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宿澤広朗 運を支配した男
宿澤広朗 運を支配した男
加藤仁/講談社
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総合評価

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    銀行マンとラグビー日本代表監督という二足の草鞋を履きならがら、常に結果を出し続けた孤高なビジネスマン『宿澤広朗』の生涯を綴った一冊。 本書は、日本が南アフリカに対しジャイアントキリングを成し遂げた2015年の翌年に発行された書籍で、その舞台は、日本ラグビーがまだまだ発展途上であった1973年〜2006年の話となります。 ■こんな人におすすめ ・ラグビーが好きな方にはぜひ読んでほしい。 ・ラグビーを知らない人でも、社会に出て日々の仕事に励んでいる方にも、ぜひとも読んでほしい。 ・惰性で日々を浪費してしまっているという方にも読んでほしい。 ラグビーの知識がなくとも簡単に読み進めることができ、社会人として忘れてはならない『姿勢・思想・生き様』を今一度思い出させてくれます。 (私もラグビーはズブの素人ですが、ビジネス書として知人から紹介を受け読んでみました。本当に学ぶことが多い一冊でした!) ■ここがおもしろい! ①濃密すぎる半生 本書は、宿澤さんが早稲田大学卒業後に住友銀行に入稿してから55歳で亡くなられるまでの33年間について書かれていますが、これがものすごく濃密で読み応え抜群です。 銀行マンとして専務まで上り詰め、ラグビーでは日本代表監督として日本初のワールドカップ1勝をもぎ取った名将の半生が綴られていますが、「これは何人分の人生?」と問いたくなるくらい、濃密なストーリになっています。 ②時代背景がおもしろい 本書は今から20〜40年ほど前の話。 今では当たり前ですが、その当時は副業なんて論外。大手企業に勤めて生涯安泰に暮らすことがマジョリティな時代(宿澤さんは団塊世代の1つ下の世代)でした。 その上、ラグビーはまだまだマイナースポーツで、一歩先行くサッカーですら1993年のJリーグ開幕まで下火が続いてる時代でした。 そうした時代背景の中で宿沢さんは、 銀行マンとしては、バブル経済・プラザ合意などの激動の社会情勢の中で『銀行の在り方』と『勝つこと』にこだわり、結果を残してきましまた。 かたやラガーマンとしては、これでのやり方にとらわれず、『柔軟でクレバーに』『勝つこと』にこだわり、歴史的快勝、協会の変革に尽力されてきました。 とにかく『勝つこと』へのこだわりが物凄い、そんな宿澤さんの生き様は、感想としては筆舌に尽くしがたい濃厚・濃密な内容でした。 ■私の好きなフレーズ 本書の中で宿澤さんは、沢山の名言を残されていますが、特に私がいいなと思ったフレーズがこちら。 「偉い人の前では、言い切らなければならない。ああでもない、こうでもない、と自信なさそうに言うと、信頼されない。形容詞は少なく、できるだけシンプルに答えるのがいいのだ」 言うは易しなフレーズですが、 (当時は特に)保守的な銀行組織であって、かつ出世コースに乗っている立場で、実際にその通りに行動されている、その芯の強さに感服しました。 現地ビジネスの世界でも大切な考え方であり、耳が痛いフレーズです。。。 ■最後に ラグビーや金融関係の方でないと、なかなかお目にかかれない一冊かと思いますが、その内容は、あまた広くに通ずる、メンタル本だと思います。 読みやすく、のめり込める内容になっていますので、よろしければぜひ。

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    投稿日: 2022.08.16
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    残念ながら宿澤広朗さんのプレーは思い出せない。SHとして日本代表になった堀越さんは「宿澤二世」と呼ばれていたから彼を通して宿澤さんのプレーを想像した。 彼を有名にしたのはJAPAN監督時代のスコットランド戦の勝利だろう。銀行員と監督という二足のわらじを履きながら、歴史的勝利を手にした。高い情報処理能力と分析力で戦術を練り上げ、選手達に「20点以下に抑えれば勝てる」と明言した。クリーンハンド、クールヘッド、ウォームハートの持ち主だった。 著者は彼を孤独の人と称した。山に登り、山頂で倒れた彼は55歳だった。 当時の日本代表だった林敏之さんの解説が泣ける。宿澤さんへの敬意と深い愛情に満ちている。孤独の人ではない。孤高の人なのだと。 ラグビー界の改革がなされ、今があるのは、孤軍奮闘した宿澤さんの力があったからだ。 亡くなってやっと宿澤さんの目指したものが実現された。 宿澤さんに感謝。

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    投稿日: 2021.10.10
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    ・「絶対に勝て」ということより「どうやって」勝つ  のかを考え指導すること、「がんばれ」というなら  「どこでどのように」具体的にかつ理論的に「がん  ばる」のかを指示することが必要。 ・仕事において「一流」とは、正攻法で立ち向かうこ  と。 ・グレーゾーンにもこだわるということは、それだけ  競技を知り尽くすということでもあり、勝つための  こだわりでもある。 これらのことから宿澤さんの人となりが伝わります。

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    投稿日: 2021.04.20
  • 南ア戦を見たらなんと言っただろうか

    宿澤ジャパンがスコットランドに勝った試合を見た記憶はない。1989年5月28日何をしていたんだろう?第一回のワールドカップも見ていないので日本代表の試合をまともに見たのは第2回ワールドカップの宿澤ジャパンだった。今から思えばスコットランド戦もアイルランド戦も前半は健闘していた。林、梶原のタックルは記憶に残っている。時々チャンスを作るがノックオン、スローフォワード、オーバーザトップがもったいないのと、後半タックルミスで突き放されたと言う印象だった。 宿澤が代表監督を打診されたのはこの年の2月中旬、前年11月のアジア大会で韓国に破れ代表監督の日比野は辞意を固める。当時ラグビー協会の専務理事であった白井善三郎は宿澤がいた早稲田が日本選手権を二連覇した時の監督であり、早稲田では日比野の3年先輩に当たる。その白井が日比野に対し「お前、宿を口説いてくれ」と言った。89年2月、呼び出された宿澤は開口一番「早稲田かと思いましたよ」と言った。当時住友銀行のロンドン駐在から帰国し引き続き為替ディーリングの仕事をしていたのだが、当時会長でラグビー好きの磯田一郎の鶴の一声で決まったようだ。監督になってからも朝一で出社し今日の為替はどう?と声をかけそれから練習に出かけた。翌年には銀行の配慮で法人部に移る。 代表監督に就任した宿澤は「外国人に通用する強さかスピードがある」「ディフェンスが強い」を基準に選抜をした。wikiでは他にラインアウトとゴールキックを重視したとも書いており防御を中心に走り回る事ができるチームだったようだ。梶原もここで抜擢され右プロップの田倉とともにスコットランド戦が初キャップを得た。また当時大学生のラトゥ、吉田、堀越(平尾が断ればキャプテン候補だった)、青木などがレギュラーに抜擢されている。しかしスコットランド戦まではわずか6ヶ月と時間がない。勝ちに拘る宿澤は具体的にどうやって勝つかに集中する。ロンドンでの為替ディーリング時代もポジションはその日のうちに手じまいし翌日には残さず、ばくちではない負けないディールと瞬間での判断が宿澤のスタイルだった。 宿澤は情報、分析、活用に力を注ぎスコットランドの防御の弱さに着目する。「スコットランド戦は勝ちにいく。相手は第二線防御が甘く、ジャパンのバックスで25点は取れる。だから失点を20点以内に押さえれば勝てる。」繰り返し言い続けた。「お約束どおり勝ちました」宿澤の試合後の第一声だ。宿澤はどういう条件が揃えば勝てるか具体的な状況を想定し、練習を重ねたのだ。その後の銀行時代の話を見ると意外な事にパソコンは苦手で、本も読まず、新聞は目を通す程度。宿澤の言う情報は自分で見たり会ったりしたことを重視している。ワールドカップの準備ではジンバブエまで偵察に言っている。 銀行員としての宿澤はバブル崩壊後の不動産処理と言う傷を比較的追わず、大塚駅前支店長時代もここぞと言う場面で行動力を見せ見違えるような業績回復を果たした。平成2年イトマン事件で構内が沈んでいる時には宿澤の代表監督での活躍は銀行の励みにもなった様だ。市場営業部時代には債券の運用でリスクを取り「攻めの宿澤」は2002年には銀行の粗利の1/3にあたる5815億を稼ぎだした。この時の他行の稼ぎは3千億台だった。 911テロではその夜事件を知ると銀行にかけつけすぐに指示を出している。先ず第一に「ドル資金の調達」次に「お客さんのためにできる限りの事をする」そして「勝機を逃さない」。1と2はセットでドル資金が足りなければ銀行の信用は失墜し、お客さんを助ける事もできない。そして緊急事態では大損する可能性があるディーラーに対しても「レートを出せ、逃げるな」と指示している。「勝機を逃がさない」と言うのはどさくさで儲けると言うのではなく金利低下のポジションをとると言う事で、あくまで論理的な思考に基づいている。宿澤はラグビーと仕事は関係ないと言うがこういう一瞬の判断はスクラムハーフの面目躍如でありキャプテンシーの発揮もさすがだ。 アマチュアリズムに限界を感じラグビー改革に情熱を注いでいた宿澤だが協会理事を事実上解任されたのが2005年の6月、急逝の一年前の事だった。2004年の欧州遠征で惨敗し、萩本監督解任と外国人監督(エディ・ジョーンズが候補だった!)の招聘が理事会で固まったのに直後の報道では監督続投。早すぎる改革に反対する守旧派の抵抗だった。

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    投稿日: 2016.07.15
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    ラガーとバンカーの2つの領域でトップクラスの成果を出した宿澤広朗氏のノンフィクション本。 著者の取材力、文章力の高さもあり、非常に面白い読み物に仕上がっている。 特に、宿澤広明氏が、文武両道で双方に優れた結果を残しつつも、リーダーとしての孤独を感じていたのではないか、という著者の洞察は深い。 ・努力で運を支配する ・リーダーシップはチャンスとピンチのときに発揮されるべき ・抜群の集中力

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    投稿日: 2016.02.22