその妻の心の内面を訥々と描いている、ただそれだけなのだ。 しかし 百年も前に書かれた物語なのに、なぜに僕はこれほど身近に感じてはしまうのか不思議でしかたがない。
0投稿日: 2010.01.13
powered by ブクログ・「それから」を読んでいた方が面白い! ・世間から隔離されたような場所で生きる二人。後ろめたい過去に囚われながらも静かに時間の過ぎていく様がいい
0投稿日: 2009.12.13
powered by ブクログ前期恋愛三部作ラスト 前作“それから”と同じ三角関係模様を描いているのだが “それから”と違いクライマックスでは 現実と真正面から対峙することなく緩んでいく
0投稿日: 2009.12.02
powered by ブクログ宗助と、安井の妻であった御米と、安井との三角関係。ひっそり社会から身を隠すように暮らす野中夫婦の日常には希望もなければ絶望もない。仲が良くて一心同体のこの夫婦の間にも男女差故の溝がある。 「遣りたい事がありすぎて、十の二三も実行出来ない。否、その二三にしろ進んで実行にかかると、却ってその為に費やす時間の方が惜しなって来て、つい又手を引込めて、凝っとしているうちに日曜は何時か暮れてしまうのである。」 「消化(こな)なれない堅い団子が胃に滞おっている用な不安」 なるほどなーと共感できたところ。 3部作の他と比べると文体が柔らかいと思う。 描写も細かい。あと、夫婦は仲良しが一番。
0投稿日: 2009.11.07
powered by ブクログ前期三部作ラスト。 暗い。ちょう暗い。とにかく暗い。 これの後に行人読んだけど、あの能天気さには救われたかんね。まあ傍観者視点だもんな。 まだ夏目漱石でこれ以上に暗い作品があるのかどうか、ちょっとびくびくしつつも楽しみ。 駆け落ちという情熱の果てにあるのはどこまでも続く灰色の日常なんだなあ… 『それから』のラストは必然かもしれないなと思う内容だった。
0投稿日: 2009.10.18
powered by ブクログ9/29 三部作最後。 何が起こるわけでもなく、何が解決されるわけでもなく。 この平坦がたまらない。
1投稿日: 2009.09.30
powered by ブクログ初めて夏目漱石を読んだ。 漱石って三角関係を書くのが好きなんだなぁ。 三部作のほかの作品、「三四郎」とか「それから」も読んでみたい。あと「虞美人草」も。 08.11.03
0投稿日: 2009.08.11
powered by ブクログ道ならぬ恋愛を貫いて、妻とささやかな一家をきずいたけれど、心は満たされない。仕事にも恵まれない。 そんな主人公が救いを求めて仏門を叩くけれど、得るところなく帰ってきてしまう、というお話。 でも「得るところがなかった」と気づけたのは一つの収穫だろう。 妻と二人きりで、孤立無援の世界で寄り添って生きる世界が切ない。
0投稿日: 2009.07.31
powered by ブクログ道ならぬ恋愛を貫いて、妻とささやかな一家をきずいたけれど、心は満たされない。仕事にも恵まれない。 そんな主人公が救いを求めて仏門を叩くけれど、得るところなく帰ってきてしまう、というお話。 でも「得るところがなかった」と気づけたのは一つの収穫だろう。 妻と二人きりで、孤立無援の世界で寄り添って生きる世界が切ない。
0投稿日: 2009.07.24
powered by ブクログ三四郎、それから、と読んだら これも読まないと ということで、大昔に読んだ。先の2作品については、夏目漱石は面白いな、と思いながら読み、今も昔も通じることがあるなと思って読んだが、「門」については、あまり、面白いと思わずに読んだように思う。
0投稿日: 2009.07.23
powered by ブクログドラマティックな設定(『それから』ですね)とコントラストを成すように、 どこまでも純朴で飾り気のない愛で結ばれる夫婦の姿が、 際立つように描かれています。あまりにも、素敵すぎます。。 ・・・個人的には、これが小説の最高峰だなぁ。
1投稿日: 2009.03.30
powered by ブクログ夏目三部作の三作目。親友の彼女を奪って駆け落ち同然に結婚した夫婦。裏の金持ちの夫婦と知り合いになった主人公は、ある日裏の夫婦に家に招かれる。そこに現れたのは、モンゴルからかえってきたというかつて彼女を奪った親友だった・・・。
0投稿日: 2008.11.26
powered by ブクログ最初から終わりまで霞のようなけだるさに包み込まれます。 終末では、その霞の中にそびえる門の姿が浮かびます。
0投稿日: 2008.11.15
powered by ブクログ後期三部作の中ではこれが一番好きかなー。 宗助と御米の関係が好き。 最後の会話の場面にこの二人の関係が集約されてると思う。 何だかんだあっても結局お互いにはお互いしかいないっていう世界。 俗世界とは別次元に、夫婦っていうくくりがある感じ。
0投稿日: 2008.10.06
powered by ブクログ「それから」の続きとも言われるこの作品。重くて暗い雰囲気は払拭されない。それは、御米と宗助の心模様がそのまま反映されているように思えてならない。誰かの力では、自分以外の力では、どうにもならない。また、どうしたってどうにもならないこと沢山ある。それも答えの一つなのかもしれない。それこそ答えなのかもしれない。
0投稿日: 2008.09.20
powered by ブクログ『それから』の「それから」。『それから』の結末の描写からは、平岡から三千代を奪ったものの、後味が悪くて夫婦生活は前途多難であるような匂いがしたけど、それほどでもない。もちろん、宗助も御米もそれぞれ罪悪感を背負っているようではあるのだけど、全体的には夫婦仲睦まじく生活しているように読めた。 柄谷行人もあとがきに「一転して『門』の色調は暗く、またくすんでいる。」と書いているが、やっぱり特に前半の描写なんかはほのぼのとした印象まで受けてしまう。 男女の微妙な三角関係、坂井と宗助の微妙な近所付き合いなど「微妙な」人間関係を描くのに長けていますね。夏目漱石は。
0投稿日: 2008.09.18
powered by ブクログこれでもか、というくらい徹底的に、 侘しい二人。 侘しさが透明な水のようにたまっていき、 その深い底のほうにいる二人も、 だんだん透明になって消えてしまいそう。 赤く燃えた後の燃えカスの黒、 というよりは、 もう何色に染まることもない透明さ。 この透明さを感じさせる文章が美しく、 気持ちのいいところもあった。
1投稿日: 2008.08.30
powered by ブクログ答えは出ない、 何も解決しない。 暗雲として鬱屈な空気が全編続く、 不義理な過去を持つが故に、 慎ましく強くつながる夫婦の ささやかな関係に唯一心がほぐれる。 不安であるからこそ、 差し込む日の光を愛おしんだり、 しっかりと結び合うことを自覚するものかな。 業の深いことです。 穏やかで強い心が得られようにと宗門をくぐっても (ここへのくだりは些か唐突に感じた) 解決に至る勇気は出ないくせに、 いざとなったら逃げ出す決断は早い。 時に任せて先送りにする。 身を潜めてやり過ごす。 それは誰もが持つ弱さですね。 劇的なことは起こらない、 ザワザワとして胸が締め付けられるような 不安感や圧迫感はクセになるかも。 コレ好きかも。 しかし、 満員電車やサラリーマン生活の描写は 現在と全く変わらないように感じた。 サラリーマンの悲哀は今も昔も変わらんもんなんやね。 2008.06.04読了
0投稿日: 2008.04.29
powered by ブクログ「三四郎」「それから」に続く漱石前期三角関係三部作の最終作。それにしては前作「それから」が、だらだらした進行が最後に一気に、緊張感をもって真っ赤に燃えて終了するのとは違い、今回はだらだらした状態が最後まで続く。 モンゴルアドベンチャーも最後まで、主人公とは遭遇せず、御米もそのまんま。大家の崖下に住んでいるという環境自体が、結構、クラい。鎌倉の禅寺に修行に行って、何も成果を得られず、踏んだり蹴ったりで東京へ帰ってきても相変わらずの、崖下暮らし。漱石の作品の中でも「超・暗い」作品ではなからうか。
0投稿日: 2008.03.16
powered by ブクログ漱石の作品には珍しく、仲睦ましい夫婦が主人公のこの作品。主人公宗助、その妻御米ともに過去に犯した不倫の罪を背負ってじっとりと生きていくというお話。弟を学校にやらなければならない問題や、過去の罪に対する精神的不安定といかにして共生していくか、が描かれている。 この話は、本当他のものと違って、夫婦間の中が壊れないのが読んでいて安心感を感じました。今まで読んだ中で一番不幸な主人公であることは間違いないのに、そこにはなぜか幸せを見出すことができます。嗚呼、結婚したい。不倫したい。って違うかヘ(゚∀゚ヘ)アヒャ
0投稿日: 2008.02.02
powered by ブクログ友人の安井を裏切ってしまう案之介の物語。一つ一つの風景描写がとてもきれい。案之介の罪悪感に感じる苦渋の気持ちが鮮明に描かれており、ストーリー的にもどんどん読み進めていきたくなる物語であった
0投稿日: 2007.12.04
powered by ブクログ親友の妻を奪い、夫婦になるという不道徳を行った宗助と御米。 貧しくも幸せに暮らしているように見える夫婦だが、過去の行為に現在の幸せを脅かされている。 しかし、その過去がなければ、現在の幸せもなかったのではないだろうか。 陰鬱な暮らしでも、二人はそうなければならないという諦念がある。でも、一緒にいる幸せというのが感じられた気がする。 過去、現在、そして未来という時間のつながりを考えた作品だった。 こういう夫婦生活は幸せだと思う。
0投稿日: 2007.10.19
powered by ブクログ『三四郎』『それから』に続く三部作。 三角関係の果てに手にしたモノを死守する覚悟と失ったモノへの諦念の対比が細密に描かれている。大過なく過ぎゆく日々を求めながらも常に何かにおびえる宗助におもわず同情する。
0投稿日: 2007.08.07
powered by ブクログ友人の安井を裏切ってしまう案之介の物語。 一つ一つの風景描写がとてもきれい。案之介の罪悪感に感じる苦渋の気持ちが鮮明に描かれており、ストーリー的にもどんどん読み進めていきたくなる物語であった。
0投稿日: 2007.07.08
powered by ブクログ横町の奥の崖下にある暗い家で世間に背をむけてひっそりと生きる宗助と御米.「彼らは自業自得で,彼らの未来を塗抹した」が,一度犯した罪はどこまでも追って来る.彼らをおそう「運命の力」が全篇を通じて徹底した〈映像=言語〉で描かれる.『三四郎』『それから』につづく三部作の終篇
0投稿日: 2007.05.24
powered by ブクログ「主人は卒然「冒険者(アドヴェンチュアラー)」と、頭も尾(しっぽ)もない一句を投げる様に吐いた。」 現代の感覚から言うと、どうしてそんなことでそこまで卑屈にこそこそしなくちゃいけないのか理解を超えているのだが、その理解不能な過剰なとほほ感におかしみを感じてしまう。話がだんだん過去に遡る構成はこの時代の小説としては新しかったんじゃないだろうか。現代人にはあり得ない表現やことばの選択も新鮮。最後の一文がまた最高!感じ入った。別に人には勧めないが、個人的にはかなり楽しんで読んだ。
0投稿日: 2007.05.12
powered by ブクログぼくの門はどこだろう。 門を通る人なのか、通らないで済む人なのか、はたまた門の下に立ちすくんで、日の暮れるのを待つべき人か。
0投稿日: 2007.01.21
powered by ブクログぼんやりとした表面の中に、どろどろとした、崩壊間際の感覚が蠢いていて、面白いです。いきなり終盤で、主人公が円覚寺に行っちゃたり、「徒労感」で浸されてます。
0投稿日: 2006.05.25
powered by ブクログ「三四郎」「それから」につづく三部作の終篇。不倫の物語…。高校時代に購入し読んだが、他の作品に比べてイマイチだった。でも今読んでみれば違うかも?
0投稿日: 2005.10.16
powered by ブクログ「三四郎」「そらから」に続く3部作のラスト。鎌倉の寺にこもって参禅しても悟りを開けない焦りや社会への違和など個人的に好きな作品
0投稿日: 2005.04.21
