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聖なるズー
聖なるズー
濱野ちひろ/集英社
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総合評価

112件)
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    めちゃくちゃ面白かった。 帯にセンセーショナルな「動物との性愛!」などの言葉が並ぶのでドぎつい内容を想像してしまうけど、なんてことない人間ではない動物をパートナーとして生きていくことを決断した人達の人生に真摯に寄り添って書かれた本。 著者があまりに壮絶な性暴力経験を過去に追っていて、愛やセックスについて今一度考えなおす作業が合間合間に入る。 あくまでパートナーと時間を過ごして生活をする中で、食事をしたり散歩をしたり、運動をしたりコミュニケーションを取ったりなどのひとつに、当然性衝動は入るわけで、パートナーの人生全てに寄り添おうと思ったとき、そこだけ見えないふりをするのは変だろうという考え方。言われりゃ当たり前なんだけど、相手が物言わぬ動物だからこそ理解を得るのが難しい。そこらへんはしっかり向き合って書かれているから読むのが早い。 パートナーのパーソナリティを徹底的に理解して寄り添うってあんまり考えたことなかったのでなんかわが身を振り返ってめちゃくちゃ考えてしまった。 相手が何も言葉を発してなくても触ってほしいと感じているところ、してほしいと思っていることを察してあげれているのか?相手をセックス・トイのように自分の快楽のために利用していないか?いやーーー、自分が満足することに熱中してるとき、ある。反省。そういった意味でも良い機会を頂きました。

    6
    投稿日: 2020.01.29
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    ★トピックと取材力の勝利★動物とセックスする人(ズーと自称する)のノンフィクション、というだけでつかみは満点。ドイツの団体を軸に友人関係を広げて、取材を掘り進めたのも力がすごい。動物を対等のパートナーとして受け入れ、(たまたま)彼らがしたがるからセックスもする(主に受け入れる)、という人々の話を丁寧に追う。自らのDV体験を照らし合わせながらセックスのありようを探るのは論文ではなくノンフィクションならではの書きぶりであり読ませ方だ。  ただ著者も中盤で書いているように、取材対象者のほとんどは受け入れる側。動物と心が通じ合う側面はあるのだろうが、もともと裸で寝ていたりして彼らの性的な本能を刺激しやすいのも確かだろう。書名ともしたように、この団体の人々を「聖なるズー」と揶揄する人もいる。要するにちょっとええかっこしい、だと。自ら動物としようとする人もそれなりにいるらしい。そこは取材しきれなかった、と書いているように、著者も物足りなさを感じているからこの書名としたのだろう。ぜひ、その先を読みたい。

    0
    投稿日: 2020.01.26
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    読む前から、これから私はすごいものを読むんだと覚悟した。 まず、プロローグの著者自身の体験がショックだった。 そして、そのあとのズー達へのフィールドワーク。あまりにも未知の世界で読みながらも戸惑ってしまう。ただ、読み進むうちに、ズー達の特殊性が(特殊、少数かもしれないけど)、自然に思えてくるというか、最初の抵抗感がなくなっていくというか… ズー達との付き合いによって、結果として、著者自身が救われていくのが良かった。まだ完全とは言えないし、そう簡単に傷は癒えないだろうが、新しい地平が広がったようで何よりだった。

    1
    投稿日: 2020.01.24
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    動物を飼うこと、それは対等如何問わず、その動物種へ生と性サイクルからの離脱を強要させている。離脱させられた動物が、新たに組み込まれた人間社会に同化しているが如き思い込みを人間は抱くが、大部分は自己都合の幻想でしかないのかもしれない。命の重さを感じ、友愛の繋がりを感じたとしても、性の一行動に過ぎないと。無知のまま、相互の愛情だと思い込んでいたほうが、人間にとっては幸せだろう。ペットとして接する動物の性欲求が自らに向けられていると感じてしまったら。ズーが、思考する動物ゆえの罪深さなら、人間の業はあまりにも重い

    0
    投稿日: 2020.01.18
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    2020/01/13予約 読み始めあまりの衝撃に、読み進めるのが辛かった。 ご本人も最初のあたりで書いていたが、どうして逃げなかったのか。そして結婚するのも。 ズーのインタビューは、そういう考えもあるのかと思いながら読んだが、後半の学術的まとめは、難しく、理解できず。 動物を性的虐待すること=ズーではない。 それさえも知らなかった。

    0
    投稿日: 2020.01.13
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    久々に価値観がぶっ飛ばされる読書体験だった。読む前と読んだ後で世界が違って見える。  動物とのセックスと聞けば嫌悪感を示す人が大多数でしょう。私もそうでした。しかし著者がセックスを含めた「動物を愛すること」について丁寧に取材した結果から浮き彫りになる事実がかなり論理立っているため、動物の性欲について認識を改めざるを得ない。言われてみれば当たり前なんだけど動物にも性欲が存在して、それを受け止めるのが同種の動物なのか異種の人間なのか、それだけでしかない。  では、なぜ嫌悪感を持ってしまうか?それはペット自体がどれだけ年を取ろうとも、人間はペットのことを子どもと認識しているから。(ペットの去勢文化も影響している)その結果ペドフィリアと同一視されてしまう。逆に動物性愛者の多くはセックスを伴うか伴わないかに問わず、動物を成熟した存在と考えて、水を飲みたい、食事をしたいと同じように性欲に対して自然に接している。それはある種保守的とも言える愛の形であるというのが、「1周まわってそうなる?!」といった驚きがある。  ズーフィリアと呼ばれる動物性愛者からなるドイツの団体セータに所属するメンバーを中心に、彼らの家に一定期間宿泊し紋切型のインタビューに陥らない形で引き出した様々な証言が上記で述べた著者の見解をどんどん紡いでいく過程がスリリングだった。  そして本著は「動物とのセックス」という矮小化された「ゲテモノ」扱いされるような本ではなく、もっと広く、セックスとは?愛とは?という議論にまでリーチしているところが興味深い。それはひとえ冒頭でカミングアウトされる著者の背景があってこそ。これだけ身を切って書かれたノンフィクションは読んだことがない。

    3
    投稿日: 2020.01.09
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    動物性愛についての考察、それに至る経緯が筆者目線で出まとめられています。正直、表現が赤裸々で驚きましたが読み終えてみると案外読みやすかったです。 ありのままを受け容れる通過点としてのセックス。 人々が言う「普通」について新鮮な切り口から考えることできました。 テーマは過激なように感じるかもしれませんが多様性について考えるには良い作品の1つだとおもいます。

    1
    投稿日: 2020.01.09
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     人間って不思議で面白いし、全部受け止めて、受け入れてしまっていいと思う。何も否定しなくていいと思う。多分、人間は進化の過程で脳がそのように「進化」してきたのだろう。いろんな人がいるものだ、ということ。それでいい。  ドイツの犬や馬をパートナーとする動物性愛者「ズー」の話である。自ら性暴力の被害者であった著者は、ズーたちと寝食を共にしながら、会話やインタビューを重ね、行動を観察し、愛やセックスや暴力について考えていく。  人間以外の動物と対等である、ということは可能なのか。異種間での対等な関係性とは、人間の解釈に過ぎないのではないか、という疑問もあるし、本当のところは知れない。ただ、人間以外の動物の異種間での対等な、あるいは恋愛のような関係性も実際には観察されることもあるわけだし、人間と動物の間であっても可能なのかもしれない。しかし、動物は語らない。私たちは、自分以外のことについては、基本的には言葉でもってしか認知し得ない。  本書を通じて感じること、それは人間というのは、とてつもなく多様であって、基本的にそれでいいということ。それがいいということ。  自分を試される本、だと思う。

    1
    投稿日: 2020.01.04
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    私は動物を飼った経験がないので、「人間とペットの対等性」ということを考えたこともなかった。「深く」ではなく、文字通り「考えたことも」なかった。 それはつまり、ペットは「人間に付き従う存在」だと疑うことなく私が思ってきたということだ。 去勢はペットの性の自然なあり方を剥奪する行為という考えがあることも、初めて知った。 知らないことはまだまだたくさんあるな。

    2
    投稿日: 2020.01.03
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    「動物が僕に教えてくれたことはいろいろあるけれど、もっとも大切なことは、その瞬間に集中すること。その時、役割を演じるのではなく、ありのままの自分でいること。嘘をつかないこと」 パートナーと対等であろうとすること。互いの関係の中にパーソナリティを見出すこと。 性暴力の本質は支配

    0
    投稿日: 2019.12.26
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    セクシュアリティはそれぞれと思っていても 相手が動物?? どこまで同等の立場であるのか 相手を思いやる事が愛なのか 消化しきれないけれど 読んでよかった 世の中にはイロイロな人がいてイロイロな幸せがあるんだと再確認

    0
    投稿日: 2019.12.10
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    このレビューはネタバレを含みます。

    なかなかに言葉にするのが難しい。 読み始める時も読んでいる時もそして読み終わったすぐも、しばらく時間の経った今も、自分の中で全く消化できていない。 動物との性愛。 頭ではわかる。昔から日本ではよくある話だ。誰もが知っている妻が鶴だったり、夫が犬だったり。小さい時から親しんできた物語の中では全く違和感もなく受け入れられてきたと言うのに、なぜだろう。 動物との愛。ならわかる。うちにも長い間白い小さな犬がいたから。いつも一緒にいるその犬は当然のように家族であり、幼い私にとってはかけがえのない姉妹のようなものだった。 でも、そこに性の入る隙間はあるのだろうか。 自分とは違う「種」の生き物に「性」を伴う愛を感じられるのだろうか。 違和感の塊を抱えながら読み始めた。 動物と共に暮らす中で相手と心を通じ合い、意志を尊重し、そしてセックスをする。 けれど、そこに本当の意味での意志の疎通はあるのか。 動物が発情しヒトに対してなんらかの行動をとることはあるだろう。けれど、それを受け入れる、あるいは逆にヒトの発情を相手に受け入れさせることに、無理はないのか。 どうしてもそこに違和感を感じざるを得なかった。セックスはなくてもいいんじゃないか。 現にズーの中にはパートナーと性的関係を持たずにいる人もいる。物理的に不可能な場合もあるし、必要と感じない場合もあるだろう。ならば、その関係と、私たちが「家族同様」に暮らしている動物との関係とどこが違うというのか。 誰が誰を愛し、誰をパートナーとして選び、誰と性的関係を持ちたいと思ったとして、それを理解や共感はできなくてもお互いの合意のあるものであればその関係を否定しない、というスタンスでいるつもりだけれど、まだ、このズーと呼ばれる人たちと動物との愛は受け入れられないでいる。 動物がそばにいてくれること、共に過ごすことで救われたり癒されたりするのはわかる。そこに性的関係が必要なのか。 あぁ、でも動物の種を超えた交配はどうなのか。ライオンとトラ、ヒョウとチーター、ロバとシマウマ。その交配と同じじゃないのか。うーん、わからない。 いろんなことを考えている。考えているけれど、まだまったく理解も消化もできていない。 ただ、「愛することって何なんだ」という問いだけが深く心に刺さっている。

    6
    投稿日: 2019.11.30