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転落・追放と王国(新潮文庫)
転落・追放と王国(新潮文庫)
カミュ、大久保敏彦、窪田啓作/新潮社
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総合評価

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    映画『涙するまで、生きる』を観たあとに、その原作小説である「客」を読んだ。 映画と原作を比較しながら楽しんだので、感想は『涙するまで、生きる』の方に全て書き込んだ。 他の作品もこれから読みます。

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    投稿日: 2025.02.19
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    カミュ Camus, Albert(1913-1960) アルジェリア生れ。フランス人入植者の父が幼時に戦死、不自由な子供時代を送る。高等中学(リセ)の師の影響で文学に目覚める。アルジェ大学卒業後、新聞記者となり、第2次大戦時は反戦記事を書き活躍。またアマチュア劇団の活動に情熱を注ぐ。1942年『異邦人』が絶賛され、『ペスト』『カリギュラ』等で地位を固めるが、1951年『反抗的人間』を巡りサルトルと論争し、次第に孤立。以後、持病の肺病と闘いつつ、『転落』等を発表。1957年ノーベル文学賞受賞。1960年1月パリ近郊において交通事故で死亡。 転落 (光文社古典新訳文庫) by カミュ、前山 悠 アムステルダムには長く滞在されるご予定ですか? 美しい街でしょう? 麗しい、ですって? これはこれは、久方ぶりに耳にした形容詞だ。実際パリを離れて以来かもしれない。あれからもう何年にもなりますが、それでも心は記憶を留めている。我らが美しき都、河岸通り、何ひとつ忘れてはいません。パリ、あの実に見事な虚像の街、四百万もの影法師がうごめく壮麗なる舞台装置。なんと、最新の人口調査では五百万近く? そうですか、こぞって子どもをこしらえなさったというわけですね。驚きはしません。わたしは常々思っていたのですが、我らが同郷人を熱狂させるのはふたつ、思想と 姦淫 だ。どちらも見境なくやる。まあ彼らを非難するのはよしておきましょう。パリだけじゃない、ヨーロッパ全体がそうなんですから。わたしはときおり、未来の歴史家が我々のことをどのように語るか夢想するんです。きっと現代人については一文で済みます――彼らは姦淫し、さまざまな新聞を読んでいた。この強固な定義ひとつで、話はおしまいと言っていいでしょう。 たとえばわたしにもできる限り付き合いを避けていた友人がいましてね。わずらわしいやつで、おまけに堅物だった。でもご安心を、臨終の際にはちゃんと駆けつけて旧交を温めましたよ。わたしとしても、一日無駄にしたつもりはありません。彼はとても喜んで、わたしの手まで握って死んでいったんですから。それから、こちらが相手にしていないのにしつこく付きまとってくる女もいましてね。彼女も大変センスの良いことに、若死にしてくれました。たちどころにわたしの心は占領される! そのうえ自殺ときたからには! おおまいった、なんたる甘美な大激震! 電話が鳴る、感情が溢れ出す、あえて多くは語らない、それでいて言いえぬ思いがたっぷりにじみ出てしまう、なんとかして悲痛をこらえる、そしていよいよ、そうそう、ちょっぴり自分を責めてみたりなんかして! 人間とはそういうものですよね、あなた。人間というのは二面性を持つのであり、誰かを愛おしむ裏で自分を 愛でずにいられない。ある日たまたまあなたの住む建物で死人が出たとしましょう、そんな時はぜひ、他の住民たちを観察してごらんなさい。彼らは各々こぢんまりとした生活の中で眠りこけていた、そんなところにほら、たとえばマンションの管理人の死! 彼らはたちまち目覚め、ちょこまかと動き出し、せっせと情報を集め、存分に胸を痛める。さあさあ人のお亡くなりだ、催し物のはじまりはじまり! 皆が悲劇を求めているんですね、それも仕方ない、それが彼らにとってささやかな浮揚を味わう機会、彼らにとっての 食前酒 なのですから。はて、わたくしがたとえに管理人を出すのは偶然かどうか? いや実際に一人いたんですよ、実に忌まわしい男で、悪意の 権化、卑しさと恨みっぽさから組成されたモンスター、フランシスコ会( 18) の宣教師でも投げ出すであろうやつが。わたしはその管理人とは口を利きさえしませんでしたが、それでもただその存在のみでわたしの日々の充実を脅かすには十分でした。さてそんな彼が死んだ時、わたしはわざわざ埋葬に立ち会った。理由をお聞きになる必要がありますか? それでも、二人が愛し合っていなかったという証拠はどこにもありません。奥さんが死んだ夫を愛していなかったという証拠もありません。実際、色男が喉も腕も疲れたのか出ていってしまうと、奥さんはまた故人の礼賛を再開したのです。貞女の 鑑 ですよねえ! しかし結局のところ他の連中だって、顰蹙は買わないかもしれないが、これより一途なわけでも誠実なわけでもない。わたしの知る男で、一人の世話の焼ける女に二十年もの歳月を捧げた者がいます。彼はすべてを犠牲にして女に尽くしました。友情も、仕事も、彼自身の節度も。ところが彼はある晩気づいたのです、自分はこの女のことを最初から愛してなどいなかったのだと。ただ退屈していただけ、それがすべてです。ただ退屈していただけ、他の大半の人間と同じように。だから彼は、ドラマティックに複雑で深刻な人生を己のために一から築き上げた。何かが起きてほしい――人間が厄介事に首を突っ込む時は、たいていそれで説明がつくでしょう。何かが起きてほしい、愛のない隷属でもいい、戦争でもいい、誰かの死でもいい。だから埋葬万歳! ああ、夜の川というのはいいものですね?  黴臭い水面の息吹、水に浸かった枯葉の匂い、川船にいっぱいに積まれた花から漂う、葬礼を思わせる香り――そういうものがわたしは好きです。いえいえ違う、こういう嗜好が病的だなんて思わないでください。むしろわたしとしては、わざと無理をしている。こういう川を好ましく思えるよう努めているわけです。わたしがこの世で本当に好きなのはシチリアですよ、わかるでしょう、しかもエトナ火山の頂上がいい、太陽の光に包まれてね、上から島と海を見下ろせるなら最高だ。ジャワ島もいい、でも貿易風の季節じゃないとね。ええ、若い頃に行ったことがあります。島というのは概して好きですよ。簡単に一番上に君臨できますから。 どれにせよ、だからどうということではないのです。噓も結局は真実の手がかりを示すものではないでしょうか。そしてわたしの話も、本当であれ偽りであれ、 変わることのない結末に向かって、変わることのない意味を持つものではないか。だからそれが本当であれ偽りであれどうだっていいのです、どちらにせよ、わたくしが何者であったのかと何者であるのかをまぎれもなく示しているのですから。時には、本当のことを言う人よりも噓をつく人の方が、自分をはっきりさらしていることもあります。真実とは光であり、目をくらませるものです。噓は反対に、美しく 朧 な夕暮れであり、対象のひとつひとつを際立たせるでしょう。そういうわけで、お好きなようにとっていただいてかまいません、わたしは捕虜収容所で教皇に任ぜられたのです。 それでわたしは、ロンドンまでたどり着くという淡い期待を持って、北アフリカに渡りました。ただしアフリカでは状況が複雑で、対立する勢力のいずれもが大義を持っているように思えたので、首を突っ込まないでおきました。どうもあなたのお顔からしますと、わたしが大切な細部をかなり 端折りながら話していると 訝しんでいらっしゃるんじゃありませんか。わたしはね、あなたの真価をわかっているからこそ、そういう細部を飛ばしているんですよ。あなたがいっそう注意してそれに目を向けてくれるようにね。そんなこんなで、わたしは最終的にチュニジアに至り、そこで親切な女友達が職を世話してくれました。彼女は非常に頭が良く、映画関連の仕事をしていました。それでチュニスまでついていったのですが、わたしは連合軍がアルジェリアに上陸してから初めて、彼女の本当の職務を知ることになりました。彼女はドイツ軍に逮捕され、そしてわたしも、不本意ながら捕らえられてしまいました。その後彼女がどうなったのかはわかりません。わたしの方は特に虐待を受けるということもなく、ひどく不安を感じてはいたものの、ひとまず保安処分による拘留なのだということでした。トリポリ( 52) の近くの収容所に入れられたのですが、そこでは拷問などよりも、喉の渇きと飢えによる苦しみがありました。それについて詳しくは語りません。我々この半世紀に生まれた者たちは、その種の場所を想像するのに描写はいらないはずです。百五十年前の人々は、湖と森に胸を震わせていました。今日の我々にあるのは、監獄の叙情性です。だからあなたには言わなくても伝わるでしょう。いくらかの細部を付け加えさえすれば十分。暑さ、真上から照りつける太陽、蠅、砂、水不足。 クラマンスが語る罪と恥はヴァリエーション豊かであり、実際人間の後ろめたさにはそれなりの多様性があるだろう。一方、彼はより普遍的に万人に備わった性質も指摘している。つまり、他者を裁くことへの執着である。これについてはおそらく、『転落』が書かれた一九五〇年代よりも、今日の方が想像しやすい。SNSによって築かれた相互監視体制の下、世の中は警察か裁判官だらけである。その意味で『転落』は、まったく古びず色褪せないどころか、むしろ現今の社会でこそ如実に伝わる迫真性を持つと言える。ただし、作者カミュは、もちろんそうした普遍性を意識していたとはいえ、発端としてはもっと個人的な、当時に特有の事情でこの小説に着手している。その経緯に以下で触れたい。 一九一三年 一一月七日、当時フランス領だったアルジェリアの東端に位置する地中海沿岸の町モンドヴィ(現ドレアン) に生まれる。父リュシアン・カミュ、二八歳。母カトリーヌ、三一歳。リュシアンはワインの樽詰め職人だった。 一九二一年 七歳 カミュ一家はアルジェのリヨン通りに転居する。家政婦をして生計を立てる母カトリーヌ、強権的な支配者として振る舞う祖母(カトリーヌの実母)、四歳年上の兄リュシアン、 聾 啞 に近い叔父エティエンヌとの五人暮らしだった。 一九五八年 四四歳 三月、スウェーデンから帰国後、重い不安神経症に見舞われるが、そんななか、デンマーク人の若い女子学生と新たな恋を実らせる。この女性はカミュの『手帖』にMiというイニシャルで登場する。 六月、マリア・カザレス、親友のミシェル・ガリマール、ミシェルの妻ジャニーヌと一か月近いギリシア旅行をおこなう。 九月、南仏の小村ルールマランに住居を購入する。 一九五九年 四五歳 一月、ドストエフスキーの小説『悪霊』を翻案・演出し、パリのアントワーヌ座で初演に至る。 一一月一五日、ルールマランに帰る。

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    投稿日: 2024.12.29
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    客 が一番すき。 伝わらない善意、それがどこまで行っても善意でありそれもまた、示し合わせの上にあるということ、そして人間はどこまで行っても人間で、その暴力性や理解しがたさも、’人間'という言葉でひとくくりに、理解しえてしまうこと多義性というよりも、その環境下であらゆるかたちに変化?順応?していく生き物としてのうーん、ずる賢さ?狡猾さ?を、それと意識せず体得している それを上から眺める(便宜上この言葉で表現します)箱庭感、というのか、心情がビシビシに伝わってくる劇、お芝居、舞台をみているようだ 涙するまで生きるも観た。アンサーと、願望がないまぜになった映画。わたしはとても好き. やるせなさのなかに、人生、それでも生きるという強さというか、諦めのような、それでも人を信じる、信じ合いたいという願望や願い、こうだったらよかったなぜこうならない不条理や解決不可能性が、訥々と、紡がれる カミュは良い

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    投稿日: 2023.04.10
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    このレビューはネタバレを含みます。

    転落とその他短編がいくつか載っているが、転落のみを読む。多分読むのは二回目。 上流階級にいた人が、人生のむなしさを感じ、自らの意思で浮浪者のような暮らしをする。というのがそもそもの粗筋かな。 粗筋からして低俗な感じは受けるが、結局それがカミュの魅力なのかもしれない。 カミュの場合は、人間の暮らしに近いところを書いていて、人間とは何かとか正義とは何かとか、にはあんまり近寄らない。だからこそ、悩んでいるときや青春時代に読むと感動するのではないかと思った。

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    投稿日: 2022.05.21
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    すごく読みづらかった。けっして面白くないとかしょぼい作品だとは感じなかったので、カミュとは相性良くないのかもしれない。読んでいるとなんだかすごく息が詰まるのです。

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    投稿日: 2021.08.07
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    おそらく翻訳のせいではなく、カミュの文体そのもののわかりにくさではないかと想像されるが、その独特の比喩や直感的な表現も相俟って、なかなかすらすらとは読める小説群ではなかった。

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    投稿日: 2021.06.10
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    今まで読んできたカミュ作品のなかで断トツ読みにくい。しんどい。聖書の知識がないと歯が立たない。『転落』はまだ話し言葉で書かれているのでテンポがあって読めるけど、『追放〜』は読める短編読めない短編差がありすぎた。それでも読めた短編の中では「客」「ヨナ」が好き。 ブクログ見たらこの本2013年くらいに読み終わったことになってるんだけど全く記憶がない絶対なにかと勘違いしてる。学生時代に読んだ誰かのカミュ論で「不貞」が取り上げられてたことだけなんとなく覚えてる。私が読むカミュ論なら野崎歓先生とかそのへんの人しか思い浮かばないけど…

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    投稿日: 2019.10.23
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    自分は本を読む際、物語そのものよりも作者の出生、血筋が気になって、この本も未知の何かを垣間見れたらなという動機である。爺ちゃんがフランスからアルジェリアに入植。母はスペイン系。そしてアルジェリアという国の様子はさあ、どうなの?と。本を読む限りはくっきりはわからん。オリエンタル、そして無国籍。北アフリカで海にも面していて、高地では雪も降るらしく、砂漠の表記もある。自分は「北風と太陽」の話に惹かれるが、あの本のように人間以外の目線で描かれているような、なんかそういう神々しいものがあるような。

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    投稿日: 2019.10.17
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    「わたしはあと何年残っているかを数えてみました。()そしてわたしには自分の義務をまっとうするだけの時間がないという考えに悩まされたんです。なんの義務かですって?分かりません。」 「最後の審判を待つのはおやめなさい。それは毎日行われているんですから」 カミュの場合、ジュネの場合を考えて、サルトルという人のことを考えてみたりする。サルトルの何を?わかりません。

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    投稿日: 2018.11.24
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    「この男のばかげた罪は彼を憤慨させる。しかし、この男を引き渡すのは信義にもとる振る舞いだ。それを考えただけでも恥ずかしさに気が狂いそうだった。そして、同時に、このアラビア人を自分のところに送りつけた仲間たちと、あえて殺人を犯しながら逃げることもできなかった男との両方を呪っていた」(新潮社文庫、pp.262-262) いきなりですが、映画が三度の飯よりも好きな自分が2015年に選んだ「最も良かった映画」は、ヴィゴ・モーテンセン主演『涙するまで、生きる』でした。 この映画の原作が、カミュによる『客』なんですね。 実際に読んでみると、分量も短いですが、お話自体もシンプルです。 冬のアルジェリア、辺境の地で小学校教師をやっているダリュは、やってきた友人の憲兵から、1人のアラビア人を預かるよう頼まれる。しかも、一晩預かるだけではなく、彼がとある街まで連れて行かなければならないという。アラビア人は、殺害容疑で捕まっていたのだ。目的地の街で、彼は裁判にかけられることになっている。 どこかしら超然とした小学校教師ダリュが、ひょんなことからアラビア人を預かり、彼を遠くの街に送り届けるだけの話です。 でもこの短いお話に見られる寓話性の深度は、かなり深いところまで続いているような気がします。 ダリュはアルジェリア系フランス人かと思いますが、それは同じくアルジェリア生まれのカミュ自身と重なります。 1954年から1962年にかけては、アルジェリア戦争の時代でした。フランス本土と、フランス植民地であったアルジェリアが繰り広げた内戦です。フランス植民者の父を持つアルジェリア生まれのカミュは対立する二つの世界の中にあり、まさに引き裂かれる思いだったと言われています。 二つの世界の狭間でカミュが取った行動は、停戦への可能性を見出すことでした。1956年、カミュはフランス側のリベラル派とイスラム穏健派と協力して市民休戦委員会を組織し、停戦を呼びかけてアルジェリアを訪れます。 ところが、これを自分たちに対する挑戦だと捉えた極右植民地主義勢力は強い抗議を示し、独立主張側でも、テロを辞さない強硬派が主導権を握ってカミュに非難を浴びせたのです。 つまり、「両方とも殺し合うのはやめて話し合うんだ」と訴えたカミュは両方の側から憎まれることになってしまったのです。以後、カミュはアルジェリア問題について語ることをやめてしまいます。 『客』におけるカミュ的精神の真髄は、アルジェリア問題に巻き込まれる自身の運命を預言しながらも、それに引き裂かれてある様態を、そのまま受けいれる覚悟を示している点に見出せそうです。 争いとは関わりたくない小学校教師は、アラビア人を死刑台へと導く仕事を唐突に任ぜられてしまう。アラビア人を逃がせばフランス側は許さない、反対に、アラビア人を街に引き渡せばアラビア側から報復されてしまう。 この究極の選択を迫られる男が小学校の教師ということは、その職業が、なによりも現代人の精神を広く長く次世代へと継承させていく象徴的な存在であるという意味で、事態の深刻さはいや増します。彼が身を以て示す選択が、彼の次の世代へと受け継がれていってしまう恐れがそこには込められている。彼の選択が汚点であったとしても、それは次世代に引き継がれてしまう。 そこでカミュが大事にするのは、信義や人情といった人間らしい判断であって、政治的イデオロギーとはまた違う次元の価値観なのです。冒頭の引用にあるように、「この男を引き渡すのは信義にもとる振る舞いだ」とダリュは人知れず述懐します。 もちろん、「フランスの仲間たち」にも「アラビア人」にも、彼は呪いの念を思わず抱いてします。なんでこんなことをおれがやらなきゃいけないんだ、といわんばかりのダリュの腹立ちが伝わってきます。 けれども、彼はそこから逃げない。 引き裂かれてあるなら、そのまま受け入れてやる。不条理がなんだ、おれはそれを生きてみせる。 説明過多に陥らないカミュの筆によるためか、ダリュ自身の口数は決して多くはありませんが、背中で語り行動で示す男の覚悟がそこに自然と立ち上がってくるのです。そしてそれは、アルジェリア戦争において、リスクがあると心底理解していながらも「争いをやめよう」と言い切ったカミュの背中に重なるのです。 そして2015年、フランスは、まさにこのカミュ的な問題を突きつけてくる事件に直面したのでした。https://www.youtube.com/watch?v=77G5AmsL9xQ

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    投稿日: 2016.04.19
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    <転落> 虚栄心 自己愛 いずれ恐れに飲み込まれてしまう 最後について 誰かに裁かれることは避けられないので、先に裁かれてしまう、改悛してしまう、改悛する際に罪の主体を「私」から「我々」に変えてしまう、そうすれば自分は罪を持つ者の中で唯一の識る者となって、あとは専横に振る舞える

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    投稿日: 2013.01.03
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    このレビューはネタバレを含みます。

    大学生のときにゼミで扱った短編集。どれも文学的に工夫がこらされた作品ばかり。カミュがこの短編すべてを書ききるのに10年以上かかった。というのも異邦人、ペストでの成功後、自分の才能の枯渇を覚えたからだ。タイトル通り追放から王国までを綴ってある。この後ノーベル賞を受賞し、遺作となる「最初の人間」を書いたまま交通事故で他界してしまう。なんとも哲学的で悲しくも美しい作品集。 難解だが歴史や哲学を知っていると読み解くことが出来る。「背教者」は、キリスト教の伝道者が未開の地に赴くが、逆にその地にある宗教に暴力によって改宗させられてしまう。伝道師はすっかり心を奪われ次に訪ねてくる伝道者を叩き潰すように待ち構えるという話である。 この伝道者はカミュが当時論争をしていたサルトルをモチーフに描かれている。サルトルは当時、目的のためなら暴力も止むを得ないという思想を持った共産党員となった。そのことをカミュは風刺したのである。伝道者は、現地の未開人に舌を引き抜かれてしまうのだが、舌はフランス語でラングと言い、また言葉という意味も持っている。つまりカミュはサルトルが言葉を失い、暴力に染まったことを描いたのである。 また未開人たちが崇めている金属の偶像があるのだが、この偶像は当時鋼鉄の男と言われていたスターリンを表している。このように歴史的な文脈を知っているとまた違う読みの楽しみが味わえる。

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    投稿日: 2012.12.17
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    p.180迄(7/1) p.156迄(6/29) p.110迄(6/28) p.50迄(6/27) p.26迄(6/26) 読み始め(6/26)

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    投稿日: 2012.06.26
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    カミュを読むのは『異邦人』以来ですが、『転落』『追放と王国』は高校の頃一度読んで挫折してしまいました。それだけ『異邦人』よりも難解だった記憶があります。ですが、余韻のある難解さだからこそ今読み直したのかなと思います。 実存主義文学はテーマが重過ぎて読むのを無意識的に避けていましたが、カミュはテーマの取り扱い方が慎重な作家で、それさえ汲み取れればさほど買ってすぐ本棚にしまってしまうような内容ではない気がします。特に『転落』『追放と王国』は全体的に宗教色を帯びた作風で、聖書の引用と思わしき文もあります。 それにしても、カミュは感受性が鋭い作家ですね。

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    投稿日: 2012.05.17
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    このレビューはネタバレを含みます。

    『ある者は「ぼくを愛して!」と叫ぶし、他の者は「ぼくを愛さないで!」とくる。しかし最悪で、もっとも不幸な人種は「ぼくを愛さないで、でもぼくに忠実でいてくれ!」というんです。(p.71)』

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    投稿日: 2011.10.01
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    酒飲んだ後に橋を渡るくだりのとこが好き。カミュは基本小難しいので、これくらい適度に断片的な方がいいでしょう。「異邦人」に感動したので、別テイストのこちらに触れられたのも良かったです。ポップ哲学に合掌!

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    投稿日: 2011.05.08
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    ヨナのエピソード。 solitaire(孤独)とsolidaire(連帯)。 一人の時間は他者と時間を共有するために とても大切なもの。 カミュは好きな作家です。

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    投稿日: 2010.06.19
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    中編『転落』と、六つの短編からなる『追放と王国』。 転落:カミュの作品の中では異質な暗さ。じっとりとしたような。しかしそれでいてスッと入ってくるカミュの思想。 追放と王国:舞台もそれぞれな話の中、様々な形で描かれている「追放」のさまと「王国」の姿。「王国」が現れるならそれでいい、というわけではもちろんないのだが、それを拠り所にして生に立ち向かうような力強さを感じる。

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    投稿日: 2010.06.06
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    短編集だけどどれもストーリーが続いてるのかなと思えるところがあって面白い。大して読んでない中カミュで一番好き

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    投稿日: 2010.04.29
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    俺はカミュのファンである。でもこれはなんか読みにくいというか入りにくかった。よく分からん。 またいつか読み直したいと思う。

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    投稿日: 2008.09.20
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    カミュは短命の作家であり、この短編集は最晩年の作品です。世に不条理を問い続けたノーベル賞作家の唯一の短編集を収録。

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    投稿日: 2006.02.11
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    いやぁ〜びっくりしたね。これ。こんだけ俺と似たような体験をしたひとがいるのかと恐怖さえ感じました。いわゆるいい人の内面が深く描写されてます。スタイルも独特。転落の原因なんて”ささいなこと”である、ってのも俺の哲学と見事に一致。

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    投稿日: 2005.05.08