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なぜ働いていると本が読めなくなるのか
なぜ働いていると本が読めなくなるのか
三宅香帆/集英社
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総合評価

1274件)
3.8
296
458
332
62
9
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    タイトルの「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」という疑問に対する答えにいたるまでに、近代以降の日本社会と読書の歴史がわかりやすく書かれていて、得るものが多い本だった。 教養とは、本質的に自分から離れたところにあるものに触れること。 読書とは、自分から遠く離れた文脈に触れること。 映画「花束みたいな恋をした」で、疲れて本を読めなくなってる菅田将暉に「分かる!」と思ってしまった理由を、見事に解説してもらえた。 現代において自分と関係ない、遠くにある知識はノイズでしかなく、ノイズの多い文章に触れることは疲れるけど、でもやっぱりそれは大事なことで、それができないときは疲れているから休んだ方がよろしい。 「半身で働く」ことを目指していきたいです。

    7
    投稿日: 2025.02.28
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    このレビューはネタバレを含みます。

    確かに、「パズドラ」の箇所はかなり気持ちが分かる… パッと手軽にできて"理解"不要だから ぼーーーっとできてしまう点も要因だよね。 個人的に、読書は大好きなんだけれど、 集中して読みたいからこそ通勤電車で読むのは 結構気が削がれるというか… そもそも座っていればまだ良いが それだと眠ってしまうのよねぇ〜 頭を使いに行って、使い終わって、 読むという行為よりも疲れがきてしまうのもある。 自分が働きすぎとはあまり感じたことないけれど、 今までの体験から顧みてみると 働きすぎだったのかなぁと改めて感じる。 実際に"読む"より"寝る"がくる時点で やはりそうだったのかもしれない……苦笑 働き方についてはかなり同感だなぁと思いつつ、 給料面が不安になってしまうのは言うまでもない。 近年の物価高が大きく影響して、 「働く」云々よりも「生きる」ということ自体に 疲れを感じてくる人が少なからずいるのではないか…とも肌見にヒシヒシと感じている。 私も仕事自体は好きな方なのであるが、 いかんせんそもそもの体力がなく、 残業して通勤何時間もかけて帰って家事をして…… というルーティンのなか気絶するように寝ていた。 老後の資金を貯めなければ、のような漠然とした不安もあるなかで、本書のような働き方を実現可能にできる国の土台が必須になってくるのだろうなぁと改めて考えるのであった。 とはいえ、本書のような働き方ができる環境があれば、実践してみるのも良いのではないかなぁと思う。要は、自分の中の許容範囲と現実を擦り合わせた後に、ベストな働き方へ調整してみて、 それぞれ個々の納得のいく働き方に なっていれば良いなぁと思うのであった…!

    1
    投稿日: 2025.02.26
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    日本人と読書の歴史を紐解きながら、その時代と読書の立ち位置を明示していく。 花束みたいな恋をした、のモヤモヤ感(嫌なものではなく)の正体が言語化された。

    2
    投稿日: 2025.02.26
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    半身で働ける未来が、くるといいなぁ。 今は育休中だからこんなに本が読めているけど、 育休が終わったら仕事に育児に家事に。 きっと本を読む時間が少なくなる。 どうしたらほんをよめるようになるのか、、と思って手に取った本。 昔に遡って、社会の変化を学びながら読書の歴史を辿ることができて、あんまり新書は読まないからゆっくりゆっくり頭に入れながら読んだ。 全身全霊の人を5人よりも半身の人を10人。 そのほうがバーンアウトとかはなくなるよね、 という香帆さんの意見にそうだなぁ。と納得。 そして全身全霊の方が楽。という言葉になるほど、と。 いろんなことを半身でやること、 そしていろんなことをやったおかげで、 繋がる未来があることを実現してくれるいる人だなと思った。 世の中のみなさんが、自分が生きたいと心から思う生き方を 選びながら幸せに暮らせるようになるといいなぁ。 とりあえずわたしは、フルタイム復帰をするけれど 次があれば最初は短時間とかにしてみたい!!

    1
    投稿日: 2025.02.26
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    働いていると、本を読むよりもついついスマホの 動画やSNSで何も考えずボーとしているのが 楽だけど、本を読む機会を無理に作るのではなくて 読みたくなる環境や状況を作るのが大事なんだなと 思った。 著者は全力で働くのではなく、半身くらいで ほどほどにするのがいいと語っている。 そういうほどほどに〜な価値観が少しでも 浸透していけば、もう少し気楽に生きれるのかな と感じた。 本では読書をめぐる考え方の変わり方などを 明治、大正、昭和、平成、そして今にわたって 書かれていて考え方の変化を知れてよかった!

    48
    投稿日: 2025.02.25
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    新書苦手だけど、これはとってもおもしろかった!後半になるにつれて筆者の気持ちがノッてきてるのが伝わってきた。「全身全霊」ではなく「半身」で何事にも取り組む。余裕がないと自分以外の文脈と触れ合おうと思えない。 働いているとなぜ本が読めないのか。それは、現代日本の働き方や時代の傾向、読書歴の変遷、教養の必要性が情報の必要性に変わったことなどなど、いろんな要因があることがわかった。でもその中で、結局いちばん大切なのは「自分を見つめること」。自分だけにとらわれずに、没頭して忙殺されて自分を見ないんじゃなくて、自分と、世界のノイズ(本の中で、世界や他人の文脈のこと)を受け入れていくこと。 本を読み続けていたい。それはノイズを楽しめる人間であり続けることになるから。 以下メモ AIが人間の仕事を奪う世の中で、人間が生きている意味。AI時代における、人間らしい働き方。 それは「労働」と「文化」を両立させる働き方。 自分の余暇の時間を使って文化を享受しようとする姿勢 好意を重視する修養と、知識を重視する教養。 大正時代、前者はノンエリートが実践するもの、後者はエリートが身につけるもの、になっていった。 円本=文学全集 エリート目指し階級が買い、飾りとして積読されることが多かった。その子供が円本を読んで読書習慣がついたり、古本屋に流れて労働者階級に渡ったりした 70年代 教養の延長上にある学歴こそ必須条件 80年代 学歴ではなくコミュニケーション能力 自己啓発本はノイズを除去する。 コントロール可能な「自分」をコントロールする方法。アンコントローラブルなものは捨て置き、自分の行動というコントローラブルなものの変革に注力することによって、自分の人生を変革する。 読書的人文知→自己や社会の複雑さに目を向けつつ、歴史性や文脈性を重んじようとする知的な誠実さが実存している インターネット的情報→自己や社会の複雑さは考えず、歴史や文脈を、重んじず、人々の知りたい情報以外が出てこない ノイズがない からこそポピュリズムの強さがある ひろゆき的知性は、陰謀論や差別的感性にきわめて近くなりやすい。それは同時に、陰謀論や差別的感性が、自分の外部にある文脈や社会を共有せずに「今」ここの知識のみで成立する、ということの証左になる。 倫理や教養は、常に過去や社会といった、自分の外部への知識を前提とする。しかしそのような外部への知識を得るには、そもそま持っている文化資本が必要である。 読書と情報の最も大きな差異は、知識のノイズ性 自分の好きな仕事をして、欲しい情報を得て、個人にカスタマイズされた世界を生きる。働いていると本が読めなくなる理由は、ただ時間だけが問題なのではない。 問題は、読書という、偶然性に満ちたノイズありきの趣味を、私たちはどうやって楽しむことができるのか、というところにある。 読書とは、自分から遠く離れた文脈に触れること。 新しい文脈を知ろうとする余裕がない時、知りたい情報だけを知りたくなる。 遠く離れた他者もまた、いつかなあなたとつながる文脈にいるのかもしれない。

    0
    投稿日: 2025.02.25
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    面白い考え方だし、半身という捉え方がすごいいいと感じたが、現実的ではないと感じた。 読書の歴史と現代の歴史を紐解いて考えていって、書かれている本で、なんで働くのかという問いにも直結しているのかなと思います。 壊れるのはそのことにおいて全身つかっているからであるということはすごくそう感じた。全身全霊をかけて仕事に取り組むことによって、仕事でミスをしたり、何も無くなった時に人は壊れてしまうのではないか。だからこそ二足の草鞋を履くことの大切さがあるのではないかととも思いました。 正社員で働きつつ、育児や色んなことをやりつつ自分のやりたいことをやるためにはどうすればいいのかということに関して、自分の趣味の時間や自分の時間を持つことの大切さが大事で、読書を趣味として考えると仕事後の読書時間の確保や、本屋によく行くこと、SNSを追うことなど、趣味の時間や空間をしっかり持つことが重要だと改めて認識しました。

    8
    投稿日: 2025.02.25
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    このレビューはネタバレを含みます。

    この本がこれだけ売れたのは、本書のタイトルのように感じている人が多いからだろう。 しかし、本当に本が読めない状態の人には、この本は読み通すのはなかなか難しいのではないか、と思う。 読書と朗読の歴史。時代によって、読書の目的や位置づけが変わるのは興味深い。 でさ、私は、何のために、何を求めて読書をしているのだろうか。読んでいる時間が楽しいからだし、自分以外の人生を生きる楽しさがあるからだし、知識が増えたら嬉しいし、本を読んでいる自分が好きだったりもする。 じゃあどうして、どういう時に本が読めなくなるのか。 本書で書かれた、内容を予測できない読書はノイズに感じるから、というのもわかる気もする。自分が苦手なジャンルや雰囲気の本は読まないよう慎重に選ぶし、好きな本を読み返すのは安心できる。 私としては、心に余白がない時に本が読めなくなる気がする。仕事や心配ごとで頭がいっぱいの時に限らず、楽しくて胸がいっぱいのときにも読めない。 今回は少し流し気味で読んでしまったので、もう一度ちゃんと読んで、考えてみたい。 しかし、結末の「半身で働こう」はなかなか難しいのでは?

    0
    投稿日: 2025.02.24
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    花束みたいな恋をしたの映画から始まり、明治からの働き方と読書について読み解いていく。 難しく書こうと思えばいくらでも難しく書けそうなテーマだけれど、軽妙な語り口とツッコミ力によって笑いながら読むことができる。 それこそ明治の頃から、いわゆるビジネス本みたいなものってあったんだなあ、思った。 と思うけど、結論部分の半身の社会の到来は難しいだろうなあ、と思う。著者の祈りのようなものだけれど、これまで、それこそ技術が発展してきても人間の余暇は増えずに(産業革命やらIT革命やらなんとかかんとか)、ただ人手だけが減らされて労働は過密になっているし、AIが発達しても大して変わらないんだろうな、と。 とは言え、著者の他の著作も読んでみたくなるくらいには面白かった。

    0
    投稿日: 2025.02.24
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    タイトルに惹かれて新書を久しぶりに読んだけど面白かった。 私は読書が好きだけどたしかに自分が余裕がある時にしか読めないなあと感じた。 その理由が言語化されててよかった。 昔から全身全霊ができない自分だけど この本によると良いのだなと思った。

    0
    投稿日: 2025.02.24
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    思っていたよりかなり日本の労働史に比重が置かれていた 明治まで遡る必要あったかな? 結論はそりゃそうだよねって感じでした

    0
    投稿日: 2025.02.24
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    とりあえず、いいタイトルだなと思う。 普段本を読まない人が「そうそう、そうなんだよー」って思ってこの本を手に取る。本を読めない現状を思考的にも物理的にも解決してくれる…。まさに一石二鳥…。 自分もそんな感じで購入してみたわけで。 率直な感想は、頭のいい人の頭の中を覗かせてもらった、という感じ。本って大体そうなんだろうけど、ぶわーっと知識が怒涛の勢いで入ってくる。気軽に読み始めたらなかなか骨太な内容で、なかなか読むのに時間がかかった。 それぞれの時代と読書のあり方についてや、色々な引用があったり、作者の知識量すごい。 知識ではなく情報を欲しがってしまう自分。半身で仕事をする(ぜひそうしたい!)ということ…などなど、後半部分は自分に身近に感じられる内容が多かった印象。 楽しい気分になるか…というとそうではない(そもそもそういう感情を目的にしていないと思う)。 勉強になりました、という一冊。 余談…。 でも何で私は「本を読めない=悪」みたいに感じているんだろう。 他人に関しては本を読むか読まないかはどっちでもいい。その人は本を読む時間を別のことに使っているのだろうし。みんな色々な過ごし方があって良い良い。 でも自分が、「本を読めていない」となるとなんだか「時間を浪費している」「新しい知識をインプットできていない」「余暇を楽しめていない」と感じてしまう。 自分を他人と同じように思えれば、「いやいや読書以外に、自分が望んだように時間使っているんだからいいじゃん」ってなるはずなんだけど。 …考える余地がありそう…。

    1
    投稿日: 2025.02.24
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    ●私にとっては、読書が人生に不可欠な「文化」 人生に必要不可欠な「文化」は人それぞれ異なります。 ●自己啓発書はノイズを除去する 自己のコントローラブルな行動の変革を促す アンコントローラブルな外部の社会は、ノイズとして除去される ●読書は、何が向こうからやってくるのか分からない、知らないものを取り入れる、アンコントローラブルなエンターテイメント ・芸術ー鑑賞物ー鑑賞モード  娯楽ー消費物ー情報収集モード ・「観る」と「知る」は違う体験 ・読書ーノイズ込みの知を得る  情報ーノイズ抜きの知を得る ●シリアスレジャー ・自分の生きる意味となる、シリアスレジャー ●自分から遠く離れた文脈に触れること、それが読書 ・社会の働き方を、全身ではなく「半身に変える」 ・半身で「仕事の文脈」を持ち、もう半身は「別の文脈」を取り入れる余裕ができるはず ・未知の他者と会って仲良くなるには、自分に余裕がないといけない ●「半身で働く」ことが当たり前の社会に、なってほしい。 ・働いていても、働く以外の文脈というノイズが、聴こえる社会。 ●個人が「頑張りすぎたくなってしまう」ことが、今の社会の問題点 ・働きながら本が読めなくなるくらい、全身全霊で働きたくなってしまう ・「もっと自分が輝ける好きな仕事ができるのではないか、そのための努力が足りないのではないか」、と自ら感じてしまう ・自らで自らを競争に参加させて、そして自分で自分を搾取してしまう ・バーンアウト、「密かな自画自賛」「自分は悪くないという気分」、うつ病に至る病。一生付き合っていかなければならない心の病 ・トータル・ワーク、生活のあらゆる側面が仕事に変容する社会 ・全身、コミットメントするのは、楽である、 全身全霊のコミットメントは、何も考えなくていいから、楽 ・「全身」でひとつの文脈にコミットメントすることは、自分を忘れて、自我を消失させて、没頭すること ・人生を信じることができれば、いつか死ぬ自分の人生をどうやって使うべきか、考えることができる。 ●働きながら本を読める社会。それは半身社会を生きることに、ほかならない。

    1
    投稿日: 2025.02.24
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    仕事で疲れていると推しに癒しを求める事があるけれど、疲れすぎている時は新しい映像がなぜか見れないとはこういう事だったのか!と納得。 感情を揺さぶられるノイズを無意識に拒絶していたのかもしれない。 読書に限らず、マンガやNetflixのドラマや面白そうなイベントなど、人にオススメされて面白そうなこと、私もハマるだろうとわかっているのに手を出せない時がある。 そんな時は仕事との距離感をちょうど良い案配に整える作業が必要だな。 半身で働きながら読書ができる社会、私も賛成。

    10
    投稿日: 2025.02.24
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    読書や映画の情報はノイズであって、働いているとそのノイズを避けるようになる。全身全霊で仕事をするのではなく半身でいこうよ、という提言にはすごく納得できた。ただ映画好きな私は、逆にノイズを求めているようにも思えた。ただやっぱり全身全霊で仕事をするのは、馬鹿らしく、何かを達成するのに必ずしも仕事という環境が必要ではないということも、非常に腑に落ちた意見だ。どんなにtiktokやYouTubeが世に溢れ返えろうとも、私は映画館で映画に冒頭する行為でリフレッシュしてしまうし、桐野夏生の小説を夢中になって読んでしまうだろう。

    0
    投稿日: 2025.02.23
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    読み始めると、明治以降の労働者が、どんな本をどんなふうに読んでいたのかが、時系列で語られている。読書の歴史書のようだった。その点は、一瞬キョトンとなったw その中で労働と読者の関係が語られ、今の本が読めないのがなぜなのかを、解明していっている。 労働に全身全霊ではなく、半身で働き、仕事じゃないことにも時間を配分できる方が、持続可能な社会を維持する上でも大切だと語られていると、神崎は汲み取りました。

    5
    投稿日: 2025.02.23
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    仕事をするとき、「自ら」仕事を頑張ろうとしてしまう。てっきり、これは私個人の性質なのかと思っていたが、どうやら、社会がそうさせているらしい。そして、全身全霊仕事に打ち込むことは称賛されるべきこととも思っていたが、それは、仕事以外の文脈を取り入れる余裕がない状態を産み出し、本が読めない状態になる、と著者は言う。 なるほど、確かに今私は育休中で、会社勤めをしていた頃よりも余裕がある。だから、今私は本が読めていて、自分からは遠く離れたところにある文脈にふれようとすることができているのか。 休職前、そこそこ忙しい仕事をしていたが、なんだかんだその忙しさが好きで、働くことは嫌いではなかった。でも、がむしゃらに頑張ってしまうことでなんとかなっている状態というのは、あまりよろしくない前例を作っているかもしれないし、私自身がどこかで疲弊しきって動けなくなっていたかもしれない。 復職後は、以前の全身全霊の働き方ではなくて、仕事以外のノイズも受け入れられるような働き方をしていこう。そういう前例を作っていこう。そして、本をたくさん読みたい。 今後の生き方の方向性が示された気がした。三宅さん、ありがとう。 ****** 第一章で引用されていた漱石の「門」については、三宅さんと見解が違った。 三宅さんは、宗助がエリート階級にいるから、立身出世を目指す男性たちに向けた自己啓発的な雑誌をひややかな目で見て伏せたのでは、と記載している。 私としては、宗助が雑誌を伏せたのは、他者に対するひややかな目ではなく、過去の自分の過ちに対する後ろめたさから、自身は幸せになる資格はなく、すなわち、猛進したとて希望はない、立身出世が憚られる、できるだけ人目につかず生きていく他ないための行動と思う。

    9
    投稿日: 2025.02.22
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    まさに働いていると本を読めなくなる「ときもある」という状況がここ数年続いている。 花束みたいな恋をしたも何度か鑑賞した映画だったので非常に興味深く読めた。 明治以降の読書の歴史、修養→教養への流れから司馬作品がサラリーマンに愛された経緯はなかなか当時の時代性を加味し納得性があった。 自己啓発の伸長も本書を読むとすんなり入ってくる。 筆者は半身で働くことで働きながらも読書ができる世の中が良いと主張する。 花束みたいな〜の絹ちゃんはまさに半身で働きながら文芸作品にゆるゆると触れ続ける一方、麦くんはイラストレーターを諦めてサラリーマンになった結果、全身全霊で営業マンモードになる。 ただ絹ちゃんのあのスタンスは親が広告代理店でバリバリ働いているという背景なしに成り立たない。 読書(自己啓発ではない、教養としての読書)が上流階級の特権だとしたら、やはり上流であるための一定数の資本力(一部の富裕層を除くとそれは労働から生まれる)が必要になる。 半身で働きながら教養に浸れる層というのは、非常に器用なマイノリティだと思った。 そしてノイズを拾う本(文学)とノイズを防ぐ本(自己啓発)の違いも言語化してくれて面白かった。 確かに端的に自分の成長のためのヒントをくれる自己啓発は成長を求められる現代に相応しい。一方でタイムパフォーマンス重視の世代にとって自分に刺さらない作品を読むのは時間のムダという考えが普及するのも理解できる。 文中でもあったように、今は関係のない物語がいつかどこかで繋がってくる可能性がある。 それこそが文学(もちろん、音楽でも映画でもいいが)に触れる楽しさであるし、繋がったときの別趣の感度へと繋がる。 だから筆者のいうとおり、休み休みしながらも読書に触れることを忘れないようにしようと思った。

    1
    投稿日: 2025.02.21
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    本屋大賞が何かを受賞された本。 時系列的に本と人間との関係性が変化するという視点が新鮮だった。 世間は生成AIにより意識する前にノイズが排除された情報のみが手元に運ばれる段階。 再びノイズを求めて読書に回帰する運びとなるのではないか。

    0
    投稿日: 2025.02.20
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    なぜ働いていると本が読めなくなるのか(趣味に時間を使えなくなるのか)を考察した本。 結論は日本社会の長時間労働のせいなんだけど、そもそも昔の日本人は読めていたのか等、日本人の読書の歴史からも紐解く本。 ちょうど読んでる時に上司からクソみたいな社内資料を過剰なクオリティで作るように指示された上に、理不尽にブチ切れられて「会社辞めて〜」ってなった時だったから共感しかなかった。 1年間本社で働いてみて、口では「無駄な業務を無くそう・残業を無くそう」と理想論を語る癖に大量の社内資料をいちいち丁寧なプロセス(担当で作成のうえ上長で確認・修正)で作成する状況を見るに、日本人の生産性の向上・ライフワークバランスの改善は無理だろうなーと思った。 今年は労働しながら無理にでも本読みまくる。

    1
    投稿日: 2025.02.20
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    明治以降の日本人の働き方と読書への考え方の変遷を通して、今の日本人が「労働のせいで本が読めない」と感じる理由を探る1冊。働きながら、無理をしなくても本を読めるような社会になればいい。

    0
    投稿日: 2025.02.19
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    タイトルは読書に関するものだが、実際には働き方に関する内容だった。 半身でという論旨には共感できる部分もなくはないが、まぁそうだろうなくらいの感想。 そこそこのおもしろさという感想かな。

    0
    投稿日: 2025.02.19
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    このレビューはネタバレを含みます。

    読む人によって評価の分かれる本だと思う。 まず、読む前に認識のすり合わせをする必要がある。エンタメとしての読書を楽しむ人は1度その考えを捨てて、フラットに読まなければ飲み込めないのではないか。著者が読書好きなら同じ視点で読めば答えが得られると思って読むと論点がよくわからないまま再読することになってしまう。 特に、本著の大部分を占める読書史・労働史は読者が読書に対してどういう印象を持っているかによってはテーマを逸脱していると感じるのではないか。エンタメとして読書をする層など、文学・文芸を好んで読む層ではなく世間一般のビジネス・専門書・自己啓発本などの「情報を得るために読む、役に立つ読書」について書かれているように思える。そのため、タイトルの「本」というのは少し主語が大きいように思う。(p.223に「本書は冒頭から、「勉強・学問」と「娯楽としての本・漫画」を区別していない」とあるが、それは本当に正しかったのだろうか?)娯楽を情報として楽しむ人(映画を早送りで観る人)には刺さる内容だと思う。労働史をいきなり導入する前に娯楽を情報として楽しんでいないか問題提起があればそういった人に対し明確で読みやすかったと思う。 しかし、後半は読書を別の趣味と置き換えて読むことも可能であり、こちらのほうはテーマに合っていると思った。 結論は著者も自覚しているように理想論だが、こうなってほしいと切実に思う。 (書きかけ)

    1
    投稿日: 2025.02.19
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    タイトルに惹かれ購入したものの、自分は本を読むコツを知りたかったため、結局はあとがきのみ読めば済む本だった。本を読めない理由を知ってもどうにもならないため、そこに興味がある方は読んでみてもいいかもしれません。

    1
    投稿日: 2025.02.19
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    このレビューはネタバレを含みます。

    たいへん面白く読ませていただきました。 このタイトルがまさに、「そうそう!!」。そしてじっくり読了。 すごいなと思ったのは、著者の読書量です。引用多数。そして労働と読書の歴史を細かく解説。 前半の、自分が生まれる以前のことについての部分は少々怠惰に思ってしまったものの、自分が本を読み出した70年代あたりからは、これまた「そうそう!!」と共感する部分が多く、そしてちらりと登場してくるベストセラー本などは、あまりにも有名すぎて、今までの私なら逆に意識から遠ざけていたものも、これを機会に読んでみたいなと思ったり。 後半は一気読みでした。  どうすれば読書の時間が取れるのか。 著者は半身で働く世界を推奨しているので、なるほど、生活に余裕を持ちたいなと感じた次第です。 半身で働くとなると、金銭面では苦しくなるのが現状なので、この点をどうクリアするかが問題点かな。 あとがきで、読書のコツを述べてくださっています。 そういえば、学生の頃は、通学時間、友達との待ち合わせ、ちょっとした隙間時間、たとえ5分でも、時間があれば本を開いてたな。また、そういった環境にあったんですよね。 さて、現在、娘が半端ない読書家に育っていて、何かといえば本を開いています。 自分も少しそれに感化されて、一日5分でいいからという軽めの気持ちで、本を読むようになりました。

    1
    投稿日: 2025.02.19
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    読み物として非常に面白かったです。 「半身で生きる」、「全身全霊を美化するのを止める」という点には、読んでる最中はあまり共感できませんでした。私は趣味も仕事もやはり全力で成しせるようになりたいと思ってるから。 しかし、後から考えてみると、仕事に全力を捧げるのは趣味の時間を作るためであると気づきました。業務後に趣味の予定がない時やどうやっても夜遅くまで仕事をしなければならない時などはだいぶ怠けた働き方をしているんです。思うに僕は半身で働くために限られた時間に全身全霊を捧げてるようです。そう考えると著者さんの考え方はあながち自分と真逆とも思えないような気もします。何はともあれ少し頑張れば趣味の時間を作れる今の自分の環境に感謝しなければならないんでしょうね。 余談ですが。 歴史が好きなので近代以降の日本の読書の歴史について学べてとても良かったです。

    1
    投稿日: 2025.02.19
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    読書が歴史的にどう普及されていくのかをなぞって行く。 中々難しい内容で読み進めるのに苦労した。 最終的には、現代の労働環境に対してどうすれば、働きながら読書ができるのかと言うところに行き着く。 著者の理想とする社会を実現する のは難しいなと感じた。

    0
    投稿日: 2025.02.18
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    このレビューはネタバレを含みます。

    オーディブルで聴いた。 本や読書と、労働の歴史。 本の読める社会、みんながもっと全身全霊ではなくゆとりを許容できる社会になれればいいな。 それと、好きなことを仕事にすることを現代の病のように言ってて、なるほどなと思った。

    5
    投稿日: 2025.02.18
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    2025.02.01〜2025.02.18(オーディブルにて視聴) 今後目指す働き方を読書を軸に提案。日本人と読書の関係と読書をするため、いや、よりよく生きるために必要な働き方について語りかけてくれる一冊。 結論から言えば、全身全霊を仕事に向けるのではなく、読書などの余暇を過ごせるよう半身の生活をしようという論調。 最後に触れられているが、別に仕事を好きならそれでも構わない。ただし、仕事に全身全霊を注ぎ込むと、万が一バーンアウトしてしまったらその後の人生は辛いでは済まない。だこらこそ、どこかで仕事は仕事として考え、それ以外のところにも拠り所を作ろう(その結果著者の場合は自分の好きな読書もできる!)という趣旨。 前半、というより本書の多くは日本人と読書の関係に触れられている。 明治や大正では立身出世のための読書、昭和になると次第に読書はエリート層から大衆にも広がり、高度経済成長期にはテレビメディアと連動した娯楽としての読書、そして、平成期から今に至ると啓蒙、自己啓発のための読書と変わっていく。 娯楽が多様化する中、読書のウエイトが単純に少なくなるのはもちろんだが、特に近年「ノイズのない情報」が求められると、人々は読書ではなく、インターネットやSNSなどで情報を集めるようになる。逆に読書はノイズを多く含むことから、コスパタイパが悪いものとなってしまった。 そうなってしまったのは、多くの人は時間がないからというが、労働時間は増えているかというとそうでもない。働き方が変わっているのだ。 新自由主義が横行する昨今、やればやるほど成果につながるメリットはあるが、逆に言えばいくらでも頑張り続けられるようになった。そうなると、仕事のための情報はなるべく効率よく取れるようにしたい。その結果、読書に費やす時間が減っていく。 でも、それは一歩間違えればバーンアウトや鬱病につながってしまう。だからこそ、著者は全身を何かにぶつけるのではなく、半身になって色々な文脈に身を置く働き方を提唱している。 と、なるべく要点をまとめてみたが、これや他の人のまとめを読んで必要な情報を手に入れたとするのは、まさに現代のノイズのない情報のみを求めて、余裕のない生活を送っている証かもしれない。ぜひ時間をとって、ノイズも含めてゆっくりとこの本を楽しんで欲しい。 また、花束みたいな恋をしたを未視聴で、今後見る予定がある人は先にそちらを読む、または、観ることを強くお勧めします(笑)

    0
    投稿日: 2025.02.18
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    本が好きだったのに最近本を読んでない、時間もない、そんな人に手に取ってほしい…!!!!! もう1年近く本を読んでない元読書の虫が、2025年は本を読む年にするぞと意気込んで手に取った記念すべき1冊目!本当にこの本が1冊目で大正解! 明治時代以降の各時代の読書と労働の関係を丁寧に整理、解説しながら、現代はなぜ働いていると本が読めない社会なのかを紐解く。各時代の労働とは人々にとってどういうものだったのか、読書とはどういうものだったのか。なんのために人は読書をするのか。 まさにタイトルの状況下に置かれ、本を読むなにかのきっかけになれば、ヒントが知りたくて読み始めた私にとって、内容の大半を占める読書の歴史なんて「ノイズ」のはずなのに、新たな見識や発見にワクワクしながら一気に読み進め、この感覚が読書が好きだった理由だったと思い出しました。 私にとって読書が楽しいことだった時代、今よりもっと知らないと誰かの世界の中で、読書は新しい知識や自分じゃ思いつかない素敵な表現、知らない世界との出会いに夢中だったのに、社会人になって5年。本を読むことはめっきりなくなり、まさに著者と同じ状況でした。 2025年は本を読む年にする!と手に取った1冊目。本当にこの本でよかった。運命! そして結論の、「半身で働く」。仕事フルコミット、仕事大好きだけど仕事漬けの日々にちょっと疲れてきたなと思ってたところだったのでドキッとしました。読書然り、気づけば無意識に我慢してたり存在自体忘れてたり見えないフリしてたやりたいことってたくさんあったなと。仕事以外は何もできない状況を、仕事忙しいから仕方ないで片付けずに、うまく気持ちも時間もコントロールしてやりたいこと全部やってやるぞ!って気持ちになりました。

    1
    投稿日: 2025.02.17
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    このレビューはネタバレを含みます。

    圧倒的な引用の量に読書愛を感じる。 喰らったので星5です。 ゆるふわに「半身」を表現してくれたらゆるく相槌を打てたはずなのに、言語化うますぎのため、自分の背骨に「全身」が通っている事に気がついてしまった。 俺は、推しを愛している。 推しは、高校生活の大半を捨てて芸能界へ来た。 後輩たちに、捨てられるかの覚悟を問うた。 ノースキャンダルで卒業を迎え、 舞台の千秋楽の翌日には別の作品の稽古が入っているという過密スケジュールを、 望んで入れている。 俺は、推しの「美徳」を愛している。 推しに恥じない生き方をしたいと思っている。 半身で回る世界がいい、 本を読んでいたい、 推しをたまには見ていたい。 本当はそう思いたいのに、 推しは全身捧げて生きてる。 どうしようもない内なる引力にさいなまれながら、それでも半身をどうにか願えるように。

    1
    投稿日: 2025.02.17
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    結論部分だけをピックアップすると、以下の通り。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 本を読むための余裕を残せるように、全身全霊で働くのではなしに、「半身」で働こう。 個人がそうすることが、社会の働き方を全身的なものから半身的なものに変えていく第一歩だ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 結論に至るまでには、明治時代から現代までの読書と労働をまつるエトセトラがふんだんに盛り込まれている。 著者は、現代の読書を自分とは離れたところにあるものと向き合うための「ノイズ」であると定義している。 だからこそ、余裕がなくなると実生活とは無関係なものとして切り捨てられてしまうらしい。 自分は、半身的な働き方ができているような気がした。 だって好きな本を読む余裕を失ってないもの。 職場でもちょちょいと本を読むようなアソビのスキマ時間もある。 この本も、仕事が終わった後によみおわりました。 最後の方で、著者が「本が好きなんだろうなぁ」というのが伝わってきました。 読了後、いい気持ちになりました。

    2
    投稿日: 2025.02.17
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    意外と歴史書だった。明治から令和に至るまでの日本の労働と読書の関係性について説く本で、最後の「日本人はもっと半身で働くべき」という提言にも納得。新しいことを知ることはノイズだけど、それを受け入れる余裕も必要だなと。 ただリアルな話、1〜3年くらいは全力で働くのも大事かなと思う。(それは作中でも触れられてるが) やっぱみんなが半身すぎるのはちょっと違う気がするかも。頑張ってることも奨励されて欲しいし、本を読む余裕があるくらいの働き方でコミットすることにも寛容や社会になって欲しいなと。 自分が仕事も読書も好きだからこそそう思った。

    1
    投稿日: 2025.02.17
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    本当に本が読めなくなって苦しくて救われたくて読みました、買ってから10ヶ月くらい経っていたんだけれど。 救われました〜〜ありがとう〜〜 全身全霊で仕事したいけど、休み方を覚えようかなあ

    1
    投稿日: 2025.02.16
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    一気に読んでしまった。それくらいの読みやすさ。 著者の考えていることに共感しかなかった。 私は働きながら本が読めてはいますが、孤独な人間に思われて、仕事中に後輩が聞きたいことを聞きにくいと言われたことがあるので、休憩時間の5分間は戯れて、残りは読書をしています。 全然休めていない気がして、「どっちが無理しているんだろう」と思ったこともあったけど、「そもそも8時間働くのに正規の休み時間が1時間弱しかないのおかしいよ」と思うようになりました。 やりたいことに対する余暇時間の少なさ。これが何もできなくなる原因の一つでした。 たばこ休憩も認められているんだ。読書休憩もありだろう。明日からやるかぁ。

    101
    投稿日: 2025.02.16
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    日本人はいつから本を読み始めてどんな本を選んできたか。日本人はどんな働き方をしてきたか。この2つを絡めながらざざーっと振り返れたことはとても面白く、自分の祖父母宅のお家にあった本を思い出したり、小さい頃のお父さんを思い出したり、なぜ今私は本を読めないことに焦っていたのか、とても合点がいきました。そして、自分自身の中途半端な働き方に疑問を持つ今日この頃だったのが、これでいいんだ、と背中を押してもらった気分。全身全霊でトータルワークすることをやめます。

    1
    投稿日: 2025.02.16
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    めちゃくちゃおもしろくて、いっきに読んでしまいました。 「労働」と「読書」の関係を歴史から紐解き、現代の働き方、のみならず人生への向き合い方について、独自の見解が述べられています。 仕事だけでなく、趣味やその他のことも含めて、「全身全霊」でやらないという考え方に、とても共感できました。

    0
    投稿日: 2025.02.16
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    アカデミックに日本の読書史を読み解きながら、現代人がなぜ本を読めないのかについて言及する。 それは現代人が仕事に全力投球し、即時的に日々の業務に役立つ「情報」を求めているからである。 →仕事以外の文脈を取り入れる余裕がなくなる 「情報」: •自分が知りたいこと(欲しい情報)そのもの →ノイズ× •情報収集 •ネット検索/SNS 「知識」: •知りたいこと+ノイズ(予期しない情報)→偶然性 •偶然性→自分から離れた存在に触れること(我々は他者の文脈に触れ、他者を人生に引きこまなければ生きられない) 読書とは、自分から遠く離れた文脈に触れることである。本の中には、私たちが欲望している事を知らない知が存在している。知は常に未知であり、私たちは「何を知りたいのか」を知らない。 半身で仕事をし、本を読み、自分なりの余暇を楽し む。人が自分だけの文脈では生きられないのだとしたら、様々な方法で他者の文脈を取り入れる余裕を持つことが大切である。そしてそれは必ずしも読書である必要はないのかもしれない。

    2
    投稿日: 2025.02.16
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    中身は読書の近現代史と言った感じでタイトルからはやや遠い内容 タイトルと中身は離れているがそれこそ現代のすぐに答えを求めようとするファスト教養としての読書への問いかけにもに感じる 小難しいことなしの感想を言うなら昔の本のことたくさん知れて楽しかった

    4
    投稿日: 2025.02.15
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    なんかビジネス書かな??と思って敬遠してたけど、「読書と労働の歴史」とのことで面白く読めた。 直前に、野﨑まど『小説』を読んでいたので、どうしたってそのことも考えてしまう。(何のために本を読むのか?) 第9章と最終章はほぼ共感しかない。 問題は、最終章にある「半身社会」をどう実現するかだが…。読みたいリストにずっと入ったままの、デヴィッド・グレーバー『ブルシット・ジョブ』をそろそろ読むべきかしら。

    3
    投稿日: 2025.02.13
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    なぜ働いていると本が読めなくなるのか、ってタイトル。どっちかというと「本が読めなくなるのか」の方に惹かれて買った。実際、読書の歴史なんかを丁寧に追っていく展開でとても満足。でもこの書籍のメインはどっちかっていうと「働いていると」っていうところだと思う。今、一生懸命本を読もう!と心がけている自分の心のうちを見透かされているような気持ちにもなった。おすすめです。

    1
    投稿日: 2025.02.13
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    Audibleにて。 読書文化の歴史的経緯と分析は興味深く読んだけど、結論は自分の求めてた内容ではなかった。 この手の本はいつもタイトル通りの中身ではないので予想はしてたけど。 私が求めてたのは「忙しくてもどうすれば読書をもっと楽しめるか?」だったのかもしれない。 人それぞれ違う読書の具体的な楽しみ方やこれからの新しい読書の楽しみ方など、もっと具体的なものが知りたかった。 私が読書を毎日続けられるのは、ブク友さん達のおかげです。 「いいね!」のやり取りだけでも、「本が好き」という共通の趣味を持ったブク友さん達と毎日一緒に読書を楽しんで繋がっているような気持ちになるのでとても嬉しい。 ブク友さん達の本棚からは自分の知らない分野の本も知ることができて、様々な感性のレビューを見るのも楽しいし、皆さんレビューが上手なので勉強にもなる。 今まで孤独に感じていた読書の時間がとても楽しい時間になりました。 これからもブク友さん達と一緒に読書をずっと楽しみたいです。

    106
    投稿日: 2025.02.13
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     三宅さんがたくさんの読書愛を語る姿は好きですが、新書が苦手な私には難しく、過去の時代の話は結構読み飛ばしました。  最終章の、現代は「自分の中の内面が働かせてしまう」というところは、SNS社会で存在するかわからない、遠くの人とも比較できてしまう時代ならではの悩みだと思いました。最初から働き方改革を適応されているこれからの若者の意識は違うのかもしれません。なので10年ごとに現状分析して欲しいなと思いました。  半身で働く社会は理想なんだけど、仕事をある程度習熟するには全身で働く時期も必要なんじゃないかと思ってしまうのは、私が古い人間だからかもしれません。

    1
    投稿日: 2025.02.12
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    読書に関するの歴史本であって、どう言った本が読まれていたのか、それは何故かという歴史の紐解きに注力されている 皆が惹かれるであろう、なぜ働いていると本が読めなくなるのか、という点に関してはあまり目新しいことを言っておらず、働くスタンスを変えようといった浅い結論に達している。 また、引用が使われ過ぎており、適切な使い方をされた際のスマッシュ感がなく飽きてしまう。 申し訳ないが前半の歴史分析で飽きてしまって歴史考察部分は飛ばしてしまっているので全部読むと違うのかもしれない。

    1
    投稿日: 2025.02.12
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    著者の言いたいこと、伝えたいことが書かれてあるところが面白かったです。 また、実際、私自身も2024年から社会人となり中々プライベートの時間(運動や読書、などなど)を取ることができないことにもやもやしていたところだった。そんなとき、この本に出会い読書できていなんだよなぁという共感からこの本を読み始めた。 序盤は著者が働き始めてから本が読めなくなったという経験からこれまでの日本は本を読めていたのかどういう人が読んでいたのかなどの歴史をまとめていた。それらを踏まえて現代へと焦点を当てて本が読めない現代社会に対して著者の意見を述べていた。今回の内容は本にフォーカスした話として思われるかもしれないが、現代社会の問題点を述べており今後の社会の在り方や自分たちの生活をどのようにすべきかと問うており、非常に面白い。つまり、本以外にも当てはまり自分の生活をどうしていきたいのか考えさせてくれる本である。 読み直したい本の1つであり、本書以外の作品も読んでみたいと感じた。

    0
    投稿日: 2025.02.12
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    「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」 著者は新卒1年目に気づいた。今まであんなに本を読んでいたのに、読める時間はないわけじゃないのに、本に手が伸びない。好きな作家の作品を追いかけることもやめてしまっていた。 流行の作品「花束みたいな恋をした」にも、同じ現象を見た。 そこから、労働環境や社会的階級により読書ができるできないが左右されること、 近代(明治に始まる)われわれ日本人の読書体験とはどのようなものか、誰がどんな本を読み、いつどんな本が必要とされ受け入れられたか、数々の文献を引用し、時には文学作品から当時の息吹を感じながら繙いていく。 労働者とインテリ(ワナビー)をわける修養と教養など、現代のわれわれに無意識に受け継がれている読書への態度など、多くの観点から読書を読み解いていく。 労働と読書の価値は時代によって異なる。 現代は、労働によって自己実現を図る社会。 自己実現のために、のめり込んで労働させられている。 情報収集ではなく読書はほかの人の文脈というノイズを生む。 自分の文脈(労働からの自己実現)にのめり込んでいる時、新しい友人に出会うのが億劫になるように、本を読む心の余裕がなくなる。 スマホゲームや自己啓発本は、よくわかっているものであったり、仕事に親和性が高かったりして、ノイズとはならない。 そんな、全身で仕事をしなくてはいけない社会が生み出したのが本が読めない社会である。 本が読める社会とは、仕事に半身、もう半身は仕事以外の他の文脈のために空けておける社会。 本を読みたい人は本を読めばいいし、他の趣味がある人、家族のケアがある人、それぞれの文脈を共生させる。 全身で仕事に打ち込むのが美しいとされる社会を止めること。称賛するのを止めること。 そこから本が読める社会が戻ってくる。

    0
    投稿日: 2025.02.11
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    労働や階層、社会といった切り口から読書という行為について分析。緻密、膨大な研究に基づく、破綻のない整然とした主張に納得させられる。 自分の中で漠然としていた読書とSNSの性質の違いを明確に認識することができ、より読書に集中するきっかけとなった。

    4
    投稿日: 2025.02.11
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    「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」 会社帰りに書店に立ち寄り、ふとタイトルが目に留まった。 気づけば、まえがきを読み始めていた。 「そうか、本が読めていないのは働いているからか」という、既に知っているようで実感しきれていない気づきがあったからかもしれない。 最近本を読めていなかったそんな私だが、先月育児休職を取得したことで、「働かなくてよい時間」をタイミングよく確保できたことから、この機会を逃すまじと、最後まで読んでみた。 タイトルの雰囲気から、脳科学的な観点でまとめられている本なのだろうと推測していたが、読み進めると驚いた。なんと本書の大半を、明治から現在に至るまでの読書史と労働史の記述が占めている。 「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」という問いに対し、著者は「昔の人だって忙しく働いていたが、本は読めていた」という事実に注目し、「時代の流れやそれに伴う人々の価値観の変化が影響しているのではないか」という仮説を立て、それを検証していくプロセスをとっているためだ。 はじめは、「本が読めなくなる理由を早く教えてくれよ」という気持ちで読んでいたが、各章でまとめられている、各時代において人々が置かれた状況や労働に対する価値観、その中で読書はどのような位置づけだったのか、といった、これまで自分が知らなかった、あるいは、考えたこともなかった内容に、いつの間にか夢中になっていた。 そしてこの体験は、まさに著者が述べる「大切なのは、他者の文脈をシャットアウトしないことだ。仕事のノイズになるような知識を、あえて受け入れる。仕事以外の文脈を思い出すこと。そのノイズを受け入れること。それこそが、私たちが働きながら本を読む一歩なのではないだろうか。」という結論に結びつく。 最終章では、新時代の社会のあり方として「半身社会」を提唱している。我々にどこまでも全身のコミットメントを求める資本主義社会の中で、全身全霊で生きるのは自我を消失させられてしまうから、自分を、そして、自分以外の人間を覚えておくために半身を残しながら生きよう、というメッセージだ。 この部分を読んでいる時、私は素晴らしい考えだという賞賛の気持ちになったが、その一方で「全身全霊で取り組んだときのみ、真の価値あるものを創出できる、あるいは、提供できることは確かにある。全員が半身社会のマインドで生きていたら、そういうものが世の中に生まれなくなり、社会は停滞するのではないか。」という疑義の念も抱いた。自分の中に理想は、まだない。ただ、今回本をじっくり読み、社会の今後のあり方について、誰かの意見を真剣に受け止め、同時に自分にも問いかけて考えられたのは、これまでかなりの比重を置いて取り組んできた仕事から一時的に離れ、自分に余裕が生まれていたからなのは間違いない。常に自分に余裕を持つよう意識し行動すること、余裕で生まれた余力を自分自身だけでなく自分以外にも与えること。この想いをもって、これからの社会について考えていきたい。

    3
    投稿日: 2025.02.11
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    労働に対してどういった価値を見出すのか、意味づけをするのかは時代によって大きく異なる。 時代を覆う考え方に影響を受けていることを 認識していないと、自分にとって大事なもの(読書や大切な人との時間)を見失ってしまうのだと思った。

    1
    投稿日: 2025.02.10
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    このレビューはネタバレを含みます。

    題名の通り近年話題となっている読書離れについて「労働と読書」の歴史を辿りながら解説している作品。明治時代から令和時代にかけての国民の読書(本)に対する捉え方の変遷を知ることができる内容であり読みごたえがあった。 本の中には興味を持った単語「円本」・「カルチャーセンター」や作品(参考文献含む)が出てきたため、いつも通り自分で調べて学びを広げていると、ふと他の本でも日頃同様に分からない・気になる単語を調べて理解を深めていることに気が付いた。これが作者の伝えているノイズを受け入れる、遠く離れた文脈に触れるという読書の醍醐味なのだと確信。読書とは情報の寄り道をしながら様々な知識を蓄えられることなのだと実感できる作品であった。 作者の伝える「半身で働ける社会」までは行かなくとも、ノイズを受け止められる社会ではあってほしいと思う。

    2
    投稿日: 2025.02.10
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    立ち読みで読破(疲労困憊) 自己啓発はノイズを減らすもの。 文芸などはノイズが含まれるもの。 知りたいこと+ノイズ=知識 知りたいこと=情報 ノイズを受け入れよう。 ただ疲れたら、休もう。何もしなくていい。

    2
    投稿日: 2025.02.09
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    読書と労働史と言った感じの著者だった。 結論は、全身全霊から、半身で何事も行う。 情意評価が、重要視される日本では、根回しや内部資料を過度なまでに整える環境が生まれる。 仕事をできないことを認めるより、バーンアウトの方が、誇らしいと言った感情が生まれる。 全身全霊の方が楽←同意 国も会社だとしたら、ブラックな環境の国は、淘汰されるべき、国となる。 淘汰とは、どういうことか。 働き手がいなくなる。 国民か、子どもを産まなくなる。 糸魚川市が、選ばれなくなる。 ゆるい市 象徴 完全週休2日制 先進的 週休3日

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    投稿日: 2025.02.09
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    労働に必要な“知りたいことだけを知れる情報”と、読書で得られる“偶然の出会いを含む情報”は全く違うものだと思えた。

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    投稿日: 2025.02.08
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    第1章から第9章までは読まれる本の傾向を述べ、最終章で筆者の主張する半身労働社会が述べられている。 タイトルの「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」については、 過去、長時間労働の中でも本が売れていたのは、1980年代以前(労働に教養が求められる時代)のような「労働のために読書が必要な時代」だったが、 現代社会の労働に求められているのは自分自身を変革して市場に適合することであり、ノイズ(アンコントローラブルな外部の社会)を含まない自己啓発本の市場は伸びているものの、ノイズを含む本全体の書籍購入額が下がっている。 というような主張がされているが、本当にそうなのか?と感じる。 労働うんぬんではなく、単にインターネットの台頭やその他娯楽が強くなった影響もあるのではないだろうか。 そして最後の主張は生活の半分は仕事にして、残った半分は読書に充てましょうという趣旨を述べているが、それって本を読めないのは労働で疲れて時間も無いからと言っているような気がしてすっきりしなかった。 ただ、著者は様々な書籍から引用しており、興味をひく引用も多く読んでみたいと感じる本もいくつかあった。 この本で述べられているように、ノイズの多い本だからこそ知識が広がっていくように思う。

    1
    投稿日: 2025.02.08
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    漠然とした疑問が言語化された。結論は世代や考え方によって受け止め方が変わるかもしれないが、筆者と同世代の読者としては納得出来るものだった。

    0
    投稿日: 2025.02.07
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    だいぶ話題になっているようなので遅まきながら読んでみた。 前半(第6章まで)では近代読者層の成立を立身出世主義や修養主義、戦後は「教養」との関係から概観し、後半(1990年代を扱った第7章以降)ではそうした読書が立身出世や修養、教養から離れ、ノイズを含まない情報摂取が主流となっていくなかで読書離れが進んで行く過程とそれに対してどうするべきかを提言(最終章「全身全霊をやめませんか」)をおこなっている。 前半の話は周知のことであり特に新味はないと思うが、後半で取り上げられている読書傾向などはよく知らなかったので勉強になった部分もあった。 最終章で著者が引用しているハン・ビョンチョル『疲労社会』(花伝社、2021年)は面白そうなので、読んでみようと思う。

    0
    投稿日: 2025.02.07
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    生き方を考えさせられ、明日からの仕事を考えさせられた。人生の転換になる珠玉の一冊。働く意味や人生において有限の時間をいかに使うか、もう一度考えたい。

    0
    投稿日: 2025.02.07
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    昨年はこのタイトルをよく、目に耳にしていたなぁ。 タイトルだけ聞くと、わたしにはあまり関係がなさそう(一応働いているけど本読めるし…)と思っていたけど、前回の読書会のオススメ本で紹介されていたので縁を感じて借りて帰った。 いや、コレ、買いだわ。 日本における明治時代から現在に至るまでの読書と労働の関係、その歴史の話。 こんなんめちゃくちゃ好き。 日本人の読書と働き方の関係性を、明治から丁寧に追っていく内容で、自分が生まれる前の読書と労働の関わりについては新しく知る事実に驚いたし、生まれてから現在までの流れについては、 「オリジナルだと思っていたわたしの本の読み方や人生の捉え方ってこの文脈にわりとどんぴしゃでハマってた…!」と愕然とした。 著者の結論、「半身で働く」という主張が、わたしにとってはわかるようなわからないような印象を持ったんだが、自分なりの解釈だと、自分が出せる力量から充分な「余力」を差し引いた分で働く…ということなのかな?と思った。 余力というか、余裕というか。 仕事であれなんであれ、常にいっぱいいっぱいのキャパで取り組んでしまうと、そのいっぱいいっぱいの自分にとってノイズになる「知識」を入れることは不可能。でもひとつのことにいっぱいいっぱい全力で取り組んで、そのためにノイズのない「情報」だけを取り込むということが、自分のキャパを考えて余力を計算する必要がない分ラクなんだろう。 全力で取り組む対象が仕事だけではないという示唆も面白い。 それ自体を全力で目的化することは、ラクだけど多分幸せには繋がらない。 たとえば翻って趣味の読書。 今月は読んだ本少なかったなーとか、 あの本早く読んで次にいかないとなーとか、とりあえず本を1冊でも多く通読すること自体を目的として考えちゃう時は、この傾向がある。 はて、それにしてもわたしは、何故こんなにたくさん本を読んでいるんだろう。 知識を増やしたいとか仕事に活かしたいとか年相応の教養を身に付けたいとか、なんとなく思いつく目的はあるんだが、確実にそれだけではないな。 とりあえず目が元気で不自由なく読めている間は半身で読書を楽しみたいと思います。

    1
    投稿日: 2025.02.06
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    著者は明治からの労働と読書の歴史を紐解いてそこからみえてくる「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」の答えをだそうとする。そして提案する。「全身労働社会」から「半身労働社会」に変わろうよと。 「半身」とは,さまざまな文脈に身をゆだねることである。「読書」が他者の文脈を取り入れることだとすれば、「半身」は読書を続けるコツそのものであると。 「半身社会」こそが、「働きながら本を読める社会」をつくると。 今 「全身」から「半身」になった身にしてみれば 好きな読書を満喫できて とても幸せだ! 「半身」だからこそ あれもこれも楽しめている。しかし さて誰もがそんな人生を過ごせるかと言うと、、、、?「半身」で働ける可能な社会が来るのを祈るばかり。

    0
    投稿日: 2025.02.06
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    実際働いていると本当に本が読めない! 残業や長時間労働したあとは特に読めない なのに、スマホはいじられるし、Xもインスタもみれる。ついつい、本を開くの億劫になってしまうときに出会った本。 「全身全力」で仕事してしまうと、自分のことは 後回しにしてしまうし、そんな人生はわたしの人生ではないので、そこそこに力抜いて本を読んでいきたい。

    10
    投稿日: 2025.02.06
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    内容はなるほどなと思いましたが、このタイトルに惹かれて(本読みたいけど読めない…!)手に取った人にとって読み易いかどうかは微妙なところでした。 遠回りして、また元いた位置に戻ってきた感じがしました。

    1
    投稿日: 2025.02.05
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    このレビューはネタバレを含みます。

    読書と働き方についての歴史を振り返りつつその当時流行った本についてふむふむと読み進めていた。最後に急に結論として半身で働く事を提唱してきて、びっくり。8割読むまでこんなしっかりとした結論で結ばれる雰囲気じゃなかったのに。新書って始めの2.3割に結論が書いてある事が多いから意外だった。 著者も述べている通りなかなか半身でやるって難しいけどね。好きな事、楽しい事だったらやりたくなっちゃうだろうし、仕事でやらなきゃならない場合もあるし。

    1
    投稿日: 2025.02.04
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    このレビューはネタバレを含みます。

    完璧主義社会へのアンチテーゼ。半身で働こう!というのは大いに賛成。自分は半身どころか3分の1身くらいでしか働いてないから本が読めるのかもとすら思う。 まあ色々書いてたけど、単純に残業なしの週5・8時間労働ですらまあまあ疲れるし、そもそも本って一気に読まないとどんどん内容忘れてつまんなくならないっすか?私はそうで、だからまとまって読める時間なかったらそりゃ読まなくなるよなって感じがする。し、映画と違って流しとけば勝手に進むもんでもないから、そういう意味でも読書ってハードルが高いよなーと思う。 ただ「読書はノイズが多い」ってのは、そういう概念は確かにありそうだなと思ったけど、物語系の娯楽は全般そうよね。読書や映画は自分にとって未知の世界への旅で(だから最近現代小説ばかり読んじゃってその既知っぷりにうっすらがっかりしてたんだな、と今気づいたけど)、そのノイズが重要というか、思いがけない話の展開や表現の美しさから感じる魂の震えを探して映画観たり本読んだりしてるわけで、それをノイズと言っちゃおしまいだよねえという感じがする。そういう概念を持つ世の中に対してね。作者への文句ではなく。安寧が欲しい気持ちもわかるけど、自分は逆に社会生活で繰り広げられるクソどうでもいい雑談や愛想笑いで蕩け切った脳みそをシャッキリさせるために、不愉快さに耐えかねてやむなく切った心のスイッチを再起動するためにそういうのに触れてる感じがするから、うーん、みんなそうなのかなー。と思った。本当にみんな知りたい情報しか知りたくないんだとしたら、病的すぎる社会だと思う。一切の無駄も許せないなら早く死んだほうがいい。ある意味ではおれたちの生が一番無駄なのだから。 個人的にはそういう概念がないから、やっぱりそんな難しい話ではなく、単に疲れてて「本を読もう」とよいしょと立ち上がるのすら面倒、それくらいみんな疲れてるってことじゃないのかなーと思ったけど、まあでも、そういう側面もあるんだろうなあ……と思った。

    0
    投稿日: 2025.02.03
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    読書とは社会的、時代的、文化的背景で分析してみる。深い考察をしているような、思いつきを羅列しているような。考え方の一つとしてはいいと思う。読書と言っても、 自己啓発本の社会的位置づけの分析、時代とともに移り変わる日本人の思想、かな。読みやすい文章で、主張もとってもわかりやすい。表現も読者との距離感の近さも私にとってはいい感じ。

    0
    投稿日: 2025.02.03
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    このレビューはネタバレを含みます。

    なぜ本を読まなくなったのかという視点から、歴史を遡り人々にとって本はどんな存在なのか。 そして現代人にとっての本は、予想外情報を含んでいるからこそ敷居が高くなってしまっている。つまり心のゆとりがないと結論づけ、全身全霊社会の在り方に警鐘を鳴らす。 各時代の分析、構成、論理どれをとってもクオリティが高く、なんだか小説を読んでいるように続きが気になってしまった。 私自身も自己啓発を読むことも多いが、必要な情報が端的に書いてある本=良い本と決めつけていた。考えなくても答えが明確な本ばかり読んでいてはダメだと改めて反省したと同時に、全身全霊ではなく肩の力を抜いていきたい、一生懸命を美化せず、休むことを美徳としていきたいと強く感じた。

    1
    投稿日: 2025.02.03
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    前書きと最終章は面白かったが、途中はほぼ読み飛ばした。 途中で出てきた「文脈という名のノイズ」という表現が面白かった。

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    投稿日: 2025.02.02
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    なぜ働いていると本が読めなくなるのか。新自由主義の台頭により、個人の責任範囲が拡大し、競争に勝ち抜くために自分自身の文脈に直接関係のある情報が重視されるようになった。読書は他人の文脈を楽しむことであり、効率的でないと判断される傾向にある。本が読めない社会とは、言い換えれば自分のことでいっぱいいっぱい、全ては自己責任で他人のことなど考える余裕はないという、ギスギスした社会のように見える。果たしてそんな社会は健全なのだろうか。寝る間も惜しんでバリバリ働くのはカッコよく見えるけど、それは本当にかっこいいのだろうか。意識的に余裕を持って他人の声に耳を傾けられるぐらいの大人が1番かっこいいのでは?という話。まったくその通り、一刻も早く働かなくてもいい社会が来てほしい。

    0
    投稿日: 2025.02.01
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    このレビューはネタバレを含みます。

    読む前はタイトルに惹かれて読み始めましたが、読み始めると時代の変遷に沿って読書の捉われ方が解説されていて、思っていたものとは違ったものの、なるほど、へーと思いながら読み進めていました。 最後まで読んで、読んでよかったなと思った本でした。 インターネットの普及により、自分の得たい情報がすぐに得られる時代になった反面、今の自分にとって不必要な情報はノイズとして除去される。有限な自分の時間を長時間労働に割かれ、ノイズを受け入れる余裕がなくなってしまったために、働いていると本が読めなくなってしまうというところ、そしてYouTubeやゲームなどスマホは見ることができるのは、情報を得るという行為としてではなく、無心でできることに近いからであるというのはとても納得がいった。 まだ社会人一年目ではあるが、正直週5日1日8時間も働く意味はあるのだろうかと思ってしまっているタイプなので、筆者の望む社会になればいいななどと思いつつ、そんな簡単に実現するわけないよな、と思ってはいます笑。

    0
    投稿日: 2025.02.01
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    仕事が忙しくなると読書が進まない事がよくあり、その理由を知りたくて読んでみた。本と読書を歴史的に紐解いている部分はへーと思う事が多かった。結局は仕事と仕事以外の気持ちの切り替えが上手くできるかどうかにかかっている事がわかった。

    0
    投稿日: 2025.02.01
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    このレビューはネタバレを含みます。

    タイトルと帯の「疲れてスマホばかり見てしまうあなたへ」が素晴らしい。これで手にした人も多いのでは。 みんな仕事にフルコミットしすぎてるから、半身で働くくらいがちょうどいいよって話だった。 けど、働くことが好きじゃない、全身全霊で働いてないから自分にはピンとこなかったなあ。 たしかに、残業一切しません、プライベートが一番ですみたいなこと言われると、いや仕事だからら責任もってやろうよって思うから、そう言う意味では仕事を優先すべき、フルコミットすべきって思ってるのかなあ。 ネットはノイズがなくて自分が欲しい情報をとれる、一方で読書は自分の興味外のノイズがはいってくるから、ネットはできても読書はできないのではってあったけど、あくまで調べるだけではそうだけど、普段時間を浪費してるのはSNSとかだから、むしろノイズだらけの気がする。 広告もでないし、意味わからんツイートも目にしなくて済むし。 読書は集中力いるし、終わりまでが長くて先に嫌になっちゃうからかな。 スマホは終わりがなくて、自分で辞めるまで延々とできるから、最初は5分だけのつもりだから、始められる、でおわりどころがないし負荷も少ないから延々とやっちゃうのかな。 あと紙の本は読みづらいのよね。両手で読まないといけないし。iPadで読むのに慣れたらもっと読めるのかもなあ。iPadで隙間時間に読めるようになりたい。 あと本って一重に行ってもたくさんあるからなあ。エッセイなら読めるけど、小説は読めないとか。 自己啓発本やらビジネス本は読めるけど、新書は読めないとか。集中力とか、新しい知識を入れる気力がないとかそう言う話な気もする。 教養ってなんだろうね と思って考えてみたけど、高校までの教育課程内容を理解して、日常のものごとと結びつけたり応用できることかなあ。 それを知ってるかどうかみたいなのが教養として扱われることがあるけど、あくまで知る機会があったか否かだと思うし、ちょっと教養とは違う気がしていて。

    0
    投稿日: 2025.02.01
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    私が就活をしているからこそ結構刺さったなという感じです。この本を読んだことで、ワーク・ライフ・バランスを重視したいと思った。また、私達がいつもやっている読書がどのような過程を得て今日の読書を形成しているかを理解できた。

    0
    投稿日: 2025.01.31
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    読書はノイズである!自分の知らないこと(他人の人生)を知ることはノイズであると言う前提で読書に向き合うと言う考えを知ることが出来たがそこに至るまでの歴史や説明などは少し退屈だった。退屈もノイズなのかもしれないが…。

    0
    投稿日: 2025.01.31
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    読書はノイズと思われることがあるけど、ノイズのようなものにこそ人生のヒントがあり、視野と豊かさを与えてくれる。 本を読むために筆者が提案している「半身で働く社会」。 スキマ時間での読書ではなく、メイン時間で読書ができるような、ゆとりのある生活ができたらいいなと思いました。

    0
    投稿日: 2025.01.31
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    このレビューはネタバレを含みます。

    思ってたのと違うと感じつつ読み進めましたが、どんな時代にどんな本が売れてそれがどんな影響を与えていたかなどわかりやすく面白かったです。 時々ツッコミでくだけた言い方になるのが笑ってしまいました。 心に余裕ができる働き方にしていけるといいですよね。

    0
    投稿日: 2025.01.31
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    明治時代から現代までの働き方や本との付き合い方の歴史はとても興味深かった。最後は…働き方改革の話…かな?

    1
    投稿日: 2025.01.29
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    YouTubeで著者を拝見して、若くてキレイな方が本について熱く語っている姿に一瞬で虜になりました。 2025年は本を読もう!と思わせてくれたキッカケの1人だったので、そんな著者の作品を読んでみたいと思って選びました。 読書史と労働史の二軸で話が展開されていくのが わかりやすくて、面白かったです。 体調を崩して退職した経験があるわたしからすると 後半の新しい働き方を著者が提言している部分に 響くものがあり、ちょっとウルっときました。 なぜ、パズドラはできるのに読書はできないのか。についてもなるほどなぁ、と納得するところが多く 前半の歴史から一変、自分ごととして捉えやすかったので後半は一気に読みました。

    6
    投稿日: 2025.01.28
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    読み始めると「思ってたんと違う」。 すさまじい数の参考文献を基に、歴史を遡りテーマを掘り下げていく。 時折りテーマから離れた様な気もしたが、納得の解説だった。 あとがきは体温を感じ共感した。これからも楽しく本を読みたい。

    3
    投稿日: 2025.01.27
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    このレビューはネタバレを含みます。

    明治時代から現在までの社会の背景から読書について読み解いているので、非常に理解しやすい。 この本のタイトルである『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』 答えとしては、仕事に疲れ、趣味の時間に費やす時間が少なくなる為。 ただこれだけだと不十分で、時間がないと思っているのはどの時代も同じ。問題なのは、本を娯楽として楽しめない時代(ノイズを排除する時代)になったいう背景があるから。昔は終身雇用で会社が個人の面倒を見てくれたが、今は会社が見てくれないこで個々人が自立していななければならない時代となった。 失敗したくない。遠回りをしたくない。という気持ちやインターネットの普及などからノイズを排除するようになった。 ----------------------------------- 読書とは、「文脈」のなかで紡ぐものだ。 〜 本のなかには、私たちが欲望していることを知らない知が存在している。 〜 自分から遠く離れた文脈に触れることーそれが読書なのである。 p233より ----------------------------------- この本で好きなフレーズ。 今まで本を買う時は本の評価を気にして買うことが多かったが、ここ最近は書店に出向き本を探すようになった。 本と出会う時間、本を読む時間、本を読み返す時間。それぞれの時間を大事にし、知見を広げていきたいと思う。

    2
    投稿日: 2025.01.27
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    半身社会、これこそが働きながら読書ができるということ。全身全霊で仕事や育児をする方が簡単だというのはわかる、逆に半身で余力を持って働き、育児や読書、趣味に充てることが難しい世の中になってきている。ワークライフバランスと副業を両方推奨している現代はもっと読書することが難しくなっている。本著は、明治から現代までの労働と読書の関係性を説き、なぜ本を読めない世の中になっているのかを順を追って説明している。現代において、成人の過半数の人が本を読まなくなってしまう理由が理解できた。

    25
    投稿日: 2025.01.25
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    面白かった。確かに読めなくなっていた自分がいた。働きすぎなのだと思った。本を読めると仕事の結果も変わる。僕は読書が好きだ。充実感も覚える。だから本を読もう。勉強だ。勉強だ。

    16
    投稿日: 2025.01.25
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    この本のタイトルを見て「確かにそうだよなー。本を読む時間ないしなー。」と思ってスルーしてたけど、やはり気になって読んでみた。 なぜ本を読めなくなったのかは、時間がないからと言う単純な理由ではなかった。 読書の歴史から、労働者に求められているものの変遷と働き方。 なるほど、と納得の内容。 もっとポップな内容かと思ったけど、意外と骨太の社会科学の本だった。 現代人は「情報」をいかに早く得るかに価値を求める。本は求めるもの以外の、歴史や予想外の知識を得られるが、現代人にとってはそれは「ノイズ」でしかない。 現代人は「ノイズ」を得る余裕がない、それこそが本を読めない理由だと説く。ふむ。 まあ、それを読みながら、自分は結構本読んでるけどなー。と、この本を読みながら思った。

    6
    投稿日: 2025.01.24
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    今は育休中なのでこうやって育児の合間に読書することができてるけど、 仕事が始まると睡眠を優先してしまい、読書をする時間を取ることができない。

    0
    投稿日: 2025.01.23
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    #ヨンデルホン #なぜ働いていると本が読めなくなるのか (集英社新書) / #三宅香帆(#集英社) #ドクリョウ #ヨミオワリ 明治からの労働環境と本の関係性がよくわかり面白く読めた。時間などの個人の資源の奪い合いが資本主義、消費社会。いまこそ"ゆとり労働"、人生百年の時代、持続可能でなければ。

    0
    投稿日: 2025.01.23
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    #なぜ働いていると本が読めなくなるのか #三宅香帆 #集英社新書 まだ若い方だし持論展開してるだけかなと読み始めましたが、読み応えガッツリ。持論であり、絵空事であると自身で述べながらも著者が伝えたいことに関しては大変共感します。 私も働きながらも本が読める社会を私もつくっていきたい。

    7
    投稿日: 2025.01.23
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     タイトルが長く問いかけ調にインパクトがあり、惹かれました。話題にもなりましたし…。これだけで自分事として考えるので、効果大ですね。かつて「自分もそうだった」し、仕事と読書の両立への著者の結論に興味があり、読んでみることにしました。  予想を超えて、明治〜現代の時代ごとの労働と読書に関わる歴史の変遷を、詳細にわたって調査・分析していて、その情報量と緻密さに驚きました。  ただ、紐解いた膨大な事実と解釈は置くとして、本書表題の問いへの著者の答え、実現のための社会づくりの具体は、やや理想論で薄い気がしました。  三宅さんは現代社会において、自分に不要な(関係ない)知識(情報)を「ノイズ」とし、コスパやタイパを重視する仕事を突き詰めるが故に、ノイズを排除すべきものにしてしまっているとしています。  もともと、世界はノイズにあふれています。読書(他者の文脈)をシャットアウトせず、ノイズこそ重要で、あえて受け入れる発想には全面賛成です。  紙の新聞を俯瞰して眺める、書店の棚をなんとなく眺めるという行為は、新たな気付きや動機付けにつながります。ネット記事や通販のピンポイント情報収集と一線を画しますが、両方のよさが活かされる社会であってほしいと願います。  改革が叫ばれる働き方は、個人の努力だけではどうにもならないこともあります。それでも、私たちの豊かな思考や想像力の源となるのが読書の意義だと、もっと認知されてもいいですね。

    123
    投稿日: 2025.01.23
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    帯の「疲れてスマホばかり見てしまうあなたへ」を見て、「私のことだ!」と思い購入。タイトルにある結論が知りたくて手にしたが、そこに至るまでの読書の歴史の話が長くてずーっと積んでいたけど、やっとこさ読み終わる。 結論は、まあ、そうですよね、っていう感じでした。

    1
    投稿日: 2025.01.22
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    読む前) 長い文章や本を読みきれない、飽きてしまう、目次で興味のあるところだけ読んでしまうことに悩んでいました。本を受け入れられないのは自分のせいではなく現代の価値観の影響であると仰っていて気持ちが楽に。 本はニュースやSNSにかかれない背景を一冊かけて丁寧に教えてくれるという言葉が印象に残ったので、これから読みます。 読み終えて) 結局、最後に近い章から読みました。 読みながら、その行動こそが本の良さを軽視している行動だと批判されてるような気持ちになって一章から読み直しました。 卒業間際、大学の図書館を適当に歩いて読みたい本を読み漁っていたのを思い出しました。 目的もなくただ苦手だった数学の本をかっこつけてめくったり医療の専門すぎる本を眺めたり もう内容も覚えていませんが。。 きっとあの頃は、知らない世界を受け入れる余裕があったんですね。 また本屋さんを散歩しようかな。 仕事もプライベートも全身全霊でやれてはいないものの、全身全霊でないと、って思っているタイプです。この本を読んでる間はそれをやめられたような。そういう社会にしたいって思ってこの本を書いた三宅さんはとっても素敵です。 また読み返したい!

    1
    投稿日: 2025.01.22
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    自分も「花恋」に何か共鳴するものを感じてしまった口で、ロマンポルシェ。のロマンさんが紹介していたのがきっかけで手に取った。明治時代から今日に至るまでの労働と読書の関係性を丁寧に紐解いていて、語り口がフェアでなんとなく著者はこの人のこと嫌いなんだろうなぁくらいのが垣間見られる程度だから、つっかかるところなくすいすい読めてしまう。 標題に対しての著者の提案。全身全霊からの脱却、疲れたら一旦読書から離れる、仕事帰りに喫茶店で読書してみるといったことが、自分は既に体得していて、この辺は新たな知見に触れるというより自分の生き方に少し自信が持てるような、そんな後味の良さがあった。あとは自分が自己啓発本に対して抱いているうさんくささのようなものをしっかり言語化してくれている。 仕事と子育ての一番多忙な時期をようやく超えて、読書や映画といった他者の文脈により触れることを欲している今、麦くんでいうところのパズドラ(自分はウマ娘のゲーム)をこの際消してしまおうと決断させてくれた本でもあった。さよならネイチャ…

    1
    投稿日: 2025.01.22
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    このレビューはネタバレを含みます。

    【内容紹介】 「大人になってから、読書を楽しめなくなった」「仕事に追われて、趣味が楽しめない」「疲れていると、スマホを見て時間をつぶしてしまう」……そのような悩みを抱えている人は少なくないのではないか。「仕事と趣味が両立できない」という苦しみは、いかにして生まれたのか。 自らも兼業での執筆活動をおこなってきた著者が、労働と読書の歴史をひもとき、日本人の「仕事と読書」のあり方の変遷を辿る。そこから明らかになる、日本の労働の問題点とは?すべての本好き・趣味人に向けた渾身の作。 ・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆ 書店でタイトルを見て「確かに〜!笑」と軽いノリで購入したのですが、明治以降の社会における「読書」という行為の意義の変遷から、現代社会の働き方に対する提言まで、大変興味深く読めました。「だーかーらー、忙しいから読めないんだって!」と言わずに最後まで読んでよかったです。 特に自分が実際に生きてきた90年代以降の内容は、なるほど確かに、と思うようなことが多々ありました。この本を開く前に、私自身で「なぜ本を読めないのか」という問いの答えを予想したのですが、そのときのキーワードが「情報化」と「娯楽の多様化」でした。いずれもインターネットとスマートフォンの普及によって実現されたものだと思いますが、やはり社会に対して大きな影響を及ぼしていたんだなと思いました。 また、読書という行為が「娯楽」と捉えられていた時期が意外に短いことにも驚きました。私自身、読書は特に高尚なものというイメージはないのですが、時代が違えばインテリのステータスの象徴だったこともあるんですね。イメージが違いすぎて、ちょっと笑ってしまいました。 そして結論である「半身で生きよう」という提言。私自身、確かに仕事が忙しくなればなるほど、ブクログの更新頻度が少なくなります。そういう意味では、筆者のおっしゃることは事実だとは思います。でも、その生き方で幸せを感じられるかについては少し疑問が残りました。「全身」ってそんなに悪いことですかね?何かに全力で取り組んだという経験は、自信と肯定感につながり、結果として幸せにつながると私は思います。「半身」という生き方は、どこか中途半端な印象を受けました。 どちらかというと、自分が何にどれだけ力を割けるかをまず考えて、その範囲で「全身」で頑張ることと、その配分の段階で、最初から「読書」の時間、つまりある程度の余裕を持たせておく、というのが私の考え。「頑張らなくていい」というメッセージ性が強くて、その点が私の考えと少し違うなと思いました。

    21
    投稿日: 2025.01.21
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    本が…活字が…読めない時期が定期的にあってなんで?って思っていたけど、みんなにもあったんだ!って思ったら気になって読んでみた。仕事に入れ込み過ぎず、また本や好きなことに入れ込み過ぎず程々に暮らしていけるといいよね。と。

    1
    投稿日: 2025.01.21
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    うわっ!書いてることにめっちゃしっくりきた! 日々を全身全霊で生きてこそと考えていた自分に当てはまりすぎてた。 すぐには無理だとしても、自分をすり減らした生き方を見直したいし、ノイズも含んだ新たな文脈に触れていたい。

    1
    投稿日: 2025.01.20
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    読書というものが日本でこれまでどのように変化をしてきたのかを辿りながら、働いていると本が読めない理由に迫っていきます 新書をあまり読んだことないけど、筆者の感情が分かりやすく書かれていたり目線も若者目線ですごく読みやすかったです 仕事から疲れて帰ってきてスマホは触れるのに、本は読めない スマホと読書の違いもすごい納得しました 自分の中に余裕が生まれるような働き方をしていきたいと思いました

    1
    投稿日: 2025.01.20
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    半身で働こう、全身全霊をやめよう、その通りだと思った。育休から復職して1日6時間(休憩含む)の時短勤務をしているけれど、仕事って本来これくらいの時間がちょうどいいのでは?というのが正直な気持ちだからだ。 もちろん仕事の前後は家事育児をしているので自由時間はないし、仕事後すぐにお迎えに行かなければならないプレッシャーは重い。けれど仕事単体で考えるとやはり気は楽になった。全身全霊で働くことがそもそも不可能だから。産前と同じ量同じ時間働くことはできないので、ある程度諦めながら働かなければならない。雑に無責任に仕事をするということではなく、自分のキャパを低く見積ったり「自分はもっとできるはず」という欲を捨てるということなのだが、それが案外私の肩の荷を降ろしてくれている。そして限られた時間で働いているから育児と両立することができている。 私の場合は結果的に全身全霊で打ち込めないになっているが、世の中それくらいの姿勢で働くくらいがちょうどいいのではないでしょうか。 一方夫は働き方を変えず毎日22時近くに帰ってくるため仕事をするだけで1日が終わってしまう。子供が寝た後に帰ってくる。もちろん読書はしていない。頑張って働いてくれるのはありがたいけど、そんなに長い時間働かないといけないの?という葛藤があったので、全身全霊に疑問を持つという著者の提案は喜んで受け入れようと思う。 話は変わるが、「新自由主義は自己責任と自己決定を重視するため自ら戦いを望み疲れてしまう」といったことが書かれていた点について。同時に読み進めていた養老孟司「人生の壁」にも同じく自由主義による自己への不安について書かれて、世代の離れた2人の著者が同じ考察を持ち記していることに驚いた。人々の人生は自由であるべきだが、自由であるが故の苦しさに現代の課題があるように感じる。

    1
    投稿日: 2025.01.20
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    なぜ働いていると本が読めなくなるのか 大学生から社会人になったときに、この疑問にぶち当たった人は多いはず。 かく言う私もその一人だった。 「パズドラしかできないんだよ」 映画『花束みたいな恋をした』で一番共感したのは、麦くんのこのセリフだった。 tiktokは見れるのに、本は開けず、積読が増えていくばかり。 しかも私は文学部出身。大学時代と現在の自分を比べて 日々の文化度の著しい低下に絶望しながら働いていた。 その問いに対しての一つの答えをくれたのがこの本。 日本人の読書習慣について戦前から現在までを社会情勢と合わせて説明されている。 各時代によって売れているテーマがあり、その違いも面白い。 わたしがうっすら感じていた、自己啓発本やビジネス書に対する嫌悪感の理由も 説明してくれた。 おこがましいけど、わたしが書いているのか!?と思うくらい 共感の嵐だった。 「本当に本が読める働き方」を実現したい。

    1
    投稿日: 2025.01.19
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    このレビューはネタバレを含みます。

    このタイトルにドキッとして思い当たる節しかなくて、気になっていたけど怖くて読めていなかった本です。一気読みしました。そしたら救われました。過去や歴史とは、そして読書とは"ノイズ"である、という表現にハッとし、なぜ働き始めてから本が読めなくなったのか、合点がいきました。また、読めないときは無理に読まなくていい、読みたくなったらまた読めばいいという言葉にもとても救われました。大好きな映画『花束みたいな恋をした』を取り上げてらっしゃったのもあり、非常に読み進めやすかったです。

    1
    投稿日: 2025.01.19
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    時代に沿って本を読むという行為が どう変化していったのか分析されていました 現代のようにたくさんの本が作られ 自分の好みの本をえらんで 黙読によって楽しむ読書というものが 当たり前のことではなかった ちゃんと本を読めるようになるための 結論が書いてありました 今回の学びは 自分に合う読書の傾向 育児や精神面の学びの本(自己啓発?)はフムフム そして物語を読む小説はワクワク その中間的な 事実を分析したり専門分野の入門書的な本は なかなか強い興味が湧きにくいなーと改めて

    1
    投稿日: 2025.01.19
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    読書に関しての考察や読書術についての本なのかと思ってなんとなく読み始めたのだけど、当初想像したような内容じゃなかった。興味深く読んだ。 つまり社会批判なんだけど、読書=ノイズと捉えて、ノイズを許容する社会であるためには「半身」であることが必要なのでは?と提案する内容。 面白かった。

    1
    投稿日: 2025.01.19
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    『働いていると本が読めない』は1つの象徴的な現象。他にも様々な形で現れている。背景には、ノイズを受容できない社会の構造がある。ノイズとは、いわば『あそび』の部分。目標到達の途中の脇道、旅行での寄り道、授業の脱線・・・のような。社会全体が「全身全霊」や「自己実現」をよいものとして、個々人もそれに心地よさを感じてしまう。目標達成のために必要な『情報』を重視し『知識』を自分・・・目的からは遠いもの、無駄とまではいかなくても優先順位を低く捉える。だから読書を代表するノイズが多く含まれる行動を後回しにしてしまう。

    1
    投稿日: 2025.01.19
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    タイパとは対局にある読書という行為について、社会科学的に紐解いていくのかなと、勝手に思っていたのですが、おお!こういう展開できましたか。 著者の提言は同意するところも多いですが、器用な人でないと、順応できないかなぁとも思いました。 本書では「日本の労働と読書史」について語られる部分で小説やマンガの引用が多く、読みたくなった本が多数ありました。 さすが文芸評論家。

    67
    投稿日: 2025.01.19
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    まさに私だ!と思い購入しました。日々一生懸命働いている時にふと立ち止まって読みたい本でした。面白い視点で始まりあっという間に読み終わりました。

    1
    投稿日: 2025.01.19
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