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京都ぎらい
京都ぎらい
井上章一/朝日新聞出版
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総合評価

201件)
3.2
20
46
63
32
8
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    京都ぎらいと言えども、著者は京都嵯峨の出身。 著者によると「京都」というのは、「洛中」のことであり、京都市でも洛外は京都人にとっては、京都ではないそう。 つまり「洛中ぎらい」ということである。 それは、洛中の人にバカにされた経験に端を発するようだが、それにしても著者は随分根に持つタイプなのだろう。 最初こそ、少し大袈裟に表現しているのかと思いきや、その怨念は本書の最後まで続く。 東京でいうところの都下と23区のようなものではないかと想像してみたのだが、きっとそれ以上のものがあるのだろう。 そして、全体を通して著者の言いたいことを、書き綴っているだけのように思った。そのあたり、乱雑に感じ、読んでいても腑に落ちなかった。 とはいえ、拝観料と税金の問題や銀閣寺の古都税に対するストライキの話など、興味深い話もあった。 ただ、個人的恨みがそこここに感じられて、読んでいても落ち着かず、少しだけ著者に対して嫌悪を感じた。

    1
    投稿日: 2017.02.15
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    素敵な京都、歴史ある京都、文化的な京都、とかく憧れの都として描かれる京都にこういう見方があったとは。 興味深く読みました。

    0
    投稿日: 2017.01.28
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    発売当時から目を引くタイトルだったけど、新書大賞を取るに至って、これは読んどかないとってことで入手。自分の中での内容予想では、京都が好きなんだけど馴染めない筆者が、各方面から高評価を得ている店とか宿とか寺社とか諸々に関して、実はそんな言うほどでもないんだぜ、的内容なのかと思ってました。良い意味でその期待は裏切られ、京都人(というとダメな方)による京都人(として誇りを持っている方)に対するダメ出しだったんですね。終盤に差し掛かるまでは読み流していたけど、最終章で天皇家とかに話題が及び、靖国問題への考察に至る頃、かなり読まされている自分がいました。結論に向けての盛り上がりが良かったです。

    1
    投稿日: 2017.01.15
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    嵯峨出身の著者が洛中を妬む体裁の本。親戚が京都出身であることと、自分が大学時代を京都で過ごしたことから、著者の「京都ぎらい」の感覚を理解することができたので、個人的にはとてもおもしろかった。ただ、京都に馴染みのない人にはよく分からないだろうなとも思う。 あと、「京都ぎらい」についての話はほとんど第一章のみで、第二章からは単に京都の歴史と文化という感じだった(ここでも著者の偏見が発揮されているが)。第二章以降の内容は、第一章がなければ読まなかったと思う。

    0
    投稿日: 2017.01.14
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    よく京都行くけど、著者の書いていることはよくわかるな。みやこびと意識というか選民意識というか。 でもいじめがなくならないのと同じで、人はほかの人と比べて優越感に浸りたいという脳のはたらきがあるのだろうな。京都の人は、生まれた場所を比べることでその満足感を得ているのだろう。

    0
    投稿日: 2017.01.14
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    結論から言えば、非常につまらない本であった。 新書大賞って、なんなの?と思うくらいに。 寺にまつわる話、武士のホテルとしての役割を果たしていたとかいう話、山の景観維持に一役買っていたという話、拝観料に関するアレコレは興味深く読めたけれども。 ナントカ賞にだまされて、ホイホイと本を手にしてはいけませんよ、という教訓を与えてくれた点では、価値があったか。 少なくとも、暇つぶしになりこそすれ、ためにはならない一冊である。

    1
    投稿日: 2016.12.28
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     はじめの「洛外を生きる」がとても面白い。東京も山手線の内側や旧15区が本当の東京、なんて話を聞くけれども、東京は人の出入りが激しく、「本当の東京人」や「江戸っ子」より、それ以外の人間の方が圧倒的に多い上、地価上昇と高齢化で、本物の東京人も郊外へ出ていくことが増えているので、そういった言説をおおっぴらに言う人は急速に減っている。それに比べると京都はまだまだ洛中に代々住み続けている人が多いのだろう。伝統や文化が受け継がれるわけで、そのいやらしさと素晴らしさは表裏一体のものだから、しょうがない。著者もそれは認めつつ愚痴をいっているわけで、そこが面白い。  坊さんや芸子さんの話になると、京都に観光客として行く身としては、いやな気分になる。そんなに坊主が儲けていいのか、と。そんなに儲かるなら、そりゃ跡継ぐよな。田舎の寺は継いでも生活できないから継げないわけで。京都の大寺院の坊さんは課税されない収入でお茶屋遊びをしていると思うと、腹が立つ。特に夜間ライトアップするときは総入れ替えって話は、あきれた。それは宗教じゃない。テーマパークや映画館などの娯楽施設でしょう、それが許されるのは。 そのあとの章で、一応フォローはしてあるが、よそ者としてはいやな気分は去らない。  最終章では、自分の育った嵯峨がなぜ「田舎」扱いされる場所になったかを歴史的に説明している。南北朝の話だから、京都の人が「先の戦争」と言ったら応仁の乱を指すっていうのと、まあ同じ感じ。この部分は歴史好きや京都の人には面白いだろう。  あとがきで「七」を京都では「ひち」と読む、とあり、本文を実際に確かめると上七軒に「かみひちけん(ママ)」とあり、笑ってしまった。 もとは京都の読み方だとは思うけれど、西日本全体、「ひち」と読むところは多いです。別に京都だけの読み方じゃないのに「京都はこの読み方なんだ!!」と力説するところが京都人だな、と。東京の読み方が違うんだ!という、その自信。九州人は「ひち」と読みそうになるので、心の中で「どっちだっけ」と考えてから口に出すようにしています。慌てているときは間違えないように「なな」と言います。そんな自信、ありません。

    0
    投稿日: 2016.12.11
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    まずまず。 京都の人は、中華思想っていうのが腑に落ちた。独特な街だと思う。洛中とそれ以外で随分違うのも確かにそうなんだろうなと。 京都は、過去の遺産にすがると、廃れていくのではないかとも思った。

    0
    投稿日: 2016.12.05
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    なんか解るような解らないような京都論。 洛中・洛外の地域格差はさもありなん。 似たような意識はうちの地元や東国の方にもありますなぁ。 京都はさらに千年の歴史が絡んで捻じれて縺れて出来上がった意識なのである意味根深いのかもね。 実際京都に暮らしていた学生の頃は、生粋の京都人っていたかな~って思い返すと思い当らず、そもそも他府県出身者が多かったうえに、洛外の京都人しかいなかったかも。 今の京都が江戸時代の景色で1000年の歴史はなかなか感じられないってのは言われてみれば確かになって思う。 それでも京都すきですよ。 わたしは洛中だけでなく伏見も嵐山も宇治も鞍馬もすきでっせ。

    1
    投稿日: 2016.12.03
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    東京を名乗れるのは旧15区で、品川・千住なんて処刑場だし、世田谷なんて狸の住む所でしょ?って感覚と同じなのかと。

    0
    投稿日: 2016.11.15
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    京都ぎらい。それは、京都の洛中に憧れる京都府民のこと。碁盤の目の中に住むことへの憧れ。平等院を有する宇治でさえ京都を名のることを許されないのであれば、我が故郷の田辺はいったいどこなんだ??

    0
    投稿日: 2016.11.15
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    井上昇一「京都ぎらい」読了。そうか、洛中以外はかっぺなわけですね。嵯峨出身の井上さんは、いやっちゅうほど洛中人に蔑まれてきたんだ。

    0
    投稿日: 2016.11.13
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    京都の人たちがもつ優越思想を、洛外に住んで被害にあってきた著者が忌憚なく書いている。 だが本当に書きたかったのは、2・3章に記した京都の坊主の目に余る生臭さだったのではないだろうか。坊主丸儲けとはよく言ったものだ。宗教は、良いところだけではなく、恐ろしい面もあることを京都という宗教者に接することが多い著者が教えてくれた。

    0
    投稿日: 2016.11.03
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    このレビューはネタバレを含みます。

    それなりには楽しませてもらった。 しかし一人の人間の我執によって書かれた本に とらわれるほど 暇ではない。 確かに洛中の人々の尊大さや 寺社仏閣のおごり 南北朝の残滓には 思い至ることもあるが。 しかし京都がいつの間にか  日本を象徴する土地としての存在感を高めている現代に もう少し言及してもらいたかった。 現代を憂える視点を加えてくれれば  幾許かは筆者の主張に寄り添えたかもしれない。 30年前 京都の街と京都人から 冷たくあしらわれたという記憶を持つ私ですら 今の京都に 日本の持つ美点の多くを 認めざるを得ないのだから。

    0
    投稿日: 2016.10.26
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    評判になっていたから読んでみた。なんだかなあ。動物からは鳥だといわれ、鳥からは動物といわれた蝙蝠の子供のような歪んだ性格が、文章に染み出しているのが気になる。京都人には洛中選民思考が低通しているというくだりは普段から感じることではあるものの、そこまでひつこく(しつこく)書かれると食傷する。 昔は舞妓芸子を呉服屋と映画産業が支えていて、今は生臭坊主が支えているという論は、さもありなんと思った。

    0
    投稿日: 2016.10.20
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    「京都ぎらい」というタイトルと帯から、てっきり京都以外に暮らす人々が京都を嫌いになるような本かと思っていたが、どうやら違ったようだ。最初から最後まで、洛外で育った著者が洛中の人々から受けた差別や蔑視に対する恨み言が並べられている。「京都ぎらい」ではなく「洛外を同じ京都とは思わない洛中の奴等ぎらい」といった内容。京都人はそこまで洛中洛外にこだわるのかと不思議な気持ちに。京都人や歴史好きには楽しめる一冊かもしれないが、それ以外の人には期待外れかも。古都税の話や僧侶と舞妓の話など興味深いテーマもあったが…

    0
    投稿日: 2016.10.19
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    京都(府)在住の著者が綴るアンチ京都本。 確かに私の半径5m以内の京都人も揃いも揃ってろくなもんではないが、、、 否応なく京都中心地を頂点とする地方カースト制度に組み込まれてしまった恨み言のようにも、裏返しの愛情のようにも思える。 それほど深い部分もなく読みやすくて良かったけど、京都人に変な先入観がつきそうで人にすすめるかと言えばどうかな?って感じ。

    0
    投稿日: 2016.10.12
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    金銀苔岩、写真掲載料で寸志 会津の伝統残る ひらがなの多い本、脳天気の表記も 新書大賞1位 京都人、こういうところあるのは確か

    0
    投稿日: 2016.09.26
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    このレビューはネタバレを含みます。

     別に京都ではなくなても、一部の人達は自分たちの優越感を確かめるべく、どこに住んでいるのか、どんな服をバッグを持っているのか、化粧をしているのか、などどうでもいいことで、他人に嫌味を言い、笑いものにすることがある。悲しいことだけど。この著者は、その差別の「京都内」での「被害者」だったらしく、その恨み節が綴られている。  気持ちがわからなくもないが、読み進めていると、なんとなく重い気分になってくるので、要注意かも。。。  一つ、面白かったのが、京都の寺院仏閣が課税されそうになったとき、最大8ヶ月の拝観中止に踏み切った事件だ。仏の道に勤めていながら、ビジネスの機微はしっかりとわかっているみたいで、自分たちの強みを活かして税務署に粘り勝ったのである。  現在も公明党が与党に居る限り、絶対に宗教法人への公平な課税は行われないだろうし、資産は公表しなくていいし、甘い汁すいまくりである。国全体がみんなで痛み分けをしようとしているときに、宗教法人のみが負担を負わないらしい。

    0
    投稿日: 2016.09.25
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    嵯峨や宇治などの出身であるが故に洛中の京都人から蔑まれてきたという“洛外人”の著者が、そんな京都人に対する怒りをぶちまけた一冊。全編から漂う憎悪の念が凄まじいw関東人には知らないことばかり。とはいえ多少は誇張されている部分もあるのかな?身近な京都出身者に話を聞いてみたくなった。

    0
    投稿日: 2016.09.18
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    こんな書き方じゃなくても、京都のこと書けると思うけど、 なんだか、途中で、う~~ん、またか、って。 嫌み?僻み?

    1
    投稿日: 2016.09.13
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    「右京区花園生まれ、嵯峨・二尊院界隈で育った著者。所謂「洛外」地域出身。このエリアは洛中人からは京都ではないと見なされてきたそうな。若かりし頃、洛中人から言われた一言「昔、嵯峨のあたりのお百姓さんが、うちへよう肥をくみにきてくれたんや!」が決定打となり、積年の恨み辛みをペンに傾ける。 ◉本書のコンセプト 「洛中人による洛外者へのイケズな振る舞い・言動を持ち前の粘着質な筆致で青天白日のもとに曝した変化球なる京都ガイド」。京都人を揶揄する定番「ぶぶ漬け」話は登場しないが、洛中千年に潜む「花」と「毒」は遺漏なくカバー。 京都嫌いでなくても、読後感に溢るるカタルシスはどうして⁈

    0
    投稿日: 2016.09.13
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    なかなかおもしろい。確かに的を射ているところもあるが、洛中、洛外の感覚は少しずつ薄れてきているともおもう。むしろ市内における地域。たとえば高級住宅地に住んでいる人とかの方が自慢気だったりすることも。中京よりも下鴨みたいな?これもイケズかな。

    0
    投稿日: 2016.09.08
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    このレビューはネタバレを含みます。

    京都の人と接するのがちょっと怖くなるような本であった。 寺や僧侶の社会的な位置づけが、他の所よりはるかに高く、力をもっている。それが、寺の庭の写真連載料や拝観料、古都税での拝観停止に表れている。ーこのような事実を知ると、京都観光で有名な寺院を訪れた際にも、また違った思いを抱くかもしれない。美しい伝統を残した古都京都の、裏の腹黒い一面を垣間見て、見てはいけないものをみてしまった、という感が残る。 寺の庭の美しさや、精進料理の発展を、寺のホテル機能から読み解いていたのは、面白い視点であった。 著者の癖なのかもしれないが、漢字で書いてもよいものをわざわざひらがなで表記してあったりと、少し読みにくさもあった。

    0
    投稿日: 2016.09.07
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    排他的でいけずな京都人の根源は言うまでもなく欲に目が眩んだ貴族と破戒坊主であってそれが気に入らないのであればグダグダ愚痴ってないで信長の比叡山焼き討ちのようにズバッとやってやりゃいいんだわ!… でもやった挙句が本能寺ホテルで返り討ちに遭って京都と言うとてつもない化け物に殺されてしまうのだがな(あくまでも仮説) 新書大賞とかで読んでみたが「それがどないやねん」が率直な感想、京都トリビアもるるぶのコラム程度のものなのだろうしあとは目糞鼻糞レベルの身内のケンカで実用書としてもガイドブックとしても❓な内容。 ぶぶ漬けも出せまへんなぁw

    0
    投稿日: 2016.08.31
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    もう10年近く京都で働いているが、私が抱いてきた何ともいえない不快感が克明に描写されている名著。びっくりするくらいしょーもないエピソードが多々ありますが、たぶん事実です。私も同じような経験をしてきました。

    0
    投稿日: 2016.08.31
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    【2016年20冊目】 京都を巡るトピックが満載です( ^ω^ ) 京都の人にとって、洛中と洛外でそんなに差があるなんて初めて知りました! 私は大阪出身なので、京都は割と近いですが、近くて遠いそんな場所ですね。 古都保存協力税の話は憲法裁判になった事件として知ってましたが、その後の顛末は知らなかったので勉強になりました! 歴史的な検証の箇所は著者の嵯峨への想いが熱くて、良かった!最後の方は敵が洛中から中央政府にすり替わってましたね(°_°) 天龍寺は後醍醐天皇(南朝)の鎮魂のための建築物だったのか… 歴史の知識がすっかり抜け落ちてますが、読むとそれなりに記憶喚起されました! 薄い本ですが、内容は盛りだくさん! あとがきまで新たなトピックを持ってくるあたりは斬新! とても、勉強になり、興味深い一冊でした☆ 2020.15th 再読。☆☆☆ 結局この著者は京都が好きなんでしょうね(^^) 改めて読むと、南北朝時代から室町時代にかけて、政治機能が嵯峨から室町に移転されるに従って、洛中への洛外に対しての差別(?)意識が生まれた…という著者の仮説は説得力があって面白い。 あとは前に読んだときにも感じたけど、お寺さんは恐い…(笑)

    0
    投稿日: 2016.08.28
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    この著者は何だかんだ言っても「嫌い嫌いも好きのうち」なのではないかと思いました。本として売るためには大袈裟に書かなければいけない部分もあるでしょうし。もし仮にこれが全てが本心として書かれたものだとしたら、かなりひがみっぽい性格なのだろうと・・・ 「自分たちはどうせ洛外者だから」と言うのは勝手ですが、そうやってひがめばひがむほど「洛中は特別なんだ」という意識を周囲にも自分にも植え付けることになるのでは? また、著者は洛中人士達は閉鎖的と言いつのっていますが、伝統を守り通すためにはある程度閉鎖的にも保守的にもならざる得ない部分はあるのではないかとも思いました。 著者の主張はなかなか理解できない部分が多かったですが、まぁ楽しく読みました。 特に、お坊さんの話なんかは面白かった。

    0
    投稿日: 2016.08.28
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    このレビューはネタバレを含みます。

    京都の好きな私はえ~と思いながら読みました。 へぇ、はぁ、そうなんや。そんなことが・・・ふ~ん。 あっ、ちょっとネタバレしますけど、よろしおますか?(となぜだか京都弁) 著者が生まれたのは、右京区の花園、そして五歳の時に同じく右京区の嵯峨に引っ越しをして以来そこで育たれました。 右京区と言えば京都市に組み込まれているのですが、「京都で生まれ育ちました」と胸を張って言えないというのです。 すなわち京都というのは京都の街中、洛中のことを言うのであって、街を取り巻く周辺部、いわゆる洛外の地は京都ではないというのです。 そうして洛中の人は、洛外の人たちを、区別するどころかさげすんできたというのです。 著者が大学生のころ嵯峨出身であることを告げると、相手から「あぁ、昔はあのあたりのお百姓が下肥をとりにきてくれはったわ」といわれたそうです。 最初はなんでこんないけず言われなあかんのやろ、と悩んだそうですが、後々にただ田舎者呼ばわりされただけだと気づくのです。 こういう逸話は多々あり、お坊さんやお寺問題や、歴史をさかのぼってと記述は続くのですが、 はぁ~京都って怖いところですね。 まあいけずな気質というのは折に触れ見聞きするのですが、それだけプライドが高いのですかね。 いつか京都の旅館の女将さんとお話しすることがあり、「こういうご商売だとなかなか旅行なんか行けませんね」言ったら「どっこも行きたいことありまへん、ここが一番ですぅ」とおっしゃっていましたが、彼女もまた京都人なのでしょうね。

    0
    投稿日: 2016.08.22
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    もうちょっと笑える内容かと思ったら、全く違った。 京都洛中人の自尊と、洛外人の自尊と恨み?を歴史まで交えて描き散らかした内容。 本としての構成があったとも思えん。 大阪人としては、なんなんだこれは、というに過ぎんわ。

    0
    投稿日: 2016.08.14
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    今年の新書大賞1位だそうだ。 そういう話題の本を、こんなに早い時期に読むのは、自分としては異例だ。 読みやすく、実家への往復の間に、ふわふわっと読了。 井上さんの本は、『美人論』以来かも。 戦国時代の、お寺が武将の宿となったこと、それを機に庭が洗練されていくこと、そして現存する京都の大寺院は江戸幕府のテコ入れで整備されたこと(末寺銭の制度も)…。 現在、京都の行政にも隠然とした力を発揮する寺。 ありがたがって拝観料を払うのが嫌になってしまう。 そもそも、自分の中では仏教がそんなに現世的な力を持っているというのが意外だった。 でも、それは「近代人」的な意識だったのかも。 それにしても、今や京都の中でも一二の人気を誇る嵯峨が、洛中人士たちから、未だに田舎とさげすまれるというのもすごい話だ。 そうした自分に注がれた差別のまなざしを、自分が内面化して他に投影してしまうことにまで、井上さんは自覚的だ。 そのこじらせっぷりに共感できるかどうか。 そこらへんがこの本を受け入れられるかどうかに関わってきそうだ。

    0
    投稿日: 2016.08.07
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    京都をもっとわかっていればより楽しめたのかもしれないが、ちょっと自分自身の理解が甘くなってしまった感がある。

    0
    投稿日: 2016.07.30
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    面白かった。北山があんな感じな街な理由とかへぇと思うところたくさんだったし,東京のメディアがというのにはうんうんとうなずけたし,考えてみると私も「かみひちけん」でインプットされてるかなぁと思ったり。 いちばんの感想は,そう言えばバカにされてたんやろうなぁ今もされてるんやろうなぁ彼らはこの本をどう読むんやろうなぁ,という点で,ちょっと溜飲を下げている自分は小さいなぁと自覚するけど,まぁいっかと思う。

    0
    投稿日: 2016.07.20
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    話題の「京都ぎらい」。自分も京都に10年近く住んでいたので、登場する場所や雰囲気も想像でき、「そう言うことやったんか」とか「分かる分かる」と思いながら楽しく読めました。洛中の人たちが洛外の人を馬鹿にする話なんか、まぁ、そう言うことも確かにあったなぁと思い出します。例えば、京都出身のとある先生と大阪に言ったとき、「大阪も結構な都会でんなぁ」と発言されるのを聞いたり、大津出身で京都の大学に入った学生が、「滋賀県って琵琶湖ばっかりで住む場所あるん?滋賀の人って、琵琶湖に落ちんようにみんなカニさん歩きしとるんやろ」とバカにされたとか、そんな話を思い出しました。

    0
    投稿日: 2016.07.12
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    2016年9月10日、19刷、並、カバー付 2017年3月27日、松阪BF 久米書店、オムロンは御室から、新書大賞

    0
    投稿日: 2016.07.09
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    先日、足利尊氏の歴史番組に著者が出ていて、アナウンサーから「京都出身の井上さんです」と紹介されたら、「ちょ、ちょっと待って、京都と言っても嵯峨なんで」と言っていた。子どもの頃、著者の父や祖父は、京都の中心部に行くことを「京都に行ってくるわ」と言っていた、というのが載っていた。なるほど、そういうことか。 逆に言うと、著者の言うホントの京都・御所とかのある中心部で育った者たちから発せられる、周辺部は京都じゃない、という言外の雰囲気を著者は感じている。 実はこの感じはよく分かるし実感する。京都ではないが、自分の住んでる市であるが、我が家は市の中心部からは10km近く離れ500mも行かないうちに隣の市になり、いわゆる昭和29年の昭和の大合併でその中心部の町に合併した村なのだ。で、中心部に行く時は「京都に行ってくる」と同じ言い方をするのである。ただ、著者とちがうのは、中心部に対し、何の劣等感もいだいていない点。田舎でいいじゃ~ん。

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    投稿日: 2016.07.09
  • 京都にもいろいろ種類がある?

    京都人どうしでこれだけ劣等感があることは大発見だった。 と言うよりは、無知だった。 また、人を見下すことで得られる優越感、その嘲笑する。痛快だ。 人々中にある怖れ、 そんな優越感に対して節度を持って接してあげるのが恐らく成熟した大人の礼儀なのだろう。それが出来たら達人ということか? そんなことをいろいろな例を挙げて説明してくれる。 京都の寺が大きくなり得たのは誰のお陰?、花街とお寺の関係、 などなど。 南北朝、応仁の乱、京都人を語る時には外せない話題もてんこ盛りで楽しい一冊だった。

    0
    投稿日: 2016.07.03
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    2016年初頭に新書ベストセラー1位になっていたので読んでみた。京都嵯峨出身で宇治在住の著者が同じ京都でも祇園あたりの中心地から見たら西陣、山科、伏見、嵯峨は外れであり、西陣はまだしも他は京都ではないみたい。江戸幕府、明治政府、拝観料に関する経済面の論考や、天龍寺と南朝の論考等色々知らなかったことを教えてくれる京都論。京都きらいとあるけど、京都に対して付かず離れずといった感じ。

    0
    投稿日: 2016.06.26
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    最後の方はとばしとばし読了。 京都・洛中における中華思想、華夷思想という言い回しがおもしろかったな。 あとは寺院の宿的サーヴィス。

    0
    投稿日: 2016.06.26
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    京都人以外が書くと僻みっぽくなりますが、京都人(著者曰く嵯峨なので京都人ではないらしいですが)が書くから説得力を感じますね。 埼玉といい、京都といい、県ネタは最近の流行りですね。

    0
    投稿日: 2016.06.15
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    ベストセラーになるということは、タイトルの意味するところに同調する(したい)人が多いのだろう。前半は、タイトル通り、洛中の京都人に洛外の出である者に対して、蔑視をする具体例が書いてあり、頷きながら面白く読んだ。地域差別は、どこにでもあるが(たとえば、神戸は山の向こうは神戸ではないなんて言われている)、京都に関しては特に甚だしいようだ。ところが、後半は、ニュアンスが変わって、京都vs東京(江戸)になる。慰霊の意味するところ、保守派と進歩派等々。結局のところ、著者の言いたいことは、権力に対する批判(権力嫌いw)だったのかもしれない。

    0
    投稿日: 2016.06.15
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    京都の中に、洛中と洛外の間に、意識的な壁があるようだ。洛外に暮らす著者の洛中に対する複雑な思いが興味深い。

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    投稿日: 2016.06.13
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    美化されすぎている京都をバッサリ斬った作品。 僧服をまとったままキャバクラに行く僧は確かに京都しかいないだろうな。 確かに京都は不思議な街だ。

    0
    投稿日: 2016.06.10
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    20160608読了 まだベストセラーのランキングに入っているのかな?おもしろかった。内容が濃くて飽きない。「東山が西に見えるやん」に大笑いした。土着の人の感覚は、関係のない立場からすれば不思議な生き物を見てるようで愉快でもある。

    0
    投稿日: 2016.06.09
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    [もう、大嫌いどすぇ]「京都府」出身の人物が、「京都」という土地に宛てた「嫌京論」。洛中・洛外の間に横たわる根深い感情や、なまぐさ坊主が支える古都経済など、極めて大胆に、そして過激に京都に対する恨みつらみを吐き出し、2016年新書大賞で見事1位に輝いた作品です。著者は、『霊柩車の誕生』や『阪神タイガースの正体』などの著作で知られる井上章一。 「第三者間のいびり合いをちょっぴり楽しんでしまう」といういやらしい心性が評者には横たわっているので、著者が京都で遭遇した理不尽な体験やそれに対する愚痴も、大変おいしくいただかせていただきました笑。読後の今となっては、とにかくこれを読んだ洛中の人の感想が聞きたくてしょうがない。それにしても、洛中・洛外の別を批判する著者が、まったく同じ構図を(おそらくは無意識に)チョコレート会社と害虫駆除会社の別として持ち込んでいるところは皮肉というべきでしょうか......。 〜ああ、京都の中華思想をふりかざす手合いと、今私は似たようなことを言っている。京都の近くに六十年もくらしてきたせいで、私もすっかり京都風に汚染されたのだろうか。私が自分と京都人のちがいを、あれこれあげつらいたくなるのは、そのためかもしれない。誰しも、似たものどうしのなかでこそ、自らをきわだたせようとするものである。〜 それでも今一番訪れたい場所の一つが京都だったりする☆5つ

    1
    投稿日: 2016.06.06
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    2016年新書大賞とのことだが、お金を出して買うのは正直もったいない。 拝観料への課税に反対して、寺院が3度も閉門したテンプルストライキは、知らなかったので星を+1しました。

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    投稿日: 2016.06.05
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    著者自身が京都の嵯峨の生まれなのだが、洛中の人間からすると嵯峨など京都のうちに入らない、というよそものにはおよそ想像を絶する京都人の差別意識が事細かく解説されて、いけずな連中だなあと改めて思う。 京都の寺の多くが応仁の乱で焼けてしまったのを再建したのが家康だったり、いわゆる京都の伝統というのがその時々の権力におもねて存続してきたことも改めてわかる。 やや脇筋だが、明治維新が無血革命だという俗説に対して、京都の蛤御門の変や会津藩に対する所業などとても無血などとはいえない、靖国神社が敗者を祀っていないのは敗者が祟るのを恐れて祀ってきた日本の伝統に反するという意見も説得力あり。

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    投稿日: 2016.05.31
  • 残念

    本屋で推されていて、面白そうだったので読んでみました。 が、期待とは違う内容の本でした。 京都人が嫌いと言っても、何が嫌いか徹底的に掘り下げる訳でもなく、かといって、結局は京都愛が感じられてほっこりする、というわけでもない。途中から京都が嫌いという話から外れていって、何の話でしたっけ?という話題になってしまい、、、 一つ一つは面白い話だった様な気がするのですが、結局何が言いたかったんだろう?という感想が残りました。 関東人だから、あまり深く共感できなかったのかもしれません。 まわりに京都人もいませんし。

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    投稿日: 2016.05.26
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    なかなか面白かった1冊。同じ京都においても中心地と外れ(洛外)という見下された地域の実情に共感。恐らくこれは他の県でもありそうなことだが、お寺やお坊さん絡みのお話は京都ならではの興味深い話。

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    投稿日: 2016.05.24
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    ■洛中と洛外 ■芸子と芸者 ・宴席で芸を披露して接待に努めるのは元々男の仕事で「芸」のある「者」 ⇒ 芸者 ・18世紀の中ごろから宴席へ女性がはべるようになり,上方では新しく登場した彼女らを「芸子」と呼び出す ・男である「芸者」は事実上絶滅して今は「芸子」だけ残る ・江戸では新規参入の女性を「女芸者」と命名し,「男芸者」がほぼいなくなった段階で「女芸者」を「芸者」という略称が普及した

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    投稿日: 2016.05.13
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    洛中以外の出身の物は「京都人ではない」という、洛中人の中華意識に対する嫌悪から出発している話。 誰でも持っている差別意識。より「田舎者」を侮る気持ち。 京都の花街は坊主でもっているという。 以前から考えていた。織田信長の気持ちがわかる。肉を喰らって女を抱く生臭坊主が有難いものか?と思っていた。 心の隅にあるコンプレックスから端を発した暗い意識をちょっと滑稽に書いた本。

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    投稿日: 2016.05.10
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    本屋でみかけて、「おっ!」と思うところがあったので購入。最初はねえ、けっこうおもしろかったんですけれども、後半になるにしたがって、期待していたのと違う内容になって、最後らはなんか思想的な話まで飛び出して。いろいろ残念。

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    投稿日: 2016.05.06
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    芸姑さん、坊さん、地理的な街の位置関係、寺社の類などなど、色々な分野にひたすらツッコミを(一部はもはやいちゃもん)を入れ続ける。 京都には1,2度しかまだ赴いたことがないのだけれど、 現地民はそんな屈折した感情を持っているとは思わなんだ。

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    投稿日: 2016.05.02
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    京都ではなく、洛外出身の著者が、京都人のメンタリティや、京都の歴史など、自身の経験などからくる持論を展開した本。こういう親書は自論なので、どこまでが事実なのかよくわからないが、京都人の裏表ある人柄はよく言われているので、そうなんだろうなと思いながら読んだ。以下の僧侶ののエロエロ話もいかにもありそう。南北朝の話は知らない話で興味深いが、偏見も多そうで、どこまで信ぴょう性があるのかよくわからなかった。最終的結論が朝日っぽいのは興味深かった。

    0
    投稿日: 2016.04.29
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    このレビューはネタバレを含みます。

     洛中の人から「いけず」される洛外人である著者自身の体験談ではじまる冒頭からは、御茶ノ水女子大のツチヤ教授を彷彿とさせる自虐ネタによる軽妙なエッセイを期待させるが、後が続かない・・・。  2章以降、仏教、歴史の考察になるとタイトルの「京都ぎらい」からも離れていくようで1冊の本としては失敗作だろう。 なぜこれが2016年新書大賞1位を獲得したのか疑問。  後半のタイトルとの乖離、「きらい」としながらも実は京都は好きで、反東京的なねじれも生じている。まぁ、さほど目くじらを立てるほどの内容の本ではないので、そこには目を瞑るとして、嘘か真か分からない”ネタ”的情報は、そこそこ面白い。 ・京都以外の資本(もちろん日本国内の)が支える店は「外資系」と呼ばれる 。 ・本能寺の変を例に、かつて寺は武士等の軍隊にとってホテルの役割を果たしていた。京都の寺には武将たちを迎える「おもてなし」の精神が宿る。 ・敗者(=相手方)の神格化(菅原道真、聖徳太子、後醍醐天皇etc.)が崩れたのは明治維新以降(靖国神社などは敗者ではなく、身内の慰霊所)。  根拠も資料的考察が示されているわけでもなく、著者の思いつきの部分も多いが、軽いエッセイとしての戯言として聞くなら、へ~面白いと思う話は随所にちりばめられている。  五山の送り火については、面白い証言が載っている。先日読んだ小山薫堂が記した『ライカと歩く京都』では、 ”五山の送り火を「大文字焼き」と言う方がいますが、京都の人は決して「大文字焼き」とは言わないそうです。京都では「~焼き」というのは食べ物をさすことが多いので、「大文字焼き」というと、「送り火は食べられまへんえ」と冷たく返されます(笑)”  という記述があったが、京都に子供の頃から暮らす著者によると、幼い頃には(著者は1955年生まれ)、「大文字焼き」と言っていたというのだ。これを「送り火」であることを強調するようになったのは、本来、祖霊を見送る盂蘭盆の行事という意味合いが近年薄れ観光化してきたことによるものと考察する。 ”「五山の送り火」という呼称のおしつけは、信仰心のおとろえを、逆説的に物語”るらしい。   小山薫堂に聞かせてあげたい話だ。薫堂氏は京都に住むようになったものの、まだまだ外様として洛中の人に「いけず」されているということの証左(笑) この本の京都(特に洛中)の排他性が、両書を並べてみてよく判る。  と、まぁ、終始そんなたわいもない話の羅列のお手軽な一冊。 これが大賞か~、新書も軽くなった。

    0
    投稿日: 2016.04.26
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    「京都」とは何か、知っているか。「京都の人」がいう「京都」と、僕らが思う「京都」は、たぶん違う。 著者は京都府京都市出身で、京都大学大学院修了、京都にある国際日本文化研究センター教授・副所長であり、いまは宇治市で暮らしている。 だが、「京都の人ではない」という。 著者の出身は京都市右京区花園。その後右京区の嵯峨に転居し、嵯峨で育った。 それでも京都の人ではない。 なぜか。 「京都の人」にとって、「京都」とは洛中に他ならないのだ。嵯峨はかつては愛宕郡であった。「京都」から見たら田舎である。京都人はそういうところを京都と認めていないのだ。 だが、外部から見たらみな「京都」である。このことがよりいっそう、洛外の京都市民を苦しませる。 著者は「京都ならではの、街によどむ瘴気を語るところから、話をはじめたい」という。「瘴気」とはこれまたなんとも。しかし確かに、京都にはそういう瘴気がある、気がする。 だが「京都」の中にもさらなるヒエラルキーがある。新町御池の出身者は、「西陣ふぜいが京都を代表してるんか」と、西陣がえらそうに振る舞うのはかたはらいたい、という。 洛中、洛外ともに知人はいるが、こうはっきり言われることで、ようやく彼らが抱えていた関係性が理解できた。 そして著者は、洛中洛外格差を教育されていれば、あとで被る傷は小さかっただろうけれど、しかしそうでなかったことによって、心に傷を負うことが出来た、京都の子どもとしてあつかわれながら、あとで京都の子じゃないと気付かされた、その崩壊感覚が現在の著述にもいきている、という。 華やかな洛中の日影で芽を出した隠花植物のような書き手だ、と。 まあそれでも、京都好きなんだよね、京都ぎらい、というタイトルなのに。人は対抗心を抱く相手に似通いやすくなる。「京都の人」は、これを読んだらどういう反応をするのだろうか。はからずも、我が娘は今京都にいる。恐いところに行っちゃったね〜。

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    投稿日: 2016.04.22
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    最近本屋に行くと必ずと言っていいぐらい 大々的に宣伝を打っているので、ついに購入。 京都観光のお供にあえて京都で購入。 前半、おもしろいですねぇ。 ばかばかしいけど、わかる。 京都ほどひどくないけど、自分の出身県にもあるし。 でも、後半は。。。面白いんだけど、 著者の一人語りが強すぎてちょっと引いてしまいました。 面白いとは思うんだけどね・・・

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    投稿日: 2016.04.10
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    ぼくには、M子という北海道出身で京都に住まう女友達がいます。 先日、というかもう2か月ほど前になるでしょうか、久々に電話しました。 「京都に住んでいるなんていいなぁ」 北海道に住むぼくは、歴史と風情ある京都に暮らしているM子を羨みました。 彼女は「それがそうでもないのよ…」 と云って続けました。 かいつまんで云うと、京都人は閉鎖的で排他的で鼻持ちならない高慢ちきといったところでしょうか。 彼女は自身が実際に迷惑を被った具体的事例まで挙げ、口角泡を飛ばし…たかどうかは電話なので分かりませんが、京都人の非をあげつらうのでした。 もちろん、私だって四十数年も馬齢を重ね、それなりに人生経験を積んでいますから、彼女の言葉を真に受けるほど初心ではありません。 たまたま、ということは大いにあり得ます。 でも、本書を読んで、彼女の言葉を信じそうになっています。 本書は、京都市の嵯峨に生まれ育ち、現在は宇治に住む著者の京都論。 なぜ、ここまで著者の住所を詳細に記すかというと、嵯峨も宇治も「洛外」だからです。 著者は嵯峨で生まれ育ったために、「洛中」の人たちから疎まれ侮られ蔑まされてきました。 たとえば、こんなエピソードを披露します。 京都の下京で300年近く続く杉本家の9代目当主、故杉本秀太郎氏を取材した時のこと。 「君、どこの子や」と問われて、著者が「嵯峨からきました」と答えると、杉本氏は「なつかしい」と言ってこう続けたそうです。 「昔、あのあたりにいるお百姓さんが、うちへよう肥をくみにきてくれたんや」 著者はそこに「揶揄的なふくみ」を聞き取ったといいます。 「(洛中の人は)とにかく、みんな中華意識が強い。嵯峨あたりの人間なんて、見下されてあたりまえやないか。私にむかい、そうどうどうと言いはなつ者もいる」 まあ、しかし、この程度のエピソードなら、何も京都市でなくともある気がします。 しかし、これはどうでしょう。 著者がたまたま酒席で知り合った女が、「女も三十をこえるとおしまいだ、いい縁談がこなくなった」と愚痴をこぼします。 そして、こう云ったそうです。 「とうとう、山科の男から話があったんや。もう、かんにんしてほしいわ」 経済的な水準が下がったということではありません、「地理的な条件がおちた」というのです。 東山の山並みは洛中から眺めれば、文字通り「東側」に広がっています。 ところが山科から見ると、「東山が西のほうに見えてしまうやないの」と女は説明したのだそうです。 さらにさらに次のエピソードに、私は驚倒しました。 上京のKBSホールで開かれた全日本プロレスの興行で起きた顛末です。 宇治出身のブラザー・ヤッシーという悪役レスラーがリング上で「凱旋」をアピールしたところ、客席からブーイングと痛烈な野次が飛びました。 「お前なんか京都とちゃうやろ、宇治やないか」 「宇治のくせに、京都と言うな」 たとえば、岩見沢出身で中央で活躍する悪役レスラーが札幌興行で同じ凱旋アピールをしたとして、「お前なんか札幌とちゃうやろ、岩見沢やないか」などと野次が飛ぶ事態はちょっと想像できません。 洛中人士の何と狭量なことでしょう。 洛中の人たちがここまでつけ上がるのは何故でしょうか。 著者は首都のメディアが「京都特集」を組むなどして、「おだてるから」と指摘します。 一方で大阪のメディア人は、近くにいるおかげで京都の「上げ底」のからくりを見抜いており、「安くてうまいところは大阪のほうが多いと、たいていの大阪人は思っている」とか。 ただ、出版界も放送界も東京への一極集中が進み、大阪メディアに昔日の力はない。 「京都へのあこがれに歯止めがかけられる大阪の存在感は、弱くなってきた」と著者は残念がります。 僧侶と舞子の関係、仏教に対する見解など全てが独創的で、ここに全て紹介したいくらいですが、私も何かとやることがあるのでこの辺でお暇します。 京都に対する見方が180度変わること請け合い。 どんなまちにも光と影がありますが、京都の場合、光が強い分、影も濃いのかもしれません。 まったく新しい「京都論」の誕生を言祝ぎたいと思います。 M子にも連絡しなきゃ。

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    投稿日: 2016.04.06
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    ひょんなことからご縁があったし売れ筋だしという事で手に取ってみました。 なんというか、京都コンプレックス、的な。 いやよいやよも好きのうちというか。 結局全部ひっくるめて京都の方なのだなと。 良いと思います。 ひねくれ具合が面白かったです。 とりあえず京都(洛中)行きたい(^ω^)←

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    投稿日: 2016.04.03
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    洛中の人々の持つ選民思想にまつわるエピソードと、洛外の住民である著者の僻みと突っ込みに大いに笑った。個人的には、あの梅棹先生があっけらかんといけずを言い放つところがクライマックスでした。私は左京区聖護院で生まれ(などと書くあたりが既に本書の毒にあてられている証拠だが)、小学生の間だけ伏見区に移住し、その後左京区に戻ったということで、なんとなく「京都生まれの京都育ち」と自己紹介する時、後ろめたさを感じていたが、これを読めば、それは当然のことだと思えてしまう。 この本は全国の図書館でブレークしており、特に神戸、大阪の図書館では複数部購入しているにもかかわらず何十人もの予約待ちが発生していた。京都は全国から嫌われているのかもしれない。

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    投稿日: 2016.03.29
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    千年の都 京都。 あこがれの古都 京都。 そのいけずなところを少し垣間見させてくれる。 著者は右京区花園あたりで生まれ、そして嵯峨野に育つ。 京都以外の人の目から見れば、普通に京都人と思えるが、筆者は京都人とは名乗らない。いや、名乗れない屈折した感情がある。 京都の中には、見えないバリアが張られており、そのバリアの内側(洛中)に生まれ育った本当の京都人は、外側(洛外)の人を蔑視しているところがある。少なくとも、本当の京都人とはみなしていない。 学生時代を京都市内で過ごした私には、いろいろなところで、見聞きしたり感じたりした、その見えない。少なくとも、表だっては言葉にしないバリアの存在。 そんなものを、書いてしまったのが本書。 しかし、洛外に生まれ育った作者にも、京都人という思い入れがあり、そんな愛憎のこもった京都感が滲み出してくる。 同じ四条通でも堀川通りを渡ったら、もう祇園祭とは別のエリアになってしまう。祇園祭りは本当に京都の町中の町民たちがやってるお祭りなんです。そんなリアルな話を思い出す。 という、本書ではあるが、筆者の視点から抜けているものが一つあると思った。それは、文化都市京都が古くから受け入れてきた学徒から見た京都。学生と京都との付き合い。 学生は、多くが四年というタイムリミットを持って、京都の町中に生活する。 基盤は学校においているが、住居は様々で、なかには洛中の大家さん宅に間借りするものもいる。 祇園祭の山鉾巡行には、曳き手、舁ぎ手のアルバイトとして参加する。 そんな、学生に近所のひとは、表だって嫌な顔をするひとは一人もいない。場合によっては、今度の学生さんは良い人やなんて愛想を言ってくれる人もいる。 でも、彼らは地元のお祭り、地蔵盆の案内なんか、いっこもくれない。 学生は、次の場所に行くまでの少しの間、トランジット客として京都に滞在するだけ、地域住民のなかに入れることは決してない。 そして、その見えないバリアを感じるのは、京都に生まれ育った作者ではなく、学生時代を京都で過ごしたものだけかもしれない。

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    投稿日: 2016.03.28
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    20160324読了 京都ぎらい、とはひねくれた本だなと思い、なんとなく興味がそそられ購入。 京都の事は別に特段好きというわけでは無かったが、素敵なところだなと人並みに思っていたが、今まで考えもしなかった観点で京都を語ってくれた。

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    投稿日: 2016.03.24
  • そないに卑下せんでも

    「京都いうのは、碁盤の目の中の地域のことを言うんや」というのは、京都の人から、本当に聞いたことがあります。だけど、洛外の京都人というのをそんなに卑下しないといけないかなぁという気がします。そういう私も、京都府民で洛外の人です。 京都は、島国根性がさらに先鋭化したような土地柄で、高校時代を大阪で過ごし、京都で働いている自分にとっては、ものをはっきり言わんうっとうしい土地です。ちなみに、祇園祭はよそさんの祭りで1回も行ったことがないし、京都の通りの名前も、ほとんど知りません。そういう意味で私も「京都嫌い」です。 その感覚に共感できますが、そんなに卑屈になることもないので、少し心情的には違うかも。また、後半の歴史の部分は、退屈で読まずに飛ばしたので、星三つ。 最後の七条(ひちじょう)は、興味深かったです。多分「七」を「しち」と呼ぶのは、東京の訛り(標準語)の影響と思います。あちらは、飛行機を「しこうき」と言ったり、「ひ」が話せませんから。四(し)と七(しち)は間違えやすく、「ひち」と呼ぶ方が合理的です(東京を馬鹿にしている訳ではなく、大阪は「うどん」を「うろん」と言ったり、地域によって言えない(言わない?)文字はあります)。 秘密のケンミンSHOWをご覧の方は、西村和彦(伏見区出身)が京都を語れば語るほど、「洛外」の人やのにえらい言わはるなぁ・・・という思考に陥らないことを願います。

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    投稿日: 2016.03.22
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    洛中と洛外で同じ京都人とみなされない?!京都の歴史は奥深い。 洛外出身の著者の屈折した感情がとても面白かった。 お坊さんお寺に関することも知らないことばかりで興味深かった・・今後ちょっと見方が変わってしまいそう・・

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    投稿日: 2016.03.18
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    京都に限った話ではなく、東京でも同じことが言えるかも。23区で育った人で、東京に市があることすら把握していない人がいる。 私は昔、町田市を知らなくて、町田出身の友達に嫌なことを言ってしまった記憶がある。 一方で、私が港区で育った事を話したり、その地元の話をすると、自慢話に捉えられたりする。 私自身は、車が多く行き来して、夜は東京タワーの明かりで空が赤い土地よりも、星が見えて、静かで、夜には蛙の鳴く声が聞こえるような土地の方が好きなのに。 話が逸れてしまったけれど、東京でも京都でも共通する、暗黙の地域差別に敢えて触れたこの著書は、とても興味深かった。 他にも、お坊さんの生臭さを知って、仏教への、一種の信頼が失せたように感じる。

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    投稿日: 2016.03.17
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    http://hinbeee.blog31.fc2.com/blog-entry-2416.html

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    投稿日: 2016.03.15
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    差別意識を掘り下げたり、京の(もとい日本の、か)お坊さんの世俗的なところを分析したり、寺院の宿泊施設としての発展という仮説があったり、ブラジルの除虫企業名「キョウト」をめぐる国のイメージのこととか、敗者を祀る御霊信仰/怨霊思想から敵対者を切り捨て味方の顕彰に力を入れ勝者が神になる時代への転換とか、「京都」をめぐった興味深い話がいろいろつまっていた。 新書大賞をとるほどのものか、という気がしないこともないけど。

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    投稿日: 2016.03.04
  • 大阪生まれ、大阪育ちで、

    この30年近く京都に住んでいるわたしにとって、違和感のある書き出しでした。確かに、京都にいると、「なんでこいつら関西人のくせに東京のまねしてエレベーターで左に寄るんや、どうせまねするんやったらロンドンのまねして右に寄れよ」などと未だに思うのですが、それは、大阪大国主義の現れなのでしょう。。。京都の方にとって、大阪に習うなど、論外なのでしょう。でも、東京に習わなくってもいいじゃない。。。 それはさておき。最初の4分の3ほどは、2点にしてやろう、と思っていたのですが。最後の方、日本の古代の人々の思いに寄り添い、近代の自己防衛的で他者に攻撃的な流れを、本当の意味での日本の古くからの保守とはちがうのではないでしょうか、という提示には深く共感しました。 ので、3点。読む価値あり。 でも、やっぱり京都に関係なければ、あまり面白くないかも。その上、最初の書き出しがショッキングなせいで、書いてある歴史の流れを、信じていいのやら歴史の素人には、判断できなくなってしまいました。。。

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    投稿日: 2016.03.03
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    書店にて気になるも見送ってしまい、結局アマゾンで購入。 うーん。まず内容よりも、ひらがな表記が多く漢字に直したくてずっとうずうずしていた。初めて読む著者だが、京都のやんわりとした佇まいを伝える手法なんだろうか。同音異義語もあり、分かりにくい所があった。 著者が、まあ、ひねくれていること。それゆえか、これだけ洛中と洛外の事情を挙げられることに脱帽。好きなものより嫌いなもののほうが理由を述べられるという好例かも。読み進めるうちに、洛中=裸の王様、というイメージを持ってしまった。遷都のくだりは興味深かった。もはや行き場をなくしたプライドの塊。 「上七軒の読み」であとがきを全て埋めていたのがすごい執念。 関東在住の私からすれば、生まれた時から鉄道や道路で、上り=東京方面、下り=地方、と位置づけされていることが、都内に対して強制的心理敗北感を抱くけど、この感情と著者が抱く洛外への感情は似ているものなのかな…? 雑記 この本と、「翔んで埼玉」魔夜峰央さん、「地名の楽しみ」今尾恵介さん、の本を3冊同時読みしていたところ、偶然か私の趣向なのか「京都〜」とそれぞれのつながりを見つけた。 東京と埼玉「翔んで〜」=洛中と洛外「京都〜」 方言の地名の項「地名〜」=上七軒の読み「京都〜」

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    投稿日: 2016.03.03
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    このレビューはネタバレを含みます。

    刺激的なタイトルに惹かれて購入。 意外と、肩すかしだったかな。長いエッセイを読むと思えばこれはこれでいいのかも? あとは、細かな具体案などで「ほ〜」とうなずくところもあったし、歴史のおさらい(※西陣の名は応仁の乱に由来しているとか、南北朝の内乱に触れて、後嵯峨天皇の子である亀山天皇(弟。父から寵愛。大覚寺統→南朝・後醍醐天皇・楠木正成)と後深草天皇(兄・持明院統→北朝・足利尊氏)の確執の話など)になったかな。 最後のほうで、「たたり」を恐れた時代には敗者を神としてまつりあげ、現在はその逆で身内を神としてまつる、という指摘は言われてみたらそうだなと。 自分が恵まれていることの「後ろめたさ」を、慈善を施すことで自分の心の平安を保つというやり方は、現代を生きる私もまねてみようかと感じて読了。

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    投稿日: 2016.03.02
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    話題になっている部分は、京都に限らず東京の山の手と下町とか、どこでも言えることかな。 でも、「お上」「京都」を免罪符にして利用した倒幕のひとたちの存在をうまくあらわにしていたとも思います。

    1
    投稿日: 2016.03.02
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    京都・河原町の丸善で平積みになっていたので購入。わりと読みたかった一冊。東京「都下」(23区外のことを“都民”はこう呼んで区別してくる。用例:「ああ都下の人ですかw」)で育ったので気持ちがちょっぴりわかる気がするが、京都という町における歴史の重みはそれどころではない。何とこわいのう。やはり京の都は外から眺めるもので、私のように気が弱い人間がそこに生まれなかったのは幸運だった。 同じ洛中、都の中の都ではないかと門外漢が思うところが「西陣“ふぜい”」と御池の人が馬鹿にするとか。ああこわい。その程度ならどこにでもあるんだろうけど、歴史に裏打ちされて根が深いのでこわい。嵯峨天皇がその名をもらった地域は、もし南北朝時代に南朝が勝利したならどうなっていたのだろうか?というのも興味深い。 本書で描かれているのはあくまでエピソードなので、もちろん“こういう傾向があります”と統計的な結果が紹介されてるわけではないし、その意味では単なる印象論だとも言えるだろうが、そこに住む者にしかわからない感覚というのもまた、あると思う。 いずれにせよ、余所者には絶対わからないような細かい区別もそこに住む人には笑い事ではないということなのだろうが、こういった本でも読まなければ触れることもできない世界なので面白かった。 東京の中央政府は伝統伝統言うけど、たかが明治維新以降のものではないか、そんなもん古くも何にもない、という“京都人”らしい啖呵に首肯。

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    投稿日: 2016.02.23
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    自称「知識じまん」の京都人の薀蓄開陳本。憶測や想像で書かれている箇所が多いが、体験・ソースに基づく話は面白い。本などに寺社を掲載する場合、寸志?が30000円、「金銀苔石」(そういう言い方を知らなかった)に至ってはそれ以上包む由。本当か?とも思うけど。 この本もそうだが、総じて新著は内容が薄く、毒にも薬にもならないヨタ話ばかりでうんざりする。例外なのは岩波くらい。安い居酒屋でほとんど白湯の焼酎お湯割りを飲まされたような気分になる。本はタイトルが9割、というのは事実だと思う。

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    投稿日: 2016.02.18
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     京都で浮かんでくるのは、八つ橋、イノダコーヒー、マエダコーヒー、そばぼうろ。もちろん飲食のみならず、金閣寺、銀閣寺、清水寺、京都タワーなど数多くの建造物も浮かんでくる。そんな京都に対して「嫌い」とはっきり書いているのが今回の本の著者、井上章一。著者は、国際日本文化研究センター教授、副所長で、日本文化に関して様々な視点から論じていることでも知られている。  そんな著者は、京都でも右京区の花園で生まれ、5歳の時に同じ区の嵯峨(さが)に引っ越してそこで育った。京都の人によると、著者のいたところは「洛外」で、「洛中」と呼ばれる京都の町中で暮らす人にとっては、違う世界だそうだ。ちょっとしたところで「異星人」扱いされるとは、「難儀やなあ」と思うがそこはかつて都だった土地の歴史がそうさせるのだろう。  「首都のメディアにおだてられて」では、大阪にもおいしいものはぎょうさんあるのに、京都、京都と京都をありがたがる人の気が知れないとチクリと皮肉を述べている。  京都に対する皮肉をもう一つ取り上げているイ。それは、ブラジルのリオデジャネイロの大学で日本文化を教えているときのことを紹介している。リオで「KIOTO」と言うと、台所の隅に生息しているあの黒光りする物体やシロアリを駆除する会社をイメージするとあり、「京都」から来たと自己紹介するとリオの人が笑うとある。    そのほかにも坊さんの「鼻を伸ばしている姿」など洛中の方が読むと、どう思うのかなという部分もあり、よく本にできたなと思った。  京都の不都合な真実について触れているので、「井上はん、洛中にはもう近寄らんといておくれやす」などと出入り禁止になったりして。どこかの政権とは違うか。

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    投稿日: 2016.02.17
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    「美人論」で知られる熟練の学者の京都エッセイ。 嵯峨出身で宇治在住の著者による洛中からの差別体験を軸にお話が進む。四条に町家を構える杉本家当主から「あのへんから肥えを汲みに来ていた」と嫌みを言われたというのが原体験。京都中華思想とも言うべき、排他性を補強するのが、京都ブランドを持ち上げる東京メディアだという。大阪は京都の「上げ底」を知っている分、持ち上げないそうだ。興味深い。 井上氏に嫌みを言った杉本秀太郎氏の「洛中生息」も読み進めているが、こちらも大変面白い。

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    投稿日: 2016.02.15
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    とてもおもしろく読めた。 著者が自分の心情をうまく書ききっているのは、 著者も今だから書けると行っている通り、 いろいろな意味でなかなかできないことだと思う。 自信のコンプレックスをきっかけに京都という場所の意義や意味合い、 そして日本のあり方まで論を展開している。 全編、ある種自虐的でひねくれている著者の視点が散りばめられており、 それがとてもユニークな反面、頻出すると少ししつこさも感じるかもしれない。 またちょいちょいと話が脱線しているのも、流れの中では不要かもしれないが、 適度なアクセントになり示唆も与えてくれる。 結末のあたりは好みが別れるかもしれないが、自分は納得できたかな。

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    投稿日: 2016.02.14
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    始終、喧嘩腰 大袈裟すぎるくらいの卑屈っぷり ほんのすこしといえど、洛中洛外という境界の空気感を感じとってるからまだ、笑って読めるけど 袈裟のままキャバクラにいく、 平和の象徴ともとれるお坊さん、 会ってみたい。 エッセイとして読むなら面白い

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    投稿日: 2016.02.12
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    詳しくはこちらに。 http://rene-tennis.blog.so-net.ne.jp/2016-02-11

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    投稿日: 2016.02.12
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    何が言いたいのかわからん本。おもしろいのは題名だけ。 それと、この著者は漢字を何だと思っとるんだろ。育った、大急ぎ、組み込まれている、属する…これぐらい漢字で書こうよ。

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    投稿日: 2016.02.10
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    京都生まれ、京都育ち、そして今も京都市に在住している著者の京都を裏側から見たエッセイ。 京都人にとって京都とは洛中であり、右京区、伏見区、山科区などは本当の京都ではないという認識がある。そのあたりのことを歴史を紐解きながら解説している。確かにそうであり、本当の京都人(洛中の人)は洛中出身であることを無意識のうちに誇りに思っている。著者はそれを苦々しく思いながらも、京都の長い歴史と文化に敬意を払い、また毒舌を駆使しながらも、結局のところ、京都愛を別の角度から表現している。少しでも「京都」に接したことのある人ならば、にやりとしながら読んでしまう。

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    投稿日: 2016.02.04
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    面白かったです。 京都の人ってやたら自分が京都に住んでいたり出身だったことを自慢してきて、大阪出身の私はしゃらくさいなぁと思っていたのですが、洛外じゃん!騙されてたーと思いました。いけず仕返そう(笑) 今まで京都と言えば、嵯峨、太秦、嵐山と思っていました。

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    投稿日: 2016.01.24
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    京都市民やのに、洛中の人にいけずされた洛外の井上先生のお気持ち、よぉわかります。私は京都市民ですらない乙訓の出身なので、「宇治のくせに、京都と言うな」と言われる方のクチですから。まさにルサンチマンですね。 けど、返す刀で東京の人にいけずしてはるとこ(p37)がまた可笑しい。 たぶん、御所を中心にして、洛中>洛外(京都市内)>洛外(京都市外)>京都府以外(大阪など)>>東夷(笑)という図式があるんでしょうな。ま、東京は東京で、皇居を中心にして、旧江戸(御府内)>山手線内>山手線外の東京>神奈川>千葉・埼玉>その他大勢という図式があるんでしょうけど。 ということで、私も「かみひちけん」が正しいと思います。

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    投稿日: 2016.01.22
  • 京都はほんまに恐いとこや

    京都市民やのに、洛中の人にいけずされた洛外の井上先生のお気持ち、よぉわかります。私は京都市民ですらない乙訓の出身なので、「宇治のくせに、京都と言うな」と言われる方のクチですから。まさにルサンチマンですね。けど、返す刀で東京の人にいけずしてはるとこがまた可笑しい。 たぶん、御所を中心にして、洛中>洛外(京都市内)>洛外(京都市外)>京都府以外(大阪など)>>東夷(笑)という図式があるんでしょうな。ま、東京は東京で、皇居を中心にして、旧江戸(御府内)>山手線内>山手線外の東京>神奈川>千葉・埼玉>その他大勢という図式があるんでしょうけど。 ということで、私も「かみひちけん」が正しいと思います。

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    投稿日: 2016.01.22
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    このレビューはネタバレを含みます。

    京都ぎらいと言いながら、本音は東京ぎらいである。日本文化が何もかもが明治以後の東京で決められている事に対する反発である。

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    投稿日: 2016.01.21
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    京都市内の嵯峨出身の筆者が、「洛外を生きる」と題し、京都市内の中でも、洛中の人が洛外に抱く「洛外は京都ではない」といったうぬぼれ、筆者自身も抱く鬱屈とした劣等感と、嵯峨以西に対してはひそかに抱く優越感、そしてそれは洛中人に植えつけられたものだという恨みつらみ… 一年間京都に住むなか、京都府内の人たちと話をした自分の実感としても、その核心部分は、けっこう分かる…気がする内容だった。 夫が教えてくれて一緒に買ったのだけど、期せずして城陽市出身の人と最近話したら、その方もこの本を読んですごくよくわかると、感情的になっていた。 この本のインパクトがあったのは、この章と、あとがきの「七は ひちである」だった。ひちという読みが、しちに統一されているさまは、中央政府による京都への蹂躙らしい。 あとのまんなかの章たちは、筆者の感じたことをもとにするエッセイみたいなかんじだった。

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    投稿日: 2016.01.19
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    洛外と洛中にこれほどの溝があったとは。 ただ、神戸とかにも似たような感覚はあると思うし、尼崎みたいに兵庫じゃないぞという考えもありそう。 京都ぎらいというか嵯峨愛の視点から書かれた京都の歴史は面白かった。

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    投稿日: 2016.01.18
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    嵯峨で育ち宇治に住む著者が書いた京都の本。京都と言っても、いわゆる洛中のことを指していて、洛外で育ち差別的な発言を受けた経験を持つ著者が弄れて「きらい」と言っているところから始まり、その後は京都の文化や歴史について綴ったエッセイのような内容が続く。 洛中に住んでいる他所者の自分にとっては、理解できることも多い一方で他人事であるので楽しく読めた。いわゆる京都人がどう評価するかは分からないけど、本の最後に自身でも書いているように、遠回しな表現や嫌味の書き方など、著者もまた京都人のように映った。

    0
    投稿日: 2016.01.17
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    図書館で偶然に目に入って興味を持ちました、どこの出身の方が書かれているのだろう、と思ってみたら、京都出身の人でした。 本文で説明されているように、部外者から見ると京都出身に見えても、京都の中心に住んでいる人から見れば、そうではない、という状況が書かれていました。 同様のことは、東京についても言えると私は思っていますが、東京には地方から多くの人が移り住んできているので、そのようなことはあまり言われていないようですね。 多国籍や多宗教の人を非難することは許されないが、京都の中心に住んでいる人が、京都の郊外に住んでいる人のことを「茶化す」のは、許容される、という事実は納得しました。 以下は気になったポイントです。 ・京都の町衆は、日本人の「よそさん」を外国人なみに捉えてきた。東京や大阪の資本が支える店を、しばしば「外資系」と彼らは陰で言う(p36) ・大阪では京都に近いことが、しばしば「からかい」の的となる。こういう揶揄が成り立つのは、大阪人があまり京都を敬っていないせいである。京都を見くびる度合いは、大阪が一番強い(p40) ・長じて出会った洛中の人々は、祇園祭は洛中の、町衆がいとなむ祭りであり、嵯峨の田舎ものなんか関われない、と思っているが、学校の公教育は、いっさいそういうことを知らさない(p49) ・女の芸者をただの芸者とよびだしたのは、江戸東京の花柳界である、京大阪、上方では、彼女たちを「芸子」と名付けていた(p67) ・信長が本能寺に宿をとったのも、室町以後の慣例に従ったもの、僧侶たちの接遇を気に入って、この寺をひいきにしてた。京都の寺は、武将たちをむかえる「おもてなし」の場になっていた(p122) ・江戸時代前半期に、宴席で客をもてなしたのは「男」であった。戦国以来のマッチョな男社会は、女が男の席に侍ることを嫌がった。18世紀の中頃には、その仕事が女に引き継がれている。男社会ほどに女を疎んじない町人社会が到来した(p129) ・首都を今も京都だとする立論のよりどころは、遷都の詔勅がまだなされていない点にある(p135) ・蛤御門の変では、京都市中の家屋敷が広い範囲に渡って焼き払われた。京都を視野に入れれば、明治維新が無血革命という話にはならない(p138) ・幕末の京都を幕府の側から守っていたのは、おもに会津の藩士であった、その置き土産とも言えそうなものが京都にはある、それが同志社という学園(p139) ・明治の維新政府は、建仁寺という寺の北半分を取り上げられた、その土地に、お茶屋などが群がり、のちの花街が形成された(p142) ・京都を代表する寺々は、たいてい明治維新で寺地を没収された、清水寺などは、寺域を10分の1以下にされている。南禅寺も同様(p143) ・寺の土地を半分以上、寺によっては9割までを奪い取り、国家の財政へ供させる恐るべき荒技である。こういうやり方を見ていると、明治維新は大変な革命であったと思い知らされる(p145) ・徳川政権は、政治的な中心を江戸に置いたが、経済的な役割は大商人の集まる大坂、京都の朝廷には、学芸に生きることを求めたと言われる。それ以外に、幕府が京都へ寺社経由の浄財を集中させたことも強調したい。仏教世界では京都が君臨することを事実上認めた(p151) ・戦国時代までは銀貨を鋳造するところが各地に点在した、それを徳川家康は伏見にもうけて統一しようとした(1601年)、その後に、京都の洛中、つづいて駿府、さらに今の東京銀座辺りへ移動した(p164) ・南北朝の内乱では、北朝が勝利している、南朝側のだした和平の条件は、踏みにじられ皇位は、北朝側の系統が今に至るまで独占している(p182) ・敗者の神格化が史料で確認されるのは、平安時代になってから、8世紀の早良親王、10世紀の菅原道真、聖徳太子の一族のための、法隆寺、後醍醐天皇のための、天龍寺。南朝を正統だとする儒学的な見解もある(p195、202) 2016年1月9日作成

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    投稿日: 2016.01.09
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    京都ぎらい  (朝日新書) 2015/9/11 著:井上章一 著者は、京都府生まれ。京都大学人文科学研究所助手のち、国際文化研究センター教授。専門の建築史・意匠論のほか、日本文化について、あるいは美人論、関西文化論などひろい分野にわたる発言で知られている。 本書は、一風変わった角度で京都をとらえている。京都がらみの本としては、真新しくうつる。変わったと言えども、誰もの気づかなかった京都の深層を掘り起こしたものではなく、著者が京都で見聞きしたような話を歴史への言及を含めて以下の5章にわたりTHE京都を紹介している。 ①洛外を生きる ②お坊さんと舞子さん ③仏教のある側面 ④歴史のなかから、見えること ⑤平安京の副都心 著者の生まれは、左京区の花園。そして、5歳の時に同じく右京区の嵯峨へ転居し20年を過ごす。そして現在宇治に住居をかまえている。 上記に全てが詰まっている。著者の言葉を借りれば「洛外でくらす者がながめて洛中絵巻」である。 著名は京都「ぎらい」となっているが、誰がどう見ても著者は京都が好きである。京都という長い長い歴史を持つ町にはやはり魅力も積み上げられるもののそれ以外のマイナスの部分も同じように積み上げられる。そしてどうしても人はそのマイナスの部分にフォーカスして客観的な立場からそれを眺めて楽しむことをする。 しかし、そのマイナスはプラスにも転じることはあるし、その面はかえって京都の良いところを際立たせることにもつながっている。 京都市内の病院で生まれ、大阪の大正・枚方で幼少期を過ごし、今は京都の宇治にお世話になっている私にとってはまだまだ京都はワンダーランドではある。しかし、そのワンダーランドである古都・京都が好きである。 京都が私のことを嫌いでも私は京都が好きである。 片思いの京都についてもっともっと知って追いかけ続けたい。 本書はそんな気難しいものの愛嬌たっぷりの京都の入口を開放してくれたそんな一冊。

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    投稿日: 2016.01.04
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    京都あるある、もあり、でも、会津のくだりの知らないこともあり、あっと言う間に読めます。 洛中に住んでますが、そこまで言わんでも、とも思いますが…。

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    投稿日: 2016.01.03
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    今年の9月に初登場した本だが…入手したのは12月に“7刷”として世に送られたモノだった…こんなに短い期間で、こんなに増刷を重ねるのはただ事ではない… 一寸細かい辺りから、広く深い文化や社会の変遷史に関係するようなことに至るまで、豊富な話題が在る。或いは本書は、「京都を論じる」ということではありながらも、「京都の様子や筆者の感じたことや考えたことを入口に、文化、社会、習俗、地理認識等々に関する日本の人達全般が辿った歩みを考えてみる」という広範な内容を含むのかもしれない…お奨めだ!!

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    投稿日: 2015.12.17
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    多かれ少なかれ東京にもある種の選民思想はあるが,京都の場合,その歴史に発端があるゆえに,また,人の出入りも頻繁でないため,濃度が濃いままであり,内向きである.神社仏閣への入場料は,能動的に払っていない以上お布施じゃあないよなぁ.

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    投稿日: 2015.12.16
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    京都に住んでる人々の妙な特権意識について書かれたもので その鼻持ちならなさに対する反発を踏まえてみれば 三島由紀夫の「金閣寺」、水上勉「金閣炎上」 あるいは川端康成の「古都」といった 京都を舞台とする文学を理解するための助けにもなるだろう まあ 肝心の、京都人の特権意識がなにに根差すものか それはじつのところ、日本人なら程度の差こそあれ誰でも持ってる 島国根性なるもののローカライズにすぎないのではないか とも個人的には思ってるんだけど それはさておきこの本には、僧侶と花街の関係や 意外に血塗られた歴史といった興味深いものが多く書かれていて おもしろかったです

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    投稿日: 2015.12.09
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    何かの書評でみました。著者は嵯峨生まれで現在は宇治に住んでるとのこと。冒頭に著者が学生の頃、京都洛中の旧家の主人に、遠回しながら嵯峨は京都やないと「イケズ」される話をかいている。そうやで、嵯峨は京都やない。西院も京都やない。宇治、城陽、亀岡はいうに及ばず、壬生もあやしい。俺は一応「上る、下る」の住所地の生まれですが、親父は秋田、お袋は京都生まれながら祖父の出ショウは堅田やし、路地に育っでるんで(京都に人は「裏」というな)。まぁ「京都人」とはいえんわな。それはともかく、出だしはそんな調子で面白いけどあとは、京都に対する近親憎悪に近い恨み、つらみ。感情論ばっかりでガッカリの中身です。

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    投稿日: 2015.12.05
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    ちょっと予想とは違ったけど、なかなか面白かった。一瞬だけ京都を嫌いになりそうになったけど。 後半の南北朝の話はとても面白かった。普段、寺院仏閣の雅な風景ばかりに目を向けて京都を見てきたけど、歴史的観点から京都を楽しむのも、とても面白いものなんだなーと思わせてくれた本でした。

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    投稿日: 2015.10.24
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    知り合いで京都出身の先生がいるが、その人が「Kは京都いうても南区や」とか「Hは京都いうとるけどほんとは滋賀や」とか言うのを聞いて変なことを言う人だと思っていたが、京都には御所を中心とする洛北にいる人間のみがほんとの京都人で、他の地域の人間はいわゆる洛外、真性の京都人というのはおこがましいという意識があるらしい。本書の著者井上さんはぼくが好きな著者の一人で、嵯峨にすんでいるが、そこは右京区とはいえ田舎だということを何人もの人から言われたらしい。さらに、あるプロレスラーが京都に凱旋したときも、客から「お前、京都いうとるけど宇治やないか」というヤジがとんだそうだ。つまり、京都人には京都中華思想があるというわけで、そうした京都人のいやなところをあげつらったのが本書であるが、2章の袈裟懸けのお坊さんが芸子さんとカウンターでいっしょにお酒を飲むとかいうところに来ると、悪口とは言えなくなる。つまりは京都の花街はお坊さんで持っているらしいのである。さらに、おわりの方へいくと、嵯峨は南朝の流れであり、もし、南朝が勝利していたら、嵯峨は副都心となっていただろうというあたりは、洛北ぎらいと言いながら、洛北への未練がたっぷり感じられるところである。洛北の人たちも、そうか、お前は洛北の悪口を書いたようやが、ほんとは洛北人になりたいのかと思って許してくれるのではないだろうか。

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    投稿日: 2015.10.17
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    「私は他所者ですよ」と先に認めちゃえば、京都人は実に親切に接してくれる。やはり近親憎悪といいますか……。純正京都人を一番嫌ってるのは京都市民というか府民。大阪と神戸と京都も何かいがみ合ってるし。この点、滋賀辺りに住んでるとやたら気が楽。最終兵器「琵琶湖の水止めんぞ!」はギャグ扱い。

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    投稿日: 2015.10.13
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    同じ京都でありながら、洛中の人間から田舎扱いされ、同じ京都とはみなされない嵯峨に生まれ育った著者の洛中に対する恨み・反感に満ちた一冊。話題は色々飛ぶが、根幹の部分はこれだけ。逆に言うと、これだけでよく新書が一冊書けると感心する。当然というべきか、前の方が面白い。

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    投稿日: 2015.10.07
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    <目次> 第1章  洛外を生きる 第2章  お坊さんと舞子さん 第3章  仏教のある側面 第4章  歴史のなかから、見えること 第5章  平安京の副都心 <内容> なんと評すればいいか困った。第1~3章は、京都(洛中)に住む人々を批判的に描いた章。それはそれでわかる。しかし、4・5章は…。特に5章の南北朝時代の件と現在の政治情勢に絡めた部分は…。あとがきの「七はひち」は笑えるが、部分部分はそれなりに面白かったのだが、全体としては評価のしにくい本だった。

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    投稿日: 2015.09.23
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    20150923 京都ぎらいというタイトルに惹かれて読んでみた。普段思ってもいなかった内容に引き込まれてしまった。ある面、日本人論かも知れない。

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    投稿日: 2015.09.23