
総合評価
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powered by ブクログ初めて昭和時代に書かれた本を読んだ。 あまり作家に詳しくない自分でも、司馬遼太郎という名前を聞いたことがあったため、有名な人なのだろう、教養として読んでおこうと思った。 内容は日本史に関して、司馬遼太郎の独自の視点で考察が描かれていた。文章も古くて読みにくいということはなかった。予備知識の問題で内容が理解できない箇所は所々あったが、全体的に面白く読むことができた。 特に、戦争に関する描写がリアルで、実際に満州での戦争を経験した人が見聞きしたことが書かれており、戦争の悲惨さが理解できた。 司馬遼太郎自身も、日露戦争から太平洋戦争の期間は、日本史の中でも美しくない、醜い期間だと言っており、戦時中の日本の政府がいかに機能していなかったかが描かれていた。
0投稿日: 2025.11.17
powered by ブクログhttps://opac.lib.hiroshima-u.ac.jp/webopac/BB01853884
0投稿日: 2025.04.11
powered by ブクログ全般的には、初出が雑誌の連載なのと、文体が脱線気味(道を見失いがち)で読みにくいところもあったが、いくつかの点で、日・中・越を比較して理解するのにも繋がる等、面白かった。 ①儒教のこと。王土王民制(土地も人民も行程一人の所有、という思想←儒教由来らしい)。日本は隋唐に倣いつつも、宦官と科挙は取り入れず、そして面的なところ(血族的)も取り入れず。[p.14-16] ※儒教は地域を公とせず、血族を神聖化する。 ※この点、ベトナムは日本よりもよほど中国みたいだ、とも言えるかもな。 ②日本は民間や民衆さえも「公」の意識を強く持ちがち(日本には資本主義の主体も民も「公」)だが、中国で公の意識はせいぜい科挙出身の官僚の一部で、私の強烈な連帯はあっても公はない。 ゆえに日本人は常に(公意識を背負って)緊張し、中国人はむしろリラックスしている。[p.159,172,181] ③藩政期の多様性(常に教育)、一方で、戦後は平面的統一性・単純性、ゆえに閉塞感。 小藩の精度高い教育こそ内部的豊かさをうむ(薩摩は「学問」を軽んじ独創性を重視していたのに対し、佐賀では暗記ばかり)。 江戸期は日本の中で国際社会(ヨーロッパの中に多くの国があるような)、とも表現できる。[p.164,169] ④秀吉には計数と土木の才。信玄の農業土木(信長の楽市楽座にも匹敵する)。[p.129,225]
0投稿日: 2025.01.12
powered by ブクログメモ→ https://x.com/nobushiromasaki/status/1856614862291624035?s=46&t=z75bb9jRqQkzTbvnO6hSdw
0投稿日: 2024.11.13
powered by ブクログいくら大河ドラマを見ても、歴史小説を読んでも、尊皇攘夷思想が理解できず明治維新が分からない。 そんな自分にとって、学生時代に日本史ではなく世界史を選ぶのは自然な選択だったけれど、もし学生時代にこの本に出会っていたならば…、日本史を選択する可能性もあったかもしれない。現役の学生さんにおすすめしたい。 「この国のかたち」とはずいぶんと大きなタイトルだけれども、その名に違わず、教科書のような忖度なくして、この国のかたち(他に言い表わすことばがない)が書かれたスゴイ本。
0投稿日: 2024.05.23
powered by ブクログ1990年に上梓されたエッセイ本。しかし、充分に読み応えがあります。どの章も重みがあり今を生きる私たちの標になります。 歴史的知識だけではその時代を理解できません。誰がいつどこでどうしたのか。何故そうなったのか…史実の背景を読み解く必要がありますが、これを読み教科書的のみで浅かった知識が広がり深まりました。 歴史小説を何冊も書いてきた司馬さんですが、それも明治時代まで。 あの昭和初期から敗戦に至るまでの日本史に猛烈に怒っています。 …ながい日本史の中でも特に非連続の時代、ーあんな時代は日本ではないーと理不尽なことを灰皿でも叩きつけるようにして叫びたい衝動が私にはある。…日本史のいかなる時代とも違う、“異胎の時代”とも表現しています。 日本陸軍、参謀本部の暴走の正体を説いています。 自分たちの名田を守るために武装して起こった武士の時代。鎌倉時代の坂東武者に代表されるような一所(名田)に命を懸ける潔さ、名誉を尊ぶ気質など日本史を貫くもの。日本人の底流にあるものに目を向けています。
0投稿日: 2024.03.08
powered by ブクログ・日本の偉人の評価 ・日本人及びその国の特性と成立ち を司馬遼太郎の極めて主観的でありながら、 納得感があり、まるで会って話して来たかのような 語り草がたまらなく面白い。
0投稿日: 2023.04.03
powered by ブクログ近代精神。宗教権威の否定(富永仲基)。科学的合理性・人格の自律(山片蟠桃・三浦梅園)。人間主義(井原西鶴)。 ※倜儻不羈(てきとうふき)。すぐれていて拘束されない。志が大きく抜きんでている。馬のたづなに拘束されない。独創。独立。 ※惣は日本の公(共同体)の原形。 ※皇族の出の人が一兵卒として徴兵される明治の平等主義。 ※独裁は日本人の気質に合わない。信長。井伊直弼。 ※尊王攘夷。契丹・女真族に漢民族が服属する宋代。漢民族の王が中国を支配すべきだという考えから。 ※明治憲法下で天皇は政治に対して能動的な作用は一切できなかった。例外は敗戦時の聖断のみ。 ※7世紀に統一国家ができたのは隋による侵略に対抗するため? ※隋唐から官制を導入したが、宦官と科挙は採用せず。 ※藩という言葉が日常語になったのは幕末。 ※地域色が強く多様なことは大事。 ※歴代の天皇で中国的な専制を得ようとした天皇は後醍醐天皇だけ。 ※昭和10~20年は異質な時代。「非日本的」。非連続。※昭和の一時代を過度に醜悪なものと見、他の時代を過度に美化。「日本人は」と全体を一枚岩として語る傾向。 **** 二巻 四カ国船隊に負けた長州。英は彦島ひこしま(海運の要所)の租借を要求。高杉晋作が交渉で無いものにした。1864 シンガポールなど海運の要所を抑えたい英。 幕藩体制により、領国大名の統治能力が充実、十分な武力を持っていたため、16世紀ポルトガル・スペインは日本の領土に手を出せなかった。 藩は武士人口が多い。藩の民は総じて精神性が高い。形而上学的な価値意識をもつ武士が、実利意識の強い農民・商工人の精神面を養った。現在の大都市圏など天領(幕府直轄領)だった地域は精神性が低い。 ※大乗仏教。解脱は素晴らしいが難しい。なのでいっそ解脱した人(釈迦)を拝むことにしよう。 ※黄金趣味はスキタイ遊牧文化から東へ。古代中国・朝鮮。 ※中国・朝鮮では儒教は習俗。同姓は結婚不可。日本では儒教は「学問」。 **** 三巻 幕府フランス式陸軍。明治政府プロイセン式陸軍 ※普仏戦争で仏が敗北1871したので明治からはドイツ。ヨーロッパにもあんな田舎くさい、市民精神の未成熟な、国があったのかと驚きと共感。 ※中央集権の中韓と異なり封建制の日本。とくに応仁以後は無数の豪族による割拠。日本は百千の破片になった。 ※李成桂は王位につき、明に使いを送り国号を明に選んでもらった。案に和寧と朝鮮があり、朝鮮が選ばれた。朝鮮は明の年号をもちいた。 ※扇子は日本の発明品。恵比寿天は七福神の中で唯一日本の神。 ※浪華はべつに帝都にならなくても、依然本邦の大市である。江戸は帝都にならねければ、百万市民四散して、一寒市になりはてる。 ※所領への私的執着という泥くさいものを、潔さという気体のような倫理に転換させた。さらにその潔さを、甲冑の華やさという造形的表現にも転換している。執着をおさえこんでの名誉希求(潔さ)が、さらに変化して、甲冑でもっておのれの優美さを表現。華麗な甲冑は、自分の死を飾るものでもあった。 **** 四巻 左翼思想は疑似的な普遍性を持った信仰であり、国家や民族を超えてこの疑似的普遍性に奉仕せよと考える。彼らの日本史の捉え方はリアリズムを欠く。江戸時代の百姓は帝政ロシアの農奴であり、大名は帝政ロシアの地主(貴族)であり、東京の都市労働者は英の産業革命以後のプロレタリアートであると勝手に当てはめて理解している。そこにありのままの日本史は存在しない。p.192-193.▼軍事は身に着けるべき一般教養。戦後は軍事に触れるだけでも具合が悪いという細菌恐怖症のような気分がある。現実を認識しない平和論はかえって恐ろしい。軍事を遠ざけることが、軍部の独走という非リアリズムを生む。いつの時代も合理的に判断行動するように。 日本の庭園。夕闇。寂滅じゃくめつ為楽いらくの宗教的境地に浸る。▼龍安寺石庭は15個の石で大海を表す。大徳寺大仙院は禅の理想郷(枯淡幽寂)を造形化。大徳寺こほうあん、今生の華麗さを描く。 ※日露戦争は祖国防衛戦争p.173。 ※高麗は仏教を尊んだが、朝鮮は仏を拝し儒に代えた。小中華という空想や礼がもつ滑稽さ。 ※馬を去勢する遊牧民文化。古代エジプト・オリエントの宦官。日本には馬を去勢する習慣が明治までない。▼士は男性器の立つ形を示す象形文字。 ※日本の奥州と大陸の沿海州の交流。靺鞨が住む大陸の南にある青森出身だから陸羯南。 ***** 五巻 インドから仏教という普遍性の高い大宗教を受容しつつ、古来の神々も生き残った。伊勢神宮や八幡神は、仏を讃仰(さんぎょう)した/仰ぎ尊んだ。 八幡神。仏教伝来の後に豊前大分に出現。中央政治に強い結びつき。東大寺大仏造営に託宣。東大寺の域内にまつられる。▼頼朝の祖が八幡神を氏神に。武の神に。頼朝の鶴岡八幡宮。▼華麗な八幡造。 古代。海に潜って魚を取る。水圧に厳厳(いかいか)しさを感じ、浮遊のときに浮力の愉快を感じ、海面で呼吸を回復する楽しさに神を感じる。 会津藩。幕府側で最後まで戦った。明治後も会津若松が最大のまちにもかかわらず福島県庁は置かれず。国公立大学も置かれず。1993年になって会津大学という公立大学が開学。 室町の地侍や国人は土地を所有する農場主。秀吉刀狩により壊滅。大名は土地所有者ではなく、領内から税を取って給料をもらう人。だから廃藩置県がうまく行った。所有する土地を奪われるわけではないから。 ※伊勢神宮。式年遷宮。持統天皇から。690年から。 ※神道。初詣。夏祭。秋祭。祇園祭。山王祭。靖国参拝。七五三。地鎮祭。神前婚儀。月参り。合格祈願。式年遷宮。 ***** 六巻 森有礼。18歳でロンドンに留学したため、日本的教養が少なく、志士活動の経験もない、質のいい坊や。医学や理化学用語の日本語訳がまだなかった当時、日本語を捨てて英語を国語とすべきだと主張。エール大教授のW・D・ホイットニーに意見を求めたところ反対される。民族というのは共通するのは言語しかない。森は極端な国家主義者で「国家」が富国強兵すれば、民族文化は衰弱してもよいという不思議な純粋思考をもっていた。p.87-88. 日本文化は過去からの連続性が濃厚。貯蔵能力が高い。古代や中世の歌詞が豊富に保存されている。古事記、日本書紀、梁塵秘抄、閑吟集。文章資料が大量にある。
0投稿日: 2023.03.31
powered by ブクログ司馬遼太郎氏生誕100年でもあり、約20年振りに読み返してみました。 《この国のかたち》とても素敵な言葉です。いろいろな歴史的背景を踏まえ、政治、経済、社会、文化、生活等々今を生きる私たちに様々なテーマを投げかけ、考えさせられるとてもおもしろい本です。特に、亜細亜への考え方、太平洋戦争に至るプロセス、神や宗教感に対する考えは…。人も20年経つとものの見方がちょっとは深まるのでしょうかね‥‥
1投稿日: 2023.02.19
powered by ブクログ30年前「文藝春秋」に連載されていたもの。 著者が今の日本をみたら、どんな風に思い、どんな国のかたちを書くだろう。 歴史的知識の乏しさのせいか、テーマによっては難解な物もあったけど、興味や知識がある物はとても面白く読めた。 学生時代一番苦手な教科だった歴史だけど、この歳になってもっと歴史を勉強したいと思うようになるとは。
0投稿日: 2023.01.03
powered by ブクログはたと、この偉大な歴史小説家が日本という国をどのように思っていたのかが知りたくなり、本書を読み始めた。脈絡もなく続く著者の思いに納得したりそうでなかったり。ただ昭和初期のあの戦争の時代に対する考察は僕の思いと一致した。
2投稿日: 2022.11.28
powered by ブクログ日本の近代や歴史についての理解を深めるのに良いと思います。 日本について一つでも多くを知る事は、生きていく上で、必要と感じます。
1投稿日: 2022.10.13
powered by ブクログ十数年ぶりの再読にも関わらず、いくつかの章は印象に残っている。江戸時代の各藩の多様性が明治維新を産んだというあたりは再読して良かった。 土佐の藩風の倜儻不羈(てきとうふき)は博覧強記の司馬先生ならではの言葉ではないかなぁ
1投稿日: 2022.09.11
powered by ブクログ「司馬遼太郎」のエッセイ『この国のかたち (一)』を読みました。 久しぶりに本を読みましたね。 読みかけの本が数冊あるのですが、、、 最近、なかなか読書に集中できず放置したままになっており、『この国のかたち (一)』が、転勤後に読了した最初の本になりました。 -----story------------- 日本は世界の他の国々とくらべて特殊な国であるとはおもわないが、多少、言葉を多くして説明の要る国だとおもっている。 長年の間、日本の歴史からテーマを掘り起し、香り高く稔り豊かな作品群を書き続けてきた著者が、この国の成り立ちについて研澄まされた知性と深く緻密な考察をもとに、明快な論理で解きあかす白眉の日本人論。 ----------------------- 「司馬遼太郎」が得たいの知らない化け物(異胎)に例えて嫌悪する日露戦争の勝利(1905年)から太平洋戦争の敗戦(1945年)の間の40年間。 統帥権という超法規的な権力を持つ参謀本部によって、明治人がつくった近代国家が扼殺され、非日本的な歴史を歩まざるを得なかった昭和10年(1935年)以降の10年間について特に興味を惹かれました。 その時代についての書物を読んでみたいと思いますが、、、 「司馬遼太郎」は、「あんな時代は日本ではない」と否定し、その時代を描くことはできないと独白しているので、他の作家の作品から学ぶしかないですね。 また、太平洋戦争に向かって日本が暴走した時代の内閣をオトナ制に、参謀本部を若衆制に例えた考え方も興味深かったですねぇ。 この国のかたちについて、色んな時代や角度から考えさせられ、学ぶことのできた一冊でした。
0投稿日: 2022.04.16
powered by ブクログ「日本とはどういう国なのか」と司馬さんが、23歳の自分自身に手紙を書くようなエッセイ。 それにはわけが、、、 召集されて軍隊を経験した23歳の司馬さんは、戦争に負け終戦の放送をきいたあと「なんとおろかな国に生れたことか」と思ったのだそう。 「昔はそうではなかったのではないか」鎌倉・室町期や江戸・明治期のころのことをである。 それを小説に書いてきたのでもあった。 そして、昭和の軍人たちが国家そのものを賭けにしたようなことは、昔にはなかったと確信する。 「それではいったいこの国は、どうであったのか」と歴史を紐解きながら「この国のかたち」を探る。 まるで司馬さんの頭の中の引き出しが開かれていくような感じで、話はあちこちに飛びますが、司馬節にあやされて、歴史に詳しくなったような気になること請け合いです。
3投稿日: 2021.07.13
powered by ブクログ儒教は諸悪の根源として描かれる。特に朱子学。汚染されなかったのが日本のラッキーなところという。たしかに、宦官や衣装、男尊女卑すぎる世界に汚職は少ない日本。そうかもしれない。では、儒教とは、朱子学とはなんなのだろう。まるで邪教ではないか。 戦前、戦中を鬼胎の時代とした。完全にミッシングリンクの時代と。それは司馬さんの願いでもあるのかもしれない。現代も、とても戦時中の国家に似ているからだ。誰もが肌で感じている政府の無能さ。
0投稿日: 2020.04.20
powered by ブクログ司馬遼太郎が好きなので、今回は短編集を。 中世から第二次大戦にかかる日本史を、順不同でつらつらとかきつつも、その主張は明晰で分かりやすい。 息子にも読んで欲しい本。
0投稿日: 2020.01.08
powered by ブクログ国、日本人というものを構成するに至った歴史的背景を探るとともに、他国との比較なども含まれている。 そして、著者の私感や意見なども随所に折り込まれ、著者の取材と研究の素晴らしさ、ひいては「司馬 遼太郎」観の集大成とも受け取れる。 日本という国、日本人というものに対して、実は誠に浅薄な知識しか持っていない私達世代には、歴史書などよりも読みやすく、とても良い書籍だと感じる。
0投稿日: 2019.10.12
powered by ブクログ司馬遼太郎の書きたいことがつらつらと書いてあり、いつものわかりやすい説明もないのでちょいと難しかった。
1投稿日: 2019.09.25
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
司馬遼太郎が歴史小説を書くようになった原点の本 戦時中、満州で戦争に従事し理不尽な思いをしたその原因を参謀本部の「統帥権」の暴走である。としてそこから日本人がどのような民族であるかを展開している。
0投稿日: 2019.04.21
powered by ブクログやっぱり、司馬遼太郎の文体が好きだ。 電車通勤の時間に、読書の体力が残っている時にだけ読むから、まだ3巻目しか読めていないけど。日本の国の歴史に対する深い洞察、きっと著者の読書量は半端ないんだろう。 陸軍士官として戦争を経験したがゆえに感じたこと。当時の雰囲気。それらを後世に残してくれたことを感謝。
1投稿日: 2019.03.02
powered by ブクログ司馬遼太郎作品 読んだのは中学のとき。 読書感想文を書くために読んだ「燃えよ剣」のみ。 当時の私には難しかった。 それ以来、なんだか高尚・難解な作品に思えて、手を出さなかった。 しかし、今回イメージが一新。 こんなにユーモラスだったなんて。 面白い! 【この国のかたち】 すごくいい日本史、中国史、宗教の勉強になると思った。 ・江戸中期の識字率の高さは世界有数だった。 ・清と明の板挟みにあう朝鮮。 ・本来、仏教には墓のという思想がない。だから釈迦とその弟子たちの墓はない。 そして、ところどころで笑える。 特に面白かったのは、余談が長すぎて『~ついて書こうと思ったが、紙数が尽きた』といってその章を終了させたところ。 【この国のかたち】は6巻まであるようなので、さっそく次巻をAmazon購入。
0投稿日: 2019.02.19
powered by ブクログ日露戦争から第二次大戦まではなかったことにしたいという いわゆる司馬史観の教本 ローマ大好きな西の歴史小説家がキリスト教が嫌いなのでなく認めたくないのと同じく いかにも日本人な歴史 けれどその時だけ別物だったというのはいかにも無理あると思う 一方で 評論でなく月刊誌の随筆なので 論を詰めることない適当さが史観の顔することに対する憤り派の気分もわかるが 一般大衆は歴史の中身なんざNHK大河ドラマと同じくお話としての価値しかないのが 大学卒業が普通になっても変わらない この国の(この国に限らないが)かたちなんである
0投稿日: 2018.10.25
powered by ブクログ某書でオススメされていたので購入。 歴史系の本はあまり読んだことが無かったので新鮮。 続きも読んでみたいと思う。
0投稿日: 2018.08.02
powered by ブクログ章により面白さに差があるためつまみ読みで良い。 統帥権や参謀本部の項目は面白かった。 「昭和ヒトケタから同二十年の敗戦までの十数年はながい日本史のなかでも特に非連続の時代だった」に同意。
0投稿日: 2018.01.08
powered by ブクログ司馬遼太郎の小説をある程度読んでから読んだ方がよい。司馬遼太郎の歴史に対する見識がよくわかり、小説の背景知識を得ることができる。これを読み再度小説を読むとより理解が深まるだろう。ただ、司馬小説を読んでいないと興味が湧かないと思う。
0投稿日: 2017.10.09「日本とは何か?」に対する司馬遼太郎さんからの手紙
この本は、歴史的な出来事なり人物なり文化を 司馬遼太郎さんの視点から書かれた随筆集です。 全六巻で色々なテーマについて書かれています。 自分は、「坂の上の雲」を読んだ後だからというのもありますが、 「3.雑貨屋の"帝国主義"」が大変興味深く面白かったです。 巨大な異形物との会話から始まり、 何者かを問うと「参謀本部」と応える。 司馬遼太郎さんならでは。小説家らしい表現で 昭和初期の異常性を表してます。 その他も大変興味深い話ばかりです。 「・・いわば、二十二歳の自分への手紙を書き送るようにして書いた。(415)・・」 22歳の司馬遼太郎さんだけでなく、「日本とは何か」を知りたい我々への手紙でもあると思ってます。 まさに、司馬遼太郎さんからの手紙。 是非オススメです
1投稿日: 2017.09.15
powered by ブクログこの国のかたち。第1巻。司馬遼太郎さん。 司馬遼太郎さん(1923-1996)が、晩年に文芸春秋に連載していたエッセイ。 歴史の逸話、地理、文化や宗教などの雑学が雑然と山積みされたオシャレな市場を、「へええ」と周遊する。そんな愉しみに頁をめくっていると、日本、この国の輪郭というか個性を見上げながら散歩している気分になってくる。銅像に例えれば、横から見たり後ろから見たり。そして、この国のかたちを感じるためには、当然のように、他の国のかたちも感じなければ判りません。中国、インド、朝鮮、オランダ、などなど…日本と縁があった様々な国についての造詣を元に、「この国」のかたちが浮き出てくるわくわく感。 もちろん、それは、「だからこの国はよその国に比べて素晴らしい」という話でも無ければ、「よその国に比べて劣っている」という話でもなく。(ここンところがレアな貴重さであるところが昨今の悲しさか) 司馬遼太郎さんのエッセイは、どんなものでも読み易くアベレージが高いのですが、まとまっている感や、連続エッセイとして愉しめるお得さで言うと、司馬エッセイの中でも文句なく白眉。一家に一冊、永久保存版。 # ●現在に至るまで、日本人のある一面のイメージを作っている、「儒教」「朱子学」について。その中国や朝鮮との比較。 ●明治維新の基礎思想「尊王攘夷」自体が輸入思想である、というお話。 ●明治日本、つまり帝国主義の加害者側に立って行く舞台裏の必死さ、オモシロサ。 ●権威だけを持つ貴族の時代(平安)から、実際の農業を土地に密着して行う武士の時代へ。このリアリズムへの大転換が革命的に日本史を面白くした、という視点。鎌倉時代のオモシロサ。 ●昭和10年~20年の、軍部主導の国家運営についての、分析というより、感慨というか怨嗟。これはもう、好む好まざるに関わらず、司馬さんの印鑑というか筆跡というか体臭みたいなもので、何冊かエッセイを読むと落語家の十八番のように耳タコになります。 ●信長について、秀吉について、浄瑠璃について、仏教、孫文。経済、物流、文学から地理地形まで。「ブラタモリ」的な快楽も余裕で内包してしまう懐の深さ。 # 以下、本文より いくつかは、司馬さん死して20年余、2017年の「この国」にぐっと刺さる警句になっている、と感じるところもあります。 「そんなことはない」と言いたいところですが… # 人間と言うのは、よほどな人でない限り、自分の村や生国(こんにちでいえば母校やひいき球団もこれに入る)に、自己愛の拡大されたものとしての愛をもっている。社会が広域化するにつれて、この土俗的な感情は、軽度の場合はユーモアになる。しかし重度の場合は血なまぐさくて、みぐるしい。 単なるナショナリズムは愛国という高度の倫理とは別のものである。 ナショナリズムは、本来、しずかに眠らせておくべきまのである。わざわざこれに火をつけてまわるというのは、よほど高度の(あるいは高度に悪質な)政治意図から出る操作というべきで、歴史は、何度もこの手でゆさぶられると、一国一民族は壊滅してしまうという多くの例を残している(昭和初年から太平洋戦争の敗北までを考えればいい)。 “正義”を一点設けて、それを論理づけ、ひとびとに実行を強いる体系―もっと粗々に言いきれば、イデオロギーーというべきである。 イデオロギーの常として、善玉と悪玉が設けられた。マルキシズムもふくめて、イデオロギーが善玉・悪玉をよりわけたり、論断したりするときには、幼児のようにあどけなく、残忍になる。 革命政権というのは革命思想を守るものなのである。あとからきた思想は、当然危険思想あつかいにされてしまう。 過去は動かしようのないものである。ただ、これに、深浅いずれにしても苦みを感ずる感覚が大切なのではないか。 組織というのは、たとえ目的がなくても細胞のように自己増殖をのみ考えるものだ。 日本が朝鮮に対して売ったのは、タオル(それも英国綿)とか、日本酒とか、その他の日用雑貨品がおもなものであった。タオルやマッチを売るがために他国を侵略する帝国主義がどこにあるだろうか。 本来の仏教というのはじつにすっきりしている。人が死ねば空に帰する。教祖である釈迦には墓がなく、おしなべて墓という思想すらなく、墓そのものが非仏教なのである。 日本はたとえばブータンやポーランドやアイルランドなどとくらべて特殊な国であるとはおもわないが、ただキリスト教やイスラム教、あるいは儒教の国々よりは、多少、言葉を多くして説明の要る国だとおもっている。 # 何年前だか、一度読んだものですが、電子書籍化を機に再読。こういう短い章立ての素敵なエッセイが、スマホでいつでも読めるのはありがたいことです。
0投稿日: 2017.03.03
powered by ブクログもし”日本”という個性を持った人間がいたら、きっと友達になるだろう。 なんて複雑で可愛らしい個性。 その好奇心を、その頑固さを、その迷える繊細さを、その割り切りの良さを、僕は愛してしまう。 それは僕が日本人だから。 日本を知ることは、自分を知ることだと感じるコラム集。
0投稿日: 2016.09.11
powered by ブクログ学校で、歴史を学ぶ際にこういう話も入れてくれたら!と思う…教科書の歴史って流れが急で、覚えるだけになってしまう。特に大学で歴史を学ぼうとしなければ、余計にぶつぶつと切れた知識みたいになってしまって。 この年で、こういう本を読む。惜しいことをしたと思いつつ、今だから、ということもあるのだろう。
0投稿日: 2015.12.11
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
人間というのは、よほど変人でないかぎり、自分の村や生国(こんにちでいえば母校やひいき球団もこれに入る)に自己愛の拡大されたものとしての愛をもっている。社会が広域化するにつれて、この土俗的な感情は、軽度の場合はユーモアになる。しかし重度の場合は、血なまぐさくて、みぐるしい。ついでながら、単なるナショナリズムは愛国という高度の倫理とは別のものである。 しかし、その社会も成熟しはじめたいまとなれば、それがこんにちの私どもを生んだ唯一の母胎であるといわれれば、そうでもないと言いたくなる。いまの社会の特性を列挙すると、行政管理の精度は高いが、平面的な統一性。また文化の均一性。さらには、ひとびとが共有する価値意識の単純化。たとえば、国をあげて受験に熱中するという単純化へのおろかしさ。価値の多様状況こそ独創性のある思考や社会の活性化を生むと思われるのに、逆の均一性への方向にのみ走りつづけているというばかばかしさ。これが戦後社会が到達した光景というなら、日本はやがて衰弱するのではないか。 さらに兆民の障害をみると、強烈なほどに自律的ではあったが、他から拘束されることを病的なほどに好まなかった。ただし「硬質」とはいえない。 「硬質」という用語も、江戸期、人間批評としてよく用いられた。頑固者などといえば一種の美質のようにきこえるが、たとえば長の吉田松陰などは門人を教える場合、これをマイナスの評価として用い、固定概念にとらわれて物や事が見えないおろかしさという意味に使った。
0投稿日: 2015.09.19
powered by ブクログ図書館で珍しく手にとった本。実家にあったので、早速読んでみた。もっと歴史を勉強しないといけないと思いつつも腰が重い私は、テーマごとに各時代の話にスリップできるので面白く一冊読めた。まだ続きがあるので、実家に帰るごとに読んでいかないと。。。。
1投稿日: 2015.05.14
powered by ブクログまず、司馬遼太郎はやはり面白い。どこか客観的でありながら、ズバリと主観的意見を主張する。この本は全6巻でまさに「この国のかたち」を論じている。第1巻は大正期から戦前までの時期、なぜ日本人が無謀な戦争に走ったかについてページを割いている。司馬は「鬼胎」いう造語を使って突然変異としか思えぬような取り扱いをしているが、読み進めるとその原点が次第に明らかになる。その他、江戸文化や武士の振る舞いなど、日本人論として必読。
1投稿日: 2015.04.18
powered by ブクログ安倍内閣の内閣改造、ネット上に飛び交うヘイトスピーチ。この国はどうなっているのか?政権内部あるいはネット上のごく一部の現象だろうとは思うが、かなりうんざりして幻滅している。司馬さんは終戦の時に参謀本部が滅ぼしたこの国の愚かさにうんざりし、昔はそうじゃなかった。こんな愚かしさを生み出したものは何だったのかを知りたいと思ったと書かれている。 今の私の気分にとてもマッチした、そういう考え方をしなければやりきれなくなるこの状況に読むべきであろう本のような気がする。全6巻。文字が大きいし行間もわりとあるので恐らく読めるだろう。 この本を知ったのは、内田樹さんが中小企業の社長さんが読むべき本として推奨されていたツイートである。 なぜかわからないが読んでる時はものすごく興味深く「へぇ〜?!」とか感心するのだが、今思い出そうとすると何も覚えていない。まぁそれでもいい。博識の矍鑠としたお爺ちゃんのお話しを聞いているような感じ。司馬さんは大正12年生まれ。私にこんなおじいちゃんがもしいたら、私ももう少しマトマな人間になっていたかもしれない。 いまさら遅いけどね。 Mahalo
0投稿日: 2014.09.28
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
司馬遼太郎先生の歴史エッセイ。司馬史観が徐々にわかっていくような、彼の全作品の追記という感じ。 歴史的教養が詰まっている。福田定一が歴史知識によって作り上げてきた司馬遼太郎という人格の脳味噌がこの本に詰まっている。とは言い過ぎである。 とはいえ、司馬先生の知識量には憧れる。速読ができたそうで、自分ももっと読むスピードを上げたい。集中力を高めたい。 統帥権の暴走には気を付けたい。 高田屋嘉兵衛の「菜の花の沖」を読みたいと思います。 _____ p34 雑貨屋の帝国主義 この話、すごくいい。40年というクリーチャーのぶよぶよ感がいい。宮崎駿っぽい。 帝国主義は自国の資本過剰により、外国に市場開拓を求めて発生するものである。しかし日本は…。明治時代からの日本は近代化したといっても、産業革命に成功したというほどでもない。日本政府が朝鮮を併合して売りつけたものはタオルや砂糖などの雑貨品であった。この程度のものしか持たない国家が、日露戦争で運よく負けなかったことで勘違いを起こしてしまった末路は、司馬氏には許しがたいものだった。 司馬氏の忌み嫌う、参謀本部について、実に興味深い。今の日本はこの参謀本部を作ることはないだろうか。ねぇ、安倍さん。 p126 高田屋嘉兵衛 ゴローニン事件らへんの人。司馬遼太郎が会いたい人。 p145 天下布武の意味 武を持って天下を統一するという専制思考なのかと思ったらそうではないようだ。天下を私物化したいのではなく、天下のために天下を整えたいという気持ちからこの朱印を用いた。 信長の徹底的な合理主義は、不合理な中世のしくみをただ忌み嫌い、ぶっ壊したかった。世の理を自分の満足のいくようにできれば、天下などどうでもいいぐらいだったのではないか。というお考えらしい。 日本人には英雄は合わない。統治機構を整える人物は歓迎だが、英雄には誰もついてこない。「公」の精神(出る杭は打つ)がとても強い民族なのである。 「君臨すれども統治せず」が昔から日本人のスタンダードだったことは、誇りと考えていい。が、トップの周囲が腐敗して、その政治がとんでもないことになった事例はいくつもある。北条高時とか後醍醐天皇もそうだし、陸軍参謀官はその極みであった。 p150 中国留学生1万人 明治期にはおよそ1万人の中国留学生がいたといわれる(その中に孫文もいた)。この留学生をうまく育成して、中国に親日本国家を作る人材にすればよかったのだ。留学生が望むように清政権は打倒したけど、二十一か条要求は反発されるわ。 p158 買弁(ばいべん) アヘン戦争後に中国に進駐してきた西欧列強の外国資本の支援者になった現地人。中国の国益を損なう行為や商売を積極的に行い、自己の私腹を肥やした連中。 日本には買弁がほとんど見られなかった。中国人は多民族国家で個人の意識が強いからか、清王朝が女真族のものだからか。変わって日本は「公」の意識が強かった。尊王攘夷が流行ったから、商人も迂闊に売国的商売なんてしたら暗殺されるからできなかったんだろう。アヘン戦争で買弁の情報も日本に流れてきてたのかな?? p187 「隊」は長州藩の造語 江戸期の集団は組を称していた。しかし長州の奇兵隊は、それ自身が封建制外の集団であることをアイデンティティとして新たな呼称を用いた。この「隊」は中国や朝鮮にも逆輸入されているから面白い。この言葉は近代化のシンボルの一つのようである。 「藩」という言葉も新しい言葉で、江戸末期になって定着した。従来はお殿様に家臣と民が従属する意識だったが、江戸の太平の世では殿の代わりに行政は家老たちが主導するようになり、また戦もなくなって国家運営に注力されることで国家意識のようなものが芽生えてきた。そして藩という組織のなかで公の意識が醸成されていった。 p211 加賀一揆 一揆=集団。農民が一揆を組むのは憎き守護に対抗するため。一揆というのは守護というしくみの終焉を告げるシンボルとして扱おう。 p213 豊臣政権の革命的3要素 ①楽市楽座の全国化 ②大阪を中心に経済の統一化 ③検地による時代遅れな地侍層の排除 鎌倉・室町期の地方行政の守護はその晩年は有名無実、ただ税を徴収するだけのふんだくり屋であった。 室町時代には日本全体で鉄の生産量が増加し、史上空前の農業生産高を誇った。その米を狙ってきた守護に対抗するため、農民は武装化して地侍となった者たちもいる。例えば加賀一揆は守護の富樫氏と争って、自治を勝ち取った。その後百年は、加賀は百姓の持ちたる国だった。室町期はある種新興の地侍の世ともいえる。 p272 平氏没落の原因 武士の発生は「名田」を守るためだ。平安末期に東国に入植するものが増え、名田主(名主)となった。これらの棟梁であった平氏だったが、中央で権力を手に入れて貴族になってしまった。律令制の仕組みでは公地公民としていつ自分の開墾した土地が召し上げられるかわからない。貴族になってしまった平氏に反感を持って武士団が頼朝をたてて挙兵した。 この武士vs平氏の構図は深読みすれば、名田を守りたいものvs律令制といえる。源平合戦は律令制終焉のシンボル。 p279 源平藤橘の四姓が天皇制を庶民に根付かせた 平安末期の東国武士たちは律令制の関係上、天皇の臣籍の源氏とか平氏の姓を名乗って京都の公家に親近感を与えておく必要があった。 庶民にとって天皇は距離的にも存在としても遠くにあって、あってないようなものだったろうと思う。でも、自分の名前とかに確かに関係している。そんな虚ろな権力というのは不思議である。 _____ もう、いい話ばかりで、全部要約したい。 この読書感想文も、ほとんどまんまで、よくないんじゃないかと慄いている。
0投稿日: 2014.06.19
powered by ブクログ著者の小説ファンであれば既に語られている内容も多少あるように感じるが全作品を読んではいない自分としてはなるほどという内容が多い。まだ読んでない作品、既に読んだ作品も再読したいと思いました。著者の歴史観を通して日本、世界を改めて見直せる良著だと思う。次巻にも期待。
0投稿日: 2014.05.01
powered by ブクログ面白い。日本の特徴、歴史的な歩みを、文化的、宗教的、教育的側面から記載している。 尊皇攘夷の起こりが、中国宋にあったこと。朱子学と結びついていること。 あとは、昭和の戦争、参謀に対する描写が面白い。第三話もよい。
0投稿日: 2014.03.03
powered by ブクログ「この国のかたち」づくるものに関しての随筆集。おそらく20年前くらいに読んだはず。読んだかどうか判然としないのは司馬遼太郎を読み過ぎているせい。
0投稿日: 2014.03.03
powered by ブクログ司馬遼太郎が、雑誌「文藝春秋」の巻頭随筆欄に連載してきた文章である。 平安から近代まで様々な時代のさまざまな事柄にふれられている。その点はさすがである。 特に面白かったのは次の通り。 -「日本人はいつも思想はそとからくるものだと思っている」言い得て妙。 -数千年の文化と強烈な民族的自負心をもつ、韓国の独立を奪うことで、子々孫々にまで恨みを買うに至っている。 なるほど、と思った。
0投稿日: 2014.02.16
powered by ブクログいつも参謀本部のくだりで戸惑う。 他の章ではあんなに慈愛をもって歴史をみているのに。 このギャップは、冷静に戦中を見ることができていないことの証左だと感じる。 歴史の当事者とはいつでもそのようなものなのかもしれない。 でも本当に歴史から過酷な目に遭った者は、 当事者としての自分と客観的な自分とを遊離させているとも思っている。たとえば大岡昇平、たとえば高杉一郎。彼らの著述は冷静でギャップを見出し難い。 だから、司馬遼太郎の参謀本部のくだりは何か偽者の空気を感じるときがある。 でもそんなに悪いこととは思わない。
0投稿日: 2013.10.11
powered by ブクログ司馬遼太郎による日本論。実際に戦争に参加し、その愚かさを実感したうえで、その時代がイレギュラーだったとして、レギュラーな「日本」とは何か?を歴史、宗教、学問等様々な視点から考えていく日本論の第一巻。
0投稿日: 2013.07.07
powered by ブクログ司馬遼太郎の日本人観コラム集、第一巻。おじいちゃんの隣に座って話を聞いているみたいで面白い。 「日本人は老荘を学んだわけでもないのに虚を上に頂きたがる」という指摘に共感する一方で、じゃあその虚が何なのかは自分でもよくわからなかった。老荘について知ればヒントになるのかも。
0投稿日: 2013.06.08
powered by ブクログ司馬遼太郎は、 日本が今あるのは、どのような歴史的な形成として 成り立ったのかを 考察する。 国のかたちとは、権力のあり方、歴史、それを支える思想を 読み解こうとする。 思想は 外からやってきた。 仏教、儒教、カトリシズム、回教、マルキシズム、 実存主義など。 そもそも 思想は どのようにできるのか? 古代中国における家族主義が、孔子によって発展した。 大和政権は、古代日本の代表的な勢力となぜなったのか? その国家のしんとして、『律・令・格・式』と考えた。 日本は、書物を輸入するために 命がけだった。 奈良から平安時代の遣唐使船。 平安末期は、宋学をとりいれた。 室町時代の倭寇貿易も 宋学を取り入れるためだった。 本で、中国の文化を学ぼうとした。 明治維新のスローガンが 尊皇攘夷だけ成り立つことに、 日本の革命のそこの浅さがあった。 攘夷思想は ナショナリズムを高揚させる意味があった。 尊皇攘夷の思想は 宋時代に形成され、日本に13世紀に入ってきたが、 光圀の想いが連綿とつながった。 その13世紀は 日本的な仏教が生まれ、彫刻のリアリズムがうまれた。 開拓農民の政権 鎌倉幕府が成立した。 中国の宋学は 朱子学として大成し、精密化された。 朱子学の理屈っぽさ、現実より名文を重んじる。 それが官学化された。徳川幕府は朱子学を官学とした。 荻生徂徠、伊藤仁斎が、朱子学の空論性を攻撃した。 明治政府が すんなりと決まったのはなぜだろうか? その思想は 光圀の朱子学的な尊皇攘夷の影響を受けた。 日露戦争勝利から 太平洋戦争敗戦までの 40年は 日本史としては 異質な時代といえる。 司馬遼太郎は異胎の時代という。 海軍の増強。それが 自己増殖して 朝鮮を併合した。 なぜ 朝鮮を併合したのか? なぜ 満州国を作ったのか? その理由を、きちんと説明できるものはいない。 日露戦争がおわり、明治41年に、参謀部が 統帥権を持つようになる。 その参謀部が 満州で独自の動きをはじめる。 統帥権の無限性が 続いていく。 張作霖爆殺事件、ノモンハン事変 バカな暴走が続く。 日本であって、日本でない日本がなぜできたのか? 自らの体験と思索を通じて、明らかにしようとする。
0投稿日: 2013.04.10
powered by ブクログ私がはじめて読んだ日本人論。難しい部分もあるけど、何度も繰り返し読みたい本。東アジアの歴史も興味深い。
0投稿日: 2013.02.06
powered by ブクログ「独裁は日本人の気質にむかない」という見解はスッと入ってくる。 「君臨すれども統治(実際に政治を執行すること)せず」が日本人にとっての理想的リーダ像となっている。ただし、そのリーダには「人格に光がなければならない」。納得。
0投稿日: 2013.02.05
powered by ブクログ日本史の好きな人はたまらないと思う。 日本史の苦手な人も、もしかしたら引き込まれるかもしれない。 学校で習ったことだけではゼッタイに見えてこなかった、 だけど知ればとても面白い話ばかり。
0投稿日: 2012.12.06
powered by ブクログ全6巻読了。歴史から導く日本国家論、というか日本人論。昭和初期の「統帥権」についての考察が興味深い。目先の利益 ばかりを追い求めると国家は破滅に向かう。原発推進か脱原発か。司馬がもし生きていたらどっちだったろう。そんなことを考えながら読んだ。
0投稿日: 2012.09.13
powered by ブクログ歴史作家の司馬遼太郎が日本という、特異な「国のかたち」についてその持てる知識を駆使して語り尽くす。「日本人は思想はいつも外からやってくる」というエッセイに始まり、日本人を戦争へと導いた参謀本部についてや、日本特有の若衆宿について、「日本」を特徴づけるものについて述べている。 戦争の責任の多くを参謀本部のせいにしているのは少し偏った見方に見えるが、日露戦争後の民衆の暴動がその後の日本を破滅に導いた遠因の1つだとしている点は評価できる。現代社会にも大きな問題を投げかける民衆の問題はもっと追究 されるべき。
0投稿日: 2012.09.02
powered by ブクログ日本のことをもっともっと知りたい。最近そう思うようになってきた。歴史の教科書や、歴史小説などを読んできたが、何か物足りなさを感じていた。 この本は、司馬さんがざっくばらんに歴史について語っている感じだけど、このざっくばらんな語り口が、自分に新しい視点をくれた。事実を客観的に伝えるのではなく、主観的に語る。そうすると歴史に温かみ(人間味)が感じられる気がした。 足りなかったものはこれなのかな、と感じさせてくれた本でした。
0投稿日: 2012.08.28
powered by ブクログ【2012.07.20 再読】 4年ぶりに読み返したことになることに驚き。 断片的にはよく覚えている部分もあって、 それほど、司馬遼太郎の見解がストンと落ちたのだろう。
0投稿日: 2012.07.20
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
数多くの歴史小説を手掛けてきた著者が、これまで得た知識と培った歴史観でもって、日本という東アジアの小国と日本人という民族について、考察をしている。 筆者の気の向くままにテーマが選ばれ、考察をされているため、巻を通しての統一性は全くない。織田信長、高田屋嘉兵衛などの筆者の書いた小説の主人公をテーマにした章もあるが、第一巻で印象的なのは日露戦争の勝利から第二次世界大戦の敗戦に至る「歴史」について、筆者の本音が漏れ聞こえてくるところだった。 歴史上の一大事件(例えば明治維新など)について、これまで筆者は小説という媒体を通じ、どのような事件だったのかを読者に伝えるだけでなく、その事件が起こった背景について考察し、その事件が起こるべくして起こったという結論でもって読者に訴えかけてきた。そこには起こった事件の意義が存在したのであり、筆者はその意義を小説で描いてきたのである。しかし、筆者にとって日中戦争、太平洋戦争の意義を全く見出すことができなかった。日露戦争以後の40年間を、参謀本部の統帥権の独走だけで築かれた時代と捉えている。戦争の意義を見出せなかったが故に、昭和時代をテーマとした小説も書けなかったのである。筆者がいかに我が国のその40年間を嫌悪していたのかが伝わってくる。
0投稿日: 2012.07.01
powered by ブクログ江戸室町明治など様々な時代の事象、さらに中国との対比から現代の日本を立体的にしてゆく随筆。読みやすいので1日2日でサクッと読める。
0投稿日: 2012.06.03
powered by ブクログ10年位前に全巻読み終わっていたのを再読。 タイトルの通り、”この国”はどこから起こり、どのようにして”かたち”を成していったのか?を基軸に司馬史観を凝縮した良書と改めて認識した。
0投稿日: 2012.05.30
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
「文藝春秋」の巻頭随筆欄に連載されたものが編纂された一冊である。司馬遼太郎氏と言えば「竜馬がゆく」「坂の上の雲」等で誰もが知っているいわゆる歴史小説作家であるが、本著はその名の通り、この国(つまり日本)について様々な角度から徒然なるままに司馬遼太郎氏の見解が述べられている。 読むと、文は淡々としていながらも著者の強烈な感情が流れこんでくるのがわかる。司馬遼太郎氏は23になるまで兵役に服しており、終戦を迎えた時に「自分はなんと愚かな国に生まれたのだ」と思ったという。昔からそうだったのか、この無益な戦争を繰り返す(1905年日露戦争の勝利から1945年の太平洋戦争に至るまでなど特に)以前はどうであったのか。それを確かめるべく、歴史を遡り始めた結果生まれてきたのが誰もが知る名著の数々である。 コンパクトで読みやすく、歴史に造詣の深い司馬遼太郎氏ならではの知見が豊富に盛り込まれた話ばかりが詰まっているため、隙間時間に読みやすい。時間をかけて味わいたい一冊である。
0投稿日: 2012.05.07
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
本書はある特定の年代の出来事を語るようなものではなく,司馬氏が文藝春秋の随筆欄に連載してきたものをまとめたものである。 日本の原形はどこから起こったのか。日本の古代というのは実にわかりにくい。どうして大和政権が古代日本の代表的な勢力になったかについてもハッキリしない。六世紀ごろまでは,大和政権があったとしても,日本を統治していたとは言いがたく,というか,統治していたか明らかではない。しかし,なぜか七世紀になって様相が一変する。あっという間に,大和政権による統一性の高い国家が出来上がってしまうのである。この間に,戦国時代のような乱世や大規模な攻伐があったとは思えず,突然現れたという感をぬぐえない。もっとも,この怪奇現象は近代においても経験している。一八六九年の版籍奉還である。一夜にして統一国家が出来てしまった。思い返すに,七世紀の奇怪さについては,”外圧”という補助線を引いてみるとわかりやすいかもしれない。中国大陸はそれまで四分五裂していたが,六世紀以来,隋という統一国家が勃興することによって,衝撃波が広がった。日本の場合,この衝撃波が,大小の古墳を築造する族長たちに対外恐怖心を共有させ,これによって,俄かに群小が大を(大和政権を)盟主にして,これに従うという,ほとんど力学的な現象を引き起こさせることになったのではないか。ただ,この外圧は,隋の煬帝が高句麗を攻めたような直接的な圧力ではなく,日本にやってきたのは,多分に情報としてのものだった。情報による想像が,恐怖になり,共有の感情を作らせた。この点,十九世紀の帝国主義的な列強についての情報と,それによって侵略されるという想像と恐怖の共有が明治維新を起こさせたということと極めて似ている。 司馬氏が日本文化を語るとき,非常に異質に感じ,また,そこのみを捕らえて日本を語って欲しくない時代に,日露戦争の時代がある。過剰になった商品とカネのはけ口を他に得るべく,つまり,企業の私的動機から,公的な政府や軍隊を使うというのが,英国が中国に対して行ったことであり,それを日本人が,列強に追いつけということで,見た目だけ真似しようとしたのが,非常に大雑把に言えば,朝鮮侵略の動機となったと言えなくもないが,その当時,日本は朝鮮を奪ったところで,日本の産業界にはその当時,過剰な商品などは存在せず,朝鮮に売ったのは,タオルとか日本酒とかその他の日用雑貨品が主なものであった。タオルやマッチを売るがために他国を侵略する帝国主義がどこにあるのだろうか。要するに,日露戦争の勝利が,日本国と日本人を調子狂いにさせたとしか思えない。日露戦争の講和において,形上は買ったと言うように見えたが,実は日本はボロボロであり,ロシア側からしてみれば,内部に革命という最大の敵を抱えていたために,講和に乗ったものの,戦争を長期化させ,日本軍を自滅させることも不可能ではなかったというのが実情である。それを小村寿太郎はギリギリの条件で講和を結んだ。これに対し,何も実情を知らない大群衆が,講和条件がぬる過ぎる,講和条件を破棄せよと叫んだのである。むろん,戦争の実相を明かさなかった政府の秘密主義にも原因はある。また,煽るのみで,真実をつきとめようとしなかった新聞にも責任はあった。この大群衆の熱気が多量に後の参謀本部に蓄積され,暴発し,太平洋戦争へと突っ走っていく。参謀と言う,得体の知れぬ超越的な(天皇より権限があったという)権限を持った者たちが,愛国的に自己肥大し,謀略をたくらんでは国家に追認させてきたのが昭和前期国家の大きな特徴であった。例えば,昭和三年には,関東軍高級参謀の河本大作が,幕末の志士気取りになって,1個人でもって国家行為を起こすべく企図し,奉天軍閥の首領張作霖を爆殺した。また,昭和六年には,同軍参謀石原莞爾らが満州の独立をひそかに議し,満鉄の一部を爆破し,この爆破を中国側がやったとして満州事変を起こしたのである。このように,昭和前期の日本と言うのは,統一的な意志決定能力を持った国家とは言いがたい。日本の戦争責任を回避するわけではないが,この時期をもって,日本人の特質だと言われるのはどうしても避けたいところである。 識字率について,江戸中期以降の日本の識字率は世界一だったと言われているが,なぜそうだったのか。子弟に文字を習わせるのは,士族を除き,聖賢の書を読むためではなく,農村や町方の子供が奉公したときに帳簿付けが出来るようにと願ってのことであった。無学なら,船に乗っても船頭にはなれず,商家につとめても手代・番頭にはなれず,大工に弟子入りしても棟梁にはなれなかった。また,日本語を磨く教材として,武士は謡曲をならい,町人階級は浄瑠璃を習った。曽根崎心中では,在所から都市に出てきて1人前になるには個人の倫理的な修行が必要で,信用される人間を目指さねばならない。浄瑠璃を呼んでは江戸町人も男を磨いていたのである。 その他,15ページぐらいの短編で日本文化についての様々な洞察が寄稿されている。せっかく,この国のかたちとして,何巻も文庫化し,発刊するのだから,出来れば年代順に進めて行けば,頼山陽の日本外史のごとく司馬版日本外史が出来ていたかもしれない。時代順がばらばらなので,少し残念だ。2巻を読もうと言う気がいまいち起こらないのはその為かもしれない。
0投稿日: 2012.01.20
powered by ブクログ(1996.03.15読了)(1996.03.12購入) (「BOOK」データベースより)amazon 日本は世界の他の国々とくらべて特殊な国であるとはおもわないが、多少、言葉を多くして説明の要る国だとおもっている。長年の間、日本の歴史からテーマを掘り起し、香り高く稔り豊かな作品群を書き続けてきた著者が、この国の成り立ちについて研澄まされた知性と深く緻密な考察をもとに、明快な論理で解きあかす白眉の日本人論。
0投稿日: 2012.01.17
powered by ブクログ少し難しいところがあるが、現代日本の起源について深く考察されている。 何度も読みたいと思った。 文藝春秋に連載されてただなんて、毎月読めたらどれだけ楽しみになったことか・・・。
0投稿日: 2011.12.18
powered by ブクログ全六巻。司馬遼太郎の未完の大著。非常に内容が濃く、日本中を4次元的に旅しているような気分になります。思いつくままに時代を前後し、扱う主題も毎回ばらばらですが、様々な角度からこの国のかたちを捉え、多面的な切り口で論じる著者の日本史観によって読者は教科書の行間あるいは裏側を知り、また当時の情景を豊かに想像することができます。改めて日本という国を見つめなおすことができるし、何より旅に出たくなります。
0投稿日: 2011.12.06
powered by ブクログ再読。初読2007 多少、言葉を多くして説明の要る国のこと。 ・そとからくるが、血肉として社会化しない思想、へのあこがれ ・水戸宋学イデオロギーによる封建制の崩壊 ・日露戦争後拡大した組織(海軍)の縮小の困難と肥大化 ・正成から敗戦まで続く価値観 ・江戸の現実的な「近代」、明治の思想的な「近代」 ・日本を代表し、外交できる一商人を生んだ国、時代(江戸) ・信長(封建制時代)の折衷的中央集権構想 ・人格を肥大化させると成功しない国(天下の番頭ならば良し) ・江戸の多様な教育制度 ・谷の豊かさ ・方法として、教義を持たない仏教
0投稿日: 2011.11.27
powered by ブクログ久しぶりに司馬史観にふれた。 司馬翁も自身でかいているとおり、昭和がかけないというか、昭和初期を異胎として、日本史から切り離してしまっているのがなんとなく腑に落ちない。 明治維新、はては幕末の攘夷運動の中にすでに参謀本部の芽はあったように思う。 次作以降も読んでいきたい。
0投稿日: 2011.11.19
powered by ブクログいやはや字が大きくて読みやすい。 すべての歴史、文化、伝統等は地理的環境から生まれる。 その通りなような気がする。 これを本書ではなんと呼んでいたか、一向に思い出せないが。
0投稿日: 2011.10.09
powered by ブクログ歴史好きには面白いかもしれないけれど、歴史に興味を持ちたい人には難解。司馬遼太郎が友だちに話をしているのを本にしたような感じ
0投稿日: 2011.09.07
powered by ブクログ司馬信者、などと言われることもあるぼくですが、実はこの本は読んでいませんでした。 理由は、対談集だと思っていたから。 先日、ふと手にとって見ると、対談集ではないことが解り、読んでみることにしました。 、、、いいですねぇ~(笑) 気にいったフレーズとしては、 ・土地とはそもそも全生物共有の財産。 そんな土地を転がしてお金を儲けようと企む人はおかしいし、それがまかり通っている世の中もおかしい。 *Erath Wind & Fire のことを思い出しました。 ・「責任を取らない仕組み」は、日露戦争後~太平洋戦争に生まれたならわし。 *この辺りの記述は感心しました。 多分、続けて2巻以降も読むことになると思います。 いまさら、ですが、良かったです。 http://uchidashin1.blog117.fc2.com/blog-entry-20.html
0投稿日: 2011.04.11
powered by ブクログつながりのない三人に話を聞いて一致をみれば、その意見はだいたい正しいと考えてよいのではないか。そういう意見を昔どこかで目にした憶えがある(その後、これと同じ意見に出会っていないが)。日本の歴史について考えるとき、司馬遼太郎はぼくにとって「三人」のうちの一人である。
0投稿日: 2011.01.17
powered by ブクログKodama's review 司馬遼太郎さんの考える日本の成り立ち。本当に勉強になります。2巻~6巻まで、『まとめ買い』しました。 (09.6.7) お勧め度 ★★★★☆
0投稿日: 2009.11.20
powered by ブクログ日本がどういう国であるかについて、歴史上の人物や出来事をもとに書かれている。日本について理解が深まるとともに、歴史を学ぶこともできた。
0投稿日: 2009.07.23
powered by ブクログ歴史を、というよりはそもそも司馬遼が好きなので読もうかなと。 随筆らしく軽く読めて、その上多種多様な視点から日本人を見ている秀作。時にこじつけっぽい部分も随筆だからこそOK。ただし、正しい歴史認識とは思わないほうがよい。 統帥権の出所、朱子学の影響、薩長土の藩の比較などがまとまっててうれしい。 なにより本の随所で出てくる漢詩・漢文が司馬遼っぽくて最高。
0投稿日: 2008.12.29
powered by ブクログ司馬遼太郎氏が、ソウルの未知の韓国人やニューヨークで出会うかもしれないアメリカ人の見知らぬ相手に日本を語ると想定して書いたエッセイ。(08/10/14)
0投稿日: 2008.08.30
powered by ブクログ代表して(1)だけを挙げますが、勉強になりました。 日本を見つめなおす機会を与えてくれた作品です。
0投稿日: 2008.06.18
powered by ブクログ休憩がてら、息抜きがてらに読むのにちょうどいい内容。日本史って、あんまり知らないので、そういう意味でもちょうどいい内容。(07/7/23)
0投稿日: 2007.07.27
powered by ブクログこのレビューはネタバレを含みます。
購入詳細不明。 2016/6/9〜2016/6/15 長らくの積読本。私の歴史観は井沢史観に支配されている(?)ので、他の歴史観のようなものに触れるために、もっといろんな歴史書に触れる必要があると思い買ったはず。司馬さんの本は、浪人時代に「竜馬がゆく」を読んだだけであるが、なかなか面白かった。二巻以降まだ買っていないが、全巻読んでみたいと思う。
0投稿日: 2007.01.27
powered by ブクログ読むのに結構な時間がかかるので、通勤・通学のお供にお勧めでです。この本を読んでから、日常で眼にするちょっとした物事に対する見方が変わりました。
0投稿日: 2006.12.18
powered by ブクログ歴史小説の重鎮、司馬遼太郎氏が日本と言う国について歴史的観点を中心に、必要とあらば法学的視点から、宗教的視点からとつとつと語ったエッセイです。 明治憲法下、天皇を中心とした日本社会の中で、実は官僚たちによって統帥権が一人歩きしていたこと。それを暗に証明した機密文書の存在や、土佐藩、長州藩、薩摩藩、その他諸藩の教育制度の違いとそこから生まれた英雄たちの質の違いとの因果関係などなど、教科書では語られない日本の一面を優しいタッチで解説してくれます。 司馬遼太郎氏が観ていた対象人物の生き生きとした人間性が、彼らに対する司馬遼太郎氏の愛情であることがわかると思います。
0投稿日: 2006.09.02
powered by ブクログ偏ったとこもあるので軽く読まないとアレですが…あっそうそうあの件だけど、みたいなおっさんノリがかわゆいです。
0投稿日: 2005.11.03
powered by ブクログ司馬遼太郎ワールドを感じさせてくれる一冊.すべてが司馬遼太郎の日本人論と日本人観で埋め尽くされている.
0投稿日: 2005.04.30
powered by ブクログ満州での戦争体験が動機となって、日本のかたちを追い求め続けた司馬遼太郎の随筆集。 いま自分がなぜそこにいるのか、という素朴な疑問についてなにか感じ取れるのではないかと思う。
0投稿日: 2004.11.20
powered by ブクログ雑談的に、日本の様々な歴史についてあっちへ行ったりこっちへ行ったり色々なテーマについて書き連ねている。本人にとってはほんとうに雑談のような気軽さで書いているのだろうけれども、それでも、この著者の、歴史についての豊富な知識を充分うかがわせる内容になっている。 毎回題材として挙げられる内容も、その展開も、まったくのアトランダムで、その縦横無尽さがいい。明治維新の話しをしていたかと思うと突然戦国時代や平安時代の話しになる。ふらふらしているようで、最後には一本の筋が通って話がまとまる。読んでいてなるほどと感心することばかりで、一つの筋道だった物語を読む時とはまた違った面白さがある。 一つ一つのテーマは、十数ページくらいのまとまりなので、とても読みやすい。物識りのおじいさんから、直接、昔話を聞いているような気分になる本だ。 「私は、日本史は世界でも第一級の歴史だと思っている。ところが、昭和十年から同二十年までのきわめて非日本史的な歴史を光源にして日本史ぜんたいを照射しがちなくせが世間にあるようにおもえてならない。」(p.83) 「日本史には、英雄がいませんね」と、私にいった人がいる。この感想は正鵠を射ていると思った。 この場合の英雄とは、ヨーロッパや中国の近代以前にあらわれた人間現象のことで、たとえばアレクサンドロス大王や秦の始皇帝、あるいは項羽と劉邦といった地球規模で自己を肥大させた人物をさし、日本史における信長、秀吉、家康という、いわば「統治機構を整えた」という人達を指さない。世界史的典型としての英雄を日本史が出さなかった−−というよりその手の人間が出ることを阻みつづけた−−というのは、われわれの社会の誇りでもある。(p.144) 日本史における自己肥大は信長をもって限度いっぱいと考えていい。そういう信長さえその部下に殺されざるをえなかった。光秀が殺したというよりも、日本史に働いている微妙なものが、信長を阻んだと考えていい。(p.145) ふと思うことだが、一介の浪人の力で薩長という二大雄藩の握手が可能なはずがない。発言の立脚点として、海援隊の勢力があったといっていい。さらにかれは役人にはならないということをつねづね語っていた。大政奉還という奇手が可能だったのも、かれが新政府に官職をもとめるということをせず、いわば無私になることができたからだ。無私の発言ほど力のあるものはない。(p.202)
0投稿日: 1999.11.01
