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なぜ働いていると本が読めなくなるのか
なぜ働いていると本が読めなくなるのか
三宅香帆/集英社
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総合評価

1274件)
3.8
296
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62
9
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    ▼本のなかには、私たちが欲望していることを知らない知が存在している。  知は常に未知であり、私たちは「何を知りたいのか」を知らない。何を読みたいのか、私たちは分かっていない。何を欲望しているのか、私たちは分かっていないのだ。  だからこそ本を読むと、他者の文脈に触れることができる。  自分から遠く離れた文脈に触れること――それが読書なのである。  そして、本が読めない状況とは、新しい文脈をつくる余裕がない、ということだ。自分から離れたところにある文脈を、ノイズだと思ってしまう。そのノイズを頭に入れる余裕がない。自分に関係のあるものばかりを求めてしまう。それは、余裕のなさゆえである。だから私たちは、働いていると、本が読めない。  仕事以外の文脈を、取り入れる余裕がなくなるからだ。(pp.233-234) この本は、ちょっと気になっていた。めっちゃ売れているらしく、図書館では当分借りられないくらいの予約がついている。で、7月に本屋でムラムラと5冊買ったときに、店頭にあったこの本も買ってみた。帰って、ちょっと読んでみたが、そのときは乗らなかった。暑すぎたせいかもしれない。そして積ん読に。積んでいたのを忘れた頃になって、また開いてみたら、こんどは読めた。 この本の大部分は、働くことと読書や教養がどう絡み合ってきたか、どんな本がどんな層にどんな風に読まれたか――それらが、時代によって変わってきたという歴史的な話である。このあたりは、個人的にけっこう知ってる話だったので、暑すぎる中では乗らなかったのかもしれない。 そういう話を積み重ねたうえで、本を読めるように、全身全霊で働くのはやめませんか、と著者はいう。全身全霊ではなく「半身(はんみ)で働く社会」(p.234)にしようと。 ▼働きながら本を読める社会をつくるために。  半身で働こう。それが可能な社会にしよう。  本書の結論は、ここにある。(p.266) 参考文献のなかに、大学の同期が書いた論文があげられていて、こんな大学紀要の論文も見つけてきて読みはるんやなーと思った。(その同期が、いまどこでどうしているかは全く知らない。) 私が買ったのは第4刷だが、集英社のサイトによると既に10刷になっているようだ。 https://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/1212-b/ (本の目次もここにある) (2024年10月20日 了)

    1
    投稿日: 2024.11.14
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    ( オンラインコミュニティ「Book Bar for Leaders」内で紹介 https://www.bizmentor.jp/bookbar )

    0
    投稿日: 2024.11.14
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    明治/大正/戦前/戦後/平成/令和と、それぞれの時代の労働や自己研鑽や教養の捉え方が変化してきたということを読んで、現在の自分の価値観やライフスタイルが社会の在り様にかなり影響されているということを自覚した。自分の価値観は現在の社会の様式に知らず知らずのうちに染まっているのだと、俯瞰して認識できた。とくに、自分も無意識のうちに自己実現を労働と結び付けている、かっこいい仕事をすることで自己実現を果たしたいとたしかに欲望している、それが今の社会の在り様に影響された価値観だったのか、そのような価値観が別に普遍的なものではなかった、というようなことを実感できたという意味で、けっこうショッキングな一冊だった。 最後に提唱されている、半身の働き方 の意義は、感覚的によくわかる。共感する。 ただ、取り違えないようにしたいのは、しょせん仕事と割り切って「静かな退職」状態で働くのではなくて、仕事を人生のすべてにはしないけど仕事している範囲においては熱意を持って楽しく働きたいということ。 そこが自分はまだまだ。楽しんでいる状態とは言い切れない。著者は仕事も充実されている様子を感じ、大いに参考にしたいと思った。

    2
    投稿日: 2024.11.13
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    まずタイトルに強く惹かれて(笑) 前半の日本近現代の読書史は、全く知らなかったジャンルの話で興味深く読みました。 結論とも言える「全身全霊はやめよう」は納得できるものの、現実社会での実現可能性は難しいな、とも思いました。 いつもは小説=物語がメインですが、サクサクと様々な知識を教えてくれる新書もまた楽しい!

    2
    投稿日: 2024.11.13
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    明治時代には都会のエリートしか読書ができず、上流階級の象徴 だった読書が、令和ではノイズとして扱われるまで、日本人にとっての読書が どのように変わってきたのか?この変化の考察がおもしろかった。この考察を通じ、自分がなぜ本を読みたいのか、どうして読書を人に薦める のかについて考えるきっかけになり、言語化するための良いヒントになった。 働きながら本を読むテクニックについては、本書の本題ではないため、その点を期待する人にとっては注意が必要だ。

    1
    投稿日: 2024.11.13
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    タイトルを見て、自分も学生の頃は読んでたけど、社会人になって読まなくなったなぁと思い購入。 自分史のなかで読書のブーム変遷と生活観や、価値観の変化を振り返りながら読み進めると、気づきがあって面白い。 同世代の筆者の言語化力の高さに尊敬の念しか生まれません!応援したい執筆者さんです。

    1
    投稿日: 2024.11.12
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    初めて、新書を制覇できました。 三宅さん、ありがとうございます。 修養と教養 自己啓発本が売れる=コントロールできる場所を聖域化するため=アンコントロールな場所は排除する=社会からきり離れていく 現代の労働=経済の波に乗り市場に適合すること。知らなかったことを知る=アンコントロールなものを知る=人生においてノイズ コントローラブルな娯楽=スマホゲーム アンコントローラブルな娯楽=読書  1990年代 政治・内面の時代 →読書は知らなかったことを知るツール=社会参加や自己探索の欲望、社会や自分を変えることができる 2000年代 経済・行動の時代 →社会のことを知っても自分には関係ない、自分自身でコントロールできることに注力を注ぐ=市場適合、自己管理の欲望 すごく勉強になりました!

    1
    投稿日: 2024.11.12
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    図書館の歴史は勉強したことあったけど一般の読書の歴史は初めて知る内容ばかりで興味深かった。読書と労働は意外と結びついていると感じたしおもしろかった。

    1
    投稿日: 2024.11.11
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    なぜ働いていると本が読めなくなるのか そりゃ、働いているからだろって、そうなんです でも、たとえ仕事に対しての時間や熱量を減らしたとしても(もともとそんなに働いていないし)読書に対する情熱が今ひとつ湧いてこない気がする なぜか? 脳科学的な問題なのか? こんなに本を読むのが好きなのに「好きだった」で終わらせたくない 誰か、「なぜ、ただ生きてるだけなのに本が読めなくなるのか」 って題で書いて教えてください

    2
    投稿日: 2024.11.11
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    自分の中のネガティブを殺すために、仕事、スポーツに没頭することを良しとしていたけど、ニーチェはそれを肯定しなかったらしい。 そこまでしなければならない社会構造を疑うことがなかった。

    0
    投稿日: 2024.11.10
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    素直にタイトルに興味を持って手に取ったが、その中身は良くも悪くも期待を裏切るものであった。読書と労働の関係を、歴史を振り返りながら紐解き、その理由を探ってゆく。ここまで深く、かつ詳細に解説するにはおそらく膨大な作業が必要であろうことが推測され、著者の知識や情熱にも頭が下がるも思いであった。現代の一読書人として興味深い話も多く、勉強になったことも多い。 ただ一方で、(上記の裏返しとなるが)タイトルイメージからはかなり遠い、マニアックな解説もやや多かったように思う。もう少しシンプルに表現できるのでは?と感じる、回りくどいような、敢えて難しい語句を選んでいるような文章もあり、タイトルありきで読み進めた読者にはそれなりの労力を強いる。 歴史的経緯の解説にかなりのページが割かれ、どちらかと言えばやや後者の印象が強い。「適度に働き、適度に読書できる社会がいいよね」というメッセージ(この点は大賛成)に向けて具体的に何が必要か、何ができるかという面にもう少し切り込んで欲しかったし、著者の意見がもっと知りたかった。願望で止まってしまっているのが少々残念。 全体として、購入時に自分が本来期待していた内容からはゴールがズレているように感じたことは否めない。 本のタイトルは作者それとも編集者の意図なのか、興味を持たせる→手に取らせる→購入させる、という一連の目的には合致しているのだろうが、読後に振り返ると、正直うまくやられたな、と思ってしまうのは私だけではあるまい。

    7
    投稿日: 2024.11.09
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    このタイトルを読んだとき、そんなの当たり前じゃん、忙しくなった言い訳をしたい社会人に対し代わりに言い訳をしてくれる本なんだろうな、と思っていました。 でも、話題性が高く長く続いていたのでだんだん気になってきて(笑)読んでしまいました。。 単なる言い訳の本じゃなかったです! 長時間労働は今に始まったことではないので、本が読めなくなるのは労働時間が理由ではありませんでした。。ってことで、まずは近現代日本の読書と労働の歴史を丁寧に解説してくれています。 それがとにかく面白過ぎて、結論の前にそこだけでも満足しちゃうくらいによかった。 面白かったから忘れないように細か~く書いておきます。 明治時代に初めて黙読による読書がはじまり(それまでは読書と言えば音読だったそう!)活版印刷の普及で書籍が大量に印刷される時代に突入。ただ、当時の読書層はエリート学生をはじめとするインテリ層の男性のものでした。明治時代最大のベストセラーは西国立志編。これは、ニュートン、ナポレオンなどの欧米の成功者たちの伝記を教訓と共に収録した翻訳本です。(学問ノススメよりも断然売れたって) 大正時代に入り、日露戦争の後、国力向上のため全国で図書館が増設されることによって読書人口は爆発的に増えました。 そして大正時代は労働階級でも富裕層でもない、新中間層であるサラリーマンが誕生した時代でした。彼らは教養を身に付けるために読書を、地方に住む労働者階級も修養(努力・勤勉)して自己鍛錬し、社会の一員として認められるようになろう、という思想から読書に励みました。 昭和初期は円本ブーム。円本とは日本名作文学全集とか思想全集とかの全集のことです。うたい文句は、全集があれば他は買わなくてよい、月賦払い、選書の必要なし、一冊の本として考えると破格の安さ、装丁が豪華で室内インテリアに映える、といったものです。新中間層のサラリーマンとニーズが合致し大ブーム。ブーム後も古本屋に出回り、労働層や農村にも読者が増える。今までのベストセラーは自己啓発書のような実用書だったが、昭和に入って文学が初めてベストセラーになりました。 戦後進学率が上がり、サラリーマンが増え、彼らが読む娯楽会社小説が誕生し、パチンコや競輪、映画やダンスやテレビといった娯楽を楽しむ時代がやってきて、その中に読書も入っていました。一方で彼らは労働の歴史史上一番長時間労働をしていた高度成長期の時代で、時間のない労働者達は、手っ取り早く役に立つ新書も求めるようになりました。 70年代にはいると、司馬遼太郎の坂の上の雲がブームに。オイルショックのさなか、意気揚々と坂を上っていくことのできた古き良き時代のノスタルジーの結果だそうです。オイルショックによって不景気になりますが、それを乗り越えた経験から終身雇用、年功序列、企業別労組が日本企業の基本になり、政府もこれを支えるため解雇を避ける補助をしたりして支援したそうで、みんなで我慢して歯を食いしばって乗り越えようという文化は、坂の絵の雲や竜馬がゆくのような懐古主義の本が支えていたみたいです。 80年代はバブル経済の時代で出版業界もベストセラー連発。であるにもかかわらず、ここへきてはじめて若者の読書離れ、というコトバが定着し危惧されていたそうです。なんと40年前から!!驚きです。出版バブルを支えていたのは雑誌だそうで、職場の処世術と女性にモテる術の二大柱を書いておけば売れたんですって。 80年代はバブル期なので、今まで一流企業の入社に必要だった学歴や教養より、その後の会社生活に必要なコミュ力が一番重要という価値観で、そういう本が求められていったそうです。一方で今まで男性の間で閉じられていた教養が女性に開かれた時代でもあり、女性作家、それを読む女性が増えた時代でした。 90年代は、自分とはなにか、生きる意味は、といった内面に価値を見出すようになってきたそうです。 実際、自分探しの旅に出ることがカッコよかった時代だし、心理テストの番組が流行った時代でもありました。 90年代前半は内面に目を向ける時代だった一方で後半は行動する時代に突入します。内面を探す、から、実践的技法によってコントロールしようとする時代です。 脳内革命をはじめとする脳ブームや7つの習慣などで具体的に行動を即す自己啓発本が売れるようになりました。今までも自己啓発本のブームはありましたが、知識や心構えを授けることがメインだったので、この傾向ははじめてです。 自分が行動することで事態を好転させていく、という世界観ができたのです。 これはバブル崩壊後、終身雇用が崩れることによって労働環境が激変し、自己責任が叫ばれる時代になったからです。 また、これまでは自分が頑張れば、会社が、社会が、国が変わる、という希望を持てていたのが、バブル崩壊を機に社会と自分が分断される感覚が芽生えてきました。自分が頑張っても波の動きは変えられない、でも、波にうまく乗るために仕組みを知って、行動を変えていけばいい、という考え方に変わったのです。 2000年代以降、読書離れが更に加速します、が、自己啓発書の市場は伸びています。 今の自己啓発書の特徴は、ノイズを除去する姿勢にあり社会を遠ざけようとするジャンルなのです。社会は変えられない、だから他人や社会といったアンコントローラブルなものは捨て置き、自己のコントローラブルな行動の変革を促して自分の人生を変革する、これが現代の自己啓発書のロジックです。現代の労働環境は不安定な雇用の中で成果を出すこと、周囲の人間が変わっていっても関係は円滑に保つことが求められています。コントロールできない他人のこと、知らなかった世界を知って社会や感情に揺さぶられることはノイズであり、労働には邪魔なものになります。 だから、本を読むことは、働くことのノイズになる、だから、自己啓発書しか読めなくなる、これが現代人の読書との関係性です。 また、好きを仕事に、と言った仕事で自己実現することが称賛されたのもこの時期からです。これは、13歳のハローワークという本や、国策として行われたゆとり教育の一環で、好きなことを重視するキャリア教育を取り入れたことにあります。が、高校生が想像できる楽しそうな進路は、低収入であることも多く、知らないうちにリスクの高い進路を選んでしまったり、やりたいことが見つからず、フリーターやニートになる若者が増えていきます。仕事への過剰な意味付けが若者を非正規や長時間労働にのめりこませてしまっていたのです。 その後情報化(インターネット)時代に突入し、若者は更に、文脈や歴史の教養も知らなくていい、ノイズのない情報で勝てる本を求めるようになります。最先端の情報を持つ情報強者であれば、一発逆転を狙えるからです。 読書はノイズ性が高く、自分に不必要なものを知ることになり(それが教養となるのだが)それを受け入れる心の余裕がないのが現代なのです。 余裕がないから娯楽のはずの映画でさえも、結論だけ要領よく知りたいという考え方を持つ現代人が、非効率の権化である読書を楽しめるはずはなく、更に仕事に全精力を注がなければ勝ち残れない、生きていけない環境下がそれに拍車をかけています。 という、労働と読書の歴史を踏まえ、著者が出した答えは「半身社会」 サラリーマンが無理をして徹夜で資料を仕上げることを称賛しない、アイドルが恋人も作らず常にファンのことだけを考えて仕事をすることを称賛しない、お母さんが日々自分を犠牲にして子育てをすることを称賛しない・・・こういった全身全霊を信仰する社会をやめるべきではないか、という提案でした。 タイパやコスパが叫ばれる現代、仕事や家事や育児や趣味なんかのいろんなことをやるより、仕事だけに没頭した方が実はラクというの、すごくわかる。 仕事だけ邁進するから他のことは気にしていられない、時おり無料のYouTubeを開き、ホリエモンとかひろゆきが言う結論だけを聴いて分かった気になって満足するのもわかる。 でも、それじゃあ心のバランスが保てないよね。すごくよくわかる。 ライフワークバランスという言葉は前からあるのだから、理想論と投げ出さずに考えていきたいと思いました。 と締めましたけど、何度も言うけどこの結論より、結論に至るまでの前半の労働史と読書(教養)の関係がとにかくよかった。 過去の名著や流行本について、こういう文脈で出版されていたんだー、なんて振り返ったり、社会情勢とあの本の流行はこう繋がってたんだ、と思ったり読書好き人間としてはそんな楽しみ方でも読めました!!めっちゃおススメ!!

    2
    投稿日: 2024.11.09
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    タイトルにひかれて購入。まさに私だ、と思って手に取った。読書術?あるいは働き方についての本?と思って読み進めた。労働と読書の歴史を紐解きつつ、ではどうしたら本が読めるようになるのか、を提言する名著だった。 「花束みたいな恋をした」を起点に、読書やパズドラ、麦と絹の関係性や格差に着目し、展開していくのが見事だった。改めて映画としても、現代の若者の描写として優れていた作品だったなとも思った。先に映画をみておくことをおすすめする。 まだ本書の参考文献の多さにも驚く。本当に本を読むことが好きな人なんだろうなと思った。

    0
    投稿日: 2024.11.09
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    著者の本を読むのは2冊目。1冊目の“「好き」を言語化する技術”も本書も、文体がとても好きで、柔らかくも力強く、著者の性格が滲み出てるし、伝えたい思いが文章にしっかり乗っている。あと、たとえば「売れすぎである。」とキートン山田ばりに、それも2回も言っちゃうところや、語り口調で感想を言っちゃうところなど、くすっと笑える語り口がたまらない。 内容自体も読み物としてとても面白かったが、本書のタイトルを見た時に、本を読めない人は、この本自体に辿り着けないのでは?この本を見つけられないのでは?と思ってしまったし、内容としてもあくまで本を今しっかり読めている人がターゲットとなる読者なのでは?と思ってしまう。 そういう意味では、たまたま私が今この本に出会えて手に取り読み切れたというのがとても運が良く、感謝の気持ちが出てくる。

    0
    投稿日: 2024.11.09
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    このレビューはネタバレを含みます。

    ・読めなくなるのは働きすぎているから ・偶然性の情報を受け入れられなくなるから ・snsをみて自分を自分で頑張らせてしまう この本を読みたかった理由は、本当に読めなくなる理由が「時間不足」なのか知りたかったからだ。 私は通勤時電車に乗っているサラリーマンがほとんど誰も本を読んでいないのか気になっていた。 考えたのは、 ・睡眠不足で眠いから寝たい ・sns、スマホゲームが面白い ・本を読む習慣がない このような理由だった。 本書の中では「ノイズ」という言葉が使われていた。 読書はノイズ。自分に必要のない情報も入ってくるから読みたくない。自己啓発は必要な情報があるから読める。 結局は「余裕」が大事なのかもしれない。 時間もお金も気持ちも余裕が必要だ。 ただ大人になってもやることに追われているから余裕がなくなるのか? 中学高校大学も毎日部活動や勉強に追われていたはずだ。 大人が「余裕」を生み出すにはどうすればいいか

    2
    投稿日: 2024.11.08
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    このレビューはネタバレを含みます。

    労働と読書の歴史についてまとめてくれています。 読書はノイズ含めた情報で、それを受け入れる余裕の大事さについて記載しており興味深く読みました

    0
    投稿日: 2024.11.07
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    普段はこの手の教養書は読まないのだが、タイトルに惹かれてつい手に取った。 日本人の労働と読書の変遷を明治時代から遡って振り返り、考察している構成は面白い。立身出世を追求し教養を重視する傾向が生まれた明治時代。日露戦争後、国力向上のために全国で図書館が増設され読書人口が爆増した大正時代。紙が高騰しベストセラーを生もうと出版社が奮闘した末に生まれた「全集」と「文庫」が普及した戦後。読書がテレビと連動して売れる娯楽となり、書籍購入のピークを迎えたバブル期。情報社会が到来し、働き方が変化した結果、自己啓発書が急増した平成時代。「やりたいことを仕事にすべきだ」という風潮が生まれ、ニートをつくり出したバブル崩壊後。などなど、膝を打つ点もあり勉強になった。 タイトルの「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」について、著者は以下のように主張。 「情報」=知りたいこと 「知識」=ノイズ+知りたいこと 自分から遠く離れた文脈に触れることが読書。本が読めない状況とは、新しい文脈をつくる余裕がないということ。仕事以外の文脈(ノイズ)を取り入れる余裕がない状況。 私自身の読書史を振り返ると、確かにその主張も頷ける点はある。学生時代にミステリにハマり、毎日貪るように読書したものだが、社会に出て仕事を覚えることや周囲から認められるのに必死で余裕が無くなり、いつの間にか読書から遠ざかってしまった。 時が経ち、今では会社でもベテランの域に達し、家族の支えもあって時間的精神的な余裕が出来たから、こうやって落ち着いて読書ができるようになったのかもしれない。ついつい見てしまうYouTubeやSNSから少し距離を置いたのも良かったのかも。ブクログとは距離が縮まったけれど(笑) 著者が理想とする「半身社会」。それで経済が上手く回る世の中になってほしいとは思うけど実際は… キノベス! 5位 書店員が選ぶノンフィクション大賞2024 受賞 新書大賞2025 1位

    32
    投稿日: 2024.11.06
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    最近忙しくて中々本が読めていなかったから、本屋でたまたまサイン本を目にして購入。思っていたより内容が充実しており、とても面白かった。

    0
    投稿日: 2024.11.06
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    働いていてもこの本なら読めるだろう...と軽い気持ちで手に取ったが思ったより骨太な内容。 『本の中には、私たちが欲望していることを知らない知が存在』していて、2010年代以降の働き方ではこれを「ノイズ」として排除する傾向にあるという指摘がしばらく読書から離れてYouTube をダラダラ見ていた自分のことを言われているようで恥ずかしい限り...。

    3
    投稿日: 2024.11.06
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    このレビューはネタバレを含みます。

    タイトルの内容を脳科学的に解明するものではなく、読書の歴史から社会的に論ずるものだった。 読書がどのようにして社会に溶け込んでいたかを時代ごとのベストセラーなどを通じて解説しているのがかなり面白かった。最初から最後まで映画『花束みたいな恋をした』の麦を引き合いに出しており、ある意味この映画を読書の観点から解説しているようで、もう一度映画を観直して確かめたいなとすら思った。 ただ肝心の主張「半身で働く」ことについては、例えば医療従事者など他者を支える(人手不足の)エッセンシャルワーカーに対しての言及が無く、この著者の文脈から抜け落ちているような気がした。様々な職種があるのでこういうことを言っていたらキリがないが、医療従事者が「半身で働く」を実践したら、患者さんが普通に生活することすらままならなくなってしまうケースがある。こういった視点も考えつつ、議論の余地のある主張だなと感じた。

    0
    投稿日: 2024.11.03
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    労働史と読書史の対応には概ね同意できる。 働きながら本が読める社会にするために、半身労働社会を目指そう、という提言も多くの人の同意を得られるだろう。 ただ注意が必要なのは、ここで言われる「本」「読書」という言葉は「文化的な趣味」に置き換えて理解した方が良い。仕事に直接役立つ読書、いわゆるビジネス書などは、取り入れやすい「情報」の範疇に入るだろう。 自分のいまの仕事・労働に直接関わらない、「ノイズ」となりうる本(文芸書・人文書等々)を読めなくなるのはなぜか、文化的な趣味を続けられないのはなぜか、という問題意識を持つ人にとっては、役に立つ論考です。

    0
    投稿日: 2024.11.02
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    このレビューはネタバレを含みます。

    働きながら本が読めなくなっていた。 本をちゃんと読まなくなって少なくとも2年は経っていたと思う。先週から会社を休み、布団の中か冷凍パスタの前かみたいな生活を過ごし、病院ついでに書店に寄ったら平積みされていて目を引いた本だった。 特にここ1年間はダラダラYouTube観るのが辞められず、かといってその時間で本を読む気は全く起きなかったので、まえがきからマジでそうなんだよな〜と共感して入れた。 それこそ度々引用された『花束みたいな恋をした』も公開当時ぶっ刺さっていたから、同じ時間を経験している本というか、とっつきやすかった。 時代による社会の変化と読書の捉えられ方の関係性の考察のところは、あまり興味を持ってこなかった領域だったので面白く読めつつ、これを時間をかけて追えたのが本書でいう「知識」にあたるってことかと思うと、本当に久々に本が読めた実感がある。 第9章と最終章にある現代の働き方には心当たりがありすぎて苦しくなったが、疲労社会とメンタルヘルスへの言及もされていたのは助かった。働き方を省みるきっかけになる。 本当にもう仕事だけを全身全霊の承認のありかとして捉えるのは辞めようと思っているが、「情意考課」の極まった(?)相互監視環境の息苦しさはどうにかなってほしい。 全身全霊から半身への転換は責任の背負い方に対しても認識を改めないといけないんだろうけど、ここがめちゃくちゃ難しいんじゃないか。 これ普通に今の職場環境でやる人が出てきたら“バグった”と思われる。だったらみんなでバグって、本が読みたい。 とにかくこの本は読書記録アプリ入れてこれくらいの感想を書こうと思わせてくれたし、これからまたちくちく読書して記録できたら記録しようという気にさせてくれた。いいタイミングで手に取れてよかった。ありがとうございます。

    1
    投稿日: 2024.11.02
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     専門職として社会人になって以降、職場の同僚などから「忙しいから勉強できない」「論文や書籍が読めない」という話を繰り返し聞いてきた。私自身の経験と教訓から、多忙になると物理的(時間の制約)や(脳)疲労もあり、本が手につかない。しかし、一方で「忙しい」からこそ、読書を通じて知見を深め、自然と必要な情報が集まってきて、資料や書籍を読まざるを得なくなる。忙しいからこそ読書をするというのが、私の持論でもある。  本項では、隙間時間にスマホ、及びスマホゲーム興じて、いつしか読書離れを起こしている現代人の課題に一石を投じる。一方で、明治以降の時代に応じた読書の位置づけを検証する。明治期から大正期のエリート教養としての読書。戦前から戦後のエリートと大衆教養としての読書。オイルショックからバブルショック期の娯楽としての読書。バブル崩壊以降のノイズとしての読書と位置づける。ファスト映画、短時間読書などコスパとタイパを意識した「消費」としての読書から、読書によって起こる頭とこころに起きるハレーション(ノイズ)としての読書の重要性を指摘する。働きながら本を読める「半身社会」の重要性を投げかける。尽忠報国、滅私奉公、社畜、ワーアカ-ホーリックな生き方から、仕事も読書も「半身社会」で心豊かな生き方の提言であり、休日の補償と労働時間の短縮こそ、今求められている社会のあり方なのだと理解した。

    0
    投稿日: 2024.11.02
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    このレビューはネタバレを含みます。

    たくさんの文献から引用があり、近現代の社会と読書との関わりから、なぜ働いていると本が読めなくなるか、そして本を読める社会への提言が書かれている。 引用されている文献だけで、その時代その時代の社会を語れるものなのか疑問だった。また、肝心の働きはじめると本を読めなくなる現象についての解説が、あまり納得できないというか、結論がよくわからなかった。 ただ、働きはじめると本を読めないという現象、読むという行為は同じなのにTwitterみたいなクソみたいな駄文は読めるのに本は開けない現象は確かに自分にも当てはまる。みんなが不思議に思ってる事象についての問題提起で、とても目の付け所がいいと思った。これからの三宅さんの活躍に期待

    0
    投稿日: 2024.11.01
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    労働史と読書史をミックスさせた興味深い内容。P239のマトリクスがよくまとまっており理解しやすい。線引きが難しいのが「読書とは何か?」という点で、著者は自己啓発書は「情報」扱いし、「読書」からは除外している印象を受ける。 では「ビジネス書」はどうなのか?カーネギーは「自己啓発書」扱いされているようだが、ドラッガーは「ビジネス書」?ドラッガーには「知識」があるように思えるが、なら「ビジネス書」からも「知識」は得られる?で、そこにはノイズがあるのか? さらに言えば、新書である本書はどうだろう?そもそも新書は「ファスト教養」なので、本書のようなキャッチーな題名で欲しい「情報」を手軽に得るという要素が大きいように思えるが、歴史を語っていれば「知識」なのか? つまり、「情報」や「知識」を「ノイズの有無」で線引きするのは中々難しいし無理があるのではないのかと。ちなみに「小説」は「物語」なので明らかに「情報」や「知識」とは線引きは可能だが。ちなみに斉藤孝は「司馬遼太郎が教養と娯楽の境界線」だと言っていたが、この辺の見解も興味深い点でもある。松本清張はきっと娯楽なんだろうが。 よって「本が読めなくなる」の「本」って何を指しているのかが最後までよくわからなかった。「本」≒「小説」と限定すれば確かにそうだと言えるが、ビジネス書や所謂「専門書」ではない「概説書」の類はどうなのか?政治や経済や経営に関しては「専門書」はハードルが高いとしても「概説書」ぐらいは仕事上の必要性(&興味関心)で読む労働者もそれなりいるとは思うがそれらの扱いはどうなるのだろうかというのが疑問として残った。簡単に言えば佐藤優あたりから出口治明・池上彰ぐらいまでが労働者ターゲットのメジャーゾーンだとは思うが、これらは「概説書」ですらなく「教養書」なのか?ともと思ったり・・・。

    2
    投稿日: 2024.10.31
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    このレビューはネタバレを含みます。

    この人の文章はいつでも僕の隣にいるような感覚にしてくれます。 働く前から1年で一冊も本を読まなかった自分が、逆に本を読むようになってから読みたくなった。 世の中の人は思ったよりも本を読んでおらず、電車で周りを見渡せばみんなスマホを見ている世の中が大嫌いです。 なぜみんな本を読まずにスマホを見るのか?その疑問を歴史に沿って解説してくれました。 ノイズ ですよねぇ

    0
    投稿日: 2024.10.30
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    半身で働く この言葉がすごく印象に残った 全身全霊で働く必要はない。 自分がやりたいことを少しずつやる。 どれもやりたいことをやればいい。 そんな社会になるように、残業をたくさんしている人を称賛しないような社会にしていきたい。 無理しなくていい。 家庭も仕事も読書も。 全てができるようになるといいな。

    2
    投稿日: 2024.10.29
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    この本を買ってから読み終わるまでに2ヶ月くらいかかった。まさに「働いていると本が読めなく」なっていたからだ。時間がなかったわけではない。仕事以外の時間はだらだらスマホを見たり、YouTubeを見たり、何もしたくなかったりして、なかなか本を手に取ることができなかった。本を読むことは大好きなはずなのにどうしてだろう、と思いながらこの本を(少しずつ)読み進めた。 労働と読書の歴史を丁寧に掘り下げていく過程ももちろん面白かったのだけど、後半の「読書はノイズになる」という話になるほどなあと思った。働いていると今すぐ役に立つ情報を仕入れることのほうに重きを置きがちで、今すぐ役に立つとは思えなかったり、今の自分とは関係が薄かったりする情報は疎ましく思うことすらある。知ることがむしろストレスになる。でも、ノイズだと感じるような「他者の文脈」に触れることを、昔はもっと楽しめていたんじゃないだろうか? 最終章では「どうすれば働きながら本が読める社会になるのか」という提言もなされている。そこに書かれている「全身全霊を称揚することをやめる」という言葉がじわじわと傷口に沁みた。たしかに、仕事に限らず、何かに全身全霊になるって楽だ。長くオタクをやっている身として、好きなアイドルのことだけ考えて生きていくのがどれだけ楽なことかはよくわかっている。オタク界ではオタクに没頭している人ほどかっこいいとされ、にわかはダメだ、そんな軽い気持ちで応援するくらいならやめちまえ、みたいなことを言う人すらいる。実際私はその価値観に身を置くなかで燃え尽きてしまったこともある。 著者が提案する「半身でコミットメントする社会」について、私も考えてみたいなあ。ひとつのことに全力になるのではなく、にわかとしてあれもこれも手を伸ばしながら、さまざまな文脈が入り混じった複雑さを楽しんでいくのって、難しそうだけどおもしろそう! 【読んだ目的・理由】タイトルが気になったから 【入手経路】買った 【詳細評価】☆4.2 【一番好きな表現】教養とは、本質的には、自分から離れたところにあるものに触れることなのである。(本文から引用)

    1
    投稿日: 2024.10.29
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    このレビューはネタバレを含みます。

    読書と労働との関係性を歴史を遡って辿って行くのは面白かった。社会の移り変わりと共に読書の位置づけが変わり、たしかに現代ではコントローラブルな部分(自己啓発)に焦点が当たっている。こういう社会構造を読み解くのも面白いなと感じた。 半身の姿勢での働き方は理想だが、自分はやはり全身での取り組みを称賛はしてしまう。かっこいいから。でも自分が全身をできないことも何となくわかっている。どんな生き方を目指すのか恥ずかしながら自分はまだわからない。おそらく今まで通り全身と半身の間でやって行きそう。でも少なくともこの本は「ノイズ」として新しい観点を与えてくれた。

    0
    投稿日: 2024.10.29
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    このレビューはネタバレを含みます。

    読書欲はあるはずなのに読書量が激減していると感じていた春先、書店で衝動買いした一冊。ようやくアウトプットに辿り着けた。 前半は江戸から令和に至る読書史。 読書史はその時代の社会情勢・大衆心理・労働環境を強く反映。その時代のベストセラーがなぜヒットしたか、時代背景や読者のニーズを紐解く過程では成る程と唸らされる箇所が多い。著者の書評家としての参考文献量にも圧巻。 労働と読書との距離感が時代とともに変化していく過程として、社会的意義がインテリ層の教養→一般大衆の社会参画のための修養→他者・未知への恐怖としてのノイズと変容した末路。 読書が正直億劫と感じる理由をストレートに指摘された気分。 終章のまとめとして全身全霊ではなく半身で頑張るというスタンスは分からなくはないが、実際自分自身は中途半端な環境に身を置いており、強いストレスを感じている。全身全霊はある意味楽というのは全く同意。 著書を通じて、読書という行為を客観的に見つめ直す契機となった。未知との遭遇にワクワクし、読書に肩の力を抜いて臨みたい。

    2
    投稿日: 2024.10.29
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    タイトルへの答えだけじゃなく、日本人が読書をどう取り入れてきたのかも分かりやすくて良い 最終的な作者の提言もかなり良い 育児中読書したくなるのも、わりと単調な毎日なのでノイズが欲しくなるからかもな

    0
    投稿日: 2024.10.28
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    大正時代あたりから時代系列に沿って労働と読書について述べられていたが、あまり昔のことには興味が湧かなかったので現代の部分だけを流し読みした。 今自分が労働しながら本が全く読めなくなった理由が、この本で述べられている通り、「他者の文脈というノイズを自分の中に入れる余裕がなくなったから」という論にはかなり納得した。本から得る知識は自分ではコントロールできないため、ノイズを享受する可能性がある。それに対してインターネットや自己啓発本から得る情報は、基本的には自分で得たいものを選んでいるため、ノイズが入ってこない。 日々自分の生活を仕事で埋め尽くしていると、そのようなノイズが邪魔で仕方がなくなる。だから本を避けてノイズを避ける。なるほどなと。 学生の頃はたくさん聴いていたラジオが聴けなくなった理由もこれと近いだろうなと思った。ラジオから得る情報は基本アンコントローラブルだしランダム性が強い。なんの情報が突然飛び込んでくるか分からないところに自ら飛び込むにはある程度の心のスペースが必要。だけど余裕がないから避ける。なるほどなと思った。 この本の結論は一貫して、「詰め込んで働くのやめようよ」という感じだったが、そもそも心のスペースを空けながら仕事をするのと、仕事で埋め尽くすのと、どちらが自分にとって良いのかは考える余地があるなも思った。

    0
    投稿日: 2024.10.27
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    新書はあまり読まないけれど。面白かった! 自分の「好き」を重視する仕事を選ぶことをよしとする、って90年代後半から出てきた考え方だったんだ。景気がいいときは消費による自己実現が可能だってけどバブル崩壊を経て消費での自己実現が難しくなったから、労働そのものが「自分探し」の舞台になった、って。 私は90年代半ば生まれで就活する時も「好きなことを仕事にするのが優れている」ってら考え方は当然のものとしてあったから、この考え方が経済状況に影響されて最近出てきたものってことが結構衝撃だった。同世代で「好きなことを仕事にしなきゃ」って想いに苦しめられてる人って多いんじゃないかな? 歴史を知るというか過去の流れからして今がどんな時代なのか知ることって大事。 インターネットにはノイズがなく、本には文脈(ノイズ)がある、っていうのも本当にそうだな。 心に余裕がなくてネットばっかりしてると知りたいことだけがどんどん尖っていく。 週末に久しぶりに読書すると、頭や心が耕されてほぐれるような感覚がある。 働いていても、読書したいよね。

    0
    投稿日: 2024.10.27
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    衝動買いしたけど、中身は結構しっかりした読書と労働を軸とした明治以降の社会史でした。『西国立志編』は自己啓発本だったとか、なぜ1970年代のおっさんたちは何かと司馬遼太郎を読んでいたのか、とかなかなか興味深い考察があって面白かったです。オチのじゃあどうしたら働きながらも本が読めるようになるのか、はいまいち強い結論じゃなかった(要するに仕事や家事へのコミットを半身にして余裕持とうぜ、的な)のが微妙でしたが本としては知識欲が満たされて良かったです。 ちなみにスマホの動画やTVに本が勝てない理由は、本は能動的なメディアだからというのが個人的な見解です。今(Youtubeやスマホ全般)も昔(TV)も受動コンテンツに対して、本はこちらから働きかけるワンクッションの能動が必要なのでどうしても負けてしまう。能動的な活動から没頭するまでのある種トレーニングが必要で、まあこれを本能的にできるかどうかで本好きかどうかが決まるのだと思うんだけど、後天的にというか意識的にこの能力をつけることができればなぁ、というのが現在我が子に思うところです(あまり本好きっぽくはない@6歳直前)。図書館に連れて行ってみたり色々やってはいるけれど、さてどうなるか、、、翻って自分はまさに勝手に読んでた活字中毒タイプなのでどうブーストしたらいいかよくわからんのが悩ましい今日この頃です。本なんか別に読まないなら読まないでも幸せに暮らせるんだろうけど、それでも自分が本好きでホントに楽しい人生だったのと、最近の自分結論的に実は数学とか物理も含めてすべての勉強を読解力のみで乗り切ってきたんじゃないかと思っているところがあり、何とか本読みになって欲しいなぁ、本読みで損すること多分ないんだけどなあと日々もやもやしております。もやもや。

    0
    投稿日: 2024.10.26
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    (2024.10.25) [題名]『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』 [著者]三宅香帆 [訳者]なし [出版]集英社新書(1212-B) [動機]読書術の一環として     購入。 [◯感想(良かった)]   ・最近の読書が    "ハウツー"もの     "生産性向上"もの    "自己実現(出世)"もの    に偏ってきてるのは分かる。 [△感想(う〜ん)]   ・理系の自分としては、    どうしても仕事に関係する    本に偏るのは仕方ない。   ・よく     「人生には物語が重要」    と言われるが、    "上手い小説"    をトレースしていくのが苦手。 [×感想(良くなかった)]   ・この本自体が    読書行為確保の"ハウツー本"    になっている矛盾。 [総論]  ◯・「読書術」はあとがきにある。    会社帰りの30分を読書時間    として確保する。    →実行しよう。   ・"ルッキズム"    の批判は甘んじて受けるが、    比較的美形の女性が著者で、    仮に著者が偉いオジさんだったら、    ベストセラーにはならなかった    と思う。  

    0
    投稿日: 2024.10.26
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    本が読めなくなる理由の見解に至るまでに、戦前からの時代背景や先人の著書を分析されています。 また、興味深かったのが「自己啓発本が売れる理由及びそういった社会」について分解されていた部分です。 本の半分あたりまでは根気がいるかもしれませんが、そこからはかなり読みやすく、理解もできました。 個人的には、切り口に飛躍も感じられず全く違和感無しに府に落ちる内容でした。 良くありそうな自己啓発本を読むなら、この本を読む方がよっぽど人生は豊かになりそうと感じました。

    0
    投稿日: 2024.10.25
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    このレビューはネタバレを含みます。

    過去からの働き方から振り返り、現代の働き方に対しての危機感を持ち、今働き方がこうあればいい、ということをソフトな感じで伝えてくれたのが良かったです。それを前提に、最後にこうしたら本読めるよ、というアドバイスはとても良かった。 読書はできないけど、スマホはイジれてしまう、はて?に少し答えが見つかりました。

    0
    投稿日: 2024.10.25
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    このレビューはネタバレを含みます。

    自分にも思い当たる。働き出したら本が読めなくなった。忙しいのは忙しいが、全く他の事をする時間が無い訳ではない。YouTubeは見る。でも本が読めない。 この本は、歴史と読書の関係、時代背景とベストセラーの因果関係なども語られ(このあたりが、なるほどと思うものの…読みながら何度も途中で寝落ちしてしまった)、働き方に余裕がないと、ノイズである読書というものはなかなかできないので、余裕のある働き方をして読書をしよう!半身で働こう!というような事が書かれている。 たくさんの参考文献からの引用もあり、「片付け本という名の自己啓発本は、社会を遠ざけようとするジャンルであるという論」「新自由主義のもと、自らで自らを競争に参加させ、自分で自分を搾取してしまう」などの鋭い指摘もある。 ただ、「具体的にどうすれば半身社会というビジョンが可能なのか、私にもわからない」とのことで…。そこは各々の取り組みが必要と。 参考文献に自分が普段読まないような本がたくさんあり、面白い意見が書かれているのだなと思った。怪しげなスローガンとか流れとかに流されてしまわないよう、色々本を読んで意見やノイズを吸収し、自分の考えを持っておきたいものである。とりあえず、読書しよう。と思った。

    0
    投稿日: 2024.10.24
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    読書に対する価値観を、労働史から論じた本。 正直、目新しい発見はなかった。 筆者の読書量は恐らく膨大で、引用の豊富さが 印象的だった。しかし、筆者の考えを補強する 役割しか果たしておらず、その考えの対論は どうなっているのか?などが気になってしまい ちょくちょく引っかかる箇所があった。 ・現代の労働は全身労働であり、半身で働くべき ・今求められているものはノイズを除去した情報  であり、読書はノイズの摂取になっている 情報の取得方法が多様化した現在、例えば 紙媒体の新聞の発行部数が減少するのと同様 時代の変化による淘汰の一部ではないかな… と、個人的には思う。(なぜ読書できないか) これを言ってはおしまいかもしれないが、 読書しないことは悪なのか?手段は変われど 人々は常に情報を摂取しているし、人々の 知識欲に変化はないと思う。 読書量が減った=人々は求めていない情報が 含まれる読書をノイズと感じている ちょっと暴論じゃあないか。人間が持つ知識欲を バカにしちゃいけないと思う。読書という行為を 神聖視しすぎだと思う。 言いたいことはわかるが、どこか引っかかる 読後感であった。

    1
    投稿日: 2024.10.24
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    自らも兼業での執筆活動をおこなってきた著者が、労働と読書の歴史をひもとき、日本人の「仕事と読書」のあり方の変遷を辿る、という本。 そう!どんなに忙しくしていてもスマホのソシャゲのログインボーナスは欠かさないのですよ 読書とスマホは時間にすると変わらないはず、でも読書は時間ではなく、ココロにゆとりが必要。 とくにフィクションな物語、海外翻訳の登場人物オールカタカナ、あれは忙しいと読めない。 最終章で納得の理由が示されます。 まぁ、そうだよね。100%全振りは良くないということ。

    0
    投稿日: 2024.10.24
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    このレビューはネタバレを含みます。

    "労働と読書"という面白い切り口だった。 今までの理解では活版印刷で文章を読める機会が増えて、明治に言文一致で読みやすくなって一般に広まったみたいな認識でしたが、本書では江戸では読書といえば朗読で個人が楽しむものではなく、明治になって黙読という文化が生まれたことで読書が個人で楽しむものになっていったという始め方をして最初から感嘆させられた。 そこから明治、大正、昭和(戦前/戦後)、平成とそれぞれの時代でどういう本が読まれていたのか、それはどういう理由でどういう層の人たちが読んでいたのかを時代ごとに当時の本での情景から読み解くというのがとても読み応えがあった。 終盤になぜ働いていると本が読めなくなるのかというものへ著者なりの答えを書いてくれているけど、ここは私の考えとは少し違ったけど、こういう帰着のさせかたもとても面白いなと感じた。 おそらくこのタイトルへの答えは読者ごとに違ってくると思う。あとがきを読んでると著者もそれでもいいと思ってるんじゃないかなと感じた。読者ごとにどういう結論を出そうが、読書っていいよね、たまには休んだっていいんだよ、みたいな読書への姿勢がとても共感できる締めだった。

    0
    投稿日: 2024.10.23
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    『なぜ』かをすぐに知りたい人には向かない。なぜなら著者の言うところのノイズが多すぎるから。 そういう人は、120ページ辺りから読むといい。 しかし、これだけ調べあげたのは、圧巻だった。ノイズを堪能した。 結論は、「はっ、そこ。」という感じでややチープだった。

    0
    投稿日: 2024.10.23
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    もう少し浅い内容の本かと想定していたが、最終章が「「全身全霊」をやめませんかと」という章になっており、私としては意外な展開であった。 知識=ノイズ+知りたいことで、現代は情報=知りたいのとを求めるという事であるが、VUCAの時代、昔のように修養・教養が重んじられる時代に回帰するのではないかなと、個人的には思っている。 だから、私の読書量は学生時代より圧倒的に多くなっている。

    0
    投稿日: 2024.10.22
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    このレビューはネタバレを含みます。

    ベストセラーとは、次代の空気にベストタイミングで合致した本を出した時にだけ起こる。 このご時世の異世界転生なろう系。 現世に閉塞感を感じ、夢の中だけでもファンタジーの世界に飛び出したいという世代の空気の表れなのか。 本書前半、明治から2000年代くらいまではとても腑に落ちていた。 しかし、ネット社会についての「ノイズ」については腑に落ちなかった。 ネットでは自分に関係のない「ノイズ」となる情報は切捨てられ、自分にカスタマイズされた情報のみが届けられること、トータルワーク社会で生活すべてが労働になる社会になったため、「ノイズ」に触れる余裕がなくなったことが、本を読めなくなる理由であると述べるようである。 しかし、ネットもノイズが含まれているし、パズドラなんて自分に必要ないものなのでパズドラに触れられるのは何なのか、という疑問が残る。 また、明治から2000年代までも、人は本を読んでいなかった。それまでも、必要に迫られて読んでいたにすぎない。 やはり、本が読めないのは、本がテレビやネットと違って自分からコミットしていかなければならないという脳の負荷が強い媒体であるからだろうと思う。 娯楽の種類がより脳負荷の低いものも増えたのだろう。 2010年代以降は、社会・労働論としては面白かったけど、本とは結びつけにくいのではと感じた。

    0
    投稿日: 2024.10.21
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    なぜ読まなくなるのか 忙しいから より面白いものがあるから 読書が面白くなくなったから なぜ本を読みたくなるのか? を知りたいです

    0
    投稿日: 2024.10.20
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    読書を軸に教養文化と労働の関係性を近代から現代までまとめ、これからの働き方を提唱した本。 文章は堅苦しくなく、押し付けもなく、新書はたまに読む程度の私でも非常に読みやすかった。 歴史教養系が好きなので、近代史パートを興味深く読み、現代の働き方を提唱するパートでは、自分自身を振り返った。 考え方や価値観を「文脈」と表しているのが、何とも読書家らしい表現で親近感を抱いた。

    0
    投稿日: 2024.10.20
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    ・芸術は現在も鑑賞物であるが、娯楽は情報収集手段の側面が大きくなっている。 ・読書はノイズ込みの知を得るが、情報(ネット?)はノイズ抜きの知を得られる。 ・ファスト教養が重要視される。タイパ? ・新しい文脈を知ろうとする余裕がないとき、私たちは知りたい情報だけを知りたくなる。読みたいものだけ読みたくなる。未知というノイズを受け入れる余裕がなくなる。家庭や仕事で忙しいときその余裕がなくなる。 ・こんな余裕が持てる「半身で働く」ことが当たり前の世の中になって欲しい。それが働いていても本が読める社会。 ・そろそろ「半身」の働き方を当然とすべきではないか。

    0
    投稿日: 2024.10.18
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    タイトルからは想像できない、明治から現代までの日本社会を論じる一冊。 個人的に本を評価する時に「引用が明確」「参考文献が多い」という点を重要視している。その面では、本書はかなり出来が良い。本の書き方としては論文とほぼ変わらない。ただし、かなり大きな事を論じているため、時代ごとの捉え方だけを見ると、対論が抜けていることが多い。その時代を論じるにあたって「それだけで事足りる?」と思わされてしまう。新書の中でも比較的軽い集英社新書だからそれで良いのかもしれないが、書かれている事を真面目に読もうとすると、かなり引っ掛かりを感じてしまう。 だから、本書は論文の体をしたエッセイなのだろう。著者が最後に言いたいことに対して肯定したい気持ちはあるし、ただそれを言うなら時代論だけでなく、現代論も未来への具体的提言も必要だよ、と思ってしまう。 個人を振り返って、できるだけ客観的に自己分析をした一冊だと感じた。そのことに対してかなりの部分で当てはまる人もいるだろうし、自分とは違う世界の話だと感じる人もいるだろう。そうなってしまうという事は、やはり本書は論文にはなり得ないと思う。

    1
    投稿日: 2024.10.16
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    コントロール不能なもの、自分の文脈から遠いものを受け入れるのにはたくさんのエネルギーが必要になる。 今の世の中で日々働いているとそのエネルギーは残らず、自分にとってわかりやすいこと、求めているものに興味や意識がどんどん限定されていってしまう。 「生きてるだけで偉い」と誰かに言われても全然響かないくらい、人は何かに向かって頑張ることを普通と思いすぎてる。 ある側面が濃くなりすぎると、逆転が起こった時に生きていけなくなってしまう。なんでもほどほどにやれる社会であってほしいし、やれなくてもそこにいられる社会であってほしい。 思ったより労働の歴史に焦点が当てられていた。 後半は現代の働き方に対する筆者の熱量を感じた。

    0
    投稿日: 2024.10.16
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    読書論。昔の名作の引用も多くあり、読書の遍歴を感じられる一冊。人生はノイズだらけで、それを排除しようとするんではなく、取り込める余裕をもつこと。その上で半身で働くこと。自分の理想の働き方と重なっていて、共感しながら納得しながら読み終えた。直近で解決できることではないかもしれないけど、やっぱり本好きだなーずっと読んでいたいなーと読書モチベ上がりました。

    0
    投稿日: 2024.10.14
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    【麦がパズドラばかりする理由】 時間がない、仕事で疲れている、でもスマホは見られる。 それなのに本が読めないのは、 「ノイズを嫌う」からだった。 「タイパ」「コスパ」とも通ずるこの概念、 ひろゆき氏が好まれる理由でもあり、 明確な答えだけを今すぐ求める現代人。スマホの弊害。 そんな状況だと、 なかなかノイズまみれの本には立ち向かえないよね、と。 仕事なら仕事、育児なら育児で 一つの文脈に没頭する方が楽、という解釈にも共感。 頑張りすぎず、全てに半身で参加できたら 現れた心の余白で本も読めるかもね。

    0
    投稿日: 2024.10.14
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    タイトルがまさに今の自分であることから、なぜだろうと答えが欲しくて購入した一冊。 明治以降の労働の歴史と、その各時代における「読書」の位置づけに関する説明が中盤頃までひたすら続き、興味深いとは思いつつも、正直いつ本題に入るのかと読み続けるモチベーションが若干下がっていたが、後半に入ってようやくそれが現代へとつながり、結果としては最後まで面白く読めた。ただ内容の比率としては、歴史部分のボリュームが少々多く、途中で読むのを止めてしまいたくなる気持ちも正直わかる。 結論としては、本を読めないのは時間がないからではなく、心に余裕がないから。読書とは、単なる知識だけでなく、いろんな時代の背景だったり、人間の感情や内面の葛藤だったり、またそういったことから新しく得る知識や思いもしない気づきなどに楽しみや興味を見出す行為かと思う。しかし、ネットで調べものをするにしても、所謂ハウツー本や自己啓発本を読むにしても、とにかく結果だけを効率よく知りたい、余計な情報は要らないという多くの現代人にとっては、読書によるそういった「副産物」は単なる「ノイズ」であり、煩わしいものなのである。 人々が読書の「ノイズ」を楽しめないほどに心に余裕がないのは、特に日本においては、労働にフルコミットを求められる社会であるから。日本人にとって人生における仕事の比重は確かに高い。それは、仕事で成功している=自己実現できている人・人生の成功者という価値観が刷り込まれているから。そしてそれに加え、新自由主義により個人間の競争が激化していることから、「もっと頑張らないと」と常にフルコミットし、疲弊しきっているのである。著者が言うように、自己実現するのは別に仕事に限る必要はなく、趣味であったりなんだっていいのに。頑張りすぎて疲れ切っているから、単純なものしか頭に入らず処理できない。だからSNSをひたすら眺めたり、アプリゲームはできるのに本は読めないということが起こる。逆に、なぜか読書ができない時は、「あぁ、自分疲れてるんだな」と気づくバロメーターにもなるとも言える。 外国人の友人や家族から「日本人は働くために生きてるよね」と言われることがある。皆がそうとはもちろん一概には言えないし、日本人が概ね勤勉と言われるのは良いことであるとも思うが、確かに仕事だけが中心の生活で、精神的に疲弊している人も多いなと思うのもまた事実である。生活に不安を抱える人の多いこの不安定な時代に、仕事にフルコミットするのではなく半身でやれという著者の主張は少々理想論にも思えるが、健全な精神であってこそ人生は豊かなものになると思うし、下手すれば日常生活もままならなくなってしまう。今ちらほらと「ライフワークバランス」が叫ばれるようになってきたように、一人一人が日常生活と労働のバランスを取りながら、社会全体の風潮を変えていくしかないのだと思う。

    2
    投稿日: 2024.10.14
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    日本の労働と読書の歴史に焦点を当て、時代によって読書がどういう存在であったかを教えてくれる、非常に興味深い内容であった。 最後の著書の結論は若さ溢れる想いがあっていいと思うが、人が変わる時はやはり時代の波しかなく、10年単位くらいで新しい価値観が生み出されてくるのだと思う。

    0
    投稿日: 2024.10.14
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    タイトルと中身が違いすぎました。 明治〜現代の読書史、労働史の本だと思えば良いのですが、その分野に興味がなく読むのが苦痛でした。

    2
    投稿日: 2024.10.10
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    このレビューはネタバレを含みます。

    忙しい現代人がどうやって読書をしていくのか、のようなライフハック本だと思ったら、全然違った。 労働と読書の関係の歴史が長く、それを踏まえて現代は労働と読書が両立しづらくなっているという話。 本が読めなくなるのは、スマホや娯楽の多様化で時間がないせいかと思っていたけれど、筆者によると資本主義社会が人間に「全身」の労働を求めており、全身の労働はノイズとしての読書を奪ってしまうからと分析。 ノイズという表現が新鮮で、つまり予想していなかった展開や知識があると、心乱されるというようなことかな。 これは思い当たることが多く、疲れてたり余裕がないときは、重めの小説が読めない。心が持っていかれるから。 それは私が全身で労働しすぎてたからなのか。 読みたいのに心が読書を拒否する感じは、とてもよく分かる。 筆者は半身労働を提唱するし、私もそうしたいけれど、具体的な案はなし。 余裕のある生活がしたいと思い描いてしまう1冊。

    0
    投稿日: 2024.10.10
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    売れてたので借りてみた。とにかく文献がすごい。30前後で新書かけるのすごい。若いちきりんみたい。相当、本が好きで本を読んできたんだな。リクルート入ったらそりゃ本読めんわな。 検索するという文化は、自分のアンテナにかかったことしか世界がない。読書は異世界、他者の文脈との出会い。出社や書店にはそういう役割があった。 半身で働こう、というのは賛成だけど、具体的にどうするのか、踏み込んでほしい。あとがきの、働きながら本を読む方法が小手先すぎ。スタミナ切れ?薄い。しかし、これこそ、多様な文脈で、考えるべき問題かも。 フルコミットよりバランス取る方が難しいというのは、そう思う。人生ってバランスの取捨選択の集積な気がする。 本読む時間はないけどパズドラはしてるしインスタは見てるのはなぜか?考えたくないから。フルコミットで疲れているから。他の考えを取り入れる余裕がないから。考えるまでもなく当然の結論。そら、そうや。 全ては余裕の無さだよね。多様性に価値があるのは余裕、余白、ノイズ、無駄の尊さ、価値に気づくから。

    0
    投稿日: 2024.10.10
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    本を読むために、働き方を変える必要がある。 読書と歴史、世間の流れが関与しているなんて、考えもしなかった。 全身全霊で仕事を取り組むことは、鬱病になってしまう傾向にある。確かにそうだ。と納得。 ただ、半身で仕事を取り組むことは、言われてみたら、納得するが、行動に移すのが非常に難しいと思う。 スキマ時間に本を読んでいるので、これからももっと本を読んでノイズを取り組んでいく余裕をもっていきたい。と思えた。

    2
    投稿日: 2024.10.09
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    労働者と読書についての変遷をたどり、このテーマについての結論を導き出している。  私も、正社員で働いていた時は、残業続きで、本よりは、昼休みの喫茶店での漫画でしたね。  しかし、筆者は仕事が楽しい人なのですね。羨ましい限りです。

    1
    投稿日: 2024.10.09
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    まさか、この本から鬱病になる働き方に辿り着くとは、本を手にした時は想像しませんでした。 これも自分の近くに無かった文脈ですね。 でも私が最も知りたい事でした。 私も仕事を半身にして、読書する時間と心の余裕を持ちたいと感じました。 読書はネット記事を見るような核心だけをつまみ食いして読むのではない。 この本を最初から順に読める人は、この本の結論を頭の中では理解している。 いきなり最終章を読みたくなる人は、仕事に追われているから読書をする時間がない考えが染み付いている。私もそうでした。 それでも最初から読むことに意味があり、この本の真意を本当に理解できる。

    2
    投稿日: 2024.10.09
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    疲労社会に関するところは勉強になった。半身でいることの大切さというところは合点がいったし、面白かった。 一方で、労働史と読書との関係への言及部分が多く、タイトルの「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」への言及が少ないんじゃないかとも感じた。

    0
    投稿日: 2024.10.08
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    成功するために知識を得たい、しかし長時間労働を求められる社会ではたくさんの本を読んで必要な知識を集める時間はない、そこで生まれたのがピンポイントでハウツーを説く自己啓発本であり、そこからさらに自分に必要な情報だけを得られるインターネットへと移っていく。かつては一見不必要な情報(=ノイズ)も込みで本を読むことで多層的な情報を得ていたのが、インターネットの台頭で今知りたいことだけを知ることができるようになったということだろう。 本が特権階級から労働者階級へと広がっていた経緯や時代ごとのベストセラーと世相など、労働という観点から見た読書傾向の移り変わりも興味深い。 本を読む目的が知識を得ること、だけだった場合、効率よく情報を得ようとすると書籍ではまどろっこしい。だからそういう目的で本を読む人は減っているというのは合点がいく。また、娯楽としての読書に使う時間もまた、余暇すら効率的に自己研鑽や社会貢献に使うべしという社会情勢によって奪われていっているのではないかと著者は問う。そして終章では全身全霊で働くのではなく、「半身」で働く、という働き方を薦めている。自分の全てを仕事(家庭でも趣味でも同様)にコミットしてしまうことが余裕を失わせているのではないかという考察だ。 かつては子供や学生は時間がたくさんあり、娯楽も少なかったがゆえにたくさんの本を読むことができた。しかし今はみな忙しく、刺激的な娯楽も多い中であえて本を開くのは本が好きな人に限られるだろう。子供の頃、暇すぎて限られた本棚の中からそれほど面白いわけではない本や難しすぎる本も読んでいたが、もし今の時代ならそんなことは絶対していないと思う。なぜならわかりやすく楽しいものが他にたくさんあるから。でも、いろいろな本をたくさん読むことで必然的に蓄えられた無関係な知識の集合が強要というものなのではないかなとこの本を読んで考えさせられた。

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    投稿日: 2024.10.07
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    今日は絶対本を買うと決めて本屋に行ったのに結局何も買えずに帰ってきたことがあって、まさに社会人になってから本を読めなくなったなと思っていたタイミングで、たまたま紹介されて読んでみた。 今までの社会人にとっての読書の歴史みたいなパートはなかなか難しい話で理解しきれていない感じはする。 こないだ本屋に行った時に本が買えなかったのは、この本から今欲しい情報が得られなかったらもったいないなと考えてしまっていたからなんだろうなと思った。でも、本はノイズも含めて楽しむもので、すぐに役に立つかはわからないけど、自分とは距離が離れている人・もの・コトについて触れる機会なのだと書いてあって、もっと気軽に読んでよかったんだったと思い出した。

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    投稿日: 2024.10.06
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    タイトルから中身を想像して読むと2/3はノイズですだと思いました。 最後の結論部分、私にはあまり刺さらなかったです。

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    投稿日: 2024.10.04
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    ないものねだりと言われればそれまでだが、あれこれ「いや、これについても論じたほうがいいのでは」とサジェスチョンが浮かび落ち着かなかった(80年代のニュー・アカデミズムや週刊本、ケータイ小説や昨今のなろう系の書籍化といったトピックが該当するし、もっとありうるだろう)。だがイヤミや皮肉ではなくまっとうな・ポジティブな意味で「癒し」と「励まし」を与えてくれる本として、この時代にあってもなお「読書」がもたらしうる「教養」の意味を考えさせてくれる本として興味深い。文学や社会学のさまざまな議論と接合する誘惑に駆られる

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    投稿日: 2024.10.04
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    ■日本企業の内部症申請における評価基準は、 ①成績考課(仕事の質・量など) ②情意考課(組織の一員としての従業員の態度や意欲、積極性や協調性など) ③能力考課(習得能力、習熟能力) の3点と言われる。 ■読書は、労働のノイズになる  現代の労働環境の中で働いていると、いかに市場に適合できるかを求められる。就職活動や転職活動、或いは不安定な雇用の中で成果を出すこと。どんどん周囲の人間が変わっていく中で人間関係を円滑に保つこと。それらすべてが経済の波に乗り市場に適合すること──現代の労働に求められる姿勢である。  適合するためにはどうすればよいか。適合に必要のないノイズを無くすことである。「片付け本」がまさに現代で示す「断捨離」が象徴的であるが、ノイズを除去する行為は労働と相性がいい。自分自身を整理し、分析し、その上でコントロールする行為だからである。コントロールできないものをノイズとして除去し、コントロールできる行動に注力する。それは大きな波に乗る──つまり市場に適合しようと思えば当然の帰結だろう。だとすればノイズの除去を促す自己啓発書に対し、文芸書や人文書といった社会や感情について語る書籍はむしろ、人々にノイズを提示する作用を持てている。知らなかったことを知ることは、世界のアンコントローラブルなものを知る、人生のノイズそのものだからだ。本を読むことは、働くことのノイズになる。 読書のノイズ性──それこそが90年代以降の労働と読書の関係ではなかっただろうか。 ■情報とは、ノイズの除去された知識である  「情報」と「読書」の最も大きな際は、知識のノイズ性。  読書して得る知識にはノイズ──偶然性が含まれる。教養と呼ばれる古典的な知識や小説のようなフィクションには読者が予想していなかった展開や知識が登場する。文脈や説明の中で読者が予期しなかった偶然である情報を私達は知識と呼ぶ。  しかし情報にはノイズがない。なぜなら情報とは読者が知りたかったことそのものを指すからである。  情報とは、ノイズの除去された知識のことを指す。だからこそ「情報」を求める人に「知識」を渡そうとすると「園周辺の文脈はいらない、ノイズである。自分が欲しいのは情報そのものである。」と言われるだろう。  情報 = 知りたいこと  知識 = ノイズ+知りたいこと ■読書──ノイズ込みの知を得る  情報──ノイズ抜きの知を得る ■教養とは本質的には自分から離れたところにあるものに触れることなのである。それは明日の自分に役立つ情報ではない。明日話す他者とのコミュニケーションに役立つ情報ではない。たしかに自分が生きていなかった時代の文脈を知ることは、今の自分には関係がないように思えるかもしれない。しかし、自分から離れた存在に触れることを私達は本当にやめられるのだろうか。私達は他者の文脈に触れながら生きざるを得ないのではないのか。つまり、私達はノイズ性を完全に除去した情報だけで生きるなんて──無理なのではないか。 ■半身で働く  社会学者の上野千鶴子は「全身全霊で働く」男性の働き方と対比して女性の働き方を「半身で関わる」と表現した。身体の半分は家庭にあり半分は仕事にある。それが女性の働き方だった。  高度経済成長期の男性たちは、全身仕事に浸かることを求めた。そして妻には全身家庭に浸かることを求めた。だが現代は違う。仕事は男女ともに半身で働くものになるべきだ。半身で働けば自分の文脈のうち片方は仕事、片方は他のもの──育児、介護、副業、趣味に使える。  読書とは「文脈」の中で紡ぐもの。読みたい本を選ぶことは自分の気になる「文脈」を取り入れることでもある。  本の中には、私達が欲望していることを知らない知が存在している。知は常に未知であり、私達は「何を知りたいのか」を知らない。何を読みたいのか、私たちは分かっていない。何を欲望しているのか私達は分かっていない。  自分から遠く離れた文脈に触れること──それが読書なのである。  そして本が読めない状況とは、新しい文脈を作る余裕がない、ということ。自分から離れたところにある文脈をノイズだと思ってしまう。そのノイズを頭に入れる余裕がない。自分に関係のあるものばかりを求めてしまう。それは余裕のなさゆえである。だから私達は働いていると本が読めない。仕事以外の文脈を取り入れる余裕がなくなるからだ。 ■「働いていても本が読める」社会  「半身で働く社会」とは働いていても本が読める社会なのである。  新しい文脈を知ろうとする余裕がないとき私達は知りたい情報だけを知りたくなる。読みたいものだけ読みたくなる。未知というノイズを受け入れる余裕がなくなる。長時間労働に疲れているとき、或いは家庭にどっぷり身体が浸かりきっているとき、新しい「文脈と言う名のノイズ」私たちは身体に受け入れられない。  働きながら働くこと以外の文脈を取り入れる余裕がある。それこそが健全な社会だと思う。働いていても働く以外の文脈というノイズが聞こえる社会。それこそが「働いていても本が読める」社会なのである。 ■日本人の成功観の変遷   明治〜戦後       現代  成功に必要なのは  ⇒ 成功に必要なのは 「社会に関する知識」   「自分に関する行動」           ▼  現代において「自分に関係ない知識」はノイズ ■日本は社内資料を整えたり社内の根回しをしたり過度な丁寧さを求める職場慣行が存在する。これは「情意考課」が評価基準となる企業内部の昇進制の影響であろう。 ■働きながら本を読める社会を作るために。半身で働こう。それが可能な社会にしよう。

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    投稿日: 2024.10.03
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    感想) 胸が痛くなったのは、「好きなことを仕事に」のくだりだ。これは自己責任論と表裏一体の考え方だ。私自身は世代的に、この考え方に呪われて20代、30代を過ごしてきたような部分がある。でも、仕事はキラキラしたものではないし、仕事だけで自己実現する必要などちっともないし、だからといって仕事をないがしろにする必要もなく、適度な距離感で向き合うことが大切だ。でも、それができるようになったのはここ最近のことだ。仕事で活躍できるのは素晴らしいし、その夢を捨てる必要はないけれど、半分は楽しいと思うことを気ままにやるのも大切だと思うようになった。 今は子育てをして、仕事をして、趣味の活動もしているせいか、メンタルを健全に保てている。人付き合いなどは面倒な時もあるけど、それを面倒と思っていると何となくダメな気がしているので全部ほんのちょっとずつ頑張っている。時々読書をする余裕もある。これは幸せなことだなぁと実感した。 半身で生きることをすすめる筆者だが、仕事しながらも好きなことをする、というのがその意味だとしたら、これを叶えるには少しだけ工夫が要ると思う。筆者も言っていたように、「仕事に全力」というのは、他のことを考えなくてもよいのである意味楽だからだ。でも、少し面倒で、ノイズが多くても、1つのコミュニティーや1つの仕事に全てを賭ける生き方はやめた方がいいという考え方に賛成する。1つに賭けたら、それを失った時に全て崩壊するからだ。 筆者は読書好きで、他の文脈を読書を通じて受け取るとあったが、これは読書だけではなく、生活全般に言えることで、普段付き合いの少ない人や行かない場所に行ってみてることでも心の筋肉を鍛えることができるというのは私も実感しているところだ。 まとめ) 主張→働きながらも本を読む余裕のある社会にしていこう 論拠→現代の社会人は忙しすぎるから。好きなことを仕事にし、そこに全てをかけることがよしとされているが、それによる歪みが出てきている。 という話だと理解した。 その他) 前半の労働と読書の関係史については、この本主張とどうつながっているのか、よく分からなかったが、自己啓発本が本当のエリートにバカにされがちなくだりなどは、興味深く読んだ。

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    投稿日: 2024.10.03
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    メモ ・全身全霊でなく半身で働くことが本を読める社会につながる ・読書とは、自分から遠く離れた文脈に触れること。 ・働くこと以外の文脈というノイズが聞こえる社会へ。 仕事にのめり込みすぎた自分には、働きながら、余暇を楽しむ、ってことが身に染みる。ノイズを楽しむことが人生が豊かになると今はわかります(個人的見解ですが笑)

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    投稿日: 2024.10.03
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    令和で働く若手会社員としては2000年代以降が圧倒的に興味深いので、三宅さんにはぜひ労働と自己実現についてさらに深掘りした新刊を書いて欲しいと思う、多分出るんだろうなと思う 個人的にはノイズを受け付けなくなるから、っていうアンサーはそこまでしっくりこない 終章にかけての図が一発でここまでの流れを理解できるようになっており、会社員としても本当に優秀だったんだろうなと思う 三宅さんのえげつないインプットとアウトプットを支えているのは情報を脳内で組み立てながら格納していける能力あるいは自然とできる人なんだろうな 全身で働く不均衡とか、内面化された能力主義とかも本当にわかる、最近自分が選ぶエンタメがこの手のテーマが爆増してる 甲子園球児が日焼け止め塗らない恋愛しないを褒めるのやめろっていうくだりもめちゃくちゃわかる わかるんだけど、心のどこかで強者の理論だなと思う 佐久間さんの本読んでも思ったけど、半身で仕事をすることを説けるのは、体力と器用さ有能さを前提としていて… だって器用にこなせない人間は人より量をこなして追いついていくしかないんだよ このやり方ずっとはできないのもわかるけど… もうちょっと働いていくとまた違う読み方ができる日が来るかも

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    投稿日: 2024.10.02
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    読書、活字が好きな人に読んでほしい本。 歴史ごとの読書が好まれた理由、趣味としてどういう歴を辿ってきたのかが分かりやすく紹介されている。 そしてタイトルの通り、本が読めなくなるのかについても分かりやすい文章で伝えてくれる。 読み終わるとなるほどねとなるような本。

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    投稿日: 2024.10.01
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    □問い:なぜ働いていると本が読めなくなるのか? □答え:ノイズ(=自分から遠く離れた文脈)を頭に入れる余裕がないため

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    投稿日: 2024.09.30
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    232ページからこの章の終わりまで同意。小説が読めない時は私も疲れているし、心に入り込んでくる話は避けている。 もっとできるという心の声との付き合い方は、現在の私の課題。

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    投稿日: 2024.09.30
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    終盤から急に読みごたえが出てきた 気づいてなかったけど 選書が、自分の状態を判断する基準になると思った

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    投稿日: 2024.09.29
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    私は書籍や雑誌がそもそも好きなので、明治以降からつい最近まで、どういった時代背景のもとで人々が書物を手にしてきたのか、というお話も興味深かった。自分自身は、ここ数年かけて、不妊治療や妊娠出産のために、仕事を半分以下にして余白の時間を作り、隙間で書籍や雑誌を楽しむ人生に切り替えたので、「半身で働く」状態を実践している状態だといえる。かつては、土日も関係なく過労死手前まで働いた数年間も経験している。だからこそ、全身全霊で働く人が称賛されることの意味も、虚しさも、今になってよく分かる。そこに戻りたくはないので、これからも半身でやっていけたらと、今は考えている。

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    投稿日: 2024.09.29
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    なぜ働いていると本が読めなくなるのか。 その理由がストンと落ちた。 読書の歴史について語るところは、勢いがなくなり、少しもたつくところがある。しかし、第9章と最終章からは、著者が、働いていると本が読めない理由を明確に提示し、そのためにどうしたらいいかについても具体的に提示していくため、勢いがある文章になっている。 私自信が仕事の虫で、実際に働いていた時は仕事に関するツール本しか読めなかった。しかし、産休と育休を取得して、育児に余裕が出てきてから、本が読めるようになった。 著者の言う理由が、がっつり自分に当てはまったので、納得してしまった。 ぜひ、子育てに邁進している方にも読んでもらいたい。

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    投稿日: 2024.09.28
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    本書の指摘する「半身で働く」(もとは上野千鶴子の言葉)は、必要だ。仕事はもちろん大事だが、何より本を読んで教養を深めることが、本質的な意味で役に立つし人のためになるし、己を幸福にする。「フルコミット」への決別宣言。

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    投稿日: 2024.09.28
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    私自身は、フルタイムで働いているが本を割と読めている方だと思う。率直な気持ちとしては、仕事など週2~3日にしてもっと読書に没頭したいくらいである。読みたい本が多いのに全然読めていない。 しかし周りを見わたすと、同僚も友達も、全然本を読んでいない。 以前から私は知人に会うと「最近読んだ本で面白かったのは何?」といった質問を投げかけていたのだが、最近まともに答えが返ってきたためしがない。 「忙しくて最近は全く読めていない」「あなたは本が読めるって凄いね」「漫画/YouTube/ゲームは見てる(してる)けど本は読んでない」「本じゃなくて現実から情報を仕入れるスタイルだから」etc…といった具合である。 これまで私は、そういった読書が出来ない原因は、大体3種類あると考えていた。 1、「労働時間が長すぎる」 2、「思考忍耐力がない」 3、「ドラマやゲームなど他の趣味で余暇が埋められている」 しかし本書ではこのどれとも違う、もっと根源的な理由が導き出されている。 つい最近、偶然『花束みたいな恋をした』の映画を見た。非常に身につまされて、思わず泣いた。私は20代前半、かつてバンドでプロを目指していたのだが、彼女に「自分がやりたいことばかり追って、もっとちゃんと働いて稼げるはずなのに仕事をしようとしない」という理由で振られた経験がある。正直10年以上が過ぎた今でもトラウマレベルである。 男女の構図は逆ながら、この映画と似たような経験をしてきたのだった。 それだけに、何気なく気になって手に取った本書の冒頭から『花束みたいな恋をした』が主題として提起されていたことに衝撃を受けた。 本書では年代ごとのベストセラーや働き方、読書事情を元に「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」を紐解いていく。数多くの書籍名が挙げられているが、ベストセラーとともに、多くの社会学系の文献も上がってくる。これらの参考文献のチョイスと、それらを繋いで答えを探り、結論を導き出す流れの妙に非常に引き込まれた。 ロジックや統計のようなゼロかイチかの世界とは異なる、どちらかというとフワッとした仮説を積み重ねる形でブロックが積まれていくが、こうした形でも人の営み、社会の営みというものの根源に説得力を持って迫っていけるということに驚かされた。 私自身はとてもバランスを取る性分なもので、仕事にも趣味にも家庭にも全身でフルコミットすることがない。それが結果的に、本を読めている理由なのかもしれない。それでも、仕事や家庭に「全身で挑む」という姿勢をポジティブに受けてしまう感性というのもある。ここは社会のためにも、反省していかないといけない。

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    投稿日: 2024.09.28
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    半身で働く社会になれば、働いていても本が読めるようになるのか? 本やその他の文化的活動、労働と文化の両立について。 著者は本が好きな方で、もっと本を読もう!と他の著書で書籍の魅力を発信されている方だが、いまの世の中で半身で働けたとてよりインスタントな娯楽が溢れていて、読書で得られる知識や示唆を求めている人がどれだけいるんだろうか。 (余暇ができたら、その分スマホゲームするのかも?) 全身をやめましょうも、個人の自由に委ねるべきで仕事と私生活の境目が曖昧だが仕事そのものが楽しめて苦痛でないなら、所詮は仕事と思って全身(リソース配分フルコミット)でもいいと思う。当然、自身が関わる人との合意形成は必要だが。 また、労働と文化を対比しているが勤め人ではなくビジネスオーナーだったら働くことは労働ではない。なので、また少し話が違うのだろうなと思う。 (労働してると本が読めない、だから勤め人を前提としていると思うが) 私が著者と異なるのは仕事が好きではなくて時間的リソースが全身になっている点。 日々の徒労と疲労に包まれながら、スキマ時間で本を読んでいる。 インスタントな娯楽に身を委ねると、容易にそちらが習慣化しそうだから。 働くも本を読むも人の勝手、という社会が望ましいと個人的には思う。 (私は半身で働きたい)

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    投稿日: 2024.09.27
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    日本の労働の歴史を日本人のこれまでの読書と、どう繋がっているかを分析した本。 「わかりやすい言葉で書いてくれるから新書初心者かつ世間無知の私でもわかりやすいけれども、これを読んだ上で自分が何を知識として得たのか、それをどう活かすのかと考えると読むのが怖くなった。」 読了した後にこのメモを読み返して、今思うことは ①本が面白かったからそんな心配は気が付いたら忘れていた。 ②本から何かを得ようとするのは、著者の言葉を借りれば「ノイズ」と関係しているのではないか。 ③正直何を得たのか、どう生かせるかは全くわからないが、そもそも一回読んだだけでは全てを理解できるはずがないと気付き安心した。 ④一つの文章を書くのにここまで参考文献がいるのか?嫌だ。(現役大学生) この本を読んで1番思ったのは④だな。参考文献の量多くてキモかった(褒め)。新書初めて読んだけどこんなに多いのが普通なん? ②について。この本の言葉を借りていうと、私はこの本から何を得たのか正直現時点ではわかっていないので、今の私にとってこの本は「ノイズ」なのかもしれない。 著者は、現代人はノイズ(=得たい情報に付随する求めていない情報)を除去し、効率的に「知りたいこと」のみを求める傾向にあると分析する。知識を得るためにこの本を読んだ私は、まさに著者の思う「現代人」なのかもしれない。 「ノイズこそ読書の醍醐味だろ!」と思ってたけど、私も無意識にノイズを避ける読み方をしていたのかもしれない。ちょっとショックを受けた。 個人的に面白いなと思ったのは、その時代の売れ筋本を見ると、労働者と読書の関連がわかるところ。著者の分析力がすごいとおもった。 日本人は、その当時求められていることを、本を読んで解決しようとして、それは今も変わってないのか? 【ノイズについて思ったこと】 この本を完全に理解しきれていないから、私が今から書く疑問はすでに本の中に答えがあるかもしれないけれども、私の疑問は「著者は労働時間が長いから読書ができないと言う結論に至っているが、もし今現在労働時間が削減されたとしても、余暇の時間をわざわざ読書に使う人はいないのでは?だってスマホで知りたい情報はすべて手に入るから」と思う。 ノイズを嫌う現代人に本は合わないのではないか。「本が読めない」のは、労働時間も関係あるだろうが、「ノイズが多すぎる・もっと身近にすぐに消費できる娯楽が無数にある」からなのではないか。 最後の最後でなんか適当になったなと思ってしまった。「疲れた時はノイズから離れよう」たいな部分。ノイズから離れた結果が「本が読めない」じゃないのか?疲れから回復できないから読書離れが進んでいるんじゃないのか?と思う。 現時点で答えがない問題だからか、投げやりな印象。 昔の人は成功するためには社会の知識が必要で、今の人が成功するためには自分に関する行動。 てことはもともと読書に知識を得る以外のことは求められにくいのか?と思った。 【半身で生きる社会について】 作者が提案する「半身」の社会、私もそういう社会になればと思うけれども、作者が言っていた通り、今の社会のあり方に疑問を持つ人がなかなかいないから、実現するのには時間がかかるだろうなと。正直、時代って変わるのか?と思う。時代の変化さ数十年かけてやっとわかるものだと思うけれども。 全身全霊で仕事ができなくなった日が来ても自分を否定したくない(から、全身で働くことはしたくない)。 的なことを著者は最後に言っていた。わかる気がする。すごく刺さった。 私は常に依存先を増やすのがいい生き方だと思っていて、一つにしか依存していないと、その柱がなくなった時に自分が崩れるから。だからこの考え方すごく共感した。「全身全霊=(私の言葉で言うと)一つのことに全てを捧ぐ」、みたいなことだから、それはダメだよねと思った。 最初作者が「半身で生きる」って提案した時に「なにを言うかね」と思ったけど、自分も無意識にその考え方持ってたのかも

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    投稿日: 2024.09.26
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    時代の変遷と読書の歴史について、最初に述べている。 本が読め無くなった理由は、全身全霊で仕事をこなしているからである。半身で、いろいろなことに取り組むことが重要である。もっと読書を楽しめる世の中になるようにしたい。

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    投稿日: 2024.09.26
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    帯に「疲れてスマホばかり見てしまうあなたへ」とあっておおよその内容を想像させられてしまうのだけれども、媒体の問題なのだろうか? オーディブルで聴きながら物語を楽しむ人、スマホで本、新聞を読んでいる人もいるのではないかと感じた。しかし、明治以降の読書をめぐる考察は楽しく読めると思う。

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    投稿日: 2024.09.23
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    この著者の良いところは、テーマ選定(タイトル含む)だと思う。 タイトルに共感して手に取った読者は多いのではないでしょうか。 僕もそうです。

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    投稿日: 2024.09.23
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    話題になっていたので興味を持った。 読書と労働について。 思っていた内容とはちょっと違っていたが、後半は、なるほどと思いながら読み進めた。 最近は本よりスマホに手が伸びてしまう。 もっと読書に時間を費やしたいと思っていたので、読んだタイミングは良かったかな。 働いていても本が読める社会とは。 社会での働き方を、全身全霊ではなく半身に変える。長時間労働は必要だろうか。 そして長時間労働による、メンタルヘルスの悪化。燃え尽き症候群。 疲労社会とは、鬱病になりやすい社会のことを指す。 外部からではなく、自分から「もっとできる」、「もっと頑張れる」と思い続けて、自発的に頑張りすぎて疲れてしまうこと。 これにはハッとさせられた。 そして、他人の成功している様子を見ると、自分の努力が足りないのではないかと感じてしまうこと。自分で自分を搾取してしまうこと。 他人に対しても、全身全霊であることを強要してはいけないし、それに対し称揚すること。 半身で働ける社会こそが、働きながら本を読める社会につながる。 それが可能な社会にしようという結論。 働き方についての方がより印象に残った。

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    投稿日: 2024.09.23
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    1.この本を一言で表すと? 読書と労働の歴史を振り返り、その関係を見つめ直す事を提案する本。 2.よかった点を3~5つ ・第六章以降は自分が生きた時代と重なっており、時代背景がよく理解でき納得感があった。 ・円本の成功と驚異の初版部数(p82) →円本と言うものがあったという事を初めて知った。 ・なぜ正社員でいるために週5日1日8時間勤務+残業ありの時間を求められるのだろう。その分家事に全身を捧げていた人がいたからできたことではないのか。(p260) →仕事に全身を捧げられるのは。妻が家事を担ってくれたからに他ならない。 ・労働と読書の変遷(p239) →よくまとめられた表だと思う。著者が大量の参考図書を読み分析した結果だと思う。 2.参考にならなかった所(つっこみ所) ・半身で仕事をすると読書の時間は増えるの労働時間以外の時間が増えるが、SNSやゲームの時間が増えて読書の時間はそんなに増えないかも? ・本書は冒頭から勉強・学問と娯楽としての本漫画を区別していないからだ。(p223) →ここは区別したほうがいいのではないか? ・読書している知識にはノイズ-偶然性が含まれる。(略)しかし情報にはノイズがない。(p205) →本当にそうだろうか?情報にたどり着く間にノイズに出会うことはあり得ると思う。 3.実践してみようとおもうこと ・トータルワークをやめる。 5.全体の感想・その他 ・本のタイトルから読書の技術論的な話かと思ったが、労働と読書の関係の歴史を振り返る内容で意外だった。 ・本書の結論である「半身で働こう」は同意する。しかし余裕がきできた時間が読書以外の優先度の高いタスクで埋め尽くされる可能性は否定できない。

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    投稿日: 2024.09.23
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    2024年9月22日読了。ドキッとするタイトル。ネット記事などで著者のことは知っていたので「では、読書するためにスキマ時間を生み出すための行動変容とは?」みたいな話にはならないだろうとは思っていたが、「そもそも長時間労働当たり前・休日もリスキリングを求められる世の中で読書する時間などあったのか」「高度成長期の日本人はいったいいつ本を読んでいたのか」の問いから、読書が日本の中でどう位置づけられてきたのか、労働とは?人生とは?に関する問いと提言に至る本になるとは思わなんだ…。「がんばって時間を作って本を読む、趣味をやる」ではない、そもそも人生の時間に対する自分の考え方が問われているのだろうな…他人に与えられた時間の使い方を自分はしているだけだったのかもしれない…。

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    投稿日: 2024.09.22
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    実用書と思って読んでみたら、歴史の話が多くて想像してた内容とは違っていた。 しかし、歴史を遡る視点は面白かったので、最後まで読むことが出来た。

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    投稿日: 2024.09.22
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    読書と労働をテーマとした本。労働と自己啓発、読書の歴史の相関関係がすごいしっくりときた。 新自由主義の現代において、読書とはノイズである。情報が溢れている現代だからこそ、人々はノイズを排除し読書をしなくなっている。その通りだと思う。 著者は全身全霊が賞賛されるこの状況に待ったをかけ、半身社会を目指そうと問い掛ける。著者も述べているが、個人的には絵空事だと思うし、資本主義の否定ともとれる。ただ、理想的なではあるのて、半身社会というよりメリハリを付けた社会になればなと思う。、

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    投稿日: 2024.09.22
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    ちょっと話題の新書、もちろん初めての三宅香帆。 「大人になってから、読書を楽しめなくなった」 「疲れているとスマホを見て時間を潰してしまう」 そんな悩みを発端に「仕事と趣味が両立できない」という労働と読書の歴史をひもとき、日本人の「仕事と読書」のあり方の変遷を辿るという、面白い視点の内容です。そしてそこから明らかになる、日本の労働の問題点とは・・・? 興味ありましたら是非一読を(^_^;)

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    投稿日: 2024.09.21
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    売れてのは知っていました。だけど書名の「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」という問いに、そりゃそうだよ、と浅く反応してしまい今まで手付かずでした。しかし離れて暮らす親が朝のラジオで書評を聴いて「三宅なんとかって人の半身で働くって本、面白そうだよ」とLINEして来て、最初はなんのこと言ってるのかわからなかったけど、フッとこの本のことを思い出して「これ?」って画像送ったら「これこれ!」ってなり、こんなきっかけで読むのも悪くないかなと読み始めたら、あれよあれよと最後まで。ありがとう、お母さん。ありがとう、ラジオ。労働史と読書史を重ね合わせるという、この組み合わせが先ず新鮮です。でも冷静に考えると佐藤卓己「キングの時代」とか魚住昭「出版と権力」とかの講談社の沿革についての本には勤労青年たちの読書による社会的階層の向上への願いとかがはっきりと描かれていました。この新書の新しいとことはそれを歴史にしないで現代と繋げているところだと思います。冒頭に出てくる映画『花束みたいな恋をした』のカップル絹と麦のゴールデンカムイ(本)とパズドラ(スマホ)のすれ違い、という着眼に引き込まれました。この二人の違いが、趣味の違い、労働環境の違いに留まらず、出身の社会階層の違いをも顕にする時、読書史×労働史=社会構造史になるのです。個人がお風呂で漏らすような「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」というつぶやきがダイナミックに現代社会の問題に昇華される面白さを満喫しました。この感想、きっかけを作った親には伝えられるかな?伝えられないだろうな…

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    投稿日: 2024.09.21
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    読書の変遷を労働の観点から考察した文章を読むのは初めてだった。明治時代まで遡っているので、その時代背景を理解する必要もあり知識がない自分からしたら内容が濃すぎたが、文章がとにかく読みやすく、手が止まらなかった。しかも、それでいて理解できる。労働と読書がここまで密接に関わっていたというのは驚き。 理由は本書に委ねるが、これを読んだ後にぜひ「花束みたいな恋をした」を見て欲しい(笑) ただの恋愛映画だと思ってあまり興味が湧かず上映当時は観なかったが、思わずレンタルして観てしまった。あー、これ書いてあったシーン!と恋愛模様そっちのけでとにかく楽しんでしまった。 最後の半身で働くという主張は、『わたし、定時で帰ります。3―仁義なき賃上げ闘争編―』に出てくる生活残業問題と関わりがある話。生活残業とは何かが気になった人は読んでみても良さそう。

    0
    投稿日: 2024.09.20
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    本来読書と言うのは楽しいモノだった筈で娯楽的要素もたっぷりあって謂わばパチンコや麻雀などと同等であったかもしれない。 それがいつの間にか高尚な趣味になり仕事にこそ活かすべき風潮となり読むべきモノや読んでおかなければならないモノになってしまった。 もう一度純粋に楽しむ為に色んな事を半身で構えてあの集中して愉しかった時間を取り戻そう。

    11
    投稿日: 2024.09.20
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    三宅さんの文章や着眼点は面白いのですが、私は「いかに時間のない中で、本を読むか」の答えをこの本に求めてしまいました。 その答えが、この本の中にあるのかもしれませんが、前置きが長く途中でギブアップです…。

    4
    投稿日: 2024.09.20
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    飛ばし読みをしてしまったが、なぜ働くと本が読めなくなるのかの結論に至るまでの論の展開がおもしろかった。 花束みたいな恋をしたなど多くの映画、書籍の引用をしていた点が、繋がりを感じることができて納得感を得た。 生活をする上で労働はなくてはならないものだからこそ、 労働に対する心の持ち方、全身全霊で仕事をしないっていうことを大切にしたい。 視野も狭まるだろうし。 頭の中や時間の使い方をうまくやっていきたい〜 読書というノイズをたくさん得て、新しい感情、思考、教養に触れ続けたいと思った。

    0
    投稿日: 2024.09.20
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    話題になっている本なので読んでみたら、予想以上に興味深く、いろいろなことを知り、かつ考えさせられた。明治まで遡って、「読書が社会の様々な階層の人々にとってどういう位置づけにあったのか」の変遷は、今まで読んだことのない視点であったし、現代社会において読書はノイズに他ならない、という指摘も斬新だと思った。読書離れが盛んに語られる今こそ、このような本がより多くの人に読まれてほしい。

    0
    投稿日: 2024.09.19
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    労働と読書について、明治から現代までの日本人がどんな風に関わってきたのか。 歴史を紐解きながら、現代の自分につながる文脈を実感することができた。 これこそ読書のノイズの楽しみ! 著者が最後に提唱する「半身社会」、ぜひ実践していきたい。 私個人の感覚で言うと、3分の1くらいがちょうどいいかも…(笑) 仕事、育児、趣味の3本柱で、バランスよく生きていきたい。 半身社会の実現に協力します!!

    6
    投稿日: 2024.09.18
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    このレビューはネタバレを含みます。

    『ファスト教養ー10分で答えが欲しい人たち』 「花束みたいな恋をした」映画を題材にしている。 日本では明治時代から残業が当たり前だった。労働組合が弱く、割増賃金が魅力。 明治時代に黙読が普及=句読点の使用が普及。図書館が登場。 『学問のすすめ』は明治初期のベストセラー。公的な流布が行われたから。『催告立志編』スマイルズの自助論の翻訳が本当のベストセラー。 明治時代から自己啓発本は売れていた。 大正時代、読書人口は爆発的に増大。再販制度が導入。サラリーマンが誕生。立身出世を目指すための教養、修養が必要だった。 円本の登場=1円で毎月全集が買えるサブスクリプション。インテリアにもなる。積読のはしり。文庫もこの時期のアイデア。 東京オリンピックのころは労働時間が最多。 『英語に強くなる本 教室では学べない秘法の公開』がビジネス書のはしり。カッパブックスなども同時期。 教養よりも直接的な知識を提供する本。 企業の終身雇用、年功序列、職能資格給などの制度が、自己啓発を重視する文化を創った。 明治時代は、階級制度から官僚国家への移行、昭和は会社がその役割を果たした。 若者の読書離れ、は40年前からあった。 明治時代は、学歴コンプレックスから教養を求めた。80年代以降は、教養よりも実用的知識が求められている。 朝日カルチャーセンターの任期。芥川賞作家の誕生。今はyoutubeのオンライン大学。 『脳内革命』で行動重視の自己啓発書ブームが起きた。内面よりも行動を指南する本。波に乗らなければ成功できない時代。 自己啓発書は平成に入って急増。コントロールできない事象は捨てて、行動できることに集中する=ノイズを排除する。 ゲーム、インターネットはコントローラブル、読書はノイズだらけ。 世俗的な成功を目指せなくなり、好きなこと、やりたいことを目指すべきという教育が始まった。その結果自分探しに邁進するニートを生み出した。 インターネットの情報は自己や社会の複雑さを無視する=ノイズのない情報を提供する。 インターネットと自己啓発書の共通点は、社会的階級を無効化する。自分のコントロールできない事態には目をつぶらせる。 過去や歴史とはノイズである。情報はノイズの除去された知識である。知りたいだけを直接知ることができるから、インターネットを見る時間はあるが本を読む時間はない、ということになる。 ファスト映画の登場は、映画の役割を鑑賞物から消費物に変えた。鑑賞ではなく情報収集。 仕事以外のノイズを受け入れること=本を読むこと。仕事以外の情報を取り入れる余裕がなくなる。 シリアスレジャー。 強制されていないのに、自分で自分を搾取する社会=新自由主義。自ら戦いに駆り立てる。自己実現の奴隷の結果、うつ病になる可能性がある。 内閣府のワークライフバランス憲章でも、余暇を新しい公共(ボランティアなど)へ使うべきという誘導がある=トータルワークと同じ。全身全霊が尊ばれる社会。阪神社会こそが今求めるべき社会=週3日労働など。

    0
    投稿日: 2024.09.18
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    このレビューはネタバレを含みます。

    明治以降の読書史に触れながら現代人の読書について憂いながら解決策を模索していく本。 私自身、自己啓発本を買っては本棚に納めてそれを眺めることに満足してしまい反省していた。 今回はその根本原因を見つめ直したく購入した。 名著の集約本である全書の登場のくだりは、時代問わず結局、コスパ・タイパを重視されてきたというのがわかった。 最終的な著者の見解は全力文化を捨て、半身文化を定着させ読書に時間を回そうというものだが、最近は静かな退職というキーワードが出回っている通り、若者を中心に仕事に全力投球という時代も終焉を迎えつつある。 私は著者と同年代で短いながらも社会人を経験した。 その上で働きながら本が読めないのはなぜか?ここからは本書を読んだ上での私の持論となるが、 読めないというより読まないに近いのではと思う。 例えばYouTubeやflierなどの要約動画やアプリの登場でわざわざ自ら読む必要がなくなった。 多様な趣味趣向が生まれる現代において、時間だけでなく脳内のキャパシティを奪う読書(主に活字)は純粋に時代にそぐわなくなっている。 もちろん著者の言う通り、半身で働くことでゆとりが生まれ読書に費やす時間も増えるとは思うが、生まれた可処分時間をそのまま読書に充てるかどうかは別問題である。 結論、時代に合わせたテーマで魅力的なコンテンツを発信し続けるか、引き続き要約などで形を変えていくしかないと思う。 本書がベストセラーになったのも、本を読まないといけないという社会人の潜在的な義務感や焦燥感があってこそだと思うが、それがあるうちは安泰だろう。 書籍はその時代を映す鏡だと思うし、将来は今日発売された書籍も古典文学という扱いになるわけで、もしかすると本という概念もなくなるかもしれない。 全てのコンテンツにいえることだが、時代に取り残されずに時流にあわせられるかが肝だと思う。 その点書籍は実用書や小説、漫画、雑誌と多様な形態があり今後もさらなる進化が見込める。 もしかすると、小説を読んでいる時の脳内のイメージが生成AIでイラスト化されながら、物語が進行していくなど新しい発明もあるのでは思う。 新しい未来に期待しながら、良い未来を作るためちゃんと読書を継続していこうと思う。

    0
    投稿日: 2024.09.18
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    「半分戦略」 この本で提唱されている「半身社会」という生き方と近いことを私も考えていました。 2つの分かれ道で悩んだら半分づつやってみるという作戦です。 仕事と遊び。未来への投資と、今を楽しむこと。自分の時間と、家族の時間。 私は一つに絞ってしまうと苦しくなります。仕事一筋で頑張ってしまったのが適応障害の原因だったと思います。 辛いことを頑張ったら、半分の時間とエネルギーは逃げ道として残しておきたいです。

    7
    投稿日: 2024.09.18
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    各年代のベストセラー本のタイトルを懐かしく思います。 私は2週間毎に図書館へ通い、目に止まった新刊を借りています

    3
    投稿日: 2024.09.18
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     たいへん面白かったです!うん、うんと共感すること多々ありました。「花束みたいな恋をした」も見ましたが、そこからの入りも見事だったと思います。司馬遼太郎、村上春樹、自己啓発とひと通り読んできましたが、世の流れ?ベストセラーを読んできただけかもと思いました。  仕事が忙しいとノイズを入れたくないから、読書は積ん読状態。映画もアート系よりは分かりやすいアクション系に流れがち。全身全霊で働く社会から半身社会へ。そんな理想的な社会がいつか来ますように…

    7
    投稿日: 2024.09.18
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    最後まで読んだけど、タイトルに掲げられた現代の問題を解決するために、歴史を明治時代まで遡る必要はあったのかな? 読んでいて、少し退屈だった ただ、結論部分の「半身で働く」というのは参考になった 自分自身もサブカルが好きなんで、たとえ勉強や仕事で忙しくても、読書や映画を楽しみたいと感じた

    1
    投稿日: 2024.09.17
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