
総合評価
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powered by ブクログ「確実に俺好みの本であるはずなんだけどおそらく分厚くて難解だろうからもうちょっとこう、気持ちに余裕?がある時にゆっくり読みたいよね。」 とか言い訳しながら長く図書館カートに放置していたもの。 読んでいて「こんな賢い人が書いたものなのになんで読みやすいのかしら」と不思議でしたが訳者あとがきに「2週間にわたって行われたギフォード講義の内容をまとめたもの」とあって納得。 脳研究の歴史から始まり展開していきますが、講義を文字にしたものだからなのか語りが自然で肩の力が抜けている。多様な実験紹介も多く難解な内容でもすんなり読めます。(記憶および理解出来るかどうかは別ですよ) 私も多くの方々と同じように「自由意志なんてそんな贅沢なものが我々にありますかねぇ」「脳みそは大嘘つきですからねぇ」「バカな行動と責められても私がバカで、かつバカな行動を繰り返すのは私にはどうすることも出来ない気がしますけどねぇ」「とはいえ人間の共同社会の中で生きてますから極力まともな一市民であるように努力はしますよ」「虚しくなったりはしませんよ。どうせ全ては幻なのだから。幻の中のさらなる幻の私。そのさらに幻の私の心。今これがリアルだと感じられるならばそれに従います。虚無にはならない。だって全部虚無だから。」的な感じ。なのでこちらの本で語られるものは共感and共感。 どのページも良かったんですが印象に残ったところをここに。 P143 「人間には自由意志があるという信念は文化に深く根付いている。人も社会もそれ前提の方がうまくいくのは事実。それが自由意志への信念をますます強める。」 「自由意志を信じる人は良い振る舞いをする(決定論に触れると努力しても無駄、不正オッケーとなるきっかけになる可能性)」 私なんかもそうですけども、自由意志がある、自分の中の小さい自分(精神)が俺を動かせている!と思い込めるからこそ生きていけるといいますか。 不本意ですが軽めの宗教っていうのは治安維持のための必要不可欠アイテムですかね。認めなくないけど。これがないと世の中はもっと酷くなってるのかなぁ。池の水が異臭を放つから水抜いて入れ替えしたとしても、次の水がさらなる腐敗を招くことなるやも知れませんもんね。とんでもない泥水が流入するのを阻止している泥水、みたいな。チンチローとチャナエの流入を防ぐピチバ。 また、ここでもてんかん治療脳梁切断後の実験が多数あげられています。右脳左脳のそれぞれの得意不得意分野を知るだけでなく、双方の連絡(脳梁)を失ったあとでも首を回したり耳で拾ったりしながら自意識を無理矢理後付けしていく様も興味深いですが、これって別に脳梁切断患者だけの話じゃないよなーと思い知らされます。 スティーブンピンカーの考えた「英国人女性教師」「小1テディベアモハメッド」トロッコ問題など、随所に散りばめられた実験や問題がリズムでありスパイス。 別に運命論者や決定論者となって「全ての努力は無駄!」「無意識も意識も罪はない!」などと言い出すことはしませんが、自分自身への信用信頼といいますか、自分が見たもの聞いたもの記憶にあるものなんてものはあまり信じなくていいかな、と気楽になれます。(すでにそう思ってるけどね)
11投稿日: 2025.07.23
powered by ブクログメモ→ https://x.com/nobushiromasaki/status/1936765425649618967?s=46&t=z75bb9jRqQkzTbvnO6hSdw
0投稿日: 2025.06.23
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
数年前に買ってからだいぶ寝かしてたけど、いやめっちゃ名作…! 早めに読めばよかったな。ちょっと後悔。 主題は「自由意志をどう捉えるか」というところかな。ベルクソンの『時間と自由』を思い出す感じもあったり。 ガザニガ教授のオリジナリティ溢れる部分は、P・アンダーソンの『More is different(多は異なり)』に代表される創発原理を自由意志に盛り込んだところだね。 決定論者の言う通り、全ての物理法則が予測可能なら自由意志は消え去ってしまうように見えるのだけど、そこはミクロな世界だけであって、創発が生まれるマクロな世界ではそのような問いは却下される、というわけだ。 <わたし>はその性質から独我的に捉えられるし、実際そうではあるんだけど「わたし」という言葉自体から他者を想定している。他者なくして「わたし」はありえないんだな。 つまり、教授の言うように<わたし>は社会の中で(哲学的に言うなら世界との関わりの中で)生まれるものであり、創発的な現象に過ぎない。 宮沢賢治は「わたくしといふ現象は 仮定された有機交流電燈の ひとつの青い照明です」と語ったけど、真実<わたし>とはマクロな世界でしか見られない現象なのかもしれない。
1投稿日: 2025.01.25
powered by ブクログ「人間であること」のすばらしさを、私たちは心から愛してやまないし、こればかりは科学に奪われてなるものかと思う。私たちはみんな、自分自身に価値があり、ほかの人たちにも価値があることを実感したいのである。/科学が生命、脳、精神の本質をどれほど解き明かそうと、私たちが大切にしている人間としての価値は崩れない。私たちは人間であって、脳ではないのだ。脳がつくりだす精神が、他の脳と作用しあったときに生じる抽象作用、それが私たちだ。(p.272-273)
0投稿日: 2024.07.15
powered by ブクログまず、原題からかけ離れているタイトルに騙された。 原題は、"Who's in charge? Free will and the science of the brain" 内容的にはタメにはなったが、かなり専門的な内容だった。 一番面白かったのは、脳梁を切断した時の認識の話。あれは衝撃的。
1投稿日: 2024.05.19
powered by ブクログXでメチャクチャ面白い的な評判を見て興味を持って読んでみたものの、面白く感じるためには一定の知能レベルが必要なようで、ほどなく積読となってしまった。 まえがきまでは面白そう!って感じだったんだけどなぁ
0投稿日: 2024.01.29
powered by ブクログ「講義」をベースに構成された本というだけあって、ガザニガの「語り口」は実に融通無碍・変幻自在の展開を見せる(ガザニガ自身が「何の話をしているんだ?」と我に返るところで笑ってしまう)。だが、その「ゆるさ」にダマされてはいけない。ベースにあるのは豊富な脳科学の知見、そして政治思想・倫理学・哲学といったジャンルを自由自在に越境・横断する知の蓄積なのだ。だから読んでいて野蛮さすら感じられる。たしかにここまで手を広げられると各分野のスペシャリストは眉をひそめるかもしれない。それもガザニガは「織り込み済み」だと思うが
1投稿日: 2024.01.28
powered by ブクログ世界最高峰の学者だけが教壇に立てる「ギフォード講義」をもとにまとめられた本書で著者は、脳科学の足跡を辿りつつ、精神と脳の関係、自由意志と決定論、社会性と責任、法廷で使用されはじめた脳科学の成果の実態などを、やさしく語りかけるように論じる。行き過ぎた科学偏重主義に警鐘を鳴らし、人間の人間らしさを讃える
0投稿日: 2023.11.18
powered by ブクログ脳は、配線された無数の専用回路の集まりであり、無意識下で無数の並列分散処理を行っている。また、「意識」は、並列分散処理の結果を統合しているインタープリター・モジュールであり、総合的な単一のプロセスによって生成されるものではない。 では、何故「私」は主体性を持った自己であるとありありと認識しているのであろうか?著者は、複数の脳の関わりについて言及する。複数の脳が関わるとにより、社会的な相互作用が発生する。他者の情動や行動をそれぞれが理解するなど。この社会的な相互作用の中に私たちがいると著者は指摘している。 私たちは意思決定装置であると同時に、これらの相互作用が脳を制約するという二層の構造を持っている。この構造が、「確かに感じる」というありありとした意識であり、責任ある動作主たる我々であると結論する。脳は物理的な機械処理をしているに過ぎないという主張から一線を画す著者の慧眼に感服。
0投稿日: 2022.11.27
powered by ブクログ自由意志は存在しない。人間は脳が「〜だから〇〇した」とストーリーを作ったものを認識させられているだけ。ただ、何をしても脳が勝手に動いただけで、自分の意志は無いから悪くないとは言えない。脳が「そう動こう」とするのは習慣に左右される。出来事を自分がどう捉えて、次はどうするのか考えることで脳もそのように動こうとする。今した行動は過去の自分の集大成なのだなと読んでいて感じた。 ヒトは自分が正しいと思える選択ができるわけではない。最後通牒ゲームの例でもヒトとは非合理的な生き物で、無意識にそのような選択をしてしまう。
0投稿日: 2022.11.04
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
●ニュートンの学問 p138 ニュートンは学生時代から勤勉だった。彼がケンブリッジ大学に在学中、伝染病で大学が2年間閉鎖になった。そのあいだニュートンは暖炉の前でチョーサーあたりを読み耽ることも、ビリヤードに興じたり、ビールを飲んだりすることもなく、ガリレオとケプラーを研究して新しい計算法を編み出した。
0投稿日: 2022.10.30
powered by ブクログわたしがしていることや考えていることのすべてが脳の反射なのかと思うと、多少楽になれる気がする。何かに一喜一憂して疲れることも減るといいな。
0投稿日: 2022.02.02アメリカの養老孟司による脳科学講義
ガザニガの本のカバーはスキンヘッド率が高いな、しかも今回は乳首まで(笑)。 内容はそれに輪をかけて刺激的。 本書でくみ上げられる知見を評するのに、「トンカツ問題」に還元するお粗末な訳者あとがきは論外として、日本人にはどだい馴染みが薄い「自由意志」の議論に思い悩む必要もあるまい。 翻訳タイトルの「<わたし>はどこにあるか?」 旅に出てもわからないし、単体の脳をどれだけ探っても見つかるまい。 原題の「責任者は誰か?」 「責任感と自由が存在するのは、人間どうしのやりとり、つまり脳と脳の間の空間」で、社会的接触から生まれる。 見返しには「私たちは人間であって、脳ではない」、あとがきにも「人間であることのすばらしさを、科学に奪われてなるものか」。 認知神経科学の第一人者にして、まさに"アメリカの養老孟司"。 「私たちは人間であって、脳ではないのだ。脳が作り出す精神が、他の脳と作用しあった時に生じる抽象作用、それが私たちだ」。 読みながらずっと小林秀雄の言葉が思い浮かんだ。
0投稿日: 2021.10.04
powered by ブクログマイケル・ガザニガという方は寡聞にして知らなかったのだが、 理解しやすくフェアな語り方をする人だ。 専門的な事柄を素人にもわかりやすく説明をする点に知性を感じる。 脳や人の精神の分野ではオリバー・サックスなんかは何冊か読んだけど、 この本はまたアプローチが違う印象。 見ている対象が”人”というより器官としての”脳”って感じ (オリバー・サックスはもっと”人”を見ている印象を受ける)。 純粋な知的好奇心を強く感じるというか。 わかりやすいのは、ガザニガその人が解説上手なのもあるのだろうが、 もともと本として書き記されたものではなく、 ガザニガの講義を本としてまとめたのも理由としてあるのかもしれない。 実際、本は一冊の本としてクライマックスが用意されているわけではなく、 淡々と静かな考察と解説が続く。 正に講義を受けているかのようだ。 聴衆を相手にしているその語り口が、 この本をよりわかりやすくしている一要素なんだろう。 しかし興味深い。 自分はどこにあるんだろう。 人間も宇宙の歯車の一つに過ぎないと常に言い続けている私だけれど、 視点がマクロから離れると、 やはり心(という表現は私が使っているだけで本では使っていない)を感じずにはいられない。 だけど人ってなんだろう。 生命も物質の組み合わせであるのは確かで、 その結果として人ができて行動しているのであれば、 その人自身は自分の行動に責任があるんだろうか? という問いを投げかける一冊である。 そしてもう一つの問いは、人の理解の危うさ。 脳は辻褄を合わせたがる。 しかしながらガザニガは機能としての脳/神経を興味深く見る一方、 人としての社会性、自己責任、自由意志、はやはりあると考えているようだ。 そこは脳とは分断されて周囲の現実からそう思うのか、 脳の機能の延長上にそれを捉えているのか、 その点を訊いてみたい。 でもそうだな、 自由意志を持つことは種としての生存戦略の一つなんだろうな。 環境により柔軟に対応できるように。 だから機能の延長線上にあるとしても、 責任の所在の捉え方も、 おそらく世界の進化と淘汰の一つの篩なんだと思う。 ガザニガはもう少し読んでみたいけど、 なにぶん本のサイズがなあ。 この本も文庫で出てくれないものだろうか…。 本の格納場所が…。
0投稿日: 2020.03.08
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
どうして自由意志と責任論になるのかなあと思ったら原題はWho is in charge Free will and science of brainだった。タイトルの訳はちょっとどうかと思った。
1投稿日: 2020.03.01
powered by ブクログモジュール、創発、分離脳、インタープリターモジュール、 ミラーニューロン、etc. 今まで読んできた「意識本」を 総括するような内容。講義を元にした本なので、そう感じた のかも知れない。ホフスタッターの本を読んだ時に肝心な ところがよくわからない、エッシャーの絵のような印象を 持ったのだが、それに比べればはるかに読みやすいこの本 でも同じような手応えが残ったというのは、「わたし」が どこにあるのかは、まだよくわかっていないし、脳科学も まだまだこれからの分野ということだろうか。「自由意志」 を単に一つの脳内の問題では無く、社会的な脳と脳との間に 生じる問題だという指摘は興味深かった。
0投稿日: 2019.04.20
powered by ブクログ読みやすい。そして少しわかりにくい。優れた一冊。 自由意志は存在するのか、というテーマに絡めて「今自分がどこにいるのか?」といった認知に関する問いかけを連続して浴びせられる。 そしてヒュームの「人間は自由にあるとともに、因果的に決定されている」というあたりに落ち着く。
0投稿日: 2018.05.08
powered by ブクログ<わたし>はどこにあるのか 認知神経科学の父とも言われるガザニガによる脳科学の講義についてまとめたものである。脳科学の進歩によりどのように脳の機能が解明されてきたかを説明しながら、意識や自由意志、人間の社会的関連性や法律や文化について議論している。そしてそれらの影響と脳の関係についても議論していて議論の幅が広い。 脳は脳細胞、脳神経からできており、さらに原子、分子からできているため物理法則から逃れることはできず、決定論から逃れることはできないと言う考え方がある。それに対しては、量子力学の確率的な可能性よりも複雑系の考え方をとり結果は予測できないとしている。しかし、どうもごまかしているように感じてならない。つまり予測することができないので意識は決定論では説明できない、あるいは決定論的ではないと言っているように思えるが、果たして正しいのだろうか。 脳の基本的な配線は、生命の遺伝的プロセスと自然淘汰により作られており、DNAに書き込まれている。そして、脳は各部の脳神経組織による分散処理システムであり、左脳のインタープリターが見たり聞いたりした現象を説明していると言うことが示されている。そしてそれらは脳障害の事例や心理学的な実験を含めて説明されており興味深く、それらの機能の範疇でしか作動しないと言うことでもあり、人間あるいは個人の限界を感じざるを得ない。 また、機械なら故障は修理すると言うことになるが、人間の行動の問題は脳の故障として直すのか、それとも自由意志の結果だとして罰を与えるのかという議論も興味深い。 人間の行動に関しては脳が勝手にやったのか、自由意志による選択によって行動したのかと言うことは重要な問題であり、人間社会の法律判断、選択による自由などについて法廷でも脳科学が判断に使われ判決に影響している。 興味を引く議論は多々あるが、やはり自分が自分をコントロールしていると言う感覚は存在している。それはどうやら各部の脳の活動のダイナミクスの中で生じている感覚を意識と呼んでいるだけではないのか。つまり、実際のところ何も存在しない、言ってみれば「空」なのかも知れない。
1投稿日: 2017.09.26
powered by ブクログ脳科学の最先端(原書2012年) どんどん次が読みたくなる面白さ。 脳に中心はない。あるのは入力を処理するたくさんのインタープレターだけ。
0投稿日: 2016.10.26
powered by ブクログ名前からはわかりにくいが、脳科学の立場で意思決定から法的責任までを考える本である。近代的自我なるものは各個人が論理的に物事を考えられることを前提にしているが、実は案外周囲の環境で左右されていて、その前提が怪しいというのは考えさせられる。結局脳科学で分析できることよりも、人間相互の関係の中で決まる部分が多いらしい。この辺のことはよく言われる話だが、一番面白かったのは最後。精神喪失や精神耗弱の疑いがある人をどのように裁くか、そして脳科学はどのように関われるか。脳のスキャンで嘘本当や責任能力を見抜けるわけではない。結局相互の関係による部分が大きいという結論に達しているのは示唆的である。
0投稿日: 2016.02.14
powered by ブクログ認知神経学の研究者、ガザニガのギフォード講義を元にまとめられた一冊。 原題は"Who is in charge?" 人が人たるのは何ゆえか?人の頭の中にホルムンクスが存在するのか、人には完全な自由意志があるのか、それとも脳内の物質的な反応のみに全てが帰結するのか。 ガザニガの結論は「ひとつの脳を見ていても何もわからない」。何故なら人と人との関係の中にしか人間の選択と行動は存在しないのだから。 認知神経学の最新の研究成果を期待していると若干肩透かしをくらう結論だ。
0投稿日: 2015.11.08
powered by ブクログタイトル通りで「自由意思」に関する本。この手の本は色々読んでいるので内容的には既に聞いた話が多く、今回の本に関してはあまり目新しさはなかった。それでもこのテーマの本はやっぱり面白いですね。
0投稿日: 2015.10.26
powered by ブクログ昔習ってそう面白くも思わなかった分離脳がこんなに面白いものだったなんて。最後まで失速せずあらゆる分野を巻き込んだ台風のような講義。
0投稿日: 2015.06.23
powered by ブクログメンインブラックで描かれる「病院に搬送された人 間の顔をあけると出てくる『小さい宇宙人』」。わ れわれの中には同様にホムンクルスがいて、会いたい人との待ち合わせ日時や食べたいもののある店をどれにするか決定しているのか。 脳は、体と独立した器官なのだろうか。我々はどの ように意思決定を下すのだろうか。これに「脳は他の器官同様」であり、意思決定は、認識したものと 認識したものの間隙をイメージする(作話する)能力の総合であるとする立場から展開される一冊。 法制度における脳科学の位置づけが特に印象的でし た。
0投稿日: 2015.06.08
powered by ブクログ終盤は間主観性みたいな話になっていた。前半は脳科学の有名な実験がメインだったけど,途中からガザニガの膨大な知識と先行研究の紹介に加え,遺伝や法律,司法の話が縦横無尽に入り乱れてとても難しく理解できないことが多かった。読了までにエラい時間がかかった。
0投稿日: 2015.03.04
powered by ブクログてんかん治療を目的として右脳と左脳を繋ぐ脳梁を切断した分離脳患者を対象に様々な実験を行っている著者が、いわゆる右脳と左脳の働きの違いを明らかにするとともに脳の分散処理について説き、その分散処理された結果を取りまとめるのは左脳であり、後付けで合理的に説明するプロセスとしてインタープリター名づけている。ここでも『脳はなぜ「心」を作ったのか「私」の謎を解く受動意識仮説』前野隆司著と同じように自分の意思ではなく結果を意思と錯覚しているという受動意識説で我々の脳と意識を説明している。また、人間は社会的であるとして、社会的な脳についても1/3程ページを割いており犯罪と刑罰についての論考など考えるとグルグルしてしまいます。
0投稿日: 2015.02.22
powered by ブクログとても興味を惹かれる分野、久々に「ユーザーイリュージョン」につながる話に出会えた。興味深く読んだが、ときどき細かいレベルで話(文)のつながりがわかりにくかったのは、自分がバカなのか原著の展開の癖なのか翻訳の問題か。 翻訳は専門知識のある方が手がけた感があって堅実だが、ときどき訳語選択に疑問がある箇所あり。論文などでは通用する言い回しなのかもしれないけど英語っぽいのでは?というような。 最後の章は、使命感から扱ったテーマなのだろうか、大事な話とは思うけれど、少し密度が下がったかな。気のせいか、訳文も駆け足っぽくなった気がした。
0投稿日: 2015.02.15
powered by ブクログ自分の本棚のラインナップの偏りが凄まじいなとふと気が付きました。 それでも好きな本しか読みませんけどね。 科学の進歩によって、人間の身体的機能や役割、作用が次々と明らかになっている。 わたしたちが日頃当然のように行っている人生のあらゆる判断はそうした機能の一部分であって、自由意思など存在しない、という考え方をあなたはどう思うだろうか。 気まぐれで選んだいつもと違う帰り道、久々にあった友人と急遽行くことになったランチ、悩みに悩んで決めた靴の色さえも、自身の体―――もっと言えば自身の脳が選ぶべくして選んだ「決められたこと」だったのか。 スコットランドの有名大学が共同で実施している自然科学講義『ギフォード講義』で、筆者が実際に行った連続講義が待望の書籍化。 思考の隙を突く鋭い考察が小気味よいテンポで展開されています。 提示される疑問の中枢は、タイトル通り「『わたし』を司るものは一体何で、どこにあるのか」。 人間の身体に関する研究が進展し続けている現在も、未だに人間の精神に関する明確なロジックが唱えられてはいません。 しかし筆者は、車のハンドルの部品を仔細に観察しても交通渋滞の予測ができないように、脳の構造を研究したからといって人間の精神の在り様はわからないと語ります。 「私たちは人間であって、脳ではない。」 ブックカバーに書かれたこの言葉がすべてなのだと感じました。 訳者あとがきもいかしてました。 わくわくして読める素敵な一冊です。
0投稿日: 2015.01.08
powered by ブクログ物理的に動く一種の装置であるという決定論的人間観に対して、別の視点を示す。人生で得られる経験が精神システムに強い影響を及ぼし、脳と精神の相互作用が意識される現実を生み出している。 スピリチュアルに逃避するのではなく、脳や神経科学の延長に、意識が存在することを示す。
0投稿日: 2014.12.06
powered by ブクログこの一冊〈わたし〉はどこにあるのか マイケル・S・ガザニガ著 脳機能の研究で探るヒトの特異性 2014/10/26付日本経済新聞 朝刊 ヒトは生物だろうか――馬鹿げた質問に思える。ならば訊(き)き直そう。ヒトは他の生物たちと同じ原理で動いているだろうか。 脳機能の研究にネズミやサルがよく用いられるのは、動物たちの振る舞いを知ることで、究極的にはヒトを知ることに繋(つな)がると期待しているからだ。ところが著者ガザニガはこの考えに否定的だ。彼によれば、ヒトは他の生物と決定的に異なる特別な存在なのだ。「神から選ばれし人類」という優生的な観点からではなく、科学的推論を経ての主張である。ポイントは脳のサイズにある。 脳が大きければ、神経細胞の結合にコストが嵩(かさ)む。遠くの神経細胞を繋ぐ配線材料やスペースに限りがあるため、結合相手の大半は近傍の細胞となる。この物理的制約の結果、ヒトの脳では情報処理プロセスが各局所で独自に行われる多次元的並行処理がメインとなる。これが自尊心や社会性や道徳性など、ヒト特有の思考癖を生む遠因となる。だから「ネズミを調べたところでヒトは理解できない」というわけだ。 たとえば、ヒトは擬人化を好む。ペットを見て「甘えたがっている」「恥ずかしがっている」と感じる。動物たちがヒトに似た「心」を持つ保証はないにもかかわらず、つい擬人化してしまうのは、ヒトの脳が「そうデザインされている」からだ。つまりヒトは、ヒトを相手とするよう、生まれながらに神経配線された社会性生物なのだ。 自分自身についても同様だ。私たちは自分を自由な存在だと信じている。しかし脳に自由意思があるという証拠はない。周囲の環境からの絶え間ない影響の中で自動的に生み出された感情や行動を、ヒトは「私の意思だ」と堂々と錯覚している。 自由でありたいと願う気持ちは理解できる。しかし著者は「その自由とは何からの自由なのか」と問いかける。「まさか人生経験から自由になりたいわけではあるまい」と。 意思の所在が曖昧となると、個人の責任の所在も曖昧になる。犯罪は裁けるのか、脳のスキャンデータは法廷証拠として使ってよいか――これが本書のクライマックスだ。 このところ同分野の類書が連続して3冊出た。アントニオ・ダマシオの『自己が心にやってくる』(早川書房)、クリストフ・コッホの『意識をめぐる冒険』(岩波書店)、そして本書である。いずれ劣らぬ名著だ。ぜひ三者三様の差異を比べていただきたい。あなたは誰派だろうか。 原題=Who’s in Charge? (藤井留美訳、紀伊国屋書店・2000円) ▼著者は39年生まれ。米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授。著書に『脳のなかの倫理』『人間らしさとはなにか?』など。 《評》東京大学教授 池谷 裕二
0投稿日: 2014.11.02
powered by ブクログ読み物としては面白かったけど。。。一般公開講座(ギフォード講義)の講義録がもとになっているせいか、目新しい話がない。穏当というか、総花的というか、常識的な範疇を出ない。個人的には、自然科学における「創発」のイメージがちゃんと掴めていないことがわかった。
0投稿日: 2014.11.01
powered by ブクログ2日前、ノーベル医学生理学賞の発表がニュースになっていた。「脳内のGPS(衛星利用測位システム)」がどのように働くのかを解明したとして3人の研究者に授与すると発表した。それだけ、脳は人間にとってまだ、未知なる領域が残っている。 そんな脳に関して考えて行ったのが今回の本だ。脳とは何か、人間にとって脳はどういうものかを問い、解説している。 脳の配線に関して、脳を制御しているのは一つのものではなく、いろいろ張り巡らされていてかつ、物事を認知する能力を持つ脳は分担が決まっていて特定の領域で処理すると言う2重構造になっているそうだ。 そういえば、「脳は有り合わせで出来ている」と言うのを読んだことがある。本能に基づいて判断する「古い脳」に、今の人間が考えたり、行動するような複雑な「新しい脳」が重なる2重構造ならなっている。その影響で、食べ物を必要以上に蓄えようとして肥満になる人が出る。 脳の構造がもっと明らかになってくれば、今話題になっている「イスラム国」のような邪悪な集団に加担しようという誘惑にかられずに済むような研究が出てくる可能性が出てくるかも知れない。 http://www.sankei.com/life/news/141006/lif1410060055-n1.html
3投稿日: 2014.10.09
powered by ブクログ脳科学だけでなく、物理学、生物学、政治哲学まで幅広い分野を横断している素晴らしい書籍である。自由意思への解釈については、ネガティブなものからポジティブなものに変わった。時間をあけてもう一度じっくり読みたい。
1投稿日: 2014.10.06
