Reader Store
なぜ働いていると本が読めなくなるのか
なぜ働いていると本が読めなくなるのか
三宅香帆/集英社
作品詳細ページへ戻る

総合評価

1274件)
3.8
296
458
332
62
9
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    読書は想像以上にエネルギーを使う。仕事から疲れて帰ってきて、スマホを見ることはできても本を開こうとは思えないことは多々あった。それは当たり前のことだと思っていたけど、本書を読んで、いやそれって全身全霊で働きすぎだなって思った。 『仕事は所詮仕事だよ!仕事に熱中することが偉いことだと思いたくない。なぜなら、仕事に熱中しない自分を否定したくない。仕事が好きで長く続けたいからこそ、余暇で読書が楽しめるくらいの半身で働きませんか』という筆者の熱い提言に胸を打たれてしまった。働き方変えるべき。遅くまで残って、必要以上の業務をして、自己満足するのよくない。最低限の業務をして、心に余裕を持っていつも笑顔でいたい。 新書というと堅苦しく読みづらい印象を受ける人が多いだろうが本書はそうではなく、親しみやすい文体で書かれていて読みやすいのではないか。

    10
    投稿日: 2025.01.18
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    花束みたいな恋をした、を視聴しているかどうかで楽しみ方が変わってしまう一冊だなと感じました。大半は明治以降の時代における読書の位置付けやトレンドの解説であり、最終章とその前の章でタイトル回収しております。

    1
    投稿日: 2025.01.16
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    疲れるまで頑張らないと、成果は出せない もっとできる、もっとやれるという自己搾取 全身全霊を賛辞する社会をやめないか 半身で、にわかで、いいじゃないか 疲れすぎて他の文脈(考え)を受け入れる余裕がない 確かにね。頷ける。 でも、私は余裕があるから、本が読めているのだろうか? 本を1年に200冊近く読んでいると、よくそんな時間あるね、3人も子育てしてて、フルタイムで仕事しててとか言われる。 本を読む時間自体が、面倒で大変なものって思ってるからそういう話になるのかな? 私にとっては本を読むことで、旅行した気分になったり、気分転換やリラックス、新しいものを知る楽しみを感じているから、全然無理してる感じはしない。 スマホのゲームに没頭したくなっちゃう時もあるけど、ふと振り返って感じる虚しさが嫌でダウンロードしないことにした。 でも本当に燃え尽きてしまっている人は無理なのかも。みんなが読書を楽しむ余裕がある世界になればいいというところに、激しく共感。

    1
    投稿日: 2025.01.15
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    労働と読書の歴史を絡めながら日本人の「仕事と読書」のあり方の変遷を辿る視点が面白かった。働いていると本が読めなくなる原因にある社会構造の解説にも納得。これからも"半身”を意識しながら読書を楽しみたいと思う

    3
    投稿日: 2025.01.14
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    タイトルを見てぎくっとなった。 まさに自分のこと。時間があるはずなのに、読書に充てられずにスマホばかり見てしまう。その答えがこの本の中にあった。筆者が提唱する半身の生活、ぜひとも私も取り入れたい!

    3
    投稿日: 2025.01.13
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    かつてからぼんやりと思っていた自己啓発本に陶酔することへの違和感などをしっかり言語化してくれている。自分がそうなので。笑 「全身」で働くことの危うさを語ってくれている、自分を守るための本だと言える。「一生懸命」とか、「全身全霊」で時間を費やしてくれることは、会社も、出版業界も、ゲーム業界も望んでいる。それにほいほい思考停止に全力注ぐと自分が壊れるのは必然だ。もし、今の仕事がなくなっても自分。自分のアイデンティティが喪失するわけではない。様々なことに「半身」な態度でいることが自分らしく生きれると教えてくれた希望に溢れた書である。

    2
    投稿日: 2025.01.13
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    自分は本を読む時間がないと思っている人にオススメ。 【概要】 ●明治から2010年代までの労働と読書の歴史 ●インターネットと読書の関係 ●自分とは関係のないノイズを受け入れるということ ●健全な社会とは ●半身で働く 【感想】 ●最初は読んでいてつまらなかった。というのも想像していたものと異なる内容だったからである。しかし7章あたりから読書というものの本質を読み取れるようになってきて面白くなってきた。 ●自分が読書好きであるもののなぜ自分は読書をするのか、これまで言葉で説明することができなかった。本書はこの疑問を解決してくれたような気がする。 ●そしてこれからの自分の仕事への取り組みに対する意識の持ち方を改めて考えさせてくれる内容でもあった。

    7
    投稿日: 2025.01.13
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    働きながら本が読めている自分が、この本を購入して読んでいるのは不思議な気もしますが、そこには、そうではない人達との違いは何かを知りたいという欲求があったからでしたが、そのヒントや答えが書かれていました。 ベストセラーとなる本に、当時の働き方や世相が大きく関わっているという事が非常に興味深く、今後、今売れている本が何を表しているのかに注目していくと思います。

    6
    投稿日: 2025.01.12
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    よかった 半身で働く、いい軸だと思った 読書はノイズ 読書によって自分の働いている文脈とは異なる文脈を取り入れるのは大変だという話

    1
    投稿日: 2025.01.12
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    学生時代も何だかんだで本が読めなかった自分。 意外と働き出してからの方が読んでるかも。 でも平日仕事後終わってから本を開くと、眠くなるから休日にしか読めない。読みたいけど。 ってゆう生活から、タイトルに共感して読んでみました。 読書と労働の文化の変遷を辿り、人々がどう読書と向き合ってきたか。 読書できないのにSNSは見れるのは自分が求めている情報が無駄なく入ってくるから。 疲れていてもできること。 働きに掛ける労力を少しでも減らす、思考の切り替え方…色々考えさせられる。

    14
    投稿日: 2025.01.12
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    話が長い。読書はノイズ。半身労働。いろいろ述べているが、 私は余裕のない生活をしてるから、本が読めなくなるんじやないかと思う。

    1
    投稿日: 2025.01.12
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    タイトルだけ見てまぁ巷にあふれる自己啓発本のひとつかな...と思っていたが、読んでみたら全くそんなことはなく、まるでその時代を生きてきたかのようにしっかりとした労働と読書の歴史分析がなされていて、とても読み応えがあった。これは確かに話題になる本だなと思った。著者の別の本も読んでみようと思う。

    1
    投稿日: 2025.01.11
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    学生時代にはたくさん本を読んでいたのに、最近は仕事に関係しない本を読むことが少なくなってしまったなと思い、購入しました。 文章が上手かどうかはさておき、色々と自身を振り返りながら読める面白い本でした。    実はかなりの部分は読書の歴史に関する記述、本書の言い方を借りるとノイズ的な情報を得るパートでした(ある種タイトルで得たいと思っていた情報ではない内容をいい意味で筆者の意図に沿う形で読まされました。 読書の役割はその時々の社会情勢に応じて変化しており、自身という短い歴史の中でもインターネットによる情報との関係性から読書の目的が変化していたかもなと振り返ることができました。 最後には現在の社会構造がノイズを嫌う社会を作り出しており、またノイズを取り込む余裕がない社会からの脱却を提起して終わるというタイトルとは異なり社会学的な議論で終わった点も興味深かったです。 仕事に全身を傾ける生活からの脱却は難しいですが、少しでもノイズを取り込めるような余裕を持ちたいものです。

    7
    投稿日: 2025.01.11
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    なぜ、スマホゲームはできるのに読書はできないのか。 時代によって変遷する読書の意味。ノイズなのかな。 仕事や家事で全身全霊になると、読書まではいきつけないのは事実。読む余裕がない。何事も半身で。余裕を持って生きることが大事。 やりたいことを仕事にしないとって時代に進学・就職で、その考えに縛られすぎてたって気づいた。

    0
    投稿日: 2025.01.10
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    読書と労働者との関係性の変遷という外的なノイズを読みながら、読書という行動を知ることで今の自分の状況にも向き合うことができ、とても満足した。 また、昔どこかで聞いたせいで、新書は廃れゆくものだと思い込んでいたが、たくさんの魅力的な引用があったので、新書へのポジティブな気持ちを取り戻せたことも嬉しい。 書きながら自分の文章力の無さが悲しくなってきたので、文章力を上げるのに有効な本をどなたか紹介してください、、、

    6
    投稿日: 2025.01.09
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    1~8章が日本の労働史と読書との関係、9章以降が表題に迫る内容。 自分自身ここ数年(特に子供が生まれてから)、本を読む機会が一気に減り、情報を1.5倍速の動画から得ることも多くなっていた。まさしくアンコントローラブルなものは捨て置き、ノイズを含まない情報を求めていたんだろうと思い妙に納得した。 一方で本書を手に取った時点で、それを良しとしない自分もいたのだとも認識した。 ◇自分から遠く離れた文脈に触れることーそれが読書なのである。そして、本が読めない状況とは、新しい文脈をつくる余裕がない、ということだ。自分から離れたところにある文脈を、ノイズだと思ってしまう。そのノイズを頭に入れる余裕がない。自分に関係のあるものばかりを求めてしまう。それは、余裕のなさゆえである。だから私たちは、働いていると、本が読めない。

    1
    投稿日: 2025.01.09
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    働いていると読書は娯楽より自己啓発や情報収集としての位置付けが強くなる。また時間や体力的に余裕が無くなると、新たな知識、意図しない情報に触れることを避ける。それらの事から読書を敬遠する。という考えについて、まぁそうだよな。と思う。その考えからすると、お手軽に学べる啓発本が、書店の目に付くところにあるのも納得。まあ、読書に限らずその考えは当てはまると思うし、そんなに余裕ない休め。という著者の考えには同意。個人的には読者は娯楽で、読んだ本の情景などを想像する事が好きなので、まだ心に余裕がある方なのかなと思いたい。

    0
    投稿日: 2025.01.09
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    半身で働くことが、色んな問題を解決することに気付かされた。自分自身が今、全身全霊で働いて体を壊して療養中だからこそ身に沁みた。 著者の方が同世代だから言葉遣いがしっくりきた。

    1
    投稿日: 2025.01.08
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    新書は読む前からハードル高いなって感じるけど、とても読みやすく、仕事と読書の変遷、時代ごとのベストセラー本の特徴をまとめていて面白かった。 働きながら本を読める社会の実現のために、「半身」の働き方を提案している。何事にも半身

    3
    投稿日: 2025.01.08
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    この本は前半の「ノイズ」と後半の「エッセンス」に分かれていると考える。私たちは、普段ネットで欲しい情報をダイレクトに得る作業に慣れてしまい、自分と関係のない文脈を拾い上げ、玩味するという楽しみを忘れていると気づかされた。この話の結論は、「全力で仕事をするのを辞めましょう」であるが、そのエッセンスを取り囲む多数のノイズにこそ、含蓄に富む、人生を豊かにするモノが含まれると気づいた。本書では、読書史がノイズにあたる。それを除いたとて、エッセンスは伝わる。しかし、そのノイズこそが尊いのだと感じた。

    57
    投稿日: 2025.01.07
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    あとがきが一番共感できたし心にストンと入ってきた。 全体としては、近現代史を読書を切り口にして振り返り考察している内容。なるほどと思う部分はある。 自分自身は働いているし、どちらかというと本も読んでいる方なので、そうかもなぁ、くらいな感じ。

    1
    投稿日: 2025.01.06
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    非常に読みやすかった。 確かに「花束みたいな恋をした」の麦くんのセリフは私も頭を殴られたかのように覚えている。また、読みながら宮崎駿が言った「僕は仕事のしすぎで気がふれることは誉だと思ってたんです。けどなってみると何のいいこともない」というセリフが後半チラつきました。 エーリッヒフロムの「自由からの逃走」を読み「本当にやりたい事に向き合わず、社会の欲望や理想に流されて安定した職についたな」と自覚した後に本書を読むことが出来て良かった。 ライフワークバランスがいい、半身で働けそうな会社を自分で望んで選んだはずなのに、同期が自分より遥かに残業していると焦る…。「全身全霊」で「自己実現のために」働いている姿がカッコよく見える…。まさにそんな時期にこの本に出会った。 全身全霊で働くことで「本当にやりたいことはなんなのか?」という自己への問いかけから逃げたいのかもしれない。 私は「自分の本当にやりたいこと」として仕事を選んだわけではないものの、ある程度出世意欲もあるので(というか出世することで仕事を好きになりたいと思っているのかもしれない)、その分他者からの評価が気になる。そして私を評価する人の殆どは「全身全霊で働いて今の地位を築いた人たち」だから、半身で働きながら出世できるものなのか、余計に彼らの目が気になる。 半身で働くことの理想は理解できるし、そうでありたいと思って働き始めたが、意外にも私の中に「全身全霊」や「上昇志向」への憧れと称賛の感情が根強いので、実行するにはかなり葛藤があると思った。

    1
    投稿日: 2025.01.06
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    日本の労働と読書の立ち位置の歴史から現代人の読書する時間のなさという問題にメスを入れている。 スマホ等のファスト教養=欲しい情報のみ 読書=欲しい情報+偶発的、意図しない「ノイズ」 という構造を理解した上で、また現代人が労働に抱いている価値観を理解した上で、読書に向き合うことがまず第一歩。

    2
    投稿日: 2025.01.05
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    話題の書。 買う気はなく、評判だけ聞いていたが図書館にあったので借りた。 新書というだけで読む心理的ハードルが上がるが、私の後にも借りる予約をしている人がいる。返却を延長出来ないのでそれまでには読もうと、いつも以上に気合いが入る。 昔、本を読む時は音読が主流というのは知っていたけれど、それが明治まで続いていたなんて知らなかった。 最近「人間学のすすめ」というけっこう昔の本に目を通しているが、大変読みにくいと感じるのは自然な感覚だったのか。 前に古事記を読んだ時に、昔の言葉の音の響きを感じたくて最初から音読するつもりで読んだことがある。あれは自然な対応だったのか。 今になって納得した。 人間学のすすめも、その他にも読みにくいと感じた本は声に出して読むようにしていたが、それも当然のことだった。 今度からは明治以前の出版本の場合は意識して音読しようっと。 図書館が各地方に出来たのが割と最近で驚いた。 父方の祖母が大正生まれだから、その頃に図書館が増えたのか。 この本とは別の話で、私の親は軽度毒親で、それは地頭の悪さから来ていることも原因の一つだと思っている。 地頭の良さは遺伝が半分、環境が半分と聞く。両親のどちらの祖父母も田舎育ち、話を聞く限り、地頭は低い部類だと思う。 大正時代とか、今より公共整備が整っていない時代に自分の知らない世界を知ることは相当難しかったんだろう。 当時でさえ、初めはインテリ層がようやく好きな本を選んで読めるようになったというのだから。 遺伝で半分決まり、環境も自分で変えられないときたら、両親、そしてその祖父母がああいう人物だったのはものすごく納得出来る。 そして、当時頭が宜しくない人(発達障害や知的障害なども含む)が、今目の前にある現実以外の世界を知ろうとすることは、そもそも地頭が良くないとそんな発想すら思い浮かばないし、浮かんだとしても本もろくに読めない環境なら、人間として変わる、変えるきっかけなんて無いまま生きることになるんだろうな、と感じた。 なんか全くこの本の主旨とは違うところで思いを馳せることになった。なんだこれ、おもろい。 タイトルの答え回収。p176辺り。 ノイズ、と言語化されてしっくりきた。前々から違和感は感じていた。 YouTubeて本要約チャンネルが流行ったり、オーディブルのような聞く読書が出てきたり、電子書籍が普及したり。 どれもネットと同じ、情報としてしか見ていない。 本を読む、それだけで1人の人間の話を聞くことになりうるし、今と全く違う世界を体験することになる。 働いていると、怖いもんね。そんなこと。 1日8時間が正式な労働時間のように思われてるけど、8時間は長すぎるよ。5時間しか働いていない私でさえ、生活を維持しながら本を読むことを含めたやりたいことをやるには時間が足りないもの。 理想は、働いている感覚がないほど自分にマッチした働き方をするか、短時間で高額稼げるか。どちらも雇われたと無理なんだよなぁ。 本を情報のひとつとして見るのは、結論を急ぐ空気からも感じたこと。 この本で言うなら、なぜ働いていると本が読めなくなるのか?の問いに対する答えは何ページに書いてあるの?ってことを気にする人がネット上を見てると多いなって感じる。 ブクログの感想でさえ、感想を書いていない人がいる。 私は自分が読んだ本を他の人はどう感じたんだろう、って気になるから、ネットで他の人の感想を読むの楽しみにしてるんだけど、特にビジネス書なんかは本の内容をまとめた文章しか書いてない人がいて、それを見るたびにがっかりする。 いや、あなたはその本を読んでどう思ったの?って、そこが知りたいのに…って勝手に。 他の人の感想を見ることで、ほう、そんな受け取り方もあるのか、とか、そこが気になるのかー!とか、1冊の本を1倍以上楽しむことが出来るから。 動画でも、音声でも、テキストでも、文字の羅列は新世界を味わうものではなくてその時の自分にとって必要な情報を得る手段になってる。 それがこのタイトルの答えだと思う。 昔、スプートニクの恋人だっけ?ノルウェイの森だっけ?どっちかを読んだ時に、1週間くらい意識がポケーっとしてた。物語の中に漂ってて。 純文学?とか衝撃の強い小説とかを読むと、日常生活がままならなくなってしまう。だから、本を読むが出来なくなるのは分かる。本を読んだくらいで、いちいち仕事が出来なくなるのは困るもんね。 でも、本は読みたいよなあ。 まえがきと第7章以降に急に口調が砕けて、なんなんだと戸惑う。間の硬い分析の文章はどうした。 時代別に文脈を分析して遡っていって、働いていると本が読めないのはなぜか?の理由を探っているように見せかけて、めちゃくちゃ半身で生きることを推奨してくる本だった。 うん、考え方としては同意よ。 ただ、週3の例えば5時間勤務、とかだと、私の働いている職種だと給料が安すぎて生活出来ないんよ。 半身社会を実現させるなら、最低賃金を2000円とかに上げてもらう必要がある。それかベーシックインカム。 賢い人、要領がいい人、ツテがある人、若い頃に努力してきた人なんかは時短でも充分生きていけるくらいの収入を得られるだろうけど、そもそも努力が出来ない事情の人も大勢いる。 そういう人が立ち直るまでには、最低賃金を上げるよりはベーシックインカムの方がいいのかなあ。 私も理想は半身で生きること。

    1
    投稿日: 2025.01.05
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    色々なソースをもとに内容を膨らませてくれるので、割としっくりくる内容。同い年なので応援したい気持ちが芽生えました。 何事も「半身」で取り組むといいみたいです。 僕は「適当」に取り込もうと思います。

    2
    投稿日: 2025.01.05
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    全身全霊ではなく、「半身」で働くことを目指す本。 働きながら読書ができる生活とは、労働と文化が共存できる、「余裕」のある生活。 現代は新自由主義の時代であり、自己決定•自己責任の名の下に自己の行動を変革していくことを重視する傾向にある。そのため、知識や他者の文脈を得る「読書」は遠回りでノイジーであり、手っ取り早く求めていることを知ることができる「情報」が重宝される。 だけど、他者との関わりなしに生きることができない私たちは、他者の文脈を知ることなしには豊かさを享受できない。「読書」などで自己とすぐには結びつかない教養を求めることが、自身が文化的な暮らしをすることを助けてくれる。 労働と文化が共存する世の中にするために、 徹夜で働く人のことも、バーアウトするほど熱中するクリエイターのことも、恋愛もせず一心不乱に球を追いかける高校球児のことも、賞賛しない私でありたい、と著者は訴える。 私自身、仕事と子育てと、家事と夫婦生活と、友人との時間と趣味と、ひとり時間を「半身」で楽しんでいる。 全身でない人を責めたくない、全身でない自分を見下したくない。 だからとても心に沁みた一冊。

    2
    投稿日: 2025.01.05
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    想像以上に内容が濃く、めちゃくちゃ面白かった。その時に流行った文化(映画やドラマや本、SNSや流行語)から、歴史的背景を読み取るような考察が大好きなので、具体例を挙げつつ読書史を振り返ってくれる内容に感激。 タイトルから想像するライトな印象よりもだいぶヘビーだったけど、決して読みにくい訳ではなく、期待以上という印象。 情報は、知りたいことだけを得る行為。 読書は、知りたくないことも得る行為。 強制されていなくても自ら頑張りすぎてしまう新自由主義的な現代社会では、すぐ自分の役に立つか分からない知識までを受容する余裕がない。 こうした社会は常に「全身」で挑むことを美徳とするが、それはオーバーワークによってメンタルヘルスを蝕む病を増産してしまう側面を持つ。 だから、全身で仕事に身を費やすことや無理することを称賛するのは辞めませんか? 今すぐに仕事を全力で頑張らなくすることは現実的に難しいと思う、でもせめて無理して頑張ることを美徳としない意識を持ちませんか? そして持続可能な本が読める社会、(余裕のある社会)になればいいな。 ということが著者の主張だと思った。 難しい過去の著作の文章などを引用しながら、それを分かりやすく解説してくれていて、重厚な内容なのに読む苦労みたいなものをあまり感じずに読み進められた。とても面白かった〜! 著者の他の本も作中に出てきた本も色々読んでみよう。著者が望んでいる読書する人や機会が増えること、私も著者のおかげでまんまとすることになりそうです。

    3
    投稿日: 2025.01.05
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    本書は自分が読書をする理由を言語化してくれた気がします。 前半では社会情勢と読者層の変化に応じた読書の位置付けの変遷が説明されており、私が自己啓発目的で行う読書と近いものを感じました。 後半はメディアの登場による読書の効能の再定義かと個人的に理解しました。単純に忙しい日々において読書時間を確保するだけでは読書はできず、自分が欲しない情報を敢えて浴びるマインドがセットになるということは納得です。 本書をきっかけにして、多様な気づきを得る楽しさを期待して読書習慣を始めようと思います。

    0
    投稿日: 2025.01.05
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    まあ、言わんとすることはわからなくはないが、、 読書が大衆の娯楽では無くなってきたということと、娯楽が増えたということなんだろうなと思っている。

    1
    投稿日: 2025.01.04
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    タイトルの"なぜ働いていると本が読めなくなるのか"に対する理由だけでなく、どうしていったら良いのかという著者の考え方もしっかり書かれていて良かった

    3
    投稿日: 2025.01.04
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    歴史考察が中心です。この点、私が期待していた内容ではありませんでした。 仕事と余暇のバランスをとることは、なかなか難しいですね。

    1
    投稿日: 2025.01.04
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    最初にベストセラーになっているのを知ったときは自己啓発本の一種かと思ったが、そう思うような感覚への筆者の分析、主張があり、学びになりました。 文脈増やしていきたい派。

    2
    投稿日: 2025.01.02
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    働くことに対して無意識のうちに、いろんな〇〇であるべき、という感覚が自分を縛り付けているのかもしれないなーと再認識させてくれた一冊。たとえば、働く=自己実現、成長、好きなこと、などなど。だから働くと気持ちに余裕がなくなってしまい、本来なら、ただ楽しめるはずの読書に、時間を費やすことができなくなる。全身全霊で働くことを美化せず、半身でいい。人生一度きりだ、楽しむことを優先!もっと肩の力を抜こうと思った。

    5
    投稿日: 2025.01.02
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    前半は読書史が書かれていて、思ってたのと違うな〜と思っていたが、途中で辞めなくてよかった…! 「思っていたのと違う」と読書をやめることは、後半で語られていた「ノイズのある情報」を削いでしまうことなのかも。 私はまだ社会人ではないが、現代社会で生きていくヒントが書かれていたと思った。

    2
    投稿日: 2025.01.02
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    オーディブルで読了。 タイトルの問いには私自身も心当たりがあった。 忙しくて本を読む時間がないな〜と思いながらiPhoneのスクリーンタイムの機能を使ってみるとSNSやYouTubeに多くの時間を使っていた。 前半部分は日本の読書史と労働史についての内容。内容自体は興味深いものであったがタイトルの答えが提示されないため再生速度を上げていた。後半でファスト教養や読書にはノイズが含まれるとの筆者の考えに触れるにつれて私の心の中にタイトルにある問いの答えがあると気付かされた。 戦前戦後の労働と読書との関係から現代人のSNS、スマホゲーム、ひろゆきに至るまでいかに労働者が労働に時間を奪われながら教養を求められるまでの過程が面白かった。

    0
    投稿日: 2024.12.31
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    面白かったです。 本と仕事の本です。 本は「労働」と深く関わり合ってきた歴史があること,興味深いです。 中学生ぐらいの時に初めてすごく面白い!と思った本も本書でも登場する自己啓発書でした。それ以来生きるヒントを教えてくれるものが私にとっての本でした。 SNSで話題だったことからずっと読みたいと思っていた本書を年の瀬に(仕事がひと段落し,読む余裕ができたため)読むことができました。 本好きにとってすごく楽しめる本でした!

    3
    投稿日: 2024.12.31
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    ○きっかけ 自分の思うように本が読めなてないという悩みがあった。まさにそこにアジャストさせてきたと思わされるタイトルに惹かれて手に取った。 ○読書史✖️労働史 明治時代から現代まで、その時代の労働について学べ、さらにその時代の読書がどうだったか学べて面白かった。 たくさんの文献をもとに評論されており、深さがあり、読み応えがあった。 ○全身全霊を辞めて半身でいること 「働いていても本が読める社会になってほしい」という著者の熱意が伝わってきた。著者も本が好きなのに働いていると本が読めなかった経緯がある。 著者が提案している働くことに対して全身全霊を辞めて半身であること、もう一つの半身で読書を通じてさまざまな文脈に触れること、を心掛けていきたい。 2024年は仕事にほぼ費やしてしまったが、この本のおかげで働くことへの新たな考え方、心構えができて、2025年いいスタートを切れそう。 自分と同じように読書したいのに忙しくてできていない人、労働に対して疑問を抱いている人や疲れている人にぜひ読んでもらいたい。

    5
    投稿日: 2024.12.30
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    タイトル通り「なぜ」両立できないかを考察している読み応えある本 労働を中心とする社会環境の変化と書籍のトレンドを絡めて各時代を考察しながら、今の時代は全身全霊ではなく「半身」で働き、空いた「半身」を読書に充てられる余裕を持とうと謳っている本でした。 普段は情報収集のためのザッピング読書が中心で、今回も仕事と読書両立のハウツー本を想定して手に取りましたが、予想外に論文のような読み応えある本で、のめり込んで読んでしまいました。本の中で紹介されている小説や考察本も読んでみたいです。 ちなみに、あとがきにて筆者がかつては人材業界(ググったところ激務で有名なR社)に在籍と知り、説得力が増しました。

    1
    投稿日: 2024.12.30
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    著者は、読書をノイズとして称してる。 また、読書を歴史から遡り、どのような階級の人が読書をしていたか説明してる。 その中で現代はネットというノイズなき情報のみを共有してるところもあり、著者はノイズも必要と説く。 またいまの働き方にも疑問を抱いており 全身全霊というより半身くらいの方がいいと説く。 結局、余裕ある動き方の方が継続しやすく ノイズある情報の方が多面的に情報取得しやすいらしい。

    0
    投稿日: 2024.12.30
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    書店にて、タイトルから興味を持ち購入。読書の歴史を明治初期?あたりから遡って解説している。いつの時代から読書が始まり、時代背景とともに読書にどう変化があったのかを知ることができる。筆者の読書愛がかなり感じられる内容になっている。平成生まれの自分にとって、前半は退屈な内容だったが、昭和あたりから興味を持ち、すぐに読了することができた。 過去は読書がステータスであり、本がインテリアの一種となっていたのは興味深かった。上流階級と一般階級の埋めるための手段として、情報を蓄えていくのは現代社会でもうなづける。 なぜスマホは見れるのに、本は読めないのか。それはスマホで自分が興味のある情報のみを取得できる社会になっているからだと思う。便利な側面もあるが、読書による自分から遠く離れた文脈を知ることも大事だと思う。それが人の深みに繋がるとおもう。自分も読書ができなくなっていると感じるなかで、なんとか読書時間を確保したいという気持ちがある。 以下の文は、書籍の中の文脈であるが、大事な考えだと感じたのでメモ。 ●本を読む事は、自分から遠く離れた他者の文脈を知ることである。しかし、それは遠く離れているとは言え、自分と完全に切り離されているわけではない。いつか自分につながってくる文脈なのかもしれない。 ● 本を読む事は、どこかであなたにつながるかもしれない。文脈を知ること。今は、働くことにつながらないように見えても。 ●この社会の働き方を、全身ではなくはな「半身」に変えることができたら、どうだろうか。半身で「仕事の文脈」を持ち、もう半身は「別の文脈」を取り入れる余裕ができるはずだ。別の文脈とは仕事だけでなく、育児や介護、勉強、プライベートなのかもしれない。

    1
    投稿日: 2024.12.29
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    私の読書は情報を得るためよりは面白がる目的のことが多い。学生のころは確かに「役立つもの」を欲していたかも知れない。この本は読書論というよりは精読ができないようなライフスタイル、そう生きざるを得ない社会や労働環境ってどうなの?という提議だ。「これ一冊で全部わかる」「教養のための」「世界一わかりやすい」こんな冠のつくタイトルの本が増えたのも関係がある。読書ができないのはスマホの普及だけじゃないということだ。日本人の読書スタイルの歴史の部分はとてもおもしろかった。

    2
    投稿日: 2024.12.29
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    わが国の近代の労働史と読書史。仕事で忙しくてもスマホは見れるけど読書はできない理由を前者は情報を得る作業、後者は知識を得る営みであることで説明している。「働きながら本を読める社会」のために「半身社会」(何ごとにも全身全霊ではかからない)を提唱。

    1
    投稿日: 2024.12.28
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    タイトルから軽めの内容を想像していましたが、労働史と読書の関係から深掘りされていき、読書よりも労働のあり方を考えさせられるものでした。読書の視点から時代の流れをこう捉えられるのかと興味深かったです。面白かった!

    3
    投稿日: 2024.12.28
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    読みやすい文章で、読み応えのある内容でした。 読書と労働を軸にして、明治時代から2010年代までの日本社会を論じています。「昔はこうだったのか」という内容から、現代に近づくにつれて「確かにこの通り!こういう背景があったのか」と、発見と納得の連続でした。ユーモアを交えて書いてくれているので、おもしろく読むことができました。 最終章では、仕事と読書を両立できる社会のための提言がありました。難しいことではありますが、皆で考えていかないといけないことだなあ…と思わされました。全体を通して引用や参考文献が豊富で、筆者の主張にも説得力がありました。 本を読むということへの愛を感じる一冊でした。本を読むのが好きであろうブクログの利用者なら、刺さるものがあるのでは。

    1
    投稿日: 2024.12.27
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    イメージと違った。 そういう人多いのではないだろうか。 ほとんどが近代のサラリーマン労働の歴史。 まあでも、こう書くしかないかぁと言う気もする。

    2
    投稿日: 2024.12.27
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    まさか新書を読んで泣きそうになるとは思わなかった。 私が普段から薄々感じていた違和感を言語化してくれていた。 なんでこんなお仕事にのめり込まなきゃいけないんだろう? お仕事を一生懸命することが正義なのかな? お仕事ができない私(現在フリーランスを目指すフリーター)は社会不適合者なのか? 誰もが何事にも「半身」で取り組む。 そんな社会の実現のために私もできることを少しずつ実行していきたい。

    3
    投稿日: 2024.12.25
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    読書というフィルターから、働き方や社会構造の変化などを分析している本だった。 全身全霊ではなく、「半身」で関わっていくという、最後のメッセージが印象に残る。 どんなに、やりがいがある事だとしても、それに全身全霊をかけてしまうと、どこかで糸が切れてしまうのかなと思う。 半身で取り組める事が多いと、何かが辛い時も安心できるし、リフレッシュになる場合もある。 仕事が大変な時、普段の暮らしに助けられ、 家が大変な時、仕事に行く事が助けになる時があった。 働くと暮らす 本業と副業 家事と趣味 家と外 みたいに、半身で色々手を出していこう! 本も偏らずに、興味のない分野にも意識して手を出そう!

    2
    投稿日: 2024.12.23
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    本が読めなかったから、会社をやめた著者。なぜ働いていると本が読めなくなるのか。 明治時代からの読書の歴史を紐解きながら、パズドラをする時間はあるのに、読書する時間がないという現代社会の状況を考えていく。 人は何のために働くのか。著者のいう通り、仕事は全身全霊でやるものではない。半身で働き、余暇を自由に使える世の中が本来ではないのかと感じた。

    4
    投稿日: 2024.12.22
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    本を読めなくなる 働いていると、仮に時間があってもスマホを見てしまって本が読めなくなる 自己啓発本は西国立志編という、イギリスのベストセラーself helpの翻訳本で300人以上の成功談がひたすら書かれてい本が原点。家庭を顧みない男性的マッチョイズムが書かれており、男性たちの立身出世のための読書の源流 しかしエリートは自己啓発本を読まない。これしか目に入る本がない層との格差が現れる サラリーマンという言葉が普及したのは大正後半だが、既に長時間労働、低賃金、解雇に怯える辛いサラリーマン像だった。、 労働者階級でも新聞や講談雑誌が読まれてきたことで彼らの修養と差異化をしたいエリート、サラリーマンが読むようになったのが文藝春秋であり、中央公論でありこれが自己研鑽、見栄としての教養となっていった。 教養は常に仕事のための自己啓発である修養との距離を変え続けている。 いつの時代も教養を身につけるサラリーマンは少ないのかもしれない 円本という全集がインテリアとして教養アピールにピッタリで爆発的に売れた。 これだけ読んでおけばオッケー 昭和初期、雑誌の中に小説が載るようになり、自然に読まれるようになった。ヒットした雑誌小説が単行本になり、読書がエリート層から大衆化した。 最も日本人が働いていたのは1960年、厚労省の勤労統計調査では、平均年間総実労働時間は2426時間、2020年は1685時間なので1.5倍、高度経済成長のこの時期は時間のない、余暇も会社の人と過ごすことが多いサラリーマンに合わせて大衆向けの本が増えた。サラリーマンを題材にした本など 70年代テレビが普及し、休息の象徴が小説ではなくテレビに移った。 文庫創刊ラッシュ、通勤電車で文庫本を読む風景はこのころ強く根付いた 高度成長に翳りが見えて、社会不安が燻り、オイルショックもありという中で、人あまりから評価制度も導入され、より自己啓発が求められる中で60年代のひたすら成長していた時代へのノスタルジーからヒットしたのが坂の上の雲や龍馬が行く 80年代、大卒サラリーマンのエリート意識は薄れ、出世のための処世術が教養よりも求められ、コミュ力を求め雑誌が売れた。 文学も急速に自分の物語が増える 79年をピークに書籍購入金額は減少始め読書離れが進んだ それでも人口増加によって80年代はミリオンセラーが登場していた。 学問への欲求を大学で満たせなかった人の学ぶ場は80年台のカルチャーセンター、現代のオンラインサロンと自主大学としてあるが、それをエリート層が軽蔑する構造は繰り返されている。 90年台の自己啓発は内面のあり方を授けるところから、読んだ後何をすべきか取るべき行動を明示するようになる。 バブルが崩壊し採用数が絞られ、自己分析が流行り、キャリアは自己責任という価値観が広がっていった。 自己啓発書は、90年代移行本が売れなくなっていく中で相反して売れるようになっている。 社会と切り離しコントローラブルな自己変革を促す内容、つまり社会をノイズとして除去することを意味する 不安定な雇用、社会に適合するためには適合に必要のないノイズを除去していくことは相性が良い。文芸人文の読書はまさにノイズを提示するもの 2000年代のやりたいことを仕事にしようという風潮、労働を通じた自己実現を目指すべしという風潮 インターネットは求めている情報だけをノイズが除去された状態で読むことができる。 インターネット的情報が転覆性を帯びるように感じられるのは、社会的階級を無効化して勝者になるべく求めていたものがあるからではないか 10年代、働き方改革、市場価値、自己責任論、行動量が求められる 働いていても本が読める社会とは、働く以外のノイズが聴こえる社会 長時間労働の要因は一人当たりの固定費が重い中で残業時間を調整しろとして使ってきた雇用慣行に起因するが、昨今はもっと頑張れると考えて本が読めないくらい全身全霊に働こうとする自分自身が大きく、会社が強制しているからではなくなっている。 全身全霊を辞めて半身社会を目指しませんか。

    1
    投稿日: 2024.12.21
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    仕事が自分の全てだと思って心を壊しかけたこともある。自分が今もどれだけ余裕のない人生を送っているか、突き刺さる本でした。昔のように読書を楽しめるようになりたい。半身社会、実現はむずかしいかもしれないけど、そういう考え方にしたいと思うだけで心が楽になる。 歴史パートの最初のほうは読みづらかったが、たいへん勉強になった。

    2
    投稿日: 2024.12.21
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    仕事と家庭の両立に悩んでいる人にもオススメしたい本……! 育児も頑張りたいけど、キャリアも築かないといけない、でも上手くいかない。結果、どちらも中途半端にしてしまって自己嫌悪になっていた私にはすごく刺さった。 全身で仕事にコミットメントしようとするから、出来なかったときに、私自身の居場所がなくなってしまったかのような不安感や焦りが生じる。でもそれって、別に誰にも強制されているわけではない。強制されていないはずなのに、自分で自分を搾取しようとしている……!仕事で自己実現をするべきという社会が作り出した価値観に私たちは影響されているんだって気づけた……。 読書の歴史からも、社会が個人に求めた価値観が、当時よく読まれた本と関係していることがわかった。ただ現代は、仕事がアイデンティティになる社会である。すると、自分と関係のないものはノイズと捉え、視野が狭くなっている。だから、窮屈だし、孤独と感じてしまう。 そこで半身で働くことを三宅さんは推奨し、余暇も大事であることを説いている。その余暇のなかでも、読書をして、遠い他者の文脈に触れることが、さまざまな場所に自分の居場所を作りだし、それはときに自分の心の安全基地にもなる……。そうだよね、うんうんそうだよ…!!子育てと仕事を天秤にかけて悩んでいたけど、三宅さんの本を読んで、心が救われた‥…。

    1
    投稿日: 2024.12.18
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    最初は歴史とか色々ノイズがあって、読むのに苦労したが、最後の方は共感しかなかった。半身で仕事する。今後そうして行くべきだと思う。どっぷり浸かってると、その分他のことに手が回らない。美化されがちだが、バーンアウトにもつながる。(経験あるし。) そういう立場だからこそ共感もあったのかなと思う、、

    1
    投稿日: 2024.12.18
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    花束を取り上げながら明治時代くらいから日本人と読書の関係を分析 全身全霊にならずに 半身 のスタイルで仕事や家事に取り組むのが本と向き合えると説く

    0
    投稿日: 2024.12.18
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    スマホから情報を得ることと本から情報を得ることの違いは何か。 インターネットやSNSでは自分の「興味」にとことんフォーカスされる仕組みであるために、興味や価値観、思考が偏り、そのことに気付けない恐れがある。 本であれば、何を手に取るかによってある程度幅は狭められるが、それでも一定の視野角は保たれる。スマホのようにアクセス履歴などからパーソナライズ化されるわけでもなく、全員に等しく同じ情報が与えられる。つまり、偏るという恐れがスマホに比べると少ない。読書には偶然性が含まれており、全くもって予期せぬ情報との出会いもある。 得たい情報に寄り道せずに直接たどり着くことができるスピード感や端的性というインターネットならではの長所も活用しつつ、どちらをも併用することで自身を豊かにしたい。

    7
    投稿日: 2024.12.17
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    スマホゲームはできるのに、読書はできないのはなぜか。 それは、「ノイズ」の有無の違いだという。読書とはノイズ、自分の文脈よりも遠いものも情報と一緒に受け入れる行動。スマホゲームはゲーム会社が楽しく情報だけを渡してくれる。ノイズが受け取れないのは、仕事で全力を使い過ぎだから。 だから、半身で暮らす社会にしませんかと主張する。すべて仕事、オール家事の方が余程きついと言う。半分は仕事、もう半分は自分や家族のために使う時間。そのために週3勤務を提言。 そんなことができたらみんなハッピーだ。みんなで実現したい!

    4
    投稿日: 2024.12.17
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    最終的にトータルワーク批判(&半身の推奨)をする下りは、梅田望夫「情報の高速道路」にも比肩することになるかもしれない新書ベストセラー発キラーフレーズとして支持したい。 一方で、その結論に辿り着くまでの読書世代論がどうも直結はしていないような気がしてならない。労働社会学的な視点と読書文化論を緊密に接続させることについては、まだ失敗しているのではないだろうか。

    0
    投稿日: 2024.12.15
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    各時代の読書の位置付けの定義から始まり、現代の働き方に言及している そんなに目新しい話は無かった、というのが正直なところだが、ここ10数年のベストセラーに対する批判が所々に出てくるのが面白い。年齢を重ねて気が付いたけど、10年で常識ってほんとに変わるんだな 読書は出来ないのにパズドラは出来る。読書は、何が来るか分からない、ノイズ。疲れてると、なるべくノイズの少なそうな(ある程度予測が出来てしまう)本を選ぶところ、あるなあ

    0
    投稿日: 2024.12.14
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    働きながら本が読める社会、これが理想です。仕事に忙しくて睡眠時間も毎日2時間で働いていた時、この状況がおかしいことにも気がつかなかった。  どんなに忙しくても半身で働いて、残りは仕事以外の読書や勉強や趣味に、もちろん家族の世話に使いたい。そんな忙しい毎日に誰か違う人の生き方に触れられるって改めて贅沢な時間だと思った。働いていても読書ができる社会は私大賛成です。

    16
    投稿日: 2024.12.14
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    一気に読み終えてしまった。 明治から今日までのベストセラーになった本はどんな本か。ベストセラーは時代を写す鏡のようなもので、当時を生きた人々が何を求めてきたかがわかる。 さて、なぜ働いてると本が読めなくなるのか?それは読む前にみんな答えはおそらく分かっている。想像できている。当たり前すぎる。 私だって実際本を読むのが進むのは結局そういう時だ。 でもそれが当たり前になっているのはダメだ、とこの本は言っている。じゃあどうすれば?ということについて著者の考えを提唱してる本。 私も実はこの考えには賛成だし、一部実行してはいる。だからかろうじて読めないという状態ではない。 ただ本が読めない。。。と諦めてる人がいればおすすめしたい本だ。 みんな本を読もうぜ。

    0
    投稿日: 2024.12.12
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    読書はノイズか なるほど タイトルが気になった 精神論か 技術論か 統計結果 説明なのか いずれの予想も 当てはまらず 明治時代以降の読書の形の変遷の説明のようです 教養と修養との比較 これは考えたこともなかった というより 初めて知った言葉と思う 教養も得るために読書があるまあ そうなんだろう けれども これで 現代が成り立ってるんだろうな 徳を修めることはもっと必要なんじゃないかな 最近は思うようになった AI が台頭してきた現在教養=知識は AI が勝る ネット社会の現代において アイデンティティ=自己存在の必然性に読書は必要なんだろうか

    1
    投稿日: 2024.12.12
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    日本人が時代と共に読書をしなくなっていった背景が分かりました。 日本の読書の歴史から分析されているので「思ってたのとちゃう!」って人がいるかも。

    4
    投稿日: 2024.12.12
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    もっとビジネス本だと思って手に取ったが、労働史と読書の関わりを丁寧に紐解いてあり、期待以上の腹落ち、納得感を得られた。歴史を学ぶ醍醐味というのは、こういう現代の課題といかに結びつけて考えられるかだと改めて感じた一冊。

    1
    投稿日: 2024.12.11
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    予想を裏切り、おもしろかった。 本のタイトルに惹かれなくて読んでなかったのだけど、話題になっている理由が知りたくて。 惹かれなかったのは、自分の場合と違ったから。私がたくさん本を読むようになったのは働きだしてから。 自分の時間がなくなればなくなるほど、自分の時間を欲してしまう。フルタイム勤務、育児、家事でほぼ一日が終わる。仕事の休憩時間と睡眠を削った時間に読書。うーん、不健全。わかってるんだけど、どうしようもないなぁ。 本書では、三宅香帆さんが、日本の労働と読書史を紐解きながら「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」を追究される。 現代において「自分に関係ない知識」はノイズである。読書をノイズだと思ってしまい、余裕がないからノイズを受け入れられない。それが、働いていると本が読めない理由だという。 そして「働いていても本が読める」社会にするのに、全身全霊でなく「半身」で働くことを提案されている。 三宅さんの人柄に好感を持った。 特に「全身全霊で働くことを美化したくない」は刺さった。今、私が仕事に取り組めているのは、夫や両親や子どもが元気でいてくれるからで、学童や保育園が子どもをみてくれているからで、自身が健康な身体であるからで、すべてが運良く揃ってるからなんだなぁって。 働いていても読書ができる社会になったら……読書以外のことも楽しめるようになりたいかな。

    61
    投稿日: 2024.12.09
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    なぜ働いていると本が読めなくなるのか? →仕事に全身全霊をかけている状態(かけなければいけない状態)では、読書は未知の世界が溢れるノイズだから。

    0
    投稿日: 2024.12.07
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    労働と読書は両立しない?(序章タイトル) そもそも日本人の近代的な読書習慣は、明治以降に始まった。(P31) というところから、どういった層が読書を楽しんでいたのか、読まれる本の内容はどう変わっていったのか、日本における読書の立ち位置の歴史が書かれています。 今までどおり働いていても本が読めるようになるよ!という内容ではありません。 読書の歴史が内容の大半ですね。個人的にこの部分は面白かったです。取り上げられていた映画(花束みたいな恋をした)に関しては未視聴なのでなんとも言えず…。 やっぱり朝から晩まで働いたら脳が疲れちゃって読書は無理だよーってここ数年の体験から感じます。

    2
    投稿日: 2024.12.07
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    タイトルからして、私が悩んでいたことだ!と思い即購入。 読書の歴史を詳しく知ることができたが、 結局、働きながら読書を両立させるには、 余裕を持った働き方が必要なのか、、、 いまいちどう両立させたらいいか、わからずでした

    2
    投稿日: 2024.12.06
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    労働と読書や出版の歴史に触れられた老作。とはいえ読みやすい。「半身で働こう」というメッセージ、半分賛同するが、半分は疑問。人生の一時期、がっつり仕事しないと背骨は作られないのよね。それは習い事でもなんでも同じだけど。

    2
    投稿日: 2024.12.04
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    詰め込み過ぎではないだろうか。でも、私の期待していたこととのミスマッチによる事故かも。下にずらずらと駄文を書き散らしてしまうくらいのエネルギーが本書にはあります。 本書は読書論と現在に至るまでの労働論を述べていくものであるが、それらふたつがまぜこぜになっていって最終的なまとめが、このままの働き方だと鬱になる、ということが残念に思いました。 もっというと、うつ状態の把握だったり脳の疲労を回復させるだったりとか、そういったメンタル系の本を読んでいる人であったらおそらく目新しさは無いと思われます。 そのため、もっとテーマを本を読むことにしぼってもよかったんじゃないかなあ……と思っています。労働が積み重なってきて今に至るというのはもっとコンパクトでもよかったのでは。私が、「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」じゃあどうやって読むか、がありそう!と期待してしまったことも、テーマをしぼったほうがいいのでは?という感想に繋がっていると思います。 そして、本書には危うさも感じています。それは234ページで読書とは自分から遠く離れた文脈に触れることであると断言していることです。 ここにくるまで随所で感じていた、自己啓発本を読むのだって読書では?という疑問を234ページでパンと解決してくださったことは、疑問が晴れてすっきりしていいのですが、本当にそれだけが読書でしょうか? 好きなジャンルを読んで楽しむことだって読書ではないか?と思うのです。234ページで定義した読書であると、"読書"というものへの敷居がどんどん高くなってしまうのではないかと少し怖く感じました。この読書の定義が通説にならないことを願います。極論、本を読むだけでもう読書よ。 ここで詰め込み過ぎの話にも少し戻りますが、ノイズの話であれば結局これは読書の話だけに留まらなくなってしまうのではないかと感じているのです。 これについては、新しい映画を見るとか、新作のゲームをやるとか、なんでも新しいことをやってみようとするときは本書でいうノイズが入るのでは?と考えています。 最終的に、今の働き方をしていてノイズを取り入れていない人はうつ病予備軍だ!というのであれば納得です。なぜ働いていると本が読めなくなるのか=うつになりかけているのですね。 でも、それでもやっぱり詰め込みすぎだと個人的には思うなあ……。読書史、労働史、メンタル………。うーむと思って☆2つけてるのにこれだけぐだぐだ感想書いてる時点で私も本書を結構楽しみながら読んだのは否定できません^^; なにかいいたくなるエネルギーがこの本にはあります。私がたまたまミスマッチだっただけでしょう。読書したなあ。

    4
    投稿日: 2024.12.04
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    仕事とプライベートに忙殺されて本が読めないなぁ、と何気なく手に取った。構成としては「労働者たちの価値観の変遷」といった内容が大半を占める(勉強になった)。求めていた解決策のようなものは無かったが、ノイズの除去された知識として情報が台頭し、現代人の読書に割く時間は減った、という主張は納得がいく。 ただ自身の中で読書の存在は、映画やアニメを観るのとほぼ同じ、娯楽として位置付けが強めなので、一般的な雰囲気としてはそうかもなぁって感想で読了。

    1
    投稿日: 2024.12.01
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    なぜ働いていると本が読めなくなるのか おそらくこの本を手に取った方は、本を読みたいのに読めない、楽しめない、その原因は働き方にあると思っている人が多いと想像する。 しかし、この書籍の大部分が明治〜現代までの大人の読書事情の歴史であった。 そして肝心な現在どのように働きつつ読書を楽しむかという点で、具体的な案やエビデンスがほとんどなかったことに落胆した。 最後のあとがき部分に提案はあったが、多くの読者は実践してみたであろうことばかりで内容が薄かった。 とはいえ、明治以降から近代までの読書の立ち位置の歴史というていで見れば勉強になった。 星1にしたかったが、作者が美人だったので2にせざるを得なかった。

    3
    投稿日: 2024.12.01
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    題名から働きながら本を読むための本かと思ってたけどそれとは違って 働くということと読書との関係性の変移からこれからどうしたら良いのかまで論じた本だった 「半身で働く」を意識しながら自分の余暇を大事にしていきたい

    0
    投稿日: 2024.12.01
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    社会人になって6ヶ月経ち、残り40年弱仕事に没頭して生きるのかと考えていたところでこの本を読んだ。学生の時と比べたら、やはり圧倒的に読書量が減った。 全身全霊で働かないことが読書量を増やすと説いているが、今まで全身全霊で働いてきた人たちがいる以上、考え方を変えるのは長い時間がかかりそう。

    1
    投稿日: 2024.11.29
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    うーん。。。私には合わなかった。残念。 話題になっている書籍なのと、三宅香帆さんをYouTubeの動画でお見掛けして素敵な人柄の女性だと感じていたことから、ずっと読みたいと思っており、期待しすぎてしまっていた。 この本を手に取るにあたり、「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」というタイトルが秀逸だと思った。読書が好きな人であれば、「働いていて(心と体の)余裕がなくて本が読めない」、と感じたことがある人は一定数いると思う。多くの人の共感と関心を得られるタイトルに、読書家としてのセンスを感じた。 この本では、日本人に読書という文化が根付いた時代から現代にいたるまでの社会的背景やベストセラーの傾向等を分析した上で、結論と提言をまとめている。 分析パートは勉強にはなったが、筆者の解釈の仕方が多少乱暴では、と感じる部分がいくつかあった。自己啓発本以外の読書を全て「教養」と一括りにしている点、読書以外の文化的行動についてはほとんど言及されていない点、インターネットから得られるものを「情報」と一括りにして「教養」と距離を置きたがる点、、等。 なぜ自己啓発本とその他の本を差別化して、自己啓発本だけは教養ではなく情報である、みたいな言い方をしているのかも謎だった。 結論部分の、働いていると「仕事以外の文脈を、取り入れる余裕がなくなるから」本が読めなくなる、という主張はその通りだと思うが、この結論を導き出すために前段の長い分析パートは必要だっただろうか…と考えてしまった。 提言では、全身全霊をやめて「半身」で働こうという主張をしているが、どうすれば「半身社会」が実現するのかは、筆者もわからない、と書かれている。 そりゃあ週3勤務で食っていけたら、本でも読むか、という気分にはなるかもしれないが、、全然現実的じゃないし、浅はかではないか。。 肉体的な意味での「全身全霊」と、精神的な意味での「全身全霊」をごっちゃにして解釈してしまっている気もする。 また本書は、働いていて本を読みたくても読めない状況や、楽しみたくても楽しめない状況を問題視しているのか、そもそも本を読むことが余暇や文化的行動の過ごし方として選択されないことを問題視しているのか、筆者の問題意識の焦点がどこにあるのかが、私にはよくわからなかった。 直近10年間でも、日本の長時間労働は大分改善されていると思う。私は10年前にはブラック企業だった建築系の会社に勤めて5年目だが、昔と比べて労働時間は圧倒的に少なくなったと会社の先輩方から伺っている。まだまだ日本の労働環境に課題があることは確かだが、今の人たちが読書しないのは、週5で働いているからというのが本当に全ての原因なのだろうか。

    4
    投稿日: 2024.11.29
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    キャッチーな内容でありながら、しっかりと日本の労働と読書の関係性における歴史を紐解いており、読み応えのある一作。話題になった理由も納得。 早速のネタバレかつタイトルの答えから書いてしまうと、近年は自己実現は仕事でこそ行うべきであり、仕事に忙殺されることが良い、という価値観のもと、読書はノイズを含む非効率な行動として排除されているから。 識字率の上昇ととともに、人々は知的好奇心から貪るように書物を読み漁り、徐々に読書というものは知識階級の崇高な趣味へと変わったかに思われたが、全集ビジネスの登場により一気に民主化した。 それまでは作家が描く文学や各専門家が書く専門書が中心であったが、ビジネス小説や主婦文学の登場でより裾野を拡大していく。 しかし、バブル期を絶頂として、徐々に書籍市場は衰退を続け、近年では情報収集のための旧態依然とした非効率な手段として位置付けられるまでに至っている。 筆者はこの非効率性をノイズと表現して非常に的確な表現だと思ったが、このノイズは普段から読書をする人は知っている知のセレンディピティであり、これがノイズと見なされてしまうのはいささか悲しくもある。 とはいえ、これまで知的エリートであった人間は本を読めることに一種の優越感を持っており、上記で記載した哀愁は、そうした歪んた見方から来ているのかもしれない。 いずれにせよ、本はノイズを含んでおり、本も読めないぐらい忙しい自分が良い、といった価値観はサステナブルではなく、半身であるべき、という筆者の主張に納得できる部分とそうでない部分があるが、全体として非常に考えさせられた名著であった。

    1
    投稿日: 2024.11.29
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    新自由主義の中では、手が届く自分自身の改革と、それを通じて市場の競争社会で成功することが求められる。だからこそ自己啓発やビジネス書がよく売れる。一方で、情報以外に知識も提供する読書は“ノイズ”として扱われる。なぜならそれは、自分が今求めているものではないから。

    0
    投稿日: 2024.11.29
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    私も働くようになって読者量が減った自覚があり、気になって読んでみた。 明治時代から現在までの社会と読書環境についての考察は、なるほどに尽きる。 全ては、最終章を読めばわかるが、要は日本の働き方に問題があるようだ。 私は少なからずスマホを見る時間が増えたことが原因なので、無駄な時間を読書に充てていこうと自分への戒めに感じた。

    0
    投稿日: 2024.11.25
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    タイトルのとおり、なぜ働いていると本が読めなくなるのかを考察した本。こんな「そのまんま」なタイトル、今まであってもよかったのではないかと思うが、そのタイトル(考察)がまだ世に出ていなかったことに驚くと同時に、見つけ出した著者のセンスが素晴らしい。 まとめるなら「あんまり仕事しないで読書とかしないと世の中よくならない」みたいな本です。わたし、この結論は子どもをたくさん育てている身からするとちょっと厳しいなと思った。仕事みたいに可変的なもの、インカム的なものは、「しない」ことを決めやすいだろう。でも時間割かれる&ただ金がかかる子育て(もちろん対価として幸せもらえるよ!?)においては、半身?は?と思ってしまう。 つまり、この本は働いていたら本が読めなくなった人が書いた本で、その点でリアリティがあるんだが、子育てしていたら本が読めなくなった人にとっては、どこか「ふーーーん」なのである。 しかし、その一点こそ私には響かなかったけれど、著者はいろいろと歴史を紐解きながら様々な可能性を示していて読んでて何度も興奮しました。ぜひ読んでほしい本です。 烏滸がましいことですが、子育てしていて本が読めない人には、私から以下をお勧めします。 とりあえず紙の本を買って本棚に並べて眺める。読まないでいいから開く。本を知識として愛すのではなくインテリアとして愛す。 子育てもいつかは落ち着くし、日常の中でもふとした瞬間、落ち着く。その時に側に良い本があることが大切だと思ってます。 感想から逸脱してしまったけれど、励みになる本でした。

    0
    投稿日: 2024.11.25
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    話題になっていたので手に取ったものの、タイトル通り、まさに「働いていると本が読めなくなる」人のひとりであるので、やっと読了しました。 明治時代からの読書と労働者との関わり方、 などをかなり調べられているんだなぁとすごい!と面白く思ったが、 急に「時間外労働」の話になっていたので「はて…?」というきになった。 そうなのかな…うーん。 私の周りに、終電まで残業しまくってる人なんてそんなにいないしな…でも読書量が落ちたという人も多いしね…。

    0
    投稿日: 2024.11.25
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    話題になっていたので購入! タイトルに対する答えとして真っ先に 「SNSが普及したから」「仕事が忙しいから」が浮かんだが、読んでみると「労働と読書の歴史」を深掘りしながら、現代の社会問題にメスを入れる"いわゆる単純なもの"ではなかった。 昔は仕事のツールになり得た読書で得る知識が、今の時代はネットで手に入るだけではなく、ノイズも少ない。ノイズを受け取る余裕が現代人にはない。 「現代人には」というより「長時間労働が当たり前になった時代の人」にはない。 ネットが普及する前の長時間労働者も読書をしていたが、「情報を得るツールがネットか本か」というだけの違いで、本当の目的は見栄だったり、自分の不安を消すためだったり、自己研鑽だったり、そこら辺は現代と変わりはない。 なにより、著者の豊富な読書量が垣間見れる点と、小説の一節などから「時代の背景や人々の考えをそこまで読み解く!?」と驚くほどの洞察力に感嘆した。 最後のどう働くかについては、それこそ余裕を持てる範囲で個々人が働けば良い。それが全身でも半身でも規定はいらないのではないかな。

    1
    投稿日: 2024.11.25
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    読書の歴史は思っていたより短く、その短い間にも時代でその位置づけが変化していく。読書は娯楽や教養を身につけるツールだと思っていたが、単に情報を得るためのものと考えるのなら、ネットで知りたいことを検索するほうが早いと思うのは理解できる。 本を買うお金があるなら、本を読む時間があるなら、もっと生活が豊かになることに使おうと思う時代になってきたのかもしれない。読書が色んな意味で裕福な人しかできない時代に戻りつつあるとしたら、悲しいですね。

    0
    投稿日: 2024.11.24
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    明治から現代に至る働き方の歴史から、著者の働き方の持論(結論)まで。 一部分自分と重なる部分があり、共感したものの、薄っぺらい感じの結論だったように思えた。

    45
    投稿日: 2024.11.24
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    働くこと、読むこと、生活すること、時代の変化による時間の使い方。 私たちは時代と共に働き方も家庭も生活も時間の使い方も変わってきたことを1冊で手軽に時代を追えて読める良書でした。 社会人になると、本を読む時間は確かに減ります。それは、仕事に赴きが向いているから。 それは私も同意します。そして、働きながら、生活しながら本を読む大切さと、方法を教えてくれています。 私は、スマホ依存が多い時代に、スマホから本へ意識を持っていくだけでも効果はあるんじゃないかなと思います。そこから、本を1ページから読むことを始めれば、自然と本を読む習慣はいつの間にか手に入ると信じています。

    4
    投稿日: 2024.11.23
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    今年はしんどい1年だった。 あるタイミングで仕事に対する考えが変わったのだけど、その考えで仕事している自分を何処かで卑下?していて、なんだか苦しい… 三宅さんの「あとがき」でコレや!となりました。 半身、賛成です!

    4
    投稿日: 2024.11.23
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    本を読もうというきっかけにはなった。 筆者の考えに違和感感じることはあった。 ノイズという考えもよく分かる。 だがノイズはテレビでも入ってくるがなぜ読書はできなくなる? 半身という考え方は半分同意。 高校野球児が恋愛もしないで、日焼け止めもしないことを称揚しないことと言うのは妙に共感。自分がそうだった。それは当時70歳くらいの指導者の教えだった。 時代は変わるから、それに順応し、若い世代には、古い価値観を押し付けないということが1番の学びかもしれない。

    1
    投稿日: 2024.11.22
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    長時間労働を含め社会の仕組みが悪いから本を読めないという著者の持論に強烈な違和感を感じた。 自分自身著者とほぼ同じ労働時間で家事雑事を一人でこなしながら年間70〜80冊程度の読書量は確保してきたし、例えば池上彰さんなんて連載を十数本抱えた上に本は月一冊くらいのペースで出してるし公演やテレビ出演もされてるけど年間100冊以上の本は読んでいる。 池上さんに限らず上場企業の社長などはほとんどプライベートの時間が確保されない環境ながらほぼ例外なく読者好きだし。 著者は京大卒だし処理能力は普通よりあると思うしなんでこんな考えに至ったのだろう、世代や性別の関係かな、と思いつつ読み進めているうちになんとなく感じたのは著者は仕事でも何でも手を抜く事が出来ない性分なんじゃ無いかな。完璧主義者と言うか。 例えば8時間+1〜2時間の残業も全身全霊で取り組んでしまうタイプに感じる。そりゃ一日10時間近く緊張の糸張ってれば本なんか読む気無くなるわな。 自分が社会人になって先輩から受けたアドバイスで記憶に残っているのは「仕事は7分の力でやれ。いつも全力だとピークになると潰れてしまう」。 実際周りでうまくやってる人たちはほとんどこれだったと思う。 もう一度言うけど本が読めないのは社会のせいでは無くて違う次元の問題だと思いますよ、三宅さん。

    3
    投稿日: 2024.11.22
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    帯の「疲れてスマホばかり見てしまうあなたへ」に惹かれて手にしたもの。時代背景に沿って労働環境の変化と読書の位置付けの変容が示された後、現在では余裕のなさから未知の知識より知りたい情報を得ることが優先されており、すぐに使わない知識はノイズとされやすく、後回しにされやすいように説かれていた。結論としては、働きながら本を読める社会を作るには余裕がある働き方が必要で、もっとできるという名の、自己に内面化した肯定により、競争心を煽られて自分から戦いに参加して行き疲弊することを止めるべきなのだとしている。なんとなくわかるが、読書って辛いものなのだろうか?知りたいと思うから学ぶし、読書もするのではないか。余裕がないと言いながらスマホばかり見るのは興味が学びに向いていない状態であるだけで、余裕がなくても興味が学びに向けば読書をしてスマホばかりは見ないのではないか。そんなことを考えながら読了。過去のデータを提示しているが、高い数値は流行りであるだけで、すべてではないということを忘れてはいけない。タイトルに対して批判的にいえば、働いてなくても本を読もうと思わなければ読まない。疲れて本が読めないのなら読まなくていい。読めないと悩むこと自体、もっと読めるという強迫観念に囚われているだけのような気がした。読みたいときに読めばいいし、ゆっくりでいい。読もうと思った動機を大切にしていけば自分の興味を知ることができると思った。この本を読んで刺激を受けたのは間違いない。

    20
    投稿日: 2024.11.20
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    科学的な内容だと想像していたが、読書が歴史的にどのような位置付けであったかを論じているような本だった。 具体例を挙げるなどして読書が時代によってどのような役割を担っていたか詳細に分析されているなと感じた。

    4
    投稿日: 2024.11.19
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    休職中初めて『ザトウムシ』の本を読んだ、読めたと言えるか。 インターネット情報というあまりにも魅力的、即物的な強力なライバルが出てきてしまった。文脈や説明、前振りに根拠、反証や補足、耳の痛い言葉が本に出てくる。この部分いるか?と思ってしまう。でもそれがノイズとなり、発見となり知見を広げ欲しいものを強請る我儘な私をそっと諭してくれる。 長時間労働でも自己啓発本が読めていた。ハウツー本も。多分これらはノイズが少なく、偶然性を含まないからこそ読めるのだろう。正直社会人の身で明日話す同僚の会話のタネにもならず、自分が生きる上で役立たない情報など何の意味になるだろうと思う。読めない人々の気持ちが痛いほどわかった。仕事自体がノイズじゃないか。仕事だけすりゃいいはずなのにくだらない人間関係や派閥のしがらみに振り回されて、家に帰ってまたノイズを摂取するというのは残酷な話だろう。リール動画みて頭空っぽにして寝る必要がある。それも必要なことだと思う。 でもやっぱり、本のノイズは仕事のノイズと違うように思える。どちらのノイズも必要だ。本のノイズが、仕事のノイズと共鳴して新しい個性を作ってくれるように思う。だから著書の言う『半身社会』と言うものがすごく魅力的に思えた。半分仕事、半分読書、ノイズ溜め込みまくって新人類になりたい。

    2
    投稿日: 2024.11.19
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    内容以前にタイトル詐欺だと思う。編集者が考えたろうし、筆者を咎められないものの。 内容は読書文化の歴史なんですが、それとしては新書としては及第点と思いますが、センセーショナルなタイトルで売れて、しかも内容は題名とあまり関係ないのは商売として綺麗ではないので、もやもやします

    4
    投稿日: 2024.11.19
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    明治時代から現在までの「読書」の立ち位置が歴史的に学べて面白い! その時々の時代と本のあり方が現在と変わる所もありますが、私の本に対する考え方とマッチしてる部分もありました。 私はこの本に出会って働き方、働く姿勢を少し見直して本を楽しむ余裕を増やしたいと思いました。

    1
    投稿日: 2024.11.18
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    読書に関する内容は面白かったが、後半は著者の労働論(?)の暴論で一気に冷めた本。 前半はおもしろかった。歴史における読書の立ち位置の解説。読書が広がった理由をその時代の背景とともに解説されており、勉強になることが多かった。 ところが、後半になるに従ってよく分からない働き方の話になっていった。結論、「半身(0.5稼働)で働こう」と…。いや待てと、さすがにそれは暴論だろう。それを言い出したら「仕事辞めてずーっと読書をしよう」と一緒のことを言ってるよね、程度の差ってだけで。それに向けて具体的な提案があるわけでもないから、著者が好き勝手暴論振りかざして終わった感じ。すごく後味悪かったなぁ。 それにしても、著者は前田裕二に恨みでもあるのかな?(笑) 親でも殺されたのかなって勢いでこき下ろすのが気持ち悪かった。

    3
    投稿日: 2024.11.18
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    働きながら頑張って読んだ! この著者は、書評家・文芸評論家の肩書を名乗ってるけど、実態は研究者だと感じた。 以前読んだ『娘が母を殺すには?』も同様、アプローチ法はその時々に流行っている本や漫画・映画やドラマ等の分析なんだけど、そこから社会や世相にアプローチしてると感じる。 大学の研究室にも属してないので、論文や研究のノルマもなく、授業もないので自由に伸び伸びと研究してる感じ。 ところで、この本を読んだあと、私は深刻な「本が読めないターン」に入ってしまった……。 パズドラではないけど、ひたすら無駄にゲームばかりやってしまい、「ああ、今日もやってしまった……」という日々である。

    1
    投稿日: 2024.11.18
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    すごく良かった。 働いているとなぜ本が読めなくなるよかを労働と読書史から紐解く。 この本の結論は、余裕がなくなると自分が欲している情報以外(ノイズ)を受け入れられなくなるからということ。 ノイズを受け入れられるくらいの余裕を残して働こうというものだった。 いつも一生懸命頑張らなければならないと思っていた。 一種の脅迫観念のように。 余裕がある生活は少し怠けているように感じてしまって、自分を責めるような気持ちにさえなった。 「休んでいいんだよ」そんな言葉を他人に対して投げかけながらも、自分はそんな気持ちになりきれなかった。 「いつも一生懸命頑張らなければならない」それは真実なのだろうか。 絶対にそうだと思っていた常識だったが、それは文化が、時代が作った概念であって、自分が思い込んでいただけだったのかもしれない。 でも、それは危険だし、その必要はないのだということを心に刻もうと思う。

    11
    投稿日: 2024.11.17
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    タイトルを見て心当たりがあるので読んだ。思ったより労働と読書の歴史の話が多くて、2000年代近くの話まではなるほどと思う部分も所々あったが、あまり身が入らなかった…。自分自身元々読書が好きだったけど、前職で仕事ばっかりになり本を開く気力も無く、だけど書店に行くと読みたい本を手に取り、開けないというのを繰り返していたので、「半身」で働くというのは今すぐには難しいだろうけど、仕事と趣味とを上手く両立していきたい。

    1
    投稿日: 2024.11.17
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    話題の読書論×労働論。 戦前から2010年代終わりまでの状況を手際よく整理してある。 最終章p139に、きれいな図式がまとめられている。 明治期は職業が自由化され、その体制の下では読書は立身出世にとってのインセンティブとなった。 大正から昭和戦前期には、都市部を中心にアッパーマス層としてのサラリーマンが登場する。 エリート層に近づくべく、教養を身につけようと読書する。 戦後の高度成長期までは、その裾野が広がっていく。 文庫など書物が手に入りやすくなること、長距離通勤をやりすごすために、などの状況が読書を推進する一方で、娯楽も多様化していく。 オイルショック後、日本型雇用に守られたサラリーマン層は、社内での出世のハウツーを本に求めるようになる。 読者として存在感が増していくのは、かつての教養主義の中で排除されていた女性たち。 購買層が厚かったせいもあり、80年代まではベストセラーも続出する黄金期がやってくる。 が、バブルが崩壊し、新自由主義が台頭してくると、社会の中の読書の位置づけも揺らぐ。 自己責任論の中で、自分を高めていく行動が称揚される一方で、自分ではどうにもならないものは切り捨てられる。 これとインターネットの普及が重なる。 自分に必要なものは「情報」として取り入れられ、それ以外のものは「ノイズ」となる。 本はノイズを含むため、顧みられなくなる――ということだった。 こういう背景の中で、働いているわたしたちは本が読めない。 だから、「半身で働」き、本が読めるような社会にしていこう、というのが筆者の主張。 そうだなあ、と共感するが半分。 ただ、この主張の枠組みなら、本である必要はないのかもな、と思えてしまうのが半分。 「ノイズ」を含むものは、本だけではない。 人らしくあるために必要な何かであればよいのではないかと思う。 インターネットの「情報」のもつ価値転覆性の話も興味深いことではあるが、もはやすでに新たな階層を生んでいるだけとなってしまっているんじゃないか、と思うと何ともしんどい思いがする。 本書を読もうと思ったのは、やはり自分の読書体験とどれだけ重なるのかを確かめたかったことにある。 自分は働くようになってから、本を読むようになった。 21世紀に入ってからのことだ。 その意味では、本書と真っ向から対立する。 最近読めなくなりつつあるが、それは仕事が忙しいというよりも、むしろ読むものが変わってきたことと、年を取って長い時間集中して読めなくなってきたから。 その意味で、自分の経験的な部分と筆者の整理とは整合しない経験をしてきている。 仮説1 今の若者と比べると、それほど過酷な労働状況にない。 →残念ながら、若い人が職場からいなくなったことでいつまでも「最前線」。 仮説2 古い時代の読書観(例えば親世代の教養主義)を引きずっているために、本書の図式とは異なる傾向が出た。 →なきにしもあらずだが、娯楽として本を読んでいるフシもある。 自分の、「私的な読書」が、時代の中でどう位置づけられるのかを考える上で、本書はとてもよい導きの糸となったと思う。 が、一方では、「なぜ自分は働き始めてからの方がむしろ本を読んでいるのか」は、國分巧一郎さんの『暇と退屈の倫理学』を通して考えた方がフィットするような気がしてならない。

    1
    投稿日: 2024.11.17
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    私自身は今現在働いているけど本は読めているので当事者意識はまったくないのだが(と言っても継続的に読むようになったのはつい最近でものすごいにわか読書家なので偉そうに言ってごめんちゃい)、おそらくこの本が言いたいのはそんなことではなく、知識・情報・教養を得るための手段として「本を読む」という手段がとられなくなってきている、ということではないだろうか。 単に各々が必要とする「情報」を得るという意味では、わざわざ読書なんかしなくてもインターネットで検索すればちょちょいのちょいなわけで、しかもそれができる端末を国民のほぼ全員が常に持ち歩いてるんだから、そりゃそうだって感じだ。 でも本当にそれでいいのだろうか。必要な情報、ただそれだけがわかればいいのか。言うなれば答えはわかったけど、そこに至るまでの計算式がわからない、ということにならないか。世の中結果がすべてで過程はどうでもいい、と言われてしまえばそれまでだが、私は計算式に当たるその過程を知ることこそ人間の知識欲を満たす最も重要なものだと思っている。なんだか答えを見ながら問題集を解いているみたいでまったく面白そうじゃない(学生時代に宿題を消化するために同じことをしていた私が言えた立場ではないが)。 本は必ずしも自分が知りたい情報だけが書いているわけではないというのは周知の事実だ。しかし、背景や雑多なものも含めた細かい情報のつながりなどを知ることこそが「本当の教養」なのではないだろうか。 冒頭に書いた通り、私は今のところ本が読めているので、この本の主題となっている「働いていると本が読めない」というところの理由付けにはあまり関心が向かず、「人はなんのために本を読むのか」「過去から現代における大衆が本を読む目的の変遷」といったところに目が行ったのでこんな感じの感想になりました。 そもそも本当に本を読めない、読まない人たちはそのことに問題意識を持っていないだろうからこの本を読まないのでは?と思うのは私だけか?

    3
    投稿日: 2024.11.17
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    前半から展開される各時代背景とよく読まれた本の話,最後の著者の訴え含め面白く、共感したり、自分との違いを感じたりしながら読ませていただきました。 自分の読書遍歴、自分は読書からなにを得ているのか,どんな精神状態の時にどんな本に興味を持つのか など自分自身の趣向を考えるいい機会になりました。 ちなみに読書感想文を書くことが大嫌いだった私を読書好きに変えてくれた一冊は、「脳内革命」でしたwww 皆さんにも,そんな一冊ありませんか?

    1
    投稿日: 2024.11.16
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    このレビューはネタバレを含みます。

    本屋入ってすぐに目に入ったので思わず買ってしまった。 読書の歴史から振り返るのは想像と違っていたが、非常に面白かった。 何度も読み返している。 そして、作者の三宅香帆さんにハマったきっかけでもある。 最終的には半身で働こうというメッセージになっていたのも興味深い。

    1
    投稿日: 2024.11.16
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    近頃通勤になったので、働いてるけど本は前より読めているのだ!電車の中ってなんでこんなに読書が進むのだろう。 この話題本、読書の歴史みたいなものが書かれていて、とても興味深かった。 自分から遠く離れた文脈に触れることーーそれが読書なのである。(P234)

    1
    投稿日: 2024.11.15
  • powered by ブクログのアイコン
    powered by ブクログ

    サクッと「情報」だけが欲しい人(タイトルのなぜ?の理由やどうしたら働きながらも本が読めるようになるのかetc)には不向きですが、 そんな人にこそ読んでほしい一冊 個人的には子供もいないほぼ専業主婦みたいな立ち位置なので、 「当方、現在何もかも半身どころが1/3身ゆえバリバリに本は読みます…」という感じで読んでましたが、 半身社会、大事だなと思います せっかく色んなことをデジタル化、オートマ化した社会なのに 余暇が全然生まれないのは皮肉だな〜、と その理由の一つが自分で自分を焚き付けて消し炭になるまで 自分を燃やしてしまう社会にある、という視点が面白かったです 社会的に見ると貴様のような身分のやつが何を…と言われそうですが、 あたしの中にも「頑張れば頑張る程、熱中すればする程、善」という 思想は確かにあるな、と認識させられました

    5
    投稿日: 2024.11.15
1
...
678
...
13